坂口 征二(さかぐち せいじ、1942年2月17日 - )は… 坂口 征二(さかぐち せいじ、1942年2月17日 - )は、昭和期に活躍した日本のプロレスラー、柔道家、実業家。福岡県久留米市出身。世界の荒鷲と呼ばれた。長男は格闘家・元プロレスラーの坂口征夫、次男は俳優の坂口憲二。 受験に失敗し、一年高校浪人して久留米市立南筑高校に入学。1960年、柔道三段を取得。高校卒業後、明治大学に進学。柔道部で神永昭夫の指導を受ける。1963年10月、バーデン=バーデンでのIOC総会で柔道の1968年メキシコシティーオリンピックからの除外が決定。国際柔道連盟(IJF)はIOCに再考を促す。坂口はその長身を生かし、1964年東京オリンピック前には「仮想ヘーシンク」として、神永の稽古相手を務めた。
永利 新一(ながとし しんいち、1942年2月2日 - 20… 永利 新一(ながとし しんいち、1942年2月2日 - 2021年7月2日)は、日本の実業家、公認会計士、税理士。オーム乳業代表取締役社長、同社代表取締役会長、大牟田商工会議所会頭、如水監査法人代表、福岡県包括外部監査人等を歴任。 福岡県大牟田市出身。福岡県立三池高等学校を経て、1966年一橋大学商学部卒業。吉野昌甫ゼミ出身。1969年プライスウォーターハウス会計事務所入所。コンサルタントなどを務めた。 1974年家業の3代目としてオーム乳業代表取締役社長に就任。冬季の牛乳への需要減に対応して生クリーム製造を開始したり、コーポレートアイデンティティや、学校給食、自社販売などの販売チャンネル整備を行った。
井手 明彦(いで あきひこ、1941年10月24日 - 20… 井手 明彦(いで あきひこ、1941年10月24日 - 2020年4月2日)は、日本の実業家。三菱マテリアル代表取締役社長(2004年6月 - 2010年6月)。 福岡県出身。少年時代は炭鉱勤務の父親につき、各地を転々とした。
北村 憲雄(きたむら のりお、1941年9月25日 - )は… 北村 憲雄(きたむら のりお、1941年9月25日 - )は、日本の実業家。福岡県出身。イタリアトヨタ社長CEOなどを経て、初代郵便事業会長兼CEOを務めた。 福岡県立東筑高等学校を経て、1967年に鹿児島大学法文学部経済学科を卒業し、トヨタ自動車販売(現トヨタ自動車)に入社。トヨタ自動車のイタリアでの事業の立役者として知られ、1996年にはイタリアトヨタ社長CEOに就任。2002年にスペイントヨタ会長兼務。2005年にイタリアトヨタ会長。 2006年には日本郵政取締役となり、2007年から郵便事業会長兼CEOを務め、経営効率化を進めた。2009年には郵便事業会長となったがCEOから外れたため、「責任ある立場で、郵便事業の大胆な改革ができなくなった」として、2010年に郵便事業顧問に退いた。
小川 弘毅(おがわ ひろき、1941年9月21日 - )は、… 小川 弘毅(おがわ ひろき、1941年9月21日 - )は、日本の実業家。西部ガス代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本ガス協会副会長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。1960年福岡県立小倉高等学校卒業。1964年明治大学政治経済学部卒業。同年西部ガス入社。1994年西部ガス取締役。1998西部ガス常務取締役。2000年西部ガス専務取締役。2002年西部ガス代表取締役副社長。2003年山崎宮市、塩屋義之に続く明大出身者として3人目となる西部ガス代表取締役社長に昇格。同年日本ガス協会常任理事、日本ガス協会九州部会長。2004年天然ガス導入促進センター理事。2008年西部ガス代表取締役会長、日本ガス協会副会長。
村田 邦彦(むらた くにひこ、1941年7月10日 - 20… 村田 邦彦(むらた くにひこ、1941年7月10日 - 2017年4月9日)は、日本の料理人、実業家。株式会社ピエトロ創業者。元同社代表取締役社長。 福岡県福岡市博多区出身。1960年福岡県立福岡中央高等学校卒業。1964年福岡大学商学部卒業。1980年親不孝通りに洋麺屋ピエトロを創業し、オーナーシェフとなる。1985年株式会社ピエトロ設立、同社代表取締役社長。2002年に東京証券取引所市場第二部に上場。2007年には取引先の日清オイリオグループと資本業務提携を締結した。2010年に役員報酬の個別開示が始まった際は、九州の主要企業ではイフジ産業の藤井徳夫とともに1億円以上の役員報酬を受けたことが話題になった。
幡掛 大輔(はたかけ だいすけ、1941年6月29日 - )… 幡掛 大輔(はたかけ だいすけ、1941年6月29日 - )は、日本の実業家。クボタ代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本農業機械工業会会長などを歴任した。 福岡県北九州市の神職の家に長男として生まれる。伊勢神宮少宮司を務めた幡掛正浩は父。福岡県立東筑高等学校を経て、1964年横浜市立大学商学部卒業、久保田鉄工(現クボタ)入社。機械企画部長、枚方製造所長、経営管理部長等を経て、1999年取締役に昇格。企業行動監査部担当、関連事業推進部・情報化推進部副担当、経営企画部長等を務めた。2001年常務取締役に昇格し、コンプライアンス本部長、PV事業推進部長等を務めた後、2003年、代表取締役社長に昇格。
