今井 浩三(いまい こうぞう、1948年1月1日 - )は、… 今井 浩三(いまい こうぞう、1948年1月1日 - )は、日本の医学者・内科医。札幌医科大学名誉教授、元・同大学長。元・北海道公立大学法人札幌医科大学理事長。研究対象は癌(がん)、癌の分子診断や新しい治療が専門。日本学術会議会員(20,21期)、2009年、春の園遊会に招待。2010年、東京大学教授(東京大学医科学研究所附属病院第19代病院長)。2013年、紫綬褒章受章。2014年、東京大学特任教授(東京大学医科学研究所医療イノベーション推進室長)、神奈川県立がんセンター臨床研究所長。2016年、東京大学客員教授、東京大学医科学研究所 学術研究基盤支援室長。2019年、日本医療研究開発機構 (AMED) プログラムオフィサー, 2022年、同プログラムスーパーバイザー。
斎藤 元秀(さいとう もとひで、1948年 - )は、日本の… 斎藤 元秀(さいとう もとひで、1948年 - )は、日本の国際政治学者。専門は、ロシア外交・国際関係論、特に日露関係・中露関係・米露関係などに精通。 北海道函館市出身。慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程・博士課程修了。フルブライト奨学金全額給費生としてコロンビア大学大学院政治学部博士課程に留学し、1986年Ph.D.(国際関係論)取得。杏林大学総合政策学部教授、北海道大学スラブ研究センター客員教授、慶應義塾大学非常勤講師など歴任。コロンビア大学東アジア研究所Honorary Fellow。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
菊地 均(きくち ひとし、1948年 - )は、日本の商学者… 菊地 均(きくち ひとし、1948年 - )は、日本の商学者。北海商科大学名誉教授。北海道函館市出身。 函館大学商学部商学科卒業。日本大学大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学。1979年北海学園北見大学商学部商学科講師。北海学園北見大学商学部商学科助教授。北海学園北見大学商学部商学科教授を経て、2006年北海商科大学商学部教授。2019年同定年退職。同名誉教授。 この他、レスブリッジ大学交換教授、1994年から2000年まで北海学園北見大学開発政策研究所主任研究員、2013年より北海商科大学開発政策研究所研究員も務めた。 商業政策科学が専門。ミュルダールの社会科学方法論、オホーツク管内における大型店出店の影響力、観光マーケティング論の構築などを研究。
桜井 修次(さくらい しゅうじ、1948年- )は、日本の工… 桜井 修次(さくらい しゅうじ、1948年- )は、日本の工学者。学位は、博士(工学)(北海道大学)。北海学園大学名誉教授。「櫻井修次」とも表記される。 北海道函館市出身。1976年北海学園大学工学部卒業。1978年北海道大学大学院工学研究科修士課程修了。1978年北海道美唄工業高等学校建築科教諭。1982年北海学園大学工学部講師。1983年北海学園大学工学部助教授。1988年北海学園大学工学部教授(構造力学)。1991年北海学園大学大学院工学研究科教授。2017年北海学園大学定年退職。同名誉教授。同大学院工学研究科非常勤講師。 専門は、建築構造学。特に、建築物設計用雪荷重の評価法、骨組み構造物の信頼性解析の研究。
山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2… 山下 弘(やました ひろし、1947年(昭和22年)10月2日 - )は日本の経営者、ウイスキー製造者、技術者。ニッカウヰスキーの代表取締役社長、会長を務めた。北海道函館市出身。 5人兄弟の末っ子として北海道函館市に生まれる。函館市立柏野小学校、函館市立的場中学校、函館ラ・サール高等学校を経て、1970年、北海道大学農学部卒業。 同年、ニッカウヰスキー入社。生産部長、西宮工場長、アサヒビール酒類事業本部副本部長などを歴任、2002年、アサヒビール執行役員、2005年3月25日、ニッカウヰスキー株式会社代表取締役社長。2010年3月24日、同社代表取締役会長。同年4月1日、第4代マスターブレンダー就任。
喜瀬 浩(きせ ひろし、1947年〈昭和22年〉4月30日 … 喜瀬 浩(きせ ひろし、1947年〈昭和22年〉4月30日 - )は、フリーアナウンサー、元札幌テレビ放送(STV)のアナウンサーである。番組などでは「喜瀬ひろし」と表記されることもある。 北海道亀田郡亀田村(現:函館市)出身。 協和銀行に勤める父の転勤により、小学校から大学まで東京都世田谷区池尻及び町田市で育つ。 世田谷区立富士中学校、東京都立駒場高等学校、中央大学法学部政治学科卒業。 1970年札幌テレビ放送入社(同期は阿久津正行、平山恵美子、暮地雅子)。 1970年代後半よりラジオ番組を中心に担当し、日曜朝のベストテン番組「北海道 young Hit 10」などで人気を得た。 熱狂的な東京ヤクルトスワローズのファンである。
