塩見 みづ枝(しおみ みづえ、1968年(昭和43年)1月2… 塩見 みづ枝(しおみ みづえ、1968年(昭和43年)1月29日 - )は、日本の文部・文部科学官僚。 高知県土佐清水市出身。高知県立清水高等学校を経て、1990年3月に早稲田大学政治経済学部卒業。国家公務員試験Ⅰ種試験(行政)に合格し、1990年4月文部省入省。 2023年8月8日、文部科学省研究振興局長に就任。 2025年7月15日、文部科学省総合教育政策局長に就任。
尾﨑 正直(おざき まさなお、1967年〈昭和42年〉9月1… 尾﨑 正直(おざき まさなお、1967年〈昭和42年〉9月14日 - )は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、内閣官房副長官(政務担当)。自由民主党高知県支部連合会長。 国土交通大臣政務官兼内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官、デジタル大臣政務官兼内閣府大臣政務官、自由民主党副幹事長、高知県知事(公選第17・18・19代)、全国知事会副会長を歴任した。 高知県高知市生まれ。1991年(平成3年)、大蔵省に入省。関税局国際調査課。大蔵省の同期に寺岡光博、阿久澤孝、中村英正、嶋田俊之、堀内斉、岩元達弘、橋本真吾、山崎翼、柴田敬司、田村謙治、長崎幸太郎らがいる。 本省勤務の他、1998年(平成10年)から3年間は外務省へ出向し、在インドネシア日本大使館で書記官(赴任時は二等、2001年(平成13年)より一等)を務める。
尾崎 正直(尾崎 正直、おざき まさなお、1967年(昭和4… 尾崎 正直(尾崎 正直、おざき まさなお、1967年(昭和42年)9月14日 - )は、日本の大蔵・財務官僚、政治家。高知県知事(民選第17・18・19代)。身長177cm、体重75kg。
浜田 省司(はまだ せいじ、1963年〈昭和38年〉1月23… 浜田 省司(はまだ せいじ、1963年〈昭和38年〉1月23日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。高知県知事(第20代・21代)。無所属。 本来の表記は「浜」が異体字の濵田 省司で、高知県の公式ホームページではこちらの表記が採用されている。 高知県中村市(現・四万十市)出身。小学4年生のときに高知市に転居。高知市立小高坂小学校、土佐中学校・高等学校卒業。1985年(昭和60年)3月、東京大学法学部卒業。同年4月、自治省に入省。同年7月、京都府庁(地方課・財政課)に配属される。 1991年(平成3年)3月、外務省在サンフランシスコ日本国総領事館に副領事・領事として勤務。1994年(平成7年)5月、福岡県庁に消防防災課長・財政課長として勤務。
村木 厚子(むらき あつこ、1955年〈昭和30年〉12月2… 村木 厚子(むらき あつこ、1955年〈昭和30年〉12月28日 - )は、日本の労働・厚労官僚。津田塾大学客員教授。旧姓西村(にしむら)。 2008年に厚生労働省4人目の女性局長として厚生労働省雇用均等・児童家庭局長を務めた後、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)、厚生労働省社会・援護局長を歴任し、2013年7月から2015年9月まで厚生労働事務次官を務めた。 厚生労働省退官後は、内閣官房孤独・孤立対策担当室政策参与、全国社会福祉協議会会長、全国老人クラブ連合会会長、中央共同募金会会長、伊藤忠商事取締役、住友化学取締役、SOMPOホールディングス監査役、コニカミノルタアドバイザー、大妻学院理事、土佐中学校・高等学校理事、若草プロジェクト代表呼びかけ人、抱樸が実施する希望のまちプロジェクト顧問など。
濱口 達男(はまぐち たつお、1948年〈昭和23年〉10月… 濱口 達男(はまぐち たつお、1948年〈昭和23年〉10月17日 - )は、日本の建設官僚。元国土技術政策総合研究所長。元ダム技術センター理事長。元ニュージェック副社長執行役員。安藤・間土木事業本部顧問。瑞宝中綬章受章。息子は映画監督・脚本家の濱口竜介。父は洋画家・教育者の浜口喬夫。 高知県出身。土佐高校、東京大学工学部土木工学科を卒業後、1971年(昭和46年)7月建設省に入省。在イラン日本国大使館一等書記官、国土交通省東北地方整備局長等を経て、2004年(平成16年)1月、国土交通省国土技術政策総合研究所長に就任。2005年(平成17年)8月、国土交通省を退職。退職後はダム技術センター理事長やニュージェック副社長執行役員、安藤・間土木事業本部顧問等を歴任。
