白川 篤典(しらかわ あつのり、1967年7月29日 - )… 白川 篤典(しらかわ あつのり、1967年7月29日 - )は、日本の実業家。ヴィレッジヴァンガードコーポレーション代表取締役社長。 長崎県出身。1990年長崎大学経済学部卒業、国際証券入社。1997年日本アジア投資入社。2003年ヴィレッジヴァンガードコーポレーション取締役経営企画室長。2006年ヴィレッジヴァンガードコーポレーション常務取締役。2010年からヴィレッジヴァンガードコーポレーション代表取締役社長を務め、2013年に上場以来初となる赤字に陥るなど業績悪化が続く中、POSシステム導入などを行った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上田 勝彦(うえだ かつひこ、1964年 - )は、日本の実… 上田 勝彦(うえだ かつひこ、1964年 - )は、日本の実業家。株式会社ウエカツ水産代表取締役社長。東京海洋大学客員教授。魚の伝道師。 島根県出雲市出身。長崎大学水産学部に在学していたころから漁師として働きつつ、魚の研究をしていた。大学卒業後は、水産庁に入庁し、瀬戸内海の漁業紛争の調整や南氷洋・北洋の調査・捕鯨を行い、日本海の資源回復プロジェクト等の業務に従事していった。水産庁在職時には、水産庁研究指導課情報技術企画官に就任し、2011年には東日本大震災復興のために魚食復興集団「Re‐FISH(リ・フィッシュ)」を立ち上げ、代表を務めた。2015年には水産庁を退職し、株式会社ウエカツ水産を立ち上げ、代表取締役となる。
清田 徳明(きよた のりあき、1961年10月8日 - )は… 清田 徳明(きよた のりあき、1961年10月8日 - )は、日本の実業家。TOTO社長。 1961年10月北九州市生まれ。福岡県立小倉高等学校卒業。1984年(昭和59年)3月、長崎大学経済学部卒業。同年4月、TOTO に入社した。ウォッシュレット生産本部長、国際事業統括部長、常務、専務などを経て、2016年(平成28年)4月に副社長、2020年(令和2年)4月に第17代社長に就任した。2025年3月31日付退任し代表権のある会長になった。かわりに田村信也が4月1日付社長に就任した。
上釜 健宏(かみがま たけひろ、1958年1月12日 - )… 上釜 健宏(かみがま たけひろ、1958年1月12日 - )は日本の技術者、実業家。TDK代表取締役社長や、同社代表取締役会長、オムロン取締役、ヤマハ発動機取締役などを歴任した。 鹿児島県加世田市(現南さつま市)生まれ。鹿児島県立加世田高等学校を経て、1981年長崎大学工学部電気工学科卒業後、1年留年していたので家電トップメーカーは無理だと考え、東京電気化学工業(現TDK)入社。2001年記録デバイス事業本部技術戦略部長。2002年執行役員。2003年常務執行役員。2004年取締役専務執行役員。 2006年からTDK代表取締役社長を務め、M&Aにより自動車向け事業等の強化をはかり、また生産拠点の統廃合など構造改革を進めた。
喜多村 円(きたむら まどか、男性、1957年5月24日 -… 喜多村 円(きたむら まどか、男性、1957年5月24日 - )は、日本の実業家。TOTO代表取締役会長兼取締役会議長、住宅リフォーム推進協議会会長、日本建材・住宅設備産業協会副会長、九州経済連合会副会長。 1957年5月24日福岡県生まれ。福岡県立東筑高等学校、長崎大学経済学部卒業。
古村 至朗(ふるむら じろう、1955年(昭和30年)1月1… 古村 至朗(ふるむら じろう、1955年(昭和30年)1月18日 - )は、日本の実業家、銀行家。勲等は旭日双光章。福岡中央銀行代表取締役会長。 佐賀県鳥栖市出身。長崎大学経済学部卒。 1977年に福岡銀行に入行。北九州営業部長、執行役員を歴任。2009年にふくおかフィナンシャルグループ取締役執行役員と同行取締役常務執行役員に就任する。 2012年に代表取締役副頭取となり、2014年に退任する。 2014年6月、福岡中央銀行の代表取締役専務に就任し、翌年、同じく福岡銀行出身である末松修の後任として頭取に就任し、2022年6月、会長に退く。 2025年秋の叙勲で旭日双光章を受章した。
井上 俊春 (いのうえ としはる、1953年1月11日 - … 井上 俊春 (いのうえ としはる、1953年1月11日 - )は、日本の実業家。丸大食品株式会社代表取締役社長。 長崎県出身。1975年長崎大学水産学部卒業、丸大食品入社。2003年執行役員関東統括営業部長兼東京支店長。2005年取締役営業本部長に昇格。2007年常務取締役。2011年専務取締役営業部門、業務食材部、総務人事、環境保全推進室担当、東京支店長。2014年丸大サービス代表取締役社長。2017年常務執行役員営業本部長。2018年専務取締役資材部、ロジスティクス部、中央研究所担当、営業本部長、ハムソー事業本部長。2019年代表取締役社長に昇格。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
