小田 裕太郎(おだ ゆうたろう、2001年8月12日 - )… 小田 裕太郎(おだ ゆうたろう、2001年8月12日 - )は、兵庫県洲本市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・湘南ベルマーレ所属。ポジションはフォワード(FW)。 洲本第一小学校1年生の時にサッカーを始め、洲本FCで6年間プレー。中学校入学後はヴィッセル神戸のアカデミーに所属し、2016年からは各年代別の日本代表に選出され、海外遠征などを経験した。神戸U-18所属時の2019年3月、トップチームに2種登録。同年4月24日、ルヴァンカップ・グループステージ第4節のセレッソ大阪戦で途中出場し、トップチームデビューした。 2020年シーズンよりトップ昇格を果たし、7月11日に行われた大分トリニータ戦で途中出場からJ1デビューを果たした。
福井 愛加(ふくい まなか、1997年11月17日 - )は… 福井 愛加(ふくい まなか、1997年11月17日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 兵庫県洲本市出身。一人っ子。TVで日本代表の試合を観戦したことをきっかけにバレーボールを始めた。 2020年、ヴィクトリーナ姫路へ入団。 2021-22シーズンをもって現役を引退した。 V.LEAGUEの個人成績は下記の通り(交流戦・プレーオフを含む)。
朝比奈 彩(あさひな あや、1993年10月6日 - )は、… 朝比奈 彩(あさひな あや、1993年10月6日 - )は、日本の女性ファッションモデル、グラビアモデル、タレント、女優、YouTuber。兵庫県洲本市出身。FIRST AGENT所属。夫は三代目J SOUL BROTHERSの山下健二郎。 小学校3年生から高校3年生までの間、陸上部に所属。兵庫県立洲本実業高等学校を卒業後、約1年半地元の産婦人科にて助産師の助手を務める。 産婦人科で働いていた時期に知り合いから声を掛けられイベントモデルとして活動。その時にスカウトされ、2013年よりイー・スマイルに所属し、"北川彩"名義でレースクイーンとして活動を開始する。同年9月に上京した。 2014年より生島企画室(現FIRST AGENT)に所属し、"朝比奈彩"名義で活動を開始する。
山林 芳則(やまりん よしのり、1990年4月15日 - )… 山林 芳則(やまりん よしのり、1990年4月15日 - )は、兵庫県洲本市出身のプロ野球選手(投手)。
増田 薫(ますだ かおる、1988年7月10日 - )(蟹座… 増田 薫(ますだ かおる、1988年7月10日 - )(蟹座、辰年)は、日本の画家。兵庫県洲本市出身。 身長151cm/体重43kg。座右の銘は『誰にも消せない火を灯せ』。 『どれだけ人の心を動かすことができるか』を掲げ、芸術の可能性を探求し世界へ作品を刻んでいく挑戦を続けている。 洲本市立大野小学校、洲本市立青雲中学校と進学し、高校は島内唯一の実業高校である兵庫県立洲本実業高等学校へ進学した。その後は、似顔絵などを書きながら、水墨画、コーヒーを使った珈琲画、油絵へも進出している。
増田 達至(ますだ たつし、1988年4月23日 - )は、… 増田 達至(ますだ たつし、1988年4月23日 - )は、兵庫県洲本市出身のプロ野球選手(投手)。埼玉西武ライオンズ所属。
土井 良太(どい りょうた、1987年8月27日 - )は、… 土井 良太(どい りょうた、1987年8月27日 - )は、兵庫県洲本市(旧津名郡五色町)出身のサッカー選手。ポジションはFW。 神戸弘陵学園高校ではサッカー部と陸上部に所属。全国高等学校総合体育大会にも出場した一方で3年時には膝の靱帯を断裂するケガを負った。その後、ヴィッセル神戸などを経て、2013年にグルージャ盛岡に入団し、全国地域リーグ決勝大会での優勝に貢献した。2014年にはキャリアハイとなる32試合に出場し12得点を挙げた。 2017年に藤枝MYFCへ完全移籍により加入。2018年にアルテリーヴォ和歌山へ移籍した。2019年2月にFC淡路島へ入団したと自身のTwitterで発表した。 2022年2月27日、FC淡路島を契約満了になったとリリースされたが、土井は事前通告も話し合いも無い状態であったとコメントしている。
藤岡 勇貴(ふじおか ゆうき、1984年7月8日 - )は、… 藤岡 勇貴(ふじおか ゆうき、1984年7月8日 - )は、サンテレビジョン(SUN-TV)の報道部に所属するキャスターで、元・同局社会情報部キャスター、および青森朝日放送アナウンサー。 兵庫県洲本市出身。血液型はO型。東日本大震災ボランティアグループ「勇往会」の代表で、防災士の資格を保有する。 10歳だった1995年1月17日の午前5時46分に、サンテレビの放送対象地域である洲本市内に所在していた実家で就寝中に阪神・淡路大震災に遭遇。実家では屋根瓦の一部が落下したり、外壁にヒビが入ったりしたものの、自身や家族は難を逃れていた。もっとも、この実家は2004年の平成16年台風第23号で浸水。さらに、洲本市による「全壊」の判定を受けて、解体を余儀なくされた。
