信太 正三(しだ しょうぞう、1914年3月3日 - 197… 信太 正三(しだ しょうぞう、1914年3月3日 - 1972年5月15日)は、日本の比較哲学者。 秋田県出身。旧姓・木村。京都帝国大学哲学科卒。文部省図書局勤務。戦後、横浜専門学校教授、校名変更で神奈川大学教授、1970年東洋大学教授に転じたがほどなく死去。 ヘーゲル、ニーチェ、禅などを研究、翻訳した。彼の著書『永遠回帰と遊戯の哲学 ニーチェにおける無限革命の理論』は神奈川大学の人文学研究所の伝統的研究テーマ無限革命論として神奈川大学にモニュメント「メビウス”永遠”」が立つ。
奥島 啓弐 (おくしま けいじ、1914年2月16日 - 2… 奥島 啓弐 (おくしま けいじ、1914年2月16日 - 2002年4月11日 )は、日本の工学者。京都大学名誉教授。摂南大学名誉教授。専門は生産工学、切削工学。工学博士(京都大学)(1949年)。京都府生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
吉井 良三(よしい りょうぞう、1914年 <大正3年> 2… 吉井 良三(よしい りょうぞう、1914年 <大正3年> 2月14日 - 1999年 <平成11年> 1月28日)は、日本の昆虫学者。京都大学名誉教授。専門は洞窟生物学、昆虫形態学。位階は従四位。 1914年(大正3年)、大阪府の旧家に生まれる。旧制第三高校を経て、1938年(昭和13年)に京都帝国大学理学部動物学科を卒業。トビムシ研究から、日本の洞窟生物の研究をたちあげた。 また、その土壌動物採集の中でカマアシムシ目の昆虫を日本で初めて発見した。その種は彼の名にちなんでヨシイムシと名付けられた。 1959年、京都大学理学博士。学位論文の題は「粘管目の分類・系統学的研究」。 1987年勲三等旭日中綬章受章。
岡村 誠三(おかむら せいぞう、1914年1月1日 - 20… 岡村 誠三(おかむら せいぞう、1914年1月1日 - 2001年5月2日)は、日本の化学者。専門は、高分子化学。工学博士。京都大学名誉教授。元京都大学原子炉実験所(現・京都大学複合原子力科学研究所)長。元日本学士院会員。勲二等旭日重光章受章。 放射線重合の研究を推進し、放射線高分子化学という新しい分野を開拓した。1970年に「放射線重合に関する研究」により恩賜賞・日本学士院賞を受賞。
佐々木 宗雄(ささき むねお、1914年-?)は、日本の物理… 佐々木 宗雄(ささき むねお、1914年-?)は、日本の物理学者。 熊本県生まれ。1941年京都帝国大学理学部物理学科卒業。1954年「高エネルギーにおける重水素核の光分解」で東京教育大学理学博士。東京文理科大学助手、東京都立大学 (1949-2011)助教授をへて教授、78年定年退官、名誉教授。
時岡 隆(ときおか たかし、1913年12月19日- 200… 時岡 隆(ときおか たかし、1913年12月19日- 2001年9月30日)は日本の動物学者。京都大学名誉教授。 1913年、山口県生まれ。旧制山口高等学校を経て、1936年に京都帝国大学理学部動物学科を卒業した。 卒業後は母校である同大学の理学部助手に着任。1946年、京都大学に『日本動物分類』を提出して理学博士号を取得。農学部助教授、農学部教授、理学部附属瀬戸臨海実験所助教授を経て、同実験所教授に昇進。1975年から1977年には同実験所の所長を務めた。1977年、京都大学を停年退官し、京都大学名誉教授となった。 私人としてはピアノ演奏の技術に長けていた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
岡本 道雄(おかもと みちお、1913年(大正2年)11月2… 岡本 道雄(おかもと みちお、1913年(大正2年)11月25日 - 2012年(平成24年)7月24日)は、日本の医学者。京都大学名誉教授・総長。位階は従三位。専門は脳神経解剖学。 1913年11月25日京都府舞鶴市生まれ。旧制第三高等学校を経て、1941年京都帝国大学医学部卒業。同大学院特別研究生修了(脳神経解剖学)。1946年(昭和21年)京都大学医学博士。博士論文の題は「腫瘍の発育より観たる淋巴の解剖学」。 その後、三重県立医科大学教授、神戸医科大学教授を経て、1959年(昭和34年)京都大学教授となり、1970年(昭和45年)医学部長、1972年(昭和47年)に再任の後、1974年(昭和49年)に総長に就任した。
