中山 千夏(なかやま ちなつ、1948年〈昭和23年〉7月1… 中山 千夏(なかやま ちなつ、1948年〈昭和23年〉7月13日 - )は、日本の作家。歌手、女優、司会者、テレビタレント、声優、参議院議員など、50年におよぶ芸歴と多彩な活動歴を持つ。 1948年、熊本県山鹿市生まれ。のち宮崎に、更に4歳時には大阪府布施市(現・東大阪市)に転居。芸術座での『がめつい奴』(三益愛子主演)に出演し、一躍「名子役」として脚光を浴びる。芸能活動のため、小学5年生の時に東京へ転居し、中央区立泰明小学校に転入する。以来、女優として舞台、テレビ、ラジオで活躍。 中央区立明石中学校(現・中央区立銀座中学校)を経て麹町学園女子高等学校卒業。ロシア文学専攻を志望し、1966(1967?)年に上智大学を受験したが失敗。
上野 千鶴子(うえの ちづこ、1948年7月12日 - )は… 上野 千鶴子(うえの ちづこ、1948年7月12日 - )は、日本のフェミニスト・社会学者(社会学博士)。専門は家族社会学、ジェンダー論、女性学。 東京大学名誉教授、NPO法人ウィメンズアクションネットワーク (WAN) 理事長、日本社会学会理事、元関東社会学会会長(2005年-2006年)、元日本学術会議会員、野村ホールディングスダイバーシティ・フォーラム講師(2021年〜)、シューレ大学アドバイザー、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表を務める。慰安婦問題の解決をめざす会に所属。 京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士。家族社会学、女性学研究者の立場から、フェミニズムについて積極的に発言し、一般層の社会学への関心を誘った。
上田 卓三(うえだ たくぞう、1948年7月12日 - )は… 上田 卓三(うえだ たくぞう、1948年7月12日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(投手)。 原貢が監督を務めた三池工業高校の出身。1965年の第47回全国高等学校野球選手権大会に2年生ながらエースとして出場。初戦からの4試合を完投勝利、決勝に進む。銚子商との決勝でも、木樽正明との投手戦を2-0で制し、完封で優勝を飾る。しかし同年の岐阜国体は、準決勝で銚子商の木樽に完封を喫する。翌1966年夏は県予選準々決勝で横山晴久のいた小倉工に延長11回敗退。 同年秋、第1次ドラフト1位指名で南海ホークスへ入団。リリーフを中心に活躍するが、1970年以降は、他の左腕投手が村上雅則しかいないこともあり、ローテーションの谷間に先発もこなす。
芥川 麻実子(あくたがわ まみこ、1948年7月12日 - … 芥川 麻実子(あくたがわ まみこ、1948年7月12日 - )は、日本の交通評論家、タレント、メディアコーディネーター、エッセイスト。財団法人首都高速道路協会元理事。 作曲家・芥川也寸志(芥川龍之介の三男)とその最初の妻・紗織(旧姓:山田)の長女として東京都に生まれる。1957年、両親が離婚する。子供の頃は音楽の成績が良かったため、そのことを作曲家である父親に対する教師からの特別な配慮として受け取った也寸志は、「そういうことはしないでください」と学校に抗議に行ったが、その後も音楽の成績は下がらなかったという。 1971年、日本女子大学文学部卒業と同時に渡辺企画(現・渡辺プロダクション)に所属する。
小野 信次(おの しんじ、1948年〈昭和23年〉7月11日… 小野 信次(おの しんじ、1948年〈昭和23年〉7月11日 - )は、日本の政治家。音更町長(3期)。 音更町議会議員(5期)などを歴任した。 1948年(昭和23年)7月11日、北海道河東郡音更町で生まれる。 北海道帯広農業高等学校を経て酪農学園短期大学を卒業。 1999年(平成11年)5月、音更町議会議員選挙に出馬し、初当選。2011年5月より音更町議会議長を務めた。 2017年(平成29年)3月28日、寺山憲二の任期満了に伴う音更町長選挙に出馬し、無投票で初当選。 2021年(令和3年)3月23日、自身の任期満了に伴う音更町長選挙に出馬し、無投票で再選。 趣味は音楽、絵画鑑賞、読書、ボウリング。
