奥村 虎雄(おくむら とらお、1914年6月23日 - 没年… 奥村 虎雄(おくむら とらお、1914年6月23日 - 没年不明)は、愛媛県出身の通産官僚、業界団体役員。 浦和高等学校 (旧制)を経て、1938年東京帝国大学法学部卒業。同年商工省入省。同期に倉八正(特許庁長官、石油公団4代目総裁)、橋口隆(衆議院議員、総務副長官(政務担当))日高準之介(日銀政策委員経企庁代表)、奥宮正典(石油鉱業連盟副会長)、五神辰雄(中大法卒、神奈川県副知事)、磯野太郎(繊維局長)など。 1962年1月総理府土地調整委員会事務局長で退官。のち日本鉄鋼連盟へ。専務理事を経て、1980年副会長。在任中、業界団体のなかでは先駆けて、鉄鋼各社をリードする人材育成をする必要性から、各社従業員の技術革新への対応のために産業技術短期大学への派遣、自由化・国際化への対応のために欧米諸国への研修生派遣などの措置をとり、高度経済成長期に鉄鋼連盟はその他業界団体の模範として知られてゆくこととなった。
大村 政夫(おおむら まさお、1914年6月23日 - 19… 大村 政夫(おおむら まさお、1914年6月23日 - 1998年2月11日)は、日本の彫刻家。高等学校美術科教諭、高校野球指導者。日展特選2回。日展参与を務めた。 東京都京橋区東湊町に生まれる。伊豆豆陽中学卒業。1940年3月、東京美術学校彫刻科卒業。同年12月、応召従軍。1949年、静岡県立静岡城内高等学校奉職。1951年、静岡県立静岡商業高等学校非常勤講師奉職。1963年、静岡商業高校非常勤講師退任。1968年第11回日展・1969年改組第1回日展において特選(2年連続)。1975年、静岡高校退職。 1949年から1975年の間、静岡高校で多くの後進を育てた。薮崎昭は画家を目指し大村に相談したところ「『よし、明日からやろう』と言われ、石膏デッサンが始まった。
新橋 喜代丸(しんばし きよまる、1914年〈大正3年〉6月… 新橋 喜代丸(しんばし きよまる、1914年〈大正3年〉6月22日 - 没年不明)は昭和初期に活躍した芸者歌手。本名生駒光江。 1914年(大正3年)岡山県真庭郡落合町(現在の真庭市)に生まれる。1933年(昭和8年)に上京し新橋喜代三に師事する。1935年(昭和10年)の『月の東京』でデビューして以降、タイヘイレコードの歌手として『花嫁双六』などのヒット盤を出した。
國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7… 國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7月21日 - 2004年(平成16年)7月7日)は、昭和から平成時代の土木工学者。国分青崖の孫。 東京府に生まれる。旧制七年制高等学校の旧制東京高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、東京府に出仕する。1938年(昭和13年)から1945年(昭和20年)まで兵役に就く。1943年(昭和18年)東京帝国大学助教授を経て、1950年(昭和25年)吉田徳次郎の後任として東京大学教授となり、1974年(昭和49年)定年退官した。同年、武蔵工業大学教授に転じ1984年(昭和59年)まで務め、ついで足利工業大学顧問教授となった。
今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1… 今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1996年10月13日)は、日本の法学者。専門は、行政法・経済法。 学位は、法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「国家補償法」)。北海道大学名誉教授、北海学園大学名誉教授。日本学士院会員。1985年勲一等瑞宝章受章。京城(後の韓国ソウル)生まれ。父は樺太庁長官の今村武志、柳宗悦は母方の伯父。 朝鮮京城生まれ。京城師範学校附属小学校・中学校卒業。1934年3月、 第二高等学校文科甲類卒業。1937年3月 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1937年4月、三菱商事株式会社入社(総務部文書課法規係勤務)。 1947年8月、公正取引委員会事務局事務嘱託。
横松 宗(よこまつ たかし、1913年(大正2年)7月19日… 横松 宗(よこまつ たかし、1913年(大正2年)7月19日 - 2005年10月15日)は、日本の近代中国思想研究者・教育学者。元八幡大学(現九州国際大学)学長。大分県中津市生まれ。魯迅、同郷の福沢諭吉研究の第一人者。 学外の役職として、中津市教育委員長、北九州市家庭教育調査委員長、福岡市中国研究センター理事長、福沢諭吉協会会長、九州大学講師、ケンジントン大学(日本校)客員教授等を務めた。 横松は研究対象である福沢諭吉と魯迅に「近代国家主義思想」と「近代的科学精神」という2つの共通の自己確認があると述べている。これは魯迅が東京に留学した経験等から、ある意味魯迅が福沢に影響され啓発された現れとも論じている。