布谷 文夫(ぬのや・ふみお、1947年1月25日 - 201… 布谷 文夫(ぬのや・ふみお、1947年1月25日 - 2012年1月15日)は、日本のロックシンガー。ブルース・クリエイションやDEWといったバンドを経てソロとなった。 1947年1月25日、北海道函館市出身。専修大学経営学部在学中の1966年に友人と東京R&B5を結成し、音楽活動を始める。東京R&B5は翌年の1967年に解散するが、その後、大瀧詠一らと共に『タブー』というバンドを結成。 1968年にザ・ジャガーズの弟分バンドだったビッキーズに参加、『東京R&B天国』(東京12チャンネル)の「R&B天国アマチュアバンドコーナー」に出演して5週連続勝ち抜きを果たす。この番組の賞品がサーフボードであったが、本人はサーフィンをやらなかった為、人に譲渡したという。
川道 美枝子(かわみち みえこ、1947年 - )は、日本の… 川道 美枝子(かわみち みえこ、1947年 - )は、日本の動物学者。関西野生生物研究所共同代表。 北海道函館市生まれ。北海道大学理学部生物学科卒、同大学院単位取得退学、1994年「エゾシマリスにおける冬眠の生態」で京都大学博士号取得。2002年関西野生生物研究所設立。野生生物の研究調査を実施、ブナ林の生物など在来種について著述がある。 2005年から特定外来生物アライグマ対策に従事し、京都府舞鶴市、亀岡市など幾つかの地方自治体との協力でアライグマ個体数の削減に成功している。特に社寺につけられたアライグマの爪痕で地域への侵入状態を把握。文化財の外来生物からの保護活動にも携わる。
新蔵 博雅(しんくら ひろまさ、1946年10月16日 - … 新蔵 博雅(しんくら ひろまさ、1946年10月16日 - )は、日本の経営者。北海道文化放送社長を務めた。北海道函館市出身。 函館東高校を経て、1972年に早稲田大学第一文学部ロシア文学科を卒業し、同年に北海道新聞社に入社した。政治部記者として主に自民党を担当し、ワシントン特派員、帯広報道部長、旭川支社長、編集局長を歴任。2004年6月に取締役に就任し、2005年6月に常務、2006年6月に専務を経て、2008年6月から2013年6月までに北海道文化放送社長を務めた。 2010年4月から2012年3月までに日本民間放送連盟副会長を務めた。
平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は… 平松 庚三(ひらまつ こうぞう、1946年1月6日 - )は、日本の実業家。小僧com取締役会長。群馬県みなかみ町在住。株式会社ライブドアホールディングス代表取締役社長、弥生株式会社代表取締役会長、株式会社セシール取締役、小僧com代表取締役会長などを歴任した。 1946年1月6日北海道函館市で生まれ、埼玉県立大宮高等学校を卒業して早稲田大学第二文学部を中退し、1973年にアメリカン大学コミュニケーション学部ジャーナリズム学科を卒業した。在学中に読売新聞ワシントン支局でアルバイト勤務して渡邉恒雄と知り合う。 1973年ソニー株式会社、1973年から1978年ソニーコーポレーション・アメリカ、1978年から1983年ソニー本社海外事業部、1983年から1986年ソニーPC事業部、1986年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン、1986年から1990年パブリッシングディレクター、1990年から1992年アメリカン・エキスプレス・インターナショナルジャパン副社長、1992年株式会社IDGコミュニケーションズジャパン代表取締役社長、1998年AOLジャパン株式会社代表取締役社長America Online, Inc.副社長、2000年インテュイット日本法人株式会社代表取締役社長兼CEO インテュイット副社長。
石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日… 石田 建昭(いしだ たてあき、1946年1月2日 - )は日本の実業家。東海東京フィナンシャル・ホールディングス代表取締役社長、東海東京証券代表取締役会長。元中部経済同友会代表幹事。 北海道函館市で船員の子として生まれる。北海道函館中部高等学校を経て、1968年小樽商科大学商学部卒業、東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行、内田橋支店配属。1980年加州東海銀行出向。1987年国際財務開発室長。1992年欧州東海銀行頭取。1994年東海銀行取締役。1996年東海銀行常務取締役。1998年東海投信投資顧問取締役社長。2001年欧州東海銀行会長。2002年UFJインターナショナル会長。2003年UFJインターナショナル社長。
