石井 啓介(いしい けいすけ、1977年4月2日- )は、… 石井 啓介(いしい けいすけ、1977年4月2日- )は、日本の警察官僚。警察庁長官官房参事官(匿名・流動型犯罪グループ担当)。 熊本県熊本市出身。2001年 (平成13年)、東京大学法学部を卒業後、警察庁に入庁。 その後、長野県警察本部刑事部捜査第二課長、神奈川県警察本部刑事部捜査第二課長、在中華人民共和国日本国大使館一等書記官、警察庁長官官房企画官兼警察庁刑事局刑事企画課理事官、警視庁第一方面本部長兼警務部参事官などを歴任。 2023年2月10日、警察庁刑事局刑事企画課刑事指導室長兼サイバー警察局付に就任し、刑事手続きのIT化、取り調べの高度化、新たな捜査手法等の企画調整に取り組んだ。 2024年4月1日、初代警察庁長官官房参事官(特殊詐欺および匿名・流動型犯罪グループ担当)に就任。
池松 英浩(いけまつ ひでひろ、1968年10月 - )は、… 池松 英浩(いけまつ ひでひろ、1968年10月 - )は、日本の防衛官僚。 福岡県出身。父は、防衛大学校出身の自衛官。熊本県立熊本高等学校を経て、東京大学法学部卒業。ハーバード大学公共政策大学院(ケネディースクール)卒業(修士)。 行政官長期在外研究員と在豪日本国大使館参事官を務めた防衛省の国際派。
犬童 周作(いんどう しゅうさく、1967年〈昭和42年〉1… 犬童 周作(いんどう しゅうさく、1967年〈昭和42年〉11月10日 - )は、日本の郵政・総務官僚、政治家。全国郵便局長会特別顧問。自由民主党所属の参議院議員(1期)。 熊本県人吉市出身。青雲中学校、熊本県立済々黌高等学校を経て、1992年(平成4年)、東京大学法学部を卒業。同年、郵政省に入省。 郵政省、総務省では情報通信行政や郵政行政に携わり、主に情報通信畑を歩んだ。郵政省入省後、電気通信局電気通信事業部データ通信課課長補佐、情報通信政策局放送政策課課長補佐などを経て、2003年(平成15年)、在フランス日本国大使館一等書記官に就任。2006年までフランスに駐在し、帰国後は、総務省郵政行政局総務課課長補佐(統括補佐)を務め、郵政民営化法成立後の郵政行政を担当した。
岩城 宏幸(いわき ひろゆき、1967年(昭和42年)7月1… 岩城 宏幸(いわき ひろゆき、1967年(昭和42年)7月15日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。 熊本県天水町(現・玉名市)出身。熊本県立熊本高等学校を経て、1991年(平成3年)に東京大学法学部を卒業。同年4月に運輸省入省、港湾局管理課配属。 ロンドン大学修士課程修了、観光庁総務課企画室長、北陸信越運輸局企画観光部長、国土交通省大臣官房参事官(物流産業)、総合政策局公共交通政策部参事官、総合政策局情報政策課長、港湾局総務課長、経済産業省商務・サービス担当審議官を歴任。 2022年1月5日、北海道運輸局長に就任。2月14日、JR北海道の島田修社長に対し、大雪による大規模運休の原因の検証と改善策を文書で報告するよう指示した。
井上 諭一(いのうえ ゆいち、1966年10月17日- )… 井上 諭一(いのうえ ゆいち、1966年10月17日- )は、日本の文部科学官僚。内閣府科学技術・イノベーション推進事務局統括官。 熊本県熊本市出身。熊本市立慶徳小学校、熊本県立熊本高等学校を経て、1990年 (平成2年)に九州大学工学部資源工学科を卒業後、九州大学大学院工学研究科資源工学専攻修士課程を中退し、1991年 (平成3年)、科学技術庁に入庁。 入庁後、科学技術庁科学技術振興局国際課課長補佐、文部科学省研究開発局開発企画課課長補佐、松田岩夫大臣秘書官事務取扱、外務省在ドイツ日本国大使館一等書記官、文部科学省研究振興局情報課計算科学技術推進室長、文部科学省研究開発局海洋地球課長、科学技術振興機構経営企画部長、文部科学省高等教育局学生・留学生課長、文部科学省大臣官房参事官などを歴任。
大島 一博(おおしま かずひろ、1964年〈昭和39年〉2月… 大島 一博(おおしま かずひろ、1964年〈昭和39年〉2月8日 - )は、日本の厚生・厚生労働官僚。 1964年(昭和39年)2月8日、熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)で出生。熊本県立熊本高等学校を経て、1987年(昭和62年)3月、東京大学法学部を卒業。 1986年(昭和61年)10月に国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)に合格。翌年4月、厚生省に入省し、厚生省大臣官房人事課に配属。 老健局計画課認知症対策推進室長、保険局総務課保険システム高度化推進室長、厚生労働省大臣官房総務課企画官、老健局介護保険計画課長、保険局保険課長、保険局総務課長などを歴任。この他、北九州市で保健福祉局障害福祉課長、保健福祉局生活福祉部長、年金資金運用基金で運用部運用管理課長、内閣府で参事官(社会システム担当)、大臣官房参事官、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)付、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)付、地方創生推進室次長、大臣官房審議官(経済財政運営及び経済社会システム担当)、高度人材受入推進担当室長、内閣官房で内閣審議官(内閣官房副長官補付)、健康・医療戦略室次長、まち・ひと・しごと創生本部事務局次長、社会保障改革担当室審議官などを務めた。
