原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012… 原 亨吉(はら こうきち、1918年6月21日 - 2012年3月20日)は、日本の数学史家、フランス文学者、翻訳家。大阪大学名誉教授。 フランス科学思想史、近世ヨーロッパ数学史を専攻し、ルネ・デカルト、ケプラー、ホイヘンス、ロベルヴァル、ライプニッツを軸に研究論文・翻訳を行い、フランス語教育にも長くたずさわった。若き日はスタンダール、アラン、ヴァレリーらの翻訳も行った。 京都市出身。姫路市に育つ。第一高等学校理科乙類を経て、1938年京都帝国大学哲学科入学、1940年退学し1942年東京帝国大学仏文科卒業。1942年入営し少尉で敗戦、1945年8月20日中尉(いわゆるポツダム中尉)で除隊、1947年同志社女子専門学校教授、1949年関東学院大学経済学部助教授。
秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2… 秋山 光和(あきやま てるかず、1918年5月17日 - 2009年3月10日)は、日本の美術史学者。日本美術史専攻。東京大学名誉教授、東京文化財研究所名誉研究員。 1918年、京都市下京区(現、東山区)で父・秋山光夫と母・花枝の長男として生まれた。父の秋山光夫が宮内省図書寮に職を得たことから家族とともに東京に移り、幼少期を過ごした。やがて私立暁星小学校に入学。母方の祖父は元ベルギー公使で、幼いころから祖父母にフランス語を教わっていた。 1931年、旧制東京高等学校尋常科に進み、同高等科文科丙類(仏語専修)を卒業。一時は外交官を志した。1938年4月、東京帝国大学文学部美術史学科に入学し、1941年に卒業。
堀 太郎(ほり たろう、1917年 <大正6年> 12月25… 堀 太郎(ほり たろう、1917年 <大正6年> 12月25日 - 1995年 <平成7年> 11月17日 )は、日本の経営者、銀行家。十八銀行頭取を務めた。位階は従四位。 京都府京都市出身。1943年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1968年7月に経済企画庁審議官、1970年7月に本州四国連絡橋公団理事、1973年6月に世界銀行日本代表理事兼大蔵省顧問兼外務省参与を経て、1976年12月に十八銀行に転じ、副頭取に就任し、1983年10月には頭取に昇格した。1990年2月には会長に就任。 1988年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1995年11月17日、心不全のために死去。
壷井 宇乃子(つぼい うのこ、1917年(大正6年)12月1… 壷井 宇乃子(つぼい うのこ、1917年(大正6年)12月13日 - 1940年(昭和15年)11月4日)は、昭和時代の競泳選手。専門は平泳ぎ。 京都府京都市出身。幼少時代は心臓が悪く、医師から「激しい運動をさせていけない」と言われていた子だったという。このため宇乃子の両親は娘が水泳をすることを快く思わなかったという。宇乃子自身は「水泳を始めたおかげで五尺三寸の体躯となり、精神力が強くなった」ことを後に語っている。 学童時代に大日本武徳会遊泳部(京都武徳会、現在の京都踏水会スイミングクラブ)に入り、本格的に競泳に取り組む。京都武徳会所属で京都府立京都第一高等女学校(現在の京都府立鴨沂高等学校)時代の1934年(昭和9年)の全日本選手権水上競技大会女子200m平泳ぎにて優勝した前畑秀子(椙山女学園)に次いで2位に入賞している。
喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月… 喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月24日 - 没年不明)は日本の大蔵官僚、実業家。国税庁元次長。万有製薬(現:MSD、メルク・アンド・カンパニーの日本法人)元専務取締役。東京都世田谷区在籍。長男は弁護士(ミネルバ法律事務所所属)の喜田村洋一。 京都府京都市出身。喜田村眼科病院院長を務めた喜田村朔治の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1939年(昭和14年)高等試験行政科に合格。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、大蔵省に入る。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入学し、海軍主計中尉に任官。1941年(昭和16年)1月、経理学校を卒業し山城に配属。
