伊佐山芳郎(いさやま よしお、1939年 -2025 )は、… 伊佐山芳郎(いさやま よしお、1939年 -2025 )は、日本の弁護士。1965年中央大学法学部卒業。東京弁護士会所属。「嫌煙権確立を目指す法律家の会」を結成し、喫煙規制を呼びかける。 1980年、国鉄・国・日本専売公社を相手にいわゆる「嫌煙権訴訟」を起こす。列車・飛行機や公共施設などの禁煙分煙化、飲食店などの禁煙席設置を促すきっかけとなる。 1998年に国と日本たばこ産業およびその歴代社長を相手に、たばこが原因による疾病に対する製造物責任を問う「たばこ病訴訟」(正式名称:たばこ病損害賠償等請求事件)を起こす。 日本におけるたばこ問題に関する運動家として渡辺文学らと並び著名である。
稲見 友之(いなみ ともゆき、1938年12月25日 - )… 稲見 友之(いなみ ともゆき、1938年12月25日 - )は、日本の弁護士。東京弁護士会所属。 敬天総合法律事務所所長。 ロッキード事件で逮捕・起訴された田中角栄の裁判で弁護団事務局長や主任弁護人を務めた。 竹早高校卒業。中央大学法学部在学中の1963年に24歳で司法試験合格。1964年3月卒業。1966年、司法修習修了(18期)、弁護士登録(登録番号10082)。 田中角栄が逮捕・起訴された後、田中派の2年生議員で中央大学の同級生だった保岡興治に請われて訴訟対策を行い、弁護団の事務局長に就任した。1審で敗訴した際には、越山会の機関紙「月刊越山」に「人権無視 恐るべき偏向判決」との一文を寄せた。
飯田 英男(いいだ ひでお、1938年11月15日 - )は… 飯田 英男(いいだ ひでお、1938年11月15日 - )は、日本の検察官、弁護士。札幌高等検察庁検事長や、福岡高等検察庁検事長を経て、定年退官後、関東学院大学教授、りそなホールディングス取締役、日本無線取締役等を歴任した。瑞宝重光章受章。 中央大学法学部卒業後、1965年札幌地方検察庁検事。1994年和歌山地方検察庁検事正。1995年大阪高等検察庁次席検事。1996年神戸地方検察庁検事正。1997年大阪地方検察庁検事正。1999年札幌高等検察庁検事長。2001年福岡高等検察庁検事長。同年定年退官、東京弁護士会弁護士登録。2002年奥野総合法律事務所入所、エコス監査役。2003年関東学院大学法学部教授。
安西 愈(あんざい まさる、1938年10月19日 - )は… 安西 愈(あんざい まさる、1938年10月19日 - )は、日本の弁護士・元官僚。安西法律事務所所長。イカイほか企業顧問を多く務める。元・中央大学教授。香川県出身。専門は、労働法や社会保障法(特に労働保険法)。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人 この他、東京基督教大学神学部兼任講師、中央労働災害防止協会参与会議長、法務省司法書士簡裁訴訟代理等能力認定考査委員、厚生労働省特定社会保険労務士紛争解決手続代理業務試験委員なども務めた
藤野 義昭(ふじの よしあき、1938年8月22日 - )は… 藤野 義昭(ふじの よしあき、1938年8月22日 - )は、日本の弁護士、政治活動家。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)名誉会長、北朝鮮による拉致と人権問題にとりくむ法律家の会代表共同代表、日本会議北海道本部前議長、2007年夏まで維新政党・新風講師団。 満洲国新京生まれ。1961年中央大学法学部法律学科卒業。会社員生活を経て、1971年に32歳で司法試験合格、司法修習26期、1974年弁護士登録(札幌弁護士会)。 2008年7月3日、佐藤勝巳の後任として救う会代表に選出。7月7日、自民党幹事長経験者加藤紘一が日本BS放送の番組において、「(2002年小泉純一郎総理大臣の訪朝後に一時帰国した)拉致被害者は北朝鮮に戻すべきだった」と発言。
北村 哲男(きたむら てつお、1938年5月19日 - )は… 北村 哲男(きたむら てつお、1938年5月19日 - )は、日本の弁護士、政治家。元国会議員(参議院1期、衆議院1期)。 山口県で出生。東京都立広尾高等学校を経て、1963年、中央大学法学部を卒業。同年、24歳で司法試験に合格し、1966年司法修習18期経て弁護士登録。 1989年第15回参議院議員通常選挙で日本社会党新人比例候補として初当選、6年後1995年第17回参議院議員通常選挙は離党・不出馬。 中大法学部の先輩 山花貞夫が会計責任者の市民リーグから旧民主党結党に参加し、第41回衆議院議員総選挙に出馬、本来希望していた母校の広尾高校がある東京7区ではなく、比例南関東ブロックで出馬し当選。
堀口 勝正(ほりぐち かつまさ、1937年12月22日-)は… 堀口 勝正(ほりぐち かつまさ、1937年12月22日-)は、日本の弁護士。元次長検事。 香川県生まれ。1960年中央大学法学部卒業。1961年司法修習生、検事任官。 1990年最高検察庁検事、1991年奈良地検検事正、1993年水戸地検検事正、1995年7月最高検総務部長、1996年6月同・刑事部長。北島敬介のあとを受けて、次長検事(1997年12月2日-1999年12月22日)を務めて退官した。2006年4月現在、弁護士、帝京大学客員教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
