スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
上村 洸(かみむら ひろし、1930年〈昭和5年〉8月13日… 上村 洸(かみむら ひろし、1930年〈昭和5年〉8月13日 - 2025年〈令和7年〉11月22日)は、日本の物理学者。専門は固体物理学。東京大学名誉教授。東京理科大学名誉教授。英国物理学会名誉フェロー。アメリカ物理学会終身フェロー。第40期日本物理学会会長。理学博士。 1930年8月13日、兵庫県芦屋にて生まれた。1948年に東京都立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)を卒業した。1954年に東京大学理学部を卒業し、1959年に同大学院数物系研究科の博士課程を修了した。同年に東京大学理学部物理学科の助手に着任し、1967年に助教授に、1978年に教授に昇任した。東京大学では、改革室員や理学研究科委員会委員、理学部物理学科主任、理学部付属中間子研究センター長、物性研究所協議会委員などを歴任した。
小泉 文夫(こいずみ ふみお、1927年〈昭和2年〉4月4日… 小泉 文夫(こいずみ ふみお、1927年〈昭和2年〉4月4日 - 1983年〈昭和58年〉8月20日)は、日本の民族音楽学者。 東京府荏原区神明町(後の品川区二葉町)出身。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)で音楽教師だった安部幸明と出会う。一高時代に音楽班に入り、岡見温彦にヴァイオリンを、高田三郎に合唱の指導を受ける。山形県上山温泉で陸軍軍医学校に勤労動員中に敗戦を迎え、戦後は教会で讃美歌を楽しむ。20歳のときに洗礼を受け、宗教音楽研究会に通う。 東京大学文学部美学科へ入学。在学中に吉川英史の講義で地歌「ままの川」の実演を聴いて日本音楽学に関心を持った。卒業後は、東京大学大学院人文科学研究科美学専攻課程に籍を置きながらNHK交響楽団機関誌『フィルハーモニー』の編集委員や、NHKラジオ「婦人の時間」で民族音楽の解説を担当する。
木村徳国(きむらのりくに、1926年(大正15年)5月9日 … 木村徳国(きむらのりくに、1926年(大正15年)5月9日 - 1984年(昭和59年)10月7日)は、日本の建築史家。明治大学教授を歴任。 大学院時代に関与した広島平和記念公園の懸賞設計競技に一等当選したグループのメンバーとしても知られるが、大学院退学後建築史の研究への道へ。初期は日本近代建築史に関する論考を中心に研究生活を送る。後1970年以降は日本古代建築史・住宅史を主な研究対象としたことで知られる。京都府竹野郡間人町(現・丹後町間人)生まれ。
多湖 輝(たご あきら、1926年2月25日 - 2016年… 多湖 輝(たご あきら、1926年2月25日 - 2016年3月6日)は、日本の心理学者。千葉大学名誉教授。元東京未来大学学長。代々木アニメーション学院名誉顧問。 多湖輝研究所所長、東京都「心の東京革命」推進協議会会長、特定非営利活動法人「0歳からの教育」推進協議会理事長、東京アマチュア・マジシアンズクラブ会長、日本創造学会名誉会長などを務めた。 スマトラ島生まれ。父は三井物産のシンガポール支店長だが、のち独立し、スマトラでゴム生産工場を始めた。 1929年:昭和恐慌で父の事業が失敗し、一家で日本に帰国、父は徳川義親の顧問となる。目白の徳川邸内の住宅に住み、北豊島郡高田町高田第五尋常小学校(現:豊島区立目白小学校)に学ぶ。
蓼沼 謙一(たでぬま けんいち、1923年10月26日 - … 蓼沼 謙一(たでぬま けんいち、1923年10月26日 - 2011年10月28日)は、日本の法学者。専門は労働法。一橋大学名誉教授。元一橋大学学長、日本労働法学会代表理事などを歴任。吾妻光俊門下。 元一橋大学学長蓼沼宏一は子。澤和樹第10代東京藝術大学学長は娘婿。 茨城県水戸市生まれ。1940年3月東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)4年修了、同年4月東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1943年学徒出陣により横須賀第2海兵団入団、1944年2月飛行専修海軍予備学生・急降下爆撃機操縦士、1944年12月大日本帝国海軍少尉、1945年4月神風特別攻撃隊隊員、1945年8月大日本帝国海軍中尉。
渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - … 渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - 2006年11月8日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授、元帝京大学教授。専門は法社会学、民法学、憲法学。
細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011… 細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011年9月21日)は、日本の国際政治学者。一橋大学名誉教授、国際大学名誉教授、日本学士院会員、英国学士院客員会員、元日本国際政治学会理事長。専門は外交史。ちなみに、国際政治学者の細谷雄一との血縁関係はない。
石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日… 石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日 - 2005年8月12日)は、日本の法学者。 専門は労働法。東京大学名誉教授。末弘厳太郎門下。「労働法の権威」と呼ばれた。 労働行政の場においても、公共企業体等労働委員会会長や中央労働委員会会長を歴任するなど活躍。中央労働委員会会長在任中(1984年11月~1992年10月)には、パンアメリカン航空の労働争議仲裁や、いわゆるJR不採用問題でJRと国鉄労働組合の両者に対し和解を促す「最終解決案」の提示などを行った。 千葉県木更津市にて誕生。1937年、東京府立第四中學校卒業。1940年、第一高等学校卒業。1943年、東京帝国大学法学部卒業。
和歌森 太郎(わかもり たろう、1915年(大正4年)6月1… 和歌森 太郎(わかもり たろう、1915年(大正4年)6月13日 - 1977年(昭和52年)4月7日)は日本の歴史学者、民俗学者。東京教育大学名誉教授。専門は日本の民衆史・修験道史。
佐藤 正己(さとう まさみ、1910年(明治43年)7月16… 佐藤 正己(さとう まさみ、1910年(明治43年)7月16日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の植物学者。理学博士(東京帝国大学・1942年)。茨城大学名誉教授。山形県東田川郡山添村(現・鶴岡市)出身。地衣類研究の権威として知られている。
三浦 新(みうら しん、1910年1月8日 - 1996年8… 三浦 新(みうら しん、1910年1月8日 - 1996年8月8日)は、日本の工学者。玉川大学教授。 1910年、東京生まれ。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、東京工業大学卒業。三井化学を経て、玉川大学工学部教授。長年に渡り品質管理の普及に尽力した。1952年、デミング賞受賞。1980年、藍綬褒章受章。 第2次世界大戦終戦直後、戦後復興を目指し、1945年に日本規格協会、1946年に日本科学技術連盟(Japanese Union of Scientists and Engineers、以下JUSE)がそれぞれ活動を開始した。1948年にJUSEに設立された統計的品質管理調査委員会メンバーとして、朝香鐵一、石川馨、河田龍夫、茅野健、西堀榮三郎、増山元三郎、水野滋らとともに活動を開始し、戦後復興を目指す日本産業界に品質管理の普及を行った。
