橋口 隆(はしぐち たかし、1913年〈大正2年〉10月1日… 橋口 隆(はしぐち たかし、1913年〈大正2年〉10月1日 - 2005年〈平成17年〉2月21日)は、日本の政治家、元商工・通産官僚、元自由民主党衆議院議員(6期)。 鹿児島県肝属郡根占町(現・南大隅町)出身。橋口順孝の長男。第七高等学校造士館を経て、1938年、東京帝国大学法学部を卒業。1937年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1938年、商工省に入省し貿易局属となる。 以後、商工省・情報局・軍需省・綜合計画局・戦災復興院・物価庁などの事務官、商工省木製品課長、通商産業省アルコール事業長、広島通商産業局長、福岡通商産業局長などを歴任。 1967年1月の第31回衆議院議員総選挙で鹿児島3区から自民党公認で立候補して初当選。
黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28… 黒木 利克(くろき としかつ、1913年(大正2年)9月28日 - 1978年(昭和53年)9月24日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。参議院議員、法学博士(明治大学・論文博士・1962年)(学位論文「日本社会事業現代化論」)。 宮崎県、現在の西都市で生まれた。妻中学校(現宮崎県立妻高等学校)、第五高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格。1940年、厚生省に入り衛生局属に任官。秋田県産業課長。1948年厚生省社会局厚生課長、翌年まで米国に学ぶ。1949年社会局生活課長、庶務課長、保護課長、1956年厚生大臣官房企画室長。
鬼丸 勝之(おにまる かつゆき、1913年9月14日 - 1… 鬼丸 勝之(おにまる かつゆき、1913年9月14日 - 1977年2月14日)は、日本の官吏、政治家。自民党所属参議院議員(2期)。位階勲等は従三位勲二等。 福岡県みやま市(旧山門郡瀬高町)生まれ。三人兄弟の長男。父親が関東州民政署勤務で幼少期を旅順、金州、大連で過ごす。1934年、旧制福岡高等学校文科卒。1936年に高文試験合格。 1937年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、内務省に入省。社会局属。1938年より京都府、北海道、福島県にて経済、民生、教育、労働の各部課長、内閣総合計画局、戦災復興院参事官等を歴任。1950年から建設省住宅局企画、大臣官房人事、文書の各課長、首席監察官、住宅局長を経て、1958年 建設省大臣官房長に就任。
奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2… 奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2年〉7月12日 - 2016年〈平成28年〉11月16日)は、日本の内務官僚、政治家。 衆議院議員(13期)、第16代国土庁長官、第39代法務大臣、第95代文部大臣などを務めた。栄典は正三位勲一等。 奈良県南葛城郡御所町(現・御所市)出身。 父は浪速製氷冷蔵社長、御所郵便局長、奈良県議会議員、御所町長を務めた奥野貞治。 奈良県立畝傍中学校、第一高等学校を経て、1938年(昭和13年)3月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 同年4月、内務省入省。静岡県内務部配属。その後、山梨県内務部人事課長。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に鹿児島県警察部特高課長として新興俳句弾圧事件の一つであるきりしま事件を指揮する。
坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月1… 坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月19日 - 1983年〈昭和58年〉6月2日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員(4期)。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡郷谷村(現・館林市)に生まれる。旧制館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)、旧制第一高等学校文科を経て、1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。 大学在学中の1936年(昭和11年)に高等文官試験に合格し、大学卒業後に農林省に入省。1956年(昭和31年)水産庁漁政部長生産部長となり、日ソの外交交渉に尽力。1959年(昭和33年)農林経済局長、1962年(昭和37年)農林水産技術会議事務局長を経て1963年(昭和38年)に退官する。
佐藤 一郎(さとう いちろう、1913年(大正2年)5月1日… 佐藤 一郎(さとう いちろう、1913年(大正2年)5月1日 - 1993年(平成5年)2月26日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(4期)。経済企画庁長官(第20代)。位階は正三位。 一高を経て、1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1936年(昭和11年)10月、高等試験行政科に合格。1937年4月、大蔵省入省。預金部兼大臣官房文書課属。入省成績はビリに近い方だったといわれている。戦争末期1944年(昭和19年)7月、神奈川県庁に出向し、教育、人事、庶務の各課長を歴任し、学徒動員をめぐって軍部とかなりやりあった。 戦後は、片山哲内閣総理大臣秘書官。
