草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年… 草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年1月1日 - 2018年2月13日)は、日本の漫画家、イラストレーター。鹿児島県曽於郡末吉町出身。 1958年に上京し、川崎の東芝のテレビ工場に入社。その傍ら東京のお茶の水絵画研究所で8年間デッサンを学ぶ。1970年に退社しプロ入り。主に青年誌や新聞紙でナンセンス漫画を描く。 1977年『真夜中の子守歌』他作品にて第23回文藝春秋漫画賞受賞。 『農業共済新聞』にて『花咲かじいさん』を連載していた。 2018年2月13日に脳内出血のため死去。78歳没。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
寺園 喜基(てらぞの よしき、1939年12月1日 - )は… 寺園 喜基(てらぞの よしき、1939年12月1日 - )は、日本の神学者、九州大学名誉教授、日本バプテスト福岡城西キリスト教会協力牧師。 鹿児島県鹿児島市生まれ。ラ・サール高等学校在学中に受洗。西南学院大学神学部卒、九州大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程満期退学。ボン大学大学院博士課程修了。1972年九州大学助手、75年教養部助教授、85年教授、94年大学院比較社会文化研究科教授、98年定年退官、名誉教授、西南学院大学神学部教授。西南学院院長、2010年退職。2012年西南学院理事長を退職。
田畑 誠一(たばた せいいち、1939年〈昭和14年〉11月… 田畑 誠一(たばた せいいち、1939年〈昭和14年〉11月27日 - )は、日本の政治家。前鹿児島県いちき串木野市長(4期)。 鹿児島県串木野市(いちき串木野市)羽島地域の口之町出身。串木野市立羽島中学校(現・いちき串木野市立羽島中学校)卒業。運輸省海技大学校特修科卒業。 1975年(昭和50年)、串木野市議会議員に初当選。4期務めたのち、1991年(平成3年)に鹿児島県議会議員に初当選。県議時代は自由民主党に所属した。 2003年(平成15年)2月、串木野市長に初当選。 2005年(平成17年)10月11日、串木野市と日置郡市来町が合併し、いちき串木野市が誕生。これに伴って11月13日に行われた市長選挙で初当選。
塩津 義雄(しおつ よしお、1939年11月25日 - )は… 塩津 義雄(しおつ よしお、1939年11月25日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。 鹿児島商業では強打の内野手として知られ、1957年夏の甲子園東九州大会準決勝に進むが、高鍋高に完封負けを喫する。 1958年に大毎オリオンズへ入団。同年は最終戦で三塁手として初先発出場を果たす。翌1959年は内野のユーティリティプレイヤーとして13試合に先発。10月17日の後楽園球場での西鉄ライオンズとの最終戦で田中喜八郎からプロ入り初本塁打を記録。1960年は外野手も兼ね、準レギュラーとしてリーグ優勝に貢献。大洋ホエールズとの日本シリーズでは、最終第4戦で右翼手、八番打者として起用されるが1三振1四球に終わった。
中本 誠司(なかもと せいし、1939年11月10日 - 2… 中本 誠司(なかもと せいし、1939年11月10日 - 2000年4月3日)は、日本の芸術家、現代美術家。 1939年11月に鹿児島県屋久島で生まれた。1972年から海外放浪の旅に出た。1976年6月モニュメント(作品)として仙台市青葉区に「我々の家 中本誠司個人美術館」を完成させた。2000年4月3日逝去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
長野 力(ながの ちから、1939年(昭和14年)9月19日… 長野 力(ながの ちから、1939年(昭和14年)9月19日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県西之表市長(3期)、元西之表市議会議員(2期)。旭日小綬章受章。 鹿児島県西之表町(現西之表市松畠)生まれ。西之表市立住吉中学校、鹿児島県立種子島高等学校、中央大学法学部卒業。1964年4月、太陽銀行(現三井住友銀行)に入行し、1982年7月に太陽神戸銀行を退職。銀行退職後は田上病院(現種子島医療センター)に入職した。 1997年、故郷の西之表市の市議会議員選挙に立候補し、初当選した。2001年、市議再選。2004年、任期を1年弱残して市議を辞職した。 2005年、西之表市長選挙に自由民主党・民主党の推薦、公明党の支持を受けて立候補し、当選した。
