楠岡 由浩(くすおか よしひろ、2004年4月16日 - )… 楠岡 由浩(くすおか よしひろ、2004年4月16日 - )は、日本の陸上競技選手。熊本県合志市出身。帝京大学医療技術学部スポーツ医療学科在学中。 合志市立西合志中学校、慶誠高等学校出身。 高校時代に5000mで13分55秒84を記録。高校卒業後は帝京大学に進学した。なお、帝京大学に13分台のランナーが入学するのは初めてであった。 1年時はけがのため三大駅伝の出場はなかった。 2024年10月の第36回出雲駅伝で三大駅伝デビューを果たした。11月に開催された第56回全日本大学駅伝では6区を区間4位で走った。 2025年1月の第101回箱根駅伝では5区を走るも、区間17位と苦戦した。3月16日に行われたエキスポ駅伝では6区区間2位だった。
鶴川 正也(つるかわ まさや、2002年6月2日 - )は、… 鶴川 正也(つるかわ まさや、2002年6月2日 - )は、熊本県熊本市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。熊本市立託麻中学校、九州学院高等学校卒業、青山学院大学総合文化政策学部総合文化政策学科卒業。現在はGMOインターネットグループに所属している。
井川 龍人(いがわ りゅうと、2000年9月5日 - )は、… 井川 龍人(いがわ りゅうと、2000年9月5日 - )は、日本の陸上競技選手、専門は長距離種目。九州学院高等学校・早稲田大学スポーツ科学部卒業。旭化成陸上部所属。2025年ニューイヤー駅伝の優勝メンバー。 インターハイの5000mでは14分17秒47で日本人1位となる5位に入った。第73回国民体育大会の少年A5000mでは14分04秒21で日本人1位となる2位に入った。 日本クロカンU20男子の部では23分55秒で3位だった。第43回世界クロスカントリー選手権大会U20男子では27分07秒で56位だった。 全日本駅伝では2区を走り31分51秒で区間5位だった。 第97回箱根駅伝では1区を走り、1時間03分17秒の区間5位で走った。
田浦 英理歌(たのうら えりか、2000年2月1日 - )は… 田浦 英理歌(たのうら えりか、2000年2月1日 - )は、日本の陸上競技選手、長距離走。 熊本県宇城市出身。ルーテル学院高等学校時代は全国高等学校駅伝競走大会に補欠登録で出場は叶わなかった。 高校卒業後は東洋大学に進学。1年次の全日本大学女子選抜駅伝競走大会 (富士山女子駅伝) 、2年次の全日本大学女子駅伝対校選手権大会ではともに1区を任された。同年次の富士山女子駅伝最終7区では17位で襷を受けたものの7人抜き。鈴木優花、和田有菜、真部亜樹ら有力選手を抑えて区間賞を獲得。 2022年 積水化学に入社。翌年の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会 (クイーンズ駅伝) で1区を区間5位と好走し、チーム優勝。
矢田 みくに(やだ みくに、1999年10月29日 - )は… 矢田 みくに(やだ みくに、1999年10月29日 - )は、日本の陸上競技選手。5000mの室内アジア記録保持者。アジアジュニア選手権5000m覇者。 熊本県熊本市出身。熊本市立力合中学校、ルーテル学院高等学校で陸上競技部に所属。 高校2年生のとき、U20陸上世界選手権日本代表に選ばれる。熊本県高校総体3000m3連覇。2016年、高校総体南九州大会3000mで大会新記録、熊本県新記録を樹立して優勝。在学中、3000mの熊本県記録、熊本県高校記録、5000mの熊本県記録を樹立した。 高校卒業後、2018年にデンソーに入社、デンソーフリートセローズに所属する。2018年、アジアジュニア選手権5000mで16分31秒65で優勝。
