堂野 夢酔(どうの むすい、1944年(昭和19年)8月18… 堂野 夢酔(どうの むすい、1944年(昭和19年)8月18日 - )は、日本の水墨画家。本名・堂野修吾。血液型B型。 出生地は父の赴任先であった兵庫県有馬郡三田村(現・三田市)であるが、終戦とともに一家は本籍地の兵庫県揖保郡越部村(現・たつの市)に帰郷したため、夢酔本人は「三田の記憶はなく母や姉から三田時代は話で知るのみです。」としている。新宮町立越部小学校・新宮町立新宮中学校・兵庫県立龍野高等学校を経て大阪工業大学機械科卒業。 1966年(昭和41年)の姫路大博覧会で見た硬貨計算機に興味を覚えその製造元であった国栄機械(現・グローリー株式会社)に入社。第二検査係、三井造船玉野出向を経て企画・開発部門で主に銀行向けOEM製品の開発等に従事、1978年(昭和53年)より東京事務所所属となり東京と姫路を往復する勤務を続ける。
原 博之(はら ひろゆき、1944年 - 2021年)は、愛… 原 博之(はら ひろゆき、1944年 - 2021年)は、愛知県出身の日本の官僚。元建設省建設大臣官房審議官。元建設保全センター専務理事。元清水建設常務執行役員。原企画代表取締役。 1967年大阪工業大学建築学科卒業後、建設省(現在の国土交通省)入省。近畿地方建設局営繕部長、本省営繕計画課長、建設大臣官房審議官を歴任。各省庁と連携して国の施設の企画・計画に一貫して携わる。重要施設の計画については、施設の現地調査も行った。特に、阪神・淡路大震災時には現地責任者として施設復旧の陣頭指揮を執った。 退官後は、一般財団法人建設保全センター専務理事、清水建設常務執行役員なども務めた。 2015年春の叙勲に於いて、瑞宝中綬章を受章。
梅村 正廣(うめむら まさひろ、1943年8月8日 - 20… 梅村 正廣(うめむら まさひろ、1943年8月8日 - 2007年12月25日)は、京都市出身の日本の経営者。京セラ元代表取締役副社長・副会長/CFO。 1966年大阪工業大学工学部卒業後、同年京セラ入社。1968年に当時の京セラ貿易部長の上西阿沙(後に京セラ副社長)と部員の梅村正廣の2人が米国丸紅(ロサンゼルス)の中に事務所を開設、駐在した。1991年 京セラ取締役。1993年 同社常務取締役。1997年 同社代表取締役専務。1999年 同社代表取締役副社長およびエア・ドゥ取締役を兼任。2005年 京セラ代表取締役副会長/CFO。その間、上海京瓷房地産開発有限公司董事長、上海京瓷貿易有限公司董事長も経験。
寺井 忠正(てらい ただまさ、1943年6月10日 - )は… 寺井 忠正(てらい ただまさ、1943年6月10日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・工学博士、桜花会相談役。 専門は、天然物化学・生化学(バイオサイエンス)、有機合成化学・薬化学、農芸化学・食品化学 。 1967年大阪工業大学工学部応用化学科卒業。1970年同大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。1972年同大学工学部応用化学科助手。応用化学教室を担当し、講師、助教授を経て、1990年工学博士。1999年同学科教授。2014年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部応用化学科にて約40年の長きに渡り教鞭を執り、大阪工業大学桜花会相談役、紀要委員会2010委員も歴任した。 主な所属学会は、日本化学会、有機合成化学協会、日本農芸化学会、日本薬学会、日本応用糖質科学会。
谷口 勝則(たにぐち かつのり、1943年4月21日 - )… 谷口 勝則(たにぐち かつのり、1943年4月21日 - )は、日本の電気工学者。大阪工業大学名誉教授・電気クラブ元副会長。工学博士(大阪府立大学)。パワーエレクトロニクス学会元会長。電気学会フェローおよび電力変換国際会議(PCC-Osaka)2002実行委員長。元IEEE-IE TOKYO CHAPTER VICE CHAIRMAN。 専門は、パワーエレクトロニクス、電力工学・電力変換(特にインバータ・コンバータ)、電気回路・電動機制御システムなど。 長崎県出身。1966年大阪工業大学工学部電気工学科卒業。1970年大阪府立大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了、のちに工学博士(大阪府立大学)号を取得。
宇井 徹雄(うい てつお、1943年 - )は、日本の経営工… 宇井 徹雄(うい てつお、1943年 - )は、日本の経営工学者。大阪工業大学名誉教授・第5代工経会会長。工学博士(東京工業大学)。日本経営工学会名誉会員・元会長。元経営情報学会理事・関西支部長。元日本人間工学会評議員。 専門は、経営工学・技術経営 (MOT)、インダストリアルエンジニアリング、ナレッジマネジメント、社会システム工学。 1966年大阪工業大学工学部工業経営学科(のちの経営工学科)を卒業(第一期生)、同大学助手。1971年同大学大学院工業経営学修士課程修了。のちに東京工業大学より工学博士の学位を取得。 大阪工業大学工学部経営工学科(現:情報科学部データサイエンス学科)講師、助教授を経て、1988年同学科教授。
