源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 -… 源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 - 2002年5月14日)は日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(関税局担当)、印刷局長、大和銀行副頭取などを歴任。血液型はA型。 広島県広島市出身(父母も広島県)。広島大学附属高等学校、東京大学法学部卒業。1961年4月 大蔵省入省(主税局調査課)。イリノイ大学留学。1967年7月 山口税務署長。その後は国税庁直税部資産税課長補佐、派遣職員(アジア開発銀行)、主計局主計官補佐(司法・警察係主査)、大阪税関総務部長、内閣官房長官秘書官(事務担当)などを務める。1978年12月 大臣官房企画官。1979年4月 大臣官房参事官。同年7月 主税局国際租税課長。
正木 晴彦(まさき はるひこ、1938年 - )は、日本の仏… 正木 晴彦(まさき はるひこ、1938年 - )は、日本の仏教学者、哲学者。長崎大学名誉教授、元副学長。光永寺(長崎市)住職。 1938年、広島県広島市生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に学習院大学文学部哲学科卒業。1964年に東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、1967年に同博士課程を単位修得退学後、長崎大学に着任。1967年4月教養部助手、同年11月講師、1972年8月助教授、1977年3月教授、1997年10月環境科学部教授を経て、2004年3月に定年退官、名誉教授。1988年から1990年にかけて同大学評議員、2003年から退官まで副学長を務めた。 大学退官後は光永寺住職となったほか、地球システム・倫理学会の設立発起人となり、2016年現在も同学会理事を務めている。
田邊 雅章(たなべ まさあき、1937年12月13日 - )… 田邊 雅章(たなべ まさあき、1937年12月13日 - )は、日本の映像作家。(株)ナック映像センター代表取締役。本名・俊彦(としひこ)。 広島市生まれで父は軍人。市内猿楽町(現・中区大手町)・産業奨励館(原爆ドーム)東隣の生家で育つ。山口県の母の実家に縁故疎開中の1945年、原爆投下により実家に残っていた父・母・弟を失う。自らも家族を捜すため入市し二次被爆した。 原爆投下から9日後の8月15日、終戦となったこの日に父親が死去(敗戦に伴う自害ではなく、原爆の影響による戦傷死)。軍人であった父親は自らが被爆したこともあり、米軍に対して拭いきれない憎しみを抱きながら軍刀を傍に置いたまま亡くなったという。
山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は… 山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は、広島県広島市観音(現西区観音)出身のプロ野球選手、プロ野球審判員で、元セントラル・リーグ審判部長。審判員袖番号は28(1988年初採用から1996年引退まで、2001年以降牧田匡平がつけている。)。
小倉 桂子(おぐら けいこ、1937年8月4日 - )は、日… 小倉 桂子(おぐら けいこ、1937年8月4日 - )は、日本の被爆体験証言者、通訳。平和のためのヒロシマ通訳者グループ代表。 被爆体験を英語で証言できる数少ない被爆者として年間およそ2,000人に自らの体験を伝え続けている。夫は小倉馨(広島平和記念資料館第3代館長)。 広島市生まれ。 1945年8月6日、8才の時に爆心地より2.4キロの広島市牛田町で被爆。1959年、広島女学院大学英文学部卒業。 1962年、広島市役所勤務の小倉馨(米国生まれで17歳年上)と結婚。 1979年8月、夫の小倉馨が平和宣言を書いている途中で、くも膜下出血で亡くなる(妻・桂子が42歳、長男が12歳、長女が15歳の時)。
松田 欣也(まつだ きんや、1937年1月10日 - )は、… 松田 欣也(まつだ きんや、1937年1月10日 - )は、広島県広島市出身の実業家。広島マツダ社長などを務めた。
成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - … 成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - )は、日本の実業家。ナルミヤ・インターナショナル創業者・社長。広島県広島市出身。 家業は明治期の1899年、広島市の元柳町(現在の広島平和記念公園)に創業した呉服問屋の老舗。その後広島市中心部鉄砲町に移転。戦時中は軍服製造などを手がけ戦後の1952年、成宮織物株式会社、1979年ナルミヤと改称して婦人服・洋品部門を拡張させた。成宮は三兄弟の末っ子として生まれ、広島大学附属高校を経て1959年慶應義塾大学法学部を卒業。大学卒業後、髙島屋に入社。ニューヨーク店などに勤務。父の病気で1975年退職し、二番目の兄が東京青山でやっていた洋服卸部門を引き継ぐ。
