常田 富士男(ときた ふじお、1937年〈昭和12年〉1月3… 常田 富士男(ときた ふじお、1937年〈昭和12年〉1月30日 - 2018年〈平成30年〉7月18日)は、日本の俳優、声優、歌手、ナレーター。本名同じ。個性派の怪優として知られた。また歌手として、ビートルズを題材としたカルトGSのレコードも発表している。長男に俳優の倉崎青児がいる。 長野県下高井郡上木島村(現・木島平村)で生まれ、定職を持たぬ父とともに東京・浅草、横浜、静岡、九州を転々とし、小学3年時より熊本県阿蘇郡南小国町で育つ。中学を卒業すると親元を離れ、熊本県立済々黌高等学校定時制に通う。 高校卒業後、上京して劇団民藝養成所へ入所。養成所を出た後は、劇団員にならず、1960年に米倉斉加年、岡村春彦らと劇団青年劇場を結成。
泉 康子(いずみ やすこ、1937年 - )は、日本の作家、… 泉 康子(いずみ やすこ、1937年 - )は、日本の作家、ノンフィクション作家。満洲国・新京(現:長春市)生まれ。 山岳遭難や雪崩事故などをテーマに、綿密な取材に基づいたドキュメンタリー(ルポルタージュ)作品を発表している。その作風は徹底したノンフィクションであり、事実の記録性を重んじるため、可能な限り登場人物を実名で記述することを特徴としている。 1937年、満州国新京に生まれる。熊本県立第一高等学校を経て、1958年に早稲田大学第二文学部に入学。在学中は安保闘争(60年安保)に関わった。 1965年に同大学を卒業後、新日本文学会ルポルタージュ研究会に入会。1976年には社会人山岳会「のらくろ岳友会」を結成し、剱岳や槍ヶ岳などへの登山(単独行含む)を行う傍ら、機関誌の編集に携わった。
添島 義和(そえじま よしかず、1936年12月28日、熊本… 添島 義和(そえじま よしかず、1936年12月28日、熊本県玉名郡長洲町-2010年10月2日)は日本の歯科医師、歯学者、開業医。元東京歯科大学臨床教授、元日本口腔インプラント学会副会長・九州支部会長・第37回大会長、元日本審美歯科協会会長(初代)、元九州インプラント研究会会長。 熊本県立熊本高等学校、東京歯科大学卒業後、九州大学医学部歯科口腔外科、熊本大学医学部第一解剖学教室を経て開業。1974年、熊本大学にて医学博士を取得した。 歯科インプラント学の分野で知られる。松元教貢は、日本における即時過重インプラントのパイオニアは、1990年頃より即時加重治療を行っていた添島をおいて他にはいないとしている。
高木 慶子(たかき よしこ、1936年10月28日 - )は… 高木 慶子(たかき よしこ、1936年10月28日 - )は、日本の心理学者、神学者、グリーフケアやスピリチュアルケアの第一人者、元聖トマス大学名誉教授、煉獄援助修道会の修道女(シスター)。上智大学グリーフケア研究所名誉所長 博士(宗教文化) 熊本市生まれ。高木仙右衛門の曾孫。聖心女子大学文学部心理学科卒業、上智大学神学部大学院修士課程修了。2004年「高木仙右衛門に関する研究 「覚書」の分析を中心にして」で英知大学博士(宗教文化)。神戸海星女子学院短期大学講師、英知大学助教授、教授、2007年定年退任、聖トマス大学名誉教授(校名変更により)。上智大学グリーフケア研究所特任所長。上智大学特任教授。
柳月 三郎(りゅうげつ さぶろう、本名:松野 俊實、1936… 柳月 三郎(りゅうげつ さぶろう、本名:松野 俊實、1936年10月13日 - )は、元・落語協会所属の民謡三味線漫談家。紋は『丸に剣かたばみ』、出囃子は『佃づくし』。 「すぐ終わりますから」「終わったら、お知らせしますから」「はい、終わりました」のボヤキを交えて、全国各地の民謡を弾き語りつつ、気付かれないように自作のニセ民謡やムード歌謡などを混ぜ込み、客を煙に巻く芸達者。 熊本県玉名市生まれ、福岡県立戸畑高等学校卒業。。
築地 美孝(つきじ よしたか、1936年9月16日 - )は… 築地 美孝(つきじ よしたか、1936年9月16日 - )は、熊本県玉名郡長洲町出身のマラソンランナー、スポーツ指導者。 熊本県立玉名高等学校を経て、1959年、東京教育大学体育学部卒。 大学卒業後、東京急行電鉄陸上部監督を経て,東急鯱パスKK勤務の傍ら数々のマラソンランナーの育成に努める。 経歴が日本マラソンの父である金栗四三と同一である。
山村 幹弘(やまむら みきひろ、1936年5月23日 - )… 山村 幹弘(やまむら みきひろ、1936年5月23日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
