伊集院 静(いじゅういん しずか、1950年〈昭和25年〉2… 伊集院 静(いじゅういん しずか、1950年〈昭和25年〉2月9日 - 2023年〈令和5年〉11月24日)は、山口県出身で宮城県を拠点に活動していた作家、作詞家。作詞家としての筆名は伊達 歩(だて あゆみ)、本名は西山 忠来(にしやま ただき)。 1950年生まれ、山口県防府市出身の在日韓国人2世である。出生当時の氏名は「趙 忠來」(チョ・チュンレ、ハングル表記では조충래)であったが、日本に帰化した際、西山 忠来(にしやま ただき)に変えた。 山口県立防府高等学校、立教大学文学部日本文学科卒業。同大学ではなく美術大学に進学するつもりでいたが、当時義兄(実姉の夫)の高橋明が読売ジャイアンツの野球選手だった影響で高校の夏休みを利用して東京に行った折、長嶋茂雄本人から「野球をするのならセントポール(立教)に行きなさい」と言われ、その一言で立教大学への進学を決めた。
南 椌椌(みなみ くうくう、1950年 - )は、日本の絵本… 南 椌椌(みなみ くうくう、1950年 - )は、日本の絵本作家、イラストレーター、詩人、テラコッタアーティスト、東京吉祥寺のカレー屋「まめ蔵」オーナー。 1950年、東京生まれ。新宿育ち。韓国人の父と日本人の母を持つ。立教大学卒業。 大学には、学生運動最盛期に入学したが、授業にはほとんど出席せずに、詩や童話、舞踏、美術に傾倒し、卒業した。 大学卒業後、アルバイト生活を経て、パリを拠点として、スイス、イタリア、スペイン、ギリシャなどヨーロッパ各地を10ヵ月間に渡って巡った後、日本に帰国。1972年に、ダンサーの笠井叡による即興の舞踏と出会い、大きな影響を受ける。笠井の「自由でいいんだよ。好きなようにやればいいんだよ。
北山 耕平(きたやま こうへい、本名:小泉 徹(こいずみ と… 北山 耕平(きたやま こうへい、本名:小泉 徹(こいずみ とおる)、1949年12月2日 - 2026年3月26日)は、日本の編集者、作家、翻訳家。元「宝島」編集長。神奈川県藤沢市生まれ。立教大学社会学部卒。 作家片岡義男との出会いが契機となり、立教大在学中の1973年、植草甚一編集の雑誌「WonderLand(ワンダーランド、通巻3号より「宝島」と改称)」の編集メンバーとしてその創刊から参加。のち(1975年1月号、公式には同年8月号から1976年6月号まで)編集長(4代目)となる。当初から小泉徹の名で寄稿していた(「長谷川海太郎伝」など)が、1975年1月号より筆名北山耕平を名乗る。 「全都市カタログ」に始まる「別冊宝島」を刊行するなどし、同誌は大胆な編集方針で日本でのサブカルチャー誌成立初期に、その方向性について決定的な役割を果たす。
吉川 潮(よしかわ うしお、1948年8月1日 - )は、日… 吉川 潮(よしかわ うしお、1948年8月1日 - )は、日本の演芸評論家、小説家、コラムニスト。ルポライターのほか、放送作家。 妻は、粋曲(色物)の柳家小菊(落語協会所属)。日本文芸家協会会員。駄句駄句会同人、俳号は「駄郎(だろう)」。 茨城県真壁郡下館町(現・筑西市)出身。父親は長唄の岡安喜三四郎。姉と妹がおり、三人の名付け親は西條八十。 1971年立教大学経済学部卒業。 ルポライターのほか、放送作家として「青島幸男のお昼のワイドショー」などの構成を担当する一方、1979年から演芸評論家として演芸評、コラムを書き始める。1980年「小説現代」で小説家としてデビュー。 落語立川流の顧問であったが、2014年11月に辞任した。
杉本 博司(すぎもと ひろし、1948年2月23日 - )は… 杉本 博司(すぎもと ひろし、1948年2月23日 - )は、日本の写真家、現代美術作家、建築家、演出家、文化功労者、日本芸術院会員。東京都台東区(旧・御徒町)出身。1970年渡米、1974年よりニューヨーク在住。東京およびニューヨークを活動の拠点としている。 銀座美容商事という美容院専門商品の卸売商店の長男として、東京都御徒町で生まれる。立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学経済学部を卒業。夏は家族で伊豆の海に行くことが多く、その途中の真鶴付近の東海道線の車内から初めて海を見た際に水平線の鋭さに衝撃を受け、この水平線を数万年前の人と同じように見ていることに思いを馳せたという。立教中学では鉄道模型に熱中し、鉄道写真を通じて写真との関わりを始めた。
