三田村 元(みたむら はじめ 、1935年10月10日 - … 三田村 元(みたむら はじめ 、1935年10月10日 - )は、日本の俳優。本名、村瀬 桂造。旧芸名は村上 文二。 愛知県江南市布袋伝馬町出身。大映、東京俳優生活協同組合、赤坂プロ、日活、アローエンタプライズ、ユーアイプロに所属していた。 実家は村瀬酒造。父親が陸軍軍人であり、各地を転々としていた事情から、幼少時は兄や姉と共に祖父の家で暮らしていたが、問題児であったことを見かねた父親に母親とともに呼び寄せられ、静岡県三島市、千葉県銚子市、千葉県四街道市などで2年間父と過ごした後、愛知に戻り、江南市立布袋小学校入学。負けず嫌いな性格であったことが功を奏し、2年生から卒業までは学年でトップの成績だったとされる。
原田 清人(はらだ きよと、1935年9月2日 - )は、日… 原田 清人(はらだ きよと、1935年9月2日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 大分県日田市出身。大分県立日田林工高等学校卒業、日本大学卒業。劇団俳優座に所属していた。 現日田市長、原田啓介は甥にあたる。[要出典] 1958年、俳優座養成所(10期生)に入り、その後、劇団俳優座に入団。 舞台出演のほか、テレビドラマ、映画にわき役として多数出演した。一時期、原田樹世土名義で活動していた時期もある。 1968年、連続テレビ小説『あしたこそ』に主人公の兄、香原大輔役で出演。 1998年、舞台『遅咲きの花のワルツ』を最後に俳優座を退団。
沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 202… 沢本 忠雄(さわもと ただお、1935年7月2日 - 2022年6月5日)は、日本の俳優。三重県松阪市出身。白木万理は元妻にあたる。 1958年、日本大学芸術学部(映画科・演出/シナリオ)卒業。日活に入社。公式のデビュー作は南田洋子主演で、南田の弟役を演じた『雌花』(1957年、阿部豊監督作品)であるが、その前に同じ南田主演の『素足の娘』でエキストラ出演している。そのエキストラ出演で阿部に認められて『雌花』に起用されたという。 1958年に『十代の恋よさようなら』(小林桂三郎監督作品)にて初主演。以後は『嵐を呼ぶ友情』、『群衆の中の太陽』、『青春蛮歌』、『祈るひと』等、数々の作品に出演し、日活映画の顔となる。
松本 敏男(まつもと としお、1935年5月30日 - )は… 松本 敏男(まつもと としお、1935年5月30日 - )は、日本の俳優。 東京府(現・東京都)出身。日本大学卒業。劇団近代派、銀座プロを経て、楡プロに所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年7月25日 - … たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年7月25日 - 2015年6月18日)は、日本の俳優、声優、芸能プロモーター。本名は立壁 和也(読みは同じ)で、1970年代までは本名で活動していた。血液型はA型。設立時より死去するまでケンユウオフィス取締役を務めていた。
北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉… 北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉3月20日 - )は、日本の俳優。本名・旧芸名は細川 隆一(ほそかわ りゅういち)。北海道小樽市出身。 日本大学芸術学部中退。 1950年代後半ごろに東宝の専属俳優となって、本名の細川隆一名義で数多くの作品に出演した。専属制度が崩壊した1971年以降は北川陽一郎と芸名を付け、エヌ・エー・シーの専属として主にテレビで活動する。 その後、活動の拠点を北海道に移し札幌市に「NACタレントセンター札幌」を開設、1980年には劇団「劇団道」を創設する。 2005年にNACタレントセンター札幌を「北海道俳優養成所」と独立改称し、現在代表、主宰を務めている。
勝部 義夫(、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2023… 勝部 義夫(、1934年〈昭和9年〉3月19日 - 2023年〈令和5年〉5月)は、日本の元俳優。島根県大田市波根町出身。日本大学芸術学部映画科卒業。 1953年、大学入学と同時に帝国劇場の研究生となり、翌年に正式な劇団員となる。 1955年に東宝専属となり、1956年に公開された東宝配給作品『白夫人の妖恋』(豊田四郎監督)でデビュー。 その後も多数の作品でバイプレイヤーとして活躍。合計327本の映画に出演。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「決定打的な役はないが、常に何らかのかたちで画面に登場してくる不思議な俳優」と評している。 テレビドラマでも『ウルトラセブン』の準レギュラー・ウエノ隊員をはじめ多数の作品に出演。
佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年… 佐藤 允(、1934年〈昭和9年〉3月18日 - 2012年〈平成24年〉12月6日)は、日本の俳優。身長173 cm、体重71 kg。 佐賀県神埼郡神埼町(現:神埼市)出身。日本大学第三高等学校卒業。息子は映画監督の佐藤闘介。 4歳の頃に父が戦死し、教員の母の手一つで育てられた。なお佐藤の父親は生前、陸軍の久留米連隊に所属しており、後年に役者として軍人を演じる際は幼少期に見た父親の立ち居振る舞いが大いに影響されているとのこと。 高校卒業後、1953年に俳優座養成所に第4期生として入団。同期には宇津井健・佐藤慶・仲代達矢・中谷一郎らがいる。なお、佐藤、仲代、中谷の3人は、後年に岡本喜八の「喜八一家(ファミリー)」の一員と見なされた。
ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2… ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2月25日 - 2019年〈平成31年〉4月8日)は、日本のコメディアン、タレント・俳優。本名:門脇 貞男(かどわき さだお)。主なギャグに、インターンからUターンして、セニュール、グラッチェ、よし子、などがある。 白衣姿で黒板やホワイトボードを用いる医事漫談の創始者だった。『笑点』など、テレビのお笑い/寄席番組でも人気を博した。俳優としても活躍した。シングル、アルバムもリリースしている。 山形県最上郡最上町出身。母方は先祖代々医師の家系であり、母・シヅエは生涯現役で診察を務めた産婦人科医であり、ケーシーの姉も医師、父は海外出張の多い商社マンで、レコードの収集家だった。
宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1… 宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日)は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。 妻はエッセイスト、宍戸游子。宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、郷鍈治は実弟、ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。 父の左義右は1898年9月、現在の福島県伊達市に生まれた。兄に義一郎がいた。錠によれば母の文は神奈川県横浜市出身だが、母親自身の話では父(錠の祖父)が台湾総督の副官であり、台湾で生まれ、父の転勤で日本へ戻り、静岡県浜松市で育ったと述べている。
五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2… 五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2013年8月31日)は、日本の俳優。長野県諏訪市出身。愛称はゴミリュウ。別名義に五味 竜太郎(読みは同じ)。旧芸名に五味 勝雄(ごみ かつお)、五味 勝之介(ごみ かつのすけ)。本名は山本 勝雄(やまもと かつお)。旧姓は五味。 1952年(昭和27年)、長野県岡谷南高等学校を卒業して日本大学藝術学部映画学科に進学。1954年(昭和29年)に大学を中退し、松竹音楽学校付属研究所を経て1955年(昭和30年)に第2期東映ニューフェイスとして東映へ入社。同期には高倉健・丘さとみ・今井健二らがいる。入社して半年後、劇団俳優座養成所の委託生として更に半年を過ごし、翌1956年(昭和31年)に東映京都撮影所専属で片岡千恵蔵主演の『三つ首塔』でデビューを果たす。
上野山 功一(うえのやま こういち、1933年3月7日 - … 上野山 功一(うえのやま こういち、1933年3月7日 - 2023年1月22日)は、日本の俳優。本名は、上野山 貢之介(こうのすけ)。 東京市中野区沼袋出身。日本大学藝術学部映画学科中退。グループ71、オールスタッフ、小市事務所を経て、ダテ企画所属。 父は日本画壇の鬼才と呼ばれた洋画家の上野山清貢。戦時中は福島県三春町に疎開する。 劇団手織座を経て、1958年に日活入社。その時に鈴木清順監督から「君はワルに向いている」と言われたことがきっかけで悪役俳優の道へ進む。1959年に映画『昼下がりの暴力』で正式デビュー。『刑事物語 知り過ぎた奴は殺す』『刑事物語 犯行七分前』(ともに1960年)の犯人として準主役を演じ、1965年に日活を離れるまで『流れ者』シリーズなどの日活暗黒街の常連悪役として定着。
戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 198… 戸田 皓久(とだ あきひさ、1933年2月26日 - 1981年9月1日)は、日本の俳優、声優。神奈川県鎌倉市出身。東京演劇アンサンブルに所属していた。 1951年に日本大学第三高校を卒業し、俳優座養成所三期生となる。同期には、小山田宗徳や穂積隆信、楠侑子などがいる。 翌1954年、卒業と同時に同期生の本郷淳らと劇団三期会を結成。演劇活動に乗り出す一方、劇団ユニットで『スーパーマン』など多くの吹き替えに出演し声優としても活動。その後はテレビドラマにも出演するようになる。 1967年、劇団三期会を東京演劇アンサンブルと改称し舞台公演を行う一方で声優、俳優としての活動も続け、主に味のある脇役、悪役として助演した。
小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、… 小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、日本の男性声優、俳優。奈良県出身。『W3』のノッコ役で知られる。 日本大学卒業後、東宝芸能学校演技科を経て、東宝劇団に所属。『恋すれど恋すれど物語』が初舞台。その後、シバプロ、鷹の会を経て、1969年4月、六芸社に所属。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は… 小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属。創立メンバーの一人でもある。主な出演作は『妖怪人間ベム』(1968年)のベム、『ルパン三世』シリーズの次元大介など。また、『SASUKE』、『中居正広の金曜日のスマたちへ』、『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』等のナレーションも多く担当。洋画ではジェームズ・コバーン、リー・マーヴィンの専属吹き替えをしている。
石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日… 石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日 - 2018年〈平成30年〉12月19日)は、日本の俳優、空手家。段位は剛柔流九段・極真カラテ七段。本名:石橋 雅美()。 台湾花蓮港庁花蓮港街で生まれ、福岡県柳川市へ転居。福岡県立伝習館高等学校、日本大学藝術学部演劇学科卒業。竹内事務所に所属していた。 父は職業軍人で、弟が二人いる。終戦で福岡県柳川市へ引き揚げ、高校卒業まで過ごす。 1956年、大学卒業と同時に文化座演劇研究所、文学座付属演劇研究所に入り俳優の道を進む。やがて文化座の劇団員となるが、八百屋の小僧、パチンコ屋の店員、荷かつぎ人夫、学生時代から修行をしている空手では大山道場と草創期の極真会館で師範代をして生活費を稼ぎ、演劇『その人を知らず』(1957年)、『炎の人』(1958年)などの舞台に立つ。
勝木敏之(かつき としゆき、1933年 - )は、青森県出身… 勝木敏之(かつき としゆき、1933年 - )は、青森県出身の元俳優。本名は長内章蔵。昭和30年代に放送されて人気を博した連続テレビドラマ『快傑ハリマオ』のハリマオ役として知られる。 1933年、青森市に生まれる。 1952年、青森県立青森工業高等学校電気科を卒業後、日本大学芸術学部映画学科に進学。 1956年、劇団俳優座の演劇研究所付属俳優養成所の第8期生となる。同期には山﨑努・水野久美・山本耕一・河内桃子・柳川慶子などがいる。 1960年から1961年まで日本テレビ系列で放送された宣弘社製作のテレビドラマ『快傑ハリマオ』では、一般公募による200人の中から主役に選ばれてハリマオを演じた。芸名は、LP「なつかしの少年映画名作劇場 快傑ハリマオ」に寄せた安井ひさしの紹介によると、宣弘社社長の小林利雄が自分の名前の「利」を「敏」に変えて命名したと言う。
葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 19… 葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 1993年1月3日)は、日本の俳優。千葉県鴨川市出身。本名は山口 良一郎。妻は浜田ゆう子。 日本大学経済学部在学中に1953年度ミスター平凡グランプリの栄冠に輝いたのが縁で、日活第2期ニューフェイスとなる。日活スターの一人として数々の映画に出演した。 映画産業の斜陽化後はテレビに活動の場を移し『非情のライセンス』の四方刑事、『特別機動捜査隊』の日高主任などを演じる一方、重厚な悪役としても活躍。時代劇の黒幕役などで憎々しい演技を見せた。また事業経営にも乗り出し、1977年に名古屋で舶来雑貨店、1980年に東京・銀座で宝石店を開くが、1985年に手形詐欺に遭い両店共に倒産した。