チャーリー永谷(チャーリーながたに、1936年2月20日 -… チャーリー永谷(チャーリーながたに、1936年2月20日 - )は熊本市二本木生まれのカントリー・ミュージック歌手。本名、永谷正輝。 カントリー・ゴールドとはチャーリー永谷が総合プロデュースする毎年10月第3日曜日、阿蘇の雄大な自然に囲まれて、南阿蘇村の熊本県野外劇場「アスペクタ」で行われる国内最大級のカントリー・ミュージック・フェスティバル。 開催当日は「約束の日」と呼び習わされ、毎年この日になると、この音楽祭を心待ちにしているファンが全国から南阿蘇に集結する。この日ばかりはカントリー・ルックに身を包み、ステージの前でカントリーダンスに興じるのを楽しみにしているというファンも多い。毎年、チャーリー永谷のバンドの他、本場アメリカのカントリー・ミュージシャンが来日し、ステージに立っている。
中村 和臣(なかむら かずおみ、1935年9月16日 - )… 中村 和臣(なかむら かずおみ、1935年9月16日 - )は熊本県菊池郡津田村(現:菊陽町)出身の元プロ野球選手。
内山 安二(うちやま やすじ、1935年6月21日 - 20… 内山 安二(うちやま やすじ、1935年6月21日 - 2002年9月2日)は、日本の漫画家。熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)出身。代表作に『コロ助の科学質問箱』など。 1953年から1954年にかけて『漫画少年』投稿欄の常連で、つげ義春と文通していた。同誌1954年8月号以降は3号続けて『長屋大平記』(出典ママ)などの作品を依頼されている。 1954年、毎日新聞社に入社。西部本社の毎日小学生新聞西部編集部に配属され、大阪本社から電送された手塚治虫の作品の修正を手掛けたのを切っ掛けに、毎日小学生新聞に自ら漫画を描き始める。 毎日新聞社を退社後は、プロの漫画家に転向し、主に学習漫画をメインとした作品を数多く発表した。
宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2… 宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2019年10月25日)は、日本の実業家。明治生命保険と安田生命保険の合併を実現させ、初代明治安田生命保険代表取締役会長を務めた。 熊本県出身。熊本県立八代高等学校を経て、1959年一橋大学社会学部卒業。安田生命保険入社。大学では一橋大学硬式野球部所属。 安田生命保険では営業畑を歩み、1971年新橋支店長、1983年取締役、1993年副社長。 1999年安田生命保険代表取締役社長。拡大路線を進めた。 2000年富国生命保険と業務提携開始。富国生命との統合も考えたものの、頓挫。 2001年東京建物、大成建設、朝日生命保険とともに、J-REITを組成。
浦田 賢治(うらた けんじ、1935年2月25日 - )は、… 浦田 賢治(うらた けんじ、1935年2月25日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。早稲田大学名誉教授。憲法学舎主宰。熊本県葦北郡佐敷町(現在の芦北町)出身。
本田 大三郎(ほんだ だいさぶろう、 1935年2月17日 … 本田 大三郎(ほんだ だいさぶろう、 1935年2月17日 - 2025年8月10日)は、日本のハンドボール・カヌーの選手。熊本県八代郡坂本村出身。日本初のオリンピックカヌー選手で、1964年東京オリンピックで正式種目として採用されたカヌー競技へ出場した。 熊本県立八代高等学校・日本体育大学体育学部体育学科・自衛隊体育学校卒業。横浜市消防訓練センター体育訓練担当教官(課長)定年退職。その後は各大学のカヌー部コーチを経て、神奈川県の三浦市にあるマホロバ・ホンダカヌースクールの代表役を務めている。 息子はレスリング選手・プロレスラーの本田多聞、サッカー選手の本田圭佑は兄の孫。 八代高校時代にはハンドボールをして、キャプテンを務めた。
股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 20… 股野 景親(またの かげちか、1935年1月16日 - 2007年7月17日)は、日本の外交官。公正取引委員会委員。京都ノートルダム女子大学大学院客員教授。従三位瑞宝重光章。
