森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 20… 森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 2007年5月28日)は、日本の国語学者、国文学者、奈良女子大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1945年京都帝国大学国文科卒。京都女子大学助教授、奈良女子大学助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、天理大学教授、1996年退任。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。2007年5月28日、肺癌のため死去。没後正四位叙勲。
松下 眞一(まつした しんいち、Shin-ichi Mats… 松下 眞一(まつした しんいち、Shin-ichi Matsushita、1922年10月1日 - 1990年12月25日)は、日本の現代音楽の作曲家・数学者・物理学者・宗教学者・哲学者。 大阪府茨木市生まれ。大阪府立旧制茨木中学校を経て、旧制第三高等学校(現・京都大学)に入学する。この間に、父・松下久一より作曲を、中村良治にピアノと和声、永井巴に作曲と和声、朝比奈隆に指揮を師事した。 幼少の頃より、音楽、文学、科学や天文学に関心を抱く。中学時代より、ミヨー、ドビュッシー、オネゲル、ストラヴィンスキー、バッハ等の楽曲に親しむとともに、十二音技法の始祖ヨーゼフ・マティアス・ハウアーの思想に傾倒し、13歳で最初の交響曲を作曲していた。
粟屋 和彦(あわや かずひこ、1922年9月15日 - 19… 粟屋 和彦(あわや かずひこ、1922年9月15日 - 1995年5月11日)は、日本の教育者、医学者。山口大学第7代目学長。医学博士(1956年、京都大学にて取得)。 山口県宇部市出身。1943年、九州帝国大学附属医学専門部卒業。1955年、山口県立医科大学(現:山口大学医学部)解剖学教室にて「核酸と形質細胞反應」(共著)を著す。1956年、京都大学にて「卵アルブミン刺戟に対するリンパ系の反応様式:特にリンパ球造血における二次小節の役割について」で医学博士となる。1965年より山口大学医学部教授、1977年から1981年まで医学部長。1984年同大学第7代目学長に就任(1990年まで)。1990年より宇部短期大学学長。
福島 徳壽郎(ふくしま とくじゅろう、1922年7月29日 … 福島 徳壽郎(ふくしま とくじゅろう、1922年7月29日 - 1995年6月3日)は、日本の政治学者。京都大学名誉教授。 鹿児島県生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)(1940年3月卒)、第七高等学校造士館 (旧制)文科(1944年9月卒)、京都大学法学部(旧制)(1949年3月卒)をそれぞれ卒業。1949年4月に京都大学法学部大学院特別研究生となった後、1950年4月に京都大学助手に、1953年1月に神戸商科大学助教授に就任する。1957年4月に京都大学法学部助教授に就任し、1962年5月に同教授へ昇任し、1986年3月31日の定年まで務め、同年4月1日付けで名誉教授となる。京都大学法学部教授在任中、法学部長(1976年10月22日~1978年10月21日)や評議員(1972年3月19日~1974年3月18日)も務めた。
森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005… 森 進一(もり しんいち、1922年6月10日 - 2005年10月11日)は、日本の古代ギリシア哲学研究者、小説家、関西医科大学名誉教授。 京都府京都市出身。京都帝国大学文学部で古代ギリシア哲学を専攻し、田中美知太郎の指導を受け、京大大学院古代哲学専攻博士課程中退。京都大学非常勤講師を経て、64年関西医科大学教養部助教授、65年教授、91年定年、名誉教授。 また森泰三の名で文学作品も発表、1963年「砧」で芥川賞候補、1972年「冬へ」、1976年「結婚」で3度候補にあがった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
降旗 武彦(ふりはた たけひこ、1922年6月9日-2002… 降旗 武彦(ふりはた たけひこ、1922年6月9日-2002年8月8日)は、日本の経営学者。 長野県南安曇郡三郷村(現安曇野市)出身。旧制弘前高等学校卒、京都帝国大学に入るが兵役で入隊し、1945年 軽巡洋艦 矢矧に乗り込み大和を護衛して出撃するが撃沈されて負傷する。1947年京都帝国大学経済学部卒、同大学院をへて、1971年「経営管理過程論の新展開 Management Theory Jungleへの一試論」で経済学博士。1951年京都大学経済学部講師、1957年助教授、1970年教授。1986年定年退官し、名誉教授となり、朝日大学教授、1989年大阪国際大学教授を務め、95年退職。70年「経営管理過程論の新展開」で日経・経済図書文化賞受賞。
