糸井哲夫(いとい てつお、1933年(昭和8年)6月15日 … 糸井哲夫(いとい てつお、1933年(昭和8年)6月15日 - )とは、栃木県芳賀郡益子町と栃木市の「益子焼」の陶芸家であり版画家である。 初期には彫刻を制作し、時には詩作も嗜んだ。 郷土である栃木市の自然や町並みを題材に版画を制作し、また「益子百態」や「益子百窯」、そして「益子真景図」などの、「民藝の町・益子」の風景や益子焼に従事する人々を題材とした版画作品で知られる。 そして2024年(令和6年)現在、「益子陶器市」の公式ポスターや公式サイトの意匠として糸井の版画作品が用いられている。 1933年(昭和8年)6月15日、栃木県栃木市日ノ出町に生まれる。 栃木県立栃木高等学校を卒業後、1950年(昭和25年)に、栃木市出身の版画家であり彫刻家であった、戦前は「日本プロレタリア美術家同盟」で活動し、後に益子焼の陶芸家となる村田元と交流があった、当時益子に在住していた鈴木賢二に師事し、益子町に移住、というよりは布団だけを持ち込んで益子の鈴木の家に居候をし、鈴木の下で彫刻や版画、そして陶芸を学び、創作活動を始める。
田島 稔(たじま みのる、1928年〈昭和3年〉6月 - … 田島 稔(たじま みのる、1928年〈昭和3年〉6月 - 2023年〈令和5年〉1月14日)は、日本の建設技官。国土地理院長を務めた。 1928年に栃木県栃木市に生まれる。1952年3月東京大学理学部地球物理学科卒業後、同年4月建設省地理調査所勤務。1967年2月理学博士(東京大学)。1982年11月国土地理院長。1984年11月同院を退職。1985年6月学校法人中央工学校理事を経て学校法人中央工学校・中央実務専門学校校長。
中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は… 中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は、日本の舞台衣裳デザイナー、玩具研究家、歴史家。 栃木県栃木市生まれ。戦後上京し俳優座に入る。1955年過ぎ桑沢デザイン研究所講師となり、舞台衣裳デザイナーとして独立する。1985年NHK大河ドラマ「春の波涛」の風俗考証を手がける。かたわら尾崎秀樹の大衆文学研究会に参加した。
松本 利松(まつもと としまつ、1926年 - )は、日本の… 松本 利松(まつもと としまつ、1926年 - )は、日本の物理学者。テキサス大学名誉教授。専門は地球物理学、地震学。テキサス州オースティン栄誉市民。グレーター・ヒューストン日本人会初代会長。栃木県出身。
川田 侃(かわた ただし、1925年6月22日 - 2008… 川田 侃(かわた ただし、1925年6月22日 - 2008年2月14日)は、日本の経済学者(国際経済学・国際関係論)。位階は従四位。勲等は勲二等。学位は経済学博士(東京大学)。東京大学名誉教授、上智大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学社会科学研究所研究員、東京大学教養学部助教授、東京大学経済学部教授、上智大学外国語学部教授、フェリス女学院大学教授などを歴任した。 1925年6月22日、栃木県栃木市生まれ。父の川田準一郎は東京帝国大学法科大学卒の弁護士。旧制東京高校、東京大学経済学部卒業。高校教諭を経て、国際経済学や国際関係論を専門とする経済学者となった。東京大学社会科学研究所研究員、東京大学教養学部助手・助教授、東京大学経済学部助教授・教授、上智大学外国語学部教授、フェリス女学院大学教授を歴任。
舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30… 舩坂 弘(ふなさか ひろし、1920年〈大正9年〉10月30日 - 2006年〈平成18年〉2月11日)は、日本の陸軍軍人、剣道家、実業家。最終階級は陸軍軍曹。アンガウルの戦いで活躍した。戦後は大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務めた。全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主。 特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた。 栃木県上都賀郡西方村で農家の三男として生まれて育つ。幼少期からきかん坊で近所のガキ大将であった。小学校と尋常高等小学校を終えて公民学校を卒業すると、さらに早稲田中学講義録で独学し、専門学校入学者検定試験に合格する。
三富 恒雄(みとみ つねお、1920年8月14日 - 200… 三富 恒雄(みとみ つねお、1920年8月14日 - 2005年2月9日)は、栃木県下都賀郡栃木町(現・栃木市)出身のプロ野球選手(投手)。 栃木商業から社会人野球の太田雄飛に入社(法政大学中退との情報もあるが、間違いである)。1939年の都市対抗にも出場し、明治神宮大会で優勝も果たしている。1940年翼軍に入団。1942年暮れに応召される。1947年に金星スターズでプロ野球に復帰。1949年には中日ドラゴンズへ移籍し、1951年に12勝をマークし、この年はオールスターゲームに出場した。1954年に現役引退。引退後は、中部日本放送で野球解説者を務めた。当時としては珍しい左のサイドスローからシンカー、カーブやシュートを武器としていた。
永田 英太郎(ながた えいたろう、1911年(明治44年)1… 永田 英太郎(ながた えいたろう、1911年(明治44年)11月4日 - 2002年(平成14年)9月19日)は、日本の実業家。栃木県出身。元栃木市長。永田製作所創業者。栃木市名誉市民。 1911年(明治44年)、栃木県栃木町(現栃木市)に生まれる。1930年(昭和5年)に旧制栃木県立栃木中学校(現 栃木県立栃木高等学校)、1934年に立教大学文学部を卒業。 1956年、栃木市教育委員に就任し、その翌年に永田製作所を創設。1965年に栃木市教育委員長、1969年に栃木商工会議所副会頭となる。 1979年、第11代栃木市長に就任。1988年、勲四等瑞宝章を受章。2002年(平成14年)、逝去。享年92(満91歳没)。
柴田 トヨ(しばた トヨ、1911年(明治44年)6月26日… 柴田 トヨ(しばた トヨ、1911年(明治44年)6月26日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、日本の詩人。栃木県栃木市出身。 1911年(明治44年)栃木県栃木市生まれ。生家は裕福な米穀商だったが、10代で家が傾いたことから奉公生活を送り、30代で結婚、出産、60代で宇都宮市に居を移した。一人息子の勧めで書きためた詩を2009年(平成21年)10月に自費出版した。その後飛鳥新社が内容を追加、装丁を変更し再出版。詩作を始めたのは92歳だった。 産経新聞の投稿欄「朝の詩」の常連で、新川和江に高く評価される。シャンソン歌手の久保東亜子が詩に曲を付けたことがきっかけでNHKラジオ第1放送「ラジオ深夜便」に出演。
田中一村(たなか いっそん、1908年7月22日 - 197… 田中一村(たなか いっそん、1908年7月22日 - 1977年9月11日)は、日本画家である。奄美大島の自然を愛し、その植物や鳥を鋭い観察と画力で力強くも繊細な花鳥画に描いた。本名は田中孝。
刑部 人(おさかべ じん、1906年5月5日 - 1978年… 刑部 人(おさかべ じん、1906年5月5日 - 1978年3月8日)は、日本の洋画家。 栃木県下都賀郡家中村(現在の栃木市都賀町家中)に生まれる。東京府立一中時代には、同期に高見順や長沼弘毅がいた。同校在学中、高見順らと廻覧雑誌を創刊する。 1922年(大正11年)から川端画学校に通い、1924年(大正13年)に東京美術学校西洋学科に入学。東京美術学校在学中に和田英作に師事し、帝展に初入選した。 1929年(昭和4年)に東京美術学校西洋学科卒業。1943年に新文展で無鑑査となる。さらに1946年、1947年には出品作品が日展特選となった。 画家として順調なスタートを切ったが、ヨーロッパ各地で起こっていたフォーヴィズム、キュビズムをはじめとする新しい芸術運動の波のなかで、他の多くの画家たち同様に一時的なスランプに陥る。