利島 康司(としま こうじ、1941年6月11日 - 202… 利島 康司(としま こうじ、1941年6月11日 - 2025年7月17日)は、日本の経営者。安川電機社長、会長を務めた。福岡県出身。 福岡県立小倉高校を経て、1964年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、同年に安川電機製作所(のちの安川電機)に入社した。1992年9月に理事に就任。1995年にロボット事業部長に就任し、年間15億円の赤字をだすロボット事業部を黒字に変えた。取締役、常務、専務を経て、2004年3月に社長に就任した。2010年6月に会長に就任した。2013年6月に特別顧問に就任し、2023年に退任。 社外では、在九州フィンランド名誉領事館名誉領事、一般社団法人日本ロボット工業会会長、北九州商工会議所会頭、福岡県行政改革審議会会長などを務める。
内山 文治(うちやま ふみはる、1941年4月12日 - 2… 内山 文治(うちやま ふみはる、1941年4月12日 - 2026年2月5日)は、日本の実業家。ウチヤマホールディングス創業者・代表取締役会長。 福岡県北九州市小倉南区の平尾台近くで生まれる。家業は弁天町の内山米穀店。福岡県立小倉西高等学校卒業後、家業を継ぐ。1971年から不動産事業に進出。住専問題を受け、バブル崩壊前後の1991年からカラオケ事業に進出。1995年からは飲食事業も展開。2006年には子会社を飲食・カラオケ事業のボナーと、介護事業のさわやか倶楽部に再編し、ウチヤマホールディングスを設立。同社代表取締役社長に就任。2012年にジャスダック上場。2013年には東京証券取引所市場第二部に上場し、2014年に東京証券取引所市場第一部への市場変更を果たした。
藤井 德夫(ふじい とくお、1941年2月13日 - )は、… 藤井 德夫(ふじい とくお、1941年2月13日 - )は、日本の実業家。イフジ産業株式会社創業者最高顧問。 天津租界生まれ。日本の降伏後引き揚げ、桜坂で農業や畜産業を営むようになり、福岡県福岡市で育った。福岡県立福岡中央高等学校を経て、九州大学法学部卒業後、家業の養鶏場経営に従事し、加工卵事業に業態転換を行い1972年にイフジ産業を設立。山崎製パンに採用されて以降全国展開が進み、その後M&Aなどにより業容を拡大させ、2001年にはJASDAQに上場した。2010年に役員報酬の個別開示が始まった際は、九州の主要企業ではピエトロの村田邦彦とともに1億円以上の役員報酬を受けたことが話題になった。2012年には東京証券取引所市場第二部に上場し、ホテルニューオータニ博多で祝賀会を開催した。
吉田 嘉明(よしだ よしあき、1941年〈昭和16年〉1月3… 吉田 嘉明(よしだ よしあき、1941年〈昭和16年〉1月31日 - )は、日本の実業家。株式会社大和心代表取締役会長兼社長。 株式会社DHCの創業者であり、代表取締役会長ならびに最高経営責任者(CEO)を務めた。日本経団連評議員[要出典]を務めた。 日本統治時代の朝鮮に吉田稔(佐賀県出身)・信子(広島県出身)の次男として生まれる。 両親の結婚記念日に生まれたので、目出度い日に生まれたという事で「嘉明(よしあき)」という名前がついた。 父親は佐賀県の農学校を出て、当時の農林省から朝鮮に派遣された役人だった。外祖父の松場密三郎は当時日本の統治下にあった朝鮮・満州・台湾を舞台に大活躍した有名な実業家であった。
麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20… 麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家、元射撃選手。自由民主党所属の衆議院議員(16期)、自由民主党副総裁(第17代・第19代)、志公会会長。中曽根康弘世界平和研究所会長。 内閣総理大臣(第92代)、副総理兼財務大臣(第17代・第18代・第19代・第20代)、内閣府特命担当大臣(金融)(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、デフレ脱却担当大臣(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、外務大臣(第132代・第133代)、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、国民スポーツ担当大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、情報通信技術(IT)担当大臣(第2次森改造内閣)、経済財政政策担当大臣(第2代)、経済企画庁長官(第53代)、文部政務次官(竹下改造内閣)、衆議院財政構造改革特別委員長、衆議院外務委員長、衆議院石炭対策特別委員長、自由民主党総裁(第23代)、自由民主党最高顧問、自由民主党幹事長(第44代・第46代)、自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党経理局長を歴任した。
