名和 統一(なわ とういち、1906年<明治39年>6月18… 名和 統一(なわ とういち、1906年<明治39年>6月18日 - 1978年<昭和53年>7月8日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。 1906年に兵庫県に生まれる。父はキリスト教徒の株屋。京都帝国大学を卒業し、大阪商科大学(現大阪市立大学)教授となる。1943年に大阪商大事件で追放されるも、戦後復帰し、大阪市立大学教授となる。1951年に「国際価値論研究」で、京都大学から経済学博士の学位を取得する。1971年に定年退官し、大阪市立大学名誉教授、岐阜経済大学学長となる。マルクス経済学による貿易理論を展開した。門下に三辺信夫がいる。
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神崎 武雄(かんざき たけお、1906年6月18日 - 19… 神崎 武雄(かんざき たけお、1906年6月18日 - 1944年9月17日)は、日本の小説家。孫は漫画家の押切蓮介(神崎良太)。 福岡県門司市(現・北九州市門司区)出身。早稲田大学中退後、都新聞(東京新聞の前身紙)に入社。1940年に新鷹会に入会し、『オール讀物』1942年11月号に掲載された「寛容」は第16回直木賞を受賞した。 その後、海軍報道班員として南方やシンガポールに派遣された。その最中の1944年6月に妻が出産後間もなくして亡くなったとの訃報が届き、海軍省から帰還命令が出て、空母「雲鷹」に便乗したが、9月17日に南シナ海でアメリカ軍潜水艦の雷撃を受けて沈没し、戦死した。 国柱会の信者であった。
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藤本 智董(ふじもと ちとう、1906年(明治39年)6月1… 藤本 智董(ふじもと ちとう、1906年(明治39年)6月12日 - 1984年(昭和59年)4月13日)は、日本の哲学者、倫理学者。福岡教育大学教授。福岡大学教授。
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志田 延義(しだ のぶよし / えんぎ、1906年6月10日… 志田 延義(しだ のぶよし / えんぎ、1906年6月10日 - 2003年8月3日)は、日本の国文学者。専門は日本古代歌謡。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1957年)。鶴見大学名誉教授、山梨大学名誉教授。勲三等旭日中綬章受章。 富山県富山市出身。志田義秀の次男。富山中学校、甲南高等学校を経て、1930年東京帝国大学国文科卒。学問で久松潜一、短歌で佐佐木信綱に師事する。 神奈川県立の中学校教諭の後、1932年国民精神文化研究所助手、1937年同研究員として『国体の本義』研究、二度の中国への出張などの戦争協力を行う。戦後、公職追放。1952年から日本大学などで講師、1953年鶴見女子短期大学教授、1955年山梨大学教授、1957年歌謡研究で東京大学より文学博士の学位を取得、1966-1969年学芸学部長・教育学部長、1966-1981年国語審議会委員、1972年山梨大定年退官、名誉教授、鶴見女子大学文学部長、1977年辞職、鶴見大学名誉教授、勲三等旭日中綬章受章。
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有泉 亨(ありいずみ とおる、1906年〈明治39年〉6月1… 有泉 亨(ありいずみ とおる、1906年〈明治39年〉6月10日 - 1999年〈平成11年〉12月20日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。弁護士。我妻栄門下。位階は正四位。 山梨県中巨摩郡白根町(現在・南アルプス市)出身。1928年、第一高等学校 (旧制)卒業。1932年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。 1933年、同大学法学部助手。1940年、京城帝国大学法文学部助教授、1944年同法文学部教授、1946年本土に引揚げ後、法政大学法学部教授。1947年、東京大学社会科学研究所助教授。1948年、教授。1955年、所長。1962年、東京大学より法学博士の学位を受く。
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竹中靖一(たけなか やすかず、1906年6月9日-1986年… 竹中靖一(たけなか やすかず、1906年6月9日-1986年12月19日)は、日本の経営学者。 1906年(明治39年)大阪府大阪市に生まれる。1929年(昭和4年)京都帝国大学経済学部卒。1932年(昭和7年)山口高等商業学校(旧制)講師、1934年(昭和9年)同校教授。1946年(昭和21年)同校を退職後、有邦建設取締役に就任。1949年(昭和24年)近畿大学教授。 1960年「石門心学の経済思想」で大阪大学経済学博士。1977年定年、名誉教授。石田梅岩の石門心学を研究し、1955年心学の講舎明誠舎を復活させた。1964年「石門心学の経済思想」で日本学士院賞受賞。 1984年(昭和59年)勤務先の近畿大学構内で脳梗塞のため倒れ、以降、自宅静養を余儀なくされ、大阪市から吹田市へ転居した。
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八田 一朗(はった いちろう、1906年6月3日 - 198… 八田 一朗(はった いちろう、1906年6月3日 - 1983年4月15日)は、日本のレスリング選手・指導者、政治家である。日本レスリング界の父であり、参議院議員も務めた。また、1964年東京オリンピック招致にも尽力した。広島県安芸郡江田島町(現・江田島市)出身。