田中 健一(たなか けんいち、1950年6月23日- )は、… 田中 健一(たなか けんいち、1950年6月23日- )は、日本の経営者。岡三証券社長を務めた。 長崎県島原市出身。1973年に長崎大学経済学部商学科を卒業し、同年4月に岡三証券に入社した。1978年にはニューヨーク大学大学院修士課程を修了。1989年6月に取締役に就任し、1997年5月に常務、1998年6月に専務、2003年10月に岡三ホールディングス取締役を経て、2004年4月に岡三証券及び岡三ホールディングス副社長に就任し、2006年6月には両会社の社長に昇格し、2014年4月までに務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐藤 洋二(さとう ようじ、1949年7月14日 - )は日… 佐藤 洋二(さとう ようじ、1949年7月14日 - )は日本の実業家。双日代表取締役社長・最高経営責任者、代表取締役会長を務めた。元日本貿易会副会長。 熊本県熊本市川尻生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、1973年長崎大学経済学部卒業、日商岩井(現双日)入社。2003年執行役員に昇格。2004年合併後の双日で常務執行役員に就任。2005年から取締役常務執行役員 CFOを、2006年からは取締役専務執行役員 CFOを、2008年からは代表取締役副社長執行役員 CFOを務め、有利子負債の削減など財務強化にあたった。2012年から双日代表取締役社長 CEOを務め、資源価格の低迷が続く中、非資源部門の拡大を進めた。
山下 巌(やました いわお、1947年3月31日 - )は、… 山下 巌(やました いわお、1947年3月31日 - )は、日本の実業家。元ラオックス社長。中国の家電チェーン蘇寧電器への傘下入りを決め、業績が悪化していたラオックスの再建を図ったことで知られる。 熊本県生まれ。長崎市立梅香崎中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、長崎大学経済学部卒業。1969年に松下電器産業へ入社するがわずか一年で退社。1970年にナカウラへ入社し宣伝部長、営業部長を歴任。1988年に取締役、1997年に常務取締役営業本部長に就任。1998年にナカウラがラオックスの傘下に入ったことを受けて、2000年ラオックス入社。広報部長、執行役員広報IR室長を経て、2007年同社代表取締役社長に就任した。
藤原 謙次(ふじわら けんじ、1946年9月25日 - )は… 藤原 謙次(ふじわら けんじ、1946年9月25日 - )は日本の実業家。ローソン代表取締役社長や、同社代表取締役会長、ファンケル代表取締役社長、同社代表取締役会長などを歴任した。 長崎県の現在の五島市で生まれ、長崎県立五島高等学校を経て、1969年長崎大学経済学部卒業。元パナソニック副社長の牛丸俊三は大学の1年先輩。大学卒業後、主婦の店ダイエー(現ダイエー)入社。フーズライン商品本部長を経て、1993年取締役に昇格。1994年からダイエーコンビニエンスシステムズ(現ローソン)代表取締役社長を務め、1996年にはローソンへの商号変更を行った。三菱商事への売却にあたり、2002年ローソン代表取締役会長に就任。
本村 忠廣(もとむら ただひろ、1944年11月11日- … 本村 忠廣(もとむら ただひろ、1944年11月11日- )は、日本の経営者。長崎新聞社社長を務めた。 長崎県出身。1967年に長崎大学経済学部を卒業し、同年に長崎新聞社に入社した。2006年に専務を経て、2008年12月から2014年12月までに社長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
牛丸 俊三(うしまる しゅんぞう、1944年5月5日 - )… 牛丸 俊三(うしまる しゅんぞう、1944年5月5日 - )は、日本の実業家。元パナソニック代表取締役副社長。垂直立ち上げと呼ばれるマーケティング手法を生み出し、中村邦夫社長(当時)のもとで国内営業改革に取り組んだ。 1944年、長崎県長崎市に生まれる。実家近くに勤めていた越中哲也(郷土史家)とは幼少期から交流があったという。長崎市立勝山小学校、長崎大学附属中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、1968年に長崎大学経済学部卒業。十八銀行会長の宮脇雅俊とは、長崎東高・長崎大経済学部時代ともに同期である。大学の1年後輩にローソン社長などを務めた藤原謙次がいた。 1968年に松下電器産業入社。研修を終え、翌年に海外事業本部に配属となった。
田原 鐵之助(たばる てつのすけ、1941年1月16日 - … 田原 鐵之助(たばる てつのすけ、1941年1月16日 - 2021年11月28日)は、日本の経営者。山口銀行頭取を務めた。 熊本県出身。1965年に長崎大学経済学部を卒業し、同年3月に山口銀行に入行した。1994年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2002年6月には頭取に就任。2004年6月には顧問に退いた。 2021年11月28日、死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