寺崎 一雄(てらさき かずお、1940年8月8日 - )は、… 寺崎 一雄(てらさき かずお、1940年8月8日 - )は、日本の実業家。テレビ西日本代表取締役会長。福岡県出身。 1959年に福岡県立明善高等学校を経て、早稲田大学法学部に進学。早稲田大学卒業後、1964年4月に西日本新聞社入社。1991年2月に同社社会部長、1993年7月に編集局次長、1995年6月に東京支社長(局長)に就任。1997年6月にテレビ西日本取締役。1999年6月に同社常務、2003年6月に専務に昇進。2005年6月に社長就任。2013年6月より同社会長。
池田 弘一(いけだ こういち、1940年4月21日 - )は… 池田 弘一(いけだ こういち、1940年4月21日 - )は、日本の実業家。アサヒビール代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本経団連評議員会副議長、経済同友会副代表幹事、全国法人会総連合会長などを歴任した。 福岡県筑紫野市出身。福岡県立福岡高等学校を経て、1963年九州大学経済学部卒業、朝日麦酒(現アサヒグループホールディングス)入社。飲料営業部営業課長を経て、1987年営業部副部長。1996年取締役。1997年常務取締役。1999年専務取締役。2000年専務執行役員。2001年専務取締役。2002年代表取締役社長兼COO。2006年代表取締役会長兼CEO。2008年九州大学経済学部同窓会会長。
古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -201… 古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -2012年10月13日 )は、日本の実業家、豊田通商株式会社元代表取締役会長、社長、相談役。2011年、旭日重光章。 1940年3月3日、福岡県北九州市生まれ。1962年3月、立教大学経済学部卒業。 1962年4月、豊田通商株式会社入社。1987年6月、同社取締役就任、1993年6月、常務取締役、1997年6月専務取締役、1999年6月取締役副社長。 2001年6月、代表取締役社長就任、2005年6月、取締役会長、2010年6月相談役。 2010年4月、フィリピン共和国「THE ORDER of SIKATUNA国家勲章」受章。翌2011年6月、旭日重光章受章、フランス「レジオンドヌール勲章シュバリエ」受章。
柿原彬人(かきはら よしひと、1938年10月14日 - 2… 柿原彬人(かきはら よしひと、1938年10月14日 - 2006年7月18日)は日本の実業家。福岡県出身。出生名は柿原孝(読み方不明)であり、1993年に改名した。 コーエーテクモホールディングスの前身の1社・テクモの創業者。日本アミューズメントマシン工業協会の会長も務めた。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1938年2月24日 - 201… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1938年2月24日 - 2015年3月9日)は、日本の官僚、経営者。福岡県福岡市出身。 1961年に早稲田大学理工学部を卒業し、同年に通商産業省に入省。立地公害局石炭課長、資源エネルギー庁石炭部産業課長、石炭部長、通商産業省官房審議官、技術総括審議官などを歴任し、1991年6月に立地公害局長に就任し、1992年6月をもって、退任。 石油公団理事を経て、1995年に三菱マテリアル常務に就任し、2000年には副社長に昇格した。2002年6月27日付で同社顧問と三菱原子燃料取締役社長に就任。 2008年に瑞宝中綬章を受章した。 2015年3月9日がんのために死去。77歳没。
岡部 正彦(おかべ まさひこ、1938年1月9日 - )は、… 岡部 正彦(おかべ まさひこ、1938年1月9日 - )は、日本の実業家。学校法人日通学園理事長。大分県出身。前日本通運会長・社長で現在は相談役。
髙城 壽雄(たかぎ としお、1938年 - )は、日本の発明… 髙城 壽雄(たかぎ としお、1938年 - )は、日本の発明家、実業家。タカギ創業者で、同社代表取締役社長を経て、代表取締役会長。経営法博士。 福岡県小倉市(現北九州市小倉北区)出身。3歳のときマレー作戦で父を亡くし、愛媛県新居浜市の母方の伯父の養子となる。福岡県立門司東高等学校在学中から、発明で多数の受賞をしたが、部の備品を破壊するなどの校内暴力で2度の無期限謹慎処分を受けたのち退学。 1956年に小倉豊国高等学校卒業後、上京してトラック運転手として働きながら東京都大井職業訓練所ラジオ・テレビ科で学んだのち、無線工業(現ディーアンドエムホールディングス)に入社。その後、小倉に戻り22歳で家電製品修理業を起業。