宮地 真緒(みやじ まお、1984年2月2日 - )は、日本… 宮地 真緒(みやじ まお、1984年2月2日 - )は、日本の女優である。兵庫県洲本市出身。兵庫県立洲本高等学校卒業[要出典]。所属事務所はホリエージェンシー。
藤堂 裕(とうどう ゆたか、1979年11月18日 - )は… 藤堂 裕(とうどう ゆたか、1979年11月18日 - )は、日本の漫画家。兵庫県洲本市由良出身。血液型はA型。 『赤江珠緒 たまむすび』(TBSラジオ)リスナーで仕事中に聞いている。ある日、赤江珠緒が書店で藤堂の作品『信長を殺した男〜431年目の真実〜』(『別冊ヤングチャンピオン』)を偶然手に取り、作品に出会ったことでたまむすび(2021年3月2日放送分)に出演することに繋がった。 漫画家は色白だと思われることが多いらしく、自称地黒で「野球部なのか」、「漫画を描いてないのではないか」と言われることがある。2021年3月時点で、淡路島から東京に出て20年経つ。
須田 匡昇(すだ まさのり、1973年7月24日 - )は、… 須田 匡昇(すだ まさのり、1973年7月24日 - )は、日本の男性総合格闘家。兵庫県洲本市出身。CLUB J所属。柳学園高等学校、国際武道大学出身。柔道三段。元修斗世界ミドル級王者。
堀内 優美(ほりうち ゆみ、1973年2月17日 - )は日… 堀内 優美(ほりうち ゆみ、1973年2月17日 - )は日本のタレント・ライター。兵庫県洲本市出身。昭和プロダクション所属。血液型AB型。
向所 浩二(むかいじょ こうじ、1972年(昭和47年)11… 向所 浩二(むかいじょ こうじ、1972年(昭和47年)11月25日 - )は、兵庫県洲本市出身の競艇選手。 登録番号3577。身長159cm。血液型A型。70期。兵庫支部所属。同期に、濱野谷憲吾、前本泰和、木村光宏、西村勝らがいる。
中野 拓(なかの たく、1967年(昭和42年)10月25日… 中野 拓(なかの たく、1967年(昭和42年)10月25日 - )は、日本の陶芸家、金継ぎ師。兵庫県出身。 表参道(東京都港区南青山)で陶芸の工房を経営する陶芸家。陶芸には珍しい材料、希少金属やガラス、天然漆を使い、宇宙(天体)をモチーフにした器作りを展開、独自のスタイルでアートワークを行っている。また金継ぎ師としても活動。ジョージア政府(グルジア)からワイン壷の金継ぎを依頼され、天王洲アイルで開催されたジョージアワイン展でジョージアのワイン文化と日本の金継ぎ文化が出会った、シンボリックオブジェとして展示された。また、自身で制作したセラミックやガラスを金継ぎで融合させ、現代人の生活スタイルにマッチするよう、アップサイクルする手法や作風(中野は表参道焼と呼んでいる)を日本経済新聞社が「世界が注目する伝統工芸のニューウェーブ」と称している。
川畑 泰博(かわばた やすひろ、1966年7月27日 - )… 川畑 泰博(かわばた やすひろ、1966年7月27日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始める。 洲本高では、1年夏の県大会で7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成。2年生時の1983年に投手として夏の甲子園予選決勝に進出するが、池山隆寛のいた市尼崎高に完封負け。 1984年の夏も県予選で敗れ、甲子園には出場できなかった。 同年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受け入団。 1986年に一軍デビュー。 1987年には主に先発として一軍に定着する。 1988年4勝を挙げて同年のリーグ優勝に貢献。 1989年は1A・ベロビーチ・ドジャースに野球留学した。
キムラ 緑子(キムラ みどりこ、本名:牧野 緑子(旧姓:木村… キムラ 緑子(キムラ みどりこ、本名:牧野 緑子(旧姓:木村)、1961年〈昭和36年〉10月15日 - )は、日本の女優。兵庫県洲本市出身。シス・カンパニー所属。夫は俳優で劇作家、脚本家、演出家のマキノノゾミ。 兵庫県洲本市大野生まれ。洲本市立加茂小学校、洲本市立青雲中学校、兵庫県立洲本高等学校卒業。中学時代はテニス部、高校時代は剣道部に所属し、アイドルグループフォーリーブスの青山孝史に歓声を上げていた。 同志社女子大学学芸学部英文学科へ進学し、入学した時に友人となった女性が演劇少女だったため、「サークルの見学に行くからついてきて」と言われて初めて観たマキノノゾミのつかこうへいの舞台作品に衝撃を受け、姉妹校である同志社大学の演劇サークル「第三劇場」に入部。