草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日… 草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日 - 1991年〈平成3年〉2月27日)は、日本の俳優。台湾・台中市出身。妻は元女優の田島和子。 鹿児島県で幼少期を過ごし、1958年に明治大学に入学するが、すぐに中退した。 1961年、文学座附属演劇研究所に入所する。同期に岸田森、樹木希林、小川真由美、寺田農、橋爪功、北村総一朗らがいた。翌年に準座員として文学座に入団、1966年に座員へと昇格する。文学座の看板・杉村春子にも可愛がられたという。1963年に文学座の内紛に発展した『喜びの琴』では主役に抜擢されていたとされる。1967年に文学座を退団し、その前年に草野に先駆けて文学座を離れていた岸田らが結成していた「六月劇場」に参加、以降は映画・テレビドラマへの出演も多くなる。
長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 20… 長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 2018年6月25日)は、日本の政治家・政治評論家。鹿児島県議会議員、衆議院議員(3期)。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島玉龍高等学校第9回卒、同級生には元厚生労働大臣の尾辻秀久がいる。高校時代は弁論部で活動し、1957年10月に広島大学主催の全国高校弁論大会に出場、演題「高校生の使命に思う」で優勝。1963年、中央大学法学部政治学科卒業。 田中茂穂参議院議員秘書や鹿児島県議会議員、新自由クラブ鹿児島県連代表を経て、1980年第36回衆議院議員総選挙では鹿児島1区において自由民主党公認・中曽根派所属の新人候補として初当選、以降3期連続で務める。
保岡 興治(やすおか おきはる、1939年5月11日 - )… 保岡 興治(やすおか おきはる、1939年5月11日 - )は、日本の政治家、元裁判官、弁護士 (東京弁護士会所属)。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、党憲法改正推進本部長。法務大臣(第69代、第81代)、裁判官弾劾裁判所裁判長を歴任した。2016年10月からは裁判官訴追委員会委員長。
大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、193… 大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、1939年4月19日 - )は、日本の政治家、市民活動家。元神奈川県平塚市長(2期)、元平塚市議会議員(4期)。 鹿児島県川辺郡万世町小湊(現・南さつま市加世田小湊)に生まる。万世町立小湊小学校、加世田市立小湊中学校(加世田市立万世中学校に統合され現・南さつま市立万世中学校)、鹿児島県立加世田高等学校を経て、1958年鹿児島大学文理学部理学科(現・理学部)に入学し、2年次秋に化学科の専門課程へ進む。1962年、鹿児島大学文理学部を卒業して栗田工業に入社し、横浜市にある中央総合研究所に勤務。入社翌年の春頃から労働組合活動にかかわる。結婚退職後、1967年(昭和42年)3月に平塚市に転居。
御園生 誠(みそのう まこと、1939年3月1日 - )は、… 御園生 誠(みそのう まこと、1939年3月1日 - )は、日本の化学者。東京大学名誉教授。工学博士。専門は触媒化学、化学環境学。 鹿児島県出水市出身。1961年、東京大学工学部応用化学科卒業。1966年、東京大学大学院工学研究科合成化学専攻博士課程を終え、10月20日、「A study on heterogeneous acid catalysis」(「固体酸触媒反応に関する研究」)により工学博士の学位を授与される。東京大学助手、講師、助教授を経て、1983年4月より東京大学工学部教授。1999年3月、東京大学工学部教授退官。1999年4月、工学院大学教授就任。2005年3月、工学院大学教授退職。
松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月… 松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月9日 - 2012年〈平成24年〉9月10日)は、日本の政治家、建設官僚。 内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政民営化担当大臣(野田第2次改造内閣)、復興副大臣兼内閣府副大臣(野田第1次改造内閣)、経済産業副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣(規制改革、男女共同参画、国民生活、栄典などの担当)(第1次小泉内閣)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(5期)、国民新党副代表、同鹿児島県支部代表を歴任。 鹿児島県薩摩郡川内町(のちの川内市、現:薩摩川内市)出身。
