小山 正孝(おやま まさたか、1916年〈大正5年〉6月29… 小山 正孝(おやま まさたか、1916年〈大正5年〉6月29日 - 2002年〈平成14年〉11月13日)は、日本の詩人・中国文学者。「四季」「山の樹」「文学館」同人。関東短期大学教授。丸山薫賞受賞。 盆景家小山潭水の次男として、東京青山に生まれる。府立四中を経て、旧制弘前高等学校に進み、本格的に文学を志す。 高等学校時代に、杉浦明平の紹介で立原道造と知り合い、強い影響を受け、詩作を始める。したがって、初期には岩野泡鳴から立原へと発展したソネット形式を多用した、独自の世界を描いた抒情詩を多く作った。が、後には、散文的要素が強い哲学的、幻想的な世界を構築したり、日常に潜む危機を描いていった。また、初期から晩年まで、その詩の中心的課題は、「愛」であった。
谷長 茂(たになが しげる、1916年4月25日 - 198… 谷長 茂(たになが しげる、1916年4月25日 - 1981年11月22日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。元中央大学教授。 旧制第三高等学校から東京帝国大学文学部仏文科卒、学習院大学講師をへて1954年に中央大学商学部助教授となり、62年教授となった。パリ・コミューンの研究で知られ、三高寮歌「沫雪流れ」の作詞者。妻・静枝は女子美術大学卒で、洋画家グループの旺玄会に所属する画家。1981年11月22日夜、船橋市の自宅から出火して全焼、夫婦ともに死去した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
瀬尾 裕(せお ゆたか、1916年3月30日 - 1988年… 瀬尾 裕(せお ゆたか、1916年3月30日 - 1988年10月13日)は、イギリス文学者、中央大学名誉教授。 東京府荏原郡大森に生まれる。東京高等学校を経て、1940年東京帝国大学英文科卒、1944年同大学院修了。1942年逓信官吏錬成所専任講師、1949年中央大学経済学部助教授、1951年文学部助教授、1960年教授、1986年定年退職、名誉教授。フォースター『インドへの道』などを訳した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
登張 正実(とばり まさみ、1916年3月27日 - 200… 登張 正実(とばり まさみ、1916年3月27日 - 2006年3月20日)は、日本のドイツ文学者。東京大学名誉教授。 ドイツ文学者・登張信一郎(竹風)の子として宮城県に生まれる。1941年、東京帝国大学独文科を卒業。 1943年、広島高等学校教授に着任。1951年、一橋大学助教授となる。1964年、「ドイツ教養小説の成立」を提出して文学博士号を取得。母校である東京大学文学部助教授となり、1967年、教授昇進。1976年、定年退官した後は成城大学教授となった。この間、日本独文学会理事長、IVG(Internationale Vereinigung für germanistische Sprach- und Literaturwissenschaft 国際ゲルマン語学文学連合)理事、財団法人ドイツ語学文学振興会理事長等をつとめた。
西郷 信綱(さいごう のぶつな、1916年〈大正5年〉1月3… 西郷 信綱(さいごう のぶつな、1916年〈大正5年〉1月3日 - 2008年〈平成20年〉9月25日)は、日本の国文学者。専門は上代文学・古代文学。横浜市立大学名誉教授。 大分県生まれ。東京帝国大学英文科に進学したが、斎藤茂吉の短歌に傾倒して国文科に転じ、1939年3月卒業。丸山静とともに「アララギ」派の短歌に傾倒する。戦後、鎌倉アカデミアの創設に参加し教授、その後横浜市立大学教授を長く務め、定年後法政大学教授、この間ロンドン大学教授も務めた。 1990年、『古事記注釈』で角川源義賞受賞。1995年、文化功労者。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。 2008年9月25日午後10時35分、急性心不全にて川崎市内の病院で逝去。
