スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小針 崇宏(こばり たかひろ、1983年6月22日 - )は… 小針 崇宏(こばり たかひろ、1983年6月22日 - )は、栃木県宇都宮市出身の野球指導者。作新学院高等学校保健体育科教諭。 1983年宇都宮市生まれ。 4歳年上の兄が野球をやっていた影響で、小学2年生のときから野球を始めた。宇都宮市立陽西中学校でも野球部に所属。 作新学院高等部2年時であった2000年春に第72回選抜高等学校野球大会に内野手として出場し、チームはベスト8進出。3年時は主将に就任したが、夏の大会は県予選決勝で敗退した。 高校卒業後の2002年4月より筑波大学体育専門学群へ進学。大学でも野球部に入り、入学直後の春に怪我した先輩の代役で試合に出場し注目されたことによって、1年からレギュラーとなった。
小林 庸尚(こばやし のぶひさ、1983年4月11日 - )… 小林 庸尚(こばやし のぶひさ、1983年4月11日 - )は、栃木県出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー(GK)。
二瓶 卓郎(にへい たくろう、1983年1月26日 - )は… 二瓶 卓郎(にへい たくろう、1983年1月26日 - )は、日本の空手家。栃木県出身。作新学院高等学校、帝京大学卒。
山崎 聡子(やまざき さとこ、1982年3月30日 - )は… 山崎 聡子(やまざき さとこ、1982年3月30日 - )は、日本の歌人。 1982年、栃木県下都賀郡石橋町(現・下野市)生まれ。作新学院中等部・作新学院高等学校卒業。2002年、早稲田大学第一文学部2年生のとき、水原紫苑の授業をきっかけに作歌を始め、早稲田短歌会に入会。卒業制作では日高堯子の指導を受ける。2008年より短歌同人誌「pool」に参加。2010年、「死と放埓なきみの目と」30首で第53回短歌研究新人賞受賞。 2013年、第一歌集『手のひらの花火』刊行。同年未来短歌会に入会。2014年、同歌集で第14回現代短歌新人賞を受賞。 2022年、第二歌集『青い舌』で第3回塚本邦雄賞を受賞。 2023年度「NHK短歌」第2週選者。
内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年… 内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年9月11日)は元競輪選手、元自転車競技選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第87期生。現役時代は日本競輪選手会栃木支部に所属。師匠は福田明。弟子にはアテネパラリンピック(2004年)、自転車競技・タンデムスプリント(視覚障害部門)において葭原滋男のパイロットとして同種目の銀メダル獲得に貢献した大木卓也がいる。 東京都中央区出身。埼玉県の大和田小学校2年生の時からスイミングクラブに入ってトライアスロンを始め、6年生の時に自転車競技を中心にレースに出場。学校法人石川高等学校を経て作新学院高等学校に転校し、同校を卒業。 2001年、競輪学校に入学。
黒乃 奈々絵(くろの ななえ、欧文表記:Nanae Chro… 黒乃 奈々絵(くろの ななえ、欧文表記:Nanae Chrono、1980年6月18日 - )は、日本の漫画家。自身のブログプロフィールによれば栃木県出身と記載している。血液型はA型。作新学院高等学校美術デザイン科卒業。 2023年3月13日、X(旧・Twitter)のポストにて「連載中の『PEACE MAKER鐵』に対する適応障害と見られるうつ状態につき連載休止中」と説明している。 カラー作品はアナログとCGの併用で、前者では水彩絵具及びアクリル絵具やコピックを使用している。『PEACE MAKER』シリーズ連載時当時はアナログメインであったが、最近はCGを用いる事が多い。ストーリー構成では、複雑な伏線をはるのが特徴。
柏崎 桃子(かしわざき ももこ、1979年7月31日 - )… 柏崎 桃子(かしわざき ももこ、1979年7月31日 - )は、日本のお笑い芸人である。 本名同じ。栃木県真岡市出身。かつてSHUプロモーション、石井光三オフィスに所属していた。愛称はももち。血液型A型。身長165cm、体重93キロ、 第一種普通自動車免許・介護福祉士資格所持。作新学院高等学校美術デザイン科中途退学。高等学校在学時、17歳で妊娠、18歳で男児を出産。24歳で離婚後、シングルマザーとして女手ひとつで息子を育てている。息子が軽度発達障害であることから、当時の育児の苦悩エピソードを自身が開設したブログにて現在子育てをしている母親にも知ってもらいたいという思いを込めて発信している。 26歳でヘルパー2級の資格を取得。
