塚本 学(つかもと まなぶ、1927年1月14日 - 201… 塚本 学(つかもと まなぶ、1927年1月14日 - 2013年4月12日)は日本の歴史学者。専門は日本近世史、地方史。国立歴史民俗博物館名誉教授。
福岡県立修猷館高等学校:689人
塚本 学(つかもと まなぶ、1927年1月14日 - 201… 塚本 学(つかもと まなぶ、1927年1月14日 - 2013年4月12日)は日本の歴史学者。専門は日本近世史、地方史。国立歴史民俗博物館名誉教授。
遠城寺 宗知(えんじょうじ むねとも、1926年11月24日… 遠城寺 宗知(えんじょうじ むねとも、1926年11月24日 - 2010年6月21日)は日本の病理学者。九州大学名誉教授。 九州大学医学部長、九州大学総長、久留米大学学長などを歴任した遠城寺宗徳の長男として福岡市に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校を経て、1951年3月九州大学医学部を卒業。 卒業後、実地修練を経て、今井環教授の九州大学医学部病理学教室第一講座に入室。助手、講師を経て、1958年10月助教授に就任。米国ボストンへの留学の後、1963年3月鹿児島大学医学部に新設された第二病理学教室の初代教授に就任する。 1970年10月九州大学医学部に復帰し第二病理学講座の第4代教授に就任。
牛尾 鋭之助(うしお えいのすけ、1926年10月3日 - … 牛尾 鋭之助(うしお えいのすけ、1926年10月3日 - )は、日本の実業家。 牛尾卯三の三男として福岡県に生まれる。1945年福岡県中学修猷館(第5学年卒業)を経て、1951年東京大学経済学部商業学科(現・経営学科)を卒業。 1951年三菱銀行に入行。茨木支店長、池袋支店長、経営相談所長、本店営業第一部長などを経て、1981年6月取締役に就任。同年7月日本橋支店長、1983年1月地方監督役となる。 1983年3月三菱油化(現・三菱ケミカル)常務となり、1988年3月専務に就任。1990年6月営業総括兼関連事業部担当となる。 1992年6月三菱油化ビーシーエル(現・LSIメディエンス)社長に就任。
島津 康男(しまづ やすお、1926年9月17日 - )は、… 島津 康男(しまづ やすお、1926年9月17日 - )は、地球物理学者、環境学者、名古屋大学名誉教授。
林 周二(はやし しゅうじ、1926年3月25日 - )は、… 林 周二(はやし しゅうじ、1926年3月25日 - )は、日本の経営学者、統計学者。東京大学名誉教授、静岡県立大学名誉教授。
緒方 道彦(おがた みちひこ、1926年3月6日 - 200… 緒方 道彦(おがた みちひこ、1926年3月6日 - 2008年4月17日)は、日本の医学者、登山家、教育者。 長崎医科大学(長崎大学医学部の前身)教授緒方大象(のち九州大学医学部名誉教授)の長男として、長崎県に生まれる。父・大象は政治家緒方竹虎の実兄である。福岡県中学修猷館、旧制第五高等学校を経て、1952年九州大学医学部を卒業。五高時代から山岳部に所属し、九大在学中の1949年に福岡山の会に入会する。 1956年から1957年にかけて、第1次南極観測隊に医師として同行し、昭和基地建設を側面支援する。1959年九州大学医学部生理学教室に入局し、医学博士の学位を取得。1961年フロリダ大学、ロックフェラー医学研究所に留学し、1964年九州大学医学部助教授、1967年同教授に就任。
堀 博俊(ほり ひろとし、1926年2月5日 - 没年不詳)… 堀 博俊(ほり ひろとし、1926年2月5日 - 没年不詳)は、福岡県出身のラグビー選手。主なポジションはスタンドオフ(SO)。
高畠 穣(たかばたけ じょう、1926年- )は、日本の中国… 高畠 穣(たかばたけ じょう、1926年- )は、日本の中国文学者。穣次の名を用いることもある。 福岡生まれ。九州大学文学部卒。中国文学専攻。1951年6月から1955年3月にかけて福岡県立修猷館高等学校で教諭を務めた。 中国史上の人物の考え方・生きざまを現代人の生き方に投影させる一般向けの本を多く出す。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤永 茂(ふじなが しげる、1926年 - )は日本、カナダ… 藤永 茂(ふじなが しげる、1926年 - )は日本、カナダの物理化学者、評論家。アルバータ大学理学部名誉教授。
