浅居 喜代治(あさい きよじ、1923年 <大正12年> 1… 浅居 喜代治(あさい きよじ、1923年 <大正12年> 1月28日 - 2012年 <平成24年> 4月25日)は、日本の経営情報学・経営工学者。大阪府立大学名誉教授。工学博士 。大阪工業大学工学部経営工学科元教授。日本ファジィ学会(現:日本知能情報ファジィ学会)初代会長。日本経営工学会第19期副会長。ファジィシステム理論のパイオニア。勲三等旭日中綬章受章。位階は正四位。 専門は、経営工学・経営情報学(特にファジィシステム理論)・技術経営、社会システム工学・経営意思決定。 大阪府出身。旧制大阪高等工業学校(のちの大阪府立大学)卒業。1951年大阪大学工学部通信工学科卒業。同年、大阪市立大学助手。
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近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 20… 近江 宗一(おおみ むねかづ、1923年1月21日 - 2016年1月12日)は、日本の工学者。専攻は冶金工学、流体工学。大阪大学名誉教授。工学博士。 静岡県静岡市出身。1968年(昭和43年)、大阪大学工学部冶金設備工学研究室教授(〜1986年度(昭和61年度)。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。
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山田 正治(やまだ まさじ、1923年(大正12年) - )… 山田 正治(やまだ まさじ、1923年(大正12年) - )は日本の工学者。茨城大学名誉教授。専門は制御工学。 2005年(平成17年)8月、フェルマーの最終定理の短い証明を発表した。さらに自身のサイトで短い証明の英語版と日本語訳を公開した。
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北垣 敏男(きたがき としお、1922年12月13日 - 2… 北垣 敏男(きたがき としお、1922年12月13日 - 2016年2月28日)は、日本の物理学者。東北大学名誉教授。専門は、高エネルギー物理学。理学博士。世界に於ける高エネルギー加速器研究に関する第一人者。 大阪大学理学部物理学科卒業。現、東北大学名誉教授。日本において加速器研究に関する第一人者で、泡箱による実験や機能分離型強収斂加速器(separated-function strong-focusing lattice used in the Main Ring)並びに段階加速カスケード方式の考案が有名である。1950年代当時は米国ブルックヘブン国立研究所の3GeVコスモトロン加速器が世界最大であったが、上記の発明により100GeV以上の加速器が可能になった。
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中野 藤生(なかの ふじお、1922年12月8日 - 200… 中野 藤生(なかの ふじお、1922年12月8日 - 2009年8月12日)は日本の統計力学者。線形応答理論への寄与で知られる。大阪市出身。 1922年、大阪に生まれる。1944年(昭和19年)9月、大阪帝國大学(現大阪大学)理学部物理学科を繰り上げ卒業後、海軍技術見習尉官となって海軍兵学校にて物理教官となる。戦後、大阪帝國大学理学部副手、大阪大学助手を経て、1955年1月に名古屋大学教授となる。 1955年に「電気伝導度の公式」を、1973年には「対称破りポテンシャルの方法」を発表。1986年、停年退官ののち名古屋大学名誉教授。2009年8月、肺炎のため名古屋市にて死去。86歳であった。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
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市井 三郎(いちい さぶろう、1922年(大正11年)6月1… 市井 三郎(いちい さぶろう、1922年(大正11年)6月18日 - 1989年(平成元年)6月28日)は、日本の哲学者(分析哲学・社会思想)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 1927年、大阪府生まれ。都島工業学校、大阪高等学校 を経て大阪大学理学部を卒業後、マンチェスター大学を経てロンドン大学大学院哲学科修了。1954年(昭和29年)に愛知教育大学助教授を経て、1961年(昭和36年)以後は成蹊大学教授。1988年(昭和63年)成蹊大学名誉教授。 戦後、鶴見俊輔らが主催する思想の科学研究会に加わり、雑誌『思想の科学』を編集し、執筆を連載する。1970年代に鶴見和子・山田慶児・桜井徳太郎らと「思想の冒険」グループに参加した。
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小松 定夫 (こまつ さだお、1922年6月9日 - 199… 小松 定夫 (こまつ さだお、1922年6月9日 - 1995年10月30日)は、日本の土木工学者。 工学博士。土木学会名誉会員。大阪大学名誉教授。 専門は薄肉構造理論、弾塑性構造解析理論、空力弾性学など。なかでも薄肉曲線桁理論は都市高架道路橋の建設に影響を与えた。同理論は阪神高速道路の3径間連続鋼床版曲線箱桁橋(土木学会選奨土木遺産)、通称中之島S字橋の設計にも適用された。 大阪市に生まれる。大阪市立都島工業学校機械科、旅順工科大学予科を経て1946年9月、京都帝国大学工学部応用物理学科(旧航空)を卒業した。 民間会社、大阪府技師などを経て、1953年3月大阪市立大学工学部助手に就任する。同大学を講師、助教授と進み、1961年12月京都大学より工博の学位を授与される。
