山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月3… 山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月30日 - 2020年(令和2年)4月2日)は、日本のマラソン選手。1952年ヘルシンキオリンピック男子マラソン日本代表。現役時代の所属は同和鉱業花岡鉱業所。 秋田県北秋田郡大館町(現在の大館市)出身。15歳の時に満蒙開拓青少年義勇軍に志願して中国大陸・満洲国へ渡った経歴を持つ。満洲時代に2,000mや10,000mを走って自信をつけたことを語っている。 第二次世界大戦終了後に満洲から引き揚げ、秋田へ帰郷してから本格的に陸上競技に取り組むようになる。1949年の第4回国民体育大会(東京都)に秋田県代表として一般男子マラソンに出場し、この時に初めて42.195 kmのフルマラソンを走った。
石井 均(いしい きん、1927年〈昭和2年〉11月30日 … 石井 均(いしい きん、1927年〈昭和2年〉11月30日 - 1997年〈平成9年〉12月31日)は、日本の俳優、喜劇役者。 大分県豊後高田市是永町出身。本名は石原 仁。芸名の由来は、「〝一〟獲千〝金〟」という言葉が好きな事に由来。(一均=井均) 熊本逓信講習所卒業(昭和18年)。 1948年(昭和23年)、八幡の寿座で初舞台を踏み、以後旅回りをする。 1956年(昭和31年)、新宿フランス座に加入。体技型のコメディアンとして頭角を現す。 1958年(昭和33年)6月、軽演劇一座「笑う仲間」を旗揚げ、後に「石井均一座」に改組。主に新宿の松竹演芸場を根城にし、座員には戸塚睦夫のほか、石井の弟子の伊東四朗(当時は伊藤証)、財津一郎(当時は財津肇メ)らがいた。
伊波 幸夫(いは ゆきお、1927年(昭和2年)11月30日… 伊波 幸夫(いは ゆきお、1927年(昭和2年)11月30日 - 2013年(平成25年)1月25日)は、昭和時代の政治家。沖縄県平良市長。 平良市出身。1945年(昭和20年)台中第二中学校卒業。 平良市議会議員、同議長を経て、1982年(昭和57年)平良市長に当選。1986年(昭和61年)任期満了に伴う選挙で落選した。市長在任中、「スポーツアイランド宮古島」の足掛かりとなる「スポーツアイランド構想」を策定した。
長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉… 長谷川 慶太郎(はせがわ けいたろう、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2019年〈令和元年〉9月3日)は、日本の経済評論家。日本個人投資家協会初代理事長。 主な評論の対象は時事の経済評論の他、国内政治評論、国際政治、国際経済、軍事関係等である。国際経済・政治評論に製鉄・金属加工の切り口からの分析を加えている。 京都府出身。大阪府立茨木中学校(旧制中学校)大阪高等学校 (旧制)(後の大阪大学一般教養部南校)を経て大阪大学工学部冶金学科に入学し1953年(昭和28年)卒業。日本共産党に入党、「国際派」に属した志賀義雄衆議院議員秘書。1955年から1963年まで日刊産業新聞記者を経て、1963年に経済評論家として独立し、証券アナリスト業、評論家業を営み、著述や朝の情報番組へのテレビ出演なども行う。
古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11… 古田 足日(ふるた たるひ、男性、1927年〈昭和2年〉11月29日 - 2014年〈平成26年〉6月8日)は、日本の評論家、児童文学作家。本名同じ。 父は国文学者の古田拡、東京大学教授を務めた国文学者・古田東朔は兄。早稲田大学第一文学部露文科在学中、早大童話会にて鳥越信らと『少年文学宣言』を草案・発表。その後中退。児童文学の評論、創作など多様な活動を続けた。 1960年(昭和35年)『現代児童文学論』第9回日本児童文学者協会新人賞。1967年(昭和42年)『宿題ひきうけ株式会社』第7回日本児童文学者協会賞。 愛媛県川之江町(現:四国中央市)にて、1927年(昭和2年)八人兄弟の三男として生まれる。
涌井 昭治(わくい しょうじ、1927年11月29日 - 2… 涌井 昭治(わくい しょうじ、1927年11月29日 - 2012年7月5日)は、日本の新聞記者、ジャーナリスト。九州朝日放送の社長も務めた。 神奈川県横浜市出身。1953年に東京大学文学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。朝日新聞社では、週刊朝日編集長、取締役などを歴任した。 1989年6月に九州朝日放送専務に就任し副社長を経て、1991年6月から1997年6月までに社長を務め、1997年6月から会長を務めた。 日本雑誌協会の常務理事、理事を歴任した。 2012年7月5日老衰のために死去。84歳没。 著書に「イッピー番外地 アメリカのかくれた顔」と「東京新誌 山手線いまとむかし」がある。