島田 雄二(しまだ ゆうじ、1935年1月1日 - )は、熊… 島田 雄二(しまだ ゆうじ、1935年1月1日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法… 岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法学者・仲裁人。専門は国際私法。名古屋大学名誉教授。立命館大学教授、名古屋大学教授、ニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員、モナシュ大学客員教授等を歴任。 熊本県熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て、1959年一橋大学法学部卒業、三井金属鉱業株式会社入社。 京セラ株式会社、ネッスル日本株式会社を経て、1979年愛媛大学法文学部助教授。1981年から1982年までニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員。1985年から1986年までモナシュ大学法科大学院客員教授。1985年愛媛大学法文学部教授。1988年立命館大学国際関係学部教授。
霍見 芳浩(つるみ よしひろ、1935年 - )は日本の経済… 霍見 芳浩(つるみ よしひろ、1935年 - )は日本の経済学者。ニューヨーク市立大学大学院センタービジネス学部名誉教授。 熊本県出身。熊本県立熊本高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、ハーバード大学で経営博士号を取得。その後、慶應義塾大学、ハーバード大学経営大学院、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)経営大学院、コロンビア大学経営大学院で教鞭を取り、ニューヨーク市立大学大学院センターのビジネス学部教授を務めた。
立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月2… 立山 学(たてやま まなぶ、1935年 - 2011年2月24日)は、日本の政治運動家、文筆家。 熊本県菊池市生まれ。1959年九州大学経済学部卒業、在学中から日本社会党青年部で活動。1960年安保闘争の最中、雑誌『社会主義』(社会主義協会)の編集者となる。 社青同(日本社会主義青年同盟)港支部(東京)を組織。浅沼社会党委員長刺殺抗議デモに参加。三池無期限全面スト支援のため各労組をオルグ。 1961年三池闘争支援のため「三池を守る会」を組織。医療労働者の人権侵害、労働条件改悪に抗議する闘争支援(十仁・愛育・船員・慶応病院など)。 1964年社青同第四回大会で書記長に選出される。1965年反戦青年委員会設立に努める。
高倉 照幸(たかくら てるゆき、1934年12月8日 - )… 高倉 照幸(たかくら てるゆき、1934年12月8日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(外野手)。
坂上 惇(さかがみ あつし、1934年10月22日 - 20… 坂上 惇(さかがみ あつし、1934年10月22日 - 2019年6月29日)は、熊本県玉名郡玉名町出身のプロ野球選手(投手)。 玉名高校から1952年に西鉄ライオンズへ入団。 1954年シーズンにはローテーションに入り、7勝を挙げた。 1955年シーズン途中に大映スターズへ移籍。1957年に引退。 引退後、「坂上式バッティングマシン」を発案。知人で発明家だった河辺忠夫に相談して開発したもので、当時、自動式の打撃練習マシンは国内外にはなく、試作機を試した中西太や、長嶋茂雄も驚いたという。 そして旧交があった中澤会長のお墨付きをもらい、西鉄ライオンズや巨人軍など8球団が次々に導入。販売を手がける坂上は一躍、時の人となった。
青木 行義(あおき ゆきよし 1934年9月15日 - 19… 青木 行義(あおき ゆきよし 1934年9月15日 - 1996年4月19日)は、日本の競泳選手。種目は自由形。熊本県出身。 熊本県立鹿本高等学校在学中の1952年のヘルシンキオリンピックの1500m自由形では19分27秒0で予選敗退、日本大学に在学中の1956年のメルボルンオリンピック1500m自由形では18分38秒3で7位となった。 また1954年アジア競技大会1500m自由形では金メダルを獲得した。 菊鹿町の名誉町民となっている。1996年、61歳で死去した。 1972年ミュンヘンオリンピックの女子100mバタフライで金メダルを獲得した青木まゆみはいとこにあたる。