原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日… 原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年(大正2年)4月29日 - 1999年(平成11年)9月7日)は、日本の内務官僚、政治家。位階は従二位、勲等は勲一等旭日桐花大綬章。
西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 198… 西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、京都市出身の小説家、政治家。 京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)の中書島遊廓の貸座敷の家に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学文学部西洋哲学科卒業、1946年に日本共産党に入党するが、1950年のいわゆる「五十年問題」による党分裂の際、「除名」される。1955年には、日本共産党の統一・正常化と同時に党へ復帰。 この間に義母名義の娼家(第2次世界大戦後は「お茶屋」名目で営業)の片隅で自伝的小説『廓』を執筆。第一部を1956年に刊行。ベストセラーとなり、小説家として認められる。同作は第35回(昭和31年上期)直木賞候補となり、「『廓』より 無法一代」(1957年、監督滝沢英輔)として映画化された(第二部は同年末、第三部は1958年に刊行)。
山内 一郎(やまのうち いちろう、1913年〈大正2年〉2月… 山内 一郎(やまのうち いちろう、1913年〈大正2年〉2月15日 - 2005年〈平成17年〉3月6日)は、日本の政治家、建設官僚。参議院議員(4期)。位階は従三位。勲等は勲一等。山形県知事を務めた山内継喜は従兄。 1913年2月15日、内務省官僚の父・喜之助と母・小奈加(小松原英太郎の養女)の長男として、東京・麹町に生まれる。父・喜之助は内務省・土木技師として、西日本の主要河川の改修工事に参画。大阪・神戸両港の築港にも参加し、工学博士の学位も取得するなど、当時の日本を代表する官僚の1人だった。 幼少期に、父の転勤により兵庫県姫路市に移住。城東小学校卒業後、姫路中学を受験するが失敗。そのため、1年間の浪人生活を経て、同中に入学した。
德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6… 德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6日 - 1993年(平成5年)2月6日)は、日本の官僚、政治家、陸軍軍人、華族(公爵)。江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫。通称は「けいこう」。新字体で徳川 慶光とも表記される。 1913年(大正2年)2月6日、公爵徳川慶久と有栖川宮威仁親王の第二王女・實枝子の長男として東京府東京市小石川区第六天町(現:東京都文京区小日向)の屋敷で生まれた。お印は雁。赤ん坊の頃、祖父・慶喜の膝に抱かれ、おもらしをしたことがある。 1922年(大正11年)に父が急死したため、10歳で襲爵。伯父の侯爵・池田仲博が後見人となった。学習院から東京帝国大学文学部支那哲学科に進んで中国哲学を専攻し、卒業後は宮内省図書寮に勤務した。
若林 正武(わかはやし まさたけ、1913年(大正2年)1月… 若林 正武(わかはやし まさたけ、1913年(大正2年)1月8日 - 1984年(昭和59年)8月22日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)、林野庁長官。 長野県更級郡上山田村(上山田町を経て現千曲市)で生まれる。1937年(昭和12年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。同年、朝鮮総督府に入府。その後、応召した。 1947年(昭和22年)農林省に入省し、同山林局、経済安定本部、林野庁、石川県、帯広営林局、山梨県などで勤務し、林野庁長官に1966年(昭和41年)7月から1967年(昭和42年)9月まで在任して退官した。その他、中央鳥獣審議会委員、中央森林審議会委員、歴史的風土審議会委員などを務めた。
林 健太郎(はやし けんたろう、1913年〈大正2年〉1月2… 林 健太郎(はやし けんたろう、1913年〈大正2年〉1月2日 - 2004年〈平成16年〉8月10日)は、昭和期に活動した日本の西洋史家、政治家、評論家。保守派として知られた。専門は西洋史学(近代ドイツ史)。東大教授・文学部長。第20代東大総長、自由国民会議所属参議院議員(1期)を務めた。 1913年(大正2年)、東京府生まれ。父親は海兵32期の林季樹(旧姓・香取)で、ワシントン軍縮条約での減員対象となり、大佐昇進と同時に予備役編入となり、中学の国語漢文の教師となっていた。 旧制一高を経て、東京帝国大学文学部西洋史学科に入学。文学部では今井登志喜に師事した。1935年に卒業。当時は一高時代からマルクス主義に傾倒して唯物史観の立場から歴史を研究していた。
