川原 正人(かわはら まさと、1921年10月18日 - 2… 川原 正人(かわはら まさと、1921年10月18日 - 2012年1月30日)は、日本の団体役員。日本放送協会会長(第13代)。 東京都出身。武蔵高等学校、1943年3月東京帝国大学経済学部を卒業。 1946年NHKに入局。職員局長、人事局長、報道局長を歴任。 1973年に理事に就任し、1976年から専務理事、人事本部長。1980年NHK美術センター(現NHKアート)社長。1982年、NHK会長に就任。1988年までの2期を務めた。 2012年1月30日、心不全のため死去。90歳没。
稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1… 稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1982年2月28日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 広島県呉市生まれ。1939年に広島県立呉第一中学校を卒業し、広島高等学校文科に進学。同校2年生だった1940年の夏、東京中野在住だった兄の家に滞在していたときに、隣家に住んでいた宝月圭吾を紹介され、進学先の相談をしたところ、東京帝国大学を勧められ、同大学への進学を決めたという。1942年に高校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。同期入学に永原慶二、安田元久、山口啓二らがいる。翌年、海軍に入隊し、その間の1944年9月に卒業。1947年、東京帝国大学大学院を退学。 同年、東京帝国大学史料編纂所に入所、1966年助教授、1969年教授。
大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26… 大島 弘(おおしま ひろむ、1921年(大正10年)6月26日 - 1994年(平成6年)2月3日)は、昭和期の大蔵官僚、政治家、弁護士。衆議院議員(2期、日本社会党)。兄は第14代大阪市長の大島靖。 和歌山県、現在の田辺市出身。第三高等学校を経て、1942年(昭和17年)4月、東京帝国大学法学部に入学。1943年(昭和18年)12月、現役入営。1945年(昭和20年)8月、陸軍主計少尉に任官し予備役に編入され臨時召集。同年12月、召集解除となる。1947年(昭和22年)東京帝大法学部政治学科を卒業。同年4月、高等試験行政科・司法科に合格。 卒業後、1947年5月、大蔵省に入省して大蔵事務官に任官し専売局長官官房に配属された。
大石 巌(おおいし いわお、1921年〈大正10年〉2月19… 大石 巌(おおいし いわお、1921年〈大正10年〉2月19日 - 2002年〈平成14年〉3月3日)は、日本の実業家、経営者、ジャーナリスト、証券アナリスト。新日本証券会長。毎日新聞社社友。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校から、静岡高等学校 (旧制)に進み、1942年(昭和17年)東京帝国大学法学部卒業。同年、東京日日新聞社入社、経済部記者。日銀記者クラブのキャップなどを務めた。のちに、毎日オリオンズ出向、営業部長。1961年(昭和36年)、毎日新聞を離籍し大商証券に転じ、福岡支店長を経て、1964年(昭和39年)、取締役。1967年(昭和42年)、合併により新日本証券取締役。1975年(昭和50年)、同副社長。
飛鳥 高(あすか たかし、1921年2月12日 - )は、日… 飛鳥 高(あすか たかし、1921年2月12日 - )は、日本の小説家、推理作家。
徳永 春夫(とくなが はるお、1921年 - )は、日本の教… 徳永 春夫(とくなが はるお、1921年 - )は、日本の教育者。 熊本県玉名郡石貫村(現・玉名市)に、石貫村村長も務めた徳永右馬七の三男として生まれる。徳永右馬七は旧制第五高等学校で嘱託教員を務めたことがあり、当時同僚だった夏目漱石とも親交を結んでいた。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1938年卒業)、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業した。卒業後は、海軍兵学校の文部教官となった。 終戦後、母校の玉名高等学校教諭に就いたのち、熊本県立牛深高等学校では教頭・指導主事・主幹、熊本県立大津高等学校・熊本県立八代高等学校(1971年 - 1974年)・熊本県立熊本西高等学校・熊本国府高等学校(1980年 - 1989年)では校長を務めた。
坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日… 坂元 貞一郎(さかもと ていいちろう、1920年10月15日 - 1984年5月18日)は、日本の官僚、厚生事務次官。厚生省年金課長時代に国民年金制度を作り、児童家庭局長時代には1971年の予算編成で児童手当制度創設に尽力。正四位勲二等旭日重光章。 鹿児島県阿久根村生まれで、阿久根小学校卒業後に鹿児島市の伯母に引き取られ、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を卒業し1938年4月第七高等学校造士館 (旧制)文科甲類入学、1941年3月に同校を卒業。1943年9月に東京帝国大学法学部政治学科卒業。卒業前の文官高等試験行政科に合格しており、9月27日に厚生省へ入省し大臣官房総務課勤務。翌年兵役に従事し、敗戦とともに復員復職。
亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2… 亀長 友義(かめなが ともよし、1920年9月26日 - 2011年1月17日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(2期)、全国農業共済協会長。 徳島県三好市池田町生まれ。徳島県立池田中学校卒業。第六高等学校在学中は江尻宏一郎(元三井物産社長)と柔道部に所属した。 東京帝国大学法学部卒業後、1943年 農林省入省(馬政局嘱託)。食糧庁総務部企画課長、水産庁生産部長、林野庁林政部長、農林経済局長、大臣官房長、食糧庁長官を経て、1972年 農林事務次官に就任。退官後は大日本水産会長に就任。 1977年の第11回参議院議員通常選挙徳島県選挙区で自由民主党から出馬し、初当選。2期務める。 1989年の第15回参議院議員通常選挙で連合の乾晴美にやぶれ落選。
黒田 能行(くろだ よしゆき、1920年3月22日 - 20… 黒田 能行(くろだ よしゆき、1920年3月22日 - 2014年5月10日)は、元衆議院決算委員会(現・決算行政監視委員会)調査室長、元衆議院国家公務員労働組合委員長。1947年、第001回国会予算委員会で書記として任命されて以来、戦後日本の財政経済の調査に尽力した。また、高橋正雄(経済学者)のもとで政治思想を学び、社会運動家としても活動した。位階は従四位。 1920年、大日本帝国陸軍の陸軍中将・フィリピン方面軍司令官であった黒田重徳の長男として福岡県に生まれる。母方の祖父は南部式拳銃を開発した南部麒次郎。幼少期に東京府に移り、成蹊小学校に入学。父親は不在が多く、母親・春子の女手ひとつで育てられる。
下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、192… 下条 進一郎(しもじょう しんいちろう、旧字体:下條、1920年〈大正9年〉3月16日 - 2013年〈平成25年〉4月14日)は、日本の大蔵官僚、政治家。参議院議員。厚生大臣、参議院議院運営委員長、同国際平和協力等に関する特別委員長などを歴任した。位階は従三位。貴族的な風貌から「まろ」の通称で呼ばれていた。 長野県松本市出身。下条康麿の長男。私立暁星小學校、武蔵高等学校、1944年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。同年大蔵省に入省するが、太平洋戦争の激化に伴い短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。
影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003… 影井 梅夫(かげい うめお、1920年3月9日 - 2003年7月4日)は、日本の外交官。法務省入国管理局長、外務省国際連合局長、駐イタリア特命全権大使、NTT特別参与などを歴任した。 鳥取県気高郡湖山村出身。武蔵高等学校尋常科、同校高等科文科甲組を経て、1941年高等試験外交科合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業、外務省入省。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し終戦を迎えた。 終戦連絡中央事務局連絡官を経て、1947年外交官補、叙二級。在マニラ日本政府在外事務所一等書記官、日本国とフィリピン共和国との間の賠償協定及び経済開発借款協定につき交渉し且つ署名する全権委員随員を経て、1956年在フィリピン日本国大使館一等書記官。
石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)… 石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)3月1日 - 1997年(平成9年)6月30日)は、日本の実業家。ブリヂストンの社長・会長を務めた。ブリヂストンタイヤ創業者の石橋正二郎の長男。 石橋正二郎の長男として福岡県久留米市に生まれる。旧制・中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)、福岡高等学校 (九州大学教養部の前身)を卒業後、1年間の浪人を経て1937年、東京帝国大学に進学。1943年に東京帝国大学法学部を卒業後、海軍主計科の短期現役(略称「短現」、短期現役海軍主計科士官(10期))に志願して、同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に卒業。東京監督官事務所監査官付となる。