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米澤 嘉圃(よねざわ よしほ、1906年6月3日 - 199… 米澤 嘉圃(よねざわ よしほ、1906年6月3日 - 1993年7月29日)は、日本の中国美術史学者。 東京大学名誉教授、武蔵野美術大学名誉教授。本名は芳男。 秋田県鹿角郡生まれ。父は鉱山技師の米澤萬陸。旧制暁星中学校、福岡高等学校を経て、1931年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。1935年東方文化学院東京研究所所員、1949年東京大学東洋文化研究所教授、1950年文化財専門審議会委員、『国華』主幹などを務め、1967年定年退官後、武蔵野美術大学学長。1962-66年美術史学会代表。墓所は多磨霊園。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
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大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英… 大村 はま(おおむら はま、本名:大村 濱(読み同じ)、(英文:Ohmura Hama)1906年(明治39年)6月2日 - 2005年(平成17年)4月17日)は、日本の国語教師、国語教育研究家。西洋中世哲学、ドイツ哲学、キリスト教神学の研究者大村晴雄は実弟。 横浜市出身。父親は大村益荒、北海道の尋常師範学校の教師を経て、ミッションスクールである共立女学校(現横浜共立学園)の幹事から教頭になっていた。母親はくらといい、北星女学校を卒業していた。両者クリスチャンという関係で結婚した。母くらは、後に「婦人の友」となる「家庭の友」の創刊号からの読者であり、父は潔癖さが強く、不器用であり、うそが嫌いであったという。
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橋本 龍伍(はしもと りょうご、1906年(明治39年)6月… 橋本 龍伍(はしもと りょうご、1906年(明治39年)6月2日 - 1962年(昭和37年)11月21日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員(6期)。位階勲等は正三位勲一等瑞宝章。称号は法学士。 大日本麦酒の常務を務めた橋本卯太郎の五男で、第82代・第83代内閣総理大臣の橋本龍太郎および高知県知事を務めた橋本大二郎の父、衆議院議員橋本岳の祖父である。 少年の頃に結核性の腰椎カリエスに罹って11年に及ぶ闘病生活を送り、生涯杖を離せない身体となった。苦学して第一高等学校、東京帝国大学法学部を卒業、大蔵官僚や内閣官房次長を経て吉田学校の一員として文部大臣、厚生大臣等を歴任した。 1906年6月2日、東京府荏原郡目黒村に大日本麦酒(現・サッポロビール)社員の橋本卯太郎・マツの五男として生まれた。
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権 泰夏(クォン・テハ、ごん たいか、1906年6月2日 -… 権 泰夏(クォン・テハ、ごん たいか、1906年6月2日 - 1971年10月10日)は、朝鮮半島出身の陸上競技選手。1932年ロサンゼルスオリンピック 男子マラソン代表。明治大学卒業。ロサンゼルスオリンピック当時、朝鮮半島は日本に併合されていたため、6位に入賞した金恩培と共に日本代表として出場した。 忠清道の清州出身。裕福な家の出身で、京城(現:ソウル)にある徽文高等普通学校(内地の中学校に該当)に入学したが中退し、内地の立命館中学校に留学、卒業後明治大学法学部に入学した。明治大学時代は1927年からは毎年箱根駅伝に出場。4区を走った1928年と7区を走った1930年には区間新記録で区間賞を獲得している。
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松本 鼎一(まつもと ていいち、1906年(明治39年)5月… 松本 鼎一(まつもと ていいち、1906年(明治39年)5月31日 - 1986年(昭和61年)12月7日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 本籍・大阪府。華族・松本春造の長男として生まれる。父の隠居に伴い、1927年(昭和2年)6月15日、男爵を襲爵した。 1931年(昭和6年)3月、京都帝国大学法学部を卒業した。同年、三井生命保険に入社。その後、日産自動車、自動車統制会(参事)、日産重工業で勤務した。 1946年(昭和21年)6月29日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