松尾 三郎(まつお さぶろう、1913年(大正2年)11月1… 松尾 三郎(まつお さぶろう、1913年(大正2年)11月19日 - 1998年(平成10年)9月1日)は、日本の工学者・実業家・学校経営者。工学博士(京都大学)。電子開発学園初代理事長。兵庫県出身。 郵政省電波技術審議会委員やソフトウェア産業振興協会副会長も務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
保田 清(やすだ きよし、1913年 <大正2年> 11月1… 保田 清(やすだ きよし、1913年 <大正2年> 11月19日 - 1999年 <平成11年> 3月23日)は、日本の倫理学者。京都大学名誉教授。位階は正四位。 兵庫県神戸市生まれ。1937年京都帝国大学文学部卒業、大学院に進む。1943年大学院特別研究生。1950年京大教養部専任講師、1951年助教授、1962年教授、1977年定年退官、名誉教授。 1987年、勲三等旭日中綬章を受章。1993年「道徳哲学の基本」で、80歳にして文学博士。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
堀部 正二(ほりべ しょうじ、1913年10月29日 - 1… 堀部 正二(ほりべ しょうじ、1913年10月29日 - 1944年9月7日)は、日本の国文学者、文献学者。中古文学専攻。旧姓・鹿嶋。 大阪府出身。京都帝国大学文学部卒業。大学院生時代、京都帝国大学図書館に寄託されていた近衛家文書の古筆証本「二十巻本類聚歌合」を調査研究。その後、設立された陽明文庫嘱託となる。 1944年(昭和19年)応召、同年9月7日、中国で戦病死。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐藤 長(さとう ひさし、1913年(大正2年)9月16日 … 佐藤 長(さとう ひさし、1913年(大正2年)9月16日 - 2008年(平成20年)1月6日)は、日本の歴史学者、チベット学者。古代チベット史を研究。京都大学名誉教授。 佐藤の住んでいた、京都市中京区丸太町堺町の築100年(明治42年建造)になる木造二階建ての町屋は、遺言により友人の瀬戸内寂聴に譲渡され、2009年(平成21年)に文化サロン「羅紗庵(らさ・あん)」としてオープン。名称はチベット仏教の聖地「ラサ」に因んで命名された。老朽化が進んでいたため、佐藤の没後2008年(平成20年)11月から3ヶ月かけて修理改修が進められた。佐藤と瀬戸内の親交は1943年(昭和18年)瀬戸内が新婚生活を送っていた北京の集合住宅の上階に留学中の佐藤が下宿して以来。
武藤 一雄(むとう かずお、1913年8月2日 - 1995… 武藤 一雄(むとう かずお、1913年8月2日 - 1995年6月27日)は、日本の宗教哲学者。京都大学名誉教授。キェルケゴールを専門とした。 1913年、長崎県長崎市で生まれた。京都帝国大学文学部に進学し、田辺元に師事した。 1946年、第三高等学校教授に就いた。1950年、京都大学教養部助教授となり、1957年に文学部助教授に配置換え。1962年、学位論文『神学と宗教哲学との間』を京都大学に提出して文学博士号を取得。同年11月に同教授昇格。1977年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関西学院大学教授として教鞭を執った。同大学を退任後は、龍谷大学教授を務めた。
堀江 英一(ほりえ ひでいち、1913年(大正2年)7月31… 堀江 英一(ほりえ ひでいち、1913年(大正2年)7月31日 - 1981年(昭和56年)11月3日)は、日本の経済史学者。京都大学名誉教授。 徳島県出身。京都帝国大学経済学部卒。同助教授を経て、1947年京都大学教授、1956年「明治維新の社会構造」で、経済学博士(京都大学)の学位を取得。1976年定年退官、名誉教授、名城大学教授。西欧と日本の資本主義発達史を専門とし、戦後の経済史学会の中心であった。
谷口 敏雄(たにぐち としお、1913年7月11日 - 19… 谷口 敏雄(たにぐち としお、1913年7月11日 - 1988年8月24日)は、土木工学・地球物理学者。日本の地すべり研究の第一人者の一人。正五位勲四等旭日小綬章受章。工学博士(京都大学)。元建設省土木研究所砂防研究室長および河川部長。日本技術士会元理事。日本工営元副社長・最高顧問。日本地すべり学会第2代会長・名誉会長。地すべり対策技術協会元会長。土質工学会(現:地盤工学会)元副会長。元京都大学防災研究所非常勤講師・大阪工業大学工学部土木工学科客員教授。 日本の地すべり工学の最高権威者として自他ともに認められ、地すべり対策事業の黎明よりかかわり、育ててきた最大の功労者である。
