阿武 喜美子(あんの きみこ、1910年2月17日 - 20… 阿武 喜美子(あんの きみこ、1910年2月17日 - 2009年10月10日)は、日本の化学者、専門は生物化学。新しいムコ多糖類を多数発見し、その化学構造を決定した。キシリツト及びキシリタンに関する研究で農学博士(東京大学)(1949年)。東京女子高等師範学校教授、オハイオ州立大学客員研究員、お茶の水女子大学教授を歴任。 山口県生まれ。東京女子高等師範学校(1932年卒)を経て、1937年東京文理科大学化学科卒。1938年東京帝国大学大学院への入学が許可され、日本初の女性大学院生となった。1943年 東京帝国大学大学院修了(女性としては東大初)。1944年母校の東京女子高等師範学校教授。1950年 - 1953年、オハイオ州立大学客員研究員として渡米し、M.L.ウォルフロム教授のもとで研究。
長澤 實導(ながさわ じつどう、1910年(明治43年)2月… 長澤 實導(ながさわ じつどう、1910年(明治43年)2月16日 - 1968年(昭和43年)12月20日)は、日本の仏教学者。大正大学教授。真言宗智山派満福寺第29世。権大僧正。 1910年、愛知県名古屋市中区の商家・藤田家に生まれる。幼名、清比古。1923年(大正12年)、故あって同市同区の福生院(袋町お聖天)松平實亮の室に入る。1924年(大正13年)、師に随い受戒得度、僧名實導となる。1925年(大正14年)、旧制愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)に入学。仏門の徒弟の身ながら、師の許しのもと高校野球に専念、甲子園を目指すも愛知県予選の決勝で敗れる。 1928年(昭和3年)、熱田中学を卒業し宗立大学智山専門学校本科(現・大正大学)に進学。
九重 京司(ここのえ きょうじ、1910年2月16日 - 1… 九重 京司(ここのえ きょうじ、1910年2月16日 - 1985年7月2日)は、日本の俳優、著述家(性神研究家)である。元助監督、元脚本家であり、小津安二郎の『東京の女』および『非常線の女』(1933年)に見習助監督としての記録がある。本名平塚 廣雄(ひらつか ひろお)。東京府知事、台湾総督府総務長官、貴族院勅選議員を歴任した平塚廣義は実父である。 1910年(明治43年)2月16日、長崎県長崎市に生まれる。父・平塚広義(1875年 - 1948年)は、当時は内務省の官僚であり、長男の廣雄(九重京司)は父が各地の知事を務めるたびに各地を転々とし、廣雄が15歳のころ、1925年(大正14年)9月16日には東京府知事に就任している。
三澤 功博(みさわ こうはく、1910年〈明治43年〉2月1… 三澤 功博(みさわ こうはく、1910年〈明治43年〉2月16日 - 1998年〈平成10年〉6月22日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県上伊那郡西春近村長、伊那市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県上伊那郡西箕輪村(現・伊那市)で、三澤舜平、はく の長男として生まれた。1927年(昭和2年)上伊那農業学校(現・長野県上伊那農業高等学校)卒業。西春近村議会議員となり2期在任し、1954年(昭和29年)同議長となる。1960年(昭和35年)2月に西春近村長に就任し、1965年(昭和40年)3月まで2期在任した。西春近村の伊那市編入後に、伊那市議会議員を1期務めた。 1970年(昭和45年)4月、伊那市長選挙に自民党公認で現職の田畑五郎司を破って当選した。
永倉 三郎(ながくら さぶろう、1910年(明治43年)2月… 永倉 三郎(ながくら さぶろう、1910年(明治43年)2月15日 - 1993年(平成5年)10月20日 )は、日本の経営者。九州電力社長。九州旅客鉄道初代会長。九州・山口経済連合会会長。 佐賀県佐賀市出身。佐賀県立佐賀高等学校卒業。1934年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に東邦電力に入社。 1942年に九州配電(のちの九州電力)に転じる。戦時中は陸軍第49師団の主計中尉としてインパール作戦に従軍した。1963年5月に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1974年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任し、1987年6月から取締役相談役を務めた。福岡放送取締役、九州旅客鉄道初代会長、九州・山口経済連合会会長なども歴任。
