米澤 貞次郎(よねざわ ていじろう、1923年7月3日 - … 米澤 貞次郎(よねざわ ていじろう、1923年7月3日 - 2008年5月20日)は、日本の化学者。勲等は勲三等。京都大学名誉教授。 1981年にノーベル化学賞を受賞した福井謙一の指導学生(博士課程)であり、米澤の指導学生(修士課程)の吉野彰も2019年にノーベル化学賞を受賞している。指導学生(博士課程)の北川進も2025年にノーベル化学賞を受賞している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野崎 泰一(のざき ひろかず、1923年7月2日 - 200… 野崎 泰一(のざき ひろかず、1923年7月2日 - 2009年7月30日)は、広島県呉市出身のプロ野球選手(投手)・監督・コーチ。
田幸 敏治(たこう としはる、1923年7月1日 - 201… 田幸 敏治(たこう としはる、1923年7月1日 - 2011年12月24日)は、日本の応用物理学者。東京工業大学名誉教授。元応用物理学会会長。元日本分光学会会長。 1923年7月1日生まれ。1941年12月大阪市立都島工業学校機械科、戦時繰り上げ卒業。旧制高校への進学希望がつのり、始めた受験勉強の無理と戦前・戦中の食糧事情が重なり、結核を患う。旧制松山高等学校を経て、1944年10月東京帝国大学理学部物理学科入学。1947年9月同大学卒業後は、東京大学理工学研究所研究員となる。1956年1月中央計量検定所主任研究員。1970年12月東京工業大学教授、精密工学研究所の併任教授。1972年東京工業大学精密工学研究所に転任、電気計測部門教授。
海部 八郎(かいふ はちろう、1923年6月29日 - 19… 海部 八郎(かいふ はちろう、1923年6月29日 - 1994年6月28日)は、実業家・元日商岩井副社長。ダグラス・グラマン事件の中心人物。 実家は東京都文京区小石川にあり、東京高等師範学校附属中学校か東京府立第一中学校、東京府立第四中学校への進学を希望していたという。 父は、元は師範学校の英語教師で、その後、浅野物産の幹部になり、高給取りだったため海部の家庭の生活水準はかなり高かったという。海部の中学時代、友人が20銭、50銭という小遣いしかもっていなかったのに対して、海部は5円、10円の札ビラをきったというエピソードがある。 中学時代は国語、漢文、地理、歴史といった文系科目が得意で、中でも英語の成績は抜群だった。
益田 勝実(ますだ かつみ、男性、1923年〈大正12年〉6… 益田 勝実(ますだ かつみ、男性、1923年〈大正12年〉6月29日 - 2010年〈平成22年〉2月6日)は、日本の国文学者。古代文学専攻。元・法政大学文学部教授。 山口県下関市で、父繁蔵、母コフジの次男として生まれる。兄1人、姉3人の末っ子であった。 家の学問として漢文を教わるチャンスがあって、小学校の終わりごろから 『十八史略』や『日本外史』を読まされていた。旧制山口県立下関中学校時代には、西洋哲学を専攻したい夢があり3年の時から下関バプテスト教会の末崎富彌牧師にギリシャ語を習い始める。 1941年3月に下関中学校を卒業して、4月から下関市立養治国民学校助教として勤めながら、中等教員検定試験合格を目指す。
杉村 新(すぎむら あらた、1923年6月28日 - 202… 杉村 新(すぎむら あらた、1923年6月28日 - 2025年3月1日)は、日本の地震学・地球物理学者。火山フロント(火山前線)の概念を初めて導入した人物で、上田誠也とともに弧状列島の火山、地震、テクトニクス研究を進めた。 東京府に生まれる。父は東京文理科大学学長の杉村欣次郎。祖父は外交官の杉村濬。伯父も外交官の杉村陽太郎[要出典]。 旧制静岡高等学校を経て、東京帝国大学理学部地質学科に進学、1947年に卒業した。同年、東京大学助手となる。 1961年、「日本及びその附近における地球物理学的岩石学的諸現象の帯状配列」で理学博士の学位を東京大学より取得する。 1974年に神戸大学理学部教授となる。
二階堂 副包(にかいどう ふくかね、1923年6月28日 -… 二階堂 副包(にかいどう ふくかね、1923年6月28日 - 2001年8月23日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。専攻は数理経済学。理学博士(東京大学、1961年)。 東京府生まれ。工業専門学校卒業後、東京物理学校を経て、旧制高等学校出身者以外にも門戸を開いていた東北帝国大学理学部数学科に入学した。ところが太平洋戦争末期に徴兵で東京の連隊に入隊し、首都防衛のための高射砲部隊に配属され、仙台に戻ることが困難となった。そのため日本の降伏後は、新たに旧制高等学校出身者以外にも門戸を開いた東京大学理学部数学科を卒業。 卒業後は大蔵省に入省するも、数カ月で退官し高等学校教員に転じ、のち母校東京理科大学から招かれて大学教員となった。