内田 俊郎(うちだ しゅんろう、1913年7月5日 - 20… 内田 俊郎(うちだ しゅんろう、1913年7月5日 - 2005年11月2日)は、日本の生物学者。個体群生態学の、日本における草分けの一人である。 内田は京都大学農学部を主な活躍の場として、個体群生態学の研究を行った。彼の手法は実験室内において、マメゾウムシなどのモデル生物の実験個体群を対象として、恒温機の中のシャーレという、極めて管理された条件下での個体群動態を調べる、というものであった。これはいかにも人工的な実験に見えるため、そんなシャーレの中の研究で本当の自然は分からない、という批判を受けたこともあった。しかし彼はこのような手法を用いての研究を続け、密度効果や相変異など、様々な成果を上げ、多くの弟子を育てた。
宮川 尚志(みやかわ ひさゆき、1913年〈大正2年〉7月 … 宮川 尚志(みやかわ ひさゆき、1913年〈大正2年〉7月 - 2006年〈平成18年〉8月)は、日本の中国史学者、大学教授。 京都帝国大学(現:京都大学文学部)で東洋史を専攻。岡山大学助教授、東海大学教授を歴任。中国史、魏晋南北朝時代を専門とし、1940年初版の古典的名著『諸葛孔明』の著者として知られる。
小倉 親雄(おぐら ちかお、1913年6月13日 - 199… 小倉 親雄(おぐら ちかお、1913年6月13日 - 1991年10月7日)は、日本の図書館学者。京都大学名誉教授。鳥取県出身。 鳥取第二中学校(現、鳥取県立鳥取東高等学校)、松江高等学校を経て、1936年に京都帝国大学文学部を卒業。その後、朝鮮総督府図書館事務嘱託、陸軍士官学校教授など歴任。終戦後、京都帝国大学大学院に進み、1949年退学。京都大学附属図書館事務長となる。1956年、京都大学教育学部助教授、1969年、教授。1972年、教育学部長。1977年に退官して名誉教授となり、ノートルダム女子大学教授を1989年まで務めた。1991年叙従三位、叙勲三等授旭日中綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
今中 寛司(いまなか かんじ、1913年5月4日 - 200… 今中 寛司(いまなか かんじ、1913年5月4日 - 2007年12月4日)は、日本の思想史学者。学位は、文学博士(京都大学・1968年)(学位論文「徂徠学の基礎的研究」)。同志社大学名誉教授。専門は、近世日本政治思想史、特に荻生徂徠。 奈良県出身。京都帝国大学卒。1968年、「徂徠学の基礎的研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。神戸大学教育学部助教授、1959年、同志社大学文学部助教授、教授、1984年、定年退任、名誉教授。1989年、勲三等瑞宝章受章。奈良本辰也と『荻生徂徠全集』全5巻を編纂した。 2007年12月4日、老衰のため死去。
外山 礼三(とやま れいぞう、1913年3月20日 - 19… 外山 礼三(とやま れいぞう、1913年3月20日 - 1947年)は、日本の植物学者である。コケ類を専門とした。 熊本市に生まれた。第五高等学校から京都帝国大学理学部植物学科に進み、大学入学後から植物学を学び、在学中の1935年に「東亜蘚類考察」という論文を発表し、キブネゴケなどを記載するが、ほとんどの新種はシノニムとなった。キブネゴケは新種・新属のKibunemuscus nipponicus として記載するが新属とは認められず、Rhachithecium nipponicum のシノニムとなった。京都大学にあったフランスの蘚苔類学者、カルド(Jules Cardot)によって同定された、ユルバン・ジャン・フォーリーが収集した標本を調べ、日本各地や朝鮮に採集旅行を行った。