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益田義賀(ますだ よしか、1922年3月25日 - 2019… 益田義賀(ますだ よしか、1922年3月25日 - 2019年6月29日)は、日本の物理学者。 島根県出身。1949年大阪大学理学部物理学科卒、大学院に進み、1958年「金属カドミユウムの核磁気共鳴の研究」で理学博士。神戸大学理学部講師、助教授、1965年阪大基礎工学部助教授、1967年名古屋大学理学部教授、1985年定年退官、名誉教授、愛知学院大学教授を務めた。1998年勲三等旭日中綬章受勲。米国留学中に伊藤整と知り合いだった。低温物理が専門。
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カズオ・ナカモト(中本 一男、1922年3月1日 - 201… カズオ・ナカモト(中本 一男、1922年3月1日 - 2011年6月7日)は、日本出身のアメリカ合衆国の化学者。専門は赤外分光およびラマン分光。イリノイ工科大学教授、マーケット大学(英語版)教授。 結晶構成分子の伸縮振動の周波数と水素結合距離の相関図であるNakamotoダイアグラムにその名を残す。 1922年3月1日に神戸市で生まれた。1945年に大阪帝国大学理学部を卒業、1953年に同大学大学院理学研究科を修了し、理学博士号を取得した。 大阪大学の助教を4年間務めるが、その内の1953年から1955年の最初の2年間をフルブライト奨学金を得て博士研究員としてアイオワ州立大学で過ごした。その後、日本に戻り1955年から1957年までを大阪大学で過ごした。
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曲直部 寿夫(まなべ ひさお、1921年9月28日 - 19… 曲直部 寿夫(まなべ ひさお、1921年9月28日 - 1996年12月17日)は日本の心臓外科医、外科学者。大阪帝国大学卒業。臓器移植や人工臓器の開発に力を注ぎ、日本の心臓外科手術の礎を作った。 1921年(大正10年)大阪府生まれ。大阪大学医学部助手であった1956年(昭和31年)、ファロー四徴症の手術において、日本国内最初の体外循環装置を用いた心臓外科手術に成功。当時はもちろん体外循環装置を動かす臨床工学技士はおらず、心臓外科医自身が人工心肺、充填液の処方、血液の用意などのシステム全体において責任があり、非常に困難な手術であった。 その後阪大教授を経て1977年(昭和52年)に国立循環器病研究センター初代病院長、1983年には同二代目総長に就任。
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坂田 民雄(さかた たみお、1921年〈大正10年〉9月6日… 坂田 民雄(さかた たみお、1921年〈大正10年〉9月6日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の物理学者。元東京理科大学教授。 兄は、湯川秀樹、朝永振一郎とともに日本の素粒子物理学をリードした坂田昌一。 1921年9月、神戸にて誕生。1941年4月、大阪帝国大学理学部物理学科入学。1943年9月、同大学卒業後、阪大の菊池研究室にてサイクロトロンの研究に従事。 1943年11月、理化学研究所の仁科研究室にて原子爆弾製造研究(通称「二号研究」)に従事。1944年3月-4月、福井県鯖江連隊に入隊。1945年12月-1946年1月、仁科と共に長崎にて原爆被害状況の調査。 1948年、株式会社科学研究所設立(初代社長 仁科芳雄)時に入社、ペニシリンの研究に従事。
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南 晋一(みなみ しんいち、1921年8月7日 - 1989… 南 晋一(みなみ しんいち、1921年8月7日 - 1989年9月29日)は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元応用化学教室担当。 専門は、工業化学・有機金属化学、電気化学。 1959年大阪大学大学院工学研究科応用化学専攻にて、工学博士(大阪大学)。松下電器産業(現:パナソニック)無線事業本部研究所などを経て、大阪工業大学工学部応用化学科教授として着任し、応用化学教室を担当。1989年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部応用化学科にて長きに渡り教鞭を執り、同学科開設後の初期の応用化学(特に、有機金属化学・電気化学)研究・育成に貢献した。 主な所属学会は、日本化学会、金属表面技術協会、電気化学協会、チタニウム懇話会。
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櫻井 良文(さくらい よしふみ、1921年3月30日 - 2… 櫻井 良文(さくらい よしふみ、1921年3月30日 - 2012年6月21日)は、大阪府生まれの日本の電気工学者・システム/制御工学者。大阪大学名誉教授。大阪工業大学・摂南大学元学長・名誉教授。工学博士(大阪大学)。澪電会(大阪大学工学部電気系同窓会)元会長。元京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所, KURNS)教授。第41期システム制御情報学会(ISCIE)会長。日本応用磁気学会会長。第11-13期日本学術会議会員。勲二等瑞宝章受章。 専門は、応用磁気学(特に磁気メモリ)、システム制御工学・計測工学(特に原子炉制御・放射線計測)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