秋山 英一(あきやま えいいち、1925年10月29日 - … 秋山 英一(あきやま えいいち、1925年10月29日 - )は、日本、韓国の実業家。ロッテ百貨店副社長。 日本タングステンの創業者である秋山英二と母トシの長男として、母の実家である佐賀市多布施に生まれる。父・英二の当時の勤務地であった門司で幼少期を過ごすが、1931年、英二の日本タングステン創業に伴い家族で福岡市に転居し、1938年、福岡県中学修猷館に入学。在学中、家庭教師の当時旧制福岡高校生であった楢崎弥之助から数学と英語を学んでいる。修猷館の同期の友人には、経営学者の林周二、医学者の緒方道彦らがいる。1943年、慶應義塾大学経済学部に進学するが、半年も経たず自主退学し、翌1944年、旧制第五高等学校に進学。
各務 章(かがみ あきら、1925年6月1日 - 2012年… 各務 章(かがみ あきら、1925年6月1日 - 2012年2月7日)は、日本の詩人。教育者。 福岡市に生まれる。1943年福岡県中学修猷館を卒業。1944年召集されて満洲へ出征するが、翌年肺結核のため帰国。1945年旧制福岡高等学校を経て、1948年九州大学法文学部法科を卒業。 胸部外科手術を受けた後、1952年福岡県立鞍手高等学校教諭となり、福岡県立教育研究所(福岡県教育センターの前身)研究員、福岡県立修猷館高等学校教頭、福岡県立福岡高等学校教頭、福岡県教育庁主任指導主事、福岡県立筑紫中央高等学校校長、福岡県立筑紫丘高等学校校長、九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)校長を歴任。 学生時代の1944年に、湯川達典、田中小実昌らと回覧誌『止里加比(とりかひ)』を出版。
川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 20… 川村 正喜(かわむら まさき、1924年6月15日 - 2019年1月16日)は、日本の実業家。 福岡県に生まれる。1942年、福岡県中学修猷館を経て、1948年、京都大学法学部を卒業し日本発送電に入社。 1951年、電気事業再編により九州電力に引き継がれ、1975年5月経理部長、1979年6月取締役東京支社長、1983年6月取締役常務を経て、1987年6月代表取締役副社長に就任。1991年から1995年にかけて九電産業・九電運輸の各社長、1993年から1996年にかけて福岡タワー社長を務める。 1998年福岡証券取引所理事長に就任。2004年5月に退任する。
妹尾 泰利(せのお やすとし、1924年2月25日 - )は… 妹尾 泰利(せのお やすとし、1924年2月25日 - )は日本の機械工学者、流体機械学者。九州大学名誉教授。専門はターボ機械。
真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 19… 真鍋 大覚(まなべ だいかく、1923年5月14日 - 1991年4月26日)は、日本の航空工学者。暦法家。九州大学工学部航空工学科助教授。
末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )… 末永 直行(すえなが なおゆき、1923年3月30日 - )は、日本の音楽評論家・会社経営者。駅弁業者である博多鉄道構内営業有限会社(屋号:寿軒)社長。
大城 金夫(おおき かねお、1923年3月13日 - 200… 大城 金夫(おおき かねお、1923年3月13日 - 2003年11月12日)は、日本の実業家。 盲人福祉運動家大城雪造の三男として、福岡県に生まれる。1940年福岡県中学修猷館を経て、1948年九州大学工学部土木工学科を卒業。 1948年福岡市に勤務した後、1954年防衛庁陸上自衛隊一等陸尉となる。 1959年日本道路公団に入り、福岡建設局長を経て、1980年理事。1984年8月前田建設工業顧問となり、1985年2月常務。1986年10月東京湾横断道路副社長となり、1995年6月代表取締役社長に就任。東京湾アクアラインを完成させ、1997年12月東京湾横断道路から日本道路公団に道路施設を引渡し、皇太子夫妻を招いて開通式を行った。