加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 201… 加治 久典(かじ ひさのり、1937年4月18日 - 2014年4月6日)は、日本の実業家。ハローデイ創業者。同社元会長。福岡県出身。 1937年、福岡県苅田町の生まれ。福岡県立京都高等学校卒業。1958年、21歳の時、父親から15坪の食料品店である有限会社かじやを引き継ぎ、後のハローデイの礎を築く。2014年4月6日、癌性リンパ管症にて、76歳死去。 株式会社かじやが経営不振に陥るが、長男の加治敬通の入社により、危機を乗り越え、株式会社ハローデイ設立。同社社長に就任。2008年、同社会長。
上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのう… 上条 英男(かみじょう ひでお、本名:井上 英男 - いのうえ ひでお、1937年1月10日 - 2025年7月13日)は、日本の実業家・芸能プロデューサー。 福岡県北九州市に出生。福岡県立八幡中央高等学校を卒業後関西大学文学部に進学するが、次第に音楽活動に傾倒し中退した。4・9・1(フォー・ナイン・エース)を結成して東北、北海道を巡業し、1966年には芸能プロデューサーに転向した。 芸能プロデューサーとしては4・9・1のボーカリストとしてジョー山中をスカウトしたのを皮切りに小山ルミ、吉沢京子、西城秀樹、安西マリア、田口久美、舘ひろし、川島なお美などを次々と発掘した。1960年代後半から1980年代初頭にかけて芸能界に重きをなした。
平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2… 平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2005年1月14日)は、日本の技術者、実業家。元ユニチカ代表取締役社長。高分子学会賞受賞。 福岡県福岡市出身。1961年九州大学工学部卒業、大日本紡績(のちのユニチカ)入社。新規キレート樹脂の開発とその利用技術に関する研究で昭和52年度高分子学会賞受賞。 1983年中央研究所第6研究室長。1986年スパンボンド生産開発部長。1991年取締役スパンボンド事業本部副本部長。1994年取締役中央研究所長。1996年常務取締役スパンボンド事業本部長。1999年常務取締役繊維事業本部長兼ユニチカファイバー代表取締役社長。 2000年から代表取締役社長を務め、建設部門からの撤退を行うなどした。
正野 寛治(しょうの かんじ、1936年3月1日 - 202… 正野 寛治(しょうの かんじ、1936年3月1日 - 2023年9月29日)は日本の実業家。三菱化学代表取締役社長や、同社代表取締役会長、化学工学会会長、石油化学工業協会会長などを務めた。 福岡県出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1959年東京工業大学理工学部化学工学科卒業、三菱化成工業(のちの三菱化学、現三菱ケミカル)入社。1979年黒崎工場製造四部長。1989年取締役水島工場長。1992年常務生産技術本部長。1994年三菱化学常務機能化学品カンパニープレジデント。1997年専務医薬カンパニープレジデント。1999年から代表取締役社長を務め、ROA経営による収益改善を進めた。三菱化学生命科学研究所代表取締役、化学工学会会長、石油化学工業協会会長、日本プラスチック工業連盟会長、ダイヤ高齢社会研究財団理事長なども務めた。
國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月2… 國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月26日 - )は、日本の化学者・教育者・会社役員。理研ベンチャーである株式会社ナノメンブレン取締役および北九州産業学術推進機構の理事長。北九州市立大学元副学長。 福岡県久留米市に生まれ、久留米大学附設高等学校卒業後、九州大学工学部応用化学科に入学。大学4年時に秋吉三郎教授、麻生忠二助教授の高分子化学講座へと配属される。修士課程修了後、秋吉教授の「アメリカの大学院を範とする基礎研究重視の大学院教育システムの確立」のため、ペンシルベニア大学の博士課程へと進学する (Ph.D. Adviser, Charles. C. Price)。約2年半で博士学位を取得し、カリフォルニア工科大学のCarl G. Niemann Groupで博士研究員として研究を行う。
明石 博義(あかし ひろよし、1936年1月7日 - 202… 明石 博義(あかし ひろよし、1936年1月7日 - 2022年9月25日)は、日本の実業家。元西日本鉄道社長・会長。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高等学校を経て、1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、西日本鉄道に入社。1987年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1997年から2003年まで社長を務めた。2003年から2008年まで会長を務めた。 その他、福岡交通センター会長、RKB毎日放送取締役なども歴任。 