萩谷 順(はぎたに じゅん、1948年7月11日 - )は、… 萩谷 順(はぎたに じゅん、1948年7月11日 - )は、日本のジャーナリスト、法政大学名誉教授。元朝日新聞編集委員。 東京都出身。祖父は大阪の医師の萩谷理平治。父萩谷朴は国文学者、二松學舍大学と大東文化大学の名誉教授。母松江は安田銀行(現みずほ銀行)創業者の安田善次郎の三男で安田銀行頭取の安田善五郎の四女。戦前の歌手の徳山璉は義理の叔父にあたる。 学習院初等科、学習院中・高等科、東京大学法学部を卒業し1971年朝日新聞社入社。学習院の同級生に政治家の鳩山邦夫、作曲家の都倉俊一、東京大学名誉教授の能見善久、日本郵政社長の長門正貢などがいる。学習院高等科では第一外国語としてドイツ語を専攻。 宇都宮、長野両支局勤務の後、政治部、外報部、Deutsche Welle(ドイツ国際放送)派遣、カイロ特派員、ウィーン特派員、外報部次長、ボン特派員、英文雑誌ジャパン・クオータリー編集長などを歴任した。
筒井 ともみ(つつい ともみ、本名:筒井 共美、1948年7… 筒井 ともみ(つつい ともみ、本名:筒井 共美、1948年7月10日 - )は、日本の脚本家、小説家。 東京都世田谷区出身 。成城大学文芸学部卒。女優の赤木蘭子は伯母、俳優の信欣三は伯父にあたる。名付けの親はカメラマンの宮嶋義勇。 アニメーションから実写ドラマ、映画の脚本を手掛ける一方で、小説、エッセイの執筆と活躍の場を広げている。向田邦子賞の審査員なども務めている。 3歳の頃からヴァイオリンを習って自身の特技となり、後に特技を生かしてヴァイオリンのスタジオミュージシャンも務めている。シナリオ研究所を経て、広告代理店にコピーライターのアルバイトとして勤めるが長続きせず、スタジオミュージシャン(ヴァイオリン)として活動する傍ら脚本家の手伝いも行う。
津村 喬(つむら たかし、本名は高野威(たかの たけし)、1… 津村 喬(つむら たかし、本名は高野威(たかの たけし)、1948年7月10日 - 2020年6月17日)は、評論家、気功師。NPO法人気功文化研究所代表。気功懇談会会員。京都気功会講師。「ニューエイジ」類似運動活動家。 東京都出身。元総評事務局長の高野実の二男。ジャーナリストの高野孟は兄。高瀬羽皐の孫。 早稲田大学高等学院に入学。 1964年、第一次訪中に気功療法を体験。 1970年、早稲田大学第一文学部中退。在学中より評論活動を行い、中国の文化大革命と毛沢東主義に傾倒、大学を中退後は反原発運動、反差別運動などの市民運動に関わりつつ執筆活動を継続する。その後フリーのライターとして今日に至る。「日中友好協会(正統)早大支部」を名乗り、中国研究所の機関誌『中国研究月報』などにも寄稿。
榎本 直樹(えのもと なおき、1948年7月10日 - )は… 榎本 直樹(えのもと なおき、1948年7月10日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。
山本 保(やまもと たもつ、1948年7月10日 - )は、… 山本 保(やまもと たもつ、1948年7月10日 - )は、日本の政治家。日本教育大学院大学客員教授、愛知県政策顧問。教育学修士。
山本 哲士(やまもと てつじ、1948年7月10日 - )は… 山本 哲士(やまもと てつじ、1948年7月10日 - )は、哲学者、政治社会学者。 元東京藝術大学客員教授、元信州大学教授。文化科学高等研究院ジェネラル・ディレクター。日本ホスピタリティ財団理事。(財)日本国際高等学術会議理事長。 ホスピタリティ環境学、教育社会学、政治社会学を専門としながら経済論、政治論、日本文化論、メキシコ研究などの超領域的専門研究を拓き、大学アカデミズムとは異なるさまざまな新たな学術生産の活動に携わる。 また、かつては熱心な大洋ホエールズ、横浜ベイスターズファン。 著書・編書は雑誌編集も含めると200冊以上にわたる。2006年以降は、「資本経済」の実践として学者たちによる出版、文化科学高等研究院出版局を運営する。
秋庭 悦子(あきば えつこ、1948年7月10日 - )は、… 秋庭 悦子(あきば えつこ、1948年7月10日 - )は、消費生活アドバイザーで、内閣府原子力委員会委員(常勤)を務めた。 石川県出身。早稲田大学商学部卒業。大手航空会社、ハウスメーカー、NTT関東支社等の勤務を経て、総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会原子炉安全小委員会委員、関東地域エネルギー・温暖化対策推進会議委員、日本の森を育てる木づかい円卓会議委員、森林における生物多様性保全の推進方策検討会委員、グリーンコンシューマー東京ネット理事、非営利活動法人才の木理事、全国温暖化防止活動推進センター運営委員などを歴任。 1989年、消費生活アドバイザー資格取得。2005年、社団法人日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会常任理事。
