宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 -… 宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 - )は、日本の実業家。第4代日本電信電話(NTT)代表取締役社長。
東京都立戸山高等学校:329人
宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 -… 宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 - )は、日本の実業家。第4代日本電信電話(NTT)代表取締役社長。
小杉 隆(こすぎ たかし、1935年〈昭和10年〉9月25日… 小杉 隆(こすぎ たかし、1935年〈昭和10年〉9月25日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(8期)、文部大臣(第2次橋本内閣)、東京都議会議員(4期)を務めた。 東京都目黒区八雲出身。1959年、東京大学教育学部を卒業し、ラジオ東京(現・TBSホールディングス)に入社。1965年、29歳の最年少で東京都議会議員に当選。1977年、新自由クラブに入党。都議時代には美濃部亮吉都政の追及で名をはせる。その追及ぶりには美濃部も一目置いていたという。 1979年9月に都議を任期途中で辞職し、同年の第35回衆議院議員総選挙で旧東京3区から新自由クラブ公認で立候補するも次点となるも、翌1980年の第36回衆議院議員総選挙で再び旧東京3区から立候補し初当選(当選同期に古賀誠・太田誠一・川崎二郎・久間章生・平沼赳夫・高村正彦・柿澤弘治など)。
料治 直矢(りょうじ なおや、1935年9月9日 - 199… 料治 直矢(りょうじ なおや、1935年9月9日 - 1997年7月31日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。東京都新宿区出身。
井手 正敬(いで まさたか、1935年(昭和10年)4月3日… 井手 正敬(いで まさたか、1935年(昭和10年)4月3日 - )は、日本の実業家。西日本旅客鉄道(JR西日本)社長・会長を歴任。 内閣法制局第一部長や文部次官を務めた井手成三は父。兵庫県芦屋市在住[要出典]。 福井県小浜市生まれ。学習院初等科、学習院中等科を経て、1954年に東京都立戸山高等学校卒業。東京大学経済学部卒業後、日本国有鉄道(国鉄)入社。葛西敬之、松田昌士とともに「国鉄改革3人組」と称され、国鉄の分割民営化に尽力した。 1992年(平成4年)にJR西日本社長就任。ワンマン経営者として知られ、社長・会長を11年務め、JR西日本は「井手商会(商店)」と呼ばれるほどであった。また、そのワンマン振りから社内では「(井手)天皇」というあだ名でも恐れられていた。
須賀 次郎(すが じろう、1935年1月25日 - )は日本… 須賀 次郎(すが じろう、1935年1月25日 - )は日本の社会起業家 教育者 技術者。財団法人 社会スポーツセンター顧問。特定非営利活動法人 日本水中科学協会を設立代表理事。東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)出身。全日本潜水連盟理事長、財団法人社会スポーツセンター常務理事。株式会社スガ・マリンメカニック代表取締役、株式会社テ・ルを代表取締役を退任している。
坂間 勇(さかま いさむ、1935年1月1日 - 2008年… 坂間 勇(さかま いさむ、1935年1月1日 - 2008年8月8日)は、日本の物理学者。元茨城大学助教授、駿台予備学校、駿優予備学校 物理科講師。 東京都渋谷に父:坂間小三郎、母:(中村)清子の二男として生まれる。父方の祖父:坂間小四郎は千葉県いすみ市万木の出身。父方の祖母:(柳原)べんは麻布出身の一人娘。父:小三郎は小四郎の長男で金融業。母清子は新潟県柏崎市の出身で、母方の先祖中村家は代々庄屋を営んでいた。母の実兄:中村忠雄は、一校、東京帝国大学卒業、農工大教授であった。甥の金子宗生が桜丘町に住んでいる。東京都立戸山高等学校を経て、1957年東京工業大学理学部物理学科卒、1959年同大学院修士課程修了(専攻分野は、素粒子・原子核)。
大山 綱明(おおやま つなあき、1934年9月17日 - 2… 大山 綱明(おおやま つなあき、1934年9月17日 - 2024年6月9日)は、日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(主税局担当)、関税局長、農用地整備公団副理事長、サントリー副社長、全国清涼飲料連合会会長、公益財団法人日本関税協会理事長などを務めた。 鹿児島県出身。都立戸山高校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1957年 大蔵省入省(主計局法規課)。1964年7月 藤沢税務署長。外務省在ニューヨーク日本総領事館領事の後、1971年7月 銀行局銀行課長補佐(総括・都市銀行等)。1973年7月 国際金融局総務課長補佐(総括)。1974年7月 国税庁長官官房参事官。1975年7月 主税局主税企画官。