近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 20… 近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て博報堂代表取締役社長を務めた。1982年聖シルベストロ騎士勲章、1992年勲一等瑞宝章、1993年日本宣伝賞大賞を受賞。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、旧制武蔵高校を経て、1942年7月に高等試験行政科に合格、同年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年同月、大蔵省に入省して理財局に配置される。高等試験は100番前後で入省成績も相澤英之が最下位で近藤がブービーだといわれていた。入省直後に海軍経理学校補修学生、海軍主計見習尉官(短期現役組(短現組)9期)となる。
北原 文雄(きたはら あやお、1920年1月17日 - )は… 北原 文雄(きたはら あやお、1920年1月17日 - )は、日本の化学者。専門は、コロイド・界面化学とその化学史。 長野県上伊那郡藤沢村(現・伊那市)出身。旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)、第一高等学校理科乙類を経て、1942年東京帝国大学理学部化学科卒業。理学博士。 東京電気(現・東芝)入社。1949年佐賀県小城石炭研究所入所。1952年東邦大学理学部助教授。1959年同大学教授。1961年ペンシルベニア州立大学研究員。1963年東京理科大学工学部工業化学科教授。同大学工学部長を経て、1995年同大学名誉教授。 2020年には『化学者ウィリアムソンと日本人留学生たち』という本を出版した。
太田 新生(おおた あらお、1920年 - 2015年)は、… 太田 新生(おおた あらお、1920年 - 2015年)は、日本の外交官。ヒューストン総領事や、駐リビア特命全権大使を務めた。 兵庫県姫路市出身。1939年成蹊高等学校文科甲類卒業。1943年高等試験行政科試験合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 太平洋戦争中は大日本帝国海軍で通信関係の仕事に従事していたが、南方への赴任の前に日本の降伏となり難を逃れた。海軍時代にのちに妹の夫となった縫田清二と友人となる。 1948年外務事務官任官、叙二級、北海道連絡調整地方事務局連絡調整官。1964年外務省経済局書記官。1965年外務省移住局移住振興課長。同年外務省中南米・移住局移住課長。1966年外務省中南米・移住局総務課長。
斎藤 伸雄(さいとう のぶお、1919年〈大正8年〉12月1… 斎藤 伸雄(さいとう のぶお、1919年〈大正8年〉12月11日 - 2011年〈平成23年〉9月24日)は、日本の銀行家、実業家。和光証券(現 みずほ証券)第4代社長、元日本興業銀行常務取締役。柔道六段。 新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)出身。1937年(昭和12年)3月に新潟中学校を卒業、1940年(昭和15年)3月に新潟高等学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 日本興業銀行に入行、1942年(昭和17年)9月30日に海軍経理学校(第9期)に二年現役補修学生として入校、1943年(昭和18年)1月15日に海軍主計中尉に任官、1月30日に卒業、横須賀海軍航空隊に配属、1カ月後に父島海軍航空隊に転属、硫黄島の飛行場使用規定を作成したり、地元農業に価格政策を導入し、作物の種類を豊富にしたりして、半年後に相模野海軍航空隊に転属、間もなく軍事参議官副官(塚原二四三海軍大将付)として海軍省に勤務、1944年(昭和19年)5月1日に海軍主計大尉に任官、1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争が終戦。
諏訪 彰(すわ あきら、1919年11月18日 - 1999… 諏訪 彰(すわ あきら、1919年11月18日 - 1999年3月12日)は、日本の地震学者・火山学者。長く気象庁に勤務し、地震観測所長などを務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)に、諏訪藩主・諏訪氏の分家筋に生まれる。旧制諏訪中学校(長野県諏訪清陵高等学校の前身)で三澤勝衛の教えを受け、三澤が顧問であった理科クラブの部長を務めた。松本高等学校理科甲類を経て、東京帝国大学理学部地質学科に学ぶ。1944年に卒業して兵役に就き、戦時中は技術将校として日本海沿岸の石油探査にあたった。 戦後、1945年12月に中央気象台(気象庁の前身)に採用されて藤原咲平の薫陶を受け、松代大本営跡に地震観測施設を設けた中央気象台松代分室の開設などに関わった。
