河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 20… 河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 2007年6月25日)は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・スカウト。
兵庫県 姫路市:268人
河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 20… 河西 俊雄(かわにし としお、1920年4月25日 - 2007年6月25日)は、兵庫県姫路市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)・コーチ・スカウト。
太田 新生(おおた あらお、1920年 - 2015年)は、… 太田 新生(おおた あらお、1920年 - 2015年)は、日本の外交官。ヒューストン総領事や、駐リビア特命全権大使を務めた。 兵庫県姫路市出身。1939年成蹊高等学校文科甲類卒業。1943年高等試験行政科試験合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒業。 太平洋戦争中は大日本帝国海軍で通信関係の仕事に従事していたが、南方への赴任の前に日本の降伏となり難を逃れた。海軍時代にのちに妹の夫となった縫田清二と友人となる。 1948年外務事務官任官、叙二級、北海道連絡調整地方事務局連絡調整官。1964年外務省経済局書記官。1965年外務省移住局移住振興課長。同年外務省中南米・移住局移住課長。1966年外務省中南米・移住局総務課長。
渡辺 茂(わたなべ しげる、1918年〈大正7年〉8月12日… 渡辺 茂(わたなべ しげる、1918年〈大正7年〉8月12日 - 1992年〈平成4年〉3月10日)は、日本のシステム工学者。 兵庫県姫路市出身。1941年(昭和16年)、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業する。海軍に入り、技術大尉で終戦を迎える。東京大学工学部に復帰し、1947年(昭和22年)に助教授となる。1950年(昭和25年)、「歯車に関する研究」で東京大学工学博士。1953年(昭和28年)、東京大学工学部教授となる。1979年(昭和54年)、定年退官し名誉教授となり、同年、東京都立工科短期大学学長となる。 コンピューターの工学と社会への適用で新分野をひらいた。1983年(昭和58年)、世界コミュニケーション年で功労者として内閣総理大臣個人表彰を受ける。
汐ノ海 運右エ門(しおのうみ うんえもん、1918年3月1日… 汐ノ海 運右エ門(しおのうみ うんえもん、1918年3月1日 - 1983年7月18日)は、兵庫県印南郡(現:兵庫県姫路市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は岸本 忠夫(きしもと ただお)。最高位は西大関。得意手は右四つ、寄り、筈押しなど。現役時代の体格は180cm、113kg。 1918年3月1日、兵庫県印南郡(現:兵庫県姫路市)で生まれた。小学生の頃から体格が良く腕力も強かったことから、大人と同じ塩田作業に従事していたが、岸本少年の素質を見出した同郷の好角家に笠置山勝一を紹介され、出羽海部屋へ入門した。笠置山は当時としては珍しい大学出身(早稲田大学)のインテリ力士で、当時の出羽海部屋では「打倒双葉」を合言葉に双葉山の連勝を止めるための研究・対策を繰り広げていた。
釣 常雄(つり つねお、1917年9月9日 - 1996年7… 釣 常雄(つり つねお、1917年9月9日 - 1996年7月25日)は、兵庫県姫路市出身の元プロ野球選手。 飾磨小学校在学中から、周囲では名が知られた存在だった。そこに目をつけた姫路中学が、野球部強化のため、釣を含む飾磨小学校の選手複数人に入学を働きかける。しかし、当時の姫路中学は進学校として知られており、全員が不合格となってしまう。困り果てた姫路中学側は、その中で最も点数が高かった釣だけを強引に入学させたという。 姫路中学時代は1936年の選抜にチームを導く。初出場ということもあり姫路市民からの期待は大きく、当時姫路の連隊に所属していた賀陽宮恒憲王からも激励の言葉を受けたという。同大会は、初戦で平安中学に惜敗した。