2015年に旭日重光章を受章。 2022年9月25日、大腸がんで死去。86歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年… 原 徹(はら とおる、1935年12月26日 - 2021年12月14日)は、日本の映画プロデューサー、実業家。 トップクラフト代表取締役社長、株式会社スタジオジブリ常務取締役、株式会社スタジオジブリ代表取締役社長などを歴任した。 福岡県北九州市出身。福岡県立八幡高等学校を経て、早稲田大学入学。在学中に、しとうきねお、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らとともに早稲田大学漫画研究会を創設。「漫画サンデー」に4コマ漫画を描く。漫画家の道は断念し、1959年に大学を卒業すると同時に東映動画に入社。 企画制作の仕事をし、1965年のテレビアニメ『宇宙パトロールホッパ』を始めとして、『ひみつのアッコちゃん』『魔法のマコちゃん』『さるとびエッちゃん』等少女向けテレビアニメの製作を担当。
種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10… 種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10月17日 - )は、日本の実業家。元BMW東京社長。「日本教育再生機構」代表委員。教科書改善の会賛同者。元新しい歴史教科書をつくる会会長。 実業界から退いた後、東大の同級生で当時、新しい歴史教科書をつくる会の会長だった西尾幹二から「財務を見てくれ」と頼まれ、1999年(平成11年)3月に理事に就任、一時は副会長を務めた。日露戦争について研究し、著書『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ経営・人生』を出版したり、学会に呼ばれるなどした。 明石への隠居を決めていた2006年(平成18年)2月、つくる会の内紛で八木秀次が会長を解任されたあおりで、会長に担ぎ出された。
松尾 博人(まつお ひろと、1935年10月6日 - 201… 松尾 博人(まつお ひろと、1935年10月6日 - 2019年4月19日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。福岡県八女市出身。 1958年に早稲田大学商学部を卒業し、同年にクラレに入社した。 1988年6月に取締役に就任し、1991年6月には常務に就任し、1993年6月に社長に就任した。 2000年6月には会長に就任した。 2009年4月に旭日中綬章を受章した。 2019年4月19日呼吸不全のために死去。83歳没。
権藤 満(こんどう みのる、1935年7月7日 - )は、日… 権藤 満(こんどう みのる、1935年7月7日 - )は、日本の経営者。九州朝日放送の社長、会長を務めた。 福岡県久留米市出身。1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。取締役、事業開発本部長、常務、専務を歴任した。 2003年から2010年まで九州朝日放送の社長を務め、2010年から2011年までに会長を務めた。2004年から2006年までは日本民間放送連盟副会長も務めた。 2018年から地元の久留米市で監査委員を務めている。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 20… 重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 2017年5月3日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本セラミックス協会会長、北九州商工会議所会頭などを務めた。正四位旭日重光章。 福岡県田川郡添田町生まれ。福岡県立田川高等学校を経て、1958年九州大学工学部卒業、東洋陶器(現TOTO)入社。1983年取締役。1987年常務取締役。1992年専務取締役。1994年代表取締役副社長。 1998年から東陶機器代表取締役社長を務め、人員削減などの経営改革にあたり、また、大建工業やYKK APと業務提携しリフォーム事業の確立を行った。2003年代表取締役会長。
長谷川 弘志(はせがわ ひろし、1935年2月5日 - 20… 長谷川 弘志(はせがわ ひろし、1935年2月5日 - 2023年4月27日)は、日本のアナウンサー、実業家。元・九州朝日放送(KBC)アナウンサー、元・KBCメディア社長。 福岡県福岡市出身。早稲田大学文学部を卒業後の1957年、九州朝日放送にアナウンサーとして入社。情報番組からスポーツ中継まで幅広いジャンルの番組を担当した。 スポーツアナウンサーとしては、地元の平和台球場を本拠地に使用していた西鉄(→太平洋クラブ→クラウンライター)ライオンズ戦中継の実況で人気を博していた。クラウンの後継球団・西武ライオンズの誕生で本拠地が平和台球場から西武ライオンズ球場(埼玉県所沢市)へ移転した1979年に運動部の記者へ異動したが、1980年4月からKBCラジオで『長谷川ひろし おはよう7』(平日7:00 - 9:00の生ワイド番組)のパーソナリティを8年間務めた。