武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月1… 武市 一夫(たけいち かずお、1919年〈大正8年〉11月17日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の政治家。徳島市長。徳島県徳島市出身。勲三等瑞宝章受章。位階は従五位。 旧制徳島県立徳島中学校、旧制第三高等学校卒業。1941年、東京帝国大学法学部卒業。大学卒業後、満州国総務庁高等官の試補となる。終戦後は徳島に戻り、徳島県庁の秘書課長や副知事などを歴任。 1967年に徳島市長に就任。2期に渡って市長を務める。就任中はポルトガルレイリアと姉妹都市の協定を結んだり、市内の下水道や排水場の整備に貢献する等の業績を残している。 また徳島県信用保証協会の会長や日本下水道協会の副会長などを歴任。
原 正雄(はら まさお、1919年9月19日 - 2008年… 原 正雄(はら まさお、1919年9月19日 - 2008年10月7日) は、日本の実業家。帝国ホテル代表取締役社長や、日本ホテル協会会長を務めた。 武蔵高等学校を経て、1941年東京帝国大学経済学部卒業。1942年第一銀行入行。第一銀行京橋支店長を経て、業績不振が続いていた帝国ホテルに招かれ、1970年から帝国ホテル専務取締役。1974年帝国ホテル代表取締役専務。1976年帝国ホテル代表取締役社長。1979年日本ホテル協会会長。1986年帝国ホテル取締役相談役。
山本 朗(やまもと あきら、1919年〈大正8年〉8月20日… 山本 朗(やまもと あきら、1919年〈大正8年〉8月20日 - 1998年〈平成10年〉1月11日)は、日本の新聞記者、実業家。中国新聞社第4代社長。 広島県広島市出身。中国新聞創業家に生まれる。子供時代から優等生で広島高等師範学校附属小学校を5年で修了し、広島県立広島第一中学校に入学。旧制中学を4年修了で旧制広島高等学校に進学。自転車通学で3年間無遅刻、無欠席を続け卒業時には皆勤賞を受けた。同期に永野厳雄(広島県知事)、1年後輩に松谷健一郎(中国電力会長)などがいる。 旧制高校卒業後、東京帝国大学経済学部に進学。1941年4月、実父の山本實一が社長を務める中国新聞社に入社。県政記者などを担当していたが、1944年(昭和19年)3月召集令状が来て呉海兵団へ入隊。
小河 八十次(おごう やそじ、1919年8月15日 - 19… 小河 八十次(おごう やそじ、1919年8月15日 - 1998年9月22日)は、昭和(戦後)の裁判官。 1919年(大正8年)8月15日生まれ。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、南満州鉄道に勤務。現地で軍隊に召集され、抑留の後、復員。1947年(昭和22年)司法試験合格。同年に創設された司法修習所第1期出身の裁判官。法律に強い理論派で、厳格な法解釈で知られた。 自衛隊の合憲性が問われた長沼ナイキ事件 控訴審の裁判長。1審で出された初の自衛隊違憲判決を覆し、最高裁の「送り込み人事」、「長沼シフト」と言われた。
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日… 安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家。俳号は流火艸堂。 1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ。小学5年時に一家で神戸に移住。第二神戸中学校卒業後、1937年、旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。
米田 登(よねだ のぼる、1919年6月29日 - 1993… 米田 登(よねだ のぼる、1919年6月29日 - 1993年3月20日)は、昭和期・平成期の歌人。 歌人・僧侶の米田雄郎の次男として、滋賀県蒲生郡(現・東近江市)に生まれる。八日市中学校在学中の15歳で前田夕暮主宰の白日社に入社し、歌誌「詩歌」にて自由律短歌を発表する。前田夕暮・矢代東村に師事。 1941年に東京帝国大学法学部を卒業。翌年陸軍に入隊し、定型短歌へと移行。戦時中は中国を転戦する。終戦後は東大大学院を経て日瑞貿易に入社。1951年に夕暮が没した後は、義弟(妻の実弟)である香川進が主宰する歌誌「地中海」に参加。1959年、父雄郎の死により歌誌「好日」の発行人となる。同誌からは香川ヒサを輩出した。
安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 20… 安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 2007年1月14日)は、国文学者、中央大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。
戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日… 戸沢 政方(戸澤 政方、とざわ まさかた、1919年5月4日 - 2005年2月14日)は、日本の政治家、厚生官僚。衆議院議員(4期)。 1919年(大正8年)、現在の神奈川県小田原市に生まれる。小田原中学校(現:小田原高等学校)を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学法学部卒。同年、内務省に入る。翌年厚生省に転じる。1970年(昭和45年)保険局長。1972年(昭和47年)社会保険庁長官。1973年(昭和48年)厚生事務次官。翌1974年(昭和49年)厚生省を退官。翌年、神奈川県知事選挙に立候補するが落選。1976年(昭和51年)から神奈川3区から立候補して4回当選した。1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で落選。
