川野辺 敏(かわのべ さとし、1930年 - )は、日本の教… 川野辺 敏(かわのべ さとし、1930年 - )は、日本の教育学者、星槎大学特任教授。ソ連の教育政策について研究した。 埼玉県熊谷出身。埼玉県立熊谷高等学校をへて、1953年東京外国語大学ロシア語科卒。 文部省で外国教育調査(ソビエト担当)を担当した後に、国立教育政策研究所勤務、指導普及部長、生涯学習研究部長を経て、常葉学園大学教授。星槎大学副学長、特任教授。元日本比較教育学会会長。 日本学習社会学会創設にも関わり、初代会長を務め、同学会理事として活動中。
北條 賢三(ほうじょう けんぞう、1929年3月1日 - )… 北條 賢三(ほうじょう けんぞう、1929年3月1日 - )は、真言宗の僧、大正大学名誉教授。 東京府(現中野区)出身。東京外国語大学卒、1965年東北大学大学院印度哲学博士課程満期退学。1990年「インド神秘言語思想の研究」で東北大学文学博士。大正大学文学部助教授、教授、99年定年退任、名誉教授。ひかり幼稚園園長、中野区東光寺住職。インド仏教・インド思想を専門とした。
伊藤 敬一(いとう けいいち、1927年2月8日 - 201… 伊藤 敬一(いとう けいいち、1927年2月8日 - 2017年9月18日)は、中国文学者、東京大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1947年東京外国語学校中国語科卒業。1950年東京大学文学部中国文学科卒業、1952年同大学院満期退学、東京都立大学 (1949-2011)(現首都大学東京)助手、1959年専任講師、1964年助教授、1970年東大教養学部助教授(中国語)、1974年教授、1987年定年退官、名誉教授、中京大学教授。1992年同教養部長、1997年定年。 若いころ中国文学仲間と同人誌『北斗』を創刊、のち日中友好協会理事長、会長を務めた。業績は多岐にわたるが、特に老舎で、日本老舎研究会会長も務めた。
北村 甫(きたむら はじめ、1923年7月18日 - 200… 北村 甫(きたむら はじめ、1923年7月18日 - 2003年12月16日)は、日本のチベット学者。戦後のチベット学を牽引した。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所長。名誉教授。東洋文庫理事長。日本チベット学会会長。麗澤大学学長。 静岡県立静岡中学校を経て、1942年9月、静岡高等学校 (旧制)文科丙類卒業。同年10月、東京帝国大学文学部言語学科に入学。しかし時局の悪化にともない1943年12月、学徒動員により名古屋・中部第13部隊に入営。1945年9月、復員。 同年10月、東京帝国大学文学部言語学科に復学。1948年3月、東京大学文学部言語学科卒業(卒業論文は「五體清文鑑における滿州字の表す西藏語の音韻について」)。
桃井 真(ももい まこと、1923年2月4日 - 2004年… 桃井 真(ももい まこと、1923年2月4日 - 2004年4月18日)は、日本の陸軍軍人、国際政治学者、軍事アナリスト。 翻訳家・編集者としても活躍した。女優の桃井かおりの父。位階は従四位。 神奈川県鎌倉市生まれ。長野県佐久市出身。陸軍委託学生として東京外国語学校英語科を卒業、陸軍中野学校へ送られ参謀本部第二部に属した後、陸軍予備士官学校を卒業し、任官と同時に参謀本部第二部第六課で放送傍聴に従事。 終戦後は、経歴を偽り進駐米軍属として一時勤務。のち、北日本貿易、エイジアン・エコノミックレビュー、ブリティッシュ・インポート、日本商工会議所アジア経済研究会などを経て、1954年に防衛庁防衛研修所(のち防衛研究所)に入所、ハーバード大学に派遣された。