永倉 万治(ながくら まんじ、1948年1月27日 - 20… 永倉 万治(ながくら まんじ、1948年1月27日 - 2000年10月5日)は、日本の作家である。本名、長倉 恭一(ながくら きょういち)。晩年にはペンネームの表記を、「永倉 萬治(読み同じ)」と改めていた。 1989年(平成元年)、著書 『アニバーサリー・ソング』で、講談社エッセイ賞を受賞。 埼玉県志木市生まれ。立教高等学校(現在の立教新座高等学校)を経て、立教大学経済学部を中退。 劇団 「東京キッドブラザース」の公演に参加したが、ヨーロッパ公演の際に同劇団から退団した。その後は放送作家、雑誌編集者、広告プランナー等を務める傍ら、各種雑誌等にエッセーや小説を発表するようになり、1984年(昭和59年)からは執筆活動に専念した。
八重野 充弘(やえの みつひろ、1947年8月24日 - )… 八重野 充弘(やえの みつひろ、1947年8月24日 - )は、日本の著作家、埋蔵金ハンター。日本トレジャーハンティング・クラブ代表。 熊本県熊本市出身。熊本大学教育学部附属小学校、熊本大学教育学部附属中学校、熊本県立熊本高等学校を経て立教大学社会学部を卒業。その後学研に勤務し、1983年に退職してくもん出版に勤務。1992年退職。作家として、ライフワークのトレジャーハンティングに関する著述を続けるとともに、科学ジャーナリストとして、おもに子どもを対象とした講演や実験教室なども行っている。最近は自身の成長期にあたる昭和30年代の思い出を題材とした執筆活動も始めている。 1974年より、熊本県天草下島で天草四郎の軍用金探しを始めたことがきっかけで、日本の埋蔵金研究の第一人者であった畠山清行との交流が始まり、1977年より畠山を手伝う形で徳川幕府御用金(通称・徳川埋蔵金)の調査を始める。
大久保 智弘(おおくぼ ともひろ、1947年 - )は、日本… 大久保 智弘(おおくぼ ともひろ、1947年 - )は、日本の時代小説作家。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1971年立教大学文学部卒業後、都立高校で国語教師として教鞭をとる。 1994年「わが胸は蒼茫たり」(のちに『水の砦 福島正則最後の闘い』に改題し刊行)で、第5回時代小説大賞を受賞し文壇デビューを果たす。2003年長野日報に歴史小説『モレヤ』(折井宏光 画)を連載。木曽義仲を軸として諏訪の中世を描く。 2021年、江戸時代末期の和田嶺合戦で軍師を務めた塩原彦七の自戦記「自戦和田嶺」が彦七の子孫の家から発見され、依頼された大久保がその内容を解読している。
葉 祥明(よう しょうめい、1946年7月7日 - )は、日… 葉 祥明(よう しょうめい、1946年7月7日 - )は、日本の絵本作家、画家、詩人。本名、葉山祥明。 熊本県熊本市出身。九州学院高等学校、立教大学経済学部、セツ・モードセミナー卒業後、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに留学、油絵を学ぶ。 多くの絵本の作者として知られ、2014年の時点で、絵本・詩集など書籍の出版数は300点に上る。 福建省福清県にルーツを持つ華僑2世で中華料理店「紅蘭亭」の創業者である葉菊華の子。7人兄弟の6番目、三男として育つ。長兄の葉山祥泰(しょうたい)は「紅蘭亭」グループ前代表、SWISS洋菓子店創業者。次兄の葉祥栄は建築家、実弟の葉山祥鼎(しょうてい)は童話作家・エッセイスト・写真家で"葉祥明 阿蘇高原絵本美術館"の館長。
中村 邦生(なかむら くにお、1946年4月21日 - )は… 中村 邦生(なかむら くにお、1946年4月21日 - )は、日本の小説家、英米文学者、大東文化大学名誉教授。 東京都杉並区荻窪生まれ。立教大学文学部英米文学科卒業後、都市出版社(旧)で主に海外文学の編集に携わる。同社勤務をへて、立教大学大学院を修了し、教職に就く。2017年大東文化大学教授を定年、名誉教授となる。1993年に「冗談関係のメモリアル」で第77回文學界新人賞を受賞。1994年「ドッグ・ウォーカー」で、1995年「森への招待」で2度芥川賞候補となる。 主な小説としては、『月の川を渡る』(作品社)、『風の消息、それぞれの』(作品社)、『チェーホフの夜』(水声社)、『転落譚』(水声社)、『幽明譚』(水声社)、『ブラックノート抄』(水声社)、『変声譚』(水声社)ほか。