濱 清(はま きよし、1923年1月14日 - )は、日本の… 濱 清(はま きよし、1923年1月14日 - )は、日本の神経解剖学者。岡崎国立共同研究機構長。日本学士院会員。
重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年… 重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年6月19日)は、日本の日本近代文学研究者。
桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年9月28日 - 2… 桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年9月28日 - 2004年1月9日)は、日本の政治家、官僚。福岡市長(第29-31代)、労働事務次官を務めた。
田辺 博通(たなべ ひろみち、1922年3月3日 - 201… 田辺 博通(たなべ ひろみち、1922年3月3日 - 2010年2月24日)は、日本の官僚。
上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 -… 上田 誠之助(うえだ せいのすけ、1921年11月30日 - 2011年5月21日)は、日本の農芸化学者。九州大学名誉教授。専門は発酵工学、醸造工学。 福岡市に生まれる。福岡県中学修猷館、広島高等工業学校を経て、1945年九州帝国大学農学部農芸化学科を卒業する。 1945年九州帝国大学副手、1947年九州大学助手、1959年助教授を経て、1967年教授に就任する。1958年農学博士の学位を得る。 1985年九州大学を退官し名誉教授となり、同年熊本工業大学教授に就任する。 1986年紫綬褒章、1992年勲三等旭日中綬章を受章。
竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 … 竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 - )は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、軍事評論家。最終階級は陸軍では陸軍大尉、航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。第14代航空幕僚長、第12代統合幕僚会議議長。
大島 隆夫(おおしま たかお、1920年10月17日 - 2… 大島 隆夫(おおしま たかお、1920年10月17日 - 2008年2月27日)は、日本の実業家。富士火災海上保険社長。
楢崎 弥之助(ならざき やのすけ、1920年〈大正9年〉4月… 楢崎 弥之助(ならざき やのすけ、1920年〈大正9年〉4月11日 - 2012年〈平成24年〉2月28日)は、日本の政治家。本名は、楢崎 弥之祐(読みは同じ)。衆議院議員(11期)、社会民主連合書記長、同党副代表を歴任した。衆議院議員を務めた楢崎欣弥は長男。
大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2… 大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2014年3月11日)は、日本の地理学者(文化地理学)。文学博士。関西学院大学名誉教授、元帝塚山学院大学教授。太平洋学会第三代会長。 地理学者として学術探検にも赴き、島嶼地理学、文化人類学者としても有名である。愛知県名古屋市生まれ。 以降快方に向かい、近江兄弟社中学校・高等学校、同志社高等学校で教鞭を執る(1953年まで)。
小山田 隆(おやまだ たかし、1919年12月18日 - 2… 小山田 隆(おやまだ たかし、1919年12月18日 - 2009年11月20日)は、日本の外交官。初代バングラデシュ人民共和国駐箚日本国特命全権大使として知られる。
徳山 二郎(とくやま じろう、1919年12月4日 - 20… 徳山 二郎(とくやま じろう、1919年12月4日 - 2000年10月14日)は、日本の実業家、経済評論家。野村総合研究所取締役副社長。