服部 文男(はっとり ふみお、1923年6月28日 - 20… 服部 文男(はっとり ふみお、1923年6月28日 - 2007年12月30日)は、日本のマルクス経済学者。東北大学名誉教授。 大阪府生まれ。父は服部英太郎。第二高等学校卒、父英太郎の予防拘禁で東京に移り、1949年東京帝国大学経済学部卒、1962年「マルクス主義の形成と発展」で東北大学経済学博士。1955年東北大学経済学部講師、1957年助教授、1970年教授、経済学部長、1986年定年退官、名誉教授、宮城学院女子大学教授。
林 忠雄(はやし ただお、1923年6月28日 - 1998… 林 忠雄(はやし ただお、1923年6月28日 - 1998年5月11日)は日本の自治官僚。 広島県出身。東京帝国大学法学部卒業。1947年後期採用で総理庁官房自治課に入る。その後、千葉県、愛知県、鳥取県などの地方勤務を経て、行政課長、総務課長、公務員部長、行政局長と、自治官僚としては行政畑を歩く。1978年9月1日に自治事務次官に就任。1979年10月15日に自治省を退官した後は、1980年の参院選や鈴木俊一東京都知事から東京都副知事の打診があったが、誘いを一切断り、自治医科大学理事長に就任し、1993年まで務めた。1995年、勲二等旭日重光章を受章。 ピアノ、バイオリン、チェロ、フルート等の趣味をこなす音楽家であった。
竹田 喜之助(たけだ きのすけ、大正12年(1923年)6月… 竹田 喜之助(たけだ きのすけ、大正12年(1923年)6月27日 - 昭和54年(1979年)9月5日)は、日本の人形師。本名は岡本 隆郎(おかもと たかお)。 1923年(大正12年)、岡山県邑久郡邑久町豊安(現・瀬戸内市邑久町)に生まれる。岡本家は呉服商の大店であり、隆郎は長男だった。邑久村尋常小学校(現・瀬戸内市立邑久小学校)、岡山第一中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)を卒業後、旧制第六高等学校(現・岡山大学)を経て、1943年(昭和18年)に東京帝国大学工学部航空工学科に入学。1950年(昭和25年)に東京大学第二工学部航空工学科を卒業。卒業と同時に人形芝居の結城孫太郎一座に弟子入りし、隆郎は結城糸城三(しきぞう)を名乗った。
石風呂 良一(いしぶろ りょういち、1923年6月27日 -… 石風呂 良一(いしぶろ りょういち、1923年6月27日 - 1985年5月12日)は、広島県出身のプロ野球選手。 広島県立忠海中学校卒業後、広島県内の運送会社のノンプロチーム(会社名不明)に所属。1949年11月に24歳で大阪タイガースへ入団。入団から間もない11月16日の対阪急戦(明石)でプロ初登板・初先発。初回から四球連発で痛打を浴び、1アウトもとれずに降板、4失点で敗戦投手となった。「カーブも投げらない者を先発させるとは」と内外から批判され、この先発起用が若林忠志監督退団の切っ掛けといわれる。この後、一軍で登板することはなく、1951年に引退した。このため、石風呂の通算防御率は、算出不可能(無限大)となっている。
久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月… 久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月26日 - 2004年(平成16年)8月31日)は、日本の薬学者。専門は薬品合成化学。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1946年京都帝国大学医学部薬学科卒業。1947年母校助手。1951年徳島大学薬学部助教授、1957年教授、1972年薬学部長を経て、1988年に徳島大学学長に就任し1991年に学長を退任。退任後の1992年に大阪薬科大学学長に就任、1995年に同大学学長を退任。1997年、勲二等旭日重光章受章。 1953年、京都大学薬学博士。論文名は「アセチレンとアンモニアの縮合に関する研究」。 2004年に急性呼吸不全のため徳島県小松島市の病院で死去。
