新関 公子(にいぜき きみこ、1940年10月10日 - )… 新関 公子(にいぜき きみこ、1940年10月10日 - )は、日本の美術史学者、東京藝術大学名誉教授。 1940年新潟県長岡市生まれ。1959年新潟県立柏崎高等学校卒業。1963年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。1965年同大学院修士課程修了、東京芸大付属芸術資料館(現東京芸術大学美術館)に勤務(-1974年)。 1968年フランス政府給費留学生としてエコール・デュ・ルーヴルで博物館学研修を受ける。1982-1987年横浜市美術館開設準備室勤務。2002年東京芸大美術館教授、2008年退任、名誉教授。2012年『ゴッホ 契約の兄弟』で吉田秀和賞受賞。
早田 卓次(はやた たくじ、1940年10月10日 - )は… 早田 卓次(はやた たくじ、1940年10月10日 - )は、和歌山県田辺市出身のオリンピック体操金メダリスト。日本大学名誉教授。元日本大学文理学部体育学科教授。1964年東京オリンピック体操男子つり輪、男子団体の金メダリストで、現在は日本オリンピック委員会理事、日本オリンピアンズ協会の理事長を務める。 1959年 - 和歌山県立田辺高等学校卒業。1963年 - 日本大学文理学部卒業。 1964年 - 東京オリンピック男子団体総合、つり輪で金メダルを獲得した。 1970年 - リュブリャナ世界選手権(ユーゴスラビア)男子団体総合で金メダル、鉄棒で銅メダルを獲得した。 1989年 - 日本大学文理学部教授となった。
丹羽 洋介(にわ ようすけ、1940年10月10日 - )は… 丹羽 洋介(にわ ようすけ、1940年10月10日 - )は、中国上海市生まれ、広島県広島市出身の元サッカー日本代表選手・指導者。 3人兄弟の末っ子。父親は上水道技師で、上海で、のち広島で水道事業に関わっている。そのため上海で生まれ、1944年4歳の時から広島で生活し、太平洋戦争末期に愛知県江南市に疎開していた。そのため広島市への原子爆弾投下からは逃れている。ただ父親は当時広島で働いており、被爆者となってしまった。 広島に戻り広島大学附属小学校へ進学するとサッカーを始める。小学校の1学年上が鬼武健二、1学年下が桑田隆幸と野村尊敬、2学年下が小城得達になる。その後広島大学附属中学校・高等学校と上がる。
石井 郁子(いしい いくこ、1940年10月10日 - )は… 石井 郁子(いしい いくこ、1940年10月10日 - )は、日本の政治家・教育学者。日本共産党名誉役員。元衆議院議員(5期)、党中央委員会幹部会副委員長、常任幹部会委員、北京オリンピックを支援する議員の会メンバー。
長倉 久子(ながくら ひさこ、1940年10月10日 - 2… 長倉 久子(ながくら ひさこ、1940年10月10日 - 2008年1月11日)は、日本の宗教哲学者、キリスト教神学者。専門は西洋中世哲学史、特にトマス・アクィナスとボナヴェントゥラ。南山大学名誉教授。 1940年に静岡市に生まれる。1959年、静岡県立静岡高等学校卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。南山大学人文学部キリスト教学科教授。ストラスブール大学宗教学博士・神学博士。 2008年1月11日、膵臓がんにより死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平田 翼(ひらた よく、1940年10月9日 - 2012年… 平田 翼(ひらた よく、1940年10月9日 - 2012年12月30日)は、日本のスポーツジャーナリスト(スポーツライター)。企画つばさ社長。東京都港区出身。 主に日本プロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)専門に活動。 学習院高等科三年、夏の甲子園の東京都予選大会で早稲田実業のエースピッチャー王貞治に3打数3三振に抑えられ野球を断念。 その後、巨人へ入団した王を取材しようと、1963年に学習院大学を卒業後、報知新聞社へ入社。報知新聞(現:スポーツ報知)の記者となり、巨人の番記者として活躍した後、月刊ジャイアンツ編集長を務め、フリーとなる。1980年代前半頃から2004年頃まで、ラジオ日本ジャイアンツナイターの解説者をはじめ、テレビやラジオの放送メディアにおいても活動した。