新井 信之(あらい のぶゆき、1916年(大正5年) - 1… 新井 信之(あらい のぶゆき、1916年(大正5年) - 1944年(昭和19年)5月4日)は、国文学者。栃木県生まれ。池田亀鑑、横山重に師事し、中古文学、特に『竹取物語』の本文研究の礎を築いた。 新井は昭和13年(1938年)、東京帝国大学文学部国文科在学時に、卒業論文として竹取物語の本文研究を行うことを決意する。池田亀鑑や反町茂雄の協力のもと調査・研究を行い、翌14年(1939年)に卒業論文「竹取物語の研究」を提出。その翌15年(1940年)に国文学者・横山重と知り合う。横山や同じく国文学者である太田武夫、実業家で蔵書家でもあった戸川浜男らの協力を得て、全国に散在する竹取物語の諸本を調査し、勤務の傍ら、昭和17年(1942年)秋から調査資料の整理、および新井が重要だと判断した七本の翻刻を開始した。
長野 嘗一(ながの じょういち、1915年12月3日 - 1… 長野 嘗一(ながの じょういち、1915年12月3日 - 1979年2月8日)は、日本の国文学者。古典から近代文学まで幅広く論じた。 1915年、新潟県佐渡で生まれた。東京帝国大学国文科に入学し、池田亀鑑に師事した。後に池田が若いころ作家としても活動していたことを明らかにした。 昭和女子大学助教授に就いた。1968年、学位論文『古典と近代作家:芥川龍之介』を立教大学に提出して文学博士号を取得。立教大学教授を務め、在職中に死去。
常石 茂(つねいし しげる、1915年9月7日 - 1982… 常石 茂(つねいし しげる、1915年9月7日 - 1982年4月3日)は、日本の中国文学者。本名・柳沢三郎。 大阪府生まれ。東京帝国大学支那文学科卒業。『聊斎志異』のほか、多くの中国古典の翻訳・紹介を行った。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
斎藤 光(さいとう ひかる、1915年4月5日 - 2010… 斎藤 光(さいとう ひかる、1915年4月5日 - 2010年7月11日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 英文学者斎藤勇の長男として東京府に生まれる。 1939年、東京帝国大学英文科卒業、1940年、東北帝国大学副手、1941年、第四高等学校教授、1946年、第一高等学校教授、1950年、東京大学教養学部助教授、のち教授を務める。1976年、定年退官後は日本大学教授、明星大学教授を歴任、1990年から1997年まで自由学園理事長を務める。 1991年、勲三等旭日中綬章受章。 2010年7月11日、肺炎のため死去。95歳没。墓所は多磨霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木藤 才蔵(きどう さいぞう、1915年〈大正4年〉3月29… 木藤 才蔵(きどう さいぞう、1915年〈大正4年〉3月29日 - 2014年〈平成26年〉7月24日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1974年)(学位論文 「連歌史の研究」)。日本女子大学名誉教授。 台湾・台北市生まれ。1939年東京帝国大学文学部国文科卒。佐賀大学助教授、1965年日本女子大学教授。1974年「連歌史の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。同著作で日本学士院賞受賞。1985年日本女子大を定年、名誉教授。中世文学、特に連歌が専門。
寺田 透(てらだ とおる、1915年〈大正4年〉3月16日 … 寺田 透(てらだ とおる、1915年〈大正4年〉3月16日 - 1995年〈平成7年〉12月21日)は、日本の文芸評論家・フランス文学者。東京大学教養学部教授を歴任。 神奈川県横浜市出身。神奈川一中から第一高等学校をへて東京帝国大学文学部仏文学科卒業、大学時代に、立原道造・杉浦明平とともに同人雑誌をやっていたが、立原が日本浪曼派に接近したことで絶交し、同人雑誌も終わりとなった。戦後、中央大学予科教授、第一高等学校教授から、1949年東京大学教養学部教授。1969年大学紛争のときに事態の収拾法に不満をもち、辞職した。ただし当時の文章や対談では、以前から新制大学に「文人」は適合できないと感じていたと言っている。
東 明雅(ひがし あきまさ、1915年3月7日 - 2003… 東 明雅(ひがし あきまさ、1915年3月7日 - 2003年10月20日)は、日本の国文学者、俳人。専門は近世日本文学、特に井原西鶴。俳人としては「めいが」と読む。 熊本市生まれ。旧制第五高等学校を経て、1939年東京帝国大学文学部国文科卒業。同年、文部省宗教局勤務。1942年東京府立第一中学校(現・日比谷高校)教諭。1945年松本高等学校教授、1949年信州大学文理学部助教授、1959年同教授。1980年定年退官、名誉教授。1987年勲三等旭日中綬章を受章。 1961年から根津芦丈に師事し、信州大学連句会を結成した。その後、1982年に猫蓑会発足し、主宰となった。