景浦 賢一(かげうら けんいち、1923年6月26日 - 没… 景浦 賢一(かげうら けんいち、1923年6月26日 - 没年不明)は、愛媛県松山市出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手。
湊 俊一(みなと しゅんいち、1923年6月26日 - )は… 湊 俊一(みなと しゅんいち、1923年6月26日 - )は日本の俳優。声優。本名は湊谷 順平(みなとや じゅんぺい)。 秋田県平鹿郡で生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業。大学在学中は演劇研究会で活動。大学卒業後は劇団創作座に参加。1952年、ラジオ東京放送劇団に入団。劇団内では寺島信子、嵯峨隆一とともに研究会を作り演技の勉強を続けた。その後はタレントエージェント、三木事務所、劇団東芸、天知プロ、ニューキャスターブロフに所属していた。 現代劇における科学者や上司役などが当たり役で数多くのドラマに出演。時代劇では主に家老や商人役などを演じた。声優としても草創期から吹き替えを中心に活躍。 社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
市川 喜一(いちかわ きいち、1923年〈大正12年〉6月2… 市川 喜一(いちかわ きいち、1923年〈大正12年〉6月26日 - 2006年〈平成18年〉3月31日)は、日本の映画プロデューサー・元俳優である。俳優としての芸名は黒田潤。群馬県高崎市出身。妻は市川千恵子(旧姓・関千恵子、元女優)。 海軍予備学生として魚雷艇部隊に在籍した。1946年に早稲田大学法学部を卒業するとともに、黒田潤名義で、新人スターとして大映入りして、いくつかの作品に出演。デビュー作『いつの日か花咲かん』で共演した関千恵子と交際、後に結婚。 1952年に大映を退社してフリーとなる。シナリオ作家志望だった市川は、故郷の群馬県高崎市の交響楽団をモデルにした作品を構想して、今井正監督に売り込んで採用される。
岡澤 完治(おかざわ かんじ、1923年(大正12年)6月2… 岡澤 完治(おかざわ かんじ、1923年(大正12年)6月25日 - 1972年(昭和47年)6月27日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期、民社党)。位階は正五位、勲等は勲三等。 大阪府枚方市津田町生まれ。母親とは早くに死別した。 小学校卒業後、府立四條畷中学校に学ぶ。1945年(昭和20年)、陸軍士官学校卒業。 1946年(昭和21年)4月、京都大学法学部入学。卒業後、大学院に進学し国際法を専攻した。 1954年(昭和29年)、法曹界に入る。愛情と信頼を信条とし、進んで恵まれない人たちの弁護を引き受け、「庶民の岡沢、正義の岡沢」として知られた。 1959年(昭和34年)、大阪府議会選挙に際し、やがて第二の故郷となった大東市から日本社会党公認として立候補し、当選したが、これは、岡沢が庶民の中に親しく入っていった庶民性と行動力がその根底にあったからである。
鈴木一彦(すずき かずひこ、1923年6月25日 - 200… 鈴木一彦(すずき かずひこ、1923年6月25日 - 2000年)は、日本の日本語学者。山梨大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。 東京出身。東京大学文学部国語国文科卒。東大文学部助手、山梨大学教育学部助教授、教授、学部長、1987年定年退官、名誉教授、東洋大学教授、1994年退職。1999年勲三等旭日中綬章受勲。専門は日本語文法。妻は国文学者の鈴木雅子(1928- )。
永利 友喜 (ながとし ともき 1923年6月24日 - 2… 永利 友喜 (ながとし ともき 1923年6月24日 - 2018年2月23日)は、東京都小金井市長(2期)。 1923年東京府に生まれる。日本大学法学部卒。卒業後は国鉄に入り、日本社会党東京都本部執行委員となる。 小金井市議会議員を2期務め、1971年市長に就任。 革新市政を行い、 ごみやし尿を収集する多摩清掃公社を直営化、 学校など30の市施設に各々3人配置の90人の準職員を配置などを行なった。 小金井市長を2期務め、1979年に市建設部長の星野平壽に市長を譲った。 2018年2月23日に94歳で亡くなった。