光永 久之(みつなが ひさゆき、1939年8月13日 - )… 光永 久之(みつなが ひさゆき、1939年8月13日 - )は、日本の実業家。元三井木材工業社長、三井物産取締役。長崎県出身。 1939年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、長崎大学経済学部を経て、1962年三井物産入社。同社では主に建設資材を担当し、米国における木材取引の拠点であったシアトルに長く駐在した。同社取締役を経て、1998年三井木材工業社長。親会社である三井物産からの社長就任は23年ぶりであった。就任時には、赤字分野の人材配置転換や製造の内製化、非住宅分野の強化を進めるとしていた。2000年、収益不振のサイディング事業について業界トップのニチハに支援を求める形で業務提携を行った。さらに2001年3月、住宅・木質建材・大型木構造の3部門について三井物産に譲渡する一方、窯業系サイディングと繊維板の2部門についてニチハの完全子会社となる方針を発表した。
永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 201… 永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 2017年7月21日)は、日本の実業家。元安川電機会長、安川情報システム(現:YE DIGITAL)社長。長崎県長崎市出身。 1937年長崎県生まれ。1959年長崎大学経済学部卒業後、安川電機製作所(現:安川電機)に入社。取締役企画部長などを経て、1989年安川情報システム社長、1994年常務、1995年専務、1996年副社長。1999年3月期に経常赤字となるなど業績が悪化したことを受け、橋本伸一社長の下で中期経営計画を進め、産業用電気機器をはじめとした不採算部門からの撤退やロボット事業など得意とする事業分野の強化を行なった。2000年に会長就任。
井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、… 井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、日本の実業家。元不二越会長・社長。長崎県出身。 1935年(昭和10年)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1957年に長崎大学経済学部を卒業し、同年不二越入社。取締役、常務取締役、代表取締役専務などを経て、1998年2月社長に就任した。事業部門の再編や同業他社との業務提携を進めたほか、不二越の創業70年を記念してコーポレートマークの改定を行なった。また、第二次世界大戦中に強制労働を強いられたとして元女子勤労挺身隊員の3名が雇用企業である不二越に損害賠償と謝罪を求めていた「不二越訴訟」について、第一審・第二審ともに不二越側の全面勝訴であったにもかかわらず、2000年7月に最高裁での和解に踏み切った。
福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 202… 福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 2024年1月29日)は、日本の経営者。位階は正四位、旭日重光章受章。 アサヒビール(旧朝日麦酒)社長・会長・相談役、第19代日本放送協会(NHK)会長を歴任したほか、日本相撲協会横綱審議委員会委員も務めた。2011年、財団法人新国立劇場運営財団理事長に就任。2014年2月、一般財団法人防災検定協会顧問に就任。 福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区)出身。福岡県立小倉高等学校商業科(その後同科は福岡県立小倉商業高等学校となる)を経て長崎大学経済学部卒業後、1957年4月、朝日麦酒に入社。以後、長く営業畑を歩んだ。 京都支店長、本社営業部長を経て、住友銀行(現三井住友銀行)出身の樋口廣太郎に抜擢され1988年3月に取締役就任、大阪支店長を兼務した。
松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は… 松尾 英三(まつお えいぞう、1931年2月20日 - )は、日本の実業家。元島原鉄道社長。雲仙普賢岳の噴火に伴う土石流により一部区間が寸断された島原鉄道の再建に尽力した。 1931年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、長崎大学経済学部を経て、1954年に長崎県入庁。県通商貿易課勤務を経て、香港やバンコクで貿易促進駐在員を務めた。その後長崎県議会事務局長、労働部長、企画部長を歴任し、1989年に長崎空港ビルディング常務取締役に就任。同社専務取締役を経て、1993年島原鉄道社長に就いた。 島原鉄道は当時、1991年を中心に起きた雲仙普賢岳の噴火災害により、島原外港駅-深江駅間が不通となっていた。