入江 伸明(いりえ のぶあき、1934年(昭和9年)12月3… 入江 伸明(いりえ のぶあき、1934年(昭和9年)12月3日 - 2008年(平成20年)2月18日)は、日本の実業家。 福岡県北九州市八幡東区出身。1953年(昭和28年)福岡県立小倉高等学校卒業。早稲田大学卒業後、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)入行。 1961年(昭和36年)1月帰郷後、家業である入江興産(現社名・アステック入江)入社・常務取締役就任、1975年(昭和50年)9月代表取締役社長に就任。2005年(平成17年)10月には代表取締役会長に就任した。また、2005年(平成17年)6月~2007年(平成19年)6月の間、高田工業所社外監査役を務めた。 1999年(平成11年)4月、西日本工業大学理事長就任、2006年(平成18年)4月1日より九州歯科大学経営協議会学外委員を務めた。
吉田 安伸(よしだ やすのぶ、1934年9月6日 - 201… 吉田 安伸(よしだ やすのぶ、1934年9月6日 - 2018年4月22日)は、日本の経営者。ティー・エックス・エヌ九州(現在のTVQ九州放送)社長、会長を務めた。 福岡県福岡市生まれ、鹿児島県出水市出身。1957年に横浜国立大学経済学部を卒業し、日本経済新聞社に入社。日経では日経流通新聞編集長、東京編集局次長、日経マグロウヒル取締役を歴任した。1990年からティー・エックス・エヌ九州常務に就任し、専務を経て、1995年から1999年までに社長を務め、1999年から2001年までに会長を務めた。 2018年4月22日、小腸せん孔のために死去。83歳没。
鎌田迪貞(かまた みちさだ、1934年8月21日 - )は、… 鎌田迪貞(かまた みちさだ、1934年8月21日 - )は、日本の実業家であり、九州電力第6代会長である。九州・山口経済連合会会長など様々な役職を務める九州経済界の大物の一人である。趣味は読書とゴルフ、座右の銘は弱者にも配慮した「暖かい志」。2018年春の叙勲で旭日大綬章を受章。 鎌田迪貞と松尾新吾の間には、眞部利應社長の就任ややらせメール事件後の対応で、確執があったと言われる(下記参照)。 福岡県北九州市出身。1941年(昭和16年)に国民学校に入学。5年生の時に終戦を迎える。志望校であった福岡県立小倉高等学校は学区外であったが、学区内の禅宗の寺の小僧になり進学した。国語と数学が得意であった。
佐伯 尚孝(さえき なおたか、1934年8月18日 - 20… 佐伯 尚孝(さえき なおたか、1934年8月18日 - 2023年5月10日)は日本の実業家。第9代三和銀行頭取。 鹿児島県出身。1955年福岡県立福岡高等学校卒業、1959年東京大学経済学部卒業、三和銀行入行。1994年から第9代三和銀行頭取を務めたが、渡辺滉会長と派閥抗争を繰り広げ、1999年に渡辺会長と「相打ち」のかたちで頭取を辞任し、相談役に退いた。後任の代表権のない会長には内藤碩昭が、頭取には室町鐘緒が就いた。のち三菱UFJ銀行名誉顧問、三菱UFJ信託地域文化財団評議員、岩谷直治記念財団理事長、HOYA社外取締役。 2023年5月10日、横浜市の自宅で死去。88歳没。
福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 202… 福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 2024年1月29日)は、日本の経営者。位階は正四位、旭日重光章受章。 アサヒビール(旧朝日麦酒)社長・会長・相談役、第19代日本放送協会(NHK)会長を歴任したほか、日本相撲協会横綱審議委員会委員も務めた。2011年、財団法人新国立劇場運営財団理事長に就任。2014年2月、一般財団法人防災検定協会顧問に就任。 福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区)出身。福岡県立小倉高等学校商業科(その後同科は福岡県立小倉商業高等学校となる)を経て長崎大学経済学部卒業後、1957年4月、朝日麦酒に入社。以後、長く営業畑を歩んだ。 京都支店長、本社営業部長を経て、住友銀行(現三井住友銀行)出身の樋口廣太郎に抜擢され1988年3月に取締役就任、大阪支店長を兼務した。
大貝 日出夫(おおがい ひでお、1933年8月31日 - )… 大貝 日出夫(おおがい ひでお、1933年8月31日 - )は、日本の実業家。 大貝二美男の長男として福岡県に生まれる。1952年福岡県立修猷館高等学校を経て、1958年東京大学法学部公法学科を卒業。 1958年4月昭和電工(現・レゾナック・ホールディングス)に入社。同社において、1980年1月炭素営業部長、1985年3月参与炭素事業部長、1989年3月取締役大阪支店長、1993年3月常務取締役を務めた後、1997年3月昭光通商代表取締役社長に就任。1999年3月同相談役となる。
