上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - … 上條 逸雄(かみじょう いつお、1931年10月23日 - 2002年8月14日)は、脚本家・作家。長野県上水内郡中条村(現長野市)出身。長野県長野北高等学校を経て、早稲田大学第一文学部卒。 『サインはV』『アテンションプリーズ』『積木くずし』といった高視聴率のテレビ番組や、日本テレビの『これが青春だ』『でっかい青春』『進め!青春』『おれは男だ!』『飛び出せ!青春』『われら青春!』といった一連の青春学園シリーズを執筆。他、数多くの人気テレビドラマの脚本を書く。晩年は舞台の脚本も手がける。(新橋演舞場『都おどり』など) 叔父の阿木翁助の影響で大学時代からラジオドラマを書き始める。大学の同級生に監督の高瀬昌弘がおり、彼がメイン監督となった『これが青春だ』の折に「君の青春を提供してくれ」と依頼を受け、その後も一連のシリーズに執筆しつづけた。
高瀬 昌弘(髙瀬昌弘)(たかせ まさひろ、1931年7月22… 高瀬 昌弘(髙瀬昌弘)(たかせ まさひろ、1931年7月22日 - 2019年12月28日)は、日本のテレビ監督、著作家。福岡県出身。 1954年、早稲田大学第一文学部演劇科卒業。同級生に脚本家の上條逸雄、俳優の宇津井健などがいた。同年、東宝撮影所演出部に入社。稲垣浩監督の『宮本武蔵』(1954年)で初めて助監督に付き、以後稲垣浩監督のもとで1965年までの間に20本の助監督を務め、師と仰ぐ。その間に黒澤明監督『隠し砦の三悪人』(1958年)の助監督につき、丸山誠治監督『サラリーマン御意見帖 男の一大事』(1960年)でチーフ助監督に昇進。1965年末、東宝テレビ部へと移籍し、テレビドラマ『青春とはなんだ』第17話「遠い空の果てに」(1966年2月13日放送)で監督デビュー。
山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 202… 山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 2026年3月13日)は、日本の児童文学作家、ノンフィクション作家。 『間違いだらけの少年H』などの共著者である山中典子は二番目の妻である。 北海道小樽市で8歳まで育った。父親の仕事の関係で神奈川県平塚市に転居するが、戦争中縁故疎開で再び小樽に戻った。1944年に旧制小樽中学校(現、北海道小樽潮陵高等学校)の面接試験を受けたとき、戦争の現状を問われて「負け戦です」と答え、付き添いの教師をうろたえさせる。彼としては苦戦しているという率直な気持ちを述べたつもりだった。付き添った教師は不合格をおそれたが、結局は合格した。 日本の敗戦が決まった際、当時まだ14歳ながら敗戦を天皇に詫びるため、真剣に自決しようと考え辞世の句まで練っていたが、友人から「連合艦隊司令長官や軍司令官でもないお前が、どうして自決など考えるのか」と呆れられ「それもそうだ」と我に返ったという。
深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 20… 深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 2014年7月14日)は、日本の作家。本名は深田 雄輔。 1982年に『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞。 東京市で生まれる。曾祖父は江戸城の「奥」に出入りする御用商人で、祖父深田米次郎は日本橋で深田銀行を設立するも不況により愛知銀行 (東海銀行の前身)に吸収され父は、入サ証券を創業して、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に丸三証券(前身の「長尾秀一商店」)へ売却している。なお、この頃避暑に湘南に行った際、東条英機首相と会っている。暁星高等学校を経て早稲田大学法学部に入学し、在学中より堀辰雄に傾倒して曽野綾子らとともに同人誌『ラマンチャ』に参加している。
浅野 八郎(あさの はちろう、1931年6月18日 - 20… 浅野 八郎(あさの はちろう、1931年6月18日 - 2022年1月26日)は、日本の占い師、作家。 愛知県名古屋市出身。1954年早稲田大学文学部仏文科を卒業。翌年、同大学院よりフランスに留学。ソルボンヌ大学などで学ぶ。帰国後、1962年に『手相術』を発表し、大ベストセラーとなる。日本占術協会会長、国際予想科学協会会長、アメリカ人間心理学会会員、ニューヨーク科学アカデミー国際会員。 1969年、日本万国博覧会の住友童話館において、コンピュータによる人相のパターン認識を用い性格判断を行った。 1974年11月22日、日本占術協会を創立し会長に就任。2014年12月22日、一般社団法人日本占術協会の名誉会長に就任。