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小玉 健吉(こだま けんきち、1920年(大正9年)1月25… 小玉 健吉(こだま けんきち、1920年(大正9年)1月25日 - 2005年(平成17年)7月6日)は、日本の科学者。工学博士。日本の酵母菌研究の第一人者で、特に森林微生物の収集と分類に取り組み、野生酵母の研究で知られる。北村匠海の親戚。 秋田県南秋田郡飯田川町(現・潟上市)出身。旧制秋田県立秋田中学校、旧制広島高等工業学校を経て、1942年(昭和17年)に大阪帝国大学工学部発酵工学科を卒業。 1943年(昭和18年)陸軍燃料本部技術研究所に配属され、発酵燃料の研究に従事した。最終階級は陸軍中尉。 戦後、生家の小玉合名会社(現・小玉醸造株式会社、創業:1879年(明治12年))に勤務。社内の研究所で自社製品である味噌・醤油・清酒のための酵母の研究に従事した。
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早石 修(はやいし おさむ、1920年1月8日 - 2015… 早石 修(はやいし おさむ、1920年1月8日 - 2015年12月17日)は、日本の医師、医学者。専門は生化学、医化学。京都大学名誉教授、大阪バイオサイエンス研究所理事長。医学博士(1949年、大阪大学)。アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。京都大学医学部医化学教室の主任教授として、多くの研究者を育てたことで知られる。
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神前 五郎(こうさき ごろう、1919年(大正8年)4月5日… 神前 五郎(こうさき ごろう、1919年(大正8年)4月5日 - 2015年(平成27年)3月22日)は、日本の外科医、元大阪大学教授。 千葉県出身。大阪帝国大学医学部出身の外科医で、専門は癌、血栓止血学。阪大医学部第二外科教授、後に日本外科学会会長、定年退官後は東京都立駒込病院の院長をつとめた。山崎豊子『白い巨塔』の財前五郎のモデルとされるが、山崎が主治医であった神前の名前と地位を借りたのみで、直接的なモデルではないとされる。孫に作曲家・編曲家の神前暁がいる。2013年、「がんもどき」理論を提唱する近藤誠に反論し、『週刊朝日』誌上で直接討論を行った。2015年3月22日 肺炎のため95歳で死去した。
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山村 雄一(やまむら ゆういち、1918年7月27日 - 1… 山村 雄一(やまむら ゆういち、1918年7月27日 - 1990年6月10日)は、臨床免疫学者。 結核を中心とした免疫学・医学研究に貢献した。長男は東海大学医学部教授の山村雅一。孫は吉本新喜劇の信濃岳夫。 大阪府大阪市天王寺区生まれ。 1941年大阪大学医学部卒。海軍軍医学校軍医科69期14班班長を務めた後太平洋戦争中は日本海軍の軍医として転戦。1949年大阪大学医学博士。「結核菌の安息香酸代謝に就て」。1956年に国立刀根山病院内科医長、1957年に九州大学医学部生化学教授、1962年に大阪大学医学部教授、1967年に同大学医学部長、1979年から1985年まで大阪大学総長を務めた。 癌の免疫療法であるBCG-CWSを作る。
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後藤 憲一(ごとう けんいち、1917年4月27日 - 19… 後藤 憲一(ごとう けんいち、1917年4月27日 - 1993年7月30日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。理学博士。 島根県出身。1941年大阪帝国大学理学部物理学科卒、同助手、1954年大阪大学理学部助教授。1962年「磁場内プラズマの臨界安定性について」で理学博士。1966年教授、1981年定年退官、名誉教授、摂南大学工学部教授。88年退職。
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西脇 安(にしわき やすし、1917年2月20日 - 201… 西脇 安(にしわき やすし、1917年2月20日 - 2011年3月27日)は、日本の生物学者(放射線生物学)。勲等は勲三等。学位は医学博士(京都大学・1954年)、理学博士(京都大学・1962年)。東京工業大学名誉教授、ウィーン大学名誉教授。 大阪帝国大学理学部助手、大阪理工科大学助教授、大阪市立医科大学助教授、東京工業大学理工学部付属原子炉研究施設教授などを歴任した。 初期のキャリアにおいては原子核物理学実験を専門とし、第二次世界大戦中は核兵器開発研究にも関与したが、戦後連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)によって原子核の研究が禁止されたことを受けて、放射線生物学に転向した。 アメリカ合衆国が1954年にビキニ環礁で行った水爆実験「ブラボー実験」による被害の調査を行い、日本国外にも事件の情報を伝達した。
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橋本 正己(はしもと まさみ、1917年2月14日 - 20… 橋本 正己(はしもと まさみ、1917年2月14日 - 2003年1月26日)は、日本の公衆衛生学者。国立公衆衛生院名誉教授。1989年勲三等旭日中綬章受章。 大阪府豊中市生まれ。1940年大阪帝国大学医学部卒。短期現役士官海軍軍医、1948年「昭和二十一年春季阪神地方流行時に於ける発疹チフス患者百七十名の疫学的並に臨床的観察」で大阪帝国大学より医学博士の学位を取得。豊中保健所勤務、厚生省公衆衛生局、国立公衆衛生院部長、名誉教授。1982年埼玉県立衛生短期大学学長。1989年勲三等旭日中綬章受勲。