辻 英雄(つじ ひでお、1919年7月8日 - 2005年1… 辻 英雄(つじ ひでお、1919年7月8日 - 2005年11月29日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党衆議院議員。
合屋 長英(ごうや ながひで、1919年 - 2001年9月… 合屋 長英(ごうや ながひで、1919年 - 2001年9月13日)は、日本の小児科学者。九州大学名誉教授。
西川 一三(にしかわ かずみ、1918年9月17日 - 20… 西川 一三(にしかわ かずみ、1918年9月17日 - 2008年2月7日)は、日本の情報部員。
岩永 健吉郎(いわなが けんきちろう、1918年6月26日 … 岩永 健吉郎(いわなが けんきちろう、1918年6月26日 - 1998年11月22日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。 福岡市に生まれる。1936年福岡県中学修猷館、1938年第一高等学校文科甲類を経て、戦争による非常時を理由に高等教育の修業年限が短縮されたことにより、1941年12月東京帝国大学法学部政治学科を3か月繰り上げて卒業。東大在学中は、戦時色が高まる中で欧米における民主政の発展過程を学ぶことに心の救いを求め、高木八尺教授のアメリカ政治史や岡義武教授のヨーロッパ政治史を熱心に聴講した。また、両教授の勧めにより、アレクシ・ド・トクヴィルやアルトゥル・ローゼンベルクの著作を熟読している。
相見 志郎(あいみ しろう、1918年6月1日 - 2014… 相見 志郎(あいみ しろう、1918年6月1日 - 2014年6月26日)は、日本の経済学者。同志社大学経済学部名誉教授。夫人は作家の相見とし子(1925 - 2005年)。プロ写真家であった長男、相見明は1981年にアメリカで不慮の事故死。 作詞家もず唱平の目にとまり、作曲家の山上敏が演歌に仕上げた。 相見志郎は島倉千代子の大ファンの一人である。
白木 博次(しらき ひろつぐ、1917年10月22日 - 2… 白木 博次(しらき ひろつぐ、1917年10月22日 - 2004年2月19日)は、日本の医学者。神経病理学の国際的権威。東京大学医学部長。東京都出身。
葉室 鐵夫(はむろ てつお、1917年(大正6年)9月7日 … 葉室 鐵夫(はむろ てつお、1917年(大正6年)9月7日 - 2005年(平成17年)10月30日)は、福岡県福岡市出身の日本の元競泳選手。日本競泳界黎明期の選手のひとりで、亡くなるまでは大阪府高石市に在住していた。
川崎 文治(かわさき ふみはる、1917年6月17日 - 2… 川崎 文治(かわさき ふみはる、1917年6月17日 - 2002年7月30日)は、日本の経営学者。大阪市立大学(現大阪公立大学)名誉教授。元北九州大学(現北九州市立大学)学長。 福岡市生まれ。1942年9月東京商科大学(現・一橋大学)卒業、同年10月三井化学工業(現・三井化学)入社。 1950年3月三井化学工業を退職し、1951年9月より1953年3月にかけて福岡県立修猷館高等学校で講師を務め、その傍ら九州大学大学院に学ぶ。1970年大阪市立大学商学博士。 1953年4月久留米大学商学部助教授、1956年10月長崎大学経済学部教授、1964年4月大阪市立大学商学部教授、1974年4月同商学部長、1976年同名誉教授、1979年4月山口大学経済学部教授、1981年4月北九州大学(現・北九州市立大学)大学院経営学研究科教授を経て、1984年7月北九州大学学長に就任。
金堀 一男(かなほり かずお、1917年6月10日 - 没年… 金堀 一男(かなほり かずお、1917年6月10日 - 没年不詳)は、日本の警察官僚。 金堀卯太郎の三男として福岡市に生まれる。1935年福岡県中学修猷館、1937年3月旧制福岡高等学校文科乙類を経て、1941年3月東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 東大在学中の1940年に高等試験行政科に合格し、卒業後、内務省に入省したが、2週間足らずで海軍に入隊し、海軍経理学校を出て、重巡洋艦妙高に乗り込み戦地へ赴き、その後海軍陸戦隊庶務主任、病院船主計長から、山本五十六元帥の麾下に入り、トラック島、ラバウル、ウェーク島、サイパン島と転戦、終戦時は少佐まで累進している。 戦後、内務省に復職し、栃木県岩手県の各県本省調査局、総理庁官房勤務の後、1948年3月国家地方警察福岡県本部警備部長兼警備課長となり、佐賀県警察隊長、九州管区警察局公安部長、福島県警本部長、1960年7月鹿児島県警本部長、1963年2月警察庁警備局参事官、1965年3月静岡県警本部長を経て、1966年2月兵庫県警本部長に就任。
