滝沢 菊太郎(たきざわ きくたろう、1926年5月17日 -… 滝沢 菊太郎(たきざわ きくたろう、1926年5月17日 - 2002年8月12日)は、日本の経営学者。 東京市(現千代田区)出身。1952年東京商科大学(現一橋大学)卒、1966年「日本工業の構造分析 日本中小企業の一研究」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。名古屋大学経済学部助教授、教授。1979年経済学部長、附属経済構造分析センター長。1985年第10回中小企業研究奨励賞特選出版賞受賞。1990年定年退官し、名誉教授となり、中京大学教授を務めた。1989年から1992年まで日本中小企業学会会長。
栗原 福也(くりはら ふくや、1926年2月3日 - 201… 栗原 福也(くりはら ふくや、1926年2月3日 - 2016年3月20日)は、日本の西洋史学者。 東京都生まれ。東京商科大学本科卒。同特別研究生をへて、1956年東京女子大学短期大学講師、60年助教授、67年東京女子大学教授。94年定年、名誉教授。 2006年11月瑞宝中綬章受章。
向井 武文(むかい たけふみ、1925年5月1日 - ?)は… 向井 武文(むかい たけふみ、1925年5月1日 - ?)は、日本の経営学者、東京経済大学教授を長く務め、おもに経営管理論の分野で業績を残した。 広島県安芸郡音戸町に生まれ、戦時下の1943年に広島県立呉第二中学校(後の広島県立呉宮原高等学校の前身)を卒業し、1944年に東京産業大学附属工業経営専門部に入学したが同年12月に徴兵され、陸軍第1航空軍第13航空教育隊に入隊し、以降、水戸市の陸軍航空通信学校学生などを経るが、軍隊生活の中で健康を害し、陸軍病院に入院する。 戦後、1947年に東京商科大学附属商学専門部に入学し、1949年に東京商科大学に入学、病気による休学を挟み1954年に卒業し、さらに一橋大学大学院商学研究科に進み、1956年に修士課程を修了した。
並木 俊守(なみき としもり、1925年 1月13日- )は… 並木 俊守(なみき としもり、1925年 1月13日- )は、日本の法学者、弁護士、公認会計士。専攻は商法。日本大学教授、警視庁刑事部顧問等を歴任。 陸軍中央幼年学校を経て、陸軍士官学校卒業。賜銀時計。1949年東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学在学中は陸上競技部に所属し、関東学生陸上競技対校選手権大会においてハンマー投で優勝した。田中誠二に師事。東京経済大学講師、日本大学教授、一橋大学非常勤講師、警視庁刑事部顧問等を歴任。 商法研究者や弁護士として著名であったが、顧問先であった加商株買取の相手方会社から1億円を超える謝礼を受けたことが、弁護士法に違反すると指摘された。これを受け自ら弁護士を登録抹消したため、弁護士会からの懲戒処分は受けなかった。
大陽寺 順一/菅 順一(たいようじ じゅんいち/すが じゅん… 大陽寺 順一/菅 順一(たいようじ じゅんいち/すが じゅんいち、1924年8月18日 - 1995年5月5日)は、日本の社会政策学者。一橋大学名誉教授。元社会政策学会代表幹事。 東京市芝区白金で菅礼之助の四男として生まれ、のち菅礼之助義兄 大陽寺順儀に跡取りがいなかったため同家の養子となる。1942年、府立第一中学校(現 都立日比谷高校)卒業。1947年、旧制東京商科大学(現 一橋大学)卒業。中山伊知郎ゼミ出身。井藤半彌門下。1950年一橋大学社会学部助手。1953年講師。1956年助教授。1966年教授。1988年定年退官、名誉教授、八千代国際大学政治経済学部教授。1992年同図書館長。 社会政策本質論、ドイツ社会政策史などを研究し、1976年から1978年まで社会政策学会代表幹事も務めた。
加藤 勝康(かとう かつやす、1924年1月 - )は、日本… 加藤 勝康(かとう かつやす、1924年1月 - )は、日本の経営学者。東北大学名誉教授、元経営学史学会理事長。2004年瑞宝中綬章。
蓼沼 謙一(たでぬま けんいち、1923年10月26日 - … 蓼沼 謙一(たでぬま けんいち、1923年10月26日 - 2011年10月28日)は、日本の法学者。専門は労働法。一橋大学名誉教授。元一橋大学学長、日本労働法学会代表理事などを歴任。吾妻光俊門下。 元一橋大学学長蓼沼宏一は子。澤和樹第10代東京藝術大学学長は娘婿。 茨城県水戸市生まれ。1940年3月東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)4年修了、同年4月東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1943年学徒出陣により横須賀第2海兵団入団、1944年2月飛行専修海軍予備学生・急降下爆撃機操縦士、1944年12月大日本帝国海軍少尉、1945年4月神風特別攻撃隊隊員、1945年8月大日本帝国海軍中尉。
