白川 一(しらかわ はじめ、1922年5月25日 - 198… 白川 一(しらかわ はじめ、1922年5月25日 - 1982年3月15日)は、鹿児島県出身のプロ野球選手(外野手)。 鹿児島商業学校から社会人野球の星野組を経て、1950年に創設された毎日オリオンズへ入団。 1953年に現役を引退。1955年から1957年までコーチを務めた。
1922年(大正11年)生まれ:741人
白川 一(しらかわ はじめ、1922年5月25日 - 198… 白川 一(しらかわ はじめ、1922年5月25日 - 1982年3月15日)は、鹿児島県出身のプロ野球選手(外野手)。 鹿児島商業学校から社会人野球の星野組を経て、1950年に創設された毎日オリオンズへ入団。 1953年に現役を引退。1955年から1957年までコーチを務めた。
米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 201… 米倉 功(よねくら いさお、1922年5月25日 - 2015年12月6日)は日本の実業家。伊藤忠商事の社長・会長、経済団体連合会副会長を務めた。勲一等瑞宝章、藍綬褒章、トルコ共和国功労勲章受章。
辛 道煥(シン・ドファン、朝鮮語: 신도환、1922年5月2… 辛 道煥(シン・ドファン、朝鮮語: 신도환、1922年5月25日 - 2004年3月24日)は、大韓民国の政治家、柔道家(青濤館4・5・6段、大韓柔道会7・8・9・10段)。第4・8・9・10・12代韓国国会議員。本貫は寧越辛氏。号は滄帆(チャンボム、창범)。キリスト教徒。 大邱生まれ、日本統治時代の慶尚北道義城郡出身。大邱達城普通学校、大邱啓聖学校、1943年に明治大学法学科卒業。1950年代に東京大学法学部、コロンビア大学国際法課程修了。 1958年の第4代総選挙に無所属で出馬して当選し、同年に大韓体育会長署理を務め、翌年に大韓反共青年団を設立し団長を務めた。大韓反共青年団は3・15不正選挙と四月革命の引き金となる「高大生被襲事件」で暴力団の動員に関与したとみなされたため、1960年に不正選挙関連の容疑で死刑を求刑されたが無罪で解放された。
跡田 禎三(あとだ ていぞう、1922年5月25日 - 19… 跡田 禎三(あとだ ていぞう、1922年5月25日 - 1994年7月1日)は、日本の経営者。名古屋鉄道副社長、岐阜乗合自動車社長を務めた。大分県出身。 1936年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に名古屋鉄道に入社。1968年11月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1978年6月に副社長に就任。1985年6月に取締役相談役に就任。1979年8月には岐阜乗合自動車社長に就任。 1983年11月に藍綬褒章を受章。 1994年7月1日急性心不全のために死去。72歳没。
別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24… 別宮 貞雄(べっく さだお、1922年〈大正11年〉5月24日 - 2012年〈平成24年〉1月12日)は、日本の作曲家。 1922年に別宮貞俊(東京工業大学教授を務めたのち実業界に転じ、住友電気工業株式会社初代社長などを歴任)と病理学者で東京帝大医学部教授の山極勝三郎の長女梅子の息子として東京に生まれた。翻訳家の別宮貞徳は弟。 兵庫県立第一神戸中学校から成城高等学校、第一高等学校を経て東京大学理学部物理学科を1946年(昭和21年)に卒業。同年に「管弦楽のための二章」を発表して作曲家としてデビューした。翌1947年(昭和22年)、同大学文学部美学科に入学し1950年(昭和25年)卒業。この間、柴田南雄らの新声会に参加し作品を発表している。
伊東 乾(いとう すすむ、1922年5月24日 - 2016… 伊東 乾(いとう すすむ、1922年5月24日 - 2016年?)は、日本の法学者(民事訴訟法)。慶應義塾大学名誉教授。 幼稚舎から大学まで慶應義塾に学ぶ。1960年「民事訴訟法研究」で法学博士(慶應義塾大学)の学位を取得。1948年4月慶應義塾大学法学部助教授、1953年4月教授、1986年定年、名誉教授。日本民事訴訟法学会の設立メンバー。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
平柳 育郎(ひらやなぎ いくろう、1922年(大正11年)5… 平柳 育郎(ひらやなぎ いくろう、1922年(大正11年)5月23日 - 1944年(昭和19年)1月4日)は、日本の海軍軍人。海兵70期首席。最終階級は海軍大尉。 歩兵第58聯隊大隊長(1920年〈大正9年〉8月10日 -1922年〈大正11年〉3月31日)から東京の陸軍兵器本廠廠員(1922年〈大正11年〉4月1日-1923年〈大正12年〉3月16日)に転属となった福井県士族・陸軍歩兵少佐の平柳竹志(陸士14期)の三男として生まれる。 父・竹志は育郎が生まれた翌年の1923年(大正12年)3月17日に陸軍歩兵中佐に昇進と同時に待命を命じられ、同年3月31日を以て陸軍軍備縮小の影響で予備役編入、退職。