黒田 成幸(くろだ しげゆき、Sige-Yuki Kurod… 黒田 成幸(くろだ しげゆき、Sige-Yuki Kuroda、1934年8月 - 2009年2月25日)は、日本の言語学者。米国カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授、東北大学名誉教授。Ph.D(MIT)。母方の祖父は高木貞治、父は黒田成勝、兄は黒田成俊。 東京生まれ。東京都立戸山高等学校を卒業後、東京大学理学部数学科に進学。1957年卒業、理学士。その後東京大学文学部に学士入学し、服部四郎のもとで言語学を学ぶ。1959年卒業。その後再び数学の研究に従事し、名古屋大学の助手を経て、1962年から1965年までWhitney Fellowship (American Council of Learned Societies Fellowship) と IBM Fellowship によりMITで言語学を研究。
田隅 本生(たすみ もとお、1934年7月7日 - 2012… 田隅 本生(たすみ もとお、1934年7月7日 - 2012年5月21日)は、日本の動物学者。 当初ネズミの歯の発生学を研究対象としていたが、脊椎動物の進化を中心とする動物学の専門書の翻訳出版等で活躍した。 1934年(昭和9年)7月7日、兵庫県に生まれる。1947年(昭和22年)4月、西宮市立甲東小学校卒業、西宮市立甲東中学校入学。1950年(昭和25年)4月、灘高等学校入学。父親の転勤にともない、1951年(昭和26年)9月、都立戸山高等学校編入学。その後、2つの大学を中退して京都大学理学部に入学。1959年(昭和34年)、同大学理学部動物学科卒業(在学中、専攻を地質学から動物学に変える)。
田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、… 田中 克彦(たなか かつひこ、1934年6月3日 - )は、日本の言語学者。専門は社会言語学。モンゴル研究も行う。言語と国家の関係を研究。国際言語として日本語の漢字を批判。一橋大学名誉教授。2009年モンゴル国北極星勲章受章。著書に『言語からみた民族と国家』(1978年)、『名前と人間』(1996年)、『ことばとは何か』(2004年)など。 兵庫県養父郡八鹿町(現養父市)生まれ。兵庫県立八鹿高等学校を経て、1953年、東京都立戸山高等学校卒業。1956年11月、草創期の言語学研究会運営委員となる。1957年、東京外国語大学外国語学部第六部第二類(モンゴル語学)を卒業。同年東京外国語大学言語学研究室副手となる。
三城 満禧(みしろ みつよし、1934年4月27日 - )は… 三城 満禧(みしろ みつよし、1934年4月27日 - )は、日本の言語学者、ドイツ語学者、東京大学名誉教授。 現在の北朝鮮会寧市に生まれる。東京都立戸山高等学校卒、1958年東大独文科卒、同大学院修士課程修了、一橋大学助教授を経て、1972年東大教養学部助教授、1988年教授、1995年定年退官、名誉教授。『小学館独和大辞典』(1985)の共編で日本翻訳出版文化賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
別府 輝彦(べっぷ てるひこ、1934年3月9日 - 202… 別府 輝彦(べっぷ てるひこ、1934年3月9日 - 2023年11月10日)は、日本の応用微生物学者、東京大学名誉教授。位階は従三位。 東京府出身。1952年東京都立戸山高等学校卒業。1956年東京大学農学部農芸化学科卒業。1961年東京大学大学院化学系研究科農芸化学専門課程博士課程修了、農学博士。 1969年東京大学農学部助教授、1977年教授となり、1993年同大生物生産工学研究センター長を兼任。1994年定年退官、名誉教授、日本大学生物資源科学部教授。1996年、紫綬褒章受章。2006年総合科学研究所教授。1998年微生物機能の開発とその利用に関する基礎的研究で日本学士院賞(山田秀明との共同研究)。