山根 太郎(やまね たろう、1923年10月22日 - 19… 山根 太郎(やまね たろう、1923年10月22日 - 1979年1月6日)は、日本および米国の経済学者、統計学者。 1923年(大正12年)10月22日アメリカ合衆国ニューヨーク市で生まれる。アメリカ合衆国で小学校を終え帰国し、半年の日本語の補習ののち、1937年(昭和12年)青山学院中学部(旧制)1年に入学した。 昭和16年青山学院中学部 4年修了ののち、海軍兵学校(73期、昭和19年3月22日卒業)に進んだ。海軍特攻隊のパイロットとして出撃する直前に終戦を迎えた。終戦後の1946年東京産業大学(現一橋大学)本科に入学、49年に東京商科大学(1947年に東京産業大学から1944年以前の東京商科大学に名称を変更)を卒業した。
長谷川 正安(はせがわ まさやす、1923年1月24日 - … 長谷川 正安(はせがわ まさやす、1923年1月24日 - 2009年8月13日)は、日本の法学者(憲法・フランス近代憲法)。名古屋大学名誉教授。日本科学者会議代表幹事、原水爆禁止日本協議会理事長、世界科学者連盟副会長等を歴任した。田上穣治門下。 1923年茨城県土浦市で、4人兄弟の末っ子として生まれる。関東大震災後に品川区武蔵小山の長屋に家族で移住。1943年徴兵。1945年乗船中の輸送船が機雷により大破、舞鶴のドックで終戦を迎える。この戦争体験から日本軍に反感を持ち、軍隊、組織嫌いとなり、企業就職を拒否し、研究者の道を歩むことを決意するようになる。 1946年(昭和21年)東京商科大学(現一橋大学)卒業後、1949年同窓の酒井正兵衛学部長の下、26歳で新設の名古屋大学法経学部助教授に就任。
伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 20… 伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 2021年10月2日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授。日経・経済図書文化賞受賞。 神奈川県出身。横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)塩野谷九十九ゼミ出身。東京商科大学(現一橋大学)卒、1950年一橋大学経済研究所アメリカ経済研究部門で、都留重人教授や小原敬士教授の下で助手に就任。1966年「アメリカの金融政策 その論争点の分析」で経済学博士(一橋大学)。一橋大学経済研究所教授を経て、1974-1976年一橋大学経済研究所所長、1986年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授、成城大学教授を務めた。 1998年勲三等旭日中綬章受章。
小林 靖雄(こばやし やすお、1922年7月1日 - 200… 小林 靖雄(こばやし やすお、1922年7月1日 - 2003年10月6日)は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(神戸大学・論文博士・1962年)(学位論文「原価管理に関する研究」)。東京工業大学名誉教授。第3期日本中小企業学会会長。勲三等旭日中綬章受章。 東京出身。東京商科大学(現一橋大学)卒。1962年「原価管理に関する研究」で経営学博士(神戸大学)の学位を取得。1947年東京工業大学経営工学科助手(磯部喜一研究室)、1953年助教授、1962年教授、1976年工学部長、1983年定年退官、名誉教授、放送大学副学長、西東京科学大学(帝京科学大学)教授、1995-2000年同学長。2003年帝京大学医学部附属病院で死去。
中島 省吾(なかじま せいご、1922年5月8日 - 201… 中島 省吾(なかじま せいご、1922年5月8日 - 2013年12月24日)は、日本の会計学者。商学博士(一橋大学・論文博士・1971年)。国際基督教大学名誉教授。第5代日本会計研究学会会長。第2代国際会計研究学会会長。初代International Association for Accounting Education & Research副会長。キリスト教功労者。 東京府東京市生まれ。1943年12月、武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、第22海軍航空廠付総務課労務係官に就任。同年12月、海軍主計少尉に任官。
河野 豊弘(こうの とよひろ、1922年2月22日 - 20… 河野 豊弘(こうの とよひろ、1922年2月22日 - 2014年7月5日)は、日本の経営学者。 1922年2月22日山梨県巨摩郡豊村に生まれる。1943年東京商科大学予科入学、1944年商科大学(現一橋大学経済学部)へ、同年高等文官試験合格、1944年仮卒業のち学徒出陣、陸軍に召集されフィリピンセブ島へ、幹部候補生となり陸軍経理学校で学び経理将校となる。1946年日本国有鉄道勤務。1951年フルブライト第1回留学生として米国ピッツバーグ大学大学院に学ぶ。77年「長期経営計画の探究」で神戸大学経営学博士。1959年神奈川大学経済学部専任講師、助教授、62年教授、1963年学習院大学法経学部教授、64年経済学部教授。