中田 吉信(なかだ よしのぶ、1922年(大正11年)5月2… 中田 吉信(なかだ よしのぶ、1922年(大正11年)5月23日 - 1999年(平成11年)2月22日)は、日本における中国イスラーム史研究の先駆者の一人。専門は中国近現代史、特に中国イスラーム史(回族史)。中国の漢語を話すムスリムである「回族(回回民族)」の歴史や、清朝末期の反乱、近代におけるアイデンティティ形成の研究で知られる。 静岡県生まれ。静岡県立静岡中学校に学ぶ。旧制静岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部入学。東洋史を専攻。1943年(昭和18年)、学徒動員、1945年(昭和20年)10月、復員、直ちに復学。1947年(昭和22年)9月、卒業。大学院で「清代の回教徒」を研究。1949年(昭和24年)、東京大学大学院修了。
鈴木 誠一(すずき せいいち、1922年5月23日 - 没年… 鈴木 誠一(すずき せいいち、1922年5月23日 - 没年不明)は、日本の経営者。エステー化学社長を務めた。東京都出身。 1943年に東京薬学専門学校を卒業し、1948年にエステー化学を創業。 専務、副社長を経て、1973年には社長に就任。1987年9月に会長を経て、1998年9月から2002年6月までに名誉会長を務めた。
下山 瑛二(しもやま えいじ、1922年5月22日 - 20… 下山 瑛二(しもやま えいじ、1922年5月22日 - 2017年8月24日)は、日本の法学者。 埼玉県出身。東京帝国大学法学部卒。1947年東京大学社会科学研究所助手、1950年大阪市立大学講師、助教授、59年教授。1965年東京都立大学 (1949-2011)教授、85年東京都立大学総長。1989年大東文化大学教授。イギリス行政法を研究し、日本の行政法に考察を加える。国家賠償法などの研究に業績がある。
中込 雪男(なかごめ ゆきお、1922年5月22日 - 20… 中込 雪男(なかごめ ゆきお、1922年5月22日 - 2014年8月18日) は、日本の技術者。国際電信電話副社長、国際ケーブル・シップ社長、電子情報通信学会副会長、テレビジョン学会会長などを歴任した。紫綬褒章受章。 山梨生まれ。1949年東京工業大学電気工学科卒業、逓信省入省、電気通信研究所方式実用化部電信課。1960年東京工業大学工学博士。1973年前島密賞受賞。1976年国際電信電話研究所(のちのKDDI総合研究所)所長。1978年科学技術庁長官賞受賞。1980年国際電信電話研究所取締役、テレビジョン学会評議員。1981年電子通信学会編集長。1983年紫綬褒章受章。1984年国際電信電話常務取締役。
永野 裕貞(ながの ひろさだ、1922年(大正11年)5月2… 永野 裕貞(ながの ひろさだ、1922年(大正11年)5月21日 - 2021年(令和3年)11月22日)は、昭和後期から平成期の地方公務員、政治家。長野県上田市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章受章。 長野県上水内郡三水村(現飯綱町)で、永野貞治、はまえの長男として生まれた。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)を経て、1944年(昭和19年)9月、旧制上田繊維専門学校を卒業。 1947年(昭和22年)5月、長野県庁に入庁し、長水地方事務所次長、北佐久地方事務所長、総務部管財課長、同地方課長、下伊那地方事務所長、長野県教育委員会教育次長、人事委員会事務局長、生活環境部長を歴任し、1978年(昭和53年)上田市助役に就任。
大野 俊康(おおの としやす、1922年〈大正11年〉5月2… 大野 俊康(おおの としやす、1922年〈大正11年〉5月20日 - 2013年〈平成25年〉4月16日)は、日本の神職。靖國神社宮司(第7代)。本渡諏訪神社名誉宮司。 熊本県出身。1943年(昭和18年)10月、神宮皇學館大学祭祀専攻科に入学したが、学徒出陣により、同年12月1日、陸軍西部十六部隊(熊本市の陸軍歩兵連隊機関銃中隊大隊砲小隊)に入営。1944年(昭和19年)6月、第三期特操として熊谷飛行学校に入校したものの、訓練未了のまま終戦を迎えた。 1947年(昭和22年)2月、肥後本渡諏訪神社(天草島総鎮守)宮司。1948年(昭和23年)、九州帝国大学(現・九州大学)文学部卒。1986年(昭和61年)、熊本県神社庁長。