魚井一由(うおい かずよし、1946年(昭和21年) - 2… 魚井一由(うおい かずよし、1946年(昭和21年) - 2008年(平成20年)[要出典])は日本の言語研究者。法廷通訳人。 北海道函館市生まれ。函館ラ・サール高等学校卒業。大阪外国語大学卒業。先生と呼ばれることを特に嫌っていて、親しく関わっていた人たちは「魚井ちゃん」「うーさん」と呼んでいた。 北海道滝川市にある國學院大學北海道短期大学部等でアイヌ語の教鞭をとった。他に大阪外国語大学、北海道教育大学旭川校等でもアイヌ語、アイヌ文化の指導を行っていた。旭川医科大学ではロシア語担当講師でもあった。旭川市博物館のアイヌ語辞書編纂担当嘱託でもあった。 1991年頃、旭川市内で「言葉の門」という英語塾を開いていた。
末永 進(すえなが すすむ、1945年12月8日 - )は、… 末永 進(すえなが すすむ、1945年12月8日 - )は、日本の裁判官、検察官。釧路地方裁判所長や、札幌高等裁判所部総括判事を務めた。瑞宝重光章受章。 北海道函館市松風町の時計屋の長男として生まれる。函館ラ・サール高等学校を経て、中央大学法学部在学中の1968年に旧司法試験合格。1969年中央大学法学部卒業。1971年裁判官任官、札幌地方裁判所判事補。法務省札幌法務局訟務検事、釧路地方裁判所網走支部判事、横浜地方裁判所部総括判事等を経て、2001年釧路地方裁判所所長、釧路家庭裁判所所長。2004年札幌高等裁判所民事第2部部総括判事。2016年秋の叙勲で瑞宝重光章受章。
佐藤 英彦(さとう ひでひこ、1945年4月25日- )は… 佐藤 英彦(さとう ひでひこ、1945年4月25日- )は、日本の警察官僚。第19代警察庁長官を務めた。弁護士 (第一東京弁護士会登録)。 北海道函館市出身。香川県立高松高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業後、1968年 (昭和43年)、警察庁に入庁。元々は内科医を志望していたが、警察も「社会の医者」であることから、警察に入ったという。 刑事畑が長く、入庁後は高知県警察本部刑事部鑑識課長、栃木県警察本部刑事部捜査第一課長、警視庁本富士警察署長、警視庁警務部教養課長、大阪府警察本部刑事部捜査第二課長、警視庁刑事部捜査第二課長、内閣法制局第二部参事官、警察庁長官官房総務課長、警視庁刑事部長などを歴任。
大鎌 邦雄(おおかま くにお、1945年 - )は、日本の歴… 大鎌 邦雄(おおかま くにお、1945年 - )は、日本の歴史学者、経済学者。東北大学名誉教授。 北海道函館市出身。1968年北海道大学農学部農業経済学科卒業。1973年北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。指導教官は川村琢。1973年農林省農業技術研究所。1974年農林省農業総合研究所(現・農林水産政策研究所)。1993年「行政村の事業と集落機能との関連に関する社会経済史学的研究 : 秋田県西目村の事例から」で農学博士(北海道大学)。1997年東北大学農学部教授。大学院農学研究科教授も兼務。2009年定年退職、名誉教授。東北学院大学非常勤講師、東北農業経済学会副会長(1999-2003年)、同会長(2002-06年)、日本農業経済学会常務理事(2001-02年)、農業史研究会会長(2003-05年)も務めた。
渡辺 憲司(わたなべ けんじ、1944年12月15日 - )… 渡辺 憲司(わたなべ けんじ、1944年12月15日 - )は、日本の近世文学研究者。立教大学名誉教授。元立教新座中学校・高等学校校長、元自由学園最高学部学部長。専門は近世文学・大名文芸圏・遊里史など。前田愛に師事した。 北海道函館市生まれ。1963年、北海道函館中部高等学校卒業。1964年立教大学法学部に入学するも、1966年に同大学文学部日本文学科へ転籍。1968年、立教大学文学部日本文学科卒業。1971年立教大学大学院文学研究科日本文学専攻修士課程修了。1976年立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程単位取得退学。 横浜市立横浜商業高等学校定時制教諭(1970年4月 - 1972年3月)、武蔵高等学校教諭(1972年4月 - 1978年3月)を経て、1978年4月梅光女学院大学短期大学部専任講師。
佐藤 宣践(さとう のぶゆき、1944年1月12日 - )は… 佐藤 宣践(さとう のぶゆき、1944年1月12日 - )は、日本の柔道家。北海道函館市出身。2012年、九段に昇段。東海大学名誉教授、2016年4月より桐蔭横浜大学第三代学長。身長178cm、体重88kg。 東京教育大学卒業後、博報堂に入社。1967年の世界選手権の軽重量級で優勝。その後も1969年無差別級で3位、1971年軽重量級で2位、1973年軽重量級で優勝と安定した成績を挙げた。全日本選手権においても90kg前後の体格ながら1967年と1971年に準優勝、1974年優勝と好成績を残す。またサンボも経験しており、1972年のヨーロッパ選手権では優勝を成し遂げている。 現役時代は左組からの体落、大内刈を得意とした。
