半田 陸(はんだ りく、2002年1月1日 - )は、山形県… 半田 陸(はんだ りく、2002年1月1日 - )は、山形県上山市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属。ポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。 山形県出身。モンテディオ山形のジュニアユース、ユースでキャリアを進む。世代別の代表にも選出され、キャプテンを務めた。2019年3月、モンテディオ山形とプロ契約を結んだ。8月11日、第27節のアルビレックス新潟戦でプロ入り初先発を果たした。デビュー当時の背番号は31番。 2021年4月21日、J2第9節のV・ファーレン長崎戦でプロ初ゴールを決め、この年はディフェンスながら3得点をあげるなど活躍。2022年より背番号を3番に変更した。 J2での活躍が認められ2023年、ガンバ大阪へ完全移籍。
粟野 健翔(あわの けんと、2001年1月5日 - )は、山… 粟野 健翔(あわの けんと、2001年1月5日 - )は、山形県出身のプロサッカー選手。Mounties FC Wanderers (オーストラリア、NSW League2)所属。ポジションはミッドフィールダー。 ベガルタ仙台のアカデミー出身。ユースチームに所属していた2018年4月、2種登録選手としてトップチームに登録された。しかしトップチームに正式昇格することはできず、仙台大学に進学。 2022年4月8日、2023年からの福島ユナイテッドFC加入内定、並びに特別指定選手認定が発表された。4月29日、J3リーグ第7節の愛媛FC戦でスタメン出場し、Jリーグデビューを飾った。 2026年2月6日、Mounties FC Wanderers (オーストラリア、NSW League2)に完全移籍することが発表された。
髙橋 成樹(たかはし なるき、1998年12月17日 - )… 髙橋 成樹(たかはし なるき、1998年12月17日 - )は、山形県上山市出身の元プロサッカー選手。ポジションは、ディフェンダー(DF)。 小学校2年の時に上山カメレオンFCでサッカーを始めた。中学校からはモンテディオ山形の下部組織に所属し、6年間プレーした。 2017年より、トップチームに昇格した。2018年、JAPANサッカーカレッジへの育成型期限付き移籍が発表された。2019年、アルビレックス新潟シンガポールへ期限付き移籍。この年に山形、新潟S共に契約満了となった。 2020年1月27日、NPL2(オーストラリア3部相当)のボックスヒル・ユナイテッドSC(英語版)に移籍。同年末に選手を引退した。
鈴木 大(すずき だい、1990年9月12日 - )は、山形… 鈴木 大(すずき だい、1990年9月12日 - )は、山形県上山市出身のバスケットボール選手である。ポジションはガード。B.LEAGUEのパスラボ山形ワイヴァンズに所属していた。2023_2024シーズンをもって現役引退をし、現在はライジングゼファー福岡のアシスタントコーチとしてB.LEAGUEに携わっている。 日大山形高校から新潟経営大学に進学。卒業後、信州ブレイブウォリアーズの練習生になり、2013年のbjリーグドラフト会議にて1巡目で信州に指名され、選手に昇格した。2019-20シーズンから福島ファイヤーボンズに2シーズン所属した。2021-22シーズンはバンビシャス奈良と契約。2022-23シーズンは地元の山形ワイヴァンズと契約。
佐藤 悠太(さとう ゆうた、1988年5月3日 - )は、日… 佐藤 悠太(さとう ゆうた、1988年5月3日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・栗東トレーニングセンターの調教師。山形県上山市出身。父は元上山競馬場調教師で現金沢競馬場調教師の佐藤茂、祖父は上山競馬場元調教師の佐藤英一。 幼少期から父の厩舎があった上山競馬場で毎週レースを観る生活をしており小学生4年生頃から調教師を志す。 山形県立山形南高等学校を卒業後、日本獣医生命科学大学に進学し動物栄養学を専攻する。大学卒業後はノーザンファームに就職し、2012年10月にJRA競馬学校厩務員課程に入学する。競馬学校卒業後アイルランドに渡りトレイシー・コリンズ調教師の元で3カ月間競馬を学んだ。 帰国後の2013年9月から大学の先輩でもある栗東の田中章博厩舎に所属する。