吉田 誠宏(よしだ まさひろ、1943年 - )は、日本の環… 吉田 誠宏(よしだ まさひろ、1943年 - )は、日本の環境化学者・地方公務員。元大阪府公害監視センター所長。元大阪府環境協会副理事長。全国環境研協議会2001副会長。環境省登録環境カウンセラー。 1943年奈良県生まれ。大阪工業大学工学部応用化学科卒業。1966年大阪府に入庁。公害室公害指導課水質係にて、淀川・大和川流域の公害水質調査に従事。その後、公害大気関係を担当し、ばい煙や有害物質の測定・苦情処理・規制指導および騒音・振動など典型七公害に対応。以後約30年間、関空I期工事、II期工事、USJなど10以上の環境アセスメントや大阪府環境総合計画・自動車NOx計画の策定に従事。2000年大阪府公害監視センター所長となり、民間測定業者の育成や監視体制の効率化に努める。
北條 勝彦(ほうじょう かつひこ、1942年9月25日 - … 北條 勝彦(ほうじょう かつひこ、1942年9月25日 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学名誉教授、工学博士(慶應義塾大学)。元大阪工業大学校友会会長。元私立大学情報教育協会理事。 専門は、数値流体力学、熱工学。 1965年大阪工業大学工学部機械工学科卒業。1970年慶應義塾大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了。1973年工学博士(慶應義塾大学)。大阪工業大学工学部機械工学科に助手として着任。その後、講師、助教授を経て、1988年同学科教授。2001年大阪工業大学校友会会長・第11代機械工学科同窓会会長。2011年大阪工業大学名誉教授。2022年春の叙勲で、瑞宝小綬章受章。 大阪工業大学工学部機械工学科で30年以上の長きに渡り教鞭を執り、同大学共同研究センター長、学生部長なども歴任した。
小山 富夫(こやま とみお、1942年5月6日 - )は、日… 小山 富夫(こやま とみお、1942年5月6日 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学名誉教授、工学博士(京都大学)。第12代大阪工業大学機械工学科同窓会会長。ベルト伝動技術懇話会第2代会長。 専門は、機械動力学(特に歯付ベルト・タイミングベルト)、精密工学(特にトライボロジー)。 1965年大阪工業大学工学部機械工学科卒業。のちに、京都大学大学院工学研究科にて工学博士。大阪工業大学工学部機械工学科助手、講師などを経て、1981年同大学助教授、1989年同学科教授。その間、1985年より1年間、テキサス大学オースティン校客員研究員。2004年第12代大阪工業大学機械工学科同窓会会長を務め、2007年同大学名誉教授。
永易 将之(ながやす まさゆき、1942年1月1日 - 20… 永易 将之(ながやす まさゆき、1942年1月1日 - 2003年4月1日)は、大阪府守口市出身の元プロ野球選手(投手)。 1970年の「黒い霧事件」にて八百長をしていたと証言し、池永正明らと共に永久追放処分とされた。 1942年元日に大阪府守口市で生まれる。大阪工業大学高等学校から電電近畿に入社し、1961年の都市対抗野球大阪大会に出場すると日本新薬戦でノーヒットノーランを達成した。1962年の第33回都市対抗野球大会1回戦(対日本ビール戦)に先発し、この試合では大会史上最長記録となる延長22回まで試合が進む。延長22回裏に一死から太田誠(のちに駒澤大学監督)にサヨナラ本塁打を被弾して敗戦投手となったが、この試合を完投した永易が投じた270球は2022年現在でも都市対抗野球の最多投球記録である。
大場 宏(おおば ひろし、1942年 - )は、日本の電気技… 大場 宏(おおば ひろし、1942年 - )は、日本の電気技術者、住友電装元専務執行役員。 大阪工業大学工学部電気工学科を卒業後、住友電装に入社。主に技術部門や海外事業開発の要職を経験後、同社常務執行役員を経て、専務執行役員として経営に参画。特にワイヤーハーネス事業のグローバル展開において重要な役割を果たし、2002年にはヨーロッパ拠点のSumitomo Electric Wiring Systems Europe取締役を兼務するなど、海外戦略の推進を担った。2006年に専務執行役員を退任し、同社顧問に就任。長年にわたり、電気工学の専門知見を活かして自動車用配線システムの技術向上と事業拡大に貢献した。
八方 隆邦(はっぽう たかくに、1941年11月22日 - … 八方 隆邦(はっぽう たかくに、1941年11月22日 - )は、日本の技術者。東京急行電鉄元取締役副社長。東急建設元取締役会長。国土交通省中央建設業審議会委員を歴任。 1964年 大阪工業大学工学部土木工学科(現在の都市デザイン工学科)卒業後、東京急行電鉄に入社。 1992年 交通事業部工務部土木課長、1998年 交通事業部長。1999年 取締役鉄道事業本部長。2001年 常務取締役。2005年 専務取締役。2006年 同社代表取締役副社長。2012年 系列グループの東急建設取締役相談役、2014年 同社取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