小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008… 小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008年9月14日)は、福岡県八女郡福島町(現・八女市福島)の生まれの小説家。経済人などの伝記小説で知られる。本名は小嶋直記。作家・小島英記は長男。 旧制福岡高等学校卒業。東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。河和海軍航空隊に配属。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進し、名古屋監督官事務所監査官付として終戦を迎えた。 戦後、私立八女津女子高等学校(現在の八女学院高等学校)や、母校でもある八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)で社会科の教師として教鞭を取り、詩人の松永伍一を教えたこともある。
磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 20… 磯貝 元(いそがい はじめ、1919年(大正8年) - 2015年(平成27年))は、日本の医師。内科医。駒込病院副院長。医学博士。 静岡県立静岡中学校を経て、静岡高等学校 (旧制)卒業。1942年(昭和17年)、東京帝国大学医学部卒業。直ちに海軍短期現役軍医として従軍。朝鮮・元山駐在。1943年(昭和18年)1月、海軍軍医学校入学、4月卒業。海南島特別陸戦隊附、9月、第三航空艦隊附(八丈島)。1945年(昭和20年)8月、復員。上京して都立駒込病院(内山圭梧院長)に入局。伝染病患者の診療に従事。1962年(昭和37年)、アメリカ、ボルチモアのメリーランド大学ボルチモア校(英語版)に半年間海外研修。
安達 健二(あだち けんじ、1918年12月22日 - 19… 安達 健二(あだち けんじ、1918年12月22日 - 1988年3月12日)は、日本の文部官僚。愛知県春日井市生まれ。 愛知一中、第八高校、東京帝国大学法学部卒業。1945年、文部省に入省。配属先は専門教育局。無形文化課長、教科書課長、中等教育課長、人事課長、1967年文化局長を経て、1968年 文化庁発足に伴い次長、1972年から1975年まで長官、1976年から東京国立近代美術館館長。86年5月退任。1976年大英勲章、1977年フランス芸術文化勲章受勲。
近藤 四郎(こんどう しろう、1918年12月13日 - 2… 近藤 四郎(こんどう しろう、1918年12月13日 - 2003年2月6日)は、日本の人類学者。 長崎市生まれ。大分県亀川の小学校を卒業後、台北第一中学校、福岡県中学明善校を経て、第五高等学校理科乙類を卒業。1941年、東京帝国大学理学部人類学科に入学。長谷部言人に師事した。1943年、繰り上げ卒業と同時に同学部副手、1945年助手、1960年助教授。1957年、「ヒトの姿勢及び歩行運動の人類学的研究 主として筋活動電流より見たる」により、東京大学理学博士。1967年、京都大学霊長類研究所初代所長に就任。1982年、京都大学を定年退官、大妻女子大学人間生活科学研究所教授。1993年、大妻女子大学を退任。
村上 信二郎(むらかみ しんじろう、1918年(大正7年)1… 村上 信二郎(むらかみ しんじろう、1918年(大正7年)11月27日 - 1972年(昭和47年)8月26日)は、日本の政治家、内務・通産官僚。衆議院議員(2期)を務めた。従四位勲三等。 1918年(大正7年)、広島県に生まれる。広島県立広島第一中学校を経て東京府立第四中学校へ転校し、その後、第一高等学校を卒業。卒業後は短期現役海軍主計科士官(12期)を志願し、1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学。1945年に卒業した。同年6月、海軍主計少尉に任官。舞鶴施設本部付兼第101部隊長を務めて終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学法学部を卒業。
清水 孝之(しみず たかゆき、1918年11月5日 - 19… 清水 孝之(しみず たかゆき、1918年11月5日 - 1994年3月1日)は、日本の国文学者。愛知県三河地方の小中高校の校歌を数多く作詞した。 1918年、愛知県岡崎市で生まれた。1936年、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)を卒業。東京帝国大学文学部国文科に進み、1941年に卒業。 卒業後は、愛知第二師範学校講師に就いた。その後、安城女子専門学校(現・愛知学泉短期大学)講師。1951年、広島女子短期大学助教授となった。次いで高知女子大学助教授。1962年、学位論文『蕪村は画家か俳人か:その俳諧史的研究』を大阪大学に提出して文学博士号を取得。愛知県立芸術大学教授となり、在任中は同附属図書館長も務めた。