川野 耕司(かわの こうじ、1932年7月27日 - )は、… 川野 耕司(かわの こうじ、1932年7月27日 - )は、日本の俳優、声優。本名・旧芸名は川野 孝司。群馬県出身。 身長173cm→172cm。体重63kg→69kg。 日本大学芸術学部卒業。 1952年、劇団ぶどうの会入会。劇団白鳥座設立、劇団造形を経て、エヌ・エー・シー、東企画に所属していた。 1970年代後半より高崎 良三に改名。 趣味はスキー、水泳。
海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は… 海野 かつを(うみの かつを、1932年4月29日 - )は、日本の芸人・俳優・声優。本名は海野 教麿(うんの きょうまろ)。旧名:海野かつお。東京府東京市(現・東京都区部)出身。 代々浅草区育ちで、実家は仁丹塔の傍のお好み焼き屋。来店する芸人に幼少時より可愛がられ、1944年の大映作品『五重塔』に子役で初出演。 戦後コメディアンを志し、日本大学第一高等学校を休学してムーランルージュ新宿座で演出見習として働き始めた途端に閉館の憂き目に遭い、同高に復学して卒業。東京吉本のシミキン一座に入り、浅草花月劇場のストリップの幕間コントで初舞台を踏んだ。 その後は脱線トリオ一門に移り、浅草フランス座をホームグラウンドに活動した。
和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日… 和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日 - 1981年〈昭和56年〉1月18日)は、日本の声優、俳優。東京府日本橋区(現:東京都中央区)出身。東京俳優生活協同組合に所属していた。 東京府日本橋区(現:東京都中央区)で誕生。 日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1954年、ドラマグループ二十一世紀参加。劇団新芸設立を経て、一時的に芸能界から離れていたが復帰。1957年、金星プロ所属、1959年、PTC芸能部所属、東京俳優生活協同組合、笹の会、文芸プロを経て、再び東京俳優生活協同組合に所属していた。 『ジ・アニメ』で連載されていた『勝田久の声優入門』にあるニュースによると、1981年当時は、体調が悪かったものの、同年1月17日夕刻まで、CM録音に奮戦して、帰宅後に胸の苦しみを訴えて直ちに入院。
伊藤 正博(いとう まさひろ、1932年2月6日 - )は、… 伊藤 正博(いとう まさひろ、1932年2月6日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。 日本大学芸術学部卒業。かつては、劇団宗芸、東京映画、タレントエージェント、劇団東芸、プロダクション・エムスリー、希楽星に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8… 杉浦 直樹(すぎうら なおき、1931年〈昭和6年〉12月8日 - 2011年〈平成23年〉9月21日)は、日本の俳優。フリーランス。血液型はB型 愛知県岡崎市に、杉浦仙次郎の次男として生まれる。兄に康雄、弟に俊也、2人の妹がいる。祖父は実業家の3代目杉浦銀蔵。従兄は数学者で東京大学名誉教授の杉浦光夫で、父の兄である英一の次男。戦争末期、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に入学。1945年、学徒動員により日清紡績美合工場に送られ、終戦まで飛行機を作る毎日を送る。 1946年春、当時岡崎中学校で教鞭を執っていた画家の山本鍬太郎が演劇部を設立すると、すぐに入部。1948年4月の学制改革により愛知県立岡崎北高等学校に移る。
中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本… 中山 豊(、1931年〈昭和6年〉9月23日 - )は、日本の元俳優。兵庫県姫路市出身。日本大学芸術学部卒業。 1950年に演劇で活動していたところを千葉泰樹や藤本眞澄に認められ、千葉の監督作品『山のかなたに』(藤本プロ・新東宝)でデビューする。 1954年に東宝と専属契約し、千葉の監督作品に常連として出演するほか、岡本喜八、谷口千吉、本多猪四郎、須川栄三らの各監督にも多く起用され、特撮、時代劇、戦争映画などジャンルを問わずに出演する。コミカルな演技でバイブレイヤーとして活躍し、東宝の映画に数多く出演するなか、テレビドラマにも出演し、活動の幅を広げていった。 1970年代に入り、東宝俳優専属システムの崩壊を経て数多くの専属俳優が引退する中、中山もそれに伴って引退し、映画界から姿を消した。
島田 竜三(しまだ りゅうぞう、1931年3月21日 - 没… 島田 竜三(しまだ りゅうぞう、1931年3月21日 - 没年不明)は、日本の俳優。旧芸名、沖 諒太郎。 日本大学芸術科卒業。劇団俳優座研究所出身。1954年、宝塚映画製作所に入社し、翌年にデビュー。東宝を経て、1958年に大映に入社。 以下に日本映画データベースに従い公開日、作品名、製作会社、役名を記載。