坂井 晴彦(さかい はるひこ、1922年1月25日 - 20… 坂井 晴彦(さかい はるひこ、1922年1月25日 - 2002年)は、英米文学者、青山学院女子短期大学名誉教授。 東京生まれ。東京商科大学(のち一橋大学)卒。青山学院女子短大助教授、教授、1993年定年、名誉教授。英米児童文学を研究、翻訳をおこなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
新井 益太郎(あらい ますたろう、1921年11月28日 -… 新井 益太郎(あらい ますたろう、1921年11月28日 - 2009年4月12日 )は、日本の会計学者。1985年から1990年まで日本簿記学会会長。第13期・第15期日本学術会議会員。成蹊学園名誉理事、成蹊大学名誉教授。
小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995… 小山 路男(こやま みちお、1921年1月3日 - 1995年1月10日)は、日本の社会保障学者。学位は、経済学博士(関西学院大学)。横浜市立大学経済研究所所長、上智大学社会福祉学科教授、社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)所長などを歴任。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。1941年(昭和16年)東京商科大学(現一橋大学)予科卒、1943年(昭和18年)同学部卒、1945年(昭和20年)同大学院特別研究生修了、東京産業大学助手。 1950年(昭和25年)横浜市立大学経済研究所助教授、1964年(昭和39年)教授。 1965年(昭和40年)「イギリス救貧法史論」で関西学院大学より経済学博士の学位を取得。
鈴木 秀勇(すずき ひでお、1921年 - 2011年 )は… 鈴木 秀勇(すずき ひでお、1921年 - 2011年 )は、日本の思想史家、教育学者。専門は教育思想史。一橋大学名誉教授、元札幌大学学長。社会思想史研究から教育思想史研究に進み、一橋大学社会学部で教育社会学講座を創設した。 1938年旧制東京商科大学(現一橋大学)予科入学。高島善哉門下。大学卒業後、同大非常勤講師を経て、1951年一橋大学社会学部助教授。1965年一橋大学社会学部教授。1969年から西順蔵の後任として第7代社会学部長を務めた。1970年、学部長を退任し増淵龍夫と代わる。1984年一橋大学定年退職。 社会思想史の研究から始め、教育思想史研究に進み、一橋大学社会学部で教育社会学講座を創設。
小川 弘(おがわ ひろし、1920年6月 - 2010年7月… 小川 弘(おがわ ひろし、1920年6月 - 2010年7月17日)は、日本の哲学者・大学教授。 日本統治下の台湾・台北市に生まれる。1944年に東京商科大学を卒業。1954年に東京教育大学文学部哲学科哲学の助教授になる。認識論を研究する。1978年に筑波大学教授になる。1984年に筑波大学を定年退職。1988年に八千代国際大学政治経済学部哲学担当教授になる。1996年に八千代国際大学を退職。2010年7月17日に死去、90歳没。 東京教育大学の筑波移転問題にからんで、慎重な姿勢を取った文学部と、積極的だった理学部を中心とする部分の間には、大学の意思決定機関だった評議会の運営をめぐる軋轢があった。
細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011… 細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011年9月21日)は、日本の国際政治学者。一橋大学名誉教授、国際大学名誉教授、日本学士院会員、英国学士院客員会員、元日本国際政治学会理事長。専門は外交史。ちなみに、国際政治学者の細谷雄一との血縁関係はない。
矢野 宏(やの ひろし、1920年2月25日 - 1986年… 矢野 宏(やの ひろし、1920年2月25日 - 1986年4月2日[要出典])は、日本の経営学者。 香川県出身。1942年東京商科大学卒。海軍に属し主計大尉。1942年三菱重工業勤務。70年三菱自動車に移る。1975年京都産業大学教授。
水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日 - )は、日本… 水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日 - )は、日本の思想史家。日本の社会思想史研究の代表的人物で、世界でのアダム・スミス研究推進者の一人。1998年12月日本学士院会員に就任。18世紀スコットランド研究国際学会 (Eighteenth-Century Scottish Studies Society) 生涯業績賞を2001年に受賞[3]。名古屋大学名誉教授、名古屋大学高等研究院アカデミー会員。水田からの寄付金により名古屋大学では「水田賞」を設置し、人文・社会科学(思想史)の若手研究者を表彰している[4][5]。