阪倉 篤義(さかくら あつよし、1917年5月23日 - 1… 阪倉 篤義(さかくら あつよし、1917年5月23日 - 1994年10月22日)は、日本の国文学者・国語学者。文学博士(京都大学・論文博士・1962年)。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。父は漢学者の阪倉篤太郎。 1941年京都帝国大学文学部国文科卒業。1943年入隊、長沙市にて終戦を迎える。1946年6月に復員、11月に中村憲吉の三女始子と結婚。 1949年京都大学教養部助教授、1962年「語構成の研究」で京大より文学博士の学位を取得。1963年教授、1981年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 1991年秋、勲三等旭日中綬章受章。 1994年脳動脈瘤破裂、心機能低下により京都市西京区の病院で死去。
横田 みさを(よこた みさお、1917年2月3日 - 200… 横田 みさを(よこた みさお、1917年2月3日 - 2003年6月13日)は、日本の水泳選手、女優。同志社高等女学校在学中に女子100m背泳ぎの日本記録を更新し、1932年ロサンゼルスオリンピックに15歳で出場した。その後は芸能界に転身し、松竹歌劇団と宝塚歌劇団に入団、さらに映画女優となった。夫は作曲家の竹岡信幸。 京都市出身。同志社高等女学校(現在の同志社女子中学校・高等学校)に学ぶ。横田在学中の同志社高女は、団体優勝を重ねる水泳の強豪校であった。もっとも学校にはプールがなかったため、スイミングクラブである大日本武徳会遊泳部(のちの京都踏水会)に属し、夷川ダム(琵琶湖疏水)で練習を重ねていたという。
池 真理子(いけ まりこ、1917年1月2日 - 2000年… 池 真理子(いけ まりこ、1917年1月2日 - 2000年5月30日)は、ジャズ・ラテン・フォルクローレの歌手。京都府生まれ。宝塚音楽学校卒業。愛称は「アイク」。なお、サインや後年のテレビ出演のテロップでは池眞理子となっている。宝塚歌劇団24期生。宝塚歌劇団在団時の芸名は三日月美夜子である。 1917年(大正6年)1月2日、京都の万寿寺生まれだが、実家は僧ではなく、父親はその婿養子で京都帝国大学の学生だった。生後6か月で父が結核で亡くなり、母は女学校教員となったため、祖父母の手で養育された。 平安女学院に入学したが、友達の家出に付き合ったことから祖父の怒りを買い、京都高等女学校に転校させられる。
小野 春男(おの はるお、1917年 - 1943年12月2… 小野 春男(おの はるお、1917年 - 1943年12月2日)は、京都市出身の日本画家。日本画家小野竹喬の長男。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
堀川 弘通 (ほりかわ ひろみち、1916年〈大正5年〉12… 堀川 弘通 (ほりかわ ひろみち、1916年〈大正5年〉12月28日 - 2012年〈平成24年〉9月5日)は、日本の映画監督。成城大学名誉教授の堀川直義は兄。 京都府京都市出身。東京市立一中(現:九段高校)、成城高等学校(現:成城大学)を経て、1940年、東京帝国大学文学部卒業。同年、東宝撮影所製作部に演出助手係として入社。最初に山本嘉次郎の『馬』の盛岡ロケから助監督として参加し、この時にチーフ助監督だった黒澤明と仲良くなり、仕事を終えるといつも2人で飲みに回ったという。入社1年後にオーバーワークがたたって肺を病み、1年半休職する。復帰後はすでに監督になった黒澤の作品に就き、『一番美しく』『続姿三四郎』に参加、1945年に軍隊に召集されるが、敗戦となり10月に復員して東宝に戻る。
堀 昌雄(ほり まさお、1916年12月7日 - 1997年… 堀 昌雄(ほり まさお、1916年12月7日 - 1997年8月29日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員。 京都府京都市出身。旧制高知高等学校を経て大阪帝国大学医学部を卒業し、太平洋戦争では海軍軍医として作戦に参加した。戦後に、1942年2月のシンガポール華僑粛清事件について国会で発言している。日本医師連盟公認での衆院選出馬、落選を経て、1958年、第28回衆議院議員総選挙に旧兵庫2区から出馬して初当選し、以後11回当選した。社会党内では右派の系譜に属し、武藤山治、佐藤観樹と「堀グループ」を形成した。 西欧の社会民主主義を手本に、教条的なマルクス・レーニン主義からの変節を求めた。また、衆議院大蔵委員会の委員を長く務め、社会党きっての財政通として知られた。
牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002… 牧田 茂(まきた しげる、1916年7月25日 - 2002年3月22日)は、日本の民俗学者。 京都府京都市出身。別名=茅原茂(チハラ)。1940年國學院大學文学部国文科卒、朝日新聞社に入社。東京社会部次長、「週刊朝日」編集長、東京企画部長などを経て、1971年退社後、社友となる。1976年日本大学講師、1977年白梅学園短期大学教授を務めた。旧制京都二中時代に柳田國男に出した手紙が縁で門下生になる。1940年閑院宮賞。1947年日本民俗学会設立に参加。柳田民俗学の後継者として民俗学を中心に多くの著作がある。
辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月2… 辻 辰三郎(つじ たつさぶろう、1916年(大正5年)7月23日 - 2004年(平成16年)8月28日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。京都市出身。位階は正三位。 1947年(昭和22年)検事任官。法務大臣官房長、刑事局長、最高検刑事部長等を経て、1976年(昭和51年)に次長検事。1978年(昭和53年)東京高検検事長、1979年(昭和54年)に検事総長に就任。 1981年(昭和56年)に定年退官後、弁護士登録し法制審議会委員等を務めた。1988年(昭和63年)の秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章。死後、正三位に叙された。
長瀬 誠造(ながせ せいぞう、1916年5月1日 - 198… 長瀬 誠造(ながせ せいぞう、1916年5月1日 - 1982年1月6日)は、日本の経営者。長瀬産業社長を務めた。 ロンドンで出生し、京都府京都市出身。1938年に長瀬産業監査役に就任し、1943年に立命館大学法学部法文学科を卒業。 1945年に取締役に就任し、1947年に常務、1951年に専務、1962年に副社長を経て、1968年5月に社長に就任。 1982年1月6日心不全のために死去。65歳没。
鈴木 博章(すずき ひろあき、1916年4月15日 - 19… 鈴木 博章(すずき ひろあき、1916年4月15日 - 1976年9月16日)は、日本の実業家。神戸製鋼所社長を務めた。 京都府京都市出身。1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、神戸製鋼所に入社した。総務部長、取締役、常務、専務を経て、1974年5月から副社長を務め、同年11月社長に就任した。 しかし、1976年9月16日在任中に急性心不全により死去。60歳没。
仲野 良俊(なかの りょうしゅん、1916年 - 1988年… 仲野 良俊(なかの りょうしゅん、1916年 - 1988年1月6日)は、日本の浄土真宗僧侶・仏教学者。 京都府京都市生まれ。1939年大谷大学文学部卒業。 同大学講師、1942年ビルマで日本語学校の教師となる。1956年真宗大谷派教化研究所所員。1966年教学研究所副所長就任。北海道教学研究所所長、1981年教学研修所所長。京都・真宗大谷派専念寺住職。
伊藤 一郎(いとう いちろう、1915年6月15日 - 19… 伊藤 一郎(いとう いちろう、1915年6月15日 - 1991年5月6日)は、日本の工学者。京都大学名誉教授。京都市出身。資源工学の第一人者として活躍した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
菅 泰男(すが やすお、1915年4月26日 - 2007年… 菅 泰男(すが やすお、1915年4月26日 - 2007年6月5日)は、日本の英米文学者。シェイクスピア文学等が専門。 京都市出身。1939年京都帝国大学文学部英文科を卒業し、同大学院に進学。京都女子大学講師、1949年8月京都大学吉田分校助教授を経て、1953年5月京都大学文学部助教授、1961年7月教授に昇任、1962年「シェイクスピアの劇場と舞台」で京都大学文学博士。1979年定年退官、名誉教授、甲南女子大学文学部教授、明星大学人文学部教授、大阪府立国際児童文学館館長・理事長を務めた。また、アメリカ学会会長、日本演劇学会副会長、日本英文学会理事等を歴任。それらの功績により、1991年勲三等旭日中綬章、1994年大阪文化賞を受賞、1998年には京都市文化功労者に選ばれた。
佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 … 佐藤 功(さとう いさお、1915年(大正4年)3月29日 - 2006年(平成18年)6月17日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1958年)。上智大学名誉教授。文化功労者。また、内閣法制局参事官として日本国憲法の制定作業に携わった。主著『日本国憲法概説』(学陽書房刊)は版を重ねている。京都府京都市出身。宮沢俊義門下。弟子に粕谷友介、向井久了、高野敏樹、吉川和宏、矢島基美、藤本富一、松田聰子、玉巻弘光、前田徹生など。 京都府京都市に生まれる。1931年(昭和6年)4月1日:第二高等学校文科乙類入学。1934年(昭和9年)3月31日:第二高等学校文科乙類卒業。
西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - … 西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。サクラクレパス社長。西村治兵衛の孫。娘の結婚で皇室と縁続きとなった。 京都府京都市出身。祖父は西村治兵衛、父は1937年にサクラクレパス社長に就任した西村斎次郎。 1939年に神戸商業大学を卒業。大阪ガスでの勤務を経て、1940年8月にサクラクレパス社長に就任した。 1974年10月に藍綬褒章を受章した。 1982年8月29日、肝硬変のために死去。67歳没。
若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4… 若松 紀志子(わかまつ きしこ、1915年 - 2012年4月23日)は、日本のピアニスト。2010年現在95歳を迎えた時点でも、ピアノ指導に従事。教え子の数は1000人を超える。指揮者小林研一郎を見出した。アザミ会・アートスペースエリコーナ主宰。夫は画家の若松光一郎。
猪木 正道(いのき まさみち、1914年(大正3年)11月5… 猪木 正道(いのき まさみち、1914年(大正3年)11月5日 - 2012年(平成24年)11月5日)は、日本の政治学者。京都大学名誉教授。第3代防衛大学校校長、財団法人平和・安全保障研究所顧問を歴任。「日本政治学界の大御所的存在で、安全保障問題の論客」として知られた。専門は、政治思想。学位は、法学博士(京都大学・1962年)。 1914年、京都府京都市で生まれた。6歳から16歳までを三重県上野(現在の伊賀市)で過ごした。1931年に旧制三重県立上野中学校を卒業し、旧制第三高等学校文科乙類に進学。1934年に同校を卒業。 東京帝国大学経済学部に進学し、在学中は河合栄治郎の演習に参加。自由主義と社会主義の双方に立脚した自らの思想を育んでいった。
上林 吾郎(かんばやし ごろう、1914年7月30日 - 2… 上林 吾郎(かんばやし ごろう、1914年7月30日 - 2001年6月21日)は、日本の経営者。文藝春秋社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1939年に早稲田大学文学部国文科を卒業し、同年に文藝春秋新社に入社。 出版部長、「文学界」・「オール讀物」・「週刊文春」・「文藝春秋」各編集長を経て、1961年に取締役に就任し、専務、副社長を経て、1984年6月に社長に就任。1988年5月には会長に就任。 2001年6月21日、肺炎のために死去。86歳没。
土倉 麻(どぐら あさ、1914年6月11日 - 2008年… 土倉 麻(どぐら あさ、1914年6月11日 - 2008年4月20日)は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走で出場。 同じロサンゼルスオリンピック参加者の田島直人と結婚し、田島姓となった。日本のオリンピック選手同士の結婚の第一号である。 京都市出身。祖父は「大和の山林王」と謳われた土倉庄三郎で、庄三郎の長男・鶴松の娘が麻である。 京都府立京都第一高等女学校高等科(現在の京都府立鴨沂高等学校)在学中、1932年ロサンゼルスオリンピックに女子100メートル競走および400メートルリレー走に出場。前者は予選落ちしたが、後者で日本チーム(他に中西みち・村岡美枝・渡辺すみ子)は5位に入賞した。
上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年… 上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年9月17日)は、日本の官僚、政治家及び技術士(建設部門)。京都府京都市出身。自由民主党参議院議員(4期)。京都帝国大学工学部卒業。1986年、勲一等瑞宝章受章。従三位。