一木 豊(いちき ゆたか、1934年1月14日 - 2008… 一木 豊(いちき ゆたか、1934年1月14日 - 2008年12月23日)は、日本の実業家。テレビ東京の社長・会長を務めた。東京都出身。 東京都立戸山高等学校を経て、1957年に早稲田大学政治経済学部卒業。同年に日本経済新聞社に入社。 ワシントン支局長、政治部長、電波本部長を経て、1986年3月に取締役に就任。1989年6月に常務、1992年3月に専務を経て、1996年6月にテレビ東京社長に就任。デジタル衛星放送事業への参入に力を入れ、ポケモンショックが起きた際には、事態の説明と自社独自のガイドラインの策定を行い、事態の収拾を図った。2001年6月に会長に就任。日本民間放送連盟副会長も務めた。
石川 忠久(いしかわ ただひさ、1932年〈昭和7年〉4月9… 石川 忠久(いしかわ ただひさ、1932年〈昭和7年〉4月9日 - )は古典中国文学者。二松学舎大学名誉教授・顧問、桜美林大学名誉教授、日本中国学会顧問、全国漢文教育学会会長、斯文会理事長、六朝学術学会顧問、全日本漢詩連盟会長、漢字文化振興会会長。漢詩の著書・編著多数。号は「岳堂」。
平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7… 平澤 貞昭(ひらさわ さだあき、1932年(昭和7年)4月7日 - )は、日本の大蔵官僚。元大蔵事務次官。
百瀬 宏 (ももせ ひろし、1932年3月1日 - )は、日… 百瀬 宏 (ももせ ひろし、1932年3月1日 - )は、日本の政治学者で、津田塾大学名誉教授、広島市立大学名誉教授。専攻は、国際関係学、国際関係史、フィンランド近現代史。
山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 … 山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 - )は、日本の元警察官僚。第12代警察庁長官(在任1985年8月25日-1988年1月)。チームおてんとうさま特別顧問。
大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 … 大蔵 雄之助(おおくら ゆうのすけ、1931年10月23日 -2020年1月8日)は、日本のジャーナリスト、コメンテーター。 福岡県生まれ。東京都立戸山高等学校、一橋大学法学部卒業。1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1957年東京放送入社。1962年-1966年英国放送協会出向、1976年-1978年モスクワ支局長、1986年-1987年報道局長を経て、1987年退社。 退社後も、TBSラジオ『森本毅郎・スタンバイ!』の「ニュースズームアップ」などにコメンテーターとして出演していた。1987年、東洋大学社会学部教授に就任。異文化研究所代表を務める。 2000年11月、杉並区教育委員会の教育委員に杉並幼稚園(私立)園長の宮坂公夫とともに任命された。
小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 20… 小粥 正巳(こがゆ まさみ 、1931年8月28日 - 2004年3月16日)は、東京府出身の大蔵官僚。位階は正三位。 過去に、内閣総理大臣秘書官、大臣官房長、主計局長、大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、日本開発銀行総裁、日本政策投資銀行総裁、日本経済研究所会長等を歴任。 旧制東京都立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)、第一高等学校理科甲類を経て、1947年の学制改革の後、新制東京大学理科一類を受験し合格した。しかし、GHQ占領下の世相の混乱とインフレに心が揺さぶられ、意を決して行政官か法曹になるべく、翌年の春に東大文科一類を受験し直して合格した。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後の1956年、大蔵省入省。
堺 司(さかい つかさ、1931年4月30日 - 1995年… 堺 司(さかい つかさ、1931年4月30日 - 1995年4月12日)は、日本の官僚。
緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 20… 緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 2023年3月18日)は、日本の医学者・麻酔科医。獨協医科大学名誉教授。学位は、医学博士(東京大学)。
堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学… 堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学法学部名誉教授。尚美学園大学元学長。政策研究フォーラム名誉顧問。専門は政治学。