秋山 賢三(あきやま けんぞう、1940年10月9日 - 2… 秋山 賢三(あきやま けんぞう、1940年10月9日 - 2025年9月?日 )は日本の元裁判官、弁護士。東京大学法学部卒。冤罪問題の研究者として知られる。 本人が「下級審で死刑の判決を下された被告人が最高裁判所の審理で無罪となった松川事件に感銘を受け、裁判官に憧れるようになった」と述べているとおり、誤判・冤罪の防止を信念として抱いており、弁護士を始めてからは刑事の分野で多くの否認事件の弁護に携わっている。また、裁判官であった時代から、「疑わしきは被告人の利益に」の原則を忠実に守るように努めてきたと自負している。実際に、徳島ラジオ商殺し事件に関して被告人の遺族からの再審の請求を認め、雪冤の一端を担った。
菅原 鬨也(すがわら ときや、1940年10月8日- )は、… 菅原 鬨也(すがわら ときや、1940年10月8日- )は、俳人。 宮城県仙台市生まれ。東北学院大学卒。俳誌「滝」主宰。1974年、藤田湘子の「鷹」入会、76年「鷹」同人。91年「槐」創刊同人。92年「滝」創刊主宰。93年「鷹」同人辞退。1981年、宮城県芸術選奨新人賞、1980年、角川俳句賞。現代俳句協会員。宮城地区現代俳句協会副会長。
高木隆司(たかきりゅうじ、1940年10月7日- )は、日本… 高木隆司(たかきりゅうじ、1940年10月7日- )は、日本の幾何学工学者、東京農工大学名誉教授。 広島県生まれ。1969年東京大学大学院理学系研究科博士課程修了、「鉛直な壁に沿って流れ落ちる液体層におこる波動現象」で理学博士。1969年東京農工大学工学部専任講師となる。1970年同助教授。1983年同教授、のち同名誉教授。神戸芸術工科大学特任教授を経て、2008年に同大学特別教授。所属学会は、形の科学会、形の文化会、日本応用数理学会。2021年、瑞宝中綬章受章。
平塚 明(ひらつか あきら、1940年(昭和15年)10月5… 平塚 明(ひらつか あきら、1940年(昭和15年)10月5日 - )は、日本の政治家。元茨城県結城市長(3期)。結城市議会議員(9期)。 茨城県立結城第一高等学校卒。1979年結城市議会議員に初当選する。その後、市議会副議長となる。その傍ら結城市内でコンビニエンスストアを経営する。 1991年と1995年の結城市長選挙に立候補するが、いずれも落選。落選後に行われた市議選に立候補し、2回とも当選した。1997年結城市長の荒井秀吉が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、6人による激戦を制し、初当選した。2001年の市長選挙は無投票で再選。 2003年7月市が発注した公共工事に関し、業者から100万円を受け取った収賄の容疑で逮捕され、市長を辞職。
西舘 代志子(にしだて よしこ、1940年(昭和15年)10… 西舘 代志子(にしだて よしこ、1940年(昭和15年)10月5日 - )は日本の評論家、緑化運動家。旧名は西舘好子、井上好子。近年は再び西舘 好子名義で活動している。NPO法人「日本ららばい協会」理事長。 旧姓名内山好子として、東京市浅草区鳥越のかもじ職人の次女に生まれ、文学に親しんで育つ。 大妻中学校・高等学校卒業後は電通に勤めていたが、1961年12月、井上ひさしと結婚。1963年に長女、1965年に次女、1967年に三女を出産。長女は元こまつ座主宰の井上都。三女は株式会社こまつ座社長の石川麻矢。 1983年1月、こまつ座の発足に伴い、その運営に参加。1984年4月、こまつ座旗揚げ公演『頭痛肩こり樋口一葉』の台本が遅れたことから井上と不和になり、こまつ座舞台監督の西舘督夫と親しくなる。
稲沢 潤子(いなざわ じゅんこ、1940年10月5日 - )… 稲沢 潤子(いなざわ じゅんこ、1940年10月5日 - )は、日本の小説家。本名・岩田淳子。 静岡県出身。静岡県立沼津東高等学校からお茶の水女子大学を経て名古屋大学卒業後、出版社に勤務しながら小説を書き始める。1969年2月号の『民主文学』に「二足めの靴」が掲載され、作家としてのキャリアがはじまる。1972年には「紀子の場合」を発表。その後、『群像』『民主文学』を中心に多くの作品を発表する。 ルポルタージュの著作も多く、1981年の北炭夕張新炭鉱ガス突出事故を契機に夕張を取材し、『夕張のこころ』(大月書店)を刊行する。また、障碍者問題や千葉県立小金高等学校の卒業式問題に取材した著作もある。 1987年、夕張を舞台にした小説『地熱』で多喜二・百合子賞を受賞する。