緒方 俊則(おがた としのり、1961年 - )は、日本の総… 緒方 俊則(おがた としのり、1961年 - )は、日本の総務官僚。香川大学大学院教授や、内閣府大臣官房審議官、消防庁次長等を経て、危険物保安技術協会理事長。 熊本市熊本市出身。熊本市立城東小学校、熊本市立藤園中学校、熊本県立熊本高等学校を経て、1985年東京大学法学部卒業、自治省入省。1989年4月自治省行政局公務員部公務員第一課主査。1990年4月岩手県消防防災課長。1994年徳島県総務部財政課長。2003年滋賀県総務部長。2008年自治体国際化協会北京事務所長。 香川大学大学院地域マネジメント研究科教授、自治体国際化協会事務局長、地方公共団体金融機構地方支援部長、地方公務員災害補償基金理事等を歴任し、2015年から内閣府大臣官房審議官(防災担当)兼国土強靭化推進室審議官を務め、熊本地震の政府現地対策本部で指揮を執るなどした。
上野 善晴(うえの よしはる、1959年5月10日 - )は… 上野 善晴(うえの よしはる、1959年5月10日 - )は、日本の財務官僚。福岡財務支局長、岩手県副知事、理財局次長、日本政策金融公庫代表取締役専務などを歴任。 熊本県荒尾市出身。東京大学文科一類に入学。東京大学法学部卒業。1982年 大蔵省入省(理財局国有財産総括課)。1984年5月 理財局付(カリフォルニア大学ロサンゼルス校経営大学院留学)。1988年7月 尾道税務署長。1993年7月 主計局主計官補佐(公共事業第二係主査)。1997年7月 熊本県企画開発部長。2008年7月4日 理財局総務課長。2009年7月14日 福岡財務支局兼財務総合政策研究所北九州研修支所長。2010年8月31日 岩手県副知事。
甲斐 正彰(かい まさあき、1957年4月20日 - )は、… 甲斐 正彰(かい まさあき、1957年4月20日 - )は、日本の国土交通官僚。国土交通省航空局次長や、内閣官房総合海洋政策本部事務局長を経て、空港施設代表取締役会長兼社長、PwCコンサルティングスペシャルアドバイザー。 熊本県熊本市出身。実家は浄土真宗正教寺。熊本県立熊本高等学校を経て、1981年東京大学法学部卒業、運輸省入省。運輸省航空局国際航空課補佐官を経て、1995年外務省在フランス日本国大使館一等書記官。 国土交通省航空局監理部総務課航空企画調査室長を経て、2001年東京都都市計画局航空政策担当部長。2002年東京都都市計画局特命担当部長。2003年国土交通省総合政策局国際協力課長。同年国土交通省観光部国際観光推進課長。
北里 敏明(きたざと としあき、1949年11月16日 - … 北里 敏明(きたざと としあき、1949年11月16日 - )は、日本の自治官僚。石川県総務部長や、京都市副市長、内閣府大臣官房審議官、消防庁次長等を歴任した。 熊本県熊本市生まれ。1955年熊本大学教育学部附属幼稚園卒園。1961年熊本大学教育学部附属小学校卒業。1964年熊本大学教育学部附属中学校卒業。1967年熊本県立熊本高等学校卒業。1972年東京大学法学部卒業、自治省入省。1980年ハーバード大学ハーバード・ロー・スクール修了、LL.M.。石川県総務部長、京都市副市長、内閣府大臣官房審議官、消防庁次長等を歴任したのち、2004年には自由民主党から第20回参議院議員通常選挙に立候補したが落選。
吉村 博人(よしむら ひろと、1948年〈昭和23年〉11月… 吉村 博人(よしむら ひろと、1948年〈昭和23年〉11月 - )は、日本の警察官僚。第21代警察庁長官。熊本県出身。 東京大学法学部卒業後、警察庁に入庁。主に刑事畑を歩む。刑事局長、長官官房長、次長を経て、2007年(平成19年)より警察庁長官に就任。 取調べの一部録音・録画や被疑者取調べ監督制度の導入を実現させ、取調べ適正化施策の推進に尽力した。2009年(平成21年)に勇退。 2019年、瑞宝重光章受章。
沖津武晴(おきつ たけはる、1945年8月5日 - )は日本… 沖津武晴(おきつ たけはる、1945年8月5日 - )は日本の大蔵官僚。 熊本県熊本市出身(父母も熊本県)。熊本県立熊本高等学校から東京大学文科一類に入学。東京大学法学部卒業。1968年 大蔵省入省(国際金融局国際機構課)。入省同期に林正和(日本取引所グループ取締役取締役会議長、日本取引所自主規制法人理事長、財務事務次官、主計局長、大臣官房長、経済企画庁長官官房長)、溝口善兵衛(島根県知事、財務官、国際局長、大臣官房長、大臣官房総務審議官、主計局次長(次席))、尾原栄夫(国税庁長官、主税局長)、田谷廣明(東京税関長)、堀田隆夫(JT副社長、造幣局長、証券取引等監視委員会事務局長、国税庁次長)、村田吉隆(衆議院議員、国家公安委員長兼防災担当大臣、大蔵総括政務次官)らがいる。
