スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高橋 治男(たかはし はるお、1936年11月25日 - )… 高橋 治男(たかはし はるお、1936年11月25日 - )はフランス文学者。中央大学名誉教授。 1936年、千葉県四街道市で生まれた。千葉県女子師範学校附属幼稚園卒園後、戦争の影響で千葉市立富士見小学校、四街道町立富士見小学校、千葉大学教育学部附属第二小学校と小学校を転々とした。千葉大学教育学部附属第二中学校を卒業し、千葉県立千葉第一高等学校に進んだ。中学時代に三銃士などのアレクサンドル・デュマの小説に夢中になり、高校時代には「天井桟敷の人々」などフランス映画から多大の影響を受けた。高校卒業後は学習院大学文学部仏文学科へ進学。大学院は東京都立大学大学院仏語仏文学専攻に進み、修士課程を修了。 1969年4月、中央大学法学部専任講師となった。
檜山 久雄(ひやま ひさお、1930年2月13日 - )は、… 檜山 久雄(ひやま ひさお、1930年2月13日 - )は、日本の中国文学者、文芸評論家。 東京生まれ。旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科を卒業した。東大在学中より『新日本文学』の編集に携わり、同誌を中心に文芸評論を執筆、大岡昇平が大衆文学を批判した際に反論した。のち広島大学教授、青陵女子短期大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
清水 孝純(しみず たかよし、1930年1月23日 - 20… 清水 孝純(しみず たかよし、1930年1月23日 - 2024年4月3日)は、日本の比較文学者。九州大学、福岡大学名誉教授。 東京・深川生まれ。1949年旧制第一高等学校理科乙類卒業ののち、東京教育大学文学部へ進学して1957年国語学国文学科卒業、1958年仏語学仏文学科中退、1960年東京大学大学院人文科学研究科(比較文学比較文化専攻)修士課程修了、1965年同博士課程単位取得満期退学、同年4月から1969年3月まで日本大学専任講師、1969年4月九州大学教養部助教授、1976年9月同教授。1982年『ドストエフスキー・ノート』で第1回池田健太郎賞受賞。1992年3月定年退官ののち、福岡大学教授。
荒木 昭太郎(あらき しょうたろう、1930年 - )は、日… 荒木 昭太郎(あらき しょうたろう、1930年 - )は、日本のフランス文学者。東京大学名誉教授。20世紀日本におけるモンテーニュ研究の第一人者。クラシック音楽にも造詣が深くフレデリック・ショパンに関する著訳書がある。 横浜市に生まれる。1948年第一高等学校に入学、1953年東京大学文学部フランス文学科で渡辺一夫に師事、卒業後は1958年まで同大学院人文科学研究科仏語仏文学専門課程に在学。 1958年より東京藝術大学音楽学部で非常勤講師(1994年まで)。1960年から1962年までフランス政府留学生としてパリ大学に、1972年から1974年まで文部省在外研究員としてパリに滞在。1963年から1991年まで東京大学教養学部助教授を経て教授。
池田 健太郎(いけだ けんたろう、1929年5月19日 - … 池田 健太郎(いけだ けんたろう、1929年5月19日 - 1979年11月7日)は、日本のロシア文学者。 愛知県生まれ。本名・豊。陸軍幼年学校、旧制第一高等学校を経て東京大学仏文科卒業、同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了。立教大学講師、東大助教授を務めたが、1969年大学紛争により退職、書籍編集局次長扱いで中央公論社に入るが翌年退職。1975年『プーシキン伝』により第26回読売文学賞評論・伝記賞受賞、1979年『「かもめ」評釈』により第29回芸術選奨新人賞を受賞した。 1979年11月7日未明1時、心臓発作のために東京都三鷹市の自宅にて急逝した。『「桜の園」評釈』『チェーホフ学入門』(仮題)の両著作に取り組んでいる最中のことであった。