笹山 栄一(ささやま えいいち、1931年3月13日 - 2… 笹山 栄一(ささやま えいいち、1931年3月13日 - 2022年3月15日 )は、日本の俳優、声優。三重県出身。 劇団東演所属。日本大学芸術学部卒業。1952年11月、新演劇研究所に入所し、1958年12月まで在籍。1959年4月、劇団東演(旧:東京演劇ゼミナール)の創設に参加。劇団と並行して東京俳優生活協同組合に所属していた時期もある。
横山 あきお(よこやま あきお、本名:横山 孝信、旧芸名:青… 横山 あきお(よこやま あきお、本名:横山 孝信、旧芸名:青空あきお・横山あきを、1930年9月26日 - 2014年6月20日)は、日本の俳優、コメディアン。最終所属は優企画。 富山県富山市出身。日本大学芸術学部中退。 元は映画監督志望で上京し、大空ヒットに師事。 最初は兄弟子の大空はるか(後のケーシー高峰)と「大空はるか・かなた」を組み、そこそこ売れたが、長続きせずに解散。次いで兄弟子の大空曇天、大空かんだとコンビを組み「大空はるか・かなた」を継続させたが、大空ヒットから破門される。 コロムビア・トップの青空一門に移籍して青空はるおと「青空はるお・あきお」を結成。1967年『NHK漫才コンクール』で優勝し、その実力を認められた。
柳瀬 志郎(やなせ しろう、1930年〈昭和5年〉2月16日… 柳瀬 志郎(やなせ しろう、1930年〈昭和5年〉2月16日 - 2021年〈令和3年〉1月4日)は、日本の映画俳優。群馬県出身。旧芸名は萩志郎。本名:柳瀬 堅志郎(やなせ けんしろう)。旧姓:萩原。 群馬県前橋市に、のちに群馬県議会議員をつとめる萩原富士太郎の子として生まれる。日本大学芸術科を卒業。 日活ニューフェイス第2期生としてデビュー。石原裕次郎の出世作「嵐を呼ぶ男」で競演し、その洒脱な演技が注目された。1962年の「男と男の生きる街」では、脇役ながら渋い演技を見せた。この作品は、平成時代のヒットドラマ「僕と彼女の生きる道」に色濃く反映されている。 1971年日活を退社してフリーとなる。
逗子 とんぼ(ずし とんぼ、1929年11月5日 - )は、… 逗子 とんぼ(ずし とんぼ、1929年11月5日 - )は、日本の俳優、コメディアン。 日本大学芸術学部卒業。大学卒業後、新派の地方巡業一座、清水金一一座などで下積み生活を送る。1955年、これで芽が出なかったら廃業することを考えながら、三木鶏郎主宰のトリローグループに参加し、三木門下に入る。芸名も三木が名付けた。芸名はみんなで海水浴に行った時に生まれたという。昭和30年代初め頃(1955年頃)から歌と洋舞とコントの得意な“二枚目半”として活躍。色川武大は彼の風貌をして「万年青年のよう」と評し、その風貌は「どの番組に出ても邪魔にならない」として「各テレビ局がまだ整備されていなかった時代、重量感のある番組が制作出来なかった当時は打って付けのタレントだった」としている。
草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年〈昭和4年〉9… 草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年〈昭和4年〉9月19日 - 2007年〈平成19年〉11月11日)は、日本の俳優。 東京市北豊島郡王子町(現:東京都北区)出身。日本大学文学部哲学科中退。劇団民藝を経て、アクターズカンパニーに所属していた。 長男の草薙仁は俳優で、長女の草薙かおりも元女優。 1941年、巣鴨商業に入学したものの、戦災により、津市立励精商業へ転校して卒業。 戦後、日本大学文学部哲学科へ進学するも中退。 定職もなく過ごすうち、1951年に土方与志の人民演劇集団の移動隊に加わって農漁村を巡回。翌年から本格的に新劇俳優を志して劇団民芸の勉強会に研究生として入団。 1956年から1971年に退団するまで民芸の一員として『郡上の立百姓』『イルクーツク物語』ほかの舞台に立つ。
北原 義郎(きたはら よしろう、1929年3月11日 - 2… 北原 義郎(きたはら よしろう、1929年3月11日 - 2022年6月3日)は、日本の俳優、声優である。本名は中野 義雄(なかの よしお)。 北海道室蘭市出身。オーティ企画、西村事務所に所属していた。 日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)卒業。 大学在学中に大映第4期ニューフェイスに合格。1953年『血闘』でデビュー。アクション作品『豹の眼』の主役など二枚目役で活躍した後、渋いバイプレイヤーに転向。実生活では山本富士子の恋人であった。 大映倒産後の1970年代からはテレビドラマに活躍の場を移し、時代劇の悪代官や刑事ドラマの悪徳社長や悪徳弁護士など、主に悪役を演じる。特に、卑屈で狭量な権力者役に持ち味を発揮した。
