海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治3… 海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年〈明治34年〉11月5日 - 1977年〈昭和52年〉12月1日)は、日本の小説家・作家。本名は末冨 東作(すえとみ とうさく)。鹿児島県伊佐郡大口村(現・伊佐市)生まれ。次女は日本テレワークの社長を務めた末冨明子。 1901年、鹿児島県伊佐郡大口町(現・伊佐市大口里)の山師の家に生まれる。幼い頃に体が大きかったことから、1年繰り上げで小学校に入学。実際は何をするにも1歳年上の同級生たちに及ばず、学校生活は苦労の多い辛いものだった(のちにこれが文学を志すきっかけとなったと語っている)。國學院大學高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務めながら創作を始める。
高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - … 高崎 正秀(たかさき まさひで、1901年10月16日 - 1982年3月2日)は、富山県生まれの国文学者、万葉学者、歌人。國學院大學名誉教授。國學院大學栃木短期大学名誉学長。文学博士。 折口信夫に師事(著書『折口学への招待』(桜楓社)がある)、折口信夫の五博士のうちの一人である。著作は『高崎正秀著作集』(桜楓社、全8巻、1971年)にまとめられている。
24代 木村 庄之助(にじゅうよんだい きむら しょうのすけ… 24代 木村 庄之助(にじゅうよんだい きむら しょうのすけ、1901年8月15日 - 1973年9月19日)は、大相撲の立行司。本名:緑川 義。千葉県出身。通称は「総髪庄之助」、「山伏庄之助」、「緑川庄之助」など。「由井正雪」とも。 体が大きかったため力士を勧められるも8歳だったため行司として入門。1910年1月初土俵。1911年5月序ノ口に付き、最初阿武松部屋、のち出羽海部屋に所属した。行司名は木村芳松→式守義(義松とする資料も有)と変わったあと、1927年に式守伊三郎 (初代) と改名し、その後、1949年1月、式守代々の名跡式守鬼一郎 (5代) 、1960年1月、立行司20代式守伊之助、1963年1月、24代木村庄之助を襲名し、柏鵬時代の幕開けから1965年にスタートした部屋別総当たり制直後まで、数々の名勝負を裁いた。
今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1… 今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1968年1月23日)は、歌人、国文学者。 山梨県甲府市生まれ。号・白水。1927年ころから作歌。1935年に國學院大學文学部国文科を卒業。1961年「万葉集の地名と伝承」で國學院大學文学博士。和洋女子大学教授。
嘉納 履正(かのう りせい、1900年〈明治33年〉11月2… 嘉納 履正(かのう りせい、1900年〈明治33年〉11月25日 - 1986年〈昭和61年〉1月13日)は、講道館第3代館長(1946年 - 1980年)・全日本柔道連盟初代会長(1949年 - 1980年)。嘉納治五郎の次男。第二次世界大戦後の日本の柔道の存続・再編組織化・発展に尽力するとともに、国際柔道連盟の会長も務めるなど、国際的な普及に貢献した。 東京都出身。嘉納治五郎の次男として生まれた。國學院大學卒業。宮内省図書寮御用掛を務めたのち、講道館理事となる。 1946年11月、講道館2代目館長の南郷次郎が病気により辞職すると、第3代館長に就任(1980年まで)。文部省や柔道界が学校での柔道教育の復活をめざして占領当局とおこなった折衝の一環を担った。