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柴垣 和三雄(しばがき わさお、1906年5月30日 - 2… 柴垣 和三雄(しばがき わさお、1906年5月30日 - 2001年5月1日)は日本の数学者、九州大学名誉教授、学位は理学博士。専攻は数学。 1906年金沢市生まれ。1929年に東京大学理学部物理学科卒業。 1941年に「n変数の一つの実函数の此等変数のm(<n)個の方程式によって定義さる超曲面上におけるクルチカルポイントについて」で東京大学より理学博士号を取得。その後九州大学、東京理科大学理学部教授を歴任。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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佐々木 清野(ささき きよの、1906年〈明治39年〉5月2… 佐々木 清野(ささき きよの、1906年〈明治39年〉5月27日 - 没年不明)は、大正・昭和戦前期の日本の映画女優。群馬県藤岡市出身。 声優の野沢雅子は姪。女優引退後、佐々木は子役時代の野沢のマネージャーをしていたとされる。 1906年(明治39年)群馬県多野郡藤岡町(現・藤岡市)に生まれる。1924年(大正13年)、日本女子大学附属女学校を卒業し、同年松竹蒲田撮影所へ入社。1927年(昭和2年)、準幹部に昇格するが、翌1928年(昭和3年)に松竹蒲田撮影所を退社する。 1931年(昭和6年)、キヨノ教育映画社を設立し、教育・宣伝映画などの製作に取り組む。 1939年(昭和14年)、新興キネマに入社し、数本の映画に助演したのち引退。
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井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月2… 井上 智勇(いのうえ ちゆう、1906年(明治39年)5月26日 - 1984年(昭和59年)6月5日)は、西洋史学者、浄土真宗の僧侶。 兵庫県出身。1930年京都帝国大学卒。第三高等学校教授、1943年京都帝大助教授。1948年「ローマ経済史の研究」で)文学博士、同年京都大学教授。1970年定年退官、名誉教授、奈良教育大学学長。西洋古代史が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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鈴木 平三郎(すずき へいざぶろう、1906年(明治39年)… 鈴木 平三郎(すずき へいざぶろう、1906年(明治39年)5月26日 - 1984年(昭和59年)2月2日)は、日本の政治家、医師。東京都三鷹市長(5期)。名誉三鷹市民。 東京府北多摩郡三鷹村(三鷹町を経て、現三鷹市)出身。1930年日本大学医学部を卒業。三鷹市で産婦人科医院を開業する。戦時中は軍医として中国大陸に派遣された。戦後は社会党に入党。1937年三鷹村議、1940年三鷹町議、1948年三鷹町公安委員長を経て1955年三鷹市長に就任する。市長在任中は下水道事業に取り組み、1973年に普及率100%を達成させた。市職員を百貨店で研修させたり、庁舎内を禁煙化させるなど独創的な政策を打ち出した。
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麻生平八郎(あそう へいはちろう、1906年5月25日 - … 麻生平八郎(あそう へいはちろう、1906年5月25日 - 1998年11月15日)は、日本の商学者。商学博士(明治大学)。元明治大学総長。従四位勲二等旭日重光章。千葉県出身。 この他、東京農業大学、立正大学、法政大学、中央大学、福岡大学などで兼任講師。 石井常雄『人物点描 麻生平八郎先生の追憶』(紫紺の歴程 4号、2000年)
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角田 喜久雄(つのだ きくお、1906年5月25日 - 19… 角田 喜久雄(つのだ きくお、1906年5月25日 - 1994年3月26日)は日本の小説家。伝奇小説と呼ばれる時代小説、探偵小説で活躍した。 神奈川県横須賀市に生まれ、父は佐倉藩士の家系で、海軍工廠印刷部創設要員だったが、翌1907年に浅草で印刷業を始めて一家で移転する。小学生の頃から、俳句、短歌、新体詩の投稿をしており、滝沢馬琴、山東京伝、黒岩涙香を愛読、中学時代はトルストイ、ドストエフスキーなどを愛読していた。 東京府立三中時代の1921年(大正10年)に『現代』誌のスポーツ小説の懸賞に応募して二等となる。英語教師からシャーロック・ホームズの話を聞いて探偵小説に興味を持ち、翌1922年に『新趣味』に「毛皮の外套を着た男」を発表してデビュー。
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岩田 久二雄(いわた くにお、1906年(明治39年)5月2… 岩田 久二雄(いわた くにお、1906年(明治39年)5月25日 - 1994年(平成6年)11月29日)は、日本の昆虫学者・生態学者。 学位は理学博士(京都帝国大学、1944年)。 常木勝次とともに日本における昆虫の行動研究の草分けであり、ハチ類の習性研究をほぼ生涯の課題とした。高校生(旧制)時代から孤独性の狩り蜂や花蜂の習性研究を行い、特に狩り蜂の習性研究を発展させた。岩田の業績で特筆されるのは、個々の種の習性(行動 behaviour の連鎖たる habit )の記述のみでなく、繁殖習性の要素を5つの単位習性に分類し、種間の習性を普遍的に比較できる方法を提示したことであり、これによってこの分野は近代的な進化生態学・動物行動学に進む道筋の一つを得た。
