斎藤 洋介(さいとう ようすけ、1951年〈昭和26年〉7月… 斎藤 洋介(さいとう ようすけ、1951年〈昭和26年〉7月11日 - 2020年〈令和2年〉9月19日)は、日本の俳優。才賀京子事務所を経て、アクトレインクラブに所属していた。 愛知県名古屋市出身。名古屋市立新栄小学校、名古屋学院中学校(現在の名古屋中学校)、名古屋学院高等学校(現・名古屋高等学校)、明治大学経営学部卒業。本名は斉藤 洋介(読み同じ)。次男は俳優の斉藤悠。 面長が特徴で、しばしば「モアイ顔」と愛された。 小学生時代のあだ名は「台湾バナナ」、「洋ちゃん」。学級委員を務め、成績優秀だった。高校時代は応援部に、明治大学時代は落語研究会にそれぞれ所属。大学の落語研究会で三宅裕司と出会う。
斎藤 洋介(さいとう ようすけ、本名;斉藤 洋介、1951年… 斎藤 洋介(さいとう ようすけ、本名;斉藤 洋介、1951年7月11日 - ) は、日本の俳優。愛知県名古屋市出身。千葉県松戸市在住。才賀京子事務所を経てアクトレインクラブ所属。名古屋学院高等学校(現名古屋高等学校)、明治大学卒業。左利き。息子は斉藤悠。
綾田 俊樹(あやた としき、1950年〈昭和25年〉6月13… 綾田 俊樹(あやた としき、1950年〈昭和25年〉6月13日 - )は、日本の俳優、演出家。奈良県出身。奈良県立郡山高等学校卒業、明治大学文学部卒業。ノックアウト所属。劇団東京乾電池の結成メンバー。 オンシアター自由劇場を経て、柄本明やベンガルらと劇団東京乾電池を結成。 バラエティー番組にはほとんど出演しないが、短期間ながらテレビ朝日の深夜番組『グッドモーニング』で大島智子とレギュラー出演していた。
藤井 敏夫(ふじい としお、1950年2月7日 - )は、日… 藤井 敏夫(ふじい としお、1950年2月7日 - )は、日本の俳優。本名同じ。群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)出身[4]。身長175cm、体重68kg。血液型はO型。明治大学卒業。オフィス天童所属。
木場 勝己(きば かつみ、本名・西村 克己〈にしむら かつみ… 木場 勝己(きば かつみ、本名・西村 克己〈にしむら かつみ〉、1949年〈昭和24年〉12月30日 - )は、日本の俳優。血液型はO型。ホリプロのグループ会社のホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 東京都江東区木場出身(芸名の由来でもある)。実家は材木屋を営んでいた。 中学時代から噺家を志し、高校時代は柳家小さんに憧れて弟子入り志願するも「高校を卒業しても同じ考えなら来るように」と返答されたという。 明治大学中退後、演劇センター附属青山杉作記念俳優養成所に第一期生として入所(同期生に山海塾の天児牛大がいた)。 養成所卒業後、蜷川幸雄らの櫻社を経て、1975年に劇作家・演出家の竹内純一郎(現:銃一郎)、俳優の沢田情児、演出家の和田史朗らと斜光社を旗揚げ。
あがた 森魚(あがた もりお、1948年9月12日 - )は… あがた 森魚(あがた もりお、1948年9月12日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、映画監督、俳優、エッセイスト。北海道留萌市出身。埼玉県川口市在住。本名は山縣 森雄(やまがた もりお)。函館ラ・サール高等学校卒業、明治大学中退。所属はDargelos。 父は運輸省海運局に勤務し、父の転勤で北海道留萌市で生まれ、生後間もなく小樽に移り、小学3年から青森で、中学からは函館で育った。 小樽の入船小学校に通っていたころ、担任だった教諭の佐藤敬子に薦められて観たディズニー映画『海底二万哩』(1955年日本公開)主人公のネモ船長が人生初のヒーローとなる。 1965年、函館ラ・サール高校2年の夏、ラジオで聴いたボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に衝撃を受け、作詞作曲を始める。
伴 大介(ばん だいすけ、1947年〈昭和22年〉5月5日 … 伴 大介(ばん だいすけ、1947年〈昭和22年〉5月5日 - )は、日本の俳優。本名は斉藤 清憲()。映像劇団テンアンツ所属。 埼玉県川口市出身。埼玉県立蕨高等学校、明治大学文学部卒業。 高校在学中より演劇活動を始め、大学卒業後に劇団NLTのオーディションに合格し研究生となる。この間、劇団の仕事で地方の学校を巡回公演する。 1972年から1973年にかけて放送の特撮テレビドラマ『人造人間キカイダー』(NET)の主人公・ジロー/キカイダー役に抜擢されて本格的デビューを果たす。その際、原作者・石ノ森章太郎に「伴 大介」と命名される。 1973年から1974年にかけて放送の『イナズマン』(NET)で再び主演を務めることとなった際、姓名判断によって「伴 直弥」()に改名。