安井 昌二(やすい しょうじ、1928年8月16日 - 20… 安井 昌二(やすい しょうじ、1928年8月16日 - 2014年3月3日)は、日本の俳優。本名:四方 正雄(よも まさお)。旧芸名は四方正夫。「劇団新派」所属。 東京府出身。日本大学法文学部中退。長谷川一夫主宰の劇団・新演伎座、俳優座養成所(3期)を経て、活動再開まもない日活映画の専属俳優となり『月は上りぬ』(1955年、田中絹代監督)で映画デビューを果たす。これを機に芸名を四方正夫から、役名の「安井昌二」へと改名した。1956年に市川崑監督の映画『ビルマの竪琴』の主役・水島上等兵を演じたことで一躍人気を得る。1960年代以降はテレビや舞台へと活動拠点を移し、妻・小田切みきと二人の娘四方正美、四方晴美と夫婦親子役で出演した『パパの育児手帳』『チャコちゃん』などでお茶の間においても人気者となった。
名川 貞郎(ながわ さだお、1927年8月6日 - 2021… 名川 貞郎(ながわ さだお、1927年8月6日 - 2021年4月15日)は、日本の俳優。 宮城県出身。東京俳優生活協同組合所属にしていた。身長164cm。体重65kg。日本大学芸術学部卒業。 2021年4月15日18時13分、老衰のため死去。満93歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2… 鈴木 昭生(すずき しょうせい、1927年6月19日 - 2009年8月18日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 長男はムーンライダーズの鈴木慶一、次男は同じくムーンライダーズの鈴木博文。 東京都立青山高等学校卒業。日本大学専門部工科卒業。身長169cm、体重55kg。声域はバリトン。 1947年2月15日、劇団文化座入団。その後、九プロダクションに所属していた。 2004年に咽頭癌を患い、その後2006年に咽頭及び声帯切除により芸能活動を引退、治療に専念していたが、2009年8月18日、自宅にて心不全により死去。82歳没。
杉 義一(すぎ ぎいち、1927年6月7日 - 2017年3… 杉 義一(すぎ ぎいち、1927年6月7日 - 2017年3月20日)は、日本の元俳優。京都市右京区太秦出身。本名は杉 義一(すぎ よしかず)。 俳優・杉狂児の長男として生まれる。明星学園在学中の1941年、児童劇団かもしか座が創立されると同時に入団する。帝国劇場で初舞台。1942年、NHKラジオ『潜水飛行機 とびうお号』にレギュラー出演。明星学園卒業後、日本大学文学部に入るが、1947年5月に中退。同年7月に創立した東横映画に父・狂児と共に入社。同年、東横映画第1回作品『こころ月の如く』が映画デビューとなる。 1967年、東横を退社してフリーとなり、1973年から1975年までは千葉真一のジャパン・アクション・クラブの代表を務めた。
相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 19… 相原 巨典(あいはら きょすけ、1927年6月5日 - 1990年3月2日)は、日本の俳優。本名は相原 巨介。 東京府東京市蒲田区出身。日本大学芸術学部映画学科中退。東宝、日活 を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。 1946年、東宝ニューフェイス第1期に合格。1955年に日活へ移籍。映画やテレビドラマなどで脇役として活躍した。 1990年3月2日、狭心症のため死去。62歳没。 特技は柔道、乗馬、殺陣。
浜口 喜博(はまぐち よしひろ、1926年〈大正15年〉6月… 浜口 喜博(はまぐち よしひろ、1926年〈大正15年〉6月23日 - 2011年〈平成23年〉8月10日)は、香川県出身の競泳選手、俳優。 1952年ヘルシンキオリンピック男子800m自由形リレー銀メダリスト。引退後は俳優に転向するも、その後は日本水泳連盟役員を歴任、死去時は顧問を務めていた。 1926年6月13日、香川県香川郡雌雄島村大字男木(男木島、現・香川県高松市男木町)にて出生。香川県立大川中学校(現・香川県立三本松高等学校)、日本大学卒業。 1952年のヘルシンキオリンピック男子800m自由形リレーで鈴木弘、後藤暢、谷川禎次郎とともに銀メダルを獲得。自由形100mでも準決勝に進出し、わずかの差で決勝進出を逃している。
