椎木 里佳(しいき りか、1997年〈平成9年〉11月21日… 椎木 里佳(しいき りか、1997年〈平成9年〉11月21日 - )は、日本の実業家。株式会社AMFの創業者で代表取締役社長、株式会社Alink代表取締役社長 。株式会社TOKYO GIRLS COLLECTION元顧問。こども家庭庁こども家庭審議会委員。 東京都千代田区出身。父は『秘密結社鷹の爪』の制作などで知られる株式会社DLEの元代表取締役・椎木隆太。 千代田区立番町幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾中等部、慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部倫理学専攻を卒業。また、父と祖父も慶應義塾大学出身である。曾祖父は「シイキ写真館」創業者であり、現在は伯父が継いで親子3代に渡って続いている。
北澤 ゆうほ(きたざわ ゆうほ、1995年12月2日 - )… 北澤 ゆうほ(きたざわ ゆうほ、1995年12月2日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。 東京都千代田区神田神保町出身。活動休止中の3人組ロックバンド the peggiesのボーカル&ギター担当。全曲の作詞作曲を担当。2023年8月よりソロプロジェクトQ.I.S.(クイス)として活動している。公式ファンクラブは「 ”Q.O.Q.C”」。
ベイカー 茉秋(ベイカー ましゅう、英語: Matthew … ベイカー 茉秋(ベイカー ましゅう、英語: Matthew Baker、日本姓:小林、1994年9月25日 - )は、東京都千代田区出身の日本の柔道家。階級は90kg級。身長178cm。組み手は右組み。段位は四段。得意技は大内刈。父親はアメリカ出身。紫綬褒章受章。 幼少期に両親が離婚し、日本人の母親のもと日本で育つ。最初はピアノを習っていたが姿勢が非常に悪かったために、それを矯正するには正座をする柔道をやるのが適していると考えたピアノ教師の勧めで、6歳の時に講道館にある春日柔道クラブで柔道を始めることになった。ベイカーの1学年下にはウルフ・アロン、2学年下に朝比奈沙羅がいた。小学校5年の時には全国小学生学年別柔道大会40kg級に出場するが、決勝トーナメント1回戦で徳島県代表の大島優磨に敗れた。
Kage(カゲ、1977年12月16日 - )は、日本のカリ… Kage(カゲ、1977年12月16日 - )は、日本のカリカチュアアーティスト。カリカチュア・ジャパン代表取締役。 東京都出身。似顔絵世界大会ISCAの2007年度チャンピオンであり殿堂入りアーティスト。Newsweekが選ぶ「世界が尊敬する日本人100」に選出。
青木 龍馬(あおき りゅうま、1969年7月20日 - )は… 青木 龍馬(あおき りゅうま、1969年7月20日 - )は、日本の実業家、編集者、プロデューサー。株式会社King代表取締役。一般社団法人千代田産業振興協会代表理事。秋葉原映画祭ファウンダー、M:PROJECT統括プロデューサー。 学生時代から多様な職業を経験し、出版社での勤務を契機に編集職を志す。1990年にアポロ出版へ入社し、1997年にリクルートへ転職。起業支援誌「アントレ (情報誌)」の編集を担当した。 その後、ディップ (企業)で法人事業の立ち上げに携わり、ディジット (企業)では編集デスクとして2誌の編集業務を統括した。2002年、サイバーエージェントに入社し、「Ameba」の立ち上げに主要メンバーとして携わり、メディア開発および新規事業開発に従事した。
高林 孝行(たかばやし たかゆき、1967年9月12日 - … 高林 孝行(たかばやし たかゆき、1967年9月12日 - )は、元社会人野球選手(内野手、外野手)。東京都千代田区出身。日本石油に所属していた。 父は元プロ野球選手の高林恒夫。 立教高校(現・立教新座高校)では、1984年秋季関東大会県予選準々決勝に進むが、エース原口哲也を擁する熊谷商に完封負け。翌1985年夏の県予選では、同期の平田国久(立大-日本生命)の好投もあり、決勝で石田雅彦のいた川越工を破り、夏の甲子園に出場。1回戦はエース吉田直喜を骨折で欠く佐世保実を降すが、2回戦では東洋大姫路高の豊田次郎に抑えられ大敗を喫する。他の同期に黒須陽一郎がいた。 卒業後は平田、黒須とともに立教大学に進学。
日髙 のり子(ひだか のりこ、1962年5月31日 - )は… 日髙 のり子(ひだか のりこ、1962年5月31日 - )は、日本の声優、女優、ラジオパーソナリティ、ナレーターである。
