加藤 暎一(かとう えいいち、1924年(大正13年)5月1… 加藤 暎一(かとう えいいち、1924年(大正13年)5月13日 - 2006年(平成18年)5月29日)は日本の医学者。元慶應義塾看護短期大学学長。日本腎臓学会名誉会員。 1947年慶應義塾大学医学部卒業、同内科学教室副手。1949年同助手。1954年から55年までロックフェラー財団研究員としてイェール大学に留学。1955年、医学博士の学位を取得。1960年から63年まで国立栃木病院内科部長。1964年から72年まで慶應義塾保健管理室主任、慶應義塾大学医学部講師。1973年同助教授。 1988年、慶應義塾看護短期大学教授・学長に就任。1991年、定年退職。 2006年5月29日、前立腺がんのため死去。
生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1… 生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1991年3月31日)は、日本のドイツ文学者、詩人、小説家、翻訳家。東京大学名誉教授。 東京・高円寺生まれ、1947年、東京帝国大学法学部政治科卒業、1951年、東京大学独文科卒、助手となる。 1954年、東京水産大学講師。1954年から 1955年にかけて、ドイツ学術交流会の奨学金によりミュンヘン大学に留学、1961年、東京大学教養学部講師。1964年、東京大学文学部助教授、1973年、教授。1985年定年退官。 その後、大阪経済法科大学教授。1986年、千葉大学教授。 1991年3月31日、死去。墓所は多磨霊園(11-1-10) 詩人として「歴程」同人。
小川 亮(おがわ まこと、1924年(大正13年)5月12日… 小川 亮(おがわ まこと、1924年(大正13年)5月12日 - 2019年(平成31年)1月16日)は、山口県徳山市(現・周南市)市長、岡山県副知事。従四位。死の約3年前に第一生命多額詐取事件の主犯に成る、女性社員の勤続50年を祝う会に出席していた。
江守 一郎(えもり いちろう、1924年5月12日 - 19… 江守 一郎(えもり いちろう、1924年5月12日 - 1996年12月30日)は日本の技術者、工学者。交通工学・模型実験などの研究を行っていた。東京都出身。模型実験、交通事故鑑定人の第一人者とされる。 監修・参考資料提供を務めた漫画「交通事故鑑定人 環倫一郎」の主人公である環倫一郎のモデルとなっており、作品で取り上げた事件は江守が解決した事件である。 1949年に東京大学工学部機械工学科を卒業後、ミシガン大学に留学。無一文であったため肉体労働をしながら大学に通い、1952年にミシガン大学機械工学科、理論工学科を修了する。 しかし留学した3年間というブランクがあったため社会から相手にされずブラジルの永住許可を取り日本を離れる。
横溝 克己(よこみぞ よしみ、1924年5月12日 - 19… 横溝 克己(よこみぞ よしみ、1924年5月12日 - 1990年2月23日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。早稲田大学教授。天津大学客員教授。 早稲田大学大学院生向けに海外からの留学生を含む経済的に恵まれない学生の勉学生活を支援することを目的として、夫人・京子からの寄付により設立された奨学金。 。
田中 光常(たなか こうじょう、1924年5月11日 - 2… 田中 光常(たなか こうじょう、1924年5月11日 - 2016年5月6日)は、日本の動物写真家。 静岡県庵原郡蒲原町(現、静岡市清水区蒲原)に生まれる。東京都立九段高等学校卒業後、海洋生物学を志して北海道大学水産学部に進学、岡田弥一郎に師事する。 戦後から北極や南極などで動物写真を撮り続け日本の動物カメラマンの先駆けとなった。撮影地は他にアラスカ、シベリア、カナダ、中南米、アフリカ、ガラパゴスなど地球全土に渡り、著書は100冊を超える。星野道夫は田中の3番目の助手。 田中光常動物写真事務所取締役、日本フォトリサーチセンター会長、日本パンダ保護協会会長、(財)世界自然保護基金(WWF)日本委員会評議員、(財)自然公園美化管理財団理事、日本写真家協会名誉会員、日本旅行作家協会顧問理事、エコツーリズム推進協議会理事などを務めた。