松澤 卓二(まつざわ たくじ、1913年(大正2年)7月17… 松澤 卓二(まつざわ たくじ、1913年(大正2年)7月17日 - 1997年(平成9年)9月8日)は、日本の銀行家。富士銀行頭取、会長のほか、全国銀行協会連合会会長、経済団体連合会、日本経営者団体連盟副会長等を歴任した。その風貌と行動力がフランスの英雄を彷彿させるとして金融界のナポレオンと呼ばれた。 東京・日本橋蛎殻町に生まれる。父は弁護士で裕福な家庭に育った。 東京府立第六中学校、旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 安田財閥の持株会社である安田保善社の入社試験に合格し、富士銀行の前身となる安田銀行に入行。初任地として馬喰町支店に配属となる。その後、赤紙が来て満州に渡り、幹部候補生学校に入学し、少尉に任官となる。
村瀬 興雄(むらせ おきお、1913年7月17日 - 200… 村瀬 興雄(むらせ おきお、1913年7月17日 - 2000年3月2日)は、日本の歴史学者。ドイツ帝国およびナチズム、ナチス・ドイツを研究。成蹊大学名誉教授。 東京都出身。1938年東京帝国大学文学部西洋史学科卒。松山高等学校教授、愛媛大学助教授、1953年成蹊大学教授、1977年定年退任、名誉教授。立正大学教授、1984年退職。創価大学客員教授。1993年退職。 1987年秋、勲三等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
毛利 松平(もうり まつへい、1913年7月16日 – 19… 毛利 松平(もうり まつへい、1913年7月16日 – 1985年5月24日)は、日本の政治家。第5代環境庁長官。
伊藤 暹(いとう すすむ 、1913年7月16日 - 没年不… 伊藤 暹(いとう すすむ 、1913年7月16日 - 没年不明)は、日本の実業家。大丸(現:大丸松坂屋百貨店)の副社長、博多大丸社長を歴任した。 滋賀県出身。1934年に彦根高等商業学校(現:滋賀大学経済学部)を卒業し、同年4月に大丸(現:大丸松坂屋百貨店)へ入社した。 入社後は天津支店貿易部や京都店で勤務し、戦後には京都店副支配人を務めた。その後、京都店次長兼総務部長、宣伝部長などを歴任し、1961年には香港大丸百貨有限公司総経理に就任するなど、国内外で経営実務に携わった。 1965年4月、大丸取締役に就任した。 1967年3月まで香港大丸の店長を務め、現地市場に根ざした「現地主義」の経営を徹した。
本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)… 本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)7月16日 - 没年不明)は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。元甲南大学文学部講師。 東京音楽学校ピアノ科卒業。兵庫県神戸市出身。 兵庫県神戸市出身。1935年(昭和10年)に東京音楽学校ピアノ科(現:東京芸術大学音楽学部)を卒業し、ピアノを高折宮次、レオ・シロタ、森昭子に師事する。 1951年(昭和26年)から1974年(昭和49年)まで甲南大学文学部で講師を務め、徳島女子大学音楽学部で講師・教授となり、同大学が改称した徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
氷川 瓏(ひかわ ろう、1913年7月16日 - 1989年… 氷川 瓏(ひかわ ろう、1913年7月16日 - 1989年12月26日)は、日本の作家。探偵小説家。東京都出身。 本名、渡辺 祐一。同じく探偵作家の渡辺剣次(本名・渡辺健治)は実弟である。また、ファンタジー作家のひかわ玲子は姪(末弟の娘)にあたる。東京商科大学(現在の一橋大学の前身)卒業。 第二次世界大戦後、創刊されて間もなかった雑誌『宝石』1946年(昭和21年)5月号に、「乳母車」を発表しデビューした。以後、断続的に幻想・怪奇系に属する探偵小説作品を書いた。作品の多くは短編である。 一方でもともと純文学指向のあった彼は木々高太郎が編集にあたっていた『三田文学』に本名で「天平商人と二匹の鬼」、「洞窟」の二編を発表、後者は1952年度上半期の第27回直木賞候補となっている。