金重 凱之(かねしげ よしゆき、1945年〈昭和20年〉4月… 金重 凱之(かねしげ よしゆき、1945年〈昭和20年〉4月5日 - )は、日本の経営コンサルタント、警察官僚。元警察庁警備局長。日本における危機管理の第一人者。 1945年4月5日、熊本県山鹿市生まれ。1964年3月福岡県立小倉高等学校卒業。1969年3月京都大学法学部卒業。1975年6月ジョンズ・ホプキンズ大学SAIS修了、国際関係学修士。 1969年4月、警察庁に入庁。入庁同期に漆間巌、林則清、中田好昭(関東管区警察局長)黒澤正和など。京都府警察本部、大阪府警察本部の課長を経て、警視庁に勤務。教育訓練、警備関連の課長職を経て、1988年3月より警視庁第一方面本部長。その後、人事・監察・制度調査関連の課長・参事官、警備部長、静岡県警察本部長を経て、1997年4月より警察庁長官官房総務審議官(現:総括審議官)。
松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月… 松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月25日 - 2007年〈平成19年〉5月28日)は、日本の農水官僚、政治家。農林水産大臣(第41代)、衆議院議員(6期、自由民主党)を歴任。 戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目(日本国憲法下では初)の現職閣僚として自殺により死去した人物である。 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)2月25日、熊本県阿蘇町(現阿蘇市)に貧困にあった農家の長男として誕生した。 父は日中戦争(支那事変)中、満州(現在の中国東北部)で日本軍の憲兵を務めていた。日本に帰国してからは定職を持たず林業ブローカーのような仕事で糊口を凌ぎ、時には飲酒で泥酔して妻(松岡の母親)に手を上げることもあったという(家庭内暴力)。
木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023… 木村 仁(きむら ひとし、1934年6月24日 - 2023年11月15日)は、日本の政治家、自治官僚。位階は従三位。 消防庁長官(第17代)、自治大学校長、参議院議員(2期)、防災情報機構顧問などを歴任。 熊本県出身。熊本市立白川中学校、熊本県立熊本高等学校卒業。 1958年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。地方自治庁入省。大阪府総務部地方課。 1961年、大阪府総務部庶務課兼総務部地方課。その後、福島県地方課長、奈良県総務部長で勤務。 1979年4月1日、自治省行政局振興課長。1982年4月1日 - 自治省行政局公務員部公務員第一課長。1983年11月15日 - 自治省行政局行政課長。
岩崎 八男(いわさき はちお、1933年5月7日 - 20… 岩崎 八男(いわさき はちお、1933年5月7日 - 2021年10月17日)は通産官僚。中小企業庁長官や、新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長を歴任した。2007年に旭日重光章。 熊本県天草市生まれ。熊本県立天草高等学校を経て、1957年に一橋大学経済学部卒業。都留重人ゼミナール出身。ゼミの同期に、仲澤泰彦(元日本電気常務)、近藤久也(元フジテレビディレクター)、関根友彦(元ヨーク大学教授)、加野忠(元ソロモン・ブラザーズ銀行日本代表)などがいる。 大学卒業後は、都留教授の経済安定本部時代の秘書官だった佐橋滋を紹介され、通商産業省に入省した。入省後、アジア経済研究所からオーストラリアに留学し、シドニー大学などで学んだ。
平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は… 平河 喜美男(ひらかわ きみお、1929年5月22日 -)は、日本の官僚、元安田信託銀行顧問。 熊本県生まれ。熊本県立玉名中学校卒業。第五高等学校卒業、東京大学理学部卒業。 昭和31年、旧通商産業省(現:経済産業省)入省。主に技術畑を歩んだ。 昭和59年、立地公害局長就任。 昭和60年、退官。その後、安田信託銀行の顧問を経て昭和電工株式会社専務取締役、日本規格協会理事長。
加藤 圭朗(かとう けいろう、1926年 - )は昭和期の日… 加藤 圭朗(かとう けいろう、1926年 - )は昭和期の日本の官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1943年卒業)、東亜同文書院大学予科を経て、九州帝国大学法文学部を卒業した。 1949年に人事院に入庁する。近畿事務局長、給与局次長、公務員研修所長、管理局長を経て、1983年に人事院事務総長となる。1986年に退官した。退官後は日本体育・学校健康センター理事を務めた。
三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30… 三善 信二(みよし しんじ、1921年(大正10年)1月30日 - 1979年(昭和54年)3月7日)は、日本の官僚、政治家。参議院議員(1期)。衆議院議員三善信房の次男。兄はリコー会長を務めた三善信一。
