松尾 奈津子(まつお なつこ、1994年8月31日 - )は… 松尾 奈津子(まつお なつこ、1994年8月31日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 長野県上伊那郡辰野町出身。 東京都市大学塩尻高等学校では第64回・第65回の春高バレー(全日本バレーボール高等学校選手権大会)に出場し、3年生で迎えた第65回ではキャプテンとして開会式で選手宣誓を務めた。 都留文科大学を経て2017年にV・チャレンジリーグI所属の仙台ベルフィーユの内定選手となり、2016-17シーズンで10セットに出場した。同年6月、運営会社の経営難によりチームが解散となり、同年11月に実業団チームの山梨中央銀行に加入した。 2021年1月、2020-21シーズン途中で主力セッターの古市彩音が負傷離脱していた群馬銀行グリーンウイングス(現群馬グリーンウイングス)に入団。
新名 智(にいな さとし、1992年4月29日 -)は、日本… 新名 智(にいな さとし、1992年4月29日 -)は、日本の小説家。 長野県上伊那郡辰野町出身。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。会社員のかたわら、小説の執筆を開始する。2021年、『虚魚』でKADOKAWAが主催する第41回横溝正史ミステリ&ホラー大賞大賞を受賞する。同年、同作を刊行、小説家デビューを果たす。 小学生の頃には、『ズッコケ三人組』、『かいけつゾロリ』などを読んでいて、友人と漫画を描いていた。本格的にミステリを読むようになったのは中学生からで、テレビの怪談番組や怪談ライブが好きだった。 長野県諏訪清陵高等学校在学中には、図書館に講談社文庫のミステリがたくさんあり、それを端から読んでいた。
今井 沙緒里(いまい さおり、1990年8月22日 - )は… 今井 沙緒里(いまい さおり、1990年8月22日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は短距離。長野県上伊那郡辰野町出身。 至学館高等学校から至学館大学を卒業後、鈴波を経て一時は競技を離れたが故郷である長野県に戻り飯田病院に勤務しながら競技を続けていた。 小学4年生から陸上競技を始め、2005年に開催された晴れの国おかやま国体の4×100mリレーに参加。2008年、インターハイの200mで優勝。 2009年、日本インカレの200mで優勝。 2010年、日本インカレの100m、200mで3位、日本選手権の200mで3位。 2011年、日本選手権の200mで3位、アジア選手権の200mで3位、アジア選手権、世界陸上大邱大会の4×100mリレーに日本代表のアンカーとして出場、アジア選手権は優勝。
小澤 瑶生(おざわ たまお、1985年5月16日 - )は、… 小澤 瑶生(おざわ たまお、1985年5月16日 - )は、日本の元プロボクサー。現姓:岸本(きしもと)。元WBO女子世界スーパーフライ級王者。元OPBF女子東洋太平洋スーパーフライ級王者。フュチュール所属。 長野県上伊那郡辰野町出身。小学校ではバレーボール選手、中学から大学まではバスケットボール選手だった。佐久長聖高校でウィンターカップ、拓殖大学でインカレベスト4、オールジャパンを経験。大学の同期に天津希、林田明佳、春日流いら。 卒業後は実業団入りを断念し、ニュージーランド留学した後、京都大学に進学した弟を心配する両親に頼まれて京都に移住、2010年に偶然通りかかったフュチュールに入門してエクササイズ目的でボクシングを始める。
東野 佑美(ひがしの ゆみ、1980年6月1日 - )は、日… 東野 佑美(ひがしの ゆみ、1980年6月1日 - )は、日本の女優、歌手。本名同じ。血液型はO型。 長野県上伊那郡辰野町出身。伊那弥生ケ丘高等学校を経て長野西高等学校卒。武蔵大学卒。 1999年『セブンティーンアイス(江崎グリコ)』CMに出演。芸能界デビューをする。テレビドラマ『魔女の条件』(TBS系列、1999年4月放送)に、主人公の同級生役として出演。2004年『まかせてイルか!』で声優として参加をしている。2011年現在、タレントとしての活動はしていない。 2000年7月nico として歌手デビューをする。飛び跳ねながら踊る独特の振り付けからジャンピングユニットとして紹介をされた。デビュー曲は『真夏でシュ』。