阿部 博司(あべ ひろし、1941年10月10日 - 201… 阿部 博司(あべ ひろし、1941年10月10日 - 2019年1月8日)は、日本の機械システム工学者。大阪工業大学名誉教授・工学博士。第10代大阪工業大学機械工学科同窓会会長。日本溶接協会ロボット溶接研究委員会ワーキンググループ2(WG2)元委員。 専門は、機械計測工学・電子制御システム工学、溶接/接合システム工学(特に溶接ロボット)。 1964年大阪工業大学工学部電子工学科卒業(電子工学科第2期生)。のちに、工学博士(大阪工業大学)。同年、同大学工学部機械工学科助手・講師として、機械工学研究室の片山襄一・佐藤次彦らと共に自動車工学におけるボディ薄板構造物の接合技術や溶接ロボットの品質モニタ計測・制御システムに関する研究に従事。
沖 至(おき いたる、1941年9月10日 - 2020年8… 沖 至(おき いたる、1941年9月10日 - 2020年8月25日)は、ジャズ・トランペット(ドイツ語版)の奏者である。兵庫県神戸市。フリー・ジャズのジャンルで活動した。楽器はトランペットの他に、フリューゲル・ホーンやパーカッションも演奏した。 1941年9月10日、沖至は兵庫県神戸市須磨区に生まれた。尺八の奏者の父、琴の師範の母という豊かな音楽環境のもとに育つ。高校のブラスバンドでトランペットを始める。その頃近所に南里文雄の実兄が住んでいたことから、南里文雄から「至ちゃん」と呼ばれ直々に手ほどきを受ける。関西でディキシーランドスタイルのバンドで演奏した後、ビバップスタイルのバンドで演奏する。
久津輪 敏郎(くつわ としろう、1941年8月21日 - )… 久津輪 敏郎(くつわ としろう、1941年8月21日 - )は、日本の電子工学者。大阪工業大学名誉教授、電子クラブ第4代会長。工学博士(大阪府立大学)。電子情報通信学会関西支部元評議員。元高度情報化技術研究会会長。元 CAD・CG研究会副会長。元プリント回路学会査読委員。 専門は、ディジタル回路設計・論理回路、CADシステム、SoC・高速演算。 1966年大阪工業大学工学部電子工学科卒業。1973年大阪府立大学(現在の大阪公立大学)大学院工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士(大阪府立大学)。大阪工業大学工学部電子工学科助手、助教授を経て、1984年同学科教授。2002年同学部電子情報通信工学科教授、図書館長。
遠藤 剛生(えんどう たかお、1941年(昭和16年) 2月… 遠藤 剛生(えんどう たかお、1941年(昭和16年) 2月10日 - )は、日本の建築家。遠藤剛生建築事務所代表。神戸芸術工科大学特別教授。 山形県出身。1964年、大阪工業大学工学部建築学科卒業、1969年、遠藤剛生建築設計事務所設立。同年生まれに伊東豊雄や安藤忠雄など世界的に著名な建築家がおり、日本建築界において花の16年といわれる昭和16年生まれの建築家の一人である。
藤原 秀樹(ふじわら ひでき、1941年2月6日 - )は、… 藤原 秀樹(ふじわら ひでき、1941年2月6日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・桜花会元幹事。工学博士(大阪市立大学)。元近畿化学協会ビニル部会会長・化学技術アドバイザー。高分子学会1995幹事。元日本化学会代議員。 専門は、高分子化学・有機合成化学(特にブロック共重合、ポリマー、超音波化学)。 1963年大阪工業大学工学部応用化学科卒業(応用化学科第2期生)。同大学工学部応用化学科助手となり、応用化学教室を担当。1970年同学科講師、クラークソン工科大学(現:クラークソン大学)に留学(1年間)。1977年大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院にて工学博士の学位を取得。 1978年大阪工業大学工学部応用化学科助教授。
内田 讓(うちだ ゆずる、1940年11月14日 - )は、… 内田 讓(うちだ ゆずる、1940年11月14日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・桜花会元幹事。工学博士(大阪市立大学)。 専門は、有機合成化学・物理化学/物質科学・熱分解。 大阪工業大学工学部応用化学科卒業。大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。1974年大阪工業大学工学部応用化学科助教授などを経て、1982年大阪市立大学大学院より工学博士号を取得。大阪工業大学工学部応用化学科教授を経て、2005年同大学名誉教授。 大阪工業大学応用化学科にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、同学科同窓会である桜花会幹事も務めた。 主な所属学会は、日本化学会など。