山本 隆造(やまもと りゅうぞう、1956年(昭和31年)3… 山本 隆造(やまもと りゅうぞう、1956年(昭和31年)3月5日 - 2012年(平成24年)12月24日)は、兵庫県洲本市出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球審判員。 洲本実業高校から近畿大学に進学。関西六大学リーグでは在学中3度優勝。好守好打の遊撃手として知られ、1977年のドラフト2位でクラウンライターライオンズに指名され入団。大学同期に慶元秀章、丸川正充がおり、同じくクラウンに入団している。他の同期入団にパ・リーグ審判の良川昌美がいた。1年目の1978年は、遊撃手として5試合に先発出場し、マルチ安打を記録したこともあったが、その後は出場機会に恵まれず、1982年限りで引退。 その後、1983年からはパシフィック・リーグの審判員となる。
大地 真央(だいち まお、1956年2月5日 - )は、日本… 大地 真央(だいち まお、1956年2月5日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団月組トップスター。 戸籍名: 森田 真裕美(もりた まゆみ)、旧姓: 多田(ただ)。兵庫県洲本市出身。身長166センチメートル。愛称は真央、マミ。 外国航路船長職・陸軍軍人などの経験をもつ父と横浜市出身の母のもと、三人姉妹の末子として出生。父は42歳、母は38歳という遅い子であった。4歳から日本舞踊を始める。 洲本市立洲本第二小学校を卒業、洲本市立洲浜中学校に進学。同校在学中に、ひょんなことから舞台に立ち、その面白さから芸能活動を希望するようになり、父に相談するも猛反対されてしまう。しかし、「宝塚歌劇団なら軍隊なみに規律が厳しいから、ためになるのではないか」との父の軍隊時代の友人の進言があり、受験を許された。
上崎 勝規(うえさき かつのり、1955年(昭和30年)4月… 上崎 勝規(うえさき かつのり、1955年(昭和30年)4月10日 - )は、日本の政治家。元兵庫県洲本市長(1期)。 兵庫県洲本市出身。兵庫県立洲本高等学校、関西学院大学経済学部卒業。1979年洲本市役所に入る。市役所では総務部長、企画情報部長を経て、副市長となる。 2021年11月、洲本市長竹内通弘が、翌年3月の市長選挙に立候補せず、任期満了を以って退任する意向を示した。副市長の上崎は出馬に意欲を示し、11月24日に正式に立候補を表明した。 2022年3月6日に行われた洲本市長選挙に出馬。元市議ら2名の候補者を破り、当選を果たした。 2026年3月8日に行われた洲本市長選挙に2期目を目指して出馬したが、新人の吉平敏孝に敗れ落選。
山田 啓二(やまだ けいじ、1954年〈昭和29年〉4月5日… 山田 啓二(やまだ けいじ、1954年〈昭和29年〉4月5日 - )は、日本の自治官僚、政治家。勲等は旭日大綬章。京都府京都文化博物館長、学校法人京都産業大学理事長。 京都府知事(公選第15・16・17・18代)、全国知事会会長(第11代)、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)副代表・「知事・市町村長連合会議」座長、京都舞鶴港振興会会長、関西観光本部副理事長を歴任した。 兵庫県洲本市で生まれ、後に伊丹市、東京都杉並区に転居。桐朋高等学校、東京大学法学部卒業。1977年4月、自治省(現・総務省)に入省した。本省勤務の他、和歌山県や高知県、内閣法制局、国土庁への出向も経験し、1999年より京都府総務部長。
堀井 雄二(ほりい ゆうじ、1954年1月6日 - )は、日… 堀井 雄二(ほりい ゆうじ、1954年1月6日 - )は、日本のゲームデザイナー・作家・アーマープロジェクト代表取締役。兵庫県洲本市出身。『ドラゴンクエストシリーズ』の生みの親である。愛称は「ゆうてい(ゆう帝)」。 実家は淡路島の洲本市街地で堀井ガラス店というガラス屋を営んでいた。幼少時は弁護士志望だったが、中学時代に漫画家志望に転換。 兵庫県立洲本高等学校時代は漫研に所属していたが、水泳部、ブラスバンド部(サックス担当)、さらに生物部、茶道部を掛け持ちしていた。この頃は、本気で漫画家になるつもりだったという。夜更かしが多くなり、遅刻の常習犯になった。自宅から学校まで自転車で5分くらいの距離だったにもかかわらず、高校2年の成績表を見ると出席日数210日のうち、197日遅刻しているほどだった。