西内彬(にしうち あきら、1932年7月17日 - )は日本… 西内彬(にしうち あきら、1932年7月17日 - )は日本の大蔵官僚。広島国税局長、国税不服審判所次長などを務めてきた。 高知県高知市に生まれ育つ。高知市立城東中学校、高知県立高知小津高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。 1958年 大蔵省入省(理財局資金課)。同期入省者に尾崎護、角谷正彦、安原正、冨金原俊二、大野功統、柿澤弘治らがいた。1963年6月10日 高萩税務署長。 1980年6月17日 国税庁長官官房総務課長。1981年6月26日 広島国税局長。1982年6月1日 国税不服審判所次長。1983年6月7日 退官。 同年 日本下水道事業団理事。1988年から四国銀行代表取締役専務。
岡上 泉(おかのうえ いずみ、1931年8月6日 - )は日… 岡上 泉(おかのうえ いずみ、1931年8月6日 - )は日本の大蔵官僚。岩手県副知事、印刷局長などを務めた。勲三等瑞宝章受章。 高知県出身。高知市立城東中学校、高知県立高知小津高等学校、京都大学法学部卒業。1955年 大蔵省入省(銀行局検査部管理課)。1962年7月 東山税務署長。 1973年7月18日 内閣法制局参事官(第三部)。1978年7月20日 大臣官房地方課長。1979年7月31日 大臣官房地方課長兼大臣官房財務考査管理官。1980年6月17日 東海財務局長。 1981年7月8日から岩手県副知事。1984年7月9日 印刷局長。1985年6月17日 退官。 同年7月 電源開発取締役。1986年10月 同社常務取締役(労務部、経理部担当)。
鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日… 鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日 - 2014年(平成26年)10月25日)は、日本の警察官僚。位階は従三位。内閣調査室長、警視総監、宮内庁長官などを務めた。 高知県出身。高知城東中、高知高等学校 (旧制)を経て、1954年(昭和29年)東京大学法学部卒業。国家地方警察本部(現警察庁)入庁。同期入庁の佐々淳行(初代内閣安全保障室長)、金澤昭雄(第13代警察庁長官)等と共にキャリアとして評価された。 大阪府警を振り出しに愛知県警本部、警視庁など刑事畑を歩む。1973年(昭和48年)富山県警本部長となり、警視庁公安、警務各部長、同副総監、内閣調査室長、警察大学校長、警視総監など歴任。
中平 和水(なかひら かずみ、1924年8月27日 - 19… 中平 和水(なかひら かずみ、1924年8月27日 - 1993年12月29日)は、日本の警察官僚。元警察庁刑事局長。 高知県土佐市出身。1952年に中央大学法学部を卒業後、国家地方警察本部(現・警察庁)入庁。 徳島・三重・神奈川・大阪各警察本部刑事部捜査第二課長などを歴任して1966年に警察庁刑事局捜査第二課理事官に就く。 1967年に神奈川県警察本部刑事部長に就任した際には翌年に国鉄大船駅付近で発生した横須賀線電車爆破事件を解決に導いた。 1971年に佐賀県警察本部長、1972年に警察庁刑事局捜査第二課長、1974年に同捜査第一課長にそれぞれ就任。 1975年になると2月に警察庁長官官房総務課長、同年8月警視庁刑事部長にそれぞれ就任。
谷川 寛三(たにがわ かんぞう、1920年6月24日 - 2… 谷川 寛三(たにがわ かんぞう、1920年6月24日 - 2015年11月30日)は、日本の官僚、政治家。元自由民主党参議院議員・衆議院議員。元科学技術庁長官。