遠藤 寛明(えんどう ひろあき、1986年〈昭和61年〉11… 遠藤 寛明(えんどう ひろあき、1986年〈昭和61年〉11月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。 山形県議会議員(2期)などを歴任した。父は、東京オリンピック・パラリンピック担当大臣、自由民主党総務会長、衆議院議員(10期)などを務めた遠藤利明。 山形県上山市出身。上山市立南小学校、日本大学山形中学校、日本大学山形高等学校を経て、日本大学経済学部を卒業。慶應義塾大学大学院修士課程修了。その後、戦略国際問題研究所(CSIS)やパナソニック株式会社での勤務、遠藤利明衆議院議員秘書を経て、2019年(平成31年)、山形県議会議員選挙に出馬し初当選。山形県議会議員を2期務め、農林水産常任委員会委員長、厚生環境常任委員会委員長、建設常任委員会委員長、産業人材確保・生産性向上対策特別委員会委員長、広報広聴委員会委員長などを歴任。
阿宗 高広(あそう たかひろ、1985年12月7日 - )は… 阿宗 高広(あそう たかひろ、1985年12月7日 - )は、山形県上山市出身の元陸上競技選手。 山形県立山形中央高等学校から国士舘大学に進学。箱根駅伝では第82回(2006年)に初出場するが、1区区間20位(1時間05分54秒)と振るわなかった。しかし第83回(2007年)は8区区間8位(1時間07分41秒)、第84回(2008年)では4区を走り、20位スタートで1人も走者を抜かないまま区間賞を獲得(55分24秒)。 実業団の愛三工業では主将としてチームを引っ張り、ニューイヤー駅伝やハーフマラソンなどで活躍した。2016年3月に引退している。
秋葉 勝(あきば まさる、1984年2月19日 - )は山形… 秋葉 勝(あきば まさる、1984年2月19日 - )は山形県出身で日本の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(CMF)。 兄の影響でサッカーに触れるようになり、小学2年次で西一サッカースポーツ少年団に加入して本格的にサッカーを始める。通学先のサッカー部の監督に薦められ、目標とするプロサッカー選手に一番近いという理由から、1999年モンテディオ山形のユースチームに加入した。 2002年、モンテディオ山形ユースよりトップ昇格。同ユース出身者としては白井貞義(2000年トップ昇格)以来、史上2人目。同年4月24日に山形県総合運動公園陸上競技場で開催されたJリーグ2部 (J2) 第11節横浜FC戦にてJリーグにデビューし、2エンドの2004年6月26日に同会場で開催されたJ2第20節湘南ベルマーレ戦にてリーグ初得点を挙げた。
梅津 智弘(うめつ ともひろ、1983年3月3日 - )は、… 梅津 智弘(うめつ ともひろ、1983年3月3日 - )は、山形県上山市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。妻は、タレント・リポーターの若林翔子。 山形県立上山明新館高等学校では2年夏の県大会で全試合に救援登板して準優勝。國學院大學へ入学後、硬式野球部に所属。大学の同期に伊藤義弘がいた。また、2015年に東北楽天ゴールデンイーグルスでチームメイトになった嶋基宏は2学年後輩、聖澤諒は3学年後輩にあたる。 大学2年生だった2002年には、東都大学野球リーグ秋季二部の拓殖大戦で完全試合を達成。2、3年の秋季には、二部で最優秀投手のタイトルを獲得した。二部通算24勝9敗。 2004年のドラフト会議で、広島東洋カープからの6巡目指名を受けて入団した。
山川 徹(やまかわとおる、1977年 - )は、日本のルポラ… 山川 徹(やまかわとおる、1977年 - )は、日本のルポライター、ノンフィクション作家である。 山形県上山市出身。スポーツ推薦(ラグビー)で入学した東北学院大学法学部を卒業後、アジアや東ヨーロッパを1年間旅した後に國學院大學文学部2部に編入し、卒業した。 國學院大學在学中から、『別冊東北学』(作品社)の編集に携わり、大学卒業後にフリーライターとなる。2007年から2008年には北西太平洋の調査捕鯨に同行。捕鯨に携わる若者たちや、ラグビーなどの取材を続け、各誌に様々なルポルタージュを発表している。 2006年、山形新聞の夕刊文化欄にて1年間、「離れて思う故郷」を連載。首都圏で生きる山形県出身者60人の歩みを描いた。
大石 真弘(おおいし まさひろ、1973年7月7日 - )は… 大石 真弘(おおいし まさひろ、1973年7月7日 - )は、元NHKの職員で、元アナウンサー。
長谷川 敦士(はせがわ あつし、1973年4月12日 - )… 長谷川 敦士(はせがわ あつし、1973年4月12日 - )は、日本の情報アーキテクト。[要出典] 株式会社コンセント 代表取締役社長。 1973年、山形県上山市生まれ。東北大学理学部物理学第二科卒業。東北大学大学院理学研究科物理学専攻博士前期課程修了(理学修士:素粒子物理学)。東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士課程修了(学術博士:認知科学)。ネットイヤーグループ株式会社を経て、2002年株式会社コンセントを設立、代表取締役に就任。武蔵野美術大学武蔵野美術大学 造形構想学部/大学院造形構想研究科 主任教授。Service Design Network Japan Chapter共同代表。