大下 龍介(おおしも りゅうすけ、1936年(昭和11年)7… 大下 龍介(おおしも りゅうすけ、1936年(昭和11年)7月5日 - )は、広島県広島市出身の実業家。福屋社長、広島経済同友会代表幹事などを務めた。
小川 国治(おがわ くにはる、1936年1月1日 - 202… 小川 国治(おがわ くにはる、1936年1月1日 - 2025年6月15日)は、日本の歴史学者。山口大学名誉教授。専攻は日本史学。 1936年、広島県広島市生まれ。1966年広島大学大学院文学研究科修士課程修了。1968年広島大学大学院文学研究科博士課程(国史学専攻)退学。山口大学教育学部教授、広島大学総合科学部教授、東亜大学大学院教授を歴任。山口大学名誉教授。 2025年6月15日死去。89歳没。
谷川 一彦(たにがわ かずひこ、1936年 - 2008年)… 谷川 一彦(たにがわ かずひこ、1936年 - 2008年)は、日本の漫画家、アニメーター。広島県安村(現・広島市安佐南区)出身。 原爆投下12年後の1957年に月刊誌『なかよし』で原爆で両親を失う少女を描いた漫画「星はみている」を連載。『漫画少年』『冒険王』『なかよし』『少女クラブ』『幼年ブック』などに漫画を発表した後、上京し、1961年に創設された虫プロダクションに入社して、テレビアニメ『鉄腕アトム』や『W3(ワンダースリー)』などの作画等を担当した。 原爆を描いた「星はみている」は、これまで原爆を直接描いた最も古い漫画とされていた白土三平の「消え行く少女」(日本漫画社、1959年)よりも2年早く、中沢啓治の「黒い雨にうたれて」(『漫画パンチ』、1968年5月掲載)よりも、11年早く書かれている。
松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 202… 松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 2020年7月3日)は、日本の実業家。カルビー代表取締役社長や、代表取締役会長を務めた。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事である。 広島市生まれ。1954年広島県立広島国泰寺高等学校卒業。1958年広島大学工学部卒業。竹林守元マツダ代表取締役会長は高校の同期。カルビー創業者松尾孝の長男で、1987年から第2代カルビー代表取締役社長を務めた。1992年カルビー代表取締役会長。2001年会長退任。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事も務め、2014年には母校広島大学に給付型奨学金・グリーン・ウィング教育奨学金を設立した。2020年没。 カルビー創業者松尾孝は父。
石崎 浩一郎(いしざき こういちろう、1935年10月7日 … 石崎 浩一郎(いしざき こういちろう、1935年10月7日 - 2017年11月14日)は、日本の映画・美術評論家。 広島県広島市出身。早稲田大学文学部新聞学科卒。1964年、飯村隆彦、高林陽一、大林宣彦、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。映画評論、美術評論で活動し、名古屋造形芸術大学教授となり、図書館長を務めた。2006年定年、名誉教授。
横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 20… 横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 2017年7月8日)は、日本の作曲家、編曲家である。広島県広島市出身。 両親とも学校の教員。小学3年生の時に父親の転勤により呉市に転居したため、1945年の原爆被災を免れる。本人は呉から原爆のキノコ雲をもろに見て覚えていると話している。 小学6年生の時に再び父親の転勤により同じ広島県の甲奴郡に転居、甲奴郡には中学3年生の時まで暮らす。ある日に父親の勤務していた上下高等女学校(現・広島県立上下高等学校)で行われた、オペラ歌手の藤原義江と大谷洌子が出演する演奏会を父親と一緒に観に行き、魅了される。これに元々音楽が好きだったこともあって、中学2年生の時の進学指導で先生に「歌手になる」と答えたところ、先生から「音楽をやるなら作曲家にならなきゃだめだ」と言われ、広島音楽高等学校を勧められて同校に創立2期生として入学。
