田代 和彦(たしろ かずひこ、1933年 - )は、日本の郵… 田代 和彦(たしろ かずひこ、1933年 - )は、日本の郵政官僚。郵政大学校長を務め、郵便業務に携わる人材の育成に努めた。長崎県出身。 1933年生まれ。長崎県出身。1956年九州大学法学部を卒業後、郵政省に入省。同省大臣官房郵政参事官や各地域の郵政監察局長を経て、1983年郵政大学校長に就任した。同省退官後は、簡易保険郵便年金福祉事業団理事、日本高速通信(現・KDDI)専務などを務めた。2005年に瑞宝中綬章受章。
本田 洋司(ほんだ ようじ、1933年 - )は日本の元弁護… 本田 洋司(ほんだ ようじ、1933年 - )は日本の元弁護士。 長崎県出身。1951年、長崎県立長崎西高等学校卒業、4月より長崎家庭裁判所に勤める。1958年1月、東京地方裁判所書記官補。1960年、中央大学法学部卒業、同年9月より最高裁判所第一小法廷書記官。1969年、旧司法試験合格。1970年、書記官を退官。1972年3月、司法修習生を終え、4月に弁護士登録。荻野陽三法律事務所に勤め、1975年1月に独立、事務所を開く。同年、スモン裁判原告弁護団に加わる。 弁護士会では1991年民暴対策委員長、1993年第二東京弁護士会副会長、1994年日本弁護士連合会常務理事、2002年関東弁護士会連合会副理事長、2004年第二東京弁護士会常議員会議長を歴任。
岩﨑 四郎(いわさき しろう、1933年 - 2010年3月… 岩﨑 四郎(いわさき しろう、1933年 - 2010年3月4日)は、日本の法務官僚、刑務官。元名古屋矯正管区長。退官後は長崎原爆の研究に取り組んだ。 1933年生まれ。12歳の時に長崎市で被爆した。1956年に九州大学法学部を卒業後、法務省に採用され入省。矯正研修所教官、法務総合研究所研究官を務め、刑事政策に関する論文を多く著した。福岡矯正管区長、広島矯正管区長、名古屋矯正管区長などを歴任して、1993年に退官。2003年に勲三等瑞宝章を受章した。退官後は長崎原爆について研究し、投下に至った経緯を検証するとともに、核軍縮や反戦を訴えた。2010年に腹部大動脈瘤破裂のため死去。
吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月… 吉田 佳広(よしだ よしひろ、1933年 - 2016年3月15日)は、日本のグラフィックデザイナー。日本グラフィックデザイナー協会会員。長崎県出身。 1933年ソウル生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、中央大学法学部卒業後、高橋正人デザイン研究所を修了した。日本アートデザインへの勤務を経て、1966年に吉田佳広デザイン研究室を設立した。ヴィジュアルデザイン研究所、岡山大学教育学部、東京造形大学で講師を務めたほか、実用技能検定協会理事、日本フォントコンテンツ文化協会理事、レタリング技能検定中央試験委員長などを歴任した。 東京アートディレクターズクラブ(ADC)賞、全日本シーエム放送連盟(ACC)賞、ニューヨークタイプディレクターズクラブ展(N.Y.TDC展)入賞、電通賞、日本タイポグラフィ年鑑ベストワーク賞などデザインに係わる賞のほか、文部科学省から社会教育功労者賞を受けた。
脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は… 脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は、日本の物性物理学者。東北大学名誉教授。理学博士(東京大学、1965年)。 1932年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年に学習院大学理学部物理学科卒業、1958年に同大学大学院自然科学研究科修士課程を修了。小林理学研究所を経て、1961年東京大学物性研究所助手となり、1965年に「鉄-アルミニウム系合金単結晶の磁場中冷却効果の研究」で理学博士号を取得。グルノーブル大学理学部客員助教授を経て、1967年東北大学助教授、1978年教授。磁気物性工学を専門とし、1977年には「DHCP結晶構造を持つコバルト・鉄合金の発見とその物性に関する研究」で松永賞を受賞。
外山幹夫(とやま みきお、1932年10月16日 - 201… 外山幹夫(とやま みきお、1932年10月16日 - 2013年4月26日)は、日本の日本史学者。 長崎市生まれ。長崎県立大村高等学校卒。広島大学大学院文学研究科国史学修了、1978年「大名領国形成過程の研究 大友氏の場合」で文学博士。佐世保工業高等専門学校助教授、長崎大学助教授、教授。1998年定年退官、名誉教授、長崎県立女子短期大学教授、1999年に県立長崎シーボルト大学教授、2002年退職。県文化財保護審議会長、長崎市史編纂委員会委員長などを務めた。2012年4月瑞宝中綬章受章。