大島 孝一(おおしま こういち、1916年12月7日 - 2… 大島 孝一(おおしま こういち、1916年12月7日 - 2012年8月27日)は、日本の教育者、物理学者、平和運動家。女子学院院長。 熊本市に生まれる。1935年福岡県中学修猷館、1937年旧制福岡高等学校理科乙類を経て、1940年、東北帝国大学理学部物理学科卒業。 1941年、福岡管区気象台に勤務中に応召し陸軍の気象班員となる。終戦後、1945年の暮れに九州に向かう途中で、原子爆弾で焼野原となった広島を見て衝撃を受け平和運動を志す。 その後、東北大学理学部地球物理学教室助手を経て、岩手大学学芸学部の物理学の助教授となり、岩手県農村文化懇談会の一員として『戦没農民兵士の手紙』(岩波新書、1961年)の編集に参加している。
井上 茂(いのうえ しげる、1916年〈大正5年〉9月26日… 井上 茂(いのうえ しげる、1916年〈大正5年〉9月26日 - 2002年〈平成14年〉5月21日)は、日本の法学者。専門は法哲学。第8代お茶の水女子大学学長。日本法哲学会理事長(1975年11月 - 1979年11月)。 兵庫県に生まれる。1935年福岡県中学修猷館、1938年3月旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1942年9月東京帝国大学法学部法律学科を卒業。その後、3年間兵役に就いた後、1945年11月、東京大学大学院(法理学専攻)に進む。東大では尾高朝雄の最初の門下生であった。 1949年5月、お茶の水女子大学講師となり、その後、同大学にて、1953年5月、助教授、1959年7月、教授(1982年2月まで)、1967年10月、文教育学部長(1969年9月まで)、1976年6月、大学院人間文化研究科長(1979年2月まで)を経て、1979年2月、お茶の水女子大学学長に就任し、1982年2月まで務めている(同月、お茶の水女子大学名誉教授の称号授与)。
小野 衛(おの まもる、1915年8月18日 - 2001年… 小野 衛(おの まもる、1915年8月18日 - 2001年11月14日)は、日本の邦楽作曲家、演奏家。 福岡県北九州市に生まれる。雅号は猷山。幼少より邦楽に親しみ、1933年福岡県中学修猷館、1935年3月旧制福岡高等学校理科甲類を経て、東京帝国大学理学部物理学科に進学。在学中に、島村卿山に尺八、宮城道雄に箏(琴)と三弦(三味線)を学び、1937年からは尺八のパートとして宮城道雄と共演する。1938年3月に東大を卒業後、宮城道雄の養女・よし子と結婚して婿養子となり、宮城衛と改姓。一方で、諸井三郎に作曲を学んでおり、1947年には諸井門下の柴田南雄、入野義朗、團伊玖磨らと新声会を結成し、『絃楽三重奏曲』、『五重奏曲』などを発表している。
古澤 潔夫(ふるさわ いさお、1915年6月25日 - 20… 古澤 潔夫(ふるさわ いさお、1915年6月25日 - 2001年3月3日)は日本の植物学者である。小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)で働いた。
岡部 健二(おかべ けんじ、1915年(大正4年)4月5日 … 岡部 健二(おかべ けんじ、1915年(大正4年)4月5日 - 没年不詳)は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。 操練38期。最終階級は少尉。 福岡県福岡市出身。旧制修猷館中学卒業後、海兵団に入団。搭乗員を志し、1937年(昭和12年)3月10日、操縦練習生となる。同期生に坂井三郎(首席)。 同年11月30日、操縦練習生課程を修了し、佐伯海軍航空隊に配属された。その後大村海軍航空隊を経て、昭和13年7月にいよいよ戦線を担う第十二航空隊に配属、中国大陸で任務に就いたものの、空戦の機会にあいまみえることはなかった。 翔鶴飛行機隊に転属して間もなく太平洋戦争開戦を迎え、ハワイ・真珠湾攻撃で母艦直衛任務を実施。