石母田 達(いしもだ たつ、1924年5月11日 - 202… 石母田 達(いしもだ たつ、1924年5月11日 - 2022年2月12日)は、日本の政治家、労働運動家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。日本共産党名誉幹部会顧問。 石巻市長を務めた石母田正輔の五男。兄は国民的歴史学運動で知られる歴史学者の石母田正。 宮城県石巻市出身。東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)卒業後、池貝鉄工所に就職。第二次世界大戦中は相模補給廠(相模原市淵野辺)に属し、陸軍の技術将校として誘導爆弾や特攻兵器製作に携わる。自らも特攻乗員となり出撃の日を待ちながら終戦を迎えた。 復員後は池貝鉄工所に戻り、旋盤技師を務める傍ら日本共産党へ入党。兄の正に諭され同所の労働組合長に立候補し、1票差で対立候補を躱し組合長に当選する。
清水 喜一郎(しみず きいちろう、1924年5月10日 - … 清水 喜一郎(しみず きいちろう、1924年5月10日 - 1964年2月28日)は、東京都出身のプロ野球選手(二塁手・遊撃手)。 京王商業学校(現・専修大学附属高等学校)在学中は、1941年に第27回全国中等学校優勝野球大会(日中戦争悪化により中止)東京府大会の決勝に進むが、帝京商業学校(現・帝京大学中学校高等学校)に0-14で大敗し、準優勝。戦時下の翌1942年に甲子園大会に出場。初戦で、この大会優勝の徳島商に延長14回の激闘の末、1-2で惜敗した。京王商業時代のチームメイトに貫井丞治がいる。 京王商卒業後は、貫井と共に明治大学でプレーした。実家は甲州街道沿いで食堂「喜楽」を営み、母親は明治大学野球部合宿所の賄い婦も兼ねていた。
横山 公男(よこやま きみお、1924年5月10日 - 20… 横山 公男(よこやま きみお、1924年5月10日 - 2010年)は日本の建築家。千葉県船橋市出身。早稲田大学理工学部建築学科卒。 事務所設立初期から日蓮正宗の総本山である大石寺の伽藍の設計を手がけ、大客殿の設計では日本建築学会賞を受賞した。1972年(昭和47年)には大石寺の伽藍設計の集大成となる正本堂を竣工させた。しかし、昭和末期から平成にかけて横山の設計した建物は徐々に取り壊され、現在では大講堂など境内に数えるほどしか残っていない。正本堂の解体には創価学会関係者だけでなく、建築関係者からも反対の声があった。 1988年、株式会社建築家会館第3代社長に就任、2期8年務めた。2008年、日本建築学会名誉会員。
田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 … 田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 - 2014年〈平成26年〉11月1日)は、日本の政治家。 衆議院議長(第66代)、通商産業大臣(第46・47代)、運輸大臣(第48代)、労働大臣(第33代)、衆議院議員(当選14回)、自由民主党国会対策委員長(第26代)などを歴任。 三重県松阪市(旧・大足村)に生まれる。父親の田村秢は、弁護士出身で三重県会議員を経て、1942年(昭和17年)の翼賛選挙で衆議院議員に当選した。 旧制三重県立宇治山田中学校を経て、1950年(昭和25年)に慶應義塾大学法学部卒業。中外炉工業、三重交通勤務と中学校の代用教員を経て、参議院議員の前田穰の秘書となる。
青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013… 青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013年11月6日)は、日本の新聞記者、評論家。帝塚山短期大学名誉教授。専門は日本文化史。 大阪府出身。旧制郡山中学校、旧制松山高等学校文科卒、1948年京都帝国大学法学部卒。1950年に毎日新聞社に入社し、奈良支局で11年間美術文化担当記者。大阪本社学芸部副部長、編集局部長を経て退社。1976年帝塚山短期大学教授。1995年定年、名誉教授。古都調査保存協力会長、奈良国立博物館評議員、飛鳥資料館運営協議会長。奈良学を提唱した。 2013年11月6日、肺炎のため死去。89歳没。
阿部 裕正(あべ ひろまさ、1924年5月9日 - 1998… 阿部 裕正(あべ ひろまさ、1924年5月9日 - 1998年10月29日)は、日本の経営者。富士紡績社長、会長を務めた。東京都出身。 1949年に東京商科大学を卒業し、同年に三菱銀行に入行。1978年12月に取締役に就任し、1980年7月に富士紡績に転じ、1984年4月に常務を経て、1984年6月に社長に就任。1991年6月に会長に就任。 1998年10月29日、心不全のために死去。74歳没。