渡辺 秀一(わたなべ しゅういち、1952年(昭和27年)4… 渡辺 秀一(わたなべ しゅういち、1952年(昭和27年)4月11日 - )は、日本の実業家。メディパルホールディングス社長・メディセオ会長・日本医薬品卸売業連合会会長。 兵庫県洲本市出身。法政大学法学部卒業。 1975年(昭和50年)に新卒で三菱重工業に入社する。1979年(昭和54年)にクラヤ薬品に入社し、2004年(平成16年)にメディセオホールディングス取締役、2011年(平成23年)に同社副社長を経て、2012年(平成24年)に同社社長に就任する。 2019年(令和元年)日本医薬品卸売業連合会会長。 法政大学時代は野球部に所属、同級生に新井宏昌、高浦美佐緒がいる。江川卓(作新学院)、金光興二・佃正樹・楠原基(以上広島商業)、島本啓次郎(箕島高)、植松精一(静岡高)、袴田英利(静岡自動車工業)ら、後に東京六大学史上唯一となる全季勝ち点5の完全優勝での4連覇を達成する「花の49年組」が入学したときの主将。
西岡 三四郎(にしおか さんしろう、1949年4月27日 -… 西岡 三四郎(にしおか さんしろう、1949年4月27日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(投手)。 洲本実業高校では2年次の1966年に春季近畿大会1回戦でPL学園の加藤英治と投げ合うが惜敗し、同年の夏の甲子園県予選でも準々決勝に進むが、吉岡邦広を擁する三田学園に敗退。1年上のチームメートに後にプロで同僚となる桜井輝秀がいた。本格派右腕投手として注目を集める。 1967年も県予選で敗れ甲子園には出場できなかったが、春季兵庫大会淡路予選で完全試合を記録している。 同年のドラフト2位で南海ホークスに入団。 1968年は8月20日の東京戦(東京)で初登板・初先発を果たすが、2回で降板したため勝敗はつかなかった。
清水 大敬(しみず だいけい、本名:清水 昇、1948年4月… 清水 大敬(しみず だいけい、本名:清水 昇、1948年4月20日 - )は、日本の映画監督・俳優・AV監督・AV男優・脚本家。兵庫県洲本市出身。明治大学文学部演劇学科専攻卒業。 高校時代に演劇を始め、本格的に役者を目指す目的で、1967年に明治大学演劇学科に入学。 大学卒業後、賀原夏子率いる劇団NLTの研究所に入り、1年後には研究生として仮採用される。以後、清水 のぼるの名義で舞台を中心に活躍。 また、映画・テレビドラマへの出演も多く、『大空のサムライ』(1976年)、『悪魔の手毬歌』『祭ばやしが聞こえる』(1977年)などに脇役で出演した。 しかし、当時のNLTでは研究生として5年間経過すると基本的に準劇団員に昇格して本採用扱いとなるのが普通だったのだが、清水は「劇団の裏方などの仕事をやらない」「自分勝手」などの理由で準劇団員への昇格を見送られてしまう。
桜井 輝秀(さくらい てるひで、本名:櫻井 輝秀(読み同じ)… 桜井 輝秀(さくらい てるひで、本名:櫻井 輝秀(読み同じ)、1948年4月12日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 洲本実業高校では1966年に、後にプロで同僚となる1年下のエース西岡三四郎を擁し、春季近畿大会に進出。1回戦でPL学園の加藤英治に完封を喫する。同年の夏の甲子園県予選でも準々決勝に進むが、吉岡邦広、藤村雅美のいた三田学園に敗退。 同年のドラフト5位で南海ホークスに入団。1971年から二塁手としてレギュラーに定着し、同年は初の規定打席(27位、打率.258)にも達する。1973年にベストナイン、1973年と1974年に2年連続でダイヤモンドグラブ賞を受賞。
中野 主一(なかの しゅいち、Syuichi Nakano … 中野 主一(なかの しゅいち、Syuichi Nakano [sic]、1947年9月11日 - )は、日本の天文計算家。兵庫県洲本市炬口出身。一時期、アメリカで活動していたこともある。天体の位置計算、とくに太陽系小天体(彗星・小惑星)の軌道計算を行い、過去に観測された記録との同定を行うことでは、第一人者として知られる。天文計算を家庭向けコンピュータ、いわゆる「パソコン」で行うことの草分け的存在であり、1970年代の終わり頃の当時は「マイコン」と呼ばれていたパソコンの最初期のものから、コンピュータの技術進歩に従いその計算プログラムの改良も進めた。 兵庫県洲本市在住。東亜天文学会 (OAA) 理事長(会計・事務・機関紙『天界』編集担当)、速報部長、計算課長・小惑星課長を兼務。
大村 謙二郎(おおむら けんじろう、1947年 - )は、日… 大村 謙二郎(おおむら けんじろう、1947年 - )は、日本の都市工学者、工学博士。筑波大学名誉教授。専門は土地利用計画、市街地整備、都市計画史、都市住宅政策。 1947年11月に兵庫県洲本市で生まれる。1971年に東京大学工学部都市工学科を卒業し、同年から計量計画研究所都市計画研究室研究員、1977年から東京大学工学部都市工学科助手、1984年~1985年に建設省建築研究所第一研究部建設経済研究室長、1985年から同研究所第六研究部都市開発研究室長を歴任した。1994年に筑波大学社会工学系教授に就任し、1999年~2001年に同大学社会工学研究科長、2003年~2004年に東京大学社会科学研究所教授を併任した。