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内山 龍雄(うちやま りょうゆう、1916年(大正5年)8月… 内山 龍雄(うちやま りょうゆう、1916年(大正5年)8月28日 - 1990年(平成2年)8月30日)は、日本の物理学者(理論物理学)。重力場を含む一般ゲージ場の創設者。第14代大阪大学理学部長。大阪大学名誉教授。理学博士(大阪大学・論文博士・1951年)。 1954年ごろまでに、楊振寧、ロバート・ミルズとは別に重力と電磁力を結び付ける一般ゲージ理論(非可換ゲージ理論)の研究を完成させていた。同年京都大学基礎物理学研究所でのワークショップで発表したものの、反応は否定的で支持を得られなかった。( L O'Raifeartaigh"The Dawning of Gauge THeory"Princeton Univ.Press,p208-209, 『龍雄先生の冒険』窮理舎(痛恨の記))国外では、ヴォルフガング・パウリが1953年には、非可換ゲージ理論を完成させていたが、こちらもゲージボソンに質量を与える方法が分からないという理由で論文発表を控えていた。
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上原 喜八郎(うえはら きはちろう、1916年〈大正5年〉5… 上原 喜八郎(うえはら きはちろう、1916年〈大正5年〉5月29日 - 2009年〈平成21年〉3月25日)は、日本の生化学者、薬学者(生物系薬学)。理学博士。大阪大学名誉教授、日本薬学会有功会員。 新潟県新潟市新島町通4ノ町(現 新潟市中央区新島町通4ノ町)の実業家・上原有三の八男として出生、1922年(大正11年)3月に新潟県新潟市旭町通2番町(現 新潟市中央区旭町通2番町)に転居。 1934年(昭和9年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に第四高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に大阪帝国大学理学部化学科を卒業。 1942年(昭和17年)に大阪帝国大学理学部化学教室助手に就任、赤堀四郎のもとで研究、1943年(昭和18年)に大阪帝国大学理学部大学院に特別研究生として入学、1947年(昭和22年)に大阪帝国大学理学部化学教室講師に就任、1951年(昭和26年)2月に大阪大学理学部化学教室助教授に就任、1952年(昭和27年)7月に大阪大学から理学博士号を取得、大阪大学医学部薬学科生化学教室助教授に就任、1955年(昭和30年)に大阪大学薬学部生化学教室助教授に就任、1958年(昭和33年)11月に大阪大学薬学部生物薬品化学講座初代教授に就任、1977年(昭和52年)6月に大阪大学薬学部第12代学部長に就任、1980年(昭和55年)4月に大阪大学を定年退官、大阪大学名誉教授の称号を受称、同月に摂南大学教養科教授に就任、1981年(昭和56年)9月に退職。
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政木 和三(まさき かずみ、1916年5月26日 - 200… 政木 和三(まさき かずみ、1916年5月26日 - 2002年8月6日)は、日本の発明家・科学者、スピリチュアリスト。元大阪帝国大学工学部工作センター長。 自身の発明したほとんどの特許を手放し、技術の無償提供を行った。またペンジュラムを用いた人間性の測定を提唱、これが政木フーチとして発展を遂げた。 政木は兵庫県生まれで、幼少は姫路の北、神崎郡市川町瀬加の自然豊かな山間で育った。 昭和15年、彼は関西高等工業学校(現在の大阪工業大学)電気工学科を卒業し、大阪帝国大学工学部に進学した。工学部では、通信学科はじめ、建築学科、土木学科などすべての学科を履修し、応用物理、造船工学、航空学も学んだ。卒業が近づくと、政木には助教授のポストが設けられたが、彼はその提案を遠慮し、さらなる学びのため医学部に入学した。
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谷川 安孝(たにかわ やすたか、1916年(大正5年)3月1… 谷川 安孝(たにかわ やすたか、1916年(大正5年)3月12日 - 1987年(昭和62年)12月13日)は、日本の理論物理学者。1939年に物理学者の坂田昌一と共に中性中間子が非常な短時間で2つあるいは3つのγ線になることを発表した。兵庫県出身。 1949年に日本人で初めてノーベル賞(ノーベル物理学賞)を受賞した湯川秀樹に師事し、1942年に坂田昌一、井上健と共に中間子とミュー粒子は別種であり、中間子はミュー粒子より重く、中間子が自然崩壊してミュー粒子に変化するという二中間子説を提唱した学者として知られている。 1916年3月12日、兵庫県に生まれ、大阪帝国大学(現:大阪大学)を卒業する。 名古屋帝国大学(現:名古屋大学)にて助教授を務め、神戸大学で教授となる。
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三田 周(みた いたる、1915年11月26日 - 1994… 三田 周(みた いたる、1915年11月26日 - 1994年12月12日)は、日本の経営者、理学博士。参天製薬社長を務めた。兵庫県出身。 1938年に大阪帝国大学理学部化学科を卒業し、1944年に母校の大阪大学で助教授を務め、1946年に参天製薬に入社。1970年12月に副社長に就任し、1983年7月には社長に昇格。1990年10月に会長に就任。 1994年12月12日心不全のために死去。79歳没。