山根 二郎(やまね じろう、1936年9月27日 - )は、… 山根 二郎(やまね じろう、1936年9月27日 - )は、日本の弁護士(登録番号9881、長野県弁護士会所属)、思想家。現在は山根二郎法律事務所の代表を務めている。日本の法曹界において数々の大事件に関与し、環境問題や社会問題にも積極的に取り組んでいる。特に、法廷闘争の在り方に革新をもたらし、その名は『朝日人物事典』にも記載されている。 1936年、東京都千代田区隼町で生まれる。名付け親は父親と親交があった川島浪速で、当初「興亞」(おきつぐ)と名付けられるも、高校3年時に「二郎」に改名。幼少期には隼町から平河町に転居。1943年4月、永田町国民学校(現・永田小学校)に入学し、翌年には東條英機首相の挨拶を最前列で聴いた経験を持つ。
坂本 恭一(さかもと きょういち、1936年(昭和11年)8… 坂本 恭一(さかもと きょういち、1936年(昭和11年)8月22日 - )は、日本の政治家・弁護士。熊本県出身。中央大学法学部卒業。元衆議院議員(2期)。現在は、坂本恭一法律事務所長。 熊本県に生まれる。1960年(昭和35年)中央大学法学部を卒業する。在学中は真法会に所属していた。1961年(昭和36年)司法試験合格。司法修習生を経て、1964年(昭和39年)弁護士登録。主に人権派弁護士として活動する。 1972年(昭和47年)12月10日、第33回衆議院議員総選挙に、熊本県第1区より日本社会党公認候補として立候補し、初当選する(以降2期)。1973年(昭和48年)には日ソ親善協会青年代表団団長としてソビエト連邦を訪問した。
増本 一彦(ますもと かずひこ、1936年5月9日 - 20… 増本 一彦(ますもと かずひこ、1936年5月9日 - 2022年2月6日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認)。日本共産党神奈川県後援会代表委員。 神奈川県藤沢市出身。中央大学卒業後、弁護士を開業。日本共産党神奈川県委員や同県憲法会議幹事長を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧神奈川県第3区から立候補し初当選を果たす。当選1回。 政界を引退した後は、現役の弁護士(横浜弁護士会所属)として、消費税をなくす会の常任世話人などを務めた。 2022年2月6日、胆管がんのため、鎌倉市内の病院で死去。85歳没。
佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、… 佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、日本の裁判官、弁護士。東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所上席調査官、司法研修所上席教官、横浜地方裁判所所長、早稲田大学法学部特任教授、司法協会理事長、TMI総合法律事務所顧問弁護士等を歴任。 1955年秋田県立角館高等学校卒業。1959年中央大学法学部卒業。1964年裁判官任官、仙台地方裁判所判事補。東京地方裁判所判事、司法研修所教官(民事裁判担当)、東京地方裁判所判事、最高裁判所事務総局民事局第一課長兼第三課長、東京地方裁判所部総括判事、司法研修所教官(第一部裁判官担当・民事)、最高裁判所上席調査官、東京地方裁判所所長代行等を経て、1996年新潟地方裁判所所長。
山花 貞夫(やまはな さだお、1936年〈昭和11年〉2月2… 山花 貞夫(やまはな さだお、1936年〈昭和11年〉2月26日 - 1999年〈平成11年〉7月14日)は、日本の政治家、弁護士。 政治改革担当大臣(細川内閣)、衆議院懲罰委員長、衆議院議員(8期)、民主党選挙対策委員長(初代)、日本社会党委員長(第12代)、日本社会党書記長(第12代)などを歴任。 父は日本社会党副委員長、衆議院議員、参議院議員などを務めた山花秀雄。長男は衆議院議員を務めた山花郁夫。 東京都出身。早稲田中学校・高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。22歳で司法試験に合格し、司法修習第13期を修了。司法修習の同期には堀田力、横山昭二、一井淳治らがいる。1961年に弁護士登録し、日本労働組合総評議会(総評)弁護団に加わっていた。
奧野 善彦(おくの よしひこ、1936年 - )は、日本の弁… 奧野 善彦(おくの よしひこ、1936年 - )は、日本の弁護士、北里大学名誉教授、奥野総合法律事務所所長、事業再生のエキスパート。パートナー弁護士、会社整理、破産、和議、会社更生事件を担当。秋篠宮文仁親王が名誉総裁を勤められる世界自然保護基金日本支部幹事を歴任。 1936年東京都生まれ、神奈川県平塚市で育つ。学校法人石川高等学校卒、中央大学卒業後、シェル石油に勤務しながら、司法試験に挑戦し1963年、5回目の挑戦で合格する。この際前年に論文試験に合格していたので免除される権利を有していたが、一からすべて受け直している。司法試験合格後弁護士となり、父親が創設した奥野法律事務所に勤務する。1986年には住友銀行に吸収合併された平和相互銀行の代理人を務めている。