齋藤 登志信 (さいとう としのぶ、1972年11月8日- … 齋藤 登志信 (さいとう としのぶ、1972年11月8日- )は、山形県上山市出身の競輪選手。日本競輪選手会宮城支部所属、ホームバンクは宮城自転車競技場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第80期生。師匠は矢萩利憲(33期)。 山形電波工業高等学校在籍時代の1990年、前橋で開催された世界自転車選手権(トラックレース)・タンデムスプリント(アマチュア部門)に、当時群馬県立前橋工業高等学校に在籍していた1学年上の稲村成浩とペアを組んで出場(コパイロット)。準決勝で同種目3連覇中のフランス(フレデリック・マニェ・ファブリス・コラ)を2-1の対戦スコアで下し、決勝でこそイタリアペアに0-2で敗れたものの2位となり、日本勢として同大会の16年連続となるメダル獲得に貢献した。
松田 礼人(まつだ あやと、1969年(昭和44年)7月9日… 松田 礼人(まつだ あやと、1969年(昭和44年)7月9日 - )は、日本の映画監督、テレビ演出家。TBSスパークルエンタテインメント本部ドラマ映画部。 山形県上山市出身。山形県立山形南高等学校、日本大学芸術学部放送学科を卒業後、1993年木下プロダクション(2003年ドリマックステレビジョンに商号変更。2019年TBSスパークルに吸収合併)に入社し、飯島敏弘、山田高道に師事。 初監督作品「オンナゴコロ」で脚本をつとめる。
星野 泰視(ほしの やすし、1969年3月6日 - )は、日… 星野 泰視(ほしの やすし、1969年3月6日 - )は、日本の漫画家。山形県上山市出身。『週刊少年マガジン』(講談社)『モーニング』(同)『月刊COMICリュウ』(徳間書店)『ビッグコミック増刊号』(小学館)『ビッグコミックスペリオール』(同)などの漫画雑誌にて作品を発表しており、また原作付きの作品が多い。読売ジャイアンツファン。浦沢直樹のアシスタント出身。 2000年、『哲也-雀聖と呼ばれた男』(原作:さいふうめい)で第24回講談社漫画賞少年部門を受賞。 後述するように麻雀や将棋などを題材とした作品を手掛けているが、本人は全く麻雀も将棋もやったことがない。
小池 健(こいけ たけし、1968年1月26日 - )は、日… 小池 健(こいけ たけし、1968年1月26日 - )は、日本のアニメーター、アニメ監督。山形県上山市出身。
斎藤 真朗(齋藤 真朗、さいとう まさあき、1966年11月… 斎藤 真朗(齋藤 真朗、さいとう まさあき、1966年11月30日 - )は、日本の政治家。山形県寒河江市長(1期)。 上山市生まれ。1985年、山形県立山形南高等学校卒業。1989年、新潟大学法学部卒業。同年、山形県職員となる。2018年、病院事業局県立病院課副主幹、2020年、庄内総合支庁総務課連携支援室長、2022年、環境エネルギー部みどり自然課長を歴任し、2023年4月、寒河江市副市長となった。2024年11月1日、副市長を退任。 同年の寒河江市長選挙に無所属で立候補して、いずれも新人の元市議会議長と元農水省職員の2人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:32,952人 最終投票率:55.55%(前回比:-pts) 2025年1月20日に市長に就任した。
櫻井 義秀(さくらい よしひで、1961年4月18日 - )… 櫻井 義秀(さくらい よしひで、1961年4月18日 - )は、日本の宗教学者、北海道大学教授。研究分野は、宗教社会学、アジア社会研究。 山形県上山市生まれ。1980年山形県立山形東高等学校卒業、1984年北海道大学文学部哲学科宗教学専攻卒業。1986年北海道大学大学院文学研究科行動科学専攻修士課程修了。1987年北海道大学大学院文学研究科行動科学専攻博士後期課程中退、北星学園女子短期大学家政学科専任講師。1992年北海道大学文学部講師(人間行動学講座)、1996年助教授(社会システム科学講座)、2004年教授。2005年、博士論文「東北タイの開発と文化再編」で北海道大学博士(文学)。北海道大学出版会理事長。
