謝花 喜一郎(じゃはな きいちろう、1957年〈昭和32年〉… 謝花 喜一郎(じゃはな きいちろう、1957年〈昭和32年〉- )は、日本の地方公務員。沖縄県信用保証協会会長。沖縄県職員として、沖縄県企画部長、県知事公室長を歴任し、2018年4月から沖縄県副知事を務めた。同年8月には翁長雄志県知事の体調悪化に伴い、一時的に県知事職務代理者を務めた。 1957年生まれ、今帰仁村出身。琉球大学卒業。 2012年より沖縄県企画部長。企画部長時代は沖縄21世紀ビジョン基本計画の策定や沖縄振興一括交付金の創設など沖縄振興施策に携わり、国との交渉を担当した。2016年より事務方トップの県知事公室長に就任し、同年6月には今後、沖縄県にて在日アメリカ軍絡みの事件や事故が発生した際には沖縄県からは抗議に出向かない方針を国に伝え、政府やアメリカ側が沖縄県に説明に来るよう要求した。
與那嶺 清(よなみね きよし、1956年5月27日 - )… 與那嶺 清(よなみね きよし、1956年5月27日 - )は、日本の実業家。オリオンビール株式会社代表取締役社長や、沖縄県経営者協会副会長を務めた。 沖縄県出身。1980年琉球大学法文学部卒業、オリオンビール入社。営業企画部長を経て、2005年執行役員営業企画部長。2007年取締役営業企画部長に昇格。2008年取締役総務部長。2011年取締役総務管理本部長。2012年常務取締役管理部門担当。2017年から代表取締役社長を務め、アジアや北アメリカなどでの販売強化にあたった。2018年沖縄県経営者協会副会長。2019年オリオンビール取締役副会長。
伊良皆 光夫(いらみな みつお、1955年〈昭和30年〉5月… 伊良皆 光夫(いらみな みつお、1955年〈昭和30年〉5月25日 - )は、日本の政治家。沖縄県多良間村長(第29 - 32代)。 米国施政下にあった沖縄の宮古郡多良間村塩川出身。沖縄県立宮古高等学校を経て、琉球大学短期大学部法経学科を卒業。1979年(昭和54年)12月、宮古郡農業協同組合に入組。同組合金融課長、沖縄県農業協同組合多良間支店金融共済課長などを歴任。 2005年(平成17年)7月、多良間村助役に就任。 2007年(平成19年)4月、多良間村副村長に就任。2012年(平成24年)10月まで務めた。 2013年(平成25年)5月11日、多良間村長選挙への出馬を表明。同年6月16日に投開票され、3選を目指した現職の下地昌明を破り初当選。
我部 政明 (がべ まさあき、1955年2月8日 - )は、… 我部 政明 (がべ まさあき、1955年2月8日 - )は、日本の政治学者、琉球大学教授。専門は国際政治学、日本外交史、日米関係論。
崎山 多美(さきやま たみ、1954年11月3日 - )は、… 崎山 多美(さきやま たみ、1954年11月3日 - )は、日本の小説家。本名・平良邦子。沖縄県西表島生まれ。琉球大学法文学部卒。 1979年「街の日に」で新沖縄文学賞佳作、1988年「水上往還」で九州芸術祭文学賞受賞、1989年「水上往還」で第101回芥川賞候補、1990年「シマ籠る」で第104回同候補。2017年、『うんじゅが、ナサキ』で第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
髙良 鉄美(たから てつみ、男性、1954年1月15日 - … 髙良 鉄美(たから てつみ、男性、1954年1月15日 - ) は、日本の憲法学者、政治家。琉球大学大学院法務研究科(法科大学院)名誉教授。 参議院議員(1期)、沖縄社会大衆党委員長を歴任した。父は動物学者で第8代琉球大学学長の高良鉄夫。 琉球政府那覇市出身。那覇市教育区立松川小学校、那覇市教育区立真和志中学校、琉球政府立那覇高等学校卒業。九州大学法学部へ進学。1981年、九州大学大学院法学研究科にて法学修士号を取得。1984年、同研究科博士課程(公法学専攻)を単位取得退学。 1984年、琉球大学に着任。助手、講師を経て、1988年より法文学部助教授。1995年より教授。2019年退任。 2019年1月、沖縄社会大衆党元委員長の糸数慶子の後継として、同年7月に行われる第25回参議院議員通常選挙に沖縄県選挙区より立候補することを表明。
田仲 康博(たなか やすひろ、1954年 - )は、沖縄県出… 田仲 康博(たなか やすひろ、1954年 - )は、沖縄県出身の社会学者。研究テーマは写真論、 風景論、 メディアと身体 、戦後沖縄史、現代社会論、近代化理論、ポストコロニアル研究など多岐にわたる。沖縄国際大学(非常勤講師)、琉球大学(非常勤講師)、国際基督教大学(教授)で教鞭をとり、現在は沖縄大学非常勤講師、同大学の地域研究所研究員、法政大学沖縄文化研究所国内研究員。 1954年、アメリカ合衆国による占領統治下の沖縄具志川村(現在は沖縄県うるま市)に生まれる。1976年琉球大学法文学部法政学科卒業。のちにアメリカへ留学し、1980年ワイオミング大学の社会学部を卒業(B.S.)。1995年ウィスコンシン大学マディソン校にて社会学部博士課程を修了し、最終学位は社会学博士(Ph. D.)。