山口 好一(やまぐち こういち、1903年11月8日 - 1… 山口 好一(やまぐち こういち、1903年11月8日 - 1969年3月19日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(7期)。弁護士。 栃木県栃木町(現:栃木市)に生まれる。旧栃木中、旧制一高を経て、1927年東京帝国大学法学部法律学科(英法)卒。卒業後は栃木商業学校教諭となり、1935年に高等試験司法科試験に合格し、弁護士となった。この他明治大学、日本大学の各講師を務めた。 戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙において栃木県(全県1区)から日本自由党公認で立候補して初当選。以来当選7回。在職中は衆議院地方行政委員長、同懲罰委員長、同科学技術振興対策特別委員長、第3次吉田内閣法務政務次官などを歴任した。
川口 篤(かわぐち あつし、1902年9月29日 - 197… 川口 篤(かわぐち あつし、1902年9月29日 - 1975年6月25日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 栃木県栃木市生まれ。旧制宇都宮中学・旧制一高を経て、東京帝国大学文学部仏文科卒。戦後、東京大学教養学部教授、1958年から1960年まで教養学部学部長、1961年まで評議員。1963年定年退官、学習院大学教授を務めた。 アンドレ・ジイド、エミール・ゾラをはじめ翻訳多数がある。
臼井 芳一(うすい よしかず、1899年1月28日 - 19… 臼井 芳一(うすい よしかず、1899年1月28日 - 1980年2月9日)は、日本の経営者。伊奈製陶(INAXを経て、現在のLIXIL)社長を務めた。 栃木県栃木市出身。1921年に東京高等工業学校窯業学科を卒業した。 日本陶器(ノリタケカンパニーリミテドを経て、現在のノリタケ)での勤務を経て、1924年に伊奈製陶に転じ、1933年に取締役、1948年9月に常務を経て、1963年12月に社長に就任した。1968年10月、相談役に就任した。 1967年10月に藍綬褒章を受章した。 1980年2月9日、脳梗塞のため死去した。81歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
金子 益太郎(かねこ ますたろう、1897年(明治30年)7… 金子 益太郎(かねこ ますたろう、1897年(明治30年)7月7日 - 1983年(昭和58年)10月6日)は、大正から昭和期の農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(2期)、栃木県栃木市長。幼名は亀吉で、35歳の時に益太郎と改名した。 栃木県下都賀郡栃木町入舟町(現栃木市入舟町)で、染物屋・金子忠吉(ただよし)の二男として生まれる。1912年(明治45年)3月、栃木町立第一尋常高等小学校高等科を卒業した。 その後上京し、働きながら独学し、山室軍平の導きでキリスト教に入信。雑司ヶ谷で小間物屋を開業したが、労働農民運動に加わった。1926年(大正15年)日本労農党に入党。 1929年(昭和4年)に帰郷して栃木県下の労農運動を大屋政夫、石山寅吉らと指導した。