木村 彰一(きむら しょういち、1915年1月5日 - 19… 木村 彰一(きむら しょういち、1915年1月5日 - 1986年1月18日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。専門はロシア文学、スラブ文学。 1915年、ドイツ文学研究者・木村謹治の長男として、現在の秋田県五城目町にあたる南秋田郡大川村で生まれた。成蹊高等学校を経て、1934年、東京帝国大学文学部言語学科に入学し、西洋古典語を専攻。1937年に同学言語学科を卒業し、副手として大学に残る傍ら、同年4月に旧制日本医科大学予科講師となり、翌1938年、同予科教授に就任してラテン語を教えた。その間、東京外国語学校(現・東京外国語大学)専攻科(夜学)2年に入学し、八杉貞利にロシア語を学んだ。
稲田 孝(いなだ たかし、1915年 - 2005年)は、日… 稲田 孝(いなだ たかし、1915年 - 2005年)は、日本の中国文学者。 1940年東京帝国大学文学部支那文学科卒。東京学芸大学助教授、教授、1978年定年退官、名誉教授、杏林大学教授、日本大学文理学部教授。
横塚 光雄(よこづか みつお、1915年 - 1977年)は… 横塚 光雄(よこづか みつお、1915年 - 1977年)は、フランス文学者、小説家。 東京帝国大学仏文科卒、1939年佐倉で入営、華北へ赴く。1943年除隊、1944年再召集、1945年伍長で復員。1953年横浜大学[疑問点 – ノート]助教授、横浜市立大学教授。在職中に死去。アンドレ・マルローの研究、フランス文学の翻訳を行い、軍隊経験を描いた小説が没後刊行された。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
桜井 正寅(さくらい まさとら、1914年12月17日 - … 桜井 正寅(さくらい まさとら、1914年12月17日 - 1969年2月28日)は、日本のドイツ文学者。東京教育大学教授。 静岡県出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部独文科卒業。東京教育大学助教授、教授。学生による筑波移転反対闘争の際、機動隊導入の日の深夜に帰宅後、心筋梗塞の発作で急死した。
森山 重雄(もりやま しげお、1914年12月5日 - 20… 森山 重雄(もりやま しげお、1914年12月5日 - 2000年6月5日)は、日本の国文学者。専門は日本文学。東京都立大学名誉教授。筆名は森繁男。新潟県出身。 東京大学文学部国文科卒業後、都立高校教諭を経て、東京都立大学教授となる。都立大学定年後は様々な大学の誘いを断り、三一書房を中心に年1冊程度の研究書を刊行した。上田秋成や井原西鶴、浄瑠璃などを主に研究したほか、アナーキズムやプロレタリア文学にも言及した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
山川 篤(やまかわ あつし、1914年(大正3年)11月3日… 山川 篤(やまかわ あつし、1914年(大正3年)11月3日 - 1997年(平成9年)5月29日)は、日本のフランス文学者。名古屋大学名誉教授。 愛知県(現:岩倉市)出身。東京で育ち、麻布中学校、旧制浦和高等学校卒、1938年東京帝国大学文学部仏文科卒。外務省嘱託として仏印に渡る。1948年第八高等学校教授、49年名古屋大学教養部助教授、56年文学部助教授、70年教授、71年「フローベール研究 作品批評史 1850~1870」で東大文学博士。78年名大定年退官、名誉教授。南山大学教授、83年退職。
高木 博(たかぎ ひろし、1914年(大正3年)10月 - … 高木 博(たかぎ ひろし、1914年(大正3年)10月 - 没年不明)は、日本の国文学者、神奈川県立外語短期大学名誉教授。 1940年東京帝国大学文学部国文科卒、文部事務官、明治大学講師、相模女子大学教授、神奈川県立衛生短期大学教授、神奈川県立外語短期大学教授、学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小松 伸六(こまつ しんろく、1914年9月28日 - 20… 小松 伸六(こまつ しんろく、1914年9月28日 - 2006年4月20日)は、日本のドイツ文学者、文芸評論家。筆名・内海伸平。 北海道釧路生まれ。東京帝国大学卒。第四高等学校(金沢)教授を務めた。ゲーテ論、トーマス・マンの翻訳などを行うかたわら、1941年、第五次『赤門文学』を主宰。戦後は立教大学教授。久保田正文、林富士馬、駒田信二らと『文學界』の同人雑誌評を担当、原田康子らを発掘した功績で1979年、菊池寛賞受賞、81年、『美を見し人は』で芸術選奨文部大臣賞受賞。 岐阜県海津市の海津市海津図書館の文学同人誌を収集する施設「日本現代紙碑文学館」は、小松伸六の1万5千冊の寄贈が基礎となり、1976年(昭和51年)4月に設立されている。