春延 朋也(はるのべ ともや、1947年3月13日 - )は… 春延 朋也(はるのべ ともや、1947年3月13日 - )は、日本の俳優。東京都出身。身長 172 cm。体重 63 kg。うお座。宝井プロジェクト所属。靴のサイズ 25.5 cm。 趣味は海外旅行。特技は英会話。 2013年9月18日時点で3人の孫がいる。
堀 礼文(ほり れいもん、1946年11月28日 - 198… 堀 礼文(ほり れいもん、1946年11月28日 - 1986年3月7日)は、日本の俳優。本名及び別名義:堀 弘一。 福井県出身。明治大学卒業。第七企画に所属していた。 俳優小劇場養成所出身。 特技は柔道、関西弁。 1986年3月7日に死去。39歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
吉澤 健(よしざわ けん、1946年5月10日 - )は、日… 吉澤 健(よしざわ けん、1946年5月10日 - )は、日本の俳優。本名及び旧芸名:吉沢 健。 神奈川県出身。明治大学卒業。現代制作舎を経て、グリーンランド所属。2019年、香取慎吾主演映画「凪待ち」で第74回毎日映画コンクール男優助演賞受賞。 趣味はバードウォッチング。
宇崎 竜童(うざき りゅうどう、1946年2月23日 - )… 宇崎 竜童(うざき りゅうどう、1946年2月23日 - )は、日本の歌手、作曲家、俳優、映画監督。京都府京都市伏見区生まれ。東京育ち。妻は作詞家の阿木燿子。 1970年代中期から1980年初頭にダウン・タウン・ブギウギ・バンド、1980年代中期から1990年代初頭に竜童組、1990年代中期から後期に宇崎竜童 & RUコネクション with 井上堯之を率い、バンドの活動の合間にソロとしても活動する。妻は作詞家の阿木燿子。「作詞・阿木、作曲・宇崎」のコンビで商業主義的な歌謡曲界においても、数多くの楽曲をヒットさせると共に山口百恵の全盛期を支えた。 母親の出身地で疎開先だった京都市伏見区に生まれる。
小田 豊(おだ ゆたか、1945年3月20日 - )は、日本… 小田 豊(おだ ゆたか、1945年3月20日 - )は、日本の俳優。長崎県出身。所属事務所は岡村本舗。 明治大学文学部卒業。 1971年に鈴木忠志率いる早稲田小劇場に入団、1973年に『アトリエNo.2』で脚光を浴びる。以後、『トロイアの女』をはじめとする作品に出演し、海外公演にも参加。その後退団。 劇団眞空艦、劇団卍、桃の会を経て、1988年よりフリーとなる。以降は蜷川幸雄、野田秀樹、白井晃、野村萬斎、多田淳之介など多彩な演出家の作品に参加し、存在感ある俳優として幅広い活動を続けている。
福島 資剛(ふくしま もとたけ、1944年7月21日 - )… 福島 資剛(ふくしま もとたけ、1944年7月21日 - )は、日本の元俳優である。 長野県松本市出身。明治大学卒業。 大学在学中にアルバイトを兼ねて劇団民芸に大道具係として入団。その後、俳優を志すようになり劇団青俳に移籍する。 1972年、青俳同期であり親友でもあった戸野広浩司の事故死に伴い『快傑ライオン丸』のタイガージョー / 虎錠之介役の依頼を受けたものの一度は辞退。最終的に同期生で戸野広と親交が深かった俳優・狭間鉄の勧めを受ける形で演じることを承諾し、第42話「殺しの流れ者 キルゴッド」より虎錠之介役で出演する。しかし乗馬が得意だった戸野広と違い福島は全く馬に乗れなかったため、福島に交替後の錠之介は乗馬のシーンが無くなった。
原田 大二郎(はらだ だいじろう、1944年〈昭和19年〉4… 原田 大二郎(はらだ だいじろう、1944年〈昭和19年〉4月5日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 神奈川県横浜市生まれ、山口県育ち。明治大学法学部卒業。文学座出身。プロデューサープレイヤー、舞プロモーションを経て、個人事務所ロビンフッド・アーチスツを設立。俳優・歌手の高橋元太郎の所属事務所アネモイエンタテインメントに所属(メンバー)している。 2001年から2010年までは明治大学特別招聘()教授として朗読を指導していた。妻は英文学者で第5代東洋学園大学元学長の原田規梭子。女優で元AKB48の岩田華怜は大姪(姉の孫)。 横浜で生まれ。2歳のとき、山口県に住む伯父の養子となる。上関町八島、田布施町城南(現在・宿井)、平生町佐賀、光市脇田(現在・光井4丁目)などに居住した。