松川 正則(まつがわ まさのり、1953年〈昭和28年〉9月… 松川 正則(まつがわ まさのり、1953年〈昭和28年〉9月20日 - 2024年〈令和6年〉7月26日)は、日本の政治家。沖縄県宜野湾市長(2期)。 琉球政府宜野湾村(現・沖縄県宜野湾市野嵩)に生まれる。1973年(昭和48年)4月、宜野湾市役所に入庁。1976年(昭和51年)3月、琉球大学短期大学部法経学科卒業。2012年(平成24年)3月、副市長に就任。 2018年8月8日、沖縄県知事の翁長雄志が任期中に死去。翁長の死去に伴う県知事選に出馬するため、宜野湾市長の佐喜眞淳が8月18日付で辞職。9月30日に行われた宜野湾市長選挙に自民党・公明党・日本維新の会の推薦を受けて立候補。「オール沖縄」勢力が支援した沖縄県高校PTA連合会前会長の仲西春雅との一騎打ちを制し初当選した。
島袋 秀幸(しまぶくろ ひでゆき、1952年7月12日 - … 島袋 秀幸(しまぶくろ ひでゆき、1952年7月12日 - 2022年5月21日)は、日本の政治家、地方公務員。伊江村長を務めた。 伊江村西江上に生まれる。琉球大学を卒業後、1977年5月より伊江村役場入庁。税務課に配属される。総務課長、助役、副村長を歴任。2013年には村長選挙に立候補し無投票当選。 2022年4月27日、新型コロナウイルスに感染していたことが判明。同月18日には、西銘恒三郎(沖縄北方担当大臣)と自民党沖縄振興調査会会長小渕優子を訪問するため名護市長の渡具知武豊ら11人の首長と共に東京出張をしていた。 5月21日21時39分、伊江村の自宅で死去。69歳没。死因はくも膜下出血であった。
比嘉 聰(ひが さとし、 (1952-04-08) 1952… 比嘉 聰(ひが さとし、 (1952-04-08) 1952年4月8日 - )は、日本の琉球古典音楽家、組踊音楽太鼓奏者。重要無形文化財「組踊音楽太鼓」保持者(各個認定)。 沖縄県国頭郡久志村(現・名護市)に生まれる。琉球大学農学部農芸化学科を卒業した。 1971年、琉球大学郷土芸能研究クラブで三線と太鼓を始めた。1972年、太鼓を島袋光史、歌三線を棚原忠徳に師事し、本格的な修業に入った。1979年、野村流組踊地謡研究会主催の第1回「組踊を聞く」における「万歳敵討」で、組踊音楽太鼓の初舞台を務めた。1985年には光史流太鼓保存会比嘉聰練場を開き、後進の育成を始めた。 1988年12月、光史流太鼓より師範免許を取得した。
伊波 洋一(いは よういち、1952年(昭和27年)1月4日… 伊波 洋一(いは よういち、1952年(昭和27年)1月4日 - )は、日本の政治家。沖縄県選出の参議院議員(2期)、会派「沖縄の風」幹事長。 沖縄県宜野湾市長(2期)、沖縄県議会議員(2期)を歴任した。 琉球臨時中央政府中頭郡宜野湾村(現・沖縄県宜野湾市)生まれ。琉球政府立普天間高等学校、琉球大学理工学部物理学科卒業。1974年、宜野湾市役所に就職。宜野湾市職労委員長、中部地区労事務局長を経て、1996年、沖縄県議会議員選挙に出馬し、初当選。2000年に再選。2003年、2期目の任期途中で辞職し、宜野湾市長選挙に出馬して当選する。2007年、宜野湾市長再選。市長在職中、沖縄県内の地方自治体で初めて中学生までの病院への入院費の無料化を実現した。
平良 敏昭(たいら としあき、1952年 <昭和27年> -… 平良 敏昭(たいら としあき、1952年 <昭和27年> - )は、日本の地方公務員。沖縄県商工労働部長、沖縄県企業局長を経て、沖縄建設新聞代表取締役社長。瑞宝小綬章受章。 沖縄県生まれ。琉球大学法文学部卒業後、1977年 沖縄県庁入庁、行政管理室勤務。2002年 (平成14年) 商工労働部企業立地推進課長、2006年 観光商工部産業政策課長、2008年 企画部科学技術統括監、2009年 同部企画調整統括監、2011年 商工労働部長。 定年を迎えた2013年4月 前任の兼島規に代わって23代・沖縄県企業局長。2014年2月以降、有機フッ素化合物 (PFAS) が北谷浄水場の水源である比謝川や嘉手納井戸群で高濃度で検出された件については継続的に調査し、在日米軍が使用してきた泡消火剤に含まれていたという蓋然性が指摘された。