高木 新二郎(たかぎ しんじろう、1935年 9月6日- 2… 高木 新二郎(たかぎ しんじろう、1935年 9月6日- 2018年8月19日 )は、日本の弁護士。フロンティア・マネジメント株式会社特別顧問、霞が関国際法律事務所客員弁護士、凸版印刷株式会社顧問、ゴードン・ブラザーズ・ジャパン株式会社特別顧問、事業再生実務家協会創設者・顧問。博士(法学)。元裁判官。 事業再生と倒産再建の法と実務の第一人者として知られる。夜間高校を経て中央大学を卒業し、1963年に弁護士になった。25年半弁護士業務に従事した後、弁護士任官第1号として1988年に裁判官に任官した。第二次世界大戦後、占領軍の示唆等により弁護士が高裁長官や検事長などの高官として任官したことがあったが、現場の裁判官として弁護士から任官したのは初であった。
博田 東平(はかた とうへい、1935年〈昭和10年〉8月2… 博田 東平(はかた とうへい、1935年〈昭和10年〉8月28日 - 2014年〈平成26年〉5月29日)は、日本の弁護士。検察官。政治家。広島県尾道市長(4期)。位階は正五位。旭日小綬章受章。 広島県尾道市生まれ。1959年、中央大学法学部卒。同年、司法試験に合格。神戸、高知の両地検検事を経て、1965年、弁護士登録する。尾道市公平委員会委員長、同教育委員を務めた。 1979年4月22日に実施された尾道市長選挙に社会党、共産党推薦の無所属で立候補して、前広島県議と前尾道市議会議長の新人2人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 4月22日に市長に就任した。
鈴木 喜久子(すずき きくこ、1935年8月2日 - )は、… 鈴木 喜久子(すずき きくこ、1935年8月2日 - )は、九段法律事務所所属の日本の弁護士(登録番号:18585)。元日本社会党衆議院議員(1期)。東京都出身。
山崎 源三(やまざき げんぞう、1935年3月13日 - )… 山崎 源三(やまざき げんぞう、1935年3月13日 - )は、日本の弁護士、オンブズマン。第一東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、三鷹市総合オンブズマン等を務めた。 1957年中央大学法学部法律学科卒業。1964年弁護士登録。1966年山崎源三法律事務所設立。1996年第一東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。1998年日本弁護士連合会弁護士推薦委員会委員長。2000年三鷹市総合オンブズマン。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
雨宮 眞也(あめみや まさや、1935年1月7日 - 202… 雨宮 眞也(あめみや まさや、1935年1月7日 - 2022年3月18日)は、日本の弁護士、法学者。駒澤大学名誉教授。同大学学長、中国遼寧大学名誉教授など歴任。 山梨市出身。1953年、山梨県立日川高等学校卒業。同年山梨中央銀行入行。1956年 中央大学法学部法律学科に入学。在学中の1959年に司法試験合格。1960年、中央大学卒業。1962年、弁護士登録(東京弁護士会14期)。 1969年、駒澤大学法学部講師。助教授を経て1974年、法学部教授に就任。 1983年、日本比較法研究所客員研究員。駒澤大学法学部長、1994より副学長。 1998年~2002年、駒澤大学学長。2001年から2009年まで日本ディスクロージャー研究学会会長。
平井 一雄(ひらい かずお、1935年 - )は、日本の法学… 平井 一雄(ひらい かずお、1935年 - )は、日本の法学者・弁護士。民法学者。獨協大学名誉教授。東京出身。
日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 200… 日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 2003年7月6日)は、日本の弁護士、政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。 仙台弁護士会副会長、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第14代)、衆議院災害対策特別委員長、衆議院農林水産委員長、郵政大臣(第61代)、社会民主党副党首などを歴任した。 宮城県桃生郡河北町(現石巻市)生まれ。仙台第二高等学校を経て、1956年中央大学法学部法律学科卒業、同大学院修了。1961年に司法試験に合格し、司法修習第16期を修了(同期に佐々木秀典)。1964年、宮城県仙台市で弁護士事務所を開業。1973年には仙台弁護士会副会長に就任した。 父である日野吉夫の衆議院議員引退に伴い、成田知巳日本社会党委員長(当時)の勧めを受け、1976年の第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧宮城県第2区から立候補し、初当選。