細井 卓(ほそい たかし、1919年1月22日 - 1990… 細井 卓(ほそい たかし、1919年1月22日 - 1990年12月24日)は、日本の経営学者。 東京出身。東京商科大学(現一橋大学)卒、三井本社、三井信託に勤務ののち、西南学院大学助教授、1956年名古屋大学経済学部助教授、60年教授、62年「配当政策」で名大経済学博士、69年から70年まで学部長。77年から83年まで日本経営財務研究学会初代会長。82年名大を定年退官、名誉教授となり、南山大学教授を務めた。ゼミの指導学生に岩間弘三十三フィナンシャルグループ会長など。
川崎 文治(かわさき ふみはる、1917年6月17日 - 2… 川崎 文治(かわさき ふみはる、1917年6月17日 - 2002年7月30日)は、日本の経営学者。大阪市立大学(現大阪公立大学)名誉教授。元北九州大学(現北九州市立大学)学長。 福岡市生まれ。1942年9月東京商科大学(現・一橋大学)卒業、同年10月三井化学工業(現・三井化学)入社。 1950年3月三井化学工業を退職し、1951年9月より1953年3月にかけて福岡県立修猷館高等学校で講師を務め、その傍ら九州大学大学院に学ぶ。1970年大阪市立大学商学博士。 1953年4月久留米大学商学部助教授、1956年10月長崎大学経済学部教授、1964年4月大阪市立大学商学部教授、1974年4月同商学部長、1976年同名誉教授、1979年4月山口大学経済学部教授、1981年4月北九州大学(現・北九州市立大学)大学院経営学研究科教授を経て、1984年7月北九州大学学長に就任。
増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 198… 増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 1983年5月12日)は、日本の経済学者・東洋史学者。専門は東洋経済史。一橋大学名誉教授。 1916年、栃木県那須郡生まれ。旧制栃木県立烏山中学校(現栃木県立烏山高等学校)を経て、1940年旧制東京商科大学(現一橋大学)本科を卒業。大学では上原専禄や三浦新七に師事し西洋経済史を研究したが、後に東洋経済史に転向。教育召集により歩兵1712連隊[疑問点 – ノート]、次いで歩兵第66連隊に入隊。終戦時には二等兵として召集解除。 戦後は、1945年より東京産業大学東亜経済研究所参事。1947年に東京商科大学副手となり、1948年より同大経済研究所研究員、1949年より同大経済研究所助教授。
石田 忠(いしだ ただし、1916年2月3日 - 2011年… 石田 忠(いしだ ただし、1916年2月3日 - 2011年1月25日)は、日本の社会学者。一橋大学名誉教授。専門は社会調査。長崎被爆者調査を組織し、日本原水爆被害者団体協議会専門委員等を務めた。 島根県邑智郡吾郷村(現美郷町)大字奥山出身。旧制東京商科大学(現一橋大学)で山中篤太郎に師事。 1965年に厚生省による第1回原子爆弾被爆者実態調査に、隅谷三喜男や中鉢正美とともに参加。その後厚生省調査を批判し、独自に一橋大学に社会調査室を組織。伊東壮(元山梨大学学長)や、門下の濱谷正晴とともに長崎県の被爆者調査に従事。被爆者に生き残ったことに対する罪意識が存在することなどを明らかにした。 日本原水爆被害者団体協議会専門委員等を歴任し、日本被団協調査の企画分析を担当。
久保村 隆祐(くぼむら りゅうすけ、1914年1月1日 - … 久保村 隆祐(くぼむら りゅうすけ、1914年1月1日 - 2006年2月26日)は、日本の経営学者。専門はマーケティング論等。第7代横浜国立大学学長、横浜国立大学名誉教授。元日本商業学会会長。 長野県生まれ。1946年東京産業大学(現一橋大学)卒業。1951年横浜国立大学講師。1954年横浜国立大学助教授。1965年中小企業診断員。横浜国立大学教授を経て、1967年横浜国立大学経営学部学部長。1970年横浜国立大学経営学部長。1976年から1979年まで第7代横浜国立大学学長を務め、横浜国立大学より名誉教授の称号を受けた。1980年から1985年まで日本商業学会会長。1985年勲二等瑞宝章受章。