原田 恒雄(はらだ つねお、1913年3月7日 - 2004… 原田 恒雄(はらだ つねお、1913年3月7日 - 2004年1月30日)は、日本の農学博士、経営者。和歌山県出身。 1938年に京都帝国大学農学部農芸化学科を卒業し、同年に大日本麦酒に入社し、1949年にアサヒビールに移る。1956年にはビール醸造研究のためにドイツに留学。1960年に西宮工場長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1974年に副社長に就任し、1976年に相談役を経て、1980年から顧問を務めた。 1987年から1992年までに全国清涼飲料工業会会長を務めた。 1968年に農芸化学技術賞を受賞し、1977年に紫綬褒章を受章した。 2004年1月30日肺炎のために死去。90歳没。
中村 誠太郎(なかむら せいたろう、1913年2月27日 -… 中村 誠太郎(なかむら せいたろう、1913年2月27日 - 2007年1月22日)は、日本の理論物理学者。東海大学名誉客員教授。 1913年、滋賀県彦根生まれ。1941年、京都帝国大学理学部を卒業した。 1943年に東京帝国大学理学部助手となる。1953年に学位論文「ベーター崩壊の中間子理論」を東京大学に提出して理学博士の学位を取得。東京大学理学部助教授、1971年に教授に昇進。1973年に東京大学を定年退官した。その後は日本大学教授、1978年より東海大学教授、1983年からは特任教授をつとめたが、1994年に退職。
武内 義範(たけうち よしのり、1913年2月2日 - 20… 武内 義範(たけうち よしのり、1913年2月2日 - 2002年4月12日)は、日本の宗教学者、浄土真宗僧侶、京都大学名誉教授。 1913年、三重県四日市市で東洋史研究者・武内義雄の子として生まれた。京都帝国大学文学部哲学科に進学し、在学中は田辺元に師事してヘーゲルの哲学等を学んだ。1936年に卒業。京都帝国大学大学院文学研究科に進み、1946年に修了。 1948年、同大文学部宗教学科助教授に就いた。1959年、同教授に昇格し、宗教学講座を担当。1976年に京都大学を退官し、名誉教授となった。同年4月からは愛知学院大学文学部宗教学科教授。1988年、愛知学院大学を退職。1995年、日本学士院会員に選出された。
池田 正一郎(いけだ しょういちろう、1913年 - 201… 池田 正一郎(いけだ しょういちろう、1913年 - 2017年9月)は、日本の歴史家。 兵庫県武庫郡御影町(現神戸市)に生まれる。1932年大阪箕面の梅路見鸞武禅道場に入門。京都帝国大学文学部支那文学語学専攻卒。東京帝国大学大学院在籍。応召しジャワに上陸、東南アジア各地を転戦。1947年夏帰国。新制中学、高等学校に勤める。退職後、自宅道場内で弓道指導に励む。海老名市文化財保護委員、市史編纂審議会長、環境保全審議会長、相模国分寺跡保存整備委員、海老名市弓道協会会長などを務めた。104歳で死去。
山本新(やまもと しん、1913年 - 1980年)は、日本… 山本新(やまもと しん、1913年 - 1980年)は、日本の文明学者。兄は牧師の山本和。 岡山県生まれ。1937年京都帝国大学哲学科卒。1960年「文明論」で法政大学文学博士。のち神奈川大学教授。在職中に死去。 はじめラインホルト・ニーバー、のちアーノルド・J・トインビーの影響を受けた。
浅井 得一(あさい とくいち、1913年 - 2003年)は… 浅井 得一(あさい とくいち、1913年 - 2003年)は、日本の地理学者(地理教育)・軍人。 東京生まれ。旧制武蔵高等学校文科甲類を経て、1936年(昭和11年)京都帝国大学文学部地理学専攻卒。大学卒業後、すぐに旧制立教中学校の専任教員となり、1941年(昭和16年)まで地理と歴史を教えた。 小牧実繁らの大東亜地理学派の一人。戦時下の1942年(昭和17年)12月、南方軍情報官としてビルマに赴任、陸軍司政官となる。1944年(昭和19年)4月25日、南方軍ビルマ方面軍・磯村武亮参謀副長の示唆を受け、ビルマ国国家主席・バー・モウの暗殺を企てるが、ビルマ兵の警戒により失敗、逮捕されるも日本へ帰される。
孝橋 正一(こうはし しょういち、1912年10月24日 -… 孝橋 正一(こうはし しょういち、1912年10月24日 - 1999年)は、日本の社会福祉学者。 兵庫県出身。1935年京都帝国大学経済学部卒。1938年治安維持法違反で逮捕される。戦後、大阪社会事業短期大学助教授、教授、1965年「救貧史の研究 特に救貧政策の歴史的実証的研究」で東洋大学より文学博士の学位を取得。1968年龍谷大学教授、1973年東洋大学教授。1979年佛教大学教授。83年定年退任。社会事業を社会科学的方法論に基づいて研究した。社会主義、仏教にも関心があった。