丹野 実(實、たんの みのる、1910年(明治43年)2月1… 丹野 実(實、たんの みのる、1910年(明治43年)2月15日 - 1976年(昭和51年)7月2日)は、昭和期の漁業指導者、政治家。衆議院議員。 宮城県宮城郡塩竈町(現塩竈市)で、丹野富治郎の息子として生まれた 塩竃市漁業会長、宮城県水産評議員、同食糧品統制組合理事、同粉食協会常任理事、同社会事業協会顧問、同生活協同体連合会理事などを務めた。 政界では、塩竈市会議員、同参事会員を務めた。1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に宮城県全県区から無所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、国民協同党政調会水産部長などを務めた。 その後、全国海苔増殖協会副会長、宮城県漁業協同組合会長、同県信用漁業協同組合連合会長、全国漁業協同組合連合会理事、関東北漁協連会長、大洋缶詰社長、日本ポゾラン会長、新東北化学社長などに在任した。
高屋 窓秋(たかや そうしゅう、1910年2月14日 - 1… 高屋 窓秋(たかや そうしゅう、1910年2月14日 - 1999年1月1日)は、俳人。本名・正国(まさくに)。従来の写生主義、花鳥諷詠の俳句から離れた句作を行い、昭和初期の新興俳句運動に大きな影響を与えた。代表句に「頭の中で白い夏野となつている」「ちるさくら海あをければ海へちる」「山鳩よみればまはりに雪がふる」など。 名古屋市東区に生まれる。父は陸軍士官で、名古屋は両親の故郷であったが、物心ついてからは東京に住んだ。1923年、関東大震災に被災ののち、父の転任に伴い熊本に移る。1926年、学友に連れられて「ホトトギス」派の俳人草野駝王、有働木母寺が指導する句会に出席、必要ということで学友に「寅秋子」の俳号を付けられる。
三堀 将(みほり しょう、1910年2月14日 - 1996… 三堀 将(みほり しょう、1910年2月14日 - 1996年10月7日)は、日本のジャーナリスト、囲碁観戦記者、囲碁ライター。読売新聞社新聞監査委員長、報知新聞社副社長を歴任。 神奈川県出身。本名は将(ただし)。他の筆名は丘目山人(おかめ-さんじん)。 旧制静岡高等学校卒業。東京帝国大学経済学部卒業。1932年、読売新聞社に入社して囲碁担当となる。1938年から3年間、覆面子(4代目)の名で囲碁観戦記を執筆。呉清源対木谷実の「打ち込み十番碁」を取材するなど活躍。 戦後、出版部長、特信部長、新聞監査委員長などを経て1963年、報知新聞副社長。 1967年に辞任してフリーの囲碁ライターとして読売新聞社主催の棋聖戦などで健筆を振るい、囲碁界のご意見番的存在だった。
西丸 四方(にしまる しほう、1910年2月13日 - 20… 西丸 四方(にしまる しほう、1910年2月13日 - 2002年2月14日)は、日本の医学者、精神科医。信州大学名誉教授、愛知医科大学名誉教授。専門は精神病理学。医学博士(東京帝国大学)。 村上仁、島崎敏樹らとともに、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。精神医学の基礎領域である精神病理学を広く精神科臨床に根付かせるなど、日本の精神医学の発展に大きく貢献した。また、老荘思想を心理療法に応用するなどのユニークな試みでも知られる。草間彌生を見いだし、その後の良き理解者として終生交流があった。 島崎藤村の姪である西丸いさの長男。父方の曾祖父は西丸帯刀(旧姓:野口)。西丸帯刀の伯父「野口北川」の長男の孫が野口雨情。
天野 良英(あまの よしふさ、1910年〈明治43年〉2月1… 天野 良英(あまの よしふさ、1910年〈明治43年〉2月12日 - 2001年〈平成13年〉3月3日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍中佐、陸上幕僚長たる陸将。 陸士43期、陸大52期。第6代陸上幕僚長、第3代統合幕僚会議議長。息子は第26代西部方面総監の天野良晴。 宮城県登米郡宝江村大字田沼新井田(現・登米市中田町宝江新井田)出身。旧制宮城県立佐沼中学校から1927年(昭和2年)4月に陸軍予科士官学校に入校。1931年(昭和6年)7月、陸軍士官学校卒業(第43期)。同期には次の陸幕長の吉江誠一をはじめ広瀬栄一、藤原岩市など。1931年(昭和6年)11月、歩兵第17連隊で満州事変に従軍。