滝波 錦司(たきなみ きんじ、1943年5月25日 - 没年… 滝波 錦司(たきなみ きんじ、1943年5月25日 - 没年不詳)は、日本の俳優。本名同じ。 宮城県出身。明治大学卒業。東映演技研修所に所属していた。 東映作品を中心に、主に脇役として映画やテレビドラマで活躍した。 1972年の特撮テレビドラマ『サンダーマスク』(日本テレビ)では、科学パトロール隊の隊長である藤警部役でレギュラー出演した。 1980年代に俳優を引退、赤坂で飲食店「Teasers」を経営していたが、平成4年に病気で他界した。この店にはスタッフとして南城竜也も在籍していた。[要出典] この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
馬場 信浩(ばば のぶひろ、Nobuhiro Baba 19… 馬場 信浩(ばば のぶひろ、Nobuhiro Baba 1941年11月5日 - )は、日本の元役者、作家。 主に、スポーツ小説、ノンフィクション小説、時代小説の分野で活動する。 男性。大阪府枚方市出身。アメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイム在住。 1960年 大阪府立四條畷高等学校卒業。1964年に明治大学文学部演劇科を中退し、劇団「ぶどうの会」養成所にて役者修業。 1978年 テレビ朝日「23時ショー」の司会を一年間、担当。 1989年 米国に移住。
阿知波 信介(あちは しんすけ、1940年3月21日 - 2… 阿知波 信介(あちは しんすけ、1940年3月21日 - 2007年5月4日)は、日本の俳優、芸能プロモーター。本名、阿知波 信雄(あちは のぶお)。元妻は女優の多岐川裕美、娘はタレントの多岐川華子。元娘婿は俳優の仁科克基(俳優の松方弘樹と女優の仁科亜希子の息子)。 島根県益田市出身。島根県立益田高校卒業。明治大学政治経済学部卒業。 俳優活動の後マネージャーへ転身、田中プロモーション副社長、アクターズプロモーション副社長、兼アクターズエージェンシー社長を務めた。 元々は司会者志望で、大学卒業後に同郷である漫談家の徳川夢声に弟子入りを希望したが、徳川の勧めでテレビタレントセンターに所属。この間、美容研究家である竹腰美代子の体操の門下生となり、竹腰のリサイタルに出演する。
沼田 爆(ぬまた ばく、1940年〈昭和15年〉2月22日 … 沼田 爆(ぬまた ばく、1940年〈昭和15年〉2月22日 - 2024年〈令和6年〉8月)は、日本の俳優、リポーター。本名:沼田 知治。 東京府(現東京都)出身。明治大学中退。I・T企画に所属。身長167 cm、血液型はA型。 大学中退後、劇団四季に入団。 四季退団後、仲間と劇グループ「仮面座」を結成して主宰を務めていた。 その後、25歳でテレビの世界へ飛び込んだ。 芸名は爆弾に由来するもの(「本名は平凡だから、せめて芸名はパンチを効かせたい」として名付けたという)。 代表作は『鬼平犯科帳』シリーズでの同心・村松忠之進(猫どの)役。役柄の影響から、自身も料理番組に時折出演していた。 本人の人柄からなのか「編集の際には尺が合わないと真っ先にカットを頼まれる」と語っていた。
唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11… 唐 十郎(から じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月11日 - 2024年〈令和6年〉5月4日)は、日本の劇作家・演出家・俳優。本名:大靏 義英(おおつる よしひで)。位階は従四位、勲章は旭日中綬章。劇団「唐組」主宰、文化功労者。紅テントの「状況劇場」を結成。アングラ演劇の始祖。日本戦後演劇を再構築。 東京府東京市下谷区下谷万年町(現:東京都台東区)出身。明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。作家としても活躍、『佐川君からの手紙』(1981年)で芥川賞を受賞。俳優として自作以外の映画やテレビドラマに出演することもある。他の演出家への戯曲提供も多い。2012年4月より明治大学客員教授に就任。戦後現代演劇は「唐以前、唐以後」と言っても過言ではない。
草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日… 草野 大悟(くさの だいご、1939年〈昭和14年〉9月7日 - 1991年〈平成3年〉2月27日)は、日本の俳優。台湾・台中市出身。妻は元女優の田島和子。 鹿児島県で幼少期を過ごし、1958年に明治大学に入学するが、すぐに中退した。 1961年、文学座附属演劇研究所に入所する。同期に岸田森、樹木希林、小川真由美、寺田農、橋爪功、北村総一朗らがいた。翌年に準座員として文学座に入団、1966年に座員へと昇格する。文学座の看板・杉村春子にも可愛がられたという。1963年に文学座の内紛に発展した『喜びの琴』では主役に抜擢されていたとされる。1967年に文学座を退団し、その前年に草野に先駆けて文学座を離れていた岸田らが結成していた「六月劇場」に参加、以降は映画・テレビドラマへの出演も多くなる。