大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - 20… 大久保 昭男(おおくぼ てるお、1927年9月1日 - 2024年3月12日)は、日本のイタリア文学者、フランス文学者、翻訳家。本名「てるお」だが「あきお」と読むこともある。 アルベルト・モラヴィアの作品を数多く訳した。(児童向けを含め)フランス文学の訳書も出している。 英文学の翻訳者大久保康雄は遠縁の親戚に当たる。 茨城県結城郡西豊田村(現・八千代町)生まれ。1945年第一高等学校入学を経て、東京大学文学部仏文科卒。 2024年3月12日、老衰のため死去。96歳没。
青木 信仰(あおき しんこう、 1927年8月30日 - 2… 青木 信仰(あおき しんこう、 1927年8月30日 - 2011年10月9日)は、日本の天文学者。 東京府に生まれる。第一高等学校に進み,1947年に東京大学理学部天文学科に入学した。1952年に卒業、麻布の東京大学理学部の天文教室に採用され、その後東京天文台に移籍する。1961年の1年間,アメリカ航空宇宙局(NASA)のゴダード宇宙飛行センターで人工衛星の運動の研究に従事した。1970年に教授に昇任。 専門は、天文学の基本座標系と地球自転運動・地球内部構造との関係、銀河の構造と力学など。地球のコアとマントルの相互作用が黄道傾斜角に及ぼす影響を述べた論文は広く引用された。天文定数系の問題では、国際天文学連合(IAU)の委員として大きな役割を果たした。
高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010… 高田 淳(たかた あつし、1925年5月28日 - 2010年4月9日)は、日本の中国文学者・中国思想学者。学習院大学名誉教授。 1925年、朝鮮京城に生まれる。父は大分県出身で中国思想学者の高田眞治、母方の祖父は英文学者の皆川正禧。1945年、第一高等学校休学中に入営、満州で敗戦を迎え、1947年、帰国。1952年、東京大学中国文学科を卒業し、同大大学院へ進学するも中退。1953年、大倉山学院給費生。 1955年、学習院高等科国語講師。1957年、学習院高等科国語教諭。1964年より東京女子大学専任講師、助教授。1972年より東京大学文学部中国文学科助教授、1974年、東京大学文学部中国文学科を退職し学習院大学文学部史学科教授となり、1996年に定年退職。
黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2… 黒須 重彦(くろす しげひこ、1924年10月14日 - 2014年2月24日)は、日本文学・中国文学者。 旧制第一高等学校を経て、東京大学文学部中国文学科卒(1953年)。藤家礼之助と同人雑誌に加わり作家を目指す。 1963年(昭和38年)「蜘蛛と毛糸」並びに「落下」にて群像新人賞候補。 結婚の際には宇沢弘文が仲人を務めた。千葉県立千葉中学校・高等学校国語科教諭のかたわら、現代語訳に疑問を持っていた「夕顔の巻」の研究を進める。 大東文化大学教授。1995年定年退任。『源氏物語私論』で文学博士。
小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966… 小高 敏郎(おだか としお、1922年6月3日 - 1966年10月27日)は、日本の国文学者。 横浜市生まれ。第一高等学校を経て、1943年に東京帝国大学国文科入学。学徒出陣で伊豆大島で陸軍少尉。1948年、東京大学国文科卒。養徳社勤務を経て、1952年、学習院教授。1956年に東京大学国語国文学会賞受賞(久松賞)を受賞。1956年、共立女子大学短期大学部助教授。1960年、学習院大学助教授。1964年、教授。貞門俳諧を専門とした。44歳で死去。
白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 199… 白柳 美彦(しろやなぎ よしひこ、1921年2月 - 1992年3月28日)は、日本の評論家、翻訳家、児童文学者。 少年小説の作者、『シートン動物記』や『赤毛のアン』の翻訳者として知られる。 静岡県浜松市出身。白柳秀湖の甥あるいは息子と自称したことがあるが、これは事実ではない。 1938年、旧制第一高等学校在学中、一高空手部員として鎌倉市の深田久弥宅を訪問し、当時深田の夫人だった北畠八穂と出会う。 1944年、東京帝国大学農学部卒業。学徒動員で二等兵として入営し、名古屋で兵役生活を送る。 1948年から鎌倉山で北畠と同棲した(深田の不実のため北畠は1943年に離婚していた)。入籍はせず、事実婚だった。