坪田 理基男(つぼた りきお、1923年6月23日 - 20… 坪田 理基男(つぼた りきお、1923年6月23日 - 2017年4月14日)は、日本の児童文学作家、児童文学研究者。「びわの実学校」同人。 東京生まれ。太平洋戦争時代は海軍に従軍。復員し、明治大学を卒業後、出版社に勤務。 児童文学作家、児童文学研究者である坪田譲治の三男。
木村 功(きむら いさお、1923年〈大正12年〉6月22日… 木村 功(きむら いさお、1923年〈大正12年〉6月22日 - 1981年〈昭和56年〉7月4日)は、日本の俳優。広島県広島市出身。 広島市千田町(現・中区千田町)生まれ。広島二中(現・広島県立広島観音高等学校)卒業後に上京し1941年、文化学院文学部に入学する。在学中より演劇運動に没頭し、様々な学生演劇に出演した。1943年、文化学院演劇部『華々しき一族』で邦枝梢と共演して見初める。入隊前に梢との結婚を申し込むが、この時は父で作家の邦枝完二の許しは得られなかった。また、東宝撮影所でアルバイトをしていた友人を訪ねたとき、山本嘉次郎監督にスカウトされ、『ハワイ・マレー沖海戦』に出演した。1943年、文化学院閉鎖に伴い1年繰上げで卒業後、召集され、1944年から1年間海軍生活を送る。
田口 寛治(たぐち かんじ、1923年6月22日 - 198… 田口 寛治(たぐち かんじ、1923年6月22日 - 1989年1月21日)は、日本の哲学者。神戸大学名誉教授。 広島県出身。1946年9月京都帝国大学文学部哲学科卒。1947年3月神戸経済大学(経営学専門部)、神戸大学文理学部、神戸大学文学部、神戸大学教養部教授、1987年定年退官、名誉教授。1989年1月21日、肝不全のため逝去。 『らくがき大学生』が話題になった。
品川 信良(しながわ しんりょう、1923年(大正12年)6… 品川 信良(しながわ しんりょう、1923年(大正12年)6月22日 - 2020年(令和2年)1月24日)は、日本の産婦人科学者、弘前大学名誉教授。 医療と倫理のほか、政治・社会に関する評論も書く。 東京に生まれる。東京と秋田県の農村で育つ。 旧制山形高等学校卒、1946年東北帝国大学医学部卒、同助手、1952年東北大学医学博士。58年弘前大学医学部産婦人科教授、医学部附属病院長、1983年退官、名誉教授、青森県立中央病院長。 1999年勲三等旭日中綬章受勲。 ミドリ十字によるアメリカからの非加熱血液製剤輸入を推進した過去があり、これは後の薬害エイズ事件の間接的なきっかけとなっている。 2020年1月24日死去、叙正四位。
広島 清美(ひろしま きよみ、1923年6月20日 - 没年… 広島 清美(ひろしま きよみ、1923年6月20日 - 没年不明)は、青森県五所川原町(現:五所川原市)出身の元プロ野球選手(投手)。 青森県立五所川原農林高等学校から1942年に大和軍へ入団。8試合に登板し、完投を2度したものの0勝4敗に終わった。 翌1943年まで在籍し、この年は3試合の登板に留まった。5月23日の朝日軍戦では3回から4点ビハインドの場面で登板し5イニング2失点だったが、味方が7回に一挙7点を挙げ(広島自身も1打点をマーク)最後は片山栄次のリリーフを受けて唯一の勝利を記録した。 2025年時点において、五所川原出身で唯一のプロ野球選手である。
和田 悟朗(わだ ごろう、1923年6月18日 - 2015… 和田 悟朗(わだ ごろう、1923年6月18日 - 2015年2月23日)は、兵庫県出身の俳人・化学者。専門は物理化学。奈良女子大学名誉教授。 武庫郡御影町(現・神戸市東灘区御影町)出身、大阪大学理学部卒業。神戸大学理学部助教授、奈良女子大学理学部教授を経て同女子大学名誉教授(物理化学)。 俳句は1952年より始め、橋閒石の「白燕」に参加、のち同人。高柳重信の「俳句評論」、赤尾兜子の「渦」同人を経て1992年より「白燕」同人代表。1977年、現代俳句協会関西地区会議議長に就任。のち現代俳句協会副会長を経て、2004年3月より同顧問。2010年「風来」創刊・主宰。 1969年第16回現代俳句協会賞、2007年第7回現代俳句大賞、2013年句集『風車』により第64回読売文学賞詩歌俳句賞を受賞。