上村 直己(かみむら なおき、1939年(昭和14年)-)は… 上村 直己(かみむら なおき、1939年(昭和14年)-)は、日本のドイツ学者、比較文化学者。学位は、博士(文学)。ドイツ学史および日独文化交流史が専門。熊本大学名誉教授。 鹿児島県出身。言語学者上村孝二鹿児島大学名誉教授の二男。兄は、比較文学者の上村和也(鹿児島大学名誉教授)。 幼少期、父・孝二の鹿児島県師範学校赴任にともない満洲国から鹿児島市へ移る。鹿児島県立甲南高等学校卒業。九州大学文学部ドイツ文学科卒業。九州大学文学研究科ドイツ文学専攻博士課程中退。富山大学助教授(ドイツ語)の後、熊本大学教養部教授を経て、1997年(平成9年)の教養部解体にともない熊本大学文学部教授(地域科学科空間地理学講座所属)。
和 秀雄(にぎ ひでお、1939年 - 2025年1月25日… 和 秀雄(にぎ ひでお、1939年 - 2025年1月25日)は、日本の霊長類学者、大阪大学名誉教授。 元北海道大学教授の和孝雄は兄。 鹿児島県・奄美大島生まれ。奄美小学校、名瀬中学校を経て、1957年鹿児島県立大島高等学校卒業、中央大学法学部法律学科中退、北海道大学理類に入学して獣医学部へ進み1962年3月卒業。1978年「ニホンザルの排卵前後の卵巣の形態学的変化に関する研究」で獣医学博士の学位を取得。(財)日本モンキーセンター研究員、日本獣医畜産大学教授、1996年大阪大学人間科学部人間生態学教授、2002年定年退官、名誉教授、広島国際大学社会環境科学部教授。1985年『ゴンはオスでノンはメス』で毎日出版文化賞を受賞。
黒江 透修(くろえ ゆきのぶ、1938年12月12日 - )… 黒江 透修(くろえ ゆきのぶ、1938年12月12日 - )は、鹿児島県姶良郡姶良町(現・姶良市)出身(台湾台北市生まれ)の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。旧名は幸弘。 父親は海軍軍人で、香港に移住後に除隊となってから、軍需品を扱う仕事をしていた。幼少期は裕福であったが、終戦を機に財産を消失して貧しくなる。1946年、両親の故郷である鹿児島市に引き揚げ、父親は精米所の経営を始めた。 黒江は8人兄弟の三男で、4人の男兄弟の中で最も運動神経に優れており、小学校3年生の時に野球を始める。両親は黒江をプロ野球選手にしたいとの夢を抱いており、『野球界』などの野球雑誌を買い与えられたほか、食事の際にも肉を兄弟の中で一番多く出されるなど、優遇されていたという。
徳田 秀子(とくだ ひでこ、1938年〈昭和13年〉6月2日… 徳田 秀子(とくだ ひでこ、1938年〈昭和13年〉6月2日 - )は、日本の薬剤師。徳洲会創設者徳田虎雄の妻。 医療法人徳洲会副理事長、社会福祉法人愛心会理事長、社会福祉法人秀心会理事長を歴任した。 鹿児島県徳之島町出身(生まれは大阪府大阪市だが、広島県安芸郡坂町で幼少期を過ごし、終戦後に両親の出身地である徳之島に移住)。鹿児島県立徳之島高等学校卒業後、鹿児島銀行徳之島支店に勤務する。 1学年上の幼馴染である徳田虎雄とは、徳田が阪大医学部生だった1959年に結婚。上阪。苦学の末1961年近畿大学薬学部に入学し、出産・子育てをしながら1967年卒業。卒業と同時に国家試験に合格し、薬剤師の資格を取得。
古川 洽次(ふるかわ こうじ、1938年4月26日 - )は… 古川 洽次(ふるかわ こうじ、1938年4月26日 - )は、日本の実業家。三菱商事取締役副社長等を経て、日本郵政グループで、ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役会長、郵便局代表取締役会長、日本郵便代表取締役会長を歴任した。 東京で生まれ、太平洋戦争中に母の故郷鹿児島県の現薩摩川内市に疎開した。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1962年九州大学法学部法律学科卒業、三菱商事入社、営業会計部配属。1992年取締役広報部長に昇格。1993年取締役人事部長。1995年常務取締役名古屋支店長。1999年取締役副社長。 2004年三菱自動車工業取締役副会長。2005年三菱商事常任顧問。2007年ゆうちょ銀行取締役兼代表執行役会長。
加治屋 義人(かじや よしと、1938年4月22日 - 20… 加治屋 義人(かじや よしと、1938年4月22日 - 2018年11月12日)は、日本の政治家。 自由民主党所属の参議院議員(2期)、宏池会副会長、農林水産副大臣(第2次安倍内閣)、農林水産大臣政務官(第2次小泉改造内閣)鹿児島県議会議員(3期)、鹿児島市議会議員(4期)などを歴任。 鹿児島県鹿児島市吉野町出身。1957年鹿児島県玉龍高等学校(現・鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校)卒業。高校では野球部に所属し、春の甲子園大会に出場。 1963年、参議院議員・谷口慶吉の秘書となる。1976年、鹿児島市議会議員選挙に立候補し初当選、以降4期務めた。1991年、鹿児島県議会議員選挙に自民党公認で鹿児島市選挙区より出馬し初当選。