西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日… 西 義之(にし よしゆき、1922年(大正11年)5月20日 - 2008年(平成20年)10月9日)は、日本のドイツ文学者、評論家、翻訳家。東京大学教養学部名誉教授。 日本統治時代の台湾台中市生まれ。東京大学独文科卒業。金沢大学助教授、1964年東京大学教養学部助教授、1970年教授。1983年定年退官、名誉教授、金城短期大学学長を務めた。 ドイツ文学専攻で、ヘルマン・ヘッセ、シュテファン・ツヴァイクなど翻訳多数。1960年代から1970年代にかけて、進歩的知識人を批判、論争し、相手方から「ファシスト」と呼ばれた。[要出典] 1975年の『誰がファシストか』では、西欧のファシズム研究を紹介しつつ、進歩派こそファシストではないかと批判した。
加藤 九祚(かとう きゅうぞう、1922年5月18日 - 2… 加藤 九祚(かとう きゅうぞう、1922年5月18日 - 2016年9月11日)は、日本の人類学者。アジア文化史・考古学で、多くの著作と訳書がある。創価大学、国立民族学博物館名誉教授。朝鮮名は李九祚(イ・クジョ) 。 1922年、朝鮮慶尚北道に生まれ、山口県に育った。鉄工所工員・小学校代用教員を経て、1942年に上智大学予科へ入学した。1944年に応召し、満洲へ出征。1945年の敗戦により、ソ連軍に捕らえられ、シベリアに抑留された。 1950年に日本に帰国。1951年、上智大学文学部独文科に復学し、1953年に同大学を卒業。卒業後は恩師の小林珍雄の紹介で平凡社に入社。抑留中に習得したロシア語やドイツ語を生かしてユーラシア大陸の考古学やシベリアの諸民族に関する研究の翻訳紹介を始め、1963年に最初の著作である『シベリアの歴史』を刊行。
鈴木 邦一(すずき くにいち、1922年5月18日 - 2… 鈴木 邦一(すずき くにいち、1922年5月18日 - 2010年3月19日)は、日本の銀行家。大東銀行頭取を務めた。 千葉県出身。1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年12月に大蔵省に入省。1971年9月に退官し、同年11月に大東銀行専務に就任し、1973年10月には社長に昇格。1989年2月に頭取、1991年6月に会長を経て、1997年6月には相談役に退いた。 2010年3月19日、肝臓がんのために死去。87歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
青木 秀(あおき しげる、1922年5月17日 - 2011… 青木 秀(あおき しげる、1922年5月17日 - 2011年9月12日)は、日本の経営者。西日本新聞社社長を務めた。 宮崎県延岡市出身。1946年に東京産業大学(現在の一橋大学)を卒業し、1947年に西日本新聞社に入社。1973年に取締役に就任し、1975年に常務、1977年に専務、1983年に副社長を経て、1985年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、2000年6月に取締役相談役を経て、2001年6月には相談役に就任した。 テレビ西日本会長、テレビ宮崎取締役も務めた。 2011年9月12日肺炎のために死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西牟田 久雄(にしむた ひさお、1922年5月16日 - 2… 西牟田 久雄(にしむた ひさお、1922年5月16日 - 2010年)は、日本の倫理学、哲学者。 長崎県生まれ。1949年第五高等学校卒業。東京教育大学卒業、1955年同大学院哲学研究科修士課程修了。1966年本州大学経済学部助教授(倫理学)。1974年校名変更で長野大学産業社会学部教授。1976年東京電機大学理工学部教授。1992年定年退職。ロシア語文献の翻訳を多く行った。
桜井 清彦(さくらい きよひこ、1922年5月16日 - 2… 桜井 清彦(さくらい きよひこ、1922年5月16日 - 2010年9月6日)は、日本の考古学者。専攻は比較考古学、特にミイラ研究・日本の北方文化研究。早稲田大学名誉教授。1988年紫綬褒章受章。 東京生まれ。1946年、早稲田大学文学部史学科卒。早稲田大学教授、1993年、定年退任、名誉教授。昭和女子大学教授。西アジアや中国、東南アジアで発掘調査を行なった。1988年、紫綬褒章受章。1994年、勲三等瑞宝章を受章。2010年9月6日、急性心不全のため死去。
田中 善六(たなか ぜんろく、1922年5月15日 - 20… 田中 善六(たなか ぜんろく、1922年5月15日 - 2002年3月15日)は、日本の経営者。福島県出身。株式会社クラロンの創業者であり、元代表取締役。国際ロータリー第253区ガバナーなども歴任した。