外ノ池 亜希(とのいけ あき、1979年3月3日 - )は、… 外ノ池 亜希(とのいけ あき、1979年3月3日 - )は、長野県上伊那郡辰野町出身のスピードスケート選手である。所属はアルピコ→ストロングスアスリートクラブ。父はコーチでもある外ノ池信平。 東海大学付属第三高等学校在学時1996年アジア冬季競技大会に出場、1000mと1500mで銀メダルを獲得した。18歳で1998年長野オリンピック出場、1500mで16位となった。以降2002年ソルトレークシティオリンピック、2006年トリノオリンピックと3大会連続出場。ソルトレイクシティでは女子1000メートルにて1分14秒64の日本記録で7位に入賞。 2006年現役引退を表明。その後江連忠ゴルフアカデミーに入門、「チーム・江連」の一員となり、プロゴルファーを目指し修行を積んでいる。
馬島 誠(まじま まこと、1971年8月24日 - )は、… 馬島 誠(まじま まこと、1971年8月24日 - )は、日本のパラアイスホッケー選手、パラ・パワーリフティング選手。2010年バンクーバーパラリンピックアイススレッジホッケー銀メダリスト。長野県生まれ。 上伊那郡辰野町出身。辰野西小学校、辰野中学校、長野県伊那北高等学校、1997年に駒澤大学法学部卒業。 幼少から剣道や杖道など武道に励む。大学3年生のときアルバイト先での測量作業中、6万6000ボルトの特別高圧の送電線に接触する事故に遭い、下半身に障がいを負い、車いす生活となる。一命は取り留めたものの2~3週間意識が戻らず、3回の植皮手術とリハビリで丸1年入院した。 大学卒業後、長野県内の企業セイコーエプソンに就職。
小山 康昭(こやま やすあき、1951年4月29日 - )は… 小山 康昭(こやま やすあき、1951年4月29日 - )は、琉球放送元アナウンサー。現在フリー。 長野県上伊那郡辰野町出身。明治大学卒業後、1974年琉球放送に入社。アナウンス室長を経て、2011年4月に定年。 後に、キャリアスタッフとして番組など担当。2016年4月で契約期間が満了となり、現在、フリーアナウンサーとして活動している。 但し書きのないものはRBCiラジオ この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。 Category:琉球放送のアナウンサーを参照
飯澤 文夫(いいざわ ふみお、1949年 - )は、日本の図… 飯澤 文夫(いいざわ ふみお、1949年 - )は、日本の図書館情報学者。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、中央大学経済学部卒業。明治大学図書館事務長を経て、同大学史資料センター研究調査員。帝京大学総合教育センター非常勤講師。
清水 訓夫(しみず くにお、1947年 - )は、日本の外交… 清水 訓夫(しみず くにお、1947年 - )は、日本の外交官。駐アルジェリア特命全権大使を経て、防衛大学校教授を務めた。 長野県上伊那郡辰野町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校在学中AFSで1年間イリノイ州に留学。1971年一橋大学法学部卒業後、外務省に入省。1972年から1974年までフランスに留学。駐アルジェリア公使、アジア福祉教育財団難民事業部長などを経て、1998年在ストラスブール総領事、2001年在ニカラグア大使、2003年国際労働財団常任理事、2005年から2009年まで在アルジェリア大使を務めた。2009年から2014年まで防衛大学校防衛学教育学群安全保障・危機管理教育センター教授。
飯島 勲(いいじま いさお、1945年〈昭和20年〉10月1… 飯島 勲(いいじま いさお、1945年〈昭和20年〉10月13日 - )は、日本の議員秘書、国家公務員。内閣官房参与。 内閣総理大臣秘書官(政務担当)、厚生大臣秘書官、郵政大臣秘書官、衆議院議員公設秘書、自由民主党秘書会副会長などを歴任した。 2013年(平成25年)には、阿部守一長野県知事より長野県県政参与を委嘱された。 駒沢女子大学人文学部客員教授(2007年〜2011年)、学校法人松本歯科大学常務理事、松本歯科大学歯学部特任教授。 小泉純一郎の初当選時から議員秘書、小泉の内閣総理大臣在任中は内閣総理大臣秘書官を務めた。表彰歴には永年秘書衆議院議長表彰、永年公務員内閣総理大臣表彰などがある。