田中 煕巳(たなか てるみ、1932年4月29日 - )は、… 田中 煕巳(たなか てるみ、1932年4月29日 - )は、日本の材料工学者、核廃絶運動家。長崎原爆被爆者。日本原水爆被害者団体協議会代表委員。元東北大学工学部助教授・十文字学園女子短期大学教授、博士(工学)(東北大学、1993年)。専門は材料工学。 長年、被爆者運動の中核を担っており、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局長を計20年務め、その後も同団体の代表委員として活動。2024年10月11日、代表委員として所属する日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞。 1932年、中国東北部(旧満洲)に生まれた。陸軍の軍人であった父が脳出血のため他界したため、親類を頼って長崎市に移り住んだ。
田中 道雄(たなか みちお、1932年4月25日- )は、日… 田中 道雄(たなか みちお、1932年4月25日- )は、日本の国文学者。佐賀大学名誉教授。義仲寺総代。 韓国京城府(現・ソウル特別市)生まれ。長崎県出身。1958年佐賀大学文理学部(文科系)卒業、1963年九州大学大学院国文学博士課程満期退学。1965年有明工業高等専門学校講師、1966年九州工業大学助教授、1971年鹿児島大学助教授、1977年教授、1981年佐賀大学教授、1998年定年退官、名誉教授。2001年 文学博士号取得(九州大学)「蕉風復興運動と蕪村」
浮田 逸郎(うきた いつろう、1932年3月27日 - 20… 浮田 逸郎(うきた いつろう、1932年3月27日 - 2017年4月29日)は、長崎県佐世保市出身のプロ野球選手。 佐世保北高校から1950年に西日本パイレーツへ練習生として入団。 同年の6月頃に、独立二軍チームだった山陽クラウンズへ他3選手と一緒に派遣されたとみられる。 1951年に西日本が西鉄と合併すると、西日本からの派遣組4人は全員解雇される。浮田は地元・佐世保の市役所に勤務するが、野球への思いは断ちがたく、1選手として山陽クラウンズに復帰した。 1952年にチームが解散し、1953年に高橋真輝とともに大洋松竹ロビンスへ入団。プロ入り初登板を果たすが、肩を痛め同年引退。カーブが武器だった。
楠井 敏朗(くすい としろう、1932年2月1日 - )は、… 楠井 敏朗(くすい としろう、1932年2月1日 - )は、日本の経済学者、横浜国立大学名誉教授。 長崎県長崎市生まれ。1961年和歌山大学卒、1965年東京大学大学院経済学研究科博士課程中退。1970年「イギリス農業革命史論 近代的農業成立過程の研究」で経済学博士。1965年東京大学経済学部助手。1968年横浜国立大学経営学部助教授、1979年教授、1997年定年退官、名誉教授、横浜商科大学教授。
多田 尋子(ただ ひろこ、1932年1月19日 - 2026… 多田 尋子(ただ ひろこ、1932年1月19日 - 2026年3月22日)は長崎県生まれの小説家。長崎市出身。日本女子大学国文科卒業。本名・石亀尋子(いしがめ ひろこ)。 駒田信二の朝日カルチャーセンターの小説教室に通っていた。 2026年3月22日、敗血症のため横浜市の病院で死去。94歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
阿井 景子(あい けいこ、1932年1月16日 - )は、日… 阿井 景子(あい けいこ、1932年1月16日 - )は、日本の作家。本名・浦順子。 長崎県長崎市生まれ。佐賀大学教育学部卒業後、高校教師となるがすぐ辞めて上京、北大路魯山人の口述筆記をおこなう。編集者、『女性自身』記者などを経て、結婚、1974年離婚、その間松本清張の担当にもなる。 1971年、本名で初の著書を出し、1979年『龍馬の妻』で作家デビュー。歴史上の人物の周囲の女を描く。特に坂本龍馬関係が多く、1991年以後は大河ドラマに合わせての執筆が多い。
木村 一生(きむら いっしょう、1932年 - 2015年)… 木村 一生(きむら いっしょう、1932年 - 2015年)は、日本の抽象画家で、多摩美術大学名誉教授。本名は木村和夫。 1932年、長崎県長崎市生まれ。1951年、長崎県立長崎東高等学校卒業。東京芸術大学絵画科在学中の1955年に浜屋百貨店で初めての個展を開催。1957年、同大学を卒業後、1958年には読売アンデパンダン展に出品。1959年、モダンアート協会展に初出品し翌1960年に同会会員となる。1989年の「木村一生の世界」展(池田20世紀美術館企画)をはじめ多数の個展を開催。また、1960年から1985年にかけて「新表現展」に出品するなどグループ展にも数多く参加。1968年より多摩美術大学で後進の指導にも取り組み、1972年に助教授、1983年に教授就任。