上杉 正一郎(うえうぎ しょういちろう、1912年8月4日 … 上杉 正一郎(うえうぎ しょういちろう、1912年8月4日 - 1990年)は、日本の統計学者、マルクス経済学者。長く東京経済大学で教鞭を執り、同大学名誉教授となった。 上杉は、第二次世界大戦後の経済学界において、「社会統計学派の指導的理論家」であったとされる。 東京に生まれる。父・上杉慎吉は、東京帝国大学法学部教授で、天皇主権説に立つ憲法学者であった。なお、弟・上杉重二郎は、長じて労働運動史の研究者となり、北海道大学教授などを務めた。 1930年に第一高等学校に入学し、1933年に東京帝国大学経済学部に進んだ。学生時代の上杉は、日本共産青年同盟(共青)に参加し、滝川事件に関連して1934年と1935年の2度、検挙勾留された。
森 主一(もり しゅいち、1912年6月7日 - 2007年… 森 主一(もり しゅいち、1912年6月7日 - 2007年2月25日)は、日本の生物学者(生態学・時間生物学)。勲二等。京都大学名誉教授、滋賀大学名誉教授、静岡女子大学名誉教授。理学博士(京都帝国大学・1945年)。 ラテン文字転写の際にSyuiti Moriと表記される場合もある。 京都大学理学部教授、京都大学理学部附属大津臨湖実験所所長、京都大学理学部学部長、日本学術会議会員、静岡女子大学学長(第3代)、滋賀大学学長(第7代)、滋賀大学経済短期大学部学長(第7代)、環境市民代表(初代)などを歴任した。 徳島県出身の生態学や時間生物学を専攻する生物学者である。「日本の生態学の草分け」と評されており、太平洋戦争後の日本における生態学の確立に大きな役割を果たした。
西村 秀雄(にしむら ひでお、1912年(明治45年)5月1… 西村 秀雄(にしむら ひでお、1912年(明治45年)5月17日 - 1995年(平成7年)10月17日)は、日本の解剖学者。 西村秀雄は1955年から1976年まで、京都大学医学部の解剖学教授として、《ヒトにおける奇形の発生率は初期胎児集団において高い》ことを報告した。この発見が《重度の奇形を持った胎児は自然流産につながりやすい》ことの根拠となった。 1948年、敗戦後の人口増加による窮乏を緩和するため、国会は社会的・経済的理由による妊娠中絶を合法化した。当時日本は米軍占領下にあり、GHQ公衆衛生福祉局は「避妊・家族計画」を推奨して中絶に反対したが、やがて賛同した。1960年から西村は22府県の1400人をこえる産科医の協力をとりつけ、妊娠初期に中絶のため医院を訪れる母親たちの同意を得て、摘出された胎児を研究標本として収集し、調査した。
蟹江 松雄(かにえ まつお、1912年5月12日 - 200… 蟹江 松雄(かにえ まつお、1912年5月12日 - 2001年2月14日)は、日本の農学者、農芸化学者。鹿児島大学第5代学長・名誉教授。農学博士。専門は発酵学(醸造学)、農産製造学。特に鹿児島の焼酎について長年研究した。 愛知県名古屋市出身。1930年、旧制愛知県立熱田中学校(愛知県立瑞陵高等学校の前身)卒業。1933年、旧制第八高等学校(名古屋大学教養部の前身)理科乙類卒業。1940年に京都帝国大学農学部(現京都大学農学部)農林化学科を卒業し、同年4月から京都帝国大学副手。1941年4月、黒田製薬株式会社に入社。 1946年6月、旧制鹿児島農林専門学校教授に就任。鹿児島赴任以来、焼酎に関心を抱き、研究の一つの柱とする。
藤野 渉(ふじの わたり、1912年4月5日 - 1983年… 藤野 渉(ふじの わたり、1912年4月5日 - 1983年5月3日)は、日本の哲学者。名古屋大学名誉教授。 1912年、熊本県熊本市で生まれた。愛媛県出身。京都帝国大学文学部哲学科で学び、1935年に卒業。 戦後、名古屋大学文学部助教授に就いた。後に教授昇格。1976年に名古屋大学を定年退官し、名誉教授となった。マルクス主義を主として研究した。
野口 隆(のぐち たかし、1912年3月30日 - 没年不詳… 野口 隆(のぐち たかし、1912年3月30日 - 没年不詳)は、日本の社会学者、広島大学名誉教授。京都帝国大学文学部史学科卒。1962年、「ギュルヴィッチ社会学の研究」で九州大学文学博士。広島大学教授。1976年、定年退官、名誉教授、佛教大学教授、広島修道大学教授。