西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 20… 西來 武治(にしらい たけはる、1924年5月9日 - 2013年6月11日)は、医事評論家、浄土真宗の僧、仏教系の電話カウンセラー。新字体で西来 武治とも表記される。 北海道生まれ。龍谷大学文学部仏教学科卒。中学、高校教師をへて医事雑誌の編集に携わり、健康雑誌『ホームドクター』編集長、1982年退任。『ぴいぷる』編集長。朝日ホームドクター社取締役。1971年より海老名市の自宅で夫人のみわと「ダイヤルフレンド」を始め電話相談にのる。ヘルスプランニング西来代表取締役。1998-2002年千代田女学園中学校・高等学校長。真宗高田派住職。彰見寺衆徒。2012年仏教伝道文化賞受賞。 2013年6月11日、肺癌のため死去。
大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8… 大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名は菅野 民子(かんの たみこ)。日常の風景をあらわした短歌で知られる。 1924年(大正13年)5月8日、岩手県盛岡市八幡町に、父・菅野佐介、母・カネの三姉妹の次女として生まれる。 盛岡市立城南尋常小学校、岩手県立盛岡高等女学校(現岩手県立盛岡第二高等学校)を経て、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)へ進む。石川啄木に憧れ、在学中に前川佐美雄の短歌指導を受ける。卒業後、岩手県立釜石高等女学校(現岩手県立釜石高等学校)の教諭となり、終戦を迎えた。1947年(昭和22年)結婚、男児を早死産し半年あまり病床にあった。
行沢 健三(ゆきざわ けんぞう、1924年5月8日 - 19… 行沢 健三(ゆきざわ けんぞう、1924年5月8日 - 1980年2月8日)は、日本の経済学者。 京都生まれ。1946年京都帝国大学経済学部卒、関西学院大学助教授、教授、1960年「国際経済学序説」で経済学博士(関西学院大学)。1978年京都大学経済研究所所長となるが、在任中に55歳で死去した。1976年『労働生産性の国際比較』で日経・経済図書文化賞受賞。
小川 修三(おがわ しゅうぞう、1924年5月8日 - 20… 小川 修三(おがわ しゅうぞう、1924年5月8日 - 2005年1月9日)は、日本の物理学者(素粒子物理学)。名古屋大学名誉教授、広島大学名誉教授。 1924年、山口県都濃郡徳山で生まれた。徳山で育つが、1940年3月に三重県四日市市に転居したことに伴い、徳山中学校から富田中学校に移った。第八高等学校理科で学び、1944年9月に卒業。名古屋帝国大学理学部物理学科へ進学し、1947年に卒業。 卒業後は、同年12月より同大学の幅助手となった。1949年に理学部の文部教官となり、翌1950年に助手となった。1955年に学位論文『相互作用の普遍性に関する研究』を名古屋大学に提出して理学博士号を取得。同年4月より、広島大学理学部講師となった。
杉山 康彦(すぎやま やすひこ、1924年5月7日 ‐ 20… 杉山 康彦(すぎやま やすひこ、1924年5月7日 ‐ 2005年9月30日)は、日本の日本文学者。 専門は日本文学、文学・言語表現論。 和光大学名誉教授。元和光大学学長。 広島県広島市生まれ(父母の原籍は岐阜県)。愛知県第一中学校に1年通学後、東京陸軍幼年学校(42期)に進学。陸軍予科士官学校を経て、1944年4月に陸軍士官学校(57期)を卒業、少尉に任官し近衛歩兵第三聯隊へ配属される。その後、スマトラ島(インドネシア)に中隊長として赴任。中尉に任官後、陸軍士官学校区隊長(教官)を命ぜられ、日本への帰還途中にサイゴン(現ホーチミン市)にて終戦を迎える。サイゴンの日本軍司令部にて、敗戦処理に当たったのち、1946年8月に帰還。
多田英之(ただひでゆき、1924年(大正13年)5月6日 -… 多田英之(ただひでゆき、1924年(大正13年)5月6日 - 2021年(令和3年)9月21日)は、日本の建築構造学者。大阪府出身。専門は建築構造で耐震構造・免震構造・鋼管構造など。免震の生みの親。工学博士、一級建築士、技術士。1983年に建設大臣の特別認可を取得し、国内免震建築第一号積層ゴムを用いた免震建物評定を八千代台住宅に誕生させる。平成元年には日本建築学会免震構造小委員会主査として「免震構造設計指針」をまとめ、2001年に東京都杉並区に28階建て日本初の超高層免震マンションを実現する。積層ゴムアイソレータの実物大実験など耐震実験を多く行い、免震という概念を確立。 1942年、大阪市立都島工業学校建築科卒業。
岩崎 純三(岩﨑 純三、いわさき じゅんぞう、1924年(大… 岩崎 純三(岩﨑 純三、いわさき じゅんぞう、1924年(大正13年)5月5日 - 2004年(平成16年)7月10日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。栃木県真岡市長、参議院議員(自由民主党所属)、総務庁長官を歴任した。 栃木県真岡町(現:真岡市)出身。日本大学法文学部政治経済学科卒業。 1951年、真岡町議会議員に当選。1958年の第28回衆議院議員総選挙と1960年の第29回衆議院議員総選挙では栃木2区から自由民主党公認で立候補したが落選した。1962年に栃木県真岡市長に当選。当時、38歳の全国最年少市長だった。1977年まで4期15年務めた。その間、工業団地の造成、神戸製鋼の誘致などに努め、地元発展の基礎を作った。