内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月… 内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月16日 - 2012年〈平成24年〉8月21日)は、日本の俳優、ナレーター。本名は同じ。 福岡県小倉市出身。旧制常磐中学校、日本大学予科卒業。劇団民藝、其田事務所を経て、さいど事務所に所属していた。 血液型はAB型。身長165cm、体重60kg。 映画制作を志し、俳優養成所へ入所。当初は演出家希望だったが、指導者の勧めで演劇コースへ進む。 1950年、宇野重吉・加藤嘉・北林谷栄・鈴木瑞穂らと共に劇団民藝の創立に参画するも、1970年に退団。 1952年に公開された吉村公三郎監督の『暴力』でスクリーンデビュー。 大河ドラマへ多数出演したほか、山口百恵主演の赤いシリーズでは3作品でナレーションを担当していた。
佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日… 佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日本の俳優・童話作家・実業家。神奈川県横浜市、現在の保土ケ谷区出身。アクターズ・セブン所属。身長168cm。神奈川県立横浜第三中学校卒業。
近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 … 近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 - 1992年4月28日)は、日本の俳優。埼玉県川越市出身。 日本大学専門部芸術科(現・藝術学部)卒業。1944年に東宝に入社。1953年に東宝を退社しフリーランスとなる。1955年に日活に入社。その後はシナリオ文芸協会に所属していた。アクション映画を中心に主に悪役で活躍。 1960年代後半からはテレビドラマにも本格的に進出し、バイプレイヤーとして様々な役柄を演じた。 1992年4月28日午後4時10分、急性心肺機能不全のため、東京医科大学病院にて死去。66歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2… 高城 淳一(たかぎ じゅんいち、1925年1月20日 - 2011年8月18日)は、日本の俳優、声優。演出家。本名:依田 郁夫(よだ いくお)。妻は女優の西乃砂恵(再婚)。 大阪府大阪市出身。東京府立第三中学校卒業。日本大学芸術科(現:日本大学藝術学部)中退(戦況悪化のため)。 1943年、劇団文芸劇場に入団。1945年に大学を中退した後、青年演劇集団に参加。1947年12月に劇団創造座に入団し、1949年12月まで所属、1950年6月、田中明夫、前沢迪雄、西乃砂恵、真木恭介、三島雅夫とともに劇団七曜会を設立に参画。1956年に劇団が分裂した後は七曜会の代表となり、演出家として活動も開始。1963年6月に七曜会を解散し、フリーランスで活動。
成瀬 昌彦(なるせ まさひこ、1924年9月30日 - 19… 成瀬 昌彦(なるせ まさひこ、1924年9月30日 - 1997年11月)は、日本の俳優、演出家。本名同じ。織田プロに所属していた。 東京市(現:東京都文京区)出身。日本大学専門部芸術科(現:日本大学藝術学部)卒業。劇団青年座初代座長。映画やテレビドラマにも数多く出演し、個性的な存在感を見せた。 1940年代から俳優座系の移動演劇団「芙蓉隊」に参加し、戦後も劇団俳優座に加わるが、創作演劇の上演を目指すべく1954年に脱退。森塚敏、山岡久乃、東恵美子、初井言榮ら有志と創作劇団「青年座」を立ち上げ、初代の座長として同劇団の礎を築く。彼らが育んだ青年座は後に大勢の人材を輩出し、今や日本を代表する大劇団となっている。
三田 隆(みた たかし、1924年6月13日 - 1961年… 三田 隆(みた たかし、1924年6月13日 - 1961年1月1日)は、日本の俳優である。本名は国木田 篤夫(くにきだ あつお)。旧芸名は木田 篤夫(きだ あつお)、重光 彰(しげみつ あきら)、重光 彬。 1924年6月13日、東京府東京市(現在の東京都)に小説家国木田独歩の長男であり、詩人・映画作家の国木田虎雄の子として生まれる。 小学生時代の1938年、木田篤夫という芸名で東京発声映画製作所が製作した阿部豊監督映画『太陽の子』に、不良少年を教化する農園に収容される少年役で映画デビュー。ただし日本映画データベースでは、本名で出演としている。その後、日本大学専門部芸術科美術課程で商業美術を専攻して卒業後、東和商事映画部に入社する。
三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 19… 三木 のり平(みき のりへい、1924年4月11日 - 1999年1月25日)は、日本の俳優・演出家・コメディアン。日本喜劇人協会第5代会長。本名は田沼 則子()。長男は、コメディアンの小林のり一。 東京市日本橋区浜町(現:東京都中央区日本橋浜町)生まれ。母は待合「芳柳」を営んでいた。 1942年、旧制日本大学第一中学校を卒業。日本大学法文学部芸術学科に入学し、同期生には映画科に小沢茂弘・沼田曜一がいた。大学には当初画家を目指して入学したが、その後舞台美術に興味を持ったことで演劇学科に転籍し、1947年に同学科を卒業。 その後慰問公演の俳優に欠員が出てその穴埋めとして出演を頼まれたのを機に、新劇の世界に入ることになった。