加藤 新平(かとう しんぺい、1912年〈明治45年〉3月2… 加藤 新平(かとう しんぺい、1912年〈明治45年〉3月29日 - 1999年〈平成11年〉4月2日)は、日本の法学者(法理学・法哲学)。京都大学名誉教授。1983年から日本学士院会員。1971年から1975年まで日本法哲学会理事長。沢内村名誉村民第一号。 1912年、岩手県和賀郡沢内村生まれ。1927年、宮城県白石中学校(宮城県白石高等学校の前身)4年修了、同年第一高等学校(一高)文科甲類入学。1930年11月、思想事件により一高を中途退学、1932年、第二高等学校文科甲類卒業検定合格。同年4月、京都帝国大学文学部哲学科入学、1933年、同大学法学部入学。1935年、高等試験行政科合格、1936年、同大学法学部卒業、直ちに同法学部助手に任用。
愛宕 松男(おたぎ まつお、1912年2月8日 - 2004… 愛宕 松男(おたぎ まつお、1912年2月8日 - 2004年6月17日)は、東洋史学者、東北大学名誉教授。 1912年、京都府生まれ。1935年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。1951年より東北大学文学部教授。1959年に『キタイ部族制社会の研究』を京都大学に提出して文学博士。1974年に定年退官し名誉教授。 退官後は京都女子大学教授となった。2004年6月17日、肺炎のため死去。子息の愛宕元も東洋史学者(京都大学名誉教授)だった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藪内 芳彦(やぶうち よしひこ、1912年2月8日 - 19… 藪内 芳彦(やぶうち よしひこ、1912年2月8日 - 1980年3月13日)は、人文地理学者。 和歌山県生まれ。1935年京都帝国大学文学部地理学科卒。和歌山師範学校教授、和歌山大学教育学部助教授、金沢大学法文学部助教授、教授、大阪市立大学教授。1976年定年退官、名誉教授、関西大学教授。ポリネシアの島嶼などを研究した。 1962年京都大学で文学博士。論文の題は「漁村の生態 : 人物地理学的研究」。
大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - … 大橋 隆憲(おおはし りゅうけん、1912年1月22日 - 1983年3月11日)は、日本の統計学者・僧侶。京都大学名誉教授。 新潟県加茂市生まれ。旧名・栄俊。1935年東京帝国大学文学部宗教学科卒、1940年京都帝国大学経済学部卒、同助手、1942年日本鋼管入社、1949年京都大学経済学部助教授、1965年教授。1963年 経済学博士の学位を取得。1966-1967年経済学部長、1975年定年退官、名誉教授となり、日本福祉大学教授、1982年花園大学教授を務めた。
酒井 得元(さかい とくげん、1912年1月14日 - 19… 酒井 得元(さかい とくげん、1912年1月14日 - 1996年11月22日)は、日本の仏教学者。駒澤大学名誉教授。学位は、文学博士。 愛知県名古屋市生まれ。1935年、駒澤大学仏教学科卒業。1936年、京都紫竹林学堂に入り京都大学文学部哲学科専科に3年間在学。1939年春、大本山總持寺に安居。後堂であった沢木興道老師に遭う。同年秋、大本山永平寺に安居。1941年、沢木老師の天暁禅苑(栃木県・大中寺。1944年10月解散)に入り、以後沢木老師に師事。1949年より駒澤大学に奉職。1957年、金沢市・大乗寺に宗立僧堂が開かれ、沢木老師と共に雲水を指導(1962年閉単)。 1969年『禅の実相』で文学博士(昭和44年2月26日)。
塚本 洋太郎(つかもと ようたろう、1912年1月3日 - … 塚本 洋太郎(つかもと ようたろう、1912年1月3日 - 2005年3月12日)は、日本の園芸学者。京都大学名誉教授。専門は花卉園芸学。草花・花木・その他の観賞植物の研究を通じて花卉園芸学を学問的に体系化した。 朝鮮の大邱生まれ。本籍は福岡県北九州市八幡西区。 大阪府立豊中中学校(現:大阪府立豊中高等学校)から第五高等学校(現:熊本大学)を経て、京都帝国大学農学部農学科に入学。 大学では園芸学を専攻。1937年(昭和12年)京都帝国大学農学部農学科卒業後、助手として4年間園芸学第一研究室に勤務。大阪府立園芸学校に転出。この時期、第2次大戦中の園芸の荒廃を見て将来の花卉園芸学への道を決意する。戦後いち早く輸出用球根類の研究を開始。