石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15… 石川 昌(いしかわ まさし、1922年(大正11年)5月15日 - 2016年(平成28年)9月12日)は、昭和から平成時代の政治家。元千葉県木更津市長。元海上自衛官。最終階級は海将補。 木更津市出身。東京府立四中(現・東京都立戸山高等学校)を経て、海軍経理学校に進み、1942年に卒業後、戦艦伊勢や武蔵などに乗り組んだ。復員後は東大に進み、1949年(昭和24年)東京大学法学部政治学科卒業。公職追放中だった事から官庁入りはかなわず、日本シルクに入社した。 1955年(昭和30年)海上自衛隊に入隊、木更津航空補給所長を務めた。 1979年(昭和54年)、木更津市長選挙に初当選し1995年(平成7年)まで4期務めた。
清水九兵衛(きよみず きゅうべえ、旧字体: 淸水 九兵衞、1… 清水九兵衛(きよみず きゅうべえ、旧字体: 淸水 九兵衞、1922年5月15日 - 2006年7月21日)は彫刻家、陶芸家。日本における抽象彫刻の第一人者である一方、京焼の名家として知られる清水六兵衞(七代)を襲名していた。名は広、旧姓は塚本。 愛知県大久手町(現・名古屋市千種区大久手町)に生まれ、愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)へ進学。第二次世界大戦開戦直後に名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)で建築を学び、主にイタリアのファシスト政権下で存続していたモダニズム建築に興味を持った。沖縄戦から生還し、戦後は東京藝術大学美術学部鋳金科で彫刻を学んだ。在学中に京都の清水焼の名跡、六代清水六兵衛の養子となり陶芸をはじめた。
瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年… 瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年〉5月15日 - 2021年〈令和3年〉11月9日)は、日本の小説家、天台宗の尼僧。位階は従三位。俗名:晴美(はるみ)。僧位は権大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。天台寺名誉住職、徳島市名誉市民、京都市名誉市民、二戸市名誉市民。天台寺住職、比叡山延暦寺禅光坊住職、敦賀女子短期大学学長を務めた。 作家としての代表作は、『夏の終り』『花に問え』『場所』など多数。1988年以降は『源氏物語』に関連する著作が多く、新潮同人雑誌賞を皮切りに、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞した。 大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた作家である。
児島 英一(こじま えいいち、1922年5月14日 - 20… 児島 英一(こじま えいいち、1922年5月14日 - 2007年11月23日)は、日本の経営者。近畿日本ツーリスト社長を務めた。 東京都出身。1945年に大阪帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に近畿日本鉄道に入社。1972年11月に取締役、1975年5月に常務、1978年6月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任。1985年3月に近畿日本ツーリスト副社長に就任し、1987年3月には社長に昇格。1993年3月に取締役相談役に就任し、1996年3月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章。 2007年11月23日に急性心不全のために死去。85歳没。
番匠 義彰(ばんしょう よしあき、1922年5月13日 - … 番匠 義彰(ばんしょう よしあき、1922年5月13日 - 1992年4月12日)は、日本の映画監督。 東京都出身。父は鹿児島教会牧師や北陸学院短期大学学長を務めた番匠鉄雄。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)(1940年=33回卒)を経て、1945年に早稲田大学文学部英文科卒業。大学在学中の1943年、松竹大船撮影所に助監督として入社。中村登の下で松竹大船に特徴的な映画技術や映画作法を習得。1955年、「かりそめの唇」で監督デビュー。特に喜劇を得意分野としたが、逆に情緒的・悲劇的作品においても評価を得た。1965年の「ウナ・セラ・ディ東京」をもって退社、フリーとなって活動の場をテレビ映画へ移した。
八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 200… 八木 國之(やぎ くにゆき、1922年5月13日 - 2008年4月6日)は、日本の法学者・弁護士。法学博士(中央大学)。中央大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。市川秀雄門下。なお、「八木国之」とも表記される 1942年に中央大学専門部法学科を卒業し、同年中央大学法学部入学。1943年臨時召集。大日本帝国陸軍主計少尉を経て1945年に復員・復学。1946年中央大学法学部卒業。1953年同大学院法学研究科修了。中央大学法学部助教授。1962年同法学部教授。1965年同大学院法学研究科教授。中央大学協議員。1966年中央大学評議員。1977年中央大学通信教育部長。1985年同大学院法学研究科委員長。
