折田 壮太(おりた そうた、2005年9月18日 - )は、… 折田 壮太(おりた そうた、2005年9月18日 - )は、日本の陸上競技選手。兵庫県淡路市出身。青山学院大学コミュニティ人間科学部コミュニティ人間科学科在学中。 淡路市立東浦中学校、須磨学園高等学校出身。 2年時までは1学年上の世代に長嶋幸宝や前田和摩がおり、須磨学園としても長嶋率いる西脇工業や前田率いる報徳学園の後塵を拝していたが、3年時には西脇工業を破って全国高校駅伝に出場し、全国高校駅伝で折田は佐藤一世の日本人区間記録に並ぶ28分48秒を記録した。また、個人としても全国高校総体5000mで日本人トップに入ったほか、5000mでは吉岡大翔に次ぐ高校歴代2位(当時)、高校生史上2人目の13分30秒切りとなる13分28秒78を記録した。
村西 良太(むらにし りょうた、1997年6月6日 - )は… 村西 良太(むらにし りょうた、1997年6月6日 - )は、兵庫県淡路市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 小学校3年生より野球を始めた。当初は足の速さを活かして、中堅手であったが、小学校4年からは遊撃手を務めていた。淡路市立津名中学校時代はクラブチームのアイランドホークスへ所属していたが、主なポジションは外野であった。 高校は兵庫県立津名高等学校へ進学し、1年秋からベンチ入りを果たしていたものの、控え投手として高校野球を終える。最高成績は2年秋の兵庫県大会3位。近畿大会では和歌山県1位の箕島と対戦し、3回よりリリーフ登板し、失点0の好投を見せた。甲子園出場経験はなし。 大学は近畿大学監督の田中秀昌の強いラブコールにより同大学へ進学。
近本 光司(ちかもと こうじ、1994年11月9日 - )は… 近本 光司(ちかもと こうじ、1994年11月9日 - )は、兵庫県津名郡東浦町(現:淡路市)出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。阪神タイガース所属。兵庫県淡路市スポーツ親善大使。 セ・リーグにおける新人最多安打数記録の保持者(2019年、159安打、NPB史上歴代2位)。また、NPB史上歴代2位となる通算6度タイの盗塁王を獲得している。 また、出場861試合目で通算1000安打を達成。阪神の生え抜き選手では藤村富美男の864試合を抜いて、最速となった。 2019年のオールスターゲームでは古田敦也以来2人目となるサイクル安打を達成した。 東浦町(現:淡路市)立学習小学校2年時に軟式野球チームの「仮屋クラブ」に入団し野球を始める。
山本 大貴(やまもと ひろき、1994年6月27日 - )は… 山本 大貴(やまもと ひろき、1994年6月27日 - )は、兵庫県淡路市出身の元社会人野球選手。 高校通算107本塁打は清宮幸太郎の高校通算111本塁打に抜かれるまで高校通算本塁打歴代最多記録を保持していた。高校通算107本塁打の記録は佐々木麟太郎、清宮に次いで3位の記録である。 兵庫県淡路市出身。淡路市立学習小学校2年生のときから野球を始める。当初は左投げだったが肩を故障したため、右投げに転向している。淡路市立東浦中学校では軟式野球部に所属し、外野手のレギュラーとして2年夏の大会では県ベスト8に入った。 神港学園神港高等学校に進学し、1年生だった2010年は背番号12を着けながらもセンターを守り、主軸を任されていた。
竹地 志帆(たけち しほ、1990年8月18日 - )は、日… 竹地 志帆(たけち しほ、1990年8月18日 - )は、日本の元陸上競技選手である。専門は長距離走で、得意種目は10000m。ヤマダホールディングスに所属していた。現在はシスメックス女子陸上競技部でマネージャーを務めている。血液型はO型。 兵庫県淡路市出身。淡路市立東浦中学校ではソフトボール部に所属。中学生の時に学校代表として駅伝メンバーに選ばれ、兵庫県中学校駅伝などで活躍した。 兵庫県立須磨友が丘高等学校では陸上部に所属し、エースとして全国高校総体や近畿高校駅伝などに出場した。 佛教大学社会福祉学部社会福祉学科へ進学。佛教大学陸上競技部に所属し、2009年の第27回全日本大学女子駅伝対校選手権大会で初優勝。