瀬戸 剛(せと ごう、1945年1月3日 - 2020年7月… 瀬戸 剛(せと ごう、1945年1月3日 - 2020年7月15日)は、日本の彫刻家。本名の読みは「せと つよし」。長野県上伊那郡辰野町出身。父である瀬戸團治も彫刻家で、剛はその4男である。
三浦 久(みうら ひさし、1945年 - )は、日本の男性フ… 三浦 久(みうら ひさし、1945年 - )は、日本の男性フォークシンガー、翻訳家。ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン、レナード・コーエンの歌詞対訳、評論・研究書の翻訳などでも知られる。 千葉県生まれ、長野県上伊那郡辰野町育ち。長野県諏訪清陵高等学校卒業、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)卒業(宗教学)、京都大学大学院修士課程修了(仏教学)。 1963年から翌年にかけてAFS (交換留学)により米国カリフォルニア州の高校に留学し、ボブ・ディランなどのフォークソングを聴き、歌い始める。ICU国際基督教大学を中退し、1966年から再渡米しUCSBに留学。1969年に帰国後、京都でフォークシンガーとしての活動を始め、『私は風の声を聞いた』など4枚のアルバムをリリース。
瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)… 瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)は、日本の実業家、ジャーナリスト。信濃毎日新聞社専務取締役、長野放送副社長を歴任。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東北大学文学部卒業。信濃毎日新聞社入社。同社松本本社代表、同社常務取締役、同社専務取締役、同社監査役を経て、長野放送副社長。長野県バレーボール協会会長。
野沢 太三(のざわ だいぞう、1933年〈昭和9年〉5月6日… 野沢 太三(のざわ だいぞう、1933年〈昭和9年〉5月6日 - 2024年〈令和6年〉12月12日)は、日本の技術士、工学博士、政治家。元参議院議員(3期)、元法務大臣(第72・73代)。「沢」の戸籍上の記載は「澤」。日韓トンネル研究会会長。 長野県上伊那郡辰野町出身。東京大学工学部土木工学科を卒業後、日本国有鉄道に入社し、大阪鉄道管理局施設部長、長野鉄道管理局長、本社施設局長を歴任。一貫して技術畑を歩む。 1986年、第14回参議院議員通常選挙に比例区から自由民主党公認で出馬し、初当選。当選後、北海道開発政務次官を出発点に、参議院では外務委員長、決算委員長を歴任。2002年10月18日、参議院憲法調査会会長に就任。
小林 彌六(こばやし やろく、1933年 - )は、日本の経… 小林 彌六(こばやし やろく、1933年 - )は、日本の経済学者。筑波大学名誉教授。専門は、現代資本主義論、現代社会主義論、新従属理論。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1956年東京大学経済学部卒業、1961年同大学大学院経済学研究科修了。1966年東京教育大学(現・筑波大学)非常勤講師。1969年立正大学経済学部教授、法政大学経済学部非常勤講師。1974年筑波大学社会科学系助教授を経て、同大学教授。退官後、同大学名誉教授、明海大学経済学部教授、国際地球環境大学客員教授、和光大学講師。
岩崎 宏(いわさき ひろし、1924年9月24日 - 201… 岩崎 宏(いわさき ひろし、1924年9月24日 - 2018年6月4日)は、日本の実業家。東洋ラジエーター(現・ティラド)代表取締役社長を務めた。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京大学法学部卒業。第一勧業銀行(現・みずほ銀行)取締役を経て、東洋ラジエーター(現・ティラド)代表取締役社長。2018年6月4日、老衰のため死去。
宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 19… 宇治 達郎(うじ たつろう、1919年11月25日 - 1980年11月27日)は、日本の医師。胃カメラの開発者の1人。 長野県上伊那郡小野村(現在の辰野町小野)出身。その後、埼玉県の大宮に移り、浦和中学、浦和高校、東京帝国大学医学部に進学し、1943年に卒業した。 卒業後、東京大学附属病院分院の外科に勤務が決まっていたが、軍医候補生として召集され中国に従軍した(第58師団司令部に所属した)。1946年に復員し、外科副手となった。1948年に林田健男助教授のもとで胃カメラの開発に着手し、オリンパス光学工業の技師であった杉浦睦夫と深海正治と共同で1950年に胃カメラを世界で初めて完成させた。1950年に医学博士を取得した。
瀬戸 團治(せと だんじ、1905年9月13日 - 1991… 瀬戸 團治(せと だんじ、1905年9月13日 - 1991年7月1日)は、日本の彫刻家。 長野県上伊那郡朝日村(後の辰野町の一部)に生まれる。伊北農商学校(後の長野県辰野高等学校の前身)を卒業後、地元で酒屋へ奉公に出たが程なくして辞め、1924年に上京し、鶴田吾郎や中川紀元、曽宮一念の下で画家を目指したが、1929年に小学校教員となるため帰郷し、郷里の小学校の教員として11年間勤めた。 この頃から斎藤素巌の下で、彫刻にを学び、1936年から日展に出品を始め、毎年出品し続けた。1933年、構造社展で初入選し、第二次世界大戦後には1949年から1951年にかけて、日展で3回連続特選となり、後には日展の審査員、評議員などを歴任した。
小沢 兵輔(おざわ ひょうすけ、1904年〈明治37年〉 -… 小沢 兵輔(おざわ ひょうすけ、1904年〈明治37年〉 - 1984年〈昭和59年〉)は、昭和時代の鉄道実業家。 長野県上伊那郡小野村(現・辰野町小野)に生まれる。松本教育実業学校を卒業し、三菱日東生糸に入社し、横浜日東製糸原料部次長となる。兵役を経て、1947年(昭和22年)郷里に丸善石灰を創業。ついで塩尻陸運常務、信州急送社長を経て、名鉄運輸の提案を受け、1962年(昭和37年)信州急送と南信定期を名鉄運輸に合併して信州名鉄運輸を創立し、同社社長に就任した。ほか、信州名鉄タクシー社長を兼務し、1976年(昭和51年)信州名鉄運輸の会長に就任した。この間、日本トラック協会理事、長野県トラック協会長を務めた。
松井 芒人(まつい ぼうじん、本名: 源衛、1895年1月2… 松井 芒人(まつい ぼうじん、本名: 源衛、1895年1月25日 - 1980年12月27日)は、日本の歌人、教育者である。 長野県上伊那郡伊那富村(現辰野町羽場)生まれ。長野県立諏訪中学校を経て、1914年長野県師範学校(現・信州大学)を卒業。上伊那郡七久保小学校を振り出しに県内各地で教職に携わる。高遠国民学校、高遠拓殖青年学校、高遠実科高等女学校の校長を歴任。 1917年、「アララギ」入会。島木赤彦、土屋文明、土田耕平と相識り、歌は「アララギ」一筋によりながら、1947年には歌誌「流域」を主宰して、上伊那地域の人々の短歌指導にあたった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大森光彦(おおもりみつひこ、1892年〈明治25年〉6月13… 大森光彦(おおもりみつひこ、1892年〈明治25年〉6月13日 - 1954年〈昭和29年〉5月19日)は、日本の陶芸家。長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)出身。愛知県立瀬戸窯業学校(現愛知県立瀬戸窯業高等学校)卒業。 長野県庁に勤務する傍ら善光寺焼を手伝う。上京し川崎市で働いた後、1924年(大正13年)東京府中野町に東野窯を開き陶磁器制作に専念し、松屋銀座や日本橋白木屋で個展を開く。1933年からは日本美術協会の審査員。その後東京工芸学校の講師を務め、興亜院、大東亜省、文部省の委嘱で中国大陸に渡った。 真紅の鶏血釉や青磁に傾倒した。 弟子に辻輝子などがいる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