なべ おさみ(本名:渡辺 修三、1939年〈昭和14年〉5月… なべ おさみ(本名:渡辺 修三、1939年〈昭和14年〉5月2日 - )は、日本のコメディアン、俳優、タレント。ラジオパーソナリティ、司会者、放送作家、著作家、声優。2024年末まで吉本興業所属。2026年1月1日よりゴッデス・エンターテイメント所属。 東京府東京市大森区(現:東京都大田区)出身。明治大学文学部卒業。 妻は笹るみ子、息子はお笑い芸人で元パワーリフティング日本代表のなべやかん。
小林 旭(こばやし あきら、1938年〈昭和13年〉11月3… 小林 旭(こばやし あきら、1938年〈昭和13年〉11月3日 - )は、日本の俳優、歌手。本名は同じ。身長180cm、体重98kg、血液型はAB型。特技は柔道(五段)、ゴルフ。愛称は「マイトガイ」。「銀幕のスター」の最後の世代。 東京市世田谷区(現・東京都世田谷区)出身。東宝、新東宝、文化映画の照明技師だった父と、小唄・端唄の師匠だった母との間に生まれる。 4歳の時に劇団東童に入り、1944年(昭和19年)、小学校1年生で三越劇場の劇団公演『青い鳥』で初舞台を踏む。1954年(昭和29年)、目黒高等学校在学中に東童の子供たちを日活へ引率した際、プロデューサーの茂木了次に声をかけられ日活のエキストラとなる。
宗方 勝巳(むなかた かつみ、1937年〈昭和12年〉7月2… 宗方 勝巳(むなかた かつみ、1937年〈昭和12年〉7月25日 - 、本名同じ)は、日本の俳優。一般財団法人グリーンクロスジャパン評議員。大阪府堺市出身。現在は神奈川県鎌倉市在住。妻は女優の長内美那子。旧芸名は宗方 勝己(読みは同じ)及び谷川 勝巳(たにがわ かつみ)。 明治大学付属中野高等学校定時制を経て明治大学文学部仏文科卒業。 1958年にテレビドラマ『バス通り裏』に出演して知名度を上げ人気に。 長内美那子とは、テレビドラマ『古都』での共演がきっかけで1967年に結婚。 2006年に脳梗塞を患い、2007年には大腸癌を併発し闘病生活を送っていたが現在は克服している。 また妻と共にワイドショーの司会も務めるなど多岐に渡り活躍。
郷 鍈治(ごう えいじ、1937年5月29日 - 1992年… 郷 鍈治(ごう えいじ、1937年5月29日 - 1992年9月11日)は、日本の俳優。本名:瀬川 鍈治(せがわ えいじ)。旧姓:宍戸(ししど)。 妻はちあきなおみ。兄は宍戸錠、甥は宍戸開。大阪府大阪市出身。明治大学経営学部卒業。 1960年、日活に入社し『狂熱の季節』で俳優デビュー。兄の錠とは『早射ち野郎』など複数の作品で共演。映画『ハレンチ学園』で錠が演じたマカロニ先生を、テレビドラマで演じている。日活がロマンポルノに転向したため、1972年の千葉真一主演映画『麻薬売春Gメン 恐怖の肉地獄』(東映)を皮切りに、他社の作品にも出演していく。 その強面の容貌からヤクザ・凶悪犯・殺し屋などの悪役を演じる機会が多かった。
宗近 晴見(むねちか はるみ、1936年〈昭和11年〉9月8… 宗近 晴見(むねちか はるみ、1936年〈昭和11年〉9月8日 - 2025年〈令和7年〉7月31日)は、日本の男性俳優、声優。本名は北村 克己。東京都出身。身長170cm、体重72kg。血液型はB型。最終所属はヘリンボーン。 明治大学文学部卒業。俳優座養成所7期卒業。1958年4月に劇団新人会に入団し、1960年10月まで在籍。1961年5月に新劇場に入団。その後、エヌ・エー・シー、芹川事務所、大沢事務所に所属していた。 2010年代以降は仕事量を抑える傾向にあり、映像作品への出演は2011年のテレビドラマ『坂の上の雲』第3部が、舞台を含めると、2014年の舞台『赤い糸、みぃつけた。』が最後の仕事となっている。
夏木 陽介(なつき ようすけ、1936年2月27日 - 20… 夏木 陽介(なつき ようすけ、1936年2月27日 - 2018年1月14日)は、日本の俳優、ラリードライバー。本名:阿久沢 有()。三船プロダクション、株式会社夏木プロダクション代表取締役社長(~2014年)を経て、オフィス夏木(2015年~2018年)所属。 東京府八王子市出身。桜美林高等学校を卒業。 1954年、明治大学経営学部に入学。同級生だったホキ徳田の祖母の家に画家の中原淳一が寄宿していたことが縁で中原が編集者を務めていたひまわり社を見学した際、中原が発行する雑誌「ジュニアそれいゆ」のモデルにスカウトされ、1958年、大学卒業と同時に東宝へ入社。この時、中原の命名によって「夏の太陽に向かって真っすぐに伸びていく若木のように、たくましく生き生きとした俳優になって欲しい」という意味を込められた「夏木陽介」の芸名を受け、数日後には『美女と液体人間』で映画デビューを飾る。