安田 一郎(やすだ いちろう、1922年9月27日 - 19… 安田 一郎(やすだ いちろう、1922年9月27日 - 1992年)は、日本の英語学者、英文学者、成城大学名誉教授。NHKラジオ『続・基礎英語』の講師として知られる。 東京入谷生まれ。1944年9月東京外国語学校英語部卒。1947年埼玉県経済部倍賞課嘱託、1949年埼玉地方経済調査庁経済調査官、1952年埼玉県地方行政観察局総理府事務官、埼玉大学教育学部附属中学校教官、1962年東京教育大学指導主事課程修了、1963年から64年にかけてフルブライト留学生としてミシガン大学に学び研修修了、帰国後に成城大学短期大学部講師、1965年NHK英語講座『続・基礎英語』講師(-1980年)、1967年成城短大助教授、1976年教授、1977年成城大学法学部教授(英語)、1978年大学評議員、1983年から87年図書館長、1990年成城大学定年退職、名誉教授、調布学園女子短期大学教授。
大嶋 正(おおしま ただし、1918年(大正7年)4月11日… 大嶋 正(おおしま ただし、1918年(大正7年)4月11日 - 1984年(昭和59年)3月3日)は、スペイン文学者、同志社大学商学部教授。専攻はスペイン古典文学。 福井県福井市出身。1940年、東京外国語学校スペイン語部文科を卒業する。日本郵船社員、都新聞記者などを経て、1962年に同志社大学商学部助教授となる。 1966年、給与所得者は過重な税負担を課せられているとして「サラリーマン税金訴訟」を起こした。一、二審で敗れ、1984年3月3日、最高裁上告中にS状結腸癌により死去。享年65歳。 1975年、『魔女セレスティナ』で第12回日本翻訳文化賞を受賞する。
大村 喜吉(おおむら きよし、1916年4月21日 - 20… 大村 喜吉(おおむら きよし、1916年4月21日 - 2003年2月19日)は、英語教育史の研究者、埼玉大学名誉教授。
香坂 順一(こうさか じゅんいち、1915年6月7日 - 2… 香坂 順一(こうさか じゅんいち、1915年6月7日 - 2003年7月22日)は、日本の中国語学者、大東文化大学名誉教授。 栃木県生まれ。東京外国語学校支那語科卒業。広州市嶺南大学(現・中山大学の前身)に学ぶ。戦後、大阪市立大学教授、1973年から1975年北京大学客員教授。大東文化大学東洋文化研究所教授、同中国語学科主任、同学長、同常務理事、同顧問。NHK中国語講座の講師を務めた。一般財団法人日本中国語検定協会創設者、初代理事長。1990年勲三等旭日中綬章受勲。
石井 正之助(いしい しょうのすけ、1912年 - 1990… 石井 正之助(いしい しょうのすけ、1912年 - 1990年)は、英文学者、東京学芸大学名誉教授。東京都生まれ。麹町小学校、旧制豊山中学校を経て、1935年東京外国語学校英語部卒業、50年文部省内地研究員として東京文理科大学在籍。51年ガリオア留学生として米国オハイオ州立大学大学院に学ぶ。69年「ロバート・ヘリック研究」で東京教育大学文学博士。東京学芸大学教授、76年定年退官、名誉教授、白百合女子大学教授。83年退職。
藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997… 藤田 五郎(ふじた ごろう、1911年7月8日 - 1997年1月31日)は、日本のドイツ語学者、東京外国語大学名誉教授。 東京都生まれ。1931年武蔵高等学校卒業、東京帝国大学法学部入学、1935年同文学部独文科卒業、大学院進学、副手、1936年武蔵高校教授、1938年広島高等学校教授、1942年東京外国語学校教授、東京外国語大学助教授、1956年教授、1973年定年退官、麗澤大学教授、1982年退職。