入江 徳郎(いりえ とくろう、1913年(大正2年)7月15… 入江 徳郎(いりえ とくろう、1913年(大正2年)7月15日 - 1989年(平成元年)9月5日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター、エッセイスト。朝日新聞社論説委員、JNNニュースコープキャスター。 福岡県遠賀郡芦屋町出身。福岡県立東筑中学校を経て、1936年(昭和11年)東京帝国大学文学部社会学科卒業後、朝日新聞社に入社。 長野支局を振り出しに社会部記者一筋に活躍。ノモンハン事件では従軍記者として死線をさまよい、事件を描いた『ホロンバイルの荒鷲』で記者としての才能を認められ、戦後の著書『泣虫記者』は話題になった。 社会部次長、週刊朝日副編集長などを経て、1961年(昭和36年)に編集委員、63年に論説委員となり、同年5月から70年4月まで朝日新聞の1面コラム「天声人語」を担当した。
西村 元男(にしむら もとお、1913年7月15日 - 19… 西村 元男(にしむら もとお、1913年7月15日 - 1998年2月7日)は、日本の映画監督、脚本家。主にコメディ映画、ミュージカル映画、ドキュメンタリー映画を監督した。 日本大学芸術学部卒業(6期生)。その後、大映株式会社入社。 終戦後、大映に復帰。助監督から監督となり、1963年の退職まで多数の映画に携わる。 独立して映像編集、制作会社を立ち上げるも、1969年に解散。 1998年、肺ガンにより死去。 死後、2002年、企画した『陽はまた昇る』が西田敏行主演で東映より映画化された。 movie walkerplus 西村 元男 日本映画監督協会会員名鑑 西村元男 文化庁 日本映画情報システム 西村元男 資料データベース|東宝WEB SITE この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。
岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 198… 岡本 悟(おかもと さとる、1913年7月13日 - 1988年11月12日)は、日本の政治家、官僚。参議院議員(2期)。 広島市南区松原町出身。旧制広島一中、旧制広島高等学校卒業。1937年(昭和12年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業。同年、鉄道省入省。大阪鉄道局書記。運輸省観光局長、大臣官房長、鉄道監督局長を務める。 1963年(昭和38年)4月19日-運輸事務次官就任。1964年(昭和39年)、運輸事務次官退任。 1965年(昭和40年)、第7回参議院議員通常選挙全国区当選。1971年(昭和46年)、第9回参議院議員通常選挙再選。1972年(昭和47年)、七日会(田中派)理事。1977年(昭和52年)、第11回参議院議員通常選挙に立候補せず、引退。
寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月… 寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月13日 - 2003年 <平成15年> 6月5日)は日本の裁判官、弁護士。位階は正三位。 愛媛県越智郡波方町(現今治市)生まれ。中央大学法学部卒業。1936年11月、司法科試験合格。1937年6月、司法官試補(東京)。1938年12月、札幌地方裁判所予備判事に就任。樺太地方裁判所、大阪簡易裁判所、大阪地方裁判所判事を経て、1952年2月に東京地方裁判所へ転任し、1961年まで最高裁判所調査官を兼任。この間、1957年には八海事件における死刑判決を破棄し、審理を広島高等裁判所へ差し戻す。 その後、徳島地方裁判所・徳島家庭裁判所所長を経て、1970年8月に東京高等裁判所へ転任。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1913年7月13日 - 199… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1913年7月13日 - 1995年4月2日)は、日本の経営者、銀行家。日本債券信用銀行頭取を務めた。愛知県名古屋市出身。 1936年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行した。中央信託銀行常務、日本興業銀行常務、日本冶金工業会会長などを経て、1974年に日本債券信用銀行頭取に就任。1979年に顧問に就任。 1978年に藍綬褒章を受章。 1995年4月2日脳梗塞のために死去。81歳没。