神山 昂(かみやま たかし、1951年12月4日 - )は沖… 神山 昂(かみやま たかし、1951年12月4日 - )は沖縄県で高校野球の指導を長らく務めている指導者である。監督として3回、コーチとして4回の甲子園出場経験を持つ。 1951年糸満市に生まれる。1967年沖縄県立糸満高等学校に入学し、高校3年の夏、甲子園の県予選の決勝で糸満高校対興南高校と火花を散らした。この試合の興南高校には、後に興南高校野球部の監督に就任する我喜屋優もいた。決勝戦では惜しくも僅差で興南高校に敗れた。高校卒業後は、琉球大学に進学する。 大学卒業後、非常勤講師として沖縄高校(現在の沖縄尚学高校)やコザ高校を2年ほど勤め、1978年沖縄県立豊見城高等学校野球部にコーチ就任。糸満高校で監督をしていた栽弘義監督から声を掛けられ、1983年沖縄県立沖縄水産高等学校野球部にコーチ就任する。
狩俣 正雄(かりまた まさお、1950年12月14日 - )… 狩俣 正雄(かりまた まさお、1950年12月14日 - )は、日本の経営学者。大阪公立大学名誉教授。滋慶医療科学大学大学院客員教授。 沖縄県宮古島生まれ。1975年琉球大学法文学部商学科卒業。1981年神戸商科大学大学院経営学研究科博士課程単位取得退学。1994年「組織のリーダーシップとコミュニケーションの研究」で神戸商科大学博士(経営学)。1980年沖縄大学法経学部専任講師、1982年岡山商科大学専任講師、1983年大阪学院大学専任講師、1985年助教授、1993年教授、2006年大阪市立大学経営学研究科教授。2016年定年退職、名誉教授。2018年滋慶医療科学大学院大学教授。2023年滋慶医療科学大学大学院客員教授 専門は経営管理論、経営組織論、リーダーシップ論、スピリチュアル経営。
佐渡山 豊(さどやま ゆたか、1950年12月8日 - )は… 佐渡山 豊(さどやま ゆたか、1950年12月8日 - )は、日本のシンガーソングライターである。 学習研究社が1981年に刊行した『NEW MUSIC'81 ニューミュージック事典』の「アーティスト名鑑」での「佐渡山豊」の項目には「生年月日・出身地とも不詳」と書かれている。沖縄県コザ市出身。琉球大学農学部で農芸科学を専攻。 吉田拓郎、加川良、泉谷しげる、岡林信康のファン。琉球大学1年のとき、沖縄にも若者の新しいオリジナル・フォークを作ろうと「沖縄フォーク村」を結成。一年で約40人になったが、半分は女性だった。返還前の沖縄はロックが盛んでフォークを発表する場は那覇市に2カ所ホールがある程度でレベルも低く、マイクやスピーカーなどの機材も放送局からの借り物を使った。
上原 良幸(うえはら よしゆき、1950年 - )は、日本の… 上原 良幸(うえはら よしゆき、1950年 - )は、日本の地方公務員。 沖縄県副知事、沖縄県信用保証協会長、沖縄観光コンベンションビューロー会長などを歴任。 1973年(昭和48年)琉球大学法文学部経済学科卒業。同年 沖縄県庁入庁(土木部道路課)、1976年 土木部土木総務課、1980年 企画部企画総務課、1983年 総務部地方課主査、1989年(平成元年)商工労働部企業立地対策室主査、1992年 総務部財政課主幹、1995年 同部地方課課長補佐、1996年 企画部国際都市型形成推進室副参事、2000年 同室参事、2002年 企画部復興開発室長、2004年 同部参事監兼科学・学術復興室長、2005年 同部長、2009年 知事公室長。
比嘉 豊光(ひが とよみつ、1950年(昭和25年) - )… 比嘉 豊光(ひが とよみつ、1950年(昭和25年) - )は、写真家。沖縄県読谷村楚辺生まれ。 1975年、琉球大学美術工芸科卒業 。 1990年代、沖縄の島々の祭祀世界を写真に残す第一人者である比嘉康雄の手伝い助手として宮古を訪れ、1997年~2001年にかけて宮古島西原集落の祭祀を取材し撮影した作品、『光るナナムイの神々』を風土社(東京都)より出版。2004年、琉球大学写真クラブ在籍時に沖縄の現状を記録しようと試み撮影した写真を集め、写真集『赤いゴーヤー』を出版。その他、浦添市教育委員会の発掘現場や那覇市真嘉比地区の発掘現場作業風景を撮影した『フォトドキュメント 骨の戦世』(2010年、岩波書店:東京)などの作品がある。
座喜味 一幸 (ざきみ かずゆき、1949年(昭和24年)1… 座喜味 一幸 (ざきみ かずゆき、1949年(昭和24年)12月15日 - )は、日本の政治家。第3代宮古島市長(1期)。元沖縄県議会議員(3期)。 1949年、アメリカ統治下の沖縄(宮古民政府)平良市(現・沖縄県宮古島市平良字西仲宗根)に生まれる。平良市立北小学校(現・宮古島市立北小学校)、平良市立平良中学校(現・宮古島市立平良中学校)、琉球政府立宮古高等学校(現・沖縄県立宮古高等学校)卒業。1972年、琉球大学農学部卒業。同年、沖縄の本土復帰(沖縄返還)に伴い設置された沖縄総合事務局に入局。 1995年、宮古土地改良区事務局長就任。 2008年、沖縄県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。