住吉 和司(すみよし かずし、1940年9月26日 - )は… 住吉 和司(すみよし かずし、1940年9月26日 - )は、日本の経営工学者・社会システム工学者。大阪工業大学名誉教授・第6代工経会会長。工学博士(慶應義塾大学)。元日本経営工学会理事。元日本設備管理学会理事。元日本ロジスティクスシステム学会理事。元オフィス・オートメーション学会編集委員幹事。公益財団法人船井奨学会2022選考委員。瑞宝小綬章受章。 専門は、経営工学・技術マネジメント(特にSCM、QC、OA、FA)、社会システム工学・マーケティング科学・経済工学。 1970年大阪工業大学工学研究科工業経営学専攻修了。その後、慶應義塾大学大学院工学研究科にて工学博士。大阪工業大学工学部経営工学科(現:情報科学部データサイエンス学科)教授として長きに渡り教鞭を執り、2006年同大学名誉教授。
山本 紘(、1940年2月1日 – )は、東洋工業(現マツダ… 山本 紘(、1940年2月1日 – )は、東洋工業(現マツダ)の自動車技術者。京都府宮津市出身。ユーノスコスモ主査。元商品本部副本部長。マツダモータースポーツの生みの親の一人で、レース監督まで務めた。 1962年、大阪工業大学機械工学科卒業、卒業論文にはロータリーエンジン (RE) の設計図を描いた。同年東洋工業入社、実験研究部に配属され、内燃機関燃焼研究を担当。 1963年の日本グランプリよりモータースポーツ活動に専念、以後エンジニアとして海外・国内のレースに関与し、後にレース監督まで務めた。 1964年、日本グランプリにキャロル360/600で参戦。1966年(マツダの海外レース初戦)、1967年のシンガポールグランプリ、マカオグランプリにファミリア800と1000クーペで参戦し、いずれもクラス優勝を果たした。
飯田 健郎(いいだ たけお、1939年6月22日 - )は、… 飯田 健郎(いいだ たけお、1939年6月22日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・工学博士、桜花会元幹事。元日本化学会近畿支部幹事。日本接着学会1990評議員。 専門は、高分子化学・合成化学(特にPVC)。 1962年大阪工業大学工学部応用化学科卒業(応用化学科第一期生)。同大学大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。同大学工学部応用化学科助手となり、応用化学教室を担当。同学科講師、助教授を経て、1982年工学博士(大阪工業大学)。1995年同学科教授。1996年同大学学生部長などを経て、2007年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学応用化学科にて、約40年の長きに渡り教鞭を執り、同学科同窓会である桜花会幹事も務めた。
今岡 睦之(いまおか むつゆき、1939年(昭和14年)5月… 今岡 睦之(いまおか むつゆき、1939年(昭和14年)5月5日 - )は、日本の政治家。初代伊賀市長(1期)、元上野市長(3期)。勲等は旭日中綬章。三重県伊賀市諏訪出身。
勝山 正嗣(かつやま まさつぐ、1939年4月12日 - )… 勝山 正嗣(かつやま まさつぐ、1939年4月12日 - )は、日本の元文部官僚。元鈴鹿工業高等専門学校校長。 1963年大阪工業大学工学部建築学科を卒業し、同年に文部省(現在の文部科学省)入省(技官)。旧文教施設部(現文教施設企画部)技術課管理官、計画課施設企画官、技術課長、指導課長、東京外国語大学事務局長、山形大学事務局長を経て、1996年7月より文部省大臣官房文教施設部長。1998年7月より鈴鹿工業高等専門学校校長。2004年5月より文教施設協会専務理事。公共建築協会理事(非常勤)。 2010年春の殊勲に於いて、瑞宝中綬章を受章。
角 修吉(かく しゅうきち、1938年12月18日 - )は… 角 修吉(かく しゅうきち、1938年12月18日 - )は、日本の電気・電子工学者。大阪工業大学工学部電子工学科元教授、元新材料研究センター長。工学博士(大阪府立大学)。医療工学研究会元顧問。 専門は、電磁気学・半導体工学(特にサイリスタ・整流器)、電子回路(特にインバータ・PWM)など。 1963年大阪工業大学工学部卒業。1968年大阪府立大学(現在の大阪公立大学)大学院工学研究科博士課程修了、工学博士(大阪府立大学)。同年、大阪工業大学工学部電子工学科に講師として着任。1975年同学科教授。その後、新材料研究センター(現在のナノ材料マイクロデバイス研究センター)長も務め、大阪工業大学工学部で30年以上の長きに渡り教鞭を執った。