小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 200… 小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 2004年8月19日)は、日本の作家。本名・一久。 埼玉県川口市生まれ。慶應義塾高等部中退。満鉄上海事務所調査部をへて、上海特別市政府に勤務。丹羽文雄の『文学者』に参加。1943年「桑園地帯」で芥川賞候補。1949年『死の盛粧』で直木賞候補、50年『君が火の鳥』『南支那海』、60年『小説天皇裕仁』で直木賞候補。『小説天皇裕仁』はベストセラーとなる。日中文化交流協会会員。「じょう」と読まれることもある。
河野 義克(こうの よしかつ、1913年7月12日 - 20… 河野 義克(こうの よしかつ、1913年7月12日 - 2003年7月17日)は、日本の内務官僚、国会職員。参議院事務総長、国立国会図書館長。 社会教育家・貴族院議員の田澤義鋪とヨウ(洋子)の次男として、父の任地である静岡県安倍郡安東村(現・静岡市)で生まれた。 旧姓は田澤。1934年、21歳のときに会計検査院長・河野秀男の養子となった。田澤家と河野家とは、父親同士がかねてから親交があってそれが縁となった。 成蹊小学校、旧制・成蹊高等学校(文科甲類)卒業。 1937年、東京帝国大学(現・東京大学)法学部政治学科卒業。在学中、高等文官試験行政科に合格している。 大学卒業後、内務省に採用となり4月に岐阜県属として赴任した。
奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2… 奥野 誠亮(おくの せいすけ/せいりょう、1913年〈大正2年〉7月12日 - 2016年〈平成28年〉11月16日)は、日本の内務官僚、政治家。 衆議院議員(13期)、第16代国土庁長官、第39代法務大臣、第95代文部大臣などを務めた。栄典は正三位勲一等。 奈良県南葛城郡御所町(現・御所市)出身。 父は浪速製氷冷蔵社長、御所郵便局長、奈良県議会議員、御所町長を務めた奥野貞治。 奈良県立畝傍中学校、第一高等学校を経て、1938年(昭和13年)3月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 同年4月、内務省入省。静岡県内務部配属。その後、山梨県内務部人事課長。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)に鹿児島県警察部特高課長として新興俳句弾圧事件の一つであるきりしま事件を指揮する。
白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12… 白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12日 - 1984年(昭和59年)11月25日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第10代市長、満州国官吏。栄典は正六位・勲四等・旭日小綬章。
渡辺 孟次(わたなべ たけじ、1913年7月12日 - 20… 渡辺 孟次(わたなべ たけじ、1913年7月12日 - 2005年4月2日)は、日本の経営者。共同通信社社長を務めた。 東京都出身。1938年に日本大学を中退し、同盟通信社での勤務を経て、1945年に共同通信社に入社。1968年6月に常務理事に就任し、1974年6月に専務理事を経て、1978年6月に社長に就任。1985年6月に相談役に就任し、1987年6月には顧問に就任。 1984年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2005年4月2日老衰のために死去。91歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
谷口 敏雄(たにぐち としお、1913年7月11日 - 19… 谷口 敏雄(たにぐち としお、1913年7月11日 - 1988年8月24日)は、土木工学・地球物理学者。日本の地すべり研究の第一人者の一人。正五位勲四等旭日小綬章受章。工学博士(京都大学)。元建設省土木研究所砂防研究室長および河川部長。日本技術士会元理事。日本工営元副社長・最高顧問。日本地すべり学会第2代会長・名誉会長。地すべり対策技術協会元会長。土質工学会(現:地盤工学会)元副会長。元京都大学防災研究所非常勤講師・大阪工業大学工学部土木工学科客員教授。 日本の地すべり工学の最高権威者として自他ともに認められ、地すべり対策事業の黎明よりかかわり、育ててきた最大の功労者である。
