阿曽 慣太(あそ かんた、2004年(平成16年)5月4日 … 阿曽 慣太(あそ かんた、2004年(平成16年)5月4日 - )は、日本の男子ソフトボール選手である。ソフトボールU-18日本代表となった後、平林金属へ所属する。岡山県新見市出身。 2004年(平成16年)岡山県新見市哲多で出生する。新見市立哲多中学校へ進学するが、中学時代には、既にソフトボールで有名になっており、2年生だった2018年(平成30年)の第14回都道府県対抗全日本中学生男子大会で優勝する。 翌年、中学3年生のときにも、第15回都道府県対抗全日本中学生男子大会で優勝し、同年の第41回全国中学校男子大会も優勝するなど、投手としての才能が開花していた。その後、2020年(令和2年)地元の岡山県立新見高等学校へ進学する。
髙田 萌生(たかた ほうせい、1998年7月4日 - )は、… 髙田 萌生(たかた ほうせい、1998年7月4日 - )は、岡山県新見市出身のプロ野球選手(投手)。読売ジャイアンツ所属。
髙田 萌生(たかた ほうせい、1998年7月4日 - )は、… 髙田 萌生(たかた ほうせい、1998年7月4日 - )は、岡山県新見市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。新見市ふるさと大使。 小学校3年時からソフトボールを始め、明徳義塾中学校では軟式野球部に所属した。中学3年の夏に四国大会ベスト4。高校は出身の岡山に戻り、創志学園高等学校では1年時から控え投手としてベンチ入り。2年秋に岡山県大会・中国大会の全9試合、79イニングを完投し、中国大会で優勝した。第46回明治神宮野球大会では初戦で山﨑颯一郎擁する敦賀気比と対戦したが、8回5失点で敗退した。 第88回選抜高等学校野球大会では初戦で東海大甲府と対戦し、9回1失点完投勝利を収めた。2回戦の高松商戦は5失点を喫し、敗退した。
村上 華澄(むらかみ かすみ、1994年3月14日 - )は… 村上 華澄(むらかみ かすみ、1994年3月14日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 岡山県新見市出身。3人兄妹の長女(兄が2人いる)。小学3年生のとき、テレビでバレーボール中継を見た影響で自身もバレーボールを始めた。 2015年、PFUブルーキャッツへ入団。 2021-22シーズン終了をもって現役を引退した。 V.LEAGUEの個人成績は下記の通り(交流戦・プレーオフを含む)。
木山 由加(きやま ゆか、1983年12月21日 - )は、… 木山 由加(きやま ゆか、1983年12月21日 - )は、日本の女子陸上競技選手。カテゴリーはT52。岡山県新見市出身。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
石田 實(いしだ みのる、1956年2月14日- )は、日本… 石田 實(いしだ みのる、1956年2月14日- )は、日本の政治家、岡山県新見市長(1期)。岡山県出身。 1956年(昭和31年)、岡山県新見市生まれ。岡山県立新見高等学校卒。石油販売会社社長を経て2013年(平成25年)新見市議会議員選挙に初当選。2022年(令和3年)には、市議会議長を務めた。同年12月、新見市長選挙出馬の準備のため任期の途中で辞職。2024年(令和6年)11月17日投開票の結果、現市長の戎斉を破り初当選。12月2日に戎が同月7日までの任期を残して辞職したことから、3日に市長に就任した。 ※当日有権者数:22,733人 最終投票率:68.89%(前回比:-3.25pts) 選挙戦では、人口減少対策が争点となるなか、公共交通機関見直しを掲げ利用者の少ないものは廃止し、地域のイベントと連携させてJR芸備線の利用促進や新見公立大学と連携し、市民の健康と福祉の充実を目指すことなどを訴えた。