江頭 郁夫(えがしら いくお、1931年2月11日 - 20… 江頭 郁夫(えがしら いくお、1931年2月11日 - 2014年4月26日)は、日本の経営者。日動火災海上保険(現在の東京海上日動火災保険)社長を務めた。 熊本県出身。1951年に長崎経済専門学校を卒業し、同年に日動火災海上保険に入社。1972年6月に取締役に就任し、1973年6月に常務、1977年6月に専務、1982年2月に副社長を経て、1988年6月には社長に就任。1995年6月から2001年6月までに会長に就任。 2014年4月26日に心不全のために死去。83歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
土井 定包(どい さだかね、1928年7月27日 - 200… 土井 定包(どい さだかね、1928年7月27日 - 2009年4月14日)は、日本の実業家。佐賀県生まれ。元大和証券社長・会長。大和証券を業界2位に押し上げ「中興の祖」と評されるが、総会屋への利益供与事件によって1997年に退任、顧問に退いた。
村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 20… 村山 利雄(むらやま としお、1920年9月23日 - 2020年9月24日)は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。宮崎県都城市出身。 1941年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に日立造船に入社。1975年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1983年6月から1988年6月までに社長を務めた。 2020年9月24日急性肺炎のために死去。100歳没。
篠原 康次郎(しのはら こうじろう、1918年2月17日- … 篠原 康次郎(しのはら こうじろう、1918年2月17日- 2018年2月7日)は、日本の実業家。広島相互銀行頭取や広島総合銀行会長を務めた。藍綬褒章受章、オーストリア共和国有功大栄誉報賞受賞、広島経済大学名誉博士。 福岡県福岡市出身。福岡商業学校(現福岡市立福翔高等学校)、長崎高等商業学校を経て、1941年12月に旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、1942年1月日本銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官し、秋田県田沢湖付近の補給工場で終戦を迎える。 1945年福岡に復員し、1945年10月から1年間広島支店に配属。
西元 文平(にしもと ぶんぺい、1917年8月28日 - 2… 西元 文平(にしもと ぶんぺい、1917年8月28日 - 2008年2月29日)は、日本の経営者。日立建機社長、会長、相談役、名誉相談役を歴任。 鹿児島県鹿児島市下竜尾町出身。兵庫県神戸市で生まれ、小学2年生の時に故郷鹿児島へ移る。鹿児島市立大龍小学校、鹿児島商業学校(現鹿児島商業高等学校)を経て、1935年に長崎高等商業学校(現長崎大学経済学部)へ進学し、1938年に卒業。 1938年、日立製作所に入社し、日立工場勤務。経理部長を経て、1969年に日立建機取締役となる。1970年11月に日立建機常務に就任し、1979年6月に専務を経て、1981年6月に社長に就任。1987年6月に会長に就任し、1991年6月に相談役を経て、1997年6月から名誉相談役を務めた。
石田 正(いしだ ただし、1917年 <大正6年> 3月24… 石田 正(いしだ ただし、1917年 <大正6年> 3月24日 - 1996年 <平成8年> 1月4日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。位階は従四位。 岡山県出身。1938年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に朝鮮銀行に入行。 1945年に郡是製絲(のちのグンゼ)に転じ、1967年に取締役に就任し、1969年に常務、1975年に専務を経て、1979年2月には社長に就任。1985年2月に会長を経て、1988年6月には相談役に就任。 1983年4月に藍綬褒章を受章し、1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1996年1月4日肝不全のために死去。78歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