高木 昇(たかぎ のぼる、1908年6月19日 - 2005… 高木 昇(たかぎ のぼる、1908年6月19日 - 2005年5月28日)は、日本の電子工学者。東京大学名誉教授。東京工科大学名誉学長。工学博士(東京帝国大学、1942年)。理事(財団法人電子文化研究所、1964年)。東京大学宇宙航空研究所初代所長(1964年-1969年)。科学技術庁宇宙開発推進本部長(1965年-1967年)。東京神田生まれ。 東京大学の宇宙空間観測観測グループのリーダーとして、観測ロケットの打ち上げ、科学衛星の開発や打ち上げ等、宇宙電子工学の分野で貢献した。1994年文化功労者。
岡田 家武(おかだ いえたけ、1904年 - 1970年)は… 岡田 家武(おかだ いえたけ、1904年 - 1970年)は、中国語名を馬謝民、後には馬植夫といい、華西大学(四川大学の前身の一つ)教授を務めるなど、主に中国で活動した日本の地球化学者。 逓信省鉄道局の官吏だった父・岡田甲子之助と、母・與志の間の長男として、東京府東京市麹町区(後の千代田区の一部)に生まれる。弟に、後に物理学者となる岡小天がおり、ほかに弟がもう一人と、妹が二人いた。 当時は内幸町にあった東京府青山師範学校附属小学校(後の東京学芸大学附属世田谷小学校の前身)から、市ヶ谷加賀町にあった東京府立第四中学校(後の東京都立戸山高等学校の前身)に進んだが、幼少時から鉱物に関心をもっていた岡田は、この頃から各地を旅して鉱物採集を行ない、東京帝国大学理学部教授の神保小虎(鉱物学)の研究室にも出入りしたといわれる。
石田 英一郎(いしだ えいいちろう、1903年6月30日 -… 石田 英一郎(いしだ えいいちろう、1903年6月30日 - 1968年11月9日)は、日本の文化人類学者・民族学者。元男爵。 1903年、男爵石田八弥の長男として大阪府で誕生。父の死去に伴い、1925年6月1日に男爵を襲爵。天王寺中学から東京府立四中に転校し、卒業。第一高等学校文科に進学したが、肋膜炎を患い休学。1年遅れて復学した後、菊川忠雄の勧誘を受けて一高内の社会思想研究会に入会した。 1924年、第一高等学校文科を卒業業して、京都帝国大学経済学部に進学するも京都学連事件により中退。 京都学連事件に連座したことに伴い、1926年3月24日に爵位を返上。不敬罪と出版法違反の容疑で逮捕され入獄したが、不敬罪については1927年の大喪の礼に伴う恩赦で赦免された。
岡田 温(おかだ ならう、1902年(明治35年)6月2日(… 岡田 温(おかだ ならう、1902年(明治35年)6月2日(6月1日とする文章もある) - 2001年(平成13年)4月26日)は、昭和期の図書館学者(図書館史)。第3代(最後)の帝国図書館長である。 宮城県仙台市出身。7歳で養子に出され、府立四中、旧制一高(理科甲類)を経て、1923年東京帝国大学文学部美学美術史学科に入学。この間、植村正久の下でキリスト教の洗礼を受けた。肋膜炎で休学した後、社会学科へ転科し、1928年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。同年、帝国図書館に入り、当時、帝国図書館館長であった松本喜一から信任を受けて、後に司書の長である司書官に任じられた。 太平洋戦争終結直後の1945年11月13日に松本が急死したため、1946年5月13日に岡田が後任の帝国図書館長となる。
長沢 規矩也(ながさわ きくや、1902年(明治35年)5月… 長沢 規矩也(ながさわ きくや、1902年(明治35年)5月14日 - 1980年(昭和55年)11月21日)は、日本の中国文学者、書誌学者。号は静あん。書斎号は学書言志軒。
安芸 皎一(あき こういち、男性、1902年4月9日 - 1… 安芸 皎一(あき こういち、男性、1902年4月9日 - 1985年4月27日)は、日本の河川工学者、資源問題研究者。河川開発、水害問題のほか、資源問題を国際的視野で研究した。 内務省土木局技師安芸杏一の長男として新潟市に生まれる。兄弟構成は6人兄弟一女5男で、他5人とも大学出である。東京で育ち、府立四中(現・東京都立戸山高等学校)に進学。府立中時代は水練部主将を務める。四修で新潟高等学校 (旧制)に進学。同校を卒業後、東京帝国大学文学部英文科に進むが、1年後に工学部土木工学科に再入学。再入学した土木工学科では水理学者物部長穂のもとで河川工学を修める。1926年同学科卒業、内務省に入省。東京土木出張所内務工手。