吉永 榮助(よしなが えいすけ、1912年3月20日 - 1… 吉永 榮助(よしなが えいすけ、1912年3月20日 - 1998年9月28日)は、日本の法学者。専門は、商法・経済法。学位は、法学博士(一橋大学)。一橋大学名誉教授。東京出身。 1929年府立第七中学校(現・東京都立墨田川高等学校)卒業。東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1934年司法試験合格(旧制)。1935年東京商科大学商学部卒業。商学部助手。民法学の岩田新ゼミナール出身だったが、岩田が白票事件で退官すると、田中誠二に師事して商法研究に転じた。また、大平正芳(のちに内閣総理大臣)や武野義治(のちに初代駐イスラエル大使)、小島太作(のちに駐インド大使)、富樫総一(のちに労働事務次官)らと、憲法の田上穣治講師や国際法の大平善梧教授が中心となっていた研究会にも参加した。
佐藤 信吉(さとう しんきち、1911年 - 2004年)は… 佐藤 信吉(さとう しんきち、1911年 - 2004年)は、日本の経営学者。横浜国立大学名誉教授。日本経営数学会名誉会長。 神奈川県出身。1935年東京商科大学(現一橋大学)学部卒業。1942年山口高等商業学校教授。1950年横浜国立大学経済学部助教授。 1951年久武雅夫らと商業数学研究会(のちの日本経営数学会)を設立。1952年横浜国立大学経済学部教授、企業会計審議会臨時委員。1958年論文「単利計算の数理的研究」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。 1963年に横浜国立大学経済学部が経済学科と経営学科の2学科制になると、経営学科の教授に就任。1967年に経営学部が新設されると同教授に就任。
末松 玄六(すえまつ げんろく、1910年12月25日 - … 末松 玄六(すえまつ げんろく、1910年12月25日 - 1993年8月30日)は、日本の経営学者。専門は中小企業適正規模論。名古屋大学名誉教授。日経・経済図書文化賞受賞、日本中小企業学会初代副会長。 その学術論ゆえに、信用金庫整理において小原鐵五郎に敗北したことでも有名。 岐阜県出身。東京商科大学(現一橋大学)卒。上田貞次郎門下。1961年「中小企業の成長に関する経営経済学的研究」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。彦根高等商業学校教諭、山口高等商業学校助教授、名古屋経済専門学校教授、名古屋大学経済学部助教授、教授、1974年定年退官し名誉教授となり、愛知大学法経学部教授を務めた。1980年から1986年まで山中篤太郎初代会長等の下で日本中小企業学会初代副会長。
国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2… 国弘 員人(くにひろ かずひと、1910年5月20日 - 2002年以前)は、日本の経営学者。 山口県柳井市生まれ。1934年東京商科大学卒業。増地庸治郎の指導を受けた。1940年東京外国語学校教授、1952年旧・東京都立大学教授、1961年東北大学経済学部教授、1961年「収支分岐点」で東北大学経済学博士。1974年定年退官、名誉教授、専修大学教授。81年退職。
番場 嘉一郎(ばんば かいちろう、1909年(明治42年)1… 番場 嘉一郎(ばんば かいちろう、1909年(明治42年)10月28日 - 1989年(平成元年)5月30日)は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授、千葉商科大学名誉教授。元青山学院大学教授。第4代千葉商科大学学長(1975年4月 - 1987年3月)。太田哲三門下。中村忠(一橋大学名誉教授)、山浦久司(第29代会計検査院長)は門下生。従三位。 1909年10月28日、東京都渋谷区初台に生まれる。生涯にわたりこの地で暮らした。 東京府立第一商業学校、東京商科大学(現在の一橋大学)附属商学専門部を経て、1931年4月、同大学本科に入学。 太田哲三のゼミナールに所属し、1934年3月に卒業する。卒業論文は『経営分析研究』。
馬場 啓之助(ばば けいのすけ、1908年11月23日 - … 馬場 啓之助(ばば けいのすけ、1908年11月23日 - 1988年11月2日)は、日本の経済史学者、一橋大学名誉教授。一橋大学経済学部長、一橋大学学長(事務取扱)、社会保障研究所所長等を務めた。 福井市生まれ。横浜育ち。福井市足羽小学校、横浜小学校、第二横浜中学校(現神奈川県立横浜翠嵐高等学校)を経て、1931年東京商科大学(現一橋大学)本科卒。山内得立に師事。 東亜研究所副調査員などとして研究。外務省嘱託として香港への派遣や、大日本帝国陸軍比島軍政監部付を務め、村田省蔵の比島調査委員会で杉村広蔵委員の下、補助委員として調査に従事した。 杉村が理事を務めた交易営団で総務部総務課長代理などを経て、戦後は農林省農業総合研究所計画部長を経て、1952年学習院大学教授、56年一橋大学教授、61年経済学部長、「近代経済学方法論」で一橋大経済学博士。