浅野 喜市(あさの きいち、1914年3月8日 - 1993… 浅野 喜市(あさの きいち、1914年3月8日 - 1993年4月3日)は、日本の写真家。京都府京都市下京区生まれ。1930年旧制四条商業学校卒業。33年東郷カメラで写真を始める。39年歩兵第9連隊に臨時召集、中支に転属。43年召集解除。49年高桑勝雄の指導で外国サロン出品。51年英国ロイヤル、パリ、ロンドン、シカゴサロン等に入選。53年国内の主要な写真コンテストで受賞。太平洋画会の会友に推挙される。89年京都市文化功労者。二科会写真部会員。(社)日本写真家協会会員。全日本写真連盟副会長。京都の町、古い風景などを撮影した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
日比野 丈夫(ひびの たけお、1914年(大正3年)3月4日… 日比野 丈夫(ひびの たけお、1914年(大正3年)3月4日 - 2007年(平成19年)7月2日)は、日本の東洋学者、歴史学者(歴史地理学)。京都市生まれ。祖先は高須藩(現在の岐阜県海津市)に代々仕えた漢学者の家柄。 京都一中、三高を経て、1936年京都帝国大学文学部史学科東洋史専攻卒業。1936年東方文化学院京都研究所嘱託、1942年東方文化研究所副研究員。この間、中国留学(39-41年)や出張(43年)によって、中国国内の遺跡の実地調査に当たる。 1948年京都大学人文科学研究所研究員。49年助手、51年講師、57年助教授、68年教授。59年「居庸関」(共同研究)により、日本学士院賞受賞。
渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 -… 渡辺 武(渡邊武、わたなべ たけし、1913年4月18日 - 2004年2月11日)は、日本の漢方薬・椿研究家。 京都市生まれ。1935年京都薬学専門学校(現京都薬科大学)卒業。1939年東京帝国大学医学部薬学科選科修了。在学中に湯本求真の紹介により荒木性次に師事。1941年武田薬品株式会社研究所入社。1947 - 62年厚生省日本薬局方制定委員会委員。宮内庁より正倉院薬物調査を委嘱され、1956年「正倉院薬物の研究」で京都大学薬学博士。67年武田薬品を定年退社。1976年薬局・薬店・薬剤師、薬種商の東洋医学及び漢方の食養の研鑽の場として草古堂薬室方技塾を発足、77年日中医薬研究会に改称(会長)。
西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 198… 西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、京都市出身の小説家、政治家。 京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)の中書島遊廓の貸座敷の家に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学文学部西洋哲学科卒業、1946年に日本共産党に入党するが、1950年のいわゆる「五十年問題」による党分裂の際、「除名」される。1955年には、日本共産党の統一・正常化と同時に党へ復帰。 この間に義母名義の娼家(第2次世界大戦後は「お茶屋」名目で営業)の片隅で自伝的小説『廓』を執筆。第一部を1956年に刊行。ベストセラーとなり、小説家として認められる。同作は第35回(昭和31年上期)直木賞候補となり、「『廓』より 無法一代」(1957年、監督滝沢英輔)として映画化された(第二部は同年末、第三部は1958年に刊行)。
榊 米一郎(さかき よねいちろう、1913年(大正2年)3月… 榊 米一郎(さかき よねいちろう、1913年(大正2年)3月5日 - 2014年(平成26年)2月20日)は、日本の電子工学者。名古屋大学名誉教授、豊橋技術科学大学名誉教授。位階は従三位。 京都府京都市出身。父はサンスクリット学者で京都帝国大学名誉教授の榊亮三郎。1932年旧制第一高等学校理科甲類卒業、1935年東京帝国大学工学部電気科卒業、沖電気勤務、1939年名古屋帝国大学嘱託となり、助教授、1951年「磁気測定法に関する研究」で名古屋大学工学博士。1952年名古屋大学工学部教授。1967年 - 1969年工学部長。1974年定年退官、名誉教授、豊田工業高等専門学校校長、1976年退官、名誉教授、豊橋技術科学大学初代学長となる。