木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 20… 木村 三四吾(きむら みよご、1916年3月24日 - 2008年4月)は、日本の近世文学研究者。大阪樟蔭女子大学名誉教授。「餘二稿」「餘二庵」「佐保之不貞祢」と号した。 兵庫県姫路市生まれ。1933年、姫路高等学校入学。1939年、京都帝国大学国文科卒業、同大学院に進学。1945年、天理図書館司書研究員。天理図書館の名物司書として名声が高かった。1976年、天理図書館を停年退職し、同年大阪樟蔭女子大学教授に就任。同大学図書館長を勤め、1986年定年退職、同大学名誉教授。 若い頃は俳諧関係の研究を中心に行い、晩年は曲亭馬琴を中心に研究した。『木村三四吾著作集』全4巻がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木下 忠良(きのした ただよし、1916年〈大正5年〉1月1… 木下 忠良(きのした ただよし、1916年〈大正5年〉1月15日 - 1991年〈平成3年〉8月17日)は、日本の裁判官。最高裁判所判事。兵庫県姫路市出身。 1934年(昭和9年)旧制姫路高等学校文科乙類卒業[要出典]。1937年(昭和12年)東京帝国大学法科を卒業。同年に司法官試補。裁判官生活は浦和、福岡、水戸、東京、大阪と各地に及び、大阪高裁判事、旭川地・家裁所長を経て、1970年(昭和45年)に大阪地裁所長に就任。その後、1975年(昭和50年)10月に仙台高裁長官、1977年(昭和52年)9月に大阪高裁長官に就任。 1979年(昭和54年)3月1日に最高裁判所判事に就任。裁判官出身の最高裁判事としては珍しく最高裁事務総局勤務が無かった。
黒岩 一郎(くろいわ いちろう、1913年8月14日 - 1… 黒岩 一郎(くろいわ いちろう、1913年8月14日 - 1995年6月7日)は、日本の国文学者、保守思想家。 兵庫県姫路市生まれ。東京帝国大学国文科卒。修齊女学院講師。大陸に出征。帰国後姫路高等学校(旧制)教授、戦後合併により神戸大学助教授、教授。1962年、「香川景樹の研究」で東大文学博士。1977年、定年退官。棠舟の号をもつ、反共思想家。1995年6月7日、肺癌のため死去。
尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 199… 尾上 政次(おのえ まさじ、1912年3月14日 - 1994年1月18日)は、日本の英語学・アメリカ文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 兵庫県姫路市生まれ。尾上作兵衛の六男。姫路高等学校を経て、1934年東京帝国大学英文科卒。1939年まで大学院に在籍し、大阪高等学校教授、武蔵大学教授、戦後1951年中央大学経済学部助教授、1953年文学部助教授、教授、1982年定年となり名誉教授。はじめアメリカ英語を研究し、のち文学研究、翻訳をおこなった。 1994年1月18日、急性心不全のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
椎名 麟三(しいな りんぞう、1911年10月1日 - 19… 椎名 麟三(しいな りんぞう、1911年10月1日 - 1973年3月28日)は、日本の小説家である。本名は大坪 昇(おおつぼ のぼる)。
水野 稔(みずの みのる、1911年4月15日 - 1997… 水野 稔(みずの みのる、1911年4月15日 - 1997年8月19日)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に山東京伝。 兵庫県姫路市生まれ。1920年に急逝した兄の影響を受けて、近世文学研究を志す。姫路高等学校文科甲類を経て、1933年東京大学文学部国文学科を卒業。1935年、同大学大学院を修了。1939年仙台陸軍幼年学校教授。1940年姫路高校時代の恩師だった原田虎男の長女と結婚。1942年陸軍予科士官学校教授。1946年兵庫県立姫路商業学校教諭、1949年兵庫県立姫路工業大学付属高等学校教諭と兵庫県立姫路工業大学講師を兼任。1955年、明治大学文学部助教授、1960年同教授。1982年同大学を定年退職。
高馬 一郎(こうま いちろう、1909年2月10日 - 20… 高馬 一郎(こうま いちろう、1909年2月10日 - 2006年8月12日)は、日本の経営者。グンゼ社長を務めた。兵庫県姫路市出身。 1930年に上田蚕糸専門学校製糸科を卒業し、同年に郡是製絲(のちのグンゼ)に入社。1959年1月に取締役に就任し、1965年1月に常務、1967年1月に専務を経て、1975年1月には社長に就任。1979年2月には会長に就任。 2006年8月12日老衰のために死去。97歳没。
菊原 静男(きくはら しずお、1906年 - 1991年8月… 菊原 静男(きくはら しずお、1906年 - 1991年8月6日)は、日本の航空技術者。兵庫県姫路市出身。飛行艇の第一人者で九七式飛行艇、二式飛行艇、紫電改や実験機UF-XSなどの設計に従事した。 1906年、兵庫県姫路市の商家に長男として生まれる。三高へ入学する頃、航空の道を選択。1930年(昭和5年)東京帝国大学工学部航空学科卒。卒業設計では、シュナイダー・トロフィー・レース用の水上競争機の機体を担当した。卒業論文のタイトルは「Torsion of Prismatic Bar.」。 卒業後、川西航空機(現新明和工業)に入社する。入社理由は、川西航空機が自宅に近く、少年時代から海が好きであったからという。