呉 恵美子(くれ えみこ、1948年7月10日 - )は、日… 呉 恵美子(くれ えみこ、1948年7月10日 - )は、日本の女優。秋田県平鹿郡浅舞町出身。 本名は荒川 恵美子(旧姓:呉恵美子)。血液型O型。 2012年まで飲食店「くれたんぼ」を経営していた。 NET→ANB→EX この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
エド 山口(えど やまぐち、1948年〈昭和23年〉7月9日… エド 山口(えど やまぐち、1948年〈昭和23年〉7月9日 - )は、日本のタレント、俳優、ミュージシャン、ラジオパーソナリティ。エレクトリック・ギターバンド「エド山口&東京ベンチャーズ」のリーダー。株式会社オフィスアイリス所属(2013年〜)。東京都中央区築地出身。和光大学、成城大学中退。本名は武東 郁夫(むとう いくお)。弟は同じくタレントでミュージシャンのモト冬樹。 裕福な開業医の家に生まれる。曾祖父は警察署長、祖父は海軍主計大佐という堅い家系だった。医者の息子ということで慶應義塾大学医学部、東京慈恵会医科大学、日本医科大学、東京医科大学、順天堂大学医学部を受験するが全て不合格。和光大学経済学部、成城大学経済学部に進学するが、いずれも中退。
中村 隆象(なかむら りゅうぞう、1948年7月9日 - )… 中村 隆象(なかむら りゅうぞう、1948年7月9日 - )は、日本の政治家。福岡県古賀市長(通算4期)。
前田 健(まえだ けん、1948年7月9日 - )は、日本の… 前田 健(まえだ けん、1948年7月9日 - )は、日本のバレーボール解説者・指導者、実業家。 全日本女子バレーボールチーム監督や日本バレーボール協会副会長などを務め、日本バレーボール界の重鎮だった前田豊が父、全国家庭婦人バレーボール連盟(ママさんバレーボール)名誉会長などを務めた前田琴子は母。 上智大学在学中、父と同じく高校バレーボールの名門チームである中村学園を春の高校バレーの優勝に導いた。 パキスタン代表監督を経て、1978年3月からはカナダ男子代表監督に就任し、世界選手権では20位に終わり、来日しても二流チームにしか相手にされなかった。1979年にはプエルトリコサンフアンで開催されたパンアメリカン競技大会でカナダ初の国際大会でのメダルとなる銅メダルを獲得し、1981年にはイングランドで開催されたコモンウェルスゲームズで優勝したが、1981年の2度目の来日では全日本に5戦全敗に終わる。
加藤 光徳(かとう みつのり、1948年〈昭和23年〉7月9… 加藤 光徳(かとう みつのり、1948年〈昭和23年〉7月9日 - 2006年〈平成18年〉2月26日)は、日本の政治家。三重県伊勢市長(2期)。 三重県出身。1971年、東京都立大学工学部卒。三重県庁に入り、県まちづくり推進課長、都市整備指導監、伊勢市助役などを経て、2004年、伊勢市長に当選する。 翌2005年、伊勢市は近隣の町村と合併し、新伊勢市が発足、これに伴う市長選挙に立候補し、民主党推薦で立候補した。対立候補は自民党の推薦を受け、片山さつきや竹中平蔵が応援演説に駆け付けたが、激しい選挙戦の末加藤が当選した。しかし、当選後、加藤に対する無言電話や加藤へ剃刀が送りつけられたりした。 2006年2月26日、伊勢市内の自宅を出たまま行方不明になり、翌27日朝、伊勢市内の山林で首を吊った姿で発見された。
横河 健(よこがわ けん、1948年7月9日 - )は、日本… 横河 健(よこがわ けん、1948年7月9日 - )は、日本の建築家。横河設計工房を主宰。武蔵野美術大学建築学科客員教授。元日本大学教授。 1948年、東京都渋谷区生まれ。 祖父は建築家で横河グループ創業者の横河民輔。伯父は建築家で横河ブリッジ・横河電機の社長を務めた横河時介。父は横河電機社長を務め、同社の中興の祖といわれる横河正三。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学法学部への内部推薦が内定していたが美大に進学したかったため辞退。 1972年、日本大学芸術学部美術学科卒業。1970年から1971年まで交換留学生としてワシントン州立大学に留学。 1972年から1976年まで、黒川雅之建築設計事務所に勤務。
君島 寛(きみじま ひろし、1948年(昭和23年)7月8日… 君島 寛(きみじま ひろし、1948年(昭和23年)7月8日 - 2019年(平成31年)3月9日)は、日本の政治家。栃木県那須塩原市長(1期)。 栃木県黒磯市(現・那須塩原市)出身。栃木県立黒磯高等学校を経て日本大学法学部政治経済学科に進む。ホテルのコックとして既に内定を得ていたが、父親から「明日は市職員の採用試験だ。帰ってこい」と言われ、方向転換を余儀なくされる。1971年(昭和46年)4月、黒磯市役所に入庁。 2003年(平成15年)4月から2004年(平成16年)12月まで黒磯市・西那須野町・塩原町合併協議会事務局長を務める。2005年(平成17年)1月1日、黒磯市は西那須野町、塩原町との新設合併を行い、那須塩原市が発足。