林 政義(はやし まさよし、1922年5月12日 - 201… 林 政義(はやし まさよし、1922年5月12日 - 2014年4月26日)は、日本の電気技術者。中部電力代表取締役副社長や、動力炉・核燃料開発事業団理事長、新エネルギー・産業技術総合開発機構理事長、日本原子力学会会長等を歴任した。 1946年名古屋帝国大学工学部卒業、中部配電入社。1961年中部電力本店東名古屋送変電建設所次長。1969年中部電力名古屋支店次長。1972年中部電力支配人本店系統運用部長。1977年中部電力取締役長野支店長。1979年中部電力常務取締役。1981年中部電力取締役副社長。1983年中部電力代表取締役副社長。1984年動力炉・核燃料開発事業団理事。1986年動力炉・核燃料開発事業団理事長、中部電力顧問。
和田謹吾(わだ きんご、1922年5月12日―1994年11… 和田謹吾(わだ きんご、1922年5月12日―1994年11月15日)は、日本近代文学の研究者、北海道大学名誉教授。 東京に国文学者和田信二郎の五男として生まれる。藤田圭雄のいとこ。1944年東京高等師範学校卒、土浦海軍航空隊に入隊し、敗戦後北海道大学法文学部国文科に入る。北海道大学教養部助教授、教授、1986年定年、北海道立文学館理事長を務めた。1987年北海道文化賞、1992年北海道新聞文化賞受賞。『風土のなかの文学』で提唱された「北海道の文学の四分類」は有名。
小倉 義光(おぐら よしみつ、1922年5月11日 - 20… 小倉 義光(おぐら よしみつ、1922年5月11日 - 2022年5月29日)は、日本の気象学者、イリノイ大学名誉教授。 神奈川県出身。東京大学理学部卒。1953年、「大気乱流の研究」で、東京大学より理学博士の学位の取得。1964年東京大学海洋研究所教授となり、1965年所長。1971年米国・イリノイ大学教授、同気象研究所所長、名誉教授。大気の乱流の研究で知られる。1954年日本気象学会賞、1980年藤原賞受賞。
伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 201… 伊藤 利夫(いとう としお、1922年5月10日 - 2011年7月20日) は岐阜県岐阜市生まれのプロ野球選手(外野手)、高校野球監督。
潮見 俊隆(うしおみ としたか、1922年5月10日 - 1… 潮見 俊隆(うしおみ としたか、1922年5月10日 - 1996年10月19日)は、日本の法学者。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「漁村の構造:漁業権の法社会学的考察」)。東京大学社会科学研究所教授・帝京大学教授を経て、帝京大学名誉教授。専門は民法・法社会学。川島武宜に師事。 東京府出身。東京大学法学部卒。東京大学社会科学研究所教授。1950年代から活躍する民法及び法社会学の権威であったが、1977年の東ドイツ行きに先立ち書き上げ、同年9月に刊行した『治安維持法』において、同僚の奥平康弘の著書『治安維持法小史』や奥平教授を中心とする治安維持法研究会メンバーが執筆した論文が掲載された『季刊現代史』より盗用が発覚するという岩波新書はじまって以来のスキャンダルが判明し、急遽留学先の東ドイツより帰国、東京大学を辞任。
戸田 敏子(とだ としこ、1922年〈大正11年〉5月10日… 戸田 敏子(とだ としこ、1922年〈大正11年〉5月10日 - 2015年〈平成27年〉9月24日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ、アルト)、オペラ歌手、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。 東京府出身。1943年(昭和18年)東京音楽学校(現:東京藝術大学)を総代で卒業。 1943年11月13日に東京音楽学校の奏楽堂で開催された第149回報国団出陣学徒壮行演奏会で、村野弘二の繰り上げ卒業時に発表されたオペラ『白狐』第二幕のアリア「こるはの獨唱」(作詞:岡倉天心 ピアノ伴奏:高橋美代子)を歌う。その後、同級生の畑中良輔とともに村野作品のレコード吹込みを行い、戸田は「こるはの獨唱」(ピアノ伴奏:高橋美代子)と、歌曲『重たげの夢』(作詞:三好達治 ピアノ伴奏:村野弘二 チェロ伴奏:井上みどり)を歌った。