神野 慧一郎(かみの けいいちろう、1932年 - 2024… 神野 慧一郎(かみの けいいちろう、1932年 - 2024年11月)は、大阪市立大学名誉教授。京都大学文学部哲学科卒。長崎県佐世保市生まれ。京都府京都市育ち。奈良県奈良市在住。
白石 一郎(しらいし いちろう、1931年(昭和6年)11月… 白石 一郎(しらいし いちろう、1931年(昭和6年)11月9日 - 2004年(平成16年)9月20日)は、日本の作家。「海洋時代小説」「海洋冒険小説」という新分野を切り開いた。 釜山の生まれで、本籍は壱岐市。終戦までは釜山、戦後は佐世保市で育つ。長崎県立佐世保北高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業。 大学在学中より、懸賞小説に応募を始め、民放のラジオドラマに投稿した「靴下の穴から」が三席に入選した。卒業後、ゴム会社に就職するが、半年で退職。父の経理事務所で働くかたわら、創作活動に励んだ。1955年、九州時事新聞社の懸賞に応募した「臆病武者」が一席入選、作家デビューを果たす。1957年、「みかん」で山岡荘八奨励賞を受賞、「雑兵」で第10回講談倶楽部賞を受賞。
山辺 道彦(やまべ みちひこ、1931年10月21日 - )… 山辺 道彦(やまべ みちひこ、1931年10月21日 - )は、日本の実業家。元富士機工会長・社長。富士機工の東証一部上場に尽力した。東京都出身。横浜国立大学経済学部卒業。 1931年東京都生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1954年に横浜国立大学経済学部卒業後、富士紡績入社。1983年同社大阪営業部長、1984年企画管理部長、1986年取締役企画管理部長を経て、1990年6月に富士機工常務取締役となり、1991年6月同社社長に就任。在任中の1996年9月に富士機工は東証一部指定を受けた。1998年6月に同社会長に就任し、1999年6月まで務めた。
塩井 末幸(しおい すえゆき、1931年10月19日 - 2… 塩井 末幸(しおい すえゆき、1931年10月19日 - 2016年12月7日)は、日本の経営者。プレナスの創業者。長男は塩井賢一、次男は塩井辰男。 長崎県佐世保市出身。塩井家は江戸時代は御家人の家柄であった。祖父の民次郎は上野精養軒の厨士長(料理長)を経て、日本橋区南茅場町に西洋料理店「彌生軒」を開業した。やよい軒の店名は祖父の開いた店に由来する。父の和助は巡洋艦「出雲」や鎮海水交社のレストランでの料理人を経て、戦後は佐世保将校クラブの料理長を務めた。 1948年に西海学園高等学校を卒業し、1960年3月に太陽事務機(のちのプレナス)を設立し、社長に就任。1998年5月には会長に就任。 2016年12月7日、心不全のために死去。
瀬野 精一郎(せの せいいちろう、1931年7月20日 - … 瀬野 精一郎(せの せいいちろう、1931年7月20日 - 2022年1月11日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。専門は日本中世史、主な研究対象は中世武士。 長崎県佐世保市生まれ。1954年九州大学文学部国史学科卒業。1957年同大学院修士課程修了、九大助手。1960年東京大学史料編纂所教務職員、1962年同助手、1976年同助教授、1977年早稲田大学文学部助教授、1978年「鎭西御家人の研究」で早稲田大学文学博士。1982年同教授。2002年定年退職、名誉教授。2022年1月11日、前立腺癌のため死去。90歳没。 門下生に海老澤衷(早稲田大学文学学術院教授)、久保健一郎(早稲田大学文学学術院教授)、高木徳郎(早稲田大学教育・総合学術院教授)、大塚ひかりなどがいる[要出典]。
福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - … 福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日 - 没年不明 )は、長崎県諫早市川床町出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は福田 幸雄(ふくだ ゆきお)。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭4枚目(1961年7月場所)。現役時代の体格は181cm、94kg。 少年時代は大変な悪童として地元でもよく知られ、諫早農業高校を濡れ衣の暴力事件絡みで中退後は、福岡市でトヨタ自動車の見習工として働いていた。だが、ほどなく退職。 その後、「相撲取りになってはどうか」と、父の知人から出羽海部屋付きの待乳山親方(元関脇・両國)を紹介された。 1949年春、上京して出羽海部屋に入門し、同年5月場所で初土俵。