時崎 悠(ときさき ゆう、1979年6月15日 - )は、福… 時崎 悠(ときさき ゆう、1979年6月15日 - )は、福島県福島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。元サッカー選手の時崎塁は実弟。 2007年、FCペラーダ福島(現・福島ユナイテッドFC)で選手兼任監督を務めていた。2008年は選手専任となったが、シーズン途中に監督の齋藤誠が解任されたため、選手兼監督代行として再びチームの指揮を執る事となった。2011年シーズンのリーグ戦途中からは本来のゴールキーパーが故障により離脱したため控えGKとして登録され、第47回全国社会人サッカー選手権大会、第35回全国地域サッカーリーグ決勝大会では実際にGKとして試合に出場した。
石川 裕之(いしかわ ひろゆき、1979年1月21日 - )… 石川 裕之(いしかわ ひろゆき、1979年1月21日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手。
飯嶋 則之(いいじま のりゆき、1978年12月2日 - )… 飯嶋 則之(いいじま のりゆき、1978年12月2日 - )は、栃木県小山市出身の競輪選手。作新学院高等学校出身。日本競輪選手会・栃木支部所属。日本競輪学校第81期生。師匠は高校の先輩でもある神山雄一郎。 1996年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(インターハイ)のイタリアンチームレースにおいて優勝を経験。翌1997年に競輪学校に入学。加藤慎平、合志正臣といった後のGI優勝者に加え、伊勢崎彰大(在校競走成績第1位)や前反祐一郎(卒業記念レース優勝者)といった錚々たる顔ぶれがいた中、飯嶋の在校競走成績は70位にとどまった。 1998年8月15日、静岡競輪場でデビューし2着。上記の同期の面々と比較すると出世レースでいささか遅れを取り、S級に昇進したのは2002年の8月。
廣瀬 佳正(ひろせ よしまさ、1977年10月21日 - )… 廣瀬 佳正(ひろせ よしまさ、1977年10月21日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元自転車プロロードレース選手。チームブリヂストン・アンカー、スキル・シマノを経て、地元で自ら立ち上げた宇都宮ブリッツェンに所属。現・宇都宮ブリッツェンの運営会社副社長。 元々、運動が大好きで空手や野球、テニスなどさまざまなスポーツをやっていたが、自転車部に入っていた兄の影響から高校一年生時より自転車競技を始めた。地元で行われた「ジャパンカップサイクルロードレース」という大きな国際大会を見て衝撃を受け、自分もロードレースの世界で、ヨーロッパでプロになりたいと誓い、そこからロードレース一本となった。 2006年の戦績により、オールラウンダーとして2007~2008年はヨーロッパツアーを転戦。
小口 雅之(こぐち まさゆき、男性、1977年8月27日 -… 小口 雅之(こぐち まさゆき、男性、1977年8月27日 - )は、日本のプロボクサー。栃木県上三川町出身。草加有沢ボクシングジム所属。 作新学院高校1年時にボクシングを始める。2000年10月11日、横浜アリーナでWBA世界ライト級タイトルマッチ(畑山隆則 vs 坂本博之)のアンダーとして行われたプロデビュー戦に初回KO勝利を収めた。2002年には新人王トーナメントにエントリーし、スーパーフェザー級で3勝を収めたが、9月27日に行われた東日本準決勝で熊野和義(宮田)に4R判定で敗れた。 2005年12月13日、ジムの先輩コウジ有沢の引退興行のセミファイナルで密かに引退を決意して、柴田大地(ファイティング原田)と対戦。
小林 剛(こばやし ごう、1976年8月23日 - )は、栃… 小林 剛(こばやし ごう、1976年8月23日 - )は、栃木県小山市出身の画家、現代美術家。 ギリシャ・ローマ神話の英雄や女神をモチーフとした歴史画・神話画・寓意画などの作品を制作。現代的な作品も制作している。 1994年、作新学院高等学校(当時は作新学院高等部)美術デザイン科を卒業後渡仏。2002年、フランス外務省カーサ・ヴェラスケス賞受賞。 同年、ブリュッセル王立芸術アカデミー(Académie royale des beaux-arts de Bruxelles )壁画科マスター修了時に、ベルギー国際議会場買い上げ。在学時より王立アカデミーで講師として教鞭をとっていた。 ルーアン美術学校でDNAP(フランス国家造形芸術免状)を取得後、2004年にパリ国立高等美術学校(École nationale supérieure des beaux-arts)卒業。