三浦哲郎(みうら てつお、1931年3月16日 - 2010… 三浦哲郎(みうら てつお、1931年3月16日 - 2010年8月29日)は、日本の小説家、日本芸術院会員。 青森県八戸市に生まれた。早大に入学したが中退、郷里で2年間中学教師を務めたあと、早大仏文科に再入学し、文学を志す。 井伏鱒二に師事し、純愛小説『忍ぶ川』(1960年)で芥川賞受賞。以後、『恥の譜』(1961年)、『初夜』(1961年)などの情感深い私小説を発表し続けた。1985年、ふしあわせだった家族に対する鎮魂の書『白夜を旅する人々』(1984年)で大仏次郎賞受賞。私小説の系譜を継ぐ代表的作家である。 青森県八戸市三日町の呉服屋「丸三」の三男として生まれる。青森県立八戸高等学校へ進学し、八戸高校の籠球部時代に「はやぶさの哲」と呼ばれた(当時の遠征の様子を『笹舟日記』に残している)。
常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年〈昭和6年〉3月1日… 常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年〈昭和6年〉3月1日 - 2013年〈平成25年〉1月22日)は、日本の作家・翻訳家・アメリカ文化研究者。別名に、大原寿人(おおはらとしひと)。 岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。母親は福島県の出身。税務署員だった父親の転勤に伴って生後半年で水沢を離れ、山形県長井町、宮城県石巻市と転居した。小学校時代に仙台市に落ち着き、高校卒業までを同地で過ごした。宮城県仙台第二高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文科卒。同大学院修了。 早川書房に入社。1961年には新雑誌「ホリディ」の編集長になるが11号のみの発行となる。都筑道夫、生島治郎の後任として、ミステリー小説誌 『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(日本版)の三代目編集長を、1963年(昭和38年)から6年間務めた。
山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 202… 山本 博(やまもと ひろし, 1931年2月6日 - 2024年1月17日)は、日本の弁護士、著作家、翻訳家、ワイン評論家。日本労働弁護団名誉会長、日本輸入ワイン協会会長、世界ソムリエコンクール日本代表審査委員、一般社団法人「日本ワインを愛する会」会長。東京ドイツワイン協会名誉顧問。 日本でもっともワイン関連著作の多い人物であるとされている。 1931年、神奈川県横浜市の伊勢佐木町にある商家(自転車屋)の生まれ。旧制中学3年だった14歳の時に太平洋戦争終戦を迎え、戦後にはサイクリングクラブを設立している。旧制中学卒業後、昼間は英語の通訳養成学校に通い、夜間は早稲田大学夜間部に通った。学生時代には学生演劇活動も行っており、後に劇団四季の顧問となっている。
清水 一行(しみず いっこう、1931年(昭和6年)1月12… 清水 一行(しみず いっこう、1931年(昭和6年)1月12日 - 2010年(平成22年)3月15日)は、日本の小説家。本名:清水和幸(しみず・かずゆき)。 実際に起きた経済事件に関わった実在の人物をモデルに、企業の実態や事件の内幕を描く作風を確立した。高杉良、城山三郎らと並ぶ経済小説の第一人者として知られる。息子に自動車評論家の清水草一、孫に元テレビ朝日アナウンサーの竹内由恵、元俳優の竹内太郎がいる。 東京府南葛飾郡吾嬬町(現在の東京都墨田区八広)の2階屋が4軒続く長屋で、大工の次男として生まれた。父は忠助、母ははな。清水が生まれた吾嬬町は、『玉の井』と呼ばれる私娼街(娼家が密集している地域)の南側に隣接していた。
大海 赫(おおうみ あかし 1931年1月12日 - 男性)… 大海 赫(おおうみ あかし 1931年1月12日 - 男性)は日本の児童文学作家。イラストレーターとして挿絵も兼任。人間心理のダークサイドをえぐる作品を書く。 東京都港区新橋生まれ。生家はファーストホテルヨシカワの正面にあった。3歳でぜんそくをわずらい、学校行事どころか朝礼もなかなか出席できなかった。兄弟も二人は乳児の時、一人は27歳で亡くなっている。食肉加工業者の父と異なる仕事につきたいと考え、将来の夢が小学生の時は漫画家だったが、16歳の時に作家を目指す。早稲田大学第一文学部仏文科でブレーズ・パスカル、大学院ではアンリ・ベルクソンに傾倒する。 卒業後は就職したくなく、神奈川県横浜の下宿先の大家がたまたま書道塾を兼業しており、ふとしたはずみでここを利用して学習塾を営むことになった。