峰 隆一郎(みね りゅういちろう、1931年6月17日 - … 峰 隆一郎(みね りゅういちろう、1931年6月17日 - 2000年5月9日)は、日本の小説家。本名は峰松 隆(みねまつ たかし)。 長崎県佐世保市で誕生。日本大学理工学部入学、その後日本大学芸術学部へ転部するが中退。出版社勤務を経てフリーライターになる。 1979年に『流れ灌頂』で第5回問題小説新人賞を受賞。ハードボイルドタッチの時代小説、旅行ミステリーを多く手掛ける。鬼気迫る剣術描写や官能シーンにより、独自の世界を築いたと評される。代表作は「人斬り弥介」シリーズ、「柳生十兵衛」シリーズ。 1964年に東京都町田市に転居しており、全作品が町田市で書かれた。2000年5月9日、肺炎で死去。享年68。
宮崎 恭子(みやざき やすこ、1931年5月15日 - 19… 宮崎 恭子(みやざき やすこ、1931年5月15日 - 1996年6月27日)は、日本の演出家、女優、脚本家。無名塾創設者。本名:仲代 恭子(旧姓:宮崎)。脚本家としての筆名(別名)として隆 巴(りゅう ともえ)を持つ。夫は俳優の仲代達矢、妹は元フジテレビのアナウンサーでニュースキャスターの宮崎総子。 両親とも広島県呉市の出身。母方の祖父は第九代呉市長・勝田登一。裁判官だった父親の赴任先・長崎県長崎市で生まれ、父親の転任により、4歳まで長崎で、その後小学校2年生まで福岡市で、3年生のとき大分市で、4年生から小学校卒業まで再び福岡市で育った。1944年、父親が裁判所を辞めて弁護士に転身したため、一家で東京都へ移る。
光武 顕(みつたけ あきら、1931年(昭和6年)3月27日… 光武 顕(みつたけ あきら、1931年(昭和6年)3月27日 - 2025年(令和7年)12月19日)は、日本の政治家。長崎県佐世保市長(3期)、衆議院議員(1期)、長崎県議会議員(4期)を務めた。 青島生まれ、満洲の錦州で終戦を迎えた。長崎県佐世保市出身。1950年、長崎県立佐世保南高等学校卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。長崎県職員、佐世保市職員等を経て、長崎県議会議員選挙に立候補し当選。以後4期15年(1971年-1986年)務めた。 県議4期目の途中、1986年の第38回衆議院議員総選挙へ立候補するが落選。4年後、1990年の衆議院議員選挙で初当選(無所属、当選後自由民主党に入党)。
松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は… 松尾 高精(まつお こうせい、1931年3月16日 - )は、日本の実業家。元西華産業社長。長崎県出身。 1931年長崎県生まれ。1954年早稲田大学理工学部卒業後、西華産業に入社。ドイツ・デュッセルドルフの現地法人に駐在時、元宇部興産専務執行役員の浅野正之(浅野茂隆・東京大学名誉教授の兄)らと交流があった。同社取締役、常務取締役、副社長を経て、1994年社長に就任。在任中は取引における急速な情報システム化が進んでいたことを受けて、1997年に情報通信委員会を発足させ、イントラネット構築を推進した。こうした取り組みなどもあって西華産業は売上高を伸ばし、東京商工リサーチが行った調査によると、九州・沖縄に本社がある企業の売上高ランキングにおいて9位にランクインし、前年比伸び率は39.6%となった(1997年度)。
松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は… 松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は、日本の実業家。元島原鉄道社長。雲仙普賢岳の噴火に伴う土石流により一部区間が寸断された島原鉄道の再建に尽力した。 1931年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、長崎大学経済学部を経て、1954年に長崎県入庁。県通商貿易課勤務を経て、香港やバンコクで貿易促進駐在員を務めた。その後長崎県議会事務局長、労働部長、企画部長を歴任し、1989年に長崎空港ビルディング常務取締役に就任。同社専務取締役を経て、1993年島原鉄道社長に就いた。 島原鉄道は当時、1991年を中心に起きた雲仙普賢岳の噴火災害により、島原外港駅-深江駅間が不通となっていた。