島倉 二千六(しまくら ふちむ、1940年〈昭和15年〉10… 島倉 二千六(しまくら ふちむ、1940年〈昭和15年〉10月5日 - )は、日本の特撮映画の背景専門の絵描き。雲の表現に定評があり、雲の神様と称される。立花隆の住居「猫ビル」に黒猫を描いた人物としても知られる。別名・島倉仁。新潟県水原町出身。 幼少期より絵が得意で、中学のときに新潟県の展覧会に入選、以後、文部大臣賞、郵政大臣賞受賞。中学校卒業後に看板屋で務めた後、兄の誘いで1957年に上京し独立プロへ入社。1958年の映画『怒りの孤島』から背景美術に携わる。1959年に映画『日本誕生』の現場を見学した際に特撮技術課長の末安昌美から誘いを受け、1960年に東宝の契約社員となった。当初は合成作画を担当し、『宇宙大戦争』(1959年)より鈴木福太郎の助手として背景美術を手掛ける。
大崎 文明(おおざき ふみあき、1940年10月4日 - )… 大崎 文明(おおざき ふみあき、1940年10月4日 - )は、日本の経営者。西武百貨店社長を務めた。 東京都出身。1963年に成城大学経済学部を卒業し、同年に西武百貨店に入社。取締役、常務を経て、1998年6月に専務に就任し、2003年5月には社長に昇格し、2008年3月までに務めた。
藤田 信之(ふじた のぶゆき、1940年10月4日 - )は… 藤田 信之(ふじた のぶゆき、1940年10月4日 - )は、京都府出身の陸上競技指導者。「F・R・A 藤田ランニングアカデミー」の監督。 1956年(昭和31年)、京都府立洛北高等学校に入学。同高校在学中に陸上競技部に入部し、当時の同部顧問だった塩尻安吉の指導の下、専ら中距離選手として活躍していた。その一方で、同高校に於ける冬の風物詩とされた校内耐寒マラソンに於いては驚異的な走りっぷりを見せていたという。 洛北高校を卒業後、一度は京都市職員として就職するも陸上競技指導者を目指すべく退職。トレーニングと勉学に励む日々を送る中、日本レイヨン(現ユニチカ)の陸上競技部から声がかかり、急遽同社チームの一走者として第4回全日本実業団駅伝に出場、同社チームは第5位の成績を残す。
高嶋 雅明(たかしま まさあき、1940年10月4日 - )… 高嶋 雅明(たかしま まさあき、1940年10月4日 - )は、日本の経済史学者、和歌山大学名誉教授。 大阪市生まれ。1964年和歌山大学経済学部卒、1970年大阪大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1980年「朝鮮における植民地金融史の研究」で経済学博士。1967年九州産業大学講師、1970年和歌山大学経済学部講師、1972年助教授、1981年教授、1997年-1999年経済学部長、2006年定年退官、名誉教授、広島経済大学教授。2011年退職。
西村 忠禧(にしむら ただよし、1940年10月4日 - … 西村 忠禧(にしむら ただよし、1940年10月4日 - )は、日本の経営者。みなと銀行頭取を務めた。 兵庫県出身。1963年に神戸大学法学部を卒業。三井住友銀行での勤務を経て、2001年6月にみなと銀行顧問に就任し、同年6月には頭取に就任。2006年6月に特別顧問に就任。
石崎 晴己(いしざき はるみ、1940年10月4日 - 20… 石崎 晴己(いしざき はるみ、1940年10月4日 - 2023年10月22日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。青山学院大学名誉教授。 ジャン=ポール・サルトルを専門とする。ブルデューやエマニュエル・トッドの翻訳書も数多く刊行した。 早稲田大学仏文科卒、同大学院博士課程単位取得満期退学。ナンシー大学博士課程に留学ののち、立正女子大学助教授、青山学院大学文学部教授、同学部長、青山学院大学総合文化政策学部教授、同学部長等を経て、青山学院大学名誉教授。 2023年10月22日、がんのため死去。83歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小寺 弘之(こでら ひろゆき、1940年〈昭和15年〉10月… 小寺 弘之(こでら ひろゆき、1940年〈昭和15年〉10月3日 - 2010年〈平成22年〉12月21日)は、日本の政治家。元群馬県知事(民選第13・14・15・16代)。東京府生まれ。 父は佐賀県、母は茨城県の出身。父の仕事の都合で誕生して間もなく台湾(日本統治下)に移住し、再び東京に戻る。戦時中は母の故郷である茨城に疎開するが、終戦後に東京に戻り小学校に入学する。しかし、小学1年の1学期までで東京を去り、函館、熊本、広島、名古屋と転居を繰り返し5つの小学校の転校を経験する。中学校も名古屋から芦屋に移り、高校は兵庫県立芦屋高等学校に入学するが高校2年の2学期に東京へ転居し、東京都立新宿高等学校に入学した。