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村上 朝一(むらかみ ともかず、1906年(明治39年)5月… 村上 朝一(むらかみ ともかず、1906年(明治39年)5月25日 - 1987年(昭和62年)2月13日)は、日本の裁判官、検察官、司法・法務官僚。第6代最高裁判所長官。 東京帝国大学法科(現・東京大学大学院法学政治学研究科・法学部)卒業。大阪地裁、京都地裁、東京地裁などで裁判官生活を送り、1938年に司法省民事局に勤務。戦時中に陸軍司政官になりジャカルタに派遣されたが、敗戦のため抑留生活をした。復員後に再び司法省民事局に勤務し、民法の改正作業に携わった。その後、1948年から法務庁民事局長(後に法務省民事局長)を10年務めた。1952年4月19日に法務府民事局長として「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」と題する通達を出した(これによりサンフランシスコ平和条約が発効した同年4月28日に在日朝鮮人と在日台湾人は平和条約国籍離脱者として外国人となった)。
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小澤 太郎(おざわ たろう、1906年(明治39年)5月24… 小澤 太郎(おざわ たろう、1906年(明治39年)5月24日 - 1996年(平成8年)2月16日)は、日本の政治家。山口県知事(2期)、衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)。 1906年(明治39年)山口県萩市にて生まれる。再興旧制官立山口高等学校を卒業し、1930年(昭和5年) 東京帝国大学法学部英法科を修了。のちに台湾総督府に勤務。総督官房文書課長、同人事課長、警務局警務課長などを歴任する。 1948年(昭和23年)山口県副知事に就任。1953年(昭和28年)山口県知事に初当選を果たす。1957年(昭和32年)山口県知事に2期目当選。 1960年(昭和35年)知事任期途中で辞職し、第29回衆議院議員総選挙に旧山口2区から自由民主党公認で立候補し当選(4期)。
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島津 久大(しまづ ひさなが、1906年(明治39年)5月2… 島津 久大(しまづ ひさなが、1906年(明治39年)5月24日 - 1990年(平成2年)12月9日)は、日本の外交官。位階は正三位。初代迎賓館長。 1906年(明治39年)5月24日、公爵島津忠済・田鶴子夫妻の次男として東京に生まれる。父忠済は島津久光の七男で貴族院議員、宮内省宗秩寮審議官などを務めた。 1930年(昭和5年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、外務省に入省する。戦前はイギリス書記生(オックスフォード大学留学)、イギリス在勤、中華民国在勤、外務大臣秘書官、ラングーン総領事などを歴任。戦後、1948年(昭和23年)から賠償庁次長、1949年(昭和24年)から外務省政務局長。1951年から1952年、および1955年から1956年の2回、外務省大臣官房長を務める。
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瀬戸口 寅雄(せとぐち とらお、1906年5月23日 - 1… 瀬戸口 寅雄(せとぐち とらお、1906年5月23日 - 1987年3月24日)は、日本の作家。 鹿児島県生まれ。ペンネーム・瀬木俊郎。日本大学法科卒。東京毎日新聞で警視庁記者、司法記者をへて、吉本興業文芸部長兼秘書課長。サトウ・ハチローに講談社の編集者野間律太を紹介され、探偵実話、裁判実話を執筆。 第二次世界大戦中は、自ら演劇人を引き連れ戦地を訪れ、出征将兵慰問活動を行っていた。 戦後から時代小説を書く。映画「東海遊侠伝」のほか、美空ひばり主演映画の原作を多く書いた。 肺炎のため新葛飾病院(東京都葛飾区)で死去した。
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苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)… 苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)、1905年6月21日 - 1973年8月5日)は、日本の政治家、婦人運動家、著述家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。夫は元日ソ協会副会長の堀江邑一。 岡山県津山町(現・津山市)生まれ。生家は代々地主の家系で、学生時代からロシア文学及び社会主義思想に傾倒し、日本女子大学国文科を卒業後の1931年、日本共産党に入る。入党以降財政面で支援を行うものの、1933年に治安維持法の疑いで検挙。転向の後1935年に出獄すると東洋経済新報社などを経て、1938年には郷里の岡山県に戻り西日本製紙に勤務する。 戦後は日本共産党に再入党し、1949年の衆院選に旧岡山1区から出馬し初当選を果たす。
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黒沢 三郎(くろさわ さぶろう、1905年6月21日 - 1… 黒沢 三郎(くろさわ さぶろう、1905年6月21日 - 1996年2月22日)は、日本の経営者。八十二銀行頭取を務めた。 長野県南佐久郡八千穂村(現・佐久穂町)出身。1929年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に第十九銀行(のちの八十二銀行)に入行。1937年に常務を経て、1951年に副頭取に就任し、1973年5月には頭取に昇格。1975年12月に会長、1985年6月に取締役相談役を経て、1989年6月から相談役を務めた。 1977年4月に勲四等瑞宝章を受章し、1987年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1996年2月22日肺炎のために死去。90歳没。