設楽 詠美子(しだら えみこ、1976年〈昭和51年〉1月2… 設楽 詠美子(しだら えみこ、1976年〈昭和51年〉1月20日 - )は日本の政治家、歯科医師。茨城県筑西市長(1期)。元茨城県議会議員(4期)。 茨城県下館市(現・筑西市)出身。作新学院高等学校、鶴見大学歯学部を卒業した。新潟大学や自治医科大学で研修医となり、川崎医科大学助手を経て、東京大学大学院医学部国際保険学客員研究員となる。 2010年、茨城県議会議員選挙に民主党公認で立候補し、初当選した。以後、4期連続当選。民進党の分裂後は(旧)国民民主党に所属し、同党解党後の2021年2月に(新)立憲民主党に入党。立憲民主党では茨城県連幹事長を務めた。 2022年1月、立憲民主党県連が実施した同年夏の第26回参議院議員通常選挙茨城県選挙区の候補者公募に応募し、県連は設楽を擁立する方向で調整を進めたが、同年4月には立憲の支持母体である連合茨城が主導する形で堂込麻紀子の擁立を決めたため、県連は独自候補の擁立を取りやめた。
柳沼 強(やぎぬま つよし、1974年5月15日 - )は、… 柳沼 強(やぎぬま つよし、1974年5月15日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。 2019年より千葉ロッテマリーンズのスカウトを務めている。 作新学院では3年春の県大会優勝で関東大会へ進むが準々決勝で部坂俊之らを擁する横浜高に敗退。夏は県大会ベスト4。神奈川大学へ進み、3学年上に高校の先輩である渡辺秀一がいた。4年秋には神奈川大学野球リーグのベストナインを獲得している。 1996年のドラフトで千葉ロッテマリーンズから6位で指名され入団。 しかし、1軍出場がないまま3年で現役を引退した。 引退後は、19年間に渡り千葉ロッテのブルペン捕手を務めていたが、2019年よりフロント入りしスカウトに就任した。
大山 峻護(おおやま しゅんご、1974年4月11日 - )… 大山 峻護(おおやま しゅんご、1974年4月11日 - )は、日本の男性元総合格闘家。現在は企業や学校を訪問しトレーニング指導や講演を行っている。栃木県那須郡出身。初代ROAD FCミドル級王者。 妻は、アイドル歌手の河田純子。妹は、ミュージカル女優(劇団四季)からシャンソン歌手兼ヨガインストラクターに転じた大山奈緒 5歳から柔道を始め、中学2年で講道学舎に入った。同じく総合格闘家の吉田善行のほか、瀧本誠、小斎武志らと同期。当時の講道学舎生徒は、世田谷区立弦巻中学校・世田谷学園高等学校に通っており、大山も同様であった。作新学院高等学校を卒業。 国際武道大学に進学し、卒業後、プロデビューまでは柔道選手として京葉ガスに所属。
川上 雅史(かわかみ まさし、1972年2月23日 - )は… 川上 雅史(かわかみ まさし、1972年2月23日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。栃木県出身。1992年バルセロナオリンピックウェルター級日本代表。身長178cm。作新学院高等学校、中央大学卒業。 高校時代はボクシング部で川島八郎監督の指導を受け、1989年にはインターハイライトミドル級で優勝を収めた。1991年と1992年には石川国体・べにばな国体成年の部ライトミドル級に2年連続で優勝を収めた。 1992年、バルセロナオリンピックにウェルター級の日本代表として出場し、7月26日に行われた1回戦でエイドリアン・ドッドソン(イギリス)と対戦し、2回RSC負けとなった。1993年、全日本選手権ライトミドル級で優勝を収めた。
谷口宗一(たにぐち そういち、1971年8月29日 – )は… 谷口宗一(たにぐち そういち、1971年8月29日 – )は、日本のシンガーソングライター、写真家。栃木県大田原市出身。血液型はA型。バンドBAKUやSHURIKENのボーカルで活動後、ソロとしてアコースティックライブを中心に江古田マーキーで定期的に活動。
渡辺 秀一(わたなべ ひでかず、1971年7月13日 - )… 渡辺 秀一(わたなべ ひでかず、1971年7月13日 - )は、茨城県下館市(現在:筑西市)出身の元プロ野球選手(投手)。 1996年から1999年の登録名はヒデカズ。 福岡のローカルアイドル・れいしゅしゅに所属していた渡辺帆乃夏は娘。 作新学院高校入学時は内野手。当時の大塚監督に投手転向を勧められた。高校3年の夏は初戦で県立の進学校である足利高校に敗れる。 神奈川大学に進学し同大学野球部所属。1991年の2年時、春季リーグ戦で優勝しベストナインを獲得した。続く大学選手権で慶応大を2-1、東海大を15-2(7回コールド)で下したものの、準決勝で関西大に3-5で敗退。第20回日米大学野球選手権大会において、後にダイエーでチームメイトとなる浜名千広や鳥越裕介とチームメイトとなる。