山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月… 山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月3日 - )は、日本の洋画家。東京学芸大学名誉教授、立軌会同人。東京都江戸川区出身。 日本橋芳町より京都市右京区御室へ移転。東京都中野区東中野へ移転。 東京都立武蔵丘高等学校、東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻卒(林武教室)。東京藝術大学大学院修了(牛島憲之教室)。 中学校の美術部で初めて油彩画を描き、高校の美術部に所属し石膏デッサンに夢中になる。東京藝術大学の大学院修了後、同大学に勤務し、その間に牛島憲之に風景画の指導を受ける。 1969年にフランス政府給付留学生として渡仏。マルセーユ芸術建築学校(ビュッス教室)に学ぶ。グループ十騎会(髙島屋東京日本橋店、~2015年)に参加。
鈴木 史楼(すずき しろう、1940年10月3日 - 199… 鈴木 史楼(すずき しろう、1940年10月3日 - 1997年8月15日)は、「書」の評論家。 東京出身。早稲田大学英文科専攻卒。独学で書道史を学び、28歳頃から書の評論を始めた。 1982年から書の個人批評誌「紅糸」を年3回発行した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭… 六代目 三遊亭 圓窓(さんゆうてい えんそう、1940年〈昭和15年〉10月3日 - 2022年〈令和4年〉9月15日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会所属。本名∶橋本 八郎。出囃子は『新曲浦島』。 東京都立文京高等学校卒業。 1959年3月、八代目春風亭柳枝に入門。「枝女吉」を名乗るが、同年10月、師匠柳枝が死去。兄弟子枝吉と共に六代目三遊亭圓生門下に移り、「吉生」と改名。 1962年11月、林家こん平と共に二ツ目昇進。 1969年3月、抜擢され真打に昇進し、六代目三遊亭圓窓を襲名。1970年6月21日より笑点の大喜利にレギュラー出演、そこでのキャラは常識派であった。番組500回記念では兄弟子・五代目圓楽とリレー落語を演じた。
高橋 成忠(たかはし しげただ、1940年10月3日 - )… 高橋 成忠(たかはし しげただ、1940年10月3日 - )は、大阪府北河内郡枚方町(現・枚方市)出身の元騎手・元調教師。 JRA調教師の高橋義忠は実子。 父は枚方市議会議員も務めた人物で、その三男であった。少年時代は父と連れられて京都競馬場へよく足を運び、父が「なんとかホウシュウという馬が強かった」といったことに印象を残したという。 中学時代には考古学者を将来に思い描いていたが、高校進学が決まった後、駅の構内に貼られていた騎手候補生募集のポスターを見て「なんとなく馬にひかれた」ほか、募集条件がことごとく自分に合致していたことから受験に至り、馬事公苑騎手養成長期課程に第7期生として入所。主な同期生には池江泰郎、丸目敏栄、野元昭、徳吉一己、福永甲、吉岡八郎がいる。
辻 一幸(つじ かずゆき / いっこう、1940年(昭和15… 辻 一幸(つじ かずゆき / いっこう、1940年(昭和15年)10月2日 - )は日本の政治家。元山梨県早川町長(11期)。 1940年(昭和15年)早川町生まれ。甲府北中学校、甲府第一高等学校を経て、1964年(昭和39年)青山学院大学経済学部を卒業した。早川町で運送業を営む。 1980年(昭和55年)の早川町長選挙で初当選した。 一幸は1980年の町長就任以降、1992年と2012年の2回のみ選挙戦を行っており、他の9回は全て無投票での当選である。退任時点で当選回数と就任年数は全国最多だった。 2023年12月6日、定例の町議会で、「春ごろから体調不良が続いている」と述べ、2024年11月15日の任期満了を以ての退任を表明した。
尾辻 秀久(おつじ ひでひさ、1940年10月2日 - )は… 尾辻 秀久(おつじ ひでひさ、1940年10月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(5期)、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長。