海江田 進(かいえだ すすむ、1909年〈明治42年〉5月3… 海江田 進(かいえだ すすむ、1909年〈明治42年〉5月30日 - 1984年〈昭和59年〉9月16日)は、日本の英文学・英語学者。海江田信義の子孫。 東京生まれ。1931年東京外国語学校英語科卒。1952年東京外国語大学助教授、教授、73年定年退官、名誉教授、明星大学教授。大学入試英語の教科書などを多く執筆した。
柏熊 達生(かしわぐま たつお、1907年11月13日 - … 柏熊 達生(かしわぐま たつお、1907年11月13日 - 1956年5月27日)は、日本のイタリア文学者、東京外国語大学教授。 1907年(明治40年)、千葉県生まれ。本名は柏熊宜三。1928年(昭和3年)、東京外国語学校イタリア語科卒。翌年、外務省留学生としてローマへ渡り大使館に勤務する。1940年(昭和15年)に帰国して東京外国語大学の講師、翌年教授となる。著書として『伊太利案内』(1940年)、翻訳としてボッカッチョ『デカメロン』、コッローディ『ピノッキオ』、デ・アミーチス『クオレ』など。1956年5月27日死去。48歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
皆川 三郎(みながわ さぶろう、1906年9月14日 - 1… 皆川 三郎(みながわ さぶろう、1906年9月14日 - 1998年10月21日)は、日本の英語学・英語史学者。 新潟県出身。東京外国語学校英語科卒。1981年「形成期の東インド会社とWilliam Adams」で立正大学文学博士。高知商業学校教師、1938年仙台陸軍幼年学校教官、1946年長岡工業専門学校教員、1949年新潟大学助教授、のち明治学院大学教授、1977年定年、帝京大学文学部教授を務めた。トマス・ハーディのほか、江戸時代の西洋との交通について研究した。
前嶋 信次(まえじま しんじ、1903年7月20日 - 19… 前嶋 信次(まえじま しんじ、1903年7月20日 - 1983年6月3日)は、日本のイスラム学者、東洋史家、東洋学者。慶應義塾大学名誉教授。 1903年、山梨県笛吹市八代町に生まれた。山梨県立日川中学校、東京外国語学校仏語科を経て、東京帝国大学文学部東洋史学科に進んだ。当時は日本ではほとんど研究する者がなかったイスラム史を志し、アラビア語を学んだ。1928年に同大学を卒業。 卒業後は、台北帝国大学助手や台南州立台南第一中学校教諭を務めた。1940年、南満洲鉄道東亜経済調査局に勤勤。このことで厖大なイスラム文献を自由に手に取り研究する機会を得た。 1953年、学位論文『東西交渉史上におけるイスラム教徒勢力の消長に関する研究』を慶應義塾大学に提出して文学博士号を取得。
蒲生礼一(蒲生禮一、がもう れいいち、1901年4月7日 -… 蒲生礼一(蒲生禮一、がもう れいいち、1901年4月7日 - 1977年8月12日)は、日本のイスラム学者。東京外国語大学名誉教授。 1901年、島根県生まれ。東京外国語学校を卒業。1925年、東京外国語学校講師となった。その一方で、回教圏研究所でも研究活動を続けた。 太平洋戦争終結後の1950年、東京外国語大学教授に就任。1954年からは東京大学文学部講師を兼任した。1964年に東京外国語大学を定年退官し、名誉教授となった。
安藤 更生(あんどう こうせい、1900年(明治33年)6月… 安藤 更生(あんどう こうせい、1900年(明治33年)6月10日 - 1970年(昭和45年)10月26日)は、日本の美術史家。日本の仏寺、中国美術、鑑真、書道などを研究した。 東京出身。本名は正輝。早稲田中学を経て東京外国語学校(現東京外国語大学)を卒業。早稲田大学仏文学科へ進むも中退(1924年)。 会津八一に師事し、1923年、奈良美術研究会を創設(のち東洋美術研究会)。1929年に研究誌『東洋美術』を創刊。1938年、中華民国に渡り、新民印書館に勤務。安藤が編集した『北京案内記』は、北京に関する案内書としては、名著と言われ、評価が高い。1966年、多摩美術大学で教授を務めた。戦後は早稲田大学教授を務めた。