武田 邦太郎(たけだ くにたろう、1912年(大正元年)12… 武田 邦太郎(たけだ くにたろう、1912年(大正元年)12月20日 - 2012年(平成24年)11月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。日本新党副代表。1998年勲三等旭日中綬章を受章。 広島県福山市生まれ。福岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部卒業後、鐘紡に入社。同社農林部に所属し、満洲において農業事業に取り組んでいるとき、職業軍人・石原莞爾と知り合う。これは、武田の従兄に当たる池本喜三夫が石原のブレインであったことも大きいという。 終戦を迎え、石原は生まれ故郷である山形県・鶴岡に戻り、遊佐の鳥海山麓に自給自足の農村共同体である「西山農場」を創設し、理想郷づくりをはじめる。石原が目指した「小さな満洲」建設には、武田や石原の一番弟子で、武田の良きパートナーであった曹寧柱をはじめ全国から「東亜連盟」の理想に共鳴するものが参加。
成田 知巳(なりた ともみ、1912年〈大正元年〉9月15日… 成田 知巳(なりた ともみ、1912年〈大正元年〉9月15日 - 1979年〈昭和54年〉3月9日)は、日本の政治家。衆議院議員、日本社会党政策審議会長・書記長・委員長を歴任した。 香川県高松市出身。肥料商で高松市議会議員をつとめた成田鷹次の子として生まれる。旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)を経て、第四高等学校(現・金沢大学)、東京帝国大学(現・東京大学)法学部へと進む。高松中では野球部のマネージャーも務めており、1学年上に梶原英夫、三原脩がいた。大学卒業後、三井鉱山に入社する。1941年、三井化学に転属となり、1943年には文書課長に昇進した。第四高等学校時代には後に社会党の参議院議員となる亀田得治と同じクラスだった。
寺田 熊雄(てらだ くまお、1912年(大正元年)9月12日… 寺田 熊雄(てらだ くまお、1912年(大正元年)9月12日 - 1996年(平成8年)2月24日)は、日本の裁判官、政治家。第21代岡山市長、参議院議員(2期)。東京府出身。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
亀田 得治(かめだ とくじ、1912年〈大正元年〉8月14日… 亀田 得治(かめだ とくじ、1912年〈大正元年〉8月14日 - 1994年〈平成6年〉3月14日)は、日本の弁護士、政治家。北海道旭川市生まれ。日本社会党の参議院議員、日本社会党大阪府連合書記長、全国革新懇代表世話人を務めた。 生まれてすぐ、家族が石川県に引っ越したため、少年時代を金沢市で過ごす。金沢の第四高等学校に進学。後に日本社会党委員長となる成田知巳と同じクラスで、成績は1、2位を競い合った。2人とも東京帝国大学法学部に合格。社会運動を行っていた賀川豊彦と出会い、キリスト教の洗礼を受けた。賀川牧師のもとで、当時、治安維持法違反で保釈中だった岩本りえと出会い、結婚する。戦時中は弁護士として小作争議などを担当した。
細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治4… 細田 吉蔵(細田 吉藏、ほそだ きちぞう、1912年〈明治45年〉5月2日 - 2007年〈平成19年〉2月11日)は、日本の運輸官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。正三位勲一等。松江市名誉市民。 長男は衆議院議長、自由民主党幹事長、内閣官房長官、衆議院議員(11期)を歴任した細田博之。 島根県松江市西茶町に細田義一郎、千代乃の間に6人兄弟の4番目として生まれる。生家は、屋号を丸吉印「細田本店」、「細田油店」と称する油卸問屋。実父義一郎の弟・六助、つやの夫妻に子供がいなかったため、生まれてすぐに養子にだされ、養父母に育てられる。養母が薬屋を開いており、両方の店を手伝いながら少年時代を過ごす。
庄司 保親(しょうじ やすちか、明治45年(1912年)3月… 庄司 保親(しょうじ やすちか、明治45年(1912年)3月1日 - 没年不明)は日本の実業家、政治家。元合資会社第弐商会代表社員社長。元鳥取県西伯郡渡村会議員。 女優・司葉子はいとこ。 明治45年(1912年)3月1日、鳥取県西伯郡渡村(現境港市渡町)に庄司廉の長男として生まれる。 昭和11年(1936年)東京帝国大学経済学部卒業。 昭和17年(1942年)鳥取県石炭統制(株)常務取締役。昭和21年(1946年)鳥取地方裁判所調停委員(~1980年)。昭和26年(1951年)合資会社第弐商会代表社員社長。昭和35年(1960年)協和地下工業(株)代表取締役社長。 昭和36年(1961年)鳥取県教育委員(~1969年)昭和37年(1962年)(株)博愛病院取締役社長。
谷垣 専一(谷垣 專一、たにがき せんいち、1912年(明治… 谷垣 専一(谷垣 專一、たにがき せんいち、1912年(明治45年)1月18日 - 1983年(昭和58年)6月27日)は、日本の政治家。従三位勲一等。文部大臣。妻は陸軍中将影佐禎昭の長女安紀。第24代自由民主党総裁の谷垣禎一は長男。 京都府福知山市の造り酒屋・谷垣松次郎の五男として生まれた。旧制京都府立福知山中学校、旧制第三高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業後、1936年、農林省入省(農務局嘱託)。要員局運用課長、開拓局管理課長、長野県農地部長、総務局物資調整課長、農地局総務課長、農地局管理部長、農林経済局農業協同組合部長などを経て、1955年10月に大臣官房長、1956年6月に畜産局長となる。