前田 正男(まえだ まさお、1913年7月10日 - 200… 前田 正男(まえだ まさお、1913年7月10日 - 2008年2月12日)は、日本の政治家。日本自由党・民主自由党・自由党・自由民主党に所属し、衆議院議員(11期)、科学技術庁長官(三木改造内閣)を務めた。従三位勲一等。甥は元民主党参議院議員の前田武志。 岐阜県稲葉郡北長森村(現岐阜市)出身。1936年に山梨高等工業学校機械科(現山梨大学工学部)を卒業する。その後、三井物産株式会社の社員を経て、三井精機工業株式会社に勤務し、奈良県産業復興会議設立準備委員会事務責任者となった。 1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧奈良県全県区から無所属で出馬し初当選。1947年12月時点で奈良県工業協会連合会常任理事兼事業部長を務めた。
宝月 欣二(ほうげつ きんじ、寳月 欣二、1913年 <大正… 宝月 欣二(ほうげつ きんじ、寳月 欣二、1913年 <大正2年> 7月10日 - 1999年 <平成11年> 12月19日)は、日本の植物学者。理学博士。東京都立大学名誉教授。専門は植物生態学。栄典は勲三等旭日中綬章。位階は正四位。 長野県長野市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、松本高等学校理科を経て、1938年東京帝国大学理学部植物学科卒業。同大学大学院修了(理学博士)。1944年東京大学副手を経て、1952年東京都立大学助教授、1954年同大学教授。退官後、同大学名誉教授。玉川大学教授。 日本植物学会会長、日本生態学会会長、旧環境庁自然環境保全審議会委員などを歴任し、勲三等旭日中綬章受勲。
近藤 要(こんどう かなめ、1913年7月8日 - 2001… 近藤 要(こんどう かなめ、1913年7月8日 - 2001年2月6日)は、日本の経営者。岐阜県出身。 1938年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に日産火災海上保険に入社。1962年に取締役に就任し、1966年に常務、1971年に専務を経て、1974年に副社長に就任し、1977年4月には社長に昇格。1978年11月に取締役相談役を経て、1979年1月に相談役に就任。 1978年11月に藍綬褒章を受章。 2001年2月6日心筋梗塞のために死去。87歳没。
郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 199… 郡司 正勝(ぐんじ まさかつ、1913年7月7日 - 1998年4月15日)は、日本の歌舞伎研究家・演劇評論家・国文学者。早稲田大学名誉教授。 1913年、北海道札幌市生まれ。北海道庁立第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、1939年早稲田大学文学部国文科を卒業。大学では河竹繁俊に師事した。卒業後は、早稲田大学演劇博物館学芸員となり、同大学講師などを経て、1960年から84年まで教授を務めた。 その著作は、『郡司正勝柵定集』(全6巻)にまとめられている。故郷である札幌大学に、郡司の蔵書を納めた「郡司文庫」が設けられている。
沢田 仁三(さわた にぞう)1913年〈大正2年〉7月7日 … 沢田 仁三(さわた にぞう)1913年〈大正2年〉7月7日 - 没年不明)は、日本の政治家。埼玉県北埼玉郡南河原村長。埼玉県町村長会理事。 深谷商業出身。スリッパを製造する。南河原村助役を経て、1971年8月に同村長に就任、1975年8月に退職。 住所は埼玉県北埼玉郡南河原村大字南河原(現・行田市)。
松村 誠一(まつむら せいいち、1913年〈大正2年〉7月6… 松村 誠一(まつむら せいいち、1913年〈大正2年〉7月6日 - 2004年〈平成16年〉10月30日)は、国文学者。高知大学教授、成蹊大学教授を歴任。岡山県生まれ。池田亀鑑に師事。池田の『古典の批判的処置に関する研究』、『校異源氏物語』の作成に関与した。中古文学、特に源氏物語が専門。 近代文学研究者で東京女子大学名誉教授の松村綠(1909年(明治42年)1月4日~1978年(昭和53年)1月18日)は姉。
更田 正彦(ふけた まさひこ、1913年7月6日 - 200… 更田 正彦(ふけた まさひこ、1913年7月6日 - 2001年2月24日)は、日本光学工業(現ニコン)の技術者。日本における高級35mmカメラのパイオニアのひとり。 コストパフォーマンスではなく機能や性能が優れていると認められ、欧米でヒットした最初の一般市場向け日本製品となったニコンF(ならびにその前身ともいえるニコンSシリーズ)の設計を担当した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
内田 俊郎(うちだ しゅんろう、1913年7月5日 - 20… 内田 俊郎(うちだ しゅんろう、1913年7月5日 - 2005年11月2日)は、日本の生物学者。個体群生態学の、日本における草分けの一人である。 内田は京都大学農学部を主な活躍の場として、個体群生態学の研究を行った。彼の手法は実験室内において、マメゾウムシなどのモデル生物の実験個体群を対象として、恒温機の中のシャーレという、極めて管理された条件下での個体群動態を調べる、というものであった。これはいかにも人工的な実験に見えるため、そんなシャーレの中の研究で本当の自然は分からない、という批判を受けたこともあった。しかし彼はこのような手法を用いての研究を続け、密度効果や相変異など、様々な成果を上げ、多くの弟子を育てた。