今泉 忠義(いまいずみ ただよし、1900年7月17日 - … 今泉 忠義(いまいずみ ただよし、1900年7月17日 - 1976年11月5日)は、日本の国語学者。國學院大學名誉教授、立教大学文学部教授。 三矢重松、折口信夫に師事し、折口信夫の五博士のうちの一人。日葡辞書の研究や、源氏物語の現代語訳・語法の研究で知られる。主著は『国語発達史大要』、『国語学史概説』、『現代語の性格』、『日葡辞書の研究』、『源氏物語全現代語訳』など。 (以上はすべて関根賢司「今泉忠義の現代語訳」『解釈と鑑賞』2007年1月号 より)
大場 磐雄(おおば いわお、1899年9月3日 - 1975… 大場 磐雄(おおば いわお、1899年9月3日 - 1975年6月7日)は、日本の考古学者。國學院大學教授。旧姓は谷川だが、昭和3年(1928年)、母方の大場家を相続し、以後、大場姓となる。楽石と号す。 古代日本の信仰あるいは精神世界に関心を持ち、神道や祭祀遺跡などの遺跡を研究した。中でも、神道考古学を体系化した。本人が「私の考古学はただの考古学ではない。考古民俗学(または民俗考古学)だ」と言うように、文献史学・民俗学・考古学三位一体のスケールの大きな古代日本の研究が特徴である。主著は『大場磐雄著作集』(全8巻)にまとめられている。
料治 熊太(りょうじ くまた、1899年7月10日 - 19… 料治 熊太(りょうじ くまた、1899年7月10日 - 1982年2月1日)は、日本の美術評論家・数寄者、骨董収集鑑定家、随筆家。TBSテレビでニュースキャスターを務めた料治直矢は子息である。 1899年岡山県都窪郡山田村(現在の岡山市南区)生れ。号は朝鳴。関西中学校卒業後、1919年(大正8年)上京、国学院大学で折口信夫の講義を受講、翌年雑誌記者として研究社に入社し、関東大震災後は博文館の雑誌「太陽」の編集に携わる。1928年(昭和3年)、博文館退社後著述活動に入り、また、この頃会津八一の門下となり古美術の研究に専念する。八一に心酔した熊太は、1929年(昭和4年)自らの住居を八一の家の近くの西落合に移した。
金沢 治(かなざわ おさめ、1899年(明治32年)2月14… 金沢 治(かなざわ おさめ、1899年(明治32年)2月14日 - 1981年(昭和56年)5月12日)は日本の歌人、郷土史家、方言研究家。飯田義資(1894-1973)・一宮松次(1897-1972)と共に徳島県郷土史研究の三大長老の1人とされる。徳島県郷土資料専門調査員を務めた。 1899年2月14日、徳島県美馬郡半田町(現:つるぎ町)に金沢与平の長男として生まれる。 1918年3月、徳島県師範学校本科第一部を卒業する。 1923年4月、上京し国学院大学高等師範部に入学する。在学中は折口信夫に師事する。 1926年、国学院大学高等師範部を卒業し、神奈川県立商工高等学校に就職する。 1927年、帰郷し徳島県立徳島中学校に転任する。
藤野 岩友(ふじの いわとも、1898年11月14日 - 1… 藤野 岩友(ふじの いわとも、1898年11月14日 - 1984年5月28日)は、古典中国文学者。國學院大學名誉教授。文学博士。折口信夫の五博士のうちの一人である。 楚辞の研究で知られ、主著は『巫系文学論』、『中国の文学と礼俗』など。漢文学者として『角川漢和中辞典』など漢和辞典や漢文教科書の編さんを担当した。 息子は幻想画家の藤野一友(別名義で中川彩子)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
広野 三郎(ひろの さぶろう、1897年(明治30年)4月1… 広野 三郎(ひろの さぶろう、1897年(明治30年)4月10日 - 1968年(昭和43年)4月4日)は、歌人。 東京出身。國學院大學卒。1915年『アララギ』に入会し、島木赤彦、斎藤茂吉に師事。1926年東京帝国大学史料編纂所業務嘱託、1927年史料編纂官補、1946年事務官、1954年東京大学史料編纂所助手、1958年講師、1962年退官。歌人としては1950年『白埴』を創刊、1953年『草苑』と合同して『久木』を主宰。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