山川 元(やまかわ げん、1957年 - )は、日本の映画監… 山川 元(やまかわ げん、1957年 - )は、日本の映画監督、脚本家である。『卓球温泉』『東京原発』の監督として知られる。 1957年(昭和32年)、山形県上山市に生まれる。山形市立商業高等学校を卒業する。 大手証券会社に勤務したのちビデオ製作会社を経て26歳で映画界に入る。鈴木清順監督の『カポネ大いに泣く』(1985年)の製作助手からはじまり、降旗康男、崔洋一、伊丹十三、周防正行らの助監督を務める。 1994年、『唐獅子姉御』で初監督を果たす。監督デビュー後の1996年には、周防正行監督の『Shall we ダンス?』で監督補を務めている。 1998年、自ら企画・脚本を立ち上げた『卓球温泉』を監督。
谷口 敬(たにぐち けい、1955年(昭和30年)5月6日 … 谷口 敬(たにぐち けい、1955年(昭和30年)5月6日 - )は、日本の漫画家。 山形県上山市出身。鶴岡工業高等専門学校電気工学科卒業。デビュー時のペンネームは野島 みちのり。本名の木村 二三夫名義、また、平田 のりお、谷口 敬子 のペンネームを使用したこともある。ペンネームの由来は、山形放送ラジオで若者向け番組のパーソナリティを務めていた谷口圭から。 萩尾望都に影響を受けて漫画家を志す。1979年、エロ劇画誌『漫画エロジェニカ』に掲載の『扉の少女』でデビュー。同誌を発行していた海潮社は程なく倒産してしまうが、豊島ゆーさくの推薦で檸檬社発行のエロ劇画誌『漫画大快楽』に招かれ、初期の代表作となる『水の戯れ』を発表するなど、漫画家としての経歴を本格的にスタートさせる。
伊藤 和典(、1954年〈昭和29年〉12月24日 - )は… 伊藤 和典(、1954年〈昭和29年〉12月24日 - )は、日本の脚本家。山形県上山市出身、神奈川県横浜市在住。早稲田大学第一文学部中退。 山形県上山市の映画館「トキワ館」を経営する実家で育ち、中学生のころは円谷英二のような特撮監督になりたいと思っていた。早稲田大学ではテレビ芸術研究会に所属。大学生のころに現場を体験しようと「ライオン奥様劇場」と「土曜ワイド劇場」のADを体験し、演出は朝が早いので向かないと達観し脚本家を意識し始める。テレビドラマの助監督やシナリオライターのアルバイトを始め、やがて大学は3年で中退したがライターの仕事では食べられずに、アニメ業界へ足を踏み入れる。 24歳のころ1年ほど続けた缶コーヒーの自動販売機のセールスの仕事を休んだ日にスポーツ新聞に日本サンライズの制作進行募集の求人広告を見付け応募。
長谷川 公一(はせがわ こういち、1954年 - )は、日本… 長谷川 公一(はせがわ こういち、1954年 - )は、日本の社会学者。環境社会学・社会運動論の研究で知られる。学位は、博士(社会学)(東京大学・論文博士・2004年)。盛岡大学および盛岡大学短期大学部学長。東北大学名誉教授。尚絅学院大学名誉教授。元尚絅学院大学特任教授。 山形県上山市生まれ。山形県最上町、同県尾花沢市で少年時代を過ごす。山形県立山形東高等学校を経て、1977年東京大学文学部卒業。1983年、東京大学大学院社会学研究科博士課程社会学専攻単位取得退学。2004年東京大学より博士(社会学)の学位を取得。 東北大学教員としての最終講義をもとに、2021年、個人史と研究史と社会史を統合的に記述した「パーソナルな物語」としての『環境社会学入門――持続可能な未来をつくる』を刊行した。 1983年東京大学文学部助手。
遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月… 遠藤 利明(えんどう としあき、1950年〈昭和25年〉1月17日 - )は、日本の政治家。日本スポーツ協会会長(第16代)。 東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣(第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣)、文部科学副大臣(第1次安倍内閣)、建設政務次官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、衆議院青少年問題に関する特別委員長、同農林水産委員長、衆議院議員(10期)、自由民主党総務会長(第60代)、同選挙対策委員長(第9代)、同2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部長、同政務調査会長代理、同教育再生実行本部長、同国際局長、同幹事長代理、同スポーツ立国調査会長、同財務委員長、同中央政治大学院学院長、山形県議会議員(2期)を歴任した。