近藤 宗平(こんどう そうへい、1922年5月7日 - 20… 近藤 宗平(こんどう そうへい、1922年5月7日 - 2014年6月10日)は、日本の遺伝学者、大阪大学名誉教授。放射線ホルミシスの研究者。理学博士。 福岡県出身。京都帝国大学理学部物理学科(実験原子核物理専攻)卒。広島市への原子爆弾投下を受けて、学生として京大原爆物理調査班に参加、放射性物質で汚染された資料の採取、放射能の測定などを行う。核物理学から遺伝学、基礎医学への道へ進む。国立遺伝学研究所室長、大阪大学医学部放射線基礎医学教室教授、近畿大学原子力研究所教授などを歴任。大阪大学名誉教授、近畿大学原子力研究所特別研究員。放射線と健康を考える会会員。1958年 京都大学理学博士 「Thermodynamical fundamental equation for spherical interface」。
上柳 克郎(うえやなぎ かつろう、1922年3月5日 - 2… 上柳 克郎(うえやなぎ かつろう、1922年3月5日 - 2007年12月7日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1989年)。京都大学名誉教授。1998年日本学士院会員。勲等は勲二等。京都帝国大学法学部助教授、京都大学法学部教授、京都大学法学部学部長、大阪学院大学法学部教授、大阪学院大学法学部学部長などを歴任。大隅健一郎門下。 1922年(大正11年)生まれの法学者である。専門は商法であり、学位論文「商法の基礎的研究」にて1989年に法学博士の学位を取得した。1980年に『会社法・手形法論集』を有斐閣より上梓したことで知られている。また、1999年には『商事法論集』を有斐閣より上梓した。
辻村 公一(つじむら こういち、1922年〈大正11年〉2月… 辻村 公一(つじむら こういち、1922年〈大正11年〉2月18日 - 2010年〈平成22年〉5月28日)は、京都大学名誉教授。 1922年、静岡県浜松市で生まれた。京都帝国大学文学部に入学して田辺元の下で学び、1946年に卒業。 卒業後は、1948年に京都大学教養部助教授となった。1967年、同大学文学部哲学科助教授に配置換え。1974年、学位論文『ハイデッガー論攷』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1974年に教授昇格。1982年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。1993年、日本学士院会員に選出された。2010年に死去。 専門は西洋哲学で、ハイデッガーを翻訳・研究した。なおその特徴として、それまで「存在と時間」として訳されていた「Sein und Zeit」に対し、「有と時」としたことが挙げられる。
中島 章夫(なかじま あきお、1922年2月18日 - 19… 中島 章夫(なかじま あきお、1922年2月18日 - 1997年)は、日本の化学者。大阪工業大学工学部応用化学科元教授。工学博士(京都大学)。元京都大学医用高分子材料研究センター(現:京都大学医生物学研究所)長。高分子学会第14期会長。 専門は、高分子材料・機能性高分子・繊維化学。 1943年京都帝国大学工学部繊維化学科(のちの高分子化学科)卒業。1951年工学博士(京都大学)。1961年京都大学工学部高分子化学科教授として、第五講座(高分子分子論)を担当。その後、京都大学医用高分子材料研究センター(のちの生体医療工学研究センター、現京都大学医生物学研究所)長などを歴任し、京都大学退官。1985年大阪工業大学工学部応用化学科に教授として着任、応用化学教室を担当。
鎌田 皎(かまだ あきら、1922年(大正11年)1月30日… 鎌田 皎(かまだ あきら、1922年(大正11年)1月30日 - 2002年(平成14年)7月24日)は、昭和から平成時代の薬学者。大阪大学名誉教授。 1945年(昭和20年)9月、京都帝国大学理学部化学科卒業後、同学部副手、1949年(昭和24年)助手となる。のち1955年(昭和30年)8月、大阪大学薬学部薬剤学教室講師となり、1960年(昭和35年)助教授を経て、1971年(昭和46年)教授となった。1985年(昭和60年)定年退官と同時に同大名誉教授。 特に界面化学を薬学に応用する研究で知られ、界面活性剤を薬物投与に応用する研究から構造活性相関と生物製剤に関する研究まで広い分野に渡る研究を行った。