鑪 幹八郎(たたら みきはちろう、1934年8月3日 - 2… 鑪 幹八郎(たたら みきはちろう、1934年8月3日 - 2021年5月7日)は、日本の心理学者・臨床心理士。広島大学名誉教授,京都文教大学名誉教授、前京都文教大学学長。元日本心理臨床学会理事長。心理臨床家(ウィリアム・アランソン・ホワイト研究所)。 熊本市出身。1957年熊本大学教育学部卒業、1962年京都大学大学院教育学研究科博士課程教育心理学専攻単位取得満期退学、京大教育学部助手。1964-1967年ウィリアム・アランソン・ホワイト研究所(アメリカ)で精神分析の訓練を受ける。1967年大阪教育大学助教授。1968年「学校恐怖症に関する研究」で京都大学より教育学博士の学位を取得。1971年広島大学教育学部助教授、1983年教授。
木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023… 木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023年11月15日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は従三位。 消防庁長官(第17代)、自治大学校長、参議院議員(2期)、防災情報機構顧問などを歴任。 熊本県出身。熊本市立白川中学校、熊本県立熊本高等学校卒業。 1958年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。地方自治庁入省。大阪府総務部地方課。 1961年、大阪府総務部庶務課兼総務部地方課。その後、福島県地方課長、奈良県総務部長で勤務。 1979年4月1日、自治省行政局振興課長。1982年4月1日 - 自治省行政局公務員部公務員第一課長。1983年11月15日 - 自治省行政局行政課長。
坂本 盛明(さかもと もりあき、1934年5月5日 - 19… 坂本 盛明(さかもと もりあき、1934年5月5日 - 1987年11月3日)は、熊本県出身のプロ野球選手。
平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )… 平山 正剛(ひらやま せいごう、1934年4月15日 - )は、日本の弁護士、元日本弁護士連合会会長(2006年4月1日 - 2008年3月31日)。一般財団法人防災教育推進協会監事 2006年4月1日から日本弁護士連合会会長に就任した(任期2年)。会長選挙では、高山俊吉・久保利英明の両候補を破って当選している。 早稲田大学年金をめぐって、大学理事会に対して独立性が求められる大学監事でありながら、年金減額をめぐる裁判で一時、大学側代理人弁護士をつとめていたこと、また大学年金基金に関する監査責任はないと主張していることについて強い批判を受けている。(出所:早稲田大学の年金を知る会)
布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2… 布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2023年6月25日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。熊本県山鹿市出身。中央大学卒業。 2年時の第30回箱根駅伝では9区を走る。2位の早稲田大学とは13秒差と首位で襷を受け、少しずつ差を離していたが、中継所から約300mにある戸塚踏切の警報器が鳴り始め、布上が通る直前に遮断機が降り始める。すると、遮断機をくぐるのにロスタイムがあってはいけないと、ムキになって駆け抜けた。しかし、このペースアップの影響で後半に失速し、早稲田大学に抜かれ、2位に後退。10区でも日本大学に抜かれて順位を一つ落とし、中央大学は総合優勝を逃した。この失敗が布上の選手、そして指導者としての原点になっているという。