大橋 弘枝(おおはし ひろえ、本名同じ、1971年6月3日 … 大橋 弘枝(おおはし ひろえ、本名同じ、1971年6月3日 - )は、日本の俳優・演出家・ダンサー。佐賀県生まれ、栃木県小山市出身。生まれつき耳が聞こえないものの、唇から相手の話していることを理解して(読唇術)会話をすることもできる。読売演劇第七回優秀女優賞を受賞。手話を芸術的なパフォーマンスとして活動する「サイン アート プロジェクト.アジアン」代表。作新学院高等学校卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
落合 英二(おちあい えいじ、1969年7月25日 - )は… 落合 英二(おちあい えいじ、1969年7月25日 - )は、栃木県下都賀郡石橋町(現:下野市)出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。 現役時代はNPBの中日ドラゴンズで中継ぎとして活躍した。2017年の登録名は英二。 石橋町立古山小学校、石橋町立石橋中学校を経て作新学院高等部に進学、作新学院では球速130 km/h台ながら、エースとして活躍。作新学院時代は甲子園出場は果たせなかった。1986年秋季栃木大会準々決勝に進むが、佐野日大高校に敗退。翌1987年春季栃木大会は準決勝で足利工の石井忠徳と投げ合って完封勝ち、決勝では高村祐を擁する前年の選抜準優勝校・宇都宮南高校に敗れたが関東大会出場権を得る。
ウチダ トモヒロ(1968年11月30日 - )は、作家、作… ウチダ トモヒロ(1968年11月30日 - )は、作家、作曲家。本名は内田智博。2003年『ときめきメモリアル Girl's Side』で作家デビュー。歌う海賊団ッ!の船長「キャプテン☆うっちゃる」として活動中。作新学院高等部卒業、拓殖大学中退。 2011年2月1日付けで栃木県の親善大使である「とちぎ未来大使」に就任。 2014年12月に群馬県太田市「子育て親善大使」に、2015年5月に栃木県日光市「日光観光大使」にそれぞれ就任。
神山 雄一郎(かみやま ゆういちろう、1968年4月7日 -… 神山 雄一郎(かみやま ゆういちろう、1968年4月7日 - )は、日本の元競輪選手、元自転車競技選手。日本競輪選手養成所所長(第24代。2025年4月1日 - )。血液型B型。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第61期生。現役時代は日本競輪選手会栃木支部所属、ホームバンクは宇都宮競輪場。師匠は荒川博之。 栃木県小山市生まれ。生家は自転車屋で、父親は熱心なサイクリング愛好家だった。神山も父親とともにサイクリングをするようになり、休日になると自転車に乗って遠出していた。幼稚園時代から運動神経と脚力は抜群だったという神山は、小学校時代には休日になると筑波山や太平山まで片道40-50kmの道のりを往復するようになり、さらに長野県や岐阜県まで野宿をしながら1日200kmを走破して移動することもあった。
関根 英之(せきね ひでゆき、1967年4月19日 - 20… 関根 英之(せきね ひでゆき、1967年4月19日 - 2024年3月19日【訃報公表日】)は、茨城県の猿島郡・三和町(現・古河市)出身の日本の柔道家。現役時代は95kg超級の選手。身長190cm。体重125kg。 それまで野球に取り組んでいたが、三和町立三和中学校2年の時に体格の良さを見込まれて柔道を始めることになった。 栃木県の作新学院高校3年の時にはインターハイ重量級で3位となった。 東海大学に進むと、1年の時には全日本学生(無差別)で決勝まで勝ち進むが、明治大学の小川直也との史上初となる1年生対決に1-2の判定で敗れた。2年の時には学生優勝大会の優勝に貢献すると、新人体重別では優勝を飾った。
斉藤 和義(さいとう かずよし、1966年〈昭和41年〉6月… 斉藤 和義(さいとう かずよし、1966年〈昭和41年〉6月22日 - )は、日本のシンガーソングライター。栃木県下都賀郡壬生町出身。 小学生の時にギターと出会う。中学・高校時代にはハードロック・ヘヴィメタルにハマり、LOUDNESSのコピーバンドもしている。高校時代はヘヴィメタル・グッズを原宿で買って、そのままLOUDNESSなどのコンサートに通っていたという。 壬生町立南犬飼中学校、作新学院高等学校を卒業。「オリオン通り」でカレーを食べる青春を送る。この時のことが浜崎貴司との共作につながる。山梨学院大学を2年で中退し、地元に戻っていた21歳の時、友人から「東京で一緒に音楽をやろう!」と誘われたのがきっかけで上京する。