小金山 幸一郎(こがねやま こういちろう、1897年5月14… 小金山 幸一郎(こがねやま こういちろう、1897年5月14日 - 没年不明)は、大正・昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は山中 幸一郎。最高位は十両8枚目。 栃木県栃木市出身。出羽ノ海部屋に入門し、1918年1月初土俵を踏む。1923年1月十両に昇進。2場所で幕下に落ちる。1925年1月再十両となるも2勝4敗と負け越し、幕下に落ちた。1927年1月、十両に復帰してから6場所連続十両の地位にあった。1931年10月に廃業した。
菅谷 北斗星(すがや ほくとせい、1895年11月27日 -… 菅谷 北斗星(すがや ほくとせい、1895年11月27日 - 1962年1月21日)は、日本の将棋観戦記者の草分け。本名は菅谷 要。 栃木県栃木市出身。県立栃木中学校卒業後、慶應義塾大学部理財科にはいるも中退。早稲田大学英文科卒業。大衆文藝を志す。 菊池寛の紹介で、当時将棋観戦記で活躍していた大崎熊雄の助手となる。1927年、将棋観戦専門記者として読売新聞に入社。この時筆名として「北斗星」を採用。1937年の坂田三吉・木村義雄の京都南禅寺決戦を始め、多くの観戦記・随筆を手がけた。 一方で将棋史研究にも手をそめ、関連するエッセイを多数発表している。
栃木山 守也(とちぎやま もりや、1892年2月5日 - 1… 栃木山 守也(とちぎやま もりや、1892年2月5日 - 1959年10月3日)は、栃木県下都賀郡赤麻村(現:栃木県栃木市藤岡町赤麻)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第27代横綱。本名は中田 守也(なかた もりや)(旧姓:横田)。 1892年2月5日、栃木県下都賀郡(現:栃木県栃木市藤岡町赤麻)の農家に長男として生まれる。遅くに誕生した男子だったことで「家を守り立てて欲しい」との願いから“守也”と名付けられた。幼少期から家業を手伝いつつ漢学塾に通いながら、自宅近所にあった岩船山の石を人力トロッコで渡良瀬川へ運ぶ仕事に従事し、強健な体になる。17歳で結婚するが、18歳の時に妊娠中だった妻を残して上京し、出羽ノ海部屋に入門する。
若湊 義正(わかみなと よしまさ、1888年3月14日 - … 若湊 義正(わかみなと よしまさ、1888年3月14日 - 1941年11月12日)は、現在の栃木県栃木市出身で高砂部屋に所属した力士。本名は北条 義(旧姓岡本)。4代富士ヶ根。167cm、96kg。最高位は西小結。得意技は押し、右四つ、寄り。 1905年5月場所初土俵、その後一時病気で帰京し、大坂相撲の朝日山部屋で修業した後再び東上。広い肩幅、重い腰を利した右差しからの寄りで、1913年1月場所に新入幕、「若湊」と改名した後の1919年1月新鋭常ノ花を破るなど5勝5敗、翌1919年5月場所に小結昇進。1922年1月場所限りで引退し、4代富士ヶ根を襲名。弟子は冨士ヶ嶽孝一郎を育てた。協会内では理事を務め、金庫番となった。
大島 定吉(おおしま さだきち、1887年10月8日 - 1… 大島 定吉(おおしま さだきち、1887年10月8日 - 1977年10月28日)は、日本の政治家。位階は正五位。 衆議院議員(1期)。参議院議員(1期)。栃木市長。 栃木県下都賀郡栃木町(現:栃木市)出身。足利工業学校卒。家業の染色業に従事し、のち煙草小売業に転身する。県懐炉灰組合、栃木煙草協同組合各理事長を務める。栃木町議から栃木県議を経て、1945年7月栃木市長に就任する。翌1946年3月に退任。4月の第22回衆議院議員総選挙に日本進歩党公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務めた後1947年4月の第1回参議院議員通常選挙に民主党から立候補して当選した。1953年の第3回参議院議員通常選挙で自由党公認で立候補したが落選した。