本田 創造(ほんだ そうぞう、1924年〈大正13年〉5月5… 本田 創造(ほんだ そうぞう、1924年〈大正13年〉5月5日 - 2001年〈平成13年〉1月7日)は、日本の歴史学者。専門はアメリカ史。一橋大学名誉教授。サンケイ児童出版文化賞受賞。 大阪市出身。1949年東京大学経済学部卒業。1954年一橋大学経済研究所アメリカ経済研究部門で、都留重人教授や小原敬士教授の下、佐藤定幸とともに助手に就任。 一橋大学経済研究所助教授、神戸大学文学部助教授、一橋大学社会学部教授を経て、1988年一橋大学を定年退官し、一橋大学より名誉教授の称号を受ける。同年桜美林大学教授に就任。その後桜美林大学学長補佐、桜美林大学副学長を務めた。2001年1月7日、虚血性心不全のため死去。
峰岸 久(みねぎし ひさし、1924年5月5日 - 2023… 峰岸 久(みねぎし ひさし、1924年5月5日 - 2023年11月17日)は、日本の翻訳家、ジャーナリスト。本名、埜邑 義道(のむら よしみち)。日本記者クラブ会員、日本文芸家協会会員。峯岸 久の表記もある。 北海道函館市生まれ。1952年東京大学仏文科卒。同年、日本新聞協会に入会。会報・編集各課次長、広告課長、業務部長兼経営部長、国際部長。1979年、事務局次長、同年理事待遇。1989年4月欧州駐在代表。 一方、翻訳家としてジョン・ウィンダム、J・G・バラード、クリフォード・D・シマックなどのSFを主として翻訳した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大橋 清秀(おおはし きよひで、1924年〈大正13年〉5月… 大橋 清秀(おおはし きよひで、1924年〈大正13年〉5月5日 - )は、国文学者、帝塚山学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。1948年立命館大学文学部国文科卒、1962年同大学院(旧制)修了、大阪工業大学助教授、帝塚山学院大学文学部助教授、教授、1995年定年退任、名誉教授。
下山 敏郎(しもやま としろう、1924年5月4日 - 20… 下山 敏郎(しもやま としろう、1924年5月4日 - 2013年6月30日)は、日本の実業家。光学機器メーカー、オリンパス光学工業の社長、会長を歴任した。同台経済懇話会副代表幹事。新しい歴史教科書をつくる会賛同者[要出典]。 1945年(昭和20年)陸軍士官学校(第58期)卒。 1984年(昭和59年)に北村茂男の後を受けてオリンパス光学工業社長に就任。 1980年代半ば、急激な円高で営業利益が急速に落ち込んだオリンパスの業績を挽回するために財テクを行う方針を打ち出す。バブル崩壊後に財テクによる損が発生したため、損失を取り戻すため営業特金を増やした。営業特金だと算定上損が分かりにくくなるというのも理由の1つであったという見方もある。
松延 市次(まつのぶ いちじ、1924年5月3日 - )は、… 松延 市次(まつのぶ いちじ、1924年5月3日 - )は、日本の国語学者である。宮本武蔵の著書『五輪書』の国語学的研究でも知られている。福岡県八女郡出身。剣道教士七段。
松本 忠繁(まつもと ただしげ、1924年5月3日 - 没年… 松本 忠繁(まつもと ただしげ、1924年5月3日 - 没年不明)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。
金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月… 金 命潤(キム・ミョンユン、朝鮮語: 김명윤、1924年5月3日 - 2016年2月1日)は、大韓民国の検察官、弁護士、政治家。第5・9・15代韓国国会議員。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)。仏教徒。元国会議員の金光俊は兄、呉俊碩は妹の夫。元韓国住宅金融公社社長の金璟浩は息子、元大韓医師協会会長の秋武辰は娘婿。また、元公報処次官・青瓦台政務首席秘書官の李源宗のおばの夫である。 日本統治時代の江原道(現・慶尚北道)蔚珍郡平海邑出身。1943年中央大学予科卒。1944年満洲国高等考試司法科合格、1945年朝鮮弁護士試験合格。1946年京城帝国大学法文学部(現・ソウル大学校法科大学)卒。司法要員養成所修了。