サルトビ小山(さるとび こやま)、1949年10月5日 ‐ … サルトビ小山(さるとび こやま)、1949年10月5日 ‐ )は、日本の元プロボクサー。本名は小山 繁幸(こやま しげゆき)。山形県上山市出身。元日本スーパーバンタム級チャンピオン。4度の防衛後、眼疾によりタイトル返上し引退。引退後は様々な職を経験した後、ファイティング原田ジムでチーフトレーナーを歴任。現役時代は笹崎ボクシングジム所属。 山形県上山市にて3人兄弟の末っ子として誕生。笹崎ジム黄金期に全日本新人王、日本タイトルを獲得。 現役引退後は、役者を志願し千葉真一の設立したアクションスター養成のジャパンアクションクラブの3期生となり、数年役者としての活動。 その後、ファイティング原田ジムにトレーナーとしてボクシング界に戻り指導に当たっていた。
渡辺 修一(わたなべ しゅういち、1949年9月28日 - … 渡辺 修一(わたなべ しゅういち、1949年9月28日 - )は、山形県上山市出身の元騎手(中央→上山)・元調教師(上山)。 上山競馬場の裏に実家があり、当時は競馬場には馬房がなく、民間の軒先を貸りて代用していたため、渡辺家でも競走馬を預かっていた。子供の頃から馬に接する機会はあったほか、東京・佐藤林次郎調教師と父が知り合いという競馬に縁のある環境でもあった。 馬事公苑に入学したての頃は勝負服や靴を着けても35kg程度で軽すぎると言われたが、その内に体重が増えてしまい、後には減量では随分と苦労をした。 1968年3月に東京・八木沢勝美厩舎からデビューし、同2日の中山第4競走4歳未勝利・キングオールトン(10頭中9着)で初騎乗を果たすと、20日の中山第12競走5歳以上160万下未勝利・メジロフブキで初勝利を挙げる。
桜多 吾作(おうた ごさく、1948年3月16日 - 202… 桜多 吾作(おうた ごさく、1948年3月16日 - 2022年12月12日)は、日本の漫画家。山形県上山市出身。本名は太田順一(おおた じゅんいち)。 石ノ森章太郎のアシスタントを経た後、「ボーイフレンドや~い」で少女漫画家・山上純一郎としてデビュー。単独名義のほか、萩尾望都との合作なども発表する。 少年誌に活躍の場を移行後、北川寛、本名の太田順一などのペンネームを経て「桜多吾作」名となる。一時、石森プロの先輩でもある永井豪が率いるダイナミックプロにも合流、同プロ原作アニメ作品のコミック化を数多く手がける。一方で、「桜多吾作とプロダクション・アドベンチャー」としても独立した作品を発表した。児童誌のコミックボンボンで執筆する際には、おうたごさくと平仮名表記で執筆している。
梅津 順一(うめつ じゅんいち、1947年4月1日 - )は… 梅津 順一(うめつ じゅんいち、1947年4月1日 - )は、日本の経済学者。第14代青山学院院長。博士(経済学)(東京大学)。青山学院大学総合文化政策学部教授。山形県上山市生まれ。
横戸 長兵衛(よこと ちょうべえ、1947年(昭和22年)1… 横戸 長兵衛(よこと ちょうべえ、1947年(昭和22年)1月23日 - )は、日本の政治家。元山形県上山市長(4期)、元上山市議会議員(4期)。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山形県立上山農業高校(現上山明新館高校)卒業。1991年(平成3年)5月、上山市議会議員に初当選。2001年(平成13年)5月、議長に就任。議長を2期4年務めた。2006年(平成18年)12月、市議を辞職。 2007年(平成19年)2月4日に行われた上山市長選挙に自民党・公明党の推薦を得て出馬。元市議の枝松直樹ら3人の候補者との戦いを制し初当選した(横戸長兵衛9,144票、枝松直樹6,117票、奥村博3,785票、門間徹2,274票)。
川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、… 川合 隆男(かわい たかお、1938年7月25日 - )は、日本の社会学者、慶應義塾大学名誉教授。社会学博士(慶應義塾大学・1975年)(学位論文「社会的成層の研究」)。社会調査に関する史的研究や近代日本社会学史研究を行う。山形県上山市生まれ。 1957年山形県立山形工業高等学校(建築科)卒業。1961年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1966年、慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1964年慶應義塾大学法学部助手、1967年同専任講師、1970年同助教授。同年から1年間プリンストン大学に学ぶ。1975年社会学博士(慶應義塾大学)。1977年同教授。2004年定年退職、名誉教授。
佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)… 佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)10月26日 - )は、日本の農家、農業問題評論家、著作家、詩人。 無着成恭の『山びこ学校』の卒業生。上山市の青年学級主事、教育委員、農業協同組合理事などを務める。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山元村立山元中学校在学時に無着成恭の教えをうけ、1951年、文集『山びこ学校』に生活記録がのる。 山形県立上山農業高等学校定時制在学中に農民詩を発表。1955年、同校を卒業してからは家業の農業のかたわら、著作活動を続けている。 木村迪夫に影響を与え、詩の道へ進ませるきっかけを作った。
木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、… 木村 迪夫(きむら みちお、1935年10月9日 - )は、日本の農民詩人、文筆家。エッセイスト。ジャーナリスト。 詩誌「山形詩人」代表。農民文学会、現代詩人会会員。 山形県上山市牧野生まれ。本名・廸男。5人兄弟の長男として生まれ、父を小学校4年の時、戦争によって失った。 山形県立上山農業高等学校(後の山形県立上山明新館高等学校)定時制課程卒業。山びこ学校出身の佐藤藤三郎は同級生。高校時代から詩を書き始め、文化祭で登壇した農民詩人の真壁仁による宮沢賢治をテーマにした講演に感銘を受け、卒業式の日、真壁を訪ねて「詩を書き続ける」と誓った。1957年には真壁が創刊した同人誌『地下水』に参加する。 卒業と同時にサクランボの自営農に従事。
武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] … 武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] - 2021年8月4日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。文学博士。東方学会評議員・東洋文庫研究員・朝鮮学会幹事・史学会会員。専門は朝鮮史、東アジア交渉史。山形県上山市出身。 専攻は朝鮮史(おもに朝鮮古代、高句麗史、古代日朝関係史)。末松保和の研究を継承。広開土王碑の研究で知られ、数多くの拓本を収集。その分析から1970年代に李進熙らの提唱した広開土王碑についての仮説(好太王碑改竄説)や解釈がすべて成り立たないことを論証した学者である。また中国正史に見られる「倭の五王」遣使記事を検討し、当時の倭国の大王が中国王朝に対して「倭」という姓を名乗っていたことを指摘し、古田武彦らの九州王朝説を批判した。
山口健治(やまぐち けんじ、1933年7月19日 - )は、… 山口健治(やまぐち けんじ、1933年7月19日 - )は、日本の大蔵官僚。国際復興開発銀行や国際金融公社日本政府代表理事などを務めた。 山形県上山市出身。東京大学経済学部在学中に国家公務員上級試験を合格。東大経済学部を卒業し、1956年 大蔵省入省(主計局法規課)。予算法規から始まり、大臣官房調査企画課調査主任などを経て、1962年4月 主税局調査課。同年6月1日 同局同課の廃止に伴い、同局総務課総務係長となる。物価調整減税の企画立案に当たった。1963年7月1日 石狩税務署長。 1964年7月 国税庁直税部法人税課長補佐。その後は自治省行政課長補佐、総理府人事局参事官などに就く。 1979年7月10日 理財局国有財産総括課長。
深瀬 鋭次郎(ふかせ えいじろう、1930年7月28日 -2… 深瀬 鋭次郎(ふかせ えいじろう、1930年7月28日 -2025年5月7日 )は、日本の技術者[要出典]、企業経営者である。株式会社三和エレック(後のサンワコムシスエンジニアリング株式会社)にて社長、会長を務めた。美術評論家の深瀬鋭一郎は子にあたる。 山形県上山市出身。1954年、東北大学工学部土木工学科を卒業し日本電信電話公社(後のNTTグループ)へ入社。1977年、同公社にて建設技術開発室長に任じられる。1980年、日本通信建設株式会社(後の日本コムシス株式会社)へ入社し、1982年に取締役土木部長、1990年6月には専務取締役安全品質管理本部長となる。 1993年、三和大榮電気興業株式会社へ入社し、同年6月、社長に就任。
永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月1… 永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月17日 - 1998年〈平成10年〉12月29日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(4期)、元自由民主党山形県議会議員(2期)。位階は従五位。 山形県南村山郡上山町(現上山市)出身。山形県立山形中学校(現山形東高校)卒、1944年に日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)卒業。なお、1944年に軍隊入隊、陸軍軍医学校に入学し、1945年修了。復員後、永田歯科医院で歯科医師に従事。1964年に上山市歯科医師会長に就任。1966年山形県歯科医師会理事。 1955年から1983年まで自由民主党に所属。上山支部長や山形県支部連合会の総務会や政務調査会の各副会長などを務めた。