上畑 鉄之丞(うえはた てつのじょう、1940年(昭和15年… 上畑 鉄之丞(うえはた てつのじょう、1940年(昭和15年)10月2日 - 2017年(平成29年)11月9日)は、日本の医学者、旧国立公衆衛生院名誉教授。過労死研究の第一人者であり、過労死という言葉の生みの親である。 滋賀県生まれ。1965年岡山大学医学部卒業。同大学大学院修了。1970年「脳卒中の発生要因に関する衛生学的知見」で医学博士。1973年杏林大学医学部衛生学教室助教授。1978年の研究で「過労死」という言葉を初めて使用した。当初は学会では受け入れられなかったという。1985年ストレス疾患労災研究会を設立し、全国規模の過労死研究を推進した。1987年から国立公衆衛生院疫学部成人病室長、栄養生化学部長を経て、1997年国立公衆衛生院次長。
高橋 康雄(たかはし やすお、1940年10月2日 - 20… 高橋 康雄(たかはし やすお、1940年10月2日 - 2000年7月4日)は、日本の評論家、俳人。 旧満州生まれ。1965年早稲田大学商学部卒業後、山形新聞記者、潮出版社編集者、『潮』編集長、論風社取締役、大学非常勤講師、1997年札幌大学文化学部教授、1999年学部長。
東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2… 東錦 栄三郎(あずまにしき えいざぶろう、1940年10月2日 - 1994年11月9日)は、東京都新宿区西新宿出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は星野 栄三郎(ほしの えいざぶろう)。現役時代の体格は173cm、132kg。最高位は東前頭15枚目(1962年9月場所)。得意手は左四つ、吊り、寄り。 実家は豚カツ屋で、兄2人は共に明治大学付属中野高校から明治大学に進学し、野球で活躍。三男の栄三郎も、中学校卒業後は兄達と同じ高校に進学するつもりであった。だが、栄三郎の体躯の良さに目を付けた高砂部屋の幕内力士・藤田山が同部屋の横綱・東富士(後、年寄・錦戸)に彼の事を伝え、東富士の再三に亘る勧誘もあって高校進学を諦める事になった。
渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1… 渥美 雅子(あつみ まさこ、1940年〈昭和15年〉10月1日 - )は、日本の弁護士、評論家。 静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松北高等学校を経て、1963年に中央大学法学部を卒業後、1966年に弁護士開業。 千葉県の女性弁護士第1号。 家族、遺産相続、DVなどの問題を担当、人生相談の回答者として活動している。 女性と仕事の未来館館長(2003年 - 2011年)を務めたほか、NPO法人DV被害者支援活動促進のための基金を設立(同理事長)、NPO法人高齢社会をよくする女性の会監事などを務めている。2005年に男女共同参画社会づくり功労者として内閣総理大臣表彰を受けている。 法律事務所の会議室に高座をもうけて講談師を招き、「渥美講談塾」を開設。
松本 寿昭(まつもと としあき、1940年(昭和15年)10… 松本 寿昭(まつもと としあき、1940年(昭和15年)10月1日 - )は、日本の社会学者、社会福祉学者。専攻は、自殺予防の社会学、社会病理学、高齢者の生きがい、育児・子育て論。 大妻女子大学名誉教授、日本自殺予防学会常務理事(1999.4-2015.9)。 愛媛県東宇和郡宇和町中川村杢所出身。(現愛媛県西予市宇和町杢所) 年間3万人前後という日本における自殺予防の方法論の確立に向けた研究に取り組んでいる。特に、社会学・社会福祉学の方法論を駆使し、地域での実証的な研究に早くから取り組む(この分野の論文・著書多数)。また、子どものいじめ・自殺問題を無くすための方法を育児・子育てのあり方に着目し、母親との面接や実態調査を踏まえ検討している。
小森 博(こもり ひろし、1940年10月1日 - )は、日… 小森 博(こもり ひろし、1940年10月1日 - )は、日本の経営者。日本鉄道建設公団総裁、鉄道建設・運輸施設整備支援機構理事長を務めた。北海道出身。 1964年に北海道大学工学部土木学科を卒業し、同年4月に日本国有鉄道に入社した。1983年5月に札幌鉄道管理局施設部長を経て、1985年3月に日本鉄道建設公団に転じ、1995年7月に理事、2001年1月に副総裁を経て、2003年3月には総裁に就任。2003年10月から2004年10月までに鉄道建設・運輸施設整備支援機構理事長を務めた。