和田 繁二郎(わだ しげじろう、1913年(大正2年)2月2… 和田 繁二郎(わだ しげじろう、1913年(大正2年)2月26日 - 1999年(平成11年)7月16日)は、日本近代文学研究者、歌人。 京都府京都市生まれ。立命館大学法文学部国文学科卒。立命館中学校教諭、立命館大学予科教授、1949年(昭和24年)立命館大学助教授、1956年(昭和31年)同大学教授。1976年「近代文学創成期の研究 リアリズムの生成」で立命館大文学博士。1979年退任、名誉教授、大谷女子大学教授。1983年退職。1985年、勲三等瑞宝章受章。1999年、肝臓癌のため死去。 歌誌『ポトナム』同人。筆名・周三。小泉苳三に師事。門下に上田博など。
森下 正明(もりした まさあき、1913年〈大正2年〉1月2… 森下 正明(もりした まさあき、1913年〈大正2年〉1月27日 - 1997年〈平成9年〉2月25日)は、日本の生態学者。京都大学名誉教授。日本における個体群生態学の建設者。理学博士(京都大学、1950年)。正四位。大阪市東区東雲町59番地(旧住所表示)生まれ。 今西錦司とともに京都学派を代表する動物生態学者であり、内田俊郎と共に個体群生態学の発展期に日本の動物個体群生態学を牽引した。ただし内田が室内実験的研究を得意としたのに対して、森下は主として統計学を駆使して野外研究のデータを数理解析する手法によっており、この分野で独創的な貢献をした。 教育者としても大きな足跡を残しており、教諭を務めた京都府立鴨沂高等学校で生物研究会の顧問として指導にあたった。
橋本 喜三(はしもと きぞう、1912年9月14日 - 没年… 橋本 喜三(はしもと きぞう、1912年9月14日 - 没年不明)は、美術評論家。 京都市生まれ。1936年早稲田大学文学部英文科卒。1940年朝日新聞社に入社。京都支局、大阪本社学芸部で美術記者。1946年京都美術懇話会を結成しのち理事。1967年定年退社。1970年池坊短期大学教授、1983年客員教授。1975-1983年朝日アートセンター館長。
藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 199… 藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 1995年2月11日)は、日本の歴史学者、部落問題研究家である。 京都府京都市出身。生家は真宗大谷派の即現寺。京都府立第二中学校卒業後、1934年に高知高等学校文科甲類、1937年京都帝国大学文学部史学科卒業。1938年、治安維持法違反で検挙。その後、生家の住職、また京都市史編纂に参加。 戦後、日本史研究会創設に参加。また1966年には部落問題研究所理事長兼所長に就任し、文化厚生会館問題によって奈良本辰也・林屋辰三郎・原田伴彦らが去った後の研究所再建に尽力。
大谷長(おおたに まさる、1911年 <明治44年> 10月… 大谷長(おおたに まさる、1911年 <明治44年> 10月19日-1999年 <平成11年> 12月1日)は、日本のキェルケゴール研究者。位階は正四位。 京都市出身。1936年東京帝国大学文学部哲学科卒、1940年京都帝国大学大学院修了。1962年「キエルケゴールに於ける授受の弁証法」で京都大学文学博士。大阪外国語大学助教授、61年教授(デンマーク語)。77年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授。1964年第一回田辺賞受賞。デンマーク・ダンネプロ・ナイト勲爵士。初期には西辺利仙の名で小説も書いた。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
海老池 俊治(えびいけ しゅんじ、1911年8月27日 - … 海老池 俊治(えびいけ しゅんじ、1911年8月27日 - 1968年7月3日)は、英文学者、翻訳家。 京都市生まれ。1931年東京帝国大学文学部美学美術史卒、34年同英文科卒。女学校教師などをしながら、英文学で斎藤勇に師事し、また横光利一に師事して創作も目指した。戦後1951年から68年まで一橋大学社会学部教授。
中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 199… 中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 1990年7月25日)は、日本の歴史学者。 京都市出身。1934年京都帝国大学文学部史学科卒。第三高等学校 (旧制)教授、名古屋大学文学部教授、大阪市立大学教授を務め、1974年定年退官、椙山女学園大学教授、愛知学院大学教授を務めた。歴史記述の方法論、西洋近代史を専門とした。