吉田 隆子(よしだ たかこ、1910年2月12日 - 195… 吉田 隆子(よしだ たかこ、1910年2月12日 - 1956年3月14日)は、日本の作曲家。阪隆、吉田たか子、西加奈子、吉原澄、吉原澄子の名義で活動していたこともある。 東京府荏原郡目黒村大字目黒(現・東京都目黒区上目黒・駒場)580番地に生まれる。父の吉田平太郎は陸軍少将で陸軍騎兵実施学校校長。兄に飯島正がいる。 4歳から山田流箏曲を習う。青山師範学校附属尋常小学校(現・東京学芸大学附属世田谷小学校)入学。1919年、父の渡満に伴い一家で東京市芝区高輪南町に転居、南高輪尋常小学校(現・森村学園初等部)に転校。 日本女子大学附属高等女学校(現・日本女子大学附属中学校・高等学校)入学。納所弁次郎からピアノを習う。
丁 明燮(チョン・ミョンソプ、朝鮮語: 정명섭、1910年2… 丁 明燮(チョン・ミョンソプ、朝鮮語: 정명섭、1910年2月12日または12月3日 - 1997年2月25日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の実業家、政治家。海南郡守、長興郡守、霊光郡守、和順郡守、第3・4・6代韓国国会議員などを歴任した。 本貫は羅州丁氏(朝鮮語版)。号は不輝(プルィ、불휘)。 中農の息子として全羅南道羅州郡出身。1929年、光州高等普通学校4年在学中に光州学生運動に参加し、1931年に卒業した。1938年中央大学法学部卒、1944年同大学院修了。しばらく同大学院で勤めた後、光復後に帰郷し、郷里で朝鮮建国準備委員会羅州郡委員長を務めたなど、各種社会団体で活動した。
瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12… 瀧山 養(たきやま まもる、1910年(明治43年)2月12日 - 2009年(平成21年)4月7日)は、日本の鉄道官僚、土木工学者(工学博士・東京大学)。第62代土木学会会長、日本国有鉄道技師長・理事・顧問、鹿島建設専務取締役等を歴任した。戦前・戦後の激動の時代で、鉄道が輸送機関の主力であったときに鉄道技師として鉄道の発展に貢献。海外引揚や戦災復興都市計画、十河信二国鉄総裁のもと新幹線建設に尽力した。勲二等。 大阪府生まれ。後に東京市に転居し、東京市立麹町小学校、第四高等学校を経て、1932年東京帝国大学工学部土木工学科卒業。高等文官試験行政科に合格し、帝大卒業後鉄道省に入省。入省後は、東京改良事務所や新潟鉄道局、建設局停車場課、華北交通などに配属。
二代目 江川 マストン(にだいめ えがわ マストン、1910… 二代目 江川 マストン(にだいめ えがわ マストン、1910年2月12日 - 1998年9月6日)は、日本の曲芸師、軽業師である。初代についてはほとんど知られていない。「江川の玉乗り」で知られる。本名迫 與三郎(さこ よさぶろう)。 1910年(明治43年)2月12日、東京府東京市浅草区仲町(現在の東京都台東区浅草)に初代空中軒マストンの長男として生まれる。 「江川の玉乗り」は、1884年(明治17年)に区画整理により東京の「浅草公園六区」に見せ物小屋等が成立し始めたころから、関東大震災までの期間、常打ち小屋「大盛館」(現在の浅草新劇場の位置)で興行が行われた曲芸の一座で、幕末からのキャリアを持つ興行師・江川作蔵がこれを率いた。
法眼 晋作(ほうげん しんさく、1910年2月11日 - 1… 法眼 晋作(ほうげん しんさく、1910年2月11日 - 1999年7月24日)は、日本の外交官。インド大使、外務審議官、外務事務次官、国際協力事業団総裁などを歴任した。
柴谷 久雄(しばたに ひさお、1910年2月11日 - 19… 柴谷 久雄(しばたに ひさお、1910年2月11日 - 1996年7月29日)は、日本の教育学者。 和歌山県出身。1936年広島文理科大学教育学科卒、福島県師範学校教員、浜松師範学校教員、1943年応召し、敗戦でシベリアに抑留され、48年復員。和歌山県教育委員会指導主事、大阪市教育委員研究所長、1962年「バートランド・ラッセルの教育思想研究」で広島大学教育学博士。1966年広島大学教育学部教授、同附属幼年教育研究施設長、附属幼稚園長。73年定年退官、四天王寺女子大学(四天王寺国際仏教大学)教授。
大嶺 政寛(おおみね せいかん、1910年(明治43年)2月… 大嶺 政寛(おおみね せいかん、1910年(明治43年)2月10日 - 1987年(昭和62年)12月20日)は、沖縄県出身の洋画家。昭和時代の戦前戦後にわたって沖縄の原風景を描き、「赤瓦屋根の政寛」と称された。沖縄民芸協会会長を務めた。 那覇市久米町生まれ。沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)在学時に、比嘉景常の薫陶を受けて西洋画を志す。1929年(昭和4年)沖縄県立第二中学校を卒業後、沖縄県師範学校本科二部に進み、1930年(昭和5年)に卒業する。以後、那覇尋常小学校や那覇市立商業学校(現・沖縄県立那覇商業高等学校)、沖縄県立第一高等女学校等で教鞭を執る。 1933年(昭和8年)、第10回春陽会展に入選。