別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 20… 別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 2021年2月27日)は、日本の実業家。 福岡県久留米市出身。1958年に早稲田大学教育学部を卒業し、同年にテレビ西日本に入社。 1985年7月に制作局長に就任し、取締役、常務、専務、副社長を経て、1999年6月から2005年6月までに社長を務め、2005年6月から2009年までに会長を務めた。 西日本新聞社監査役、取締役、フジテレビジョン取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役も務め、2000年から2006年までに日本民間放送連盟理事を務めた。 2008年4月に旭日中綬章を受章した。 2021年2月27日肺炎のために死去。87歳没。
川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年〈昭和7年〉3… 川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年〈昭和7年〉3月1日 - 2024年〈令和6年〉2月12日)は、日本の実業家。銀座や中洲、小倉などに「丸源ビル」の名称で多くの雑居ビルを所有していた。日本の億万長者の1人であった。 1932年、福岡県小倉市(現・北九州市)の呉服屋「丸源」に生まれた。子供のころの夢は「金閣寺に住みたい」であった。 地元小倉の私立常磐高等学校を卒業。1953年、慶應義塾大学経済学部を中退し家業の呉服店を継ぐ。このもうけの大半を不動産に投資し、木造アパートやマーケットの建築からはじめて高度経済成長による不動産価格の高騰で莫大な利益を上げた。 1960年には呉服屋を廃業し、本格的に貸しビル業へ転じる。
三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年… 三井 信雄(みい のぶお、1931年7月4日 - 2015年7月14日)は日本出身の技術者、技術系管理者を経て、実業家。NHKで番組編成補助・自動送出などのコンピュータ化を行い、IBMで技術系部門の高級管理者として活躍し、IBM退社後には技術系投資ファンドを管理。
前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2… 前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2013年4月7日)は、日本の技術者・経営者。東レ名誉会長。 福岡県嘉穂郡穂波村大字忠隈(現:福岡県飯塚市)に生まれる。父・繁師(しげのり)は住友鉱山忠隈炭鉱の病院の薬局長、母・道枝は山鹿(熊本県)の御殿医の流れを汲む竹下病院の長女。住友鉱山の庭付きの社宅で育った。姉・上野栄子、兄・慶之助。 菰田小学校時代、約50人の学級の中に朝鮮人が5、6人おり、彼らは1、2歳年上だった。日本人と朝鮮人の生徒間の喧嘩が始まると、級長の前田は間に割って入った。 嘉穂中学校時代は勤労動員に遭遇し、炭鉱で採炭の仕事に明け暮れた。男たちは戦争に駆り出され人手不足だった。
高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、… 高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、日本の映画プロデューサー、実業家。東映代表取締役社長、会長、相談役を歴任した。
清水 晃(しみず ひかる、1930年11月5日 - 2016… 清水 晃(しみず ひかる、1930年11月5日 - 2016年7月20日)は、日本の経営者。西日本新聞社社長を務めた。 福岡県田川市出身。1954年に九州大学法学部を卒業し、同年に西日本新聞社に入社。1985年に取締役に就任し、1987年に常務、1989年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2001年6月に会長に就任し、2007年6月から1年間相談役を務めた。 テレビ西日本会長、共同通信社理事なども歴任。 2016年7月20日心不全のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003… 桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003年2月26日)は、日本の実業家。ヤクルト本社社長、ヤクルトスワローズのオーナーを務めた。 熊本県出身(出生地は福岡県大牟田市)。三池高校、熊本大学工学部を卒業後、ヤクルト本社に入社。副社長時代の1987年7月に社長の松園尚巳が病に倒れると本社の業務を任され、1988年4月にヤクルト本社社長に就任した。 ヤクルトはプロ野球球団(ヤクルトスワローズ)を保有しており、松園がオーナーを務めていたが、球団については球団社長の相馬和夫がオーナー代行を兼任する形で運営を任されており、当初は桑原は球団運営には関わっていなかった。ところが自身が他球団のオーナーであるにもかかわらず大の巨人ファンとして有名だった松園は、この年に長嶋茂雄の息子・一茂の獲得に成功していたこともあり、一刻も早く長嶋監督就任を実現しようと、まだリーグ優勝チームすら決まっていないシーズン途中の10月3日に、桑原に命令して記者会見を開かせ、現監督関根潤三の任期中にもかかわらず(1989年までの3年契約)、現場の相馬の頭越しに「長嶋氏に来年度からの監督就任をお願いする」と表明させ、翌日には相馬が慌ててこれを取消す事態に発展した。