小林 豊(こばやし ゆたか、1946年 - )は、日本の日本… 小林 豊(こばやし ゆたか、1946年 - )は、日本の日本画家、絵本作家。 1946年、東京に生まれる。立教大学社会学部卒業後、イギリス留学中に画家を目指す。1979年、日本美術展覧会に初出品で入選。1983年には「上野の森美術館」特別優秀賞を受賞した。1970年代初めから80年代初めにかけて中東やアジア諸国をたびたび訪れ、その折の体験が作品に大きな影響を及ぼしているとされている。世界を旅した経験を子どもたちに届けたいとの思いが強く反映されている彼の絵本は、日本のみならず世界的にも高い評価を受けている[要出典]。 内戦の続くアフガニスタンの現実を知ってもらいたいとの思いから、ノンフィクション作品『なぜ戦争はおわらないのか―ぼくがアフガニスタンでみたこと―』を執筆。
藤門 弘(ふじかど ひろし、1946年 - )は、日本の著作… 藤門 弘(ふじかど ひろし、1946年 - )は、日本の著作家、写真家。北海道赤井川村で果樹作りを中心とする「アリス・ファーム」代表。 1946年、上海生まれ。神奈川県横浜市、東京都で育つ。立教大学卒業、早稲田大学中退。 1974年に岐阜県の山村へ移り住み、「アリス・ファーム」を設立した。その後、2016年5月には中華系シンガポール企業に売却。1983年からは北海道で暮らしている。 シェーカー家具研究家。家具工房、染色工房、農業などに携わっている。赤井川村村会議員(4期目)。
稲本 正(いなもと ただし、1945年2月5日 - )は、富… 稲本 正(いなもと ただし、1945年2月5日 - )は、富山県出身の工芸家、作家、理学研究者、教育者、実業家。オークヴィレッジ創業者・初代会長、トヨタ白川郷自然學校創設者・初代校長、東京農業大学客員教授、岐阜県教育委員。循環型社会の創出のために活動し、森林資源の重要性や有効利用に関する多くの著書がある。 1945年2月5日、富山県に生まれる。1969年、立教大学理学部物理学科卒業。大学では武谷三男に教えを受けた後、田島英三研究室に所属した。卒業後は、同学科に研究助手として勤務する。 1972年、立教大学の教職員や卒業生を中心とした10数名で長野県大町市から山奥に入った若栗峠に200坪の土地を借りて、自分たちで山小屋を建てるプロジェクト「山小屋の会」が開始され、参加する。
山本 音也(やまもと おとや、1944年11月6日- )は、… 山本 音也(やまもと おとや、1944年11月6日- )は、日本の小説家。 和歌山県生まれ。本名・山本章、別筆名・池田章一。立教大学経済学部卒。小学館に勤務、『女性セブン』『週刊ポスト』「小学館文庫」の各編集長をへて、出版局チーフプロデューサー。1982年「宴会」(池田章一名義)で第8回中央公論新人賞を受賞。83年「退屈まつり」で第89回芥川賞候補。2002年に山本音也名義の『偽書西鶴』で第9回松本清張賞を受賞(のち『ひとは化けもんわれも化けもん』に改題)。2016年『本懐に候』で舟橋聖一文学賞受賞。
左能 典代(さの ふみよ、1944年9月20日 - )は、日… 左能 典代(さの ふみよ、1944年9月20日 - )は、日本の作家で、岩茶房(がんちゃぼう)主催者。日本ナイルエチオピア学会会員、日本文芸家協会会員。 静岡県函南町生まれ。本姓は佐野。1967年、立教大学文学部英文科卒。 新潮社に勤務し、「週刊新潮」の記者となる。退社してニューヨーク大学でアメリカ文学を学ぶ。世界各地を取材し、1979年東欧に関する著書を上梓、1983年小説「ハイデラパシャの魔法」で第15回新潮新人賞を受賞。仲間と作った出版企画・制作会社「グループ・マッス」で放送局や新聞社関係の出版物も手がける。 1990年代からは中国茶の研究家となり、日中文化交流サロン岩茶房主催。2002年、日本文化振興会社会文化功労賞。
高橋 千劔破(たかはし ちはや、1943年1月15日 - 2… 高橋 千劔破(たかはし ちはや、1943年1月15日 - 2024年1月6日)は、日本の著作家、文芸評論家。男性。日本ペンクラブ副会長。 東京生まれ。埼玉県立浦和西高等学校卒業、立教大学文学部日本文学科卒業。人物往来社に勤務し、『歴史読本』編集長、取締役、編集局長等を経て、1996年退社。日本ペンクラブ常務理事、大衆文学研究会幹事長。 尾崎秀樹主宰の雑誌『ゾルゲ事件研究』にも共同編集者として参加している(『ゾルゲ事件研究』は監修者:石堂清倫、今井清一、尾崎秀樹、編集者:高橋千劔破、田才益夫、田辺貞夫)。 2024年1月6日、腎がんのため埼玉県さいたま市の自宅で死去。80歳没。