安谷屋 真理子(あだにや まりこ、1949年〈昭和24年〉8… 安谷屋 真理子(あだにや まりこ、1949年〈昭和24年〉8月14日 - )は、元フリーアナウンサー。極東放送およびエフエム沖縄の元アナウンサー。 1973年10月、極東放送入社。社名変更等の再編に伴い、1984年9月にエフエム沖縄へ移籍。『スクリーンへの招待』は、極東放送時代から担当していた番組であり、エフエム沖縄の最長寿番組でもあったが、自身の健康面の問題により2021年9月いっぱいをもって終了し、フリーアナウンサーも引退した。 また、同局主催の映画試写会等のイベントで司会も務めていた。 特記がない限り、エフエム沖縄の番組。
石嶺 伝一郎(いしみね でんいちろう、1949年4月26日 … 石嶺 伝一郎(いしみね でんいちろう、1949年4月26日 - )は、沖縄電力相談役。沖縄県那覇市出身。琉球大学法文学部商学科卒業。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立那覇高等学校を経て、1972年に琉球大学法文学部商学科卒業後、琉球電力公社入社。2001年、沖縄電力取締役に就任。2005年に副社長、2007年に社長、2013年に会長に就任するとともに、一般社団法人南西地域産業活性化センターの会長に就任した。2019年会長を退任、相談役。 この間、2016年から那覇商工会議所会頭、沖縄県経済団体会議議長を務めた他、沖縄県商工会議所連合会会長、那覇空港拡張整備促進連盟会長、沖縄県振興審議会副会長、日本電気協会沖縄支部長なども歴任した。
山里 勝己(やまざと かつのり、1949年4月12日 - )… 山里 勝己(やまざと かつのり、1949年4月12日 - )は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。名桜大学学長。琉球大学名誉教授。 沖縄県本部町出身。1972年、琉球大学法文学部英語英文科卒業。1974年、ハワイ大学マノア校大学院英米文学修士課程修了。1987年、カリフォルニア大学デービス校大学院英米文学専攻博士課程修了。 1975年より琉球大学法文学部助手、教授、副学長。日本文学環境学会会長、九州アメリカ文学会会長などを歴任。2013年、名桜大学教授および国際文化研究科長に就任。2014年、同大学学長に就任。 著書『琉大物語 1947-1972』では、アメリカ合衆国政府によって創立された琉球大学の歴史を詳細に記述した。
大城 貞俊(おおしろ さだとし、1949年 - )は、沖縄県… 大城 貞俊(おおしろ さだとし、1949年 - )は、沖縄県大宜味村生まれの日本の詩人、作家、沖縄国際大学・沖縄女子短期大学非常勤講師である。 詩誌「EKE」同人、個人詩誌「詩と試論・貘」主宰、現代文学・思想を読む会「グループZO」同人である。 1973年、琉球大学法文学部国語国文学科を卒業した。県立高校教諭、県教育庁県立学校教育課指導主事等を経て、琉球大学教育学部教授に就任した(後に定年退職)。 その他、沖縄タイムス芸術選賞文学部門(小説)大賞、沖縄タイムス教育賞を受賞した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
又吉 栄喜(またよし えいき、1947年7月15日 - )は… 又吉 栄喜(またよし えいき、1947年7月15日 - )は日本の小説家。第114回芥川賞を受賞。 沖縄県浦添村(現・浦添市)出身。琉球大学法文学部史学科卒。 浦添市立図書館在職中の1980年、すばる文学賞を受賞、1996年に『豚の報い』で第114回芥川賞を受賞。 九州芸術祭文学賞、南日本文学賞、琉球新報短編小説賞、新沖縄文学賞選考委員。
喜納 昌春(きな まさはる、1947年6月10日 - )は、… 喜納 昌春(きな まさはる、1947年6月10日 - )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(6期)、沖縄県議会議長、沖縄社会大衆党委員長などを務めた。沖縄県中頭郡西原町出身。 琉球大学卒業。1988年の第6回沖縄県議会議員選挙で中頭郡選挙区より立候補し初当選。以後、5期連続当選し2004年に沖縄社会大衆党(社大党)委員長に就任。同年の第20回参院選で民主党・社民党・共産党と共に野党共闘体制を構築し、社大党の副委員長・糸数慶子を無所属の野党統一候補として出馬、当選させた。2008年の第10回県議選においては県政の与野党を逆転させたものの自身は落選し、社大党も議席を減らす結果となったが委員長職を続投した。