藤 水名子(ふじ みなこ、1964年6月29日 - )は、日… 藤 水名子(ふじ みなこ、1964年6月29日 - )は、日本の小説家、歴史小説作家、時代小説作家。日本推理作家協会会員。「涼州賦」で小説すばる新人賞を受賞する。 東京都北区生まれ。父親の故郷である栃木県宇都宮市で育つ。作新学院高等部を卒業する。1985年、日本大学文理学部中国文学科に入学するも、後に中退。大学中退後、小説執筆に専念し、投稿生活を送る。1991年、「秘玉」が第3回朝日新人文学賞の候補作に選ばれる。同年、「涼州賦」で集英社が主催する第4回小説すばる新人賞を受賞し、小説家デビューを果たす(同時受賞は、たくきよしみつ「マリアの父親」)。1994年、『赤壁の宴』が第16回吉川英治文学新人賞の候補作に選ばれる。
高橋 ヒロ(たかはし ひろ、本名:高橋 浩・洗礼名 = アッ… 高橋 ヒロ(たかはし ひろ、本名:高橋 浩・洗礼名 = アッシジのフランチェスコ 、1962年9月1日 - )は、日本における初の男性テディベアアーティストである。テディベアを一般的クマのぬいぐるみの域を超えて芸術作品にまで高めた第一人者としてテディベア業界では世界的に知られる。アートディレクター、アートコンシェルジュ©でもある。妻は同じくテディベアアーティストの高橋ミチ。 ※英国、米国、香港のテディベアミュージアムに永久展示 「後世に残る芸術としてのテディベア」をモットーに、ミシンを一切使わない全てを半返し縫いで仕上げ、装飾品にも手作りを心掛ける。年間20作品前後しか創作しない寡作アーティストで、殆どが「one-of-a-kind」と呼ばれている一点物。
神長 英一(かみなが ひでいち、1960年6月24日 - )… 神長 英一(かみなが ひでいち、1960年6月24日 - )は、群馬県桐生市出身の元社会人野球指導者、元大学野球指導者。 作新学院高時代、第49回選抜高等学校野球大会及び第60回全国高等学校野球選手権大会に出場。3年次には主将を務める。 1979年に高校卒業後、法政大学経済学部へ進学。東京六大学野球連盟に加盟する同校野球部では3度のリーグ優勝を経験。4年次の1982年春季リーグで完全優勝を果たし、神長も遊撃手としてベストナインに選出された。続く全日本大学野球選手権大会でも決勝で東洋大学を下し優勝を果たした。大学時代の同期に田中富生、木戸克彦、西田真二、手嶋浩、1年上に中葉伸二郎、川端順と池田親興両投手、1年下に小早川毅彦、銚子利夫、飯田孝雄、和田護・樽井徹両投手らがいる。
古口 哲(こぐち さとし、男性、1957年11月28日 - … 古口 哲(こぐち さとし、男性、1957年11月28日 - 2021年11月(または10月末)は、日本の元プロボクサー、トレーナーである。古口・協栄ボクシングジム会長。栃木県今市市出身。 作新学院高等学校時代には3年次の1975年と4年次の1976年に全日本高校フライ級王者となり、日本大学進学後までにアマチュア61連勝を記録。2013年に李健太に更新されるまで日本記録であった。1978年世界ボクシング選手権大会にもバンタム級日本代表選手として出場。 モスクワオリンピック出場も期待されながら1979年にプロ転向を宣言。ジムの間では争奪戦となったが、一時国際ジムと契約も、高校時代に笹崎ジムと契約し
平川 洋幸(ひらかわ ひろゆき、1957年9月3日 - )は… 平川 洋幸(ひらかわ ひろゆき、1957年9月3日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 作新学院高では江川卓の2年後輩、3年夏の県大会は決勝で藤倉一雅がエースの足利学園に敗れた。神奈川大学へ進学、首位打者1回、ベストナイン2回を受賞するが中退し、社会人野球のスリーボンドへ入団。社会人時代は28本塁打を記録。 1982年オフに、ドラフト外で横浜大洋ホエールズへ入団。 1985年に一軍デビューを果たすも、同年限りで現役を引退した。 2005年、社会人野球・クラブチームの国際総合伊勢原クラブにコーチ兼任内野手として入団した。
大橋 康延(おおはし やすのぶ、1955年10月8日 - )… 大橋 康延(おおはし やすのぶ、1955年10月8日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 小山二中時代はアンダースローの好投手であり、小山中の江川卓と投げ合ったこともある。江川が地元の小山高へ進むという噂から作新学院高へ進学するが、結局は同期入学となる。その後は江川の控え投手として登板機会は限られたが第45回選抜高校野球大会の小倉南高戦で2イニング登板した。これは江川が監督に進言したことによるという。 1973年ドラフト会議で 大洋ホエールズから2位指名を受け入団。 180cmという体格に恵まれながら、元々肥満体質のため腰周りに肉がつき過ぎて体のキレが悪く生きた球がいかなかった。