山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年〈明治20年〉7月… 山本 有三(やまもと ゆうぞう、1887年〈明治20年〉7月27日 - 1974年〈昭和49年〉1月11日)は、大正から昭和にかけて活躍した日本の小説家、劇作家、政治家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。名誉三鷹市民。本名は山本 勇造。 人道的な社会劇作家として名を成し、『嬰児殺し』『坂崎出羽守』『同志の人々』などを発表。その後、小説に転じて『波』『女の一生』『真実一路』『路傍の石』などを書き、理想主義の立場から人生の意味を平明な文体で問いかけた作風で広く読まれた。 第二次世界大戦後は貴族院勅選議員。のち参議院議員として新仮名遣い制定など国語国字問題に尽力した。 呉服商の子として栃木県下都賀郡栃木町(現在の栃木市)に生まれる。
清水 登之(しみず とし、1887年(明治20年)1月1日 … 清水 登之(しみず とし、1887年(明治20年)1月1日 - 1945年(昭和20年)12月7日)は、栃木県出身の画家。 栃木県下都賀郡国府村大字大塚(現・栃木市大塚町)で、清水藤十郎・ムラ夫妻の長男として生まれる。弟は東亜同文書院教授や外交官となった清水董三。(旧制)栃木県立栃木中学校から陸軍士官学校への進学を志し成城学校に転校。1906年に同校を卒業するも陸軍士官学校への受験に失敗し、翌年には単身アメリカ合衆国へ渡航する。暫くはシアトルで肉体労働に従事するが、1912年にオランダ人画家フォッコ・タダマが同地で開いていた画塾に入門した(同時期、洋画家の田中保や石垣栄太郎もここで学んでいる)。
渡辺 孫一郎(わたなべ まごいちろう、1885年〈明治18年… 渡辺 孫一郎(わたなべ まごいちろう、1885年〈明治18年〉9月1日 - 1955年〈昭和30年〉6月12日)は、明治から昭和時代にかけての日本の数学者。専門は解析学および確率論で、「確率」という用語の普及に寄与した。 渡辺藤太の長男として栃木県下都賀郡木村(のち赤津村、現在の栃木市都賀町木)に生まれる。実家は酒造業であるという。栃木中学校を経て、1908年(明治41年)東京帝国大学理学部数学科卒業。 1911年(明治44年)、第八高等学校数学教授となる。八高では視察にきた林鶴一から講義を酷評されたため、心配した校長が付近の中学校に出張させ、本人も真面目に講義法を見学したが、一向に変化がなかったという。
矢部 藤七(やべ とうしち、1885年(明治18年)7月21… 矢部 藤七(やべ とうしち、1885年(明治18年)7月21日 - 1959年(昭和34年)4月11日)は、大正から昭和時代の政治家。醸造家。大日本帝国陸軍軍人。衆議院議員。栃木県上都賀郡西方村長。位階は従五位。 栃木県上都賀郡本城村(西方村、西方町を経て現栃木市)出身。矢部儀一郎の二男として生まれ、1909年(明治42年)家督を相続する。1903年(明治36年)栃木中学校卒業。陸軍に入り歩兵少尉に進んだ。 酒造業を営み、西方村長、栃木県会議員、同副議長、上都賀郡農会長、県農会長、西方村産業組合長、県信用購買販売利用組合連合会副会長を歴任した。ほか、村会議員、郡会議員、帝国在郷軍人会分会長、消防組頭、大政翼賛会県支部常務委員なども務めた。
秋山 孝之輔(あきやま こうのすけ、1884年10月5日 -… 秋山 孝之輔(あきやま こうのすけ、1884年10月5日 - 1970年10月23日)は、日本の経営者。栃木県栃木市出身。 1905年に慶應義塾大学法学部政治科を卒業し、1910年に大日本製糖に入社。常務、専務、副社長を経て、1949年6月には日本専売公社総裁に就任し、1953年5月までに務めた。慶應義塾大学理事も務めた。 1964年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1970年10月23日心不全のために死去。86歳没。