大前 均(、1935年12月19日 - 2011年3月1日)… 大前 均(、1935年12月19日 - 2011年3月1日)は、日本の元俳優。旧芸名は大前 釣(読み同じ)。身長190cm、体重115kg。柔道五段。生前は第一協団、アクターズプロモーションに所属していた。 岐阜県出身。1958年3月、明治大学商学部卒業。 大学を卒業後、日本ケーブルに就職。学生時代から続けていた柔道経験を活かし、会社の実業団チームに所属した。実業団対抗の柔道大会で部を優勝に導き、銀座で祝賀会を催していた店で中村錦之助と出会い、スカウトされる。大前は酔った勢いもあって快諾、翌日には京都に行く中村に付いていき、東映京都撮影所と契約を交わして入社した。 1960年、東映映画『若き日の次郎長 東海の顔役』でデビュー。
八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳… 八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳優、元プロ野球選手。岡山県岡山市出身。血液型B型。悪役商会所属。本名は同じ。
大村 文武(おおむら ふみたけ、1934年3月24日 - )… 大村 文武(おおむら ふみたけ、1934年3月24日 - )は、日本の俳優。東京市小石川区出身。本名同じ。 1956年に明治大学文学部演劇科を卒業し、東映ニューフェイスの第3期生となる。同期には里見浩太朗・桜町弘子・大川恵子らがいた。主演作は『月光仮面』シリーズのみで、1966年に退社。フリーとなりテレビドラマへ進出。悪人役をメインとした。その後は群馬県でスナック・喫茶店等を経営し、1989年には村西とおる率いるダイヤモンド映像でAV監督として活動した。 2013年に発売された『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』では連絡先不明としており、消息は明らかになっていない。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
椙山 拳一郎(すぎやま けんいちろう、1934年3月10日 … 椙山 拳一郎(すぎやま けんいちろう、1934年3月10日 - 2015年4月)は、日本の俳優である。本名は杉山 健一郎(読み同じ)、初期芸名は杉山 健(すぎやま けん)、杉山 拳一郎(本名と読み同じ)。「椙山挙一郎」は誤り。 1934年(昭和9年)3月10日、東京府東京市芝区新橋(現在の東京都港区新橋)に生まれる。 1949年(昭和24年)4月、当時日本橋兜町にあり、戦後男女共学になった東京都立紅葉川高等学校に入学、1952年(昭和27年)3月、同校を卒業、同年4月に明治大学法学部に進学する。同学在学中は演劇活動を行っていたが、健康上の理由で満21歳になる1955年(昭和30年)に同学を中途退学した。
稲吉 靖司(いなよし やすし、1933年10月18日 - )… 稲吉 靖司(いなよし やすし、1933年10月18日 - )は、日本の俳優。旧芸名:稲吉 靖(読みは同じ)。 東京市(現:東京都)中野区野方出身。 明治大学商学部卒業。東京コドモサークル、劇団こけし座、劇団山王、衣笠プロ、東映、三木事務所、天知プロダクション を経て、エヌ・エー・シー、中里事務所 に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
金内 吉男(かねうち よしお、1933年〈昭和8年〉7月17… 金内 吉男(かねうち よしお、1933年〈昭和8年〉7月17日 - 1992年〈平成4年〉8月7日)は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。青二プロダクション所属。東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)巣鴨出身。 1956年、明治大学文学部卒業後、1957年5月、劇団ぶどうの会に入団し、1965年2月からフリーランスで活動。 土の会、赤坂プロを経て、青二プロダクションに所属していた。 大河ドラマに多数出演したほか、アニメ・洋画の吹替を行うなど、幅広く活動。 1992年8月7日、収縮性心膜炎のため、東京都新宿区の病院で死去。59歳没。 声種は「甘く説得力のあるバリトン」。 趣味・特技はヨット、スキー、ゴルフ。
梅野 泰靖(うめの やすきよ、1933年〈昭和8年〉7月14… 梅野 泰靖(うめの やすきよ、1933年〈昭和8年〉7月14日 - 2020年〈令和2年〉8月25日)は、日本の俳優。本名同じ。 東京市(現東京都千代田区)神田出身。明治大学中退。劇団民藝に所属。 新児童劇団(現・劇団新児童)への在籍を経て、1951年、民藝少年劇の『山びこ学校』で主役デビュー。 大学中退後の1954年、劇団民藝へ入団。 第14回紀伊國屋演劇賞受賞。 たびたび三谷幸喜作品に起用されていた。 「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めていた。 2020年8月25日午前8時50分、老衰のため死去。87歳没。