染谷 恵二(そめや けいじ、1955年9月25日 - )は、… 染谷 恵二(そめや けいじ、1955年9月25日 - )は、フリーアナウンサー・ジャーナリスト。番組制作と実況アナ集団「アナウンスプロダクション染谷」略称「アナプロ」を設立。現在はアナプロの代表取締役。元ラジオ日本の編成局チーフアナウンサー。2005年4月より現職。ボイスオンにも所属する。
亀岡 偉民(かめおか よしたみ、1955年9月10日 - )… 亀岡 偉民(かめおか よしたみ、1955年9月10日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。 衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、衆議院文部科学委員長、自由民主党文部科学部会長、自由民主党福島県支部連合会長、内閣府大臣政務官・復興大臣政務官、文部科学副大臣兼内閣府副大臣、復興副大臣などを歴任。旧姓は小倉。 三重県四日市市生まれ。生後間もなく栃木県下都賀郡国分寺町(現・下野市)に移る。現住所は福島県福島市野田町5丁目。偉民が中学3年に進級する直前の1970年3月に、自身の実姉・睦美が亀岡高夫衆議院議員の実兄・金一の三男・隆之と結婚(二人は1983年に離婚)。 高校時代は作新学院高等部野球部の捕手として江川卓とバッテリーを組み、甲子園に2度出場。
石坂 真一(いしざか しんいち、1955年(昭和30年)9月… 石坂 真一(いしざか しんいち、1955年(昭和30年)9月4日 - )は、日本の政治家。元栃木県真岡市長(2期)、元栃木県議会議員(6期)。 栃木県真岡市生まれ。真岡市立真岡小学校、真岡市立真岡中学校、作新学院高等学校、日本大学卒業後の1978年(昭和53年)1月、参議院議員岩崎純三の政策担当秘書になる。1992年(平成4年)10月、総務庁長官となった岩崎純三の秘書官となる。 1995年(平成7年)、栃木県議会議員に初当選した。2007年(平成19年)5月から2009年(平成21年)3月まで県議会議長を務めた。 2017年(平成29年)4月16日告示、4月23日投開票の真岡市長選挙に自由民主党・公明党の推薦を得て立候補。
佐藤 明男(さとう あきお、1952年(昭和27年)2月14… 佐藤 明男(さとう あきお、1952年(昭和27年)2月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。元自由民主党栃木県支部連合会事務局長。
五十嵐 久人(いがらし ひさと、1951年2月19日 - )… 五十嵐 久人(いがらし ひさと、1951年2月19日 - )は、栃木県出身の元体操選手で現在は新潟大学教授。1976年モントリオールオリンピック体操男子団体金メダリスト。日本大学卒業。モントリオールオリンピックでは、当初、控え選手だったが、笠松茂が急病欠場し出場機会が廻ってきた。
岩崎 良夫(いわさき よしお、1947年5月9日 - )は、… 岩崎 良夫(いわさき よしお、1947年5月9日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(内野手)。 作新学院高では、2年次の1964年に三塁手、一番打者として夏の甲子園に出場。1回戦は小松実に大勝するが、2回戦ではエース亀井進を擁する早鞆高に9回裏サヨナラ負けを喫する。翌1965年夏にも県予選準々決勝に進出するが、足利工に敗れる。 高校卒業後は、社会人野球の立正佼成会に進む。1967年の都市対抗野球に出場。1回戦は若生和也の好投もあり三菱重工神戸に大勝。しかし2回戦で日本楽器に9回裏サヨナラ負け。同年の産別大会では打率.538を記録し首位打者を獲得。若生以外のチームメートには監督兼任の金博昭がいた。
八木沢 荘六(八木澤 荘六、やぎさわ そうろく、1944年(… 八木沢 荘六(八木澤 荘六、やぎさわ そうろく、1944年(昭和19年)12月1日 - )は、栃木県今市市(現・日光市)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者。現・公益社団法人全国野球振興会理事長。史上13人目の完全試合達成者。 実家は製材所を経営し、父親の善吉は今市市の市長も務めた。祖父が明治期の陸軍参謀総長・川上操六を尊敬していたため、「荘六」の名になった。作新学院では2年次の1961年に春の選抜で初出場を果たすと、1回戦に先発して柏原高を完封するが、2回戦はリリーフに回って高松商に敗退。3年次の1962年には春の選抜にエースとして出場し、準々決勝では八幡商を延長18回引き分け再試合の末に降す。