大久保 清子(おおくぼ きよこ、1911年1月30日 - 2… 大久保 清子(おおくぼ きよこ、1911年1月30日 - 2006年8月4日)は、日本の女優である。出生名笹井 朝子(ささい あさこ)、結婚後の本名は伊藤 朝子(いとう あさこ)。女優引退後は、伊藤大輔夫人として知られる。 1911年(明治44年)1月30日、京都府京都市上京区三条通千本(現在の同府同市中京区三条通千本)に生まれる。父は笹井幸二郎、伯父は千本組当主の笹井三左衛門、従兄に笹井末三郎がいる。旧制小学校(現在の京都市立朱雀第一小学校)、同市東山区の華頂高等女学校(現在の華頂女子高等学校)を卒業した。『芸能人物事典 明治大正昭和』等には「精華高等女学校」を卒業した旨の記述があるが、同校は現在の精華高等学校であり、当時は大阪市住吉区(現在の阿倍野区)晴明通に実在した学校であるが、誤りである。
吉田 義夫(よしだ よしお、1911年1月3日 - 1986… 吉田 義夫(よしだ よしお、1911年1月3日 - 1986年12月22日)は、1950年代から1980年代にかけて活躍した日本の俳優である。本名は同じ。 京都府京都市出身。京都市立絵画専門学校卒業。東映出身。プロモーション・プラスワンに所属していた。 京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で日本画を学び、卒業後は法隆寺昭和大修理の一環として行われた金堂壁画模写事業に壁画摸写技官として参加し、入江波光画伯の指導の下、第八号壁(文殊菩薩像)を主任として担当した。失火による壁画損傷で模写事業が中止されると下鴨中学や立命館高等学校の美術講師を務めた。そうした才能を活かしてか、役者転向後は自分の衣装を自分で考えていたという。
喜多野 徳俊(きたの のりたか、1910年〈明治43年〉11… 喜多野 徳俊(きたの のりたか、1910年〈明治43年〉11月12日 - 2005年〈平成17年〉7月30日)は、昭和〜平成期に活躍した医師、郷土史家。奈良地方の郷土史を記録する多くの著作や中世地誌の現代語訳を残した。京都府京都市出身。 1910年(明治43年)11月12日、父・竹澤徳蔵、母うめの五男、竹澤徳俊として生まれる。 1935年(昭和10年)、名古屋医科大学を外科学専攻にて卒業し、同年名古屋大学医学部助手としての勤務を始める。同年末、奈良市中筋町で病院を経営する喜多野義夫との養子縁組およびその長女、文子との縁談が持ち込まれる。医学者としての研究継続を望んでいた徳俊は逡巡したが、学位論文完成までは研究を続けること、その後は奈良で喜多野病院を継ぐが、家業の耳鼻咽喉科だけでなく、徳俊の専門であった外科の診療も行うことなどを条件に、縁談は進められることとなった。
友田 信(ともだ しん、1910年(明治43年)8月2日 -… 友田 信(ともだ しん、1910年(明治43年)8月2日 - 2000年(平成12年)5月16日)は、日本の経営者。文化放送、キングレコード、サンケイ・スワローズで社長を務めた。 京都府京都市出身。1936年に早稲田大学政治経済学部を卒業。第一紙業社社長、第一通信社社長を経て、1956年に文化放送専務に就任し、1968年には社長に昇格した。 その一方で、産業経済新聞社で取締役と専務を務め、キングレコードで代表取締役社長と会長を務めた。フジテレビジョン代表取締役、サンケイ・スワローズ球団社長も務めた。 1971年に藍綬褒章を受章し、1981年に勲二等瑞宝章を受章した。 2000年5月16日肺炎のために死去。
木村 武夫(きむら たけお、1910年4月3日 - 1986… 木村 武夫(きむら たけお、1910年4月3日 - 1986年12月29日)は、日本史学者、社会事業学者。栄照寺住職。 京都市生まれ。別名・武応。1933年京都帝国大学文学部国史学科卒。大阪経済大学助教授、教授、龍谷大学教授、神戸女子大学教授、種智院大学教授。
羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年… 羽田 明(はねだ あきら、1910年3月6日 - 1989年12月27日)は、日本の歴史学者。研究分野はアジア史。京都大学名誉教授。父は東洋史学者の羽田亨。東京大学名誉教授羽田正の伯父にあたる。 1910年、京都市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1934年に卒業した。1936年9月より2か年にわたりフランス政府招聘留学生としてパリ大学に留学する。 帰国翌年1939年1月より東亜研究所嘱託員となり、中央アジア近世史に着手する。1940年3月より母校である第三高等学校の講師となり、翌年に同校教授、1949年京都大学教養部教授となり、東洋史学を講じた。1962年に学位論文『中央アジア史研究(近世篇)』を京都大学に提出し、文学博士号を取得。