原 哲男(はら てつお、1934年〈昭和9年〉3月21日 -… 原 哲男(はら てつお、1934年〈昭和9年〉3月21日 - 2013年〈平成25年〉1月11日)は、日本のお笑い芸人、俳優。本名:柳原 哲也。吉本興業所属。 熊本県熊本市上近見町に生まれる。九州学院高等学校卒業後、剣戟の「富士川昇一座」に入って、九州を巡業する。また「島陽之助一座」にも籍を置いた。 1953年、大阪に出て、「堀江洋子一座」に入る。その後、ストリップ劇場のコメディアンに転向して、新世界のジャンジャン横丁にあった「温泉劇場」などに出演していたが、生活に困窮し、堀江洋子一座で一緒で「島陽之助一座」にいたころからの旧知の島田洋之介に誘われ1963年、吉本興業に入社する。 以後、吉本新喜劇で活躍、1969年には座長に就任、『てなもんや三度笠』では、毎回CM時に藤田まこと、白木みのると掛け合いで登場し、レギュラー出演していた。
森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 -… 森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 - 2018年8月19日 )は、日本の作曲家、編曲家。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高等学校卒業。指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事。 「君といつまでも」「恋のしずく」「ブルー・シャトウ」「今日でお別れ」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。作・編曲の傍ら、映画やテレビ番組の音楽監督・プロデューサーとして活動。主な作品に、映画音楽「若大将シリーズ」「宇宙からのメッセージ」「山下少年物語」「典子は、今」など。 またカーティア・リッチャレッリのレコーディング、サルバトール・アダモのコンサートのプロデュースなど外人アーティストの音楽制作プロデュースも積極的に手がける。
財津 一郎(ざいつ いちろう、1934年〈昭和9年〉2月22… 財津 一郎(ざいつ いちろう、1934年〈昭和9年〉2月22日 - 2023年〈令和5年〉10月14日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手。 本名:財津 永栄(ざいつ ながひで)、旧芸名:財津 肇メ。熊本県熊本市出身。熊本県立済々黌高等学校卒業。 財津家は神武天皇の時代から続くというほどの名家であった。父親は農林省(現:農林水産省)の役人で、3人兄弟の末っ子として東京に住んでいた、父が日中戦争で中国大陸へ出征したため、1944年に一家は故郷の熊本へ疎開した。 1947年に、阿蘇にある財津家の土地を守るために阿蘇郡黒川村(現・阿蘇市)へ移住、学校もそれまで通っていた済々黌中学校から阿蘇農業高等学校(現・熊本県立阿蘇中央高等学校)へ転校した。
森本 孝(もりもと たかし、1934年 - 2025年3月2… 森本 孝(もりもと たかし、1934年 - 2025年3月26日)は、日本の実業家、熊本第一信用金庫会長、全国信用金庫協会元副会長、熊本経済同友会顧問。 1934年、生まれ。1953年3月、九州学院高等学校卒業。1957年3月、立教大学経済学部卒業。 熊本第一信用金庫に長く務め、熊本経済の発展のため尽力し、現在同金庫会長を務める。全国信用金庫協会副会長なども務めた。 2005年11月、旭日双光章受賞。2020年には熊日賞を受賞した。 2025年3月26日午後2時5分、心不全のため熊本市の病院で死去。90歳没。
古田 昌幸(ふるた まさゆき、1933年9月30日 - 19… 古田 昌幸(ふるた まさゆき、1933年9月30日 - 1999年7月30日)は、熊本県熊本市出身の野球選手(内野手)・監督。
栃光 正之(とちひかり まさゆき、1933年8月29日 - … 栃光 正之(とちひかり まさゆき、1933年8月29日 - 1977年3月28日)は、熊本県牛深市深海町(現在の天草市深海町)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は中村 有雄(なかむら ありお)。最高位は東大関(1962年9月場所、1963年5月場所など)。身長176cm、体重128kg。得意手は左四つ、押し、寄り、上手投げ。 農家の長男で、中学生の時から宮相撲で活躍したが、天草に巡業に来た力士の一団を見て栃錦に魅せられた。1952年、熊本県水俣市で開催された相撲大会に出場した時に春日野部屋の力士から勧誘され、父の反対を押し切って同部屋へ入門し、同年5月場所で初土俵。 非力で不器用ながらも、春日野親方(元横綱・栃木山)から押し相撲の基本を叩きこまれた。
