伊藤 勝一(いとう かついち、1940年 - )は、横浜市出… 伊藤 勝一(いとう かついち、1940年 - )は、横浜市出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、タイポグラファー。 伊藤勝一デザイン室代表。多摩美術大学造形表現学部非常勤講師。JAGDA会員・日本タイポグラフィ協会 OB会員。 1962年 武蔵野美術大学商業デザイン科卒。 (株) エージー、(株) グレイ大広を経て1977年 伊藤勝一デザイン室創設。
武蔵野美術大学:546人
伊藤 勝一(いとう かついち、1940年 - )は、横浜市出… 伊藤 勝一(いとう かついち、1940年 - )は、横浜市出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、タイポグラファー。 伊藤勝一デザイン室代表。多摩美術大学造形表現学部非常勤講師。JAGDA会員・日本タイポグラフィ協会 OB会員。 1962年 武蔵野美術大学商業デザイン科卒。 (株) エージー、(株) グレイ大広を経て1977年 伊藤勝一デザイン室創設。
長島 浩(ながしま ひろし、1940年 -)は、日本の画家。… 長島 浩(ながしま ひろし、1940年 -)は、日本の画家。元近代美術協会会員。
角田 紘一(つのだ こういち、1939年〈昭和14年〉2月5… 角田 紘一(つのだ こういち、1939年〈昭和14年〉2月5日 - 2014年〈平成26年〉1月14日)は、日本のアニメーター。教授や講師として世界各国で後進の育成に励んだ。 1939年(昭和14年)2月5日、北海道釧路市に生まれる。1963年(昭和38年)、武蔵野美術大学油絵科を卒業した後、同年に東映動画へ入社した。同社では『デビルマン』、『マジンガーZ』、『銀河鉄道999』、『サイボーグ009 超銀河伝説』、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』、『オーディーン 光子帆船スターライト』、『トランスフォーマー ザ・ムービー』などの原画、作画監督、キャラクターデザインを手掛けるなど数多くのアニメーション制作に携わった。
佐々木 明(ささき あきら、1939年 - )は日本の造形家… 佐々木 明(ささき あきら、1939年 - )は日本の造形家、彫刻家。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)卒。代表作はウルトラマン、ウルトラセブンなど。入間市在住。 1939年長野県生まれ。武蔵野美術学校卒業。特殊美術家の成田亨の後輩にあたる。1964年9月より、円谷特技プロダクションの特撮テレビ映画『ウルトラQ』の美術スタッフとして、制作第1話から参加。主にミニチュアセットを担当した。 続く円谷特技プロ作品『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』(ともにTBS)では主役ヒーローであるウルトラマン、ウルトラセブンのマスク(仮面)を制作し、このマスクはのちの「ウルトラシリーズ」に登場する歴代「ウルトラマン」の基本となる造形となった。
志村 章子(しむら しょうこ、1939年〈昭和14年〉 - … 志村 章子(しむら しょうこ、1939年〈昭和14年〉 - 2022年〈令和4年〉1月26日)は、日本のジャーナリスト、評論家、ガリ版文化研究者。 東京府生まれ。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)第2西洋画科卒。足尾鉱毒事件、女性問題、老人問題などのジャーナリストとして活動、のちガリ版文化研究者。1994年、ガリ版愛好者の会「ガリ版ネットワーク」を創設(現・新ガリ版ネットワーク)。
平野 甲賀(ひらの こうが、1938年7月5日 - 2021… 平野 甲賀(ひらの こうが、1938年7月5日 - 2021年3月22日)は、日本のブックデザイナー。 妻の平野公子はスタジオイワト・プロデューサー。長男は写真家の平野太呂。 1938年 朝鮮・京城(現・ソウル)生まれ。 1945年 終戦を迎え、静岡に移住。 1957年 武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)デザイン学科入学。 1960年 武蔵野美術学校在学中に、グラフィックデザイナーの登竜門であった「日宣美」展で、大江健三郎『見るまえに跳べ』にて特賞受賞。 1961年 髙島屋の宣伝部入社。 1963年 高島屋退社、フリーランスとなる。 1964年以降、晶文社のほぼ全ての本の装幀に携わる。また、サイをあしらった同社の書籍のロゴマークも彼の手による。