清水 正輝(しみず まさてる、1945年2月21日 - )は… 清水 正輝(しみず まさてる、1945年2月21日 - )は、日本の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは投手、外野手。 兵庫県津名郡五色町(現:洲本市)出身。洲本実業高校では、エースとして1962年夏の甲子園県予選準決勝に進むが柏原高に完封負け。卒業後に関西学院大学に入学した。関西六大学野球リーグでは、1966年秋季リーグの優勝に貢献。 1966年のドラフト会議で西鉄ライオンズから3位指名されたが入団を拒否し、 京都大丸に入社した。1967年の都市対抗に日本新薬の補強選手として出場。1回戦で先発を任されるが富士製鐵室蘭に敗退。1969年からは投手登録ながら中心打者として活躍する。同年の都市対抗では右翼手、四番打者として出場するが、1回戦でサッポロビールに惜敗。
松本 正義(まつもと まさよし、1944年9月18日 - )… 松本 正義(まつもと まさよし、1944年9月18日 - )は、日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長、関西経済連合会会長、日本銀行参与等を歴任。住友電気工業の連結売上高を倍増させ、中興の祖とされた。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事等も務めた。 兵庫県洲本市出身。洲本市立洲本第二小学校、洲本市立洲浜中学校、兵庫県立洲本高等学校を経て、1967年一橋大学法学部卒業。商法の吉永榮助ゼミ出身。会社法の教材で使われていたトーマス・カーライルの著書『Past and Present』を読み、卒業後も座右の書としてCaptain of Industryたる理想の経営者像を学んだ。
辻野 欽也(つじの きんや、1942年6月7日 - )は、兵… 辻野 欽也(つじの きんや、1942年6月7日 - )は、兵庫県洲本市出身の元プロ野球選手(投手)。 1961年、洲本実業高校から大毎オリオンズに入団。1963年にはイースタンリーグで最多勝を獲得する。長身から、速球とフォークボールを交える。
朝岡 勲(あさおか いさお、1941年6月20日 - 200… 朝岡 勲(あさおか いさお、1941年6月20日 - 2006年6月10日)は、兵庫県洲本市出身(本籍地は、同県尼崎市)で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西前頭10枚目(1966年5月場所)。現役時代の体格は174cm、129kg。得意手は押し。 洲本市立青雲中学校在学時より相撲を始め、卒業後、川崎重工業の相撲部を経て1962年に高砂部屋へ入門。同年5月場所、20歳で初土俵を踏んだ。 当時、まだ実業団相撲のレベルが懐疑視されていた中、実業団で5年間鍛えた実力を発揮。足腰の良さを生かした押し相撲を活かし、1964年11月、初土俵から僅か2年半で十両に昇進した。 その後、1966年3月場所にて新入幕(実業団出身力士としては、大龍志郎以来2人目となる、幕内昇進)。
梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )… 梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )は、平和運動家。NPO法人ピースデポ代表。工学博士。兵庫県洲本市出身。 ほか、核軍縮議員ネットワーク(PNND)東アジア・コーディネーターなどを務める。
阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - … 阿久 悠(あく ゆう、1937年〈昭和12年〉2月7日 - 2007年〈平成19年〉8月1日)は、淡路島出身の放送作家、詩人、作詞家、小説家。数々のヒット曲の歌詞を生み出し、日本歌謡界の黄金時代を築いた。 ペンネームの由来は、広告会社勤務時代に放送作家として活躍を始めたが、兼業禁止の会社にばれないよう“悪友”をもじった筆名として使い始めた事から。深く考えずにつけたため、いずれは別の筆名にするつもりだったが、仕事が途切れなかったので、独立後も使い続けた。また、多夢星人(たむせいじん)の変名も使用した(阿久の小説『グッドバイ―BN童子の青春』の登場人物であるロック歌手の名に由来する)。 長男は作曲家の深田太郎で、阿久作詞・深田作曲の楽曲も存在する。