岩崎 八男(いわさき はちお、1933年5月7日 - 20… 岩崎 八男(いわさき はちお、1933年5月7日 - 2021年10月17日)は通産官僚。中小企業庁長官や、新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長を歴任した。2007年に旭日重光章。 熊本県天草市生まれ。熊本県立天草高等学校を経て、1957年に一橋大学経済学部卒業。都留重人ゼミナール出身。ゼミの同期に、仲澤泰彦(元日本電気常務)、近藤久也(元フジテレビディレクター)、関根友彦(元ヨーク大学教授)、加野忠(元ソロモン・ブラザーズ銀行日本代表)などがいる。 大学卒業後は、都留教授の経済安定本部時代の秘書官だった佐橋滋を紹介され、通商産業省に入省した。入省後、アジア経済研究所からオーストラリアに留学し、シドニー大学などで学んだ。
丸山 雍成(まるやま やすなり、1933年2月27日 - )… 丸山 雍成(まるやま やすなり、1933年2月27日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近世史、交通史。九州大学名誉教授。 現在の熊本県玉名市に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て1957年に東北大学文学部国史学科を卒業した。1965年に東北大学大学院文学研究科博士課程を修了した。 駒澤大学で講師・助教授を務めた後、1973年に[要出典]九州大学助教授に移り、九州大学で教授に昇格して、九州文化史研究施設長も務めた。この間、1977年に「近世宿駅の基礎的研究」により、東北大学より文学博士号を取得した。1994年に「日本近世交通史の研究」で日本学士院賞を受賞する。1996年に[要出典]九州大学を定年退官して、名誉教授となる。
岡本 健一郎(おかもと けんいちろう、1933年2月16日 … 岡本 健一郎(おかもと けんいちろう、1933年2月16日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手)・解説者。 済々黌高では1950年、エース岡本和弘(明大-日立製作所)を擁し、夏の甲子園に一塁手として出場。準決勝に進むが大久保英男のいた鳴門高に敗退。高校同期に大学、プロ野球でもチームメートとなる遊撃手の片山嘉視がいた。卒業後は専修大に進学。東都大学野球リーグでは在学中に4回優勝。1954年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、秋山登らのいた明大に敗れる。1953年秋季リーグから2季連続でリーグ打撃成績2位を記録し、東都のスラッガーとして注目された。片山以外の大学同期に渡辺清がいる。
光岡 明(みつおか あきら、1932年11月3日 - 200… 光岡 明(みつおか あきら、1932年11月3日 - 2004年12月22日)は、日本の作家である。熊本県熊本市生まれ。
木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 198… 木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 1987年11月13日)は、日本の科学ジャーナリスト。 熊本市生まれ。熊本県立熊本高等学校卒。1955年東京大学教養学部科学史及び科学哲学科卒、朝日新聞社入社。水戸支局員、朝日新聞社科学部員、1970年科学部長、81年米国ウィルソン・センター客員研究員、朝日新聞社調査研究室主任研究員、衛星チャンネル常務取締役。
名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 … 名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉6月26日)は、日本の俳優。名和 広の表記もある。本名・与縄 章(よなわ あきら)。 熊本県熊本市出身(出生地は広島県)。実家は能の金春流で、20歳まで能楽を学んだ。熊本県立熊本高等学校卒業。熊本大学法文学部中退。日本大学芸術学部在学中の1954年(昭和29年)、日活ニューフェース第1期として日活に入社し俳優デビュー。能楽は破門となる。『若いお巡りさん』『地底の歌』『快傑耶茶坊』等に出演。主演映画も複数あり、『地底の歌』では急速に売り出し中の石原裕次郎を押さえてポスター序列トップである(この時点で裕次郎はダブル主演待遇どまりでトップは一度もない)。