飯田 怜(いいだ れい、1999年 - )は日本の元陸上競技… 飯田 怜(いいだ れい、1999年 - )は日本の元陸上競技選手。 熊本県上益城郡甲佐町出身。小さい頃から走ることが得意で小学校ではバスケットボールをしていたが6年生で甲佐町ロードレース大会で優勝したことで甲佐町立甲佐中学校では陸上部に所属、3年生で熊本県中学校体育連盟陸上競技大会800メートル走で3位入賞、ルーテル学院高等学校では寮生活を送り、主将として3年生の時に学校初の全国高等学校駅伝競走大会出場を果たす。熊本県高校総体陸上1500メートル競走で4位入賞、南九州大会で決勝進出。2018年に岩谷産業入社、陸上競技部に所属。 2018年10月21日開催の第4回プリンセス駅伝in宗像・福津で2区にエントリーしたが、第2中継所まで約250メートルの地点で転倒、それでも審判員に残りの距離を聞き、白線上を進む冷静さを見せ、倒れたり立ったり這いつくばったり流血しながらも、たすきリレーを行ったことで物議を醸した。
赤﨑 暁(あかさき あきら、1998年1月21日 - )は、… 赤﨑 暁(あかさき あきら、1998年1月21日 - )は、日本の陸上競技選手。クラフティア所属。専門種目は長距離走。熊本県菊池郡大津町出身。 大津町立大津中学校時代はバレーボール部に所属していたが、地元のマラソン大会では陸上部の選手よりも速かったこともあり、開新高校入学後に本格的に陸上を始める。中学校の1年先輩に古賀紗理那(女子バレー日本代表)がいる。熊本出身の岡田正裕に誘われる形で拓殖大学に入学すると、陸上競技部で急速に力をつけ、箱根駅伝には1年時から4年連続出場(第93回:10区12位、第94回:3区10位、第95回:1区18位、第96回:3区9位)。主将となった大学4年時の上尾シティハーフマラソンでは1時間01分46秒のタイムで、同僚のジョセフ・ラジニ・レメティキに次ぐ大学男子の部2位(日本人学生トップ)に入った。
三津家 貴也(みつか たかや、1995年8月2日 - )は、… 三津家 貴也(みつか たかや、1995年8月2日 - )は、日本の陸上競技選手・指導者、インフルエンサー、ランニングアドバイザー。熊本県玉名市出身。 熊本県立玉名高等学校で陸上競技(中距離走)を始める。インターハイ800mで6位。 筑波大学(体育専門学群)、大学院(人間総合科学研究科 体育学専攻)でランニングについて研究、学生個人選手権:1500m 6位、学術論文を3本投稿(国内誌1本、国際誌2本)、国際学会発表。 RUNNNING SCIENCE LAB でランニングコーチをしながら、陸上競技選手としても活躍。日本選手権800mに出場、PB:800m 1’50”11、1500m 3’46”33。
久保田 和真(くぼた かずま、1993年9月24日 - )は… 久保田 和真(くぼた かずま、1993年9月24日 - )は日本の陸上競技元選手。専門は中距離走・長距離走。熊本県菊池郡菊陽町出身。菊陽町立菊陽中学校、九州学院高等学校を経て青山学院大学教育人間科学部教育学科を卒業。現在は陸上競技界から引退している。
大津 顕杜(おおつ けんと、1991年12月7日 - )は、… 大津 顕杜(おおつ けんと、1991年12月7日 - )は、日本の陸上競技選手。熊本市立千原台高等学校、東洋大学卒業。トヨタ自動車九州陸上競技部所属。第90回東京箱根間往復大学駅伝競走における金栗四三杯(最優秀選手賞)の受賞者。立教大学男子駅伝部コーチ。