大津 栄一郎(おおつ えいいちろう、1931年2月18日 -… 大津 栄一郎(おおつ えいいちろう、1931年2月18日 - 2013年1月17日)は、アメリカ文学者、翻訳家。明治学院大学名誉教授であった。 長崎県島原市生まれ。東京大学教養学部卒、同英文科大学院修了、東海大学助教授、明治学院大学教授を務め、ウラジーミル・ナボコフ、ヘンリー・ジェイムズなどを翻訳、研究した。晩年になって日本語に関心を深め『古事記』の現代語訳を刊行した。 ナボコフの『賜物』の翻訳については翻訳家の若島正から『翻訳の世界』誌の「改訳したい小説ベスト10」で多数の誤訳を指摘されたため、「若島正氏に反論する」を同誌に寄稿し反駁した。これに対する若島正の反論は『乱視読者の冒険 - 奇妙キテレツ現代文学ランドク講座』におさめられている。
鐘ヶ江 管一(かねがえ かんいち、1931年1月22日 - … 鐘ヶ江 管一(かねがえ かんいち、1931年1月22日 - )は、元島原市長。長崎県島原市出身。
小塩 節(おしお たかし、1931年1月10日 - 2022… 小塩 節(おしお たかし、1931年1月10日 - 2022年5月12日)は、ドイツ文学者。中央大学名誉教授。フェリス女学院理事長。妻・小塩トシ子(1931- 、フェリス女学院大学名誉教授)は英文学者。 長崎県佐世保市生まれ。父は牧師小塩力。旧制松本高等学校文科乙類を経て、東京大学独文科卒、同大学院修了。 1958年、国際基督教大学専任講師、準教授、1967年からNHKの「ドイツ語講座」を1985年まで担当。 1970年、中央大学文学部教授、のち常任理事、在職のまま1985年から1988年まで駐西ドイツ・日本大使館公使、ケルン日本文化会館館長。 1997年中央大学退職、名誉教授、フェリス女学院院長、2004年理事長。
山田 かん (やまだ かん、1930年(昭和5年)10月27… 山田 かん (やまだ かん、1930年(昭和5年)10月27日 - 2003年(平成15年)6月8日)は、日本の詩人。長崎市出身。本名は山田 寛 (ひろし)。 1930年10月27日、キリスト教プロテスタント信者山田好雄を父として、八人兄弟の長男として長崎市に生まれる。1945年8月9日、旧制長崎中学校3年のとき、長崎市下西山町で被爆。1948年7月、父が川に転落死し、貧窮のため長崎高等学校 (旧制)3年のとき自主退学、長崎県立長崎図書館の出納手となる。この頃、一年ほど日本共産党党員として活動するとともに詩作をはじめる。長崎県立長崎図書館に勤務。西彼杵郡長与町に住む。 1952年6月21日に創刊した雑誌「芽だち」に参加、作品を発表していく(1959年、38号で終刊)。
森川 英正(もりかわ ひでまさ、1930年10月11日 - … 森川 英正(もりかわ ひでまさ、1930年10月11日 - )は、日本の経営史学者。 長崎県佐世保市出身。1954年東京大学経済学部卒、1959年同大学院経済学博士課程満期退学、法政大学経営学部講師となり、助教授、教授。1985年横浜国立大学経営学部教授。1987年横浜国立大学経営学部学部長。1990年慶応義塾大学大学院経営管理研究科・ビジネススクール教授となる。1998年定年、豊橋創造大学教授。 1993年「Zaibatsu」で日経・経済図書文化賞受賞。経営史学会会長を務めた。
山口 仙二(やまぐち せんじ、1930年〈昭和5年〉10月3… 山口 仙二(やまぐち せんじ、1930年〈昭和5年〉10月3日 - 2013年〈平成25年〉7月6日)は、長崎原爆の被爆者、日本の反核平和運動家。 1930年、長崎県南松浦郡玉之浦町(現在:長崎県五島市玉之浦町)に、四男四女の8人きょうだいの次男として生まれる。家は半農半漁で10段の段々畑があり、主にサツマイモを栽培していた。漁業は延縄漁でイシダイなどは売り、雑魚が食卓用だったほか、イカ釣りや鰻取りなども行っていた。また、父は製菓業「月美堂」を営んでいた。 1945年(昭和20年)8月9日、長崎県立長崎工業学校1年時の14歳の時に、学徒動員で通っていた長崎市の三菱長崎兵器製作所大橋工場裏(長崎原爆の爆心地から1.1kmの地点)で、防空壕を掘る作業中に被爆した。
林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 - 201… 林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 - 2017年2月19日)は、日本の小説家、随筆家。長崎県生まれ。本姓宮崎。高女3年の時に爆心地近くの三菱兵器大橋工場で学徒動員中に被爆するも奇跡的に生還。結婚・出産を経て「文藝首都」の同人となり小説を書き始め、1975年「祭りの場」で群像新人文学賞・芥川賞受賞。以後、原爆症の不安を抱えながら死を意識し、生を見つめた作品を発表した。 1930年8月28日、長崎県長崎市出身。誕生の翌年、父(三井物産社員)の勤務地・上海に移住。1945年に帰国し、長崎県立長崎高等女学校(現長崎県立長崎東中学校・高等学校、長崎県立長崎西高等学校)3年に編入学。同年8月9日、市内大橋にある三菱兵器工場に学徒動員中、被爆した。