尾上 壽作(おのえ じゅさく、1903年〈明治36年〉11月… 尾上 壽作(おのえ じゅさく、1903年〈明治36年〉11月28日 - 1998年〈平成10年〉11月6日)は、日本の実業家。グローリー工業社長。国栄機械製作所(現グローリー)創業者尾上作兵衛の三男。グローリー名誉会長尾上壽男の父。 兵庫県姫路市出身。尾上作兵衛の三男。尾上家は姫路の商家だった。後分家した。 姫路中学校(現姫路西高校)を卒業した。1949年、株式会社国栄機械製作所の取締役社長に就任した。1963年、姫路商工会議所副会頭に就任した。1971年、取締役会長に就任した。趣味は乗馬、弓術。宗教は、浄土宗。住所は兵庫県姫路市俵町・同市南畝町。 1964年藍綬褒章、1974年勲三等瑞宝章受章。
青田 源太郎(あおた げんたろう、1901年〈明治34年〉8… 青田 源太郎(あおた げんたろう、1901年〈明治34年〉8月28日 - 1996年〈平成8年〉8月1日)は、昭和期の農業協同組合指導者、政治家。参議院議員、兵庫県神崎郡船津村長。 兵庫県、のちの姫路市で生まれる。1917年(大正6年)帰一学館を卒業した。南満洲に渡り撫順南海火工品工廠に勤めた。1934年(昭和9年)に帰国。 元田商店取締役、神崎縫工取締役、船津消防団長、船津村長、神崎郡商工会長、青田鋳造所社長、岡製材所社長、船津農業協同組合長などを務めた。兵庫県議会議員に選出され2期在任した。 1959年(昭和34年)6月の第5回参議院議員通常選挙に兵庫県地方区から自由民主党公認で出馬して初当選。
遠地 輝武(おんち てるたけ、1901年4月21日 - 19… 遠地 輝武(おんち てるたけ、1901年4月21日 - 1967年6月14日)は、日本の詩人・美術評論家。 本名: 木村 重夫。兵庫県飾磨郡八幡村(現・姫路市)生まれ。日本美術学校卒。1925年に第1詩集「夢と白骨との接吻」を刊行するが発禁となる。1930年プロレタリア詩人会の創設に参加。戦争中は美術活動をし、戦後は1946年に日本共産党に入党し、新日本文学会に参加。本名で美術評論を書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月… 初井 しづ枝(はつい しずえ、1900年(明治33年)10月29日 - 1976年(昭和51年)2月15日)は、日本の歌人。兵庫県姫路市出身。 兵庫県姫路市大黒町(現・大国壱丁町)に、薬種商井上又次・たねの三女として生まれる。本名・しづ江。姫路高等女学校(現・兵庫県立姫路東高等学校)を卒業し、大阪道修薬学校(現・大阪薬科大学)に入学。薬剤師の検定試験を受けて合格。姫路に帰郷し、親戚の病院へ調剤の見習いに通う。 その後、姫路高女時代から交際していた初井佐一と結婚(当時20歳)。佐一の生家・初井家は姫路を代表する大地主で素封家であった。歌誌『アララギ』の会員で短歌を作っていた夫に勧められて作歌を始め、1926年に「日光」に入社、北原白秋に師事。
五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - … 五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - 2000年4月23日)は、日本の俳人、内科医。本名は久雄(ひさお)。兵庫県出身。 姫路市鍛冶町に生まれる。野里尋常小学校、姫路中学校、第三高等学校を経て、1923年京都帝国大学医学部卒業。卒業後に松尾内科勤務を経て、神戸市立中央市民病院に勤務。同病院の副院長・院長を1959年まで務める。1961年に神戸市生田区で五十嵐内科を開業、1993年まで医師として務めた。 大学在学中の1920年より句作をはじめ、京大三高俳句会で高浜虚子と出会い師事する。1922年、「京鹿子」同人。1930年、山本梅史の跡を継いで「九年母」選者。1932年、「ホトトギス」同人。
牛尾 健治(うしお けんじ、1898年〈明治31年〉11月 … 牛尾 健治(うしお けんじ、1898年〈明治31年〉11月 - 1958年〈昭和33年〉8月20日)は、日本の実業家。牛尾合資会社代表社員。中国合同電気、山陽商事各社長。神戸銀行副頭取。姫路商工会議所会頭。神戸経済同友会元代表幹事。兵庫県輸出工業協会長。 兵庫県姫路市出身。飾磨郡豊沢村・梅吉の長男。1920年、大阪高等商業学校卒業。1923年、東京商科大学(現一橋大学)卒業。東京で大学講師をしていたが、1934年に父・梅吉が他界し、帰郷して事業を引き継ぐことになった。1934年、家督を相続した。株式公債売買業を営む。中国合同電気に入社。 広沢製作所会長、大日本産業報国会理事、神戸銀行副頭取、鳥取電燈副社長、日本電球、但馬瓦斯、山陽瓦斯、山陽製紐、北海電気興業、日本商品、日本編物、ナニワ電球工業、牛尾興業、山陽商事各社長などを務め、神戸経済同友会の立上げも行った。