原 宗子(はら もとこ、1948年7月8日 - )は、日本の… 原 宗子(はら もとこ、1948年7月8日 - )は、日本の東洋史学者。流通経済大学名誉教授。 1967年愛知県立旭丘高等学校卒業。1971年慶應義塾大学文学部史学科(東洋史専攻)卒業。1974年学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻修士課程修了。1977年同博士課程単位取得満期退学。1995年学習院大学より博士(史学)の学位を取得。 1977年学習院大学東洋文化研究所助手・研究員。1984年流通経済大学専任講師。1986年助教授。1991年教授。
藤澤 秀敏(ふじさわ ひでとし、1948年(昭和23年)7月… 藤澤 秀敏(ふじさわ ひでとし、1948年(昭和23年)7月8日 - )は、日本のジャーナリスト。元東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会広報局長。元NHK解説委員長(2008年 - 2012年)。 徳島県出身。1964年4月 徳島県立脇町高等学校に入学。高校時代にAFSプログラムにより米国へ1年間留学。徳島県立脇町高等学校を卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学。同大学を卒業後の1973年、記者としてNHKに入局。初任地は『札幌放送局』。1978年より放送総局報道局外信部(現在の国際部)に配属。東京での勤務を経て、1982年より海外特派員として香港に駐在。1984年に渡米し、ロサンゼルス、ワシントン特派員を経験。
山下 司(やました つかさ、1948年7月8日 - )は、高… 山下 司(やました つかさ、1948年7月8日 - )は、高知県出身の元プロ野球選手(内野手)。 伊野商業高校では1965年秋季四国大会県予選準決勝に進むが、土佐高の上岡誠二らに抑えられ敗退。翌1966年夏の甲子園県予選でも準々決勝に進出するが、弘田澄男のいた高知高に完封負け、甲子園出場はならなかった。 1966年第1次ドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。中央球界では無名だが、フットワークがよく四国球界では随一といわれる遊撃手だった。1967年から2年連続ジュニアオールスターにも出場。 しかし、プロ入り後は特に打撃面で伸び悩んだ。ファームではそこそこ安打を打ち盗塁王も獲得したが、一軍では守備固めと代走要員としてたまに出場するに留まった。
小山 隆治(こやま たかはる、1948年7月8日 - 201… 小山 隆治(こやま たかはる、1948年7月8日 - 2018年9月11日)は、日本の陸上競技(中距離走・長距離走)選手。3000メートル障害の元日本記録保持者であり、日本選手権6連覇、オリンピック出場2回。1972年ミュンヘンオリンピックでは決勝進出を果たした。ロードレースでも箱根駅伝や全日本実業団駅伝で成績を残している。 福岡県出身。常磐高等学校を経て順天堂大学に入学。順天堂大学では、箱根駅伝に4年連続出場、区間賞1回。 1971年、大学を卒業してクラレに入社。日本選手権では1971年から1976年まで3000メートル障害で6連覇を達成した。 1972年ミュンヘンオリンピックでは3000メートル障害と5000メートル競走に出場。
寺林 敏(てらばやし さとし、1948年7月8日 - )は、… 寺林 敏(てらばやし さとし、1948年7月8日 - )は、日本の地方公務員。元富山県副知事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山松 ゆうきち(やままつ ゆうきち、1948年7月8日 - … 山松 ゆうきち(やままつ ゆうきち、1948年7月8日 - )は、漫画家。代表作は『くそばばの詩』『2年D組上杉治』『エラヅヨの殺し屋』『インドへ馬鹿がやって来た』など。 鳥取県倉吉市出身。中学卒業後の1964年に大阪の貸本出版社日の丸文庫に原稿を持ち込み、編集者兼漫画家として雇われる。山上たつひこらと住み込みで編集の仕事をしつつ、貸本誌『オッス!』に「田舎医者」などの短篇を掲載して漫画家デビュー。その後18歳で上京、あすなひろし、川本コオなどのアシスタントとなり、1967年に、『週刊漫画TIMES』に「ヤクザ無情」を掲載し商業誌デビューする。 やがて『ヤングコミック』で連載した「2年D組シリーズ」などで人気となる。