住村 竜市朗(すみむら りゅういちろう、1986年2月14日… 住村 竜市朗(すみむら りゅういちろう、1986年2月14日 - )は、日本の男性元総合格闘家。兵庫県淡路市出身。TEAM ONE所属。現修斗世界ウェルター級王者。元DEEPウェルター級王者。元ウェルター級キング・オブ・パンクラシスト。日本国内の総合格闘技団体の主要3団体制覇を果たした選手。兵庫県淡路市スポーツ親善大使。 2009年11月29日、修斗で湯浅友和とプロデビュー戦を行い、2R0-3の判定負けを喫した。 2016年、DEEPウェルター級王座決定戦を兼ねたDEEPウェルター級GPに出場。同年10月9日にDEEP CAGE IMPACT 2016 in OSAKAのDEEPウェルター級GP一回戦で悠太と対戦し、2Rにリアネイキッドチョークで一本勝ちを収め準決勝進出を果たした。
大滝 瓶太(おおたき びんた、1986年 - )は、日本の小… 大滝 瓶太(おおたき びんた、1986年 - )は、日本の小説家。文筆家。 兵庫県淡路市出身。兵庫県立津名高等学校、京都工芸繊維大学卒業。京都大学大学院工学研究科博士課程単位取得中退。会社員を経てフリーライターとなる。小説の実作・批評のほか、WEBメディアへコラムやエッセイを寄稿。 2017年10月、電子書籍で短篇集『コロニアルタイム』(惑星と口笛ブックス) を刊行。同年、「青は藍より藍より青」で第1回阿波しらさぎ文学賞を受賞。同年、『たべるのがおそい』vol.6(書肆侃侃房)の原稿公募で短編小説「誘い笑い」が掲載された。
出口 雄樹(でぐち ゆうき、1985年8月16日 - )は、… 出口 雄樹(でぐち ゆうき、1985年8月16日 - )は、兵庫県淡路市出身の日本の柔道家。身長185cm。足の大きさ30cm。 血液型A型。段位五段。東浦柔道教室、津名高校、天理大学出身組み手は右組み。得意技は大外刈、内股。 現在は広島県の体育教師をしている。そして2人の子供がいる性格は真面目で優しく、嘘が嫌いである。生徒想いでポジティブである。
長尾 強司(ながお きょうじ、1983年〈昭和58年〉7月7… 長尾 強司(ながお きょうじ、1983年〈昭和58年〉7月7日 - )は、日本の元プロバスケットボール選手。兵庫県淡路市出身。現役時代のポジションはポイントガード。 神戸市立御影工業高等学校、阪南大学を経て、横浜ギガスピリッツに入団。2006年、横浜ギガスピリッツを退団後、高松ファイブアローズの練習生となる。2008年から2009年にかけては高松市の一般クラブチーム(高商OB)に在籍し、国体の香川県選抜チームのメンバーに選ばれた。2009年8月、再び高松ファイブアローズの練習生となり、2009年9月に選手契約を結んだ。2011年1月退団。 2011年3月、同年秋よりJBL2に新規参入する兵庫ストークスのトライアウトに合格し入団。
竹内 良輔(たけうち りょうすけ、1980年11月20日 -… 竹内 良輔(たけうち りょうすけ、1980年11月20日 - )は、日本の漫画家、漫画原作者。兵庫県淡路島出身、兵庫県立洲本高等学校、関西学院大学卒業。父親は洲本市長の竹内通弘。 好きな漫画は『宇宙兄弟』『レベルE』『Spirit of Wonder』。
幸いってん(こう いってん、本名津井 一優、1974年1月1… 幸いってん(こう いってん、本名津井 一優、1974年1月19日 - )は、浪曲親友協会に所属していた元浪曲師。兵庫県津名郡津名町出身。 初代京山幸枝若と懇意だった父の影響で、幼少の頃より浪曲・河内音頭を聴き、高校卒業と同時に浪曲界への入門を希望していたが、初代京山幸枝若の死去により希望が叶わず、一旦は地元・淡路島に戻り第三セクターのハーブ園に就職、特産品の販売やレストランの主任を務める。しかし芸への思いは諦め切れず25歳で2代目京山幸枝若(当時京山福太郎)に入門。修行を重ね1999年12月ワッハ上方における「京山一門会」にて初舞台を踏み、以降、貴重な若手の「幸枝若節」の使い手として舞台を重ねる。