宮良 當壯(みやなが まさもり、みやら とうそう、1893年… 宮良 當壯(みやなが まさもり、みやら とうそう、1893年12月1日 - 1964年3月1日)は、沖縄出身の国語学者・方言学者。常用体の漢字表記で、「宮良 當壮」、「宮良 当壮」とも表記される。文学博士(國學院大學)、石垣市名誉市民。 1893年(明治26)沖縄県石垣村大川生まれ。 1909年(明治42)八重山高等小学校卒業後、沖縄本島の首里で人力車の後押しをするなど旅費を稼ぎ、大阪で帝国吃後矯正会での吃音矯正や音声学の学習を経て、18歳の時に上京、新聞配達や納豆売りなどをしながら1911年(明治44)8月郁文館中学校2年に編入学し、言語学者の前田太郎と出会い、研究の補助などを行った。1919年(大正8)國學院大學文学部に入学し、折口信夫の講義を受けるとともに、前田家で行われていた言語研究会で金田一京助、橋本進吉、東條操、安藤正次、神保格らと出会い、東條操から方言採録の依頼を受け、また、同年6月30日に柳田国男とも出会っている。
一志 茂樹(いっし しげき、 1893年11月12日 - 1… 一志 茂樹(いっし しげき、 1893年11月12日 - 1985年2月27日)は日本の郷土史家、教育者。
市橋 鐸(いちはし たく、1893年(明治26年) - 19… 市橋 鐸(いちはし たく、1893年(明治26年) - 1983年(昭和58年))は、愛知県犬山出身の郷土史家。 1893年(明治26年)、犬山藩成瀬氏に仕える御典医をしてきた鈴木家に鈴木鐸麿として生を受けた。國學院大學卒業後、函館商業学校で教鞭を執る。1920年(大正9年)、一宮の市橋家の養子となる。1927年(昭和2年)、小牧中学校に移る。同校において郷土室に勤め、郷土資料写真集を発行するなど、郷土歴史教育に取り組んだ。また、このときの教え子に後に郷土史家となる水谷盛光がいる。1941年(昭和16年)、名古屋市の依頼により、『名古屋叢書』の編纂に携わることとなった。この編纂事業の途中、名古屋大空襲などの困難はあったものの、1949年(昭和24年)に完成し、1959年(昭和34年)に発刊された。
小笠原 省三(おがさわら しょうぞう、1892年9月14日 … 小笠原 省三(おがさわら しょうぞう、1892年9月14日 - 1970年11月12日)は、神道学者。 青森県南津軽郡藤崎村(現・藤崎町)生まれ。1902年國學院大學教習科卒業。1922年神道評論社創立。『神道評論』創刊。1937年海外神社問題研究会設立。1938年夏北京神社奉斎会設立。1947年海外神社史編纂会発足。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高柳 光寿(たかやなぎ みつとし、1892年3月11日 - … 高柳 光寿(たかやなぎ みつとし、1892年3月11日 - 1969年12月1日)は、日本の歴史学者。高柳 光壽とも。自身で「髙柳」と署名しているものもある。國學院大學教授。大正大学教授。静岡県出身。専門は日本中世史、特に戦国時代史。足利尊氏研究、戦国史研究の権威。 静岡県敷知郡浜松町(現在の浜松市)に神主高柳喜一郎の長男として生まれる。1914年、國學院大學国史科を優等の成績で卒業。1916年に東京帝国大学史料編纂所に勤務、1926年には史料編纂官となって、『大日本史料』安土桃山時代の編纂を担当。また、1921年から1944年まで國學院大學教授を、1947年から1969年まで大正大学教授を兼任。