熊谷 英彦(くまがい ひでひこ、1940年10月 - )は、… 熊谷 英彦(くまがい ひでひこ、1940年10月 - )は、日本の農芸化学者(醗酵学・応用微生物学・酵素工学)。学位は農学博士(京都大学・1969年)。京都大学名誉教授、石川県立大学学長・名誉教授。 京都大学農学部教授、京都大学大学院生命科学研究科教授、社団法人日本農芸化学会会長(第54代)、石川県農業短期大学教授などを歴任した。 1940年生まれ。京都府京都市にて育った。地元の京都大学に進学し、農学部の農芸化学科に在籍した。1964年京都大学卒業。大学卒業後はそのまま大学院農学研究科農芸化学専攻に進学した。1969年に、京都大学大学院の博士課程を単位取得退学した。それから半年後の同年9月には、京都大学より農学博士の学位を取得している。
寺部 茂(てらべ しげる、1940年10月 - )は、日本の… 寺部 茂(てらべ しげる、1940年10月 - )は、日本の化学者。専門は分析化学。学位は、工学博士(京都大学・1975年)。兵庫県立大学名誉教授。科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業(さきがけ)「構造機能と計測分析」研究総括。 高性能・超微量分離分析法であるキャピラリー電気泳動 (CE) 法を研究し、特に中性物質のCEによる分離を可能としたミセル動電クロマトグラフィー (MEKC) の研究・開発が知られる。
渡辺 章(わたなべ あきら、1940年10月- )は、日本の… 渡辺 章(わたなべ あきら、1940年10月- )は、日本の法学者、筑波大学名誉教授。 山梨県生まれ。山梨県立甲府第一高等学校卒業、1964年中央大学法学部法律学科卒業、1970年東京大学大学院法学政治学研究科民刑事法専門課程博士課程単位取得退学、東京学芸大学講師、73年助教授、86年教授、90年筑波大学教授、2002年同名誉教授、東京経済大学現代法学部教授、2004年専修大学大学院法務研究科教授、2011年定年退職。労働法が専門。
楡井 久(にれい ひさし、1940年10月 - 2021年1… 楡井 久(にれい ひさし、1940年10月 - 2021年1月28日)は、日本の環境地質学者。 福島県会津地方生まれ。大学で地質学を専攻。1970年に千葉県職員となり、以降30年近くにわたり地盤沈下、地質汚染、液状化などに関わった。1976年から就任していた水質保全研究所・地質環境第一研究室室長を最後に県職員を退職し、1998年4月から茨城大学に転じて、広域水圏環境科学教育研究センター陸水域環境自然史分野の教授に着任した。2006年、茨城大学を定年退職し、在職中に就任していた特定非営利活動法人日本地質汚染審査機構理事長(専従)となった。 2021年1月28日、死去。 千葉セクションの国際標準模式層断面及び地点(地球磁場逆転層チバニアン))としての登録申請をめぐる動きの中で、当初は楡井も申請を推進する立場から発言していた。
田中 秀征(たなか しゅうせい、1940年〈昭和15年〉9月… 田中 秀征(たなか しゅうせい、1940年〈昭和15年〉9月30日 - )は、日本の政治家。福山大学経済学部客員教授。 衆議院議員(3期)、経済企画庁長官(第52代)、内閣総理大臣特別補佐(細川内閣)、新党さきがけ代表代行、学習院大学法学部特別客員教授等を歴任した。 1990年代前半の新党ブームの火付け役の一つ、新党さきがけの理論的指導者であった。 長野県更級郡篠ノ井町(現:長野市篠ノ井)生まれ。 早稲田大学第4代総長の田中穂積は一族にあたるという。長野県長野高等学校、東京大学文学部西洋史学科卒業。哲学、歴史、経済、法律を一通り学びたいと考えていたが、ウィンストン・チャーチル、石橋湛山、吉田茂、緒方竹虎に関心を抱いていたことから、まず歴史から学ぼうと考え、東大在学中は林健太郎ゼミに所属し、近代ヨーロッパ政治史を専攻、第一次世界大戦から第二次世界大戦までの「危機の20年」が最大の関心事だった。
門脇 厚司(かどわき あつし、1940年9月30日 - )は… 門脇 厚司(かどわき あつし、1940年9月30日 - )は、日本の教育学者。専門は教育社会学。筑波大学名誉教授、ラボ言語教育総合研究所代表、日本教師教育学会会長、元茨城県つくば市教育長。
飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年〈昭和15年〉… 飯守 泰次郎(いいもり たいじろう、1940年〈昭和15年〉9月30日 - 2023年〈令和5年〉8月15日)は、日本の指揮者。 満洲国・新京生まれ。父は裁判官の飯守重任、兄はロゴデザイナーの飯守恪太郎。文部大臣、最高裁判所長官を歴任した田中耕太郎は伯父。母方の祖父母に日向輝武、林きむ子。 桐朋学園大学指揮科卒業。斎藤秀雄に師事。アメリカ留学中にミトロプーロス国際指揮者コンクールに入賞。のちにカラヤン国際指揮者コンクールに入賞。 ドイツでの活動が長くバイロイト音楽祭の音楽助手をつとめる。またマンハイム、レーゲンスブルクなど各地の歌劇場で活動をする。ドイツでの活動を継続出来るよう朝比奈隆が一度助けてくれたという逸話がある。