片山 嘉視(かたやま よしみ、1932年4月22日 - )は… 片山 嘉視(かたやま よしみ、1932年4月22日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。 済々黌高校から専修大学を経て1955年に阪急ブレーブスへ入団。1956年に引退。
チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yo… チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yoko Nagae Ceschina、1932年4月5日 - 2015年1月10日)は、日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。 熊本県玉名郡玉東町出身。熊本県立第一高等女学校で学んだ後、1952年に熊本大学教育学部附属小学校の代用教員となる。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。 1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、篤志家として活動するようになる。
福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 -… 福島 雄次郎(ふくしま ゆうじろう、1932年3月21日 - 2005年1月21日)は、日本の作曲家。熊本県八代市出身。 終戦後に結核に侵され、23歳まで療養生活を送る。この間、東京音楽学校(現・東京藝術大学)の通信教育で作曲を学び始める。回復後、東京に出るまでは保険の勧誘員やミシンのセールスマン、五木の山に行って飯場の仕事などをしていた。 東洋音楽短期大学(現・東京音楽大学)卒業。作曲を箕作秋吉、指揮法をアルベルト・レオーネに師事。1962年、「ヴァイオリンとオーケストラのためのラプソディー」で第2回TBS賞(日本を素材とする管弦楽曲募集)入賞。1963年、「オーケストラのための<三連画>」で第32回日本音楽コンクール第3位入賞。
森山 恒雄(もりやま つねお、1932年2月21日 - 20… 森山 恒雄(もりやま つねお、1932年2月21日 - 2009年12月28日)は、日本の歴史学者。 専門は日本近世史で、主に豊臣秀吉の蔵入地や加藤清正の研究を手がけた。 熊本県玉名郡に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て、1949年熊本大学教育学部に入学、同校卒業後、1954年熊本県の私立鎮西高等学校に勤務。1956年同校を退職し、九州大学大学院文学研究科修士課程史学専攻に入学。修了後の1958年九州大学大学院文学研究科博士課程史学専攻に入学、1961年同課程を単位取得満期退学。 1963年九州大学文学部助手(国史学研究室)、1964年東海大学講師、1967年同校助教授となる。1971年母校の熊本大学に移り助教授、1977年教授に就任。
高見圭司(たかみけいし、1932年1月23日 - )は、日本… 高見圭司(たかみけいし、1932年1月23日 - )は、日本の新左翼活動家。元日本社会党青年対策部長、日本社会主義青年同盟解放派幹部である。革労協が分裂した際には解放派全協(労対派)へ参加した。スペース21の中心的存在である。 現在はスペース21を主宰し、連帯社(解放派全協)に関わっている。新運転に所属する「現役」の労働者(実際に仕事をしているわけではない)である。新運転では反主流派としてグループを形成し活動しており、執行部と組合運営を巡り対立、排斥され訴訟を行ったりした。 三里塚闘争(成田空港問題)の活動にも参加している。2017年現在も三里塚芝山連合空港反対同盟(旧熱田派)の活動に「スペース21」所属として参加している。
小田 喜美雄(おだ きみお、1932年1月13日 - 201… 小田 喜美雄(おだ きみお、1932年1月13日 - 2012年6月)は、熊本県出身のプロ野球選手(外野手)。