山崎 満(やまざき みつる、1933年5月14日 - )は、… 山崎 満(やまざき みつる、1933年5月14日 - )は、北海道出身の日本の俳優。身長170 cm。体重73 kg。希楽星所属。本名同じ[要出典]。 明治大学大学院文学研究科・文学部卒業[要出典]。俳優座養成所に入団したことがきっかけでデビュー。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
川村 郁夫(、1933年〈昭和8年〉3月22日 - )は、日… 川村 郁夫(、1933年〈昭和8年〉3月22日 - )は、日本の元俳優。三重県出身。 東宝の専属俳優。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「新東宝でなら二枚目もつとまるのではないかというような、なかなかの好男子」と評している。 1951年、明治大学在学中に帝国劇場の研究生となり、初舞台を踏む。その後、東宝に入社し、短期間ではあるが、ジャンルを問わず多くの作品に脇役として出演した。 後に川村は、映画俳優に転向したきっかけについて「社長が東宝の森岩雄さんに「帝劇の連中の面倒を見てくれ」と。それで僕は契約するんです」[要追加記述]と回想している。 1964年に芸能界を引退した。 全て製作・配給は東宝である。
小鹿 番(こじか ばん、1932年〈昭和7年〉6月18日 -… 小鹿 番(こじか ばん、1932年〈昭和7年〉6月18日 - 2004年〈平成16年〉4月29日)は、日本の俳優。東京市出身。本名及び旧芸名は小鹿敦。主に舞台俳優として活躍した。 浅草・合羽橋に生まれる。中学生の頃は将来画家になろうとしていたが、大宮高校時代に演劇部に入ったことで演劇に夢中になり、演劇の道を志す。明治大学文学部演劇学科卒。劇団青春座、女優座、舞台工房、アトリエ座などの劇団を転々とした後、1957年、劇団東宝現代劇に1期生として入団。1964年、交通事故で入院した八波むと志の代役として、『マイ・フェア・レディ』のアルフレッド・ドゥーリトル役で評判になる。 1993年の『ゆずり葉』で第19回菊田一夫演劇賞を受賞。
杉 幸彦(すぎ ゆきひこ、1932年6月12日 - 1998… 杉 幸彦(すぎ ゆきひこ、1932年6月12日 - 1998年8月12日)は、日本の元俳優。福岡県福岡市地行東町出身。本名同じ。 俳優・杉狂児の四男。1941年、世田谷区立松沢小学校在学中、島耕二監督映画『次郎物語』の主人公で映画デビュー、この作品では主人公次郎役を幸彦と実兄・杉裕之の二人で演じる。映画の前半では幸彦が演じ、後半を裕之が演じた。1942年、東宝に入社し『翼の凱歌』などに出演するが、その後はしばらくまで学業に専念する。 中学、高校は明星学園を卒業、1955年に明治大学文学部演劇科を卒業したのち再び俳優を志す。同年5月、日活に入社しアクション映画に多数出演。1962年、日活を退社してフリーとなりテレビなどに出演する。
今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、… 今井 健二(いまい けんじ、1932年3月31日 - )は、日本の俳優。本名およびデビュー時の芸名:今井 俊一、旧芸名:今井 俊二。 神奈川県鎌倉市出身。明治大学卒業。田中事務所、グループ71、西村事務所に所属していた。 1955年、知人の勧めで、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社。同期には高倉健、五味龍太郎、丘さとみなどがいる。『野郎ども表へ出ろ』に出演して俳優デビューを果たす。大部屋俳優としての役柄を経て、『吠えろ岸壁』への出演後、『皮ジャン・ブルース』ではより大きな役を与えられた。1962年に東映を退社して以降はフリーランスとなった。もともとは二枚目のスター候補であり、温厚な青年なども演じていたが、今井健二名義で『続・女番外地』出演して以降は悪役をメインに演じるようになった。
森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17… 森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17日 - 1989年〈平成元年〉12月11日)は、日本の俳優、男性声優。本名同じ。 満洲国哈爾浜市出身。明治大学英文学科卒業。 第二次世界大戦まで満洲国で過ごし、戦後は広島県に引き揚げて広島県立呉三津田高等学校を卒業。 明治大学入学後は、のちに俳優となる金内吉男たちと演劇活動を行い、大学卒業後の1952年に東京演技研究所に入所。その後は、劇団現代派、劇団中芸を経て1961年に劇団演劇座に所属する。東京芸術座、鈴木事務所、文芸ぷろだくしょん、劇団四季、タドポール企画、プロダクションエム・スリー、モリヤマ企画、エムワイ企画、MOU企画、大沢事務所にも所属していた。