一村 哲也 (いちむら てつや、本名。濱口隆1930年6月3… 一村 哲也 (いちむら てつや、本名。濱口隆1930年6月30日 - )は、日本の写真家。長崎市出身。
松永 久次郎(まつなが ひさじろう、Joseph Hisaj… 松永 久次郎(まつなが ひさじろう、Joseph Hisajiro Matsunaga, 1930年3月7日-2006年6月2日)は、日本のカトリック教会聖職者。カトリック長崎大司教区補佐司教およびカトリック福岡司教区第3代司教を務めた。洗礼名は「ヨゼフ」。 長崎県平戸市深川町出身。小学校時代は鹿児島教区糸永真一司教と侍者仲間であった。長崎公教神学校(現長崎カトリック神学院)で学び、1949年4月に福岡サン・スルピス大神学院に入学。 1953年にローマのプロパガンダ・ウルバノ大学へ留学。1956年12月22日に司祭に叙階され、ラテラノ大学で教会法博士号、アテネオ・アンゼリコ大学で神学博士号を取得した。
廣瀬 方人(ひろせ まさひと、1930年(昭和5年)3月6日… 廣瀬 方人(ひろせ まさひと、1930年(昭和5年)3月6日 - 2016年(平成28年)1月13日)は、長崎の被爆体験を伝える語り部として活動した人物。長崎県長崎市出身。「原爆青年乙女の会」会長。市民団体「長崎の証言の会」会長代表委員。創成期の被爆運動を知る貴重な証言者であった。戦後になって洗礼を受け、洗礼名はヨゼフ。 1969年に「長崎の証言の会」が発足し、初代の事務局長となる。同年に秋月辰一郎医師らと「長崎の証言」を創刊した。被爆者から体験を聞き取り、70冊以上の証言集を出版した。英語や中国語訳にも取り組んだ。山端庸介が原爆直後の長崎で撮影した写真の中に、「おにぎりを持つ親子」がある。その親子が、戦後生きていたことを知り、面会取材して、「証言1990~ヒロシマ・ナガサキの声 第4集」に掲載した。
中上史行(なかがみ しこう、本名:なかがみ ふみゆき、193… 中上史行(なかがみ しこう、本名:なかがみ ふみゆき、1930年(昭和5年) - 1997年(平成9年)5月5日)は、日本の歴史研究家、元勝本町立勝本小学校校長、長崎県文化財保護指導委員。栄典は正六位・勲五等瑞宝章。長崎県壱岐市出身。
内嶋 善兵衛(うちじま ぜんべえい、1929年(昭和4年)8… 内嶋 善兵衛(うちじま ぜんべえい、1929年(昭和4年)8月27日 - )は、日本の農業気象学者。農学博士(九州大学・論文博士・1961年)。お茶の水女子大学名誉教授。 長崎県島原市生まれ。1950年宮崎農林専門学校(現・宮崎大学)農科卒業、農林省農業技術研究所に入る。1961年「水田用水ならびに水田水の熱状態に関する研究」で九州大学より農学博士の学位を取得。1962 - 1963年コーネル大学に学ぶ。九州農業試験場、農業環境技術研究所研究員、1983年同気象管理課長、1987年お茶の水女子大学教授、名誉教授、宮崎公立大学人文学部教授、学部長、学長。1965年日本農業気象学会賞、1986年農林水産省研究功績賞受賞。
田﨑 俊作(たさき しゅんさく、1929年2月18日 - 2… 田﨑 俊作(たさき しゅんさく、1929年2月18日 - 2011年4月26日)は、株式会社TASAKI創業者。日本真珠振興会会長、神戸ファッション協会会長などを務めた。長崎県出身。 長崎県大村市で、男5人、女4人の9人兄弟の二男として生まれる。家業は真珠養殖業。 海軍兵学校(77期)在学中に敗戦。その後、長崎経済専門学校(現:長崎大学経済学部)を卒業し、父・甚作が神戸の真珠を取り扱う会社で番頭をしていたこともあり、神戸へ行く。 1956年に田崎真珠商会(後の株式会社TASAKI)を設立し、1970年代に真珠の量産に成功した。真珠の養殖・加工・販売を自社で行い、国内真珠最大手の会社に育てた。1975年には、重度身体障害者の自立のため、長崎県大村市に社会福祉法人大村パールハイムを設立した。
田﨑 俊作(たさき しゅんさく、1929年2月18日 - 2… 田﨑 俊作(たさき しゅんさく、1929年2月18日 - 2011年4月26日)は、田崎真珠創業者。日本真珠振興会会長、神戸ファッション協会会長などを務めた。長崎県出身。
鳥越 文蔵(とりごえ ぶんぞう、1928年8月28日 - 2… 鳥越 文蔵(とりごえ ぶんぞう、1928年8月28日 - 2021年4月5日 )は、日本の国文学者・日本近世演劇研究者。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長。1997年紫綬褒章受章。妻は国語学者の秋永一枝。 1928年、長崎県佐世保市生まれ。早稲田大学文学部演劇科で学び、1955年に卒業。同大学院修士課程に進み、1958年に卒業。 1959年、早稲田大学文学部助手に採用された。1969年に文学部助教授、1974年に教授に昇進。1988年から定年退職する1999年まで 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長を務めた。演劇博物館館長時代は、所蔵図書の複写を可にするなど同博物館の現代的運営に尽力した。