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小川 佐助(おがわ さすけ、1905年6月21日 - 198… 小川 佐助(おがわ さすけ、1905年6月21日 - 1987年10月30日)は日本の競馬騎手、調教師。 1934年に京都競馬倶楽部で騎手となったのち、1937年より日本競馬会(後に国営競馬→日本中央競馬会)の調教師となる。以後八大競走2勝を挙げたニューフォードや、皐月賞優勝馬ニホンピローエース、1977年に中央競馬の年度代表馬となったテンポイント(JRA顕彰馬)などの活躍馬を管理した。1982年、黄綬褒章受章。 アイヌ民族の活動家としても著名であり、北海道アイヌ協会が社団法人化された際には組織の中枢を担った。 甥にそれぞれ騎手・調教師の田所稔と田所秀雄、又甥に田所秀孝、田所清広(義理)がいる。
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實方 正雄(さねかた まさお、1905年6月20日 - 19… 實方 正雄(さねかた まさお、1905年6月20日 - 1986年10月10日)は、日本の法学者。専門は、商法・国際私法。学位は、法学博士(東北帝国大学)。大阪市立大学名誉教授、小樽商科大学名誉教授。千葉県生まれ。「実方正雄」とも表記される この他、関西学院大学法学部兼任講師(1946年 - 1966年)や北海学園大学法学部非常勤講師(1964年 - 1967年)、札幌商科大学商学部非常勤講師(1978年 - 1981年)も務めた。 子に北海道大学名誉教授の實方謙二がいる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17… 臼井 吉見(うすい よしみ、1905年(明治38年)6月17日 - 1987年(昭和62年)7月12日)は、日本の編集者、評論家、小説家、日本藝術院会員。息子は映像作家の臼井高瀬。 長野県南安曇郡三田村(現・安曇野市)に、父貞吉・母きちの次男として生まれる。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校(現・信州大学)文科甲類を経て、1929年東京帝国大学文学部卒業。松本中学での同級生に筑摩書房の創業者となる古田晁、俳優・演劇評論家の松本克平がいる。 旧制伊那中学(現・長野県伊那北高等学校)、松本女子師範学校などで教員を務めた後、上京して東京女子大学でも教え、さらに1946年に創刊した筑摩書房の総合雑誌『展望』編集長を務め、文芸評論家としても活躍した。
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海野 建夫(うんの たてお、1905年6月15日 - 198… 海野 建夫(うんの たてお、1905年6月15日 - 1982年11月17日)は、日本の彫金家。東京学芸大学名誉教授。日展参事。改組日展出品作「雨もよい」により日本芸術院賞を受賞した。 東京上野に生まれる。1921年に吉川霊華に師事し、のち東京美術学校で彫金を学び、1928年に金工科彫金部を卒業、1931年に研究科を修了した。在学中の1929年第10回帝展で「彫金花盛器」が初入選し、1932年第13回帝展で「鉄製ファイヤースクリン」が特選となった。1937年のパリ万国博覧会では「秋手鏡」が銀賞を受賞した。 戦後は日展で1949年以後たびたび審査員を務め、1950年から依嘱出品、1958年会員、1961年評議員となった。
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新納 太郎(にいの たろう、1905年6月14日 - 199… 新納 太郎(にいの たろう、1905年6月14日 - 1998年9月8日)は、日本の銀行家。八千代銀行頭取、会長を務めた。 徳島県出身。1929年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に住宅土地信用購買組合調節社理事に就任。1954年に八千代信用金庫理事長に就任し、1991年に八千代銀行頭取を経て、1994年6月には会長に就任。 1976年4月に勲四等瑞宝章を受章。 1998年9月8日、消化管出血のために死去。93歳没。
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中島 国男 (なかじま くにお、1905年(明治38年)6月… 中島 国男 (なかじま くにお、1905年(明治38年)6月13日 - 1985年(昭和60年)9月24日)は、日本の教育者、地方政治家。幕別町名誉町民。栄典は正六位・勲五等双光旭日章。北海道中川郡幕別町町長を7期28年間歴任した。 1905年(明治38年)6月13日に、北海道上川郡当麻村字宇園別一、父:中島岩蔵(岐阜県本巣郡土貴野村出身)、母:中島かん(岐阜県本巣郡土貴野村出身)の長男として生まれた。 父:岩蔵は農業を経営しながら当麻村議会議員、当麻村消防団長を務め、さらに中央乗合自動車株式会社取締役を兼ね、昭和2年には、十勝止若支社(道東バスの前身)を設立(帯広-止若-池田間運行)、また1930年(昭和5年)に名寄支社を設立した。