平田 敏夫(ひらた としお、1938年2月16日 - 201… 平田 敏夫(ひらた としお、1938年2月16日 - 2014年8月25日)は、日本のアニメーター、アニメーション演出家、アニメ監督、映画監督である。ニックネームはポンさん。 山形県天童市に生まれる。武蔵野美術大学卒業の1960年、東映動画(現:東映アニメーション)に入社。東映動画時代は、森康二の班に配属されてアニメーター(原画マン・動画マン)として、同社の『わんぱく王子の大蛇退治』などの作画を担当した。4年間の動画マン生活の後、東映動画のテレビアニメ『狼少年ケン』で原画デビューし、虫プロへ移籍。虫プロではアニメーターとして原画を描いていたが、『鉄腕アトム』で演出家デビューした。演出については山本暎一から学ぶ。
椋尾 篁(むくお たかむら、1938年1月1日 - 1992… 椋尾 篁(むくお たかむら、1938年1月1日 - 1992年6月9日)は、長崎県佐世保市出身のアニメーション美術監督。武蔵野美術学校洋画科卒。元ムクオスタジオ主宰。“光と影と質感の詩人”の異名を持つ。 生家は代々平戸藩お抱えの焼物店だったが、本人曰く、自身が生まれた1938年頃に閉店したとのこと。高校卒業後は大阪に出て凸版印刷に就職するが、だんだん仕事に違和感を感じてきたということで2年ほどで退職。思い返せば子供の頃から絵を描くことが好きだったことから、やはり将来は絵をやっていこうと思い立って武蔵野美術学校に進学。しかし美術学校を出てもすぐに仕事は見つからず、同じ武蔵野美術学校の1年先輩でもある半藤克美に相談したところ「自分の所で仕事しないか」と誘われて虫プロダクションで仕事を始める。
中垣 信夫(なかがき のぶお、1938年 - )は、日本のグ… 中垣 信夫(なかがき のぶお、1938年 - )は、日本のグラフィックデザイナー・エディトリアルデザイナー。神奈川県出身。 武蔵野美術大学卒業。1964~73年杉浦康平デザイン事務所勤務。ウルム造形大学(en:Ulm_School_of_Design)に招致された杉浦康平に同行し、オトル・アイヒャーに師事する。1973年、中垣デザイン事務所設立。2008年4月、杉浦康平、勝井三雄などのグラフィックデザイナーが講師を務める、社会人のためのデザイン学校「ミームデザイン学校」を設立。 実家はワイナリー(皇國葡萄酒)。母方の祖父は、1935年東京大学駒場に移転した、当時の第一高等学校校長森巻吉。
川本 征平(かわもと しょうへい、1938年 - 2023年… 川本 征平(かわもと しょうへい、1938年 - 2023年10月15日)は、日本の男性アニメーション美術監督、アトリエローク元代表取締役、杉並アニメ振興協議会会長である。島根県出身。 広島県立広島工業高等学校建築科卒業後、地元の建設会社に就職するが、数ヶ月で退職する。姉夫婦を頼って大阪に移り、美術系の大学に進学するため関西美術院でデッサンなどを学ぶ。武蔵野美術学校に入学後、上京する。 卒業後はアルバイトでピー・プロダクションに入り、アニメの背景を描き始める。その後、武蔵野美術学校の同期である半藤克美(スタジオユニ創業者)に誘われ、東京ムービーに入社。美術のみならず、藤岡豊のアシスタントとして営業にも同行した。
長谷川 堯(はせがわ たかし、1937年〈昭和12年〉6月1… 長谷川 堯(はせがわ たかし、1937年〈昭和12年〉6月16日 - 2019年〈平成31年〉4月17日)は、日本の建築史家、建築評論家。武蔵野美術大学名誉教授。建築学会賞受賞。島根県旧八束郡玉湯村(現松江市)出身。長男は俳優の長谷川博己。 島根県八束郡玉湯村(現松江市)に生まれる。生家は玉造温泉の老舗旅館『保性館』を営んでいた(現在は経営権をホテルマネージメントインターナショナルに譲渡)。島根県立松江高等学校(現・島根県立松江北高等学校)卒業後上京、早稲田大学第一文学部で美術史を専攻、卒業論文でミース・ファン・デル・ローエとル・コルビュジエらを論じ、1960年同大学卒業後、卒業論文が雑誌『国際建築』(第27巻8号・1960年8月号)に掲載され、評論活動をスタートする。