吉良 愛美(きら まなみ、1991年10月23日 - )は、… 吉良 愛美(きら まなみ、1991年10月23日 - )は、熊本県出身の陸上競技選手。専門はハードルと短距離走で、400mハードルの自己ベストは日本歴代6位の56秒63。2015年世界リレー女子4×400mの日本代表、2013年と2015年アジア選手権の女子400mハードルの銀メダリストである。 熊本県出身。合志市立西合志南中学校、熊本県立熊本商業高等学校、中央大学卒業。アットホーム所属。 熊本商業高等学校時代にはハードル種目を中心にインターハイと国民体育大会に出場した経歴を持つが、決勝には進出できなかった。高校時代の自己ベストは100mハードルが14秒24、400mハードルが1分01秒83。 5月に関東インカレの400mハードルを学生歴代9位(当時)の57秒60で制し、個人種目でインカレ初タイトルを獲得すると、アンカーを務めた4×400mリレーでも優勝に貢献して2冠を達成した。
本田 匠(ほんだ たくみ、1991年7月25日 - )は、日… 本田 匠(ほんだ たくみ、1991年7月25日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走。熊本県山都町出身。九州学院高校、日本体育大学卒業後、旭化成陸上部に所属した。
吉本 ひかり(よしもと ひかり、1990年1月14日 - )… 吉本 ひかり(よしもと ひかり、1990年1月14日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は中距離・長距離種目。ダイハツ工業所属。 熊本県下益城郡出身。砥用町立砥用中学校(2004年11月より美里町立砥用中学校)1年の時から陸上競技を始めた。熊本信愛女学院高等学校に進学後中距離から長距離に転向した。 佛教大学教育学部教育学科に在学中の2010年アジア競技大会女子10,000mでは5位となった。2011年世界陸上競技選手権大会女子10,000mでは日本勢トップの14位となった。2009年、2010年の全日本大学女子駅伝ではアンカーを任され優勝のゴールテープを切っている。 大学卒業後、2012年4月にヤマダ電機へ入社。
園田 隼(そのだ はやと、1989年4月5日 - )は、日本… 園田 隼(そのだ はやと、1989年4月5日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門種目は長距離走・マラソン。主な実績に、2015年熊本城マラソン優勝、2016年福岡国際マラソン4位、2018年別府大分毎日マラソン2位、2018年アジア競技大会4位など。熊本県阿蘇郡西原村出身。丸刈りの髪型がトレードマークである。 2002年3月西原村立山西小学校、2005年3月西原村立西原中学校、2008年3月熊本国府高等学校、2012年3月上武大学ビジネス情報学部を卒業。2012年4月黒崎播磨入社、陸上競技部に所属した。 高校時代までは特に目立った実績を残せなかったが、上武大学(群馬県伊勢崎市)進学後は、1996年アトランタオリンピック・2000年シドニーオリンピック日本男子長距離走代表の花田勝彦監督から指導を受け、箱根駅伝競走へ2度出走。
江里口 匡史(えりぐち まさし、1988年12月17日 - … 江里口 匡史(えりぐち まさし、1988年12月17日 - )は、日本の元陸上競技選手で、専門は短距離走。熊本県菊池市出身。熊本県立鹿本高等学校、早稲田大学スポーツ科学部卒業。大阪ガス所属。 鹿本高校時代の2006年10月第61回国民体育大会少年男子100mで優勝。2007年に早稲田大学入学、1年目から日本インカレ100mで優勝を果たすなど活躍を見せた。その後故障に見舞われた時期があり、オリンピックへ出場はしていない。2008年9月27日の早慶対抗競技会では、4×200mリレーの1走を務めて1分22秒67の日本新記録を樹立した。大学3年に進級した後、2009年6月28日の第93回日本選手権男子100m決勝で、10秒14のタイムで初優勝を飾った。