清水 謙一郎(しみず けんいちろう、1890年(明治23年)… 清水 謙一郎(しみず けんいちろう、1890年(明治23年)9月17日 - 1981年(昭和56年)10月30日)は、日本の教育者、詩人である。 長野県上水内郡水内村字里穂刈(現在の長野市信州新町)の生まれ。清水勘兵衛・ちよの長男として出生。明治38年(1905年)、南佐久郡臼田教員養成所に入所。1911年(明治44年)に長野師範学校卒業。長野県の尋常高等小学校訓導に任ぜられる。その後、内地留学のため休職する。 1914年(大正3年)に早稲田大学専門部に入学するが、中途退学し、1915年(大正4年)に国学院大学師範部に入学する。学監であった杉浦重剛から教えを学ぶ。 国学院大学卒業後小学校訓導となる。
折口 信夫(おりくち しのぶ〈のぶを〉、1887年〈明治20… 折口 信夫(おりくち しのぶ〈のぶを〉、1887年〈明治20年〉2月11日 - 1953年〈昭和28年〉9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。 折口の成し遂げた研究は、「折口学」と総称されている。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。みずからの顔の青痣(あざ)をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク、「靄煙渓」とも)と名乗ったこともある。 1887年2月11日、大阪府西成郡木津村(現:大阪市浪速区敷津西1丁目・鷗町公園)に父秀太郎、母こうの四男として生まれた。信夫の祖父の造酒之介が、飛鳥坐神社の社家の出身ということもあり、終生、折口はそれを自慢していた(養子なので直接血縁はないと言われている)。
宮川 宗徳(みやがわ むねのり、1886年12月12日 - … 宮川 宗徳(みやがわ むねのり、1886年12月12日 - 1963年1月18日)は、神社本庁事務総長(初代:1946年2月 - 1948年4月)。内務省、文部省、東京市の官吏。「みやがわ そうとく」とも。 熊本の社家の出身。阿蘇で生まれ、長男として厳しく育てられた。「お母さんはどうして、僕だけにこんなに辛く當るのだらう」と思ったこともあるという。中学を出、仕送りを受けながら東京で遊学。宮川は折口信夫、秋岡保治と國學院で同級生だった。 明治43年(1910年)に國學院大學国史科を卒業、明治44年に日本大学政経科を修了。明治44年以後内務省、文部省勤務を経て、大正9年に東京市に転じ、同市で教育主事兼視学、監査課長、文書課長、牛込区長(1924年-1925年)、小石川区長(1926年-1927年)、下谷区長(1929年-1933年)、保健局長を歴任。
武田 祐吉(たけだ ゆうきち、1886年5月5日 - 195… 武田 祐吉(たけだ ゆうきち、1886年5月5日 - 1958年3月29日)は、大正・昭和期の日本の国文学者(上代文学)。万葉集や古事記の研究で業績がある。元國學院大學教授。日本学士院賞受賞。 1886年(明治19年)、東京市日本橋区(現・東京都中央区)で生まれた。幼少期は大阪で育ち、大阪府第五尋常小学校(現 天王寺中学)に入学。同級生に折口信夫・岩橋小弥太・西田直二郎がいた。1908年(明治41年)國學院大學に入学し、三矢重松に師事した。 1913年(大正2年)に國學院大学を卒業。翌年、小田原中学校教諭となった。1916年(大正5年)に退職し、東京帝国大学において、佐佐木信綱の『校本万葉集』編纂に従事する。
高階 研一(たかしな けんいち、明治18年〈1885年〉11… 高階 研一(たかしな けんいち、明治18年〈1885年〉11月25日 - 昭和42年〈1967年〉10月4日)は、明治時代末期から昭和時代後期にかけて活躍した日本の神職。 丹生川上神社宮司、石上神宮宮司、廣田神社宮司、札幌神社宮司、諏訪神社宮司、橿原神宮宮司を歴任したほか、長野県神社協会理事、全国神職会理事、皇典講究所理事、奈良県神社庁初代庁長、神社本庁第3代事務総長、同理事、同顧問を務めた「神社界の重鎮」であった。 明治18年(1885年)11月25日、元豊岡藩士高階幸造を父に、兵庫県城崎郡田鶴野村に生まれた。 大学は國學院大學師範部国語漢文科に進んだ。同期には折口信夫がおり、研一と折口との交流は折口が亡くなるまで続いている。