森 与志男(もり よしお、1930年12月5日 - 2015… 森 与志男(もり よしお、1930年12月5日 - 2015年3月8日)は、日本の小説家。 東京府に生まれる。戦時中は福島県に疎開し、同地の機関庫に勤務していた。戦後、東京へ戻って早稲田大学に学ぶ。卒業後、都立高校に英語教師として勤務する傍ら、小説を書き始める。教師生活に取材した、社会の底辺に置かれて苦しむ青年たちの姿を描いた作品集『荒地の旅』(新日本出版社、1978年)で注目を浴びる。その後も教育問題に関する作品を多く執筆し、戦時中に教師として生きる女性を描いた『炎の暦』で第20回多喜二・百合子賞を受賞した(1988年)。ほかに自らの青春期を描いた『時の谷間』『戦後の風』や、戦時下の教育を描く『炎の暦』の続編『河は流れる』、2000年代初頭の学校における国旗・国歌の強制に題材を取った『普通の人』などの作品がある。
中山士朗(なかやま しろう、1930年11月22日-2022… 中山士朗(なかやま しろう、1930年11月22日-2022年10月12日 )は、日本の作家。 広島市生まれ。広島県立広島第一中学校在学中に被爆。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。1993年の『原爆亭折ふし』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
北川 幸比古(きたがわ さちひこ、1930年10月10日 -… 北川 幸比古(きたがわ さちひこ、1930年10月10日 - 2004年12月25日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、編纂家。 のちの東京都立豊多摩高等学校在籍時は中原中也や立原道造などの詩に傾倒し、自ら詩の雑誌を作るなどしていた。同級の友人であった谷川俊太郎は、それに影響され自らも詩作を行うようになった。 1954年に早稲田大学國文科を卒業した。児童雑誌『ぎんのすず』編集部に勤務した。 1956年頃から2年ほど的場書房という出版社を独りで経営していた。的場書房からは谷川の『絵本』(1956年)、寺山修司の第一歌集『空には本』(1958年)などを出版している。 その後、児童文学の道を歩み、1960年代から児童SFを執筆し、のちに詩集の編纂を多く手掛ける。
野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月1… 野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月10日 - 2015年〈平成27年〉12月9日)は、日本の小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家。参議院議員(1期、任期途中で退職)を務めた。 神奈川県鎌倉市で生まれる。程なく生母が亡くなり、兵庫県神戸市の親戚宅の養子に。空襲で養父を失い、疎開先で妹を栄養失調で亡くし放浪した。こうした体験から、「焼跡闇市派」を自称した。 早稲田大学仏文科中退。在学中からコント・テレビの台本、CMソングの作詞などで活躍。 『エロ事師たち』(1963年)で小説家デビュー。妹への贖罪から書いた『火垂るの墓』(1967年)、占領下の世相を描いた『アメリカひじき』(1967年)で直木賞受賞。
澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日… 澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日本のノンフィクション作家、社会運動家。東京都港区青山出身。 編集者を経て『妻たちの二・二六事件』(1972年)で作家に。綿密な取材で、真実に迫る作品を執筆。作品に『火はわが胸中にあり』(1978年)、『もうひとつの満州』(1982年)、『滄海よ眠れ』(1985~86年)など。 大工の長女として生まれる(下に妹と弟)。父親は小学校卒業後伊豆での見習修業を経て大工となり、久枝が4歳の時、家族で満洲へ移住し、吉林市の満鉄社宅で暮らした。1945年、吉林で敗戦を迎え1年間の難民生活の後に日本に引き揚げ山口県立防府高等学校に編入した。1947年夏に東京に移り焼野原の原宿に建てた6畳のバラックで育つ。
高橋 健(たかはし けん、1930年7月25日 - 2007… 高橋 健(たかはし けん、1930年7月25日 - 2007年3月1日)は、日本の編集者、児童文学作家、動物文学作家、翻訳家。本名は高橋健(タカハシ タケシ)。俳号は草風子。 岐阜県関市に生まれる。大阪府大阪市で育つ。 15歳で終戦を迎えるまでの5年間を、父の勤務地である上海で過ごす。1954年、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。早大在学中は早大童話会に所属、坪田譲治に師事。1955年平凡社に入社。 20年間の編集者生活ののち、1975年に退社し、以後作家生活に入る。この間、1973年動物雑誌「アニマ」を企画・創刊、初代編集長を務めた。また、1961年、コピー部門で朝日広告賞を受賞。 映画「キタキツネ物語」企画・原案を担当。