岩田 慶治(いわた けいじ、1922年1月12日 - 201… 岩田 慶治(いわた けいじ、1922年1月12日 - 2013年2月17日)は、日本の文化人類学者。国立民族学博物館名誉教授、東京工業大学名誉教授。 1922年、神奈川県横浜市で生まれた。旧制富山高校で学び、地理学に関心を持っていた。戦後の1948年、京都大学文学部市学科を卒業。卒業論文は、オーストラリアのアルンタ族の地域観に関するものであった。 その後は大阪市立大学助教授に就いた。東京工業大学教授の後、国立民族学博物館教授となった。1986年に国立民族学博物館を定年退官し、名誉教授となり、東京工業大学の名誉教授となった。その後は大谷大学教授として教鞭をとった。2013年2月17日、肺炎により死去。
桐榮 良三(とうえい りょうぞう、1922年1月12日 - … 桐榮 良三(とうえい りょうぞう、1922年1月12日 - 2003年2月16日)は、日本の化学工学者。京都大学名誉教授。主な専門は乾燥工学。工学博士(1953年)(学位論文「固体乾燥の応用的研究」)。香川県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
野崎 一(のざき ひとし、1922年〈大正11年〉1月1日 … 野崎 一(のざき ひとし、1922年〈大正11年〉1月1日 - 2019年〈令和元年〉9月25日)は、日本の化学者(有機合成化学・有機金属化学)。勲等は勲二等。学位は工学博士(京都大学・1949年)。京都大学名誉教授、日本学士院会員。 京都大学工学部教授、岡山理科大学教授などを歴任した。 有機合成化学、有機金属化学を専攻する有機化学者である。1922年〈大正11年〉1月1日生まれ、岡山県出身。太平洋戦争後の日本の有機化学研究を牽引した。京都大学名誉教授。2019年〈令和元年〉9月25日に死去。 三女は東京大学大学院工学系研究科で初の女性教授の野崎京子。 カルボカチオンを基盤としたテルペン類の合成、カルベノイドを利用した新規反応の開発などに取り組み、戦後復興期にあった日本有機化学界を牽引する業績を上げた。
浅野 二郎(あさの じろう、1922年 - )は、園芸学者。… 浅野 二郎(あさの じろう、1922年 - )は、園芸学者。千葉大学名誉教授。日本庭園学会会長などを歴任。農学博士。 福島県生まれ。京都大学農学部卒業。京都大学講師、香川大学助教授を経て1964年香川大学農学部教授就任。1977年千葉大学園芸学部教授。 主な庭園設計に徳島県徳島市の料亭「渭水苑」(旧和田吉郎邸)庭園がある。他、梁川城本丸の庭園遺跡調査など、多数。 1987年度日本造園学会上原敬二賞受賞。
葛西 善三郎(かさい ぜんざぶろう、1922年 - 2017… 葛西 善三郎(かさい ぜんざぶろう、1922年 - 2017年)は、日本の農学者。 旧制滝川中学校卒業鳥取高等農業学校卒業、鳥取大学農学部同窓会京都支部設立に参画し初代支部長を務める。京都大学農学部農林化学科卒業。1947年京都大学助教授、1957年京都大学食糧科学研究所教授。1985年京都大学を定年退官、同年京都大学名誉教授となる。京都大学を定年退官後は近畿大学農学部教授となる。 1956年日本土壌肥料学会賞受賞。
鹿毛 誠一(かげ せいいち、1922年 - 1998年9月1… 鹿毛 誠一(かげ せいいち、1922年 - 1998年9月15日)は、日本の倫理学者。獨協大学名誉教授。 福岡県生まれ。1942年旧制佐賀高等学校 (旧制)理科甲類卒業。1947年京都帝国大学文学部哲学科卒業、1962年同旧制大学院修了。1951年大阪市立東第二高等學校敎諭、1965年獨協大学教養部助教授、1968年教授、1993年定年退職、名誉教授。
木下 良(きのした りょう、1922年(大正11年) - 2… 木下 良(きのした りょう、1922年(大正11年) - 2015年(平成27年)1月26日 )は、日本の地理学者。 長崎県生れ。1953年京都大学文学部史学科地理学専攻卒業。同志社女子中学校・高校教諭、1973年ころ神奈川大学教授、富山大学教授、1983年ころ國學院大学教授。古代交通研究会名誉会長。
海野 一隆(うんの かずたか、1921年12月19日 - 2… 海野 一隆(うんの かずたか、1921年12月19日 - 2006年5月4日)は、日本の地理学者(東洋地理学史)。大阪大学名誉教授。 1921年、静岡県浜松市生まれ。第七高等学校造士館を経て、京都帝国大学文学部に進学。史学科地理学専攻で小牧実繁、室賀信夫に師事した。1945年に同大学文学部を卒業。卒業後は岐阜県の中学校教員となった。 1948年、大阪第二師範学校の教員となった。その後、大阪学芸大学講師、後に助教授昇格。1963年、大阪大学教養部教授となり、人文地理学講座を担当した。1985年に大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、大阪清浄女子短期大学で教鞭をとり、1991年に退任した。