大田山 一朗(おおたやま いちろう、1924年〈大正13年〉… 大田山 一朗(おおたやま いちろう、1924年〈大正13年〉5月3日 - 1999年〈平成11年〉11月11日)は、東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区、出生地は岩手県盛岡市上田)出身で、高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は藤沢 一郎(ふじさわ いちろう)。身長177cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭20枚目(1957年9月場所)。 小学校卒業後は日立航空機に勤務していたが、当時の人気大関・前田山に誘われ、1939年(昭和14年)6月に彼が所属する高砂部屋へ入門した。 1940年(昭和15年)1月場所で初土俵を踏み、翌年5月場所にて前田山から2字を貰った「前田川」の四股名で、序二段に付け出された。
岡本 巌(おかもと いわお、1924年5月2日 - 2011… 岡本 巌(おかもと いわお、1924年5月2日 - 2011年12月4日)は、日本の地球物理学者。陸水学・湖沼学が専門で、長年琵琶湖を調査研究し、琵琶湖の環境保全のための住民運動を行ったことで知られている。滋賀大学名誉教授。 鹿児島県谷山村(現:鹿児島市の一部)出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1945年に第七高等学校造士館 (旧制)を卒業。進学した京都大学理学部(旧制)では海洋物理学を学び、1948年に卒業。卒業後、別府市にある京都大学地球物理学研究所に勤務したがあまり気乗りがしていなかったため、人に勧められて滋賀大学学芸学部(後に教育学部に改称)に移り、以来琵琶湖の調査研究に取り組む。
宇佐美 承(うさみ しょう、1924年5月1日 - 2003… 宇佐美 承(うさみ しょう、1924年5月1日 - 2003年5月7日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。青木定謙の孫。妻は新田義美の娘の公子。 中国の天津に生まれる。自著で、父は外国関係の案件を手がける弁護士だったと記している。 幼少期は兵庫県武庫郡御影町(現・神戸市東灘区)で育つ。この時期、近くに住む造船技師で実業家の笹子謹(ひとし)が開いていたアトリエに通い、伊谷賢蔵やその後任の八島太郎・光(光は笹子謹の娘)夫妻に絵を習った。小学校は師範学校の附属小学校に通い、その後「スパルタ教育で名だかい県立中学校」に進学する。在学中に病気療養のため、通常よりも2年遅れて中学校を卒業する。
松岡 武(まつおか たけし、1924年(大正13年)5月1日… 松岡 武(まつおか たけし、1924年(大正13年)5月1日 - 2001年(平成13年)6月24日)は、日本の心理学者。 埼玉県生まれ。1950年東京文理科大学心理学科卒業。同大学大学院心理学研究科修了、1952年山梨大学教育学部講師、助教授、1963年「色彩象徴法によるAffective meaningの研究」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。1967年特殊教育学科教授、附属養護学校長、保健管理センター所長、1990年定年退官、名誉教授、作新学院大学教授。1995年退任。色彩心理学。
岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 - 2017… 岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 - 2017年11月3日)は、日本の歌人、評論家。妻で歌人の馬場あき子と「かりん」を創刊。 東京世田谷駒沢生まれ。国士舘中学校在学中に短歌を知る。早稲田大学高等学院予科を経て、早稲田大学文学部国文科卒。在学中の1946年に早稲田大学短歌会に入会し、同年歌誌「まひる野」創刊に参加。窪田空穂、窪田章一郎に師事。また渡辺順三編集の「人民短歌」(後の「新日本歌人」)の編集手伝いを行う。大学卒業後、都立高等学校教諭となり定年退職まで務める。 1977年に「まひる野」を退会。1978年に馬場あき子とともに歌誌「かりん」を創刊。朝日カルチャーセンター、角川短歌通信講座などで短歌を指導。
好美 のぼる(よしみ のぼる、本名:尾原 三好、1924年4… 好美 のぼる(よしみ のぼる、本名:尾原 三好、1924年4月30日 - 1996年4月)は日本の漫画家。兵庫県神戸市出身。代表作は「にくしみ」「あっ!生命線が切れている」。 1924年、兵庫県神戸市に生まれる。日本大学卒業。広告会社勤務を経て、大阪に移り赤本漫画家としてデビュー、その後も貸本漫画を執筆する。その後は東京に再上京、曙出版の貸本漫画やB級劇画雑誌などで活躍した。 1969年に『週刊少女フレンド』に短期連載された復讐ホラー漫画「にくしみ」は「子供調査研究所マンガ嗜好調査」のベスト10に選出されたという。 晩年は立風書房で描きおろしのホラー漫画を執筆。また、趣味である折り紙やペーパークラフトの本を出版し、近所の子供に作り方を教えるなどしていた。