有吉 煕(ありよし ひろし、1927年(昭和2年)11月28… 有吉 煕(ありよし ひろし、1927年(昭和2年)11月28日 - 2009年(平成21年)6月29日)は、日本の実業家。有吉義弥の次男で、元・三菱重工業常務である。 祖父は内務官僚で貴族院議員を務めた有吉忠一、父・義弥は忠一の長男で元日本郵船社長。初代中国大使の有吉明と元尼崎市長の有吉実はともに大叔父。忠一の長女は政治家の山崎巌に、三女は元建設事務次官の柴田達夫に、四女は元日本電信電話公社総裁の米澤滋に、五女は川上嘉市の次男で東宝アドセンター社長を務めた川上流二に嫁いでいるため、山崎・柴田・米澤・流二はいずれも煕の義叔父にあたる。川上嘉市の後妻(旧姓・中島)は天文学者・寺尾寿の後妻(旧姓・大野)の姪にあたるため、有吉家は川上家・中島家・大野家を通じて寺尾家とも姻戚関係で結ばれているといえる。
真野 岩夫(まの いわお、1927年(昭和2年)11月28日… 真野 岩夫(まの いわお、1927年(昭和2年)11月28日 - 2014年5月27日)は日本の画家。京都市立芸術大学名誉教授、国画会会員。抽象絵画を得意とした。正四位。 京都府出身、京都市立美術大学卒業。1953年より京都市立芸術大学で教鞭をとり1988年(昭和63年)から1992年(平成4年)までの4年間、大学院美術研究科長を務めロイヤル・カレッジ・オブ・アートとの間の交流協定締結に力を尽くした。1993年(平成5年)3月に退職。同年4月から同大名誉教授。2007年(平成19年)に瑞宝中綬章を受章した。 2009年(平成21年)、京都市在住の長男より滋賀県長浜市に抽象画14点が寄贈された。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
伊従 寛(いより ひろし、1927年(昭和2年)11月28日… 伊従 寛(いより ひろし、1927年(昭和2年)11月28日 - 2020年(令和2年)6月29日)は、日本の元公正取引官僚、弁護士。元公正取引委員会委員。シティユーワ法律事務所顧問(オフ・カウンセル)。勲二等瑞宝章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
門脇 三郎(、1927年〈昭和2年〉11月28日 - )は、… 門脇 三郎(、1927年〈昭和2年〉11月28日 - )は、日本の元俳優。東京市(現:東京都)出身。日本映画俳優学校卒。東宝を経て、新星プログループに所属していた。 書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、大塚秀男や宇留木 耕嗣に並ぶ地味な俳優と評している。 2016年から映像コンテンツ権利処理機構に連絡のとれない権利者として掲載されている。
小南武朗(こみなみ たけろう、1927年(昭和2年)11月2… 小南武朗(こみなみ たけろう、1927年(昭和2年)11月28日 - 2017年(平成29年)7月10日)は、日本の劇作家。テレビ草創期のドラマ演出家。元小樽短期大学学長。 北海道函館市出身。1953年北海道大学文学部卒業。1953年(昭和28年)北海道放送(HBC)に入社。ラジオドラマの作・演出に携わる。同社がテレビを開局するとテレビドラマに移り、TBS系「東芝日曜劇場」の同社制作第1作となる「北緯四十三度」を全編生放送で演出する。以後、北海道の風土を背景にしたドラマ制作の基礎を築く。小南に師事した演出家には守分寿男がいる。1982年定年退職。 1983年北海道大学や藤女子大学で講師(1994年まで)。
奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26… 奥田 敬和(おくだ けいわ、1927年(昭和2年)11月26日 - 1998年(平成10年)7月16日)は、日本の政治家。位階は正三位。 石川県議会議員(1期)、衆議院議員(10期)、郵政大臣(第44代)、自治大臣(第40代)、国家公安委員会委員長(第50代)、運輸大臣(第65代)を歴任。自由民主党所属時代は「竹下派七奉行」の1人。 石川県石川郡美川町(現・白山市)出身。 旧制石川県立金沢第一中学校(現石川県立金沢泉丘高等学校)で学ぶ。陸軍予科士官学校で久保亘、伊藤茂、高沢寅男らと同期。旧制第四高等学校卒業。1948年、早稲田大学政治経済学部に入学。早大時代はレスリング部に所属し、小柄ながら戦闘的な性格と行動力を培った。
樋口 敬二(ひぐち けいじ、1927年11月26日 - 20… 樋口 敬二(ひぐち けいじ、1927年11月26日 - 2018年10月19日)は、日本の雪氷物理学者、名古屋大学名誉教授。 朝鮮半島(現在の韓国)の木浦で生まれ、京都で育つ。第三高等学校時代に氷の実験を試み、1949年、中谷宇吉郎に師事するために北海道大学に入学、1952年北海道大学理学部卒、1955年同大学院研究奨学生前期修了。1960年理学博士。1961年北大理学部助教授。航空機を使って石狩平野の降雪雲を観測し「紙の雪」の撒布実験などを行う。1966年名古屋大学理学部教授。現地調査・航空機によって雪渓・氷河・永久凍土などを観測し、地球温暖化の影響に関する先駆的研究を進めた。1973年『地球からの発想』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