三木 鉄夫(みき てつお、1898年10月16日 - 197… 三木 鉄夫(みき てつお、1898年10月16日 - 1979年4月18日)は、日本の機械工学者・航空工学者。大阪府立大学・大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元大阪帝国大学工学部航空学科創設者・教授。関西の航空工学研究の第一人者の一人。弟は衆議院議員を務めた三木喜夫。 専門は、航空工学・飛行機設計、流体力学・機械構造力学。 兵庫県姫路市出身。1923年東北帝国大学卒業後、愛知時計電機航空機部門(のちの愛知航空機)で海軍関係の飛行機の設計製作に携わる。同社とドイツのハインケル社の提携により、ドイツ留学を経験。日本語による航空工学の著書第1号として、1932年「航空工学」(太陽堂)を出版(のちの第2号は川西航空機・小野正三より出版)。
京口 元吉(きょうぐち もときち、1897年(明治30年)2… 京口 元吉(きょうぐち もときち、1897年(明治30年)2月28日 - 1967年(昭和42年)9月3日)は、日本の日本史学者。 兵庫県姫路市出身。朝鮮で小学校教師ののち早稲田高等学院卒。1926年早稲田大学文学部史学科卒。学生時代は尾崎一雄らと同人誌をやっていた。1929年早大附属高等学院講師、1933年教授、1940年早稲田大学文学部助教授。この間明治文化研究会で活動。 警視庁から「反軍国的なマルキスト」「自由主義的」であると問題視され、1941年3月11日付で大学を引責辞職する。1946年2月1日付で文学部講師として復職する。同年5月から助教授となる。1947年教授、1967年定年退職。
池内 調造(いけうち ちょうぞう、1897年1月9日-198… 池内 調造(いけうち ちょうぞう、1897年1月9日-1988年2月16日)は、日本の実業家。KBS京都代表取締役、京都新聞社取締役、日本民間放送連盟の営業・予算・財務・総務の各委員及び理事を20年近くにわたり担務し民放界の発展に大きく寄与。
野溝 七生子(のみぞ なおこ、1897年〈明治30年〉1月2… 野溝 七生子(のみぞ なおこ、1897年〈明治30年〉1月2日 - 1987年〈昭和62年〉2月12日)は、日本の小説家・比較文学者。兵庫県姫路市出身。 父の野溝甚四郎は陸軍軍人で、父の赴任先である姫路にて1897年に生まれ、鳥取・金沢・丸亀・大分などで育つ。 香川県立丸亀高等女学校、大分県立大分高等女学校を経て同志社女学校英文科専門部予科に入学。在学中、辻潤・宮島資夫と知合う。彼らは野溝をゲアハルト・ハウプトマンの『沈鐘』(泉鏡花『夜叉ヶ池』の元ネタと言われる)のラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼んだ。卒業後、東洋大学専門学部文化学科で西洋哲学を学ぶ。
本田 喜代治(ほんだ きよじ、1896年10月15日 - 1… 本田 喜代治(ほんだ きよじ、1896年10月15日 - 1972年10月22日)は、日本の社会学者。
栗原 民雄(くりはら たみお、1896年5月21日 - 19… 栗原 民雄(くりはら たみお、1896年5月21日 - 1979年10月8日)は、日本の柔道家(講道館10段、大日本武徳会範士)。 選手として1929年の御大礼記念天覧武道大会で優勝するなどし、指導者としては武道専門学校主任教授や京都府警察柔道教師を務めた。のちに講道館柔道殿堂にも選ばれている。 兵庫県姫路市生まれ。姫路中学校を経て、1915年(大正4年)大日本武徳会武術専門学校に5期生として入学。同期には兼元藤兵衛や山口孫作(のち隆三)らがいた。1917年1月に講道館に入学。1918年(大正7年)3月卒業後、同校研究科に進む。1919年4月、神宮皇學館助教授に就任。 1920年(大正9年)4月、武道専門学校助教授に就任し、翌年教授となる。
関口 存男(せきぐち つぎお、正字は關口存男、1894年11… 関口 存男(せきぐち つぎお、正字は關口存男、1894年11月21日 - 1958年7月25日)は、日本のドイツ語学者(ゲルマニスト)。通称:ゾンダン(ドイツ語のsondernにかけてある)。 ドイツ語以外にも様々な言語に通じており、「不世出の語学の天才」と呼ばれた。また、村田実らの新劇運動に参加、主役級の俳優として大正期の無声映画に出演していた。 兵庫県姫路市生まれ。父・関口存啓は陸軍主計大尉。大阪陸軍地方幼年学校を経て1913年に陸軍中央幼年学校本科を卒業し、士官候補生として千葉県佐倉市の歩兵第57連隊に勤務。1915年、東京の陸軍士官学校を卒業(第27期)。同年12月、陸軍歩兵少尉となるも肋膜炎を患い休務を続ける。
桑田 時一郎(くわた ときいちろう、1894年 <明治27年… 桑田 時一郎(くわた ときいちろう、1894年 <明治27年> 3月12日 - 1991年 <平成3年> 7月5日)は、日本の経営者。日本化成工業社長を務めた。位階は正四位。 兵庫県姫路市出身。1918年に東京帝国大学理学部応用化学科を卒業し、同年に旭硝子に入社。1940年5月に日本化成工業(のちの三菱化成)に転じ、1943年9月に取締役に就任し、1946年12月に常務を経て、1950年6月には社長に就任。1958年3月にから1959年9月に会長を務めた。 1964年4月には科学技術学園理事長に就任。 1961年に藍綬褒章を受章し、1965年に勲二等瑞宝章を受章。 1991年7月5日肺炎のために死去。