秋山 礼巳(あきやま ひろみ、1937年4月29日 - 20… 秋山 礼巳(あきやま ひろみ、1937年4月29日 - 2012年2月14日)は、日本の彫刻家。 広島県広島市に生まれる。武蔵野美術大学で学び、その後、パリへ移住。 1966年から1968年まで、パリ国立高等美術学校で学び、ジャン・アルプを通じてアレクサンダー・アルチペンコからコンスタンティン・ブランクーシまでの現代彫刻を学んだ。また、秋山は共同作業を重視する彫刻シンポジウムの運動にも参加。1967年には、オーストリアのサンクト・マルガレーテン・イン・ブルゲンラントで開催された「ヨーロッパ彫刻家シンポジウム」に参加した。 秋山は、ドイツではニュルンベルク、サンクト・ヴェンデル、オッゲルスハウゼン、イタリアではローマ、カナダではバンクーバー、オーストリアではウィーン、バッド・クロイツナハ、そして日本で開催された石彫刻家のシンポジウムに参加した。
櫻木 晶(、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日… 櫻木 晶(、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の映画美術監督。和歌山県出身。日本映画美術監督協会特別会員。 1961年に、東宝へ美術助手として入社。黒澤明や市川崑らの監督作品に携わったのち、1984年に映画『ゴジラ』にて美術デザイナーとして一本立ちした。1997年4月、定年退職しフリーとなる。 美術監督としては、セットのクオリティの高さを第一に掲げていた。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あか… 赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい、本名:赤瀬川 克彦(あかせがわ かつひこ)、1937年3月27日 - 2014年10月26日)は、日本の前衛美術家、随筆家、作家。 純文学作家としては尾辻 克彦(おつじ かつひこ)というペンネームがある。「尾辻」は父方の親戚の苗字に由来する[要ページ番号]。 神奈川県横浜市中区本牧町生まれ。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業。武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)油絵学科中退。 兄は直木賞作家の赤瀬川隼。姉の赤瀬川晴子は帽子作家。また、外交官の西春彦は父のいとこにあたる。姪(隼の長女)は『人麻呂の暗号』の著者である藤村由加の一人。 2006年4月より、武蔵野美術大学日本画学科の客員教授を務めていた。
多田 ヒロシ(ただ ヒロシ、1937年3月17日 - )は東… 多田 ヒロシ(ただ ヒロシ、1937年3月17日 - )は東京都出身の絵本作家、漫画家。本名は多田寛。 武蔵野美術大学デザイン科を卒業。絵本の他に環境漫画も手がける。 寺村輝夫作品は「寺村輝夫」を参照。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年〈昭和12年〉2月… 山藤 章二(やまふじ しょうじ、1937年〈昭和12年〉2月20日 - 2024年〈令和6年〉9月30日)は、日本の似顔絵作家、風刺漫画家、イラストレーター、笑芸プロデューサー。タレントや話題の人物を現代の世相に合致させた作風が特徴とされる。東京市目黒区出身。 1937年、東京府東京市(※現在は東京都特別区区域)目黒区生まれ。四人兄弟の二男。父は目黒駅の助役をしていたが、生後4ヶ月で父を亡くし、貧しい母子家庭で苦労して育つ。母は目黒駅の売店(現キヨスク)で23年間働いた。戦争中の1943年、親類のいた三重県伊勢市に疎開したが地元の子供たちからいじめを受ける。戦後に東京目黒へ戻る。三木鶏郎に傾倒し、冗談工房への参加を夢見る。
舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )… 舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )は韓国京城府(現・ソウル特別市)出身の画家。新作家美術会、赤光社、福島青美会、会員 舘井は1981年の個展開催に際して、こう記している。「いつの頃からか ふと。一人で旅をするのが好きになりました。それは僕の内なるものが駆り立てる未知への憧憬でしょうか。太陽の下できらきらと光る海、そして山、湖 赤い屋根のある白壁の静かなたたずまい 知らず知らずに手が動くまま心に書き留めたのがこれらのスケッチです。」