北川 静二(きたがわ せいじ、男性、1910年2月9日 - … 北川 静二(きたがわ せいじ、男性、1910年2月9日 - 1997年4月19日)は、日本のフィギュアスケート選手(シングル)。指導者。滋賀県出身。1935年全日本フィギュアスケート選手権優勝。 八幡商業学校卒。銀行勤務の傍らフィギュアを始め、1933年関西フィギュアスケート選手権大会で優勝。 1935年度の第7回全日本選手権では、前回王者・片山敏一のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック参加による欠場はあったものの、見事優勝を果たす。 また、妻の政子をパートナーに、日本アイスダンスの草分けとしても知られた。 戦後は京都府スケート連盟初代会長・日本スケート連盟理事・国際公認審判員などを務める傍ら、政子とともに後進育成に尽力する。
板原 伝(いたはら つたえ、1910年(明治43年)2月8日… 板原 伝(いたはら つたえ、1910年(明治43年)2月8日 - 1984年(昭和59年)11月7日)は、昭和時代の政治家。農民運動家。高知県土佐市長。 板原信衛、うまの二男として高知県高岡郡高岡町(現土佐市)に生まれる。高岡町高等小学校を中退し、農業に就いた。小作農家として楮加工、養蚕に従事した。 1929年(昭和4年)高知県穀物検査の制度化に反対し、農民運動を進め、制度は廃案となる。その後、岡崎精郎を委員長とする全国農民組合県支部、高東地区で兄の板原正気、西原貞らと共に激しい農民運動を展開した。 1945年(昭和20年)戦後の農民開放指令、農地改革となり、1946年(昭和21年)農民組合が新たに発足し農地改革推進の中心的役割を担うようになる。
今井 繁三郎(いまい しげさぶろう、明治43年(1910年)… 今井 繁三郎(いまい しげさぶろう、明治43年(1910年)2月7日 - 平成14年(2002年)1月9日)は、日本の画家。羽黒町名誉町民(現:鶴岡市名誉市民)。 羽黒町(旧泉村)戸野に生まれる。 旧制鶴岡中学(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業後、上京。創作に励む傍ら、美術雑誌の編集長を務める。また太平洋戦争の最中には、従軍画家として諸国を巡った。戦後、帰郷。美術団体「白甕社(はくおうしゃ)」の代表を長年務め、庄内の芸術振興や後身の指導に尽力した。 具象、抽象を織り交ぜた奔放な画風で知られ、晩年まで旺盛に創作を続けた。 1990年に鶴岡市山王町にあった豪商の土蔵を買い取り、自作を常設展示する今井繁三郎美術収蔵館を自宅庭に開館した。
橋本 正一(はしもと しょういち、1910年2月6日 - 1… 橋本 正一(はしもと しょういち、1910年2月6日 - 1978年7月21日)は、日本の経営者。東京都出身。 1934年に東京帝国大学工学部機械学科を卒業。 日本国有鉄道での勤務を経て、1960年5月に近畿車輛常務に就任し、1966年5月に専務を経て、1970年5月から1978年6月までに社長を務めた。 1978年7月21日胃ガンのために死去。68歳没。
根来 健一郎(ねごろ けんいちろう、1910年(明治43年)… 根来 健一郎(ねごろ けんいちろう、1910年(明治43年)2月5日 - 2001年(平成13年)7月17日)は、昭和から平成時代の陸水学者、藻類学者。特に珪藻学の分野における貢献で知られる。 和歌山県那賀郡池田村(現・紀の川市打田)の豪農の長男として生まれる。和歌山県立和歌山中学(現・ 和歌山県立桐蔭高等学校)、東京高等師範学校理科三部を経て、東京文理科大学生物学科植物学専攻に入学する。1934年(昭和9年)同大学を卒業と同時に母校の助手となり、1944年(昭和19年)東京高等師範学校教授、1946年(昭和21年)東京文理科大学助教授となる。その後、1948年(昭和23年)11月に大津臨湖実験所(現・京都大学生態学研究センター)に異動する。
大塚 喜一郎(おおつか きいちろう、1910年(明治43年)… 大塚 喜一郎(おおつか きいちろう、1910年(明治43年)2月5日 - 1988年(昭和63年)8月26日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事、学校法人中央大学理事長。京都府舞鶴市出身。 三高に入ったが、寮に門限をつけることに反対して、ストライキ実行委員長をしてストライキに入り、警察に拘束されて放校処分となり、1934年(昭和9年)に中央大学法科を卒業。1935年(昭和10年)9月に高等文官試験司法科に合格し、同年12月に弁護士登録。 堀江専一郎法律事務所に勤務後、1939年(昭和14年)に大塚法律事務所を開設する。1959年(昭和34年)4月に日弁連事務総長、1961年(昭和36年)3月に法学博士、司法研修所教官、1970年(昭和45年)4月に第一東京弁護士会会長に就任。