河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7… 河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7月10日[要出典])は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。息子は西洋中世史研究者の河原温。 第一高等学校から1949年東大独文科卒。横浜国立大学講師、1953年東大教養学部助教授、教授。1981年定年退官、名誉教授。明治大学教授を務め、1991年退職。100歳で死去。[要出典] この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 20… 松下 和則(まつした かずのり、1919年3月3日 - 2007年11月9日)は、フランス文学者、東京大学名誉教授。 父の任地、現在の青森県弘前市に生まれ、翌年東京に移転。第一高等学校理科から、1941年東京帝国大学理学部物理学科を繰り上げ卒業、1942年同地震研究所助手、1943年同文学部仏文科に入学し、1946年卒業。大学院研究生を経て1951年中央大学助教授、1954年東京大学教養学部助教授、1967年教授、1979年定年退官、名誉教授。上智大学教授を務め1984年退職。1981年から1985年まで日本フランス語フランス文学会会長、1984年フランス政府より教育功労章を授与される。1992年勲三等旭日中綬章。
今井 源衛(いまい げんえ、1919年2月16日 - 200… 今井 源衛(いまい げんえ、1919年2月16日 - 2004年8月12日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1971年)(学位論文「王朝文学の研究」)。九州大学名誉教授、梅光女学院大学名誉教授。1989年勲二等瑞宝章受章。 三重県四日市市に生まれる。1943年第一高等学校卒業、1947年東京大学国文科卒業、大学院進学、高校教師を経て、1953年清泉女子大学助教授、1956年九州大学助教授、1971年「王朝文学の研究」で、九州大学より文学博士の学位を取得、教授昇任。1978年文学部学部長、1982年定年退官、梅光女学院大学教授。1989年勲二等瑞宝章受章。 『源氏物語』をはじめ、王朝物語研究における一方の雄だが、日本古典のレズビアン物語とされる『我身にたどる姫君』の訳註を行ったり、論文「女の書く物語はレイプからはじまる」(『王朝の物語と漢詩文』収録)で、『源氏』などのセックスの多くは強姦であると論じて、三田村雅子らの反論を呼んだ、大胆さをもった研究者であった。
原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012… 原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012年3月20日)は、日本の数学史家、フランス文学者、翻訳家。大阪大学名誉教授。 フランス科学思想史、近世ヨーロッパ数学史を専攻し、ルネ・デカルト、ケプラー、ホイヘンス、ロベルヴァル、ライプニッツを軸に研究論文・翻訳を行い、フランス語教育にも長くたずさわった。若き日はスタンダール、アラン、ヴァレリーらの翻訳も行った。 京都市出身。姫路市に育つ。第一高等学校理科乙類を経て、1938年京都帝国大学哲学科入学、1940年退学し1942年東京帝国大学仏文科卒業。1942年入営し少尉で敗戦、1945年8月20日中尉(いわゆるポツダム中尉)で除隊、1947年同志社女子専門学校教授、1949年関東学院大学経済学部助教授。
川俣 晃自(かわまた こうじ、1917年8月16日 - 19… 川俣 晃自(かわまた こうじ、1917年8月16日 - 1999年7月5日)は、日本の劇作家、小説家、フランス文学者。東京都立大学名誉教授。 栃木県足利市出身。第一高等学校を経て、東京帝国大学仏文科卒。一高時代から小説を書き、戦後は都立大学助教授、教授、1957年小説「般若心経」が中央公論新人賞佳作として掲載される。66年戯曲「関東平野」で第12回岸田國士戯曲賞受賞。82年都立大を定年退官、名誉教授、獨協大学教授。