木葉井 悦子(きばい えつこ、1937年 - 1995年7月… 木葉井 悦子(きばい えつこ、1937年 - 1995年7月)は、日本の絵本作家、画家。 東京都小金井市出身。武蔵野美術大学油絵科中退。 1970年代に2年間アフリカのナイジェリアで過ごし、帰国後の1978年に初めての絵本作品となる『あかいめのしろヘビ』を銀河社より出版。 1995年7月、癌により死去。生涯に17冊の絵本を出版した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 -… 長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 - 2015年6月23日)は、日本のイラストレーター・画家。宇宙やSFをイメージした作風で国際的に活躍し、レコードジャケットのアートワークを多数手掛けたことで知られる。本名は長岡 秀三(ながおか しゅうぞう)。
日暮 修一(ひぐらし しゅういち、1936年9月26日 - … 日暮 修一(ひぐらし しゅういち、1936年9月26日 - 2012年4月13日)は日本のイラストレーター。千葉県松戸市出身。 コピーライター日暮真三は弟、ミュージシャン日暮愛葉は姪。 1936年に日暮酒店の長男として生まれる。1942年、松戸市立中部小学校に入学。1953年、武蔵野美術学校デザイン科に入学しのちに卒業。東芝商事宣伝部製作室、イースト・パブリッシング勤務。1959年、第二七回毎日広告デザイン賞・第一部B部門ポスターデザイン毎日広告奨励賞受賞。 雑誌「ビッグコミック」「ラピタ」の表紙絵を長年描いていた。「ビッグコミック」は1970年から2011年に病気治療のため入院するまでの41年間(2011年11月25日号表紙の執筆が最後。
新正 卓(あらまさ たく、1936年8月15日 - )日本の… 新正 卓(あらまさ たく、1936年8月15日 - )日本の写真家。
田名網 敬一(たなあみ けいいち、1936年7月21日 - … 田名網 敬一(たなあみ けいいち、1936年7月21日 - 2024年8月9日)は、日本のアーティスト、グラフィックデザイナー、イラストレーター、映像作家。 1936年、東京の服地問屋の長男として生まれる。1941年に日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発すると、田名網の生家は危険に晒される。1942年4月18日の東京初空襲の後、田名網は京橋を離れ、目黒の権之助坂付近にあった祖父の家に居を移す。1945年、9歳の時に東京大空襲を経験する。この時脳裏に焼き付いた数々の光景は、田名網が後に描き出す作品の主要なモチーフを占める事になる。轟音を響かせるアメリカの爆撃機、それを探すサーチライト、爆撃機が投下する焼夷弾、火の海と化した街、逃げ惑う群衆、そして祖父の飼っていた畸形の金魚が爆撃の光に乱反射した水槽を泳ぐ姿である。
荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7… 荒川 修作(あらかわ しゅうさく、1936年〈昭和11年〉7月6日 - 2010年〈平成22年〉5月19日)は、日本の美術家である。愛知県名古屋市出身。 1936年、名古屋市に生まれる。生家はうどん屋。愛知県立旭丘高等学校美術科卒業で元ロサンゼルス在住の現代石彫家、国島征二と同窓だった。武蔵野美術学校中退。1957年、読売アンデパンダン展に初出品し、1960年、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの結成に参加。1961年、渡米し、滝口修造の仲介でマルセル・デュシャンに会い以後ニューヨークを拠点に活動を続けた。渡米後、マドリン・ギンズと知り合い1962年頃から共同制作を始める。1970年、ヴェネツィア・ビエンナーレで代表作となる『意味のメカニズム』を発表。
水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 -… 水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、エッセイスト、モデラー(鉄道模型他)。三重県四日市市出身。漫画集団同人、日本ペンクラブ会員。NPO日本鉄道模型の会理事。
早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 20… 早川 義孝(はやかわ ぎこう、1936年4月15日 - 2012年7月25日)は、日本の画家。東京都出身。新槐樹社名誉会長。