瀬尾 七重(せお ななえ、1942年4月6日 - )は日本の… 瀬尾 七重(せお ななえ、1942年4月6日 - )は日本の童話作家。 東京都文京区本郷生まれ。父は能楽師。立教大学文学部日本文学科卒業。福田清人に師事。 1967年「ロザンドの木馬」で講談社児童文学新人賞佳作、1968年同作で野間児童文芸推奨作品賞、1987年「さようなら、葉っぱこ」で日本児童文芸家協会賞、1998年「さくらの花でんしゃ」でひろすけ童話賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は… 斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は、日本の児童文学作家、編集者。 1940年に新潟県新潟市に生まれる。小学校から高校卒業までを長岡市で過ごす。新潟大学教育学部附属長岡小学校、新潟県立長岡高等学校を卒業後、立教大学法学部法学科に進学。60年安保闘争に参加。同大卒業後、大手電機メーカーに勤務した。 その後、福音館書店編集部に勤務。長年にわたり児童書籍の編集に携わる。同社編集担当取締役となった。 1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞。 1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出。 1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
百瀬 博教(ももせ ひろみち、1940年〈昭和15年〉2月2… 百瀬 博教(ももせ ひろみち、1940年〈昭和15年〉2月20日 - 2008年〈平成20年〉1月27日)は、作家、詩人、格闘技プロデューサー。日本スノードーム協会事務局長。血液型AB型。総合格闘技イベントPRIDEとの関わりから、「PRIDEの怪人」の異名を持っていた。 東京市浅草区(現台東区)柳橋出身。侠客の百瀬梅太郎の次男として出生。学生時代は相撲取りを目指し、私立市川高等学校では相撲部を創設して、関東大会2位、国民体育大会に出場した。立教大学文学部史学科在籍中も相撲部に所属し、同大学の相撲部は、百瀬と交流のある周防正行が1992年(平成4年)に監督した映画『シコふんじゃった。』のモデルになっているという。
楠戸 義昭(くすど よしあき、1940年 - )は、日本の歴… 楠戸 義昭(くすど よしあき、1940年 - )は、日本の歴史家、著作家。 和歌山県生まれ。立教大学社会学部卒業。毎日新聞社入社、学芸部編集委員を経て、歴史作家となる。
岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )… 岡田 純也(おかだ じゅんや、1939年12月12日 - )は、日本の児童文学研究者・作家、京都女子大学名誉教授。 埼玉県立浦和高等学校卒業、立教大学卒、同大学院、米国パシフィック・ウェスタン大学(ディプロマ・ミル)で学術博士。京都女子大学児童学科教授。附属小学校長を兼務。2010年定年、名誉教授。湯布院こども童話館館長。日本児童文芸家協会監事。日本児童図書評議会会員。
青柳 友子(あおやぎ ともこ、1939年3月30日 - 19… 青柳 友子(あおやぎ ともこ、1939年3月30日 - 1991年11月7日)は、日本の小説家。おもに推理小説で知られ、「紅子シリーズ」などが人気を得ていた。別名義に桐村 杏子がある。 東京に生まれ、立教大学に学び、在学中から『文學者』などに小説を寄稿していた。1971年立教大学大学院修了。やがて職業作家としてジュニア小説や官能小説を書くようになったが、1983年の『死の横浜娼婦館』以降は、推理小説に注力し、『完全犯罪の女』、『眠れぬ夜の悪魔』、『消えた家』、『あなたの知らないあなたの部屋』などを発表した。このうち、『あなたの知らないあなたの部屋』は、1989年の第42回日本推理作家協会賞長編部門の候補作となった。
なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れ… なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)、1938年〈昭和13年〉9月2日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の小説家、作詞家。 満洲国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)生まれ。両親は酒造業で成功を収めていた。終戦後、満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に影響を与えた。実兄・正一は特攻隊に配属されたが終戦となった。8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校時代は東京と青森(青森市立古川小学校)で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く。東京都立九段高等学校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトをした。
小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、… 小沢 さとし(おざわ さとし、1938年7月8日 - )は、日本の児童文学作家、小説家。本名・聰。箕輪町の資料館「美空ひばり歌の里」館長。 長野県上伊那郡箕輪町出身。立教大学文学部卒。 1983年、『黒潮物語』で第6回塚原健二郎文学賞受賞。「絵本伊那谷ものがたり」シリーズを刊行している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
里吉 しげみ(さとよし しげみ、1938年2月18日 - 2… 里吉 しげみ(さとよし しげみ、1938年2月18日 - 2019年以前)は、日本の劇作家、演出家、作家、作詞家である。劇団未来劇場主宰。妻は、同劇団所属である水森亜土(1965年結婚)。立教大学社会学部卒業。本名は里吉重實。 吉武みどりが1958年に主宰として創立し、当初は推理劇専門劇団だった。里吉しげみは1959年に入団。2年後の春、喜劇「ネコが好き」を書き、演出し、喜劇に魅せられる。吉武のバックアップで以後6年間に渡り6本の作品の作・演出をするが、吉武から強引に劇団を押しつけられ、渋々引き継ぎ今日に至る。その時、現在の未来劇場のスタイルともなる、ミュージカル風・喜劇を目指すことを考え、作曲家の小林亜星の参加を得て、以後数十年間に渡り、自ら脚本を書き、演出してきた。
内海 隆一郎(うつみ りゅういちろう、1937年6月29日 … 内海 隆一郎(うつみ りゅういちろう、1937年6月29日 - 2015年11月19日)は、日本の小説家である。「ハートウォーミング」と呼ばれる独自のスタイルによって市井の人々を描くことを得意とし、芥川賞に1回、直木賞に4回候補作となった。『蟹の町』(1970年)などで注目されるも長く断筆し編集者を続ける。『人びとの忘れもの』(1985年)が好評を得、執筆に専念。 愛知県名古屋市生まれ、岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校を経て、立教大学社会学部卒業。 3歳のとき、父親が一関の亜炭鉱山の経営者に着任、一家とともに移住した内海は、20歳までを同地で過ごした。内海は一関中学校から一関第一高等学校に進学、高校時代は柔道に熱中した。
佐々木 昭一郎(ささき しょういちろう、1936年(昭和11… 佐々木 昭一郎(ささき しょういちろう、1936年(昭和11年)1月25日 - 2024年(令和6年)6月14日)は、日本のディレクター、映像作家、映画監督。NHKディレクター、文教大学情報学部教授を務めた。東京出身。 立教大学経済学部卒業後、1960年にNHKに入局し、芸能局ラジオ文芸部でラジオドラマの演出を手がけた。処女作は『都会の二つの顔』(1963年、ラジオテレビ記者会年間最優秀作品賞、芸術祭奨励賞)。 1968年、テレビドラマ部に異動し、『銀河テレビ小説』のアシスタントディレクターなどを務めると同時に多くの受賞作を生んだ。 1995年に定年もあってNHKを退局。その後はフリーディレクターとして活動。