加藤 昌利(かとう まさとし、1935年5月10日 - 19… 加藤 昌利(かとう まさとし、1935年5月10日 - 1985年5月9日)は、兵庫県洲本市生まれのプロ野球選手・審判員。 洲本高校では1953年の春の選抜に初出場。四番打者として、エース北口勝啓(のち明電舎)とバッテリーを組み勝ち進む。決勝では片岡宏雄のいた浪華商を完封で降し、淡路島に優勝旗をもたらした。チームは「瀬戸内少年野球団」と渾名される。北口以外のチームメートに遊撃手の志貴正視(のち法大)がいた。 1954年に期待されて近鉄パールスに入団。1955年には控え捕手として一軍に定着し、3年目の1956年に原勝彦に代わりレギュラー捕手となる。翌年は故障もあって出場機会がなく、1958年に外野手に転向。
成山 明(なるやま あきら、1931年11月27日 - 19… 成山 明(なるやま あきら、1931年11月27日 - 1978年5月8日)は、兵庫県津名郡由良町(現在の同県洲本市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名同じ。最高位は西小結(1956年3月場所)。身長176cm、体重110kg。得意手は左四つ、寄り。 成山は本名であるが、郷里・由良町にある成ヶ島(淡路橋立)の北端にある山の名前でもあるため、そのまま四股名とした。少年航空兵を志願し合格したが時は敗戦寸前だった1945年(昭和20年)のことで、願いは叶わず終戦となった。家業の漁業を手伝っていたところを、父親がいとこ同士だった元前頭2・錦華山の小野川親方に誘われて小野川部屋へ入門することとなり、1948年(昭和23年)10月場所にて初土俵を踏んだ。
山本 広(やまもと ひろし、1925年2月15日 - 199… 山本 広(やまもと ひろし、1925年2月15日 - 1993年8月27日)は、日本のヤクザ、暴力団・一和会会長、三代目山口組組長代行。通称は山広(やまひろ)。 兵庫県津名郡都志村(現:洲本市五色町都志)で出口千代吉の三男として生まれる。 2歳の時、姉の嫁ぎ先に養子に出て、以降「山本」姓を名乗る。 神戸市兵庫区の兵庫高等小学校を卒業後、一時工員として働いたが、1942年、海軍へ徴兵され、南方方面を転戦して海軍一等兵曹となって1947年に復員した。 復員後、尼崎市の土建業・白石組(白石幸吉)の若衆となり、暫く白石の下で土木業務や神戸港の港湾荷役業務などに従事し、次第に頭角を現し、実績を出していった。
平野 時男(ひらの ときお、1922年8月6日 - 1993… 平野 時男(ひらの ときお、1922年8月6日 - 1993年7月27日)は、日本の柔道家(講道館8段)。 皇宮警察や綜合警備保障の柔道師範を務めたほか、欧州各国で柔道指導を行いアントン・ヘーシンクやウィレム・ルスカ等の世界チャンピオンを育てた事で知られる。 淡路島の洲本市に生まれ、旧制・洲本中学校に入学した直後の1935年4月より柔道を始めた。2年生で初段位を取得すると推薦により平安中学校へ転校し、大日本武徳会武道専門学校師範を務める福島清三郎8段(のち9段)の義方会塾に住みこんで4段・5段の猛者を相手に修行に励んだ。平安中学主将となった平野は1939年に全国中等学校大会で優勝すると、同年秋に講道館で開催された明治神宮国民体育大会(中学校の部)に団体戦の京都府代表として出場し、優勝に貢献。
冨久 正二(とみひさ しょうじ、1917年〈大正6年〉1月2… 冨久 正二(とみひさ しょうじ、1917年〈大正6年〉1月24日 - 2022年〈令和4年〉7月1日)は、日本の元マスターズ陸上競技選手。 1917年、兵庫県津名郡(現在の淡路島洲本市)で生まれ、5歳まで同地で育つ。以後父親の転勤に伴い飾磨郡(現・姫路市)・武庫郡(現・神戸市)、石川県と移住する。石川県在住時に小松商業学校(現・石川県立小松商業高等学校)を卒業。卒業後はいったん大阪市で丁稚となったものの3か月で脱走・帰郷し、小松製作所に就職する。 1938年に徴兵されて広島歩兵第11連隊第7中隊に所属し、日中戦争に従軍したが河南省にいたときに赤痢にかかり、さらに結核にも罹患して日本へ送還される。
柏木 俊夫(かしわぎ としお、1912年9月24日 - 19… 柏木 俊夫(かしわぎ としお、1912年9月24日 - 1994年12月7日)は、日本の作曲家、音楽理論家。東京学芸大学名誉教授。 兵庫県洲本市出身。『和声 理論と実習』の共著者として知られる。東京学芸大学教授、東京芸術大学講師、千葉経済大学教授を歴任。 旧制洲本中学校卒業、東京音楽学校(東京藝術大学の前身)作曲科第1期生卒業。同校で信時潔、クラウス・プリングスハイムらに師事した。 1950年、イタリアのジェノヴァでの作曲コンクールにおいてピアノ曲「芭蕉の奥の細道による気紛れなパラフレーズ」で入賞した。他には声楽曲が多い。1985年、勲三等瑞宝章を受章。 1994年12月7日、心不全のため死去。