上田 博(うえだ ひろし、1940年9月30日 - 2018… 上田 博(うえだ ひろし、1940年9月30日 - 2018年11月11日)は、日本の日本近代文学研究者。学位は、博士(文学)(立命館大学・論文博士・1996年)(学位論文「石川啄木<抒情と思想>」)。立命館大学名誉教授。国際啄木学会元会長。明治文芸講演会主宰。歌誌「ポトナム」同人。国崎望久太郎・和田繁二郎に師事。大阪府出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
茨木 俊秀(いばらき としひで、1940年9月29日 - )… 茨木 俊秀(いばらき としひで、1940年9月29日 - )は、日本の計算機科学者。京都大学名誉教授。京都情報大学院大学名誉学長 。専門はアルゴリズム、計算複雑性、組合せ最適化。兵庫県出身。
小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - … 小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - )は、日本の実業家。総合メディカル創業者。元総合メディカル代表取締役社長、現相談役(2020年10月現在)。 東京都葛飾区亀有生まれ。東京大空襲後、鹿児島県に疎開し、日本の降伏後、宮崎県都城市に転居した。1959年宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1961年三共(現第一三共)に入社した。その後1971年に入社した日医リースを経て、1978年総合メディカル設立、専務取締役就任。 1980年同社代表取締役専務。1990年同社代表取締役社長。2004年同社代表取締役会長。2012年同社取締役相談役。2017年同社相談役。 2002年社団法人九州・山口経済連合会(現一般社団法人九州経済連合会)評議員(現審議員)(~2006年) 2004年日本保険薬局協会(現一般社団法人日本保険薬局協会)設立時に総務委員長 2004年社団法人日本経済団体連合会(現一般社団法人日本経済団体連合会)評議員(現審議員)(~2013年) 2007年在福宮崎県人会会長 2009年福岡ベンチャークラブ会長 2009年在福岡スペイン国名誉領事館名誉領事(~2017年) 2011-2012年度国際ロータリー第2700地区ガバナー 2012年ピエトロ創業者村田邦彦、ふくや川原正孝、古賀マネージメント総研古賀光雄らと福岡市創業者応援ファンドを設立
木藤 繁夫(きふじ しげお、1940年(昭和15年)9月29… 木藤 繁夫(きふじ しげお、1940年(昭和15年)9月29日 - )は、日本の検察官。弁護士(牛島総合法律事務所オブ・カウンセル)。元東京高等検察庁検事長。
上野 紀子(うえの のりこ、1940年9月29日 - 201… 上野 紀子(うえの のりこ、1940年9月29日 - 2019年2月28日)は、日本の絵本作家、画家。本名は中江紀子。 埼玉県生まれ。日本大学藝術学部美術学科。1973年『ELEPHANT BUTTONS』でデビュー。大学の同級生・中江嘉男(なかえよしを)と結婚し、中江が文、上野が絵を描いて絵本を合作。1975年、ねずみくんシリーズの第1作となる『ねずみくんのチョッキ』で講談社出版文化賞受賞。1987年『いたずらララちゃん』で絵本にっぽん賞、2005年中江とともに巖谷小波文芸賞受賞。 中江のほか、あまんきみこ、舟崎靖子などの作品にも挿絵を描く。挿絵の代表作として、あまんきみこ『ちいちゃんのかげおくり』(あかね書房 1982)などがある。
武田 京子(たけだ きょうこ、1940年9月29日 - )は… 武田 京子(たけだ きょうこ、1940年9月29日 - )は、おもに少女漫画を手がけ、1960年代から1970年代にかけて『週刊マーガレット』や『週刊セブンティーン』で多数の作品を発表した日本の漫画家。 大阪府池田市生まれ。日本画専攻の学生時代に、貸本漫画作家としてデビューし、若木書房から貸本用の少女漫画作品を多数発表した。 1961年に雑誌『少女』(光文社)に掲載された『あの波こえて』で雑誌デビューして、以降、『週刊マーガレット』、『週刊セブンティーン』など集英社の少女誌で多数のヒット作を発表し、特に『さぼてんとマシュマロ』はテレビドラマ化されるほどの人気となった。1980年代以降は『BE in LOVE』など女性漫画/レディースコミック誌に活動の場を移した。