滝田 裕介(たきた ゆうすけ、1930年11月29日 - 2… 滝田 裕介(たきた ゆうすけ、1930年11月29日 - 2015年5月3日)は、日本の俳優、声優。本名:滝田 進(たきた すすむ)。旧芸名・別名は滝田 祐介。東京府荏原郡世田ヶ谷町北沢(現・東京都世田谷区北沢)出身。以前は劇団俳優座に所属していた。 東京都立戸山高等学校卒業。早稲田大学の演劇科を中退後、1953年に劇団俳優座の養成所2期生となりデビュー。同期には小林昭二、佐竹明夫、武内亨、土屋嘉男、横森久などがいる。1956年から1964年にかけて出演したテレビドラマ『事件記者』で人気を博した。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』などの時代劇では悪役を演じることが多かったが、のちに善人役を演じる機会が増えた。
松山 俊太郎(まつやま しゅんたろう、1930年8月27日 … 松山 俊太郎(まつやま しゅんたろう、1930年8月27日 - 2014年5月11日)は東京府出身のインド学者、幻想文学研究家。英語やサンスクリット語の他、フランス語やアラビア語などにも堪能。女子美術大学教授、國學院大學講師、多摩美術大学講師、美学校講師などを歴任。
森岡 恭彦(もりおか やすひこ、1930年8月25日 - )… 森岡 恭彦(もりおか やすひこ、1930年8月25日 - )は日本の医学者、医学博士。専門は外科学。
上村 洸(かみむら ひろし、1930年〈昭和5年〉8月13日… 上村 洸(かみむら ひろし、1930年〈昭和5年〉8月13日 - 2025年〈令和7年〉11月22日)は、日本の物理学者。専門は固体物理学。東京大学名誉教授。東京理科大学名誉教授。英国物理学会名誉フェロー。アメリカ物理学会終身フェロー。第40期日本物理学会会長。理学博士。 1930年8月13日、兵庫県芦屋にて生まれた。1948年に東京都立第四中学校(現在の東京都立戸山高等学校)を卒業した。1954年に東京大学理学部を卒業し、1959年に同大学院数物系研究科の博士課程を修了した。同年に東京大学理学部物理学科の助手に着任し、1967年に助教授に、1978年に教授に昇任した。東京大学では、改革室員や理学研究科委員会委員、理学部物理学科主任、理学部付属中間子研究センター長、物性研究所協議会委員などを歴任した。
宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016… 宇野 功芳(うの こうほう、1930年5月9日 - 2016年6月10日)は、日本の音楽評論家、指揮者。東京都生まれ。国立音楽大学声楽科卒。 父は漫談家の牧野周一、長弟の宇野弘二は牧原弘二の芸名でジャズシンガーとして活動、次弟の宇野道義(筆名・宇野通芳、1945年 - 1997年)は帝京大学助教授を務めた。 なお功芳は筆名であり、本名は宇野功(うの いさお)である。あまりに身体が弱かったため父の牧野から心配され、功が23歳のとき牧野が姓名判断によって貰ってきた名前が功芳であるという。以前は宇野功芳を「うの いさお」と読み筆名としていた。 1930年5月9日、漫談家の牧野周一の長男として東京に生まれる。
高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16… 高橋 昌也(たかはし まさや、1930年〈昭和5年〉3月16日 - 2014年〈平成26年〉1月16日)は、日本の俳優、演出家。 『幸せの背くらべ』で1996年の読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。2004年の映画『透光の樹』の演技で第14回日本映画批評家大賞助演男優賞を受賞。 東京府出身。東京都立第四中学校(東京都立戸山高等学校)卒業。俳優座養成所卒業(2期生)。1954年に劇団新人会設立に参加。 1956年に劇団四季に参加。 1961年から文学座へ入団するが、1963年に芥川比呂志、高木均、岸田今日子らと脱退し劇団雲結成に参加。 1975年、劇団の分裂により、演劇集団 円に参加。主に演出家として別役実作品を一手に手掛けた。
磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9… 磯村 尚徳(いそむら ひさのり、1929年(昭和4年)8月9日 - 2023年(令和5年)12月6日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。NHK専務理事待遇特別主幹。ニュースセンター9時(NC9)編集長兼キャスター。 東京生まれ。初め(小学校)と終わり(旧制高等科→新制大学)が学習院で、間に挟んで都立第四高校(都立戸山高校)に通った。陸軍の駐在武官だった父・磯村武亮の勤務の関係で、小学時代の大半をトルコで過ごした。トルコではフランス人学校で学び、フランス語を習得する。帰国後、学習院に入りなおした。 1953年に学習院大学政経学部卒業後、NHKに入局。当時NHKではフランス語の使い手が必要だったため、たった一人東京報道局に配属になった。