下福 力(しもふく ちから、1938年1月16日 - 202… 下福 力(しもふく ちから、1938年1月16日 - 2026年2月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト。鹿児島大学名誉教授。 旧満洲国生まれ、鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立甲南高等学校に1954年4月入学、1957年3月卒業。高校在学中は音楽部に所属し、西部合唱コンクールに3年連続で県代表として出場。東京学芸大学音楽科を卒業し、同大学専攻科を1962年に修了。小島喜久寿、西勇恕が恩師。 東京学芸大学附属竹早中学校教諭、東京学芸大学講師、鹿児島大学講師、鹿児島大学助教授を経て、1980年に鹿児島大学教育学部音楽科教授就任。1983年、鹿児島県芸術文化奨励賞を受賞。2018年春、瑞宝中綬章を受章。
尾前 喜八郎(おのまえ きはちろう、1938年-)は、日本の… 尾前 喜八郎(おのまえ きはちろう、1938年-)は、日本の陶芸家。鹿児島県姶良市に窯を構えて活動。白薩摩の新たな魅力を引き出した作品が多数表彰される。日本工芸会正会員。鹿児島県美術協会名誉会員(元会長)。 鹿児島県鹿児島市加治屋町生まれ。1957年鹿児島県立甲南高等学校卒業。同高校では美術部に所属した。広告代理店のデザイナーを志望して日本大学芸術学部デザイン科に進学。同大学卒業後に広告代理店出身教授の助手を務めるが、進路を再考。弥生遺跡や薩摩の古窯を廻り、土の温もりを感じさせる土器に触れて、幼少期に父親によく連れられて行った東市来町美山(薩摩焼の最大の産地)の記憶もあって、陶芸の道に入ることを決める。
五代 友和(ごだい ともかず、1938年 - )は、鹿児島県… 五代 友和(ごだい ともかず、1938年 - )は、鹿児島県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 鹿児島玉龍高校では、エースとして1956年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で県岐阜商の田中和男に完封を喫する。同年夏は県予選を勝ち抜き東九州大会に進むが、1回戦でエース三浦清弘を擁する別府鶴見丘高に完封負け。 立教大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中5回優勝、全日本大学野球選手権大会2回優勝。1957年には春秋季連続優勝を経験。長嶋茂雄、杉浦忠らが卒業した1958年も森滝義巳とともに投手陣を支え、リーグ四連覇を果たす。1959年秋季リーグでも早大との優勝決定戦で森滝をリリーフし優勝を飾った。同年の第3回アジア野球選手権大会日本代表に選出され、日本の優勝に貢献。
瀬下 恵介(せした けいすけ、1938年 -2021年8月9… 瀬下 恵介(せした けいすけ、1938年 -2021年8月9日)は、日本のジャーナリスト。
相星 雅子(あいほし まさこ、1937年10月23日 - 2… 相星 雅子(あいほし まさこ、1937年10月23日 - 2019年3月12日)は、日本の小説家、エッセイスト、コラムニスト。日本ペンクラブ会員、『九州文学』同人。鹿児島県を中心に活動し、地方文芸誌『小説春秋』や鹿児島ペンシルクラブを主宰した。 関東州(満洲国の日本租借地)大連市生まれ。父は南満洲鉄道勤務だった。奉天市で終戦をむかえ、1946年に父母の故郷鹿児島市に引き揚げ。1956年に鹿児島県甲南高等学校を卒業。家庭の事情で大学進学を断念し、九州電力に勤務した後、結婚して退職し3人の子を育てる。1973年に鹿児島の文芸同人誌『原色派』で小説を書き始める。1989年、短編小説集『みなみのポプラ』を出版。
是枝 伸彦(これえだ のぶひこ、1937年9月11日 - )… 是枝 伸彦(これえだ のぶひこ、1937年9月11日 - )は、日本の実業家。ミロク情報サービス創業者で、同社代表取締役会長取締役会議長。元テレコムサービス協会会長。後任の代表取締役社長に就任した是枝周樹は長男。 鹿児島県甑島列島の薩摩郡下甑村(現薩摩川内市)で万屋の子として生まれる。長浜国民学校、長浜中学校を経て、鹿児島市に下宿し、1956年鹿児島県立甲南高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科卒業。 映画監督になろうと考え松竹や日活の助監督採用試験を受けたが落ち、大学卒業後は東京オフィスマシンに入社。1977年ミロク情報サービス設立。1980年同社代表取締役社長就任。1992年同社代表取締役会長兼社長。
久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の… 久野 猛(ひさの たけし、1937年8月20日- )は日本の教育者、作家。都立高等学校校長等を歴任。 鹿児島県いちき串木野市出身。鹿児島県立串木野高等学校卒業。1962年東京大学理学部地学科を卒業し、都立高校教諭となる。都立北園高校教頭などを経て、都立足立高校校長に就任する。その後、都立日比谷高校校長となり、1993年~1997年まで全国高等学校体育連盟会長を兼務した。退任後は警視庁教育参与を務めるなど要職を歴任した。 また、松崎陽平名義の小説『狂いだすのは三月』で1977年第14回文藝賞を受賞した。