伊藤 雅俊 (いとう まさとし、1924年〈大正13年〉4月… 伊藤 雅俊 (いとう まさとし、1924年〈大正13年〉4月30日 - 2023年〈令和5年〉3月10日)は、日本の実業家。イトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパンの設立者である。その手法は「資本主義の精神」そのものと言われた。 東京生まれ。東京市立京橋商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)を経て横浜市立商業専門学校(現・横浜市立大学)を卒業。1944年三菱鉱業(現・三菱マテリアル)入社。数ヶ月後には召集され、香川県豊浜に臨時で設営された陸軍特別甲種幹部学校に入学するも、すぐに終戦となった。 三菱鉱業へ復職し、秋田県の尾去沢鉱山へ勤める。だが、3ヶ月ほどで退社し、1946年に北千住で母・ゆきと異父兄・讓が開いた洋品店「羊華堂」に合流する。
干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 201… 干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 2013年11月12日)は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。 旧制北海道庁立旭川中学校(現:北海道旭川東高等学校)、日本製鐵輪西、旭川鉄道局を経て、1950年に大阪タイガースに入団。初年度である同年に10勝を挙げる活躍をする。オーソドックスなアンダースローの投手であった。1951年も先発陣の一角として期待されたが4勝に終わり、1952年に肩を故障して退団。わずか3年のプロ野球生活であった。 2013年11月12日、89歳で死去した。 予告先発制度の導入前によく行われていた投手による偵察メンバーであるが、干場はその第1号である。1950年4月22日、熊本市水前寺野球場での対中日ドラゴンズ戦で、中日の先発投手が左の清水秀雄か右の服部受弘で迷った松木謙治郎選手兼任監督は、前日の対広島カープ戦で完投勝利を挙げた干場を1番・レフトとして出場させる。
安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年〈大正13年〉4月… 安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年〈大正13年〉4月29日 - 1991年〈平成3年〉5月15日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。 衆議院議員(11期)、農林大臣、内閣官房長官、通産大臣、外務大臣、自由民主党国会対策委員長、自由民主党政務調査会長、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長を歴任した。 衆議院議員の安倍寛の長男。岳父に元内閣総理大臣の岸信介、義理の叔父は元内閣総理大臣の佐藤栄作、次男は元内閣総理大臣の安倍晋三である。1986年に派閥の領袖となったが、1991年に病気のため死去した。 安倍寛、静子夫妻の長男として東京市四谷区に生まれる。ちなみに寛とは誕生日が同じである。
大崎 欣一(おおさき きんいち、1924年4月29日 - )… 大崎 欣一(おおさき きんいち、1924年4月29日 - )は、和歌山県[1]出身の元プロ野球選手(内野手)。
高杉 自子(たかすぎ よりこ、1924年4月28日 - 20… 高杉 自子(たかすぎ よりこ、1924年4月28日 - 2003年3月27日)は、日本の教育・保育学者。 大阪府生まれ。1944年東京第一師範学校女子部本科卒業。1944年、東京都公立学校教諭。1946年、東京学芸大学附属竹早小学校教諭。1965年、東京都教育庁指導主事、1974年、同副参事・主任指導主事。1977年、文部省初等中等教育局幼稚園課教科調査官。1976年、昭和女子大学教授。1996年から子どもと保育総合研究所所長を務めた。