樫村 寛一(かしむら かんいち、1913年(大正2年)7月5… 樫村 寛一(かしむら かんいち、1913年(大正2年)7月5日 - 1943年(昭和18年)3月6日)は、日本海軍の戦闘機操縦士、最終階級は、海軍少尉。「片翼帰還の英雄」として知られる。 香川県善通寺町に生まれた。丸亀中学卒業後、1933年5月、佐世保海兵団入団。1934年(昭和9年)2月に第24期操縦練習生に入隊し、7月に卒業する。日中戦争開始後は第十三航空隊に所属し、上海・南京と転戦した。 1937年12月9日、九六式艦上戦闘機で南昌攻撃の際、中国軍機と接触して左翼の1/3以上を失ったが、600km以上操縦を続けて南京基地に帰還した。帰還の様子は基地に滞在していた従軍報道員によって撮影された。
佐野 禮子(さの あやこ、1913年〈大正2年〉7月4日 -… 佐野 禮子(さの あやこ、1913年〈大正2年〉7月4日 - 2003年〈平成15年〉9月3日 )は日本の元皇族。旧名は、禮子女王。竹田宮恒久王と同妃昌子内親王の第1王女子。兄は、竹田宮恒徳王。佐野常光(佐野常羽の養子。一条実輝の次男)の妻。 1934年(昭和9年)3月、佐野常羽(佐野常民の子)伯爵の継嗣常光と結婚。その後は常行(1935年生)、明子(1936年生)、常武(1942年生) 常具(1946年生)の3男1女に恵まれた。青山霊園にある墓誌によると、洗礼名はマリヤ。
村上 重夫(むらかみ しげお、1913年7月3日 - 194… 村上 重夫(むらかみ しげお、1913年7月3日 - 1945年)は、愛知県出身のプロ野球選手(外野手)。
薬師寺 厚(やくしじ ひろし、1913年7月2日 - 199… 薬師寺 厚(やくしじ ひろし、1913年7月2日 - 1998年12月8日)は、日本の建築家。佐野利器の女婿。 岡山県出身。父の薬師寺主計は大原美術館などを設計した建築家である。1932年(昭和7年)私立武蔵高等学校卒業後、1937年(昭和12年)、東京帝国大学工学部建築学科を卒業(同期に丹下健三らがいる)。 逓信省(当時)に入省し山田守に薫陶を受ける。郵政省(当時)の建築部長を経て1964年(昭和39年)退官した。その後藤田建設に入社し、1965年常務、1971年専務、1979年顧問、1982年監査役を務めた。1983年、勲三等瑞宝章受章。
斉藤 国治(齊藤 国治、さいとう くにじ、1913年7月1日… 斉藤 国治(齊藤 国治、さいとう くにじ、1913年7月1日 - 2003年2月21日)は、日本の天文学者、天文学史家。 東京天文台在職中は、太陽光の高精度スペクトルを研究するとともに、世界各地に日食観測のために渡航した。太陽コロナの極付近から出る光条について報告した論文は、今まで国際学術誌に100回近く引用されている。また、明治以後の日食、ハレー彗星、金星の太陽面通過観測の歴史の詳細な総合報告を発表した。退職後はパソコンPC9801を購入して、主に日本と中国の古い記録に残る天文現象の検証に精力的に取り組んだ。その成果は、『星の古記録』(岩波新書)など、10冊以上の著作となって実を結んだ。そうした天文現象の古記録を現代天文学によって検証する分野に対して「古天文学」と呼ぶことを提唱したが、賛否両論が起こった。
横井 英樹(よこい ひでき、1913年(大正2年)7月1日 … 横井 英樹(よこい ひでき、1913年(大正2年)7月1日 - 1998年(平成10年)11月30日)は、日本の実業家。1953年(昭和28年)の老舗百貨店、白木屋(のちの東急百貨店日本橋店)の株買占めや東洋郵船設立による海運業への進出で脚光を浴びた。 愛知県中島郡平和村(平和町を経て現・稲沢市)の貧しい農家に二男として生まれた。生まれたとき、真っ赤な赤子であったことから、こんな赤い子は千人に一人いるかいないかだということで「千市」と名付けられた。本人はその名は好きではなく、1947年(昭和22年)「英樹」と改名する。 父親の鉞次郎(えつじろう)は18、9歳の頃に尻の出来物の手術をしたところ足が悪くなり仕事をしなくなった。