佐々木 倫生(ささき りんしょう、1921年11月22日 -… 佐々木 倫生(ささき りんしょう、1921年11月22日 - 1996年5月28日)は、日本の哲学者。京都女子大学名誉教授。元京都女子大学学長、鳥取女子短期大学学長。 福岡県築上郡吉富町出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
川井 直人(かわい なおと、1921年10月31日 - 19… 川井 直人(かわい なおと、1921年10月31日 - 1979年7月3日)は、日本の物理学者・地球科学者。専門は古地磁気学。1945年に京都帝国大学理学部地質学鉱物学科を卒業。大阪大学名誉教授。 大阪府生まれ。京都大学で松山基範の薫陶を受け、初めは古地磁気学者として、京都大学講師として教鞭を執った。岩石の微弱な磁化の測定で業績を上げ、松山期よりも新しい年代における逆磁極期の発見に貢献した。 1960年3月、京都大学より理学博士の学位を取得(論文は「地殻の磁気」)。その後、1962年に新設の大阪大学基礎工学部に教授として転任し、地球内部の状態を実験室で再現するための高圧物理の研究を始めた。そして、川井式マルチアンビルセルと呼ばれる高圧発生装置の開発に成功し、高圧条件下における岩石の相変化と地震波速度の不連続面とを関連付ける業績を上げた。
尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )… 尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )は、日本のアメリカ文学者、京都大学名誉教授。 東京出身。(旧制)東京高等学校卒、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、徴兵で従軍し中国大陸に転戦、復員ののち僧籍をもち1947年卒業、大学院在籍、1948年京大附属医学専門部教授、1951年大阪女子大学助教授、1965年京大教養部助教授、教授、1982年名誉教授、奈良女子大学教授、1984年佛教大学教授、92年退職。弟の尾形克彦 (1924 - ) は工学者、米国ミネソタ大学教授。長男・尾形充彦(あつひこ、1954 - )は宮内庁技官正倉院勤務。
梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2… 梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2002年9月13日)は、日本の教育心理学者、京都大学名誉教授。 旧制第三高等学校文科乙類を経て、1948年に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1966年、「音楽心理学の体系的研究」で京都大学より教育学博士の学位を取得。京都大学助教授、教授、1985年、定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 1996年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年9月13日、心筋梗塞のため死去。
溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 20… 溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 2014年10月16日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1987年)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。京都大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1942年、第三高等学校 (旧制)卒業。1946年、京都帝国大学法学部卒業。1946年、京都帝国大学法学部助手(指導教授:齋藤武夫)。1952年、京都大学法学部助教授。1961年、京都大学法学部教授。1966年、京都大学評議員。1987年、法学博士(京都大学)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。1985年、京都大学停年退官、同名誉教授。1985年龍谷大学法学部教授を歴任。
明田 鉄男(あけた てつお、1921年8月18日 - )は、… 明田 鉄男(あけた てつお、1921年8月18日 - )は、日本の歴史家、文筆家。 愛媛県出身。京都大学法学部卒。読売新聞大阪本社記者、論説委員。1964年小説「月明に飛ぶ」でオール読物新人賞受賞。のち、霊山歴史館主任研究員、滋賀女子短期大学教授。 1993年、著書『日本花街史』で、島原の揚屋として寛永以来使われ、国の重文にも指定されている「角屋(すみや)」の中川徳右衛門・十三代当主と、財団法人「角屋保存会」が、明田と雄山閣出版を相手に「内部の写真を無断で掲載、角屋が女性の自由を奪ったような表現で名誉を傷つけられた」などとして全国紙への謝罪広告と保存会、中川当主に各250万円の損害賠償を求める訴えを京都地裁に起こした。