田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017… 田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017年7月8日)は、福井県出身の日本の編集者。 福井県武生市に生まれる。1955年(昭和30年)、武蔵野美術大学に入学するが学校の方針に反発し中退。その後日本文学学校で文章の基礎を学び、平凡社の雑誌『太陽』など多くの編集の仕事に携わる。 1968年(昭和43年)、自身の他にデザイナー、カメラマンらと編集プロダクション「ル・マルス」を設立し、富士ゼロックスの発行するPR誌『グラフィケーション』の編集を始める。以降、48年にわたり同誌の編集責任者を務めた。 2017年(平成29年)7月8日、大腸癌により死去。享年81歳。 美術評論家の藤枝晃雄、直木賞作家の有明夏夫とは勝山精華高等学校(現福井県立勝山南高等学校)時代の同窓。
久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3… 久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3月17日 - 没年不明)は、日本の洋画家。「久下田の塚田」を略して「久下塚」とした。「青蘭」は東郷青児から与えられた雅号である。 1936年(昭和11年)3月17日、栃木県芳賀郡久下田町(1954年に町村合併で芳賀郡二宮町になり、2009年に真岡市に編入)に生まれる。養子縁組して塚田貞輔・富美子夫妻の長男となる。資産家の一人息子として育った久下塚は何一つ不自由のない少年時代を過ごした。しかし、陸軍大尉であった父・貞輔が28歳の若さで戦死を遂げた。久下塚が中学2年の時には母の富美子が子供よりも女としての幸せを選んで再婚。久下塚は父母の愛情に満たされずに育った言わばおばあちゃん子であり女中っ子であった。
伊藤 慶二(いとう けいじ、1935年〈昭和10年〉10月1… 伊藤 慶二(いとう けいじ、1935年〈昭和10年〉10月19日 - )は、日本の陶芸家、現代美術家。岐阜県土岐市出身で、同地で創作活動を続ける。本名の読みは「よしじ」。 岐阜県土岐郡和泉町大富(現・土岐市泉町)に次男として生まれる。二男二女の4人きょうだいだった。10歳で終戦を迎えた時に父から聞かされた「広島という町に原子爆弾が落とされ、何万人もの人間が亡くなった。」との話が強い記憶として残る。これが後の「HIROSHIMA」シリーズを創作するきっかけとなる。 1954年に岐阜県立多治見工業高等学校図案科を卒業して武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に進む。美術学校の油画科では森芳雄、山口長男、棟方志功らに学ぶ。
秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22… 秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22日 - 2020年4月3日)は、日本の現代美術家。本名は秋山 祐徳(あきやま すけのり)で、雅号は聖徳太子をもじって付けた。1970年代の東京都知事選挙へ出馬したことでも知られている。見世物学会理事。 選挙に立候補した際の選挙ポスターが国立国際美術館などに収蔵されている。2002年には著書『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛』を出版。落選後も自ら「泡沫のソムリエ」と称した。
安丸 信行(、1935年〈昭和10年〉1月24日 - 202… 安丸 信行(、1935年〈昭和10年〉1月24日 - 2022年〈令和4年〉3月1日)は、東宝の特殊技術専門の造型家、彫刻家。自由美術協会会員。富山県出身。 武蔵野美術大学彫刻科の在学中に、アルバイトで映画『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』の石膏ミニチュアを手掛けたのをきっかけに、映画業界に携わる。 1961年(昭和36年)、大学の先輩の誘いで『モスラ』にアルバイトとして参加。卒業後、東宝に入社。「特殊技術課」の特殊美術科石膏部に配属される。石膏部は、ミニチュアのビルなどを石膏で造型する部署だった。東宝を選んだ理由は、東映に比べ特撮映画がコンスタントに制作されていたため仕事が安定していると考えたためであった。
悳 俊彦(いさお としひこ、1935年 - )は、日本の洋画… 悳 俊彦(いさお としひこ、1935年 - )は、日本の洋画家、浮世絵研究家(国際浮世絵学会会員)。浮世絵研究ではとりわけ、歌川国芳の研究において定評がある。 1935年、東京に生まれる。高校時代より細島昇一に就き絵を学ぶ。1953年、示現会及び日本水彩画会初入選(高校在学中)、以後毎年出品後、示現会退会。1958年、武蔵野美術学校洋画科卒。1960年、サエグサ画廊にて三人展。1961年、無土画廊にて初個展。1964年、国際青年美術家展入選。一陽会・光風会展等に入選。1970-74年、日本橋画廊にて二人展及び個展。1978年、悳俊彦画集出版(形象社)。1981年、テレビ朝日「徹子の部屋」に出演、武蔵野風景を紹介。