岩橋 小弥太(いわはし こやた、明治18年(1885年)10… 岩橋 小弥太(いわはし こやた、明治18年(1885年)10月11日 - 昭和53年(1978年)12月9日)は、日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。 1885年(明治18年)、大阪府大阪市東区に生れた。1904年3月、大阪府立天王寺中学校を卒業。同級には西田直二郎、折口信夫、武田祐吉らがいた。私立國學院大學師範部国語漢文科に進学し、1907年(明治40年)7月に卒業。 卒業後は、1097年8月より大阪市史編纂事務嘱託に就いた。1909年3月、大阪市を辞めて三省堂編修所に勤務し、『辞林』の増補に従事。1911年4月からは国書刊行会に勤務した。1914年(大正3年)9月、三井家史編纂事務を嘱託される、1916年12月まで従事。
石井 林響(いしい りんきょう、1884年〈明治17年〉7月… 石井 林響(いしい りんきょう、1884年〈明治17年〉7月15日 - 1930年〈昭和5年〉2月25日)は、日本の明治末期から昭和初期に活動した日本画家。画業の中期までは、石井天風と称する。本名は毅三郎。 千葉県山辺郡土気本郷町下大和田(現在の千葉市緑区下大和田町)に、父・治郎助、母・げんの三男として生まれる。実家は豪農で、隣の家まで1町余り、東西南に他人の家が見えないほどだったという。2歳の時、母が誤って囲炉裏に落ち、頭に火傷を負う。以後これを隠すため生涯総髪で、大人になると髭も蓄えたため、これらが林響のトレードマークとなる。土気尋常小学校、大網高等小学校、旧制千葉中学校(現:千葉県立千葉中学校・高等学校)と進学。
河野 省三(こうの せいぞう、1882年8月10日 - 19… 河野 省三(こうの せいぞう、1882年8月10日 - 1963年1月8日)は、日本の神道学者。國學院大學学長。埼玉県出身。号は紫雲。
松下 大三郎(まつした だいざぶろう、1878年(明治11年… 松下 大三郎(まつした だいざぶろう、1878年(明治11年)10月24日 - 1935年(昭和10年)5月2日)は、日本の国語学者、文法学者。文学博士。國學院大學教授。号は曲水。 1878年、静岡県磐田郡下野部村(野部村、磐田郡豊岡村を経て、現在は磐田市)生まれ。父・久三郎は野部村村長。 明治19年(1886年)4月、野部尋常小学校(現・磐田市立豊岡北小学校)初等二級生に入学。同級生に河合亀太郎(日本薬剤師会会長、薬学博士)がいた。明治21年(1888年)2月、同校を卒業。 明治22年(1889年)7月、二俣高等小学校に進学。少年時代には落合直文・小中村義象共著の『中等教育日本文典』と『スキントン英文典』を比較研究していた。
植木 直一郎(うえき なおいちろう、明治11年(1878年)… 植木 直一郎(うえき なおいちろう、明治11年(1878年)3月29日 - 昭和34年(1959年)7月8日)は、日本の歴史学者、法学者。國學院大學名誉教授。新潟県出身。
井上 孝平(いのうえ こうへい、1877年(明治10年)11… 井上 孝平(いのうえ こうへい、1877年(明治10年)11月 - 1941年(昭和16年)2月11日)は、明治から昭和時代の囲碁棋士。埼玉県入間郡高麗村生まれ、方円社、本因坊秀哉門下に所属。六段。 幼少から囲碁をたしなみ、少年時代には入間の郡代小僧と称されて知られていた。17歳頃に方円社の巌崎健造に、見習い初段として岩佐銈とともに入門、それとともに本因坊秀栄にも教えを受けた。1900年に方円社より初段を認められる。同年に國學院大學を卒業し、文筆業を志し、脚本家や新聞記者を目指したが、その後は囲碁の道に進む。1905年から06年に関西地方を行脚して力を付け、帰京後に岩佐銈五段と三段格の手合で対局したところ、東京日日新聞への棋譜掲載にあたり三段免許を薦められ、本因坊秀元門下として三段を受けた。