中村 良夫(なかむら よしお、1918年9月8日 - 199… 中村 良夫(なかむら よしお、1918年9月8日 - 1994年12月3日)は、本田技研工業(ホンダ)のエンジン技術者で、元ホンダF1チームの監督。山口県下関市入江町出身。 山口中学校、山口高等学校を経て、1940年4月に東京帝国大学工学部航空学科(原動機專修)入学、1942年9月繰り上げ卒業。同年中島飛行機(富士重工業「スバル」の前身の一つ)に入社、航空エンジン開発部門のエンジニアを務め、同時に帝国陸軍の航技中尉(技術中尉)として陸軍航空技術研究所や陸軍航空審査部に属し、超大型重爆撃機「富嶽」や ジェット戦闘襲撃機キ201「火龍」などの開発に携わる。 敗戦後、1950年オート三輪メーカーの日本内燃機製造(後の東急くろがね工業、現・日産工機)に転職。
吉野 文六(よしの ぶんろく、1918年8月8日 - 201… 吉野 文六(よしの ぶんろく、1918年8月8日 - 2015年3月29日)は、日本の外交官。
宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1… 宮坂 哲文(みやさか てつふみ、1918年5月10日 - 1965年1月24日)は、日本の教育学者。
大村 筆雄(おおむら ふでお、1918年4月10日 - 20… 大村 筆雄(おおむら ふでお、1918年4月10日 - 2008年9月29日)は、日本の大蔵官僚。 広島県福山市三之丸町生まれ。広島県立福山誠之館中学校から第六高等学校(文科乙類)に入学。六高時代は柔道部に入部。官僚の道を選ぶべく東京帝国大学法学部を目指し、1938年に入学。東京帝大法学部法律学科3年次の1940年10月に高等試験行政科及び司法科を合格。東京帝大法学部法律学科を卒業し、1941年 大蔵省に入省し、国民貯蓄奨励局に配属された。8か月の勤務の後、広島の部隊に陸軍二等兵として入隊。1944年3月 パラオ諸島の中心コロール島に着任した。米軍の攻略目標から外れた大村らの基幹部隊は、パラオ本島のジャングルの中で持久作戦に入る。
池田 一郎(いけだ いちろう、1918年4月8日 - 199… 池田 一郎(いけだ いちろう、1918年4月8日 - 1997年1月6日 )は、日本の経営者。日本旅行社長を務めた。 岡山県出身。旧制矢掛中学(現:岡山県立矢掛高等学校)、旧制第六高等学校を経て、1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に高文行政科に合格。鉄道省、日本国有鉄道での勤務を経て、1966年9月に日本旅行専務に就任し、1977年1月には社長に昇格した。1984年5月に取締役相談役を経て、1988年4月から顧問を務めた。 1997年1月6日脳梗塞で死去。78歳没。
福岡 成忠 (ふくおか しげただ、1918年 <大正7年> … 福岡 成忠 (ふくおか しげただ、1918年 <大正7年> 3月14日 - 2004年 <平成16年> 9月7日)は、日本の経営者。ニコン社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。武蔵高等学校を経て、1940年に東京帝国大学工学部造兵学科を卒業し、同年に日本光学工業(のちのニコン)に入社。同年9月に海軍に技術大尉として入隊し、1943年1月に復帰。1973年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に昇格。1989年6月に会長に就任し、1993年6月に相談役を経て、2000年6月から特別顧問を務めた。 1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。
湯川 宏(ゆかわ ひろし、1918年3月9日 - 1986年… 湯川 宏(ゆかわ ひろし、1918年3月9日 - 1986年9月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(5 期)。 1918年、和歌山県海南市生まれ。和歌山県立和歌山中学校を経て第三高等学校文科甲類卒業。東京帝国大学法学部在学中、高等文官試験行政科試験に合格。大学卒業後、厚生省に入省した。短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年4月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年8月、経理学校を卒業。飛龍に配属。第15警備隊勤務を経て、1942年8月、旭東丸主計長に就任。同年11月、主計大尉に進み、以後、第二軍需部部員、第四南遣艦隊スラバヤ連絡所長を歴任し同副官として敗戦を迎えた。1945年9月、海軍主計少佐に進む。