池内 信行(いけうち のぶゆき、1894年3月27日 - 1… 池内 信行(いけうち のぶゆき、1894年3月27日 - 1972年2月12日)は、日本の経営学者。関西学院大学名誉教授。経営学の方法論の研究で知られた。 兵庫県姫路市新在家生まれ。1914年東京外国語学校(現東京外国語大学)卒業。コロンビア大学大学院、ベルリン大学で学び、1924年関西学院高等商業学部教授、関西学院大学経営学部教授。1964年大阪経済大学教授、同経営研究所長。1950年「経営経済学の存在論的究明」で関西学院大学経済学博士。
大槻 喬(おおつき たかし、1893年4月8日 - 1969… 大槻 喬(おおつき たかし、1893年4月8日 - 1969年11月16日)は、日本の電気工学者。電気学会会長。 兵庫県生まれ。1914年、東京高等工業学校付設工業教員養成所電気科卒業。1919年、東京外国語学校専修科ドイツ語学科卒業。1921年からアメリカ・イギリス・ドイツに留学。熊本高等工業学校教授を経て、1929年、東京工業大学助教授。ドイツ留学を経て、1932年に東京大学工学博士号を修得、1934年に東工大電気工学科教授。1954年、定年退職し、名誉教授となると共に、明治大学教授、東洋電機製造取締役・技術研究所長に就任。1965年、東海大学工学部長。1969年、電気学会会長。 1969年11月16日、脳卒中のため東京都目黒区自由が丘の自宅にて死去。
須藤 兼吉(すどう けんきち、1888年 - 1980年)は… 須藤 兼吉(すどう けんきち、1888年 - 1980年)は、日本の英語学者、東京高等商船学校(現・東京海洋大学)教授、元神奈川大学外国語学部教授。旺文社顧問。J・A・サージェント、J・B・ハリスと共著の『Systematic English & American Conversation系統的英米会話』が有名[要出典]。 長野県西筑摩郡福島町(現木曽町)に生まれる。1911年(明治44年)、東京外国語学校英語科(現・東京外国語大学)を卒業する。 東京高等商船学校(現・東京海洋大学)を経て、神奈川大学外国語学部教授となる。
牛山 充(うしやま みつる、1884年6月12日 - 196… 牛山 充(うしやま みつる、1884年6月12日 - 1963年11月9日)は、日本の音楽学者、舞踊・浮世絵評論家、翻訳家。旧姓は百瀬。 長野県諏訪郡四賀村(諏訪市四賀)生まれ。高島小学校卒業後、1913年東京音楽学校甲種師範科卒。高野辰之、田村寛貞に師事し、在学中、学友会誌「音楽」の主筆・編集長を務めた。1912年には学友会主宰の「土曜演奏会」を始めた。また東京外国語学校や正則英語学校に通い、英語を習得し、海外音楽理論の翻訳に着手した。東京音楽学校講師を経て、教授。1922年から「東京朝日新聞」の音楽・舞踊欄を担当した。 1934年8月から「月刊楽譜」主筆を務めた。1938年4月に行われた第6回日本音楽コンクールではバイオリン部門の審査員を務める。