長谷川邦彦(はせがわ くにひこ、1944年 - 1989年6… 長谷川邦彦(はせがわ くにひこ、1944年 - 1989年6月8日)は、北海道函館市出身 のアナウンサー。 高崎経済大学卒業後の1972年に北海道文化放送へ入社し、バレーボールや 競馬中継の実況を担当。 バレーボールでは1981年と1985年にワールドカップを担当するなど全国でもトップクラスの実力を発揮し 、北海道マラソンでは1987年に競技場を担当。 報道制作部アナウンス部長在籍中の1989年6月8日、膵癌で死去 。享年45歳。
伴 五十嗣郎(ばん いそしろう、昭和18年(1943年)10… 伴 五十嗣郎(ばん いそしろう、昭和18年(1943年)10月18日 - 令和2年(2020年)2月27日)は、日本の神道学者。皇學館大学名誉教授、元学長。専門は神道思想史。 神社本庁で参与および教学顧問、神道史学会で顧問を務めた。 北海道函館市生まれる。 昭和42年(1967年)に皇學館大學文学部卒業。昭和44年(1969年)に同大大学院文学研究科国史学専攻修了、福井市立郷土歴史博物館学芸員。 昭和59年(1984年)に皇學館大學神道研究所助教授、昭和59年(1984年)に皇學館大學文学部助教授、平成元年(1989年)に皇學館大學文学部教授。平成5年(1993年) - 皇學館大學神道研究所所長[要出典]、平成6年(1994年)に皇學館大學学生部長[要出典]。
味戸 ケイコ(あじと ケイコ、1943年9月27日- )は、… 味戸 ケイコ(あじと ケイコ、1943年9月27日- )は、日本のイラストレーター、絵本作家。 北海道函館市 で生まれる。遺愛女子高等学校を経て、1965年に多摩美術大学 デザイン科を卒業する。 大学卒業後は印刷会社デザインルーム、PR誌を作る制作会社に勤めるが、パニック障害を起こし自宅待機でカット描きを1年間行っていた。会社勤めが合わないことを自覚し、フリーのイラストレーターになる。 1971年、菊地信義の依頼で『月刊エレクトーン』(ヤマハミュージックメディア)創刊号から1年間の表紙イラストの発注を受け、本格的にデビューする。この表紙画がイラスト年鑑に掲載され、1973年に年鑑を見たやなせたかし、原田奈翁雄からそれぞれ雑誌『詩とメルヘン』(サンリオ)、雑誌『終末から』(筑摩書房)の表紙画の依頼が舞い込み、以後、各方面で活躍する。
佐々木 雄太(ささき ゆうた、1943年4月20日 - )は… 佐々木 雄太(ささき ゆうた、1943年4月20日 - )は、日本の政治学者。名古屋大学名誉教授。専攻は、イギリス政治外交史。北海道函館市生まれ。 1966年、京都大学法学部卒業。1968年、京都大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。1969年、京都大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程中退。 大分大学助手、同講師、同助教授を経て、1984年より名古屋大学法学部助教授。1985年、名古屋大学法学部教授。1988年、名古屋大学法学博士(学位論文「三〇年代イギリス外交戦略:帝国防衛と宥和の論理」」)。 2004年、名古屋大学定年退官、同大学名誉教授。 2004年から2012年まで愛知県立大学学長。
上野 美記夫(うえの みきお、1943年1月20日 ‐ )は… 上野 美記夫(うえの みきお、1943年1月20日 ‐ )は、北海道函館市出身の元アマチュア野球選手・元アマチュア野球指導者。 北海道函館市で育ち、函館有斗高等学校では1番打者で遊撃手を務めた。 卒業後、富士製鉄室蘭に入団すると1年間プレーした。 1963年4月に東洋大学に入学したのと同時に20歳で函館大学付属有斗高等学校の監督に就任し、1998年3月に定年を迎えるまで35年間指導した。就任10年目の1972年、第4回明治神宮野球大会で監督として初の明治神宮野球大会出場を果たした(通算5度の出場で1勝5敗)。就任11年目の1973年、第45回選抜高等学校野球大会で監督として初の選抜高等学校野球大会出場を果たした(通算6度の出場で4勝6敗)。
宮城 光信(みやぎ みつのぶ、1942年12月12日 - )… 宮城 光信(みやぎ みつのぶ、1942年12月12日 - ) は、日本の電気工学者。東北大学名誉教授。東北大学大学院工学研究科研究科長、仙台高等専門学校校長、東北工業大学学長、宮城学院理事長などを歴任した。 北海道函館市出身。1965年東北大学工学部通信工学科卒業。1967年東北大学大学院工学研究科電気及通信工学専攻修士課程修了。1970年東北大学大学院工学研究科電気及通信工学専攻博士課程修了、工学博士、東北大学電気通信研究所助手。1975年マギル大学博士研究員。1978年東北大学電気通信研究所助教授。1987年東北大学工学部教授。1989年市村賞受賞。2001年国際光工学会フェロー。 2002年東北大学大学院工学研究科長・工学部長。