小桧山 哲夫(こひやま てつお、1922年(大正11年)5月… 小桧山 哲夫(こひやま てつお、1922年(大正11年)5月10日 - 1997年(平成9年)10月23日)は、日本の政治家。青森県三沢市長(3期)。 青森県上北郡三沢村(のち大三沢町、現在の三沢市)出身。1940年(昭和15年)旧制青森県立野辺地中学校(現在の青森県立野辺地高等学校)卒。卒業後は大湊要港部建築部に就職。太平洋戦争の悪化により、陸軍に召集され、旧満州に派遣される。現地で終戦を迎え、ソ連軍によりシベリアに抑留される。1948年(昭和23年)に帰国し、大三沢町役場に就職する。 大三沢町役場は市制施行により、三沢市役所となる。小桧山は市総務課長、収入役を経て、1970年(昭和45年)青森県議会議員選挙に出馬するため三沢市役所を退職した。
江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 201… 江藤 晴康(えとう はるやす、1922年5月9日 - 2016年2月21日)は、福岡県北九州市出身のプロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。1949年から1954年は、「江藤 正(えとう ただし)」の名前でプレーした。 八幡中(現:八幡高)・法政大学でエース投手として活躍。在学中に学徒出陣で召集され、台湾で終戦を迎える。大学卒業後は社会人野球の門司鉄道局・大洋漁業でプレー。1949年に南海ホークスに入団した。 プロ入りに際し、大阪タイガースと南海ホークスとの二重契約が発覚。これには、以下のような事情がある。以前に武末悉昌の獲得を巡って両球団が争い、武末が南海に入ったことを「奪われた」と考えた大阪の若林忠志監督が南海の山本一人監督に抗議したところ、山本が「武末は南海、江藤は大阪ということにしよう」と口にした。
鄭 幹鎔(チョン・ガニョン、朝鮮語: 정간용、1922年5月… 鄭 幹鎔(チョン・ガニョン、朝鮮語: 정간용、1922年5月9日 - 2003年8月30日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の教員、実業家、政治家。第7・8代韓国国会議員。本貫は慶州鄭氏(朝鮮語版)。カトリック教徒。 日本統治時代の全羅南道莞島郡出身。莞島郡薬山初等学校、平安中学校(京都)、日本大学法科卒。上海臨時政府宣撫団参加。全羅南道光州西中学校・莞島中学校教員、莞島郡水産高等学校・長興高等学校校監を務めた後に政界入り、民主共和党結党メンバー・大統領選挙対策委員長・莞島地区党事務局長・全南地区組織部長・宣伝部長、韓国水産技術協会会長、三光物産重役などを務めた。また、1968年12月11日より第11代大韓バドミントン協会会長を務めた。
野本 喜一郎(のもと きいちろう、1922年5月8日 - 1… 野本 喜一郎(のもと きいちろう、1922年5月8日 - 1986年8月8日)は、埼玉県加須市出身のプロ野球選手、学生野球指導者。 旧制の不動岡中学校(現在の埼玉県立不動岡高等学校)卒業。第二次世界大戦が勃発すると日本軍に徴兵され、中国戦線へ送られた。 不動岡中時代から野球部の投手を務めており、戦後、社会人野球のコロムビアを経て、1950年に西日本パイレーツへ入団した。1951年、西日本パイレーツと西鉄クリッパースが合併し、西鉄ライオンズと改称したが3シーズンに渡って同チームに在籍し、1953年に近鉄パールスへ移籍し、アンダースローの投手としてプロ通算18勝をあげた。同年限りで現役を引退し、その後は郷里の埼玉県に戻り上尾町(後の上尾市)で銭湯を営んでいた。
原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - … 原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - 2016年(平成28年)2月14日)は、日本の政治家。大阪府岸和田市長。大阪府市長会顧問。 大阪府岸和田市出身。元特攻隊隊員。1956年(昭和31年)関西大学経済学部を卒業後、岸和田市役所に入る。1962年(昭和37年)青少年課長、1965年(昭和40年)職員課長、1970年(昭和45年)総務部長と昇進を続け、1973年(昭和48年)の岸和田市長選挙に立候補、社会党と共産党の推薦を得て、当時4選を狙っていた自民推薦の現職・中澤米太郎を破り初当選する。泉州地域では初めて社共共闘による革新市長が誕生した。 定住外国人(主に在日朝鮮人)への地方参政権付与を認める決議を採択し、韓国の当時の大統領盧武鉉より修交勲章崇礼章を授与された。
中島 省吾(なかじま せいご、1922年5月8日 - 201… 中島 省吾(なかじま せいご、1922年5月8日 - 2013年12月24日)は、日本の会計学者。商学博士(一橋大学・論文博士・1971年)。国際基督教大学名誉教授。第5代日本会計研究学会会長。第2代国際会計研究学会会長。初代International Association for Accounting Education & Research副会長。キリスト教功労者。 東京府東京市生まれ。1943年12月、武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、第22海軍航空廠付総務課労務係官に就任。同年12月、海軍主計少尉に任官。