小谷野 伝蔵(小谷野 傳藏、こやの でんぞう、1883年(明… 小谷野 伝蔵(小谷野 傳藏、こやの でんぞう、1883年(明治16年)1月1日 - 1963年(昭和38年)12月)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。埼玉県浦和市長。埼玉県多額納税者。 栃木県栃木町生まれ。栃木中学校卒業。坂倉重平の三男として生まれ、小谷野やさの養子となり、1912年(大正元年)家督を相続する。1915年(大正4年)、浦和商業銀行に入行した。同年、浦和町会議員となる。1919年(大正8年)、北足立郡会議員となる。1921年(大正10年)、浦和商業銀行頭取となった。1922年(大正11年)2月6日、浦和町長兼浦和町会議長となった。1923年(大正12年)8月20日に退任した。
飯塚 国三郎(いいづか くにさぶろう、旧字体: 飯塚 國三郞… 飯塚 国三郎(いいづか くにさぶろう、旧字体: 飯塚 國三郞、1875年(明治8年)2月13日 - 1958年(昭和33年)7月25日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道十段、大日本武徳会柔道範士。慶應義塾體育會柔道部師範、国際柔道協会会長などを歴任した。 栃木県出身。飯塚茂七郎の二男。 早くより武道を稽古していたが若き日に上京の後、慶應義塾大学、二松學舍で学ぶ傍ら、1891年11月に講道館に入門して柔道を修業する。講道館や慶應義塾において、横山作次郎や山下義韶、嘉納治五郎と共に斯道の発達普及に従事。東京高等師範学校、旧制第二高等学校、第七高等学校造士館の柔道教師を歴任。大日本武徳会において形制定に従事する。
高久 倉蔵(たかく くらぞう、1866年4月23日(慶応2年… 高久 倉蔵(たかく くらぞう、1866年4月23日(慶応2年3月9日) - 1917年(大正6年)6月17日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。 下野国都賀郡皆川村(現在の栃木県栃木市)出身。皆川村会議員、同村長、下都賀郡会議員、栃木県会議員を歴任した。1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その他、野州日報社主を務めた。
飯塚 雲擧(いいづか うんきょ、1865年3月31日 - 没… 飯塚 雲擧(いいづか うんきょ、1865年3月31日 - 没年不明)は、日本の書家。通称は勘藏。字は偆子。雲擧は号。別号は夕立庵晋湖。明治時代に東京で活躍した。 元治元年4月4日(1865年3月31日)、飯塚長次郎の長男として、下野国都賀郡のうち現在の栃木県栃木市三鴨地区にあたる地域に生まれる。小学校卒業後、漢学を修め、小学校で教鞭もとる。その後上京して教導団に入り、卒業後近衛軍曹となる。明治22年(1889年)除隊となると漢学の私塾を東京に開き、そのかたわら書法を尾形雲海に、詩文を石川文莊に学び、大師流の書法を究めた。 また俳諧を好み、老鼠堂永機に就いて研究し、奥義を極めた。夕立庵晋湖と号して撰者の資格も得て、有聲吟社を創設して書道、俳諧の教授に従事した。
3代岩崎 清七(いわさき せいしち、1865年1月15日(元… 3代岩崎 清七(いわさき せいしち、1865年1月15日(元治元年12月18日) - 1946年(昭和21年)4月11日)は、明治期の実業家。磐城セメント(住友大阪セメント)を創業した。 下野国都賀郡藤岡村(現・栃木県栃木市藤岡町藤岡)で2代・清七の長男として生まれる。家は代々醤油醸造と米穀肥料商を生業とする。小学校卒業後、郷里の鴎村学舎で漢学を修め、1880年東京に出て岡千刃の塾で漢学を修める。この塾で片山潜と知り合い、生涯親交した。1882年より片山のいた攻玉社で数学を専修し、1883年9月慶應義塾に入学。1884年2月慶應義塾の斡旋で渡米し、1885年6月コーネル大学で政治経済を学ぶが性に合わず、ニューヨーク領事の高橋新吉から実業家に役に立つ法科を勧められ、1887年6月、イェール大学で法律学を専修し学位を得て1889年に帰朝する。