滝崎 安之助(たきざき やすのすけ、1914年7月20日 -… 滝崎 安之助(たきざき やすのすけ、1914年7月20日 - 1980年9月5日)は、日本のドイツ文学者。東京大学名誉教授。 愛知県出身。1939年東京帝国大学独文科卒業。左翼文学運動に加わる。 戦後は新日本文学会に入りその後『人民文学』にも参加。 学習院大学助教授、東京大学教養学部助教授、1965年教授(ドイツ語)、1975年定年退官、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
北川 悌二(きたがわ ていじ、1914年7月2日- 1984… 北川 悌二(きたがわ ていじ、1914年7月2日- 1984年12月16日)は、日本の英文学者。 東京生まれ。1938年東京帝国大学文学部英文科卒。旧制松本高等学校教授、旧・東京都立大学助教授を経て、東京大学教養学部教授、1975年定年、立正大学教授、獨協大学教授。 エリザベス朝演劇からサマセット・モーム、チャールズ・ディケンズ、ハーマン・メルヴィルなど幅広く翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
谷口 陸男(たにぐち りくお、1914年6月20日 - 19… 谷口 陸男(たにぐち りくお、1914年6月20日 - 1988年10月21日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 1914年、三重県生まれ。東京帝国大学文学部英文科を卒業。 神戸大学助教授ののち、東京大学教養学部教授を務めた。1975年に東京大学を定年退官し、その後は大谷女子大学、中京大学教授として教鞭をとった。1987年、東京大学名誉教授となった。 英米文学のうち、ロスト・ジェネレーションの米国作家たちを主な研究対象とした。ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラーなどの翻訳を手掛けた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
渡辺 綱也(わたなべ つなや、1914年〈大正3年〉6月9日… 渡辺 綱也(わたなべ つなや、1914年〈大正3年〉6月9日 - 1979年〈昭和54年〉8月24日)は、日本の国文学者、国語学者。新潟大学名誉教授。 新潟県東蒲原郡津川町大字津川(現 阿賀町津川)出身。 1933年(昭和8年)3月に新潟中学校を卒業、1936年(昭和11年)3月に新潟高等学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に東京帝国大学文学部国文学科を卒業、東京帝国大学文学部大学院に入学、1942年(昭和17年)3月に退学。 1942年(昭和17年)4月に東京帝国大学文学部助手に就任、1943年(昭和18年)9月に陸軍予科士官学校教授に就任、東京帝国大学文学部助手を兼任、1944年(昭和19年)5月に東京帝国大学を退職、1945年(昭和20年)8月に陸軍を退官。
竹村 猛(たけむら たけし、1914年5月22日- 1987… 竹村 猛(たけむら たけし、1914年5月22日- 1987年6月24日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 長野県長野市出身。1943年東京帝国大学文学部仏文科卒。東北大学助教授、中央大学教授、1985年定年退任、名誉教授。19世紀フランス文学を専攻、多くの作品を翻訳した。 妻は杉田久女の次女・光子で(1941年結婚)、石一郎は義兄に当たる。
安田 保雄(やすだ やすお、1914年3月31日 - 199… 安田 保雄(やすだ やすお、1914年3月31日 - 1998年6月)は、国文学者。立教大学講師、鶴見女子大学教授、成蹊大学教授等を歴任。 近代文学、比較文学、上田敏が専門。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