北村 久寿雄(きたむら くすお、1917年(大正6年)10月… 北村 久寿雄(きたむら くすお、1917年(大正6年)10月9日 - 1996年(平成8年)6月6日)は、日本の競泳選手、労働省官僚。1932年ロサンゼルスオリンピックの1500m自由形金メダリスト。1952年ヘルシンキオリンピック競泳日本代表の北村康雄は実弟。 出身地は高知市菜園場町(はりまや橋の東)。指導にあたったのは溝渕治助だった。練習には板垣退助や坂本龍馬も泳いだという鏡川を流れに逆らって泳ぐ方法を採用した。[要出典] 1932年(昭和7年)、旧制高知市立高知商業学校3年生のときに開催された第10回のロサンゼルスオリンピックの水泳1500m自由形でそれまでのオリンピック記録を40秒近く縮める19分12秒4のタイムでわずか14歳290日で金メダルを獲得、これは1988年ソウルオリンピックでハンガリーのクリスティーナ・エゲルセギ(当時14歳1か月9日)に破られるまで競泳世界最年少金メダリストであった。
東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月… 東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月29日 - 1991年(平成3年)5月23日)は、日本の大蔵官僚、実業家。大蔵省銀行局長、北海道拓殖銀行頭取、北海道旅客鉄道初代会長を務めた。 高知県高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省。専売局長官官房兼主計局属。1946年9月21日に主計局予算課長。1947年7月2日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)。1948年7月5日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)兼主計局第一部第二課長(国会、裁判所、会計検査院、司法、外務担当)。
有光 次郎(ありみつ じろう、1903年12月15日 - 1… 有光 次郎(ありみつ じろう、1903年12月15日 - 1995年2月22日)は、日本の官僚(文部事務次官)・教育者。1974年勲一等瑞宝章受章。1989年名誉都民受賞。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県生まれ。旧制高知県立第一中学校、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業した。1927年、文部省に入省した。1932年に宗教局保存課長、1934年に専門学務局学務課長、1941年に大臣官房文書課長、1942年に大臣官房秘書課長兼大臣秘書官、1945年6月に科学局長、1945年9月に体育局長、1945年10月に教科書局長を経て1947年に文部事務次官に就任した。 教育基本法の制定、小学校6年、中学校3年の六・三制の実施などの戦後の教育改革に携わる。
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月1… 荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月18日 - 1974年(昭和49年)8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。 高知県出身。荒尾大吉海軍大尉の長男として生まれる。 横須賀中学、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1923年(大正12年)7月、陸軍士官学校(第35期)を卒業。 同年10月、陸軍少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。 1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を優等で卒業した。 1931年(昭和6年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員(徴募課)を経て、1934年(昭和9年)11月からソ連駐在。 1936年(昭和11年)3月から1937年(昭和12年)5月までポーランド公使館附武官補佐官に在任。
桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10… 桃井 直美(ももい なおみ、1896年(明治29年)7月10日 - 1966年(昭和41年)1月9日)は日本の政治家、内務官僚。官選岐阜県知事、公選高知県知事。旧姓・公文。 高知県長岡郡国比左村比江36番屋敷で、県会議員・公文伊三郎、亀寿の三男として生まれた。粟島航海学校に進み海軍兵学校を目指したが、近視のため断念。同海員学校長の桃井百太郎(?〜1945年11月14日)の養子となる。 その後、京都府第二中学校に編入し、第六高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し福島県属・内務部勤務となる。 その後、福島県警部、岩手県・富山県・三重県各勤務、佐賀県書記官・経済部長、山梨県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、鹿児島県書記官・警察部長、神奈川県書記官・学務部長、愛媛県書記官・総務部長、埼玉県部長・内政部長などを歴任。
山田 龍雄(やまだ たつお、1893年(明治26年)11月1… 山田 龍雄(やまだ たつお、1893年(明治26年)11月17日 - 1945年(昭和20年)4月2日)は、日本の大蔵官僚。逓信次官。 高知県出身。旧制高知県立第一中学校(現・高知県立高知追手前高校)、旧制第六高等学校を経て、1918年(大正7年)に高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した。大蔵省では銀行局に配属した後、司税官、税務監督局事務官、同書記官、銀行検査官、預金部書記官・監理課長、大蔵書記官・主計局予算決算課長、主計局予算課長、内閣調査局調査官、大蔵省主税局長・醸造試験所長を歴任した。1937年(昭和12年)、大蔵省造幣局長に就任し、1940年(昭和15年)に逓信次官に転じた。
西山 政猪(にしやま まさい、1883年(明治16年)1月2… 西山 政猪(にしやま まさい、1883年(明治16年)1月21日 - 1951年(昭和26年)12月17日)は、日本の文部官僚。 高知県高岡郡越知町出身。1911年(明治44年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した。長崎高等商業学校教授となり、1920年(大正9年)から民法・商法研究のためイギリス・アメリカ合衆国・ドイツに留学した。帰国後、東京帝国大学書記官・学生監、同庶務課長、文部書記官・大臣官房会計課長、専門学務局長を歴任し、1929年(昭和4年)に宗教局長に就任した。1932年(昭和7年)に退官し、同年から1935年(昭和10年)まで満州国文教部総務司長を務めた。
小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 … 小野 義一(おの ぎいち、1876年(明治9年)10月7日 – 1950年(昭和25年)5月25日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員、東京市助役。 高知県幡多郡、のちの宿毛村与市明(宿毛町を経て現宿毛市)出身。小野義為、キミの長男として生まれる。高知一中、東京府立四中を経て、1898年(明治31年)7月、第一高等学校政治科を首席で卒業。1903年(明治36年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を首席の優等で卒業し、銀時計を授与された。東大の同期には小川郷太郎や上杉慎吉、馬場鍈一ら。同年同月、大蔵属に任官し主計局兼参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に次席合格。この時の首席合格者は馬場鍈一だった。
濱口 雄幸(はまぐち おさち、1870年5月1日〈明治3年4… 濱口 雄幸(はまぐち おさち、1870年5月1日〈明治3年4月1日〉- 1931年〈昭和6年〉8月26日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。号は空谷。 大蔵大臣(第25代)、内務大臣(第43代)、内閣総理大臣(第27代)、立憲民政党総裁(初代)などを歴任した。その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた。大日本帝国憲法下で、衆議院から総理大臣となった3人のうちの1人である。 1870年5月1日(明治3年4月1日)、土佐国長岡郡池村唐谷(のちの五台山村を経て現:高知市)の林業を営む水口家に水口胤平の3人兄弟の末子として生まれる。 1889年(明治22年)、高知県安芸郡田野村(現:田野町)の素封家・濱口義立の16歳の長女・夏と結婚し、濱口家の養嗣子となる。