大桐 國光(おおぎり くにみつ、1927年(昭和2年)11月… 大桐 國光(おおぎり くにみつ、1927年(昭和2年)11月25日- 2008年(平成20年)4月28日)は、日本の芸術家である。代表彫刻「夏」が参議院議長公舎へ飾られている。兵庫県姫路市出身。 1927年(昭和2年)兵庫県姫路市に生れる。幼い頃、一家で岡山県新見市へ移住する。その後、第二次世界大戦中に徴兵され従軍する。終戦後、岡山県立高梁高等学校へ編入する。ここで高校の美術教師の影響から芸術に目覚める。1951年(昭和26年)高梁高校を卒業後、約2年間働きながら進級するための学費を貯めた。 そして1953年(昭和28年)大桐に転機が訪れる。この年新たに岡山大学教育学部特設美術科が創設され、地元の大学である岡山大学特設美術科1期生として入学する。
岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11… 岩澤 重夫(いわさわ しげお、1927年 <昭和2年> 11月25日 - 2009年 <平成21年> 11月7日)は、日本の画家、日本芸術院会員、文化功労者。位階は正四位。旭日重光章。 大分県日田市出身。京都府京都市に在住していた。大分県立日田中学校、京都市立美術専門学校卒。 1927年に現在の大分県日田市豆田町に生まれる。幼少の頃は、学校に行く前に魚釣りのに行くほど川が大好きな少年だった。晩年水辺に緑の山や季節の花を描いた小品を制作したが、それは全て魚釣りをするときの視点に基づいている。14歳の時に真珠湾攻撃が勃発、父親の勧めで17歳にして自ら入隊を志願。終戦までの1年5ヶ月の間に滋賀県で訓練を受けた後、盛岡、福生、万世、横田と日本各地を転々と移動。
松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 201… 松井 旭(まつい あさひ、1927年11月24日 - 2012年2月21日)は、日本の官僚、政治家。第18代~23代千葉市長(在任期間 1977年 - 2001年(六期))。北海道旭川市生まれ、広島県広島市育ち。
小林 登(こばやし のぼる、1927年11月23日 - 20… 小林 登(こばやし のぼる、1927年11月23日 - 2019年12月26日)は、日本の医学者・小児科医。東京大学医学部教授を経て、東京大学名誉教授、国立小児病院名誉院長。学位は、医学博士。 東京府生まれ。父は日本画家の小林巣居人。東京府立第十九中学校を4年修了し、1945年に海軍兵学校(75期)を卒業。第一高等学校理科甲類を経て、1954年東京大学医学部医学科卒業。米国・英国留学後大学に戻り、1970年東京大学医学部小児科学教授。1980年国際小児科学会会長。1984年国立小児病院小児医療研究センター初代センター長。1988年東京大学名誉教授。1987年から1996年3月まで国立小児病院(現:国立成育医療センター)院長。
佐藤 仁(さとう ひとし、1927年11月23日 - 202… 佐藤 仁(さとう ひとし、1927年11月23日 - 2020年10月1日)は、日本の中国哲学者、広島大学名誉教授。専門は朱子。 大分県生まれ。1953年九州大学文学部中国哲学科卒、久留米工業高等専門学校助教授、1970年九州大学教養部助教授、広島大学文学部助教授をへて、教授。91年定年退官、名誉教授。
阪下 圭八(さかした けいはち、1927年11月23日 - … 阪下 圭八(さかした けいはち、1927年11月23日 - 2012年)は、日本文学研究者、東京経済大学名誉教授。専門は古代日本文学。 東京生まれ。1950年、鎌倉アカデミア文学科卒業。1953年、法政大学文学部日本文学科卒業。1953年からの日本文学協会勤務を経て、1959年に法政大学文学部助手。1962年、法政大学大学院博士課程単位取得満期退学。西郷信綱に師事。1963年、東京経済大学専任講師。1966年、助教授を経て、1972年に教授。1998年、定年退職、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
長谷 和夫(はせ かずお、1927年11月21日 - 没年不… 長谷 和夫(はせ かずお、1927年11月21日 - 没年不明)は、日本の映画監督。 東京市出身。1951年法政大学文学部卒業、52年松竹京都撮影所監督部入所、助監督として酒井辰雄、大曾根辰夫につき、溝口健二の教えを受ける。『海猫が飛んで』などのシナリオを執筆。64年松竹大船に移り、65年監督昇進。『その口紅が憎い』でデビュー。倍賞千恵子、三田佳子ら主演の映画を監督したあと、『戦いすんで日が暮れて』など松竹製作のテレビ映画中心に移行、『必殺仕掛人』『科学捜査官』『甘ったれるな』などを演出。76年フリーとなり、テレビのシリーズもの、2時間ドラマを手がけ、『無人霊柩車殺人事件』(1980、テレビ朝日)『女弁護士 朝吹里矢子 レイプされた恋人』『どたん場で第三の男』などを演出。