堀端 宏行(ほりばた ひろゆき、1986年10月28日 - … 堀端 宏行(ほりばた ひろゆき、1986年10月28日 - )は、日本の元男子陸上競技(長距離走・マラソン)選手。熊本県八代市出身。189 cm・68Kg。2011年世界陸上大邱大会男子マラソン6位入賞。 2005年3月、熊本県立八代東高等学校卒業。高校時代は国体男子5000m代表として出場した事がある位の、全国的には無名の選手だった。同年4月、宮崎県延岡市拠点の旭化成に入社・陸上部に入部後、着実に力を付けた。初マラソンは2008年2月の東京マラソン男子の部で9位。 2011年3月のびわ湖毎日マラソンでは、31Kmを過ぎて今井正人と足が接触した際に大きくバランスを崩し、あわや転倒しかけるアクシデントで一旦は今井との差が開いた。
上野 飛偉楼(うえの ひいろう、1984年8月9日 - )は… 上野 飛偉楼(うえの ひいろう、1984年8月9日 - )は、日本の元陸上競技(長距離)選手、タレント。熊本県鎮西高等学校、日本体育大学卒業。AVILLA STAGEに所属していた。熊本県玉名郡菊水町(現:和水町)出身。身長175cm 、58kg。 高校 5,000m 14分13秒3、3000mSC インターハイ出場、クロスカントリー 日本代表とマルチランナー(高体連陸上競技専門部記録)。大学 全日本大学駅伝 1年時 7区区間賞、箱根駅伝 1年時 6区区間10位(日本学生陸上競技連盟記録)。2005年(平成17年)箱根駅伝、この年の日体大は、強豪駒澤大学に負けて準優勝であった。上野を欠いた日体大はあと一歩のところで優勝を逃がした。
濱田 淳(はまだ じゅん、1983年11月6日 - )は、熊… 濱田 淳(はまだ じゅん、1983年11月6日 - )は、熊本県天草市出身の男子元陸上競技選手。400mハードルが専門で、現在は陸上指導者として活動中。陸上・スポーツの普及活動に努めている。THE RIKUJO 代表。 2002年日本ジュニア選手権において優勝。2002年世界ジュニア選手権では、準決勝進出した。身長177cm、体重62kg。 本渡市立本渡中学校から九州学院高等学校、福岡大学スポーツ科学部を経て福岡大学大学院修了。 大学院修了後、スポーツ企業に入社。陸上スクールの指導者として自身の競技経験から陸上の普及活動に積極的に取り組む。 2022年、独立。運動の得意・不得意、年齢、性別、障がいの有無など関係なく、誰もが自由にスポーツを楽しむ環境作りに努める。
阿蘇品 照美(あそしな てるみ、1982年8月2日 - )は… 阿蘇品 照美(あそしな てるみ、1982年8月2日 - )は、日本の元陸上競技選手(長距離走)。熊本県阿蘇郡一の宮町(現・阿蘇市)出身。 一の宮町立一の宮中学校時代の1997年に第15回全国都道府県対抗女子駅伝で3区に出場、区間賞を取り、熊本県チームの優勝に貢献した。熊本信愛女学院高等学校を経て2001年に京セラに入社。長距離選手として活動した[要出典]。 2003年12月の第24回全日本実業団女子駅伝では、同じ区間(3区)を走った渋井陽子と同タイムの区間賞であった。 2005年には4月の兵庫リレーカーニバルの女子10000メートル (m)で世界陸上選手権の参加記録Aを突破する31分23秒55を記録して2位(日本人最高順位)となったが、代表選考会となる6月の日本陸上競技選手権大会では31分59秒01のタイムで8位に終わり、代表選出はならなかった。
尾田 賢典(おだ よしのり、1980年12月5日 - )は、… 尾田 賢典(おだ よしのり、1980年12月5日 - )は、熊本県山鹿市出身の陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。2011年世界陸上大邱大会男子マラソン日本代表。大牟田高等学校、関東学院大学卒業。現役時代はトヨタ自動車陸上長距離部に所属した。東洋大学→日産自動車陸上競技部→西鉄駅伝部に在籍していた尾田寛幸は弟である。 大牟田高校では2年次まで主力選手ではなかったが、3年生になると頭角を現し第49回全国高校駅伝では6区で区間賞を獲得した。 関東学院大学では1年次からチームのエースとして活躍。箱根駅伝は3回出場し、1年次の第76回大会では華の2区を務めるも区間最下位。3年次の第78回大会では1区に起用されリードを奪うことが求められるも、終盤まで大集団のまま牽制が続き区間5位に終わる。