宮長 雅人(みやなが まさと、1954年(昭和29年)9月1… 宮長 雅人(みやなが まさと、1954年(昭和29年)9月12日 - )は、日本の銀行家、実業家。勲等は旭日中綬章。岡山市に本店を置く中国銀行の第9代頭取を務めた。現職としてちゅうぎんフィナンシャルグループ会長を務める。岡山県新見市出身。 1954年(昭和29年)、岡山県新見市高尾に生まれる。1973年(昭和48年)3月、岡山県立新見高等学校卒業。1977年(昭和52年)3月、早稲田大学法学部卒業。 早大卒業後、中国銀行へ入行する。入行後はキャリアを積み、1999年(平成11年)6月、44歳で田ノ口支店長となる。2003年(平成15年)6月に福山支店長。2005年(平成17年)6月、50歳で取締役融資部長となる。
妹尾 克敏(せのお かつとし、1953年6月2日 - )は、… 妹尾 克敏(せのお かつとし、1953年6月2日 - )は、日本の法学者、政治学者。松山大学法学部教授。専攻は、地方自治法、地方自治制度、憲法。岡山県新見市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
高尾 佐介(たかお さすけ、1950年 - 1999年8月1… 高尾 佐介(たかお さすけ、1950年 - 1999年8月12日)は、日本の作家、元東京新聞(中日新聞社)記者。岡山県新見市高尾出身。本名:田森 良昭(たもり よしあき)。 第14回サントリーミステリー大賞読者賞受賞作『アンデスの十字架』の作者。 関西外国語大学スペイン語科中退後、英国ウエスト・ロンドン・カレッジ(英国)、デウスト大学(スペイン)で学ぶ。その後、中日新聞社へ入社。 1980年に同社を退社後、中南米17か国を1年かけて取材する。航空機内誌の編集や財団法人緑の地球防衛基金のスタッフを務めながらミステリー作家をめざし、『アンデスの十字架』でサントリーミステリー大賞読者賞を得たが、1999年8月12日、リンパ腫のため死去(享年48歳)。
難波 由城雄(なんば ゆきお、1948年 - )は、日本の写… 難波 由城雄(なんば ゆきお、1948年 - )は、日本の写真家。岡山県新見市出身。近畿大学商学部卒。本名は難波教美。 1948年に岡山県新見市井倉で生まれる。中学1年生からコンパクトカメラで写真撮影を始める。 1972年、家業である後楽園入口の土産物店「残夢軒」で働く傍ら、後楽園の撮影を始める。1973年、ジョロウグモの産卵を観察、必死に卵を守るクモの母性愛と命の神秘に感激し、写真家を志すきっかけとなる。1986年、ジョロウグモの生態を記録した初の写真集を出版。 1999年秋~2000年、おかやま後楽園300年祭実行委員会及び、岡山県郷土文化財団主催による写真展「後楽園の四季」を岡山天満屋他、各地で開催。
西村 正紀(にしむら まさき、1946年〈昭和21年〉2月1… 西村 正紀(にしむら まさき、1946年〈昭和21年〉2月17日 - )は、日本の総務官僚である。行政管理庁に入庁後、総務事務次官となり、会計検査院長となった。岡山県新見市出身。 1946年(昭和21年)岡山県新見市で出生する。地元の岡山県立新見高等学校へ進学し、1964年(昭和39年)同校を卒業する。同年、京都大学法学部へ進学し、1968年(昭和43年)同大学を卒業する。 京大卒業後、行政管理庁(現:総務省)へ入庁する。その後、1984年(昭和59年)に行政管理庁が総務庁となり、1987年(昭和62年)同庁の行政監察局監察官となる。1989年(平成元年)には、行政管理局管理官となり、政情報システム企画課長、企画調整課長、会計課長、中部管区行政監察局長を経て、1996年(平成8年)7月、50歳のときに、総務庁官房審議官となる。
石垣 正夫(いしがき まさお、1941年〈昭和16年〉1月1… 石垣 正夫(いしがき まさお、1941年〈昭和16年〉1月15日 - 2016年〈平成28年〉11月9日)は、平成時代の政治家。岡山県新見市長。新見市名誉市民。 岡山県新見市出身。1959年(昭和34年)岡山県立新見農業高等学校卒業。1971年(昭和46年)旧・新見市役所に入る。建設課長などを経て、1994年(平成6年)に旧・新見市の市長に就任。3期務めた。 2005年(平成17年)市町合併後、初代の新見市長に就任。 3期目在任中の2016年(平成28年)11月9日、山林での作業中の事故による脳挫傷や外傷性脳内出血などにより、倉敷市内の病院で死去した。叙従四位、旭日中綬章追贈。 市長在任中は地域情報化の推進や子育て支援施策の充実、社会資本施設の整備等に貢献した。