藤田 晴子(ふじた はるこ、1918年2月25日 - 200… 藤田 晴子(ふじた はるこ、1918年2月25日 - 2001年10月20日)は日本のピアニスト、音楽評論家、法学者。選挙制度審議会委員。
柴田 護(しばた まもる、1918年1月27日 - 1995… 柴田 護(しばた まもる、1918年1月27日 - 1995年10月13日)は日本の内務・自治官僚。香川県出身。 京都一中、第三高等学校を経て、1941年3月に東京帝国大学法学部卒業。高等試験行政科に合格し、同年4月に内務省入省(地方局配属)。1942年1月に茨城県経済統制課長に就任。1946年7月に内務省官房調査部、1948年1月に内事局官房自治課、同年4月に地方財政委員会企画課で勤務。1949年に地方自治庁総務課長、1950年5月に地方自治庁府県税課長、1953年10月に自治庁財政課長、1958年6月に北海道総務部長、1960年1月に自治庁官房長(同年7月から自治省官房長)、1962年5月に自治省税務局長、1963年10月に自治省財務局長を歴任。
蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22… 蝦名 賢造(えびな けんぞう、1918年(大正7年)1月22日 - 2009年(平成21年)1月3日)は、日本の海軍軍人、経済学者、伝記作家。専門は財政学。獨協大学名誉教授。 1918年、青森県東津軽郡小湊町(現平内町)で生まれた。旧制巣鴨中学校・浦和高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学経済学部に進学。1941年、繰り上げ卒業。海軍兵科予備学生(1期)として海軍に入隊。連合艦隊司令部附となり、海軍甲事件で負傷した宇垣纏の秘書を務め、『戦藻録』の一部を筆記した。最終階級は海軍大尉。 1945年、巣鴨経済専門学校教授に就いた。1947年、北海道大学法文学部予科専任講師に転じた。1950年、北海道総合開発委員会事務局次長に就任。
小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 19… 小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 1980年8月11日)は、日本の図書館情報学者。名前は「ばん」とも呼ばれた。 1917年 (大正6年) 11月17日東京に生まれる。漢籍に凝っていた父親が四書五経から「胖」という字を選び名付けた。1930年 (昭和5年) 、戸山小学校卒業後、武蔵高等学校尋常科へ入学、同高等科へ進み1939年卒業。同年東京帝国大学理学部化学科へ入学し、1941年12月卒業した。 1942年、三井化学工業株式会社研究員となるが、在職のまま兵役徴集に応じ、陸軍工兵学校幹部候補生隊で教育を受けた後に、満洲へ向かった。1943年、独立工兵大隊勤務中に発病し予備役となって帰国、三井化学工業に勤務し終戦となった。
香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1… 香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1987年6月24日)は、日本の俳人。 香川県木田郡庵治村(現高松市)に生まれる。旧制高松中学、旧制姫路高校を経て、1941年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。ラバウルから復員後、1946年に高松で高校教諭となる。俳句ははじめ竹下しづの女に師事。のち東大俳句会で中村草田男を知り終生の師とする。1946年、中村草田男の「萬緑」創刊に参加。1955年、成蹊高等学校にうつり草田男の同僚となる。また大学部の講師も兼任した。1960年、第8回現代俳句協会賞受賞。「萬緑」の誌風のもと季語の象徴性に着目、思想性や社会性のある句を作った。「萬緑」では編集を補佐し、草田男の死去後は選者も務めている。
松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日… 松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日 - 2012年〈平成24年〉1月3日)は、日本の実業家。紀伊國屋書店名誉会長などを務めた。 山口県佐波郡徳地町(現在の山口市)に軍人の息子として生まれる。のちに父は電柱の銘板を取り扱う会社を経営していた。 大阪市築港南尋常高等小学校を卒業した1930年(昭和5年)、大阪府立市岡中学校(旧制)に入学。旧制浪速高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。同期に中曾根康弘がいた。 卒業後は南満洲鉄道に入社するも召集を受け、陸軍経理学校を首席卒業。中国各地を転戦し、陸軍主計中尉として太平洋戦争の敗戦を迎える。 復員後、1946年、大日本塩業株式会社に取締役業務部長として入社。