安里 進(あさと すすむ、1947年 - )は、沖縄県出身の… 安里 進(あさと すすむ、1947年 - )は、沖縄県出身の考古学者・歴史学者。専攻は考古学・琉球史。沖縄県立芸術大学名誉教授。 沖縄県那覇市首里に生まれる。琉球大学法文学部史学科を卒業し、民間企業に勤める。のち、大阪府教育委員会で埋蔵文化財の調査に従事。高良倉吉(歴史学者)らの誘いで、浦添市に転じ、浦添市美術館の創設に従事。 浦添市教育委員会文化部長。また浦添ようどれの発掘調査に従事。沖縄県立芸術大学教授などを経て、2013年より沖縄県立博物館・美術館館長(〜2016年)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
島袋 吉和(しまぶくろ よしかず、1946年〈昭和21年〉7… 島袋 吉和(しまぶくろ よしかず、1946年〈昭和21年〉7月20日 - )は、日本の政治家。元沖縄県名護市長(1期)。旭日小綬章。 沖縄県出身。琉球大学農学部卒。卒業後は沖縄証券(現おきぎん証券)に入る。その後。北部養豚農業協同組合専務理事を経て、名護市議会議員となる。市議を4期務め、議長を務めた。 2006年〈平成18年〉の名護市長選挙に立候補し、初当選する。市長は1期務め、2010年〈平成22年〉の市長選挙で落選した。 2016年 秋の叙勲で地方自治功労により旭日小綬章を受章。
下地 敏彦(しもじ としひこ、1945年(昭和20年)12月… 下地 敏彦(しもじ としひこ、1945年(昭和20年)12月10日 - )は、日本の政治家。元沖縄県宮古島市長(3期)。2015年8月、沖縄の保守系市長の会「チーム沖縄」を立ち上げ、その会長に就任した。落選後の2021年5月、陸上自衛隊駐屯地の用地売却を巡る贈収賄事件で逮捕された。 沖縄県宮古郡平良町(現宮古島市平良)生まれ。沖縄県立宮古高等学校、琉球大学理工学部生物学科卒業。 沖縄県宮古支庁長や旧城辺町助役を務めた。 2002年、平良市長選挙に出馬するも、現職の伊志嶺亮に敗れ、落選。2005年11月、市町村合併に伴い誕生した宮古島市の市長選に出馬したが、再び伊志嶺に413票差で敗れる。2006年6月より沖縄県漁業協同組合連合会会長を務めた。
照屋 寛徳(てるや かんとく、1945年〈昭和20年〉7月2… 照屋 寛徳(てるや かんとく、1945年〈昭和20年〉7月24日 - 2022年〈令和4年〉4月15日)は、日本の政治家、弁護士(登録番号:13361)。 衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)、社会民主党副党首、同党国会対策委員長(第9代)、沖縄県議会議員(2期)などを歴任した。沖縄国際大学名誉教授の照屋寛之は本家筋にあたり、親戚である。 サイパン島の米軍捕虜収容所で生まれる。沖縄県具志川市(現・うるま市)出身。父、照屋寛栄は沖縄からの出稼ぎ労働者で、当時収容所で、死体片付け人として働いていた。1968年、琉球大学法文学部を卒業。1972年、司法修習を終え弁護士登録。 1988年、沖縄県議会議員選挙に無所属(日本社会党推薦)で出馬し、当選。
稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17… 稲嶺 進(いなみね すすむ、1945年(昭和20年)7月17日 - )は、日本の政治家。オール沖縄共同代表、元沖縄県名護市長(2期)。 沖縄県国頭郡久志村(現:名護市字三原)生まれ。久志村立三原小学校、琉球政府立宜野座高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、琉球大学法文学部卒業。1972年(昭和47年)1月、名護市役所に就職し、厚生課に配属される。その後、名護市総務部長や収入役を経て、2005年(平成17年)に名護市教育長に就任。以後4年間同市教育長を務める。2010年(平成22年)1月24日執行の名護市長選挙に「普天間飛行場県内移設反対」を掲げて出馬し、初当選した。同年2月8日、市長に就任。