速見 魁(はやみ いさお、1928年(昭和3年)8月10日 … 速見 魁(はやみ いさお、1928年(昭和3年)8月10日 - 1991年(平成3年)3月8日)は日本の政治家。 長崎県佐世保市出身。旧制長崎県立佐世保中学校卒業。全日本港湾労働組合九州地方本部副委員長、佐世保地区労働組合会議(佐世保地区労)書記長・議長、長崎県議会議員を経て1986年(昭和61年)7月の第14回参議院議員通常選挙(長崎県選挙区)に日本社会党公認で立候補したが次点落選。1990年(平成2年)2月、第39回衆議院議員総選挙で引退した石橋政嗣前社会党委員長の後継として長崎2区より立候補し当選。衆議院運輸委員会に所属した。 任期在職中の1991年3月8日、入院先の国立がんセンターで死去した。
糸永 真一(いとなが しんいち、Paul Shinichi … 糸永 真一(いとなが しんいち、Paul Shinichi Itonaga, 1928年7月23日-2016年12月10日)は、日本のカトリック教会聖職者でカトリック鹿児島司教区第2代司教。洗礼名は「パウロ」。 長崎県平戸市紐差町生まれ。紐差教会で幼児洗礼。1941年に長崎公教神学校に入学し、1948年に福岡サン・スルピス大神学院神学科に進んだ。1951年9月にカナダ・モントリオール大学神学部に留学し、1952年9月14日に同所で司祭叙階。1953年に同大学神学部修士課程を終了し帰国。 帰国後はカトリック長崎教区で働き、大司教館で書記長を約10年間務め、1955年5月からカトリック時報の編集にあたる他に、長崎純心短期大学で哲学講師、レジオ・マリエの長崎クリア総指導司祭となった。
有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日… 有田 忠郎(ありた ただお、1928年(昭和3年)6月19日 - 2012年3月11日)は、日本の詩人、翻訳家、仏文学者。専門はフランス詩。西南学院大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。 長崎県佐世保市出身。海軍主計将校だった父の転勤に従って鎌倉、台湾、再び佐世保と転々とした。長崎県立佐世保中学校、第五高等学校を経て、1953年九州大学文学部仏文科卒業。1958年九州大学大学院第二期修了、九州大学文学部助手。1963年北九州大学講師、1964年同助教授、1968年同教授。1975年西南学院大学教授。1999年同大学を退職。 シャルル・ボードレールらの詩が専門だが、ヴィクトル・セガレンの全訳やサン=ジョン・ペルスの翻訳でも知られる。
笹口 淳(ささぐち すなお、1928年4月13日 - )は、… 笹口 淳(ささぐち すなお、1928年4月13日 - )は、日本の画家。2018年2月現在、大東文化大学美術部コーチ。白日会が主催する白日会展で第60回内閣総理大臣賞を受賞。 1928年4月13日に父・笹口正雄、母・笹口りゑの次男として長崎県東彼杵郡折尾瀬村(現在の佐世保市三川内地域)に生まれる。 小学校を卒業した後、長崎師範学校の予科に入学した。在学中に学徒動員で、三菱兵器で魚雷作りをする。 1945年8月9日、長崎市への原子爆弾投下により被爆。大村の海軍病院に入院し、退院後、自宅で原爆療養(この間に父の笹口正雄は戦死)。自宅療養中、折原東範と出会い、人生を考える糸口を得る。 師範学校卒業時に平塚益徳に出会い、人生の課題を自覚する。
前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 20… 前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 2025年2月10日)は、長崎原爆を体験した被爆者、歌人。長崎県長崎市出身・在住。2025年2月死去。享年96。 短歌会「未来」「幻桃」に所属。「幻桃」では顧問を務める。長崎県文芸協会常任委員。長崎歌人会相談役。長崎原爆忌文芸大会選者。歌集『褐色山脈』は長崎県文学奨励賞、『空間』は第18回長崎県文学賞を受賞した。 1928年、長崎市に生まれる。山里国民学校を卒業後長崎逓信講習所(長崎市麹屋町)に入学。1944年4月、長崎本博多郵便局に勤務。1945年6月、通信書記補に任官。空襲警報が鳴ると夜中でも鉄かぶとを頭にかぶり、足にはゲートルを巻いて、大浦・日の出町の自宅から同局まで走った。