菅 博(すが ひろし、1938年4月7日 - )は、兵庫県出… 菅 博(すが ひろし、1938年4月7日 - )は、兵庫県出身の日本の電気・電子工学者。大阪工業大学名誉教授、工学博士(大阪府立大学)。電子情報通信学会関西支部元評議員。情報処理学会関西支部元幹事。瑞宝中綬章受章。 専門は、電気・電子回路、電子ビーム・電子顕微鏡、情報処理・プログラミング(特にC)など。 1960年大阪工業大学工学部電気工学科卒業。1970年大阪府立大学(現在の大阪公立大学)大学院工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士(大阪府立大学)。同年、大阪工業大学工学部電子工学科講師として着任し、助教授を経て、1977年同学科教授。1998年同大学情報科学部教授。大阪工業大学教授(工学部・情報科学部)として長きに渡り教鞭を執り、2009年大阪工業大学名誉教授。
丸山 一茂(まるやま かずしげ、1938年2月20日 - )… 丸山 一茂(まるやま かずしげ、1938年2月20日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学工学部応用化学科元助教授・工学博士、桜花会第6代会長。 専門は、合成化学・錯体化学、油化学、高分子化学。 大阪工業大学工学部応用化学科卒業。同大学工学部応用化学科助手、講師となり、1997年工学博士(大阪工業大学)。同学科助教授などを経て、2001年大阪工業大学退官。大阪工業大学工学部応用化学科にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、同学科同窓会である「桜花会」第6代会長を務めた。 主な所属学会は、日本化学会、高分子学会、有機合成化学協会、日本油化学会。
三宅 宣哉(みやけ のぶや、1938年 - ?)は、日本のラ… 三宅 宣哉(みやけ のぶや、1938年 - ?)は、日本のランドスケープアーキテクト。 大阪工業大学建築学科を卒業。近代造園研究所、西川環境設計研究所を経て、緑地設計研究所を設立した。 主なランドスケープ作品に、 高槻市森林観光センター、水戸市植物公園、愛知県緑化センター、 古今伝授の里フィールドミュージアム、国際花と緑の博覧会などがある。
津川 哲雄(つがわ てつお、1937年12月5日 - )は、… 津川 哲雄(つがわ てつお、1937年12月5日 - )は、日本の電子工学者。大阪工業大学工学部電子工学科教授、電子クラブ初代会長。 専門は、電波工学(特に誘電体アンテナ)・電磁波工学。 1963年大阪工業大学工学部電子工学科卒業(電子工学科1期生)。1970年同大学大学院工学研究科博士課程修了。同年、大阪工業大学工学部電子工学科助手。1973年同学科講師を経て、のちに教授。大阪工業大学工学部にて30年以上の長きにわたり教鞭を執り、大阪工業大学電子クラブ初代会長も務めた。特にアンテナ工学分野において、数々の特許技術を研究開発・発明した。 主な所属学会は、電子情報通信学会、IEEEなど。主な著書は「光・電磁波工学」(共著、オーム社2000、学術書)。
時岡 忍(ときおか しのぶ、1937年6月8日 - )は、日… 時岡 忍(ときおか しのぶ、1937年6月8日 - )は、日本の政治家。初代福井県大飯郡おおい町長。 福井県大飯郡大飯町(現・おおい町)出身。1961年大阪工業大学卒業。1999年から旧大飯町長を2期務めたあと、2006年の旧名田庄村との合併で誕生したおおい町の初代町長となり、3期務めた。 2012年には、関西電力大飯発電所3、4号機における再稼働の決断に尽力した。
巽 秀太郎(たつみ しゅうたろう、1937年4月7日 - )… 巽 秀太郎(たつみ しゅうたろう、1937年4月7日 - )は、日本の元俳優。京都府出身。 本名は坂井 秀太郎(さかい ひでたろう)。 大阪工業大学卒業。松竹ニューフェースで俳優デビュー。森繁自由劇団、東映、フリーランス期間を経て、さち子プロに所属していた。 1961年に『ナショナルキッド』で小嶋一郎に変わりナショナルキッド / 旗竜作役を演じ知名度をあげる。デビューからしばらくは精悍な顔つきであったが、役者活動後期は肉付きの目立つ体型に変化した。 1980年代中盤にラジオ番組に出演したのを最後に公の場から姿を消している。
坂口 正雄(さかぐち まさお、1937年1月8日 - 201… 坂口 正雄(さかぐち まさお、1937年1月8日 - 2014年1月25日)は、日本の経営者。きんでん元代表取締役副社長。元常翔学園理事長。 1937年奈良県大和郡山市生まれ。1959年大阪工業大学工学部電気工学科(現: 電気電子システム工学科)卒業。その後、きんでん代表取締役副社長を経て、2003年学校法人大阪工大摂南大学(現: 学校法人常翔学園)評議員・理事、2006年理事長就任。2007年常翔学園創立90周年奨学基金を設立。2011年常翔学園中学校を開設。2017年に新設された大阪工業大学梅田キャンパス拠点構想を展開するなど数々の功績を残し、大阪工業大学の発展に多大な貢献をもたらした。 2014年1月25日に病気のため逝去、享年77歳。