上沼 八郎(かみぬま はちろう、1927年11月20日 - … 上沼 八郎(かみぬま はちろう、1927年11月20日 - )は、日本の教育学者。筆名・伊那竜平。 長野県下伊那郡市田村(現高森町)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、名古屋大学教育学部卒、1956年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、1965年「信州教育史の研究 地方教育史研究序説」で名古屋大学より教育学博士の学位を取得。名大助手、沖縄国際大学助教授、信州大学助教授、東京女子体育大学講師、実践女子大学助教授、奈良教育大学教授、1990年高千穂商科大学教授。1998年定年退任。上沼真平の叔父にあたる。
12代 下村 正太郎(しもむら しょうたろう、1927年(昭… 12代 下村 正太郎(しもむら しょうたろう、1927年(昭和2年)11月20日 - 2007年(平成19年)5月13日)は、日本の実業家。大丸社長・会長。 京都府出身。大丸の創業家12代目当主。府立一中を経て、大阪大学経済学部を卒業。 1951年、大丸の主力行である三菱銀行に入行。ニューヨーク支店などに勤務。1965年に大丸に転じ、取締役となり、常務、専務を経て、1984年に社長に就いた。 梅田店出店のため、社長就任直前の1984年2月期に大丸は赤字決算に転落した。しかし、就任直後の1984年上半期(3~8月)の売上高は前年同期の7%増となった。このまま業績を回復軌道に乗せるため、1万人の労使あげて、サービス向上の「スクラム10,000運動」を始めた。
古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1… 古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1998年12月30日)は日本の文芸評論家。本名の読み方は「ひさし」。 広島県府中町に生まれる。海軍小学校、県立府中中学校(現・広島県立府中高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)理科乙類卒業。1950年、早稲田大学露文科入学。同年、早稲田大学10月闘争に立会い、1952年には10月闘争の記録『真実のあかしのために』を日高書店から刊行した。1953年、日本近代文学研究所の所員となる。1954年早稲田大学を卒業。 高校で国語教師を務め、また大学で近現代文学を教える傍ら、主としてマルクス主義・戦後民主主義の立場から戦後日本文学を研究し、文芸評論を発表。
高野 喜久雄(たかの きくお、1927年(昭和2年)11月2… 高野 喜久雄(たかの きくお、1927年(昭和2年)11月20日 - 2006年(平成18年)5月1日)は日本の詩人、数学者。新潟県佐渡出身。 宇都宮農専卒。神奈川県立高等学校教諭(数学)を勤めていた。2006年5月1日、神奈川県鎌倉市の自宅にて死去。 長男高野明彦は国立情報学研究所教授。 荒地同人に参加。詩集はイタリア語にも訳され、高い評価を得ている。現代日本の代表的な合唱曲の一つ「水のいのち」(高田三郎作曲)などの作詞でも知られる。北園克衛の詩誌『VOU』にも参加した。 数学関連では「πのarctangent relationsを求めて」(bit、1983年4月号、83-91ページ)を著している。
井関 昌孝(いぜき まさたか、1927年11月19日 - 2… 井関 昌孝(いぜき まさたか、1927年11月19日 - 2006年5月11日)は、日本の経営者。井関農機社長を務めた。 愛媛県出身。1945年に立命館第一中学校を中退し、同年8月に井関農機に入社。1955年1月に監査役に就任し、1956年1月に取締役、1957年11月に常務、1960年11月に専務、1976年3月に副社長を経て、1977年12月には社長に就任。1988年2月に会長に就任し、1992年12月から相談役を務めた。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 2006年5月11日食道がんのために死去。78歳没。
金関 恕(かなせき ひろし、1927年11月19日 - 20… 金関 恕(かなせき ひろし、1927年11月19日 - 2018年3月13日)は、日本の考古学者。天理大学名誉教授。 1927年、京都市で生まれた。1936年、医学博士で考古学の研究にも大きな業績を残した父親金関丈夫の台北帝国大学教授就任に伴い、一家で台北に転居。石器採集をはじめ、父親の考古学発掘調査を手伝ううちに、その面白さに魅了された。 1945年、終戦に伴い日本に帰国。旧制松江高等学校を経て、1949年に京都大学文学部に入学。考古学専攻で梅原末治、小林行雄に師事した。1953年に卒業し、同大学大学院に進んだ。大学院進学と共に、先輩であった坪井清足の勧めで奈良国立文化財研究所臨時筆生となり、奈良県飛鳥寺、大阪市四天王寺の発掘調査に従事。