平田 隆義(ひらた たかよし、1937年6月1日 - )は、… 平田 隆義(ひらた たかよし、1937年6月1日 - )は、日本の政治家。鹿児島県奄美市長(1期)。名瀬市長(3期)。名瀬市議会議員(3期)。 鹿児島県奄美市名瀬有良出身。鹿児島県立大島高等学校を経て、1961年中央大学法学部卒。東京での社会人生活の後、帰島して印刷会社を経営。奄美大島青年会議所理事長、名瀬市議を3期務め、1994年名瀬市長成田広男の辞職に伴う市長選に立候補して初当選。連続3期務めた。 2006年3月20日に名瀬市は住用村、笠利町と合併して奄美市が誕生。これに伴い、名瀬市長は3月19日付で退任となった。奄美市発足に伴う市長選挙に立候補し、拓殖大学教授の叶芳和を723票差で破った。
太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 … 太佐 順(たさ じゅん、1937年(昭和12年)4月12日 - )は、日本の作家。 鹿児島県肝属郡内之浦町(肝付町)出身。本名・順一。週刊誌記者、PR誌編集、出版社等に勤務。『新潮』『すばる』他の文芸誌に作品を発表。1974年(昭和49年)『季刊藝術』に掲載した「『父』の年輪」で芥川賞候補になる。1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙・鹿児島選挙区に進歩党公認で出馬、落選した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
郷 正文(ごう まさぶみ、1937年4月5日 - )は、現代… 郷 正文(ごう まさぶみ、1937年4月5日 - )は、現代ドイツ文学研究者。立教大学名誉教授。 中国・瀋陽市(旧満洲国 ・奉天市)に生まれる。吉林市、大連市に移住ののち、1947年鹿児島県出水市に引き揚げる。出水高等学校に入学して、鹿児島玉龍高等学校卒業。1957年東京大学教養学部入学。1962年東京大学文学部ドイツ文学科卒業。1962年東京都職員。1965年新潟大学人文学部助手に着任し、講師を経て、立教大学講師に転任して、助教授、教授を歴任。2003年定年退職。名誉教授。 ハンス・エーリヒ・ノサック、フランツ・カフカ、ペーター・ハントケに関する論文を「新潟大学人文科学研究」「立教大学ドイツ文学科論集『アスペクト』」「立教大学『研究報告〈人文科学〉』」に執筆する。
三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日… 三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日 - 2021年(令和3年)5月3日)は、日本の実業家。フジテレビ副社長、共同テレビジョン社長、扶桑社社長などを歴任した。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市長を1期務めた三ッ井卯三男の長男として生まれる。 鹿児島県玉龍高等学校、一橋大学社会学部を卒業。森園幸男(人事院事務総長)、森元順司(光文社常務)は、高校の同級生。 1960年4月、フジテレビに入社。1988年4月、取締役に選任され、のち常務。1980年代、編成局の主要ポストを歴任し、フジの全盛期を支え、1981年初頭には、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズを案出し、開局当初の「母と子のフジテレビ」にとって替わる大ヒット作品となった。
上村 和也(かみむら かずや、1937年(昭和12年)-)は… 上村 和也(かみむら かずや、1937年(昭和12年)-)は、日本の比較文学者・英文学者。外国人による日本文化論を研究・翻訳。鹿児島大学名誉教授、湘潭大学名誉教授、佐賀大学元教授。 鹿児島県出身(生まれは満洲国の奉天)。言語学者上村孝二鹿児島大学名誉教授の長男。父・孝二の鹿児島県師範学校赴任にともない4歳で鹿児島市へ移る。鹿児島県立甲南高等学校、九州大学卒業。1961年(昭和36年)九州大学大学院文学研究科修士課程修了。鹿児島県立短期大学助教授を経て、鹿児島大学教授となり1996年(平成8年)度まで比較文学と英文学を教えた。鹿児島大学退官後は佐賀大学文化教育学部教授も務めた。 訳書にパーシヴァル・ローエル『神々への道』(平岡厚と共訳)、サー・フィリップ・シドニー『アストロフェルとステラ 付 サーティン・ソネッツ』(大塚定徳ほか共訳)があるほか、クルト・ジンガー(英語版)の翻訳も学術誌で発表。
濱島 敦俊(はましま あつとし、1937年-)は、日本の歴史… 濱島 敦俊(はましま あつとし、1937年-)は、日本の歴史学者、東洋史学者。文学博士、学術博士(博士(学術))、大阪大学名誉教授。専門は宋代から清代までの中国社会経済史で、また中国でフィールドワークをおこない未解明の民間信仰も研究した。 鹿児島県喜入村瀬々串(現・鹿児島市喜入瀬々串町)出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1962年に東京大学文学部を卒業し、同大学院に進む。1965年に東京大学東洋文化研究所助手となり、高知大学文理学部助教授と北海道大学文学部助教授を経て、中国社会科学院近代史研究所客員研究員。1980年1月、論文「均田均役法の研究」により東京大学から文学博士の学位を授与される。1985年、大阪大学文学部助教授(東洋史学)となり、1987年に教授へ昇任して2001年まで務めた。