佐方 信博(さかた のぶひろ、1914年9月5日 - 200… 佐方 信博(さかた のぶひろ、1914年9月5日 - 2008年9月24日)は、熊本県出身の郵政官僚。元富士重工業副社長。 熊本逓信局業務部長、郵務局服務課長、経理局主計課長、大臣官房文書課長兼大臣官房調査課長、名古屋郵政局長などを歴任。
高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 197… 高田 浩運(たかた こううん、1914年2月4日 - 1977年7月17日)は、日本の政治家、厚生官僚。位階は従三位。勲等は勲二等。参議院議員(2期)。 1914年(大正3年)熊本県玉名市生まれ。熊本県立玉名中学校、第五高等学校を経て、1936年(昭和11年)、東京帝国大学卒業後、内務省に入省する。1937年(昭和12年)に香川県警警務課長。 1941年(昭和16年)に厚生省に配転され、1945年(昭和20年)より同省庶務課長、1955年(昭和30年)より医務局次長、1956年(昭和31年)より児童局長、1960年(昭和35年) より官房長、1962年(昭和37年)4月より保険局長を経て、同年7月社会保険庁長官に就任。
大江 卓二(おおえ たくじ、1910年 - 2002年5月2… 大江 卓二(おおえ たくじ、1910年 - 2002年5月27日)は日本の技術者、官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校)、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学工学部を卒業した。 逓信省船舶試験所(現・海上技術安全研究所)に入所し、1949年に第4部長となる。以後、運輸省技術研究所船舶機関部長、所長を歴任した。 2002年5月27日、前立腺癌のため死去。
川本 邦雄(かわもと くにお、1903年3月28日 - 19… 川本 邦雄(かわもと くにお、1903年3月28日 - 1945年)は、昭和期の日本の官僚。妻は西四辻公堯の長女壽榮子。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1920年卒業)、第五高等学校を経て、京都帝国大学法学部を卒業した。 卒業後は朝鮮総督府に勤務の後、拓務省の高官となり、文書課長などを歴任した。その後、新たに発足した大東亜省の文書課長となり、1945年に中国地区統監府官房参事官として広島市に赴任中に広島市への原子爆弾投下に遭遇して被爆死した。 南方(東南アジア)政策を専門とし、『南方への指標』(朝日新聞社、1942年)や『大南洋の話』(偕成社・偕成社少年少女文庫、1942年)といった一般向けの著作を残している。
石坂 弘(いしざか ひろし、1902年1月8日 - 1979… 石坂 弘(いしざか ひろし、1902年1月8日 - 1979年12月15日)は、日本の農林官僚。 熊本県出身。中学済々黌を卒業。1924年に高文行政科に合格し、1925年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。朝日新聞社での勤務を経て、1927年に農林省に入省。1961年8月に日本中央競馬会副理事長に就任し、1962年6月から1967年2月までに理事長を務め、1967年2月から顧問を務めた。 1979年12月15日呼吸不全のために死去。77歳没。
深水 六郎(ふかみ ろくろう、1901年11月19日 - 1… 深水 六郎(ふかみ ろくろう、1901年11月19日 - 1995年1月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、実業家。参議院議員(2期)、熊本放送取締役、日本民間放送連盟副会長、熊本県経営者協会会長。
松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10… 松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10月24日 - 1991年(平成3年)8月25日)は、日本の逓信官僚、政治家、工学者、教育者。学位は工学博士(東北帝国大学・1937年)。熊本県出身。東海大学創立者。内村鑑三を師とするクリスチャン。 戦前は逓信官僚として新体制運動に加わり大政翼賛会総務部長、戦後は逓信院総裁(逓信大臣・郵政大臣相当)、社会党右派の衆議院議員を務め、ソ連との友好親善に尽力した。静岡市名誉市民。 熊本県上益城郡嘉島町生まれ。合併前の大島村で村長を務めた松前集義が父である。祖父松前熊太郎、曾祖父松前叶は熊本藩士。小学5年生のとき熊本市に移った際、故郷の農村と違って夕方になると町中に一斉に電灯がともるのを見て美しさに驚き、これがのちに電気を専攻するきっかけとなった。