今井 清(いまい きよし、1924年4月28日 - 1999… 今井 清(いまい きよし、1924年4月28日 - 1999年1月28日)は、日本のバーテンダー。ミスター・マティーニと称される。 石川県羽咋市出身。1939年より東京會舘に勤め、本多春吉に師事。後に酒場主任を務める。 パレスホテル(現・パレスホテル東京)のメインバーである「ロイヤルバー」の設計は今井の手によるものである。今井はパレスホテルの初代チーフバーテンダーを務めた。 ジンを冷蔵庫に入れて冷やしておくことで、ジンそのものの味を残しつつ冷たいマティーニを作る手法を考案したのは今井である。 1999年、脳腫瘍のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
高橋 靗一(たかはし ていいち、1924年4月27日 - 2… 高橋 靗一(たかはし ていいち、1924年4月27日 - 2016年2月25日)は、日本の建築家である。日本統治時代の青島生まれ。大阪芸術大学名誉教授、第一工房代表。日本建築学会員、日本建築家協会名誉会員。 代表作に 佐賀県立博物館、大阪芸術大学、東京都立大学南大沢キャンパス、全労済情報センター、パークドーム熊本、群馬県立館林美術館、あいち海上の森センター、白河市立図書館などがある。 青島生まれ。東京大学第二工学部建築学科を卒業後、逓信省営繕部設計課勤務。大学助教授を経て第一工房を設立(1960〜2015年)。東京大学、東京工業大学、東北大学、九州芸術工科大学、明治大学、東海大学、東京電機大学の非常勤講師歴任。
村瀬 実恵子(むらせ みえこ、Miyeko Murase、1… 村瀬 実恵子(むらせ みえこ、Miyeko Murase、1924年4月27日 - 2025年2月12日)は、アメリカにおける日本美術史家。 日本の絵画、ことに中近世時代の絵巻物、屏風、書の研究で高い評価を受けてきた。アメリカ・ニューヨークのコロンビア大学渥美健夫・伊都子記念日本美術教授、メトロポリタン美術館日本美術特別顧問を歴任。 村瀬実恵子は大野実蔵の長女として、当時日本の統治下にあった樺太・豊原(現在のサハリン)で誕生。父実蔵は、植民地裁判官であった。幼少期を同じく日本が統治していたサイパンやパラオを含む南洋諸島で過ごし、第二次世界大戦末期の日本に帰国、アメリカ軍による東京大空襲に遭遇した。
南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年〈大正13年〉4月26… 南都 雄二(なんと ゆうじ、1924年〈大正13年〉4月26日 - 1973年〈昭和48年〉3月19日)は昭和後期の上方の漫才師、俳優。本名は戸田 朝治(とだ ちょうじ)。大阪府大阪市生まれ。大阪電機学校卒業。 ミヤコ蝶々との漫才コンビ「蝶々・雄二」として知られ、「夫婦善哉」の司会で人気を博した。 1941年に大阪電機学校を卒業した。戦後、大阪中央郵便局の電気係を経て、三遊亭柳枝主宰の柳枝劇団に参加し、照明部で裏方をしていた。その後演者側に回り、看板女優だったミヤコ蝶々の弟子となり「鈴夫」と名乗る。 1947年に柳枝と離婚した蝶々と結婚し、1948年、柳家三亀松の改名の提案で「蝶々・鈴夫改め上方トンボ」として夫婦漫才コンビを結成した。
柴田 鐵雄(しばた てつお、1924年(大正13年)4月26… 柴田 鐵雄(しばた てつお、1924年(大正13年)4月26日 - 2004年(平成16年)12月13日)は、日本の剣道家。段位は教士八段。鞍馬流剣術第17代宗家。
林 巨樹(はやし おおき、1924年4月26日 - 2012… 林 巨樹(はやし おおき、1924年4月26日 - 2012年1月8日)は、日本の日本語学者。青山学院大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部国語国文学科卒、青山学院大学助教授、教授、1985年定年退任、名誉教授、帝京大学教授。2000年春、勲三等瑞宝章受勲。2012年1月8日、脳梗塞のため死去。87歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
寺町 博(てらまち ひろし、1924年 <大正13年> 4月… 寺町 博(てらまち ひろし、1924年 <大正13年> 4月25日- 2012年 <平成24年> 9月11日 )は、日本の経営者。THKの創業者。位階は正五位。 岐阜県出身。1942年に岐阜県立第一工業学校(現在の岐阜県立岐阜工業高等学校)を卒業し、同年に半田重工業に入社した。1948年に一工商会を創業し、1950年には大一工業(のちの日本トムソン)、1971年には東邦精工(のちのTHK)を設立し、各社社長に就任。1997年1月にTHK会長に就任し、1998年6月には最高顧問に就任。2004年6月から2012年9月までフジフューチャーズの社長兼会長を務めた。 1991年に紫綬褒章を受章し、2001年4月に勲三等瑞宝章を受章。