佐藤 晃一(さとう こういち、1914年3月4日 - 196… 佐藤 晃一(さとう こういち、1914年3月4日 - 1967年7月7日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。元東京大学文学部教授。主としてトーマス・マンを研究した。 秋田県出身。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、福岡高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学独文科卒。その後、兵役に就き、第一高等学校教授、東京大学教養学部助教授から、1948年同大学文学部助教授、1961年教授、1967年主任教授となり日本独文学会理事長となるが、7月7日急逝した。 1942年アドルフ・ヒトラーの『吾が闘争』の翻訳が刊行された際には、木村謹治、相良守峯らとともにこれを絶賛し、戦後口を拭ってマンのナチスへの抵抗を礼賛した(池田浩士『ファシズムと文学』)。
畑中 武夫(はたなか たけお、1914年(大正3年)1月1日… 畑中 武夫(はたなか たけお、1914年(大正3年)1月1日 - 1963年(昭和38年)11月10日)は、日本の天文学者。日本の電波天文学の開拓者として知られている。 和歌山県田辺市に生まれたが、少年時代に新宮市に引っ越したので、同市を出身地とした。旧制新宮中学校(現・和歌山県立新宮高等学校)時代から科学雑誌を読み、天文学を志す。旧制第一高等学校を経て、1937年東京帝国大学理学部天文学科卒業。はじめは理論天体物理学を専攻し、東京大学助手を経て、1945年講師となる。萩原雄祐の下で惑星状星雲の放射機構を研究し、同年9月、学位論文「惑星状星雲に於ける電離ヘリウム、二重電離酸素及び二重電離窒素原子間の光学的交互作用理論(英文)」により、理学博士の学位を取得。
高村 新一(たかむら しんいち、1914年 - 2002年3… 高村 新一(たかむら しんいち、1914年 - 2002年3月25日)は、英文学者、東京大学名誉教授。東京帝国大学英文科卒。静岡大学助教授、東大教養学部教授、1974年定年退官、東京女子大学教授、1984年明星大学教授、87年東大名誉教授。1989年11月勲三等旭日中綬章受章。ジョン・バニヤンの全五巻の著作集を個人全訳した。
神田 秀夫(かんだ ひでお、1913年12月20日 - 19… 神田 秀夫(かんだ ひでお、1913年12月20日 - 1993年9月18日)は、日本の国文学者、俳句評論家。古代から近世の国文学を研究領域とした。戦後、国会図書館司書、共立女子大学教授、成蹊大学教授、武蔵大学教授をつとめた。 1913年、東京府荏原郡入新井村山王(現・東京都大田区山王)生まれ。1936年、東京帝国大学文学部国文科を卒業。同大学院に進むも、応召により1937年に大学院を中退。 復員後は目黒書店に入社し、総合誌『俳句研究』の編集に携わりながら俳句評論を執筆。昭和22年から昭和30年前半にかけて評論を執筆しており、その際に「中世と俳句」から「イロニイ叙説」にいたるまでの一連の俳句イロニー説を出している。
土居 寛之(どい ひろゆき、1913年12月17日 - 19… 土居 寛之(どい ひろゆき、1913年12月17日 - 1990年8月6日)は、日本のフランス文学者。 大分県杵築出身、東京生まれ。1939年東京帝国大学仏文科卒。1944年外務省嘱託、1950年埼玉大学助教授、1963年東京大学教養学部教授、1967年東洋大学教授、1970年福岡大学教授、1985年退任。 サント=ブーヴ、アミエルなどを研究し、東大仏文科で立花隆にアミエルを教え、立花が「四十近くまで童貞なんてことがあるもんでしょうか」と問うと、「そりゃ、ありますよ」と答えたという。 父は杵築町長を務めた土居寛申(どい ひろみ、1882 - 1965)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
鴻巣 隼雄(こうのす はやお、1913年(大正2年)10月2… 鴻巣 隼雄(こうのす はやお、1913年(大正2年)10月27日 - 1985年(昭和60年)4月27日)は、日本文学者。聖心女子大学・立正大学名誉教授。文学博士(東京大学・1962年)。 鹿児島県生まれ。父は日本文学者で第四高等学校教授の鴻巣盛広である。隼雄が生まれた時は、第七高等学校造士館教授であった。東京帝国大学を卒業。山口大学、二松學舍大学、聖心女子大学教授を歴任。1972年(昭和47年)立正大学教授に就任した。1984年(昭和59年)、定年退官。 近代文学から始めて古代文学を研究した。1962年、東京大学に於いて「鹿持雅澄と萬葉学」で文学博士となる。