伊藤 祐樹(いとう ゆうき、1972年7月7日 - )は、兵… 伊藤 祐樹(いとう ゆうき、1972年7月7日 - )は、兵庫県淡路市出身の元社会人野球選手(内野手)、野球指導者。右投左打。 兵庫県立津名高等学校から、北陸大学野球連盟に加盟する福井工業大学に進学。大学時代は全日本大学野球選手権大会に出場した。 大学卒業後の1995年に社会人野球の日産自動車に入社。強打があったわけではないが、堅実な守備と俊足を武器にたちまち遊撃手のポジションを手にした。その後、チーム事情に応じて三塁手や二塁手となることもあったが、スターティングオーダーから名前が消えることは殆ど無く、レギュラーを守り続けた。 1998年、第69回都市対抗野球大会で優勝に貢献したことが認められ、同年の社会人ベストナインの遊撃手部門を受賞。
島津 秀紀(しまづ ひでき、1968年 - )は、日本の医学… 島津 秀紀(しまづ ひでき、1968年 - )は、日本の医学博士。武庫川女子大学薬学部教授、日本ボツリヌス治療学会代議員。兵庫県淡路市出身。 現在、武庫川女子大学薬学部教授、日本ボツリヌス治療学会代議員。
木戸 賢永(きど たかなが、1967年6月14日 - )は、… 木戸 賢永(きど たかなが、1967年6月14日 - )は、兵庫県淡路市出身のプロ野球選手(捕手)。 津名高校では、1年夏に夏の県大会準優勝、1985年・3年夏の県大会では準々決勝で報徳学園高校に敗北し甲子園出場を逸する。高校では通算28本塁打を放つ。高校同期に外野手の吉田征人がいる。 1986年に南海ホークスへドラフト外で入団。一軍出場のないまま1988年に選手を引退し、翌年からブルペン捕手となり1991年には23歳でコーチ補佐となった。1992年からはチームスタッフとなった。
植松 浩二(うえまつ こうじ、1965年〈昭和40年〉 - … 植松 浩二(うえまつ こうじ、1965年〈昭和40年〉 - )は、日本の総務・総務官僚。元和歌山市助役、元熊本市副市長、元危険物保安技術協会理事、全国市町村国際文化研究所学長。2025年から淡路市副市長。 兵庫県淡路市出身。兵庫県立津名高等学校を経て、1988年(昭和63年)3月、京都大学法学部を卒業。同年4月、自治省へ入省。 総務省自治財政局財務調査課課長補佐、和歌山市助役、総務省情報通信政策局地域通信振興課地方情報化推進室長、総務省自治行政局地域政策課国際室長、全国市町村国際文化研究所教務部長兼教授、内閣官房副長官補付内閣参事官兼内閣官房拉致問題対策本部事務局総務・拉致被害者等支援室長兼内閣官房参事官兼拉致被害者等支援担当室長、消防庁国民保護・防災部防災課長、熊本市副市長。
小高 正宏(こたか まさひろ、1960年2月18日 - )は… 小高 正宏(こたか まさひろ、1960年2月18日 - )は、兵庫県津名郡淡路町岩屋(現淡路市岩屋)出身の元重量挙げ選手で現在は解説者兼兵庫県ウエイトリフティング協会理事長。1984年ロサンゼルスオリンピック重量挙げ男子56kg級銅メダリスト。日本体育大学卒業 現兵庫県高校教員。
福家 雅明(ふくや まさあき 1959年4月10日 - )は… 福家 雅明(ふくや まさあき 1959年4月10日 - )は日本のテレビディレクターで元プロ野球選手(投手。右投げ右打ち)。WES取締役社長。兵庫県津名郡一宮町(現:淡路市)出身。天理高等学校卒業。
沖 隆二郎(おき りゅうじろう、1952年10月25日 - … 沖 隆二郎(おき りゅうじろう、1952年10月25日 - )は、日本の俳優。兵庫県津名郡(現 淡路市)出身。特技:柔道二段、殺陣、乗馬。 兵庫県立津名高等学校卒業後上京、1971年4月三島由紀夫主宰の浪曼劇場俳優養成所に入所し1972年3月卒業するもその日に劇団が解散。6月劇団新国劇に入団、「大山克巳」に師事する。数々の名作公演に出演。退団後、芸能事務所に所属し映画、TV、舞台、CM等多数出演する。1990年から1991年、ニューヨークでHBスタジオとED KOVENCEのワークショップで演技を学ぶ。