安岡 雄吉(やすおか ゆうきち、1854年4月21日(嘉永7… 安岡 雄吉(やすおか ゆうきち、1854年4月21日(嘉永7年3月24日)- 1920年(大正9年)11月1日)は、明治期の官僚、政治家。勲四等旭日章。大東亜戦争の際、終戦詔勅の起草文を刪修した陽明学者安岡正篤の祖父にあたる。 土佐国幡多郡中村(高知県中村市、現四万十市)出身。安岡良亮の長男として生まれる。上京して大学南校、慶應義塾に学ぶ。 1878年(明治11年)、内務省に入る、元老院御用掛を経て後藤象二郎の大同団結運動に参加。1892年(明治25年)、第2回衆議院議員総選挙に吏党系から出馬し、自由党の片岡健吉・林有造を破るが、松方内閣が行った選挙干渉が問題となり、訴訟の結果当選無効となってしまった。
奥宮 正治(おくみや まさはる、嘉永4年11月12日(185… 奥宮 正治(おくみや まさはる、嘉永4年11月12日(1851年12月4日) - 1927年(昭和2年)7月20日)は、明治時代の司法官僚。大審院検事。宮城控訴院検事長。幼名は猪左馬。 奥宮慥斎の長男として土佐高知藩領土佐郡布師田村(現高知市布師田)に生まれる。1873年(明治6年)司法省に出仕する。1881年(明治14年)検事に進み、1890年(明治23年)広島地方裁判所検事正となり、神戸地方裁判所検事正、横浜地方裁判所検事正を歴任し、1896年(明治29年)司法書記官に任じた。1899年(明治32年)大審院検事となり、のち宮城控訴院検事長に就任した。
今村 和郎(いまむら わろう / かずろう、弘化3年9月3日… 今村 和郎(いまむら わろう / かずろう、弘化3年9月3日〈1846年10月22日〉 - 1891年〈明治24年〉5月4日)は、明治時代の日本の法制官僚・教育者。 土佐国出身。大学南校(東京大学の前身の1つ)教員を経て岩倉使節団の随員としてフランスに渡り、パリ東洋語学校(フランス国立東洋言語文化学院の前身)に勤務。帰国後は内務省取調局長、法制局(内閣法制局の前身)部長、明治法律学校(明治大学の前身)講師、貴族院議員、行政裁判所評定官を歴任し、法律取調委員会の報告委員として旧民法のうち日本政府法律顧問ボアソナードが起草した財産法部分(ボアソナード民法典)の制定に尽力した。 弘化3年9月3日(1846年10月22日)、土佐国高岡郡高岡村に商家の長男として生まれる。
中島 信行(なかじま のぶゆき、旧名:中島 作太郎〈なかじま… 中島 信行(なかじま のぶゆき、旧名:中島 作太郎〈なかじま さくたろう〉、1846年10月5日〈弘化3年8月15日〉 - 1899年〈明治32年〉3月27日)は、明治時代の官僚、政治家。号は長城。元土佐脱藩浪士(海援隊士)。初代衆議院議長。先妻は陸奥宗光の妹初穂で長男は中島久万吉。後妻は男女同権論者の岸田俊子(中島湘煙)。 明治維新後、外国官及び兵庫県に徴され、通商正・出納正、紙幣権頭、横浜税関長、神奈川県令、元老院議官(国憲取調委員)を歴任後、野に下って民選議院開設・自由民権運動に加わり自由党副総理・立憲政党総理を兼任。民権派の大同団結の立場を堅持し、第1回衆議院議員選挙で当選、初代衆議院議長を務めた。
岩村 高俊(いわむら たかとし、弘化2年11月10日(184… 岩村 高俊(いわむら たかとし、弘化2年11月10日(1845年12月8日)- 明治39年(1906年)1月4日)は、日本の江戸時代後期から明治期の武士(土佐藩士)、官僚、華族である。初名は鉄五郎、のち精一郎。 宿毛領主伊賀家に仕えた岩村英俊(礫水)の三男で、岩村通俊、林有造の弟。位階勲等は従二位、勲二等、男爵。美術評論家・美術史家の岩村透は長男、次男は建築家の竹腰健造。 土佐国幡多郡、のちの宿毛村貝塚(宿毛町を経て現宿毛市)に生まれる。藩校の文武館で蘭学や砲術を学ぶ。慶応3年(1867年)9月に通俊の鉄砲購入に随行して長崎へ行く。ここで監察・佐佐木高行の添え書きを得て11月に上京し、陸援隊に入隊した。