中野 孝征(なかの たかゆき、1944年6月14日 - )は… 中野 孝征(なかの たかゆき、1944年6月14日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(内野手)。 中学時代は遊撃手兼リリーフ投手だった。作新学院高では1年からレギュラー遊撃手となり、1961年、2年生の時に春の選抜に出場。2回戦で高松商業高に敗れる。1年上のチームメートに島野育夫がいた。翌1962年には主将、一番打者として春の選抜に連続出場。エース八木沢荘六を擁して勝ち進み、決勝で日大三高を降し優勝。 同年夏の選手権では八木沢の急病により、控えの加藤斌を主戦投手に立て勝ち進む。決勝では加藤が久留米商業高のエース伊藤久敏と投げ合い1-0で辛勝、史上初の甲子園春夏連覇を果たす。高校同期に八木沢、加藤の他、中堅手、四番打者の高山忠克がいた。
加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965… 加藤 斌(かとう たけし、1944年5月21日 - 1965年1月4日)は、中国上海生まれ、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)。 作新学院高ではエース・八木沢荘六の控え投手として、主にリリーフを担当していた。 1962年、作新学院は八木沢などの活躍もあって春の選抜に優勝、続く夏の甲子園予選北関東大会も勝ち上がり、春夏連覇に期待をかけられた。春の優勝後、加藤は野球部長の勧めで投法をオーバースローからアンダースローに転向している。 大会直前、エースの八木沢が赤痢にかかり、チームは急遽加藤を主戦投手として戦うこととなった。甲子園では1回戦で気仙沼高に苦戦したものの勝ち上がり、準決勝では林俊彦、木俣達彦の強力バッテリーを擁する中京商を2-0で完封。
高山 忠克(たかやま ただかつ、1944年5月18日 - )… 高山 忠克(たかやま ただかつ、1944年5月18日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手(外野手)。 作新学院高校への在学中は「4番・中堅手」で、1学年先輩に外野手の島野育夫、同期生に八木沢荘六・加藤斌の両投手と遊撃手の中野孝征がいた。 2年時(1961年)と3年時(1962年)の春に選抜高等学校野球大会へ出場。3年時の第34回大会では、エース八木沢の下で優勝を経験した。チームは夏の第44回全国高等学校野球選手権大会にも出場したが、大会中に八木沢が赤痢を発症した影響で隔離療養を余儀なくされたため、控え投手の加藤が先発に回った。加藤が中京商業との準決勝で林俊彦と投げ合った末に完封勝利を収めると、チームは久留米商業との決勝で伊藤久敏を相手に1対0で勝利。
島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 200… 島野 育夫(しまの いくお、1944年3月30日 - 2007年12月15日)は、栃木県宇都宮市出身のプロ野球選手(外野手)、コーチ、監督、野球解説者。 コーチ時代は相手の癖を盗む特技を生かし、 三宅博は著書で、センスを持ったクセ盗みの名人と記している。特に星野仙一との監督・コーチコンビでは中日ドラゴンズ・阪神タイガースで優勝を経験しており、低迷期の長かった阪神にあって、島野が在籍していた時期は最下位になったことは一度もなかった。 長男は元競輪選手で現在は柔道整復師の島野敦識。 作新学院高校時代の1961年、中堅手として1学年下の八木沢荘六、高山忠克らとともに第33回選抜高等学校野球大会に出場した。
斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は… 斎藤 克男(さいとう かつお、1942年1月28日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 作新学院高等部時代は1958年の夏の大会で初出場を4強・国体では初出場を優勝に導いた古口典央が引退した栃木県大会から正捕手となった。 1958年秋の栃木県大会でチームは1回戦に宮下陽吾と松本照夫の両投手が控える栃木商業、準決勝ではエース大井道夫率いる宇都宮工業を破り勝ち進んだ。そして決勝の矢板高戦では先制点となるタイムリー二塁打を放って勝利を呼び込み、4番・捕手として作新学院の秋季県大会初優勝の一端を担った。 秋の関東大会でも土田伸三投手とのバッテリーを務めながら4番に座り、作新は優勝の成績を収めた。