岩本 弘司(、1932年〈昭和7年〉2月9日 - 没年不明)… 岩本 弘司(、1932年〈昭和7年〉2月9日 - 没年不明)は、日本の元俳優。本名:岩本 弘(いわもと ひろし)。京都府出身。明治大学卒業。 父が新東宝の殺陣師であった関係から、自らも東宝に脇役専門のBホーム枠で入社。俳優業とともに時代劇のほかアクション映画の殺陣師としても活躍、最終的には本数契約制のAホームに移る。 さっぱりした人柄で年齢を問わず多くの人から人気があり、「弘チン」の愛称で親しまれていた。東宝で助監督を務めた梶田興治によれば、岩本はバーの店員役が多かったことから「バーテンダー専門俳優」とあだ名されていたという。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「男性的で精悍な役柄に持ち味を発揮」と評している。
内藤 綱男(ないとう つなお、1932年 - )は、日本の画… 内藤 綱男(ないとう つなお、1932年 - )は、日本の画家、元俳優。山梨県出身。 明治大学卒業後、大映に入社。大映京都撮影所、西岡プロ、エヌ・エー・シー所属を経て、画家に転向。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
野村 浩三(、1931年〈昭和6年〉12月22日 - 201… 野村 浩三(、1931年〈昭和6年〉12月22日 - 2010年〈平成22年〉1月12日)は、日本の俳優。本名は尾棹 一浩(おさお かずひろ / おざお かずひろ)。旧芸名は野村 明司()。 東京府北豊島郡練馬町(のちの東京都練馬区)出身。明治大学商学部卒業。 劇団俳優座第3期生。同期には愛川欽也、渡辺美佐子、江幡高志、塚本信夫、穂積隆信、本郷淳などがいる。 1953年、『落葉日記』で映画デビュー。1954年、俳優座養成所卒業。藤本プロ所属。本名でデビューののち、1955年の松竹入社の際に野村浩三に改名。 1958年に東宝に移籍。同年公開の東宝特撮映画『大怪獣バラン』(本多猪四郎監督)で生物学者・魚崎健二役で主演。
木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 20… 木下 秀雄(きのした ひでお、1931年7月17日 - 2014年3月8日)は、日本の男性俳優、声優。東京府(現:東京都)出身。 明治大学卒業。1953年、東京放送劇団入団。第5期生同期には、里見京子、黒柳徹子がいる。テレビ勃興時代から活動をはじめ、晩年までCMや舞台に出演。 以前はKプロダクション、プロダクション・タンクに所属していた。 声種はハイバリトン。 NPO法人の日本ネイリスト協会で副理事長も務めた。妻は株式会社ユミ・クリエイションの木下ユミ(木下由美)で、娘はネイリストの木下美穂里。 2014年3月8日死去。82歳没。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。
高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、19… 高倉 健(たかくら けん、英︰Ken Takakura、1931年(昭和6年)2月16日 - 2014年(平成26年)11月10日)は、日本の俳優・歌手。本名は小田 剛一(おだ たけいち)(または小田 敏政)、だが晩年は親族に剛一郎(ごういちろう)と名乗った。高倉プロモーション所属。 福岡県中間市出身。1998年(平成10年)に紫綬褒章・2006年(平成18年)に文化功労者・2013年(平成25年)には文化勲章を受章した。 1931年(昭和6年)2月16日(月曜日)、筑豊炭田にある福岡県中間市 の裕福な一家に生まれる。4人きょうだいの次男で、上2人は息子、下2人が娘であった。父の小田敏郎は大日本帝国海軍の軍人で、戦艦「比叡」乗り組みなどを経て 炭鉱夫の取りまとめ役(労務管理者)などをしていた。