豊田 利久(とよだ・としひさ、1940年 - )は岡山県生ま… 豊田 利久(とよだ・としひさ、1940年 - )は岡山県生まれの経済学者。 1940年、岡山県新見市出身。1959年、岡山朝日高等学校を卒業。 1963年神戸大学経済学部卒業、1965年同大学大学院経済学研究科修士課程(経済学・経済政策専攻)修了、1971年米国カーネギーメロン大学産業管理大学院(現 Tepper School of Business)博士課程修了(Ph. D. ) (Omicron Delta Epsilon)。 1966年、神戸大学経済学部助手に就任。同学部専任講師、助教授を経て、1980年同学部教授。1993~2004年同大大学院国際協力研究科教授。2004~2012年広島修道大学教授。
逸見 啓(へんみ あきら、1940年 - )は日本の経済学者… 逸見 啓(へんみ あきら、1940年 - )は日本の経済学者。阪南大学名誉教授。岡山県新見市出身。 1940年(昭和15年)、岡山県新見市に生まれる。岡山県立新見高等学校卒業。1966年(昭和41年)、大阪経済大学経済学部経営学科卒業。1968年(昭和43年)、神戸商科大学(現:兵庫県立大学)大学院経営学研究科修士課程修了。 大学院修了後、静岡大学人文学部の講師として勤務する。1972年(昭和47年)、阪南大学経営情報学部の講師となる。その後、同学部教授を経て名誉教授となる。 また、ならコープの創立から理事として関わり、1994年に理事長に就任するなど様々な改革に取り組んだ。奈良県生活協同組合連合会会長理事を経て、名誉会長を務める。
橋本 孝(はしもと たかし、1934年12月16日 - )は… 橋本 孝(はしもと たかし、1934年12月16日 - )は、岡山県新見市生まれのドイツ文学者。宇都宮大学名誉教授。 1957年に中央大学法学部法律学科を卒業後、同大学文学部独文科を経て、1965年に同大学大学院ドイツ文学専攻博士課程満期退学。ドイツ学術交流会奨学生として、マールブルク大学、フライブルク大学、ミュンスター大学に留学。 1968年に宇都宮大学教養部助教授となり、同教授を経て1994年に同大学国際学部教授に就任。1998年に定年退官し名誉教授となった。ドイツ・ヴュルツブルク大学およびエアランゲン大学客員教授や日本グリム協会会長も務めた。2014年瑞宝中綬章受章。 2021年、「日本におけるドイツ文化の研究・普及や日独の友好に尽力した永年の功労」が称えられ、ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章を受章した。
服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2… 服部 経治(はっとり つねはる、1934年1月17日 - 2004年1月3日)は運輸官僚。岡山県新見市出身。 国鉄職員の父親の家庭で育つ。1955年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。 1976年に運輸省を舞台としたロッキード事件が発覚し、運輸省でマスコミ対策のために1977年に大臣官房広報室長に抜擢され、渉外力で頭角をあらわす。1981年から1982年にかけて航空局参事官や官房審議官として成田空港問題を担当。 その後、航空局参事官、地域交通局長、官房長を経て1987年6月から運輸事務次官に就任。次官時代に10年以上も棚上げになっていた整備新幹線を軌道に乗せた。1989年6月に運輸事務次官を退官。