末續 慎吾(すえつぐ しんご、1980年〈昭和55年〉6月2… 末續 慎吾(すえつぐ しんご、1980年〈昭和55年〉6月2日 - )は、日本の陸上選手。熊本県熊本市出身。北京オリンピック男子4×100mリレー銀メダリスト。 東海大学で高野進の指導を受ける。高野が日本人の体格に合わせて構築した走法を完成させ、世界陸上2003年パリ大会の200mで3位となった。日本人でこの種目のメダル獲得は初めて。また、2006年のアジア大会の200mで2連覇するなどし、全盛期にはパトリック・ジョンソンとともに、「現役世界最速の非ネグロイド」とも言われた。 400mは練習の一環として取り組むが、学生時代には関東学生陸上競技対校選手権大会の4×400mリレー決勝で、東海大学のアンカーとして走り、44秒7のラップタイムで走った。
上野 理恵(うえの りえ、1976年6月11日 - )は、日… 上野 理恵(うえの りえ、1976年6月11日 - )は、日本の元陸上競技選手。長距離走。熊本市立商業高等学校、順天堂大学卒業、積水化学に所属した。1999年日本陸上選手権1500m優勝者。
川上 優子(かわかみ ゆうこ、1975年8月1日 - )は、… 川上 優子(かわかみ ゆうこ、1975年8月1日 - )は、1990年代後半から2000年代初期に活躍した、女子陸上競技(長距離走)元選手・指導者。キヤノンアスリートクラブ九州アドバイザー。1996年アトランタオリンピック(7位入賞)と2000年シドニーオリンピック(10位)は共に女子10000m代表として出場した。 熊本県下益城郡松橋町(現在の宇城市)出身。熊本信愛女学院高校卒業。 信愛女学院高校在学中の1991年度・1993年度には全国高校女子駅伝に出場した。1991年度の1年時は4区3kmを走り、区間6位(チームは5位)で走り、1993年度の3年時は準エース区間2区4.0975kmを走り、区間3位(チームは6位)であった。
大島 唯司(おおしま ただとも、1974年9月27日 - )… 大島 唯司(おおしま ただとも、1974年9月27日 - )は、熊本県出身の陸上競技指導者。熊本県立熊本高等学校、亜細亜大学卒業。JR東日本ランニングチーム監督や亜細亜大学陸上競技部総監督を歴任。 熊本県立熊本高等学校卒業後は陸上競技の強豪・亜細亜大学に進学。入学後からマネージャーとして所属。 大学卒業後はコニカミノルタに入社。 2013年からは東京都立松が谷高等学校社会科教諭として教壇に立つ。同校では陸上部の監督も務め、都立高校を東京有数の強豪校に成長させた。 2018年からJR東日本ランニングチームの監督に就任。 JR東日本ランニングチームの監督を退任し、2025年4月1日付で母校の亜細亜大学陸上競技部の総監督に就任。
池上 洋二郎(いけがみ ようじろう、1974年6月25日 -… 池上 洋二郎(いけがみ ようじろう、1974年6月25日 - )は、日本の元陸上競技選手、元競輪選手。熊本県山鹿市出身。 日本競輪学校第77期生。同期には小倉竜二、小野俊之らがいる。1996年4月13日、小倉競輪場でデビューし、初勝利も同日。 2010年1月26日選手登録削除。通算戦績978戦205勝、優勝8回。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