山田 勝次(やまだ かつじ、1915年1月4日 - 1989… 山田 勝次(やまだ かつじ、1915年1月4日 - 1989年7月18日)は、日本の実業家。東陶機器(現TOTO)社長や、同社取締役会長を務めた。正四位勲二等瑞宝章。 1936年長崎高等商業学校(現長崎大学)卒業、東洋陶器入社。1959年取締役昇格。1961年常務取締役。1973年専務取締役。1975年取締役副社長。1979年から取締役社長を務め、営業、開発、製造の連携を進めるなどした。1985年取締役会長。1986年勲二等瑞宝章受章。1989年相談役、正四位。性格は温厚。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
早瀬 鎮雄(はやせ しずお、1912年12月28日 - 19… 早瀬 鎮雄(はやせ しずお、1912年12月28日 - 1975年2月26日)は、日本の経営者。日興証券社長を務めた。愛知県名古屋市出身。 1933年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に日興証券に入社した。 1958年11月に取締役に就任し、1961年11月に常務、1964年10月に専務、1968年8月に副社長を経て、1973年12月に社長に就任。 1975年2月26日脳出血のために在任中に死去。62歳没。
伊藤 清敏(いとう きよとし、1911年10月5日 - 20… 伊藤 清敏(いとう きよとし、1911年10月5日 - 2008年8月10日)は、日本の経営者。住友海上火災保険社長を務めた。 兵庫県出身。1933年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に住友海上火災保険(現在の三井住友海上火災保険)に入社。1965年6月に取締役に就任し、1967年6月に常務、1970年6月に専務を経て、1972年6月に副社長に就任し、1974年1月には社長に昇格。1979年7月に会長に就任し、1982年7月には相談役に就任。 1976年10月に藍綬褒章を受章し、1982年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2008年8月10日に胆管癌のために死去。96歳没。
永田 敬生(ながた たかお、1911年 <明治44年> 9月… 永田 敬生(ながた たかお、1911年 <明治44年> 9月1日 - 1998年 <平成10年> 2月9日)は、日本の経営者。日立造船社長、会長を務めた。位階は従三位。 熊本県出身。1933年に長崎高等商業学校を卒業し、1934年に大阪鉄工所(のちの日立造船)に入社。1962年11月に社長に就任し、1979年6月には会長に就任。1983年6月に代表取締役を経て、1986年4月から取締役相談役を務めた。日本経営者団体連盟副会長も務めた。 1998年2月9日心不全のために死去。86歳没。死没日付をもって従三位に叙された。
鷹野 孝徳(たかの たかのり、1907年2月15日 - 19… 鷹野 孝徳(たかの たかのり、1907年2月15日 - 1997年5月8日 )は、日本の経営者、銀行家。鹿児島銀行頭取を務めた。 山梨県甲府市出身。1928年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1959年11月に鹿児島銀行に転じ、副頭取に就任し、1960年5月には頭取に昇格した。1979年12月に会長を経て、1986年6月には相談役に就任。 1970年10月に藍綬褒章を受章し、1977年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1997年5月8日、脳梗塞のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三間 安市(みつま やすいち 、1903年(明治36年)8月… 三間 安市(みつま やすいち 、1903年(明治36年)8月3日 - 1974年(昭和49年)2月7日)は、日本の実業家。日本鉱業の社長や会長、日本鉱業協会会長などを歴任した。従三位勲一等。 岐阜県生まれ。1924年長崎高等商業学校(現長崎大学)卒業。1925年東京商科大学(現一橋大学)本科入学。1928年同卒業、久原鉱業入社。 鉱山統制会原価計算課長などを経て、1946年日本鉱業常務取締役。1957年日本鉱業取締役社長。1962年日本鉱業協会会長。1963年藍綬褒章受章。 1968年には田中清玄及び中山素平の日本自主原油開発油田確保計画に基づき、アブダビ石油を設立し、同社取締役社長に就任。1969年日本鉱業取締役会長、共同石油取締役会長。
若杉 末雪(わかすぎ すえゆき、1903年2月22日 - 1… 若杉 末雪(わかすぎ すえゆき、1903年2月22日 - 1973年5月10日)は、日本の実業家。第3代三井物産代表取締役社長や、初代三井広報委員会会長を務めた。 長崎県出身。1925年長崎高等商業学校(現長崎大学)卒業。米国三井物産社長などを経て、1969年から三井物産社長を務め、イラン石油化学開発の設立などを行った。1972年初代三井広報委員会会長。