三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 三上 昭美(みかみ てるみ、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2018年〈平成30年〉8月19日 )は、日本の歴史学者。元中央大学文学部教授。日本の近代史の研究者として知られ、日本古文書学会常任理事などを務めた。岡山県新見市出身。 1931(昭和6)年、岡山県阿哲郡新見町(現:新見市)で出生する。1943(昭和18)年、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には岡山大学名誉教授の佐藤巌がいた。1945(昭和20)年、学徒動員先だった山口県の小野田セメント工場で玉音放送を聴く。 5年制であった旧制中学を4年で飛び級卒業(新制中学校へ移行処置)し、旧制高等学校で最後の入学生となる1947年に京都にある第三高等学校文科へ進学した。
植木 雄輔(うえき ゆうすけ、1931年(昭和6年) - 2… 植木 雄輔(うえき ゆうすけ、1931年(昭和6年) - 2021年(令和3年)5月12日 )は、日本のジャーナリストである。日本記者クラブ会員、産経新聞政治部記者、フジテレビ報道センター室長を務めた。その後、フジサンケイ静止画情報制作の代表取締役社長となる。岡山県新見市出身。 1931年(昭和6年)岡山県阿哲郡美穀村正田(現・新見市正田)にて出生する。1944年(昭和19年)、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学した。 第二次世界大戦を経て、植木が旧制中学5年制の時に、1948年(昭和23年)学制改革により、これまでの旧制小中高帝国大学(6・5・3・3)から新制(6・3・3・4)へ変更となり、新制岡山県立高梁第一高等学校が旧制高梁中学の後を継ぎ誕生する。
垂水 悟郎(たるみ ごろう、本名:垂水 五郎、1927年〈昭… 垂水 悟郎(たるみ ごろう、本名:垂水 五郎、1927年〈昭和2年〉5月29日 - 1999年〈平成11年〉1月21日)は、日本の俳優。岡山県新見市出身。岡山県立新見高等学校卒。 長男は俳優・モデルの垂水藤太。 劇団民藝で演劇をしていたが、退団後は映画やテレビドラマに出演していた。 1999年(平成11年)1月21日午後5時55分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去、71歳没。
赤木 昭治(あかぎ しょうじ、1926年(大正15年) - … 赤木 昭治(あかぎ しょうじ、1926年(大正15年) - 2019年(令和元年)5月21日)は、日本の教育者。東京都立園芸高等学校校長を経て、東京農業大学教授。位階は従五位。 岡山県新見市出身。1926年(大正15年)岡山県新見市に生まれる。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、1944年(昭和19年)同校を卒業した。その後、1949年(昭和24年)新制大学制度により、東京農林専門学校から国立東京農工大学に変更となった同大学へ入学する。大学では、羊の飼育法の研究を行っていた。1953年(昭和28年)同大学を卒業し、東京都立農業高等学校へ教諭として赴任した。 都立高校赴任後も東京都府中市の自然調査等や広島大学水畜産学部へ協力を行っていた。
稲神 馨(いながみ かおる、1923年(大正12年)3月19… 稲神 馨(いながみ かおる、1923年(大正12年)3月19日 - 2022年(令和4年)6月5日)は、日本の食品科学者。九州大学名誉教授。元カルピス食品工業(現:アサヒ飲料)常務取締役、元日本食品科学工業学会副会長。カネミ油症事件の原因を解明した。岡山県新見市出身。 1923年(大正12年)、岡山県新見市に生まれる。その後、地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学。同期には、天野昇(日本原子力研究所副理事長)、福田正彦(新見市長)、古米初男(丸善石油副参与)、田井庄之助(大分大学教授)がいた。1940年(昭和15年)、高梁中学校を卒業、鳥取高等農業学校獣医畜産学科へ進学する。