平井 伸治(ひらい しんじ、1961年(昭和36年)9月17… 平井 伸治(ひらい しんじ、1961年(昭和36年)9月17日 - )は、日本の自治・総務官僚、政治家。鳥取県知事(3期)。
渡邊 健一(わたなべ けんいち、1957年1月29日 - )… 渡邊 健一(わたなべ けんいち、1957年1月29日 - )は日本の構成作家。血液型B型。
持田 昌典(もちだ まさのり、1954年(昭和29年) - … 持田 昌典(もちだ まさのり、1954年(昭和29年) - )は、ゴールドマン・サックス(GS)日本法人代表取締役社長、本社経営委員会のメンバー、Management Committee。
岡田 秀一(おかだ ひでいち、1951年 10月- )は、日… 岡田 秀一(おかだ ひでいち、1951年 10月- )は、日本の通産官僚、経産官僚。小泉内閣の総理大臣秘書官、経済産業省の商務情報政策局長、通商政策局長、経済産業審議官を歴任した。
高樹 蓉子(たかぎ ようこ、本名:粟崎曄子(ようこ)、194… 高樹 蓉子(たかぎ ようこ、本名:粟崎曄子(ようこ)、1949年8月23日 - )は日本の女優。 東京都出身。神田の生まれだがのちに豊島区に引っ越す。 小学校、中学校時代はクラシックバレエをしており、その関係から運動神経は抜群だった。 1968年、富士見丘高等学校を卒業後して東映本社総務部へ就職するが、同年6月には女優として日活へ転じた。 1972年8月、日活を退社しフリーとなる。その後はテレビを中心に活躍した。 1977年頃に、芸能活動を引退した。
三宅 恵介(みやけ けいすけ、1949年2月5日 - )は、… 三宅 恵介(みやけ けいすけ、1949年2月5日 - )は、日本のテレビディレクター、テレビプロデューサー。
山本 コウタロー(やまもと コウタロー、本名:山本 厚太郎(… 山本 コウタロー(やまもと コウタロー、本名:山本 厚太郎(やまもと こうたろう)、1948年9月7日 - )は、日本の歌手、タレント、白鴎大学教授。オフィスプロフィット所属。東京都千代田区出身。芸名は山本コウタロー(コータローではない)だが、作曲や大学で教鞭をとるときは本名の山本厚太郎名義で行っている。千代田区立麹町中学校、東京都立日比谷高等学校、一橋大学社会学部卒業。白鴎大学特任教授。学生から講義の人気は高く抽選科目である。
エム ナマエ(本名:生江雅則(なまえ・まさのり)、男性、19… エム ナマエ(本名:生江雅則(なまえ・まさのり)、男性、1948年9月1日 - )は、日本の画家、児童文学作家。
川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4… 川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4日 - )は、日本の俳優、演出家。劇団NLT代表。NPO法人日本オペレッタ協会副理事長。
梓 英子(あずさ えいこ、1947年7月28日 - )は、日… 梓 英子(あずさ えいこ、1947年7月28日 - )は、日本の女優。東京都千代田区出身。八雲学園高校中退。 1964年に森美佐および森美沙の芸名で小森白監督の映画に出演。その後1965年に出演した松竹映画での役名「梓英子」を以後の芸名とする。松竹の青春映画や東映「昭和残侠伝」などに出演。1967年に大映と専属契約し、清純派女優として多くの映画に出演した。1970年以降はテレビドラマで活躍した。 1977年に結婚すると同時に引退した。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
長谷川 稀世(はせがわ きよ、1946年5月8日 -)は、日… 長谷川 稀世(はせがわ きよ、1946年5月8日 -)は、日本の女優。東京都千代田区永田町出身。本名・原田勝美。かつては長谷川彰子、原田彰子の名で活動していた。所属事務所は青年座映画放送。 ※稀世の母と、兄と姉の母は違う。 小学校2年のとき、長谷川彰子の名で映画デビュー。慶應義塾女子高等学校を経て、慶應義塾大学文学部国文科に入学するが、1966年に大学を中退して、TBS『半七捕物帳』で本格デビュー。テレビ朝日の『虞美人草』でヒロインを演じ注目される。主に長谷川一夫の「東宝歌舞伎」に出演した。父の死後、新派入り、水谷良重、波乃久里子に次ぐ女優として大役をこなす。現在も舞台やテレビドラマに出演している。
秀島 一生(ひでしま いっせい、1946年1月1日 - )は… 秀島 一生(ひでしま いっせい、1946年1月1日 - )は、日本の旅行・航空評論家、サービスコンサルタント。