藤井 克彦(ふじい かつひこ、1934年12月20日 - 2… 藤井 克彦(ふじい かつひこ、1934年12月20日 - 2023年10月28日)は、日本の映画監督。広島県広島市平野町(現・中区)出身。 1945年8月6日の広島の原爆投下時は、広島市郊外の国民学校にいて被爆は免れたが、幼い目で"ピカドン"を目撃し、大きなショックを受ける。作品にはうかがえないが、原爆の切実な体験は創造行為のテーマとして結実できないか、という自問自答を持ち続けた。終戦後、東京自由が丘の本籍地へ移る。目黒区立緑ヶ丘小学校卒業後、新制中学校の第一期生として、目黒区立第十一中学校に入学。実家の近くにあった映画館「南風座」などで活劇ほかに親しむ。東京都立小山台高校~1958年慶應義塾大学文学部卒。
川本 徳三(かわもと とくぞう、1934年10月24日 - … 川本 徳三(かわもと とくぞう、1934年10月24日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(投手)。 基町高校では1951年、2年生エースとして広島県大会でチーム初のベスト4まで進出した。この年に広島カープ後援会が川本に目を付け、左投手不足のチーム事情もあって、広島に入団させるため勧誘した。高校2年生と言うこともあって何度も入団を拒否していたが、3年次の1952年には自宅近くで電器店を営む後援会役員に石本秀一監督の所へ連れて行かれた。尾道西高グラウンドの紅白戦に呼ばれ、前年の県大会で投げ合い、すでに広島へ入団していた大田垣喜夫の投げている姿を見た。石本から「入ってやってみんか」と言われ、開幕6日前の1952年3月15日、ついに入団を決意した。
岩橋 邦枝(いわはし くにえ、女性、1934年10月10日 … 岩橋 邦枝(いわはし くにえ、女性、1934年10月10日 - 2014年6月11日)は、日本の小説家。本名、根本邦枝。 広島県広島市生まれ。父・岩橋八洲民は植物学者で当時広島文理科大学副手。1945年10歳の時、広島の原爆投下の直前に父の実家のある佐賀県佐賀市へ疎開した。佐賀県立佐賀高等学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)から、お茶の水女子大学教育学科に進み、在学中の1954年『婦人公論』の作文選に「水紋」が川端康成の選により掲載、初めて書いた小説「つちくれ」が『文藝』全国学生小説コンクールに当選、1955年『婦人公論』募集の女流小説に「不参加」が入選、1956年「逆光線」が『新女苑』に発表され、女版石原慎太郎としてマスコミが殺到した。
山内 鉄也(やまのうち てつや、1934年7月20日 - 2… 山内 鉄也(やまのうち てつや、1934年7月20日 - 2010年4月2日)は、映画監督、テレビ演出家、脚本家。広島県広島市生まれ。テレビ時代劇『水戸黄門』『大岡越前』のメイン監督。 叔父は時代小説作家の白井喬二。少年時代はずっと映画が大好きで、中学生の時から映画界に入りたいと思っていた。広島市立舟入高等学校から中央大学経済学部に進み1957年に卒業し、東映に入社。時代劇が好きだったことから京都行きを希望し、京都撮影所の助監督となり、内田吐夢監督作品『大菩薩峠』(1957年)を皮切りに、伊藤大輔、松田定次、マキノ雅弘、加藤泰、工藤栄一監督らの時代劇に就く。またマキノの東映版・次郎長三国志シリーズ4作品の共同脚本も手がけた。
平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年〈昭和8年〉11月2… 平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年〈昭和8年〉11月21日 - 2016年〈平成28年〉10月22日)は、日本の俳優・演出家。ケイファクトリー所属。長男は俳優の平岳大。 主に舞台演劇役者の主演として活躍し、国内外で高い評価を受けている日本を代表する名優の一人である。その他にも、大河ドラマなどのテレビドラマや映画などでも活躍した。 平幹二朗は1933年11月21日、広島県広島市中区小網町(こあみちょう)に生まれた。生後9か月の時に父・文雄が病死。家の造りは京都の町家のように間口は狭いが奥行きのある二階家で、1階が十畳、八畳が二間、中庭、それが土間に面して奥に続いて、2階は八畳二間と物干しだった。