三輪 壽雪(みわ じゅせつ、1910年(明治43年)2月4日… 三輪 壽雪(みわ じゅせつ、1910年(明治43年)2月4日 - 2012年(平成24年)12月11日)は、日本の陶芸家。第11代三輪休雪。1983年に人間国宝に認定された。位階は従五位。本名は節夫。 山口県萩市出身。代々萩焼を家業とし、旧萩藩御用窯であった三輪窯の九代休雪・三輪雪堂の三男として誕生する。1927年旧制萩中学校卒業後、兄である十代休雪(隠居後は休和)を助けながら伝統技法を学んだ。1941年に三重県津市に工房を構えていた川喜田半泥子に師事し、茶陶の制作技法を身につける。独立までの約30年間ひたすら修練に打ち込み、召集令が出された1944年以外は作陶の手を休める事はなかった。 1955年に雅号を「休」と称し作家活動を開始。
平塚 勝一(ひらつか かついち、1910年(明治43年)2月… 平塚 勝一(ひらつか かついち、1910年(明治43年)2月4日 - 1983年(昭和58年)10月29日)は、昭和期の地方公務員、政治家。埼玉県所沢市長。 所沢市出身。1933年(昭和8年)海軍経理学校修了。1948年(昭和23年)所沢町役場に就職。所沢市収入役、助役を経て、1967年(昭和42年)所沢市長に当選し、4期在任した。市長在任中の1983年(昭和58年)10月29日、肝硬変のため73歳で死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
高橋 清一郎(たかはし せいいちろう 1910年2月3日 -… 高橋 清一郎(たかはし せいいちろう 1910年2月3日 - 1972年10月29日)は、衆議院議員を5期務めた日本の政治家である。 1910年(明治43年)2月、新潟市に生まれる。私立新潟夜間中学校、高検を経て新潟高等学校卒業。1936年(昭和11年) 京都帝国大学法学部卒業。 1937年(昭和12年)、南方に出征。 1947年(昭和22年)、新潟県議会議員・新潟市議会議員。1958年(昭和33年)5月、第28回衆議院議員総選挙で新潟1区初当選(無所属)し、以後5期連続で務める。 1964年(昭和39年)7月、第3次池田改造内閣防衛政務次官。同年11月、第1次佐藤内閣防衛政務次官。1967年(昭和42年)11月、第2次佐藤第1次改造内閣郵政 政務次官。
角田 三男(かくた みつお、1910年2月2日 - 1985… 角田 三男(かくた みつお、1910年2月2日 - 1985年5月6日)は、将棋棋士。棋士番号13。鳥取県西伯郡岸本町(現・伯耆町)出身。木見金治郎九段門下。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
野中 到(のなか いたる、1910年2月1日 - 1989年… 野中 到(のなか いたる、1910年2月1日 - 1989年7月22日)は、日本の原子物理学者で、東京大学の原子核研究所長も務めた。 新潟県長岡市出身。1933年東京帝国大学理学部物理学科卒業。1944年「速い中性子の散乱について(英文)」で東大理学博士。東芝電気中央研究所、1950年九州大学理学部助教授、教授、1961年東京大学教授兼原子核研究所長。1971年定年退官、名誉教授、千葉大学教授。1975年定年退官。原子核やX線の研究をした。1982年勲二等瑞宝章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
河野 金昇(こうの きんしょう、1910年2月1日 - 19… 河野 金昇(こうの きんしょう、1910年2月1日 - 1958年3月29日)は、日本の政治家、愛知県選出の衆議院議員。海部俊樹の師匠として知られている。 東京都出身。幼少時に足を負傷し、治療が不十分であったために障害が残った。金昇の親は、障害者となった息子を不憫に思い、兄弟の中で金昇だけを大学に進学させてあげたという。1933年(昭和8年)早稲田大学専門部を卒業する。その後、政治を志し、大学の先輩に当たる中野正剛の門下となり、中野が主宰する東方会に入る。1942年(昭和17年)の総選挙(いわゆる翼賛選挙)において地元愛知県から東方会(翼協非推薦)で立候補するが、落選した。1943年(昭和18年)中野が東條英機内閣を「戦時宰相論」で批判すると、10月に東方会の同志共々、特高に検挙され、中野は自刃するという悲運に見舞われた。