北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9… 北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9月15日)は日本の探偵小説家、原子物理学者。作品に「写真解読者」『アトム君の冒険』など。本名は鈴木 坦(すずき ひろし)。 東京府東京市王子区(現:東京都北区)出身。京都帝国大学理学部卒。 1946年、探偵小説誌『ロック』に「写真解読者」を発表しデビュー。以降も『ロック』を中心に短編を発表した。また、同時期には本名で『アトム君の冒険』などの科学解説書も著している。 物理学者としては湯川秀樹門下であり、横浜国立大学の助教授も務めた。 1951年9月15日、持病であった喘息の発作から死去。30歳。
藤本 勝次(ふじもと かつじ、1921年7月4日 - 200… 藤本 勝次(ふじもと かつじ、1921年7月4日 - 2000年2月18日)は、日本の中東イスラーム学者、専攻は中世イスラム文化史。 大阪府大阪市生まれ。京都帝国大学東洋史学科でアラビア語を学ぶ。 関西大学文学部教授を兼ね、1975年4月から1982年9月までの間、関西大学東西学術研究所の所長をつとめた。 2000年2月18日、脳梗塞のため死去。
荻野 恒一(おぎの こういち、1921年6月19日 - 19… 荻野 恒一(おぎの こういち、1921年6月19日 - 1991年10月15日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。南山大学文学部教授、金沢大学教育学部教授、慶應義塾大学客員教授を務めた。 1921年、大阪で生まれた。旧制山口高等学校を経て、京都帝国大学医学部医学科に進学。1944年9月に同大学を卒業。 1944年10月、京都帝国大学医学部精神医学教室副手に採用され、実施修練に入った。後に助手、講師昇格。1952年、学位論文『易感性関係妄想の成立機転』で京都大学より医学博士の学位を取得。1953年3月から1955年12月まで、パリ大学医学部精神医学教室にに研究留学。 1956年1月、南山大学文学部教育家助教授に就任、のち教授に昇格。
森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 19… 森口美都男(もりぐち みつお、1921年6月12日 - 1993年3月18日)は、日本の哲学者、京都大学名誉教授。ヨーロッパの哲学を研究。 フランス・パリ生まれ。1939年京都府立京都第一中学校卒、1942年第一高等学校(文科甲類)卒、1947年京都帝国大学文学部哲学科卒、1949年京都帝国大学大学院修了。1950年大阪市立大学法文学部助手、1951年同講師、1957年大阪市立大学文学部助教授、1965年京都大学文学部倫理学科助教授、1967年同教授、1985年定年退官、名誉教授。
吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 199… 吉田 光邦(よしだ みつくに、1921年5月1日 - 1991年7月30日)は、日本の科学史家。京都大学名誉教授。専門は科学技術史。
万井 正人(まんい まさんど、1921年4月3日 - 200… 万井 正人(まんい まさんど、1921年4月3日 - 2006年1月4日)は、日本の医学者。京都大学名誉教授、医学博士。専門は運動生理学。抗老化医学、作業能率や安全性、疲労の予防・回復などにかかわる研究を行う。1997年には、誰でもどこでも簡単にでき高齢者から子どもまで楽しめるスポーツとして、スカイクロスを考案。 1944年、京都帝国大学医学部医学科を卒業し、同大学医学部副手、大阪医科大学講師、龍谷大学講師、皇學館大学講師・助教授、京都大学助教授・教授を歴任。1984年に京都大学を退官後、名誉教授。また大阪産業大学教授をつとめた。1994年、勲三等瑞宝章受章。 2006年1月4日、京都市内の自宅で心不全のため85歳で死去した。
菅原 努(すがはら つとむ、1921年2月5日 - 2010… 菅原 努(すがはら つとむ、1921年2月5日 - 2010年10月1日)は、日本の医学者・医師。京都大学名誉教授。専門は放射線基礎医学。 旧制浪速高等学校を経て、1944年京都帝国大学医学部卒業。1950年大阪大学理学部卒業。三重大学医学部助教授、1960年国立遺伝学研究所変異遺伝部副部長、1961年放射線医学総合研究所室長、京都大学医学部放射能基礎医学教室初代教授。同放射線生物研究センター長、医学部長、1985年定年退官、名誉教授、国立京都病院院長。財団法人慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団理事長。 1995年、勲二等瑞宝章を受章。2010年10月1日、慢性腎不全のため死去。
羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 19… 羽田 健三(はねだ けんぞう、1921年1月19日 - 1994年11月23日)は、日本の鳥類学者。
上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - … 上山 春平(うえやま しゅんぺい、1921年1月16日 - 2012年8月3日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。従三位。紫綬褒章受章者、文化功労者、勲二等授旭日重光章受章。 1921年、台湾で生まれた。台北高等学校で学び、高校時代から哲学や宗教に関心を持った。京都帝国大学文学部哲学科に進んだが、太平洋戦争の戦局悪化により徴兵され、1943年に卒業。その後は海軍に入隊した。人間魚雷「回天」での出撃経験を持つが、死を免れた。 戦後は1948年に和歌山県立田辺高等学校教諭となった。同年、愛知第二師範学校助教授に就いた。1954年、京都大学人文科学研究所助教授に転じた。1968年に教授昇格。1982年、第11代京都大学人文科学研究所所長に就任。
和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 19… 和崎 洋一(わざき よういち、1920年9月16日 - 1992年6月29日)は、日本の人類学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。第三高等学校を経て、1945年京都大学理学部卒業。京大教授時代には京都大学アフリカ学術調査隊に参加。梅棹忠夫とは三高の同級生で京都大学アフリカ学術調査隊に参加した良き友人だった。その後は富山大学人文学部教授、中部大学国際関係学部教授を歴任した。 実の息子にWOWOW代表取締役社長の和崎信哉、文化人類学者で中部大学国際関係学部教授の和崎春日がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
源 了圓(みなもと りょうえん、源了円、1920年7月27日… 源 了圓(みなもと りょうえん、源了円、1920年7月27日 - 2020年9月10日)は、日本の日本思想史学者。東北大学名誉教授、北京外国語大学名誉教授。日本学士院会員。 1920年、熊本県宇土市にて、浄土真宗住職の三男として生まれた。第五高等学校を経て、京都大学文学部哲学科に進んだ。1948年に同大学を卒業し、同大学大学院に進学。京都学派の田辺元や西谷啓治に学び、梅原猛と親交を結んだ。 日本女子大学文学部教授を経て、東北大学文学部教授に就任。1981年、学位論文『近世初期実学思想の研究』を東北大学に提出して文学博士号を取得。1984年、東北大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は国際基督教大学教授として教鞭をとった。
林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月… 林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月25日 - 2010年(平成22年)2月28日)は、日本の物理学者(天体物理学)・天文学者。学位は理学博士(京都大学・論文博士・1954年)。京都大学名誉教授。位階は従三位。文化勲章受章者。 天文学と原子核物理学・素粒子物理学とをつなぐ学問である宇宙物理学の日本における先駆者の一人。京都大学理学部物理学科・天体核物理学研究室の教授を27年にわたって務め、研究の一方で数多の優秀な理論物理学者や宇宙物理学者、天文学者や惑星科学者を育てた。 京都府京都市上京区紫竹西南町(現・京都市北区紫竹西南町)に林誠次郎・ムメ夫妻の四男として生まれる。生誕翌年の1921年(大正10年)7月12日、大叔父・林寛次郎の養嗣子となる。
伊藤 冨雄(いとう とみお、1920年6月27日 - 200… 伊藤 冨雄(いとう とみお、1920年6月27日 - 2003年11月25日)は、日本の土木工学者。工学博士(京都大学)。大阪大学名誉教授。大阪工業大学名誉教授・第8代学長。土木学会名誉会員。地盤工学会関西支部元支部長。日本地下水理化学研究所元理事長。日本学術会議元会員。勲二等旭日重光章受章。 専門は、地盤工学・土質工学、建設工学(特にトンネル工学)。 1920年神奈川県横浜市生まれ。1943年京都帝国大学工学部土木工学科卒業。のちに、工学博士(京都大学)。1947年大阪大学工学部講師となり、助教授を経て、1962年教授。1984年に大阪大学名誉教授。 同年、大阪工業大学工学部土木工学科教授。1987年から1994年まで大阪工業大学第8代学長を務めた。