古賀 十二郎(こが じゅうじろう、1879年(明治12年)5… 古賀 十二郎(こが じゅうじろう、1879年(明治12年)5月16日 - 1954年(昭和29年)9月6日)は、日本の郷土史家。長崎学の基礎を築いた人物として知られる。 黒田藩長崎屋敷の御用達「万屋」の12代目として生まれる。1895年、長崎市立商業学校を首席卒業。在学中、菅沼貞風『大日本商業史』と呉秀三『シーボルト』を読み、長崎の歴史に興味を持つ。1901年、高商附属外国語学校英語学科(現在の東京外国語大学)を卒業する。東京外国語学校の同級生に永井荷風(中退)がいた。 広島で3年間ほど英語教師を務めた後、長崎に帰郷して家業を継ぐ。1912年に『長崎批評』を創刊し、1913年に第1期長崎史談会を設立するなど、長崎研究を本格化させる。
島田 翰(しまだ かん、1879年〈明治12年〉1月2日 -… 島田 翰(しまだ かん、1879年〈明治12年〉1月2日 - 1915年〈大正4年〉7月28日)は、日本の漢学者・書誌学者。若くして校勘学で名をあげ、日中の文人と広く交流した一方で、書籍の窃盗などの事件を起こし、37歳のとき自殺した。 字は彦禎または彦楨。号は双桂后人。 1879年(明治12年)1月2日、東京府小石川区(現在の東京都文京区)にて、島田篁村を父とする学者の家系に生まれる。幼少から漢籍を愛し神童と評されたが、吃音を患い会話が苦手だった。 1891年(明治24年)、東京高等師範学校付属尋常中学校に入学、幼馴染の永井荷風や井上唖々と親交する。荷風の回想によれば、彼らはともに軟派で文弱だったため、しばしば同級生の鉄拳制裁の対象になったという。
草鹿 丁卯次郎(くさか ちょうじろう、1867年3月7日(慶… 草鹿 丁卯次郎(くさか ちょうじろう、1867年3月7日(慶応3年2月2日) - 1931年(昭和6年)4月24日)は、日本の学者、実業家。現在の石川県加賀市大聖寺出身。加賀国大聖寺藩藩医(禄高:150石)・草鹿泰冲(蓮浦)の次男。兄は草鹿甲子太郎(衆議院議員、弁護士、神戸日華実業協会理事長)。子息については後節を参照。 大聖寺小学校(現・加賀市立錦城小学校)を経て、金沢一中を[要検証 – ノート]卒業。1884年(明治17年)に東京外国語学校(現・東京外国語大学)を卒業し、翌年東京にて学習院助教授を務めたがその後ドイツに留学、1887年(明治20年)に留学先のイェーナ大学を卒業し、哲学の学位を取得している。
原田 豊吉(はらだ とよきち、万延元年11月21日(1861… 原田 豊吉(はらだ とよきち、万延元年11月21日(1861年1月1日) - 明治27年(1894年)12月2日)は、日本の地質学者。 万延元年11月21日(1861年1月1日)、兵学者・原田一道の長男として江戸小石川竹早町で生まれた。東京外国語学校でフランス語を学び、軍人であり欧州経験の豊富な父親とその知り合いであるドイツ人武器商人マイケル・ベアの勧めで、14歳にして1874年(明治7年)ドイツへ留学。 独逸では、ハンブルク近郊シュターデの中高一貫教育校(ギムナジウム)で3年学んだのち、フライベルク鉱山学校を卒業。ハイデルベルク大学で地質学、ミュンヘン大学で古生物学を学んだ。ミュンヘンではカール・アルフレート・フォン・ツィッテルの教えを受けた。
梅 謙次郎(、1860年7月24日〈万延元年6月7日〉- 1… 梅 謙次郎(、1860年7月24日〈万延元年6月7日〉- 1910年〈明治43年〉8月25日)は、日本の法学者、教育者。学位は、法学博士。帝国大学法科大学(現東京大学法学部)教授、東京帝国大学法科大学長、内閣法制局長官、文部省総務長官等を歴任。法典調査会民法起草委員・商法起草委員。和仏法律学校(現・法政大学)学監・校長、法政大学初代総理。勲一等瑞宝章受章。富井政章、穂積陳重とともに民法を、田部芳、岡野敬次郎とともに商法を立案起草した。弟子に川名兼四郎など。 松江藩(現:島根県松江市)で藩医・梅薫の次男として生まれた。6歳にして大学 (書物)・中庸を暗唱し、「梅家の小坊さんは日朗様の再来だ」と称賛された。