小坂 忠(こさか ちゅう、1948年7月8日 - 2022年… 小坂 忠(こさか ちゅう、1948年7月8日 - 2022年4月29日)は、日本のシンガーソングライター、作曲家、ゴスペルシンガー、牧師。本名は小坂 正行(こさか まさゆき)。 1948年7月8日、東京都練馬区に生まれる。1966年、GSバンド「ザ・フローラル」を結成。モンキーズ・ファンクラブ日本支部が公募したオーディションに合格し、1968年に日本コロムビアより小坂忠(ヴォーカル)に柳田ヒロ(キーボード、ギター)、杉山喜一(ベース)、義村康市(ドラム)、菊池英二(ギター)といったメンバーでデビューし、シングル2枚を残したが、GS人気の翳りから事務所はGSバンドから本格的なロックバンドに転換することとし、付いていけなかった杉山と義村が脱退。
石上 正憲(いしがみ まさのり、1948年7月7日 - 没年… 石上 正憲(いしがみ まさのり、1948年7月7日 - 没年月日不詳)は、フリーパーソナリティ。元RKB毎日放送社員、アナウンサー。静岡県出身。
西村 眞悟(にしむら しんご、1948年(昭和23年)7月7… 西村 眞悟(にしむら しんご、1948年(昭和23年)7月7日 ‐ )は、日本の政治家、元弁護士。政治団体「祖国再生同盟」特別顧問。 衆議院議員(6期)、防衛政務次官(小渕第2次改造内閣)、衆議院懲罰委員長、衆議院災害対策特別委員長、衆議院海賊行為への対処並びに国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員長、民社党中央執行委員・国際局長、自由党組織委員長・内閣部会長・代議士会会長・大阪府連会長、太陽の党代表などを歴任した。氏名表記は一般に新字体の「真悟」が用いられている。 実父は元衆議院議員西村栄一(民社党第二代委員長)。従兄弟は元衆議院議員西村章三。岳父は元衆議院議員岡澤完治。
流 敏晴(ながれ としはる、1948年7月7日 - 2016… 流 敏晴(ながれ としはる、1948年7月7日 - 2016年9月15日)は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球スカウト、長崎国際大学硬式野球部監督。福岡県立小倉商業高等学校卒業。 小倉商業高校では、2年生の時に1965年秋季九州大会県予選で県北部決勝まで進むが小倉高に敗退。翌1966年春季九州大会県予選では2回戦で八幡高を相手に7回コールドながら完全試合を達成して注目される。同年夏の甲子園県予選では準々決勝で柳川商に惜敗、甲子園には出場できなかった。 1966年第1次ドラフト会議で阪急ブレーブスから2位指名を受け入団。足立光宏、山田久志に続くアンダースロー。飄々とした風貌から投げられるシュート、カーブを武器に6年目にプロ入り初勝利を挙げる。
島尾 伸三(しまお しんぞう、1948年7月7日 - )は、… 島尾 伸三(しまお しんぞう、1948年7月7日 - )は、日本の写真家、作家。 神戸市生まれで、奄美大島育ち。東京造形大学造形学部写真専攻科卒業。 父は作家の島尾敏雄。母は島尾ミホ。妻は写真家の潮田登久子、娘は漫画家のしまおまほ。 1974年に東京造形大学造形学部映像学科に入学し、父の島尾敏雄からリコーワイドを譲り受けた。父が骨董や高級品が嫌いであり、また政治が流行し高級品を持つことが反社会的な行為と捉えられる時代でもあり、ライカやハッセルブラッドなどは嫌いであった。当時高価であった一眼レフカメラ購入を当然のように勧める大学や、嬉しげに高級機を持ち歩く同級生に反感を持ち、普及版のカメラで身辺の日常を撮影するようになった。
長友英資(ながとも えいすけ、1948年7月7日 - )は、… 長友英資(ながとも えいすけ、1948年7月7日 - )は、株式会社ENアソシエイツ代表取締役。宮崎県出身。 元・株式会社東京証券取引所常務取締役・最高自主規制責任者(CSRO)。 現在、早稲田大学大学院商学研究科客員教授。 三菱商事(株)、オムロン(株)、(株)OMCカードの社外監査役を務める。
吉戒 修一(よしかい しゅういち、1948年7月7日 - )… 吉戒 修一(よしかい しゅういち、1948年7月7日 - )は、日本の法務官僚、裁判官、検察官、弁護士。法務省民事局担当審議官、法務省人権擁護局長などを経て、東京高等裁判所長官を最後に定年退官し、退官後はTMI総合法律事務所顧問弁護士や、国土交通省中央建設工事紛争審査会特別委員などを務める。