田川 永吉(たがわ えいきち、1936年 -)は、日本の作家… 田川 永吉(たがわ えいきち、1936年 -)は、日本の作家、歴史小説家、実業家。幕末、明治維新で活躍した大浦慶の生涯を描いた作品や、曾祖父である松尾儀助の伝記を執筆。特に大浦慶の書籍では、発見した新たな事実を加え、既存のイメージを覆す大浦慶の活躍を映し出した。別称、アイク田川。 1936年生まれ。曾祖父・松尾儀助は、明治初期の有田焼を始め日本の伝統工芸品を海外に輸出した国策会社である「起立工商会社」を大隈重信の斡旋により設立した政商である。幼少期より欧米文化に親しむ。 1962年、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。1965年に初渡米。 その後、日本、フランス、アメリカの企業の要職を経て独立し、翻訳会社を経営する。
小坂井 澄(こさかい すみ、1929年4月19日 - )は、… 小坂井 澄(こさかい すみ、1929年4月19日 - )は、ノンフィクション作家。 東京生まれ。立教大学文学部中退。集英社勤務の後、1967年よりフリーライターになる。1975年から著作の上梓を始め、1983年、『これはあなたの母』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。一貫してキリスト教精神に貫かれており、当初は不幸な女性たちの評伝、近年はキリスト教関係の書物が多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003… 浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003年8月10日)は、日本の児童文学作家、評論家、教育者。専攻は近代文学。中学、高校での教師を務めたのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事を歴任した。日本児童文学者協会理事、日本児童文芸家協会理事、日本文芸家協会会員。 静岡県御殿場市出身。早稲田大学第一文学部国文科を卒業後、都内の中学、高校教師を務め、立教大学大学院を修了(近代文学専攻)。 上野高等学校教頭を最後に高校教師を退職したのち、山口女子大学(現・山口県立大学)教授、日本大学芸術学部講師、立教女学院短期大学講師、日本児童文学学会代表理事などを歴任。
鈴木 明(すずき あきら、1925年10月28日 - 200… 鈴木 明(すずき あきら、1925年10月28日 - 2003年7月22日)は、日本のノンフィクション作家・フリージャーナリスト。本名は今井 明夫。
浮田 佐武郎(うきた さぶろう、1909年12月25日 - … 浮田 佐武郎(うきた さぶろう、1909年12月25日 - 1987年3月27日)は、日本の俳優、著作家。八丈島に配流となった宇喜多一族の流れを汲む。 東京府北豊島郡板橋町出身。立教大学卒業。新築地劇団に入団後、榎本健一一座などを経て、戦時中は移動劇団の瑞穂劇団に所属した。 エノケン一座の一員だった関係から1939年の1年間に東宝の『エノケンの鞍馬天狗』、『エノケンの森の石松』、『エノケンの弥次喜多』の3本の映画に出演した。瑞穂劇団の時代から戯曲も書き、戦後はテレビに出演、演劇関連の文筆家としても活躍した。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
李 如星(り じょせい、イ・ヨソン、이여성、1901年 - … 李 如星(り じょせい、イ・ヨソン、이여성、1901年 - 1958年?)は朝鮮のジャーナリスト、作家、政治家、社会主義運動家、美術史家。朝鮮日報社調査部長・社会部長、東亜日報社調査部長、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議議員。本名は李命鍵(イ・ミョンゴン、이명건)。 1901年に大邱の裕福な家庭に生まれる。 その後、日本統治時代の朝鮮において言論活動や社会運動に携わる。1918年に、金若水らと中華民国・南京にある金陵大学(現・南京大学)に留学するが、翌1919年に朝鮮に戻って三・一運動に参加し、投獄される。 1922年から1925年まで立教大学に留学し、北星会や一月会といった組織に関わりながら、社会主義思想を発展させる。