東郷 克美(とうごう かつみ、男性、1936年12月9日 -… 東郷 克美(とうごう かつみ、男性、1936年12月9日 - )は、日本の日本文学研究者。専門は日本近代文学。早稲田大学名誉教授。 鹿児島県さつま町出身。1959年早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。安田女子高等学校教諭、東京都立深川高等学校、東京都立小平高等学校、早稲田大学高等学院の教諭を経て、1971年成城短期大学専任講師。1979年成城大学文芸学部助教授、1982年同教授。1993年早稲田大学教育学部教授。2006年、同大学を定年退職、名誉教授。
朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 … 朝ノ海 正清(あさのうみ まさきよ、1936年11月22日 - 没年不明)は、鹿児島県大島郡宇検村出身で高砂部屋に所属した力士。本名は崎谷 正清(さきや まさきよ)。最高位は東前頭9枚目(1962年11月場所)。現役時代の体格は172cm、94kg。得意手は右四つ、寄り、出し投げなど。 16歳の時、上京し、同郷であり思慕していた朝潮がいる高砂部屋に入門。1953年1月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の前頭・清ノ森や同・宮柱らがいる。 同場所では番付外と新序でともに好成績を残したため、翌3月場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 当初より「朝ノ海」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通した。
池口 恵観(いけぐち えかん、1936年〈昭和11年〉11月… 池口 恵観(いけぐち えかん、1936年〈昭和11年〉11月15日 - )は、日本の僧侶。単立烏帽子山最福寺法主。高野山真言宗・鹿児島高野山・最福寺 住職。高野山真言宗大僧正・伝灯大阿闍梨。俗名・鮫島 正純(さめじま まさずみ)。 安倍晋三(元内閣総理大臣)や小泉純一郎(元内閣総理大臣)などの政界の大物政治家と親交があることから「永田町の怪僧」の渾名がある。 1936年(昭和11年)、鹿児島県肝属郡東串良町で醤油屋の息子として生まれた。町立柏原小学校、町立東串良中学校、鹿児島県立志布志高等学校を経て、1959年(昭和34年)高野山大学文学部密教学科卒業後、俳優を目指して上京し、広告代理店勤務をしていた。
瀬戸口 勉(せとぐち つとむ、1936年11月3日 - 20… 瀬戸口 勉(せとぐち つとむ、1936年11月3日 - 2017年11月9日)は日本中央競馬会の元騎手、元調教師。名古屋競馬・弥富トレーニングセンターに所属する調教師瀬戸口悟は実弟。中央競馬の調教師の増本豊は妻の弟。 鹿児島県鹿屋市で8人きょうだいの3人目(次男)として生まれる。1955年、鹿児島県立鹿屋農業高等学校畜産科を卒業後、京都の上田武司厩舎に騎手見習いとして入り、1959年、騎手としてデビューする。1963年にはミスマサコで桜花賞を優勝した。1973年に引退、騎手時代の成績は通算2534戦329勝である。 とくに障害競走での成績は優れたものがあり、145戦55勝。勝率.379、連対率.641という数字を残している。
日隈 威徳(ひぐま たけのり、1936年(昭和11年)7月2… 日隈 威徳(ひぐま たけのり、1936年(昭和11年)7月22日 - 2019年(平成31年)1月20日)は、日本の宗教研究者。「全国宗教人・日本共産党を支持する会」代表世話人、勤労者通信大学講師、アジア・アフリカ研究所所員。筆名の七里和乗(しちり わじょう)でも執筆した。
鵜狩 道夫(うがり みちお、1936年7月14日 - 201… 鵜狩 道夫(うがり みちお、1936年7月14日 - 2018年8月27日)は、鹿児島県日置市出身のプロ野球選手(投手)、スポーツ店経営者。現役時代は「鵜狩 好応」、「鵜狩 道旺」の登録名も使った。 伊集院高から社会人野球の鹿児島市交通局を経て、1955年に西鉄ライオンズに入団。 西鉄では3年間で1勝もできなかったが、1958年に広島カープに移籍するとチーム最多の23試合先発を果たし、初勝利を含め6勝を挙げる。1958年9月19日、長嶋茂雄にこれが認められたらトリプルスリーとなっていた幻の本塁打を打たれる。翌1959年には、元近鉄パールス監督の藤田省三からマンツーマンの指導を受け、シュートをマスターして11勝10敗を記録、初めて規定投球回(7位、防御率2.53)に達する。