青木 冨貴子(あおき ふきこ、1948年7月7日 - )は、… 青木 冨貴子(あおき ふきこ、1948年7月7日 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 青木書店創業者青木春雄(春男、1917年 - 2006年)の二女として東京都千代田区神田神保町で生まれた。成城大学経済学部卒業後、音楽専門誌『Gutsガッツ』(集英社発行)で働き、当時人気の出てきた「学生街の喫茶店」のガロ、「ひこうき雲」を出した荒井由実、「青春の影」のチューリップほか、吉田拓郎、かぐや姫、キャロル、井上陽水などニューミュージックの担い手たちに取材して記事を書いた。洋楽ではデヴィッド・ボウイにインタビュー、ジョン・レノンとヨーコ・オノについても多くの記事を発表している。1978年に音楽の仕事を辞め、短期間アメリカ滞在したのち、1981年にノンフィクションのデビュー作『ライカでグッドバイ』を発表し、第2作『アメリアを探せ』刊行後の1984年、『ニューズウィーク日本版』ニューヨーク支局長に抜擢された。
鈴木 英人(すずき えいじん、EIZIN、本名:同じ(英人の… 鈴木 英人(すずき えいじん、EIZIN、本名:同じ(英人の読み:ひでと)、1948年7月6日 - ) は、日本のイラストレーター。 福岡県福岡市出身。神奈川県立横須賀高等学校卒業。神奈川県逗子市在住。 1980年頃からイラストレーターとして活動を始める。鈴木のイラストは、『タンタン』の作者であるエルジェや、わたせせいぞうのように、グラデーションを実線で表すリーニュクレール様式が一つの特徴となっており、作中では車や海岸といったモチーフが良く使われる。 また、わたせや永井博のイラストとともに1980年代を象徴するイラストレーターとして認知されている。 特に初期の作品ではアメリカ西海岸を思わせる風景をモデルにしたイラストが多いと誤解されているが、実際に渡米しアメリカ西海岸を訪れて鈴木が目にしたのはアメリカではなく南欧スペインのような風景だった。
山本 雅俊(やまもと まさとし、1948年7月6日 - )は… 山本 雅俊(やまもと まさとし、1948年7月6日 - )は、日本の経営者。山善社長を務めた。創業者山本猛夫の長男。 大阪府出身。1971年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年3月に山善に入社。 1986年12月に取締役に就任し、1987年12月に常務、1989年12月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1991年9月から1994年5月までに社長を務めた。
内藤 久(ないとう ひさし、1948年7月5日 - 2025… 内藤 久(ないとう ひさし、1948年7月5日 - 2025年2月2日)は、山梨県出身のプロ野球選手(外野手)。右投両打。 山梨県立日川高等学校では、高校三年間の通算打率四割、スイッチ・ヒッター、ベース一周14秒1の快足の持ち主だった。 東京六大学入りを希望していた内藤を渡辺スカウトが説得。1966年第1次ドラフト会議にドラフト10位にて西鉄ライオンズへ入団。しかし、僅か1年で西鉄を退団した。 1969年は中南米で新たに発足したグローバルリーグの東京ドラゴンズに参加。しかし、同年限りでリーグが解体したため、帰国を余儀なくされた。 東京ドラゴンズ解散後、玉沢運動具店に入社すると納入企業であった縁から川上哲治監督に素質を見いだされ巨人へ入団。
奥野 修司(おくの しゅうじ、1948年7月5日- )は、日… 奥野 修司(おくの しゅうじ、1948年7月5日- )は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家。 大阪府出身。立命館大学経済学部卒業。1978年より移民史研究者で評論家の藤崎康夫に師事して南米で日系移民調査を行う。帰国後、フリージャーナリストとして女性誌などに執筆。1998年「28年前の『酒鬼薔薇』は今」(文藝春秋1997年12月号)で、第4回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞。 2006年『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で、第27回講談社ノンフィクション賞・第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。同年発行の『心にナイフをしのばせて』は高校生首切り殺人事件を取り上げ、8万部を超えるベストセラーとなった。
瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 19… 瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 1999年3月16日)は、日本のミステリー評論家、映画評論家、編集者。筆名に、宅和宏、藤崎誠などがある。 映画評論家の瀬戸川宗太は弟。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業。在学中は「ワセダミステリクラブ」に所属し、海外ミステリ評論を手掛けていた。1年後輩の北村薫や、2年後輩の折原一らと親交があった。卒業後は東宝に入社し、テレビ部に配属されてテレビ番組の制作にたずさわり、7年後に退社。 1973年に紀田順一郎、荒俣宏が創刊した雑誌『幻想と怪奇』に、鏡明とともに編集同人として参加。 1980年、自身の個人出版社「トパーズプレス」を設立。 また、1982年に読書人向けの雑誌『BOOKMAN』を創刊。
本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、ア… 本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、アマチュア野球監督、近畿大学野球部監督として1990年代後半に黄金期を築いた名将。広島県東広島市高屋町出身。 広陵高等学校出身だが異色の軟式野球部出身。速球派投手として活躍し国体で無安打無得点試合を達成した。近畿大学(大阪府)に進みプロ野球を目指したが肩を壊し卒業後は同大職員となり野球部コーチとなる。1972年広島六大学野球連盟所属の近畿大学工学部硬式野球部(広島県呉市、現在は東広島市)に就任。直後の部員は10数人、また自前の練習場も持たないジプシー弱小チームを、卓越した指導で同リーグでは無敵の強力チームに育て上げた。また一学部の小野球部ながら全日本大学野球選手権大会でも1980年から三年連続ベスト4に進出、1984年明治神宮野球大会では佐々木修を擁して広島六大学野球リーグ所属チームとして初の決勝進出に導いた(準優勝)。
冨岡 勉(とみおか つとむ、1948年7月4日 - )は、日… 冨岡 勉(とみおか つとむ、1948年7月4日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の元衆議院議員(4期)。文部科学副大臣、文部科学大臣政務官、衆議院文部科学委員長、衆議院厚生労働委員長、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長等を歴任。 福岡県中間市出身。福岡県立東筑高等学校、長崎大学医学部卒業。同大学助教授に就任。 1999年、長崎県議会議員に初当選。県議会で文教委員会委員長を務めるが、2003年の選挙で落選。 2005年の第44回衆議院議員総選挙で長崎1区から自由民主党公認候補として出馬。選挙区では労働組合の厚い組織票に支えられた民主党の高木義明に敗れたが、比例九州ブロックで復活し初当選した。
山口 久和(やまぐち ひさかず、1948年7月4日 - )は… 山口 久和(やまぐち ひさかず、1948年7月4日 - )は、日本の中国哲学研究者。大阪市立大学名誉教授。 1948年、滋賀県彦根市で生まれた。大阪市立大学文学部中国文学科で学び、1973年に卒業。京都大学大学院文学研究科中国哲学史専攻に進み、1979年に博士課程を満期退学した。 1996年、学位論文『章学誠の知識論:考証学批判を中心として』を大阪市立大学に提出して文学博士の学位を取得。同年、大阪市立大学教授に就いた。2012年に大阪市立大学を定年退任し、名誉教授となった。 その後は関西外国語大学教授を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松田 和憲(まつだ かずのり、1948年7月4日 - )は、… 松田 和憲(まつだ かずのり、1948年7月4日 - )は、学校法人関東学院学院長、日本バプテスト同盟牧師。実践神学専攻。宮城県出身。
福田 俊司(ふくだ としじ、Toshiji Fukuda、1… 福田 俊司(ふくだ としじ、Toshiji Fukuda、1948年7月3日 - ) 日本の動物写真家。極東の自然を撮り続け、世界初のシーンをとらえた作品も多い。 1948年に栃木県の宇都宮市で生まれる。幼少時より感受性が強く、生き物全般に関心が高かった。小学生時代には宇都宮大学の学生達に交じってムシの研究をしていたほど。宇都宮市の中心部とはいえ、幼い頃は木に覆われた広い敷地の家で育ち、自然への愛着が深く、休みの度に山を散策していたらしい。 地元の栃木県立宇都宮高等学校を卒業後、上智大学法学部へ進学。上智大学在学中、動物写真家である田中光常に師事。 1973年に結婚し、その後は実家のビジネスホテルを経営しながら、地元である栃木県の自然(主に日光市)を撮影する。