小川 晴暘(おがわ せいよう、1894年3月7日 - 196… 小川 晴暘(おがわ せいよう、1894年3月7日 - 1960年3月18日)は日本の写真家。奈良を中心に各地の仏像を撮り、1922年(大正11年)、美術史家で書家・歌人としても名高い會津八一の勧めを受けて飛鳥園を創業。文化財写真の草分けとして知られる。美術史家小川光暘は次男、写真家小川光三は三男。 平成29年、晴暘が生前、朝鮮半島で撮影した写真の原版が飛鳥園で発見された。
藤森 真治(眞治、ふじもり しんじ、1891年(明治24年)… 藤森 真治(眞治、ふじもり しんじ、1891年(明治24年)8月5日 - 1957年(昭和32年)5月17日)は、大正から昭和期の医師、政治家。参議院議員、医学博士。 兵庫県姫路市出身。1913年(大正2年)岡山医学専門学校を卒業。1915年(大正4年)耳鼻咽喉科医院を開業する。その後、ベルン大学を卒業して医学博士となる。 姫路市本町に藤森病院を開業し院長に就任、藤森医療財団理事長となる。また兵庫県医師会姫路市支部長、姫路市公職適否審査委員などを務め、姫路市議会議員にも選出された。ほか日本医療法人協会理事長、日本耳鼻咽喉科学会評議員、日本気管食道科学会顧問、社会保障制度審議会委員を歴任した。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で兵庫県地方区から出馬して当選し、緑風会に所属して参議院議員に1期在任した。
岩田 愛之助(いわた あいのすけ、1890年1月3日 - 1… 岩田 愛之助(いわた あいのすけ、1890年1月3日 - 1950年3月15日)は、日本の右翼活動家。兵庫県姫路市出身。 右翼団体・愛国社(1928年)、国体擁護連合会(1932年)等の創設者。 陸軍幼年学校を中退後、神戸の乾行義塾で中国語を学ぶ。1910年、中国に渡り、大陸浪人として武漢革命に参加する。しかし後になって川島浪速・佐々木安五郎と知り合い、清朝復辟運動に転じた。 1913年に帰国し、頭山満・内田良平・田中弘之(舎身)らに接近し、対支外交問題を論じる。同年9月に発生した外務省政務局長・阿部守太郎暗殺事件で自首し、1914年5月、殺人教唆の罪で無期懲役の判決を受ける。 1925年、恩赦を受け釈放され再び中国に渡ったが、1927年に帰国。
和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年〈明治22年〉3月1… 和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年〈明治22年〉3月1日 - 1960年〈昭和35年〉12月26日)は、日本の哲学者・倫理学者・文化史家・日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。法政大学教授・京都帝国大学教授・東京帝国大学教授を歴任。日本倫理学会会員。文化勲章受章。 兵庫県出身。東大哲学科卒。ニーチェなど西洋哲学を研究。奈良の寺院建築や仏像の美を再発見し、『古寺巡礼』(1919年)も人気を博す。『人間の学としての倫理学』(1934年)で新しい倫理学の体系を構築。『風土』(1935年)、『面とペルソナ』(1937年)も名高い。 日本的な思想と西洋哲学の融合、あるいは止揚とでもいうべき境地を目指した稀有な哲学者と評価される。
清瀬 一郎(きよせ いちろう、1884年〈明治17年〉7月5… 清瀬 一郎(きよせ いちろう、1884年〈明治17年〉7月5日 - 1967年〈昭和42年〉6月27日)は、大正、昭和時代の日本の弁護士、法学者、政治家。学位は法学博士。東京弁護士会会長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 弁護士としては極東国際軍事裁判で東條英機の弁護人などを務め、また政治家としては文部大臣、衆議院議長を歴任。 兵庫県飾磨郡夢前町(現・姫路市)出身。弁護士としては小作争議裁判や思想事件等の他、特許事件を多く手掛けて著作物も多く、工業所有権法(知的財産法)の分野においては実務・学問の両面において草分け的な存在であった。 政界入りしてからは普通選挙運動の推進や台湾議会設置運動への支援、治安維持法への反対などリベラルな政治家として知られてきた。
井上 貞治郎(いのうえ ていじろう、明治14年〈1881年〉… 井上 貞治郎(いのうえ ていじろう、明治14年〈1881年〉8月16日 - 昭和38年〈1963年〉11月10日)は、日本の実業家。 「段ボール」の実用新案を取得。大量生産と強固な段ボール箱の開発に成功し、聨合紙器(現社名・レンゴー)を設立した。「日本の段ボールの父」と評される。 兵庫県姫路市郊外で農業を営む長谷川家の三男として生まれた。2歳の時に、兵役を逃れるため遠縁にあたる井上家の死籍相続人になる。 高等小学校を卒業後、1895年(明治28年)から神戸の商家で丁稚を始める。その後中国料理店、パン屋、石炭屋等職を転々とする。1905年(明治38年)には妻・お雪と別れ、1人満州に旅立つ。 1909年(明治42年)に放浪の旅から立ち直り、東京で「三盛舎」(後に「三成社」と改名)を創業。