田阪 茂樹(たさか しげき、1949年 - )は、日本の物理… 田阪 茂樹(たさか しげき、1949年 - )は、日本の物理学者。岐阜大学名誉教授で、東京大学宇宙線研究所シニアフェロー。専門は電子物理工学。 兵庫県淡路市生まれ。1968年兵庫県立津名高等学校卒業。名古屋大学大学院理学研究博士後期課程を修了した。 1986年岐阜大学教育学部助教授、1998年同大学教授、2003年同大学総合情報メディアセンター教授、2016年東京大学宇宙線研究所特任研究員。 2019年第二回宇宙線物理学功労賞受賞。受賞理由:「世界最高感度の静電捕集型高感度ラドン検出器の開発により,Super-Kamiokandeをはじめとする,超低バックグラウンド環境下での宇宙線地下実験の成功と発展に,長年にわたって重要な寄与をされた功績に対して」
久住 章(くすみ あきら、1948年 - )は、日本の左官職… 久住 章(くすみ あきら、1948年 - )は、日本の左官職人。「カリスマ左官」と呼ばれている。兵庫県志筑町(現・淡路市)出身。 18歳で長兄について左官の修業を始める。京都の数寄屋左官に弟子入りして聚楽壁を習う。業界誌 『左官教室』の編集者小林澄夫の紹介で、建築家の仕事を手がけるようになる。 アーヘン工科大学の夏期講師に招碑されたのを機に、世界各地の土壁を見てまわり、独自の技をつくりあげる。 現在講師として全国各地で左官指導にもあたる。 1984年兵庫県技能顕功賞、1995年吉岡賞(現新建築賞)、1999年、日本建築学会文化賞受賞。 象設計集団との仕事が多く、ドーモ・キヴァ (徳田邸)、特別養護老人ホーム葛飾の家、高橋建設社屋、十勝ビール、ドーモ・キニャーナなどがある。
井上 民二(いのうえ たみじ、1947年9月24日 - 19… 井上 民二(いのうえ たみじ、1947年9月24日 - 1997年9月6日)は、日本の生態学者。農学博士。京都大学生態学研究センター教授。 兵庫県津名郡東浦町(現:淡路市)生まれ。生態学を専門とし、熱帯雨林を舞台に営まれる多様な生物の相利共生関係の解明に挑んだ。インドネシアのスマトラ島でシリナシバチの社会構造を研究し、生物多様性を解明するために熱帯雨林の地上数十メートルに広がる林冠を調査した。京都大学生態学研究センター教授として、昆虫と花の関係などで新発見をしたが、ボルネオ島(マレーシア・サラワク州ランビルの丘陵地帯)で飛行機事故のため49歳で死去した。
門 康彦(かど やすひこ、1946年(昭和21年)2月24日… 門 康彦(かど やすひこ、1946年(昭和21年)2月24日 - )は、日本の政治家。元兵庫県淡路市長(5期)。 兵庫県津名郡津名町志筑(現・淡路市)に生まれる。1961年(昭和36年)3月、津名町立津名中学校(志筑分教場)卒業。1964年(昭和39年)3月、兵庫県立津名高等学校卒業。1968年(昭和43年)3月、関西大学文学部哲学科卒業。同年4月、兵庫県立三原高等学校に事務職員として勤務。兵庫県教育委員会を経て兵庫県庁に異動。 2000年(平成12年)4月、兵庫県企業庁管理局長に就任。2001年(平成13年)4月、兵庫県淡路県民局長に就任。 2005年(平成17年)4月1日、淡路町、津名町、北淡町、一宮町、東浦町の5町が合併し淡路市が発足。
冨田 佳宏(とみた よしひろ、1945年10月31日 - )… 冨田 佳宏(とみた よしひろ、1945年10月31日 - )は、日本の工学者。主な研究分野は、連続体力学・計算固体力学など。工学博士(大阪大学)。兵庫県淡路市出身。 ※出典についてはこちらを参照。 兵庫県立津名高等学校を経て、神戸大学大学院工学研究科を修了後、大阪大学大学院工学研究科を修了し、工学博士の学位を取得する。 1973年に神戸大学助手に就任後、1975年に同大学助教授、1990年に教授となる。この間、1976年にはマックマスター大学(カナダ)の応用力学特別研究員、1999年には理化学研究所客員主管研究員、2004年には神戸大学教育研究評議会委員、2005年には神戸大学学長補佐および情報管理室室長、日本機械学会計算力学部門長をつとめた。