天野 和夫(あまの かずお、1923年6月15日 - 200… 天野 和夫(あまの かずお、1923年6月15日 - 2000年3月23日)は、日本の法学者。立命館大学名誉教授。学校法人立命館総長・立命館大学学長。父はタイムレコーダーなどの発明家でアマノ創業者の天野修一。東京都出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 199… 志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 1999年6月27日)は、日本のアナウンサー、音楽評論家である。本名は小島幸雄。東京府東京市京橋区生まれ。 東京・京橋の写真館に生まれる。専修大学を卒業。1952年(昭和27年)、開局直後のラジオ東京(現・TBSラジオ)の嘱託アナウンサーとなり、局内の「シマさん」の愛称から志摩夕起夫を名乗る。4月1日に放送開始となったラジオ東京の深夜番組「イングリッシュ・アワー」を三國一朗などと担当。同番組は1962年6月9日まで10年間続けられた。これにより、日本でのディスクジョッキーの草分けとして、音楽と自由なおしゃべりで進行するラジオ番組の原型を作り上げた。
奈良 光枝(なら みつえ、1923年(大正12年)6月13日… 奈良 光枝(なら みつえ、1923年(大正12年)6月13日 - 1977年(昭和52年)5月14日)は、昭和時代の歌手。本名は佐藤 みつえ。美貌の歌手として知られた。 青森県弘前市出身。弘前高等女学校(現:青森県立弘前中央高等学校)卒業後、兄の学友であった作曲家の明本京静の薦めで東洋音楽学校に進学。病弱であったためクラシックやオペラを断念し、この事を明本に相談したところ、「マイクロフォンを使う歌手なら大丈夫」と助言を受け、1940年(昭和15年)3月、コロムビアのテストに合格し、16歳で専属歌手となる。同年6月に「胡弓哀歌」を吹き込むが、検閲により発売禁止になる。二作目の「南京花嬌子」で流行歌手としてデビューする。
杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 20… 杉井 六郎(すぎい むつろう、1923年6月13日 - 2011年10月8日)は、日本の人文学者。専門は日本キリスト教史。同志社大学名誉教授。 静岡県藤枝市生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。1942年、第二早稲田高等学院入学、翌年3月退学。1943年、弘前高等学校 (旧制)文科二類入学、同年12月、学徒出陣により中部第三部隊に入隊。1947年、シンガポールより復員、弘前高校に復学。1949年、弘前高等学校文科乙類卒業。同年4月、京都大学文学部史学科国史学専攻入学、1952年、同専攻卒業。同年4月、京都大学大学院(旧制)入学。1961年3月、京都大学非常勤講師に就任するため大学院を退学。 1952年、京都府立園部高等学校教諭、1953年、同志社高等学校講師、1955年同校教諭。
船田 譲(ふなだ ゆずる、1923年(大正12年)6月13日… 船田 譲(ふなだ ゆずる、1923年(大正12年)6月13日 - 1985年(昭和60年)8月10日)は、昭和期の教育者、政治家。栃木県知事(公選第8-10代)、参議院議員(2期)、作新学院院長。 後に衆議院議長、自由民主党副総裁を務めた船田中の長男として栃木県に誕生する。1947年(昭和22年)東京帝国大学農学部を卒業。卒業後は、船田家が創設した作新学院に入り、中等部長などを務める。 1965年(昭和40年)に自民党公認で参議院議員通常選挙に立候補し当選。2期務めその間、大蔵政務次官などに就く。 1974年(昭和49年)に参議院議員を辞職し、栃木県知事に立候補し当選。3期務める。学者肌の知事として全国的にも知られ、在職中のことは自伝『素人知事奮戦記』(1982年)に詳しい。
菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 20… 菅野 浩和(すがの ひろかず、1923年6月12日 - 2011年1月15日)は、日本の作曲家、音楽評論家。
中嶋 博(なかじま ひろし、1923年6月12日 - )は、… 中嶋 博(なかじま ひろし、1923年6月12日 - )は、教育学者、早稲田大学名誉教授。
宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989… 宮城 弘(みやぎ ひろし、1923年6月11日 - 1989年9月26日)は、日本の工学者。日本大学名誉教授。 長野県生まれ。1941年(昭和16年)旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)卒業。1955年(昭和30年)日本大学大学院旧工学研究科(現理工学研究科)課程修了。1977年(昭和52年)~1985年(昭和60年)、1987年(昭和62年)~1989年(平成元年)の間、日本大学理工学部電気工学科主任を務めた。 1983年(昭和58年)8月、当時の宮城弘教授、木方靖二専任講師(後に理工学部教授)、鈴木勝行助手(後に理工学部教授)らにより、愛媛県来島海峡沖に設置された海上設置型潮流発電装置により、世界初の潮流発電(850w)に成功した。