森﨑 東(もりさき あずま、1927年11月19日 - 20… 森﨑 東(もりさき あずま、1927年11月19日 - 2020年7月16日)は、日本の映画監督、脚本家である。 1927年11月19日、長崎県島原市に生まれる。京都大学法学部を卒業。 1956年、松竹京都撮影所に入社する。 1965年、大船撮影所に移籍し、野村芳太郎監督や山田洋次監督の助監督、脚本を手がける。 1969年、『喜劇 女は度胸』で監督デビュー。以降、『男はつらいよ フーテンの寅』をはじめとする喜劇を撮り続ける。 1971年、一連の作品により、芸術選奨新人賞を受賞する。 1974年、フリーとなる。 1977年、居酒屋で口論となった学生の伊藤裕一を『黒木太郎の愛と冒険』の脚本製作に誘い、映画監督を目指す青年「伊藤銃一」役としても起用し、制作。
渡部 周治(わたなべ しゅうじ、1927年 <昭和2年> 1… 渡部 周治(わたなべ しゅうじ、1927年 <昭和2年> 11月19日 - 2016年 <平成28年> 9月14日)は、日本の経営者。国税庁長官、関西電力副社長を務めた。位階は正四位。 兵庫県出身。1950年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1980年6月から1982年6月までに国税庁長官を務めた。国民金融公庫副総裁を経て、1985年に関西電力顧問に就任し、常務、専務を経て、1991年6月には副社長に昇格した。1995年6月に関電産業社長に就任。。 2001年11月に勲二等旭日重光章を受章。。 2016年9月14日、肺炎のために死去。88歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
吉田川 清四郎(よしだがわ せいしろう、1927年11月19… 吉田川 清四郎(よしだがわ せいしろう、1927年11月19日 - 没年不明 )は、山梨県富士吉田市出身(出生地は東京都八王子市横山町)で時津風部屋(入門時は音羽山部屋)に所属した大相撲力士。本名は真田 征四郎(さなだ せいしろう)。最高位は西前頭13枚目(1952年9月場所)。現役時代の体格は171cm、105kg。得意手は左四つ、寄り、押し。 13歳の時、元前頭2枚目・白岩が率いる音羽山部屋に入門し、1941年5月場所で初土俵を踏んだ。その後、師匠・音羽山が部屋経営から手を引いた事に伴い、1945年より双葉山道場(後の時津風部屋)へ移籍。 1949年10月場所で新十両に進み、その際に四股名を、本名でもある「真田」から郷土の地名に因んだ「吉田川」へ改めている。
高草木 昭允(たかくさぎ てるちか、1927年〈昭和2年〉1… 高草木 昭允(たかくさぎ てるちか、1927年〈昭和2年〉11月18日 - 1994年〈平成6年〉8月15日)は、日本の作詞家。群馬県桐生市出身。 1927年(昭和2年)、桐生市に生まれる。桐生高等工業学校附属商工専修学校を経て、関東短期大学英文科を卒業。桐生市役所に入庁し総務課へ配属された。公務員としての職務の傍ら作詞に取り組み、教育委員会社会教育課長在職時の1968年(昭和43年)に県が明治百年を記念して実施した3代目県民歌の一般公募で応募作が入選する。これ以降、一般公募や直接の依頼を受けて県内の複数の小中学校で校歌を作詞した。 桐生市立中央公民館長兼青少年センター長、市議会事務局長を経て市総務課長に至る。
大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月1… 大橋 幸雄(おおはし ゆきお、1927年(昭和2年)11月18日 - 2020年(令和2年)8月20日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(2期)。 現在の茨城県取手市に生まれる。1945年茨城県立取手園芸学校(現・茨城県立取手第一高等学校)卒。取手市議会議員を経て、茨城県議会議員に当選(自由民主党)。5期務め、県議会副議長を務めた。1995年取手市長に当選。1999年に再選。2003年に元取手市職員の塚本光男に敗れた。2020年に死去した。
井上 裕(いのうえ ゆたか、1927年〈昭和2年〉11月17… 井上 裕(いのうえ ゆたか、1927年〈昭和2年〉11月17日 - 2008年〈平成20年〉6月22日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等、勲章は桐花大綬章。 参議院議長(第23・24代)、文部大臣(第115代)、参議院予算委員長、自由民主党参議院議員会長(第22代)、参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、千葉県議会議員(3期)等を歴任した。 千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校(現成田高等学校)、旧制東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業して、六合村に歯科医院を開業する。1963年、千葉県議会議員選挙に出馬し、初当選した。以後、3期連続当選。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に無所属で旧千葉2区(定数4)から立候補したが、次点で落選。