小林 秀雄(こばやし ひでお、1876年(明治9年)11月3… 小林 秀雄(こばやし ひでお、1876年(明治9年)11月3日 - 1955年(昭和30年)1月26日)は、日本の西洋史学者。立教大学文学部長、初代史学科長、名誉教授。國學院大學名誉教授。専門は、ギリシャ・ローマ史、西洋史学。日本聖公会の信徒。 文芸評論家の小林秀雄と同姓同名であり、間違われたエピソードについては、野々上慶一『高級な友情:小林秀雄と青山二郎』(小沢書店、1989年)に詳しい。(書籍名の小林秀雄は、文芸評論家の小林秀雄) 1876年、旧会津藩士小林軍雄(ときお)・イシの長男として青森市に生まれる。1888年9月長崎県立長崎中学校に入学、1890年9月東京英語学校(私立) (後の日本中学校、現・日本学園中学校・高等学校)に入学、1893年國學院本科に入学し、1896年卒業。
栗島 狭衣(くりしま さごろも、1876年4月5日 - 19… 栗島 狭衣(くりしま さごろも、1876年4月5日 - 1945年11月6日)は、日本の俳優、新聞記者、劇作家、脚本家である。本名は栗島 山之助(くりしま さんのすけ)、出生名は川村 山之助(かわむら さんのすけ)である。 1876年(明治9年)4月5日、東京府東京市日本橋区蛎殻町(後の東京都中央区日本橋蛎殻町)に力士の綾瀬川山左衛門(本名 川村藤次郎)の長男「川村山之助」として生まれる。当時の綾瀬川は割烹旅館を営んでいたが、出身地の大阪に帰り、長男の誕生から1年に満たない1877年(明治10年)3月8日に死去した。 1898年(明治31年)、旧制・國學院(後の國學院大學)国文科を卒業、東京朝日新聞社に入社する。
和田 信二郎(わだ しんじろう、1873年12月 - 195… 和田 信二郎(わだ しんじろう、1873年12月 - 1950年8月29日)は、日本の国文学者・文部官僚。 若狭国小浜藩士・和田義比の次男。弟は和田光石。父の弟は和田維四郎、その子で従弟に推理作家の大坪砂男がいる。妹の夫は正木直彦。和田謹吾は五男。1891年東京英語学校、国語伝習所卒。1895年國學院卒。芳賀矢一に師事。奈良県立第一中学校(現奈良県立郡山高等学校)に赴任、のち津に移り、古事類苑編纂部に勤める。1903年文部省に入り、中学校高等学校教科書編纂官。1943年退任。
山本 信哉(やまもと のぶき、明治6年〈1873年〉7月19… 山本 信哉(やまもと のぶき、明治6年〈1873年〉7月19日 - 昭和19年〈1944年〉12月18日)は、日本の歴史学者、神道学者。東京帝国大学史料編纂所史料編纂官。 元奈良国立博物館館長・山本信吉の父。
柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 19… 柴田 顕正(しばた けんせい、1873年7月15日 - 1940年4月20日)は、日本の郷土史家、教育者、神官。 『岡崎市史』全8巻(1926年~1930年)とその別巻である『徳川家康と其周囲』全3巻(1934年~1935年)を半生を傾けて完成させた。正式には「柴田顯正」と表記。 愛知県額田郡伊賀村(現・岡崎市伊賀町)に伊賀八幡宮社司の柴田顯光の長男として生まれる。額田郡第十六番小学八幡学校(現・岡崎市立広幡小学校)を出たのち上京。1893年(明治26年)7月、國學院大學第一回生として同校を卒業後、史学者の三上参次のもとで教科書編集の仕事に携わった。 その後、1895年(明治28年) 石川県尋常中学校七尾分校(現・石川県立金沢泉丘高等学校)の教諭を経て、1897年(明治30年)9月から1901年(明治34年)8月まで、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)に勤務。