喜田 寛(きだ ひろし、1945年3月12日 - 2021年… 喜田 寛(きだ ひろし、1945年3月12日 - 2021年10月29日)は、元気の出る言葉をアートする書道家。『達山(たつざん)』として世界各地で書展や個展、社訓や社是、社歌、経営理念、ブランドパッケージ、表札等をアート作品を手掛ける。また日本で唯一の話し方を超えた生き方を問う「話道(わどう)」の世界を確立した話道の創設者と自称している。 兵庫県淡路市生まれ。 多くの苦難を乗り越え『念い』の一念で修行に励み1988年から講師活動を開始。 1995年に株式会社喜田寛総合研究所を設立。 2019年講師活動30年を迎える。 2021年10月29日逝去
長田 あつし(ながた あつし、1940年9月1日 - 201… 長田 あつし(ながた あつし、1940年9月1日 - 2014年8月2日)は、日本の演歌歌手。兵庫県津名郡北淡町(現:淡路市)出身。元殿さまキングスのリーダー。男女デュオ「オヨネーズ」としても成功を収めた。 1960年にコミックバンド「ファンキーガイズ」を結成。人気を得る。さらに1967年に「殿さまキングス」を結成。リーダーとして活躍。後に歌謡曲に転向。1973年にリリースされた「なみだの操」は、爆発的なヒットとなった。後に続く「夫婦鏡」「おんなの運命」などもヒットした。 殿さまキングスの解散前年の1989年に杏しのぶとオヨネーズを結成。1990年にリリースしたデュエット「麦畑」は、東北弁でコミカルに歌い上げ、大ヒットした。
寄神 美好(よりがみ みよし、1920年(大正9年)2月9日… 寄神 美好(よりがみ みよし、1920年(大正9年)2月9日 - 2003年(平成15年)7月20日)は、日本の実業家。淡路島出身。寄神建設株式会社の創業者。港湾工事における工法等の発明を行っており、数々の特許も取得している。 1920年(大正9年)2月 兵庫県津名郡仮屋町(現:淡路市仮屋)に生まれる。1934年(昭和9年)、大工の修行のため淡路島から神戸に渡る。1938年(昭和13年)3月 、潜水業を営む叔父である寄神末吉の養子となる。養父の下で潜水業の修行を開始。1940年(昭和15年)同郷の千鶴と結婚。1941年(昭和16年) 呉海軍軍事部に徴用され広島県呉市に向かう。港務部施設課に配属され軍港の整備・改修に従事する。
志田 重男(しだ しげお、1911年<明治44年>11月21… 志田 重男(しだ しげお、1911年<明治44年>11月21日 - 1971年<昭和46年>7月3日)は、日本の労働運動家、社会主義活動家。日本共産党幹部を務めたが、除名された。 兵庫県津名郡浅野村(現・淡路市)生まれ。小学校を卒業後、1923年堺市で旋盤工となり、労働運動に入る。1932年日本労働組合全国協議会(全協)中央常任委員。1931年、日本共産党に入党し、1933年に検挙、投獄される。 第二次世界大戦後、政治犯釈放で出獄。党本部に入り、中央委員・政治局員・書記局員となり、1947年4月の第23回衆議院議員総選挙で大阪5区から、第1回大阪府知事選挙に共産党公認で立候補したがいずれも落選した。
井植 歳男(いうえ としお、英語:Toshio Iue, 1… 井植 歳男(いうえ としお、英語:Toshio Iue, 1902年12月28日 - 1969年7月16日)は、日本の実業家。三洋電機株式会社の創業者。松下電気器具製作所(松下電器産業を経て、現・パナソニック)の創業メンバーで、専務取締役を務めた。 兵庫県津名郡浦村(現:淡路市浦字井上浜)に井植清太郎の長男として生まれる。生家は代々自作農で、かなり裕福だったが、父清太郎は百姓を嫌い、船に乗っていた。「清光丸」という千石船をもち大阪、九州、朝鮮あたりまででかけて自家貿易をしていた。 13歳の時、清太郎が急死し、後を継いで叔父の船で船乗りになったものの、石灰岩を積んで大阪港から安治川を上って西九条の石灰工場の下に着いた際に、乗っていた叔父の船が東京倉庫(現・三菱倉庫)の爆発に巻き込まれて炎上沈没、歳男らは浦へ命からがら逃げ帰る。