斎藤 義和(さいとう よしかず、1937年 - )は、日本の… 斎藤 義和(さいとう よしかず、1937年 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学工学部機械工学科元助教授、機械工学教室担当。工学博士(慶應義塾大学)。ASME-JSME-JSES太陽エネルギー国際会議1987副座長。 専門は、流体工学・熱工学。 大阪工業大学工学部機械工学科卒業。のちに、慶應義塾大学大学院理工学研究科機械工学専攻にて工学博士。1963年大阪工業大学工学部機械工学科助手、機械工学教室を担当。1981年同講師などを経て、同学科助教授。2000年退職。大阪工業大学工学部機械工学科にて、30年以上の長きに渡り教鞭を執った。 主な所属学会は、日本機械学会、日本太陽エネルギー学会、空気調和・衛生工学会。
大倉 昊(おおくら ひろし、1936年8月9日 - )は、日… 大倉 昊(おおくら ひろし、1936年8月9日 - )は、日本の実業家。株式会社ノエビアホールディングス創業者・代表取締役会長。 大阪府出身。大阪工業大学工学部電気工学科卒業。1964年航空機事業でジェイ・エイチ・オークラ・エンド・コンパニーを創業。1971年ジェイ・エイチ・オークラ・エンド・コンパニー設立、代表取締役社長。1978年ノエビアに商号変更。2004年ノエビア代表取締役社長 最高経営責任者(CEO)。2009年ノエビア代表取締役会長。2011年ノエビアホールディングス代表取締役会長。ノエビアホールディングス代表取締役社長の大倉俊は長男。 ノエビアホールディングス株価の急上昇で、2018年に資産1360億円、38位で、フォーブス日本長者番付入りした。
眞崎 才次(まさき さいじ、1936年3月19日 - )は、… 眞崎 才次(まさき さいじ、1936年3月19日 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(京都大学)。第9代大阪工業大学機械工学科同窓会会長。元京都工芸繊維大学助教授。瑞宝中綬章受章。 専門は、材料加工・塑性工学・トライボロジー、生産工学・材料科学。 1959年大阪工業大学工学部機械工学科卒業。1961年同大学大学院機械工学専攻修士課程修了。のちに、京都大学大学院にて工学博士号を取得。同大学助手、京都工芸繊維大学工芸学部助教授などを経て、1972年大阪工業大学工学部機械工学科教授。文部省在外研究員としてカリフォルニア大学バークレー校に留学。1998年第9代大阪工業大学機械工学科同窓会会長を務め、2001年同大学名誉教授。
福田 護(ふくだ まもる、1935年 <昭和10年> 3月3… 福田 護(ふくだ まもる、1935年 <昭和10年> 3月3日 - )は、京都府出身の日本の土木工学者。工学博士(京都大学)。大阪工業大学名誉教授。元土木工学教室担当。地盤工学会名誉会員・関西支部元幹事長。瑞宝小綬章受章。 専門は、土質工学(現:地盤工学)・土砂災害、地盤材料。 1957年大阪工業大学工学部土木工学科卒業。のちに、京都大学大学院にて工学博士号を取得。大阪工業大学工学部土木工学科講師として、土木工学教室を担当。1974年同学部助教授。1982年同学科教授、同大学図書館長などを経て、2002年定年退職、同大学名誉教授。2013年秋の叙勲で瑞宝小綬章受章。 大阪工業大学土木工学科で35年以上の長きに渡り教鞭を執り、同学科の初期における土質工学・土砂災害・地盤材料(のちの地盤工学・地盤防災工学)の研究推進・育成に貢献した。
若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月… 若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉7月18日)は、大阪市出身の日本の技術者、実業家。ハードロック工業創業者、代表取締役会長。「ナニワの発明王」の異名を持つ。 今宮工業高等学校を経て、1956年、大阪工業大学機械工学科卒業。世界でオンリーワンの機械部品「ハードロックナット」を発明・開発。1974年、ハードロック工業を創業、代表取締役会長。「世界が注目する日本の中小企業100社」にも選出された。第10回日本イノベーター大賞、第35回発明大賞本賞、2009年旭日双光章を受章。主な著書は、「絶対にゆるまないネジ - 小さな会社が世界一になる方法」(中経出版)。
松原 光彦(まつばら みつひこ、1933年6月11日 - )… 松原 光彦(まつばら みつひこ、1933年6月11日 - )は、日本の建築材料・建築工学者。大阪工業大学工学部建築学科元助教授。工学修士。元建築学教室担当。岐阜県出身。 専門は、建築材料・建築生産、建築構造・コンクリート工学。 大阪工業大学工学部建築学科卒業。1957年同大学工学部建築学科助手、建築学教室担当。その後、講師を経て(工学修士)、1995年同学科助教授。1997年大阪工業大学退官。 大阪工業大学工学部建築学科にて40年の長きに渡り教鞭を執り、建築材料・建築生産・建築構造の研究育成に貢献した。 主な所属学会は、日本建築学会、日本材料学会、日本コンクリート工学協会。