園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日… 園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日 - 1962年(昭和37年)12月23日)は、大正から昭和期の官吏、農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 熊本県鹿本郡山東村大字小野(植木町大字小野を経て現熊本市北区)で生まれる。1914年(大正3年)3月、山東小学校を卒業し、同年4月、熊本県立中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)に入学したが、1915年(大正4年)9月、肋膜炎となり同校を退学。その後回復して家業の農業に従事した。 1922年(大正11年)11月、朝鮮総督府官吏となり、1931年(昭和6年)6月まで在任。同年11月、満州国官吏に任官し新京警察署に赴任。1937年(昭和12年)10月、満州国官吏を辞任し、同年11月、北京の北支派遣軍嘱託となり特務部総務課に配属。
佐川 義勇(さがわ ぎゆう、1896年(明治29年)8月21… 佐川 義勇(さがわ ぎゆう、1896年(明治29年)8月21日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。 熊本県上益城郡龍野村(現・甲佐町)に生まれる。1915年(大正4年)3月、熊本県立中学済々黌を卒業し、1920年(大正9年)2月、台湾総督府に奉職する。 1940年(昭和15年)7月、地方理事官に進み、嘉義市助役に就任。ついで1942年(昭和17年)4月、高雄州岡山郡守に就任した。
林田 正治(はやしだ まさはる、1892年8月3日 - 19… 林田 正治(はやしだ まさはる、1892年8月3日 - 1979年12月14日)は、日本の内務官僚、政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、熊本市長(16代)、新竹州知事。 熊本県下益城郡城南町(現熊本市南区)に生まれる。済々中学、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業し、1918年(大正7年)内務省に入省する。のち渡台し、1939年(昭和14年)新竹州知事を務める。 終戦後の1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙に熊本選挙区から日本進歩党より出馬し当選。1948年(昭和23年)熊本市助役を経て、1952年(昭和27年)第16代熊本市長に就任。1956年(昭和31年)第4回参議院議員通常選挙では熊本県選挙区から無所属で出馬し当選する。
安詮院 貞熊(あぜぶ さだくま、1889年〈明治22年〉4月… 安詮院 貞熊(あぜぶ さだくま、1889年〈明治22年〉4月27日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。彰化市尹、台中市尹。 熊本県玉名郡伊倉町大字伊倉出身。1903年(明治36年)玉名郡南都尋常高等小学校卒業。1904年(明治37年)7月、熊本県小学校准訓導検定試験に合格し、玉名郡賢木小学校准訓導となる。1907年(明治40年)熊本県師範学校を退学。1912年(明治45年)3月、殖産局林業講習所を卒業する。 ついで、1915年(大正4年)文官普通試験合格後、翌年、新竹市庁に出仕。1920年(大正9年)3月に台湾総督府営林局書記、同年同府属、1932年(昭和7年)台湾総督府地方理事官を経て、台北州基隆郡守となる。
蔵原 敏捷(くらはら としかつ、1888年8月15日 - 1… 蔵原 敏捷(くらはら としかつ、1888年8月15日 - 1945年8月7日)は、日本の官僚、政治家。元和歌山県知事。衆議院議員(3期)。官僚としては内務省の警察関連部門で長く勤めた。 熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。小川尋常小学校、熊本県立八代中学校(1906年3月卒業)、第五高等学校(1909年7月卒業)を経て、1913年7月に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 大学卒業後の1913年10月に高等文官試験に合格した。以後は内務省官僚となる。1914年8月に大阪府警察部警部、1916年12月から同警視を務めた後、1922年6月に東京府理事官に異動し、その直後から欧米に約1年3か月出張した。
稗方 弘毅(ひえかた こうき、1887年(明治20年)9月2… 稗方 弘毅(ひえかた こうき、1887年(明治20年)9月20日 - 1973年(昭和48年)3月8日)は、日本の内務官僚、教育者。官選秋田県知事。 熊本県下益城郡海東村南海東小園に、海東村長・稗方惟一の長男として生まれる。熊本県立中学済々黌、第五高等学校を経て、1913年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し熊本県属となる。以後、大正4年(1915年)に山口県警視、大正6年(1917年)に山口県佐波郡長、大正7年(1918年)に宮城県理事官、大正10年(1921年)に福岡県理事官から内務省に異動し国勢院書記官となり、大正13年(1924年)11月に山梨県書記官・内務部長となり、その後、神奈川書記官・内務部長などを歴任。