大崎 磐夫(おおさき いわお、1929年8月 - 2025年… 大崎 磐夫(おおさき いわお、1929年8月 - 2025年1月19日)は日本の実業家。元ホテルオークラ社長。 東京四番町で生まれ育つ。父は常磐炭鉱会長を務めた大崎新吉。 旧制東京都立第四中学校(のちの東京都立戸山高等学校)を経て、1953年旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。常磐炭鉱入社。秋山富一(元住友商事社長)は大学予科の同級生。 1960年ホテルオークラ開業にともない、大成観光入社、1973年取締役、1981年常務業務管理室長施設担当、1989年専務、1992年副社長。新規プロジェクトを多く手掛け、切れ者と評された。 1995年、佐藤晃一の後任として、ホテルオークラ社長に就任。初の生え抜き社長となった。
大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 200… 大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 2009年9月20日)は、日本の歴史学者、作家。茨城大学名誉教授。専門は日本近現代史。文学博士(東京教育大学)。 大分県大分市生まれ。父は陸軍軍人の大江一二三(敗戦時に大佐。陸士32期)。大分県師範学校附属小学校(現大分大学教育福祉科学部附属小学校)、東京市立富久小学校、東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)を経て、1944年、熊本陸軍幼年学校を卒業し陸軍予科士官学校へ進学。1945年陸軍航空士官学校に入学し、在学中に敗戦。敗戦による士官学校の解散に伴い復員。1950年旧制第五高等学校卒業、1953年旧制名古屋大学経済学部卒業、1954年名古屋大学大学院経済学研究科中退。
小泉 文夫(こいずみ ふみお、1927年〈昭和2年〉4月4日… 小泉 文夫(こいずみ ふみお、1927年〈昭和2年〉4月4日 - 1983年〈昭和58年〉8月20日)は、日本の民族音楽学者。 東京府荏原区神明町(後の品川区二葉町)出身。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)で音楽教師だった安部幸明と出会う。一高時代に音楽班に入り、岡見温彦にヴァイオリンを、高田三郎に合唱の指導を受ける。山形県上山温泉で陸軍軍医学校に勤労動員中に敗戦を迎え、戦後は教会で讃美歌を楽しむ。20歳のときに洗礼を受け、宗教音楽研究会に通う。 東京大学文学部美学科へ入学。在学中に吉川英史の講義で地歌「ままの川」の実演を聴いて日本音楽学に関心を持った。卒業後は、東京大学大学院人文科学研究科美学専攻課程に籍を置きながらNHK交響楽団機関誌『フィルハーモニー』の編集委員や、NHKラジオ「婦人の時間」で民族音楽の解説を担当する。
野田 英二郎(のだ えいじろう、1927年 - )は、日本の… 野田 英二郎(のだ えいじろう、1927年 - )は、日本の元外交官。
木村徳国(きむらのりくに、1926年(大正15年)5月9日 … 木村徳国(きむらのりくに、1926年(大正15年)5月9日 - 1984年(昭和59年)10月7日)は、日本の建築史家。明治大学教授を歴任。 大学院時代に関与した広島平和記念公園の懸賞設計競技に一等当選したグループのメンバーとしても知られるが、大学院退学後建築史の研究への道へ。初期は日本近代建築史に関する論考を中心に研究生活を送る。後1970年以降は日本古代建築史・住宅史を主な研究対象としたことで知られる。京都府竹野郡間人町(現・丹後町間人)生まれ。
水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 20… 水上 健也(みずかみ けんや、1926年2月28日 - 2009年6月20日)は、日本の新聞記者、実業家。
多湖 輝(たご あきら、1926年2月25日 - 2016年… 多湖 輝(たご あきら、1926年2月25日 - 2016年3月6日)は、日本の心理学者。千葉大学名誉教授。元東京未来大学学長。代々木アニメーション学院名誉顧問。 多湖輝研究所所長、東京都「心の東京革命」推進協議会会長、特定非営利活動法人「0歳からの教育」推進協議会理事長、東京アマチュア・マジシアンズクラブ会長、日本創造学会名誉会長などを務めた。 スマトラ島生まれ。父は三井物産のシンガポール支店長だが、のち独立し、スマトラでゴム生産工場を始めた。 1929年:昭和恐慌で父の事業が失敗し、一家で日本に帰国、父は徳川義親の顧問となる。目白の徳川邸内の住宅に住み、北豊島郡高田町高田第五尋常小学校(現:豊島区立目白小学校)に学ぶ。