大竹 竹風(おおたけ ちくふう、1944年1月 - )は、日… 大竹 竹風(おおたけ ちくふう、1944年1月 - )は、日本の将棋駒師。新潟県三条市在住。 東京都神田区(現・千代田区)神田出身。新潟県立三条実業高等学校商業科を卒業後、東京本郷の前沢碁盤店に勤める。 「竹風駒」は、プロ棋士のタイトル戦でも使われている。 竹風駒の木地は、伊豆七島の御蔵島の原生林で伐採された黄楊を4-5年寝かせて使用する。 木地は木目により「柾」(まさ)、「杢」(もく)に大別される、柾はさらに「赤柾」、「糸柾」等、杢は「虎斑」(とらふ)、「孔雀杢」、「根杢」(ねもく-模様が多岐にわたる)、等とさらに細かく分類される。光の加減により木目が美しく変化する「虎斑」や「孔雀杢」が蒐集家等に人気があるのに対し、長時間駒と向き合うプロ棋士は光による変化が「目に刺す」と嫌って柾を選ぶことが多かったが、竹風は「最近は虎斑を使うこともあります」と述べている。
加賀 まりこ(かが まりこ、1943年12月11日 - )は… 加賀 まりこ(かが まりこ、1943年12月11日 - )は、日本の女優、司会者。本名は加賀 雅子(かが まさこ)。有限会社活動屋所属。デビュー以来、奔放な言動でマスコミを賑わせ、「小悪魔」や「和製ブリジット・バルドー」などと呼ばれる。
青山 良彦(あおやま よしひこ、本名同じ、1943年12月7… 青山 良彦(あおやま よしひこ、本名同じ、1943年12月7日 - )は、東京都出身の俳優。 東京都千代田区神田須田町出身。学習院初等科、中等科、高等科第2学年終了後の1962年に大映演技研究所に16期として入り、大映からニューフェイスとしてデビュー。1964年、TBSのドラマ『父子鷹』(国際放映制作)に出演した後、同年『十七才は一度だけ』より大映にて本格デビュー。その後大映を経て、プランニング・メイに所属。 なお、近衞甯子(甯子内親王)、久邇朝宏(久邇宮)は学習院初等科時代の同級生。 『泥棒番付』(1966年)で勝新太郎と共演して以来、2年間ほど半ば押しかけのように、付き人のような感じで勝に付き、以後勝のことを「オヤジ」と呼ぶほどの濃い付き合いが続いていたという。
星 由里子(、1943年〈昭和18年〉12月6日- 2018… 星 由里子(、1943年〈昭和18年〉12月6日- 2018年〈平成30年〉5月16日)は、日本の女優。最終所属事務所は東宝芸能。 東京都出身。千代田区立今川中学校を経て精華学園女子高等学校卒業。 1958年(昭和33年)、東宝が宝塚歌劇団東京公演にちなんで募集したミス・シンデレラ娘で優勝したことをきっかけに芸能界入り。 「八重歯のシンデレラ」をキャッチフレーズとし、1959年(昭和34年)に『すずかけの散歩道』で銀幕デビュー、同名のレコードで歌手デビューも果たす。 1960年(昭和35年)、同時期にデビューした浜美枝と田村まゆみ(翌年、田村奈巳に改名)と合わせて「東宝スリーペット」として売り出される。
稲葉 大和(いなば やまと、1943年11月12日 - )は… 稲葉 大和(いなば やまと、1943年11月12日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。 東京都神田区(現在の千代田区)生まれ。駒場東邦高校を経て、1966年、中央大学法学部を卒業し、父・稲葉修衆院議員秘書となる。その後、木部佳昭建設大臣秘書を経て、1990年に旧新潟2区から父の地盤を継いで第39回衆議院議員総選挙に立候補するも落選。 渡辺美智雄の秘書を務めた後、1993年に再び第40回衆議院議員総選挙に立候補して初当選(当選同期に安倍晋三・野田佳彦・高市早苗・岸田文雄・塩崎恭久・石井啓一・茂木敏充・田中眞紀子・熊代昭彦・横内正明・野田聖子・浜田靖一・山岡賢次など)。渡辺派に属す。以後、連続5期当選。
近藤 美矩(こんどう よしのり、1943年8月9日 - )は… 近藤 美矩(こんどう よしのり、1943年8月9日 - )は、日本のアナウンサー。 東京都千代田区出身。TBSラジオニュースデスク。東京都立両国高等学校、千葉大学文理学部卒業。 1972年5月、TBSにアナウンサーとして中途採用入社。主にニュース、報道番組を担当。2003年8月、TBSを定年退職。現在は主にTBSラジオのニュースデスクを担当。 1972年5月、TBSにアナウンサーとして中途採用入社(同期には辻村国弘)、2003年8月、TBSを定年退職。