奥田 雀草(おくだ じゃくそう、1899年7月29日 - 1… 奥田 雀草(おくだ じゃくそう、1899年7月29日 - 1988年12月13日)は、日本の俳人・俳画家。本名は奥田 哲良(おくだ てつろう)。 雀草の句碑は上の12基。この他、洲本市“文学の森” に蜷川虎三、夫人・奥田雅子の句にそれぞれ雀草が絵をつけた合同句碑2基がある。
松下 むめの(まつした むめの、英語:Mumeno Mats… 松下 むめの(まつした むめの、英語:Mumeno Matsushita, 1896年〈明治29年〉3月3日 - 1993年〈平成5年〉9月5日)は、パナソニックの創設者である松下幸之助の配偶者。三洋電機の創設者である井植歳男の姉。 井植清太郎の次女として兵庫県津名郡浦村(現在の淡路市)に生まれる。浦高等小学校を卒業後、技芸学校に通って裁縫技術を覚えた後、大阪に出て船場(京町堀)で女中奉公を務める。炭屋を経営していた平岡屋の紹介で、松下幸之助と出会う。見合いは松島にある芝居小屋「八千代座」の前で行われた。見合いとは言っても目の前を通り過ぎるだけのものであった。この結婚に父であった清太郎は強く反対するが、当のむめのの意思は変わらなかった。
山口 春吉(やまぐち はるきち、1881年〈明治14年〉 -… 山口 春吉(やまぐち はるきち、1881年〈明治14年〉 - 1938年〈昭和13年〉1月17日)は、日本のヤクザ、山口組創設者・初代組長。 兵庫県津名郡仮屋浦(町村制後:来馬村、現:淡路市仮屋)出身。日露戦争から復員後、1910年ごろまで地元で漁師をしていたが、これに見切りを付け、神戸港に労務者として移住した。 当初は神戸市生田区栄町にあった海運業の倉橋組で働き、持ち前の体力と統率力で小者頭にのし上がった。その後1912年ごろ、神戸港で人夫供給業や造船所の用心棒等を請け負い勢力を持っていた「運河ノ親分」こと大嶋秀吉率いる大嶋組に現場監督として入った。大嶋は吉田磯吉門下で、筑豊から神戸に流れた富永組の富永亀吉の子分である。
西森 源兵衛(にしもり げんべえ、1866年8月19日〈慶応… 西森 源兵衛(にしもり げんべえ、1866年8月19日〈慶応2年7月10日〉 - 1931年〈昭和6年〉10月12日)は、日本の商人(皮革商、皮革貿易商)、政治家、実業家。西浜土地建物取締役。族籍は大阪府平民。旧姓・岡島、幼名・豊次郎。 兵庫県津名郡志筑町(現・淡路市)出身。岡島文吉の四男あるいは弟。1882年、来阪して親戚の皮革商・西森源兵衛の店員となる。1887年、西森源兵衛の養嗣子となる。1917年、養父源兵衛の逝去により家督を相続して先代を襲名する。 日清の国交がまさに破れようとする兆しがあるのを見ると、この機に乗じ製革原皮の大量輸入を開始し、有事にそなえようとしたが、幾許もなく戦闘が開かれ皮革の需要が激増し、軍需品として納入するほか、一般市場の供給に応じ、平和克服まで3年間ほとんど西森の一手により供給される。
太田 實(おおた みのる、1858年10月26日(安政5年9… 太田 實(おおた みのる、1858年10月26日(安政5年9月20日)- 1918年(大正7年)11月20日)は、明治の内務官僚、第2代本所区長、第一回、二回衆議院議員、実業家、浅草公園水族館の設立者。 幕末の安政5年(1858年)、淡路国津名郡久留麻村(町村制後:来馬村、現:兵庫県淡路市久留麻)に生まれる。祖父・利右衛門の時、徳島藩主蜂須賀家に功があり士族に取り立てられ太田氏を賜った。旧姓は山田氏であった。傍ら、酒造を業とし柿屋と号した。10歳で藩校に入ったが、藩府内の俊秀少年5人を選び修学を命ずるにあたり、その一人に選ばれた。わずか12歳で洲本の学問所に入った。13歳のとき、徳島城内の藩校舎に入り蘭人ドングルに就きドイツ語を学んだ。