朴 在洪(パク・チェホン、朝鮮語: 박재홍、1903年1月1… 朴 在洪(パク・チェホン、朝鮮語: 박재홍、1903年1月18日または1906年1月18日 - 1979年6月28日または6月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のアナキスト、独立有功者、実業家、政治家。第3代韓国国会議員。浄土宗の仏教徒。 慶尚南道金海郡(現・金海市)出身。大成中学校、長崎商高、山口高商を卒業後、早稲田大学政経科2年修了。日本社会党幹部を務めたが、朴烈らと無政府運動を行ったため、大阪刑務所で3年8か月間留置された。その他は日活キネマ脚本部勤務、釜山朝紡会社人事課勤務を経て、大邱府で映画館大鏡館を経営し、大分県別府市で日鮮貿易商会を経営した。その後は満洲へ渡り、満州事変の時は長春市居留民僑胞団副委員長を務めたが、1932年に満洲派遣関東軍に従軍して1等通訳官として奉天、熱河、吉林、黒龍江各省を転戦した。
與賀田 辰雄(よがた たつお、1902年 <明治35年> 1… 與賀田 辰雄(よがた たつお、1902年 <明治35年> 1月27日 - 1986年 <昭和61年> 1月7日)は、日本の経営者。東京書籍社長を務めた。位階は正五位。 佐賀県出身。1923年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に大蔵省に入省。1941年に凸版印刷取締役に就任し、1944年12月に常務、1953年7月に専務を経て、1967年9月には東京書籍社長に就任。1973年12月に会長に就任し、1978年12月に監査役を経て、1982年8月には相談役に就任。 1972年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1986年1月7日悪性リンパ腫のために死去。83歳没。死没日付をもって従六位から正五位に進階した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
池崎 勇(いけざき いさむ、1901年 <明治36年> 2月… 池崎 勇(いけざき いさむ、1901年 <明治36年> 2月28日 - 1976年 <昭和51年> 7月10日)は、日本の経営者。日魯漁業社長を務めた。 熊本県出身。1928年に長崎高等商業学校を卒業し、同年に日魯漁業に入社。 1955年に取締役に就任し、1957年1月に常務、1960年4月に専務、1964年1月に副社長を経て、1968年1月に社長に就任。1972年1月から1974年1月までに会長を務めた。 1971年5月に藍綬褒章を受章。 1976年7月10日、尿毒症のために死去。75歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
多川 静志(たがわ せいし、1900年〈明治33年〉8月 -… 多川 静志(たがわ せいし、1900年〈明治33年〉8月 - 没年不明)は、日本の実業家。 広島県賀茂郡阿賀町(現呉市)出身。多川熊次郎の三男。多川一治の弟。1923年、長崎高商を卒業する。1940年、分家する。桜井大二郎商店支配人、同参事、桜井化学興業専務、桜井本部専務理事、桜井加工紙、朝鮮、満州、台湾各桜井興業取締役を歴任。 趣味は読書、運動。宗教は仏教。住所は東京都文京区原町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
横山 清松(よこやま きよまつ、1900年 <明治33年> … 横山 清松(よこやま きよまつ、1900年 <明治33年> 5月20日 - 1980年 <昭和55年> 2月21日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。宮崎県出身。位階は従四位。 1923年に長崎高等商業学校本科を卒業し、1925年に郡是製絲 (のちのグンゼ) に入社。1952年1月に取締役、1955年2月に常務、1960年1月に専務を経て、1965年10月には社長に就任。1970年1月には会長に就任。 1970年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1980年2月21日閉塞性黄旦のために死去。79歳没。死没日付をもって正八位から従四位に進階した。
吉田 敬太郎(よしだ けいたろう、1899年5月8日 - 1… 吉田 敬太郎(よしだ けいたろう、1899年5月8日 - 1988年7月28日)は、日本の実業家、政治家、牧師。第二次世界大戦の戦時下で衆議院議員を1期務めたが、政府批判をして投獄された。獄中で聖書に出会い、戦後キリスト教に入信、公職追放に指定されて牧師となった。追放解除後には若松市長となり、5市合併によって北九州市が成立した際には市長職務執行者を務めた。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 俠客出身の実業家で、衆議院議員も務めた吉田磯吉の養子として育ち、小倉中学校(後の福岡県立小倉高等学校の前身)、長崎高等商業学校に学んだ。 東京商科大学を卒業後、三菱鉱業勤務を経て、大倉高等商業学校(後の東京経済大学)講師となった。