本川 一美(ほんかわ かずみ、1972年1月12日 - )は… 本川 一美(ほんかわ かずみ、1972年1月12日 - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。熊本県出身。順天堂大学卒業。現在はSUBARU陸上競技部コーチを務める。 熊本県立熊本工業高等学校、順天堂大学出身。 1、2年時は地区予選で九州学院高等学校に敗れ、全国高校駅伝に出場することはできず。3年時は記念大会(第40回大会)の南九州地区代表として出場し、1区を走ったが、区間52位に終わった。 箱根駅伝は4年連続で2区を出走。1年時は区間6位だった。2年時の第68回大会では4年連続2区区間賞を狙ったジョセフ・オツオリを抑えて区間賞を獲得する活躍を見せた。 3年時の第69回大会では右足の疲労骨折で区間最下位に沈んだが、4年時の第70回大会では区間2位と再び好走した。
浦田 春生(うらた はるお、1962年3月9日 - )は、日… 浦田 春生(うらた はるお、1962年3月9日 - )は、日本の陸上競技選手。陸上競技指導者。専門は長距離走。熊本県天草市出身。九州学院高等学校、中央大学経済学部国際経済学科卒業。本田技研工業入社後、選手として競技生活を経て、1995年から2002年、同社陸上競技部監督就任。2008年から2016年は中央大学陸上競技部駅伝監督。息子の浦田優斗も陸上長距離種目選手。 1992年バルセロナオリンピックおよび1991年世界陸上競技選手権大会男子10000m日本代表。身長171cm、体重59kg(1992年当時)。 1977年九州学院高校に入学、九州高校駅伝や1979年滋賀インターハイ5000mに出場した。
豊田 敏夫(とよた としお、1956年7月19日 - )は日… 豊田 敏夫(とよた としお、1956年7月19日 - )は日本の男子陸上競技選手。専門は短距離走。熊本県人吉市出身。
岡田 正裕(おかだ まさひろ、1945年7月27日 - )は… 岡田 正裕(おかだ まさひろ、1945年7月27日 - )は、熊本県熊本市出身の元陸上競技選手・現指導者。専門は現役時・指導者ともに長距離走である。鎮西高等学校、亜細亜大学出身。 大学3年時には主将を務め、第43回箱根駅伝で母校を初出場に導く。同大会では9区を走り区間9位。チームは総合11位でシード権を逃した。4年時の第44回大会では3区を走り区間10位。チームは総合8位で初のシード権を獲得した。 1968年に地元食品メーカーのフンドーダイに就職。営業として社業に従事しながら陸上競技を継続。九州一周駅伝に10年連続出場し、33歳で現役を引退。 1986年から地元のスーパーマーケットチェーン・ニコニコドーに出向し女子陸上部を創設、監督に就任する。
布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2… 布上 正之(ぬのがみ まさゆき、1934年3月24日 - 2023年6月25日)は、日本の元陸上競技選手、指導者。熊本県山鹿市出身。中央大学卒業。 2年時の第30回箱根駅伝では9区を走る。2位の早稲田大学とは13秒差と首位で襷を受け、少しずつ差を離していたが、中継所から約300mにある戸塚踏切の警報器が鳴り始め、布上が通る直前に遮断機が降り始める。すると、遮断機をくぐるのにロスタイムがあってはいけないと、ムキになって駆け抜けた。しかし、このペースアップの影響で後半に失速し、早稲田大学に抜かれ、2位に後退。10区でも日本大学に抜かれて順位を一つ落とし、中央大学は総合優勝を逃した。この失敗が布上の選手、そして指導者としての原点になっているという。
田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 20… 田邉 定明(たなべ さだあき、1928年7月27日 - 2018年9月)は、日本の元陸上競技選手。熊本県玉名市出身。中央大学卒業。 陸上競技部の無い中学校の出身だったが、全学年が参加する2000m競走の体力測定が毎年あり、一番速かった。1946年に第五高等学校で戦後初の県大会が行われ、予選は一着で通過し、決勝では1位の選手と同タイムながら2位だった。 1947年に中央大学予科に入学。トラックでの成績は振るわなかったが箱根駅伝の6区を試走した際に、前回大会(第23回箱根駅伝)で6区を走った野谷守也を大幅に上回るタイムで走り、第24回箱根駅伝の6区に出場。氷点下8度の中、1時間20分38秒の記録で区間賞を獲得し、22年ぶりの総合優勝に貢献した。