東郷 彪(とうごう ひょう、1885年〈明治18年〉2月28… 東郷 彪(とうごう ひょう、1885年〈明治18年〉2月28日 - 1969年〈昭和44年〉6月5日)は、日本の農商務官僚、宮内官僚、政治家。爵位は侯爵。東郷平八郎の子。宮内省内匠寮御用掛、貴族院議員などを歴任した。 温厚な人柄、恬淡とした性格で我が道を進み、新宿御苑で菊栽培などを手がけ、菊づくりの拡充強化に大きく貢献した。 東郷平八郎の長男として、1885年(明治18年)鹿児島県に生まれた。学習院に入るがその後中学済々黌を経て、1911年(明治44年)、東京高等農学校(現東京農業大学)を卒業した。卒業後は、農商務省の農事試験場興津園芸試験場(現在の農研機構果樹研究所·カンキツ研究興津拠点)に勤務した。
大塚 惟精(おおつか いせい、1884年〈明治17年〉12月… 大塚 惟精(おおつか いせい、1884年〈明治17年〉12月11日 - 1945年〈昭和20年〉8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員。熊本県士族。 栃木・福岡・石川・広島の各県知事を歴任し、中国地方総監在任中に原爆投下により被爆死した。 細川侯爵家に仕えた書家・大塚惟一の長男として熊本県に生まれる。 済々黌中学・五高を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、11月、高等文官試験に合格し翌12月、内務省に入省、愛知県属(内務部庶務課)となった。そして徳島県・宮城県・神奈川県の警察部長を歴任したのち、栃木県知事(1924年(大正13年)6月 - 1926年(大正15年)9月)、福岡県知事(1926年(大正15年)9月 - 1927年(昭和2年)5月)、石川県知事(1927年(昭和2年)5月、ただし1日のみの在任)を務めた。
福田 虎亀(ふくだ とらかめ / とらき、1884年(明治1… 福田 虎亀(ふくだ とらかめ / とらき、1884年(明治17年)7月27日 - 1970年(昭和45年)2月15日)は、日本の内務官僚、政治家。熊本市長、官選山梨県知事、衆議院議員。俳句を嗜み「石馬」と号した。 熊本県玉名郡伊倉村(現在・玉名市)出身。福田恭敬の長男として生まれる。熊本県立熊本中学校、官立第五高等学校を経て、1912年7月に東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1913年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1914年(大正3年)内務省に入省し同年4月に熊本県属となる。 以後、熊本県警部、同葦北・阿蘇・飽託の各郡長、愛知県理事官、福島県警察部長、岡山県警察部長、警察講習所教授兼内務事務官、富山県書記官・内務部長、福岡県若松市長、京都府内務部長などを歴任。
中島 鉄平(鐵平、なかじま てっぺい、1884年(明治17年… 中島 鉄平(鐵平、なかじま てっぺい、1884年(明治17年)1月1日 - 1936年(昭和11年)11月1日 )は、熊本県上益城郡大山町出身の大正・昭和期の大蔵官僚。 中島又平の二男として生まれた。旧制熊本中学(現熊本県立熊本高等学校)、旧制第五高等学校を卒業。1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年7月、大蔵省に入省して専売局書記に任官し専売局製造部に配属された。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 以後、京都税務監督局経理部長、東税務署長、神戸税関監査課長兼徴収課長、同総務課長などを経て、1920年(大正9年)5月、主税局に転じ、長年にわたり関税課長として関税行政事務を率いた。
新開 渧観(しんかい ていかん、1883年(明治16年)8月… 新開 渧観(しんかい ていかん、1883年(明治16年)8月5日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。福岡県八幡市長。神奈川県小田原町長。茨城県日立市長。 熊本県熊本市出身。1900年(明治33年)に第五高等学校に入学し、1903年(明治36年)に卒業。その後、東京帝国大学法科大学に入学し、1908年(明治41年)に卒業し、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。群馬県警視、同事務官、栃木県理事官、宮崎県警察部長、岩手県警察部長、愛知県警察部長などを歴任。1921年(大正10年)からは石川県内務部長を務めた。 退官後の1926年(大正15年)には八幡市長に就任した。1935年(昭和10年)には小田原町長に選ばれ、さらに1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで日立市長を務めた。