川口 陸男(かわぐち むつお、1922年5月8日 - 197… 川口 陸男(かわぐち むつお、1922年5月8日 - 1979年1月13日)は、日本の経営者。日清製油(現在の日清オイリオグループ)社長を務めた。 神奈川県横浜市出身。1948年に横浜工業専門学校電気工学科を卒業し、同年に[[]]に入社。1971年5月に取締役に就任し、1973年に常務、1974年に専務を経て、1977年2月に社長に就任。 1979年1月13日、肝硬変のために在任中に死去。56歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
近藤 宗平(こんどう そうへい、1922年5月7日 - 20… 近藤 宗平(こんどう そうへい、1922年5月7日 - 2014年6月10日)は、日本の遺伝学者、大阪大学名誉教授。放射線ホルミシスの研究者。理学博士。 福岡県出身。京都帝国大学理学部物理学科(実験原子核物理専攻)卒。広島市への原子爆弾投下を受けて、学生として京大原爆物理調査班に参加、放射性物質で汚染された資料の採取、放射能の測定などを行う。核物理学から遺伝学、基礎医学への道へ進む。国立遺伝学研究所室長、大阪大学医学部放射線基礎医学教室教授、近畿大学原子力研究所教授などを歴任。大阪大学名誉教授、近畿大学原子力研究所特別研究員。放射線と健康を考える会会員。1958年 京都大学理学博士 「Thermodynamical fundamental equation for spherical interface」。
竹内 道雄(たけうち みちお、1922年5月7日 - 201… 竹内 道雄(たけうち みちお、1922年5月7日 - 2014年7月10日)は、日本の仏教史学者、博士。長岡工業高等専門学校名誉教授。曹洞宗の歴史を研究した。 新潟県十日町市神宮寺生まれ。東京帝国大学文学部史学科卒、1954年同大学院満期修了を経て、東京都立文京高等学校教諭、長岡工業高等専門学校助教授、教授。1984年「永平二祖孤雲懐弉禅師伝」で駒澤大学文学博士を取得。1986年長岡工業高等専門学校名誉教授。そののち愛知学院大学教授、禅研究所所長をつとめ、1995年退任。新潟県十日町市の曹洞宗臨泉山神宮寺住職を歴任。没後、従四位瑞宝小綬章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 201… 宇賀田 達雄(うがた たつお、1922年5月7日 - 2012年5月24日)は、日本の民藝運動研究者、美術評論家、編集者、記者。妻の宇賀田けようは板画家棟方志功の長女。
瀬長 浩(せなが ひろし、1922年5月6日 - 1997年… 瀬長 浩(せなが ひろし、1922年5月6日 - 1997年10月21日)は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1944年に東北帝国大学理学部物理科を経て、1949年にハワイ大学を卒業。琉球貿易庁、琉球政府での勤務を経て、後に中部製糖社長に就任。1972年に沖縄銀行頭取に就任し、1983年には会長に就任。 1997年10月21日に腎不全のために死去。75歳没。
廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5… 廣田 和民(ひろた やすたみ、1922年(大正11年)5月5日 - 2008年(平成20年)5月27日)は、元日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍主計大尉。戦後は印刷会社を経営。 北海道旭川市出身。父の転勤の関係で旭川市で出生するが、その後地元栃木県宇都宮市で育つ。士族。祖父は宇都宮藩士。父と二代ともに帝国陸軍士官。 旧制栃木県立宇都宮中学(現宇都宮高校)を経て1939年(昭和14年)12月に陸軍経理学校に進学(第5期、陸士56期相当)。ラバウル、フィリピン、インドシナ各地を転々とし、ボルネオ島にて終戦。終戦時階級は陸軍主計大尉。 終戦直後、オーストラリア軍に投降、同軍収容所にて捕虜生活を送り、翌年1946年(昭和21年)に復員後、鉄道教科書会社に就職。
岸 宏子(きし ひろこ、1922年5月5日 - 2014年1… 岸 宏子(きし ひろこ、1922年5月5日 - 2014年12月2日)は、日本の放送作家、小説家。 三重県出身。阿山高等女学校卒。 1942年、小説「醜女」で厚生省公募の勤労文化賞受賞。以後、ラジオ、テレビ等に作品を発表。 1977年、銀河テレビ小説『巣箱』の脚本に対して、第14回ギャラクシー賞・選奨を受賞。 NHK名古屋放送局制作のドラマの脚本を多く書いた。ほか名古屋周辺の歴史を中心とする著作も多い。 これらの功績から第46回NHK放送文化賞(1994年度)を受賞した。 1990年には紫綬褒章、1995年には勲四等宝冠章を受章した。 2014年12月2日、慢性心不全のため死去。92歳没。遺言により、自宅や株式、預貯金、著書・蔵書のみならず、岸の保有する著作権と著作権料まで故郷の伊賀市に寄贈された。