次田 香澄(男性、つぎた かすみ、1913年〈大正2年〉10… 次田 香澄(男性、つぎた かすみ、1913年〈大正2年〉10月26日 - 1997年〈平成9年〉12月12日)は、日本の日本文学者。専門は中世文学。 旧制静岡高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。1961年(昭和36年)「玉葉和歌集・風雅和歌集の研究」で東洋大学より文学博士の学位を取得。二松學舍大学教授を経て、大東文化大学教授。中世和歌・女流日記などを研究した。
細野 哲雄(ほその てつお、1913年〈大正2年〉9月18日… 細野 哲雄(ほその てつお、1913年〈大正2年〉9月18日 - 1995年〈平成7年〉5月6日)は、日本の国文学者。信州大学名誉教授。 新潟県北蒲原郡乙村大字荒井浜(現 胎内市荒井浜)出身。 1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に山形高等学校を卒業、4月に東京帝国大学文学部国史学科に入学、1938年(昭和13年)4月に東京帝国大学文学部国文学科に入学、1941年(昭和16年)3月に卒業。 1942年(昭和17年)1月に長野県師範学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に長野師範学校助教授に就任、1950年(昭和25年)4月に信州大学助教授に就任、1967年(昭和42年)8月に信州大学教育学部教授に就任。
森川 晃卿(もりかわ こうきょう、1913年 <大正2年> … 森川 晃卿(もりかわ こうきょう、1913年 <大正2年> 9月2日 - 1989年 <平成元年> 11月23日)は、ドイツ文学者。位階は従三位。勲二等瑞宝章。 兵庫県生まれ。旧制姫路中学、旧制姫路高等学校を経て1936年東京帝国大学文学部独文科卒。1939年宇部工業専門学校教授、1946年姫路高等学校教授、1949年京都大学教養部助教授、1954年大阪市立大学教授、67年文学部長、71年学長、80年定年退官、名誉教授、相愛女子大学学長、相愛大学学長。1985年秋の叙勲で勲二等瑞宝章を受章。1988年流通科学大学学長。1984年大阪市民特別功労賞受賞。1989年死去。死没日付をもって従六位から従三位に進階した。
大野 茂男(おおの しげお、1913年8月30日 ‐ 200… 大野 茂男(おおの しげお、1913年8月30日 ‐ 2004年1月6日)は、日本の国文学者。江戸文学から明治大正期の文学まで、幅広く研究した。 千葉県千葉市生まれ。旧制千葉県立千葉中学校(現県立千葉高校)、静岡高等学校を経て、1938年、東京帝国大学文学部国文科卒業。県立千葉高等女学校教諭、文部省内日本語教育振興会研究員を経て、1943年、清水高等商船学校教授。同校在籍のまま、歩兵第二補充隊に応召され、後に第三十一飛行場中隊に転属。1946年復員。1947年千葉師範学校教授、1950年千葉大学文理学部助教授、1966年同教授、1968年千葉大学教養部教授(人文学部兼担)。1979年、停年退職して名誉教授、東洋大学文学部教授。
黒岩 一郎(くろいわ いちろう、1913年8月14日 - 1… 黒岩 一郎(くろいわ いちろう、1913年8月14日 - 1995年6月7日)は、日本の国文学者、保守思想家。 兵庫県姫路市生まれ。東京帝国大学国文科卒。修齊女学院講師。大陸に出征。帰国後姫路高等学校(旧制)教授、戦後合併により神戸大学助教授、教授。1962年、「香川景樹の研究」で東大文学博士。1977年、定年退官。棠舟の号をもつ、反共思想家。1995年6月7日、肺癌のため死去。
常木 実(つねき みのる、1913年7月31日 - 2005… 常木 実(つねき みのる、1913年7月31日 - 2005年1月31日)は、日本のドイツ文学者。 千葉県生まれ。1938年東京帝国大学文学部独文科卒。外務省嘱託、旧制山形高等学校教授、旧制浦和高等学校教授。戦後東京大学教養学部助教授、教授、74年定年退官、名誉教授、帝京大学医学部教授、94年退職。