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森 昭(もり あきら、1915年10月30日 - 1976年… 森 昭(もり あきら、1915年10月30日 - 1976年12月17日)は、日本の教育学者、教育哲学者、文学博士、大阪大学教授。 大正4年(1915年)10月30日鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市)で生まれる。 鹿児島県立第一中学校 (旧制)および旧制第七高等学校造士館 (旧制)(理科乙から文科乙に転科)を経て京都帝国大学文学部哲学科卒業、同大学院教育学専攻修了。京都学派第一世代である田邊元に哲学を師事し、西田幾多郎門下の木村素衛の下で大学院において教育学を修める。 森は京都学派第二世代でこの学派の教育学領域において傑出した業績を残した。ドイツ留学以前、カントやヘーゲル等のドイツ観念論哲学・ハイデッガーやヤスパース等のドイツ系の実存主義哲学を基礎に、戦後新教育の思想的背景となったジョン・デューイの経験主義教育哲学の解釈に努めた。
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高橋 孝吉(たかはし こうきち、1915年9月20日 - 1… 高橋 孝吉(たかはし こうきち、1915年9月20日 - 1987年1月24日)は、日本の実業家、工学博士。神戸製鋼所社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1915年9月20日熊本県で生まれる。1938年に大阪帝国大学理学部を卒業し、同年に神戸製鋼所に入社した。1966年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1977年10月から社長に就任した。1983年6月から会長に就任した。 日本溶接棒工業会、日本伸銅協会、日本産業用ロボット工業会、軽金属溶接構造協会の各会長、中東協力センター、造水促進センターの各理事長なども歴任した。 1977年11月に藍綬褒章を受章し、1985年に製鉄功労賞を受章した。
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関 集三(せき しゅうぞう、1915年5月21日 - 201… 関 集三(せき しゅうぞう、1915年5月21日 - 2013年12月24日)は、日本の化学者(物理化学)。位階は正四位。勲等は勲二等。学位は理学博士(大阪帝国大学・1945年)。大阪大学名誉教授、日本学士院会員。 大阪大学理学部教授、関西学院大学理学部教授などを歴任した。 1915年兵庫県(現在の西宮市)生まれ。父は実業家の関桂三。1938年大阪帝国大学理学部化学科卒業。理学博士。物質状態の理解に広く適用されている熱力学に物質構造の観点を加え、固体および液体状態の研究の発展に大きな貢献をした。また、「ガラス状態の熱力学的研究」は精密な熱測定による実験に基づき、物質内の分子の集合状態の研究を行った。
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奥野 良臣(おくの よしおみ、1915年3月15日 - 20… 奥野 良臣(おくの よしおみ、1915年3月15日 - 2011年8月1日)は、日本のウイルス学者。大阪大学名誉教授。専門は病原微生物学。旧姓は牧浦。 1915年(大正4年)3月15日生まれ、大阪府出身。大阪帝国大学(現・大阪大学)医学部卒業。 1956年(昭和31年)、大阪大学教授となり、1968年(昭和43年)、大阪大学微生物病研究所所長。1954年(昭和29年)、麻疹ウイルスを分離、1960年(昭和35年)、麻疹生ワクチンを開発する。いずれもノーベル賞を受賞したエンダースと同年度に独立して成功する。日本ウイルス学会会長などを務める。 2011年(平成23年)8月1日、肺炎のため96歳で死去。
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岡 芳包(おか よしかね、1915年〈大正4年〉1月12日 … 岡 芳包(おか よしかね、1915年〈大正4年〉1月12日 - 1991年〈平成3年〉9月1日)は、日本の医学者。生理学者。 大阪府大阪市出身。大阪府立市岡中学校、浪速高等学校、大阪帝国大学医学部卒業。 1943年に大阪帝国大学(現大阪大学)講師、1945年に同大学助教授に就任。1945年7月、大阪大学医学博士。論文の題は「生体肝組織における酸化還元電位的場に関する研究」。 その後、1948年7月に新設の徳島医科大学(現徳島大学)初代教授に就任。1951年に新制大学の発足に伴い徳島大学教授となり、1967年に同大学医学部長に就任。 1975年より日本学術会議10・11期会員に選出、国際学術交流委員会会員・生理科学研究連絡委員会等を歴任。
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伊藤 順吉(いとう じゅんきち、1914年(大正3年)3月1… 伊藤 順吉(いとう じゅんきち、1914年(大正3年)3月13日 - 2009年(平成21年)1月9日)は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。専門は原子核物理学、物性物理学。 伊藤竹之助、ときの次男として生まれる。父・竹之助は伊藤忠兵衛 (初代) の長女・ときの婿養子。兄は伊藤英吉。妻は後藤文夫の次女保子。 甲南小学校(9回生)、旧制甲南高等学校を経て、1936年に大阪帝国大学理学部物理学科(一期生)を卒業後、同学科の菊池正士の下につく。高エネルギー電子線を活用する原子核研究を行うため、日本で最初のサイクロトロン建設に携わり、戦時中には同学科教授、1943年春から海軍嘱託として、海軍極超短波レーダーの基礎的部分の研究を山口省太郎(同学科助教授)と共に担当し、菊池グループで重要な役割を果たす。