グレート小鹿(グレート こじか、本名:小鹿 信也(こしか し… グレート小鹿(グレート こじか、本名:小鹿 信也(こしか しんや)、1942年4月28日 - )は、日本のプロレスラー。北海道函館市出身。大日本プロレス会長。生年は1940年ともされる。長らく本名の姓の読みは「こじか」とされてきたが、75歳の誕生日を迎えた2017年4月28日、後楽園ホールでの自身の試合後に自身の姓の読みが「こしか」であることを公表した。また、この日に限って「グレート小鹿(こしか)」として試合を行っている。新潟プロレススーパーバイザー(元顧問)。 幼少期に父が失明し、小学3年から行商をしながら家計を助けた。中学卒業後、北海道湧別町の缶詰工場に就職。17歳のとき、一旗揚げたいという思いだけを持って東京を目指すべく、まずは遠軽駅から函館駅を目指した。
茅野 智行(ちの ともゆき、1941年10月24日 - )は… 茅野 智行(ちの ともゆき、1941年10月24日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(内野手)。 北海高等学校では1959年にエース荻野一雄を擁し、夏の甲子園南北海道予選決勝に進出するが、苫小牧東高に10回裏サヨナラ負け。卒業後は芝浦工業大学へ入学。東都大学リーグでは1961年秋季にリーグ初優勝を経験。同季の最高殊勲選手であった岩下光一が卒業した後の正遊撃手となり、1963年秋季リーグでは打率.389で首位打者を獲得、全試合連続安打や無失策も記録した。ベストナイン(遊撃手)2回選出。 1964年に西鉄ライオンズに入団。同年はトニー・ロイの控えながら、遊撃手として13試合に先発出場する。
渡辺 信英(わたなべ のぶひで、1941年(昭和16年)7月… 渡辺 信英(わたなべ のぶひで、1941年(昭和16年)7月 - )は、日本の法学者。博士(社会福祉学)、東北福祉大学名誉教授、郡山東都学園学校長、仙台北学園学校長。公益財団法人仙台微生物研究所理事、全国保育士養成協議会常任理事。聖和学園短期大学学長 北海道函館市出身。北海道函館中部高等学校を経て、1970年に東洋大学大学院法学研究科博士課程を満期退学。1968年東北福祉大学の助教授に就任した。1979年に同教授となる。その後学生部長などを務め、1990年に社会福祉学部長、大学院社会福祉学研究科長、2002年、通信教育部が設置された際には、初代の通信教育部長も歴任した。 2008年に、総合福祉学部からスピンオフして設置された総合マネジメント学部長を兼務し、2009年4月より学長補佐、2015年4月より総合福祉学部長兼務解除の上で副学長に就任。
梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - … 梅原 一剛(うめはら いちごう、1940年12月13日 - )は、日本の実業家。東急ホテルズ代表取締役社長や、ザ・キャピトルホテル東急代表取締役社長、国際ホテル・レストラン協会(IHRA)副会長などを務めた。 北海道函館市出身。1965年横浜国立大学経済学部卒業、東京急行電鉄入社。アメリカ合衆国での開発にあたり、ワシントン大学研究員、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス研究員等を経て、1995年パン・パシフィック・ホテル・アンド・リゾーツプライベートリミテッド取締役社長に就任。1999年東京急行電鉄取締役調査役に昇格。2005年東急ホテルズ代表取締役社長。2008年東急ホテルズ取締役会長。
野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は… 野又 肇(のまた はじめ、1940年(昭和15年) - )は、日本の経済学者・学校経営者。 学校法人野又学園2代理事長・社会福祉法人貞信福祉会初代理事長。北海道函館市出身。父は函館大学創立者の野又貞夫。子に野又淳司。
川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は… 川村 隆(かわむら たかし、1939年12月19日 - )は、日本の実業家。元東京電力ホールディングス取締役会長。元みずほフィナンシャルグループ社外取締役。元日立製作所取締役・代表執行役会長兼執行役社長、同相談役。元日本経済団体連合会(経団連)副会長。 父親は英文学者で元北海道大学教授の川村米一 北海道札幌西高等学校を経て、1962年3月東京大学工学部電気工学科卒業。在学中は原子力発電の研究に従事した。1962年4月、日立製作所入社。 日立では電力設計部に所属。1972年に主任技師となり、関西電力姫路第二発電所の火力6号機(略称「姫6」)、中国電力島根原子力発電所1号機などの開発に従事。東京本社火力技術本部を経て、1991年に日立工場副工場長となり、翌年工場長に就任。