古米 初男(ふるまい はつお、1922年〈大正11年〉7月2… 古米 初男(ふるまい はつお、1922年〈大正11年〉7月25日 - )は、日本の実業家である。丸善石油(現:コスモ石油)副参与を経て、北海道ツバメ石油社長、札幌小野田レミコン社長を務めた。岡山県新見市出身。 1922年(大正11年)に岡山県阿哲郡石蟹郷村(現:新見市)に生れる。地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学。同期には、日本原子力研究所副理事長を務める天野昇、岡山県新見市長になる福田正彦、中世芸能史の研究者で大学教授になる田井庄之助がいた。特に、同級生の田井庄之助は自身の著書『碧い霧』で、高梁時代で一番印象に残った人物として同学年で最も秀才であった古米初男を挙げていた。
宮田 龍介(みやた りゅうすけ、1914年(大正3年)2月2… 宮田 龍介(みやた りゅうすけ、1914年(大正3年)2月2日 - 没年不詳)は、日本の実業家。民間企業に勤務した後、父である宮田重五郎が創業した宮田酒造場を相続し、宮田酒造を設立。その後、社名を三光正宗へ変更し、同社の社長・会長に就任する。1991年に岡山県三木記念賞を受賞。岡山県新見市出身。 1914年(大正3年)、岡山県阿哲郡哲西町矢田(現:新見市哲西町)にある宮田重五郎の長男として出生する。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。1931年(昭和6年)同校を卒業し、岡山にある旧制第六高等学校文科乙類へ進学する。1934年(昭和9年)に同校を卒業し、東京帝国大学法学部へ進学する。
立林 文二(たてばやし ふみじ、1904年(明治37年)3月… 立林 文二(たてばやし ふみじ、1904年(明治37年)3月20日 - 1966年(昭和41年)7月10日)は、日本の銀行家。三和相互銀行社長(現・トマト銀行)。岡山県新見市出身。 1904年(明治37年)岡山県阿賀郡刑部村(現:新見市)に生まれる。1895年(明治28年)に旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、その後、1922年(大正11年)第六高等学校文科甲類へ入学した。1925年(大正14年)、同高校を卒業し、東京帝国大学法学部法律学科へ入学、イギリス法を学び1929年(昭和4年)3月、同大学を卒業した。 大学卒業後、日本勧業銀行(現・みずほ銀行)へ入行し、大阪支店に配属となり、1935年(昭和10年)には、貸付課の書記に配属となった。
横田 稔(よこた みのる、1903年(明治36年)4月1日 … 横田 稔(よこた みのる、1903年(明治36年)4月1日 - 1995年(平成7年)10月15日[要出典])は、日本の元海軍軍人で戦後、高校教師、宣教師になった人物。空母「サラトガ」、軽巡洋艦「ジュノー」を雷撃し、前者を3ヶ月間戦線離脱させ、後者を撃沈した「伊26」潜水艦長である。最終階級は海軍大佐。戦後は長谷川と改姓。高校教師として教鞭をとり、またキリスト教宣教師となった。 横田は岡山県出身で、海軍兵学校へ進み海兵51期として卒業した。席次は255名中60番。練習艦隊では「浅間」乗組みとなり、米村末喜艦長、安田義達指導官附らに実務訓練を受ける。「浅間」乗組み候補生には、戦後『海上護衛戦』を著す大井篤、最後の駐米武官補佐官実松譲などがいた。
近藤 鶴代(こんどう つるよ、1901年(明治34年)11月… 近藤 鶴代(こんどう つるよ、1901年(明治34年)11月16日 - 1970年(昭和45年)8月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)。日本初の女性国会議員となった39人のうちの一人であり、2人目の女性閣僚となった。 岡山県新見市に生まれる。1924年日本女子大学校家政科を卒業後、山陽高等女学校(現山陽学園高等学校)、岡山県第一岡山高等女学校(現岡山県立岡山操山高等学校)等で教諭を務める。家事や作法を教えていた。 戦後の1946年、日本進歩党衆議院議員の長兄小谷節夫が公職追放となり、兄の代わりとして、無所属で衆議院議員選挙に岡山全県区(当時)から立候補し当選、日本初の女性代議士の一人となった。