前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年… 前沢 迪雄(まえざわ みちお、1924年1月10日 - 没年不明)は、日本の俳優、声優。東京府出身。 日本大学芸術学科卒業。1950年6月、田中明夫、真木恭介、西乃砂恵、高城淳一、三島雅夫とともに劇団七曜会の創立に参加、1955年、劇団葦の創立に参加、その後、フリーランス期間、風の会を経て、プロダクション・エムスリーに所属。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月2… 太宰 久雄(だざい ひさお、1923年〈大正12年〉12月26日 - 1998年〈平成10年〉11月20日)は、日本の俳優。大宰 久雄と表記されることもある。 映画『男はつらいよ』シリーズのタコ社長(桂梅太郎)役で有名な俳優である。同映画において渥美清演じる車寅次郎との掛け合いは見所のひとつであった。 東京市浅草区千束町(現在の東京都台東区浅草千束)出身。浅草の荒物雑穀商、海苔問屋・佐野屋の息子として生まれる。タコ社長役で見られた髪型は、父・久吉をモデルにしたもので、当時の浅草の海苔問屋の商人たちの間で流行っていた髪形であるといわれている。この独特のウェーブは魚の鯔の背中の姿を模しているため、イナセと呼ばれる江戸時代に流行ったスタイルでもあった。
岡部 正(、1923年〈大正12年〉5月11日 - 没年不詳… 岡部 正(、1923年〈大正12年〉5月11日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。 同姓同名で医学博士の岡部正とは別人である。 1923年(大正12年)5月11日、埼玉県入間郡飯能町(現・飯能市)に生まれる。日本大学芸術科を卒業。 小学校教諭を経て東宝の専属俳優となり、戦後の早い時期から1970年代前半にかけて、ジャンルを問わず多くの作品に出演した。主に端役、時には脇役として活躍。 東宝特撮映画も多く出演し、学者や医師、またはそれらの助手など白衣の役が多い。また、クレージー映画の出演も多数ある。 1960年代にはテレビドラマにも出演。ウルトラシリーズでは、1966年(昭和41年)に放送された『ウルトラQ』の一の谷博士(江川宇礼雄)の助手・本多や、翌1967年(昭和42年)に放送された『ウルトラセブン』の医師・キタムラ博士を演じた。
川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 20… 川部 修詩(かわべ しゅうじ、1922年4月17日 - 2006年4月3日)は、日本の俳優、脚本家、映画評論家、雑誌編集者である。旧芸名川部 守一(かわべ しゅいち)。筆名の秋田 謙三(あきた けんぞう)では、テレビ台本の執筆、記録映画の製作を行う。日本映画ペンクラブ会員。麹町区第22代区長の川部爽介は実父である。 1922年(大正11年)4月17日、東京府豊多摩郡渋谷町(現在の東京都渋谷区)に生まれる。父の爽介は旧天童藩士で、川部が満3歳であった1925年(大正14年)8月に東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)の区長に就任し、川部が満7歳を目前にし尋常小学校就学直前であった1929年(昭和4年)3月まで同職を務めた。
北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 19… 北山 年夫(きたやま としお、1922年1月16日 - 1994年2月25日)は、日本の男性俳優、声優。劇作家、演出家。東京都出身。 日本大学芸術科卒業。 1944年、瑞穂劇団に入団。1947年、新協劇団入団。1958年、東京芸術座入団。1963年の時点では東京俳優生活協同組合に所属。1965年の時点では劇団砦に所属していた。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
武内 文平(たけうち ぶんぺい、1921年11月15日 - … 武内 文平(たけうち ぶんぺい、1921年11月15日 - )は、日本の俳優。本名同じ。別名義:五藤 雅博(ごとう まさひろ)。 岡山県備前町出身 。日本大学芸術科卒業。 日本統治時代の朝鮮の全羅南道光陽郡で生まれる。大学卒業後、1947年、劇団文化座の創立に参加。その後は、劇団創造座を経て、劇団七曜会に入団、1957年に退団した後はグループ・てえぶらに所属し、活動の中心をラジオに移す。その後、富士放送プロ、つくしグループ創立参加。風の会、エヌ・エー・シー、楡プロダクション、サン・プロモーションに所属していた。北海道深川市在住。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。