八代 國治(やしろ くにじ、1873年(明治6年)1月2日 … 八代 國治(やしろ くにじ、1873年(明治6年)1月2日 - 1924年(大正13年)4月2日)は、日本の明治・大正期の歴史学者。文学博士(1922年)。國學院大学教授等を歴任。長慶天皇在位の結論を出したことで知られる。帝国学士院恩賜賞受賞。勲六等瑞宝章追賜。東洋史学者・白鳥清は甥に当たる。 1873年、木更津県市原郡上高根村(現在の千葉県市原市上高根)の農家の鈴木吉蔵の次男に生まれる。 1895年、上京し國學院に入学。1897年に國學院を卒業後、東京帝国大学文科大学史料編纂掛に入り、鎌倉時代史料の研究にあたる。 1901年2月、八代房吉の婿養子に入り八代姓を名乗った。 1908年には最初の日本史辞典である『国史大辞典』の編纂を行った。
三矢 重松(みつや しげまつ、明治4年11月29日(1872… 三矢 重松(みつや しげまつ、明治4年11月29日(1872年1月9日) - 大正12年(1923年)7月18日)は、日本の国語学者・国文学者。学位は文学博士。國學院大學教授。 折口信夫の師。弟に三矢宮松がいる。いわゆる「三矢文法」を築き、「最後の国学者」と呼ばれる壮烈な学風で知られる。 1872年(明治4年)1月9日、酒田県田川郡鶴岡大字二百人町(現・山形県鶴岡市)で生まれた。父・三矢維顕、母・町子の二男。実家は代々庄内藩に使えた士族の家で、祖父の静は藩校の典学を勤めた人物であった。1877年(明治10年)、鶴岡朝暘学校に入学。朝暘学校卒業後、西田川郡中学校を経て山形県尋常中学校に転入。在学中、中台直矢、角田俊次について漢学を学び、庄内英学会に加わって英語を身につけた。
藤堂 高成(とうどう たかしげ、1867年3月17日(慶応3… 藤堂 高成(とうどう たかしげ、1867年3月17日(慶応3年2月12日)- 1930年(昭和5年)10月23日)は、明治から昭和初期の華族、政治家。男爵、旧名張領主名張藤堂家(藤堂宮内家)第12代。幼名は憲丸。 山城国京都で竹内治則の二男として生まれた。1876年(明治9年)2月、旧名張領主の名張藤堂家当主・藤堂高節の養子となり、1893年(明治26年)家督を相続。1914年(大正3年)9月28日、高成に改名した。 國學院で学ぶ。1894年(明治27年)神宮皇學館の舎監兼助教授に就任。1906年(明治39年)9月17日、男爵を叙爵。1910年(明治43年)6月に小栗常太郎らと設立した興業貯金株式会社では取締役社長を務めた。
池田 蘆洲(いけだ ろしゅう、1864年7月22日(元治元年… 池田 蘆洲(いけだ ろしゅう、1864年7月22日(元治元年6月19日) - 1933年(昭和8年)1月24日)は、明治時代から昭和時代初期の漢学者。大坂の人。名は胤(いん)。通称は四郎次郎で蘆洲と号した。二松学舎専門学校、国学院大学教授。主著に『故事熟語大辞典』『日本芸林叢書』『定本史記補注』など。 大坂・道修町出身。坂本葵園、近藤元粋に師事し、東京に出て三島中洲にまなび陽明学を主とし、三島の創立した二松学舎専門学校で教授、理事をつとめ、のちに国学院大学の教授となる。編著には、未完に終わった『史記補注』130巻のほか、『日本詩話叢書(そうしょ)』10冊、『日本芸林叢書』12巻を編集し近世学芸の史料編集で知られる。
高枝 景水(たかえだ けいすい、197X年8月27日 - )… 高枝 景水(たかえだ けいすい、197X年8月27日 - )は、日本の漫画家。東京都大田区出身、関東地方在住。國學院大學文学部史学科(日本中世史専攻)卒業。血液型はO型。荒川弘や西森博之のアシスタントを務めていた。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
渋谷 遥華(しぶや はるか、2月7日 - )は埼玉県出身のキ… 渋谷 遥華(しぶや はるか、2月7日 - )は埼玉県出身のキャスター・リポーターである。所属事務所はライムライト。
野沢 那智 は、日本の舞台演出家、俳優、声優、ラジオパーソナ… 野沢 那智 は、日本の舞台演出家、俳優、声優、ラジオパーソナリティ、実業家、馬主。
浅野 真澄 は、日本の女性声優、ナレーター、作家、作詞家。声… 浅野 真澄 は、日本の女性声優、ナレーター、作家、作詞家。声優ユニット・Aice5のメンバー。