篠塚 宏三(しのづか こうぞう、1932年7月5日 - )は… 篠塚 宏三(しのづか こうぞう、1932年7月5日 - )は、日本の建築計画・都市計画学者。大阪工業大学工学部建築学科元教授、建築会初代会長・顧問。工学博士(大阪市立大学)。元建築学教室担当。日本図書館協会建築賞第11回選考委員。 専門は、建築計画・都市計画・地域計画(特に住宅、図書館)。 1955年大阪工業大学工学部建築学科卒業。のちに、大阪市立大学(現在の大阪公立大学)大学院にて工学博士。大阪工業大学工学部建築学科助手、講師、1982年助教授などを経て、1996年同学科教授。大阪工業大学建築会初代会長・顧問も務めた。 大阪工業大学建築学科にて約40年の長きに渡り教鞭を執り、大学初期の建築計画・都市計画の研究の推進・育成に貢献した。
大海 一雄(おおうみ かずお、1932年 - )は、日本の作… 大海 一雄(おおうみ かずお、1932年 - )は、日本の作家、建築家。 1932年、大阪で生まれる。 1955年大阪工業大学建築学科卒業。以降、神戸市役所に職員として入庁し、市営住宅や公共建築を手掛ける。また、神戸市住宅供給公社で分譲住宅も手掛ける。タウンハウスの建設は、住宅設計などに新天地を開いた。 1984年、神戸大学非常勤講師となる(〜1987年)。 1993年、神戸地下街株式会社に入社する(〜1996年)。 1996年、流通科学大学商学部教授となる(〜2001年)。 2001年、兵庫県建築士会会長となる(〜2005年)。 2003年、西神ニュータウン研究会を立ち上げる。 2022年、神戸市文化活動功労賞受賞 現在、西神ニュータウン研究会会長、NPOグレーター西神音楽ネット理事、兵庫県建築士会顧問。
鈴木 豊朗(すずき とよろう、1931年5月6日 - )は、… 鈴木 豊朗(すずき とよろう、1931年5月6日 - )は、日本の建築構造・建築工学者。大阪工業大学工学部建築学科元助教授。工学修士。元建築学教室担当。 専門は、建築構造(コンクリート・鋼)・建築工学、建築生産。 大阪工業大学工学部建築学科卒業。1958年同大学工学部建築学科助手、建築学教室担当。その後、講師を経て(工学修士)、1992年同学科助教授。1995年大阪工業大学退官。 大阪工業大学工学部建築学科にて35年以上の長きに渡り教鞭を執り、建築構造・建築生産の研究育成に貢献した。 主な所属学会は、日本建築学会、日本コンクリート工学協会、鋼橋技術研究会など。
島田 喜十郎(しまだ きじゅうろう、1931年 - )は、日… 島田 喜十郎(しまだ きじゅうろう、1931年 - )は、日本の土木技師。技術士・土木学会フェロー会員。工学博士(京都大学)。元神戸市港湾局新埠頭連絡橋建設事務所長および垂水工事事務所長。元本州四国連絡橋公団(現:本州四国連絡高速道路)「橋の科学館」橋のマイスター。明石海峡大橋の建設推進および初期調査・技術設計者の1人。 専門は、土木工学・建設工学・橋梁工学。 1931年大阪市生まれ。1953年大阪工業大学工学部土木工学科卒業(土木工学科第1期生)。のちに、京都大学大学院工学研究科にて工学博士(京都大学)。京都大学工学部助手を経て、1959年明石海峡大橋の建設提唱者である原口忠次郎第12代神戸市長を慕い、神戸市に入庁。
増田 和彦(ますだ かずひこ、1930年2月26日 - 19… 増田 和彦(ますだ かずひこ、1930年2月26日 - 1992年)は、日本の建築設計・建築計画者。大阪工業大学工学部建築学科元助教授。工学修士。元建築学教室担当。 1953年大阪工業大学工学部建築学科卒業(建築学科一期生:同期にフランク・ロイド・ライト研究の第一人者の谷川正己がいる)。同学部建築学科助手、建築学教室担当。その後、講師を経て(工学修士)、同学科助教授。1990年大阪工業大学退官。1992年逝去。 大阪工業大学工学部建築学科にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、大学初期の建築設計(のちの建築デザイン)での建築教育(手書き製図など)の育成に貢献した。主な所属学会は、日本建築学会、日本建築協会、日本建築士連合会など。
谷川 正己(たにがわ まさみ、1930年 - 2019年 )… 谷川 正己(たにがわ まさみ、1930年 - 2019年 )は、日本の建築史家、工学博士(東京大学)。元日本大学工学部建築学科教授。アメリカの建築家フランク・ロイド・ライト研究の第一人者で「フランク・ロイド・ライト研究室」主宰。大阪工業大学工学部建築学科卒業生として初めて、日本建築学会名誉会員を授称。 1930年生まれ。1953年 大阪工業大学工学部建築学科卒(第一期生)。横浜国立大学工学部建築学教室勤務を経て、日本大学工学部建築学科教授。 1973年工学博士(東京大学学位論文「日本建築近代化過程の思想史的研究」 )。 1998年「Frank Lloyd Wright研究に関する一連の業績」で日本建築学会賞受賞、2014年同会名誉会員就任。
土師 幸平(はぜ こうへい、1930年または1931年 - … 土師 幸平(はぜ こうへい、1930年または1931年 - 2017年 <平成29年> 2月25日)は、日本の政治家。日本社会党、民主党所属の元大阪府議会議員、元大阪府議会副議長。旭日中綬章受章。位階は正五位。 大阪工業大学電気工学科卒業。1959年堺市議会議員当選。1971年大阪府議会議員当選。1995年大阪府議会議員選挙までは日本社会党公認で出馬し同選挙では堺市選挙区で6位当選 (定数11)。1997年5月 徳永春好議長とともに大阪府議会副議長に就任。1999年大阪府議会議員選挙では民主党に鞍替えし同選挙区 (定数10) で5位再選。2003年大阪府議会議員選挙でも同選挙区 (定数10) で5位再選。