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若槻 哲雄(わかつき てつお、1913年5月4日 - 199… 若槻 哲雄(わかつき てつお、1913年5月4日 - 1993年4月2日)は、日本の物理学者。専門は原子核物理学。第10代大阪大学総長。元大阪府教育委員長。長野県長野市出身。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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竹本 常松(たけもと つねまつ、1913年1月28日 - 1… 竹本 常松(たけもと つねまつ、1913年1月28日 - 1989年1月23日)は、日本の化学者。 生物活性アミノ酸並びに昆虫変態ホルモンの権威。日本薬用植物友の会名誉会長。 1913年(大正2年)大阪府岸和田市に生まれる。1933年(昭和8年)大阪薬学専門学校 (旧制)を卒業後、東京帝国大学医学部に勤務し生薬を研究。1949年(昭和24年)大阪大学教授、1960年(昭和35年)東北大学医学部薬学科教授。後に徳島文理大学に移って薬学部長を務めた。
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石塚 直隆(いしづか なおたか、1912年12月2日 - 1… 石塚 直隆(いしづか なおたか、1912年12月2日 - 1993年9月15日)は、日本の産婦人科学者。名古屋大学医学部教授、同大学総長(第7代)を歴任し、大阪府立母子保健総合医療センター初代総長を務めた。絨毛性腫瘍の臨床的研究で知られる。 アメリカ合衆国・サンフランシスコに生まれる。大阪帝国大学医学部を卒業後、大阪大学で助手・助教授を務め、奈良県立医科大学教授を経て、1961年に名古屋大学医学部教授に就任した。 名古屋大学では、1971年から1972年にかけて名古屋大学医学部附属病院の院長事務取扱を務め、1972年から1974年まで医学部長、1975年から1981年まで第7代総長を務めた。 総長在任中の事績としては、大幸キャンパスへの名古屋大学医療技術短期大学部の設置(1977年)、医学部附属病院分院の移転(1979年)、中央図書館の完成(1981年)などが挙げられる。
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西嶋 庄次郎(にしじま しょうじろう、1912年5月21日 … 西嶋 庄次郎(にしじま しょうじろう、1912年5月21日 - 2004年(平成16年)12月22日)は口腔解剖学者、大阪大学名誉教授。奈良県生駒郡出身。旧制・大阪府立高津中学校を経て大阪大学卒業。 1951年(昭和26年)に大阪大学に歯学部が設立された際、口腔解剖学講座として開設され、1951年(昭和26年)から1976年(昭和51年)まで初代主任教授を務めた。口腔解剖学講座は2000年(平成12年)の大学院部局化に伴い口腔分化発育情報学講座口腔解剖学第一教室となった。1985年(昭和60年)勲三等旭日中綬章受章。 1950年大阪大学医学博士、論文名は「歯牙硬組織缺損の法医学的研究 」。 2004年(平成16年)12月22日、老衰のため92歳で死去。
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吹田 徳雄(すいた とくお、1911年12月20日 - 19… 吹田 徳雄(すいた とくお、1911年12月20日 - 1981年12月18日)は日本の工学者。大阪大学名誉教授。原子力安全委員会初代委員長。理学博士(大阪帝国大学、1947年)。徳島県海部郡美波町(旧日和佐町)出身。 大阪市立都島工業学校、神戸高等工業学校電気科を経て、1937年に大阪帝国大学工学部電気工学科卒業。学生時代はテニス部のキャプテンであった。1949年、大阪大学工学部電気工学科の教授(電気材料学講座)となる。1957年、原子核工学専攻原子炉工学講座教授(電気工学兼務)。1963年には京都大学教授となり、1969年から1970年まで大阪大学工学部長事務取扱を勤めた。 1975年に大阪大学を退官し、近畿大学教授となる。
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川原 琢磨(かわはら たくま、1911年5月24日 - 19… 川原 琢磨(かわはら たくま、1911年5月24日 - 1980年10月2日)は、日本の土木・地球物理学者。大阪工業大学第5代学長。工学博士(大阪大学)。輻射科学研究会元監事。 専門は地球物理学・ 地球環境科学、環境水理学・土木工学、農業土木・農業気象学。 福岡県出身。京都帝国大学理学部地球物理学科卒業(第3講座気象学指導教授:日本気象学会関西支部創設者の滑川忠夫)。同大学助手などを経て、1949年大阪工業大学工学部土木工学科教授 。1961年工学博士(大阪大学)。1972年大阪工業大学学長に就任するも、翌年、健康上の都合により同大学退官。 大阪工業大学工学部土木工学科にて、20年以上教鞭を執り、特に大学初期の地球環境科学/環境水理学と土木工学の融合の研究育成に貢献した。
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釜洞 醇太郎(かまほら じゅんたろう、1911年2月23日 … 釜洞 醇太郎(かまほら じゅんたろう、1911年2月23日 - 1977年4月13日)は、日本の病理学者。元大阪大学総長。大阪市生まれ。 旧制大阪府立住吉中学校(現・大阪府立住吉高等学校)、旧制大阪高等学校を経て1936年、大阪帝国大学医学部卒業。同年12月、陸軍軍医に任命。1946年の復員まで中国戦線に従軍。1949年、大阪大学医学部講師。1952年、大阪大学微生物病研究所助教授、翌年同教授。1958年~69年、同所長を務めた。1969年〜75年、大阪大学総長。1977年4月13日、心筋梗塞のため死去。叙従三位、勲一等瑞宝章追贈。 1969年より大阪大学第9代総長を務めた。当時の大学紛争に対しては毅然と対処した一方、改革を推進し、人間科学部、溶接工学研究所、言語文化部、文学部日本学講座を創設した。