宮田 又三郎(みやた またさぶろう、1898年2月25日 -… 宮田 又三郎(みやた またさぶろう、1898年2月25日 - 1985年8月9日)は、日本の実業家で、西日本鉄道社長を務めた。 佐賀県佐賀市出身。1920年に長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)を卒業し、東邦電力(現・九州電力)での勤務を経て、西日本鉄道の前身である福博電車に入社した。 旧帝国大学出身者が学閥を組んで経営の中心となっていた西鉄の中で、高商卒の宮田はまさに「叩き上げ」で出世していく。常任監査役、常務、専務を経て、1960年から1963年11月までに社長を務めた。在任中に西鉄ライオンズのオーナーも務めた。 西鉄不動産、筑豊電気鉄道、大分交通、テレビ西日本、福岡スポーツセンターなどの各取締役を歴任した。
松原 與三松(まつばら よそまつ、1895年12月15日 -… 松原 與三松(まつばら よそまつ、1895年12月15日 - 1975年4月29日)は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。 福井県坂井郡坂井町出身。1920年に長崎高等商業学校を卒業。 久原鉱業、日立製作所での勤務を経て、1941年に日立造船に転じ、1950年5月に社長に就任。1962年11月には会長に就任。 1958年11月に藍綬褒章を受章し、1962年3月にデンマークのダンネブログ勲章を受章し、1966年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 日本棋院関西総本部長をつとめ、1968年に大倉賞を受賞。 1975年4月29日、胃癌のために死去。79歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
岸田 正記(きしだ まさき、1895年〈明治28年〉12月1… 岸田 正記(きしだ まさき、1895年〈明治28年〉12月1日 - 1961年〈昭和36年〉6月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。幾久屋百貨店店主。 元衆議院議員岸田文武の父。元広島県知事宮澤弘(元内閣総理大臣宮澤喜一の実弟)の岳父。元科学技術庁長官岩動道行は妻・和子の従姉妹。衆議院議員で第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄と参議院議員宮澤洋一は孫。 広島県賀茂郡西志和村(現:東広島市)出身。岸田幾太郎の長男。西志和高等小学校卒業。1913年(大正2年)、広島県立広島商業学校卒業。広商時代の同級生に大木惇夫がいる。長崎高等商業学校、京都帝国大学法学部卒業。在学中の1922年(大正11年)高等文官試験行政科合格。
石橋 義雄(いしばし よしお、1892年 <明治25年> 8… 石橋 義雄(いしばし よしお、1892年 <明治25年> 8月4日 - 1976年 <昭和51年> 2月26日)は、日本の経営者、銀行家。北國銀行頭取を務めた。位階は従五位。 福岡県出身。1914年に長崎高等商業学校を卒業し、同年5月に日本銀行に入行。 1945年4月に監事に就任し、1947年2月には北國銀行頭取に就任し、1961年1月から1966年7月までに会長を務めた。 1957年に黄綬褒章を受章し、1965年に勲四等旭日小綬章を受章。 1976年2月26日、心不全のために死去。83歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
八杉 角五郎(やすぎ かくごろう、1890年(明治23年)3… 八杉 角五郎(やすぎ かくごろう、1890年(明治23年)3月4日 - 1977年(昭和52年)1月25日)は、日本の実業家。八杉商店社長、会長を務めたほか、広島地方裁判所司法委員、福山家庭裁判所調停委員、福山商工会議所副会頭などを歴任した。位階勲等は従五位勲五等。藍綬褒章受章。 現在の広島県府中市にて、小川良平の子として生まれた。旧制福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)に入学し、1907年(明治40年)に卒業した。中学校では剣道部に所属した。1910年(明治43年)に長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)を卒業し、教員となった。 福山市深津町の八杉家の婿養子となって八杉商店6代目社長に就任、福山ガス(株)、ニコニコバス(株)、福山合金(株)、福山興業(株)の取締役を務めた。