高梨 敬一郎(たかなし けいいちろう、1940年9月28日 … 高梨 敬一郎(たかなし けいいちろう、1940年9月28日 - 2021年7月15日)は、元NHKアナウンサー。元関西国際大学教授。東京都出身。 上智大学文学部新聞学科卒業。 1963年(昭和38年)、NHK入局。 松山→福岡→静岡→仙台(1982年から)などを歴任。 NHKの報道アナウンサーとして公害問題に特に力を入れた取材を展開した。1995年のNHK大阪放送局勤務を最後に退職。その後関西国際大学・経営学部で教授に就任し、話し言葉についての講義を行うほか、各地で講演活動も行っていた。また、1996年から1997年には関西発ラジオ深夜便のアンカーも担当した。 学生時代からの趣味は、高校生の時に時刻表で高梨駅(魚沼線、1984年廃止)を見つけてそこに出かけて行ったのがきっかけで始めた鉄道旅行で、特に特急や急行を使わずに乗っていくのを好んだ。
松本 啓二(まつもと けいじ、1940年9月27日 - 20… 松本 啓二(まつもと けいじ、1940年9月27日 - 2008年11月8日)は、日本の弁護士。京都府出身。元森・濱田松本法律事務所特別顧問。 渉外金融法務(特にキャピタル・マーケット分野)において高名であった。森・濱田松本法律事務所を退職後は、松本法律事務所を設立するとともに、特定非営利活動法人マネジメントアシストを設立し理事長を務めるなどしてなお活躍していた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
住吉 和司(すみよし かずし、1940年9月26日 - )は… 住吉 和司(すみよし かずし、1940年9月26日 - )は、日本の経営工学者・社会システム工学者。大阪工業大学名誉教授・第6代工経会会長。工学博士(慶應義塾大学)。元日本経営工学会理事。元日本設備管理学会理事。元日本ロジスティクスシステム学会理事。元オフィス・オートメーション学会編集委員幹事。公益財団法人船井奨学会2022選考委員。瑞宝小綬章受章。 専門は、経営工学・技術マネジメント(特にSCM、QC、OA、FA)、社会システム工学・マーケティング科学・経済工学。 1970年大阪工業大学工学研究科工業経営学専攻修了。その後、慶應義塾大学大学院工学研究科にて工学博士。大阪工業大学工学部経営工学科(現:情報科学部データサイエンス学科)教授として長きに渡り教鞭を執り、2006年同大学名誉教授。
萩原量吉(はぎわら りょうきち、1940年(昭和15年)9月… 萩原量吉(はぎわら りょうきち、1940年(昭和15年)9月25日 - )は、三重県の政治家。日本共産党所属の三重県議会議員。四日市ぜんそく問題に取り組んだ反公害活動家(環境運動家)。日本共産党三重県常任委員。 三重県立高等学校教諭を務める際に、四日市市坂部ヶ丘団地に在住した。当時は地元の四日市市で四日市ぜんそくが社会問題化しており、教育委員会に公害対策委員会を設置させるなど、同問題に取り組んだ。 北勢地区の高校教員が創設した四日市公害の対策委員会に参加して、四日市公害の被害地の塩浜地区の公害被害調査に取り組んだ。1971年(昭和46年)に三重県議会議員に当選した後も、公害防止条例の改正や公害対策予算の増額に尽力した。
菅沼 三千子(すがぬま みちこ、1940年9月24日 - )… 菅沼 三千子(すがぬま みちこ、1940年9月24日 - )は、日本の木漆工芸家である。 20世紀に世界で初めて、オーストラリア・メルボルンのビクトリア国立美術館(National Gallery of Victoria、略称NGV)にて現存する創作家として漆展を開催し、同時にシナバーレッドの漆器など2点が同美術館所蔵品となった塗師で東京都千代田区出身。女子美術短期大学卒業後、木と漆の人生を一筋に生きている。座右の言葉は「デザインとテクニックは一生の仕事」で、日本の伝統を受け継いで次代を担う若者の発掘をモットーにしており、昭和平成を経て今現在令和の時代に入って[いつ?]NGV所蔵の総数は9点になる。
筒井 紘一(つつい ひろいち、1940年9月24日 - )は… 筒井 紘一(つつい ひろいち、1940年9月24日 - )は、日本の茶道研究家。号は宗紘、如是庵。 福岡県生まれ。早稲田大学文学部東洋哲学科卒業。同大学院研究科修士課程日本文学専攻修了。文学博士。京都文化短期大学助教授、京都学園大学人間文化学部教授などを経て、京都府立大学客員教授。今日庵文庫長、茶道資料館副館長、茶書研究会会長。一般社団法人文化継承機構の代表理事。2022年、文化庁長官表彰。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。