新井 茂子(あらい しげこ、1943年6月28日 - )は、… 新井 茂子(あらい しげこ、1943年6月28日 - )は、日本の元女優。夫は俳優の中田博久。 東京都千代田区麹町出身。東京都立九段高等学校卒業。テアトル・ド・ポッシュに所属していた。 1958年、東映ニューフェイスの第5期に合格。合格当時の年齢が14歳であったことから、翌年、第6期として東映に入社。同期には千葉真一・亀石征一郎・太地喜和子・真山知子・茅島成美・都築克子らがいる。 1960年、映画『殴りつける十代』でデビュー。以後、『飛ばせ特急便 深夜の脱獄者』(1961年)、『殺人鬼の誘惑』(1963年)、『十七才のこの胸に』(1964年)など、主に現代劇に多数出演する。 その後、東映を離れてフリーとなり、テレビドラマを中心に活動する。
遠藤 光男(えんどう みつお、1942年9月23日 - )は… 遠藤 光男(えんどう みつお、1942年9月23日 - )は、日本のボディビルダー、ボディビル指導者、ジム経営者、プロレスリングレフェリー。日本における筋力トレーニングの第一人者として、三島由紀夫、千代の富士、朝青龍など各界の著名人やスポーツ選手を数多く指導した。また、日本アームレスリング連盟を創設するなどアームレスリングの普及にも尽力した。
二瓶 正也(、1940年〈昭和15年〉12月4日 - 202… 二瓶 正也(、1940年〈昭和15年〉12月4日 - 2021年〈令和3年〉8月21日)は、日本の俳優。本名および旧芸名、二瓶 正典()。 東京府東京市麹町区永田町出身。麹町中学校、専修大学附属高等学校卒業。二瓶事務所を経て、メセナに所属していた。 実父はドイツ人。映画が好きであったことから、高校3年生時に俳優を志し東宝芸能学校の夜間部に入る。 1960年に東宝第15期生ニューフェースとなり、しばらくは大部屋生活が続く。1961年、岡本喜八監督作『暗黒街の弾痕』の「殺し屋B」でデビュー。コミカルな役柄を得意とし、東宝の専属俳優として活躍した。特に岡本喜八作品の常連となる。1962年に『妖星ゴラス』で特撮作品に初出演。
菅沼 三千子(すがぬま みちこ、1940年9月24日 - )… 菅沼 三千子(すがぬま みちこ、1940年9月24日 - )は、日本の木漆工芸家である。 20世紀に世界で初めて、オーストラリア・メルボルンのビクトリア国立美術館(National Gallery of Victoria、略称NGV)にて現存する創作家として漆展を開催し、同時にシナバーレッドの漆器など2点が同美術館所蔵品となった塗師で東京都千代田区出身。女子美術短期大学卒業後、木と漆の人生を一筋に生きている。座右の言葉は「デザインとテクニックは一生の仕事」で、日本の伝統を受け継いで次代を担う若者の発掘をモットーにしており、昭和平成を経て今現在令和の時代に入って[いつ?]NGV所蔵の総数は9点になる。
内田 茂(うちだ しげる、1939年〈昭和14年〉3月15日… 内田 茂(うちだ しげる、1939年〈昭和14年〉3月15日 - 2022年〈令和4年〉12月21日)は、日本の政治家。 東京都議会議員(7期)、東京都議会議長、千代田区議会議員(4期)、千代田区議会議長、自由民主党東京都連幹事長、同東京都連最高顧問などを歴任した。娘婿は千代田区議会議員の内田直之。 東京都千代田区神田淡路町に生まれた。4人兄弟の長男である。親の職業は、野菜の行商と鮮魚売り、額縁職人と諸説ある。千代田区立一橋中学校(現:千代田区立神田一橋中学校)卒業。 1956年、東京都立九段高等学校中退。中退した理由は「先生をぶん殴ったため」とも言われる。高校中退後は、テキヤに出入りしたり、電気店で働いたり、喫茶店の店番をしたり、雀荘を経営したり、元外務大臣の鳩山威一郎(鳩山由紀夫・鳩山邦夫の父)の下足番になったりした。
かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かま… かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 2017年〈平成29年〉3月1日)は、日本のミュージシャン、俳優。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京府(現・東京都)千代田区出身。 父はジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元・歌手の森山奈歩は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたる。
佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )… 佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )は、日本の歌人・国文学者。早稲田大学名誉教授。日本芸術院会員。『心の花』主宰・編集長。現代歌人協会前理事長。 曽祖父の佐々木弘綱、祖父で文化勲章受章者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱、母の佐佐木由幾、長男の佐佐木頼綱、次男の佐佐木定綱も歌人である。本名は佐々木幸綱で、祖父、父に倣って「佐佐木」を称する。 祖父信綱が主宰した「竹柏会」とその機関誌「心の花」を継承。骨格の太い男性的な歌風を特色とする。俵万智の師。歌集に『群黎』(1970年)、『反歌』(1989年)、『金色の獅子』(1989年)、『天馬』(2001年)、『ほろほろとろとろ』(2014年)など。
大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は… 大宮 信光(おおみや のぶみつ、1938年8月10日- )は、日本の科学ジャーナリスト、SFファン活動家。 東京神田生まれ。東京教育大学(中退)在学中から家庭教師、塾経営をはじめる。 1967年にSF同人誌『宇宙塵』に参加。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で投稿が紹介されている。 1968年から石原藤夫、柴野拓美らと「SFファン科学勉強会」(SFフ科会)を結成して活動。のちに草場純、志水一夫、鹿野司らもメンバーとなる。 1979年頃からSF乱学者を名乗る(「蘭学者」のもじり)。
高林 恒夫 (たかばやし つねお、1938年1月12日 - … 高林 恒夫 (たかばやし つねお、1938年1月12日 - 2009年9月5日)は、昭和中期(1960年代前半)のプロ野球選手(外野手)。 東京都神田出身。錦華小学校を経て、立教中学校(現・立教池袋中学校)で野球を始める。立教高校(現・立教新座高校)では1年生からレギュラーとなり、中堅手として1955年の春の甲子園に出場する。1回戦で坂崎一彦、山本八郎らのいた浪華商に完封負け。浪華商はこの大会に優勝する。同年夏は都予選準々決勝で早実高に敗退した。 1956年立教大学に入学するが、2年生までベンチ入りすらできなかった。2年生時の1957年11月3日立教大学が東京六大学野球の秋季リーグで優勝を決めた日の夜に、高林は前科3犯の窃盗犯を捕獲して、神田警察署から表彰状と賞金500円を受け取る。
今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は… 今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は、日本の漫画家。現東京都千代田区(当時は東京市)出身。東京都練馬区在住。日本の女性少女漫画家の草分け的存在。 子供の日常生活をほのぼのとして快活なタッチで描き、1950年代後半から1970年代中半にかけて多くの作品を発表していた。 父親は貸本漫画家の今村つとむ。弟も同じく漫画家の今村ゆたか。 10代の頃から貸本漫画家である父、今村つとむのアシスタントをしており、1952年、単行本『子豚のラッパ』でデビュー。 昭和34年、『少女』誌上に『チャコちゃんの日記』を連載し一躍人気漫画家となる。その後、ハッスルゆうちゃんなど多くの作品を発表し、人気を不動のものとした。
鈴木 淑夫(すずき よしお、1931年10月12日 - )は… 鈴木 淑夫(すずき よしお、1931年10月12日 - )は日本のエコノミスト、政治家。衆議院議員 (2期)を務めた。経済学博士(東京大学)。鈴木政経フォーラム代表。公益財団法人日本国際フォーラム政策委員。
深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 20… 深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、1931年7月15日 - 2014年7月14日)は、日本の作家。本名は深田 雄輔。 1982年に『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞。 東京市で生まれる。曾祖父は江戸城の「奥」に出入りする御用商人で、祖父深田米次郎は日本橋で深田銀行を設立するも不況により愛知銀行 (東海銀行の前身)に吸収され父は、入サ証券を創業して、第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に丸三証券(前身の「長尾秀一商店」)へ売却している。なお、この頃避暑に湘南に行った際、東条英機首相と会っている。暁星高等学校を経て早稲田大学法学部に入学し、在学中より堀辰雄に傾倒して曽野綾子らとともに同人誌『ラマンチャ』に参加している。