中村 徹雄(なかむら てつお、1911年(明治44年)12月… 中村 徹雄(なかむら てつお、1911年(明治44年)12月28日 - 1975年(昭和50年)7月5日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 鉄道院技師・中村謙一の長男として生まれる。父の死去に伴い、1943年(昭和18年)4月1日、男爵を襲爵した。 1937年(昭和12年)東京帝国大学経済学部を卒業。同年、浅野物産に入社した。 1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。墓所は多磨霊園。
井上 勝英(いのうえ かつひで、1911年〈明治44年〉12… 井上 勝英(いのうえ かつひで、1911年〈明治44年〉12月26日 - 1997年〈平成9年〉10月7日)は、昭和期の農林官僚、政治家、華族。貴族院子爵議員。 海軍士官・井上勝純の長男として生まれる。父の死去に伴い、1939年1月16日、子爵を襲爵した。 1937年(昭和12年)3月、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業。1939年(昭和14年)東京高等農林学校(現東京農工大学)助教授に就任。以後、農商事務官、農林事務官、総力戦研究所第二期研究生、南京日本大使館嘱託、農商大臣秘書官事務取扱、農村更生協会主事、日本農業研究所研究員補などを務めた。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
森田 喜美男(もりた きみお、1911年(明治44年)11月… 森田 喜美男(もりた きみお、1911年(明治44年)11月28日 - 2002年(平成14年)7月30日)は、日本の政治家。1973年から1997年まで東京都日野市長を務めた。全国市長会理事、東京都市長会顧問などを歴任。 鳥取県出身。東京帝国大学農学部実科を卒業後、旧満州で農業指導員を務め、終戦後は日野市内で養鶏場を経営。同市議を2期務めた後、1973年の同市長選に出馬。日本社会党、日本共産党、公明党などでつくる「新しい革新日野市政をつくる会」を支持母体として、保守系の現職・古谷栄をやぶり初当選、都内9番目の革新市政が誕生した。 その後5期連続で市長を務め、1993年の市長選ではこれまで与党だった社会党が離脱し、共産党単独推薦で臨むこととなったが2新人をやぶり6選。
春日 由三(かすが よしかず、1911年(明治44年)11月… 春日 由三(かすが よしかず、1911年(明治44年)11月10日 - 1995年(平成7年)10月22日)は、日本の政治家。新潟県十日町市長(2期)。日本民謡協会理事長。NHK専務理事。 現在の新潟県十日町市出身。大島三五郎の三男に生まれ、春日家の養子となる。1935年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年、NHKに入局。富山放送局長、編成、企画、経理の各局長を経て、1959年に理事、1963年に専務理事となった。この間、1951年の第1回紅白歌合戦の審査員長を務めた(第2回を除く第7回まで)。その後NHKを退局し、日本音楽著作権協会理事長を務め、1971年に郷里の十日町市長に当選した。 春日は市長時代には「市民との会」という少人数の集会を開き、会には必要最小限の関係課長が同行して、即答性を重視する方針をとった。
坂井 時忠(さかい ときただ、1911年9月18日 - 19… 坂井 時忠(さかい ときただ、1911年9月18日 - 1990年1月19日)は、昭和時代後期日本の政治家。内務省および警察庁の官僚を経て、兵庫県知事を4期16年にわたって務めた。
片岡 清一(かたおか せいいち、1911年(明治44年)7月… 片岡 清一(かたおか せいいち、1911年(明治44年)7月23日 - 1999年(平成11年)2月26日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。富山県砺波市出身。 東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省に入省。東京府属。1966年(昭和41年)9月14日から1969年11月30日まで砺波市長を務めた後、同年の第32回衆議院議員総選挙に松村謙三の後継者として旧富山2区から出馬するも落選。続く1972年の第33回衆議院議員総選挙にて初当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。以後連続当選6回。自民党内では中曽根康弘派に属し、1988年12月発足の竹下改造内閣で郵政大臣に任命され、初入閣(当時77歳5か月)。
八木 一男(やぎ かずお、1911年6月7日 - 1976年… 八木 一男(やぎ かずお、1911年6月7日 - 1976年9月11日)は、日本の政治家、部落解放運動家。元部落解放同盟中央執行委員。父は元衆議院議員の八木逸郎。 1911年奈良市に生まれる。東京帝国大学経済学部卒業とともに社会運動に参加。戦後、日本社会党に入党。1952年、第25回衆議院議員総選挙に奈良県全県区より立候補し当選。8期つとめた。社会党内の「部落解放特別委員会」設立に尽力し、党の部落解放政策要綱を作成した。 1959年部落解放審議会設置法案を国会に提出し同和対策審議会を設置させた。 1965年8月11日「同和対策審議会」答申が出されたとき、八木一男はとても感激した様子だったという。