東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1… 東京 ぼん太(とうきょう ぼんた、1939年4月7日 - 1986年10月14日)は、日本の芸人、歌手、漫談家。栃木県出身。トレードマークは唐草模様の風呂敷。本名は中山孝一。 作新学院で野球をやっていたが、肘のケガで中退する。コメディアンを志して上京した。芸名の由来は「東京の上野駅に着いた時にボーンと鐘が鳴った」ことが芸名のヒントになったといわれる。キャバレーなどを転々とした後に、1960年頃から寄席に出演。1963年からは唐草模様の風呂敷包みを背負ってテレビに登場して「夢もチボーもないね」「イロイロあらあな」など、栃木訛りを誇張したギャグで人気を博した。 レコードも発売しており「マアいろいろあらァな」は、20万枚のヒットとなった。
田切 勝之(たぎり かつゆき、1935年2月27日 - )は… 田切 勝之(たぎり かつゆき、1935年2月27日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。 作新学院高校から神奈川大学を経て1957年に毎日オリオンズへ入団。1958年に退団。
山本 理(やまもと おさむ、1933年3月13日 ‐ 201… 山本 理(やまもと おさむ、1933年3月13日 ‐ 2016年11月19日)は、日本の高校野球指導者。栃木県出身。史上初の甲子園大会春夏連覇を達成した監督。 栃木県に生まれ、1945年に下野中学校(のちの作新学院高等学校)に入学。神奈川大学を経て、1955年に母校・作新学院の監督に就任した。1958年の第40回全国高等学校野球選手権大会で甲子園初出場し、ベスト4まで進出する。そして1962年の第34回選抜高等学校野球大会と第44回全国高等学校野球選手権大会を制し、史上初の春夏連覇を達成した。1973年には江川卓を擁して春夏連続出場したことでも知られる。のち部長に転じた。2016年11月19日、83歳で死去。
塙 静夫(はなわ しずお、1932年 - )は、栃木県出身の… 塙 静夫(はなわ しずお、1932年 - )は、栃木県出身の元教員で、考古学者である。 1932年(昭和7年)、栃木県芳賀郡に生まれる。1955年(昭和32年)宇都宮大学学芸学部文学科を卒業後、作新学院高等学校で教職に就く。その間、下総国府跡をはじめとする栃木県内の多くの調査発掘に携わった。栃木県考古学会会長も務める。 2000年(平成12年)10月 栃木県文化功労者に選ばれた。
小川 晃一(おがわ こういち、1927年〈昭和2年〉3月31… 小川 晃一(おがわ こういち、1927年〈昭和2年〉3月31日 - )は、日本の政治学者。法学博士[要出典]。北海道大学名誉教授。北海道における欧米政治思想史研究の第一人者[要出典]。 1927年(昭和2年)、群馬県館林市生まれ。旧制佐野商業学校(現・栃木県立佐野高等学校)、旧制下野中学校(現・作新学院高等学校)を経て、1949年(昭和24年)旧制第一高等学校を卒業。1952年(昭和27年)、東京大学法学部政治学科を卒業した。 1953年(昭和28年)、北海道大学法学部助手となる。同年から1958年(昭和33年)まで内地研究員として丸山眞男の下で研究に取り組む。1958年(昭和33年)北海道大学法学部助教授となり、1963年(昭和38年)同教授に就任。
篠原 弘道(しのはら ひろみち、1913年〈大正2年〉8月1… 篠原 弘道(しのはら ひろみち、1913年〈大正2年〉8月15日 - 1939年〈昭和14年〉8月27日)は、大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少尉。通り名・異名は「東洋のリヒトホーフェン」。 日本陸軍のトップ・エースの一人として総撃墜数58機を誇り、これは1939年5月27日の初陣から同年8月27日に戦死するまでのわずか3か月の間に達成された。また、1回の空戦で11機の敵機を撃墜した記録をもつ。 1913年8月15日栃木県河内郡雀宮村大字東谷(現:宇都宮市東谷町)生まれ。父庄蔵、母はる。雀宮尋常小学校東校(現:宇都宮市立雀宮東小学校)を経て1931年(昭和6年)下野中学校卒業後、12月に騎兵の現役志願兵として羅南の騎兵第27連隊に入営。
石井 陶泊(いしい とうはく、1905年 - 1999年)は… 石井 陶泊(いしい とうはく、1905年 - 1999年)は、日本の鍼灸師。日本経穴委員会専門委員。享年94。 栃木県生まれ。下野中学(現:作新学院高等学校)中退。1932年灸術試験合格、1933年鍼術試験合格。1965年から1977年に至るまで栃木県鍼灸師会会長。同心会副会長である藤田六朗医博の指導を受ける。1975年からは、日本鍼灸医学会理事、地方会会長、評議員、日本経穴委員会専門委員を歴任した。1991年までは全日本鍼灸学会栃木地方会会長を務めた。 石井は分娩後のウサギや曲がった若い糸瓜への施灸実験をきっかけにして、経絡を発生学的観点から検討した。