小山勉(おやま つとむ、1936年6月20日-2006年12… 小山勉(おやま つとむ、1936年6月20日-2006年12月29日)は、日本の政治学者。法学博士、九州大学名誉教授。特にトクヴィルを中軸とするフランス政治思想を専門とした。 鹿児島県熊毛郡南種子町生まれ・出身(種子島生まれ)。1967年3月早稲田大学第一政治経済学部卒業。同年4月早稲田大学大学院政治学研究科修士課程へ進学し、堀豊彦教授に師事。1970年3月に修了し、政治学修士号取得。同年4月東京都立大学大学院社会科学研究科(政治学専攻)博士課程へ進学し、半澤孝麿教授の下でフランス政治思想研究に従事。研究対象をそれまでのディドロからトクヴィルに変える。1973年3月博士課程満期。1973年4月新潟大学人文学部講師に就職。
西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1… 西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉4月3日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。第23代陸上幕僚長、第20代統合幕僚会議議長。元隊友会会長。1佐までの職種は機甲科。 鹿児島県垂水市出身。父親の仕事の関係で小中学校の時に二度ほど横浜に住んだが、中学一年の時に垂水市にもどる。県立垂水高校卒業後、防衛大学校に入校するが、高校の野球の試合の時に鹿児島の桟橋で防大生に出会ったことがきっかけであった。防大卒業後の1959年(昭和34年)に陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後は機甲科に進み、初任地は北恵庭の第101戦車大隊。ここでの勤務がその後の部隊勤務の基礎ができたと語っている。
瀬地山 敏(せちやま さとし、1936年4月12日 - )は… 瀬地山 敏(せちやま さとし、1936年4月12日 - )は、日本の経済学者。専門はケインズ経済学であるが、新古典派ではなくピエロ・スラッファを嚆矢とする現代ケンブリッジ学派に属する。京都大学経済学部長、総長特別補佐(副学長に相当)、鹿児島国際大学学長を歴任。京都大学名誉教授。2014年瑞宝中綬章受章。
杉之尾 宜生(すぎのお よしお、本名:杉之尾孝生(読み同じ)… 杉之尾 宜生(すぎのお よしお、本名:杉之尾孝生(読み同じ)、1936年3月8日 - 2025年12月25日)は、日本の戦史研究家。元防衛大学校教授(戦史・戦略)。孫子の兵法・クラウゼヴィッツ、中東戦史、日本近代戦史の研究家として知られる。第16方面軍参謀の杉之尾三夫陸軍中佐(陸士41期、陸大51期)は父。 鹿児島県生まれ。ラ・サール高等学校、防衛大学校(本科第5期・応用化学科)卒業。陸上自衛隊第7戦車大隊(現・第71戦車連隊)、第7偵察隊、中央調査隊、第1偵察隊、中央資料隊勤務を経て1991年(平成3年)1等陸佐で退官。退官後、防衛研修所戦史部、防衛大学校助教授及び同校教授(戦史、戦略)を務める。
小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8… 小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8日 - 2018年(平成30年)11月14日)は、昭和・平成時代に活動した日本の教育者、作曲家。玉川学園小学部教諭、玉川大学講師(通信教育課程で音楽を担当)。元文部科学省認定小学校音楽教科書編集委員。名前は「こみやじ びん」と音読みで呼ばれることが多かった。 関東州大連市生まれ、内地引き揚げ後は鹿児島県に住む。現在の鹿児島大学教育学部附属中学校から鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、鹿児島大学教育学部音楽科で学ぶ。鹿児島大学卒業後、鹿児島県揖宿郡開聞町(現・指宿市)の開聞中学校で音楽教師を4年間勤めた後、玉川学園創設者小原國芳に導かれ、1962年(昭和37年)東京都町田市にある玉川学園に赴任。
30代 式守 伊之助(さんじゅうだい しきもり いのすけ、1… 30代 式守 伊之助(さんじゅうだい しきもり いのすけ、1936年1月2日 - 2013年4月14日)は、大相撲の立行司の一人。式守伊之助としての在位期間は2000年9月 - 2000年11月。井筒部屋(1972年 - 1977年は君ヶ濱部屋)所属。鹿児島県川辺郡川辺町(現南九州市)出身。本名は竹田文雄(たけだ ふみお)(旧名・五反田文夫-ごたんだ ふみお)。 26代木村庄之助の弟子である。36代木村庄之助は弟弟子になる。 1953年9月に式守文夫の名で初土俵。1958年3月に師匠が名づけた式守正一郎に改名。1967年5月に7代式守與之吉襲名。1984年1月に後輩の3代木村林之助とともに幕内格に昇格。
広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - … 広田 亮一(ひろた りょういち、1935年12月27日 - 2024年1月3日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長を務めた。鹿児島県鹿児島市出身。 1958年に鹿児島大学文学部国文学科を卒業し、南日本新聞社に入社。1990年2月に取締役に就任し、1991年12月に常務、1993年12月に専務を経て、1995年12月から1999年12月までに社長を務めた。 2024年1月3日、特発性間質性肺炎のために死去。88歳没。