斉藤 国治(齊藤 国治、さいとう くにじ、1913年7月1日… 斉藤 国治(齊藤 国治、さいとう くにじ、1913年7月1日 - 2003年2月21日)は、日本の天文学者、天文学史家。 東京天文台在職中は、太陽光の高精度スペクトルを研究するとともに、世界各地に日食観測のために渡航した。太陽コロナの極付近から出る光条について報告した論文は、今まで国際学術誌に100回近く引用されている。また、明治以後の日食、ハレー彗星、金星の太陽面通過観測の歴史の詳細な総合報告を発表した。退職後はパソコンPC9801を購入して、主に日本と中国の古い記録に残る天文現象の検証に精力的に取り組んだ。その成果は、『星の古記録』(岩波新書)など、10冊以上の著作となって実を結んだ。そうした天文現象の古記録を現代天文学によって検証する分野に対して「古天文学」と呼ぶことを提唱したが、賛否両論が起こった。
西尾 光一(にしお こういち、1913年(大正2年)6月21… 西尾 光一(にしお こういち、1913年(大正2年)6月21日 - 1998年(平成10年)3月19日)は、日本の国文学者。 西尾実の長男として長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)に生まれる。1926年、一家で東京府豊多摩郡落合町に移る。旧制浦和高等学校文科を経て、1936年東京帝国大学文学部国文科卒。 1943年陸軍士官学校教授、1946年東京外国語大学教授を経て、1949年山梨大学教授、1979年定年退官、名誉教授、同年清泉女子大学教授、1985年上田女子短期大学学長。1989年11月勲三等旭日中綬章受章。中世説話文学を専門とした。
工藤 篁(くどう たかむら、1913年5月27日 - 197… 工藤 篁(くどう たかむら、1913年5月27日 - 1974年12月11日)は、日本の中国語・文学者、東京大学名誉教授。 台湾台北州宜蘭市で小島義夫の子として生まれ、台湾総督府官吏の工藤清の養子となる。1932年台北高等学校卒、1936年東京帝国大学文学部支那哲学支那文学科卒業。在学中より竹内好らの中国文学研究会に入る。1939年東京商科大学予科講師、1940年教授。1949年一橋大学助教授、1950年3月東京大学教養学部中国語助教授、1963年教授、1974年3月定年退官、名誉教授、同年12月に死去。 1950、60年代の数少ない東大教養課程中国語教員として、多くの学生を現代中国研究者へと導いた。
石川 徹(いしかわ とおる、1913年〈大正2年〉3月30日… 石川 徹(いしかわ とおる、1913年〈大正2年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉9月10日)は、日本の国文学者。専門は、源氏物語を中心とした中古文学研究。愛知教育大学名誉教授。東京市芝区高輪生まれ。 東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)、東京府立高等学校(現:首都大学東京)を卒業した。1936年(昭和11年)に東京帝国大学(現:東京大学)文学部国文学科を卒業した(卒業論文「古代小説の構想の展開」)。 旧制新潟県立新潟中学校(現:新潟県立新潟高等学校)・愛知一中・府立第六中学校教諭を務めた。1945年(昭和20年)9月に神戸女学院専門学校教授に就任し、関西学院大学講師を兼務した。
田中 清太郎(たなか せいたろう、1913年3月30日 - … 田中 清太郎(たなか せいたろう、1913年3月30日 - 2000年6月3日)は、日本の英文学者、翻訳家、詩人、俳人。 東京生まれ。1936年東京帝国大学文学部英文学科卒業。 武蔵大学助教授、学習院大学助教授、1951年教授。1983年定年退職、名誉教授。1970年「D・H・ロレンス詩集」の翻訳により日本翻訳文化賞受賞。 専門はイギリスの詩、特にディラン・トマス。 俳人でもあり、日本の近代詩についての評論もある。
高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1… 高橋 義孝(たかはし よしたか、1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本のドイツ文学者・評論家・随筆家。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「文学研究の諸問題」)。九州大学教授、名古屋大学教授などを歴任。 1913年、東京府東京市神田区生まれ。錦華尋常小学校、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)で学び、その際には福田恆存と同級であった。旧制高知高等学校を経て、東京帝国大学独文科に進んだ。1935年、東京帝国大学を卒業。その後は同大学大学院に進学し、1936年に卒業。翌1937年よりフンボルト財団給費生としてベルリン大学へ留学。1938年、ケルン大学へ移りドイツ文学を学んだ。