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任 哲鎬(イム・チョロ、朝鮮語: 임철호、1905年6月12… 任 哲鎬(イム・チョロ、朝鮮語: 임철호、1905年6月12日または1908年 - 1990年8月19日または1999年8月19日)は、大韓民国の弁護士、政治家。第11代農林部長官、第4代韓国国会議員を歴任した。 忠清南道扶余郡出身。明治大学法学部卒。高等試験司法科合格。弁護士、中央女子中高等学校財団理事、豊文女子中高等学校財団理事、大韓民国考試行政法・憲法担当委員、李承晩大統領法律秘書官、農林部次官、韓日会談代表(1951年)、自由党ソウル市副委員長・中央党組織部長・中央委員会副議長(1952年)、第11代農林部長官(1955年)、大韓蚕糸会長、国会議員・副議長などを歴任した。1950年代後半は李起鵬の側近で、李の後任の国会議長に取り沙汰されたが、副議長在任中に発生した4・19革命以降は不正選挙関連の反革命勢力として糾弾され、5・16軍事クーデター以降は革命裁判によって拘束・投獄された。
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小山 長規(こやま おさのり、1905年〈明治38年〉6月1… 小山 長規(こやま おさのり、1905年〈明治38年〉6月10日 - 1988年〈昭和63年〉1月31日)。は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、建設大臣(第23-24代)、国務大臣環境庁長官(第3代)を歴任。 宮崎県西諸県郡小林村(後の西諸県郡小林町、小林市)に、森長興(西諸県貯蓄銀行頭取、宮崎県会議員等歴任)の息子(資料により二男や四男)として生まれる。1919年に細野小学校を卒業。旧制の鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を1923年に、第三高等学校を1926年に卒業。第三高等学校と東京帝国大学ではボート部に所属。1928年高等文官試験司法科に合格。村上朝一最高裁判所長官は、ともに高等文官試験の勉強をした学生時代の親友。
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金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月… 金 東準(キム・ドンジュン、朝鮮語: 김동준、1905年6月10日 - 1969年以前)は、満洲国の公務員、大韓民国の実業家、政治家。制憲韓国国会議員。 忠清南道瑞山郡出身。泰安公立普通学校(現・泰安初等学校(朝鮮語版))、普成高等普通学校(現・普成高等学校(朝鮮語版))、法政大学法文学部卒。日本弁理士試験・満州高等文官試験合格。満洲国間島省各県の官吏、大韓民報社社長などを務めた。1948年の初代総選挙で当選したが、1950年の第2代総選挙で落選した後は農業に従事した。1968年の『国会20年』によると、この本の出版時点ではすでに死去したとされる。
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石田 恒信(いしだ つねのぶ、1905年〈明治38年〉6月8… 石田 恒信(いしだ つねのぶ、1905年〈明治38年〉6月8日 - 1991年〈平成3年〉2月18日)は、大正時代に活躍した競泳選手。関西学院大学在学中の1924年、パリオリンピックに出場した。大学卒業後は阪神電気鉄道に入社。第二次世界大戦戦中・戦後の困難な時期に阪神甲子園球場の球場長を務めた。 大阪府出身。旧制茨木中学校(現在の大阪府立茨木高等学校)に学ぶ。茨木中学校は体育教諭・杉本伝の指導のもとで水泳の盛んな学校であった。1920年(大正9年)8月、茨木中学校は石田(3年生)、入谷唯一郎・高石勝男(2年生)ら5人の選手で第4回戸田全日本競泳大会(静岡県戸田湾、東京帝国大学主催)に出場して優勝を果たす。
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佐々木 勇蔵(ささき ゆうぞう、1905年 <明治38年> … 佐々木 勇蔵(ささき ゆうぞう、1905年 <明治38年> 6月7日 - 1985年 <昭和60年> 6月17日)は、日本の経営者、銀行家。大阪府出身。位階は従五位。 1931年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に大阪府農工銀行に入行。 1937年3月に日本勧業銀行を経て、1951年1月に泉州銀行に転じ、常務に就任し、1958年4月に専務を経て、1963年10月に頭取に就任した。1974年11月に取締役相談役に就任した。 1973年に泉州高等学校の設立に携わり、泉州学園名誉理事長を務め、関西経済連合会顧問、日本少年野球連盟副会長なども歴任。 1972年9月に藍綬褒章を受章し、1982年5月に勲四等旭日小綬章を受章。
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朴 峻(パク・チュン、朝鮮語: 박준、1905年6月7日 -… 朴 峻(パク・チュン、朝鮮語: 박준、1905年6月7日 - 1973年12月16日)は、大韓民国の実業家、政治家。制憲国会議員。本貫は密陽朴氏。 朴 埈(読み、ハングル同)とも表記される。 慶尚北道(現・大邱広域市)軍威郡またはソウル鍾路出身。日本大学法学部政経科卒。日本政府施行弁護士試験合格後、満洲国の間島省で東振学校校長を務めた。解放後は海外通信社社長、国際評論社社長、ソウル合同消費組合理事長を歴任し、1948年5月の初代総選挙に軍威郡選挙区から無所属で立候補して、国会議員に当選した。同年6月より資格審査委員会に所属し、7月に無所属倶楽部の代表として、国務総理などの要職に現過渡政府と韓国民主党側の人物の起用を拒否する建議書を大統領の李承晩に伝えた。