深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は… 深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は最高裁判所判事、弁護士。日本弁護士連合会副会長、最高裁判所判事、学校法人中央大学理事長、小田急電鉄監査役を歴任した。旭日大綬章を受章。学校法人中央大学元理事[要出典]。静岡県出身。 金のない依頼人の面倒を見ていた弁護士である父親を見て、自身も弁護士を目指す[要出典]。 1957年、中央大学法学部卒業。1961年、弁護士登録。 1993年、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2000年9月、最高裁判所判事に就任。2004年1月、定年退官、弁護士登録。同年6月小田急電鉄監査役。2005年11月、旭日大綬章を受章。 2014年5月、学校法人中央大学理事長に就任。
五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月… 五十嵐 義三(いがらし よしぞう、1933年(昭和8年)9月16日 - 2000年(平成12年)5月23日)は、日本の弁護士・官僚・法学者。北海道函館市出身。専門は教育法学。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 函館の中学校卒業後、函館地方検察庁に入庁。北海道函館中部高等学校定時制、中央大学法学部通信教育課程卒業。東京高等検察庁事務官に就任。間もなく司法試験に合格。1967年札幌で弁護士登録。1977年札幌弁護士会副会長。1983年札幌学院大学法学部客員教授( - 1989年)。1990年札幌弁護士会会長に就任。1991年北海道弁護士連合会理事長に就任。
古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 -… 古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 - )は、日本の法律家、政治家、弁護士。元参議院議員(1期)。 京都市で出生し、1956年中央大学法学部法律学科卒業。1960年26歳で司法試験合格し、司法修習15期を経て、1963年弁護士開業。 福井弁護士会副会長など経て、1989年第15回参議院議員通常選挙で(民主改革連合の前身)連合の会新人として定数1の福井県選挙区で初出馬初当選。1994年羽田内閣国土政務次官。1995年第17回参議院議員通常選挙で落選。 1996年旧民主党公認で第41回衆議院議員総選挙の福井1区に出馬、比例復活もならず落選。
坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2… 坂東 克彦(ばんどう かつひこ、1933年2月12日 - 2020年7月15日)は、日本の弁護士。新潟水俣病第1次訴訟の弁護団幹事長。新潟水俣病第2次訴訟の弁護団長などを務めたことで知られる。日本弁護士連合会常務理事。 新潟県小千谷市生まれ。新潟県立小千谷高等学校、中央大学法学部卒業。1959年に弁護士を開業し、1963年に新潟市で坂東克彦法律事務所を開設した。 長年、新潟水俣病訴訟で中心的な役割を担い、1967年提訴の第1次訴訟に弁護団幹事長として参加。四大公害病で初めて原因企業を訴えた。1971年9月29日の新潟地裁判決で昭和電工の過失責任を認めさせ、原告を勝訴に導いた。1982年提訴の第2次訴訟で1995年まで弁護団長を務めた。
本田 洋司(ほんだ ようじ、1933年 - )は日本の元弁護… 本田 洋司(ほんだ ようじ、1933年 - )は日本の元弁護士。 長崎県出身。1951年、長崎県立長崎西高等学校卒業、4月より長崎家庭裁判所に勤める。1958年1月、東京地方裁判所書記官補。1960年、中央大学法学部卒業、同年9月より最高裁判所第一小法廷書記官。1969年、旧司法試験合格。1970年、書記官を退官。1972年3月、司法修習生を終え、4月に弁護士登録。荻野陽三法律事務所に勤め、1975年1月に独立、事務所を開く。同年、スモン裁判原告弁護団に加わる。 弁護士会では1991年民暴対策委員長、1993年第二東京弁護士会副会長、1994年日本弁護士連合会常務理事、2002年関東弁護士会連合会副理事長、2004年第二東京弁護士会常議員会議長を歴任。
吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護… 吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護士。民法学者。東京学芸大学及び中央大学名誉教授。東京都出身。川村泰啓門下。 東京都立日比谷高等学校卒業。1958年中央大学法学部卒業。1963年同大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。同法学部助手。1967年松山商科大学経済学部専任講師。1971年東京学芸大学教育学部助教授。1979年同教育学部教授。1989年中央大学法学部教授。東京学芸大学名誉教授。2004年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第一東京弁護士会所属)。桐蔭横浜大学法科大学院客員教授( - 2007年)。 2007年 中央大学 法学博士 論文の題は「手付の研究」。
五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )… 五十嵐 二葉(いがらし ふたば、1932年8月20日 - )は、日本の人権派弁護士。山梨学院大学教授を務めた。 群馬県出身。旧姓藤井。1957年中央大学文学部卒、1962年同法学部卒。法学者風早八十二と結婚し、風早二葉を名乗るが、その後離婚。五十嵐氏と結婚し、現在に至る。 ロス疑惑事件の弁護を担当しマスコミで有名になるが、その後三浦和義と対立し解任に追い込まれる。後に三浦について「子供がそのまま大人になったような人。」と酷評し物議をかもした。一連のオウム真理教事件の際、長女を拉致した容疑で逮捕・起訴された鹿島とも子の弁護などを担当した。
舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月1… 舟橋 功一(ふなばし こういち、1932年〈昭和7年〉4月15日 - 2015年〈平成27年〉1月4日)は、日本の弁護士、埼玉弁護士会会長、関東弁護士会連合会常務理事、日本弁護士連合会常務理事、政治家。埼玉県議会議員。埼玉県川越市長。義父は衆議院議員松山義雄。息子は元埼玉県議会議員舟橋一浩。 栃木県栃木町(現栃木市)生まれ。中央大学法学部卒業を経て1961年4月に弁護士登録。1963年4月に埼玉県議会議員に初当選して当選3回、この間1976年の衆院選では義母の松山千恵子(衆議院議長松永東の娘)の後継候補として埼玉2区から出馬するが落選、程無くして新自由クラブに加わった。1993年2月に小宮山重四郎系と社会党などの支援で、前県議の中野清を破って川越市長に就任し以後4期16年在任した。
星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日… 星野 行男(ほしの ゆきお、1932年(昭和7年)2月22日 - 2014年(平成26年)4月10日)とは、日本の弁護士(登録番号:21388、新潟県弁護士会)、政治家。衆議院議員(3期)、新潟県小千谷市市長(4期)を歴任した。元秘書に、金融担当大臣を歴任した民主党元衆議院議員中塚一宏。 新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年、中央大学法学部卒業。 1962年、司法試験に30歳で合格。 1965年、司法修習17期を修了(同期に松本啓二弁護士)し、東京弁護士会に入会。 1975年、小千谷市長に就任(以後4期務める)。同年、東京弁護士会を退会。 1989年5月31日、小千谷市長を辞職。同年10月、保守系無所属新人候補の政策集団自由連合の旗揚げに参加。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 200… 池田 治(いけだ おさむ、1931年12月15日 - 2006年5月25日)は、日本の弁護士、元政治家。参議院議員(1期)。 愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)出身。1956年中央大学法学部卒業。法政大学の講師などを経て、1969年弁護士登録。1984年法曹政治連盟会長に就任する。1989年の第15回参議院議員通常選挙に愛媛県選挙区から連合推薦で立候補し、自由民主党公認で現職の檜垣徳太郎元郵政大臣を破って初当選。連合参議院(後の民主改革連合)の結成に参加。民主改革連合の幹事長などを務めた。1995年の第17回参議院議員通常選挙で再選を目指したが自由民主党公認の塩崎恭久に敗れて落選、政界から引退した。
伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年… 伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年12月4日)とは、日本の弁護士。新潟県弁護士会会長、日本弁護士連合会常務理事、新潟明訓高等学校理事長を務めた。新潟県新潟市出身。
猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9… 猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9日 - 2007年〈平成19年〉1月28日)は、日本の政治家、弁護士。中央大学卒業。公明党参議院議員(2期)。 娘は東京都副知事の猪熊純子。 1931年、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1953年中央大学法学部を卒業。小学校教諭、弁護士を務める。東京都港区西新橋に猪熊重二法律事務所を設立。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として立候補したが落選する。1986年7月6日、第14回参議院議員通常選挙に、比例区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降2期)。
萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - … 萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - 2017年〈平成29年〉11月9日)は、日本の法学者、裁判官のち弁護士。神奈川大学教授、法学部長を歴任し、同名誉教授。スウェーデン司法研究、民事訴訟法研究、調停を含むいわゆるADR研究など研究対象は多岐にわたる。 1931年、群馬県群馬郡滝川村八幡原(現・高崎市)の農家に生まれる。旧制佐波農業学校(現・群馬県立伊勢崎興陽高等学校)を経て、旧制中央大学法学部専門部卒業後(最後の卒業生)、新制中央大学3年に編入、在学中の1951年に司法試験合格。1953年中央大学卒業、1954年裁判官任官。同年、判事補として赴任した仙台地裁家裁の古川支部においていわゆる松山事件に左陪席として関与し、死刑判決を下した。
熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月3… 熊川 次男(くまかわ つぎお、1930年〈昭和5年〉11月30日 - )は、日本の弁護士(登録番号:8186)、政治家。衆議院議員(4期)、大蔵政務次官(第2次中曽根内閣)、総務政務次官(竹下内閣)、衆議院環境委員長などを歴任。 群馬県吾妻郡嬬恋村に、父・熊川博、母・のいの子として生まれる。叔父は群馬県議会議員を務めた熊川良太郎。群馬県立中之条農業学校を経て、1954年中央大学法学部卒業。1958年に司法試験合格。1959年、早稲田大学大学院法学研究科を修了。 1961年前橋市に熊川弁護士事務所を設立。税理士としても登録。群馬法律専門学校講師、前橋市労働教育委員などを歴任する。 1971年に群馬県議会議員に当選。
溝口 喜文(みぞぐち よしふみ、1930年(昭和5年)10月… 溝口 喜文(みぞぐち よしふみ、1930年(昭和5年)10月13日 - )は、日本の弁護士。 東京都出身。中央大学法学部卒業。東京弁護士会副会長、関東弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会常務理事などを歴任した。 山路ふみ子文化財団理事をつとめ、2011年山路ふみ子文化財団特別賞を受賞した。
松尾 千秋(まつお ちあき、1930年〈昭和5年〉5月21日… 松尾 千秋(まつお ちあき、1930年〈昭和5年〉5月21日-)は、日本の弁護士。1953年3月、中央大学法学部卒業。新しい歴史教科書をつくる会の長崎支部長、日本会議の長崎副会長、統一協会系組織の日韓トンネル研究会の参与を務めていた。 2007年4月に発生した長崎市長射殺事件の銃撃犯と30年来の付き合いがあり、私選弁護人を務めたことがある。また、市道工事現場での事故をめぐり、同容疑者から市側を告訴する相談を受けていたことを明らかにしている。
奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1… 奥原 唯弘(おくはら ただひろ、1928年7月27日 - 1990年3月28日)は、日本の法学者、憲法学者、弁護士。 東京府で出生。長野県北安曇郡松川村出身。1946年(昭和21年)旧制松本第二中学19回(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。中央大学法学部卒、1958年早稲田大学大学院政治学研究科修了。神奈川大学講師・助教授、近畿大学教授。近畿大学比較法政治研究所長・法学部教授。法と秩序研究会理事長、日本学術会議会員。世界平和教授アカデミー会員。
石井 真司(いしい しんじ、石井眞司、1928年3月24日 … 石井 真司(いしい しんじ、石井眞司、1928年3月24日 - 2004年5月17日)は、日本の弁護士、法学者。 東京府東京市(現東京都台東区)出身。1952年中央大学法学部卒、日本勧業銀行に入り、1966年最高裁司法研修所修了、勧銀に戻り、調査部課長代理、同主任調査役、同参与、第一勧業銀行調査部、第一勧銀総合研究所、第一勧銀経営センター、みずほ銀行法務部各顧問を経て、2003年退職。銀行勤務の傍ら、全国銀行協会連合会法規専門部会・不渡手形審査専門委員会各特別委員、金融法学会理事、法制審議会倒産法部会委員などを歴任。弁護士(尾崎昭夫法律事務所)。