長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 200… 長野 士郎(ながの しろう、1917年10月2日 - 2006年12月5日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省選挙局長(1963年〜1966年)、行政局長(1966年〜1969年)、財政局長(1969年〜1971年)、自治事務次官(1971年~1972年)、公選8-13代岡山県知事(6期)、全国知事会会長(1995年~1996年)を歴任した。正三位勲一等旭日大綬章。 1917年、岡山県吉備郡服部村(現・岡山県総社市南溝手)に医師であった父・健次郎と母・菊野の四男として生まれる。岡山県第一岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)、第六高等学校、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1941年、高等文官試験行政科に合格する。
町村 鉄雄(まちむら てつお、1917年9月8日 - 199… 町村 鉄雄(まちむら てつお、1917年9月8日 - 1992年6月10日)は、日本の実業家。 1917年(大正6年)9月8日、北海道石狩町樽川にて、町村農場創業者の町村敬貴三男として誕生する。11歳の1928年(昭和3年)に東京の大久保町立戸山尋常小学校に転校した。旧制武蔵高等学校(入学は尋常科)から東京帝国大学に進み、1941年(昭和16年)に東京帝国大学法学部を卒業した。 1942年(昭和17年)住友銀行に入行するも、軍隊への入営のため休職となり、短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年(昭和18年)11月、海軍主計大尉に昇進した。
丸山 忠綱(まるやま ただつな 1917年7月8日 – 1… 丸山 忠綱(まるやま ただつな 1917年7月8日 – 1971年5月8日)は、日本の歴史学者。 長野県生まれ。1935年県立長野中学卒業、1938年旧制第二高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。中村孝也に師事し、1941年に卒業。「宮座ノ研究」を研究課題とし、同大学大学院に進学。1948年に法政大学教授となる。 宮座の研究の他、古代史では三世一身の法、墾田永年私財法、家人・奴婢の研究に取り組み、また戦時下の空襲で自宅を失った東京のホームレスや戦災孤児の姿を見て、近世史では加役方人足寄場の研究も行った。
竹中 知之(たけなか ともゆき、1917年(大正6年)7月3… 竹中 知之(たけなか ともゆき、1917年(大正6年)7月3日 - 1990年(平成2年)8月)は、日本の検察官であり、弁護士でもある。大分弁護士会会長を務めた後、大分県地方労働委員会会長を務める。岡山県高梁市出身。 1917年(大正6年)岡山県上房郡川面村(現:高梁市)の竹中家に出生する。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1935年(昭和10年)同校を卒業する。同年、旧制第六高等学校文科乙類へ進学し、1938年(昭和13年)同校を卒業、東京帝国大学法学部へ進学する。1941年(昭和16年)10月、東大在籍中に司法試験に合格。同年12月、第二次世界大戦の影響で、同大学政治学科を3ヶ月繰上げ卒業になった。
金堀 一男(かなほり かずお、1917年6月10日 - 没年… 金堀 一男(かなほり かずお、1917年6月10日 - 没年不詳)は、日本の警察官僚。 金堀卯太郎の三男として福岡市に生まれる。1935年福岡県中学修猷館、1937年3月旧制福岡高等学校文科乙類を経て、1941年3月東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 東大在学中の1940年に高等試験行政科に合格し、卒業後、内務省に入省したが、2週間足らずで海軍に入隊し、海軍経理学校を出て、重巡洋艦妙高に乗り込み戦地へ赴き、その後海軍陸戦隊庶務主任、病院船主計長から、山本五十六元帥の麾下に入り、トラック島、ラバウル、ウェーク島、サイパン島と転戦、終戦時は少佐まで累進している。 戦後、内務省に復職し、栃木県岩手県の各県本省調査局、総理庁官房勤務の後、1948年3月国家地方警察福岡県本部警備部長兼警備課長となり、佐賀県警察隊長、九州管区警察局公安部長、福島県警本部長、1960年7月鹿児島県警本部長、1963年2月警察庁警備局参事官、1965年3月静岡県警本部長を経て、1966年2月兵庫県警本部長に就任。
廣川 治(ひろかわ おさむ、1917年〈大正6年〉6月9日 … 廣川 治(ひろかわ おさむ、1917年〈大正6年〉6月9日 - 2011年〈平成23年〉1月5日)は、日本の通商産業技官、地質学者。元通商産業省工業技術院地質調査所地質部主任研究官、元JICA(国際協力機構)特別顧問。 新潟県中蒲原郡大江山村大字直り山(現 新潟市江南区直り山)出身。1935年(昭和10年)3月に新潟中学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に東京帝国大学理学部地質学科を繰上卒業。 1942年(昭和17年)1月に商工省地質調査所に技手として入所、2月に太平洋戦争に応召、陸軍に入隊、1945年(昭和20年)8月に終戦、最終階級は陸軍中尉。