高橋 守雄(たかはし もりお、1883年〈明治16年〉1月1… 高橋 守雄(たかはし もりお、1883年〈明治16年〉1月1日 - 1957年〈昭和32年〉5月6日)は、日本の内務官僚である。警視総監。 熊本県上益城郡浜町(現:山都町)に生まれる。熊本士族・高橋彌八郎の長男。 済々黌、旧制七高造士館を経て1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、高等文官試験に合格。翌年内務省に入り、警視庁警視となる。1910年(明治43年)、家督を相続する。 その後、石川県事務官・警察部長、岐阜県警察部長、新潟県警察部長、新潟県内務部長、京都府内務部長、内務監察官等を経て、1922年(大正11年)に第7代熊本市長となった。熊本市長時代には、市内の近代化を推進し、上水道や市電の整備、旧十三連隊跡の市街地編入の三大事業を完成させた。
岡本 佃(おかもと つくだ、1878年(明治11年)7月7日… 岡本 佃(おかもと つくだ、1878年(明治11年)7月7日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。北海道釧路市長。 熊本県下益城郡隈庄町(現在の熊本市南区)出身。日本大学に学び、1907年(明治40年)11月に文官高等試験に合格した。熊本県属、同警視、香川県事務官、同理事官・視学官、福島県警察部長などを歴任した。1919年(大正8年)に海軍事務官・臨時南洋群島防備隊民政部附となり、翌年からは台湾総督府に転じ、台北州警察部長、新竹州内務部長、警務局警務課長を歴任した。 退官後の1926年(大正15年)1月18日に釧路市長に選出された。1月20日に就任、市の基盤整備に尽力し、1927年(昭和2年)6月7日に市長を退任した。
林 市蔵(はやし いちぞう、1867年12月23日(慶応3年… 林 市蔵(はやし いちぞう、1867年12月23日(慶応3年11月28日) - 1952年(昭和27年)2月17日)は、日本の内務官僚、銀行家。府県知事、日本信託銀行頭取。 熊本藩士・林慎蔵の長男として生まれる。五歳で父が死去し、母・亀寿により育てられ、苦学して中学済々黌、第五高等学校を経て、1896年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業。拓殖務省に入り拓殖務属となる。1897年7月、拓殖務省の廃止に伴い内務省に移り内務属として北海道局に配属された。1898年12月、文官高等試験行政科試験に合格。 1899年5月、警察監獄学校教授に就任。以後、兼内務省参事官、山口県書記官、同県第一部長、広島県事務官・第一部長兼第三部長、新潟県内務部長などを歴任。
清浦 奎吾(きようら けいご、旧字体: 淸浦 奎吾、1850… 清浦 奎吾(きようら けいご、旧字体: 淸浦 奎吾、1850年3月27日〈嘉永3年2月14日〉- 1942年〈昭和17年〉11月5日)は、日本の官僚、政治家。位階勲等爵位は従一位大勲位伯爵。幼名は普寂(ふじゃく)。旧姓大久保(おおくぼ)。 肥後(現在の熊本県)出身。司法・内務官僚として活躍した後に貴族院議員となり、官界や貴族院に大きな影響力を持った。その後、司法大臣、農商務大臣、内務大臣、枢密顧問官、枢密院副議長、枢密院議長を歴任。 1924年(大正13年)に第23代内閣総理大臣として組閣したが、超然主義との批判を受け、選挙に大敗したため5か月で総辞職した。その後は重臣として国事に関与した。 嘉永3年(1850年)2月14日、肥後国山鹿郡上御宇田村(現:山鹿市鹿本町来民)の明照寺(浄土真宗本願寺派)住職・大久保了思の五男に生まれ、後に清浦の姓を名乗った。
大塚 貢(おおつか みつぐ、1850年1月18日(嘉永2年1… 大塚 貢(おおつか みつぐ、1850年1月18日(嘉永2年12月6日) - 没年不詳)は、明治期の大蔵・内務官僚。官選茨城県知事(未赴任)。旧姓・池上。 肥後国熊本で熊本藩士・池上貞雄の三男として生まれ、大塚郁太郎の養子となる。 明治5年(1872年)、白川県十五等出仕に任官。以後、福岡県第三課長、山口県収税長、東京府収税長などを歴任。1896年11月1日、司税官・東京税務管理局長(初代)に就任。その後、名古屋税務管理局長を経て、1898年11月28日、内務省に転じ北海道庁事務官・内務部長に就任。1905年4月19日、北海道庁官制の改正に伴い、内務部長が第一部長に改称された。 上司の園田安賢長官と関係を深め、園田と進退を共にして同時に辞表を提出。
井上 毅(いのうえ こわし、天保14年12月18日〈1844… 井上 毅(いのうえ こわし、天保14年12月18日〈1844年2月6日〉- 明治28年〈1895年〉3月17日)は、明治期の日本の官僚、政治家。大日本帝国憲法起草者の一人。栄典は正三位勲一等子爵。 肥後国熊本藩家老・長岡是容(監物)の家臣・飯田家に生まれ井上茂三郎の養子になる。必由堂、藩校時習館で学び、江戸や長崎へ遊学。明治維新後は大学南校で学び明治政府の司法省に仕官、1年かけた西欧視察におもむく。帰国後に大久保利通に登用され、その死後は岩倉具視に重用される。明治十四年の政変では岩倉具視、伊藤博文派に属する。 安定政権を作れる政府与党が出来る環境にない現在の日本で議院内閣制を導入することの不可を説いて、ドイツ式の国家体制樹立を説き、国学等にも通じ、伊藤と共に大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などの起草に参加した。