井上 正蔵(いのうえ しょうぞう、1913年3月27日 - … 井上 正蔵(いのうえ しょうぞう、1913年3月27日 - 1989年11月2日)は、日本のドイツ文学者。旧・東京都立大学名誉教授。東京出身。 東京市京橋区(現中央区)新富町生まれ[要出典]。東京府立高等学校卒、1935年東京帝国大学文学部独文科卒業。在学中、滝川事件が起こり、滝川シンパとして戦う[要出典]。第11次『新思潮』に参加して小説を書く[要出典]。卒業後は東京帝国大学大学院に残り、1938年専修大学講師、1942年興亜工業大学教授、1945年成蹊高等学校講師、1946年旧制東京高等学校専任講師、1947年教授、1949年東京工業大学助教授、1955年旧・東京都立大学助教授、1963年教授。
中井 正文(なかい まさふみ、1913年3月6日 - 201… 中井 正文(なかい まさふみ、1913年3月6日 - 2016年10月27日)は、日本の翻訳家、作家、独文学者。 東京帝国大学ドイツ文学科在籍中に、フランツ・カフカのドイツ語全集を手に入れ、戦後「変身」「アメリカ」などの翻訳を行う。 作家として「神話」で『中央公論』懸賞入選。「寒菊抄」で第20回直木賞候補。生まれ育った広島県を舞台とした戦争文学を残している。 早くから作家を志し、東大在学中は石川達三を敬愛、同氏とともに同人誌『星座』に参加する。本郷界隈で、高校、大学の後輩梅崎春生、学友の檀一雄、太宰治、織田作之助らと親交を持ち、ともに作家を目指した。 広島大学教授。のち同大学名誉教授。 1986年に勲三等旭日中綬章。
福與 正治(ふくよ まさはる、1913年3月2日 - 199… 福與 正治(ふくよ まさはる、1913年3月2日 - 1995年9月3日)は日本の英文学者。成蹊大学名誉教授。長野県下伊那郡上久堅村(現・飯田市)出身。 編著に『英文法辞典』(培風社)、訳書に『天路歴程 研究社新訳注双書』(研究社)などがある。
小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年… 小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年)は、日本の国文学者、愛知県立大学名誉教授。 1912年、東京で生まれた。本籍・茨城県古河市。暁星中学校、浦和高等学校を卒業し、東京帝国大学国文科に進んだ。1935年に同大学を卒業。 1936年より愛知淑徳高等女学校教諭として勤務。1938年からは愛知県第一高等女学校教諭として勤務した。 太平洋戦争後の1947年、愛知県立女子専門学校教授に就いた。1950年に同専門学校が愛知県立女子短期大学となると、同大学助教授となった。1957年に教授昇格。1961年、学位論文『古代歌学の形成についての研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1966年、愛知県立大学教授に転じた。
古畑 正秋(ふるはた まさあき、1912年9月18日 - 1… 古畑 正秋(ふるはた まさあき、1912年9月18日 - 1988年11月23日)は、日本の天文学者。元東京大学東京天文台教授。 長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)出身。長野県諏訪中学校・旧制松本高等学校理科甲類を経て、1938年東京帝国大学理学部天文学科卒業。 同年からハーバード大学天文台で助手を務め、プログラムによる測定や計算などに従事し、1941年に帰国後は、東京大学東京天文台の助手、1958年に教授、1968年に台長を歴任し、野辺山宇宙電波観測所や木曽観測所設置に尽力した。夜天光研究の権威として知られており、アマチュア天文家による変光星観測の指導も行った。1973年退官。 古畑の門下生には北村正利、田鍋浩義がいる。
安士 正夫(やすし まさお、1912年9月3日 - 1970… 安士 正夫(やすし まさお、1912年9月3日 - 1970年10月4日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。東京都立大学名誉教授。筆名に中田 精一。 北海道小樽市生まれ。1937年東京帝国大学仏文科卒、東京都立大学教授を務めた。 バルザックが専門だが、ルソー『新エロイーズ』を初めて完訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。