山本 貞(やまもと てい、1934年7月10日 - )は、洋… 山本 貞(やまもと てい、1934年7月10日 - )は、洋画家、日本藝術院会員。 東京生まれ。武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)卒。1957年「青い円」で二紀展初入選。1964年渡米、アート・スチューデント・リーグで学ぶ。1997年二紀会理事長。2004年「少年のいる夏」で日本芸術院賞、同年芸術院会員。2010年から2020年まで日本美術家連盟理事長。2017年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。風景画家。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
まつい のりこ(松井紀子、1934年3月17日 - 2017… まつい のりこ(松井紀子、1934年3月17日 - 2017年2月12日)は、日本の絵本作家、紙芝居作家。 絵本の代表作は『じゃあじゃあびりびり』、『かずのほん』、『とけいのほん』など。紙芝居では『おおきくおおきくおおきくなあれ』などを発表し、紙芝居の普及に努めた。 1934年3月17日、和歌山県和歌山市生まれ。和歌山大学学芸学部を卒業後、東京で小学校教員(図工)となる。 子育ての中で絵本に関心を持ち、28歳で絵を学ぶべく武蔵野美術大学に入学、卒業。 自分の子供に手作りの絵本を作ったことが、のちに絵本作家に進む出発点となる。絵本作家となる。1976年、『ころころぽーん』でボローニャ世界児童図書展エルバ賞を受賞。
戸嶋 靖昌(としま やすまさ, Yasumasa TOSHI… 戸嶋 靖昌(としま やすまさ, Yasumasa TOSHIMA, 1934年 – 2006年7月20日)は、栃木県出身の画家。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。 1934年、栃木県塩谷郡船生村(現・塩谷町)に生まれた。1939年に父親が肺結核で病死したため、親の故郷である秋田県北秋田郡坊沢村(現・北秋田市)に引っ越し、母子家庭(母、靖昌、弟、妹)で育った。実家は大地主の富農であり、代々坊沢村長を務める名家だった。なお、出生地が鷹巣町坊沢であるとされることもあるが、生涯にわたって戸嶋の作品を取り扱った清澄画廊は戸嶋の出生地を栃木県であるとしている。坊沢村立尋常小学校、坊沢村立小学校、秋田県立大館中学校(旧制中学/現・秋田県立大館鳳鳴高校)に進学し、大館中学校美術部では部長を務めた。
遠藤 享(えんどう すすむ、1933年12月22日 - 20… 遠藤 享(えんどう すすむ、1933年12月22日 - 2024年2月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。山梨県甲府市生まれ。東京ADC会員、JAGDA会員。 1959年武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)デザイン科中退。1962年桑沢デザイン研究所グラフィックデザイン研究科卒。 その作品はドイツ、ユーゴスラビア、ブルガリア、フィンランド等の世界各国で賞を受けており、大英博物館、サンパウロ美術館を初め、多数の美術館にコレクションされている。 2024年2月10日、脳膿瘍のため死去。90歳没。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
紺野 修司(こんの しゅうじ、1933年12月3日 - 20… 紺野 修司(こんの しゅうじ、1933年12月3日 - 2013年5月12日)は、日本の画家、元・アニメーター、アニメーション演出家。主体美術協会会員。1957年北海道美術協会主催第32回道展知事賞。東映動画のアニメーター、虫プロダクションの初のテレビアニメ「鉄腕アトム」の原画担当者・演出家としても知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家… 工藤 和男(くどう かずお、1933年 - )は、日本の画家、洋画家。大分県大分市出身。漁師など海、働く人物をテーマに描く作品が多い。