徳富 一敬(とくとみ かずたか、いっけい、文政5年9月24… 徳富 一敬(とくとみ かずたか、いっけい、文政5年9月24日(1822年11月7日) - 大正3年(1914年)5月26日)は、幕末から明治にかけての日本の儒学者(朱子学者)、官僚、教育者。徳富蘇峰、徳富蘆花の父。淇水(きすい)と号した。 肥後国葦北郡水俣郷(後の熊本県水俣市)に、惣庄屋の長男として生まれ、幼児には万熊、後には太多助、太多七などと称した。一敬の父は辛島塩井の高弟で、津奈木手永惣庄屋の徳富美信。美信は鶴眠と号し、肥後を訪れた頼山陽に会っている。 一敬は1837年から、近藤英助の私塾で教えを受けつつ藩校時習館に学ぶが、1842年に父の死去により惣庄屋の務めのため帰郷した。1845年に横井小楠の門下となった。
小野 平八郎(おの へいはちろう)は、日本の財務官僚。202… 小野 平八郎(おの へいはちろう)は、日本の財務官僚。2025年日本国際博覧会協会副事務総長(理事)、財務省大臣官房付派遣職員。 財務省主税局総務課長、財務省大臣官房審議官、財務省総括審議官、財務総合政策研究所副所長兼ウズベキスタン金融財政アカデミー(BFA)名誉第一副院長などを歴任した。 北海道登別市に生まれ、熊本県熊本市で育った。熊本大学教育学部附属中学校、熊本県立熊本高等学校を卒業後、東京大学に進学。 父は自衛官で、平八郎の名は東郷平八郎にちなむとも云われる。一家4人で自衛官の官舎に住まい、中学・高校時代は常に成績が学年トップであり、東大合格組の中でもレベルが違うといわれていたという。のみならず、ラグビー部でもリーダーシップを発揮。
鋤崎 幸浩(すきさき ゆきひろ)は、日本の防衛官僚。 熊本市… 鋤崎 幸浩(すきさき ゆきひろ)は、日本の防衛官僚。 熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て、一橋大学法学部卒業後、平成6年防衛庁入庁。 平成6年4月 防衛庁入庁 平成20年8月 運用企画局事態対処課部員(総括) 平成22年8月 地方協力局地方調整課部員(先任) 平成23年9月 情報本部 平成24年9月 地方協力局地方協力企画課企画調整官 平成25年7月 地方協力局地方協力企画課グアム移転事業室長 平成27年10月 大臣官房企画官(国会担当) 平成28年7月 南関東防衛局企画部長 平成30年10月 統合幕僚監部参事官 令和2年8月 人事教育局服務管理官 令和3年7月 統合幕僚監部首席参事官 令和4年8月 大臣官房米軍再編調整官 令和5年7月 経済産業省大臣官房審議官(貿易経済協力局・国際技術戦略担当)
橋口 典央(はしぐち のりお)は、日本の総務官僚。総務省政策… 橋口 典央(はしぐち のりお)は、日本の総務官僚。総務省政策統括官や、総務省郵政行政局長、総務省行政管理局長、内閣官房内閣審議官兼行政改革推進室長、一般財団法人行政管理研究センター理事長等を歴任した。 熊本県立熊本高等学校を経て、九州大学法学部卒業。1976年行政管理庁入庁。総務省政策統括官(統計基準担当)として統計法改正などを担当したのち、総務省郵政行政局長。総務省行政管理局長、内閣官房内閣審議官(内閣官房行政改革推進室長)を務め、行政改革などにあたった。2012年総務省大臣官房付、退官、みずほ信託銀行株式会社業務顧問。2016年一般財団法人行政管理研究センター理事長。2022年瑞宝中綬章受章。
田代 功(たしろ いさお)は、日本の官僚、郵政官僚。熊本県出… 田代 功(たしろ いさお)は、日本の官僚、郵政官僚。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、東京大学法学部卒業。 昭和33年に郵政省に入省する。 45年、熊本郵政局資材部長、九州電波監理局監督部長、総務部長などを経て55年、本省大臣官房文書課長、56年、審議官。 60年、九州郵政局長、本省大臣官房資材部長などを経て本省郵務局長を最後に退官した。 退官後は東京放送(現・TBS)常務取締役を務めた。
広瀬 続(ひろせ つづく)は、日本の教育者、官僚。 熊本県に… 広瀬 続(ひろせ つづく)は、日本の教育者、官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1923年卒業)、広島高等師範学校第二教員養成所を経て、京城帝国大学法文学部を卒業した。 山梨県立日川中学校教諭などを歴任後、朝鮮総督府に入り、総督府警務局編修官となる。 太平洋戦争中は従軍した。戦後は郷里である熊本に引き上げ、母校である玉名高校で教諭や教頭を歴任した。
藤原 保明(ふじわら やすあき)は昭和期の日本の官僚。 熊本… 藤原 保明(ふじわら やすあき)は昭和期の日本の官僚。 熊本県立玉名中学校(1908年卒業)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業した。1915年に高等文官試験に合格し、逓信省に入省する。 満州国建国後には郵務司長として赴任した。その後、名古屋逓信局長、大阪逓信局長を経て、1938年に初代航空局長官に就任した。