大鳴門 灘右衛門(おおなると なだえもん、1853年6月20… 大鳴門 灘右衛門(おおなると なだえもん、1853年6月20日(嘉永6年5月14日) - 1908年(明治41年)1月15日)は、淡路国津名郡塩尾(現・兵庫県淡路市)出身の大相撲力士。本名は大空 由藏。身長173cm、体重108kg。所属部屋は小野川部屋(大阪)→玉垣部屋(東京)→梅ヶ谷部屋→雷部屋。最高位は大関。剣山谷右衛門・鞆ノ平武右衛門とともに梅ヶ谷門弟三羽烏と謳われた。 淡路島に育ち最初大坂の小野川に入門、司天龍 芳五郎と名乗った。1879年(明治12年)1月初代梅ヶ谷を頼って東上、二段目に付け出された。1880年(明治13年)5月入幕、1881年(明治14年)5月小結、入幕から4場所目の1882年(明治15年)1月関脇とトントン拍子に出世した。
八尾 善四郎(やお ぜんしろう、1845年9月11日〈弘化2… 八尾 善四郎(やお ぜんしろう、1845年9月11日〈弘化2年8月10日〉 - 1918年)は、日本の実業家、政治家。神戸市会議員。兵庫運河社長。駒ヶ林魚類定市場取締役。族籍は兵庫県平民。兵庫運河を完成させた人物として知られる。 淡路津名郡岩屋村(現・淡路市)の長谷川八右衛門の次男として生まれ、5歳のときに兵庫西尻池の旧家八尾家の養子となる。船頭から身を起こして魚問屋として成功を収め、和歌山や四国まで事業を拡大させた。 1894年に安田善次郎、武井守正、谷勘兵衛らの出資の下、兵庫運河株式会社を設立し、新川運河を完成させたまま中断していた兵庫運河の建設工事を引き継ぎ、1898年に完成させた。1898年4月19日から1904年4月18日まで神戸市会議員をつとめた。
佐野 助作(さの すけさく、1844年(弘化元年7月)- 1… 佐野 助作(さの すけさく、1844年(弘化元年7月)- 1910年(明治43年)9月21日)は、明治時代の政治家、実業家。自由民権運動家。衆議院議員(3期)。兵庫県津名郡洲本町長。 豪農・塩田猪助の七男として阿波徳島藩領津名郡、のちの兵庫県津名郡塩田村(津名町を経て現淡路市)に生まれ、13歳の時に同郡物部村(洲本町を経て現洲本市物部)の大庄屋・佐野又六の養嗣子となる。25歳の時、養父の死跡を相続し戸主となる。1871年(明治4年)津名郡第一区戸長となり、1873年(明治6年)津名郡区長に挙げられる。1875年(明治8年)職を辞し、一時民間に転じるが、1879年(明治12年)の府県会開設と共に兵庫県会議員に当選する。
西森 源兵衛(にしもり げんべえ、旧姓・岡島、幼名・浅次郎、… 西森 源兵衛(にしもり げんべえ、旧姓・岡島、幼名・浅次郎、1839年9月〈天保10年8月〉 - 1917年〈大正6年〉)は、日本の商人(皮革商)、実業家、政治家。西浜倉庫社長。大阪府西成郡西浜町長。大阪府会議員。大阪市会議員。 淡路国(のち兵庫県津名郡志筑町、現淡路市)生まれ。幼時に西森家に入り養嗣子となる。養父没後家督を相続し襲名する。以来熱心に業務に従事する。 大阪府西成郡栄町戸長、西浜町会議員及び町長となり1897年に同町が大阪市に編入されると、以来区会、市会、府会に議員としてその席に列する。 日清戦争に際し、金100円を献じ木盃を賜る。遠州流生け花を嗜む。日本赤十字社終身社員、衆議院議員南区選挙有権者である。
八陣 信蔵(はちじん しんぞう、1837年8月13日(天保8… 八陣 信蔵(はちじん しんぞう、1837年8月13日(天保8年7月13日) - 1902年(明治35年)1月9日)は淡路国津名郡尾崎村(現・兵庫県淡路市)出身の大相撲力士。本名は岩井 信蔵。所属部屋は小野川部屋(大坂)玉垣部屋(江戸)。大坂相撲で最初の横綱となった。吉田司家の免許ではないため日本相撲協会公認の横綱には加えられていない。 淡路島の農家に育ち大坂に出て8代小野川に入門、1859年(安政6年)7月白藤 信蔵で中相撲三段目に名を出す。1860年玉龍と改める。この頃既に人気となっており、1861年(文久元年)評判を聞いた阿波藩に抱えられ江戸行きを命じられて10月場所幕下に付け出される。翌1862年(文久2年)蜂須賀公から黒神 玉之助の四股名を賜ったが同年11月を最後に江戸では出場していない。