藤原 暹(ふじわら のぼる、1933年10月11日 - 20… 藤原 暹(ふじわら のぼる、1933年10月11日 - 2009年7月14日)は、日本の思想史学者。 広島県広島市出身。岡山県立矢掛高等学校卒、1958年東北大学文学部卒、広島電波工業高等学校教諭、1962年広島県修道中学校教諭、1964年東北大学文学部日本思想史研究室助手、1965年東北大学大学院文学研究科日本思想史入学、1970年博士課程満期退学、ノートルダム清心女子大学国文科助教授、1980年岩手大学人文社会科学部教授、1997年学部長、1999年定年退官、名誉教授。没後従四位、瑞宝中綬章受勲。
寺坂 公雄(てらさか ただお、1933年9月6日 - )は、… 寺坂 公雄(てらさか ただお、1933年9月6日 - )は、日本の洋画家、日本藝術院会員。 広島県広島市出身。旧制松山中学、愛媛大学教育学部美術科を卒業。 戦後に母の郷里松山市に転居する。大学在学中に、愛媛県展の洋画部門・日本画部門で知事賞を受賞。 1954年、「画室の隅」が光風会展初入選。同年「室内」が日展初入選。 大学卒業後、上京し中学校美術教員として勤務しながら日展・光風会展を主たる舞台に活躍。 1975年より山梨県北杜市にアトリエを構えている。 1988年から1999年まで山梨大学教授。 2001年、「デルフォイへの道」で日展文部科学大臣賞。光風会常務理事。 2005年、「アクロポリスへの道」で日本芸術院賞。
木島 丘(きじま たかし、1933年(昭和8年)8月16日 … 木島 丘(きじま たかし、1933年(昭和8年)8月16日 - )は、広島市出身の政治家。広島市議会議長などを務めた。
藤瀬 浩司(ふじせ ひろし、1933年8月12日 - )は、… 藤瀬 浩司(ふじせ ひろし、1933年8月12日 - )は、日本の経済史学者、名古屋大学名誉教授。 広島県広島市生まれ。1956年東京大学経済学部卒、1961年同大学院社会科学研究科博士課程満期退学、1964年「プロシャ農業 土地所有の構造的特質 「農民解放」の歴史的地位」で経済学博士。東京大学社会科学研究所助手ののち、名古屋大学経済学部講師となり、助教授を経て、1977年教授。1989年経済学部長。1991年経済構造研究センター長。1997年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学教授を務めた。 名大生協の理事を務め、1975年名古屋大学出版会の設立に尽くした。 2012年4月瑞宝中綬章受章。
大平 和登(おおひら かずと、1933年(昭和8年)1月5日… 大平 和登(おおひら かずと、1933年(昭和8年)1月5日 - 2012年(平成24年)11月15日)は、元東宝インターナショナル代表取締役・エッセイスト・演劇評論家・プロデューサー。 広島市生まれ、山口県出身。1956年(昭和31年) 早稲田大学文学部仏文科卒業後、東宝株式会社入社。 1961年(昭和36年) 米国ロスアンジェルス東宝ラブレア劇場支配人。1963年(昭和38年) ニューヨーク東宝シネマ支配人。 1965年(昭和40年) 帰国。東宝東和宣伝企画課長(出向)。 1969年(昭和44年) ニューヨーク再赴任。東宝ニューヨーク駐在代表(以後2004年まで在住)。 1985年(昭和60年) 第2回山路ふみ子文化賞受賞。
池本 清(いけもと きよし、1932年8月16日 - 200… 池本 清(いけもと きよし、1932年8月16日 - 2006年8月3日)は、日本の経済学者。 広島県広島市出身。1955年広島大学政経学部卒、1960年神戸大学大学院博士課程満期退学。1983年「国際経済理論の研究」で神戸大学より経済学博士の学位を取得。1960年桃山学院大学助手、1961年専任講師、1962年神戸大学経済学部専任講師、1964年助教授、1972年教授。1996年定年退官、名誉教授、大阪学院大学教授。
下村 幸男(しもむら さちお、1932年1月25日 - )は… 下村 幸男(しもむら さちお、1932年1月25日 - )は、広島県広島市中区十日市町(旧・鷹匠町)出身 の元サッカー日本代表選手(GK)・指導者。
薄井 坦子(うすい ひろこ、1932年1月 – 2022年2… 薄井 坦子(うすい ひろこ、1932年1月 – 2022年2月)は、日本の看護学者。千葉大学名誉教授、宮崎県立看護大学初代学長、名誉教授。 広島県広島市生まれ。お茶の水女子大学文教育学部を卒業後、1961年に東京大学医学部衛生看護学科を卒業。日本医師会、東京女子医科大学病院などを経て、1965年東京女子医科大学看護短期大学教授、1975年千葉大学看護学部教授、1997年から宮崎県立看護大学で教鞭を取り (~2002年)、2011年まで初代学長を務めた。 看護学に関する文献・調査研究や、看護婦としての実践から「看護とは何か」を求めた。フローレンス・ナイチンゲールの唱えた看護論の翻訳でも知られ、日本翻訳文化賞を受賞した。