中村 英雄(なかむら ひでお、1916年(大正5年)5月1日… 中村 英雄(なかむら ひでお、1916年(大正5年)5月1日 - 1988年(昭和63年)10月22日)は、日本のドイツ文学者。 広島県広島市に広崎英雄として生まれ、両親が離婚して父の中村姓を名のる。三歳で天津に移る。1941年早稲田大学文学部独文科卒、小林正樹らとシナリオ「われ征かん」を執筆したのち入隊、陸軍予備少尉となり南鳥島で敗戦を迎える。舟木重信を師とあおぎ、同人誌に小説を書く。1946年早大附属早稲田第一高等学校専任講師。1949年日本共産党に入る。早大理工学部専任講師、51年助教授、52年文学部助教授、教授、1987年定年退任、名誉教授。左翼的学者として行動した。
阿部 秋生(あべ あきお、1910年 <明治43年> 10月… 阿部 秋生(あべ あきお、1910年 <明治43年> 10月24日 - 1999年 <平成11年> 5月24日)は、日本の国文学者。中古文学専攻。文学博士(論文博士・1959年)(学位論文『源氏物語研究序説』)。東京大学名誉教授。1983年勲二等瑞宝章受章。位階は正四位。妻は国文学者の阿部俊子。 秋田県秋田市生まれ。旧姓青柳。樺太で育つ。第一高等学校、東京帝国大学国文科卒、同大学院を1937年に退学、国民精神文化研究所助手を務める。 1943年、一高教授、1950年、東京大学教養学部助教授、1959年、東京大学教養学部教授。『源氏物語研究序説』で同年、文学博士の学位を取得。1966年、東京大学教養学部長。
久曾神 昇(きゅうそじん ひたく、1909年5月31日 - … 久曾神 昇(きゅうそじん ひたく、1909年5月31日 - 2012年9月23日)は、日本の国文学者。学位は文学博士(東北大学・1962年)(学位論文「古今和歌集成立論」)。愛知大学第9代学長。勲二等瑞宝章。 愛知県渥美郡牟呂吉田村高州(現・愛知県豊橋市高洲町)生まれ。第一高等学校を経て、1934年に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。1938年に同大学院を退学。福岡女子専門学校教授。応召先のシンガポールで捕虜となる。 1946年に復員し、愛知大学予科教授、1949年に愛知大学教授、1970年に文学部長、愛知大学理事、1972年に学長および理事長を歴任。1984年に退任、名誉教授、勲二等瑞宝章、1985年に中華人民共和国南開大学名誉教授。
岡田 鯱彦(おかだ しゃちひこ、1907年12月28日 - … 岡田 鯱彦(おかだ しゃちひこ、1907年12月28日 - 1993年8月4日)は、日本の国文学者、推理作家、小説家。本名は、岡田藤吉。 東京生まれ。東京物理学校(現 東京理科大学)を卒業した後、1935年第一高等学校卒、東京帝国大学文学部国文科に入学し、1938年卒業。1940-45年名古屋陸軍幼年学校の教官を務めた。第二次大戦後、東京青年師範学校教授[要出典]、1949年から東京学芸大学教授、1971年定年、聖徳学園短期大学教授、淑徳短期大学教授。 作家としての活動もあり、『源氏物語』や『雨月物語』といった古典に取材した作品がある。1949年、ユーモア小説「天の邪鬼」が懸賞に当選。同年に『宝石』誌の第3回懸賞募集に応募した「妖鬼の呪言」が短篇懸賞の選外佳作となり、また「噴火口上の殺人」が『ロック』誌の第2回懸賞募集に1席入選し、同誌に掲載された。
松尾 聰(まつお さとし、1907年〈明治40年〉9月28日… 松尾 聰(まつお さとし、1907年〈明治40年〉9月28日 - 1997年〈平成9年〉2月5日)は、日本の日本文学者。専攻は平安時代文学。学位は、文学博士(東京大学)。学習院大学名誉教授。 東京帝国大学で池田亀鑑に師事。旧制学習院高等科の教員での教え子に三島由紀夫がいた。松尾光は、5男、日本古代史研究者で、博士(史学)の学位取得者。 東京市赤坂区(現・東京都港区)青山生まれ。第一高等学校文科甲類、1931年(昭和6年)東京帝国大学文学部国文学科卒、同大学院(旧制)修了。卒業論文は『浜松中納言物語』の研究で、全5巻のうち欠落していた末巻を発見し、その翻刻校訂の成果を『尾上本浜松中納言物語』にまとめた。
飯塚 朗(いいづか あきら、1907年9月2日 - 1989… 飯塚 朗(いいづか あきら、1907年9月2日 - 1989年2月23日)は、日本の中国文学者、作家。北海道大学名誉教授。 1907年、神奈川県横浜生まれ。第一高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部支那哲学文学科に進んだ。在学中、同人誌『東大派』を刊行し、中国文学研究会で竹内好、武田泰淳、松枝茂夫らを知る。1937年、高見順、武田麟太郎らの『日暦』同人となる。1936年、東京帝国大学を卒業。 1938年北京に渡り、中華民国新民会調査部に勤務。1943年からは華北映画公司に勤務。しかし、憲兵隊に逮捕され勾留されることとなり、帰国した。1944年に応召、中国戦線に出た。1945年の太平洋戦争敗戦後、蘇州で捕虜生活を送った。