木幡 瑞枝(こばた みずえ、1923年6月11日 -2018… 木幡 瑞枝(こばた みずえ、1923年6月11日 -2018年1月26日)は、日本の美学者、文芸評論家、東京女子大学名誉教授。 島根県出身。旧姓・須佐。夫は木幡順三。1949年東京女子大学外国語学部卒、1952年東京大学文学部美学美術史学科卒。同大学院に学び、実践女子大学助教授、1966年東京女子大学短期大学部教授、88年同現代文化学部教授。92年定年退任、名誉教授。
内藤 千百里(ないとう ちもり、1923年6月10日 - 2… 内藤 千百里(ないとう ちもり、1923年6月10日 - 2018年1月27日)は、日本の経営者。元関西電力(関電)代表取締役副社長。旧姓は竹内。 大阪府出身。天王寺中学校、旧制松江高等学校を経て、1947年、京都帝国大学経済学部卒業と同時に関電前身の関西配電に入社。1962年に芦原義重社長の秘書になり、政財界とのパイプ役を約30年間務めた。1970年に芦原は会長に退き、さらに相談役名誉会長に退いたが、その後も腹心であった内藤を用いて社内に強い影響力を持った。ところが、1986年に『朝日ジャーナル』誌で連載されていた「企業探検」で関電が取り上げられ、その一種恐怖支配とも取れるワンマンぶりが公となった(なお、この記事を執筆したのは当時龍谷大学教授だった奥村宏であった)。
田 英夫(でん ひでお、1923年(大正12年)6月9日 -… 田 英夫(でん ひでお、1923年(大正12年)6月9日 - 2009年(平成21年)11月13日)は、日本のジャーナリスト、政治家。従三位勲一等。参議院議員を務めた。 貴族院勅選議員や台湾総督を務めた男爵・田健治郎の次男である田誠(鉄道省国際観光局長や華中鉄道副総裁を歴任)の次男として、東京で生まれる。政治家の田艇吉は大伯父、江戸時代の女流歌人・田捨女は先祖にあたる。 旧制学習院高等科を卒業した年1943年(昭和18年)の東京帝国大学入学直後、学徒出陣で海軍に入隊。海軍兵科第4期予備学生を経て、第16震洋特別攻撃隊艇隊長として宮崎県の赤水で訓練を重ねていたが、出撃命令が下る前、海軍中尉で終戦を迎え復員した。
尾山 力(おやま つとむ、1923年6月9日 - 2008年… 尾山 力(おやま つとむ、1923年6月9日 - 2008年1月9日)は、日本の医学者・麻酔学者。弘前大学名誉教授。 北海道釧路市出身。北海道帝国大学医学専門学校卒、1956年北海道大学医学博士。ハーヴァード大学で麻酔学を学ぶ。北海道大学医学部講師、1965年弘前大学医学部助教授、1971年教授、1991年定年退官、名誉教授、ツムラ薬理研究所。日本麻酔学会会長、国際ペイン・クリニック学会会長。 2000年、勲三等旭日中綬章を受章。2008年1月9日、心不全のため死去。
石田 雄(いしだ たけし、1923年6月7日 - 2021年… 石田 雄(いしだ たけし、1923年6月7日 - 2021年6月2日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。 父は神奈川県知事や警視総監を務めた石田馨。母方の祖父は茨城県知事を務めた大塚貢。長男は東京大学名誉教授の石田浩。次男は千葉大学教授の石田憲。義兄(姉の夫)は東京都知事を務めた鈴木俊一。 内務省神社局長、警視総監、高松宮別当、宮内省御用掛などを歴任した石田馨の二男として、父の青森県警察部長時代に青森市で生まれる。旧制成蹊高校から東京帝国大学を受験したが不合格となり、東北帝国大学法文学部へ入学。在学中に学徒出陣を受け、東京湾要塞重砲兵連隊に入隊した。 敗戦で復員した後は、特例措置で東京大学法学部政治学科へ転じて丸山眞男ゼミに参加。