海勢頭 豊(うみせど ゆたか、 (1943-11-17) 1… 海勢頭 豊(うみせど ゆたか、 (1943-11-17) 1943年11月17日(82歳)- )は、沖縄県与那城町(現うるま市)平安座島出身の日本の作曲家、シンガーソングライターである。 1962年にギターの演奏および音楽理論、編曲、作曲法を独学で習得し、琉球大学ギターアンサンブルを創設する。 1982年、東京国立劇場にて文化庁主催・沖縄県本土復帰10周年記念『沖縄のこころとかたち』コンサートにて「さとうきびの花」がNHK「みんなのうた」で放送された。 2007年には沖縄那覇市民会館にてバレエ「血の婚礼」を公演し、冠船流川田禮子芸歴70周年記念公演「川田禮子の世界」(前進座劇場にて)三隅治雄作・演出の創作琉球舞踊劇「伊野波節の女」の音楽を担当する。
宮城 松隆(みやぎ まつたか、1943年 - 2012年 )… 宮城 松隆(みやぎ まつたか、1943年 - 2012年 )は、日本の詩人。 沖縄県生まれ。琉球大学法文学部文学科国文学専攻卒業。詩誌「非世界」および「脈」同人、日本詩人クラブ会員。沖縄戦の詩、生死を凝視する詩を沖縄の地から発信するとともに、個人詩誌「キジムナー通信」により、沖縄の新世代の詩人の発表の場を設けた。「沖国大文学」で活動した宮城隆尋、松永朋哉、トーマ・ヒロコらの新世代の書き手にも「キジムナー通信」の誌面を提供、「沖国大文学」とともに山之口貘賞受賞者を輩出する端緒をつくった。
東門 美津子(とうもん みつこ、1942年11月16日 - … 東門 美津子(とうもん みつこ、1942年11月16日 - )は、日本の政治家。沖縄県沖縄市長(2期)。衆議院議員(2期)、沖縄県副知事を務めた。
比嘉 照夫(ひが てるお、1941年12月28日 - )は、… 比嘉 照夫(ひが てるお、1941年12月28日 - )は、沖縄県出身の株式会社EM研究機構の元代表取締役会長兼社長、農学博士。園芸家。「EM技術」の開発者。琉球大学農学部農学科を卒業後、九州大学大学院農学研究科博士課程修了。2022年、瑞宝中綬章受章。 この他にも国や県などの各種委員を多数歴任した。
島袋 秀光(しまぶくろ ひでみつ、1940年 - )は沖縄県… 島袋 秀光(しまぶくろ ひでみつ、1940年 - )は沖縄県具志川市(現うるま市)出身の元沖縄テレビ放送アナウンサー。 1964年沖縄テレビ入社。当時から報道番組担当アナウンサーとして出演し、アメリカ合衆国領・琉球政府時代から、1972年の日本国本土復帰までの激動の時代の沖縄を取材し、特に本土復帰が確定した1971年には、様々な諸問題が起きたことから、その特別番組が放送されたが、アメリカ占領時代は、アメリカ軍の厳正な検閲があり、その検閲の目を気にしながら放送を行ったという。 その後も延べにして32年間にわたってアナウンサー・解説委員など報道の第一線で活躍する傍ら琉球大学非常勤講師を務め、定年後は、沖縄県広報アドバイザーを歴任した。
松本 行雄(まつもと ゆきお、1937年12月27日 - )… 松本 行雄(まつもと ゆきお、1937年12月27日 - )は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1960年に琉球大学文理学部商学科を卒業し、1948年6月に琉球銀行に入行。1983年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1997年6月には頭取に就任。2001年4月には相談役に退いた{。
上江洲 均(うえず ひとし、1937年10月16日 - 20… 上江洲 均(うえず ひとし、1937年10月16日 - 2017年12月17日)は、日本の民俗学者。名桜大学名誉教授。 沖縄県島尻郡久米島町生まれ。1961年琉球大学国文科卒業後、公立学校教諭を経て、1967年に琉球政府立博物館に学芸員として勤務した。1987年に沖縄県立博物館副館長を、1995年から2003年まで名桜大学国際学部教授を務めたほか、久米島博物館館長、沖縄民俗学会会長や『新沖縄県史』編集委員会会長などに就いた。 徹底的なフィールドワークを通じて沖縄・奄美地域の民具を研究した同分野の第一人者であり、沖縄民俗研究の組織化にも携わったことで知られる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
山里 朝盛(やまざと ちょうせい、1937年(昭和12年)4… 山里 朝盛(やまざと ちょうせい、1937年(昭和12年)4月18日 - 2014年(平成26年)1月14日)は、日本の政治家。沖縄県糸満市長。 琉球大学農学部卒業。糸満市収入役を経て、2000年市長選挙に立候補。元職の上原宜成を破り当選。2004年の選挙では、新人の西平賀雄に敗れ次点で落選。 2007年、旭日双光章。2012年からは糸満市社会福祉協議会会長を務めた。 2014年1月14日、癌で死去。
仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )… 仲里 利信(なかさと としのぶ、1937年3月16日 - )は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(1期)、沖縄県議会議長(第14代)、沖縄県議会議員(4期)を務めた。 沖縄県島尻郡南風原町生まれ。幼少期は沖縄戦を体験する。沖縄県立知念高等学校、琉球大学文理学部化学科卒業。卒業後は島ぞうり(ゴムぞうり)製造を主に手がける企業を設立し、同社代表を務める。 衆議院議員、参議院議員を務めた大城眞順の後援会事務局長を経て、1992年の沖縄県議会選挙に自由民主党公認で島尻郡選挙区から出馬し、初当選。自民党を離党して新進党に参加するが、1997年9月、新進党を離党し、自民党に復党した。4期16年にわたり県議を務め、2006年には沖縄県議会議長に選出された(~2008年)。
比嘉 昇(ひが のぼる、1935年〈昭和10年〉11月13日… 比嘉 昇(ひが のぼる、1935年〈昭和10年〉11月13日 - 1992年〈平成4年〉12月24日)は、日本の政治家。沖縄県浦添市長(4期)。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 沖縄県出身。1960年(昭和35年)3月、琉球大学文理学部法政学科卒業。その後は裁判所書記官として、沖縄の裁判所を転々とする。1971年(昭和46年)、退職して、弁護士となる。1972年(昭和47年)沖縄県議選に浦添市選挙区から無所属で立候補して当選した。同年6月25日に就任した。1974年(昭和49年)5月31日に自民党入りした。1976年(昭和51年)の選挙で再選を果たした。 1980年(昭和55年)の浦添市長選挙に自民党、民社党、新自由クラブ推薦の無所属で立候補し、社会党、共産党推薦、公明党支持の沖縄社会大衆党公認で現職の又吉盛一を破って初当選を果たした。
宮城 驍(みやぎ たけし、1935年6月8日 - )は、日本… 宮城 驍(みやぎ たけし、1935年6月8日 - )は、日本の空手家。沖縄県浦添市城間出身。沖縄小林流空手道協会範士十段。 沖縄小林流空手道協会第四代会長。沖縄伝統空手道振興会元副会長。沖縄県空手道連盟元会長・現顧問。浦添市城間3丁目7番14号にある宮城道場の創設者。兄は元浦添市長の宮城健一。 座右の銘・稽古理念は、「努力」「忍耐」「継続」「世界平和」。 空手を学んでいた父親に憧れ、高校3年生の時に空手を始める。琉球大学卒業後、教師になり定年まで中学校にて英語や社会科を教えた。 1953年(昭和28年)4月、首里高校空手クラブ入部(顧問は石川逢英)。 1954年(昭和29年)4月、高良繁に師事。
小島 瓔礼(小島 瓔禮、こじま よしゆき、1935年4月5日… 小島 瓔礼(小島 瓔禮、こじま よしゆき、1935年4月5日 - 2025年5月13日)は、日本の神話・民俗学者。琉球大学名誉教授。 神奈川県出身。神奈川県立厚木高等学校を経て國學院大學文学部卒、1963年同大学院国文学博士課程満期退学、琉球大学教育学部助教授、教授。2001年定年退官、名誉教授。1976年武田祐吉博士記念賞受賞。2000年、第39回柳田賞受賞。 2025年5月13日、神奈川県愛川町の自宅で死去した。90歳没。
金城 名輝(きんじょう めいき、1935年3月25日 - 2… 金城 名輝(きんじょう めいき、1935年3月25日 - 2003年10月12日)は、日本の経営者。オリオンビール社長を務めた。沖縄県那覇市出身。 1959年に琉球大学文理学部経済学科を卒業し、同年にオリオンビールに入社。1970年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1985年6月に社長に就任し、2003年6月までに務めた。 沖縄県工業連合会会長、沖縄電力取締役、琉球銀行監査役なども歴任。 2003年10月12日、心不全のために死去。68歳没。
山内徳信(やまうち とくしん、1935年2月15日 - )は… 山内徳信(やまうち とくしん、1935年2月15日 - )は、日本の政治家。前日朝国交正常化推進議員連盟幹事。 参議院議員(1期)、沖縄県出納長、読谷村長などを歴任。
米盛 裕二(よねもり ゆうじ、1932年3月10日 - 20… 米盛 裕二(よねもり ゆうじ、1932年3月10日 - 2008年3月19日)は、日本の哲学者、琉球大学名誉教授。 沖縄出身。1955年、琉球大学卒業。1960年、オハイオ州立大学大学院博士課程修了。チャールズ・サンダース・パースの哲学を日本に紹介した。