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竹林 松二(たけばやし まつじ、1908年〈明治41年〉2月… 竹林 松二(たけばやし まつじ、1908年〈明治41年〉2月22日 - 1994年〈平成6年〉6月27日)は、日本の化学者、化学史家。理学博士。大阪大学名誉教授。専門は有機化学。 新潟県新潟市礎町通一ノ町(現 新潟市中央区礎町通一ノ町)の製材業・竹林松次郎の次男として出生。 1925年(大正14年)3月に新潟中学校を卒業、1929年(昭和4年)3月に新潟高等学校を卒業、1932年(昭和7年)3月に東京帝国大学理学部化学科を卒業、4月に資生堂研究部に入社。 1933年(昭和8年)2月に資生堂を退職、東京帝国大学理学部大学院に入学、有機化学を研究、1935年(昭和10年)3月に大学院を退学、4月に東京開成中学校講師に就任、教壇に立つ傍ら、東京帝国大学理学部化学教室で研究に従事。
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藤野 恒三郎(ふじの つねさぶろう、1907年1月28日 -… 藤野 恒三郎(ふじの つねさぶろう、1907年1月28日 - 1992年8月15日)は、日本の医学者、細菌学者、医学史研究者。大阪大学名誉教授。神戸学院大学名誉教授。 1950年に集団食中毒の原因として腸炎ビブリオを発見した。適塾を主とした近代医学史の研究でも知られる。魯迅の恩師として知られる藤野厳九郎の甥。祖父藤野升八郎から三代続けての医家。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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畠中 敏郎(はたけなか としお、1907年1月10日 - 1… 畠中 敏郎(はたけなか としお、1907年1月10日 - 1998年6月25日)は、フランス文学・比較文学者。 高知県香美郡岸本町(現香南市香我美町)出身。1927年大阪外国語学校仏語科卒、京都帝国大学助手、1931年大阪外語専任講師、1936年助教授、1938年教授、1944年陸軍教授となりサイゴンに勤務、1946年復員、1947年天理語学専門学校教授、1949年天理大学教授、1951年大阪外国語大学教授、1955年初めての渡仏、1971年定年退官、名誉教授、琉球大学教授を務めた。フランス政府より数次にわたりシュヴァリエに叙勲される。南仏について研究、プロヴァンス語も研究し、のち琉球の芸能についても論をなした。
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岡林 次男(おかばやし つぐお、1907年1月1日 - 19… 岡林 次男(おかばやし つぐお、1907年1月1日 - 1982年10月23日)は、日本の経営者、工学博士。高知県出身。 1935年に大阪帝国大学工学部機械学科を卒業し、同年にクラレに入社。1959年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1971年5月に副社長に就任し、1975年5月に社長に昇格した。 1972年1月に学位を取得した。 1982年10月23日腎不全のために死去。75歳没。
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岡田 實(おかだ みのる、1904年3月7日 - 1997年… 岡田 實(おかだ みのる、1904年3月7日 - 1997年6月15日)は、日本の冶金学者。位階は正三位。 プラズマ研究や超高電圧電子顕微鏡の開発で大きな業績を残した。また、大阪大学総長を務めている。 香川県仲多度郡多度津町出身。1930年に東北帝国大学(現・東北大学)金属工学科を卒業後、大阪帝国大学(現・大阪大学)工学部に赴任した。同学部で助教授、教授などを務め、1966年には総長に就任した。この間、溶接工学研究所の設立などに貢献し、1945年から1949年並びに1954年から1955年まで溶接学会会長、研究面では1963年に島津製作所との共同研究で500kVの高電圧電子顕微鏡を開発した。さらに日立製作所と共同で3000kVの電子顕微鏡を作製し、1971年に大阪大学超高電圧電顕センターに設置された。
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石本 雅男(いしもと まさお、1902年 <明治35年> 8… 石本 雅男(いしもと まさお、1902年 <明治35年> 8月21日 - 2003年 <平成15年> 7月30日)は、日本の法学者。専門は、民法・不法行為責任論。岡山県出身。大阪大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。位階は従四位。 神戸学院大学法学部の設置にも関与した。1984年日本学士院賞受賞。 旧制岡山中学(現:岡山朝日高校)、旧制第六高等学校を経て、1926年京都帝国大学法学部卒。京都帝国大学在職中に滝川事件が起こり、抗議のため同大学を辞職した。100歳になっても、家族の介助による口述筆記により論文を書き上げた、というエピソードも残っている。2003年死去。死没日付をもって正七位から従四位に進階した。