蔭山 品次(かげやま しなじ、1877年〈明治10年〉8月 … 蔭山 品次(かげやま しなじ、1877年〈明治10年〉8月 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の大蔵省官僚、政治家。兵庫県西宮市長。 兵庫県姫路市出身。大蔵省税務属、税務監督局属、司税官、福知山・茨木・西宮各税務署長を歴任。のち、推挙され、1933年(昭和8年)12月21日から1938年(昭和13年)12月3日まで西宮市長を務めた。
辻 善之助(つじ ぜんのすけ、 1877年(明治10年)4月… 辻 善之助(つじ ぜんのすけ、 1877年(明治10年)4月15日 - 1955年(昭和30年)10月13日)は、戦前の日本の歴史学者。東京帝国大学(現・東京大学)名誉教授。文学博士。専門は日本仏教史。仏教史研究から日本人の精神と日本文化の形成を探求し実証主義的研究を貫き、日本史学の発展に寄与し、実証的な日本仏教史を確立。 1877年(明治10年)4月、兵庫県姫路元塩町(現在の兵庫県姫路市元塩町)に生まれる。父は善次郎。母はつね。神童の誉たかく、小学校・中学校と抜群の成績であった。1893年(明治26年)に姫路中学校(現兵庫県立姫路西高等学校)より京都の第三高等中学校予科3年に編入。翌1894年(明治27年)に学制改革で第三高等学校に改組の上、予科が廃止されると、他の高校に転属を余儀なくされたが、第一高等学校に転校することができた。
青木 まつ(あおき まつ、1877年〈明治10年〉1月10日… 青木 まつ(あおき まつ、1877年〈明治10年〉1月10日 - 1959年〈昭和34年〉1月23日)は、日本の社会事業家。兵庫県姫路出身。旧姓は吉川。バプテスト派の婦人宣教師タムソン夫人の片腕として、日本初の福祉的幼稚園である善隣幼稚園で、恵まれない子供たちの保育に尽力した。 1877年に兵庫県姫路で誕生、横浜の捜真女学校(現・捜真女学校中学部・高等学部)を卒業した。 1895年(明治28年)にタムソン夫人が神戸の葺合地区に、神戸の恵まれない子供たちのために、善隣幼稚園を設立した後、同幼稚園に勤めて、タムソンの片腕となり、その後の約40年間にわたって、保母として仕事を助けた。「善隣」名は「善い隣人として地域社会の改善を図る」との意味で、まつが発案した名前である。
井上 虎治(いのうえ とらじ、1876年〈明治9年〉6月29… 井上 虎治(いのうえ とらじ、1876年〈明治9年〉6月29日 - 1929年〈昭和4年〉12月29日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 飾磨県飾西郡飾西村(のちの兵庫県飾磨郡余部村を経て現姫路市)出身。逓信省通信書記、姫路郵便局電信課長となり、その後は大阪商船(株)助役、(資)台湾組支配人、(名)富島組総務理事、帝国サルベージ、阪堺電鉄各(株)取締役社長、木津川運河土地、木代発動機製造各(株)監査役、大阪商業会議所議員、大阪税関貨物取扱人連合会会長、港湾協会評議員となる。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において兵庫10区から政友本党公認で立候補して当選した。のち立憲政友会に移り、衆議院議員を1期務めた。
尾上 作兵衛(おのえ さくべえ、旧姓・池内、幼名・賢次、18… 尾上 作兵衛(おのえ さくべえ、旧姓・池内、幼名・賢次、1872年10月1日〈明治5年8月29日〉 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家、資産家。姫路市会議員。国栄機械製作所創業者。族籍は兵庫県平民。 グローリー実質創業者尾上壽作の父。グローリー会長尾上壽男の祖父。 兵庫県飾麿郡安室村字新在家(現・姫路市)出身。兵庫県平民・池内宗太郎の二男。姫路の商家、尾上作平の養子となり、1901年、家督を相続した。 1918年3月、姫路市延末にて、作兵衛は個人経営で電球製造機の修理・販売を開始した。また、山陽醤油社長、日本化学漆器代表取締役、三十八銀行、姫路水力電気、姫路銀行、姫路莫大小、姫路倉庫各取締役など各種の会社重役を務めた。