江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3… 江崎 実生(えざき みお、本名:江崎 雅一、1932年1月3日 - )は、日本の映画監督。熊本県熊本市出身。
福島 源次郎(ふくしま げんじろう、1932年〈昭和7年〉 … 福島 源次郎(ふくしま げんじろう、1932年〈昭和7年〉 - 1998年〈平成10年〉)は、創価学会の元副会長。熊本県出身。熊本県立済々黌高等学校および東京大学経済学部を卒業。 のちに創価学会を脱会して、日蓮正宗の法華講員になった。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 全盛期には池田会長の側近中の側近と目されたが、池田にこびへつらう発言が多く「ゴマ源(ゴマスリ源次郎の略)」のあだ名があった。実際、創価学会内で池田大作を現人神として扱う教義「池田本仏論」の原型を築き、山崎正友とともに池田を仏であるかのように喧伝。内容を全国に広めた。 しかしその後、次第に池田の指導に疑問を抱くようになり、批判の側に立つようになった。
田代 圓(たしろ まどか、1931年8月25日 - 2019… 田代 圓(たしろ まどか、1931年8月25日 - 2019年1月27日)は、日本の実業家。東ソー元取締役社長。熊本市出身。 1956年、東京大学教養学部卒業。同年、東洋曹達工業(現・東ソー)入社。1981年、同社経営企画本部企画部長、1985年、同社取締役、新規事業部長。1988年、同社常務取締役・経営管理本部長・経営企画部長。1990年同社専務取締役、1992年同社取締役社長。2001年同社取締役会長。2009年同社取締役相談役。 2019年1月27日午後5時9分、敗血症のため、東京都港区の病院で死去、87歳。 社外では、高分子学会代表幹事、石油化学工業協会副会長、日本ソーダ工業会会長、塩ビ工業・環境協会会長、相模中央化学研究所理事長などを歴任した。
川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 199… 川本 輝夫(かわもと てるお、1931年8月1日 - 1999年2月18日)は、日本の市民活動家、政治家。水俣病の患者の運動体『チッソ水俣病患者連盟』の委員長、水俣市議会議員(3期)を務めた。 熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)出身。父・川本嘉藤太は、水俣市に工場がある新日本窒素肥料株式会社(1965年に「チッソ」と改名)に勤めていた。 川本は、家庭の事情により熊本県立水俣高等学校を2年で中退した。漁業作業員、建設作業員、チッソ臨時工員などの職業を経験した後に病院勤務する。寝たきりの父を介護しつつ、准看護士資格を取得した。 1955年、水俣病を発症。1961年より父が発病して寝たきりとなり、1965年4月に急性劇症でもだえ死ぬのを看取った。
向井 純一郎(むかい じゅんいちろう、1931年(昭和6年7… 向井 純一郎(むかい じゅんいちろう、1931年(昭和6年7月30日) - 1998年(平成10年)1月5日)は、日本の生化学者。九州大学名誉教授。学位は農学博士。専門は農芸化学。 1967年(昭和42年)「家蚕幼虫の核酸消化酵素に関する研究」 で農芸化学賞 を受賞する。 フリッツ・アルベルト・リップマンとの共同研究による共著論文 がある。 応用化学者の向井參之充と英文学者の母の間に生まれる。 熊本県立済々黌高等学校を卒業したのち、九州大学に入学。同大学を卒業し、大学院を修了。九州大学助教授、教授を経て、同大学名誉教授。九州大学を定年退官したのち、尚絅短期大学教授に就任するも、在職中に熊本市内で急死。
吉井 正澄(よしい まさずみ、1931年7月10日 - 20… 吉井 正澄(よしい まさずみ、1931年7月10日 - 2024年5月31日)は、日本の政治家。熊本県水俣市長(2期)、水俣市議会議員(5期)などを歴任した。 熊本県葦北郡久木野村(現水俣市)生まれ。1950年3月、熊本県立芦北農林高等学校卒業、農林業自営。 1975年4月、水俣市議会議員に初当選、連続5期務めた。この間、市議会議長を2期務めた。また、自民党水俣市支部長を務めた。1985年、全国市議会議長会公害対策特別委員会委員長。 1994年、水俣市長選挙に自民党の推薦を受けて立候補。健康上の理由により出馬を断念した岡田稔久市長の後継候補である助役の小松聰明、水俣商工会議所会頭の原一夫を破り初当選した。