江見 絹子(えみ きぬこ、1923年〈大正12年〉6月7日 … 江見 絹子(えみ きぬこ、1923年〈大正12年〉6月7日 - 2015年〈平成27年〉1月13日)は、日本の画家。本名は荻野絹子。夫はフランス系アメリカ人の船乗り、長女は芥川賞受賞作家で慶應義塾大学名誉教授の荻野アンナ。 兵庫県明石市二見町生まれ。兵庫県立加古川高等女学校(現兵庫県立加古川西高等学校)卒業。女学校では絵画クラブに所属しており、油絵は男のすることと見なされた時代において、大反対する父を説き伏せ、卒業後に油絵の道へ進んだ。後に二紀会会員となる洋画家の伊川寛の個人教授を受けた後、戦後は神戸市立洋画研究所で学んだ。 神戸市立太田中学校の図画教師を経て、1949年(昭和24年)、第4回行動展(行動美術協会の公募展)に初入選、翌1950年(昭和25年)、第5回展で奨励賞を受賞、1952年(昭和27年)、第7回展で最高賞である行動美術賞を受賞、1953年(昭和28年)に行動美術協会で初の女性会員となった。
長富 政武(ながとみ まさたけ、1923年6月5日 - 20… 長富 政武(ながとみ まさたけ、1923年6月5日 - 2000年3月14日)は、山口県出身のプロ野球選手。
崇仁親王妃 百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ、1923年〈… 崇仁親王妃 百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ、1923年〈大正12年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉11月15日)は、日本の皇族、旧華族。大正天皇第4皇子で昭和天皇の弟宮の三笠宮崇仁親王の妃。身位は親王妃。敬称は殿下。勲等は勲一等。お印は桐(きり)。旧名は、高木 百合子(たかぎ ゆりこ)。2023年9月まで皇室会議予備議員。子爵・高木正得第2女子。 東京府東京市赤坂区赤坂青山高樹町(現:東京都港区南青山)の高木子爵邸に華族令嬢として誕生。華族・高木正得子爵の二女。母の邦子は入江為守子爵二女で夫の崇仁親王とは、はとこにあたる。姉に衣子、妹に桃子、小夜子がいる。 1928年(昭和3年)、女子学習院幼稚園に入園。
大山 倍達(おおやま ますたつ、1923年〈大正12年〉6月… 大山 倍達(おおやま ますたつ、1923年〈大正12年〉6月4日 - 1994年〈平成6年〉4月26日)韓国名は崔 倍達(チェ・ベダル、韓国語: 최배달)、民族名は崔 永宜(チェ・ヨンイ、チェ・ヨンウィ、韓国語: 최영의)は、空手家、極真会館創始者、国際空手道連盟総裁。段位は十段。別名はマス大山。 1970年代に『週刊少年マガジン』に連載された劇画『空手バカ一代』での主人公であり国内外に極真カラテの普及に努めた。 妻は大山智弥子、三女は大山喜久子。 父・崔承玄(チェ・スンヒョン、韓国語: 최승현)と母・金芙蓉(キム・ブヨン、韓国語: 김부용)との間に、6男1女の第4子として日本領朝鮮全羅北道金堤市で生まれた。
中嶋 貞雄(なかじま さだお、1923年6月4日 - 200… 中嶋 貞雄(なかじま さだお、1923年6月4日 - 2008年12月14日)は、日本の物理学者。 静岡県生まれ。旧制沼津中学校卒。東京大学理学部物理学科卒。 名古屋大学教授を経て、東京大学物性研究所所長となる。退官後、東海大学教授、東京大学名誉教授。 彼の研究が超伝導のBCS理論に引用されるなど、超伝導、液体ヘリウムなど低温物理学の権威である。また線形応答理論でも貢献した。 1987年には、高温超伝導が発見された直後、京都でのLT18低温物理学国際会議の委員長を務めた。 1953年、名古屋大学の助教授であった中嶋は、京都で開催された国際理論物理学会の超伝導分科会で、超伝導理論を発表した(中嶋本人が講演をしたわけではない。
鮎川 弥一(あゆかわ やいち、1923年6月1日 - 199… 鮎川 弥一(あゆかわ やいち、1923年6月1日 - 1991年11月30日)は、日本の実業家。テクノベンチャー創業者。 山口県出身。旧制成蹊高等学校、東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。日本冷蔵(現・ニチレイ)に入社後、食品化学研究のためフルブライト留学生として渡米。マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。日本人として戦後初の博士の称号を受ける。 帰国後は、食品会社クノールの元親会社で多国籍総合食品化学会社のCPC(現・Ingredion)に入社し、同社極東代表および同子会社・日本CPC会長に就任。また、父・鮎川義介が設立した中小企業助成会を再編し、1974年にテクノベンチャー株式会社として改称して、代表取締役社長に就任。