谷口 隆之助(たにぐち りゅうのすけ、1912年 - 198… 谷口 隆之助(たにぐち りゅうのすけ、1912年 - 1982年3月)は、日本の宗教哲学者、宮城学院大学名誉教授。東京生まれ。青山学院中等部、神学部卒、京都帝国大学哲学科選科卒。1943年、京都大学宗教学研究室嘱託。1947年、東北学院専門学校(東北学院大学の前身)教授。東北学院大学助教授、宮城学院女子大学教授。1969年から1970年まで、大阪産業大学学長。のち、八代学院大学学長、1976年退職。
池田 進(いけだ すすむ、1911年12月16日 - 197… 池田 進(いけだ すすむ、1911年12月16日 - 1976年10月25日)は、日本の教育学者。 三重県生まれ。1933年京都帝国大学文学部哲学科卒、1936年同教育学科卒。大阪女子大学助教授、1955年京都大学教育学部助教授、教授。1971年「比較教育学研究序説」で京大教育学博士。 与党自由民主党推薦で教育法案について意見を具申したことがある。 1976年10月25日、脳内出血のため京都市東山区の官舎にて死去。64歳。喪主は長男の池田善郎(当時京都大学農学部助教授)が務めた。
四手井 綱英(しでい つなひで、1911年11月30日 - … 四手井 綱英(しでい つなひで、1911年11月30日 - 2009年11月26日)は、日本の森林生態学者。京都大学名誉教授。京都府立大学名誉教授。京都府生まれ。 里山概念の普及に大きな影響を与えた人物であり、関連する数多くの著書を出している。また、京大山岳部出身で、京都大学学士山岳会での京大ヒマラヤ遠征隊の裏方を長らく務めた。また、京大教授時代は「探検部」の顧問も務めた。
津田 松苗(つだ まつなえ、1911年(明治44年)11月1… 津田 松苗(つだ まつなえ、1911年(明治44年)11月15日 - 1975年10月9日)は、兵庫県出身の昆虫学者。男性。とりわけ水生昆虫学、汚水生物学の日本への導入とその研究で知られる。日本陸水学会元会長。 主な著書に『水生昆虫学』『水質汚濁の生態学』、『汚水生物学』がある。 1911年、兵庫県尼崎市に生まれた。京都に移り住み、旧制第三高等学校に進学、ドイツ語を専攻した。当初医学を志望していたが、健康を損ねて断念し、1932年に京都帝国大学(現:京都大学)理学部に進学、動物学を専攻した。動物学教室で川村多実二に師事し、水生昆虫の研究を行った。 1935年に同大を卒業し、大学院に進学した。1937年、交換留学生としてドイツのミュンヘン大学に留学、デモル教授(1882-1960)に師事した。
日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年〈明治44年〉1… 日野原 重明(ひのはら しげあき、1911年〈明治44年〉10月4日 - 2017年〈平成29年〉7月18日)は、日本の医師、医学者。位階は従三位。学位は医学博士(京都帝国大学)。聖路加国際病院名誉院長、上智大学日本グリーフケア研究所名誉所長、公益財団法人笹川記念保健協力財団名誉会長。 京都帝国大学医学部副手、大日本帝国海軍軍医少尉などを経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、公益財団法人聖ルカ・ライフサイエンス研究所理事長、英知大学客員教授などを歴任した。 京都帝国大学医学部第三内科副手、大日本帝国海軍軍医少尉等を経て、聖路加看護大学学長、聖路加国際病院院長、国際基督教大学教授、自治医科大学客員教授、ハーバード大学客員教授、国際内科学会会長、一般財団法人聖路加国際メディカルセンター理事長等を歴任した。
武谷 三男(たけたに みつお、1911年(明治44年)10月… 武谷 三男(たけたに みつお、1911年(明治44年)10月2日 - 2000年(平成12年)4月22日)は、日本の理論物理学者。理学博士。三段階論、技術論で知られる。 福岡県生まれ。台北高等学校を経て、京都帝国大学理学部を卒業後、湯川秀樹、坂田昌一の共同研究者として、原子核・素粒子論の研究を進めた。その一方、中井正一、久野収らと共に、反ファシズムを標榜する雑誌『世界文化』『土曜日』に参加するなどしたため、2度にわたって検挙された。戦時下には理化学研究所を中心とする原子爆弾の開発(ニ号研究)にも関わっていた。1943年にロシア人医師ピニロピ(バルチック艦隊艦長の孫。後に武谷病院を開設)と結婚。 終戦後は、鶴見俊輔らと『思想の科学』を創刊。
山田 憲吾(やまだ けんご、1911年(明治44年)9月1日… 山田 憲吾(やまだ けんご、1911年(明治44年)9月1日 - 1990年(平成2年)1月19日)は、日本の医学者、整形外科医。新潟県北蒲原郡中条町(現胎内市)出身。京都帝国大学医学部医学科卒業。徳島大学名誉教授。勲二等瑞宝章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