龍田 静枝(たつた しずえ、1903年2月11日 - 196… 龍田 静枝(たつた しずえ、1903年2月11日 - 1962年1月21日)は、大正末期から昭和初期のサイレント映画で活躍した女優である。本名塩野 静枝(しおの - 、旧姓)、山形県出身。 女優以前の経歴には不明な点が多く、複数の説がある。 1903年(明治36年)2月11日、山形県南村山郡堀田村(現在の上山市金瓶)で生まれる。「1906年(明治39年)山形市生まれ」説あり。 山形高等小学校(旧制、現在の山形市立第一山形小学校)を卒業後、山形高等女学校(現在の山形県立山形西高等学校)卒業の説、米沢高等女学校(現在の同県立米沢東高等学校)卒業の説あり。 上京して日本女子大学に入学するも写真家を目指して中退、いっぽう「17歳で結婚、直後に夫病死、1923年(大正12年)母とともに上京」説あり。
出羽ヶ嶽 文治郎(でわがたけ ぶんじろう、1902年12月2… 出羽ヶ嶽 文治郎(でわがたけ ぶんじろう、1902年12月20日 - 1950年6月9日)は、山形県南村山郡(現:山形県上山市)出身の元大相撲力士。本名は斎藤 文次郎(さいとう ぶんじろう)(旧姓:佐藤)。
高村 弘平(たかむら こうへい、1901年9月21日 - 1… 高村 弘平(たかむら こうへい、1901年9月21日 - 1989年9月28日)は、日本の造園家。山形県上山市出身。 造園会社の高村造園(1971年から東急グループ傘下、1992年に社名を現在の東急グリーンシステムに商号変更)を設立し、近代造園草創期の造園家として活躍。財界人では五島慶太や藤山雷太などとのかかわりをもつ。また当時の民間鉄道会社が積極策の一つして展開していたレクリエーション施設の建設にかかわり、具体に係わった仕事でも全作品の四割は民間のアミューズメント商業関係の造園空間が多く、それらについての論述もいくつか発表している。 五島美術館庭園、聖蹟桜ヶ丘多摩聖蹟地計画、碑文谷公園、円山動物園、須磨海浜公園、二子玉川園などの造園作品を残す。
菅沼 儀平(すがぬま ぎへい、1896年(明治29年)9月1… 菅沼 儀平(すがぬま ぎへい、1896年(明治29年)9月1日 - 1972年(昭和47年)8月2日)は、日本の政治家。元山形県議会議員。 性格は、堂々たる体格で一見怖い感じだが、話せば飾り気なく、人懐っこしさを丸出しにする。政治一本気で真面目、統率力抜群。おべんちゃら嫌いで自分の意志を押し通したので敵もあった。農林行政については、「菅沼理論」を持っていたとされている。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。 この項目は、山形県に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/山形県)。
永田 亀之助(ながた かめのすけ、1890年(明治23年)7… 永田 亀之助(ながた かめのすけ、1890年(明治23年)7月30日 - 1967年(昭和42年)12月22日)は、日本の政治家。元山形県議会議員、元上山市議会議長。
酒井 久三郎 (さかい きゅうさぶろう、1888年〈明治21… 酒井 久三郎 (さかい きゅうさぶろう、1888年〈明治21年〉8月15日 - 1958年〈昭和33年〉8月13日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(1期)、元山形県議会議員、元宮生村村長。位階は従六位。勲六等瑞宝章。 山形県宮生村金生(現上山市)出身。1903年に上山尋常高等小学校高等科卒業、1909年に東京神田森田簿記専修学校の商業銀行社会一般全科卒業。 1923年に宮生村消防組頭に就任、1929年宮生村村会議員に選出、1931年宮生村助役就任。 1932年に宮生村村長となった。 1934年に上山タクシー社長に就任。 1939年9月25日に山形県会議員に初当選。同年10月に参事会員。 戦後、公職追放となり、1946年12月1日に県会議員を辞職。