井垣 久次(いがき ひさじ、1910年 - 1996年)は、… 井垣 久次(いがき ひさじ、1910年 - 1996年)は、日本の経営者、元京王百貨店常務取締役。京都府京都市出身。官立旧制和歌山高等商業学校(現和歌山大学経済学部)卒業。 全国初の駅弁大会および元祖有名駅弁と全国うまいもの大会の企画発案者として知られる。
近藤 豊(こんどう ゆたか、1909年(明治42年)11月8… 近藤 豊(こんどう ゆたか、1909年(明治42年)11月8日 - 1994年(平成6年)5月24日)は、日本の建築学者。京都市生まれ。 古建築の研究者で、古建築の細部の意匠や文様を分類した。 中学生の時より京都帝大教授の天沼俊一に師事し、天沼とともに日本・朝鮮の古建築の多数の写真を撮影した。 1940年に京都大学大学院を卒業。京都大学工学部建築学教室嘱託を経て、滋賀県立短期大学建築科教授、大阪教育大学家政学部教授、摂南大学工学部建築科主任教授などを歴任。 一心寺本堂(大阪府大阪市)、明王院多宝塔(岡山県浅口市)など多数の建築の再建における設計監督も務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
天野 忠(あまの ただし、1909年6月18日 - 1993… 天野 忠(あまの ただし、1909年6月18日 - 1993年10月28日)は、日本の詩人。 京都府京都市出身。京都第一商業学校卒。職を転々としつつ詩を書き、1935年5月に山前実治、北川桃雄、田中忠雄らと同人誌「リアル」を創刊。1937年8月に「リアル」同人の一部が治安維持法違反で検挙され、その後は逼塞。戦後は出版社勤務、古書店経営等を経て、奈良女子大学付属図書館に職を得る。コルボウ詩話会、近江詩人会等を拠点に活動、1954年の「重たい手」で注目される。1974年の『天野忠詩集』で無限賞、1982年には『私有地』で読売文学賞、1986年には『続天野忠詩集』で毎日出版文化賞を受賞した。1993年10月28日、京都の自宅において多臓器不全のため死去。
出口 勇蔵(でぐち ゆうぞう、1909年1月23日 - 20… 出口 勇蔵(でぐち ゆうぞう、1909年1月23日 - 2003年4月2日)は、日本の経済学者。経済学博士(京都大学)。京都大学名誉教授。 京都市出身。1933年京都帝国大学経済学部卒。1938年京都大学経済学部助手、講師、助教授、1948年京都大学教授。1952年「経済学と歴史意識」で、経済学博士(京都大学)の学位を取得。1968年経済学史学会代表幹事。1972年定年退官、名誉教授、京都薬科大学教授、1984年名城大学教授。経済哲学・経済思想史を専攻した。
出雲路 敬和(いずもじ よしかず、1908年12月13日 -… 出雲路 敬和(いずもじ よしかず、1908年12月13日 - 1978年4月19日)は、神職、京都評論家。 京都市出身。出雲路信直の子孫。國學院大學文学部卒、立命館大学教授、成安女子短期大学学長。
上村 悦子(うえむら えつこ、1908年10月11日 - 1… 上村 悦子(うえむら えつこ、1908年10月11日 - 1999年2月12日)は、日本の国文学者。専門は王朝女流文学、特に『蜻蛉日記』。日本女子大学名誉教授。 京都市生まれ。1933年日本女子大学校大学本科文学科国文学部卒業。1943年日本女子大学校国文学部教員。1948年日本女子大学専任講師、1949年助教授、1958年教授。1964年「蜻蛉日記 校本・書入・諸本の研究」で名古屋大学文学博士。1977年日本女子大を定年退職、名誉教授、東洋女子短期大学教授、図書館長。1986年教授職を退職し、翌年東洋女子短期大学を退職。1982年勲四等宝冠章。没後、従五位を贈られた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
桝 嘉一(ます かいち、1908年3月8日 - 1981年1… 桝 嘉一(ます かいち、1908年3月8日 - 1981年12月18日[要出典])は、京都府京都市出身のプロ野球選手(外野手)・監督。 元はテニス選手で旧制同志社中学校、同志社高等商業学校を経て、明治大学に進む。東京六大学リーグ通算88試合出場、296打数70安打、打率.236、0本塁打、34打点。1936年に名古屋軍に入団。 1937年と1943年には監督 、1941年から1942年までは助監督も務めた(すべて選手兼任)。1944年は監督業を三宅大輔に譲って選手専任となるが、出場機会は無く、同年限りで現役引退。戦後、一時期審判員を務め、その後、社会人日本鋼管の野球部監督に就任(プロ野球人名事典1999)し、1981年12月18日、死去。