岡内 重俊(おかうち しげとし、天保13年4月2日〈1842… 岡内 重俊(おかうち しげとし、天保13年4月2日〈1842年5月11日〉 - 1915年〈大正4年〉9月20日)は、幕末の土佐藩士、明治期の司法官僚・政治家。元老院議官、貴族院勅選議員、男爵、錦鶏間祗候。通称・俊太郎。 土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市)で、土佐藩士・岡内清胤、鹿子夫妻の長男として生まれる。土佐藩の横目職を務めた。その後、海援隊に加わり坂本龍馬の秘書役を務め、土佐藩の武器調達に尽力。 明治維新後、新政府に出仕し、明治2年2月15日(1869年3月27日)刑法官鞫獄判司事に任じられた。以後、鞫獄副知判司事、徴士・鞫獄司知事、刑部大解部、刑部少判事、刑部中判事、司法少判事、司法権中判事を歴任。
岩村 通俊(いわむら みちとし、1840年7月8日〈天保11… 岩村 通俊(いわむら みちとし、1840年7月8日〈天保11年6月10日〉- 1915年〈大正4年〉2月20日)は、日本の武士、官僚、政治家。鹿児島県令や初代北海道庁長官などを務めた。貫堂と号し、素水を俳号とする。栄典は正二位勲一等男爵。 明治時代に農商務大臣、宮中顧問官、北海道庁長官を務める。開拓官僚として赴任した北海道を調査し、北海道庁設置の必要性を政府に働き掛け、初代北海道庁長官となる。 土佐藩陪臣・岩村英俊を父に、長男として土佐国(現在の高知県)宿毛で生まれた通俊は、酒井南嶺の下で学問を学び岡田以蔵の下で剣術を学んだ。1869年(明治2年)には政府に出仕し聴訟司判事、箱館府権判事開拓判官を務める。
楠目 正幹(くすめ まさみき、天保8年(1837年)9月1日… 楠目 正幹(くすめ まさみき、天保8年(1837年)9月1日 – 明治17年(1884年)9月3日)は、土佐藩出身の武士、明治政府の官僚・海軍法務官。通称は民五郎。土佐勤王党の血盟同志の一人である。官職は東京海軍軍法会議主理・海軍権大書記官。正六位・勲五等。また海軍中佐。 土佐郡潮江村(現在の高知市)に楠目民助の長男として生まれる。楠目藤盛(清馬)の実兄にあたる。土佐藩政下では小南五郎配下の役人として活動した。 文久元年(1861年)、武市半平太を主領とする土佐勤王党の誓書に署名し、血盟連盟した勤王志士の一人であった。この時期、尊王攘夷運動に深く関与していたことが知られる。 明治3年(1870年)、小栗義宣らとともに兵部省糺問権少佑に任じられ、同年中に兵部大録へ転じた。
片岡 源馬(かたおか げんま、天保7年10月9日(1836年… 片岡 源馬(かたおか げんま、天保7年10月9日(1836年11月7日) - 明治41年(1908年)11月2日)は、江戸時代後期(幕末)の武士(土佐藩士)、明治時代の官僚。明治維新後は片岡 利和(としかず)と称した。爵位は男爵。位階勲等は正三位勲二等。次代は従五位男爵片岡丈人。 天保7年(1836年)10月、土佐郡潮江村(現・高知市)の土佐藩士・永野源三郎の次男として生まれたが、佐川領主の家老深尾氏の家臣・那須橘蔵利家の養子となって那須盛馬と称し、佐川の鳥之巣村に移り住む。文久元年(1861年)、武市瑞山が結成した土佐勤王党に参加するが、八月十八日の政変を契機として前藩主山内豊信が勤王党弾圧を開始したことから、謹慎に処されている。
島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833… 島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833年6月5日) - 明治26年(1893年)1月2日)は、明治時代の官僚、法律家である。通称は審次郎、号は北洲。 土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市)で土佐藩士・島本卓次の二男として生まれた。土佐勤皇党に参加し終身刑の宣告を受けたが、戊辰戦争で伊予松山藩の征伐を命じられる。明治維新後、明治新政府で兵部省、司法省の官僚を歴任、江藤新平の右腕として近代日本国家の検察、警察、弁護士の機構制度の確立に尽力した。1873年、江藤の下野とともに司法省を退職し、東京と大阪に弁護士事務所を開く。 その後、自由民権運動に参加、1887年に保安条例で東京退去の処分を受けるも、明治憲法発布の恩赦で赦免された。