緒方 四十郎(おがた しじゅうろう、1927年(昭和2年)1… 緒方 四十郎(おがた しじゅうろう、1927年(昭和2年)11月16日 - 2014年(平成26年)4月14日)は、日本の銀行家。 日本銀行理事、日本開発銀行副総裁などを歴任した。 1927年、東京府にて緒方竹虎の三男として生まれた。 東京女子高等師範学校付属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)、成蹊小学校、旧制・成蹊高等学校(文科乙類)を経て、1950年に東京大学法学部を卒業した。同年、日本銀行に入行した。 日本銀行においては、アメリカ合衆国研修にて1954年にフレッチャー法律外交大学院の修士課程を修了し、ロンドン駐在などを経て、1971年に岡山支店の支店長に就任した。同年8月のニクソン・ショックの際には、外国局の総務課にて課長を務めており、混乱する市場への対処にあたった。
日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- … 日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- 2017年12月30日)は、日本の音楽評論家、ジャーナリスト、合唱指揮者。京都府京都市生まれ。元朝日放送解説委員で同局のニュース番組『たいむ6』初代キャスターを務めた。 音楽評論家として関西を中心としたクラシック音楽の評論・講義、演奏会の企画・司会進行、合唱にまつわる客演指揮・コンクール審査・執筆などの活動も展開。
森 正洋(もり まさひろ、1927年11月14日 - 200… 森 正洋(もり まさひろ、1927年11月14日 - 2005年11月12日)は日本の陶磁器デザイナー。 「日常の生活で使う器を考え、形を創り工場で生産することにより、多くの人々とともに共有し生活することに、デザインの喜びを感じる」というデザインポリシーにもとづき、戦後日本の生活を見つめた食器のデザインを、考え、作り続けたデザイナーである。 生涯で110を超えるGマーク選定作品がある。 1958年に森がデザインした<G型しょうゆさし>は、1960年に第1回グッドデザイン賞(Gマーク選定)を受賞、1977年にはGマークロングライフデザイン賞を受賞し、以来今日まで(2011年11月22日現在)生産販売が続くロングライフ製品である。
谷山 豊(たにやま とよ〈ゆたか〉 、1927年〈昭和2年〉… 谷山 豊(たにやま とよ〈ゆたか〉 、1927年〈昭和2年〉11月12日 - 1958年〈昭和33年〉11月17日)は、日本の数学者。理学博士。 埼玉県北埼玉郡騎西町(現在の加須市騎西地域)出身。開業医の家庭に、八人兄弟の六番目として生まれる。 旧制埼玉県立不動岡中学校(現在の埼玉県立不動岡高等学校)を経て、旧制浦和高等学校(現在の埼玉大学)に進学。身体が弱かったため2年休学して1950年に卒業。この頃に高木貞治の『近世数学史談』を読み、数学者を志すようになる。 その後、東京大学理学部数学科、同助手を経て、1958年に東京大学助教授に就任。同年5月、理学博士(東京大学。学位論文の題は『Jacobian varieties and number fields』)。
飛田 武幸(ひだ たけゆき、1927年11月12日 - 20… 飛田 武幸(ひだ たけゆき、1927年11月12日 - 2017年12月29日)は、日本の数学者。専門は、確率論、関数解析学。名古屋大学名誉教授。名城大学名誉教授。 ホワイトノイズ解析の基礎を確立。確率過程論国際学会会長、国際研究発表ジャーナル「Infinite dimensional Analysis, Quantum Probability and Related Topics」の編集長等を務めた。
高瀬 広居(たかせ ひろい、1927年11月11日 - 20… 高瀬 広居(たかせ ひろい、1927年11月11日 - 2006年5月28日)は日本の宗教家。 東京の浄土宗の寺に生まれる。昭和18年(1943年)に僧侶資格を得る。 東京都立第七中学校を経て早稲田大学第一文学部(西洋哲学および国文学専攻)を卒業後、日本放送協会(NHK)に入局、「国会討論会」他、政治・社会番組のプロデューサーを務める。 その後ニュースキャスター、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)常務取締役、放送批評懇談会理事長、講話塾「全国疏石会」会主。拓殖大学客員教授、拓殖大学理事。 創価学会・公明党の支持者であり、天皇崇拝家でもあった。 昭和62年(1987年)から、テレビ東京系『レディス4』(のちの『L4 YOU!』)で毎月最終金曜日の「月末対談」(12月の月末対談のみ「年末対談」と改題)に出演していた。
宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月… 宮下 創平(みやした そうへい、1927年〈昭和2年〉11月10日 - 2013年〈平成25年〉10月7日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は正三位。 厚生大臣(第81代)、環境庁長官(第31代)、防衛庁長官(第51代)、衆議院議員(8期)を歴任した。 長男は第68代農林水産大臣の宮下一郎。 長野県上伊那郡伊那里村(現伊那市長谷市野瀬)の農家に生まれる。旧制伊那中学(現伊那北高等学校)から陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校に進むが、第二次世界大戦敗戦により旧制松本高等学校に入学。1953年に東京大学法学部(東洋政治思想史:丸山ゼミ)を卒業し、大蔵省に入省する。入省同期に、吉野良彦(元大蔵次官、主計局長)、津島雄二、水野繁(元国税庁長官)、大場智満(元財務官)、宮本保孝(元理財局長、銀行局長)らがいる。
藤原 哲太郎(ふじわら てつたろう、1927年11月10日 … 藤原 哲太郎(ふじわら てつたろう、1927年11月10日 - 2016年2月28日)は、日本の政治家。民社党衆議院議員(1期)。杉並区議の木梨盛祥は甥。 静岡県出身。1955年中央大学経済学部修了。日本社会党に入り、党職員を務めた後、民主社会党に転じる。民社党都議会議員を経て、1983年の第37回衆議院議員総選挙に東京都第4区から民社党公認で立候補して当選。1期務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選した。 政界引退後、財団法人東京都軟式野球連盟のちの公益財団法人東京都軟式野球連盟副会長を経て顧問。荻窪中央町会長、杉並区軟式野球連盟会長、杉並区体育協会会長に就任。荻窪青少年育成委員会会長にも就任し、荻窪少年野球大会を通じて青少年の健全育成に尽力したため、藤原哲太郎の名前を末永く継承すべく、平成28年までに2度にわたり荻窪地区少年野球大会では小学生高学年の部の優勝トロフィーとして、「藤原哲太郎杯」が贈呈されている。
江藤 俊哉(えとう としや、1927年〈昭和2年〉11月9日… 江藤 俊哉(えとう としや、1927年〈昭和2年〉11月9日 - 2008年〈平成20年〉1月22日)は、東京都豊島区生まれのヴァイオリニストである。従四位旭日中綬章。国内外で活発な演奏活動を行ったほか、指導者としても多大な功績を残した。妻は、同じくヴァイオリニストの江藤アンジェラ。 1927年、父俊明、母たかの第2子(長男)として生まれた。父の俊明はNHK教養課職員。「俊哉」の名前は、父が「あやかるように」と、アウアー門下のトーシャ・ザイデルの名にちなんで付けた。1932年、4歳の時に父に連れられ鈴木鎮一を訪れ、鈴木に師事する。これを契機にスズキ・メソードが誕生したと言われ、江藤俊哉は「才能教育第1号」と呼ばれる。
浦井 洋(うらい よう、1927年11月8日 - 2015年… 浦井 洋(うらい よう、1927年11月8日 - 2015年4月30日)は、日本の政治家、医師。元衆議院議員(日本共産党公認、7期)・党兵庫県委員。 東神戸病院名誉院長、兵庫県民医連会長を歴任。 兵庫県神戸市出身。神戸医科大学(現・神戸大学医学部)卒業後、東神戸診療所長、東神戸病院院長をへて、1969年の第32回衆議院議員総選挙に兵庫県第1区(神戸市全域)から初当選。その後連続7選するものの、1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選。 議員在任中はアスベスト問題や乳幼児医療費無料化などに取り組む。衆議院議員落選後は医療現場に戻り、港湾労働者への診療を行っていた。2015年4月30日、呼吸不全のため死去。
篠崎 昭彦(しのさき あきひこ、1927年11月8日 - 2… 篠崎 昭彦(しのさき あきひこ、1927年11月8日 - 2024年2月4日)は、日本の経営者。住友金属鉱山社長、会長を務めた。 北海道出身。1952年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に別子銅山(のちの住友金属鉱山)に入社。1979年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1988年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、1998年6月から相談役を務めた。 1999年4月に勲二等旭日重光章を受章した。 2024年2月4日午後5時40分、病気のため死去。96歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年〈昭和2年〉11月7… 森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年〈昭和2年〉11月7日 - 2021年〈令和3年〉10月14日)は、日本の労働官僚、政治家。位階は正三位。旧姓名は古川 眞弓。 労働省婦人少年局長、参議院議員(3期)、衆議院議員(4期)、環境庁長官、内閣官房長官(女性初)、文部大臣、法務大臣、白鷗大学学長(2007年2月 - 2013年3月)などを歴任した。 北海道硫黄株式会社社長の古川俊雄の三人姉妹の長女として生まれた。津田塾専門学校外国語学科(現・津田塾大学)へ入学。極東国際軍事裁判において翻訳のアルバイトをしていた。津田塾専門学校を卒業後、女性として初めて東京帝国大学法学部法律学科(現在の東京大学法学部)へ入学(同期東大入学に中根千枝がいる)。