足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 19… 足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 1985年8月14日)は、日本の小説家、詩人、エッセイスト。 メディアを通して本居宣長の顕彰に大きな功績を残した。代表作である『やちまた』は、盲目の国学者である本居春庭を描いた評伝文学の傑作である。 東京市神田区(現:東京都千代田区)に生まれる。生後間もなく父と死別、母は再婚したため、漢詩人であった祖父足立清三(敬亭)、祖母ヒデに育てられるが、1920年に祖母ヒデが急死、祖父清三としばし流浪の生活を送った。翌年、清三も横死を遂げ、神戸在住の母方の叔父に引き取られる。 諏訪山尋常小学校時代から「少年倶楽部」「赤い鳥」等に頻繁に短文、詩歌等を投稿。
伊藤 律(いとう りつ、1913年6月27日 - 1989年… 伊藤 律(いとう りつ、1913年6月27日 - 1989年8月7日)は、日本の政治運動家、元日本共産党政治局員。岐阜県土岐郡土岐村市原(現・瑞浪市)出身(広島県生まれ)。幼名は、恵一。中国名は、顧青。 父・連次郎の勤務先である広島で生まれた。間もなく父の故郷岐阜県瑞浪に戻る。幼少期から神童の誉れが高かったといわれ、旧制岐阜県立恵那中学校(現・岐阜県立恵那高等学校)4年生修了後、1930年に第一高等学校(現・東京大学教養学部)に入学する(飛び級入学。いわゆる「四修進学」)。同期に後に作家となる杉浦明平がいた。杉浦の後年の回想では、入学の時点で伊藤はすでに社会主義に関心を持ち、1年生から読書会を主催していたという。
藤本 東一良(ふじもと とういちりょう、1913年6月27日… 藤本 東一良(ふじもと とういちりょう、1913年6月27日 - 1998年9月17日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。リズミカルな筆触、明快な色調の風景画を得意とした。 静岡県伊豆下田生まれ。生後間もなく大阪に移住。1930年、鹿子木孟郎、赤松麟作に師事する。1931年(昭和6年)大阪天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)卒業後、上京して川端画学校に学ぶ。1935年(昭和10年)東京美術学校入学。寺内萬治郎、藤島武二に師事。1937年(昭和12年)ポール・ゴーギャンに憧れて南洋旅行。1939年(昭和14年)光風会展で初入選、F氏賞を受賞、第3回海洋美術展でも海軍協会賞を受賞。1940年、東京美術学校を卒業、第4回海洋美術展で朝日新聞社賞を受賞。
井尻 正二(いじり しょうじ、1913年6月26日 - 19… 井尻 正二(いじり しょうじ、1913年6月26日 - 1999年12月1日)は、日本の地球科学者・古生物学者・地質学者。学位は、理学博士(九州大学・論文博士・1949年)。東京経済大学教授を歴任。北海道小樽市出身。 小樽で倉庫業・海産物商などを営む名家に生まれたが、父が政治に血道を上げて家業に身を入れず没落し、中学校を卒業後に家族で上京。稲穂尋常高等小学校4年生の時に、大きな塩の結晶を作り、先生に褒められたことをきっかけに理科に興味を持つ。旧制小樽市中学校(現・小樽市立長橋中学校)卒。小中学校の同級生に広谷俊二(日本共産党中央委員)がいる。 1933年4月、動物学者で大伯父に当たる東京帝国大学教授・谷津直秀の勧めで東京帝国大学理学部地質学科に進学、古生物・化石研究の道に進む。
桑木 務(くわき つとむ、1913年6月25日 - 2000… 桑木 務(くわき つとむ、1913年6月25日 - 2000年2月15日)は日本の哲学者。
高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 201… 高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 2014年5月17日)は、日本の動物学者。第8代琉球大学学長(就任期間:1970年7月1日 - 1973年6月30日)。農学博士。専攻は応用動物学。沖縄県本部町出身。 ハブの研究で知られ、「ハブ博士」と呼ばれた。 イリオモテヤマネコの発見につながる幼獣の捕獲を果たしたことでも知られる。 沖縄の本土復帰に伴う国立大学化の際の学長であった。 戦後の1950年から1968年にかけて5回に渡り、調査団を結成して尖閣諸島に上陸して学術調査を実行。この時のメンバーには後に沖縄社会大衆党委員長となる瑞慶覧長方がいる。 紫綬褒章、勲二等瑞宝章、沖縄県功労者、沖縄タイムス賞などを受賞。
堀江 史朗(ほりえ しろう、1913年6月24日 - 200… 堀江 史朗(ほりえ しろう、1913年6月24日 - 2009年5月14日)は、脚本家、ラジオドラマの製作者、映画プロデューサー。元・博報堂代表取締役副社長。ペンネームは龍野 敏。 兵庫県西宮市生まれ。1934年に大阪商科大学(現、大阪市立大学)を卒業と同時にNHKに入局。1937年よりラジオドラマの放送にたずさわる。戦後のラジオ全盛期には、制作、脚本両面で放送界の中心的役割を果たした。1950年に脚本部長。 東宝撮影所に移籍して文芸部長。1955年に契約者となり、1962年に博報堂に移籍、テレビ・ラジオ局長、1974年に代表取締役副社長となる。のち、シナリオ・センター最高顧問。 2009年5月14日、肺炎のため95歳で死去。