中野 藤吾(なかの とうご、1908年1月27日 - 199… 中野 藤吾(なかの とうご、1908年1月27日 - 1990年7月9日)は、日本の経済思想史学者、歌人。立川短期大学学長、明星大学経済学部教授などを歴任した。地元の立川市では、著名な文化人として知られていた。 中野藤吾は、当時の東京府砂川町の素封家・中野家の当主であった中野田郎吉の長男として生まれた。 東京商科大学に学んで教職に進み、巣鴨経済専門学校(千葉商科大学の前身)、日本経済専門学校(亜細亜大学の前身)の教員を歴任した。 1947年に、義兄・中野喜介が理事長となった学校法人立川学園によって、(旧制)立川専門学校が開校した際には、初代校長となった。同校は1950年に短期大学に昇格し、さらに1950年には都立へ移管されたが、その間、中野は学長であり続け、初代の東京都立立川短期大学学長となった 歌人としては、1950年代から1960年代にかけて多くの短歌を発表した。
江沢譲爾(江澤譲爾、えざわ じょうじ、1907年5月20日 … 江沢譲爾(江澤譲爾、えざわ じょうじ、1907年5月20日 - 1975年1月23日)は、日本の地理学者。専門は経済地理学。学位は、経済学博士(一橋大学・論文博士・1955年)。経済地理学会初代会長。江澤譲爾とも表記される。
田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月1… 田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月12日 - 1991年(平成3年)10月21日 )は、日本の法学者。一橋大学名誉教授。法学博士。専門は公法学(憲法・比較憲法・行政法)。キリスト教徒であったが、キリスト教徒の殉職自衛官の訴訟では国側の証人として、宗教上の人格権を否定した。美濃部達吉門下。弟子に長谷川正安、杉原泰雄、山内敏弘など。 1907年(明治40年)1月12日、静岡県三島市に生まれる。1923年(大正12年)、徳島県立徳島中学校卒業。1927年(昭和2年)、第一高等学校文科乙類卒業。1929年(昭和4年)12月、高等試験司法科合格。1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業。
田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月1… 田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年(明治40年)1月12日 - 1991年(平成3年)10月21日 )は日本の法学者。専門は公法学(憲法・比較憲法・行政法)。一橋大学名誉教授。美濃部達吉の弟子。クリスチャン。
栂井 義雄(とがい よしお、1906年9月25日 - 198… 栂井 義雄(とがい よしお、1906年9月25日 - 1983年6月27日)は、日本の経営史学者。 台湾台南市生まれ。東京商科大学(現一橋大学)卒。1976年「三井物産会社の経営史的研究」で中央大学商学博士。東洋経済新報社をへて専修大学経営学部教授、学部長、77年定年、名誉教授、松山商科大学教授。日本経営史研究所理事。
縣 康(あがた やすし、1906年 - 2000年5月3日)… 縣 康(あがた やすし、1906年 - 2000年5月3日)は、日本の教育者、経営学者。立教大学元教授、立教高等学校(現・立教新座中学校・高等学校)元校長、立教英国学院創設者・元校長・理事、香蘭女学校元校長・理事、立教学院元理事・評議員。 1906年、静岡県生まれ。1930年、東京商科大学(現・一橋大学)卒業。 富山薬学専門学校教頭を経て、1931年から立教大学で商業概論、銀行論、銀行会計などを講じる。1937年、立教大学教授に就任。 1944年、立教理科専門学校教授、同生徒部副部長に就任。1945年、GHQにより公職追放(立教関係者で追放された11名のうちの1名)となるが、翌年5月、司令部の解除により立教大学に復職。
大平 善梧(おおひら ぜんご、1905年9月19日 - 19… 大平 善梧(おおひら ぜんご、1905年9月19日 - 1989年3月10日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(慶應義塾大学・論文博士・1960年)。一橋大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。キリスト教徒であり青山学院大学学長も務めた。従三位勲二等瑞宝章。妻は宮城県会議長・南條秀夫の長女。 1905年、福島県会津若松市で生まれた。1923年3月、 会津中学校を卒業して小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に入学。1926年3月に小樽高等商業学校を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。1929年3月に同校を卒業。 卒業後は、1929年7月より母校である東京商科大学の補手に着任。1930年11月、高等試験司法科試験に合格。