菊川 惣吉(きくかわ そうきち、1872年4月11日(明治5… 菊川 惣吉(きくかわ そうきち、1872年4月11日(明治5年3月4日) - 1941年(昭和16年)6月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 兵庫県、現在の姫路市で生まれた。姫路市会議員、兵庫県会議員、姫路商業会副会長、山陽毛織、帝国醤油醸造、播磨電化工業、山陽金融無尽各(株)社長、姫路瓦斯、明石瓦斯各(株)取締役となる。 1917年の第13回衆議院議員総選挙において姫路市選挙区から立憲政友会公認で立候補したが落選した。1920年の第14回衆議院議員総選挙において兵庫2区から立候補して当選する。1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1941年に死去した。
川口 木七郎(かわぐち きしちろう、1870年5月5日(明治… 川口 木七郎(かわぐち きしちろう、1870年5月5日(明治3年4月5日)- 1937年(昭和12年)10月17日)は、明治から昭和前期の地主、実業家、政治家。衆議院議員。 播磨国飾西郡書写村(兵庫県飾西郡曽左村、飾磨郡曽左村を経て現姫路市)で、大地主で代々里正を務めた醤油醸造業、川口家先代当主・川口木七郎、つた の長男として生れ、1881年(明治14年)8月、家督を相続し木七郎を襲名した。漢学を修め、のち神戸で外国人教師から英語、フランス語を学んだ。 家業の醤油醸造業を営み、山陽醤油社長、神戸信託取締役、姫路三十八銀行取締役、姫路銀行取締役、飾磨銀行取締役、神栄生糸取締役、飾磨郡素麺製造販売組合長などを務めた。
鵜崎 庚午郎(うざき こうごろう、明治3年3月17日(187… 鵜崎 庚午郎(うざき こうごろう、明治3年3月17日(1870年4月17日) - 昭和5年(1930年)4月3日)は、明治時代から昭和時代初期の日本の牧師である。 1870年に播磨国飾磨郡姫路町元町(現・兵庫県姫路市)に、姫路藩士で漢学者の鵜崎久平の子として生まれる。1887年、アメリカ南メソヂスト監督教会宣教師のウォルター・R・ランバスから洗礼をうける。献身して関西学院に入学してJ.C.C.ニュートン宣教師に育てられる。メソジストの神戸・広島・大阪・京都で伝道をする。 第三高等学校教授、関西学院教授になり、1912年に日本メソジスト教会機関誌『護教』主筆。1914年には鎮西学院の院長に就任して。
神戸 松之輔(かんべ まつのすけ、1867年4月15日(慶応… 神戸 松之輔(かんべ まつのすけ、1867年4月15日(慶応3年3月11日) - 1929年(昭和4年)4月3日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 播磨国飾東郡姫路(現兵庫県姫路市)出身。姫路銀行頭取、姫路瓦斯(株)社長となる。 1904年の第9回衆議院議員総選挙において姫路市選挙区から立憲政友会公認で立候補して当選した。1908年の第10回衆議院議員総選挙でも再選した。1912年の第11回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1929年に死去した。
小泉 又一(こいずみ またいち、慶応元年5月20日(1865… 小泉 又一(こいずみ またいち、慶応元年5月20日(1865年6月13日) - 大正5年(1916年)5月16日)は、日本の文部官僚・教育者。族籍は兵庫県士族。位階および勲等は正四位・勲四等。 兵庫県姫路市出身。姫路藩士で藩校の教官の小泉吉善と母ふさ(同藩士の白倉直記の三女。天保14年12月生)の長男として生まれる。弟に海軍少将の小泉武三がいる。姫路中学校を経て、1887年(明治20年)に東京高等師範学校を卒業。沖縄県尋常師範学校教諭、沖縄県学務課長心得、沖縄県尋常師範学校校長補、徳島尋常中学校教諭、福岡県尋常師範学校教諭、同教頭、同校長、和歌山県第一尋常中学校校長を歴任した。1899年(明治32年)、東京高等師範学校教授・同附属小学校主事に転じ、1905年(明治38年)からは同附属中学校主事も兼ねた。
牛尾 梅吉(うしお うめきち、1864年12月17日〈元治元… 牛尾 梅吉(うしお うめきち、1864年12月17日〈元治元年11月19日〉 - 1934年〈昭和9年〉5月4日)は、日本の政治家(姫路市会議員)、相場師、実業家、兵庫県多額納税者、資産家。姫路商工会議所会頭。姫路水力電気、姫路信託各社長。姫路銀行頭取。牛尾合資会社代表社員。山陽商事代表取締役。族籍は兵庫県平民。 神戸銀行副頭取、中国合同電気社長牛尾健治の父。ウシオ工業社長牛尾吉朗、ウシオ電機会長牛尾治朗の祖父。 播磨国姫路(現・兵庫県姫路市)に生まれた。牛尾政五郎の二男。牛尾政次郎の弟。1882年、兄・政次郎方より分かれて一家を創立した。分家の二男だった梅吉は自分で生計をたてる必要があった。呉服の行商から始めた。
伊藤 英一(いとう えいいち、1864年3月15日(元治元年… 伊藤 英一(いとう えいいち、1864年3月15日(元治元年2月18日) - 1943年(昭和18年)1月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 播磨国、現在の兵庫県姫路市飾磨区出身。漢学と数学を学び、農業を営む。印南郡伊保村(現在の高砂市)長、加古郡高砂町(現在の高砂市)長、印南郡参事会員、兵庫県会議員となる。 1912年の第11回衆議院議員総選挙において兵庫県郡部から立憲国民党公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1915年の第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1943年に死去した。