黒田 海之助(くろだ うみのすけ、1911年〈明治44年〉5… 黒田 海之助(くろだ うみのすけ、1911年〈明治44年〉5月18日 - 1995年〈平成7年〉10月4日)は、日本の政治家。埼玉県熊谷市長。位階は従五位。 旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制松本高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業。卒業後は教員を経て、住友金属工業(現・日本製鉄)に勤務した。1950年(昭和25年)、熊谷市職員となる。1957年(昭和32年)に収入役となり、1961年(昭和36年)に第一助役となった。 1962年(昭和37年)5月19日に10代目熊谷市長に就任した。 1982年(昭和57年)の市長選挙に6選を目指して立候補したが、増田敏男ら2人に敗れて落選した。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年5月18日に市長を退任した。
張 暻根(チャン・ギョングン、朝鮮語: 장경근、1911年5… 張 暻根(チャン・ギョングン、朝鮮語: 장경근、1911年5月18日 - 1978年7月5日または7月25日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の裁判官、弁護士、政治家。初代ソウル地方法院(現・ソウル中央地方法院)院長、内務部・国防部次官、内務部長官、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 漢字表記は張璟根とも。 日本統治時代の平安北道龍川郡または京畿道富川郡または京城府(現・ソウル特別市)出身。1932年京都第三高等学校卒。1936年東京帝国大学(現・東京大学)法学部卒、在学中の1935年に高等文官試験司法科合格。1936年または1937年または1938年から京城地方法院判事、1941年から京城覆審法院判事を歴任し、解放後は京城地方裁判所首席判事(1945年)、ソウル地方法院長(1948年)、弁護士、内務部次官(1949年)、国防部次官(1950年5月14日~1951年6月22日)、韓日会談首席代表(1953年)、第14代内務部長官(1957年2月4日~9月25日)、自由党政務部長・政策委員会委員長・民法起草委員長、国連総会韓国代表を務めた。
正示 啓次郎(しょうじ けいじろう、1911年5月16日 -… 正示 啓次郎(しょうじ けいじろう、1911年5月16日 - 1994年4月17日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、経済企画庁長官。
榊原 政春(さかきばら まさはる、1911年(明治44年)3… 榊原 政春(さかきばら まさはる、1911年(明治44年)3月15日 - 2002年(平成14年)12月11日)は、昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。 後に子爵・榊原政敬の養子となる榊原政和の二男として生まれる。父の死去に伴い、1927年(昭和2年)3月1日、子爵を襲爵した。 1935年(昭和10年)東京帝国大学法学部を卒業。その後、同学部研究室で国際政治学を研究。1936年、台湾拓殖に入社。1938年(昭和13年)に召集され野砲兵第1連隊に入隊。1940年(昭和15年)陸軍少尉に任官し、1941年(昭和16年)南方軍司令部付となり、1942年(昭和17年)陸軍中尉に昇進。南方軍では、報道部、軍政部員として勤務し、日本陸軍占領地をくまなく視察した。
山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月2… 山本 幸雄(やまもと さちお、1911年〈明治44年〉2月26日 - 2007年〈平成19年〉2月6日)は、日本の政治家、内務・建設官僚。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。自治大臣(第32代)、国家公安委員会委員長(第41代)を歴任した。 現在の三重県桑名市に生まれる。旧制富田中学、松本高等学校文科甲類を経て1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部政治科に入学。在学中に高等文官試験行政科に合格し、1936年、大学卒業。 1936年、内務省に入省する(同期に山田正雄陸上幕僚長)。入省後、愛媛県で別子銅山の公害調査、富山県で内務省高等官として都市計画等の地方行政に携わる。終戦後の1946年、当時内務政務次官であった世耕弘一の下、経済警察の立場で隠退蔵物資摘発に携わった後、神奈川県国家地方警察隊長、国家地方警察本部人事課長、防衛庁人事局長、警察庁長官官房長、大阪府警察本部長、建設省官房長を務め、建設事務次官を最後に退官。
平川 篤雄(ひらかわ とくお、1911年(明治44年)2月1… 平川 篤雄(ひらかわ とくお、1911年(明治44年)2月18日 - 1996年(平成8年)6月29日)は、昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。 広島県出身。1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部国文科を卒業した。 以後、新潟県師範学校教諭、広島県師範学校教諭、三原女子師範学校附属主事、広島高等師範学校講師、広島県地御前国民学校長、同緑井国民学校長、広島昭和高等女学校(現比治山女子中学校・高等学校)教頭を歴任した。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で広島県全県区に無所属で出馬して初当選。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で広島県第1区に国民協同党公認で出馬して落選。