谷口 睦生(たにぐち むつお、1913年(大正2年)3月5日… 谷口 睦生(たにぐち むつお、1913年(大正2年)3月5日 - 1943年(昭和18年)10月2日)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。昭和初期の日本陸上短距離界においては、吉岡隆徳とともに「双璧」と見なされた選手で、200m直走路で日本記録を更新、100mで日本学生記録タイをマークした。第二次世界大戦で戦死。 熊本県八代郡鏡町(現在の八代市)生まれ。宇土中学校(現在の熊本県立宇土中学校・高等学校)在学中より競技で頭角を現し、九州選手権(100・200メートル)の保持者であった。同窓の戸上研之(三段跳、山鹿出身)とともに、関西大学に入学。 「暁の超特急」と呼ばれた吉岡隆徳と並び、昭和初期日本陸上短距離界の双璧と見なされた選手で、1933年(昭和8年)には日比対抗東京大会で200メートル優勝。
戸上 研之(とがみ かねゆき/けんし、1912年8月1日 -… 戸上 研之(とがみ かねゆき/けんし、1912年8月1日 - 1986年)は、日本の陸上競技(跳躍)選手。1936年ベルリンオリンピックで男子走幅跳に出場した。 現在の熊本県山鹿市石(旧鹿本郡八幡村)出身。宇土中学校(現在の熊本県立宇土中学校・高等学校)に学び、同窓の谷口睦生(短距離走、八代出身)とともに関西大学に進学した。 1936年ベルリンオリンピックでは日本代表に選ばれ、走幅跳で出場。記録は6.18mで、予選を突破できなかった。 1937年(昭和12年)1月から5月にかけ、村社講平(中央大学)とともにニュージーランドに遠征。クライストチャーチにおいて三段跳で15m58を記録した(当時のニュージーランド記録を越える記録)。
多久 儀四郎(たく ぎしろう、1892年(明治25年) - … 多久 儀四郎(たく ぎしろう、1892年(明治25年) - ?)は、日本のスポーツ黎明期の陸上競技(中距離走・長距離走)選手。 熊本県生まれ。旧制玉名中学校(現在の熊本県立玉名高等学校・附属中学校)を卒業し、東京高等師範学校に入学。玉名中・東京高師で金栗四三の1年後輩にあたり、全盛期の金栗に鍛えられた「金栗門下生」と評される選手である。 1914年(大正3年)11月2日の全国陸上競技大会(現在の日本陸上競技選手権大会)では1500m走で4分44秒2を記録した(当時の日本記録)。1915年(大正4年)5月2日の第2回日本オリンピック大会(豊中運動場)でも1500m走で優勝している。1915年(大正4年)5月の極東選手権競技大会(第2回大会、上海)に出場。
林 香代子(はやし かよこ)は、日本の陸上競技選手、砲丸投選… 林 香代子(はやし かよこ)は、日本の陸上競技選手、砲丸投選手。 日本人女子としてはじめて16メートルプットを達成。日本陸上競技選手権大会10連覇を達成するなど、1970年代を代表する名選手として知られた。 長洲町立長洲中学校時代の1967年、中学女子用で16m16の大記録を樹立して注目を集めた。熊本県立熊本工業高等学校時代も14m43をマーク。インターハイ3連覇(広島、群馬、和歌山)、2、3年次は砲丸投げ・円盤投げの2冠王。その後、中京大学、熊本陸上競技協会に所属。熊本県立熊本高等学校、熊本県立大津産業高等学校では教師を務めた。日本陸上競技選手権大会では、砲丸投で昭和47年(1972年)第56回大会から昭和56年(1981年)第65回大会まで10連覇を達成した[リンク切れ]。