上田 薫(うえだ かおる、1920年(大正9年)5月17日 … 上田 薫(うえだ かおる、1920年(大正9年)5月17日 - 2019年10月1日)は、日本の教育学者。東京教育大学教授、立教大学教授、都留文科大学学長を務めた。「社会科の初志をつらぬく会」名誉会長。 大阪府にて出生。兵庫県立第一神戸中学校から、旧制武蔵高等学校を経て京都帝国大学文学部哲学科に進むが、1943年12月に仮卒業となり学徒出陣し、南京に送られる。敗戦により国民党軍の捕虜になった後、1946年1月日本に帰国した。1946年9月に文部省に入省し、新教育の小学校社会科の学習指導要領と教科書の作成にあたった。続いて「道徳教育のための手引書要綱」を作る。1951年9月名古屋大学教育学部、東京教育大学教育学部、立教大学文学部で教員生活を送り、最後は都留文科大学学長を務めた。
萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2… 萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2000年12月17日)は、静岡県出身の東洋史学者。京都大学名誉教授、文学博士。 静岡県生まれ。1938年、静岡県立静岡中学校卒業。静岡高等学校 (旧制)を経て、1946年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。大学院修了後、京都大学副手となったが郷里に戻り、1950年、静岡県立教員養成所教授、静岡大学教育学部講師となった。1955年、再び京都大学に戻り、1958年、京都大学文学部講師となり、『明代満蒙史料』(京都大学文学部刊)の編纂にあたった。1962年、助教授。1977年、『明代蒙古史研究』で京都大学文学博士。1978年、京都大学文学部教授。
新田 伸三(にった しんぞう、1920年(大正9年)3月6日… 新田 伸三(にった しんぞう、1920年(大正9年)3月6日 - 1997年(平成9年)7月)は、日本の造園学者・造園家・造園教育者。専門は、緑化工学・種子吹付での緑化工法・法面緑化手法・運動場の土質構造など。農学博士。九州芸術工科大学名誉教授。九州芸術工科大学学生部長・日本造園学会理事・同学会副会長・日本緑化工学会会長他を歴任。京都府京都市東山区出身。 (審議会委員歴)愛知県自然環境保全審議会委員、名古屋市都市景観審議会委員北九州市都市景観審議会委員、佐賀県名護屋城跡保存整備委員会委員、他
大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2… 大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2014年3月11日)は、日本の地理学者(文化地理学)。文学博士。関西学院大学名誉教授、元帝塚山学院大学教授。太平洋学会第三代会長。 地理学者として学術探検にも赴き、島嶼地理学、文化人類学者としても有名である。愛知県名古屋市生まれ。 以降快方に向かい、近江兄弟社中学校・高等学校、同志社高等学校で教鞭を執る(1953年まで)。
蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年… 蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年9月18日)は、日本の教育学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1941年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院(旧制)、1981年「生活指導における集団指導の理論的考察」で京都大学教育学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、1972年奈良女子大学教授、京都大学教育学部教授、83年定年退官、名誉教授、光華女子大学長。92年退任。1958年『子どもらが道徳を創る』(宇野登共著)で毎日出版文化賞受賞。
本田 済(本田 濟、ほんだ わたる、1920年1月7日 - … 本田 済(本田 濟、ほんだ わたる、1920年1月7日 - 2009年9月21日)は、中国哲学者。 三重県生まれ、京都府宇治市出身。1942年京都帝国大学文学部哲学科卒。1964年「易経の思想史的研究」で京都大学文学博士。1949年高槻高等学校教諭、1952年大阪市立大学文学部助教授、1965年教授、1980年定年退官、名誉教授、梅花女子大学教授、1983年学長。号は鬳斎(けんさい)。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。