石原 加受子(いしはら かずこ)は、日本の著述家、医療ジャー… 石原 加受子(いしはら かずこ)は、日本の著述家、医療ジャーナリスト、心理カウンセラー。「自分中心心理学 オールイズワン」代表。 日本カウンセリング学会会員。日本学校メンタルヘルス学会会員。厚生労働省認定の「健康いきがいづくり」アドバイザー。 國學院大學経済学部卒業
大久保 正信 は、日本の陸軍少尉、男性俳優、声優。山形県出身… 大久保 正信 は、日本の陸軍少尉、男性俳優、声優。山形県出身。劇団文化座、プロダクション エム・スリーに所属していた。
木南 晴夏 は、日本の女優。ホリプロ所属。
玉山 文人(たまやま ふみと)は、日本のゲーム音楽作曲家。「… 玉山 文人(たまやま ふみと)は、日本のゲーム音楽作曲家。「ばいきんたまやま」「パツキンたまやま」などの名義を使用することもある。 東京都出身。國學院大學卒(タムソフト在職中に卒業)。別名は玉山詩人。 かつてはグラフィックリサーチ(チーム百万石とも表記される)→タムソフトと渡り歩き、その後スタジオクリシェを率いて、様々なゲームタイトルに参加していた。同社解散後の詳細は不明。ゲームだけに捉われず、「シンセバー」の運営や音楽ユニットにスタッフとして参加するなど幅広い活動を行っている。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
長南 政義(ちょうなん まさよし)は、日本の軍事史学者・歴史… 長南 政義(ちょうなん まさよし)は、日本の軍事史学者・歴史学者。 日露戦争を中心とした日本近代軍事史、乃木希典・児玉源太郎などの近代軍人の伝記研究を専門とする。 宮城県出身。拓殖大学大学院国際協力学研究科安全保障学専攻課程を修了して安全保障学修士の学位を取得した後、國學院大學大学院法学研究科博士課程前期を修了して法学修士の学位を取得した。その後、國學院大學大学院法学研究科博士課程後期を単位取得退学した。 国立国会図書館調査及び立法考査局非常勤職員、靖國神社靖國偕行文庫職員、防衛省防衛研究所研究会講師などを歴任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
福田 淳太 は、日本の政治家。
森 栗丸(もり くりまる)は、日本の男性漫画家。神奈川県在住… 森 栗丸(もり くりまる)は、日本の男性漫画家。神奈川県在住。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
山崎 ナオコーラ は、日本のエッセイスト、小説家。性別非公表… 山崎 ナオコーラ は、日本のエッセイスト、小説家。性別非公表。福岡県北九州市生まれ、埼玉県育ち、東京都在住。國學院大學文学部日本文学科卒業。
ろくでなし子 は、日本の漫画家、美術家、フェミニスト。日本性… ろくでなし子 は、日本の漫画家、美術家、フェミニスト。日本性器のアート協会会員。自らの女性器を型どりデコレーションしたアート作品「デコまん」を作り、注目を集めた。本名、五十嵐恵。いがらしめぐみ、いがらし惠名義による作品もある。
英 洋子(はなぶさ ようこ、12月29日 - )は、日本の漫… 英 洋子(はなぶさ ようこ、12月29日 - )は、日本の漫画家。東京都杉並区出身。 國學院大學文学部史学科卒。1978年、少女漫画雑誌『別冊ひとみ冬季号 デジール』(秋田書店)創刊号に掲載の『恋はハッピースノーにのって』でデビュー。代表作は東映アニメーションで二度にわたりアニメ化された『レディ!!』(「ひとみ」連載。アニメ版タイトル『レディレディ!!』『ハロー!レディリン』)。 近年[いつ?]はロマンス小説等のコミカライズをコンスタントに発表するとともに、東映アニメーション研究所コミックス科の講師や、創造学園大学マンガ科の客員助教授、創造学園大学付属高校の講師なども務めた。 <ハーレクイン小説(~2008年)> <その他ロマンス小説・映画等(2008年~)>