河内 清(かわち きよし、1907年4月20日 - 1991… 河内 清(かわち きよし、1907年4月20日 - 1991年2月11日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。静岡大学名誉教授。 愛知県知多郡内海町(現・南知多町)出身。第一高等学校を経て、1930年東京帝国大学仏文科卒業。徳川義忠(尾張徳川家・分家)の家庭教師を務め、31年草村北星の龍吟社に入る。32年藤山工業図書館勤務、38年財団法人東亜研究所(近衛文麿総裁)に入り調査員となる。戦後の47年広島文理科大学および広島高等師範学校講師、48年静岡高等学校教授、49年静岡大学文理学部教授、54年図書館長、62年文理学部長、65年改組により初代人文学部長、67年東京教育大学教授、71年定年退官、静大名誉教授、72年白百合女子大学教授、78年定年退職。
高木 卓(たかぎ たく、1907年〈明治40年〉1月18日 … 高木 卓(たかぎ たく、1907年〈明治40年〉1月18日 - 1974年〈昭和49年〉12月28日)は、日本の小説家、ドイツ文学者、音楽評論家。本名は安藤 煕(あんどう ひろし)。 ヴァイオリニストで、女性初の文化功労者に選ばれた安藤幸と、英文学者・安藤勝一郎の子として東京市本郷区西片町に生まれる。東京帝国大学独文科卒。 水戸高等学校や第一高等学校教授などをつとめながら、同人雑誌『作家精神』に小説を書いた。1936年「遣唐船」で芥川賞候補、1940年(昭和15年)、大伴家持を描いた歴史短篇「歌と門の盾」で芥川賞を授与されるが辞退する。菊池寛は「恥を掻かされた」と言って怒っている。高木は、自分が辞退すれば『作家精神』の桜田常久がくりあげ受賞すると誤認したという説もある(桜田は次回受賞)。
鈴木 敬信(すずき けいしん、1905年5月12日 - 19… 鈴木 敬信(すずき けいしん、1905年5月12日 - 1993年1月27日)は、日本の天文学者。専門分野は位置天文学、日食計算論。 東京学芸大学名誉教授。秋田県秋田市出身。一部の人名事典では出身地が東京都になっているものもある。なお、小惑星の(2393) Suzukiは、彼に因み命名された。 旧制第一高等学校を経て1929年、東京帝国大学理学部天文学科を卒業。広島第一中学校教諭、赤羽工兵隊幹部候補生、東京科学博物館嘱託を経て1939年、海軍水路部技師となる。水路部では編暦に従事し、『天体位置表』を創刊した。 1951年、運輸大臣賞(「天体位置表の創刊」により)。 1952年、東京学芸大学教授に就任し、1969年退官。
西川 正身(にしかわ まさみ、1904年9月15日 - 19… 西川 正身(にしかわ まさみ、1904年9月15日 - 1988年1月25日)は、日本のアメリカ文学者。 東京生まれ。父は大審院判事となった西川一男。府立四中、第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部英文科を1929年に卒業。母校の府立四中勤務ののち、1935年、東京商科大学予科教授、1951年、東京大学文学部英文科教授、62年、アメリカ文学講座初代教授となる。1963年退官後は教授職には就かず、非常勤講師をしながら研究に専念。勤続年数が少なかったが、1987年、東京大学より名誉教授の称号を与えられる。ドイツ現代史研究者の西川正雄は息子。 当初は、ウィリアム・シェイクスピア、サマセット・モームなど英国作家も視野に入れて広く英語文学を研究し、のちアンブローズ・ビアスを生涯の研究対象とした。
大野 俊一(おおの しゅんいち、1903年1月29日 - 1… 大野 俊一(おおの しゅんいち、1903年1月29日 - 1980年3月26日)は、ドイツ文学者、比較文学者。 1903年、東京・浅草に生まれた。第一高等学校を経て、東京帝国大学独文科に入学。1927年に卒業。1931年に渡欧し、パリとベルリンで独仏語ならびに文学を学び、1935年帰国。 帰国後は様々な翻訳を行った。1936年に外務省嘱託となり、1937年に応召。1941年からは情報局嘱託として勤務。1943年に再び応召、1945年に帰国した。 戦後は翻訳に従事するとともに、非常勤講師や研究に従事。1957年、慶應義塾大学文学部教授に就任。1963年、『ゲーテとフランス』を慶応大学に提出して文学博士号を取得。