菊池 徹夫(きくち てつお、1939年9月19日 - )は、… 菊池 徹夫(きくち てつお、1939年9月19日 - )は、日本の考古学者、早稲田大学名誉教授。 北海道函館市生まれ。早稲田大学文学部・東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1985年、「北方考古学の研究」で早大文学博士。早稲田大学文学学術院教授。2010年、定年退任、名誉教授。比較考古学研究所所長を経て、福島県文化財センター白河館館長。
新家 憲(あらや けん、1939年2月 - 2023年6月2… 新家 憲(あらや けん、1939年2月 - 2023年6月25日)は、日本の農学者・工学者。専修大学名誉教授。元専修大学北海道短期大学学長。農学博士(北海道大学)・工学博士(東京電機大学)。北海道函館市出身 1962年北海道大学農学部農業工学科卒業。1962年三菱重工業京都製作所京都製作所エンジン設計部門勤務。1969年本田技術研究所汎用開発課エンジン設計部門勤務。1971年専修大学美唄農工短期大学農業機械科講師。1972年同助教授。1980年専修大学北海道短期大学農業機械科教授。1987年専修大学北海道短期大学環境科学研究所教授。後に、専修大学北海道短期大学環境科学研究所所長。2005年専修大学名誉教授。
厚谷 郁夫(あつや いくお、1939年(昭和14年)1月25… 厚谷 郁夫(あつや いくお、1939年(昭和14年)1月25日 - )は、日本の化学者。理学博士(東北大学)。専門は分析化学。北見工業大学名誉教授。元北見工業大学学長。元財団法人オホーツク地域振興機構理事長。北海道函館市出身。 弘前大学文理学部を卒業し、東北大学大学院理学研究科博士課程修了。東北大学理学部助手。1971年(昭和46年)北見工業大学工学部助教授。1976年(昭和51年)同工学部教授。1996年(平成8年)北見工業大学6代学長に就任。2002年(平成14年)北見工業大学退官。同名誉教授。財団法人オホーツク地域振興機構理事長。東京農業大学生物産業学部客員教授(~2009年)。2015年 瑞宝中綬章受章。
坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - … 坂口 義弘(さかぐち よしひろ、1938年11月24日 - )は、日本の編集者、フリーライター、ルポルタージュ作家。 北海道函館市出身。1965年東洋大学卒。『週刊ポスト』『週刊現代』記者などののちフリー。『歴史と現代』(1980-1982、歴史と現代社)『新雑誌X』(1983-1991)編集長、元早稲田マスコミ塾専任講師。日本ペンクラブ会員。
四ツ柳 隆夫(よつやなぎ たかお、1938年4月11日 - … 四ツ柳 隆夫(よつやなぎ たかお、1938年4月11日 - )は、日本の化学工学者。東北大学名誉教授。元宮城工業高等専門学校校長。元日本分析化学会会長。元日本化学会副会長。父は四ツ柳高茂。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校を経て、1961年北海道大学工学部応用化学科卒業。1966年北海道大学大学院工学研究科応用化学専攻博士課程修了、工学博士。1971年日本分析化学会奨励賞受賞。北海道大学助教授を経て、1978年東北大学教授。1991年環境科学会評議員。1992年日本微量元素学会評議員。同年日本化学会学術賞受賞。1996年日本分析化学会学会賞受賞。1997年東北大学大学院工学研究科研究科長・工学部学部長。
大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 20… 大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 2021年6月22日)は、日本の実業家。あらた代表取締役会長や、生活協同組合コープさっぽろ生協会会長、全国化粧品日用品卸連合会会長、札幌市社会福祉協議会会長などを歴任した。 北海道函館市生まれ。1957年北海道函館東高等学校卒業。1961年一橋大学商学部卒業、レナウン商事入社。1963年に父・總一郎が経営する生活雑貨・化粧品卸の大加十全堂入社。1967年大加十全堂取締役営業部長に昇格。1969年、道内の卸売他社と合併して発足したダイカの専務取締役。1979年ダイカの代表取締役社長に就任、物流強化により業容の拡大を進めた。 1980年北海道卸粧業連合会副理事長。