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田口 啓作(たぐち けいさく、1905年(明治38年)6月7… 田口 啓作(たぐち けいさく、1905年(明治38年)6月7日 - 1991年(平成3年)6月10日)は、日本の農学者。農学博士(北海道大学・論文博士・1957年)。専門は作物育種学。北海道拓殖短期大学元学長。 東京府(現在の東京都)生まれ。1933年(昭和8年)北海道帝国大学農学部卒業。同年、同農学部助手。1940年宮城農学校助教授。その後、農林水産省東北農業試験場主任研究員を経て、1957年(昭和32年)北海道大学農学部教授。同学生部長。同農学部附属農場長。1969年北海道大学定年退官。同名誉教授。北海道拓殖短期大学教授。1975年北海道拓殖短期大学学長。1981年北海道拓殖短期大学退職。1991年6月10日、肺梗塞のため逝去。
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山田 勝巳(やまだ かつみ、1905年 6月6日 - 197… 山田 勝巳(やまだ かつみ、1905年 6月6日 - 1970年)は、日本のノルディック複合、スキージャンプ選手。1932年レークプラシッドオリンピック日本代表。 北海道札幌市生まれ。北海中、北海道帝国大学農学部林学科卒業後、1929年に青森県の大鰐営林署へ就職。青森林友会所属で競技を続けた。 1932年レークプラシッドオリンピックスキージャンプで32位、ノルディック複合32位。 のちに鰺ヶ沢営林署をへて北海道庁へ異動。一方で全日本スキー連盟技術委員や複合部長などを歴任した。 理論家肌で逆転の発想をよくすることから””逆さん”の愛称で慕われた。
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田淵 行男(たぶち ゆきお、1905年6月4日 - 1989… 田淵 行男(たぶち ゆきお、1905年6月4日 - 1989年5月30日)は、山岳写真家。高山蝶研究家。 「すべての昆虫少年にとってのヒーロー」。 鳥取県日野郡黒坂村(現日野町)に父吉弥、母阿又の次男(第四子)として誕生。 1909年 9月2日、母阿又、死去。1911年 3月、父吉弥、溝口町分署長になる。4月、行男、日野郡溝口尋常小学校入学。5月31日、父吉弥、足立よしと再婚。 1918年 3月、岩美郡岩美尋常小学校卒業。4月、境高等小学校入学。5月21日、父吉弥死去。その後、継母よしが実家に帰り、6月、台湾の台北市に住む実母の親戚一家に預けられる。 1919年 継母よし死去。叔母スイらと共に台湾から帰国し、東京滝野川に居住。
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桜井 三男 (櫻井、さくらい みつお 1905年〈明治38年… 桜井 三男 (櫻井、さくらい みつお 1905年〈明治38年〉6月4日 - 1967年〈昭和42年〉7月17日)は、東京都立川市長(3期)。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 1905年、東京府北多摩郡立川村(立川町を経て、現在の東京都立川市)生まれ。1933年慶應義塾高等部卒。翌年南満州鉄道に入り、撫順炭鉱総務部に配属され、文書課長となる。 その後、帰国し、東京復興産業総務部長を経て、桜井電機(株)社長、立川市議会議員になり、同議長になる。 1959年の立川市長選挙に立候補し、市長に就任する。在任中に砂川町を合併した。また、交通安全に力を入れ、交通安全都市を宣言し、交通安全日の制定、交通相談所の開設などをした。
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知葉 友雄(ちば ともお、1905年6月2日 - 1974年… 知葉 友雄(ちば ともお、1905年6月2日 - 1974年4月13日)は、昭和初期の日本の元ラグビー選手。戦後は指導者としても活動した。 正則中等学校から明治大学へ進む。相撲部に在籍していたが北島忠治に誘われてラグビー部に入部。木元規矩男(後の九州ラグビー協会会長、RKB毎日放送副社長)とセカンドローを組み、活躍。4年連続で明早戦に出場し、1929年度には主将を務めた。 1930年の日本代表カナダ遠征に明治大学ラグビー部初の日本代表として選出され22人のメンバー中で唯一7戦全戦に出場。ブリティッシュコロンビア州代表戦でキャップ1を獲得した。 大学卒業後は、朝鮮総督府鉄道に入社しプレーを継続。1934年主将兼監督に就任。
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網島 毅(あみしま つよし、1905年(明治38年)6月2日… 網島 毅(あみしま つよし、1905年(明治38年)6月2日 - 1995年(平成7年)4月2日)は、昭和時代から平成時代の通信技術者。 北海道小樽市出身。1929年(昭和4年)北海道大学工学部を卒業、逓信省工務局に奉職。無線課長、電波局電波課長、電波局長、電波管理局長官を歴任。この間、1936年(昭和11年)ベルリンオリンピック開催に際した日独間無線写真伝送実験、航空無線用超短波全方向式ビーコンの発明考案などに貢献した。 行政面では、1937年(昭和12年)カイロで行われた国際電信電話会議及び国際無線通信会議に政府委員として出席したほか、1948年(昭和23年)メキシコシティの国際短波放送会議にはSCAP代表の技術顧問として赴き、日本に対する国際放送周波数の割り当ての原則の確認を得た。