森滝 健一郎(森瀧 健一郎、もりたき けんいちろう、1932… 森滝 健一郎(森瀧 健一郎、もりたき けんいちろう、1932年 - 2016年7月16日)は、おもに水資源問題や災害問題などに経済地理学の立場から取り組む議論を展開した日本の地理学者、岡山大学名誉教授。 広島市生まれ。父である森滝市郎は、当時は広島高等師範学校で教鞭を執る倫理学者であり、後に原水禁運動の活動家としても知られるようになる人物であった。 東京大学教養学部教養学科で国際関係論を学び江口朴郎などの指導を受け、1956年に卒業した後は高校教員となった。定時制高校に教師として勤務しながら、1960年に東京大学大学院の地理学専攻に進み、1966年に「河川水利に関する地理学的研究 水系的水利秩序の諸類型」により東京大学から理学博士を取得した。
木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年… 木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年2月21日)は、広島県広島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。名前の読みを「げん」とする資料もある。 長沼健、樽谷恵三は広島大学附属小学校からの幼馴染み。1945年被爆。広島高等師範学校附属中学(現広島大学附属高校)では、長沼・樽谷との超強力スリートップの高速右ウイングとして全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の戦後初優勝に貢献。3人のスピードは、当時の中学生レベルでは止められなかったと言われ、4試合で計21得点をたたき出した。決勝戦7-1のスコアは、戦後最多得点、及び大会最多得点差記録として現在も残っている。翌年国体も制覇。
南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日… 南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。広島県広島市出身。 1956年に広島大学工学部を卒業し、同年に日立造船に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1992年4月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。2001年6月に相談役に就任。
堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1… 堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1日 - 2016年 <平成28年> 12月15日)は、日本の経営者。中国放送社長、会長を務めた。位階は正五位。 広島県広島市出身。1953年に広島大学工学部工業経営科を卒業し、同年に中国新聞社に入社。 1980年3月に取締役に就任し、1984年に常務を経て、1990年12月に広島市長選挙に出馬した平岡敬社長に代わり、中国放送社長に就任。1999年6月から2002年6月までに会長を務めた。 2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。2016年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
多田 稔(ただ みのる、1931年 - )は、英米文学者、大… 多田 稔(ただ みのる、1931年 - )は、英米文学者、大谷大学名誉教授。専門は19世紀後半~20世紀前半の英米作家研究。 1931年、広島市生まれ。旧制山口県立徳山中学校を卒業し、旧制第六高等学校へ進む。その後京都大学文学部英文科へ進学し、1954年に卒業。 卒業後は京都府立嵯峨野高等学校教諭、明石工業高等専門学校助教授、1966年からは京都工芸繊維大学助教授、1971年同大学教授。セントオラフ大学で人文学博士(Ph.D.)を授与される。1984年より大谷大学教授、1987年文学研究科長、2002年帯広大谷短期大学学長。2008年退任。 京大英文学会(評議員歴任), 日本英文学会, 大学英語教育学会(関西支部長歴任), William Morris Sociely(ロンドン)(終身会員), 国際応用言語学会日本イエーツ協会, IASAIL JAPAN-アングロアイリッシュ協会アメリカ文学会, 国際真宗学会(評議員歴任), 東西宗教交流学会, 日本ソロー学会, 東京ラスキン協会 他