加藤 まさを(かとう まさを、1897年4月8日 - 197… 加藤 まさを(かとう まさを、1897年4月8日 - 1977年11月1日)は、日本の画家、詩人、小説家、イラストレーター。本名は正男。別名、藤枝春彦、蓮芳夫。立教大学在学中の1919年(大正8年)に刊行した『アンデルセン童話』、『花の精』などの絵はがきで一躍有名となり、大正末期から昭和初期にかけて、竹久夢二、高畠華宵、蕗谷虹児らとともに抒情画の全盛時代を築いた。童謡『月の沙漠』の作詞家としても知られる。 1897年(明治30年)4月8日、静岡県志太郡西益津村田中(現・藤枝市大手)に生まれる。幼少期を祖父母と共に藤枝で過ごす。父は浦和中学の教師を務めたが、後に東京の小学校校長を務めた。西益津尋常高等小学校(現在の藤枝市西益津小学校)3学年を終了後、1910年(明治43年)に父母のもとに上京し、早稲田中学校に入学。
岡本 鶴松(おかもと つるまつ、1882年2月7日 - 19… 岡本 鶴松(おかもと つるまつ、1882年2月7日 - 1945年7月10日)は、明治後期から昭和前期のジャーナリスト、新聞記者、評論家、小説家、翻訳家。大阪朝日新聞社(現・朝日新聞社)外報部長。号は九皐。『トム・ブラウンの学校生活』の訳書を著し、明治時代の日本の高校生に最も人気の英語圏の作品となった。 1882年2月7日、東京生まれ。大阪・英和学舎(現・立教大学)卒業。その後、東京へ戻り、東京英語専修学校(現・立教大学)で学ぶ。 1903年(明治36年)には、ハリー・ポッターシリーズに影響を与えたトマス・ヒューズの『トム・ブラウンの学校生活』の訳書を『英国学校生活』として出版。発行は鶴松の号から名付けた九皐社で、印刷は築地・明石町にあった立教学院活版部で行われ、本訳書の序文を立教学院総理であったヘンリー・セントジョージ・タッカーが寄稿した。
相沢 熙(旧字体: 相澤 凞、あいざわ ひろし、1880年〈… 相沢 熙(旧字体: 相澤 凞、あいざわ ひろし、1880年〈明治13年〉 - 1956年〈昭和31年〉)は、大正から昭和にかけて活動した日本のジャーナリスト、新聞記者、教育記者、小説家。国民新聞社(後の東京新聞社、現・東京新聞/中日新聞)のほか、平民新聞社、読売新聞社、大阪毎日新聞社、東京日日新聞社などでも活動した。徳富蘇峰の側近として秘書も務め、蘇峰会の本部常任幹事を務めた。ほかに国民教育奨励会専務理事も務めている。号は、如楓、蓬莱子、景楠、景楠外史、蓬村など。 埼玉県鷲宮町葛梅(現・久喜市)にて生まれる。 東京に出て、築地の立教学校(現・立教大学)に学んで卒業。東京英語専修学校(立教大学の前身校の一つ)にも修学した。
水田 南陽(みずた なんよう、1869年1月(明治2年) -… 水田 南陽(みずた なんよう、1869年1月(明治2年) - 1958年1月3日(昭和33年))は、日本の翻訳家、小説家、編集者、新聞記者、実業家。日本へシャーロック・ホームズを紹介した先駆者。別名は、南陽 外史(なんよう がいし)。本名は、水田 栄雄(みずた ひでお)。 1869年1月、淡路国薦江(兵庫県)生まれ。大阪・川口の英和学舎(立教大学の前身の一つ)を経て、1890年、立教大学卒業。 ミッション・スクール(現立教大学)在学中の1889年、東京能弁学会に加入し、機関誌『能弁』にシェイクスピア劇の翻訳を掲載。東京能弁学会の幹事である大岡育造に認められ、『能弁』の編集に参加した。 1890年頃、大岡育造が経営していた中央新聞に入社し、同紙にエミール・ガボリオの『オルシヴァルの犯罪』を『大探偵』と題して訳出したのを始め、『夢中の玉』『珊瑚の徽章』などを次々発表した。
内田 魯庵(うちだ ろあん、1868年5月26日(慶応4年閏… 内田 魯庵(うちだ ろあん、1868年5月26日(慶応4年閏4月5日) - 1929年(昭和4年)6月29日)は、明治期の評論家、翻訳家、小説家。本名貢(みつぎ)。別号不知庵(ふちあん)、三文字屋金平(さんもんじやきんぴら)など。明治文壇を代表する批評家として知られ、旺盛な好奇心と広範な知識は文学を超えて、民族学や文明論的な拡がりを持った。江戸下谷車坂六軒町(現・東京都台東区)生まれ。洋画家内田巌は長男。孫(巌の娘)に翻訳家の内田莉莎子。 旧幕臣の子・貢(幼名・貢太郎)として下谷車坂三軒町に生まれる。父・正には7人の妻がおり、魯庵は最初の妻との子。はじめは政治・実業に関心を持ち、1882年(明治15年)に15歳で築地の立教学校(現立教大学)に入学して英語を学んだほか、東京専門学校(現早稲田大学)英語部などでも英語を学び、東京大学予備門にも入ったが、家が貧しく結局どこも中退し、文部省編輯局翻訳係であった叔父(継母の姉妹の夫)・井上勤のもとで下訳や編集の仕事をする。