森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年(昭和2年)11月7… 森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年(昭和2年)11月7日 - )は、日本の元官僚(労働官僚)、元政治家。旧姓名は古川 眞弓。
石川実(いしかわ みのる、1927年〈昭和2年〉11月7日 … 石川実(いしかわ みのる、1927年〈昭和2年〉11月7日 - 2021年〈令和3年〉11月29日)は、日本の英文学者、慶應義塾大学名誉教授。シェイクスピアを専門とした。 茨城県生まれ。慶應義塾大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了。1963年同助手、1967年同工学部講師、1971年助教授、1978年教授。1993年定年、名誉教授、東京家政学院大学教授。 2021年11月29日、心不全のため死去。94歳没。
小林勝(こばやし まさる、1927年11月7日 - 1971… 小林勝(こばやし まさる、1927年11月7日 - 1971年3月25日)は、日本の小説家である。代表作に『断層地帯』『蹄の割れたもの』、戯曲『檻』などがある。早稲田大学露文科中退。 日本統治時代の朝鮮慶尚南道の晋州に生まれた。父は朝鮮で農林学校の生物教師をしていた。小林は植民者の息子として朝鮮で育ち、1944年大邱中学校4年修了時点で、陸軍予科士官学校に入学した。1945年3月には特攻要員として陸軍航空士官学校に入学。敗戦によって復員した小林は、1948年に日本共産党に入党し、50年代の日本共産党が分裂抗争した時期には、徳田球一率いるいわゆる所感派に属して「火炎瓶闘争」に加わって逮捕される。その経験をもとに書いたものが、代表作である『断層地帯』である。
山内 溥(やまうち ひろし、1927年〈昭和2年〉11月7日… 山内 溥(やまうち ひろし、1927年〈昭和2年〉11月7日 - 2013年〈平成25年〉9月19日)は、日本の実業家。出生名は山内 博(読みは同じ)。 玩具メーカーの任天堂株式会社代表取締役社長(個人商店の山内房治郎商店より数えて第3代、1949年 - 2002年)、同社取締役相談役(2002年 - 2005年)を経て、晩年まで同社の相談役を担った。 若かりし頃からアイデアマンとして、トランプ製造業だった任天堂を業界トップに躍進させ、電子ゲームによって世界的な企業に押し上げた中興の祖として活躍した。 その一方で、チャレンジ精神も旺盛であったことから、多角経営に失敗するなどの経験もしており、ソニーやスクウェアとの契約を巡ってトップ陥落するなどの大きな失敗も見られた。
川上 宏昭(かわかみ ひろあき、1927年11月6日 - )… 川上 宏昭(かわかみ ひろあき、1927年11月6日 - )は、日本の作詞家。別名義に日野 あきら(ひの あきら)がある。 茨城県水戸市出身。旧制土浦中学校(現在の茨城県立土浦第一高等学校)を経て1948年(昭和23年)に明治学院専門学校(現在の明治学院大学)を卒業。茨城県内の中学校・高等学校で教諭を務める。1963年(昭和38年)、県が歌詞を公募した「茨城県民の歌」で応募作が入選。これ以後も第29回茨城国体記念の国体音頭や県内の校歌・幼稚園の園歌などの作詞を多数手掛けている。 1964年(昭和39年)に茨城県庁へ入庁し、教育庁社会教育課主事・県立水戸青年の家所長・県立社会教育研修センター所長等を経て1982年(昭和57年)に社会教育課長へ至る。
吉田 寛(よしだ ひろし、1927年11月6日 - 2023… 吉田 寛(よしだ ひろし、1927年11月6日 - 2023年5月14日)は、日本の会計学者、兵庫県立大学名誉教授。 大阪市生まれ。1949年兵庫県立神戸経済専門学校(現・兵庫県立大学)卒業 (西洋経済史専攻)。1956年同志社大学商学部卒業(会計学専攻)、1958年神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了、大分大学経済学部専任講師(会計学)、1960年兵庫県立神戸商科大学商経学部専任講師、1962年助教授、1968年教授。1988年神戸商科大学を退任、名誉教授、流通科学大学商学部教授、1992年商学部長、1996年九州産業大学経営学部教授。 1966年日本会計研究学会賞受賞(受賞論文「会計における集合と同質性」『会計』1965年12月号)、シアトルのワシントン大学客員助教授、1970年「企業会計の基礎理論に関する情報論的研究」で経営学博士(神戸大学)。