北川 政夫(きたがわ まさお、1910年2月 - 1995年… 北川 政夫(きたがわ まさお、1910年2月 - 1995年8月4日)は、日本の植物学者である。戦前は中国東北部の植物を研究した。 旧満州の大連市に生まれた。東京帝国大学の植物学科を卒業した。大陸科学院研究官を務め、標本を収集し、地域植物誌をまとめ、中国東北部の植物相を明らかにするとともに、多くの新種植物の記載を行った。ボウフウ(Saposhnikovia seseloides auct. non (Hoffm.) Kitag.)の記載などが含まれる。1947年から農林技術研究所、農業技術研究所で働き、1950年から横浜国立大学の教授となった。
猪原 淳三(いのはら じゅんぞう、1910年(明治43年)1… 猪原 淳三(いのはら じゅんぞう、1910年(明治43年)1月31日 - 没年不明)は、日本のフィールドホッケー選手。1932年ロサンゼルスオリンピックに出場。 広島県に生まれる。広島高等師範学校附属中学校(現在の広島大学附属中学校・高等学校)を経て、早稲田大学に進む。大学在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックにフィールドホッケーで出場、フォワードとして2試合をプレイし、銀メダルを獲得した。 1934年(昭和9年)、早稲田大学を卒業。 浅川増幸 | 猪原淳三 | 宇佐美敏夫 | 小西健一 | 小林定義 | 今治彦 | 酒井義雄 | 柴田勝見 | 左右田秋雄 | 永田寛 | 中村英一 | 浜田駿吉 | 三浦四郎 | 監督: 広瀬藤四郎 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
秦 万紀子(はた まきこ、1910年1月30日 - 1965… 秦 万紀子(はた まきこ、1910年1月30日 - 1965年10月10日)は日本のファッションデザイナー、カラリスト。自らのコレクション発表と共に、日本各地で編物デザイナー養成をし、服飾編み物界の興隆に寄与した。1951年、財団法人白南風社 しらはえしゃ (1951-2009)を労働省の認可を得て設立。編物手芸にデザイン・色彩・製図 法の指導で付加価値を高めて提供をする授産事業を行い、第2次大戦による戦争未亡人の自立のために活躍した。1961年パリのサロン・デ・エトワール(SALONS DE L’ETOILE)にて「秦 万紀子コレクション」を開催し、パリ市会よりパリ名誉市民賞(AMI DE PARIS)を受賞。
加藤 陽三(かとう ようぞう、1910年1月29日 - 19… 加藤 陽三(かとう ようぞう、1910年1月29日 - 1989年6月5日)は、日本の内務及び防衛官僚、政治家。防衛事務次官、衆議院議員(2期)。
野上 素一(のがみ そいち、1910年1月29日 - 200… 野上 素一(のがみ そいち、1910年1月29日 - 2001年2月4日)は、日本のイタリア文学者・イタリア語学者。京都大学名誉教授。
加藤 静一(かとう せいいち、1910年1月29日 - 19… 加藤 静一(かとう せいいち、1910年1月29日 - 1989年12月5日)は、日本の医学者(眼科学)。 岐阜県岐阜市出身。旧制第一高等学校を経て、1935年東京帝国大学医学部卒業。1943年旧制樺太医学専門学校眼科教授。1946年旧制松本医学専門学校教授、1948年旧制松本医科大学教授、1958年信州大学医学部附属病院長。1966年医学部長。1973年学長を歴任。1981年退官、同年江戸川女子短期大学学長に就任。1981年勲二等旭日重光章受章。エスペラント語の眼科教科書を出版した。
東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月… 東條 猛猪(とうじょう たけい、1910年(明治43年)1月29日 - 1991年(平成3年)5月23日)は、日本の大蔵官僚、実業家。大蔵省銀行局長、北海道拓殖銀行頭取、北海道旅客鉄道初代会長を務めた。 高知県高知市出身。旧制高知高等学校を経て、1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。大蔵省に入省。専売局長官官房兼主計局属。1946年9月21日に主計局予算課長。1947年7月2日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)。1948年7月5日に主計局第一部長(大蔵、歳入、国会、裁判所、会計検査院、司法、外務、皇室、内閣、内務、地方財政、文部、厚生担当)兼主計局第一部第二課長(国会、裁判所、会計検査院、司法、外務担当)。
井口 愛子(いぐち あいこ、1910年1月28日 - 198… 井口 愛子(いぐち あいこ、1910年1月28日 - 1984年12月1日)は、日本のピアノ教育家・ピアニスト。東京府東京市日本橋区(現東京都中央区)出身。本名は、佐藤愛子(旧姓:井口)。 とくに基礎教育が専門分野であった。 音楽之友社・新音楽辞典による。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