中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は… 中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は、日本の経営者。住友金属工業社長を務めた。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)出身。1947年に旧制小倉中学校卒業。熊本大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学部を修了し、同年に住友金属工業に入社。 小倉製鉄所所長、取締役、常務、鹿島製鉄所所長、専務を経て、1992年6月から1996年6月までに社長を務め、1996年6月から1998年6月までに副会長を務めた。社長在任時には、円高に対応して、人員削減を中心としたリストラを実施した。また、鹿島製鉄所所長在任時には新宮康男とともに住友金属工業蹴球団をJリーグに参加するために地域自治体への陳情活動を行っていた。
神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - … 神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - 2019年10月7日)は、日本の経営者。中山製鋼所社長を務めた。 福岡県行橋市出身。1954年に九州工業大学工学部機械工学科を卒業し、同年に富士製鉄(のちの新日本製鐵)に入社。1985年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に副社長、1995年6月に常任顧問を経て、1997年3月に中山製鋼所最高顧問に就任し、同年6月には社長に昇格。2006年6月には取締役相談役に就任。 2019年10月7日に心不全のために死去。89歳没。
中野 達雄(なかの たつお、1928年6月8日 - 2002… 中野 達雄(なかの たつお、1928年6月8日 - 2002年6月11日)は、よみうりテレビ社長・会長。福岡県出身。
出光 昭介(いでみつ しょうすけ、1927年7月13日 - … 出光 昭介(いでみつ しょうすけ、1927年7月13日 - 2023年12月20日)は、日本の実業家。出光興産名誉会長。 1927年、福岡県北九州市で出光佐三の長男として生まれる。東京府立第一中学校、府立高等学校を経て、ハーバード大学へ進学した。その後、出光興産へ入社する。1981年6月から第5代社長に就任し 、1993年5月まで務めた。会長を経て、2001年に代表権の無い名誉会長に退いた。 出光美術館(2代目館長)、松ヶ岡文庫(理事長)、一般財団法人不審菴(1981年理事)、表千家同門会(1996年東京支部長、2004年名誉会員、2011年東京支部名誉支部長)などでの文化的活動にも積極的に参加した。
牛尾 鋭之助(うしお えいのすけ、1926年10月3日 - … 牛尾 鋭之助(うしお えいのすけ、1926年10月3日 - )は、日本の実業家。 牛尾卯三の三男として福岡県に生まれる。1945年福岡県中学修猷館(第5学年卒業)を経て、1951年東京大学経済学部商業学科(現・経営学科)を卒業。 1951年三菱銀行に入行。茨木支店長、池袋支店長、経営相談所長、本店営業第一部長などを経て、1981年6月取締役に就任。同年7月日本橋支店長、1983年1月地方監督役となる。 1983年3月三菱油化(現・三菱ケミカル)常務となり、1988年3月専務に就任。1990年6月営業総括兼関連事業部担当となる。 1992年6月三菱油化ビーシーエル(現・LSIメディエンス)社長に就任。
権堂 義幸(ごんどう よしゆき、1925年7月 - 2012… 権堂 義幸(ごんどう よしゆき、1925年7月 - 2012年2月25日)は日本の学校法人経営者、理事長、政治家。 1925年(大正14年)7月、福岡県小倉市生まれ。1944年(昭和19年)旧制常磐中学校(現・常磐高等学校)卒業(第11期生)。1943年(昭和18年)相撲部にて全国大会出場、個人戦で準優勝。1951年(昭和26年)の小倉市議選で初当選、以来小倉市議並びに北九州市議を通算5期。 会社役員を経て、1967年(昭和42年)学校法人常磐学園(常磐高等学校)理事に就任。1969年(昭和44年)には、学校法人常磐学園常磐高等学校理事長に就任し、その後、学校法人明経学園美萩野臨床医学専門学校、学校法人美萩野学園美萩野女子高等学校・小倉日新館中学校、学校法人飯塚学園飯塚日新館中学校・日新館高等学校 (福岡県)(廃校)、学校法人若松学園高稜高等学校、学校法人萩学園萩国際大学(現・至誠館大学)、財団法人創生奨学会の理事長を歴任。