松岡 悟(まつおか さとる、1938年3月20日 - )は、… 松岡 悟(まつおか さとる、1938年3月20日 - )は、日本の医師、作家、馬主。 函館市内で小児科院を開業していた傍ら、文筆業や馬主としても活動した。 1938年、函館市出身。順天堂大学医学部大学院を修了後、同大学医学部の小児科講師を経て函館市立函館病院小児科科長、のち同市内に松岡小児科を開院し院長となる。1995年6月まで院長を務め、現在は警察庁警察学校の理事官(診療所長)を務める。 競馬と落語が趣味。立川談志の門下生であり、「立川薮医志」の芸名を持つ。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は緑、白星散、袖赤二本輪、冠名には「ドクター」を用いる。
谷川 英夫(たにがわ ひでお、1937年7月24日 - )は… 谷川 英夫(たにがわ ひでお、1937年7月24日 - )は日本の大蔵官僚。国税庁長官官房人事課長、税務大学校長、青森県副知事、関東財務局長などを歴任。岩手県盛岡市若園町10丁目在住。瑞宝中綬章受章。 北海道函館市出身。東京大学法学部卒業。1961年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1966年7月 府中税務署長。1984年6月 国税庁長官官房人事課長。1986年6月 税務大学校長。1987年6月 青森県副知事。1989年7月1日 関東財務局長。1990年6月29日 退官。同年7月 中小企業信用保険公庫理事。1992年10月 岩手銀行顧問。1993年6月 同行専務。2008年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
石原 正(いしはら ただし、1937年3月2日 - 2005… 石原 正(いしはら ただし、1937年3月2日 - 2005年3月8日)は、日本の鳥瞰図絵師。北海道函館市出身。北海道函館西高等学校を経て、金沢美術工芸大学を卒業。 広告会社に勤務していた時にヘルマン・ボルマンのニューヨーク鳥瞰図に出会い衝撃を受け、1969年に独立。以降、鳥瞰図制作の第一人者として活躍し続けた。 死去にともない制作者本人のサイトが閉鎖され、作品の多くは入手が困難。印刷は天満の「株式会社宝文社」。現在、数点のみ同社から入手可能。
西山恒夫(にしやま つねお、1937年1月28日 - )は、… 西山恒夫(にしやま つねお、1937年1月28日 - )は、日本の水産学者。学位は、水産学博士(北海道大学)。北海道函館市出身。 北海道大学水産学部卒業。同大学院水産学研究科博士課程中退。1967年北海道大学水産学部専任講師。その後、同水産学部助教授。1975年3月北海道大学より「ブリストル湾系ベニサケ海岸生活冬期における食物要求に関する研究」で水産学博士の学位を受く。1975年アメリカ・アラスカ大学フェアバンクス校水産海洋学部海洋生態学講座助教授。1985年東海大学工学部札幌教養部教授。1988年北海道東海大学工学部教授。1997年北海道東海大学学長。2000年同学長退任。2006年北海道東海大学定年退職。
佐藤 大五郎(さとう だいごろう、1936年10月19日 -… 佐藤 大五郎(さとう だいごろう、1936年10月19日 - 2010年9月1日)は、将棋棋士。渡辺東一名誉九段門下。棋士番号は74。北海道函館市出身。 8歳で小学3年の頃、父と兄から習い、将棋を始める。 1953年に16歳でアマチュア名人戦北海道代表になり、全国大会で準優勝。1954年1級で渡辺東一名誉九段に入門。1957年四段(プロ入り)。 第14期(1959年度)C級2組順位戦と第15期(1960年度)C級1組で各々1位の成績を収め、2期連続昇級でB級2組へ昇級。 第11期(1961年度)王将戦でリーグ入り。4勝3敗で勝ち越すが、同星の加藤博二・二上達也との残留決定戦で敗れ、リーグ陥落。 1964年、第4回「最強者決定戦」で二上達也・丸田祐三らを破り決勝進出。
井上 博司(いのうえ ひろし、1936年(昭和11年)9月7… 井上 博司(いのうえ ひろし、1936年(昭和11年)9月7日 - 2019年(令和元年)9月17日)は、日本の政治家。北海道函館市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章。 北海道函館市出身。北海道函館西高等学校卒業後、1955年函館市役所に入る。商工観光、企画、市民の各部長を経て、助役となる。1999年、当時の函館市長木戸浦隆一が病気のため辞職。これに伴う市長選挙に立候補して当選した。2003年に再選。2007年の市長選では3選を目指したが、元助役の西尾正範に敗れた。2019年春の叙勲で旭日小綬章を受章。同年9月死去。死没日付をもって正六位に叙された。
竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は… 竹内 修司(たけうち しゅうじ、1936年9月5日 - )は、日本の元編集者・ジャーナリスト。八戸ペンクラブ顧問。 北海道函館市生まれ。1946年台湾より引揚げて父の郷里青森県弘前市和徳町へ。翌年母の郷里八戸市六日町へ移り、1955年八戸高等学校卒業(高七回生)。アルビオン英語学校一期生として中高5年間薫陶を受けた漆山終吉校長の母校でもある東京外国語大学英文学科を卒業。 1959年2月に文藝春秋新社(のちの株式会社文藝春秋)に入社。雑誌「週刊文春」月刊「文藝春秋」「文學界」の編集や、出版部で書籍編集に携わる。1977~79年「諸君!」編集長ののち、出版局長、編集局長、営業局長、総務局長、常務取締役を経て2000年6月退任。
佐藤 公博(さとう きみひろ、1936年7月13日 - )は… 佐藤 公博(さとう きみひろ、1936年7月13日 - )は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(投手)。 函館工業では1954年夏の甲子園道予選準々決勝に進むが、札幌北高に延長10回サヨナラ負け。卒業後は東洋高圧砂川に入社し、1955年から都市対抗の常連として活躍する。 1961年に阪急ブレーブスへ入団、同年は4月から先発陣に加わり4勝をあげる。その後は一時低迷するが、1965年には先発、中継ぎとして幅広く起用され42試合に出場。1966年には柿本実との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍。ここでは主として救援に回るが、9月26日には巨人戦で先発し、1点リードの9回2死までノーヒットノーランに抑える。
奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2… 奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2007年8月24日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。北海道教育大学名誉教授。兄に憲法学者である奥平康弘(東京大学名誉教授)がいる。
大澤 英雄(おおさわ ひでお、1936年1月22日 - 20… 大澤 英雄(おおさわ ひでお、1936年1月22日 - 2025年2月16日)は、北海道函館市出身の元サッカー選手。現教育者・サッカー指導者。 国士舘大学名誉教授。国士舘大学学長、学校法人国士舘理事長を歴任。 2019年旭日中綬章受章。 函館有斗高等学校では水谷能啓の指導を受ける。高校卒業後は国士舘大学体育学部に入学して国士舘大学サッカー部を創設した。国士舘大学を卒業後、同大学の職員となり、その後に同大学教授に就任。1992年4月から国士舘大学体育学部長、2002年6月から学校法人国士舘の理事を歴任し、2003年12月から2006年11月30日まで国士舘大学学長を務めた。 定年により教員(教授)を退職したが、学長退任の2006年12月1日付けで名誉教授の授与を受けるとともに学校法人国士舘の常任理事に就任した。
佐々木 敬介(ささき けいすけ、1936年(昭和11年) -… 佐々木 敬介(ささき けいすけ、1936年(昭和11年) - 1998年(平成10年))は、日本の工学者。工学博士(慶應義塾大学)。慶應義塾大学名誉教授、千歳科学技術大学初代学長。北海道函館市出身。
東 京二(あずま きょうじ、1935年11月5日 - )は、… 東 京二(あずま きょうじ、1935年11月5日 - )は、漫談家・漫才師。北海道出身(漫才協会のプロフィールでは函館市、落語協会のプロフィールでは札幌市)。本名:神田 公司。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2… 森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2月6日)は、北海道函館市出身(旧満州生まれ)の元プロ野球選手(外野手)・監督、解説者。
中江 克己(なかえ かつみ、1935年(昭和10年)8月17… 中江 克己(なかえ かつみ、1935年(昭和10年)8月17日 - )は、日本の文筆家。 函館市生まれ。北海道函館西高等学校卒。編集者を経て歴史文筆家。 初期の別筆名・亜坂卓巳、黒木達也。実用書、日常のうんちく、歴史雑学、大河ドラマ関連本などを数多く執筆している。
所 一彦(ところ かずひこ、1935年2月12日 - 202… 所 一彦(ところ かずひこ、1935年2月12日 - 2020年1月30日)は、日本の法学者。立教大学名誉教授。東亜大学教授。元日本犯罪社会学会会長・日本刑法学会理事・日本学術会議第16期会員(第3常置委員会委員長)。刑事法専攻。刑法の法社会学で業績を残す。北海道函館市出身。 1959年の立教大学法学部創設の際、刑事学(刑事政策)の担当教員に当時学士助手だった所を推薦したのが団藤重光である。ところが、東京大学の学士助手制度は3年で助手論文を仕上げるというものであるから、2年しか在籍していない所は助手論文が出来上がらずに講師になることになる。所自身が団藤に在籍年数を間違えたのではと尋ねたが、団藤は否定している。