中山士朗(なかやま しろう、1930年11月22日-2022… 中山士朗(なかやま しろう、1930年11月22日-2022年10月12日 )は、日本の作家。 広島市生まれ。広島県立広島第一中学校在学中に被爆。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。1993年の『原爆亭折ふし』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 20… 堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 2025年1月10日)は、日本の詩人、女性史研究家である。 広島県広島市生まれ。父は陸軍軍人の堀場一雄。東京で育つが、縁故疎開先の広島で原爆被害を目撃する。早稲田大学文学部国文科卒業。鹿野政直の妻で本姓は鹿野。共同通信社勤務を経て詩作・評論に専念する。詩誌『いしゅたる』主宰。1990年、『イナグヤ ナナバチ/沖縄女性史を探る』で第5回女性史青山なを賞、1993年『首里』で第11回現代詩人賞受賞。2010年、第14回女性文化賞受賞。ほか高群逸枝、原爆被害の研究をおこなう。 2025年1月10日、老衰のため千葉県の高齢者施設で死去。94歳没。
岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8… 岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1975年〈昭和50年〉8月1日)は、日本の生物学者(分子生物学)。広島市白島(現:中区白島)出身。 広島高等師範学校附属中学校(現:広島大学附属中学校・高等学校)2年の時、原子爆弾の黒い雨を浴びた(入市被曝)。その後、山口県立岩国中学校(現:山口県立岩国高等学校)、第五高等学校を経て、1953年、名古屋大学理学部生物学科卒業。発生生物学の山田常雄教授の下で形成体(オーガナイザー)について研究。 1960年、セントルイス・ワシントン大学のジャック・ストロミンジャーとアーサー・コーンバーグの下に留学。スタンフォード大学を経て、1963年、名古屋大学理学部化学教室の鈴木旺教授の講座の助教授として帰国。
下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 200… 下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 2006年4月29日)は、日本の厚生官僚。元社会保険庁長官。広島県広島市中区吉島出身。愛称は「シモケン」。
岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月2… 岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月29日 - )は、日本の大蔵官僚、銀行家。国税庁調査査察部長、大阪国税局長、国税庁次長、証券局長、広島銀行副頭取、同行会長などを務めた。 衆議院議員岸田正記の二男。衆議院議員岸田文武の弟。第100代・第101代内閣総理大臣岸田文雄の叔父。 広島県広島市出身。東京都立第一中学校、東京高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中に国家公務員六級職試験を合格。1955年 大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)。 1962年7月 萩税務署長。1963年7月 国税庁調査査察部調査査察課長補佐。
小久保 均(こくぼ ひとし、1930年4月16日 - )は大… 小久保 均(こくぼ ひとし、1930年4月16日 - )は大韓民国慶尚北道生まれの作家。1937年両親の故郷広島に引き揚げる。広島大学文学部卒業。1972年「折れた八月」で直木賞候補に、1977年「夏の刻印」で芥川賞候補になる。小久保は言う、「広島は小説の材料に事を欠かない所だ」と、小説を始めようとする人に訴える。そして「お前はここが悪いのだ」と、手厳しい。<要出典>
重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)… 重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)は、日本の実業家。広島県広島市出身。 元サッカー日本代表。1965年日本サッカーリーグ(JSL)創設に尽力した人物の一人。のちに日本プロ野球界に転じ1970年代の赤ヘル旋風時の広島東洋カープ球団代表。Jリーグ・ベルマーレ平塚における最後の社長であり、湘南ベルマーレ創設に尽力した人物の一人。 1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆した。 重松ら旧制広島県立第一中学校(現国泰寺高校)3年生60人は、爆心地から2.2キロメートルに位置した舟入川口町の軍需工場に学徒勤労動員で来ており、ちょうど8時の朝礼が終わった後のことだった。倒れてきた設備機械により級友の一人が亡くなり、多数の怪我人を出した。