岩田 巌(いわた いわお、1905年4月20日 - 1955… 岩田 巌(いわた いわお、1905年4月20日 - 1955年3月3日)は、日本の会計学者。元一橋大学商学部教授。 東京都新宿区西大久保生まれ。先祖は武蔵野の郷士で、家には家系図が残されている。 1923年3月、私立豊山中学校(現・日本大学豊山中学校・高等学校)第4学年修了後、父の死去により、就職のためから早稲田実業学校(現・早稲田実業学校高等部)へ編入、1年間在籍するも、就職はしなかった。1930年、東京商科大学本科卒業、同年同大学研究科入学。大学時代はマックスウェーバーの研究に取り組む。1931年、中央会計研究所入所。1932年、東京商科大学研究科修了。1933年、東京商科大学予科講師、1937年同教授、1941年同大学助教授兼予科教授。
美濃口 時次郎(みのぐち ときじろう、1905年 - 198… 美濃口 時次郎(みのぐち ときじろう、1905年 - 1983年)は、日本の社会政策学者・官僚。専門は、人口問題・労働問題等。協調会参事・内閣調査局専門委員・企画院調査官を経て、名古屋大学経済学部教授兼一橋大学教授(併任)等を務めた。経済学博士(一橋大学・1949年)。 東京市小石川区久堅町出身。1927年東京商科大学(現一橋大学)を卒業し協調会入所。上田貞次郎門下で人口問題を専攻し上田主宰の日本経済研究会に参加。協調会参事を経て、1935年内閣調査局入局。内閣調査局専門委員を経て、1937年から企画院で副調査官や調査官を務め、1941年に閣議決定に至った人口政策確立要領の起案を担当。同年『人口問題』を出版。
相馬 勝夫(そうま かつお、1904年11月26日-1983… 相馬 勝夫(そうま かつお、1904年11月26日-1983年1月31日)は、専修大学理事長、専修大学総長。専修大学創立者の相馬永胤の孫。経済学博士。専門は保険論。岡山県岡山市出身。 1924年東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。1930年(昭和5年)東京商科大学(現一橋大学)卒業後、専修大学講師。1932年東京商科大学旧制大学院修了。1938年専修大学教授。その後、学生部長・就職指導部長・を歴任。1955年商経学部長。1957年体育部長。1961年経営研究所長。1961年専修大学にて論題「新価保険」で経済学博士を受く。 1961年(昭和36年)専修大学第10代学長。
金子 泰藏(かねこ たいぞう、1904年(明治37年)10月… 金子 泰藏(かねこ たいぞう、1904年(明治37年)10月23日 - 1987年(昭和62年)5月17日)は、日本の商学者、教育者、通訳者で一橋学院、東京国際大学の創立者である。1973年に勲三等旭日中綬章受章。 1904年10月23日、東京の浅草で生を受ける。旧制府立三中に進学し、卒業後、東京商科大学(現・一橋大学)に入学した。在学中に後の国連大使・加瀬俊一と知り合い、同じ語学クラブとして英語を学ぶことになる。大学卒業後、東京商工会議所に就職し、外国課長として貿易業務を行いながら、新設されたばかりの上智大学にて教授として英語を教えていた。1941年太平洋戦争が開始されると、三菱、三井と共に軍需産業を行っていた日本鉱業の海外課長となり、海外調査の業務全般を行う。
太田 可夫(おおた よしお、1904年(明治37年)7月31… 太田 可夫(おおた よしお、1904年(明治37年)7月31日 - 1967年(昭和42年)7月4日)は、日本の哲学者である。 三重県に生まれ、東京商科大学(現在の一橋大学)に入学する。1928年(昭和3年)に卒業後は、母校の予科教授として活動し教鞭を執った。1943年(昭和22年)には教授に昇格し、同大学が一橋大学に校名変更した際に新しい教育体制の確立に携わる。 その後はジョン・ロックやトマス・ホッブズ等イギリス哲学やイマヌエル・カント等ドイツ哲学といったヨーロッパの哲学者の研究に携わり、社会思想の研究者の育成にも力を入れた。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。
松本 雅男(まつもと まさお、1904年7月16日 - 19… 松本 雅男(まつもと まさお、1904年7月16日 - 1993年2月10日)は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授。 1904年、和歌山県伊都郡妙寺町(現かつらぎ町)出身。1922年和歌山県立和歌山商業学校卒、1925年山口高等商業学校卒業、同年歩兵第8連隊入営、1927年青島学院商業学校教諭、1929年大日本帝国陸軍少尉、1931年東京商科大学(現一橋大学)本科卒。金融論の井浦仙太郎ゼミ出身で、本科2年時に、論文「戦時戦後におけるわが国為替相場変動の研究」が鳳聚会二等上席に入選し出版される。 大学卒業後は彦根高等商業学校金融論担当助教授就任が一旦決まったが、その後担当が専門外の原価計算及び簿記と変わり、辞任も考えた末以降会計学専攻に転じて高瀬荘太郎に師事し同職を務めた。