大川 悦生(おおかわ えっせい、1930年7月6日 - 19… 大川 悦生(おおかわ えっせい、1930年7月6日 - 1998年3月27日)は、日本の児童文学作家。本名の読みは「よしお」。 長野県更級郡村上村(現埴科郡坂城町網掛)生まれ。父大川豊市(長野県上水内郡三水村・現飯綱町出身)、母やすの長男として生まれる。幼少期は東京で生活していたが、太平洋戦争でそのまま暮らし続けることが困難になり、母の実家に疎開した。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、早稲田大学文学部仏文科卒。在学中から早大童話会に属した。のち木下順二の影響で民話の再生に力を入れた。 1980年『たなばたむかし』で産経児童出版文化賞受賞。原爆についての作品もある。
桑原 幹夫(くわばら みきお、1930年〈昭和5年〉5月12… 桑原 幹夫(くわばら みきお、1930年〈昭和5年〉5月12日 - )は、日本の小説家、詩人、国文学者。 群馬県沼田市生まれ。兄は彫刻家の桑原巨守。群馬県立沼田高等学校を経て、早稲田大学第一文学部国文科を卒業。同大学院日本文学修士課程修了。1967年、『雨舌』で文學界新人賞を受賞。同年、『死の翼の下に』で第58回芥川賞候補となる。作家・野間宏に私淑し、表現主義的手法の作風で幻視・幻想の世界を描いたことに特色がある。その後は帝京大学教授を務めた。
佐藤 清彦(さとう きよひこ、1930年2月17日 - )は… 佐藤 清彦(さとう きよひこ、1930年2月17日 - )は、日本のノンフィクション作家。 宮城県生まれ。早稲田大学文学部卒。読売新聞社を経て、ノンフィクション作家。
牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1… 牛山 純一(うしやま じゅんいち、1930年2月4日 - 1997年10月6日)は、日本のドキュメンタリー映像作家。父は歴史学者の牛山栄治 東京都出身。小学6年生から旧制中学校卒業まで現在の茨城県龍ケ崎市で過ごす。 茨城県立龍ヶ崎中学校(現在の竜ヶ崎第一高等学校)を経て1953年、早稲田大学第二文学部西洋史学専修卒業。早稲田大学卒業後、開局したての日本テレビに入社し、報道記者として活躍。 1954年に日本テレビで放送された、吉田内閣不信任案における国会の混乱や造船汚職事件などを扱った『特集第十九国会』が彼のテレビ・ドキュメンタリーのデビューとなった。 1961年から、ドキュメント番組『ノンフィクション劇場』を制作。
藤浦 敦(ふじうら あつし、1930年1月1日 - 2023… 藤浦 敦(ふじうら あつし、1930年1月1日 - 2023年5月28日)は、日本の映画監督・プロデューサー、脚本家、落語作家。 東京都港区赤坂出身で、実家は青果問屋の家系。先々代藤浦周吉(三周)が初代三遊亭圓朝一門を経済的に支援した縁から「圓朝」の名跡を預かることになり、「三遊派宗家」を名乗る。 祖父は藤浦周吉(三周)、父は東京市会議員も務め東京中央青果株式会社(現在の東京シティ青果株式会社)の初代社長で三遊亭圓朝関連の著書も多数出版した藤浦富太郎。 1952年早稲田大学政治経済学部卒業後、同大学大学院国文科を中退し、読売新聞記者を経て、1954年、日活入社。助監督となり、伊藤大輔監督を師と仰ぐ。
青木 和雄(あおき かずお、1930年 - )は、日本の児童… 青木 和雄(あおき かずお、1930年 - )は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部心理学科卒業。 横浜市教育委員会指導主事、横浜市立小学校校長を経て、教育カウンセラーとなる。カウンセラーとしての経験を生かし、いじめや児童虐待をテーマにした児童書を多数出版。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
水沢周(水澤周、みずさわ しゅう、1930年- )は、日本の… 水沢周(水澤周、みずさわ しゅう、1930年- )は、日本のノンフィクション作家、歴史家、作家。 東京生まれ。1954年早稲田大学文学部卒業。NHK勤務、国際文化振興会、日本読書新聞等を経てフリー編集兼ライター。
桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年… 桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年8月13日)、日本の脚本家、小説家、翻訳家、映画評論家。男性。岐阜県出身。別名義に宇治 英三、リチャード・ピータース。本名は島内 三秀である。 父は高知県出身の陸軍将校。読書家だった母の影響と病弱だったことから、読書に耽る少年時代を送った。1943年(昭和18年)、志願して名古屋陸軍幼年学校に入学し、ここで終戦を迎える。退校直前に幼年学校の映画会で古川緑波主演の喜劇を観て、映画の魅力に取り憑かれた。 1954年(昭和29年)、早稲田大学文学部卒業。1955年(昭和30年)にTBSに入社。編成局連絡課に配属されるが、激務のために高校時代に患った結核が悪化して6ヶ月で退社。