森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 -… 森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 - 2023年7月31日 )は、日本の神学者、牧師、翻訳家。東北学院大学名誉教授。 広島市生まれ。1945年群馬県立高崎中学校卒業。1948年松本高等学校理科甲類卒業。1953年広島文理科大学物理学科卒業。1957年東京神学大学大学院修士課程修了。日本基督教団信濃町教会、若草教会牧師。1966年東北学院大学助教授、教授。1996年定年退任、名誉教授。
村田 英憲(むらた ひでのり、1928年7月20日 - 20… 村田 英憲(むらた ひでのり、1928年7月20日 - 2023年9月30日)は、日本の男性アニメーションプロデューサー。株式会社エイケン創業者、名誉会長。広島県広島市出身。 1945年8月6日、広島市で被爆し弟を亡くす。中央大学在学中に学生自動車連盟の初代委員長を務めた。 日本テレビジョン(TCJ。民放テレビ局の日本テレビホールディングス・日本テレビ放送網とは無関係)の映画部長だった1969年にアニメ部門を独立させて「株式会社TCJ動画センター」を設立。同年、朝日新聞に連載中の『サザエさん』に目を付け、宣弘社を通じてフジテレビにテレビアニメ版『サザエさん』の企画を持ち込み、製作を手掛け、国民的長寿番組とした。
村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12… 村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12日 - 2018年〈平成30年〉5月9日)は、日本の劇作家・演出家である。国内での活動よりも、むしろ国際的な活躍が目立つ。本名は葛井志摩子で、プロデューサー葛井欣士郎は夫。筆名は井村愛。 広島県広島市出身。広島県立広島第一高等女学校卒業。東京女子大学卒業。舞台芸術学院(第1期生)で土方与志に学び、卒業後、チェコに留学。カレル大学哲学部演劇科学科卒業。博士号取得。広島市の原爆ドーム世界遺産化推進委員(1994年 - 1996年)、日本チェコ協会理事などを務める。日本ペンクラブ会員。日本演出者協会会員。 代表作は「広島の女」。その他、劇作家の別役実、女優の楠侑子らと共に、かたつむりの会の公演に参加し、一貫して演出を担当していた。
田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 … 田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 - 2022年(令和4年)5月7日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。『諸君!』、『文藝春秋』、『週刊文春』編集長を経て、文藝春秋社長(第7代)。 広島県広島市出身。海軍兵学校教授であり、高松宮宣仁親王に英語を指導したことでも知られる田中酉熊の五男として生まれる。 都立一中から1945年(昭和20年)4月、海軍兵学校に第77期生として入学するも敗戦により退校、旧制東京高校を経て、1953年東京大学文学部独文科を卒業。就職難の時代、たまたま文藝春秋新社(現・文藝春秋)の試験を受け入社。半藤一利は同期生。当時の文藝春秋は社員数100人にも満たない小さな会社だった。
山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、… 山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、日本の国際法学者。立命館大学名誉教授。専門分野は、国際法・国際経済法・EU法(EC法)。広島県広島市出身。 昭和3年(1928年)4月15日、広島県安佐郡深川村(現広島市安佐北区)で生まれる。昭和17年(1942年)4月に旧制崇徳中学校へ入学。途中、海軍兵学校へ入学するが(1945年4月-8月、海軍兵学校第78期)、終戦後復帰し、昭和21年(1946年)3月に卒業する。昭和21年(1946年)9月に旧制山口高等学校理科甲類に進学し、昭和24年(1949年)卒業する。昭和24年(1949年)4月に旧制京都大学法学部に進学、昭和27年(1952年)には旧制京都大学大学院法学研究科に進学し、昭和29年(1954年)修了。