中川 紀元(なかがわ きげん、1892年〈明治25年〉2月1… 中川 紀元(なかがわ きげん、1892年〈明治25年〉2月11日 - 1972年〈昭和47年〉2月9日)は、長野県上伊那郡辰野町出身の洋画家である。旧姓は有賀、本名は紀元次。 長野県上伊那郡朝日村(現辰野町樋口)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科入学。中退後、太平洋画会研究所、本郷絵画研究所へ通い洋画に転向、藤島武二にデッサンの指導を受け、また、二科会の重鎮であった石井柏亭や正宗得三郎にも師事。1907年(明治40年)から1914年(大正3年)まで玉川尋常小学校の図画工作の講師をしており、当時の校長は島木赤彦が勤めていた。教え子には堀内唯生がいた。
小野 光景(おの みつかげ、弘化2年3月15日〈1845年4… 小野 光景(おの みつかげ、弘化2年3月15日〈1845年4月21日〉 - 大正8年〈1919年〉9月18日)は近代日本の実業家、政治家。幼名、彦太郎。 信濃国伊那郡小野村(天領、現長野県上伊那郡辰野町)の名家、小野兵右衛門光賢の子として生まれ、高遠藩の藩校・進徳館で学ぶ。明治15年(1882年)、横浜商業高校の前身にあたる横浜商法学校を創立。翌16年(1883年)、絹糸輸出商社の小野商店を創業。その後横浜正金銀行(東京銀行の前身)頭取、横浜商工会議所会頭などを歴任。郷里の小野で小野駅の開設や、私財を投じての学校、図書館、病院等の建設に貢献した。 1910年(明治43年)神奈川県多額納税者として補欠選挙で貴族院多額納税者議員に互選され、同年2月7日に就任し1918年(大正7年)9月28日まで在任した。
臼田 孝(うすだ たかし - )は、日本の機械工学者である。… 臼田 孝(うすだ たかし - )は、日本の機械工学者である。工学博士。産業技術総合研究所計量標準総合センターのセンター長。国際度量衡委員会の委員であり、キログラムの定義改正に参画した。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1987年3月、東京工業大学大学院総合理工学研究科修士課程修了。新日本製鐵(現・日本製鉄)勤務を経て、1990年4月、通商産業省工業技術院計量研究所(現在の産業技術総合研究所)に入所。1998年から1999年までドイツ物理工学研究所(英語版)で招聘研究員を務め、2000年から2001年までフランス国立科学研究センターで招聘研究員を務めた。現在は振動計測や物理センサの校正技術等に従事している。
野澤 和行(のざわ かずゆき)は、日本の国土交通官僚。国土交… 野澤 和行(のざわ かずゆき)は、日本の国土交通官僚。国土交通政策研究所総括主任研究官、国土交通省近畿運輸局長等を経て、日本旅客船協会理事長。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、一橋大学法学部卒業。1988年運輸省入省(海上技術安全局労政課)。1991年運輸省航空局飛行場部環境整備課企画係長。1992年運輸省海上技術安全局総務課企画係長。1993年運輸省新潟運輸局企画部地域交通企画課長。1994年運輸省運輸政策局環境・海洋課専門官。1995年運輸省運輸政策局環境・海洋課補佐官。同年海上保安庁警備救難部警備第一課補佐官。 1997年運輸省海上交通局国内貨物課補佐官。1999年運輸省鉄道局幹線鉄道課補佐官。
渡邊 嘉一(わたなべ かいち、1858年3月22日〈安政5年… 渡邊 嘉一(わたなべ かいち、1858年3月22日〈安政5年2月8日 - 1932年12月4日〉は、日本の土木技術者・実業家。日本土木史の父と呼ばれる。旧姓、宇治橋。 信濃国上伊那郡平出村(後の朝日村、現・辰野町)にて、宇治橋瀬八の次男として生まれる。開智学校を経て、1877年に上京し、工部大学校(現・東京大学工学部)予科を経て、同校土木科に官費入学。在学中、24歳の時、大鳥圭介に才能を買われ、1882年、大鳥の仲介により海軍機関総督横須賀造船所長渡邊忻三の長女の婿養子となる。 1883年、同校を首席で卒業後、工部省に技師として入省し鉄道局に勤務。1884年、退官して英国グラスゴー大学に留学し土木工学を専攻、1886年に工学士の学位を取って卒業。