富井 政章(とみい まさあきら、1858年10月16日(安政… 富井 政章(とみい まさあきら、1858年10月16日(安政5年9月10日)- 1935年9月14日)は、日本の法学者、教育者。法学博士。帝国大学法科大学(現東京大学法学部)教授、帝国大学法科大学長、貴族院勅選議員、枢密顧問官等を歴任。法典調査会民法起草委員。和仏法律学校(現法政大学)校長。京都法政学校(現立命館大学)初代校長、立命館大学初代学長。男爵。
伊東 平蔵(いとう へいぞう、安政3年12月21日(1857… 伊東 平蔵(いとう へいぞう、安政3年12月21日(1857年1月16日) - 1929年(昭和4年)5月2日)は戦前日本の図書館専門家、イタリア学者。旧徳島藩士。 文部省で東京図書館等に勤務した後、イタリアに留学し、東京外国語学校等でイタリア語を教えた。大日本教育会書籍館で日本初の図書館講習会を創立し、私立大橋図書館、東京市立日比谷図書館、私立佐賀図書館、横浜市図書館の創立に関わった。 安政3年12月21日(1857年1月16日)徳島藩士山内俊一の三男として生まれ、伊東八郎左衛門の養子となった。本籍地は淡路国。1874年(明治7年)名東県の官費で東京外国語学校仏語科に入学した。 1880年(明治13年)9月3日文部省報告局に勤務し、『教育雑誌』でフランスの教育論等を抄訳した。
佐藤 美奈子(さとう みなこ)は、日本の政治学者。専門は政治… 佐藤 美奈子(さとう みなこ)は、日本の政治学者。専門は政治思想史。東京大学社会科学研究所助手、青山学院女子短期大学非常勤講師。
一柳 富美子(ひとつやなぎ ふみこ)は日本の音楽学者(昭和音… 一柳 富美子(ひとつやなぎ ふみこ)は日本の音楽学者(昭和音楽大学音楽学部講師)。東京外国語大学卒業、東京芸術大学大学院音楽研究科修了。モスクワ大学およびモスクワ音楽院に留学。ロシア音楽研究会主宰。ロシア音楽を専門とし、ロシアオペラとロシアピアニズムに特に造詣が深い。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
秋野 有紀(あきの ゆき)は、日本の政治学者。専門は文化政策… 秋野 有紀(あきの ゆき)は、日本の政治学者。専門は文化政策。早稲田大学教育学部複合文化学科教授。日本ドイツ学会奨励賞受賞。 2010年東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。同年ヒルデスハイム大学文化政策研究所 、博士(Dr.phil.)。同年日本学術振興会特別研究員(東京大学大学院人文社会系研究科)。2013年獨協大学外国語学部ドイツ語学科専任講師。2017年同准教授。2019年コロンビア大学美術史考古学学科客員研究員。同年日本ドイツ学会奨励賞受賞。2021年獨協大学学術研究顕彰受賞。2022年早稲田大学教育・総合科学学術院教育学部複合文化学科教授。専門は文化政策学、ドイツ地域文化研究。
村山 りおん(むらやま りおん)は、日本の著作家、フランス文… 村山 りおん(むらやま りおん)は、日本の著作家、フランス文学・演劇学者。本名・村山則子(むらやま のりこ)。 佐賀県生まれ。東京外国語大学フランス語科卒業。放送大学大学院修士課程修了、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程および2014年博士課程修了。「「驚くべきものle merveilleux」の概念から見たフランス・オペラの成立 :リュリ/キノーのオペラを巡るペローとラシーヌの「アルセスト論争」を中心に」で学術博士。表象文化論の研究を行い、絵画においても個展を重ねる。個人誌『翠』を刊行。作家としては村山りおんの筆名で、『石の花冠』により第5回小島信夫文学賞受賞。