三熊山 美夫(みくまやま よしお、1908年7月20日 - … 三熊山 美夫(みくまやま よしお、1908年7月20日 - 没年不明)は、現在の兵庫県洲本市出身で中川部屋、武蔵川部屋、鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名は小泉 美夫。167cm、102kg。最高位は西前頭12枚目。 1923年1月初土俵、1932年5月十両昇進。1936年1月新入幕。非力と評されながらも、ずんぐりとした体相当の相撲を見せ、評判はよかった。しかし幕内在位は3場所に終わり、1938年1月に廃業。廃業してからは消息が全く不明になっている。 四股名は故郷の山から。 大変器用な力士で、初っ切り・相撲甚句・弓取りと何でも務められたので巡業で重宝がられた。
寺内 石夫(てらうち いしお、1906年〈明治39年〉12月… 寺内 石夫(てらうち いしお、1906年〈明治39年〉12月12日 - 1980年〈昭和55年〉1月10日)は、日本の実業家。「ファンビ寺内」の寺内株式会社創業者。元参議院議員で、衆議院議員・学校法人近畿大学理事長の世耕弘成は孫。 兵庫県洲本市出身。銀蔵、ゑつの四男。1921年に学校を卒業し、15歳で東京の海渡商店(現・エトワール海渡)に商売の修業として丁稚奉公にでる。1932年に海渡大阪支店を設立する。 1947年に寺内株式会社を設立、社長に就任する。1951年に寺内通商、1958年にバイオレット産業、1964年にテリカ工芸を夫々設立、社長に推される。1966年に近畿大学短期大学部通信教育学科を卒業する。
奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 20… 奥野 高廣(おくの たかひろ、1904年8月21日 - 2000年5月5日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所助教授。学位は、文学博士。現在[いつ?]でも織田信長研究の権威と評されている。 兵庫県洲本市生まれ。1928年(昭和3年)に國學院大學を卒業後、東京帝国大学史料編纂掛に勤務、『大日本史料』第2・9・10編や『史料綜覧』の編修に携わる。1941年(昭和16年)に東京帝国大学史料編纂官補、1954年(昭和29年)に東京大学史料編纂所助教授に就任。引き続き『大日本史料』第10・11・12編の編修にあたった。この間、1945年(昭和20年)6月12日には、『皇室御経済史の研究』が評価されて帝国学士院より恩賜賞を受賞。
早瀬 利雄(はやせ としお、明治36年(1903年)12月2… 早瀬 利雄(はやせ としお、明治36年(1903年)12月2日 - 昭和59年(1984年)1月2日)は、日本の社会学者。横浜市立大学名誉教授。 兵庫県洲本市生まれ。兵庫県立洲本中学校(現兵庫県立洲本高等学校)を経て、1925年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業。1928年東京商科大学(現一橋大学)卒業。 東京商科大学補手、巣鴨高等商業学校(現千葉商科大学)教授を経て、1931年横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)教授。 1934年叙正七位。1936年叙従六位。1938年全国高商文化聯合会副会長。同年小原敬士とともに治安維持法違反で寿町警察署に連行され、1940年から休職となり、1942年に懲役2年執行猶予4年の裁判が確定し失職し、大倉精神文化研究所員となった。
錦城山 勇吉(きんじょうざん ゆうきち、1902年11月18… 錦城山 勇吉(きんじょうざん ゆうきち、1902年11月18日 - 1987年12月18日)は、兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)出身で小野川部屋に所属した大相撲力士。本名は村上 幸作(むらかみ こうさく)。 1902年11月18日に兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)で生まれる。草相撲が盛んであった淡路島は小野川部屋の勢力基盤であり、宮相撲で活躍したことで若者頭に見出され、小野川部屋(大坂相撲)に入門した。当初の四股名は小鳴門だったが、大阪城の別名が「錦城」であることに因んで「錦城山」と改名した。 1923年5月場所が龍神事件によって同年6月へ延期、さらに片番付での開催となった影響で、1924年1月場所で新入幕を果たした際はいきなり前頭2枚目になった。