島津 伸男(しまづ のぶお、1935年12月2日 - 201… 島津 伸男(しまづ のぶお、1935年12月2日 - 2013年5月9日)は、日本の作曲家。本名は堀 信義(ほり のぶよし)。鹿児島県出身。日本作曲家協会所属。 鹿児島県揖宿郡喜入村大字前之浜(現在の鹿児島市喜入前之浜町)出身。鹿児島県立指宿高等学校普通科卒業。北島三郎と同じく船村徹の門下生。北島の舞台におけるバックバンドの指揮者も長年担当していたが、亡くなる2年程前に、体調不良を理由に降板していたという。心不全のため77歳で死去。
峯山 昭範(みねやま あきのり、1935年〈昭和10年〉11… 峯山 昭範(みねやま あきのり、1935年〈昭和10年〉11月29日 - 2025年7月18日)は、日本の政治家、参議院議員(4期、公明党所属)。近畿大学教養学部教授。 種子島生まれ、鹿児島県熊毛郡南種子町出身。中学時代に大阪へ移り、大阪市立天下茶屋中学校、大阪府立今宮工業高等学校を経て、近畿大学理工学部機械工学科中退の後、1954年に日本合成化学工業入社。1961年聖教新聞社に入社し、1962年創価学会関西本部庶務部長となる。その後、創価学会副理事長、関西本部事務局長に就任。1968年の第8回参議院議員通常選挙で全国区から公明党公認で立候補して初当選。議員在任中に大学法学部で学び、近畿大学法学部を卒業。
朝崎 郁恵(あさざき いくえ、1935年11月11日 - )… 朝崎 郁恵(あさざき いくえ、1935年11月11日 - )は鹿児島県大島郡瀬戸内町加計呂麻島生まれの唄者(奄美民謡歌手)。奄美島唄独特のこぶしや裏声で聞く者の心に訴えかける唄声を持ち、ひぎゃ唄と呼ばれる奄美大島南部の島唄伝承の第一人者と言われるベテランである。 加計呂麻島花富(けどみ)の鍼灸師で島唄の研究に情熱を傾けた父辰恕(たつじょ)や、母、祖母の影響を受けて島唄を覚え、10代で天才唄者として活躍。吟遊詩人福島幸義を師匠とし、加計呂麻島、奄美大島各地で唄を披露していた。結婚後は東京を中心に活動し、奄美島唄朝崎會を主宰して後進の育成を図るとともに、日本各地の芸能・各国の民族音楽とも交流し、新しい島唄の創作に力を注ぐ。
中村 浩道(なかむら ひろみち、1935年10月27日 - … 中村 浩道(なかむら ひろみち、1935年10月27日 - 2007年4月6日)は、元プロ野球審判員、野球解説者。鹿児島県鹿児島市出身。審判員袖番号は18(1977年初採用 - 1990年引退まで、※1991年以降はその年採用の山村達也が引き継ぐ)。 川内高校、早稲田大学を卒業後、大平鉱業、大洋鑿泉工業を経て1964年にパシフィック・リーグの東京審判部に入局し1990年の引退まで審判をつとめる。一軍2121試合に出場し、オールスターは3回出場した。1990年に定年年齢到達に基づき引退したあと数年間は東京審判部の指導員をつとめた。 張本勲が3000本安打を達成した試合で球審を務めた。 英語が堪能で、米国の野球事情に精通した審判員であった。
山下 栄(山下 榮、やました さかえ、1935年(昭和10年… 山下 栄(山下 榮、やました さかえ、1935年(昭和10年)9月10日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県鹿屋市長(4期、合併前も含む)。 鹿児島県鹿屋市祓川町出身。鹿児島県立鹿屋農業高等学校卒業。卒業後は土木作業員や農業で生計を立てていた。1963年に鹿屋市役所に入る。市役所では、1987年農政課長、1989年畜産課長、1990年産業経済部長、1992年総務部長。1993年鹿屋市助役に就任。 1994年鹿屋市長浅井隼人が死去。これに伴う市長選挙に立候補して、元社会党衆議院議員の有川清次を破って初当選する。1998年と2002年の市長選挙でも当選した。 2006年に合併で新鹿屋市が発足、合併後の市長選挙に立候補して、当選した。
松下 三郎(まつした さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月… 松下 三郎(まつした さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月1日 - 2020年〈令和2年〉4月19日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道九段。 鹿児島県日置郡吹上町 (現在の鹿児島県日置市吹上町)で生まれる。吹上町立伊作小学校を経て、吹上町立伊作中学校在学中に先輩の誘いで柔道と出会い、稽古に参加するようになった。 鹿児島商業高等学校進学後は野球部に入部したものの、ボール拾いやランニング、古いボールの繕いといったことの連続で練習の機会が無かった。そんな折、母校である伊作中学校に立ち寄った際に剣道の先生から柔道をやるよう勧められたこと、柔道部の顧問から勧誘されたことを理由に柔道部に転部し、県大会やインターハイに出場した。