小林 七郎(こばやし しちろう、1932年8月30日 - 2… 小林 七郎(こばやし しちろう、1932年8月30日 - 2022年8月25日)は、北海道常呂郡置戸村(現・置戸町)出身の日本のアニメーション美術監督。小林プロダクション元代表取締役。神戸芸術工科大学客員教授。 北海道の寒村の7人兄弟に生まれる。幼少期は自然よりも人間や動物や兵器のほうをよく描いていたが、中学生から自然の風景を描き始める。武蔵野美術大学卒業後、小学校の美術教師を経て1964年に東映動画入社、1967年に現代製作集団に移籍。1968年に小林プロダクションを設立。『ど根性ガエル』、『ガンバの冒険』、 『元祖天才バカボン』、『あしたのジョー2』、『侍ジャイアンツ』、『ルパン三世 カリオストロの城』、『魔法の天使クリィミーマミ』、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』、『天使のたまご』、『お伽草子』などの作品で美術監督を歴任した。
井上 武吉(いのうえ ぶきち、1930年12月8日 - 19… 井上 武吉(いのうえ ぶきち、1930年12月8日 - 1997年9月26日)は、奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)出身の彫刻家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
水尾 比呂志(みずお ひろし、本名・博、1930年11月7日… 水尾 比呂志(みずお ひろし、本名・博、1930年11月7日 - 2022年1月3日)は、日本の美術史家、民藝運動家、武蔵野美術大学名誉教授・元学長。 大阪府出身。高校時代から詩を書き、詩誌「櫂」同人。柳宗悦に師事し、旧制福岡高等学校を経て東京大学文学部卒業、1955年(昭和30年)同大学院美術史学科修士課程修了。舞台・放送作家でもあった。 日本民藝館館員を経て、1963年(昭和38年)武蔵野美術大学助教授、1970年(昭和40年)に教授、1986年(昭和61年)学長、1994年(平成6年)退任し名誉教授。2003年(平成15年)5月に日本民藝協会会長(2011年6月まで)。講師として晩年まで、毎年各地で行われた日本民藝協会の全国大会・講座、また柳宗悦をめぐる講演・シンポジウムに多く参加していた。
吉田 鎮雄(よしだ しずお、1930年(昭和5年)8月30日… 吉田 鎮雄(よしだ しずお、1930年(昭和5年)8月30日 - 1996年(平成8年)3月16日)は、愛知県出身の日本の彫刻家。 1930年(昭和5年)8月30日、愛知県名古屋市中区に生まれる。名古屋市昭和区の南山中学校・高等学校を経て武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)を卒業した。 大学在学中に日展初入選しており、この時より20年以上も女性像を造り続けた。以後、1965年(昭和40年)に「懐」が日展特選受賞、続く1968年(昭和43年)にも「稔」が特選を受賞している。また、この年には名古屋女子大学の教授となった。 1979年(昭和54年)、第11回日展にて日展会員賞受賞。 1981年(昭和56年)には愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞している。
横溝 英一(よこみぞ えいいち、1930年 - 2014年)… 横溝 英一(よこみぞ えいいち、1930年 - 2014年)は、神奈川県出身の絵本作家。 主に電車など乗り物をテーマにした絵本を手掛ける。 1930年、神奈川県に生まれる。武蔵野美術短期大学卒業。テレビ放送局、出版社などの勤務を経て、絵本作家になる。
成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年… 成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年2月26日)は、日本のデザイナー、彫刻家。青森県出身。 神戸市生まれで、翌年より両親の故郷青森県に移り父方の出身地である青森市にて育つ。俳優の成田浬は息子、漫画家の成田美名子は従兄弟の娘。 生後8ヶ月の時、青森市の自宅で囲炉裏の炭をつかんで左手に火傷を負い、数度の手術でも治らなかった。1936年4月、青森市立古川尋常小学校(現:青森市立古川小学校)に入学。8歳の時に兵庫県武庫郡大庄村(現:尼崎市)へ移り、大庄村立大庄尋常小学校(現:尼崎市立大庄小学校)に転校。4年生時の学校分離により大庄村立大庄尋常第二小学校(旧:尼崎市立西小学校)に通い、14歳までの6年間を尼崎市で過ごす。