立木 兼善(たちき かねよし、天保5年8月〈1834年〉 -… 立木 兼善(たちき かねよし、天保5年8月〈1834年〉 - 明治42年〈1909年〉12月24日)は、日本の政治家。旧姓杉浦、林。正四位。 淡路国津名郡谷村(現・兵庫県淡路市仮屋谷)の村医者の子・杉浦七郎として生まれる(のち林立玄 林徹之丞 立木徹之丞と改名)。徳島藩士族。洲本にあった徳島(蜂須賀)藩筆頭家老稲田家の学問所益習館で学び、天誅組の変などに関わるなど勤王の志士として頭角を現す。 明治2年(1869年)明治政府に出仕し、若松県知事、若松県権知事、福島県権知事となる。明治3年(1870年)岩倉具視の内命により庚午事変調停のため、岩鼻県権知事小室彰と共に徳島に滞在するが、不調に終わり帰京する。
鈴木 重胤(すずき しげたね、文化9年5月5日(1812年6… 鈴木 重胤(すずき しげたね、文化9年5月5日(1812年6月13日) - 文久3年8月15日(1863年9月27日))は、江戸時代後期の皇学者である。 1812年(文化9年)、淡路国津名郡仁井村(現:兵庫県淡路市仁井)の庄屋・穂積重威の5男として生まれる。幼名は雄三郎、通称は勝左衛門、橿廼家・厳橿本・府生・柱州と号し、諱は重胤。 1825年(文政8年)ころ、大坂鴻池家に商業見習いに住み、父の遺訓で国学を志望し、大坂や神戸で奉公のかたわら学問に励んだ。1832年(天保3年)、江戸在住の平田篤胤に書信で教えを受けるが、面会できないうちに篤胤は亡くなる。1834年(天保5年)ころ大国隆正に入門。 嘉永・安政にかけて『延喜式祝詞講義』『日本書紀伝』の著述に努めたが、1857年(安政4年)、篤胤の養子・銕胤らと不和が生じ、1858年(安政5年)には破門される。
初世植村 文楽軒(うえむら ぶんらくけん) 1810年7月9… 初世植村 文楽軒(うえむら ぶんらくけん) 1810年7月9日(60才)没。人形浄瑠璃・文楽座(劇場名および団体名)の源流。本名は正井与兵衛(嘉兵衛との説もある)。また、植村姓を本人は名乗っていないとの説もある。素人浄瑠璃語りとしての号も「文楽」であり、「文楽軒」ではないとの説もある。但し子孫から「初代文楽軒」と呼ばれていた事は、資料もあり確実である。 淡路国津名郡仮屋浦(現・兵庫県淡路市仮屋)の出身と言われている。寛政頃に大坂高津新地、高津入堀川に架かる高津橋南詰西の浜側(現・大阪市中央区日本橋)に浄瑠璃の稽古場を開設。その後、私財を投入して人形入りの浄瑠璃興行を始めたと言われている。彼の素人浄瑠璃語りとしての号である「文楽」が後の「文楽座」という名称の源流になる。
西條 裕朗(さいじょう ゆうろう)は、日本のラグビー指導者。… 西條 裕朗(さいじょう ゆうろう)は、日本のラグビー指導者。現在報徳学園高校ラグビー部の監督を務めている。 高校からラグビーを始めた。 報徳学園高校、法政大学卒業後、伊丹北高校の教員を経て1997年、報徳学園高校ラグビー部の監督に就任。なお報徳学園高校・法政大学ではラグビー部主将を務めた。 2023年1月、監督として花園準優勝を経験。 この項目は、日本のラグビーユニオン関連人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJラグビー/Pラグビー)。
四宮 米蔵(しのみや よねぞう、1769年(明和6年) - … 四宮 米蔵(しのみや よねぞう、1769年(明和6年) - 1835年(天保6年)は、囲碁の棋士。淡路国津名郡上畑村(現兵庫県淡路市木曽上畑)出身。賭碁師として全国を遍歴し、阿波の米蔵の名を馳せた。後に本因坊門下、四段。晩年は一生軒無案を号す。跡目時代の本因坊丈和との十一番碁がある。 特に師に付くこともなく独学で碁を学び、享保・文政の頃に賭碁師として諸国を巡って三千両以上を稼ぎ、四、五段の力があるとも言われて、その名を知られていた。 1820年(文政3年)に阿波藩主阿波守蜂須賀斉昌の伴として初めて江戸へ出て、本因坊家に赴き手合を求めた。当主本因坊元丈は当時六段の跡目丈和と二子で対戦させ、米蔵9目負となる。