巻 正平(まき しょうへい、1922年5月5日 - 1995… 巻 正平(まき しょうへい、1922年5月5日 - 1995年10月13日)は、日本の評論家、翻訳家。 福島県郡山市に生まれる。第一高等学校を経て1948年東京帝国大学文学部哲学科卒業、大学時代は出隆に師事。 東洋経済新報社に勤め、1959年カッパ・ブックスより『姦通のモラル』を刊行、一夫一婦制には無理があるとして夫婦の自由恋愛を勧め、嫉妬心を批判した。バートランド・ラッセルの結婚観の影響を受けつつ、博識に裏打ちされた優れた著作である程度売れたが、むろん現状に変化はなく、続編を四部作まで刊行したものの、以後は女性向けの恋愛論や消費者問題に移行。 日本消費者協会勤務の後、消費者問題研究所長。相模女子短期大学教授、相模女子大学教授、同学芸学部長を務めた。
山崎 竜男(やまざき たつお、1922年5月5日 - 200… 山崎 竜男(やまざき たつお、1922年5月5日 - 2009年8月15日)は、日本の政治家、医師。参議院議員(4期)。 父は衆議院議員や青森県知事を務めた山崎岩男、息子は参議院議員を務めた山崎力、孫は外ヶ浜町長の山崎結子。 東京都出身。青森医学専門学校(現弘前大学医学部)卒業。 産婦人科医として病院勤務後、1965年の参議院議員選挙に青森県選挙区から無所属で立候補したが落選。 3年後の1968年の参議院議員選挙に再び青森県選挙区から無所属で立候補し初当選。当選後は自由民主党に入党した。党内では船田中派→田中角栄派を経て宮澤喜一派に属し、行政管理政務次官、参議院文教委員長などを歴任後、1989年、宇野内閣の環境庁長官として初入閣。
大山 忠作(おおやま ちゅうさく、1922年5月5日 - 2… 大山 忠作(おおやま ちゅうさく、1922年5月5日 - 2009年2月19日)は、日本画家。日展会長。福島県二本松市出身。妻和子。 長男は日本テレビフットボールクラブ(東京ヴェルディ)役員の大山昌作、娘は女優の一色采子。 1943年、学徒出陣の為、東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)を繰り上げ卒業。埼玉県で特別操縦見習士官3期となり、台湾の航空隊で終戦を迎えた。 1946年、復員し、その年の第2回日展『O先生』が初入選。翌年、高山辰雄らの日本画研究団体「一采社」に参加。山口蓬春に師事した。人物画、宗教的作品、花鳥、風景など高範な題材を得意とする。1961年、日展会員となり、事務局長、理事長などを歴任。
佐藤 由須計(さとう よしすけ、1922年〈大正11年〉5月… 佐藤 由須計(さとう よしすけ、1922年〈大正11年〉5月3日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の法学者。中央大学名誉教授。専門は国際法。 新潟県新潟市古町通2番町(現 新潟市中央区古町通2番町)の製綿・布団製造業者の佐藤由太郎の三男として出生。 新潟市白山尋常小学校、新潟中学校を経て、中央大学第一予科に入学、1943年(昭和18年)12月に海軍に入隊、1944年(昭和19年)9月に中央大学法学部法律学科を卒業。 1944年(昭和19年)12月に海軍予備少尉に任官、在ビルマ第17警備隊付、1945年(昭和20年)に海軍予備中尉に任官、1946年(昭和21年)に復員。 1947年(昭和22年)に中央大学大学院に入学、1948年(昭和23年)に中央大学大学院特選研究生となり、1953年(昭和28年)4月に中央大学法学部助教授に就任、1962年(昭和37年)4月に中央大学法学部教授に就任。
尾﨑 公子(おざき きみこ、1922年<大正11年>5月3日… 尾﨑 公子(おざき きみこ、1922年<大正11年>5月3日 - 2019年<平成31年>4月29日)は、日本の実業家。紙パルプ・フィルムなどの専門商社オザックスの取締役相談役。大阪・船場の紙問屋を年商1000億円に迫る素材商社に育て上げた。大阪商工会議所で初の女性の常議員で、同女性会連合会名誉会長。全国商工会議所女性会連合会特別顧問も務めた。2010年旭日双光章。 船場(長堀橋)の金属雑貨輸出商の家に生まれる。大阪府立清水谷高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)卒業後、日本女子大学に入学。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)10月に繰り上げ卒業し、船場の老舗「尾﨑洋紙店」(後の尾﨑商産。現・オザックス)創業家に嫁ぐ。