平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 20… 平岡 篤頼(ひらおか とくよし、1929年5月2日 - 2005年5月18日)は、日本の仏文学者・文芸評論家・作家。早稲田大学名誉教授。 1929年(昭和4年)大阪市生まれ。1952年(昭和27年)早稲田大学文学部仏文科卒業。1961年(昭和36年)大学院文学研究科仏文学専攻博士課程満期退学。1957年から1960年パリ大学に学び、1962年(昭和37年)早稲田大学文学部講師、1965年(昭和40年)助教授、1970年(昭和45年)教授、2000年(平成12年)定年、名誉教授。 アラン・ロブ=グリエ、クロード・シモン、マルグリット・デュラス等、ヌーヴォー・ロマンの翻訳で知られているが、バルザックやメリメ等も翻訳し、小説も書くなど、幅広い活動をおこなった。
竹西 寛子(たけにし ひろこ、1929年4月11日 - )は… 竹西 寛子(たけにし ひろこ、1929年4月11日 - )は、日本の小説家、日本芸術院会員、文化功労者。
福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月… 福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月25日 - 2012年〈平成24年〉11月19日)は、日本の童話作家。愛知県名古屋市出身。 名古屋市立東白壁小学校、愛知県立明倫中学校、第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学第一文学部国文科卒業。大学在学中は小説を1か月に原稿用紙千枚以上必ず[要出典](200枚程度)書いていたという。大学卒業後は文筆生活に入り、純文学、児童文学、ミステリなどジャンルを問わず様々な文学賞に応募をし続けた。1946年より静岡県熱海市に移住し、生涯在住した。 1956年に「赤い鴉」で、黒岩松次郎(後の団鬼六)らを抑えて文藝春秋の第9回オール新人杯を受賞。 代表作は、1964年に第5回講談社児童文学新人賞を受賞した『クレヨン王国の十二か月』。
土本 典昭(つちもと のりあき、1928年12月11日 - … 土本 典昭(つちもと のりあき、1928年12月11日 - 2008年6月24日)は、記録映画作家、ルポルタージュ作家。
寺村 輝夫(てらむら てるお、1928年11月8日 - 20… 寺村 輝夫(てらむら てるお、1928年11月8日 - 2006年5月21日)は、日本の児童文学作家。東京都出身。代表作は『王さまシリーズ』『こまったさん』『わかったさん』シリーズ、『かいぞくポケット』など。 東京都本郷区(現・文京区)真砂町に、9人兄弟(男7人・女2人)の6男として生まれる。父は日本橋馬喰町の名刺メーカーに勤める中流階級、母は浅草田原町の宮大工の娘。天皇即位礼(御大典)の影響で典夫と名づけられる予定だったが、ありきたりな名という事で、当時の新聞に目立った「輝」を取って輝夫と命名された。幼少時は「特定の境遇にある者を差別してはいけない」と寺村に何度も教えた母の後を追いかけてばかりだったという。
草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 19… 草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 1993年7月25日)は、日本のロシア文学研究者、詩人、小説家、翻訳家。 後の神奈川県鎌倉市に生まれる。父は海軍兵学校校長を務めた草鹿任一であり、草鹿龍之介も親戚にあたるという海軍一家に育ち、湘南中学校から1945年海軍兵学校に入学する(77期)も、まもなく終戦を迎え、復員する。 第二次世界大戦復員後は、横浜工業専門学校を卒業後、早稲田大学に編入学して、ロシア文学を学ぶ。その後、早稲田大学や中央労働学院などで教えながら、日本福祉大学の教授となり、副学長も務めた。 また、詩人としては〈詩人会議〉の常任運営委員も務め、詩集も刊行した。 アレクサンドル・プーシキンを中心とした19世紀文学と、エフゲニー・エフトゥシェンコなどの同時代の詩人を中心に研究し、その方面の著書・訳書も多い。