虎島 和夫(とらしま かずお、1928年〈昭和3年〉1月6日… 虎島 和夫(とらしま かずお、1928年〈昭和3年〉1月6日 - 2005年〈平成17年〉11月1日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 長崎県福江市議会議員(3期)、同市議会議長、長崎県議会議員(5期)、同県議会議長(第46代)、衆議院議員、防衛庁長官(第64代)などを歴任した。 甥は長崎県議会議員(長崎市選挙区)の虎島泰洋。
前田 重治(まえだ しげはる、1928年 -2024年2月1… 前田 重治(まえだ しげはる、1928年 -2024年2月14日 )は、日本の医学者・精神科医。九州大学名誉教授。専攻は精神分析学・カウンセリング。 長崎県長崎市生まれ。1952年九州大学医学部卒業。1958年「被暗示性に関する実験的研究」で医学博士の学位を取得。精神科、心療内科を経て、1972年九州大学教育学部教授。1991年定年退官、名誉教授。2007年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
相川 賢太郎(あいかわ けんたろう、1927年6月8日 - … 相川 賢太郎(あいかわ けんたろう、1927年6月8日 - 2023年1月17日)は、日本の経営者。三菱重工業社長、会長を務めた。 長崎県長崎市出身。1951年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に西日本重工業(のちの三菱重工業)に入社した。1975年6月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1989年6月には社長に就任した。1995年6月から会長を務めた。社長在任時には、社長権限を強化し、徹底した合理化を進めたことで「ミスターコストダウン」と呼ばれた。地熱発電プラント開発の第一人者としても知られる。 三菱自動車工業取締役、三菱商事取締役、日本造船工業会会長、日本機械工業連合会会長なども歴任した。
江口 秀人(えぐち ひでと、1927年2月27日 - 201… 江口 秀人(えぐち ひでと、1927年2月27日 - 2012年11月22日)は、日本の経営者。ヤマハ発動機社長、会長を務めた。長崎県長崎市出身。 1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本楽器製造(現在のヤマハ)に入社した。1968年に取締役に就任し、1969年に常務、1980年1月に取締役を経て、1983年8月に社長に就任した。1994年4月に会長に就任し、1997年6月には顧問に就任。1980年7月から1981年5月までにヤマハ副社長と1992年2月から1993年6月までにヤマハ会長も務め、1995年からはヤマハ音楽振興会理事長も務めた。 1998年にフランスからレジオン・ド・ヌール勲章を受章。
宮島 滉(みやじま ひろし、1927年2月22日 - 202… 宮島 滉(みやじま ひろし、1927年2月22日 - 2021年4月13日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。次男は元衆議院議員、元長崎県議会議員、第32代佐世保市長の宮島大典。 長崎県佐世保市出身。1953年日本大学法学部卒。農協に入り、農協組合長やテレビ長崎取締役などを務めた。1983年の第13回参議院議員通常選挙で長崎県選挙区から自民党公認で立候補し当選。1988年竹下改造内閣で労働政務次官に就任。翌1989年の宇野内閣でも留任した。同年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。1997年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。1998年に組合長として土地の評価を水増してさせぼ農協に約4億9000万円、不正に融資をさせたとして引責辞任、背任で逮捕され、懲役3年執行猶予5年の判決を受け、2000年に確定。
達田 龍彦(たつた たつひこ、1926年(大正15年)10月… 達田 龍彦(たつた たつひこ、1926年(大正15年)10月27日 - )は、昭和期の労働運動家、平和運動家、政治家。参議院議員(1期)。 長崎県 長崎市出身。1945年(昭和20年)長崎市立商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)を卒業した。 労働運動に加わり、全逓信労働組合(後の日本郵政公社労働組合)長崎県本部執行委員長、長崎県労働組合会議会長、原水爆禁止長崎県民会議会長、日本社会党長崎県本部副委員長などを務めた。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で長崎県地方区から社会党公認で出馬し次点で落選したが、当選者の田浦直蔵が死去したため、同年8月24日に繰り上げ当選し、参議院議員に1期在任した。