梅崎 春生(うめざき はるお、1915年〈大正4年〉2月15… 梅崎 春生(うめざき はるお、1915年〈大正4年〉2月15日 - 1965年〈昭和40年〉7月19日)は、日本の小説家/随筆家。 海軍体験を基にした『桜島』の成功で第一次戦後派の代表的存在となった。戦争物のほか、人間心理の暗闘を戯画的に描いた市井事物でも評判を呼び、作家としての地位を確立。「第三の新人」の先駆とも目されたが、やがて心身不調となり、『幻化』を遺して没した。 福岡市簀子町生まれ(現中央区大手門)。父親の建吉郎は佐賀県出身で陸軍士官学校を卒業した軍人であり、海軍大将百武源吾とも旧制佐賀中学の同窓。父の福岡配属時に春生が生まれた。祖父梅崎長明の弟梅崎綱吉は、佐賀で相場師として活躍し名を馳せた。
井浦 芳信(いのうら よしのぶ、1914年12月8日 - 1… 井浦 芳信(いのうら よしのぶ、1914年12月8日 - 1994年)は、日本の国文学者・演劇研究者。専門は、日本近世文学・近世演劇。中世に興った地方芸能の調査研究も行った。 福岡市地行西町(現・地行)にある浄土真宗本願寺派浄満寺の住職井浦領順の二男として生まれる。1932年福岡県中学修猷館、1935年旧制福岡高等学校文科甲類、1938年東京帝国大学文学部国文学科卒業、同大学大学院に進学し、1939年3月、同大学文学部副手となり国文学研究室に勤務する。 1945年10月旧制弘前高等学校教授となり、1950年3月同校が弘前大学となると、同大学文理学部の教授に就任。1953年8月から1959年4月まで同大学評議員も務めた。
大平 昌彦(おおひら まさひこ、1914年7月1日 - 20… 大平 昌彦(おおひら まさひこ、1914年7月1日 - 2010年2月1日)は日本の医学者。岡山大学名誉教授。専門は公衆衛生学。 福岡県出身。1932年福岡県中学修猷館、1935年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、1939年九州帝国大学医学部卒業。同年5月九州帝国大学医学部第3内科(小野寺直助教授)に入局するが、同年7月には海軍軍医となり、横須賀海軍病院、海軍軍医学校、連合艦隊第4潜水戦隊、海南島陸戦隊、稚内通信隊、海軍潜水学校、ラバウル潜水艦基地に勤務する。 1946年5月復員。同年10月九州帝国大学大学院特別研究生となり、1948年9月満了。九州大学医学部助手を経て、1950年5月助教授に就任。
船越 栄一(ふなこし えいいち、1914年 - 1982年7… 船越 栄一(ふなこし えいいち、1914年 - 1982年7月19日)は、西南学院大学学長。
桑木 務(くわき つとむ、1913年6月25日 - 2000… 桑木 務(くわき つとむ、1913年6月25日 - 2000年2月15日)は日本の哲学者。
関 嘉彦(せき よしひこ、1912年11月19日 - 200… 関 嘉彦(せき よしひこ、1912年11月19日 - 2006年5月4日)は、社会思想史家。政治家。東京都立大学名誉教授。法学博士(京都大学、1962年)。元参議院議員(1期)。イギリス労働党の日本における紹介者として知られる。福岡県福岡市生まれ。
陣内 傳之助(じんない でんのすけ、 1912年11月8日 … 陣内 傳之助(じんない でんのすけ、 1912年11月8日 - 1987年8月30日)は、日本の外科医。大阪大学医学部名誉教授、近畿大学医学部名誉教授、近畿大学医学部附属病院初代院長。
松尾 金蔵(まつお きんぞう、1912年1月1日 - 200… 松尾 金蔵(まつお きんぞう、1912年1月1日 - 2002年3月19日)は、日本の官僚。通商産業事務次官。日本鋼管会長。
有吉 新吾(ありよし しんご、1911年12月29日 - 2… 有吉 新吾(ありよし しんご、1911年12月29日 - 2004年1月20日)は、日本の実業家。三井鉱山社長・会長、日本石炭協会会長を歴任。 先祖は細川家の家臣の有吉氏で、関ヶ原の戦い後丹後国宮津より豊前国小倉に移り、その後宗像市南郷原町に祖父まで代々住んだ。