光崎 育利(みつざき やすとし、1929年9月26日 - 2… 光崎 育利(みつざき やすとし、1929年9月26日 - 2009 <平成21年> 10月27日)は、日本の建築計画・都市計画学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪市立大学)。元建築学教室担当。位階は従五位。 専門は、建築計画・建築設計、都市計画・地区計画。 1949年旧制摂南工業専門学校(旧:関西高等工業学校)建築科卒業。1952年大阪工業大学工学部建築学科卒業(建築学科一期生)。のちに、大阪市立大学(現在の大阪公立大学)大学院にて工学博士。ゼネコン会社勤務を経て、大阪工業大学工学部建築学科助手として着任。1961年講師、助教授を経て、1978年同学科教授。1992年図書館長。1995年定年退職、同大学名誉教授。
鈴木 昭典(すずき あきのり、1929年3月25日 - 20… 鈴木 昭典(すずき あきのり、1929年3月25日 - 2019年1月31日)は、日本のドキュメンタリー作家。ジャーナリスト。元朝日放送報道局次長プロデューサー。 摂南工業専門学校(現 大阪工業大学)卒業。ラヂオプレス通信社を経て大阪テレビ放送(現 朝日放送テレビ)に入社、報道部に配属。報道局次長プロデューサーとして退社するまで、一貫してテレビ・ドキュメンタリー制作に携わる。「憲法シリーズ」の『日本国憲法を生んだ密室の九日間』で「放送文化基金賞・奨励賞」を受賞。その他「放送史シリーズ」の『検証 民放誕生』などの制作を続け、芸術祭賞、民間放送連盟賞、ギャラクシー賞、ABU賞、科学放送賞の多数を受賞。
坂井 弘一(さかい ひろいち、1929年3月21日 - 20… 坂井 弘一(さかい ひろいち、1929年3月21日 - 2021年11月22日)は、日本の政治家。和歌山県日高郡南部町(現・みなべ町)出身。摂南工業専門学校(現・大阪工業大学)電気工学科卒業。元衆議院議員(8期)。 1929年3月21日、和歌山県日高郡南部町(現・みなべ町)に生まれる。 1948年、摂南工業専門学校(現・大阪工業大学)電気工学科を卒業する。 1963年、和歌山市議会議員選挙に、公明政治連盟から立候補し、当選する。 1967年、和歌山県議会議員選挙に立候補し、当選する。県議会議員に転出した。 1969年12月27日、第32回衆議院議員総選挙に、和歌山1区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降、連続8期)。
三浦 太郎(みうら たろう、1928年〈昭和3年〉10月28… 三浦 太郎(みうら たろう、1928年〈昭和3年〉10月28日 - 2003年〈平成15年〉1月22日)は、日本の政治家。元奈良県橿原市長(5期)。 奈良県出身。1949年〈昭和24年〉摂南工業専門学校(現・大阪工業大学)卒。卒業後は奈良県庁に入る。高田土木事務所工務課長、大和郡山、高田の各土木事務所長などを歴任。1975年〈昭和50年〉橿原市長に当選。5期務める。在職中、奈良県市長会、近畿市長会各会長、全国市長会理事などを務めた。5期途中の1992年〈平成4年〉引退。2003年〈平成15年〉死去。
飯沼 慧(いいぬま けい、1926年〈大正15年〉5月17日… 飯沼 慧(いいぬま けい、1926年〈大正15年〉5月17日 - 2011年〈平成23年〉12月24日)は、日本の俳優、声優。大阪府出身。 京都府京都市に生まれて幼少時代に大阪府に移住。 関西工業学校(現・常翔学園高等学校=旧・大阪工業大学高等学校)土木科卒業後、兵庫県土木部西宮土木出張所(現・近畿中国森林管理局)に就職するも兵役に就く。終戦後に帰還。 1948年に大阪に本拠地を置く劇団芸術劇場→民衆劇場に入団。青年期より、飄々とした風貌から老け役を得意とする。直後に三座が合併したため関西芸術座となり座員となる。 1960年に『関西芸術座』を退座した後、劇団プロメテに移籍。 1966年、劇団プロメテ退団後に上京して文学座養成所に入所。
榎原 一夫(えばら かずお、1926年〈大正15年〉4月16… 榎原 一夫(えばら かずお、1926年〈大正15年〉4月16日 - 2000年〈平成12年〉7月24日)は、日本の政治家。1971年から1991年まで大阪府吹田市長を務めた。藍綬褒章、勲三等旭日中綬章。 大阪府出身。1948年(昭和23年)3月、旧制摂南工業専門学校(現:大阪工業大学)土木科卒業後、吹田市役所入り。市職員組合委員長など歴任した。 1971年(昭和46年)、吹田市長選に社会党と共産党の推薦で立候補し、自民党と民社党推薦で現職の山本治雄と新人1人をやぶり初当選を果たした。 ※当日有権者数:163,775人 最終投票率:66.27%(前回比:-pts) 同年5月14日に就任した。 同和行政の進め方をめぐり、1期目の途中で社会党が与党を離脱した。