羽仁 五郎(はに ごろう、男性、1901年(明治34年)3月… 羽仁 五郎(はに ごろう、男性、1901年(明治34年)3月29日 - 1983年(昭和58年)6月8日)は、日本の歴史家(マルクス主義歴史学・歴史哲学・現代史)。参議院議員。日本学術会議議員。
仲小路 彰(なかしょうじ あきら、1901年2月26日 - … 仲小路 彰(なかしょうじ あきら、1901年2月26日 - 1984年9月1日)は、日本の思想家、哲学者、歴史哲学者。
粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日 - 19… 粟田 賢三(あわた けんぞう、1900年9月15日 - 1987年2月8日)は、日本の哲学者、編集者。 1900年、長崎県で生まれた。8歳で東京に移り、幼少期を過ごした。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科を卒業し、東京帝国大学文学部哲学科に進学。1925年に卒業した。 卒業後は教員となり、武蔵高等学校に勤務。1934年、日本共産党に数百円の資金提供を行ったとして治安維持法違反の疑いで夫人とともに逮捕された。1935年に出獄し、その後は岩波書店に勤務した。「K・P・A」の名で『思想』の「思想の言葉」を執筆していた。編集部副部長を務め、後に嘱託。古在由重などの哲学者と親しかった。
杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 … 杉村 章三郎(すぎむら しょうざぶろう、1900年9月7日 - 1991年12月2日)は、日本の法学者。法学博士。専門は、行政法・租税法。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 法学博士の一木喜徳郎(枢密院議長)の三男として東京に生まれ、1924年に医学博士杉村七太郎(東北帝国大学名誉教授)の婿養子となる。1918年東京府立第四中学校卒業。1921年第二高等学校卒業。1923年東京帝国大学法学部卒業。 1924年東京帝国大学法学部助手(指導教官は筧克彦)。1926年同法学部助教授。1935年東京帝国大学法学部教授となる。1944年学術研究会議会長。終戦後は東京大学法学部教授。1949年旧司法試験第二次試験考査委員(~1960年)。
山下 英男(やました ひでお、1899年5月2日 - 199… 山下 英男(やました ひでお、1899年5月2日 - 1993年5月27日)は、電気通信工学者。東京生まれ。
大町 文衛(おおまち ふみえ、1898年〈明治31年〉3月2… 大町 文衛(おおまち ふみえ、1898年〈明治31年〉3月27日 - 1973年〈昭和48年〉1月10日)は、昆虫学者、随筆家。三重大学名誉教授。文豪・大町桂月の次男。コオロギ類の研究で知られ、「コオロギ博士」と呼ばれた。 1898年(明治31年)3月27日、東京府で、大町桂月の次男として生まれる。兄は化学者の大町芳文[要出典]。1914年(大正3年)3月、東京府立第四中学校卒業。1917年(大正6年)3月、第一高等学校卒業。1921年(大正10年)7月、東京帝国大学農学部農学科卒業。在学中、石川千代松に師事して細胞遺伝学を学び、染色体の研究材料としてコオロギを取り上げたことをきっかけに、昆虫の種と進化の問題に取り組み、多くの成果を挙げた。
佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23… 佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23日 - 1948年〈昭和23年〉10月9日)は、日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。 1897年(明治30年)1月23日、衆議院議員佐々友房の三男として東京府東京市四谷区四谷箪笥町に生まれる。 東京府立第四中学校・第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学。吉野作造や美濃部達吉の薫陶を受け法学者・政治学者として将来を嘱望される。東京帝大では新人会に参加した。1920年(大正9年)卒業。 卒業後は直ちに東京帝国大学法学部副手・助手を経て、外務省欧米局の嘱託となり英仏独に2年間留学。特にドイツにおいては、ハイパーインフレの惨状やヴァイマル共和国の行き詰まり、そしてナチス勃興を目の当たりにし、反ヒトラー派となって帰国した。