小出 廉二(こいで れんじ、1895年10月11日 - 19… 小出 廉二(こいで れんじ、1895年10月11日 - 1994年12月14日)は、日本の法学者で、教育者。明治大学法学部の部長を務めた後、明治大学学長を勤めた。岡山県新見市出身。 生誕地は新見市中心部より約4km北に離れた地で、幼少期は中心部にある小学校まで毎日徒歩で通学したという。また農閑期に演じられる備中神楽を愛好し、自身も演じるに至った。 旧制岡山県立高梁中学校(現:岡山県立高梁高等学校)に進み、縁戚の者の家に下宿して通学した。中学卒業後は旧制第一高等学校に進学した。一高進学の理由について、小出自身は小学校OBで進学した先輩からの影響と語っているほか、教え子の一人は小出の入学前に一高校長を務めていた新渡戸稲造への憧れがあったと記している。
槙原 覚(まきはら さとる、1894年(明治27年)3月1日… 槙原 覚(まきはら さとる、1894年(明治27年)3月1日 - 1942年(昭和17年)5月8日)は、日本の実業家。青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長とロンドン支局長を歴任した。財閥解体前の三菱最後の社長であり、再編後の最初の社長となった高垣勝次郎のライバルであった。岡山県新見市出身。 岡山県哲多郡神代村(現:新見市)出身。小作農槙原柳太郎の二男として生まれる。14歳で親戚を頼って上京し下働きなどをしていたが、岩崎弥太郎設立の本郷竜岡町(現・文京区湯島4丁目)の学寮「雛鳳館」の寮生に選ばれたことにより金銭的苦労がなくなり、東京高等商業学校在学中は学業とともにテニスに熱中した。
加藤 元一(かとう げんいち、1890年(明治23年)2月1… 加藤 元一(かとう げんいち、1890年(明治23年)2月11日 - 1979年(昭和54年)5月1日)は日本の生理学者。慶應義塾大学名誉教授。日本学士院会員、アルゼンチン生物学会・医学協会名誉会員、米国生理学会名誉会員。ノーベル生理学・医学賞の候補に3度選ばれている。岡山県新見市出身。 1890年(明治23年)、岡山県阿賀郡新見町(現:新見市)の眼科医の家に生まれる。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)に進学し、1909年(明治42年)に卒業。旧制第一高等学校を経て、京都帝国大学医科大学に進んだ。1916年(大正5年)、京都帝国大学医科大学を卒業。卒業時には成績優秀により恩賜の銀時計を授与された。
土屋 源市(つちや げんいち、1888年〈明治21年〉7月1… 土屋 源市(つちや げんいち、1888年〈明治21年〉7月1日 - 1968年〈昭和43年〉7月8日)は、明治末から昭和期の獣医師、政治家、実業家。衆議院議員、岡山県新見市長、同市名誉市民。旧姓・佐々木。和牛の改良に心血を注ぎ岡山県の「和牛の父」と称された。 岡山県阿賀郡実村(千屋村、阿哲郡千屋村を経て現新見市千屋実)で、農業・佐々木久太郎の三男として生まれる。1908年(明治41年)岡山県農学校(現岡山県立高松農業高等学校)獣医科を卒業した。1913年(大正2年)阿哲郡美穀村唐松の土屋和吉の養子となる。 阿哲郡吏員、同農業技手、阿哲郡産牛馬組合技師を務め、千屋牛の改良に尽力した。1920年(大正9年)阿哲畜産 (株) が設立されると支配人に就任し、その後、同社長を務めた。
川上 貫一(かわかみ かんいち、1888年〈明治21年〉1月… 川上 貫一(かわかみ かんいち、1888年〈明治21年〉1月28日 - 1968年〈昭和43年〉9月12日)は、大正・昭和の労働運動活動家・政治家。後に日本共産党国会議員団長となる。娘は洋画家の川上律江。 岡山県哲多郡(現・新見市)出身。 1907年(明治40年)県立農学校を卒業後、代用教員や岡山県職員を務め、後に大阪府の社会課主事に転じる。1927年(昭和2年)に昭和文化学会に参加して以後、共産党シンパとしての活動を強め、翌年には検挙を受ける。また、1937年(昭和12年)の人民戦線事件でも検挙されて懲役2年の実刑判決を受けている。この間、マルクス経済学を学び、社会主義系の雑誌や研究所の立ち上げに関与した。