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黒津 敏行(くろつ としゆき、1898年(明治31年)11月… 黒津 敏行(くろつ としゆき、1898年(明治31年)11月12日 - 1992年(平成4年)11月16日)は、日本の医学者。大阪大学名誉教授。 1898年(明治31年)京都府に生まれる。1916年(大正5年)京都府立京都第二中学校 (旧制)を卒業後。大阪医科大学 (旧制)に進学。1924年(大正13年)に卒業後、同大助手を経て、1931年(昭和6年)同大助教授に就任。1935年(昭和10年)にはロンドンで開催された第二回国際神経学会に出席した。1936年(昭和11年)大阪帝国大学教授、1948年(昭和23年)同大医学部長に就任。1956年(昭和31年)に退官後は園田学園女子短期大学、園田学園女子大学の初代学長をそれぞれ務めた。
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三木 鉄夫(みき てつお、1898年10月16日 - 197… 三木 鉄夫(みき てつお、1898年10月16日 - 1979年4月18日)は、日本の機械工学者・航空工学者。大阪府立大学・大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元大阪帝国大学工学部航空学科創設者・教授。関西の航空工学研究の第一人者の一人。弟は衆議院議員を務めた三木喜夫。 専門は、航空工学・飛行機設計、流体力学・機械構造力学。 兵庫県姫路市出身。1923年東北帝国大学卒業後、愛知時計電機航空機部門(のちの愛知航空機)で海軍関係の飛行機の設計製作に携わる。同社とドイツのハインケル社の提携により、ドイツ留学を経験。日本語による航空工学の著書第1号として、1932年「航空工学」(太陽堂)を出版(のちの第2号は川西航空機・小野正三より出版)。
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宇賀田 順三(うがた まさぞう、じゅんぞう、1898年8月1… 宇賀田 順三(うがた まさぞう、じゅんぞう、1898年8月10日 - 1979年5月19日)は、日本の法学者。専門は、憲法・行政学。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1961年)。九州帝国大学教授、八幡大学(現・九州国際大学)学長・理事長をつとめた。 1898年、茨城県古河市生まれ。 前身の法学校、専門学校から創設に於いて実質的な八幡大学の真の中心人物といえる宇賀田は1952年に学長に就任した。1954年人事に関し学長の宇賀田と一部教授陣との確執が大学紛争に発展し各メディアで報道される事になった。この八幡大学事件は八幡市長、八幡市議会、八幡商工会議所、安川電機株式会社等が両派の斡旋に動き、福岡地方裁判所小倉支部にて調停となったが断裂し、凡そ1年の及ぶ騒動は1955年1月、結局宇賀田の学長辞任(事実上解任)という結果で終止符を打った。
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江口 孝(えぐち たかし、1898年 <明治31年> 1月1… 江口 孝(えぐち たかし、1898年 <明治31年> 1月1日 - 1985年 <昭和60年> 3月14日)は、日本の経営者、理学博士。福岡県出身。位階は従四位。 1920年に大阪高等工業学校応用化学科を卒業。1929年に海軍技師を経て、1944年に人道石油取締役に就任し、1951年に日本瓦斯化学工業専務を経て、1959年5月に副社長に就任し、1966年11月には社長に昇格した。1968年11月から相談役を務めた。 1962年11月に紫綬褒章を受章し、1968年に勲三等瑞宝章を受章。 1985年3月14日腎不全のために死去。87歳没。死没日付をもって従五位から従四位に進階した。
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市原 硬(いちはら かたし、1896年〈明治29年〉5月2日… 市原 硬(いちはら かたし、1896年〈明治29年〉5月2日 - 1979年〈昭和54年〉1月10日)は、日本の医化学者。医学博士。大阪大学名誉教授。日本生化学会会長。位階は従三位。 島根県那賀郡江津村(のち江津町、現・江津市)出身。市原朋作の長男。1914年、浜田中学卒業。1923年、大阪医大卒業。同医化学教室に勤務する。1928年に大阪帝国大学医学部助教授、1940年に教授、1960年に定年退官。1961年、和歌山医大学長に就任。1979年死去。死没日付をもって従三位に叙された。 古武弥四郎大阪帝国大学医学部教授に師事、その後継者として1961年に有核アミノ酸代謝の研究で須田正巳と共に日本学士院賞を受賞した。
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大塚 好治(おおつか こうじ、1895年12月27日 - 1… 大塚 好治(おおつか こうじ、1895年12月27日 - 1979年4月25日)は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元応用化学教室担当。 専門は、無機工業化学・分析化学・物理化学。 鳥取県出身。1917年旧制大阪高等工業学校(のちの大阪大学)卒業。同校助手となり、1929年旧制大阪工業大学(のちの大阪大学工学部)講師。1933年大阪帝国大学工学部応用化学科助教授などを経て、1952年大阪大学大学院工学研究科にて工学博士(大阪大学)。1958年大阪工業大学工学部応用化学科教授、応用化学教室を担当。1977年大阪工業大学名誉教授。1979年逝去。 大阪工業大学工学部応用化学科で、1958年の同学科開設時より18年の長きに渡り教鞭を執り、同学科初期の応用化学(特に、無機工業化学・分析化学・物理化学)の研究・育成に貢献した。
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