高橋 健二(たかはし けんじ、1902年9月18日 - 19… 高橋 健二(たかはし けんじ、1902年9月18日 - 1998年3月2日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。ヘルマン・ヘッセやエーリッヒ・ケストナー作品の翻訳者として知られる。 東京・京橋生まれ。第一高等学校在籍時代は尾崎秀実と親しかった。1925年東京帝国大学文学部ドイツ文学科を卒業、成蹊高等学校のドイツ語教師となる。1931年ドイツに留学し、スイスでヘルマン・ヘッセに会った。ヘッセやエーリッヒ・ケストナーの翻訳・紹介につとめたほか、ゲーテやグリム兄弟やハンス・カロッサなどドイツ文学に関する著書・翻訳多数。 大日本帝国がナチスドイツと1936年に日独防共協定、1937年に日独伊防共協定、1940年に日独伊三国同盟を締結し、枢軸国を形成していくなか、高橋は大政翼賛会宣伝部長に就任し、1942年に『文学と文化 評論と随筆』、 1943年に日独文化協会からヘルマン・シエーファー共編『大独逸に関する優良日本図書短評付撰集 第1』、『戦争生活と文化』(大政翼賛会宣伝部) 、1945年には 『美しい日本への道 反省と発足』(大日本飛行協会)などを刊行し、ナチ文学紹介も行った。
重友 毅(しげとも き、1899年12月25日 - 1978… 重友 毅(しげとも き、1899年12月25日 - 1978年8月11日)は、日本の国文学者。 1899年、山口県吉敷郡山口町で生まれた。1917年に早稲田大学部学部予科に入学するも、同年7月に中退し、第一高等学校に入学。1920年に同校を卒業後、東京帝国大学文学部国文科に進学。1924年に卒業。 同1924年、旅順工科大学予科教授に就いた。1933年、東京体育専門学校教授に転じた(1941年まで)。1938年より武蔵高等学校教授も兼ねた。 1949年に武蔵大学教授となり、法政大学教授を兼任。1952年、学位論文『雨月物語の研究』を東京大学に提出して文学博士の学位を取得。1956年に武蔵大学を辞任し、法政大学および同大学大学院教授のみとなった。
山本 政喜(やまもと まさき、1899年〈明治32年〉4月2… 山本 政喜(やまもと まさき、1899年〈明治32年〉4月20日 - 1960年〈昭和35年〉4月7日)は、日本の英文学者・翻訳家。筆名・柾 不二夫(まさき ふじお)。息子にロシア文学者の川端香男里、娘に美術史家の若桑みどりがいる。 福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市)出身。山本荒吉の四男。旧制第一高等学校を経て、1924年に東京帝国大学文学部英文学科を卒業。卒業後4年間滿洲において兵役を務め、その後、中等学校教員、講座編集のほか、雑誌寄稿、翻訳書等の出版に従事。1929年ごろから、「柾不二夫」のペンネームで『戦旗』『ナップ』にアメリカの左翼活動記事を翻訳紹介した。1932年、プロレタリア科学研究所マルクス主義芸術学研究会同人となった。
中村 為治(なかむら ためじ、1898年1月17日 - 19… 中村 為治(なかむら ためじ、1898年1月17日 - 1991年6月30日)は、日本のイギリス文学者。 東京銀座に生まれる。第一高等学校で川端康成と同級。1923年東京帝国大学英文科卒。関西学院英語講師、1926年東京商科大学(現一橋大学)予科教授。同僚の上原専禄と親しかった。1943年、45歳で辞職し、長野県乗鞍高原に隠棲した。農業と翻訳で暮らすが、1967年中部女子短期大学(現中部学院大学)教授となり、1972年まで務めた。 ロバート・バーンズを専門とし、キップリング詩集の翻訳などがある。大江健三郎は少年時代に中村の訳した岩波文庫の『ハックルベリー・フィンの冒険』を愛読した。