横田 誠一郎(よこた せいいちろう、1881年(明治14年)… 横田 誠一郎(よこた せいいちろう、1881年(明治14年)9月 - 1920年(大正9年)4月3日)は、日本の外務官僚。岡山県新見市出身。 1881年(明治14年)岡山県哲多郡矢神村(現:新見市)に生まれる。地元に近い旧制・高梁中学(現・岡山県立高梁高等学校)を経て、1901年(明治34年)第六高等学校に進学、その後、1904年(明治37年)7月に同校卒業、同年に東京帝国大学法科大学政治学科へ進学した。1908年(明治41年)7月、26歳で同大学を卒業した。 大学を卒業した翌年の1909年(明治42年)文官高等試験外交科(外交官及領事館試験)に合格した。外務省の同期には、徳川宗家17代当主の徳川家正、後に文部大臣になる岡部長景がいた。
西村 禎一郎(にしむら さだいちろう、1881年(明治14年… 西村 禎一郎(にしむら さだいちろう、1881年(明治14年)8月 - 不明 )は日本の銀行家であり弁護士である。岡山県新見市出身。 1881年(明治14年)岡山県阿哲郡上市村井村(現:新見市上市)の西村幸三の6男として生まれる。20歳の時、1902年(明治35年)旧制高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を卒業し、旧制第六高等学校文科へ入学。ドイツ語を専攻する。1905年(明治38年)7月に同校を卒業し、京都帝国大学法科大学へ入学した。その後、仮面浪人を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学法科大学へ入学し、1912年(大正元年)10月に同大学独法学科を31歳で卒業した。 卒業後は村井銀行へ就職。
山室 軍平(やまむろ ぐんぺい、1872年9月1日(明治5年… 山室 軍平(やまむろ ぐんぺい、1872年9月1日(明治5年7月29日。戸籍上は8月20日) - 1940年(昭和15年)3月13日)は、日本の宗教家、説教者。日本人初の救世軍士官(牧師)で、日本人初の日本軍国司令官(日本軍国初代司令官ではない)。最終階級は中将。岡山県哲多郡則安村(現在の新見市)生まれ。石井十次、アリス・ペティ・アダムス、留岡幸助とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。 哲多郡則安村(新見市哲多町)で農業を営む山室佐八、登毛(とも)の三男として生まれた。実家が貧しく、明治14(1881年)年には賀陽郡上足守村の親戚筋の杉本家の養子に出された。漢学者の松浦黙の塾で儒学を学んだ。 14歳で上京して築地活版製造所の職工となり、東京専門学校や英吉利法律学校の講義録を入手して独学する。
杉 贋阿弥(すぎ がんあみ、1870年4月10日(明治3年3… 杉 贋阿弥(すぎ がんあみ、1870年4月10日(明治3年3月10日) - 1917年(大正6年)5月13日)は、日本の明治・大正期の劇評家。本名は諦一郎。 備中国阿哲郡野馳村(現、岡山県新見市哲西町)に生まれた。幼少期から漢文を学ぶ一方で、芝居に親しんだ。 1886年(明治19年)(16歳)、上京して明治法律学校に入学し、中退した。郷土の先輩犬養毅の手配で、犬養がいた朝野新聞に入社し、郵便報知新聞に移り、1894年から歌舞伎の劇評を書いた。 演劇雑誌が少なく、新聞紙上の劇評が読まれる時代だった。贋阿弥の評は媚びなくて、松居松葉・岡鬼太郎と共に『三暴れ』と称され、興行側から脅される事もあったと言う。
真賀里 文子(まがり ふみこ)は、日本の人形アニメーター、演… 真賀里 文子(まがり ふみこ)は、日本の人形アニメーター、演出家。岡山県新見市出身。 持永只仁の会社で美術のアルバイトしている時に人形アニメーションに出会い、持永に師事。 のち、テレビや映画を中心に人形アニメーションを担当。子ども向け作品からCM、特撮アニメーションと守備範囲は広く、CMを含めるとこれまで1000本以上のアニメーションをこなしている。 代表作はテレビ、『ウルトラQ』第4話「マンモスフラワー」、『コメットさん』(1967年)、長編人形アニメーション映画『くるみ割り人形』(1979年)、自主制作作品『くまの子ウーフ』(1983年)、埼玉県の航空発祥記念館で上映された世界初のIMAX用人形アニメーション『天までとどけ』(1993年)など。