井上 貞蔵(いのうえ ていぞう、1893年〈明治26年〉1月… 井上 貞蔵(いのうえ ていぞう、1893年〈明治26年〉1月7日 - 1963年〈昭和38年〉8月12日)は、日本の商学博士。日本大学名誉教授。東京簿記学校名誉学長。明治大学商学部教授。 神奈川県都筑郡田奈村大字長津田(のち横浜市緑区長津田町)出身。井上傳五左衛門の二男。錦城商業学校、東京府立第四中学校を卒業。専門学校検定試験合格。 1917年、第一高等学校第一部文科を卒業。1920年、東京帝国大学経済学部を卒業。1922年、日本大学商学部講師。1924年、日本大学商学部教授兼学監心得。 1924年より1926年まで経済政策研究の為独逸及び英国に留学。1927年、日本大学商経学部教授兼学監。1936年、主論文「商業使用人問題の研究」及び副論文「商店法論」により「商学博士」を授与される。
富岡 惟中(とみおか これなか、1891年〈明治24年〉7月… 富岡 惟中(とみおか これなか、1891年〈明治24年〉7月24日 - 没年不明)は、日本の工学博士、技師。染料界の権威である。 東京府・富岡保の二男。医学博士・富岡有象の弟。1909年、東京府立第四中学校を卒業。1912年、第一高等学校を卒業。1915年、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業。東京瓦斯技師に就任。 1918年、臨時産業調査局技師兼農務局技師に転じ、1922年、欧米各国に留学を命ぜられる。1925年、商工技師に任じ、東北帝国大学工学部、東京工業大学及び東京工業試験所等に勤務する。 1930年、工学博士の学位を授与される。染料製造奨励に関する事務に従事する。1933年、官を辞し三菱鉱業に入り参事となる。
佐藤 市郎(さとう いちろう、1889年(明治22年)8月2… 佐藤 市郎(さとう いちろう、1889年(明治22年)8月28日 - 1958年(昭和33年)4月14日)は、日本の海軍軍人、歴史家。海兵36期首席・海大18期首席。最終階級は海軍中将。 男3兄弟の長男で弟二人が内閣総理大臣(岸信介・佐藤栄作)を務めるという特異な家族構成である。さらに大甥(岸の孫)には第90・96・97・98代内閣総理大臣の安倍晋三がいる。 佐藤の遺品は、郷里である山口県熊毛郡田布施町の田布施町郷土館(外部リンク)に収蔵・展示されている。 山口県熊毛郡田布施町に、父・佐藤秀助、母・茂世の長男として生まれた。 東京府立第四中学校を経て、海軍兵学校36期(同期には南雲忠一がいる)に入校した。
野口 尚一(のぐち ひさかず、1888年(明治21年)12月… 野口 尚一(のぐち ひさかず、1888年(明治21年)12月23日 - 1986年(昭和61年)9月27日)は、日本の機構学者。東京帝国大学教授、工学院大学初代学長。日本機械学会、日本クレーン協会の各会長。『穀粒層を通過する気流に関する研究』で工学博士(東京帝大)。
高柳 賢三(たかやなぎ けんぞう、1887年(明治20年)5… 高柳 賢三(たかやなぎ けんぞう、1887年(明治20年)5月11日 - 1967年(昭和42年)6月11日)は、日本の法学者。専門は英米法。位階は正三位。東京大学名誉教授。成蹊大学名誉教授。貴族院勅選議員。大正・昭和期の代表的英米法学者として知られる。弟子に末延三次、田中和夫、守屋善輝など。 埼玉県熊谷市に生まれる。正則英語学校、府立四中、一高を経て、1912年東京帝国大学法科大学卒業。 1913年東京帝国大学大学院(旧制)中退し、東京帝国大学法科大学助教授。1921年東京帝国大学法学部教授(後に附属図書館館長兼務)を歴任した。イギリス法研究が主流であった時代に、1915年~1920年ハーバード大学ロースクールなどに留学し、違憲立法審査権などアメリカ法研究に本格的に取組んだ。