呉 茂一(くれ しげいち、1897年12月20日 - 197… 呉 茂一(くれ しげいち、1897年12月20日 - 1977年12月28日)は、日本の西洋古典学者で古代ギリシア・ラテン文学者。 1897年、東京帝国大学医科大学教授(精神病学講座)を務めた呉秀三・みな夫妻の長男として東京市本郷区に生まれた。第一高等学校医科をへて、1919年東京帝国大学医学部に入学したが、1922年に文学部英文科へ転じた。有島武郎を崇敬し、生前しばしば訪ねており、また父と同じく精神科医の歌人斎藤茂吉とも終生交流があった。 1925年に大学卒業した後、東京帝国大学文学部言語学科副手に採用された。1926年にヨーロッパ留学し、古代ギリシア文学・ラテン文学を修めた。1929年に帰国し、文学部講師に昇格。
菊池 武一(きくち たけかず、1896年3月28日 - 19… 菊池 武一(きくち たけかず、1896年3月28日 - 1972年4月24日)は、日本の英文学者、翻訳家。 高松市出身。第一高等学校を経て、1921年東京帝国大学文学部英文科卒業。國學院大學教授を務め、戦後になって古代文学、歴史研究に重きを置く方向付けに尽力する。また代々木ゼミナールの校長を務めた。子息菊池映二はフランス文学者で明治大学教授を務めた(1929-2002)。 日本の文芸、特に室町時代の謡曲文学、仕舞に造詣が深く、笛もよくした。スコット『アイヴァンホー』訳は、文庫上巻刊行後の1965年に入院し、退院後も執筆を続けたが、下巻の原稿を残して没し、菊池が國學院に迎えた高見穎治が校訂し刊行された。
成瀬 正一(なるせ せいいち、1892年4月26日 - 19… 成瀬 正一(なるせ せいいち、1892年4月26日 - 1936年4月13日)は、日本のフランス文学者。ロマン・ロランの翻訳・紹介を行った。大学卒業後まもなく創作から研究の道に転じ、九州帝国大学法文学部教授として仏蘭西浪漫主義思想を専門とした。43歳で病死したが、この時代の良き知識人として、後世の文学や美術研究に大いに寄与した。パリ留学中の1921年、松方幸次郎のアドバイザーとして松方コレクション(国立西洋美術館)の絵画彫刻の蒐集購入に協力した。 成瀬正恭(十五銀行頭取)の長男として、神奈川県横浜市に生まれる。 麻布中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学文科大学英文科卒業。大学在学中に芥川龍之介、久米正雄、菊池寛、松岡譲と第4次『新思潮』を創刊する。
竹田 復(たけだ さかえ、1891年(明治24年)1月10日… 竹田 復(たけだ さかえ、1891年(明治24年)1月10日 - 1986年(昭和61年)11月7日)は、日本の中国文学者・中国語学者。東京教育大学名誉教授。 山梨県生まれ。父は漢学者・竹田左膳。病弱なため和歌山県で小学校を終え、静岡中学校、1914年第一高等学校卒、1918年東京帝国大学文学部支那文学科卒、大学院入学、1921年から1924年北京に学ぶ。 1925年より第一高等学校教授、東京帝国大学文学部助教授を兼任。1945年に「支那口語文学源流考」で東京帝国大学文学博士を取得。1945年1月、東京文理科大学教授。1948年東京教育大学(現筑波大学)教授、1952年定年退官、東洋大学教授、1958年日本大学教授、1964年大東文化大学教授、1967年名誉教授。
金田 鬼一(かねだ きいち、1886年12月10日 - 19… 金田 鬼一(かねだ きいち、1886年12月10日 - 1963年11月1日)は日本のドイツ文学者、翻訳家。 日本にグリム童話を紹介し、NHKラジオドイツ語講座の講師をも担当した。旧姓は山本。 1886年、東京府に生まれる。親は帝室博物館の職員。 京華中学校から第一高等学校を経て、1909年東京帝国大学文学部独文科卒業。 その後ドイツ帝国に留学中、第一次世界大戦勃発のため留学期間を短縮して、1914年10月20日に帰国。 第四高等学校教授の後、学習院高等科教授となり、成蹊高等学校(1939年 - 1942年)などでも講師を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
落合 太郎(おちあい たろう、1886年8月13日 - 19… 落合 太郎(おちあい たろう、1886年8月13日 - 1969年9月24日)は、日本のフランス文学者。位階は正三位。奈良女子大学名誉教授。 1886年、東京神田駿河台で生まれた。1892年、泰明小学校に入学。御田小学校では吉井勇と同級であった。1989年、東京府立第一中学校に入学したが、翌年肺炎を患ったことにより退学。また、翌1899年には母も死去。2年間の療養を経て明治学院普通部に入学し、卒業。1903年に第一高等学校予科第一部に入学。1908年に卒業し、東京帝国大学法科大学に入学したが、休学。新渡戸稲造に勧められ、京都帝国大学法科大学に転学した。1912年、赤塚季と結婚、また家督を相続した。