角 梨枝子(すみ りえこ、1928年3月7日 - 2005年… 角 梨枝子(すみ りえこ、1928年3月7日 - 2005年10月12日)は、日本の女優。 本名は角 泰枝(すみ やすえ)。広島県広島市翠町(現・南区)出身。父親は広島文理科大学数学教授だった。五人姉妹の末女。広島文理科大学付属小学校ー広島第一高女(現・広島皆実高校)を経て、1945年、神戸女学院音楽部に進学したが、同年8月帰郷したおり被爆したため中退。1947年大阪音楽大学進学。翌1948年、初代・ミスヒロシマに選定され、東宝からスカウトされて映画界入り。豊田四郎監督の『エデンの海』の主役に抜擢されるが、東宝争議により製作中止された。 同郷の杉村春子と親交があり、演技力をつけるため文学座の研究生として1年在籍。
粟本 昭夫(あわもと てるお、1927年2月12日 - 20… 粟本 昭夫(あわもと てるお、1927年2月12日 - 2025年)は、日本のイエズス会司祭、宗教家、教育者。
佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 20… 佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走したことで知られる。 広島県広島市出身。3歳から酒をたしなむ。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた。 大学卒業後、NHK広島放送局勤務を経て、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。
井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 201… 井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 2014年3月20日)は、日本の化学者(物理化学)。勲等は文化勲章。学位は理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。位階は従三位。 東京大学理学部助教授、東京大学物性研究所教授、分子科学研究所教授・所長、岡崎国立共同研究機構機構長、国際高等研究所副所長、豊田理化学研究所所長のほか、学士会理事長などを歴任した。 1927年2月3日、広島県広島市段原(現在の南区段原)生まれ。炭素原子の持つπ電子の重なりにより、有機物質内の分子間で電子が移動し導電性を示すことを実証した。東京大学、分子科学研究所、国際高等研究所、豊田理化学研究所などで研究に従事した。
廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2… 廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2014年2月24日)は、日本の法学者。広島県広島市出身。東北大学名誉教授。専門は民法、法社会学。ほか財産法、契約法。日本の公安警察も研究した。
柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年… 柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年11月30日 )は、日本の西洋史学者。専門は、古代ギリシャ史・ヘレニズム史。関西学院大学教授、文学部長、学長を歴任した。 1926年、広島県広島市生まれ。1948年、関西学院大学文学部神学科に入学するも、1951年に文学部史学科に転科する。粟野頼之祐に師事し、古代ギリシャ史・ヘレニズム史を専攻。同大学院博士課程を経て、1956年に文学部嘱託助手となり、1972年、教授に就任する。文学部長を歴任後、1989年から、学長を2期5年務めた。1995年3月に同大学退職。
粟屋 敏信(あわや としのぶ、1926年〈大正15年〉7月2… 粟屋 敏信(あわや としのぶ、1926年〈大正15年〉7月25日 - 2016年〈平成28年〉9月4日)は、日本の政治家、建設官僚。衆議院議員 (5期)。位階は従三位。 広島県広島市出身。旧制広島高等師範学校附属中学校、旧制広島高等学校、東京大学法学部卒業後、旧建設省に入省し、建設事務次官等を歴任。 退官後の1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙では、灘尾弘吉の地盤を継承し旧広島1区から自由民主党公認で立候補したが落選。1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙で初当選。以後5期連続当選。 第40回衆議院議員総選挙は新生党、第41回衆議院議員総選挙は新進党、その後、太陽党、民政党を経て、第42回衆議院議員総選挙は無所属の会から立候補し当選(広島2区)。