田辺 元(たなべ はじめ、1885年(明治18年)2月3日 … 田辺 元(たなべ はじめ、1885年(明治18年)2月3日 - 1962年(昭和37年)4月29日)は、日本の哲学者。旧字体での表記では田邊 元。西田幾多郎とともに京都学派を代表する思想家。京都大学名誉教授。1947年帝国学士院会員、1950年文化勲章受章。 東京に生まれる。父は、東京の開成中学校の校長を務め、逗子開成や鎌倉女学院を設立した田辺新之助である。弟は黒田清輝に学んだ東京美術学校教授の田邊至である。ピエール・ベール著作集の翻訳などで知られる東京都立大学教授、仏文学者の野沢協は甥である。なお、田邊の妻・千代(海軍教授・蘆野敬三郎娘)は藤村操の従姉妹である。したがって田邊がのちに対決することになる西田幾多郎の最初の全集の編者に名を連ねている安倍能成と田邊は、義理の従兄弟同士となる。
石原 忍(いしはら しのぶ、1879年9月25日 - 196… 石原 忍(いしはら しのぶ、1879年9月25日 - 1963年1月3日)は、東京府東京市麹町区永田町(現在の東京都千代田区)出身の医学者・眼科医・陸軍軍人(最終階級は軍医少将)。東京帝国大学教授。文化功労者。 石原式色覚異常検査表と呼ばれる色覚検査表(石原表と略される)の考案者として有名である。石原表は1933年の第14回国際眼科学会で認定されたことなどから国際的にも高い評価を得ており、色覚検査表といえば石原表と同義語と解されるほど日本では普及している。 その他、石原は視力・色覚・屈折異常など、機能検査表の研究を行ったり、1色覚(先天性全色盲)を発見するなどし、眼科分野の先駆者となった。 1879年(明治12年)9月25日、東京府東京市麹町区永田町(現在の東京都千代田区)に生まれた。
家 泰弘(いえ やすひろ)は、日本の物理学者。学校法人中部大… 家 泰弘(いえ やすひろ)は、日本の物理学者。学校法人中部大学副理事長。東京大学名誉教授。第68期日本物理学会会長。理学博士。 1951年、京都府京都市に生まれる。天文学者の家正則は実兄。兄が通う大阪府立北野高等学校を受験する予定であったが、父が大阪から東京へ転勤となったため、東京都立戸山高等学校に入学し、1970年にそこを卒業した。1974年に東京大学理学部物理学科を卒業。1979年に同大学大学院理学研究科を修了し、理学博士号を取得した。 東京大学物性研究所助手、MIT客員研究員、ベル研究所研究員、IBMのトーマス・J・ワトソン研究所研究員、東京大学物性研究所助教授、教授を歴任した。2008年からの5年間、東京大学物性研究所の所長を務めた。
宮下 保司 は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。医学博士。… 宮下 保司 は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。医学博士。東京都千代田区出身。専門は神経科学・脳生理学。日本学士院会員。
山本 喜久(やまもと よしひさ)は、日本の工学者である。
桜井 秀雄 は、日本の仏教学者、博士。駒澤大学名誉教授。同総… 桜井 秀雄 は、日本の仏教学者、博士。駒澤大学名誉教授。同総長、曹洞宗教化研修所所長、永平寺顧問、仏教学術振興会理事長、岩手県江刺市吉祥寺住職を歴任。
山根 節(やまね たかし)は、日本の経営学者・会計学者・公認… 山根 節(やまね たかし)は、日本の経営学者・会計学者・公認会計士。早稲田大学ビジネススクール教授。専門は経営戦略、組織マネジメント、会計管理。 東京都生まれ。東京都立戸山高等学校、1973年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1974年公認会計士第2次試験合格、同時に監査法人サンワ事務所(現・トーマツ)入社。1977年公認会計士資格取得。1982年慶應義塾大学大学院経営管理研究科修士課程修了。同年コンサルティング会社を設立して代表となる。1994年慶大経営管理研究科助教授。1997年3月慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了(商学博士)。1998年米国スタンフォード大学客員研究員。2001年慶大経営管理研究科教授、2014年名誉教授。