小川 由加里(おがわ ゆかり、1910年(明治43年)1月2… 小川 由加里(おがわ ゆかり、1910年(明治43年)1月28日 - 1981年(昭和56年)8月26日)は、日本の彫刻家。本名は、小川緑。 長野県諏訪郡永明村(現・茅野市)出身。高等小学校卒業後に指物師に入門。のちに自営独立し、1936年には知人に依頼されて木彫の聖観音像を制作。1937年元陸軍中将市瀬源助により蓼科高原横谷渓谷に護国の霊地を築くこととなり、金沢国有林の原木から斎戒沐浴半年かけて横谷観音堂『横谷聖観世音菩薩』像を制作し奉納鎮座された。1938年に上京して日本美術学校(のちの日本美術専門学校)に入学。池田勇八、吉田久継、岡野聖雲らに師事。1939年の第3回文展に『胸像』を出品して初入選。
川井 英良(かわい ひではる、1910年1月27日 - 19… 川井 英良(かわい ひではる、1910年1月27日 - 1997年2月14日)は日本の司法官。
阪田 泰二(さかた たいじ、1910年1月27日 - 196… 阪田 泰二(さかた たいじ、1910年1月27日 - 1968年10月7日)は、日本の大蔵官僚。
梁 炳日(ヤン・ビョンイル、朝鮮語: 양병일、1910年1月… 梁 炳日(ヤン・ビョンイル、朝鮮語: 양병일、1910年1月27日 - 1962年9月5日)は、大韓民国の弁護士、政治家。第2・5代韓国国会議員。 本貫は南原梁氏(朝鮮語版)。 全羅南道康津郡出身。中央大学法学部卒。高等文官試験司法科に合格した後は東京で弁護士を務め、東京弁護士会に所属した。帰国後は光州弁護士会会長、朝鮮弁護士会全羅南道支部長、大同青年団光州支団部副団長、大韓青年団光州市団長、韓国青年団光州市団長、民主党全南道党委員長を歴任した。1950年の第2代総選挙に康津郡選挙区から民主国民党所属で出馬して当選し、1960年の第5代総選挙に同選挙区から民主党所属で出馬して当選した。 1962年9月5日に聖母病院にて脳溢血により死去。
村上 仁(むらかみ まさし、1910年1月26日 - 200… 村上 仁(むらかみ まさし、1910年1月26日 - 2000年11月1日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。京都大学名誉教授。元名古屋市立大学医学部教授、元兵庫医科大学医学部教授。学位は、医学博士。 西丸四方、島崎敏樹らと共に、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。精神医学の基礎領域である精神病理学を広く精神科臨床に根付かせるなど、日本の精神医学の発展に大きく貢献した。1964年には日本精神病理・精神療法学会を創設し、後に京都学派と呼ばれる多くの精神医学者を輩出した。フランス留学時にはジャネの心理学体系を学び、ウジェーヌ・ミンコフスキー、ルートヴィヒ・ビンスワンガー、メダルト・ボスなどの人間学的理解に加えて、ジークムント・フロイトの精神力動的視点から患者の精神構造の理解を試みた。
佐藤 哲三(さとう てつぞう、1910年1月26日 - 19… 佐藤 哲三(さとう てつぞう、1910年1月26日 - 1954年6月25日)は、日本の洋画家。新潟県長岡市に生まれ、新発田市で生涯を過ごす。蒲原平野や農民などを主なモチーフとし、郷土に根ざした作品を制作した。1954年、白血病で死去。 1910年(明治43年)1月26日、新潟県古志郡長岡町(現:長岡市)に新発田藩士の末裔である父、佐藤英雄、母、菊乃との間に五人兄弟姉妹の三男として生まれる。父親は哲三の出生後まもなく台湾へ渡る。その翌年、母親は哲三とその兄姉を連れて新発田市に移転。1914年、哲三は脊椎カリエスを患い、背骨に障害を負う。1916年に父親が帰国、一家は新発田上町に移転し、書画骨董店『十万堂』を開業する。
赤松 勇(あかまつ いさむ、1910年〈明治43年〉1月25… 赤松 勇(あかまつ いさむ、1910年〈明治43年〉1月25日 - 1982年〈昭和57年〉8月30日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。衆議院議員(11期)。 長男は元衆議院副議長の赤松広隆。 兵庫県朝来郡和田山町(現朝来市)生まれ。聴講生として早稲田大学で学び中央大学で履修する。在学中の1926年(大正15年)、労働農民党に入党する。1931年(昭和6年)、日本労働組合総評議会に参加し中央委員になる。1937年(昭和12年)の人民戦線事件で逮捕されて4年間入獄する。 1945年(昭和20年)、日本社会党の結成に参加する。1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙で初当選を果たした。