西村 尚治(にしむら しょうじ、1911年〈明治44年〉2月… 西村 尚治(にしむら しょうじ、1911年〈明治44年〉2月1日 - 1997年〈平成9年〉10月15日)は、日本の郵政官僚、政治家。参議院議員(4期)。国務大臣総理府総務長官兼沖縄開発庁長官。 鳥取県東伯郡大栄町(現・北栄町)出身。亀吉の二男。第六高等学校を経て、1936年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格し逓信省に入省。中野郵便局属。 戦後は郵政省に移り、資材局調整課長、大臣官房文書課長、大臣官房資材部長、大阪郵政局長などを経て、1960年5月に簡易保険局長。1961年6月に郵務局長。1962年5月15日には郵政事務次官に就任した。1964年6月に退官。 1965年7月、第7回参議院議員通常選挙の全国区に自由民主党から出馬し初当選。
山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910… 山崎 斉(山崎 齊、やまざき / やまさき ひとし、1910年(明治43年)11月25日 - 没年不詳)は、昭和期の農林技官及び官僚、政治家。参議院議員(1期)、林野庁長官。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問。 高知県香美郡徳王子村(大忍村、徳王子村、香我美町を経て現香南市香我美町徳王子)で、山崎栄の二男として生まれる。1933年(昭和8年)東京帝国大学農学部林学科を卒業した。 農林省に入省し、営林署技師、大館営林署長、農林技官、林野庁林産課長、同業務課長、同計画課長、同指導部長などを歴任し、林野庁長官に1958年(昭和33年)6月から1961年(昭和36年)7月まで在任して退官した。 1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1… 前田 佳都男(まえだ かづお、1910年11月24日 - 1978年1月4日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(4期)。参議院副議長(第13代)。科学技術庁長官(第26代)。息子は法務大臣を務めた前田勲男。 和歌山県出身。東京法学院卒で伊那合同銀行取締役を務めた前田友次郎の長男。旧制和歌山県立伊都中学より旧制浪速高等学校文科甲類を経て1934年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 逓信省に入省後、イギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどに留学を経験し1937年小倉郵便局長、1943年貯金局企画課長、郵務局逓送課長、郵務局次長などを歴任し、1955年大阪郵政局長を最後に退官。政界入りを目指し翌年の参議院選挙に和歌山県地方区から自由民主党公認で立候補し初当選。
大西 正男(おおにし まさお、1910年〈明治43年〉10月… 大西 正男(おおにし まさお、1910年〈明治43年〉10月12日 - 1987年〈昭和62年〉9月18日)は、日本の政治家。郵政大臣(第40代)、衆議院議員(9期)。 高知県高知市升形出身。弁護士、衆議院議員の大西正幹の長男。旧制高知高等学校、東京帝国大学法学部卒業後、検事を経て弁護士となる。1949年の総選挙に高知県全県区から立候補し、初当選。1952年の総選挙では公職追放から解除されたばかりの宇田耕一に地盤を譲り、同年の参院選に高知県地方区から出馬するが、落選。 政界から一旦は退いていたが、1963年の総選挙で宇田の後継だった浜田正信の地盤を引き継ぐ格好で、11年振りに出馬して当選し、国政に返り咲く。
本山 政雄(もとやま まさお、1910年(明治43年)10月… 本山 政雄(もとやま まさお、1910年(明治43年)10月10日 - 2009年(平成21年)5月11日)は、日本の教育学者、政治家。元名古屋市長(3期)。名古屋大学名誉教授。 東京都出身。東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)、府立高等学校(東京都立大学 (1949-2011)の前身)卒業。東京帝国大学文学部に入学。読書や勉学ではヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチやジャン=ジャック・ルソーに親しんだが、教育学を学ぼうという意思は特別なかったという。友人のすすめで教育学科を専攻することとなり、教育学者の阿部重孝から直接指導を受けた。1935年に大学を卒業し、大学院に進んだ。 1937年に召集。
森 昌也(もり まさや、1910年〈明治43年〉10月8日 … 森 昌也(もり まさや、1910年〈明治43年〉10月8日 - 2013年〈平成25年〉5月7日)は、日本の政治家。島田市名誉市民。 静岡県議会議員(3期)、静岡県島田市長(5期)、島田市議会議員(2期)などを歴任した。 1910年(明治43年)10月8日、静岡県志太郡島田町大津小路で出生。1937年(昭和12年)、東京帝国大学文学部社会学科卒業。国民精神文化研究所研究生指導科修了。 1947年(昭和22年)、島田町議会議員に初当選。在任中、議長を務めた他、近代的な市議会運営の視察のために渡米し、リッチモンド市を訪れた。島田町議会議員・島田市議会議員を2期6年務めた後、1953年(昭和28年)、島田市長に初当選し、5期20年務めた。