土屋 直幹(つちや なおき、1887年10月16日 - 19… 土屋 直幹(つちや なおき、1887年10月16日 - 1968年6月19日)は、日本の実業家。玄洋社社員。 久留米藩士・土屋新三郎の長男として、福岡県久留米市に生まれる。1897年福岡市に転居し、1908年福岡県立中学修猷館を卒業。在学中は修猷館野球部に所属し、玄洋社の柔道道場明道館で柔道を学んだ。1912年長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)を卒業。 卒業後、神戸の川崎造船所に入社。ここで同僚であった成瀬正行が、1914年に機械商社である盛興商会を設立するとこれに入り、1918年同社博多支店長となる。成瀬が巨万の富を得て盛興商会を廃業すると、直幹はこれを引き継ぎ、1921年正興商会を創立し社長となる。
一ノ瀬 俊民(いちのせ としたみ、1885年(明治18年)1… 一ノ瀬 俊民(いちのせ としたみ、1885年(明治18年)12月27日 - 1958年(昭和33年)6月16日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、佐賀県杵島郡武雄町長。 佐賀県杵島郡、のちの武雄町(現武雄市)で、一ノ瀬傳三郎の長男として生まれる。1915年(大正4年)長崎高等商業学校(現長崎大学)を卒業。1920年(大正9年)家督を相続し農業を営む。 政界では、武雄町長、佐賀県会議員を務めた。1937年(昭和12年)4月、第20回衆議院議員総選挙に佐賀県第2区から立憲政友会公認で出馬して当選し、翼賛議員同盟に所属して衆議院議員に1期在任した。 戦後、公職追放となる。1951年(昭和26年)追放解除。
永松 利熊(ながまつ としくま、1885年(明治18年)8月… 永松 利熊(ながまつ としくま、1885年(明治18年)8月1日 - 1955年(昭和30年)1月13日)は、昭和時代に活動した日本の実業家。 日本興業銀行出身。大同電力常務取締役、次いで日本発送電理事となり経理部門を担当した後、藤田組(現・DOWAホールディングス)常務取締役、日産火災海上保険(現・損害保険ジャパン)社長を務めた。鹿児島県生まれ。 永松利熊は1885年(明治18年)8月1日、鹿児島県薩摩郡永野村(現・さつま町)で士族永松愛熊の長男として生まれた。1908年(明治41年)に長崎高等商業学校を卒業。はじめ専売局へと入るが、1916年(大正5年)に退官し、株式会社日本興業銀行(興銀)に転じた。
小見山 七十五郎(こみやま なそごろう / おみやま しちじ… 小見山 七十五郎(こみやま なそごろう / おみやま しちじゅうごろう、1885年(明治18年)6月28日 - 1948年(昭和23年)3月16日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
田辺 徳五郎(田邊 徳五郎、たなべ とくごろう、1885年(… 田辺 徳五郎(田邊 徳五郎、たなべ とくごろう、1885年(明治18年)2月1日 - 1947年(昭和22年)5月20日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家、地主、神奈川県多額納税者。衆議院議員(神奈川県第1区選出、当選1回)。旧姓は渡邊、旧名は眞吉、あるいは真吉。 神奈川県鎌倉郡戸塚駅(戸塚町を経て現横浜市戸塚区)に生まれる。渡邊三左衛門の弟。1909年(明治42年)長崎高等商業学校を卒業。横浜石川中村町(現南区中村町)の地主で金融業を営む田辺徳五郎の養嗣子となり、先代の没後に襲名する。 1914年(大正3年)田辺合資会社を設立。1922年(大正11年)横浜市会議員に当選し、1942年(昭和17年)まで務めた。
木村 彦右衛門(きむら ひこえもん、1879年(明治12年)… 木村 彦右衛門(きむら ひこえもん、1879年(明治12年)2月5日 - 1933年(昭和8年)3月31日)は、日本の商人(薬種商)、成見屋薬局経営者、薬学者。 正七位勲六等。薬学博士。大阪薬学専門学校校長。大阪府薬剤師会長。日本薬剤師会副会長。族籍は大阪府平民。 大阪府出身。先代・木村彦右衛門の長男。幼くして父母を喪う。博聞強記で、4歳の頃には百人一首の全部を暗誦した。1883年1月、家督を相続し先代を襲名する。1893年、大阪共立薬学校に入り専ら薬学を修めた。 1899年、第五高等学校医学部薬学科(現・長崎大学薬学部)を卒業。1年志願兵として入営。東京帝国大学医科大学に入り薬学を研究した。長井博士に就いて薬化学を研究すること5年に及んだ。
井田 武雄(いだ たけお、嘉永4年10月8日(1851年11… 井田 武雄(いだ たけお、嘉永4年10月8日(1851年11月1日) - 昭和8年(1933年)5月22日)は、日本の医師、実業家、政治運動家。号は陸舟。鳥取県西伯郡中浜村(現在の境港市)出身。四谷病院、後楽堂医院長。東京府平民。 井田義枝の次男として生まれた。 慶応元年(1865年)長崎に出て長崎養生所(現・長崎大学医学部)に学び、蘭方医学を修めた。 明治7年(1874年)長崎養生所を出た。明治10年(1877年)の西南戦争に警視庁医員として従軍し功をたてる。明治11年(1878年)海軍軍医に転じ、軍艦「鳳翔号」軍医として朝鮮に派遣され、朝鮮人の診療に活躍した。 帰国後海軍を辞し、養神病院長となり、明教生命保険の設立計画をした。