天保 義夫(てんぽ よしお、1924年4月25日 - 199… 天保 義夫(てんぽ よしお、1924年4月25日 - 1999年12月30日)は、福岡県出身のプロ野球選手(投手)。 豊国商業から1942年に阪急へ入団。1943年5月2日の対南海戦でノーヒットノーランを記録。同年のシーズンでは11勝(16敗)を挙げ、防御率2.01でリーグ8位に入った。しかし、1944年に工場での勤労奉仕の作業中に製材用の歯車に巻き込まれ、右手中指と薬指、左手の人差し指と中指の計4本の指の先端を欠損してしまった。 この状況の中で戦後プロ野球に復帰するが、指先の欠損によりカーブが切れを失ってしまったため、海外の情報が乏しい中で独自にナックルボールの習得を決意。本に書いてあるとおりに球を握り、戦後の住宅事情が悪い中、自宅の押し入れに布団を積み重ね、2-3mの所から布団めがけて全力投球する練習を繰り返す。
伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月2… 伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月24日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の官僚。科学技術事務次官を最後に退官し、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理等を歴任。日本初の総合的な原子力政策となる「原子力開発利用長期計画」作成に加わるなど、原子力行政に深く携わった。 兵庫県神戸市に生まれる。神戸一中(のちの兵庫県立神戸高等学校)、旧制第三高等学校(のちの京都大学総合人間学部)を経て、1947年(昭和22年)に東京工業大学(のちの東京科学大学)電気工学科(旧制)を卒業。同年商工省に入省(機械局)。 1954年(昭和29年)に通商産業省工業技術院で日本最初の原子力予算担当、米国アルゴンヌ国立研究所原子力留学、科学技術庁調査課長、ロンドン日本国大使館科学担当(一等)書記官、科学技術庁秘書課長、原子力局次長、研究調整局長、原子力安全局長などを経て、1979年(昭和54年)に科学技術事務次官を最後に退官。
石津 栄一(榮一、いしづ えいいち、1924年(大正13年)… 石津 栄一(榮一、いしづ えいいち、1924年(大正13年)4月24日 - 2009年(平成21年)1月18日)は、昭和から平成時代の政治家。愛媛県川之江市長。 川之江市出身。建築業を営む家に育ち、関西工業学校建築科の夜間部に学んだ。1943年(昭和18年)同校卒業。戦時中は海軍航空隊へ志願し、瑞鶴乗組となった。 復員後は代用教員を経て、愛媛県立川之江高等学校定時制に学び、1950年(昭和25年)卒業。家業を継ぎ、のち礎工業社長となった。 1951年(昭和26年)川之江町議会議員に28歳で初当選。その後、川之江市議会議員2期を経て、1974年(昭和49年)以来、川之江市長に4選。1990年(平成2年)落選した。
牧英正(まき ひでまさ、1924年4月24日 - 2018年… 牧英正(まき ひでまさ、1924年4月24日 - 2018年7月8日)は、日本の法制史学者、大阪市立大学名誉教授。 熊本市生まれ。父は京都帝国大学教授・牧健二。1948年京都帝国大学法学部卒。62年「日本法史における人身売買の研究」で京都大学法学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、88年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、2000年退職。1968年から1989年まで法制史学会理事。2001年勲三等瑞宝章受章。2018年7月8日京都で死去。享年94。
下鶴 大輔(しもづる だいすけ、1924年4月24日 - 2… 下鶴 大輔(しもづる だいすけ、1924年4月24日 - 2014年6月25日)は、日本の火山学者。東京大学名誉教授。 東京出身。東北帝国大学理学部物理学科卒。1960年東京大学より理学博士の学位を取得。東京大学地震研究所助教授、1966年教授、1981年同所長、1985年定年退官、名誉教授。 1986年東京農業大学教授。 1981年から12年間火山噴火予知連絡会会長をつとめた。 1996年 - 勲二等瑞宝章
朝倉 正(あさくら ただし、1924年4月24日 - )は、… 朝倉 正(あさくら ただし、1924年4月24日 - )は、日本の気象学者。 宮城県仙台市生まれ。気象技術官養成研究所卒、1968年「日本を中心とする東アジアの大気循環の動気候学」で東京教育大学理学博士。気象研究所研究官、1965年気象庁長期予報課予報官、1981年初代気候変動対策室長。1984年長期予報課長。退官後、1996年気候問題研究所所長。1956年日本気象学会賞、1964年気象庁長官賞、1984年岡田賞受賞。