田村 順之助(たむら じゅんのすけ、1858年9月23日(安… 田村 順之助(たむら じゅんのすけ、1858年9月23日(安政5年8月17日)- 1939年(昭和14年)1月19日)は、明治・大正期の政治家。衆議院議員。 下野国都賀郡、のちの栃木県下都賀郡水代村(大平村、大平町を経て現栃木市)で、農業・田村政七の長男として生まれる。松本暢に学んだ。1882年(明治15年)7月、家督を相続。自由民権運動に加わり、1883年(明治16年)自由党に入党した。1884年(明治17年)官吏侮辱被告事件に関与したが免訴となり、加波山事件に連座し投獄された。同年、栃木県会議員に選出され、1892年(明治25年)まで在任し、1890年(明治23年)副議長となった。 大同団結運動に加わり、下野有志懇親会の発起人に就任。
新井 章吾(あらい しょうご、安政3年2月22日(1856年… 新井 章吾(あらい しょうご、安政3年2月22日(1856年3月28日)- 明治39年(1906年)10月16日)は、明治前期の政治家。衆議院議員として通算7期。位階および勲等は従四位・勲四等。 自由党幹部として活躍した。 下野国都賀郡吹上村(現在の栃木県栃木市吹上町)の豪農の家に生まれる。吹上藩の藩校日就館で学んだ後、壬生の育英舎で英学を学んだ。明治10年(1877年)、吹上村の戸長になる。 明治13年(1880年)以後、自由民権運動に参加して自由党に加入、郷里を中心に運動の興隆に努め、明治15年(1882年)に栃木県会議員となる。翌年、官吏侮辱罪・集会条例違反で5か月間収監され、更に大阪事件に関与して朝鮮渡航部隊の責任者となったことから捕らえられて重懲役9年の判決を受ける。
9代 式守 伊之助(きゅうだい しきもり いのすけ、1854… 9代 式守 伊之助(きゅうだい しきもり いのすけ、1854年6月 - 1910年6月28日)は、大相撲の立行司。本名は水戸部→刀根福造。出身地は現在の栃木県栃木市。 初めは力士志望だったが、行司に転向した。6代式守伊之助に師事し、1871年3月場所で式守竹二郎の名で初めて番付に載った。その後、初代式守錦之助に改め、2代式守錦太夫から4代式守与太夫を経て、1882年1月幕内格(紅白房)。1898年5月に9代伊之助を襲名した。声や態度も凛然としていた行司だった。1910年6月28日死去。享年56。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
塩田 奥造(鹽田、しおだ おくぞう、1849年11月29日(… 塩田 奥造(鹽田、しおだ おくぞう、1849年11月29日(嘉永2年10月15日) - 1927年(昭和2年)2月6日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。 下野国都賀郡、のちの栃木県下都賀郡吹上村(現栃木市吹上町)で、郷士、大庄屋・塩田嘉門の長男として生まれる。吹上藩の明倫学校で学んだ。 1871年(明治4年)廃藩置県に際して事務取扱となる。以後、吹上外三十二カ村区長、下都賀郡学区取締などを務めた。1880年(明治13年)11月、横堀三子と共に芳賀郡外の総代として国会開設請願書を提出し、同年12月、栃木県会議員に選出され、1882年(明治15年)7月、常置委員に就任。1884年(明治17年)加波山事件では犯人逃亡幇助の罪で検挙され六箇月入獄した。
松本 暢(まつもと ちょう、1832年5月8日(天保3年4月… 松本 暢(まつもと ちょう、1832年5月8日(天保3年4月8日) - 1889年(明治22年))は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての医師・尊王攘夷派の志士。のちに壬生藩御典医・石崎家の婿養子となり石崎 誠庵(省菴)を名乗った。明治維新後は中央政府に出仕し、刑法官判事、東京株式取引所理事長などを務めた。 天保3年4月8日、下都賀郡富山村富田(現栃木市)に生まれる。松本新右衛門の次男で、幼名は新作。一度松本又作の養子となるが、後に実子出生により生家へ戻る。学問は水代村の鍋山休文に始め、ついで瀧山西谷に従学、その後藤森弘菴に私淑し、さらに水戸の藩医・本間玄長に医業を学ぶ。この頃より号を「省菴」と称した。