旺季 志ずか(おうき しずか)は日本の脚本家、小説家。徳島県… 旺季 志ずか(おうき しずか)は日本の脚本家、小説家。徳島県阿南市出身。血液型はB型である。
関口 暁人(せきぐち あきひと)は、日本の作家。 日本おもち… 関口 暁人(せきぐち あきひと)は、日本の作家。 日本おもちゃ病院協会認定おもちゃドクター。財団法人メンタルケア協会認定メンタルケア・スペシャリスト。 三重県出身。主な参加作品は連続テレビドラマ『でたらめヒーロー』、短篇小説集『99のなみだ』シリーズ、『涙猫』。 『神様刑事 ~警視庁犯罪被害者ケア係・神野現人の横暴~』で本格的な長編小説デビューを飾る。 作家集団Team-Jとして長編サスペンス小説『彼女を殺すのに一票投じます』に携わる。 代表作は2019年にエブリスタ小説大賞を受賞した『ドール先輩の修復カルテ』シリーズで、本作品のプロモーションビデオには日本を代表する人形作家清水真理や人形で有名の鴻巣市観光協会など33名2団体が参加した。
村山 由佳 は、日本の小説家。
戸田 久実(とだ くみ)は、日本の実業家、アンガーマネジメン… 戸田 久実(とだ くみ)は、日本の実業家、アンガーマネジメントコンサルタント、企業研修講師、著作家。アドット・コミュニケーション株式会社代表取締役、一般社団法人日本アンガーマネジメント協会代表理事。大阪府生まれ、神奈川県横浜市育ち、立教大学文学部日本文学科卒業。 大阪府生まれ、神奈川県横浜市育ち。フェリス女学院中学校・高等学校、立教大学文学部日本文学科を卒業。 1991年(平成元年)4月、大手の時計専門商社・株式会社服部セイコー(現セイコーグループ株式会社)に入社、宝飾部で営業を行う。新人研修で『人は「話し方」で9割変わる』の著書・福田健と出会い、コミュニケーションの原理原則を学んだ。以降、福田が主宰する人材育成の勉強会を知り、「説明力」「プレゼン力」「交渉力」を身に付けたいと仕事の合間を縫って参加した。
新田 純子(にった じゅんこ)は、日本の作家。日本ペンクラブ… 新田 純子(にった じゅんこ)は、日本の作家。日本ペンクラブ会員。 名古屋市生まれ。東京都出身。5歳より東京都へ転居。 1965年(昭和40年)、立教大学文学部卒業。大学在学中には1964年東京オリンピックの通訳を務めた。大学卒業後、旅行会社に勤務する。海外技術協力事業団(OTCA)の通訳も務めた。 執筆活動を行い、1983年(昭和58年)『飛蝶』で第26回女流新人賞(中央公論新社主宰)受賞。 その後、小説やエッセイのほか、紀行などを雑誌に寄稿する。 2000年以降は、浅野総一郎(浅野財閥創設者)の人物史を中心に日本近代史の論評執筆や書籍を出版し、日本の近代化を解き明かすことをライフワークに活動を行う。
舞阪 洸(まいさか こう)は、小説家、ライトノベル作家。静岡… 舞阪 洸(まいさか こう)は、小説家、ライトノベル作家。静岡県浜松市生まれ。北海道札幌市在住。 立教大学卒業後、編集プロダクションに勤める。その後、レッドカンパニーに入社、ゲームシナリオなどを手がける(現在は退社)。 1992年に『プリンセス・ミネルバ ウィスラー王国物語』で小説家デビュー。 『火魅子伝』の原作、ノベライズを手がける。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
マッキー 牧元(マッキー まきもと、Mackey Makim… マッキー 牧元(マッキー まきもと、Mackey Makimoto)として知られる、牧元 裕之(まきもと ひろゆき、1955年 - )は、「タベアルキスト」を自称し、食文化に関する執筆や講演などをおこなっている日本の著作家、コラムニスト。「ポテサラ学会」会長とも自称している。株式会社味の手帖取締役編集顧問。日本食文化会議理事、日本ガストロミー協会副会長。 1978年にビクター音楽産業(後のビクターエンタテインメント)に入社して、宣伝や制作業務に従事し、SPEEDSTAR RECORDSにも関わった。サザンオールスターズの1998年のアルバム『さくら』では、Special Thanks がクレジットされている。