小幡 謙三(おばた けんぞう、1910年1月24日 - 19… 小幡 謙三(おばた けんぞう、1910年1月24日 - 1992年5月9日)は、日本の経営者。石川県出身。 1933年に京都帝国大学法学部を卒業し、旭ベンベルグ絹糸での勤務を経て、1947年3月に旭化成工業取締役に就任し、その後は常務、専務を歴任した。 1965年12月に積水化学工業顧問に就任し、1966年2月に社長に就任し、1971年5月に会長に就任した。 1972年5月にユニチカ社長に就任し、1974年3月から1977年3月までに会長を務めた。 1970年から1990年までに積水ハウス会長を務め、讀賣テレビ放送監査役も務めた。 1992年5月9日心不全のために死去。82歳没。
松山 彬(まつやま あきら、1910年 <明治43年> 1月… 松山 彬(まつやま あきら、1910年 <明治43年> 1月24日 - 1995年 <平成7年> 9月3日)は、日本の経営者。東亜燃料工業社長を務めた。位階は従四位。 長崎県出身。1935年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、1939年に東亜燃料工業に入社。1959年に取締役を経て、1966年に副社長に就任し、1976年3月には社長に昇格。1986年3月に会長を経て、1988年3月から相談役を務めた。 1973年11月に藍綬褒章を受章し、1982年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 1995年9月3日心不全のために死去。85歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
池田 禎治(池田 禎治、いけだ ていじ、1910年1月22日… 池田 禎治(池田 禎治、いけだ ていじ、1910年1月22日 - 1977年2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。 福岡県田川郡香春町出身。上京し、東京府立第五中学に学ぶ。総同盟本部書記、社会民衆党書記などを経て、労働運動に加入した。その後、都新聞、読売新聞、時事新報の政治部記者から、時事新報政治部長となった。 戦後、日本社会党の結党に参加し西尾末広系の党内社会党右派に所属。片山内閣で内閣総理大臣秘書官と西尾末広国務大臣秘書官を務めた。福岡県小倉市(現在の北九州市小倉南区蜷田若園近辺)の県営アパートの一室を借りて、かなり手狭な社会党支部を開いている。1960年1月、民主社会党(後の民社党)結党に参加。
西垣 徳雄(にしがき とくお、1910年1月22日 - 19… 西垣 徳雄(にしがき とくお、1910年1月22日 - 1989年5月13日)は、兵庫県出身の野球選手。1950年発足の国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)初代監督。
篠島 秀雄(しのじま ひでお、1910年1月21日 - 19… 篠島 秀雄(しのじま ひでお、1910年1月21日 - 1975年2月11日)は、日本の実業家、サッカー選手。三菱化成工業(現在の三菱ケミカル)の社長などを歴任した。 栃木県上都賀郡日光町(現:日光市)出身。東京府青山師範学校附属小学校から東京高等学校尋常科、東京高等学校高等科文科乙類を経て、1928年に東京帝国大学に入学。東京帝大ではア式蹴球部に入部して主将も務めた。また、在学中の1930年(昭和5年)に開催された第9回極東選手権のサッカー日本代表に選出され、2試合に出場して優勝に貢献した。 1931年に東京帝国大学法学部を卒業して三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に入社。1941年3月、田邊五兵衛商店(現在の田辺三菱製薬)に転じて専務取締役に就任。
中村 浩(なかむら ひろし、1910年〈明治43年〉1月20… 中村 浩(なかむら ひろし、1910年〈明治43年〉1月20日- 1980年〈昭和55年〉12月30日)は、日本の微生物学者。別名「うんこ博士」。「泉三三彦」名義の著書もある。 1910年、成蹊学園創立者・中村春二の次男として東京本郷富士前町で生まれた。1927年に旧制成蹊高等学校理科を卒業。東京帝国大学理学部植物学科で学び、1933年に卒業。 1942年、東京帝国大学理学部講師に就いた。1943年、ドイツ語執筆した学位論文『紅色細菌の代謝生理への寄与』を東京帝国大学に提出して理学博士号を取得。 戦後の1950年、九州大学理学部教授に就いた。その後、近畿大学教授に転じた。1959年、日本クロレラ研究所副所長。