青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 -… 青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 - 1998年4月11日)は、僧侶、画家。大本山妙尊寺(三重県)、総本山龍覚寺・慈雲院(山梨県)、妙海寺(山口県)管主。 現代美術協会設立に参加その後、一線美術会に移籍。美術家として多くの作品を残している。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しも… 下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しもかわ ときふみ>、1928年12月11日 - 2004年3月25日)は、日本の俳優。福岡県福岡市出身。武蔵野美術大学中退。
いばら 美喜(いばら みき、1928年5月12日 - )は、… いばら 美喜(いばら みき、1928年5月12日 - )は、日本の漫画家。現在の茨城県ひたちなか市出身。本名は藤咲昇(ふじさく のぼる)。茨城県立水戸第一高等学校卒業、武蔵野美術大学中退。 茨城県に生まれる。高校卒業後、美大進学のために上京するも金銭的な問題で中退し、街頭で似顔絵を描いて生計を立てる。 その後、貸本漫画家デビュー。時代劇漫画やホラー漫画などを主に描いていた。桜井昌一の「東考社」とも付き合いがあり、水木しげるの自伝にいばらがモデルとされる貧乏漫画家が登場する。 貸本漫画業界の消滅後は「ひばり書房」で描き下ろしホラー単行本を多数執筆。劇画誌にも連載を持っていた。
松樹 路人(まつき ろじん、1927年1月16日 - 201… 松樹 路人(まつき ろじん、1927年1月16日 - 2017年12月19日)は、北海道出身の洋画家。本名は松樹路人(まつき みちと)。武蔵野美術大学名誉教授。 北海道留萌管内羽幌町に生まれた。小学校長であった父の転勤にともない、同網走管内留辺蘂町(現・北見市)・女満別町(現・大空町)で育つ。父の失職のため一家で東京に転居。 1944年に東京美術学校油画科に入学、梅原龍三郎の教室で学んだ。1950年に独立展に初入選し、同展への出品を続け、1960年に独立美術協会会員となる。1971年から武蔵野美術大学で学生を指導。 初期作品群は「赤の時代」と称される。褐色を中心に抑制された色彩と肉厚の絵具の使い方が特徴。
前田 常作(まえだ じょうさく、1926年7月14日 - 2… 前田 常作(まえだ じょうさく、1926年7月14日 - 2007年10月13日)は、日本の画家、版画家。曼荼羅を主題とした抽象絵画と、《日本百観音》巡礼版画で知られる。2012年のニューヨーク近代美術館企画展「Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde」に出品された。 1926年、富山県下新川郡椚山村(現在の入善町)に生まれる。1945年、富山歩兵第69連隊に入隊中、富山大空襲を目撃し「市中の惨状を目の当たりにし、人間の生死について深く感ずるところがあった」と記している。 1947年富山師範学校本科卒業後、上京。1948年鶴田吾郎洋画研究所に学び、安井曽太郎の夏期講習を受ける。
日高 浩耀(ひだか こうよう、1925年 - )は西洋画家。… 日高 浩耀(ひだか こうよう、1925年 - )は西洋画家。台湾生まれ。立命館大学卒業後、現在の武蔵野美術大学に入学。 中学時代より塩月桃甫に師事し、画家としての修行を積んだ。日本表現派同人、同展奨励賞受賞。 作品「原爆忌」が広島平和祈念館に、「惨火」が大阪府平和祈念戦争資料室に永久保存されている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
辛島宜夫(からしま よしお、1923年12月10日 - )は… 辛島宜夫(からしま よしお、1923年12月10日 - )は、日本の占星術師。上海生まれ。血液型はB型。星座は射手座。 占い師の他に抽象画家、オブジェ作家、音楽家、オカルト研究家などの顔を持つ。 戦時下を中国で過ごすが終戦と共に日本へ帰国。帝国美術学校(現武蔵野美術大学)卒業。数度の結婚に及んでいる。 占星タロット占い集団『水星の部屋』主宰、池袋コミュニティカレッジ占星タロット占い講座講師、日本占星学アカデミータロット学科講師などを務めた。その他、音楽や美術、切り絵などの活動も盛んに行っていた。近年ではシルエット切り絵師として横浜のラーメン博物館にて活動。 近年はすべての活動を引退し、2020年3月現在の消息は明らかでない。