関口 鯉吉(せきぐち りきち、1886年1月29日 - 19… 関口 鯉吉(せきぐち りきち、1886年1月29日 - 1951年8月10日)は、日本の天文学者、気象学者、東京帝国大学名誉教授。関口隆吉の四男。新村出(言語学者)は実兄。朝永振一郎の義父。 静岡県出身。旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学理科大学星学科卒業。朝鮮総督府観測所、神戸海洋気象台、中央気象台技師などを経て、1936年東京帝大教授兼東京天文台長。1946年定年退官、1949年まで帝国女子理学専門学校(現在の東邦大学)校長。戦前の一時期、文部省専門学務局長として科学行政に携わり、科学研究費の導入に尽力した。
茅野 蕭々(ちの しょうしょう、1883年3月18日 - 1… 茅野 蕭々(ちの しょうしょう、1883年3月18日 - 1946年8月29日)は、日本のドイツ文学者、詩人、翻訳家。本名は茅野 儀太郎、号は暮雨。妻は歌人の茅野雅子(旧姓:増田)。 長野県諏訪郡上諏訪村(現諏訪市)出身。諏訪郡立実科中学校、第一高等学校を経て、1908年東京帝国大学独文科卒業。同科の同級生に小宮豊隆、小牧健夫、1年上に成瀬無極、一年下に小野秀雄がいた。第三高等学校教授、慶應義塾大学教授、日本女子大学教授を歴任した。 旧制一高在学中から与謝野鉄幹が主宰する新詩社の『明星』同人として短歌、詩、評論等を寄せ、妻雅子とともに活躍した。「蕭々」は与謝野鉄幹から与えられたペンネームである。
吉田 白甲(よしだ はっこう、1881年〈明治14年〉11月… 吉田 白甲(よしだ はっこう、1881年〈明治14年〉11月28日 - 1961年〈昭和36年〉11月3日)は、日本のドイツ文学者。元陸軍大学校勅任教授・教頭。本名は吉田 豊吉(よしだ とよきち)。 新潟県北蒲原郡新発田町(現 新発田市)出身。1899年(明治32年)3月に新潟県尋常中学校を卒業、1902年(明治35年)7月に第一高等学校を卒業、9月に東京帝国大学文科大学独逸文学科に入学。 1903年(明治36年)7月23日の夜に東京音楽学校奏楽堂で日本人が初めて上演した歌劇、グルック作曲のオペラ『オルフォイス』の歌詞の和訳を石倉小三郎、乙骨三郎、近藤逸五郎たちと4人で担当した。 1904年(明治37年)11月に第一高等学校の1年生の時からの友人の小山内薫、川田順、武林無想庵、上村清延、太田善男、高瀬精太たちと7人で同人雑誌『七人』を創刊、夏目漱石に短編小説『琴のそら音』を寄稿してもらった。
野村 伝四(のむら でんし、1880年(明治13年)10月2… 野村 伝四(のむら でんし、1880年(明治13年)10月20日 - 1948年(昭和23年)7月26日)は、日本の英文学者、方言学研究者、民俗学者、教育者。 1880年(明治13年)、鹿児島県肝属郡高山町(現・肝付町)で生まれた。父伝之助は漢学者で槍の名人、文武両道に秀でていたというが、伝四が五歳の時、西南戦争の被弾がもとで没した。1900年(明治33年)、鹿児島県中学造士館卒業、一級上に橋口五葉がいた。1903年(明治36年)7月に第一高等学校卒業し同年9月、東京帝国大学英文学科に入学、1906年(明治39年)7月卒業。同級に中川芳太郎、森田草平、栗原古城らがいた。3年先輩に皆川正禧と野間真綱がおり、野間の熊本五高時代の1年先輩に寺田寅彦がいた。
芳賀 矢一(はが やいち、慶応3年5月14日〈1867年6月… 芳賀 矢一(はが やいち、慶応3年5月14日〈1867年6月16日〉 - 昭和2年〈1927年〉2月6日)は、日本の国文学者。東京帝国大学名誉教授、東宮職御用掛、國學院大學学長、帝国学士院会員を歴任した。 1867年、福井県足羽郡生まれ。父は国学者の芳賀真咲。1889年7月第一高等中学校を卒業。1892年、帝国大学文科大学(のちの東京帝国大学文学部)卒業。在学中は小中村清矩に学ぶ。 1895年、第一高等学校教授兼高等師範学校教授。1899年、東京帝国大学助教授。1900年、夏目漱石、藤代禎輔とともに文部省外国留学生としてドイツに留学し、文献学を学ぶ。1902年に帰国し、東京帝国大学教授となる。1903年、文学博士の学位を取得。