酒井 勝軍(さかい かつとき/かついさ、1874年〈明治7年… 酒井 勝軍(さかい かつとき/かついさ、1874年〈明治7年〉3月15日 - 1940年〈昭和15年〉7月6日)は独自のキリスト教伝道者、日ユ同祖論者、オカルティスト、「日本のピラミッド」発見者である。 酒井には勲五等が贈られている。 オカルト雑誌「ムー」創刊にも参画し、1980年代の「オカルトブーム」に大きな役割を果たした武田崇元は、酒井の著作に大きな影響を受け、彼の発行していた『神秘之日本』を復刻している。 オウム真理教の麻原彰晃も酒井勝軍の著作や竹内文書の影響を受けており、麻原は雑誌「ムー」1985年(昭和60年)11月号において、教徒石井久子を伴い、酒井縁の岩手県の五葉山にまで旅して、酒井の著作の中に登場している霊石「ヒヒイロカネ」を、生前の酒井と面識のあったという老人より譲り受けたと記述している。
川合 為吉(かわい ためきち、1872年6月10日〈明治5年… 川合 為吉(かわい ためきち、1872年6月10日〈明治5年5月5日〉 - 1933年〈昭和8年〉10月18日)は、明治の政治家。警察官。山形県山形市長(第8代)。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山形県警部、寒河江警察署長、米沢警察署長、山形警察署長などを歴任。1923年(大正12年)7月、山形市長に就任した。在任中は仙山線の実現、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の第一小学校の改築などに尽力した。1927年(昭和2年)7月、退任した。
祝 辰巳(いわい たつみ、1868年3月5日〈慶応4年2月3… 祝 辰巳(いわい たつみ、1868年3月5日〈慶応4年2月3日〉- 1908年〈明治41年〉5月25日)は、日本の台湾総督府・大蔵官僚。台湾総督府民政長官。位階および勲等は正四位・勲二等。 出羽国村山郡(現:山形県上山市)で上山藩士の子として生まれる。1892年(明治25年)、帝国大学法科大学を卒業。同年10月、大蔵省試補となり、大臣官房第二課に配属された。以後、主計局勤務、沖縄県収税部長・収税長を歴任。 1896年(明治29年)、台湾総督府に転じ、民政局財務部調査課長兼関税課長に就任。その後、財務局主計課長、財務局長事務取扱、民政部財務局長、兼専売局長、民政局殖産局長などを歴任。 1906年(明治39年)11月、民政長官に就任し、現職で死去した。
斎藤 紀一(さいとう きいち、1861年9月5日(文久元年8… 斎藤 紀一(さいとう きいち、1861年9月5日(文久元年8月1日) - 1928年(昭和3年)11月17日)は、日本の医師(脳神経及び精神病専門医、青山脳病院長)、政治家。 同じく精神科医で歌人である斎藤茂吉の養父としても知られる。族籍は東京府平民。 東京の開業医として成功、ドイツ留学では医学博士号を取得した。また、一代で大規模な精神病院、「青山脳病院」を築き、帝国議会議員としても華麗な生活を送った。性格的には大言壮語が目立ち、孫である斎藤宗吉(北杜夫)からは後に、「口先がうまく、成り上がり者で貴族趣味の俗物」と評されている。北の長編小説『楡家の人びと』の主人公楡基一郎のモデルでもある。住所は東京市赤坂区青山南町。
森 犀助(もり さいすけ、1846年8月7日〈弘化3年6月1… 森 犀助(もり さいすけ、1846年8月7日〈弘化3年6月16日〉 - 1908年〈明治41年〉12月31日)は、日本の政治家。山形県南村山郡東村長。山形県会議員。 現在の上山市菖蒲出身。森作右衛門の長男として出生。1891年(明治24年)5月18日に南村山郡会議員選挙に東村選挙区から立候補して、当選。その後、1893年(明治26年)、1897年(明治30年)、1899年(明治32年)、1903年(明治36年)、1907年(明治40年)の選挙でも当選した。 1899年(明治32年)9月25日に山形県会議員総選挙に南村山郡選挙区から憲政党公認で立候補して、当選を果たした。1903年(明治36年)は立憲政友会公認で立候補して、再選を果たした。
吉江 磨磋記(よしえ まさき、天保6年(1835年)8月20… 吉江 磨磋記(よしえ まさき、天保6年(1835年)8月20日 – 明治45年(1912年)6月)は、幕末から明治期にかけての上山藩士、官僚、陸軍関係者。西南戦争および日清戦争に関与し、叙位叙勲を受けた。 天保6年(1835年)8月20日、出羽国上山にて佐々木家に生まれる。幼名は儀作(用作)、のち喜吉と称し、壮年期には伝五右衛門を名乗った。俳人としての号は何人、珍茶。父は佐々木儀左衛門、母は美代である。13歳のとき上山藩士吉江家を継ぎ、吉江姓を称した。 人となりは謹直で思慮深く、特に理財に長じていたとされる。戊辰戦争に際し、明治元年(1868年)、奥羽諸藩同盟が官軍に抗する情勢下において、早くから時局の困難を看破し、軍資金を徴収して事変に備えるべきことを建言した。
畠中 洋 は、日本の俳優、声優。ケイファクトリー所属。