河本 英典(かわもと えいすけ、1948年7月3日 - 20… 河本 英典(かわもと えいすけ、1948年7月3日 - 2025年11月29日)は、日本の実業家、元政治家。元参議院議員(2期)。滋賀県を代表する綾羽株式会社代表取締役社長、滋賀経済同友会代表幹事、滋賀経済団体連合会会長、滋賀県防衛協会会長、滋賀県スポーツ協会会長、滋賀県販売士協会会長、大津商工会議所会頭などを務めた。 滋賀県高島市出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、1972年綾羽に入社。1983年に社長に就任。父は元参議院議員、綾羽グループ創業社主の河本嘉久蔵。曾祖母の河本にわは、かつて長寿世界一だった人物で、確かな記録が残る人物としては江戸時代生まれ最後の生き残りであった。 1992年に行われた第16回参議院議員通常選挙において自由民主党から滋賀県選挙区に立候補し初当選。
河野 正雄(かわの まさお、1948年(昭和23年)7月3日… 河野 正雄(かわの まさお、1948年(昭和23年)7月3日 - )は、日本の政治家。元福岡県前原市(現・糸島市)長。 熊本市立商業高等学校(現・熊本市立千原台高等学校)卒業。卒業後の1967年日本電信電話公社に入社。福岡電報電話局勤務を経て、2002年に関連会社に移る。同年11月の前原市議会議員選挙に民主党公認で立候補したが落選した。翌2003年に会社を退職し、前原市でパソコン教室を開く。同年7月の前原市長選挙に立候補し、現職の春田整秀を破り、当選する。しかし、就任後に市長公用車の廃止や市立図書館の建設中止などの公約を全く実施しないことや、議会での発言が一定しないことを理由に、2004年前原市議会は市長の河野に対し、辞職勧告決議案を提出した。
岡村 佳典(おかむら よしのり、1948年7月3日 - )は… 岡村 佳典(おかむら よしのり、1948年7月3日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
中島 美博(なかじま よしひろ、1948年7月3日 - )は… 中島 美博(なかじま よしひろ、1948年7月3日 - )は、日本の経営者。千葉県出身。 1971年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に東急不動産に入社。1998年6月に取締役を就任し、2002年4月に常務、2006年4月に専務を経て、2008年4月には副社長に就任。2006年10月から2011年4月までに東急ハンズ社長を務め、2011年6月から2015年4月までに東急リバブル社長を務めた。
佐々木 富男(ささき とみお、1948年7月2日 - )は、… 佐々木 富男(ささき とみお、1948年7月2日 - )は、日本の医師・医学者。専門は脳神経外科。九州大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1967年に岡山県立倉敷天城高等学校を卒業。1973年に東京大学医学部を卒業。 脳神経外科医として米国バージニア大学メディカルセンター助教授、東京大学助教授、群馬大学教授を経て、2002年に九州大学医学部脳外科の教授に就任。 2013年に九州大学を退官後、フリーランスの脳神経外科医として活動。その生き方が『情熱大陸』(2015年7月26日放送)で取り上げられた。 脳血管障害と脳腫瘍の手術で数多くの実績があり、医師が選ぶ医師「Best Doctors in Japan」を2002年から10年以上連続で受賞している。
大下 一真(おおした いっしん、1948年7月2日 - )… 大下 一真(おおした いっしん、1948年7月2日 - )は、日本の歌人、臨済宗円覚寺派の僧侶。瑞泉寺住職。 静岡県生まれ。駒澤大学仏教学部卒業。1981年まで、円覚寺専門道場にて修行。1985年、瑞泉寺住職。 1971年、高校在学中に歌誌「まひる野」に入会。1982年より同誌編集委員、2015年より編集発行人。角川「短歌」選者。 親交のあった山崎方代の没後、1988年、研究誌「方代研究」の創刊にかかわり、以来、編集を担当。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
犬飼 隆(いぬかい たかし、1948年(昭和23年)7月2日… 犬飼 隆(いぬかい たかし、1948年(昭和23年)7月2日 - )は、日本の日本語学者、元愛知県立大学教授。 愛知県名古屋市生まれ。1972年東京教育大学国文科卒、1977年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1977年より学習院女子短期大学専任講師・同助教授、1984年神戸大学助教授・同教授を経て、1996年より2014年まで愛知県立大学文学部(のち日本文化学部に改組)教授。1993年「上代文字言語の研究」で筑波大学博士(言語学)。木簡から古代日本語を再現する研究を行っている。