吉住 侑子(よしずみ ゆうこ、1928年6月16日 - 20… 吉住 侑子(よしずみ ゆうこ、1928年6月16日 - 2014年7月20日)は、作家。 千葉県生まれ。本名・根本美代。早稲田大学国文学専攻科修了。『文学者』『三田文学』『季刊文科』などに作品を発表。1985年「遊ぶ子どもの声きけば」で北日本文学賞受賞。2004年「戯れの秋」で小島信夫文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中込 道夫(なかごめ みちお、1928年6月10日 - 20… 中込 道夫(なかごめ みちお、1928年6月10日 - 2010年)は、日本の政治学者、川柳作家。 東京府(北区)出身。柳名・清水みちを。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院国際政治学専攻修士課程修了。新聞記者、私立高校教諭などをへて、1967年神奈川県逗子市で池子弾薬庫反対市民会議を結成。1983年6月フィリピンのミンダナオ島の未開地で青年海外協力隊などの協力で農業大学を開設、副学長となる。足利工業大学教授、適正科学研究所所長。
古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11… 古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2014年〈平成26年〉6月8日)は、日本の評論家、児童文学作家。本名同じ。 父は国文学者の古田拡、東京大学教授を務めた国文学者・古田東朔は兄。早稲田大学第一文学部露文科在学中、早大童話会にて鳥越信らと『少年文学宣言』を草案・発表。その後中退。児童文学の評論、創作など多様な活動を続けた。 1960年(昭和35年)『現代児童文学論』第9回日本児童文学者協会新人賞。1967年(昭和42年)『宿題ひきうけ株式会社』第7回日本児童文学者協会賞。 愛媛県川之江町(現:四国中央市)にて、1927年(昭和2年)八人兄弟の三男として生まれる。
小林勝(こばやし まさる、1927年11月7日 - 1971… 小林勝(こばやし まさる、1927年11月7日 - 1971年3月25日)は、日本の小説家である。代表作に『断層地帯』『蹄の割れたもの』、戯曲『檻』などがある。早稲田大学露文科中退。 日本統治時代の朝鮮慶尚南道の晋州に生まれた。父は朝鮮で農林学校の生物教師をしていた。小林は植民者の息子として朝鮮で育ち、1944年大邱中学校4年修了時点で、陸軍予科士官学校に入学した。1945年3月には特攻要員として陸軍航空士官学校に入学。敗戦によって復員した小林は、1948年に日本共産党に入党し、50年代の日本共産党が分裂抗争した時期には、徳田球一率いるいわゆる所感派に属して「火炎瓶闘争」に加わって逮捕される。その経験をもとに書いたものが、代表作である『断層地帯』である。
鈴木 俊平(すずき しゅんぺい、1927年5月7日 - 20… 鈴木 俊平(すずき しゅんぺい、1927年5月7日 - 2006年6月9日)は、日本の小説家。 茨城県、現在の北茨城市平潟出身。本名・鈴木俊一。作家の星新一は母の従兄弟(星新一の父・星一は祖母の兄)。祖父の代に旅館業のかたわら始めた酒造業「住の友酒造」(1909年創業)を継ぐため、一度は広島工業専門学校発酵工学科に進み招徳酒造 (伏見) の子息と同期になる。だが小説の志を貫こうと早稲田大学文学部に入学、同学卒業。生家は弟の禎が継ぐ。 少年時代から同人誌活動を続け、1957年『発酵』を自費出版した。1982年、結核性腸腫瘤にかかったが、一命をとりとめた。1984年、茨城県五浦海岸の風船爆弾の大津基地の跡地に記念碑「わすれじ平和の碑」を建てた[要追加記述]。
伊藤 晃(いとう あきら、舘野晃、1927年(昭和2年)- … 伊藤 晃(いとう あきら、舘野晃、1927年(昭和2年)- )は日本の作家である。 伊藤晃こと舘野晃は、千葉縣東葛飾郡流山町にて生まれる。 旧制東葛飾中学校(現:千葉県立東葛飾中学校・高等学校)を経て、早稲田大学文学部を卒業した。
戸部 新十郎(とべ しんじゅうろう、1926年(大正15年)… 戸部 新十郎(とべ しんじゅうろう、1926年(大正15年)4月8日 - 2003年(平成15年)8月13日)は、日本の小説家。 石川県七尾市生まれ。祖先は戦国時代に今川義元に属した尾張笠寺城主の戸部新左衛門政直である。この「戸部新左衛門」という名は、尼子騒兵衛の漫画「落第忍者乱太郎」の登場人物「戸部新左ヱ門」(忍術学園の教師)の由来になっている。また、「新十郎」という名は戸部新左衛門政直の息子の名であり、戸部の父が祖先の名にあやかって命名したそうである。スポーツライターの戸部良也は弟。 金沢一中(現石川県立金沢泉丘高等学校)卒業、早稲田大学政治経済学部中退。北国新聞社記者を経て、作家となる。クラブ雑誌に多岐流太郎の筆名で時代小説を書きはじめていたが、昭和四十年代に入ると長谷川伸創始の「新鷹会」の同人となり、筆名を本名の「戸部新十郎」に改めた。
立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤… 立原 正秋(たちはら まさあき、金胤奎、キム・ユンキュ、김윤규、1926年1月6日 - 1980年8月12日)は、朝鮮半島出身の日本の小説家・随筆家・詩人・編集者。 1926年(大正15年)1月6日、朝鮮の慶尚北道安東郡で生れた。自著などでは大邱市生れとされていたが、武田勝彦や高井有一の調査によると、安東郡である。早稲田大学専門部国文科中退(入学時は法律学科)。 小林秀雄を導き手として世阿弥の芸術論や謡曲をはじめとする中世の日本文学に深く沈潜し、「中世」をみずからの創作活動の原点とした。 父の死後、母が再婚して渡日したため、叔父(母の弟)の家などに引き取られて育ち、その後、1937年(昭和12年)の11歳のときに内地(日本)に渡り、母たちと同居し横須賀で育った。