阿部 三郎(あべ さぶろう、1926年7月6日 - 2010… 阿部 三郎(あべ さぶろう、1926年7月6日 - 2010年9月8日)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会会長や、中央大学理事長を歴任した。阿部法律事務所主宰。1996年より宗教団体オウム真理教の破産管財人。 1926年宮城県生まれ。宮城県石巻商業高等学校出身、中央大学法学部卒業。 司法修習第六期を経て1954年4月に弁護士登録、東京弁護士会入会。 1960年代には社会問題化した売血制度の廃止を働きかけ、弁護士会人権擁護委員会の建議書を通じ売血制度の廃止を実現。 1970年以降、東京弁護士会副会長、日本弁護士連合会事務総長、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長、日本弁護士連合会会長を歴任。 1996年3月、宗教団体オウム真理教の破産宣告を受けて破産管財人に就任。
新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019… 新井正男(あらい まさお、1925年10月4日 - 2019年1月6日)は、日本の法学者・弁護士。英米法学者。中央大学名誉教授。埼玉県熊谷市出身。 1949年司法試験合格。1950年、中央大学法学部卒業。1950年同大学院法学部助手(指導教授:守屋善輝)。この後、司法修習修了。1955年、同法学部助教授。1962年、中央大学法学部教授。1963年イギリス・ロンドン大学、アメリカ・ミシガン大学ロースクールに研究留学(~1965年)。1967年中央大学通信教育学部部長、1975年同日本比較法研究所長、1985年中央大学附属中学校・高等学校校長を歴任。1996年中央大学定年退職。同名誉教授。弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。
白羽 祐三(しらは ゆうぞう、1925年-2005年)は、日… 白羽 祐三(しらは ゆうぞう、1925年-2005年)は、日本の法学者・弁護士。専門は民法。学位は、法学博士(中央大学・1983年)(学位論文「現代契約法の理論」)。中央大学名誉教授。静岡県出身。 1948年司法試験合格。1950年中央大学法学部卒業。同法学部助手。1955年同法学部助教授。1962年同法学部教授。1965年ドイツ・アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルクに留学。1968年中央大学法学部長(~1973年)。1968年中央大学大学院法学研究科委員長(~1969年)。1969年中央大学評議員(~1992年)。1972年学校法人中央大学理事(~1973年)。1972年中央大学大学院法学研究科委員長(~1973年)。
金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月… 金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月3日 - 2016年2月1日)は、大韓民国の検察官、弁護士、政治家。第5・9・15代韓国国会議員。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)。仏教徒。元国会議員の金光俊は兄、呉俊碩は妹の夫。元韓国住宅金融公社社長の金璟浩は息子、元大韓医師協会会長の秋武辰は娘婿。また、元公報処次官・青瓦台政務首席秘書官の李源宗のおばの夫である。 日本統治時代の江原道(現・慶尚北道)蔚珍郡平海邑出身。1943年中央大学予科卒。1944年満洲国高等考試司法科合格、1945年朝鮮弁護士試験合格。1946年京城帝国大学法文学部(現・ソウル大学校法科大学)卒。司法要員養成所修了。
木川統一郎(きがわ とういちろう、1924年-2020年10… 木川統一郎(きがわ とういちろう、1924年-2020年10月22日)は、日本の法学者・弁護士・弁理士。専門は民事手続法、特に民事訴訟法・民事執行法・民事保全法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1974年)。元中央大学教授。千葉県香取郡多古町出身。 中央大学法学部助手。1953年中央大学法学部助教授。1962年中央大学法学部教授。1968年中央大学理事。1970年旧司法試験第二次試験考査委員。1971年中央大学依願退任。中央大学法学部非常勤講師(~1994年)。1973年弁護士・弁理士登録。1975年早稲田大学大学院法学研究科客員講師・同法学部客員講師(~1994年)。最高裁判所規則制定諮問委員(1975~1994年)。
八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 200… 八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 2008年4月6日)は、日本の法学者・弁護士。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。市川秀雄門下。なお、「八木国之」とも表記される 1942年に中央大学専門部法学科を卒業し、同年中央大学法学部入学。1943年臨時召集。大日本帝国陸軍主計少尉を経て1945年に復員・復学。1946年中央大学法学部卒業。1953年同大学院法学研究科修了。中央大学法学部助教授。1962年同法学部教授。1965年同大学院法学研究科教授。中央大学協議員。1966年中央大学評議員。1977年中央大学通信教育部長。1985年同大学院法学研究科委員長。