神楽江 熏(かぐらえ かおる、1863年〈文久3年〉 - 1… 神楽江 熏(かぐらえ かおる、1863年〈文久3年〉 - 1934年〈昭和9年〉)は、現在の兵庫県姫路市網干区生まれの文人。幼名は巳之吉、名は熏、字は万春、号は巻石(けんせき)別号に下学迂士。 文人墨客として各地を歴遊後に札幌東京京都で私塾を開く。明治42年から大正6年まで枢密院に雇として勤務。 絵筆も巧みで多くの作品を残している。 本人の自署は神楽江熏としており艸冠を付けた神楽江薫は誤りである。 文久3年(1863年)8月14日(旧暦)播磨国揖東郡網干で網野姓の母から生まれる。実父に付いての資料は未見(網干町史記載) 神楽江の姓は河野東馬より播磨風土記にある生地網干の神功皇后伝承から付けられる。
伊賀 保太郎(いが やすたろう、1860年10月21日(万延… 伊賀 保太郎(いが やすたろう、1860年10月21日(万延元年9月8日) - 1903年(明治36年)10月19日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 播磨国神西郡、のちの兵庫県神崎郡香呂村(香寺町を経て現姫路市)出身。普通学を学ぶ。戸長、香呂村会議員、神崎郡会議員、同参事会員、所得税調査委員、徴兵参事員、兵庫県会議員、同常置委員となる。また、播但鉄道(株)発起人、姫路電燈(株)重役、増位温泉(株)社長、播磨採鉄(資)専任業務担当社員を務めた。 1902年の第7回衆議院議員総選挙において兵庫県郡部から憲政本党公認で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1903年の第8回衆議院議員総選挙は不出馬。
岡本 松太郎(おかもと まつたろう、1860年4月9日(万延… 岡本 松太郎(おかもと まつたろう、1860年4月9日(万延元年3月19日)- 1942年(昭和17年)11月23日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、兵庫県会議長。 播磨国飾東郡八重畑村(兵庫県飾東郡谷内村、飾磨郡谷内村、飾東村を経て現姫路市飾東町)で、代々農業を営む家に生まれた。普通学を修めた。 1880年(明治13年)小学校教員となり8年間在任。1888年(明治21年)兵庫県会議員に選出され、同常置委員、同副議長、同議長も務めた。その他、徴兵参事員、旅団徴兵参事員なども務めた。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(兵庫県第7区、進歩党)で初当選し、同年8月の第6回総選挙(兵庫県第7区、憲政本党)でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
大森 与三次(おおもり よそじ、1859年2月4日(安政6年… 大森 与三次(おおもり よそじ、1859年2月4日(安政6年1月2日) - 1922年(大正11年)6月8日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 播磨国飾東郡、のちの兵庫県飾磨郡花田村(現姫路市)出身。漢学を学ぶ。姫路市会議員、同副議長、同議長、兵庫県会議員、姫路市米穀取引所理事、同理事長、姫路市倉庫会社取締役となる。 1908年の第10回衆議院議員総選挙において姫路市選挙区から憲政会公認で立候補したが落選した。1912年の第11回衆議院議員総選挙では立憲国民党公認で立候補して当選する。1915年の第12回衆議院議員総選挙は不出馬。1917年の第13回衆議院議員総選挙で再選。衆議院議員を2期務め、1920年の第14回衆議院議員総選挙では兵庫2区から立候補したが落選した。
後藤 恕作(ごとう じょさく、安政5年3月6日(1858年4… 後藤 恕作(ごとう じょさく、安政5年3月6日(1858年4月19日) - 昭和4年(1929年)3月6日)は播磨国(兵庫県)生まれの実業家。後藤毛織製造所(後に東京毛織)の創立者であり、明治から昭和初期にかけて活躍した。 播磨国揖東郡網干村(現・兵庫県姫路市)生まれ。明治8年(1875年)に清国公使として赴任した森有礼に随行し、北京で毛織染色法を学んだ。日本に帰国後、明治12年(1879年)本郷で小工場を設立しなめし革、毛糸紡績を行ったがこれは失敗し、じゅうたんなどの製造を始めた。明治13年(1880年)芝区白金台(現東京都港区)に民間としては日本初の毛織物工場である後藤毛織製造所を設立、明治25年(1892年)には大井町(現品川区)にも工場を進出させて生産基盤を強化し、日清戦争、日露戦争期には業績を躍進させた。