安川 茂雄(やすかわ しげお、1925年12月13日 - 1… 安川 茂雄(やすかわ しげお、1925年12月13日 - 1977年10月23日)は、日本の登山家、ノンフィクション作家、登山史研究家。 本名は長越成雄。東京出身。早稲田大学文学部仏文科卒。 中学時代から登山を好み、登山家、編集者として働きながら、「霧の山」などの山岳小説を発表。 1966年RCCヒンズークシ登山隊長。三笠書房編集長、朋文堂、あかね書房などの顧問を経て、1974年四季書館を設立、社長を務めた。
大石 真(おおいし まこと、1925年12月8日 - 199… 大石 真(おおいし まこと、1925年12月8日 - 1990年9月4日)は、日本の児童文学作家。 埼玉県北足立郡白子村(後に和光市へ合併)出身。父は医師で、「大石医院」を営んでいた。白子尋常小学校に入学後、豊島区の西巣鴨第五尋常小学校に転校。同級生に童話作家の松谷みよ子がいる。 戦争を嫌い、兵役を逃れるために科学の道を志し、早稲田大学の理系学部に1945年入学。1947年、第一文学部英文学科に編入。早大童話会に入会し、坪田譲治のコネにより小峰書店で編集のアルバイトをしつつ大学生活を送り、1950年に大学を卒業すると小峰書店の正社員となった。1951年7月、早大童話会から派生した「びわの実会」の旗揚げに参加し、創作活動に専念。
井上 太郎(いのうえ たろう、1925年7月14日 − 20… 井上 太郎(いのうえ たろう、1925年7月14日 − 2022年3月18日[要出典])は、日本の作曲家、クラシック音楽評論家、作家である。湘南モーツァルト愛好会名誉会長。日本音楽療法学会元理事。 江戸時代から日本橋本石町に続く薬種問屋の江戸っ子7代目。生まれたのは1925年7月、東京都渋谷区桜丘。女中がいつも4人はいる環境で育つ。姉に妹2人の真ん中の男で、特別大事にされた。祖父と父は薬よりも化粧品の製造に力を入れ、その結果生まれたオシドリ銘柄のポマード、香水、椿香油は、大正、昭和前半の花形となった。 近所の大和田小学校に入学した頃、近くに住む高という英語の通訳に英会話の基礎を習った。この通訳の息子はチェリストの高勇吉で、娘はヴァイオリニストの高珠枝である。
菊村 到(きくむら いたる、本名:戸川 雄次郎(とがわ ゆう… 菊村 到(きくむら いたる、本名:戸川 雄次郎(とがわ ゆうじろう)、1925年5月15日 - 1999年4月3日)は、日本の作家・小説家。神奈川県平塚市出身。 旧制湘南中学を経て、1944年に仙台陸軍予備士官学校へ入学。翌年卒業し秋田へ見習士官として赴任したが、そこで終戦を迎える。復員直後から早稲田大学文学部英文学科へ通い、この頃から執筆活動を始める。 1948年、大学卒業と共に読売新聞社へ入社。社会部の記者として活動する傍らで執筆活動を行うようになり、同年6月に『川の上』1949年10月に『死臭』を発表し作家としてデビュー。1954年には『受胎告知』が第32回芥川賞候補となる。 この頃までは本名で活動していたが、やがて記者活動との兼ね合いから、1955年の結婚を境に「菊村到」のペンネームで執筆を行うようになる(後述)。
夏堀 正元(なつぼり まさもと、1925年1月30日 - 1… 夏堀 正元(なつぼり まさもと、1925年1月30日 - 1999年1月4日)は、日本の小説家。 1925年、北海道小樽市において、小樽地方裁判所の判事を務めていた夏堀悌二郎(のちに北海道会議員、公選初代の八戸市長)の子として生まれる。1939年に父の郷里青森県に移る。1941年に中央大学予科に入学、1944年に旧制早稲田大学国文科に入学する。学徒出陣し、戦後大学に戻るが、1950年に中退する。北海道新聞社に入社、1954年に退社し、1956年に「呪文脱出」を『新潮』に発表し、作家として立つ。1960年に下山事件に取材した長編小説『罠』を刊行、評価される。1965年より同人誌『層』を5年間運営、黒井千次、井出孫六、色川武大などが加わった。
戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月… 戸川 猪佐武(とがわ いさむ、1923年(大正12年)12月16日 - 1983年(昭和58年)3月19日)は、日本の政治評論家・作家。神奈川県平塚市出身。父親は小説家で平塚市市長を務めた戸川貞雄、弟は小説家の菊村到。 旧制湘南中学を経て早稲田大学政治経済学部へ入学するが、赤紙が来て陸軍へ召集される。しかし、徴兵検査で病気が分かり延期となる。 回復後に再び召集されるが直後に終戦を迎え、早大に復学して卒業する。 1947年(昭和22年)、読売新聞に入社。政治部記者として、数多くの政治家に取材して顔を知られるようになる。一時期は特派員としてモスクワにも滞在していた。1955年に河野謙三から、父・貞雄の平塚市長選挙への出馬説得を依頼されたことから、仲介役を務め、父親を当選させることに成功している。
虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1… 虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1991年6月15日)は、日本の作家、評論家、随筆家、翻訳家。
戸井 昌造(とい しょうぞう、1923年(大正12年)4月1… 戸井 昌造(とい しょうぞう、1923年(大正12年)4月16日 - 2000年(平成12年)4月17日)は、日本の画家、民俗研究家、作家。兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。息子は作家の戸井十月。 早稲田高等学院在学中に学徒出陣で中国に赴任。敗戦により捕虜となった後に復員し、早稲田大学に復学するが中退。1946年に共産党に入党し、1950年に脱党。 人形劇団プークでの民主主義的文化活動などを経て画家となる。それと並行して日本の民俗史や民衆史などを研究。特に秩父事件の研究では第一人者とされている。 人形劇団プークのリーダーだった、川尻東次・川尻泰司兄弟の妹・錦子と結婚。 2000年4月17日、胃がんにより死去。
前川 康男(まえかわ やすお、1921年12月25日 - 2… 前川 康男(まえかわ やすお、1921年12月25日 - 2002年10月14日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 東京出身。1939年早稲田第一高等学院に入学し、「早大童話会」に参加、1942年早稲田大学独文科に入学するが1943年学徒出陣、敗戦後上海に抑留され、1946年帰国。児童文学の出版社に勤めるがこれをやめ児童作家となる決意をし、1950年新潮社でアルバイトを始めそのまま11年間勤める。 1952年「川将軍」「村の一番星」で、児童文学者協会新人賞受賞。1963年「びわの実学校」編集同人となる。1967年『ヤン』で産経児童出版文化賞、1969年『魔神の海』で日本児童文学者協会賞、1981年『かわいそうな自動車の話』で野間児童文芸賞受賞。
幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 19… 幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 1995年4月21日)は、日本の小説家、推理作家。旧姓は長島。 北海道出身。札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、早稲田大学文学部国文科に入学。大東亜戦争の戦況拡大により繰り上げ卒業して、海軍飛行科予備学生となる。ラバウルで終戦を迎えて1946年に復員後はNHK、ニッポン放送に勤務。 1970年、長編「ベネトナーシュの矢」が第16回江戸川乱歩賞の最終候補となる(受賞作は大谷羊太郎の『殺意の演奏』)。これを改題した『死を呼ぶクイズ』を翌1971年に刊行。以後も、A・E・W・メースン、エラリー・クイーンなどの影響を受けた本格志向の作品を発表。
吉村 平吉(よしむら へいきち、1920年8月3日 - 20… 吉村 平吉(よしむら へいきち、1920年8月3日 - 2005年3月1日)は、東京都出身の日本の作家。 東京市赤坂に生まれる。父は書画骨董商で、平吉は長男だった。小学生時代から父に芸者の置屋に連れられたという。旧制中学3年生の時、榎本健一が所属していた劇団「ピエル・ブリヤント」のレビューに熱中して浅草に通い詰めた。ついには自作のレビュー台本を持ち込み、早稲田大学専門部政治経済科在学中には、文芸部見習いとなることを許される。 しかし、徴兵されて内モンゴルの包頭で兵役に就いた。1945年12月に復員。帰国後は「空気座」という劇団(左卜全・有島一郎らが参加)の代表となるが、資金不足により1年ほどで解散し、以後は上野駅や新橋駅界隈で娼婦を斡旋する「ポン引き」を稼業とした。
永井 萠二(ながい ほうじ、1920年5月4日 - 1993… 永井 萠二(ながい ほうじ、1920年5月4日 - 1993年9月6日)は、日本のジャーナリスト、児童文学作家。 東京生まれ。父の萬助は新聞記者。早稲田大学文学部社会学科卒業。在学中は早大童話会に所属。 1946年朝日新聞社に入社、戦後は出版局編集委員を務める。児童向けのノンフィクションやルポルタージュを執筆。 1956年『ささぶね船長』でサンケイ児童出版文化賞受賞。のち聖徳学園短期大学教授を務めた。墓所は多磨霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。