塚原 俊郎(つかはら としお、1910年10月2日 - 19… 塚原 俊郎(つかはら としお、1910年10月2日 - 1975年12月7日)は、日本の政治家。総理府総務長官・労働大臣。正三位勲一等。通商産業大臣を務めた塚原俊平は長男。 現在の茨城県常陸太田市に、下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)や太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)などの校長を歴任し、茨城教育界で名校長として知られた教育者・塚原末吉の二男として生まれる。水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、水戸高等学校を経て、1935年東京帝国大学文学部社会学科を卒業後、同盟通信社に入社し10年間の記者生活を送る。 戦後は官界に転じ、情報局情報官、内務省地方局世論調査課長を務めた後、1947年増田甲子七運輸大臣秘書官となる。
畑 和(はた やわら、1910年〈明治43年〉9月29日 -… 畑 和(はた やわら、1910年〈明治43年〉9月29日 - 1996年〈平成8年〉1月26日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(4期)、埼玉県知事(5期)を歴任。 埼玉県北埼玉郡礼羽村(現・加須市)出身。礼羽村立礼羽尋常小学校、旧制不動岡中学校(現・埼玉県立不動岡高等学校)、旧制浦和高等学校(現・埼玉大学教養学部)、東京帝国大学法学部卒業。 弁護士を経て、埼玉県議会議員を2期務めた後、1960年の第29回衆議院議員総選挙に旧埼玉1区から日本社会党公認で立候補し当選(4期連続当選)。社会党右派の有力議員として活動した。 1972年(昭和47年)の埼玉県知事選挙で自由民主党公認の前川口市長・大野元美と反共全国遊説隊公認の高田がんの両候補を破って初当選、以後連続5期。
田中 龍夫(たなか たつお、1910年〈明治43年〉9月20… 田中 龍夫(たなか たつお、1910年〈明治43年〉9月20日 - 1998年〈平成10年〉3月30日)は、日本の政治家、華族(男爵)。正三位勲一等。首相を務めた田中義一の長男。 戦後間もなく貴族院議員、山口県知事を務め、のち自由民主党に所属し衆議院議員、通商産業大臣、文部大臣を歴任した。福田派の幹部として重きをなし、岸派以来の福田赳夫側近として行動を共にした。また長らく「日本海外移住家族会連合会」の会長を務め、世界各地の日系移民とその家族の支援に尽力した。 1910年(明治43年)9月20日 、陸軍軍人・田中義一の長男として山口県萩市に生まれる。暁星中学校から一浪を経て浦和高等学校(現・埼玉大学)に進学し、東京帝国大学法学部政治学科に入学。
福永 健司(福永 健司、ふくなが けんじ、1910年〈明治4… 福永 健司(福永 健司、ふくなが けんじ、1910年〈明治43年〉8月5日 - 1988年〈昭和63年〉5月31日)は、日本の政治家、衆議院議長(第63代)、内閣官房長官(第9・10・26・27代)、労働大臣(第19代)、厚生大臣(第51代)、運輸大臣(第49代)、自由民主党国会対策委員長、自由民主党総務会長を歴任。位階は従二位、勲一等旭日桐花大綬章。息子は元自民党衆議院議員の福永信彦。 滋賀県甲賀郡甲賀町(現・甲賀市)出身。旧制松江高校文科甲類、1933年東京帝国大学法学部法律学科卒業後、片倉製糸紡績に入社。 1947年、西村実造埼玉県知事の要請を受けて埼玉県副知事となる。カスリーン台風が到来したときには、利根川が決壊するなか陣頭指揮にあたる。
津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 198… 津川 武一(つがわ たけいち、1910年8月2日 - 1988年9月4日)は、日本の政治家、精神科医、作家である。 青森県南津軽郡五郷村(現青森市浪岡地区)に生まれ、小作人の子どもとして育つ。学業成績が優秀であったため、小学校の教師のすすめで弘前中学校に進学し、その後旧制弘前高等学校に進む。弘前高時代は、石上玄一郎と交友をもつ。なお、太宰治とも同時期に弘前高に在学していたが、そのころは交流はなかったという。なお、津川、石上、太宰は、いずれも旧制中学四修で高校入学組の秀才だった。ただし、太宰は高等小学校1年就学後に中学入学のため津川と石上よりは一歳上だった。 1930年、東京帝国大学医学部に進学。
井伊 直愛(いい なおよし、1910年(明治43年)7月29… 井伊 直愛(いい なおよし、1910年(明治43年)7月29日 - 1993年(平成5年)12月2日)は、日本の水産学者・政治家。旧彦根藩主井伊家の第16代当主。農学博士(東京大学・論文博士・1961年)(学位論文「極東海域におけるアミ科の分布に関する研究」)。滋賀大学経済学部講師、彦根市長。彦根市名誉市民。滋賀県出身。 幕末の大老井伊直弼の曾孫にあたる。 伯爵井伊直忠の庶子。生母は東京の斎藤ふく。 海軍軍人志望だったが体格に自信がなく、また当時の軍を支配していた藩閥を嫌って学問の道に進み、東京帝国大学農学部水産学科から同大学院に学ぶ。専門はアミ類で、約50種の新種を発見した。東大農学部嘱託、文部省資源科学研究所や滋賀県水産試験場、滋賀大学経済学部講師などを歴任した。