歌田 勝弘(うただ かつひろ、1925年8月26日 - )は… 歌田 勝弘(うただ かつひろ、1925年8月26日 - )は、日本の実業家。元味の素社長。 広島県生まれ。府立四中四年修了後、旧制東京高校を経て1947年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。在学中の1944年から1年間、陸軍の特別甲種幹部候補生として入隊するが、最終の訓練中終戦となり復学。大学卒業後、味の素入社。大阪支店長他を経て1971年、同社取締役。1973年常務取締役、専務、副社長を経て1981年、渡辺文蔵の後任として味の素第7代代表取締役社長に就任。1989年名誉会長、1991年相談役(現特別顧問)となった。 実父の歌田千勝は内務官僚で、近衛内閣の祝典事務局長として紀元2600年祝賀式典に尽力した。
山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 20… 山崎 富治(やまざき とみじ、1925年5月30日 - 2014年4月16日)は日本の実業家。山種証券(現SMBCフレンド証券)社長、会長、日本青年会議所会頭、山種美術館館長を歴任。「報告」「連絡」「相談」を重視する「ほうれんそう(報・連・相)経営」を提唱したことでも知られる。
村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12… 村上 兵衛(むらかみ ひょうえ、1923年(大正12年)12月6日 - 2003年(平成15年)1月6日)は日本の陸軍軍人、評論家、作家。本名は宏城(ひろき)。兄は武藤電機創業者の村上稔夫。
蓼沼 謙一(たでぬま けんいち、1923年10月26日 - … 蓼沼 謙一(たでぬま けんいち、1923年10月26日 - 2011年10月28日)は、日本の法学者。専門は労働法。一橋大学名誉教授。元一橋大学学長、日本労働法学会代表理事などを歴任。吾妻光俊門下。 元一橋大学学長蓼沼宏一は子。澤和樹第10代東京藝術大学学長は娘婿。 茨城県水戸市生まれ。1940年3月東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)4年修了、同年4月東京商科大学(現一橋大学)予科入学。1943年学徒出陣により横須賀第2海兵団入団、1944年2月飛行専修海軍予備学生・急降下爆撃機操縦士、1944年12月大日本帝国海軍少尉、1945年4月神風特別攻撃隊隊員、1945年8月大日本帝国海軍中尉。
石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15… 石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15日 - 2016年(平成28年)9月12日)は、昭和から平成時代の政治家。元千葉県木更津市長。元海上自衛官。最終階級は海将補。 木更津市出身。東京府立四中(現・東京都立戸山高等学校)を経て、海軍経理学校に進み、1942年に卒業後、戦艦伊勢や武蔵などに乗り組んだ。復員後は東大に進み、1949年(昭和24年)東京大学法学部政治学科卒業。公職追放中だった事から官庁入りはかなわず、日本シルクに入社した。 1955年(昭和30年)海上自衛隊に入隊、木更津航空補給所長を務めた。 1979年(昭和54年)、木更津市長選挙に初当選し1995年(平成7年)まで4期務めた。
倉田 卓次(くらた たくじ、1922年1月20日 - 201… 倉田 卓次(くらた たくじ、1922年1月20日 - 2011年1月30日)は、日本の裁判官、公証人、弁護士。 法学博士(大阪大学、1974年、学位論文「民事交通訴訟の研究」)。 昭和40年代から50年代前半にかけて、東京地方裁判所に創設された交通事故事件専門部の部総括代理と民事13部部総括を歴任し、いわゆる「倉田コート」を率いた。 法律書に加え、裁判官生活をめぐるエッセーや幅広い分野の読書をもとにしたエッセーの著者としても知られる。ハードSF研究所客員。その博識ぶりについて、ある裁判官は「彼は文学歴史から異常性愛の世界に至るまで、これ知らないというものはない、一番知らないのは法律だが、それでも俺たちよりは知っている」と評した。
渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - … 渡辺 洋三(わたなべ ようぞう、1921年11月21日 - 2006年11月8日)は、日本の法学者。東京大学名誉教授、元帝京大学教授。専門は法社会学、民法学、憲法学。