瑞慶覧 長方(ずけらん ちょうほう、1932年 - 2023… 瑞慶覧 長方(ずけらん ちょうほう、1932年 - 2023年8月18日)は、日本の政治家・植物学者。元沖縄県議会議員・沖縄社会大衆党委員長。前沖縄県南城市長・瑞慶覧長敏は長男、2024年の沖縄県議会議員選挙で当選した元南城市議会議員の瑞慶覧長風は孫にあたる(長敏の次男)。 沖縄県島尻郡大里村(現・南城市)出身。1945年6月に多数の民間犠牲者を出した沖縄戦の南部戦線を生き残り、米国統治下で琉球大学理学部に入学。1953年に高良鉄夫助教授を団長とする尖閣諸島の生物分布調査に参加している。大学卒業後、知念高校の教諭を経てサボテン研究家となり、特に南米産の品種を数多く紹介したことで沖縄の園芸界において広く名前を知られる存在となった。
照屋 善彦(てるや よしひこ、1932年 - 2026年3月… 照屋 善彦(てるや よしひこ、1932年 - 2026年3月2日)は、比較文化学者。琉球大学名誉教授。 沖縄県南風原町出身。琉球大学史学科卒。1958年米国コロラド大学大学院修士課程修了、1969年Ph.D.取得。 1958年琉球大学講師・助教授・教授、1998年定年退官、名誉教授、沖縄大学特任教授。2003年退職。 2026年3月2日、老衰のため南部徳洲会病院で死去した。93歳没。
宮里 政玄(みやざと せいげん、1931年(昭和6年)9月1… 宮里 政玄(みやざと せいげん、1931年(昭和6年)9月10日 - 2019年(平成31年)4月8日)は、日本の国際政治学者。琉球大学名誉教授。専門は、アメリカ外交史・日米関係。沖縄に関するアメリカ公文書などの研究の権威として知られる。 1931年、沖縄県国頭郡今帰仁村に生まれる。沖縄県立第三中学校(現在の沖縄県立名護高等学校)在学中に沖縄戦を迎えた。琉球大学を中退し、アメリカ合衆国のマスキンガム大学(英語版)へと留学した。その後は琉球銀行勤務を経て、1957年(昭和32年)に再び渡米してオハイオ州立大学大学院に留学し、インドネシアやベトナムなどに対するアメリカのアジア外交や統治政策を学修し、1961年(昭和36年)に論文『南アジアの中立主義に対するアメリカ外交 一九四七年から一九五五年』により博士号を取得した。
半嶺 当泰(はんみね とうたい、1929年〈昭和4年〉9月5… 半嶺 当泰(はんみね とうたい、1929年〈昭和4年〉9月5日 - 2019年〈平成31年〉4月14日)は、日本の政治家。元沖縄県石垣市長(1期)。 石垣市生まれ。旧制沖縄県立八重山中学校卒。琉球大学語学部国語科中退。自治大学第二部課程修了。石垣市大浜支所総務課長や議会事務局長などを歴任した。1970年(昭和45年)石垣市議会議員に当選し、5期務めた。この間、1982年(昭和57年)9月から1990年(平成2年)3月まで第11・12代市議会議長を務めた。 1990年(平成2年)、任期途中で市議を辞職した。同年の市長選挙に立候補して、5選を現職の内原英郎を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:88.85%(前回比:-pts) 1994年(平成6年)の市長選に再選を目指して立候補したが、元沖縄県立八重山病院長の大濱長照に敗れた。
大城 皓也(おおしろ こうや、1911年(明治44年)4月1… 大城 皓也(おおしろ こうや、1911年(明治44年)4月14日 - 1980年(昭和55年)7月12日)は、沖縄県出身の洋画家。二科会会員。 1918年(大正7年)、沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)に入学し、在学時に美術教師・比嘉景常の指導を受ける。1934年(昭和9年)、東京美術学校を卒業する。 1936年(昭和11年)、沖縄県の私立開南中学校(沖縄戦により廃校)の美術教師となる。沖縄美術展覧会の創設に参加した。 太平洋戦争後、名渡山愛順・安谷屋正義らと首里儀保町のニシムイ美術村にアトリエを設ける。1950年(昭和25年)には琉球大学助教授に就任した。 代表作に久高島の祭事・イザイホーに取材した『神々の誕生』などがある。
島袋 千恵美(しまぶくろ ちえみ、7月21日- )は、日本の… 島袋 千恵美(しまぶくろ ちえみ、7月21日- )は、日本のラジオパーソナリティ、司会者。沖縄県を拠点に活動し、琉球放送(RBCiラジオ)のラジオ番組に出演している。 沖縄県うるま市出身。うるま市立兼原小学校、うるま市立具志川中学校、沖縄県立球陽高等学校、琉球大学を卒業。大学卒業後は司会やナレーションなど放送関連の業務に携わり、フリーランスとして活動を行ってきた。 ラジオ番組出演のほか、放送局主催イベントや式典などで司会を務めることがある。