藤枝 晃(ふじえだ あきら、1911年〈明治44年〉8月3日… 藤枝 晃(ふじえだ あきら、1911年〈明治44年〉8月3日 - 1998年〈平成10年〉7月23日)は、日本の東洋学者。敦煌学および西域出土の古写本研究の第一人者である。 1911年、大阪府西成郡粉浜村(大阪市住之江区)生まれ。旧制大阪高校を経て、1934年(昭和9年)、京都帝国大学文学部史学科を卒業。 卒業後は同文学部の副手に着任。1937年(昭和12年)、東方文化研究所の図書係、のちに同副研究員となった。太平洋戦争末期には中国・内蒙古の西北研究所に派遣され、現地調査に従事した。 戦後の1948年(昭和23年)、京都大学人文科学研究所助教授となった。1951年(昭和26年)、研究所の森鹿三を班長とする居延漢簡共同研究班に所属し、木簡の研究を行った。
武田 喜三(たけだ きぞう、1911年7月30日 - 198… 武田 喜三(たけだ きぞう、1911年7月30日 - 1987年1月5日)は、日本の経営者、工学博士。大同特殊鋼社長、会長を務めた。 京都府出身。1935年に京都帝国大学工学部冶金学科を卒業し、同年に日本製鐵八幡製鉄所に入社。1961年に取締役に就任し、1963年に常務、1968年3月に専務、1970年3月に新日本製鐵専務を経て、1973年に大同製鋼社長に就任し、1976年9月には大同特殊鋼社長に就任。1982年9月に取締役相談役を経て、1984年9月に相談役に就任。 1965年4月に事業功労賞を受賞し、1975年4月に製鉄功労賞を受賞した。1977年4月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等瑞宝章を受章した。
安藤 孝行(あんどう たかつら、1911年7月28日 - 1… 安藤 孝行(あんどう たかつら、1911年7月28日 - 1984年5月26日)は、日本の哲学者、翻訳家。岡山大学名誉教授。 1911年、愛知県西春日井郡豊山村(現:豊山町)生まれ。1929年、旧制・明倫中学校を出て、第八高等学校(文科甲類)に進学。1933年、京都帝国大学文学部哲学科に進んだ。大学では、田辺元らの指導を受ける。1936年に同大学を卒業し、大学院に進んだ。 1941年、第四高等学校教授に着任。太平洋戦争を経て、1949年に金沢大学助教授に就任。1951年、教授に昇格。1953年より立命館大学文学部教授。1958年からは文学部長を務めた。1956年、東京大学にて文学博士号を取得。1967年、岡山大学教授に転じた。
吉田 五郎(よしだ ごろう、1911年7月9日 - 1994… 吉田 五郎(よしだ ごろう、1911年7月9日 - 1994年3月8日)は、日本の法学者。専門は民法。第8代目八幡大学(現・九州国際大学)学長。 1911年、関東州大連生まれ。兵庫県出身の実父は幼少時に漢学を学んだ後に満州に渡った人物で、豪商として財を成していた。旧制大連一中より旧制山口高等学校に入学。1931年(昭和6年)、京都帝国大学法学部に入学。末川博教授の薫陶を受け民法・労働法を学んだ。1933年に京都帝国大学で滝川事件が起こった際には、時の文部大臣鳩山一郎に面会を強要し上京。強烈な抗議文をつきつけた法学部数名の中に吉田五郎の名があった。この抗議文は当時の新聞にも掲載された。1934年、京都帝国大学法学部を卒業。
佐々 久(さっさ ひさし、1911年5月28日 - 1999… 佐々 久(さっさ ひさし、1911年5月28日 - 1999年7月8日)は、日本の西洋史学者、教育者。熊本学園大学名誉教授。朝鮮京城府大和町生まれ。京都帝国大学文学部史学科卒業後、京城の高等女学校で教員生活を始める。第二次世界大戦後は父の故郷である熊本県で熊本師範学校教授、熊本短期大学・熊本商科大学(いずれも現・熊本学園大学)教授、熊本商科大学付属高校の校長などを務めた。1983年、勲四等旭日小綬章受章。 1911年(明治44年)5月28日、朝鮮京城府大和町に佐々正之(まさし)・トキ夫妻の四男として生まれる。兄3人、弟1人、妹2人の7人きょうだいだった。父・正之は熊本藩士・佐々陸助(むつすけ)の四男として幕末の熊本に生まれたが、結婚後に京城に移ってジャーナリストなどを務めており、久を含む7人きょうだいは皆京城で生まれた。