森 鴎村(もり おうそん、1831年(天保2年) - 190… 森 鴎村(もり おうそん、1831年(天保2年) - 1907年(明治40年)1月20日)は、幕末期ならびに明治期の儒学者。下野国都賀郡藤岡村(現・栃木県栃木市藤岡町藤岡)出身。諱は保定(やすさだ)で字は士興(しきょう)。通称は定吉(さだきち)。 藤森弘庵・安積艮斎から儒学の教えを受け、藤岡で鴎村学社をひらく。門下生には栃木県におけるビール麦栽培の基礎を作った田村律之助、実業家となった岩崎清七がいた。岩崎の推薦で片山潜も一時塾僕となった。 1907年(明治40年)1月20日に死去。享年77。
くしまち みなと(9月1日 - )は、日本の小説家、ライトノ… くしまち みなと(9月1日 - )は、日本の小説家、ライトノベル作家、ゲームシナリオライター、ゲームクリエイター、マスコットプロデューサー、翻訳家。男性。栃木県栃木市出身。 ペンネームの由来は武蔵御嶽神社の主祭神である櫛真智命()。別名義に佐山 操(みさっち)、天宮 司、天宮 みなとなどがある。 父は書家の丸山暁鶴。栃木県立壬生高等学校卒業。代々木アニメーション学院ノベルズ科1期生。在学中から漫画原作者の武田正敏に、卒業後に小説家の朝松健らに師事する。90年代後半から佐山操名義でフリーランスのゲームプランナー、シナリオライター、小説家として活動を開始し、英語・中国語・台湾のアニメ・ゲームの翻訳や日本語監修なども手がけるほか、デジタルアーツ東京、代々木アニメーション学院などの専門学校で講師を務める。
古川 登志夫 は、日本の声優、俳優、ナレーター。元大阪芸術大… 古川 登志夫 は、日本の声優、俳優、ナレーター。元大阪芸術大学短期大学部教授。青二プロダクション所属。妻は同じく声優の柿沼紫乃。
山口 良治 は、日本の政治家。衆議院議員(1期)を務めた。
飯田 浩志 は、日本の元・俳優・声優、演出家。東京桜組主宰。… 飯田 浩志 は、日本の元・俳優・声優、演出家。東京桜組主宰。栃木県宇都宮市出生、下都賀郡大平町(現・栃木市)出身。
雲田 はるこ(くもた はるこ)は、日本の漫画家。栃木県栃木市… 雲田 はるこ(くもた はるこ)は、日本の漫画家。栃木県栃木市出身・在住。栃木市ふるさと大使。 栃木県立栃木女子高等学校卒業(美術部所属)。2002年頃から漫画を描き始め、漫画家アシスタントを経験する。2008年、東京漫画社のボーイズラブ・アンソロジー「職業カタログ」に掲載の短篇『窓辺の君』で漫画家としてデビュー。 2010年、短篇集『野ばら』が「このBLがやばい!2011」にて3位にランキングする。 その後一般作品に進出し、『昭和元禄落語心中』を『ITAN』(講談社)2010年零号(創刊号)から2016年まで連載。同作は第17回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第38回(2014年度)講談社漫画賞一般部門、第21回(2016年度)手塚治虫文化賞新生賞をそれぞれ受賞している。
山口 智子 は、日本の女優。
日高 真理(ひだか まり)は、まえばしCITYエフエム (M… 日高 真理(ひだか まり)は、まえばしCITYエフエム (M.wave) の元パーソナリティ。 別名はマリリンで、ブログの執筆時にはもっぱらこちらの名義を用いていた。まえばしCITYエフエムの公式サイトには、「日高真理」と「マリリン」両方の表記が見られる。 2011年1月の開局とともにまえばしCITYエフエムのパーソナリティになり、朝の情報番組『おはよう!まえばしcolor』を担当。2012年10月から同年12月までは、同局の『へそ』という番組も担当していた。2014年8月20日には同局のパーソナリティである岡田直美、松本亜希子とともに、群馬県前橋市のマスコットキャラクター「ころとん」のアンバサダー(PR大使)に就任した。