奧野 久之(おくの ひさゆき、1920年8月27日 - 19… 奧野 久之(おくの ひさゆき、1920年8月27日 - 1992年4月17日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 1987年9月5日に67歳で最高裁判所裁判官に就任。67歳での最高裁裁判官就任は三淵忠彦以来2人目。就任時の会見で「裁判や判決は法理の筋が通っているだけで値打ちが決まるものではない。この40年間、闘う手段を持たないで闘争している弱者の側にたって裁判所を下からみてきた。これからもこの立場で意見を」と述べた。 1986年衆院選の一票の格差訴訟と1986年参院選の一票の格差の最高裁判決において、合憲とする多数意見に対し、違憲とする反対意見を述べた。 1990年8月26日に定年退官した。
宗政 美三(むねまさ よしぞう、1920年(大正9年)4月1… 宗政 美三(むねまさ よしぞう、1920年(大正9年)4月1日 - 2006年(平成18年)5月25日)は、日本の弁護士。広島県高田郡(現安芸高田市)出身。中央大学法学部卒業。 1943年(昭和18年)、高文司法科合格。1944年(昭和19年)、近衛師団司令部、東部軍管区司令部、中国軍管区司令部の各法務部において軍務及び残務整理に従事する。1947年(昭和22年)に弁護士登録、後に日本弁護士連合会副会長、中国地方弁護士連合会会長、広島県弁護士会会長を務めた。また、日本調停協会連合会副会長を始め、法務省委嘱人権擁護委員、中国船員地方労働委員、広島地方裁判所調停委員、広島家庭裁判所調停委員、広島県選挙管理委員、広島市教育委員等の各委員や、広島連合会会長、広島女子商学園理事、広島山陽学園理事長等を歴任した。
鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919… 鄭 喜沢(チョン・ヒテク、朝鮮語: 정희택/鄭喜澤、1919年4月8日 - 2000年2月10日)は、大韓民国の政治家、検察官、弁護士。第11代韓国国会議員、第10代監査院長。 本貫は延日鄭氏(朝鮮語版)。資産家の鄭雲漢は父、第4代国会議員の鄭南沢は兄、1950年の第2代総選挙に出馬した実業家の鄭春沢も兄弟である。 日本統治時代の慶尚北道高霊郡高霊面出身。1942年に中央大学法学部卒、米国コロンビア大学にて国際法修学、日本高等文官試験司法科合格。1946年以降は司法部監察官、ソウル地方検察庁検事・部長検事、大邱地方検察庁次長検事、釜山地方検察庁次長検事、大邱高等検察庁次長検事、ソウル高等検察庁次長検事、大検察庁(朝鮮語版)検事、中央捜査局長、連合情報委員会議長、統一主体国民会議運営委員(1972年〜1980年)、第5共和国憲法改正審議委員会委員、国家保衛立法会議法制司法委員長、民主正義党結党発起人、第11代国会議員、第10代監査院長(1982年9月21日〜1984年4月7日)、放送委員会委員長(1984年〜1986年)、言論仲裁委員会委員長(1986年〜1993年)を歴任した。
稲葉 誠一(いなば せいいち、1918年(大正7年)3月3日… 稲葉 誠一(いなば せいいち、1918年(大正7年)3月3日 - 1996年(平成8年)5月4日)は、昭和から平成初期の弁護士、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 東京都新宿区出身。1941年(昭和16年)中央大学専門部法科を卒業。高等試験司法科に合格し、司法官試補に任官後、大阪・東京・宇都宮地検の検事を経て1947年(昭和22年)に退官、弁護士になる。 日本社会党に入党。同党栃木県本部書記長、同委員長を務め、1955年(昭和30年)栃木県議会議員選挙に当選し2期在任した。1962年(昭和37年)第6回参議院議員通常選挙に栃木県地方区から社会党公認で当選した。1968年(昭和43年)第8回通常選挙で落選。
李 忠煥(イ・チュンファン、朝鮮語: 이충환、1917年9月… 李 忠煥(イ・チュンファン、朝鮮語: 이충환、1917年9月12日または9月13日 - 2005年9月30日)は、大韓民国の政治家、弁護士。第2・3・5・6・9・10代大韓民国国会議員。 本貫は陽城李氏。元駐チェコ大使の全海鎮と法務法人「中央」代表弁護士、元国会議員の李泛来は娘婿。 日本統治時代の忠清北道鎮川郡に生まれた。中央大学1年修了、大同学院卒業。1943年に日本の高等文官試験行政科に合格した。清州商科大学の講師と忠清北道人事処長代理を務めた後、第2代総選挙に無所属で立候補して当選し、民議員(国会議員)となった。その後も5度議員を務めた。国会議員在任中に予算決算委員長を4回務めたほか、民主党政策委副委員長、民衆党忠北第7地区党委員長、アジア国会議員連合第2回総会韓国代表、民衆党政策審議会議長・運営委員、新民党政務委員・政策審議会議長・全党大会議長・総裁権限代行・最高委員などを歴任した。