村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2… 村上 不二夫(むらかみ ふじお、1928年5月24日 - 2023年11月29日)は、日本の俳優・タレントである。本名は深浦 不二夫。 旧芸名は三村 恭二、三村 俊夫。 東京都出身。旧制日大三中・明治大学商学部卒。新東宝に入社後、1954年に映画『月の光』で俳優デビュー。『遊星王子』(1958年、NTV) の遊星王子 / ワクさん役で有名。 大映を経て、テレビ朝日『アフタヌーンショー』などワイドショー・情報番組のレポーターとして活躍。 1992年7月から9月までテレビ朝日『お昼の独占!女の60分』のメイン司会を担当した。 その後も情報番組のコメンテーター、講演や執筆活動などで活躍している。 2020年2月21日放送のテレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』日本の景気を考えるのコーナーで当時84歳の干しイモ製造の男性が出演。
十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2… 十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2年〉8月8日 - 2011年〈平成23年〉12月25日)は、俳優、歌舞伎役者、日本舞踊家。屋号は大和屋。定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字。俳名に杜若・紫若・扇蝶。本名は仁科 周芳(にしな ただよし)。所属事務所はミナァバ。明治大学文芸科卒業。 舞踊家花柳壽太郎の長男として東京に生まれる。1935年有楽座の『侠艶録』で仁科周芳で初舞台。1939年2月、二代目市川猿之助の門人となり二代目市川笑猿を襲名。同年5月有楽座『隅田川続俤』「法界坊」で里の子喜三松。1951年10月歌舞伎座『源氏物語』の若き光の君と『寿曽我対面』の化粧坂少将で十代目岩井半四郎を襲名。
武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 200… 武内 亨(たけうち とおる、1927年5月16日 - 2006年8月4日)は、日本の俳優。本名:武内 享。 愛媛県今治市出身。明治大学予科中退。劇団俳優座養成所第2期生を経て、劇団俳優座に所属していた。 テレビ時代劇『水戸黄門』では、徳川綱吉・大名・商人・梅小路大納言などを演じた。 2006年8月4日、肝内胆管癌のため神奈川県川崎市の病院で死去。79歳没。
山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月1… 山本 麟一(やまもと りんいち、1927年〈昭和2年〉1月16日 - 1980年〈昭和55年〉10月16日)は、日本の俳優。愛称は山麟(ヤマリン)。北海道旭川市出身。 札幌市の北海中学出身。明治大学時代はラグビー部に所属し、1946年12月8日に神宮競技場で行われた明早戦にロック(4番)のポジションで出場。 卒業後の1953年、第1期東映ニューフェイスとして東映へ入社。翌年『学生五人男』に主演デビュー。以後『警視庁物語シリーズ』(全24作)の刑事役、『網走番外地シリーズ』の囚人役・看守役など、主にアクション映画の脇役・悪役として活躍。特に1960年代後半以降のヤクザ映画では悪役として活動し、『日本侠客伝シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』における強面のヤクザ役を演じた。
千葉 敏郎(ちば としお、1926年4月30日 - 2010… 千葉 敏郎(ちば としお、1926年4月30日 - 2010年)は、日本の俳優。旧芸名及び本名は鈴木 登四男(すずき としお)。 千葉県出身。明治大学卒業後に1950年に大映入社(大映ニューフェース6期生)。1953年に映画『社長秘書』で千葉 登四男名義で正式デビュー。1958年に千葉 敏郎に改名。1965年に大映を退社するまでに100本以上の映画に強面の斬られ役などの端役で出演した。 テレビドラマに活動の場を移してからも、主に時代劇でヤクザの親分や用心棒の浪人役などで強い印象を残し、1980年代頃まで活躍した。とりわけ近衛十四郎主演の素浪人シリーズ『素浪人 花山大吉』などへの出演は多い(いずれも悪役としての出演)。
千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 196… 千葉 信男(ちば のぶお、1923年12月10日 - 1967年8月10日)は、日本の俳優、コメディアン。 実業家の千葉芳男と友子(1896年生、宮城県の大友耕三の妹)の三男として東京府東京市淀橋区下落合(現在の東京都新宿区)に生まれる。兄に恭、茂、姉に篤子、弟に孝、芝之がいる。 父芳男は1889年11月3日に宮城県志田郡の仙台藩士族千葉軍記(農事試験場の助手を勤めたのち、上海に渡り、旅館の萬蔵館を経営)の長男として生まれ、東京商工学校卒業後、浅野セメントに入社し、本社検査課や川崎、深川両工場のスレート部、共同販売会社主任、東京支店長心得などを務めたのち独立。1931年に日本スレート販売株式会社が創立されると社長となった。