13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家。位階は正五位。 日本芸術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市出身。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。 12代中里太郎右衛門(中里無庵)の長男であり、弟の中里重利、中里隆も陶芸家、自身の長男忠寛もまた14代中里太郎右衛門で伝統ある陶芸家の家系である。 進学に際しては後の作陶力向上のため絵画能力を重視した父無庵の意見により佐賀県立唐津中学校を経て美術学校である官立東京高等工芸学校工芸図案科に入学した経緯があった。 戦時中の1943年(昭和18年)には宮崎県の航空教育隊に入営、所属部隊が1945年5月に台湾の台北空港に展開、そのまま現地で終戦し1946年(昭和21年)まで台中で捕虜生活を経験した。
13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん… 13代中里太郎右衛門(じゅうさんだい なかざと たろうえもん、1923年(大正12年)5月31日 - 2009年(平成21年)3月12日)は、陶芸家、日本藝術院会員。本名・中里忠夫。法号・中里逢庵。佐賀県唐津市生まれ。日本工匠会会長。国際陶芸アカデミー会員。
井上 梅次(いのうえ うめつぐ、1923年5月31日 - 2… 井上 梅次(いのうえ うめつぐ、1923年5月31日 - 2010年2月11日)は、日本の映画監督、脚本家、作詞家である。 京都市生まれ。京都市立第一商業学校を卒業後、慶應義塾大学経済学部に入学するも、1943年応召、1945年に復学して1947年に卒業。在学中から出入りしていた新東宝に正式に入社。自作の脚本を盛んに売り込み、1952年、わずか5年で『恋の応援団長』で監督に昇進。雪村いづみの音楽映画などを手掛けた。 1955年、日活に移籍。当時売り出し中の石原裕次郎の映画を担当し、『嵐を呼ぶ男』が大ヒット。裕次郎は大スターとしての地位を確立した。 1960年フリーになり、新東宝、日活以外の邦画四社で活躍。
岩本 賢太郎(いわもと けんたろう、1923年5月31日 -… 岩本 賢太郎(いわもと けんたろう、1923年5月31日 - 2007年8月21日)は、日本の実業家。日本石油社長を務めた。 山口県下松市出身[要出典]。1951年に東京大学を卒業して、日本石油に入社した。 1977年より取締役勤労部長となり、1982年に常務を経て、1988年に社長に就任。1992年まで務めた。1974年から1976年まで、野球部の部長も経験している。 2007年8月21日、心不全により川崎市内の病院で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
倉本 初夫(くらもと はつお、1923年5月29日-2013… 倉本 初夫(くらもと はつお、1923年5月29日-2013年12月15日)は、日本の経営評論家、「商業界」主幹。 経営評論家・倉本長治の子。1944年、東京帝国大学文学部卒業。倉本長治の後を継いで商業について評論・講演活動を行う。
森 幹郎(もり みきお、1923年5月29日 - )は、日本… 森 幹郎(もり みきお、1923年5月29日 - )は、日本の老年学・ハンセン病史学者。専門は老年学(比較老年学及び政策老年学)。 名古屋大学経済学部卒業。邑久光明園(国立ハンセン病療養所)、国立東京光明寮(視力障害者リハビリテーションセンター。現・国立身体障害者リハビリテーションセンター)、厚生省社会局(老人福祉専門官)勤務、長野大学産業社会学部教授、奈良女子大学生活環境学部教授、花園大学社会福祉学部教授。1991年退職。
山田 基三(やまだ もとぞう、1923年5月28日 - 20… 山田 基三(やまだ もとぞう、1923年5月28日 - 2006年4月3日)は、日本の経営者。関西ペイント社長を務めた。 大阪府出身。1943年に関西学院高等商業学校(現在の関西学院大学商学部)を卒業し、同年に関西ペイントに入社。1970年11月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1989年6月には会長に就任した。 1987年4月に藍綬褒章を受章。 2006年4月3日に肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。