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上野 壮夫(上野 壯夫、うえの たけお / そうふ、1905… 上野 壮夫(上野 壯夫、うえの たけお / そうふ、1905年6月2日 - 1979年6月5日)は、日本の詩人、小説家、コピーライター。妻の小坂たき子も小説家。戦後はコピーライターとしてヒットを飛ばし、広告業界で活躍した。 茨城県筑波郡作岡村(筑波町を経て現つくば市)で、上野清二郎(地主、警察官)、とく の三男として生まれた。早稲田高等学院露文学科を中退し、アナキズム系の「黒嵐時代」の一員となり、1929年「文芸戦線」に携わり、1927年に労農芸術家連盟の書記長及び前衛芸術家同盟の結成や、日本プロレタリア作家同盟に加入した。 後に人物評論社に就職し、『人物評論』編集部に勤務し、尾崎一雄の「暢気眼鏡」を掲載した。
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和島 芳男(わじま よしお、1905年 6月1日- 1983… 和島 芳男(わじま よしお、1905年 6月1日- 1983年2月28日)は、日本の歴史学者。 東京府東京市生まれ。1926年静岡高等学校卒業。1929年東京帝国大学文学部国史学科卒。立教大学講師、1936年神戸女学院專門學校教授、神戸女学院大学教授、1966年同学長、のち大手前女子大学教授。日本思想史が専門で、特に日本宋学史研究で功績を残した。
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幡瀬川 邦七郎(はたせがわ くにしちろう、1905年6月1日… 幡瀬川 邦七郎(はたせがわ くにしちろう、1905年6月1日 - 1974年5月12日)は、秋田県雄勝郡幡野村(現:秋田県湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は楯山部屋)に所属した大相撲力士。本名は大野 邦七郎(おおの くにしちろう)(旧姓:佐藤)。最高位は東関脇。 1905年6月1日に秋田県雄勝郡幡野村(現:秋田県湯沢市)で小作農家を営む家に生まれる。子供の時から骨太の体格で、運動神経が良いために動きも俊敏で度胸があり、幡野小学校で相撲を取り始めた。県内の小学校対抗試合でも高等科の生徒を向こうに回して圧勝したが、負けず嫌いの性格だったために決勝戦で敗れると悔しさのあまり泣くほどだった。小兵ながら宮相撲で圧倒的な強さを誇っており、家業でも大人顔負けの作業量を引き受けて周囲を驚かせた。
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遠藤 嘉基(えんどう よしもと、1905年5月31日 - 1… 遠藤 嘉基(えんどう よしもと、1905年5月31日 - 1992年6月23日)は、日本の国語学者、京都大学名誉教授。 父は、遠藤金市(熊本高等工業学校第4代校長)。祖父(金市の義父)は、遠藤董(鳥取盲聾唖学校創立者)。 1930年に京都帝国大学国文科を卒業。京都府立第一中学校嘱託、成城高等学校講師、大阪外国語学校講師を経て、1935年に京都帝大講師、1939年に助教授、1949年に京都大学文学部教授、1950年に文学博士。1953年に国語審議会委員。 1969年に定年退官、大谷女子大学教授。 1975年に叙勲三等授旭日中綬章。1992年に叙正四位。 研究範囲は多岐にわたるが、その中核をなすものは「訓点語と訓点資料」と「王朝仮名文学作品」である。
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ハインリヒ・デュモリン(ドイツ語: Heinrich Dum… ハインリヒ・デュモリン(ドイツ語: Heinrich Dumoulin、1905年5月31日 - 1995年7月21日)は、ドイツ出身で日本で活動した聖職者、比較思想史学者。 1905年、ドイツのラインラント・ウェベリングホーフィンで生まれた。1924年にイエズス会入会。1933年、司祭に叙階。オランダのファルケンブルヒ大学で学び、卒業。フランスのファルツ大学でも学び、ベルリン大学大学院で神学博士号を取得。 1935年に来日。1936年~1939年東京帝国大学で宗教史・東洋思想を学んだ。1946年、学位論文『賀茂真淵』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1941年に上智大学講師となり、後に助教授、教授昇格。
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岩城 長保(いわき ながやす、1905年(明治38年)5月3… 岩城 長保(いわき ながやす、1905年(明治38年)5月30日 – 1983年(昭和58年)4月14日)は、富山県出身の実業家。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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浜井 信三(はまい しんぞう、1905年(明治38年)5月2… 浜井 信三(はまい しんぞう、1905年(明治38年)5月28日 - 1968年(昭和43年)2月26日)は、日本の政治家、初代の公選広島市長(在任期間・1947年 - 1955年、1959年 - 1967年。渡辺忠雄市長を1期挟み通算4期市長を務めた)。濱井信三とも(胸像の銘文では濵井)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。 広島平和記念都市建設法の成立に力を注ぎ、広島市中区中島町に平和を祈念する公園(広島平和記念公園)の建設、同じく市中心部への幅員100m道路(平和大通り)の建設を打ちだし、現在の広島市の街並みの基礎を造った。
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