神山 郡廉(こうやま くにきよ、文政12年1月13日〈182… 神山 郡廉(こうやま くにきよ、文政12年1月13日〈1829年2月16日〉 - 1909年〈明治42年〉8月20日)は、幕末の土佐藩士、明治期の内務官僚・政治家。県令、元老院議官、貴族院男爵議員、錦鶏間祗候。通称・左多衛。雅号・郡風、君風。 土佐国高知城下中島町で、土佐藩士・神山久左衛の五男として生まれ、神山左平の養子となる。吉田東洋により藩の要職に抜擢された。慶応元年(1865年)、大目付に就任。慶応2年(1866年)、第二次長州征討に当たって、家老・福岡宮内と共に広島に赴き、幕府からの出兵督促を拒否した。慶応3年10月 (1867年)の大政奉還において、建白書に連署した。 王政復古後、慶応3年12月12日(1868年1月3日)、参与に就任。
北代 正臣(きただい まさおみ、生年不詳 - 1908年〈明… 北代 正臣(きただい まさおみ、生年不詳 - 1908年〈明治41年〉1月25日)は、幕末の土佐藩士、明治期の官僚・裁判官。青森県権令。名・恕、幼名・忠吉。 土佐国土佐郡小高坂村(現高知県高知市西町)で、北代正親の長男として生まれる。土佐勤王党に加わり国事に奔走。藩では勘定人小荷駄高作配役、山内容堂上京の御供達御算用役并切手役、長崎出張御用金方などを務めた。 明治政府に登用され明治元年(1868年)、外国官御用掛に就任。以後、外務大禄、民部省監督権正、同省庶務正などを歴任。明治5年(1872年)、大蔵省六等出仕に就任。1873年6月、青森県で給禄について菱田重禧権令と弘前士族の間で対立が起こり、政府は北代を派遣した。
高橋 実枝(たかはし みえ)は、日本の財務官僚。 高知学芸高… 高橋 実枝(たかはし みえ)は、日本の財務官僚。 高知学芸高等学校、東京大学教養学部国際関係論分科卒業。2006年4月 財務省に入省(国際局国際機構課)。同期に山口真由(英米法学者)がいる。入省時には「高橋は機構課に魔の年に入ってきたんだよ」と言われたという。高橋は日本が議長国としてG7とサミットを担当する時に入省した。係長時代は主計局で財政健全化と消費税論議のとりまとめを担当した。関税局監視課長補佐としては税関の取締り業務を担当。2021年7月 主計局主計官補佐(司法・警察係主査)。2023年7月 石川県企画振興部長。2026年4月 大臣官房総合政策課課長補佐 兼 安全保障政策室長
谷脇 暁(たにわき さとる)は、日本の国土交通官僚。国土交通… 谷脇 暁(たにわき さとる)は、日本の国土交通官僚。国土交通省道路局次長や、国土交通省土地・建設産業局長、道路新産業開発機構副理事長等を経て、建設業振興基金理事長。 高知県須崎市出身。土佐高等学校を経て、1983年一橋大学法学部卒業、建設省入省。1989年近畿地方建設局用地部用地第一課長。1994年福岡県企画振興部土地対策課長。1997年建設大臣官房人事課課長補佐。同年建設省河川局水政課建設専門官。 1999年建設省河川局河川総務課企画官。2000年阪神高速道路公団総務部総務課長。2002年国土交通省大臣官房総務課企画官。2004年国土交通省総合政策局建設業課入札制度企画指導室長。2006年中部地方整備局総務部長。
奥宮 慥斎(おくのみや ぞうさい)は、幕末土佐藩の学者で、維… 奥宮 慥斎(おくのみや ぞうさい)は、幕末土佐藩の学者で、維新後高知藩、教部省官僚。 土佐藩士の家に生まれ、田内菜園に国学、江戸で佐藤一斎に陽明学を学び、幕末には藩校教授、山内豊範侍読を務め、土佐勤王党を支援した。明治維新後高知藩で板垣退助による藩政改革、教部省での大祓復活に関わったほか、愛国公党結成に参加し、今北洪川と両忘会を結成した。 文化8年(1811年)7月4日、土佐国土佐郡布師田村(高知県高知市布師田)に土佐藩士奥宮正樹の子として生まれた。15,6歳の時田内菜園に入門し、国学、和歌を学び、また弓術を得意とした。 文政13年(1830年)閏3月江戸に出て、吉田環を介して佐藤一斎に師事しようとしたところ、父と病に罹り、快復後一旦帰郷し、天保3年(1832年)江戸を再訪し、一斎に入門した。