土門 周平(どもん しゅうへい、1920年11月18日 - … 土門 周平(どもん しゅうへい、1920年11月18日 - 2017年)は、日本の軍事史研究家、作家。本名・近藤新治。妻は作家の近藤富枝。 東京出身。東京府立第四中学校を経て、陸軍士官学校(第55期、機甲科)卒業。騎兵第29連隊、戦車第28連隊中隊長等の部隊勤務をへて、終戦時は陸軍大尉、戦車第4師団通信隊長であった。 戦後、さまざまな職業を経て警察予備隊に入隊し陸上自衛隊勤務、富士学校教官などを経て防衛研究所戦史編纂官に就く。退官後も防衛研究所、自衛隊幹部学校で軍事戦略思想史、戦争指導史を講義。国際軍事史学会日本事務局担当を経て、日本軍事史学会副会長、戦略研究学会会長。 勤務のかたわら執筆した時代小説でサンデー毎日大衆文藝賞佳作。
細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011… 細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011年9月21日)は、日本の国際政治学者。一橋大学名誉教授、国際大学名誉教授、日本学士院会員、英国学士院客員会員、元日本国際政治学会理事長。専門は外交史。ちなみに、国際政治学者の細谷雄一との血縁関係はない。
石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日… 石川 吉右衛門(いしかわ きちえもん、1919年10月23日 - 2005年8月12日)は、日本の法学者。 専門は労働法。東京大学名誉教授。末弘厳太郎門下。「労働法の権威」と呼ばれた。 労働行政の場においても、公共企業体等労働委員会会長や中央労働委員会会長を歴任するなど活躍。中央労働委員会会長在任中(1984年11月~1992年10月)には、パンアメリカン航空の労働争議仲裁や、いわゆるJR不採用問題でJRと国鉄労働組合の両者に対し和解を促す「最終解決案」の提示などを行った。 千葉県木更津市にて誕生。1937年、東京府立第四中學校卒業。1940年、第一高等学校卒業。1943年、東京帝国大学法学部卒業。
細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 … 細川 隆一郎(ほそかわ りゅういちろう、1919年1月1日 - 2009年8月25日)は、日本の政治記者・評論家・コメンテーター、タレント・ラジオパーソナリティである。第79代内閣総理大臣の細川護熙は遠い親戚関係に当たる。
遠山 景久(とおやま かげひさ、1918年〈大正7年〉10月… 遠山 景久(とおやま かげひさ、1918年〈大正7年〉10月28日 - 1999年〈平成11年〉7月13日)は、日本の実業家。アール・エフ・ラジオ日本(以下「RF」)の社長、会長を務めた。妻は遠山佐和子で、一時期は遠山夫妻でRFの半分以上の株式を持っていた。佐和子との間には子供がいるが、詳細は明らかにされていない。 東京府東京市神田区神田(現:東京都千代田区神田)出身。「遠山の金さん」こと江戸化政の町奉行・遠山景元の末裔にあたる。 幼少の頃、「京浜実業新聞」を運営し借財を抱えていた父と死別し、日本統治時代の台湾で判事を務めていた長兄・遠山景一の下で台北で育つ。一家の帰国で、台北一中から府立四中に転校。
緒方 研二(おがた けんじ、1917年 <大正6年> 11月… 緒方 研二(おがた けんじ、1917年 <大正6年> 11月21日 - 2009年 <平成21年> 10月31日) は、日本の技術者。日本電気 (NEC)副社長や、NECエンジニアリング社長、テレビジョン学会会長、電子通信学会会長などを歴任した。従四位、勲二等瑞宝章受章。父は緒方竹虎元副総理。岳父に名和武。 福岡県福岡市出身。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、伊藤庸二の勧めで、1941年東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。在学中大日本帝国海軍委託生となり、1942年海軍技術士官に任官して、横須賀海軍工廠に配属され、横須賀砲術学校に入校した。 タラワ島や、マキン島でレーダーサイトの整備にあたったのち、海軍技術研究所に転属する。
浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ、1917年7月22日 -… 浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ、1917年7月22日 - 1990年12月2日)は、日本のソングライター。兵庫県神戸市出身。愛称はハマクラ。府立四中卒業、早稲田大学中退。青山学院大学商学部卒業。パーカッショニストの浜口茂外也は子。元女優の渚まゆみは妻。