小谷 豪冶郎、ないし、小谷 秀二郎(こたに ひでじろう、19… 小谷 豪冶郎、ないし、小谷 秀二郎(こたに ひでじろう、1920年 - 2002年12月18日)は、日本の国際政治学者。著作活動においては、1980年ころまでは小谷 秀二郎と名乗り、以降は小谷 豪冶郎の名義を用いた。 長崎市生まれ。大連の旧制中学校を経て兵庫県立神戸高等商業学校を卒業。学徒出陣で短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、横須賀軍需部に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官し、第1海軍衣料廠に転じて特殊糧食の調達に従事。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 京都大学農学部卒。米国で学び、南山大学講師、防衛研修所所員、京都産業大学、京都外国語大学教授などを務めた。
吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 201… 吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 2011年7月19日)は、日本の生態学者。本名は龍夫。理学博士。大阪市立大学名誉教授。元日本生態学会会長。初代日本熱帯生態学会会長。 大阪市生まれ。父は大阪府四條畷市の曹洞宗寺院龍尾寺の住職で貝類研究家の吉良哲明。父の薫陶を受けて、生態学者としての素養を身につけた。旧制大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を、1940年に第三高等学校を卒業し、1942年京都帝国大学農学部農学科を卒業。京都帝国大学在学中には、今西錦司、森下正明、さらに1年後輩の梅棹忠夫とともに、大興安嶺山脈、ポナペ島の探検に参加した[要出典]。 1948年、新制の京都大学農学部農学科園芸学教室の助教授に着任。
柴山 廣(しばやま ひろし、1919年12月15日 - )は… 柴山 廣(しばやま ひろし、1919年12月15日 - )は、日本の電気工学者。大阪工業大学名誉教授。元電気工学教室担当。工学博士(京都大学)。電気学会関西支部元評議員。 専門は、電気工学・電力工学(電動機含む)・パルス工学、非線形理論。 京都府出身。1942年京都帝国大学工学部電気工学科を卒業。のちに、工学博士(京都大学)。三菱電機研究所(現:先端技術総合研究所)に技師として入社。1946年京都市立第一工業学校教諭などを経て、1950年大阪工業大学工学部電気工学科に着任し、電気工学教室を担当。その後、1957年に助教授、1962年に電気工学科教授。1975年同大学図書館長。1992年大阪工業大学名誉教授。
平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 20… 平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 2013年5月14日)は、浄土真宗の仏教学者。学位は、博士(文学)(龍谷大学・2009年、学位論文「親鸞の生涯と思想」)。 1919年(大正8年)三重県津市生まれ。静岡高等学校卒、1943年(昭和18年)京都帝国大学文学部史学科卒、同大学院修了、1946年(昭和21年)郷里の一身田郵便局に勤め局長、1980年(昭和55年)龍谷大学文学部特任教授、教授、1990年(平成2年)定年退任。2009年(平成21年)「親鸞の生涯と思想」で龍谷大学より博士(文学)の学位を取得。
武田弘道(たけだ・ひろみち、1919年9月 - 1984年6… 武田弘道(たけだ・ひろみち、1919年9月 - 1984年6月)は日本の哲学者、論理学者。北海道旭川市生まれ。 戦後の哲学界に分析哲学と記号論理学を紹介した第一世代の一人。カール・ポパーの主著で浩瀚なる『自由社会の哲学とその論敵』を翻訳出版して(1963年、1973年)令名を高める。海外の哲学者との交友も多く、学会では海外研究者の講演のときには、通訳をした。 三宅剛一の言葉「多く考え、少なく書け」を地でいった人であった。 武田ひろ子編『会議は踊る・ただひとたびの――武田弘道追悼集』ミネルヴァ書房、1985年
林 竹男(はやし たけお、1919年8月23日 - 1992… 林 竹男(はやし たけお、1919年8月23日 - 1992年9月18日)は、大阪府出身の日本の物理学者。京都大学名誉教授。理学博士(京都大学)。元京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所, KURNS)第4代所長。日本原子力学会強力中性子源研究専門委員会構成委員。 専門は、原子核物理学・核融合炉開発。 1943年に京都帝国大学理学部物理学科を卒業し、1944年京都府立高等農林学校講師。1949年西京大学(現:京都府立大学)の発足により同助教授兼任となり、1958年同教授に昇格する。1964年に京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所, KURNS)教授となり、1980年から1983年まで同実験所第4代所長を務めた。