竹中 恒夫(たけなか つねお、1902年4月30日 - 19… 竹中 恒夫(たけなか つねお、1902年4月30日 - 1971年2月4日)は、日本の政治家、参議院議員(1期)、歯科医師。日本歯科医政連盟会長、日本歯科医師会会長。 兵庫県洲本市出身。大阪歯科医学専門学校卒業、歯学博士。1956年7月、第4回参議院議員通常選挙に出馬し、初当選。1963年10月、参議院地方行政委員長に就任。1965年6月、第1次佐藤第1次改造内閣で大蔵政務次官に就任。 1971年2月4日死去、70歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙される。
雲井 浪子(くもい なみこ、本名:坪内操、旧姓:高井、190… 雲井 浪子(くもい なみこ、本名:坪内操、旧姓:高井、1901年(明治34年)7月23日 - 2003年(平成15年)8月20日)は、元宝塚少女歌劇団主演娘役で宝塚歌劇団卒業生。兵庫県津名郡洲本町出身。 夫は演劇評論家、早稲田大学教授の坪内士行。娘に女優の坪内ミキ子がいる。実姉は同じく宝塚歌劇団1期生で宝塚歌劇団卒業生の八十島揖子、実妹は宝塚歌劇団16期生で宝塚歌劇団卒業生の緒島なほ子(本名:高井秀子)。義理の叔父は坪内逍遥、逍遥の養女は飯塚くに。 芸名は小倉百人一首の第76番:法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)の より、宝塚歌劇団創設者の小林一三によって命名された。 1913年7月、湊山尋常高等小学校(後の神戸市立湊山小学校)を卒業した後、宝塚唱歌隊(同年12月に宝塚少女歌劇養成会に改称。
錦華山 大五郎(きんかざん だいごろう、1900年8月26日… 錦華山 大五郎(きんかざん だいごろう、1900年8月26日 - 1967年10月21日)は、兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)出身の元大相撲力士。本名は濱野 平蔵(はまの へいぞう)。 1900年8月26日に兵庫県津名郡(現:兵庫県洲本市)で生まれる。当初は小野川部屋(大坂相撲)に入門して幕下まで昇進したが、1927年の東西合併興行によって東京相撲の三段目に編入された。四股名を捩った「喧嘩山」の愛称のように上突っ張りが得意だったが四つに組まれると力を発揮できず、それが出世を遅くした。 1929年5月場所で新十両昇進、1931年5月場所で新入幕を果たした。この時は連合側に所属していたが、1932年1月場所の番付では出羽海方へ移動した。
大槻 憲二(おおつき けんじ、1891年11月2日 - 19… 大槻 憲二(おおつき けんじ、1891年11月2日 - 1977年2月23日)は、日本の精神分析家、心理学者、文芸評論家。兵庫県洲本市出身。早稲田大学卒。孫に翻訳家の長井那智子。 日本における精神分析の草分けの一人であり、代表的な紹介者である。ジークムント・フロイトやその他の精神分析家の翻訳者としても著名である。文芸評論家としては『文藝日本』『新潮』などにマルキシズム文学論批判の評論を発表している。 1928年、矢部八重吉や長谷川天渓(本名、長谷川誠也)らとともに東京精神分析学研究所を創設し、後に所長となった。1933年には日本初の精神分析学の雑誌、『精神分析』を創刊した。 戦後創設された日本精神分析学会には大槻は入会していない。
岡本 帰一(おかもと きいち、1888年6月12日 - 19… 岡本 帰一(おかもと きいち、1888年6月12日 - 1930年12月29日)は、童画家。兵庫県洲本に新聞社勤務の父・岡本甚吉と母・もとの長男として生まれ、東京で育った。1906年、東京市立第一中学校卒業。白馬会葵橋洋画研究所で油絵を学ぶ。1912年に岸田劉生や木村荘八らによって設立されたフュウザン会に創設メンバーとして参加。その後、童話雑誌「金の船(のちに「金の星」に改題)」、「コドモノクニ」に挿絵を描き始めた。1930年12月、腸チフスにより死去。弟子にまつやまふみお、岩岡とも枝、川島はるよらがいる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
四海波 太郎(しかいなみ たろう、1883年1月1日 - 1… 四海波 太郎(しかいなみ たろう、1883年1月1日 - 1933年12月10日)は、現在の兵庫県洲本市出身で小野川部屋(大阪)出羽海部屋(東京)に所属した力士。本名は佐渡 太郎市。4代君ヶ濱。171cm、90kg。最高位は大阪では東関脇、東京では東小結。 大阪相撲の小野川部屋に入門。1908年6月西昇の四股名で入幕。1910年1月関脇に進み番付発表後に師名を継ぎ八陣と改名。1912年1月東京に移り四海波の名で前頭5枚目格に付出され、1915年1月小結。右四つからの寄りが得意で、横綱梅ヶ谷と3度引分になったことがある。1917年1月に引退、4代君ヶ濱を襲名したが、1921年5月に廃業した。