浅香 光代(あさか みつよ、1928年〈昭和3年〉2月20日… 浅香 光代(あさか みつよ、1928年〈昭和3年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉12月13日)は、日本の剣劇女優。東京府東京市神田区(現:東京都千代田区)出身。血液型はB型。本名は北岡 昭子(きたおか しょうこ)。愛称は「ミッチー」。内縁の夫はコメディアンの世志凡太。マスメディアからは「ストリップ剣劇と第一人者」と称された。 10歳ぐらいの頃、浅香新八郎、森静子らの舞台劇団「新生国民座」に入団、森静子の森をとって芸名「小森昭子」をもらう。1944年(昭和19年)、座長の浅香新八郎が急逝し新生国民座は解散する。1945年(昭和20年)、阪東鶴蔵一座に入り「富士龍子」の芸名をもらう。その後「浅香光代」と名乗り自分の一座を結成する。
二世 清元一壽郎(にせい きよもと いちじゅろう、本名:新野… 二世 清元一壽郎(にせい きよもと いちじゅろう、本名:新野幸三、1927年(昭和2年)3月7日 - 1994年(平成6年)9月7日)は昭和から平成にかけて活動した清元節三味線方。歌舞伎公演の立三味線(首席奏者)を長年務めた。 六世清元延壽太夫の立三味線も勤めた。また現家元の七世清元延壽太夫を指導するなど、同い年の清元榮三郎と並び清元節三味線方の代表格として活躍した。 師である清元榮壽郎譲りの歯切れのよい撥捌きと冴えた音色で、師の信頼も厚く、師の存命中の舞台にはその横に顔が見えないことが無いほどであった。実兄清元壽國太夫とのコンビでも活躍したが、晩年は体調を崩し、万全とは言えない体調で舞台を務める事も多く、稀有な才能を惜しまれつつ70歳を迎えずして亡くなった。
胡暁子(おう あきこ、1927年(昭和2年) - 2011年… 胡暁子(おう あきこ、1927年(昭和2年) - 2011年(平成23年) 10月31日)は、実業家・慈善活動家。タイガーバームを率いる胡一虎の配偶者。シンガポール赤十字副総裁などを歴任。 東京都千代田区に生まれる。生家は長瀬商店(花王)一族。番町小学校、文化学院卒。 昭和22年に日本で中国人男性と結婚するが、3人の子をもうけた後離婚。その後、昭和33年にアジア最大の財閥タイガーバーム3代目総裁、胡一虎に嫁ぐ。結婚式は香港・シンガポール・東京の三か所で行われた。 結婚後はシンガポールに移住し、主婦業の傍ら星虎公司社長や役員などを歴任。銀行、新聞社、建築、レジャー施設や旅行会社、スーパーマーケットから高級ブティック等におよぶ数十の会社をシンガポールを拠点に経営する。
木村 梢(きむら こずえ、1926年11月6日 - 2019… 木村 梢(きむら こずえ、1926年11月6日 - 2019年10月28日)は、エッセイスト。 邦枝完二の長女として東京市麹町区(現東京都千代田区麹町)に生まれる。父と同様に麹町幼稚園、麹町小学校で学び、文化学院女学部を卒業。1948年、俳優の木村功と結婚。妹にクニエダヤスエがいる。娘は七代杵屋佐吉に嫁ぎ、孫に杵屋浅吉、杵屋佐喜がいる。木村功の死後『功、大好き』を上梓しベストセラーになった。 2019年10月28日、老衰のため92歳で死去した。墓所は本郷の喜福寺。
桐敷 眞次郎(きりしき しんじろう、1926年8月31日 -… 桐敷 眞次郎(きりしき しんじろう、1926年8月31日 - 2017年12月7日)は、日本の建築史家・建築評論家。東京都立大学名誉教授、工学博士。東京府東京市神田区東神田生まれ。 敗戦後の混乱のなか、一年上級の飯田喜四郎、堀内清治の二先輩とともに西洋建築史研究を志す。当時は海外渡航が不可能であったため、旧敵国の留学生制度を利用し、飯田がフランス(1953-56)へ、桐敷がイギリス(1955-57)へ渡航、次いで堀内が東大イラン・イラク発掘調査隊(1953-56)に参加。当時から、ごく自然に堀内が古代、飯田が中世、桐敷が近世・近代を分担し、研究や出版に万事協力し合う態勢をつくる。
仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日… 仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日本の数学教育者、元埼玉大学教授。
越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野&… 越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野<こうの>、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。愛称は「コーちゃん」「コッシー」(旧姓から)。
楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は… 楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は楠山 敏江(くすやま としえ)。愛称はビンチャン。
石井 輝男(いしい てるお、男性、1924年〈大正13年〉1… 石井 輝男(いしい てるお、男性、1924年〈大正13年〉1月1日 - 2005年〈平成17年〉8月12日)は、日本の映画監督・脚本家である。本名は北川 輝男(きたがわ てるお)。
井川 邦子(いがわ くにこ、1923年10月15日 - 20… 井川 邦子(いがわ くにこ、1923年10月15日 - 2012年10月4日)は、日本の女優。一ツ橋家政女学校卒業。本名は野中 敏子(のなか としこ)。 1940年、松竹に入り、同年、河野敏子の芸名で『絹代の初恋』で映画デビュー。戦後、井川邦子と改名し、木下惠介、小津安二郎など巨匠の作品に数多く出演。中でも『わが恋せし乙女』『結婚』『肖像』『カルメン故郷に帰る』など木下作品に次々と出演し、木下学校の優等生としてスターの道を歩んだ。1960年の『笛吹川』を最後に映画界を離れ、その後はテレビドラマに出演していたが、1977年に女優業を引退。引退後は神奈川県鎌倉市で喫茶店を経営し、悠々自適の生活を送っていた。
赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1… 赤坂 長義(あかさか ながよし / -ちょうぎ、1921年1月3日 - 1994年6月26日)は、日本の脚本家、映画監督、テレビドラマ演出家、著述家、大学教官である。日本映像学会会員。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市神田区小川町(現在の東京都千代田区神田小川町)に、神保町の東京堂(現在の東京堂書店)支配人の子息として生まれる。 旧制・第一高等学校在学時の1940年(昭和15年)に、橋川文三と同級であり、橋川に保田與重郎の『後鳥羽院』等の著作を勧めている。自らも詩作を行い、『歴程』同人であった。第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)、同校を卒業して東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に進学した。
生方 明(うぶかた あきら、1917年2月12日 - 没年不… 生方 明(うぶかた あきら、1917年2月12日 - 没年不詳)は、日本の俳優、元子役である。本名同じ。 1917年(大正6年)2月12日、東京府東京市神田区神田(現在の東京都千代田区神田)に生まれる。 1923年(大正12年)12月、渋谷幡代尋常小学校(現在の渋谷区立幡代小学校)1年生の時、築地小劇場で小山内薫演出『そら豆が煮えるまで』で初舞台を踏む。1934年(昭和9年)、青山学院中等部を卒業するまでに、父親である生方賢一郎(1882年 - 1961年)が関係する新劇協会や築地座の公演に子役として出演した。 映画では中学校1年から教育映画や1932年(昭和7年)に公開された、鈴木重吉監督映画『熊の出る開墾地』などに出演していたが、1934年(昭和9年)、父・賢一郎が在籍するP.C.L.映画製作所が製作した木村荘十二監督映画『只野凡児 人生勉強』に出演したのがきっかけで中学卒業直後の同年4月に入社。
木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 20… 木俣 堯喬(きまた あきたか、1915年3月26日 - 2004年11月7日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、映画美術家、劇作家、演出家、俳優、彫刻家。本名は木俣 三郎(きまた さぶろう)、舞台俳優・映画美術家としては衣 恭介(ころも きょうすけ)、時代劇俳優としては木南 兵介(きなみ へいすけ)、現代劇俳優として鬼塚 大吉(おにつか だいきち)等、多くの別名をもつ。プロダクション鷹・日東テレビ映画の創業者・元代表取締役、ムービーブラザースの共同代表を歴任した。高見順の短篇小説『大部屋の友』の主人公モデル、あるいは世田谷区・豪徳寺の「無名戦士慰霊記念碑」のレリーフ彫刻を手がけた彫塑作家としても知られる。