大隈 信幸(おおくま のぶゆき、1910年5月20日 - 2… 大隈 信幸(おおくま のぶゆき、1910年5月20日 - 2004年2月28日)は、日本の政治家、外交官、華族(侯爵)。 貴族院議員、参議院議員(1期)、コロンビア駐箚特命全権大使、ガーナ駐箚特命全権大使などを歴任した。 東京帝国大学の経済学部に入学し、1935年に卒業した。1947年、父である大隈信常の死去にともない、爵位を襲爵し侯爵となった。 1947年2月に貴族院議員に就任したが、日本国憲法施行により貴族院が廃止されたため、3か月弱で貴族院議員としての地位を失った。また、同年4月に行われた第1回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し、当選を果たした。参議院では民主クラブに所属した。任期満了まで2か月あまりを残し、1953年4月に議員を辞職した。
岡田 広(岡田 廣、おかだ ひろし、1910年(明治43年)… 岡田 広(岡田 廣、おかだ ひろし、1910年(明治43年)4月6日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。軍恩連盟全国連合会理事長。 現在の栃木県矢板市出身。1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部教育学科を卒後、石黒奨学資金研究員。翌年陸軍に召集され、宇都宮輜重兵第14連隊に入営し、1938年(昭和13年)より日中戦争に出征。1940年(昭和15年)、招集解除となり、石黒忠篤農林大臣秘書官。 1941年(昭和16年)に再招集され、同年7月より関特演により宇都宮にて新規編成された独立自動車第38大隊の第4中隊長に任ぜられる。8月の編成完結をもって満州牡丹江、台湾基隆を経て太平洋戦争後は南方戦線に投入され、フィリピン攻略戦に参加、翌年ニューブリテン島ラバウルに派遣され、1943年(昭和18年)8月19日、中隊将兵180名とともにニューアイルランド島ラトブに分遣。
小川 平二(おがわ へいじ、1910年〈明治43年〉1月14… 小川 平二(おがわ へいじ、1910年〈明治43年〉1月14日 - 1993年〈平成5年〉7月16日)は、日本の政治家。内閣官房副長官(政務担当)、労働大臣(第28代)、自治大臣(第25代)、国家公安委員会委員長(第34代)、北海道開発庁長官(第39代)、文部大臣(第103代)、衆議院議員(12期)。 鉄道大臣、司法大臣などを歴任した小川平吉の二男として、東京都に生まれる。衆議院議員を務めた小川一平は兄、日中国交回復後に初代中国大使(1973-77年)を務めた外交官小川平四郎は弟、首相宮澤喜一、外交官(駐チリ大使など)小川元は、それぞれ甥。 東京府立五中、旧制佐賀高等学校文科乙類、1933年東京帝国大学経済学部を卒業後、三菱商事入社。
田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15… 田中 覚(たなか さとる、1909年(明治42年)12月15日 - 2002年(平成14年)8月10日)は、日本の政治家で、三重県知事(5期)、衆議院議員(1期)を務めた。三重県四日市市塩浜地区出身。学歴は東京帝国大学卒業である。元四日市市長の加藤寛嗣は従兄弟である。1944年(昭和19年)佐藤喜代子と結婚して、2女をもうける。喜代子と死別後の1975年(昭和50年)には元総理大臣三木武夫の妻睦子の妹である三重子と再婚した。元衆議院議員の松崎哲久は義理の息子、映画監督として人気のあった藤田敏八は甥(姉の子)である。 1909年(明治42年)12月15日、三重県四日市市蔵町の母の実家で生まれる。塩浜尋常小学校、塩浜高等小学校、三重県立第二中学校(現・四日市高校)から東京府立第五中学校(現・小石川高校)へ転校して、第八高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業した。
阿部 憲一(あべ けんいち、1909年11月30日 - 19… 阿部 憲一(あべ けんいち、1909年11月30日 - 1989年3月28日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、公明党)、学校法人創価学園理事長を歴任。 長野県北佐久郡岩村田町(現・佐久市)出身。旧制野沢中学(長野県野沢北高等学校)、旧制水戸高等学校を経て、1933年東京帝国大学経済学部卒。卒業後は海運会社に勤務し、1949年栗林商船取締役から1961年飯野海運取締役を経て、1965年渋沢海運社長に就任。また、創価学会理事を務める。 1967年の東京都知事選に無所属(公明党・推薦)で立候補したが、得票数3位で落選(当選者は美濃部亮吉)。 1968年の第8回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(改選数4)から公明党公認で立候補して、第1位で初当選。
豊岡 益人(とよおか ますと、1909年〈明治42年〉10月… 豊岡 益人(とよおか ますと、1909年〈明治42年〉10月27日 - 1988年〈昭和63年〉10月29日)は、昭和時代の政治家。三重県上野市長。 三重県出身。市田真道の三男として生まれ、豊岡博道の養子となる。1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部を卒業し、帝国美術院付属美術研究所嘱託となり、翌年念佛寺住職に就任。三重県国宝重要美術調査員、上野市公安委員を経て、1950年(昭和25年)三重大学講師を経て、1953年(昭和28年)5月、上野市長に就任した。 市長就任後間もなく東近畿大水害に見舞われ災害復旧に奔走。また、周辺村との合併問題をまとめた上野基本調査は統計界の大賞である大内賞を受賞した。