永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991… 永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991年6月3日)は、日本の地球科学者である。岩石磁気学という分野を開いた。日本の南極観測を指導した。 愛知県岡崎市出身。第一東京市立中学、旧制第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、東京大学地震研究所を経て東京大学教授に就任した。疎開中は挙母町(現・豊田市宮町)の浄覚寺に滞在した。奇しくも30年前に日本人で初めて南極へ向かった白瀬矗が晩年1946年同じ挙母町に転居し亡くなった後、白瀬の妻と次女タケコが浄覚寺に滞在している。1944年7月、東京大学 理学博士、論文名は「火山岩、自然残留磁気およびその地球磁気学的諸問題への応用について(英文) 」。
伊瀬 仙太郎(いせ せんたろう、1913年〈大正2年〉6月2… 伊瀬 仙太郎(いせ せんたろう、1913年〈大正2年〉6月23日 - 1999年〈平成11年〉12月17日)は、東洋史学者。東京学芸大学名誉教授。位階は従四位。勲三等瑞宝章。 1913年、香川県伊吹島(現観音寺市)で生まれた。香川師範学校、東京高等師範学校を経て、東京文理科大学を卒業。 卒業後は、母校の東京文理科大学副手に採用された。後に助手昇格。その後東京第一師範学校に転じ、1949年に同校が新制大学として東京学芸大学となってからは同大学助教授。その後教授昇格。1961年、学位論文『中国民族と周辺諸民族との交流に関する研究:特に隋唐時代を中心として』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。1978年に東京学芸大学を定年退官し、名誉教授となった。
門脇俊一(かどわき しゅんいち、1913年6月23日 - 2… 門脇俊一(かどわき しゅんいち、1913年6月23日 - 2006年)は、日本の画家、版画家。「現代の浮世絵師」とも呼ばれる。 1913年6月23日に、香川県三豊郡観音寺(現在の観音寺市八幡町)で門脇百太郎とみねの六男として生まれる。家は代々木材彫を営んでいた。 1994年にフランス国立高等美術学校(パリ)にて開催した個展がきっかけとなって、1995年8月、セントビンセント・グレナディーンから木版画「不動明王」の郵便切手が発行された。
糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 19… 糸川 英夫(いとかわ ひでお、1912年7月20日 - 1999年2月21日)は、日本の工学者。専門は航空工学、宇宙工学。ペンシルロケットに始まるロケット開発や宇宙開発を先導し、「日本の宇宙開発・ロケット開発の父」と呼ばれる。 小惑星探査機「はやぶさ」が調査を行ったことでも知られる小惑星「イトカワ」は、糸川英夫にちなんで命名された。 1912年、東京市麻布区(現在の東京都港区西麻布)で生まれる。小学校では六本木、中学校からは東京青山に育った。教育者の家庭であり父は麻布の笄小学校の教師であった。英夫という名は、1912年の東大銀時計卒業者(首席)の鳩山秀夫にちなみ、秀才好きの父に命名された。越境入学で麻布の南山小学校に学び飛び級で卒業した。
中内 力(なかうち つとむ、1912年〈明治45年〉7月20… 中内 力(なかうち つとむ、1912年〈明治45年〉7月20日 - 2001年〈平成13年〉11月22日、満89歳没)は、日本の政治家。高知県知事を務めた。 高知県吾川郡明治村(現・高岡郡越知町)出身(なお、出生地は現在の吾川郡いの町)である)。明治村立鎌井田尋常小学校、明治村立片岡尋常高等小学校を経て旧制・高知県立高知城東中学校(現高知県立高知追手前高等学校)卒業。その後、大阪での就職を経て帰高し高知県の外郭団体たる高知県体育協会の職員になり、その後高知県職員となる。民生部長、厚生労働部長、高知県教育長、副知事を歴任(なお、生え抜き初の副知事である)。とりわけ、いわゆる勤評闘争時には高知県教育長として組合側と対峙し、県教育界正常化のために奔走する。
灰山 元治(はいやま もとはる、大正元年(1912年)7月1… 灰山 元治(はいやま もとはる、大正元年(1912年)7月17日 - 昭和62年(1987年)11月27日)は、昭和初期に中等野球他で活躍したアマチュア野球選手、プロ野球選手。投手・内野手。プロ入り後は灰山元章と改名した。広島県佐伯郡廿日市町桜尾(現:廿日市市)出身。