高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 19… 高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 1990年1月10日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。一橋大学名誉教授、関東学院大学名誉教授。 岐阜県出身。旧制岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)首席を経て、1927年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学では当初福田徳三ゼミナールに参加したが、福田の留学のため大塚金之助の指導を受けた。卒業論文「経済静学と経済動学の国民経済学的意義:ヨセフ・シュンペーターの研究」だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した。 1927年指導教官大塚金之助の推薦を受け、母校東京商科大学助手に就任。1927年、渋沢栄一の孫である尾高豊作や尾高朝雄の支援を得て設立され、大塚が所長を務める東京社会科学研究所研究員を兼務し、杉本栄一とともに同研究所での活動に従事。
北條 秀一(北条、ほうじょう しゅういち / ひでいち、19… 北條 秀一(北条、ほうじょう しゅういち / ひでいち、1904年(明治37年)5月31日 - 1992年(平成4年)8月23日)は、日本の実業家、政治家、郷土史家。引揚者団体全国連合会理事長、参議院議員(1期)、衆議院議員(1期)、日本国有鉄道顧問。 兵庫県城崎郡竹野村(現豊岡市竹野町竹野)の宮大工の家に生まれる。竹野小学校を経て、1924年神戸商業学校を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)予科に入学。大学では自治組織の一橋会総務理事を務めたが、1929年に大山郁夫へ献金を行ったとして逮捕された。1930年大学卒業。同年南満洲鉄道に入社。1932年、満鉄調査部経済調査会に配属される。参与兼総務課長を経て、理事に就任。
古川 栄一(ふるかわ えいいち、1904年4月29日 - 1… 古川 栄一(ふるかわ えいいち、1904年4月29日 - 1985年4月30日)は、日本の経営学者。学位は、商学博士(一橋大学・論文博士・1954年)。一橋大学名誉教授。増地庸治郎門下、増地の経営財務論を継承。一橋大学商学部教授を経て、同門の招きで青山学院大学教授に就任。郵政省顧問等も歴任。藍綬褒章受章。 新潟県古志郡長岡町(現:長岡市)出身。現在の長岡商業高校を経て、1929年に東京商科大学(現:一橋大学)経営学科卒業。1954年「財務管理の本質と組織に関する研究」で一橋大学より商学博士の学位を取得。学生時代に受洗。大学では上田貞次郎教授のゼミを希望していたが、人気のため果たせず、増地庸治郎助教授のゼミに参加。
竹中 龍雄 (たけなか たつお、1904年4月16日 - 1… 竹中 龍雄 (たけなか たつお、1904年4月16日 - 1989年2月16日)は、日本の経営学者。神戸大学名誉教授。 島根県浜田市生まれ。1921年東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)修了。1927年東京商科大学(現一橋大学)卒業。上田貞次郎に師事。同年同大学補手。1930年大阪商科大学(現大阪公立大学)助手。1931年同講師。1932年同助教授。1944年同教授。1947年神戸経済大学附属経営学専門部教授。1950年神戸大学経営学部教授。1952年郵政審議会委員。1955年経営学博士。1958年電気料金制度調査会委員。1960年塩業審議会専門委員。1962年電気事業審議会専門委員。
森 泰吉郎(もり たいきちろう、1904年〈明治37年〉3月… 森 泰吉郎(もり たいきちろう、1904年〈明治37年〉3月1日 - 1993年〈平成5年〉1月30日)は、日本の実業家、経営史学者。森ビルおよび森トラスト・ホールディングスの創業者。学者として横浜市立大学で商学部長・教授などを務めたが、学長選挙に出馬した結果学内抗争に巻き込まれ、地方公務員法の兼業禁止違反として退職した。 東京府東京市芝区南佐久間町(現・港区西新橋)に生まれる。実父磯次郎は、米屋·貸家業を営む森竹次郎·リウの養子だった。幼少期は病弱だったため、人情深い大家だった両親に大事に育てられたという。大倉高等商業学校(現東京経済大学)を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。賀川豊彦の『死線を越えて』やマクシム・ゴーリキーの『母』に感動し、一方で自分が不労所得を得る地主階級である事に懊悩したが、大学で上田貞次郎の「企業者は公共社会への貢献を使命としている」という所説に接してアイデンティティーの確立に大きな影響を受けたという。